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今日で1月も終り。今年もあっという間に1ヶ月が過ぎました。慌ただしい2週間が過ぎたら何だか気が抜けたようです。2月からは半月ぶりにダンスレッスンも始まるそうですので、また気の張りも出てくるのではないでしょうか。さて、昨日ブロ友さんがご自分の指に美しいネイルアートを施されたのをUPされてましたので感動しました。そこで、私もダンス仲間が季節ごとにネイルアートを施した爪を見せてもらって楽しんでおりますので皆さんにもちょっと紹介したいなと思いました。季節が過ぎるとすぐ塗り直しをされるのでいつももったいないなぁと思っています。 こちらはクリスマスバージョン。右側は両手の親指です。左手薬指のチャームは星とブーツです。こちらはお正月バージョン。親指です。宝船もいいですが、左手薬指のチャーム、独楽と凧がお正月らしいですよね。こちらはヴァレンタインデイバージョン。ゴールド色はミラーネイルと言って鏡のように映るそうです。左手薬指のチャームはカップケーキとかじりかけのチョコだそうです。こういうネイルをしていると毎日両手を使えるのかしらという疑問がわきますよね。はい、私も以前尋ねてみました。やはり料理はご家族にお任せしているそうです。でも、ダンスはしっかり習ってらっしゃいますし、ダンスパーティーでデモンストレーションを男先生と素敵に踊られます。毎回素敵なネイルアートをされているので一度紹介してみたかったのです。
2017年01月31日
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ここ2週間20数年前の旅行記にお付き合いいただきましたが、今日からまたガラッと気分を切り替えて続けたいと思います。その前に少しだけここ2週間の簡単な報告を。実は20日前に立候補を決めた方の事務所開きが2週間前にありました。その場で急に私に挨拶をしてほしいと言われ、候補者の話される前に挨拶をしました。私のブログを訪問して下さる方には右のお二人が誰なのかよくわかると思います。保育園のママ友さん達が連日協力してくれました。キッズルームもできました。ダンスの生徒は自分の都合が付く時間に出かけてひたすら鶴を折り続けました。チビッ子達も手伝ってくれました。千羽鶴がやっと出来上がりました。告示されて1週間の選挙戦が始まりました。車には候補者とウグイス嬢とママ友が乗り込みました。私も頼まれましたが、マイクを通して咳をしているのが聞こえては駄目だからと断りました。代わりにひたすらせっせと鶴を折り続けました。 選挙カーの見送りと出迎えは毎回やりました。毎日決まった時間に演説をしている場所へ出かけ道行く人達や通り過ぎる車にお辞儀をしたり手を振って応援しました。夜の立会演説会には出かけられなかったので連日昼間にスタジオでお手伝いをしました。ママ友さん達が選挙カーで出かけている間に赤ちゃんが泣けば抱っこしてあやしました。ところが1時間経ってもなかなか泣き止んでくれずとうとう現役パパの男先生にバトンタッチ。数時間後ママが帰って来ていつもパパがお守りをしていると聞き納得。ママ友さんや生徒さん達の女性パワーで頑張りました。みんながせっせと折り続け千羽鶴がもう一つできました。長かったようで短かった2週間も終わりました。昨夜は午後8時に投票が終わり雨の降る中、支援者が続々と集まりました。午後9時40分に最初の開票速報が入り3人の候補が横一線に並びました。9時半過ぎ、10時過ぎではまだどうなるかわからず皆さん固唾をのんで見守りましたが、それ以降なかなか結果が出ないので午後11時40分過ぎまでじりじりと待ち続けました。そして午後11時45分にやっと結果が。僅差で敗れました。相手は70代前半と50代後半の元議員さんたち。しかも長年それぞれがある分野で活動をされてきた方々で40歳の新人がここまでよく頑張って高得票できたと口々に言われました。女性候補者は連日の疲れでかすれた声で「今回は涙は見せない、次回に向けて始動する」と力強く宣言されました。家に帰ったのはシンデレラタイムを過ぎてました。
2017年01月30日
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2回目のオーストラリアへの旅も今日で最後です。長らくお付き合いいただき、ありがとうございました。オーストラリア滞在最終日の日曜日はもう一人の友人が車で迎えに来てくれて彼の故郷Woolongonへ連れて行ってくれました。丘の上から見下ろしたウーロンゴンの街です。友達を交え4人でおしゃべりしながら海岸を散策後、彼のお母さんに海の見えるレストランで昼食をご馳走になりました。日本では息子が大変お世話になったからと言われて。とても落ち着いた静かな町でした。その後、彼の家に連れて行ってもらいご両親に会いました。玄関を入った所に既に結婚したお兄さん3人のそれぞれの家族写真が貼ってありお母さんはいくつになっても独身でいる末っ子の息子の事が気がかりだと話されました。母親はいずこも同じですよね。息子が自分の事を聞きたくないので、横になって寝ようとしたら父親から厳しく叱られたのを見て、これもいずこも同じだなと感じたのでした。オレンジジュースを飲みながら、彼の金髪で可愛い子供時代のアルバムを見せてもらいお土産まで頂いて帰りました。夕方お世話になった友人と彼女の友人を呼んで、プラネットハリウッドで4人で夕食を。飲んで食べて大いに盛り上がりました。右の二人はこの頃多分25歳かそれ以上私よりも若かったです。娘や息子ぐらいの年齢の若者も同じ気分で付き合ってくれました。みんな楽しい人たちでした。今でも近況を教え合っています。 いよいよ1週間滞在したオックスフォードコアラホテルともお別れです。 このホテルでも短い滞在中、色々と経験しました。夜中に火災報知器が作動して起こされたこと。近くのオックスフォードストリートでゲイパレードがあって20数年前、日本ではまだオープンにカミングアウトされてない頃、お化粧をした男性が綺麗な花束を持って楽しそうに男性と腕を組んで歩いてたこと。そして友人二人にも連絡で色々と心配をかけたこと。これはほんの一部で、今でも記念に持ってます。その後、外国旅行では空港で携帯を借りることにしました。 帰りに飛行機から見えたグレートバリアリーフです。 エメラルドブルーのサンゴ礁がとても綺麗でした。これで術後3か月で2度もオーストラリアへ旅立った旅行記を終わります。(オシマイ)
2017年01月29日
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やっと2週間のお手伝いも今夜で終わりました。もう1日、明日まで過去の旅行記にお付き合いください。シドニー工科大学での語学研修も金曜日で終り、週末2日間楽しんだら帰国です。思い出を目いっぱい残しておこうと思いました。結局それ以来20数年間一度もオーストラリアを訪れてません。2人の友人はそれぞれその後結婚して子供さんに恵まれ、今では良きパパとママになっています。 さて、土曜日は友人がホテルまで車で迎えに来てくれたので、友達と3人でブルーマウンテン方面に出かけました。道中ハイウェイをカンガルーが横切りビックリしました。ブルーマウンテンのハイライト、スリーシスターズを見に歩いていきました。目の前に3つの奇岩が現われました。神秘的な奇岩の前で記念撮影。こちらはカトゥーンバの滝の絶景ポイントです。約300メートル上空の空中を運転するロープウェイがありましたが、見上げただけで乗らずにケーブルカーの方に乗りました。「シニック・レールウェイ」というトロッコ列車です。最大傾斜が52度もあり、急勾配なのでほとんど真下に降りていく感じがしてスリル満点でした。 ブルーマウンテン国立公園はとても広い大森林地帯で遠くまで青く霞んで見えました。この山には一面ユーカリの木が生えているので樹木の葉から蒸発するオイルの効果でブルーの光線が大気の水蒸気などに反射して青いもやで山が青く見えるのだそうです。ブルーマウンテンという名前の由来はこれに因んでいるそうです。私はこの後、アメリカのグランドキャニオンにも出かけましたが、オーストラリアのグランドキャニオンの方を先に見学しました。この当時から空気の澄んだ山を歩くのが好きでした。友達は学生時代、ワンダーフォーゲル部に入って日本アルプスにも登っていた健脚の持ち主です。土曜日は1日中充分山歩きができました。(続く)
2017年01月28日
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日曜日まではこのまま過去の思い出にお付き合いください。月曜日になったら報告できると思いますので。 さて、20数年前のオーストラリア旅行の続きです。4日目、モニカ先生とロイヤル・ボタニック・ガーデンを訪れた後、オペラハウスの近辺を散策しました。ロイヤル・ボタニック・ガーデンには世界各国から集められた約4000種類の植物が30万平方メートルという広い面積の土地に植えられていました。大陸的なスケールの大きさにビックリしました。オペラハウスの屋根の形はシドニー湾内を行き交うヨットの帆をイメージしてデザインされたものだそうです。前の広場ではバグパイプを吹いているオジサンがいたので仲間がお金を入れました。5日目の先生の名前は忘れてしまいました。記憶がだんだんあやふやになってきました。煙突から緑の煙が出ていたので写しましたが、何の印だったかしら?春のお祝いだったかしら?先生が話されたんだけど忘れてしまいました。パワーハウス博物館の見学。科学、テクノロジー、文化、歴史、アート等技術革新による生活用品の移り変わりや女性の服装の推移、映画、テレビの特殊効果の裏側など幅広いテーマで展示されてました。日本、アジアの国々から集まった13名が金曜日の授業後、校長先生(女性)が一人一人に修了証と記念のピンを手渡されました。修了証を上手く撮れませんでした。その後ジュースとスナック菓子で簡単なパーティーが催されました。パーティーもそこそこにあわててホテルに戻ると前回もドライバーをしてくれた友人が車で迎えに来てくれていました。ボンダイビーチとギャップ公園を友達に紹介したかったのです。ミセスマッコーリーポイントの近くで結婚式があったようで花嫁、花婿とベストマン、ベストウーマンが正装して階段を下りて来ました。外国を旅している時に結婚式に出くわすのはこれで何度目になるかしら。「お二人に幸あれ」と祝福しました。その夜はシドニーカジノへ連れて行ってくれました。私は早々にギブアップしましたが、友達はスロットマシンで結構楽しんだようです。 (続く)
2017年01月27日
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今日は雪の御嶽山が窓からくっきりと見えました。今日も夕方までボランティアで出かけてました。あと3日間気合で乗り切ります。 今日もオーストラリア旅行の続きです。3日目はアンジェラ先生とデパート、David Jonesへ出かけました。珍しい豪華な帽子をかぶってみました。ちょうどスプリングフェスティバルの真っ最中。全館各階のフロアーいたるところに綺麗な花が飾られていました。赤、黄、白、ピンク、オレンジ等、色とりどりの花々の競演です。上の階へはエスカレーターで、帰りはリフトで下りました。 どこからかハーブの調べが聞こえて来ました。 しばしの間、音楽に耳を傾けました。みんながQVB(クィーン・ヴィクトリア・ビルディング)で買い物中、アンジェラ先生とおしゃべりを楽しみました。とってもキュートな方でした。サーキュラーキーでアーティチョークを食べた後、急に思いついてシドニー湾のナイトクルーズを楽しみました。歌と音楽もムードがあり素敵でしたが、夜景もとても綺麗でした。 4日目はスイス出身のモニカ先生とロイヤル・ボタニック・ガーデンへ。モニカ先生は10歳の男の子と7歳の女の子のお母さんです。シドニー湾の近くを散策しました。セント・メアリー教会は当時郷ひろみさんが結婚した教会で有名でした。イギリス様式の石造りの正統派の教会です。ニューサウスウェールズ州立美術館は神殿造りで、5階までオーストラリア、ヨーロッパ、アジア各国の幅広いコレクションがあり1階のアボリジニ芸術が特に素晴らしかったです。(続く)
2017年01月26日
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今日もボランティアで出かけました。いよいよ後半戦に入り、午前7時からのボランティアを頼まれましたが、私は9時からで精一杯です。 さて、二度目のオーストラリア旅行の続きです。1週間語学研修をしたシドニー工科大学のキャンパスです。1日目は熱帯雨林を散策し、BBQでウェルカムランチでしたが、2日目はジュディ先生とハーバーブリッジへエクスカーションに。ハーバーブリッジからの眺めです。帆船も見えましたが、写真は省きます。ハーバーブリッジの両脇に立つ塔では橋が建設されて馬で通った開通式の様子が上映されてました。教室に戻って。ジュディ先生は9歳の双子の息子さん達と5歳の娘さんがいて18歳の時に日本(埼玉県)に来たことがあるそうです。子供さん達が寂しがるので、週3日朝9時から午後3時までパートで働いていると言われました。大学の授業の後は、友人を誘ってセントラルステーションから前回の旅で再会した女性の自宅へ食事に行くことに。セントラルステーションの内部郊外まで電車の切符を自動券売機で買いました。日本の列車のように快速、急行、準急、普通なんて書いてありません。停車駅のランプがつくだけです。この夜は途中工事中のためバスで迂回しました。やっとの事で最寄りの駅に着き、友人が車で迎えに来てくれてました。みんなで夜空を見上げて南十字星をさがしました。友人のご両親はイギリスへ旅行中で不在。日本のように玄関で靴を脱ぎ、部屋の中は綺麗に整理整頓されていました。お兄さんはよく気が付く人でフィアンセと一緒でした。友人の友達も会いに来てくれて再会を喜びました。友人のいとこからも電話がかかってきて久しぶりに元気な声が聞こえました。友人の友達もいとこも日本を旅した折に我が家を訪問したことがあります。友人の手作りパスタとビーフストロガノフをご馳走になりました。余りにも量が多くて食べきれないでいると、お兄さんが「妹の料理は犬も食べないから残しても大丈夫だよ。」と助け船を出してくれました。友人は料理の他にデザートも作ってくれていました。「パバロバ」というケーキを焼いてくれていました。メレンゲのような柔らかくて美味しいケーキをたくさん食べました。(続く)
2017年01月25日
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今日も早朝からボランティアに出かけてました。 20数年前続けて出かけたオーストラリア旅行の続きです。到着した日の事は昨日UPしましたが、ホテルの8階まで前回会った友人が来てくれました。ブリズベンで買って来てと頼まれたラム酒を2本プレゼント。日本の女子高生(約900名)のツアーガイドをしてとても疲れたと言ってました。別れ際、たくさんのラブレターをもらったと笑ってました。2回目の旅の目的は語学研修でした。シドニー工科大学で1週間勉強したのです。翌日は国立公園になっている熱帯雨林の見学に。ミナムラ・レインフォレストの中をしばらく散策しました。レインフォレスト見学後はBBQ。ドライバーさんがソーセージやお肉を豪快に焼いてくれました。パン、リンゴ、オレンジジュースも頂きました。お腹を満たした後は、近くの展示室と売店へ。熱帯雨林に生息する動植物が展示されていました。当たり一帯を整備した様子も。夕方、熱帯雨林見学の帰り道でバスから飛び降り、走って日本へ郵便物を出し(これが外国旅行の私の楽しみ)忘れ物を取りに戻り、その後タクシーでオペラハウスへ。(あまり外国ではタクシーには乗らないのですが、時間的に無理だったので)慌ててトイレで着替えをしました。ブロ友さんにシェイクスピアの「マクベス」を観たと言いましたが、実際は「オセロ」が上演されていました。20年以上前の記憶は実にあいまいですね。プログラムを売ってたお兄さんに「カメラの持ち込みは駄目だよ。」と言われ「一生に一度のお願い。フラッシュは使わないからオペラハウスに来た記念に最初と最後だけどうか撮らせて下さいよ。」と交渉したら、あきれ顔をされた所。熱帯雨林見学の衣装をバッグに詰めてこれでも一応フォーマルドレスのつもり。開幕前の様子です。劇場の外のロビーではイブニングドレスやフォーマルスーツの男女が幕間にカクテルやジュースを飲んでました。オペラ「オセロ」が終わり、フィナーレでオセロ、デスデモーナ、イアーゴ等の主要登場人物の挨拶です。20数年が経ったので許してね。こうして旅の2日目は終わったのでした。(続く)
2017年01月24日
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今日もボランティアに出かけました。今週末まで旅行記にお付き合いください。 今回の旅行記は前回オーストラリアの旅から8月22日に帰国して自宅で疲れを癒し、9日目の8月31日に再びオーストラリアへ旅だったことを振り返ります。皆さんに呆れられるかもしれませんが、嫁いで20数年間ただ家庭を守ることに専念し、10年間患っていた病気を我慢しているうちに3つの臓器が癒着し、手術を経験したのでここで思い残すことがないように、胸に秘めていた想いを実現したのです。まあ留守の間に大騒動となりましたが、それは秘密という事で。今回は関西国際空港からJALで夜離陸しブリズベン経由でシドニーへ出かけました。離陸して1時間後には夕食が出て、陽が上がりブルーの空にオレンジの光が射し始め赤からオレンジへ、オレンジから黄色へと光のグラデーションを楽しんでいる頃、ブリズベンに到着しました。フライトアテンダントのお二人はブリズベンまでの勤務で、ここでお別れですと言われました。ブリズベンからシドニー行きは午前8時5分出発です。 「ブリズベンへようこそ」のボードが見る見るうちに小さくなりました。そしてブルーマウンテンでしょうか、眼下に広がる青い山並み。ブリズベンからシドニーまで勤務のお二人です。無事にシドニーへ2度目の到着。ハイドパークの中にある戦争記念館を訪れた後、ロックスのフリーマーケットへ行きました。アンティークの店やアボリジニのアートクラフトの店へ。私は鳥の作品を1つだけ値切って買いました。ついでにディジュリドューの音色が聞きたかったのですが、誰も聞かせてくれないので、吹かせてもらいましたが、全く音は出ませんでした。他にも毛糸で編んだ人形などカラフルなニット作品や鮮やかな色の布でキルト風に縫ってまるで絵画の様な仕上がりの作品も。色とりどりに着色を施されたガラス作品やマスクとろうそくを売ってるお店もありました。魔女(ウィッチ)が箒に乗って空を飛んでいました。それ以上にキュートだったのはピンク色の桃のような形をしたお尻です。顔よりもお尻の形に魅せられ娘の誕生日祝いに買ってしまいました。こちらは手の形をしたキャンドル。どのお店も楽しくて、いつまで見ていても飽きないのでした。(続く)今夜はPCが重くてなかなか捗りません。
2017年01月23日
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今朝7時半過ぎに自宅を出て、室内と屋外で夕方まで過ごしたら、少々疲れてしまいました。外は風が冷たく、頬や手の感覚がなくなりました。途中で雪まじりの霙も降りました。今週も1週間ボランティア頑張ります。 さて、オーストラリア旅行の続きです。マンリーから高速船でサーキュラーキーへ戻ると、駅でアボリジニのおじさんが大声でおしゃべりをしてました。所帯道具一式を横に置いて、通りすがりの人が投げていくお金を集め、見る見るうちに袋が一杯になりバッグに入れました。横にはぎっしり詰まったバッグが3つも4つも置いてありました。いい商売だなと思いながらしばらく眺めていました。ロックスのジョージストリートのギフトショップで出会った親子。この子も今頃は20代の若者になっていることでしょう。その頃有名だったケン・ドーンの本店へ。ケン・ドーンギャラリーで彼の大作を記念撮影。 サザンビーチの王様、ボンダイビーチへ。太平洋に面した浜辺は1キロ続きます。先住民アボジリニの言葉で「岩に砕け散る波」という意味です。その名の通り青い波と白い波頭のコントラストはとても美しかったです。その後、オペラハウスやハーバーブリッジなど市街が見渡せるワトソンズベイの上に移動。シドニーの自殺の名所ギャップ公園へ。日本では東尋坊の様な所です。100メートル近い断崖絶壁から下を覗くと足がすくみました。こちらはその当時、日本の煙草のコマーシャルに使われた場所です。夜はハーバーの夜景を楽しみながら4人で夕食にくりだしました。ホテルに娘を残し、3人でパブへ行き楽しい時間を過ごし、その後、ほろ酔いの彼女を郊外の家まで送り届けホテルに戻ったのは遅かったです。久しぶりに旧交を温め、いよいよ帰国の途に就きました。午前4時起床、5時半ごろチェックアウト。その後、色々トラブルがあったんですが省きます。キングズフォード・スミス国際空港(シドニー空港)ともお別れです。8時15分に機体が飛び立ち、眼下に広がるシドニーの街並みがみるみる内に小さく遠ざかって行くのでした。 11時頃ケアンズに着き、ケアンズを離陸するとすぐエメラルドグリーンの美しいグレイトバリアリーフの上にさしかかりました。小さな島やサンゴ礁がとても綺麗でした。無事に名古屋空港に着陸。当時はセントレア(中部空港)ではありませんでした。機内で一番明るかったキャビンアテンダントと記念撮影。手術後3か月で出かけたオーストラリアの旅、1回目はこれでオシマイです。
2017年01月22日
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日曜日から始まったボランティア活動もいよいよ折り返し時点に近づいて来ました。明日は早朝8時に集合です。後半1週間も元気に乗り切りたいと思っています。 さて、オーストラリア旅行の続きです。シドニーのオーストラリアン・ワイルドライフ・パークへ開園30分前に到着し、一番乗りでウォンバットに触ったり、コアラの赤ちゃんを抱っこした後はエミューやカンガルーに餌をやり野生の動物と触れ合ってきました。ワラビー、ウサギ、ペリカン、ペンギン、可愛いフェアリーペンギン(通称小人ペンギン)や、亜熱帯雨林を模した巨大な建物の中を飛んでいる赤や青、緑や黄など色鮮やかな体毛をした鳥類や、5mもあるソルトウォーター・クロコダイル、淡水ワニ、獰猛なタスマニアン・デヴィル等を金網の外から見て来ました。その後、サーキュラーキーの辺りを散策し、ハー・マジェスティ・シアターでは念願の「美女と野獣」のポスターを買えて娘は大満足でした。夕方、面接試験を受けてきた友人と花屋さんで待ち合わせ。3人でハードロックカフェへ流れました。壁には昨年のクリスマスに急逝した元「ワム」、イギリスのシンガーソングライター、ジョージ・マイケルのレコード(ゴールドディスク?)が飾ってありました。20年以上も前ですから、まだ30歳そこそこですね。世界一ご機嫌なお店(レストラン、バー、カフェ)で久しぶりの再会を祝ってバーボンコークで乾杯です。(ビートルーズのサイン入り写真の前で)娘はステーキサンドにカルーアミルクを、私はラム肉のステーキです。このボリューム、今ではとても食べられません。あの頃、私は若かった~♪ホテル・ニッコー・ダーリングハーバーのドアマンさんにも顔を覚えてもらえました。翌日はサーキュラーキーから高速船[ジェットキャット]に乗って オペラハウスやハーバーブリッジが見る見るうちに小さくなって15分でマンリーへ着きました。1788年フィリップ総督が第1次移民船団を率いて探検隊と共に上陸し、その際応対に出たアボリジニーの人達が実に堂々としていたので、それに甚く感動した総督は「この地にはmanly(男らしい)人達が住んでいるともらしたそうです。マンリービーチに到着。南太平洋が灯台の向こうに広がり、波が白砂のビーチに豪快に打ち寄せて来ます。サーファーたちはサーフィンを楽しみ、ビキニ姿の女性が泳いでいました。写ってませんが、砂浜では水着でビーチバレーに興じる若者がいたので、私達もサーフィンの真似をしました。ソフトクリームを食べていると、上半身裸でジョッギングしながら通り過ぎる男性に彼女は「ナイスボディね。」と声をかけました。メインストリートのコルソ通りのあるステンドグラスが綺麗だった教会波止場からビーチまで続くコルソ通りは歩行者天国になっていてにぎやかです。そこで偶然、彼女のいとこに会いました。 (続く)
2017年01月21日
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いつもこのブログで紹介しております武下さんから今日絵葉書が届きました。この百合の絵は愛知の娘の家の花壇に咲いていた百合を描かれたものです。昨年末90歳になった母が85歳まで三重からバスと電車をいくつも乗り継ぎ孫やひ孫の為にと色々詰めたキャリーバッグを引っ張り、肩にはバッグを提げて最寄りの駅から30分もかけて歩いて来て、花壇に球根を植えたり、薔薇の木を植えて来るたびに世話をしていた花の一部です。娘が愛知の母と慕う武下さんも時々ご主人の運転する車で娘宅を訪れては花壇の花を眺めていらっしゃいました。「あなたといると 心やすらぎ 元気がでます」という詩が添えられています。 2週間はボランティアとチビちゃん達のお守りがありますのでしばらくはオーストラリア旅行記にお付き合い願います。「シドニーを訪れたらモノレールに乗らなくっちゃ。」と言われたので、乗ってきました。モノレールの中でも友人に頼んで記念撮影を。 その友人とディクソン通りを歩き、チャイナタウンへ。そして当時で100オーストラリアドル(日本円で約9000円)のロブスターを3人で食べました。オーストラリアの友人は「多分、僕は一生こんな大きなロブスターは食べられないと思う。」と言いながら殻までしゃぶってました。ディナーの最初にロブスターが調理されて出てきたのでその後に色々出てきた他の料理を残してしまいました。 翌日は午前9時開園の動物園に30分前に到着。一番乗りでしたが、動物たちもまだ眠そうでした。眠そうな顔でのこのこ歩いて近づいてきたウォンバットを飼育係のお兄さんが抱っこして見せてくれました。早速頭をなでている所です。(右の写真)そしていよいよ本物のコアラと対面です。生まれて36週目の赤ちゃんコアラを飼育員さんが抱かせてくれました。コアラというのはアボリジニ語で「水を飲まない」という意味です。その名の通り、水は飲みません。ユーカリの葉、茎、蕾で水分補給します。爪が鋭いので抱き方を教えてもらい抱っこしました。身体の感触はぬくぬくと温かかった記憶があります。ほとんどのコアラがまだ眠ってましたが、お母さんのお腹の中で眠っていた赤ちゃんコアラが「朝早いから眠くて寝ていたのに、そこで騒がしいのは誰?目が覚めたじゃないか」と言わんばかりにむくむくと顔を出してきて、お母さんコアラのお腹にしっかりつかまってました。コアラの赤ちゃんは約6か月間母親の袋の中で大きくなります。その後、母親の背中や腹部に抱きついて生活し、約1年経ってからやっと独立します。(続く)
2017年01月20日
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日曜日から連日ある所へ出かけています。2週間ボランティアをする予定なんです。また時期が来たらお知らせするかも知れませんが、あと10日間はこのままお付き合いいただきます。 さて、20年以上前のセピア色の思い出、オーストラリア旅行の続きです。ミセスマッコーリーポイントから絵葉書のような絶好の眺め。向こうの方にハーバーブリッジとオペラハウスが見えます。オペラハウスはデンマークの建築家、ジョン・ユウツォン氏がデザインしたオーストラリアの象徴とも言われる建物ですが、余りにも贅沢でお金がかかる設計だったため、途中で資金調達が難しくなり故郷へ帰ってしまったそうです。その後、見事に完成しましたね。 向こうにあるのは囚人を収容した牢獄。1788年1月26日初代総督アーサー・フィリップ率いる船団がポート・ジャクソンに錨を降ろし、流刑団780名、海兵隊、及びその家族約1200名が上陸しました。 ミセスマッコーリーロードの記念碑。1816年6月13日に3マイル377ヤードの道路が完成。政府はこの道路をミセスマッコーリーロードと命名。すぐ横にはマッコーリー夫人が祖国へ帰りたいと座って泣いていたと言われる石の椅子がありました。 ビクトリア女王の像(左)ピエール・カルダンに「世界で最も美しいショッピングセンター」と言わしめたクイーン・ヴィクトリア・ビルディングは1898年にビザンチン式の宮殿を模して建てられました。 右の写真は南半球で最も高いシドニータワー。海抜324.8メートル。展望台からの眺め。眼下に町並みやシドニー湾を行き交うフェリーや、左の方にハーバーブリッジ、中央にオペラハウスの屋根が見えました。ここへはオーストラリアの友人が案内してくれました。短い脚で同じポーズを決めました。 タウンホール(市庁舎)1889年に完成しました。左はタウンホールの時計台です。チャイナタウンへ向かう途中、ザ・マジェスティ・シアター前に当時はブロードウェイミュージカルの「美女と野獣」が10月19日に上演予定と宣伝されていました。(続く)
2017年01月19日
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このところ毎日出かけていますが、とりたてて書くことでもないので、今夜ブロ友さんのブログを読んで久しぶりに思い出したオーストラリア旅行を少しだけ紹介しようと思います。もう20年以上も前の事になりますが、約10年ぐらい抱えていた婦人科の病気で貧血がひどくなり、今手術をしないと命が危ぶまれると言われて入院、開腹手術をし、1か月後に退院しました。その3か月後にオーストラリアへ旅立ちました。旅行するなら「今でしょ」と思ったからです。8月中旬に娘と1週間、8月下旬には友人と8日間語学留学をしました。これは最初の旅でケアンズに真夜中に着いた所です。日本時間午前3時、オーストラリア時間午前4時です。午前6時15分(日本時間5時15分)ケアンズをシドニーに向かってカンタス航空で出発です。そして客室乗務員(キャビンアテンダント)の皆さんと記念撮影。20年以上経ったので、多分皆さん退職されてるでしょう。左の方はチーフパーサー。右の二人は緊急時の救命具の取り扱いの説明をしてくれた人達です。(続く)
2017年01月18日
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最強の寒波による大雪も峠を越えたのでしょうか。まだまだ雪による被害が連日報道されています。今週末には関東地方でも雪が降るとの予報です。どうぞ今後の気象情報に充分気を付けて下さい。我が家でもまだ雪が完全には融けず所々に残っています。モコちゃんは小学校から帰ると、ノア君も保育園から帰るとその雪を少しつかんで車庫の壁に向かって投げつけて遊びます。今回雪だるまは作りませんでした。今の時期、インフルエンザに罹ったり風邪をひいてる人が多いですね。幼児の間ではおたふく風邪も流行っています。昨日から愛知のペコちゃんは風邪で熱が出て保育園を休んだのでジージは早朝から1日お守りに出かけました。私も日曜日から2週間ほど忙しくなりました。時間が許す限り出かける所ができたのです。ダンスレッスンも2週間お休みです。暇を見つけて自主練習をしています。運動不足で体重が増えないように気を付けないといけません。今夜は眠くて眠くて仕方がありませんのでここまでです。
2017年01月17日
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電車の車窓から雪景色を眺めながら雪のため数分遅れでやってくる電車を乗り継ぎ、愛知の大学病院へ行ってきました。帰りのバスを待っている間に撮りました。受診している脳神経外科は7年8か月の間に正面の建物(中央)から右側にできた新しい建物に移転しました。まるでビル街のようでしょ。2009年5月8日から15日にかけて集中治療室に入院した経緯を書きました。(2009年5月8日) お昼頃からなんだか身体が変な感じ. 左目の奥が引っ張られているような感覚. 左目と右目の焦点が合わないような・・・度の違う眼鏡をかけているような感じ.めまいがして,身体がフワフワ. 少し吐き気がして・・・栄養ドリンクを飲んで,少し横になってもいっこうに良くならないのです. 夕方まっすぐ前を向いて,左を向くと以前と同じように見えるのに,右を向くと映像がいくつもダブって焦点が合わないんです.ふらふらしてゲロゲロとします.これはただ事ではないと思い,夜7時半ごろ近くの総合病院の救急外来へ.ずいぶん長い時間待たされました. 目の前を消防署の救急隊員がせわしなく動いています. 警察官や県警の検視官が数名到着し,行き来しています.マスク姿の患者さんが渡航暦はありませんかと聞かれています. 至急心電図を測りましょうと連れて行かれる人. 犬にかまれて何針も縫ってもらった人. 点滴を打たれて大泣きしている子供さん.あわただしく集まっていた親族とご遺体が自宅へ戻られ,待合室は静かになりました. 最後に私の番.CTとMRIを撮ってもらいました. 当直の医師の診断では,今の所,出血したり脳梗塞を起こしている部分はありませんねということでした. 血圧が高いので,めまいやふらふらするのはそのせいでしょうといわれました. 自宅へ戻ったのは午後11時半近くになっていました. 明日もう一度かかりつけの病院へ行ってきます.(2009年5月9日) 早速,かかりつけの医院で昨日の症状を説明. 「高血圧だけではそんな症状は起こらないはず.もう一度,脳神経外科でしっかり検査をしてもらいましょう」昨晩かかった病院に紹介状をもって,再受診.午後まで待って造影CTをしてもらいました. 診断結果は「未破裂脳動脈瘤」. 今は,詳しい検査とその後の治療のために大学病院で入院しています. 元気ですのでご安心を (2009年5月10日)病院で今日も造影CTをしました. 先生から「脳動脈瘤の場所や大きさからすると,手術をしなくてもいいですね」と言われました.月曜日には退院できそうです。 これからは健康のために以下のことを守ります。ビールお酒は飲まないごはん食事は腹八分目ケーキ甘いお菓子は控える病院朝昼晩に血圧を測る病院薬をちゃんとのむ長~くドレスダンスを続けられるように,頑張ります!! (2009年5月11日) 今日は退院・・・と思っていたのですが,先生方の検討会で「脳血管撮影をしましょう」ということになりました. 脳血管造影検査は午後4時過ぎから開始. 消毒や局所麻酔をして,足の付け根から太いカテーテルが入りました. 先生が「これから造影剤を流しますよ」と言うと,目の前に稲妻が目を閉じているのに,夜空に稲光が光るように「ビビビー」となりました. 思わずアリスの歌を思い出しました. 何とも暢気な病人です (2009年5月12日) 明日の午後,手術をします.カテーテルを使って,動脈瘤にコイルを入れるのです. 夕方,主治医の先生から詳しい説明を聞きました.不安でいっぱいの私に,先生は言いました.「昨日行った検査とほとんど同じことをします.あまり心配しないでリラックスしてください」「はい・・・」「昨日はいびきをかいて気持ちよさそうに寝てましたから,今回もそんな感じで」「・・・」 一緒に話を聞いていた夫と娘は「さすが,お母さん」と苦笑いしていました.さあ,頑張るぞ (2009年5月13日) 午後1時45分から午後5時まで血管内手術を受けました. 私はまっすぐな性格なのですが,動脈瘤は少しひねくれていたようで,瘤の中にコイルを詰めることができませんでした今後は経過観察になります.6カ月毎にMRI撮影をして,動脈瘤が大きくならないかをチェックします.3時間近くも頑張ってくれた先生に感謝感謝です.不思議なことがありました.娘の家にある義父母(私にとって)の写真が2枚とも倒れていたそうです. 義父と義母は年老いて介護が必要になり,私が最後まで看取りました.きっと二人とも心配してくれていたのですね大丈夫ですよ.元気に退院しますよ (2009年5月14日) 午前中にNCUから一般病棟に移動. 個室になって,ホッと一安心しました. 午後からはダーリンや娘,息子夫婦がお見舞いに来てくれました. 私は退院したらすぐにダンスを再開するつもりだったのですが,全員が反対. 「舞台の上で息を引き取るならば,本望なの」 「舞台の上で倒れたら,絶対に病院に運ばれるよ」 確かにそうね・・・ (2009年5月15日) 今朝の回診で主治医から言われました. 今後は,半月後,1ヶ月後とMRIを撮って動脈瘤が大きくなっていないか経過観察をしながらいきましょう. 左目がお岩さんのように飛び出してきたり,鼻血が止まらなかったり,耳鳴りがひどいときはすぐ受診するように.なるべく血管に圧力を加えないよう,重い物は持たないようにして下さい.というわけで,夕方退院してきました.そしてポコちゃんちへ直行.ところが,ポコちゃんのパパがなかなか帰ってきません.そしてママはと言うと,今夜は宴会とかでタクシーでお出かけ.まだ退院してきたばかりで,カテーテルを入れた両足の付け根から太ももにかけて(特に左足は手術をしたので)紫色に腫れ上がり痛いんですけど・・・立ったり座ったりすると腰も痛いんですけど・・・ そのうち左の鼻から鼻血も出てきて心配になってきたんですけど・・・ でもポコちゃん&パパのために夕食を作りましたよ.これって娘から母親への愛のムチなのかしら?11時になってもまだ帰ってきませんけど・・・ずいぶん長くなりましたが、今日も主治医からこれから先、年1回は必ずMRIを撮って未破裂脳動脈瘤に何か変化があったら造影剤を入れてCT検査をしましょうと言われてきました。
2017年01月16日
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今シーズン最強の寒波到来で当市も一昨日降りだした雪が昨日は午前中積もっていましたが、昼間に陽が出ると、いったんは融けました。ところが、昨夜からまた降りだし、今朝もこんなにぼたん雪が降りました。お隣を眺めるとぼたん雪がかなり降っているのが分かりますね。見る見るうちに辺り一面雪景色になりました。自宅前の駐車場にも一面雪が積もっています。そこで今年もまた早朝から相方が半袖、裸足にゴム草履で雪かきをしていると国道を通過する車の中からあきれ顔でその姿を眺めていきます。今朝はどうしても出かける用があり友人を駅まで迎えに行きました。タイヤをスタッドレスに交換してないので相方に安全運転で連れて行ってもらいました。2時間余りで無事に用も済み、帰り道に友人と3人でランチを。(もつ鍋と海老と野菜のフリッター)3人でこれだけシェアして食べたら身体が温まってきました。 交通機関が雪のためまだ混乱してますが、明日はまた早朝に出かける予定です。果たして電車は平常通り動くでしょうか。
2017年01月15日
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今朝目が覚めると周り一面、雪景色でした。枯れ木に白い花が咲きました。雪の下で春を待つ沈丁花の蕾野鳥についばまれ、残り少なくなった南天の実枇杷の花 一昨年は当市では4回降雪がありました。昨年は1回だけでした。今年はこれから先、何回降るのでしょうか。北海道、東北、北陸地方の方々は毎年さぞ大変なことでしょう。富良野にお住いの森人さんのブログを紹介します。 furano-craft【ブログ更新】除雪プロジェクトの進捗状況です。 - 楽天ブログ(Blog) http://plaza.rakuten.co.jp/furaroku/diary/201701140000/
2017年01月14日
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我が家の庭の水仙はまだ蕾もついていません。日当たりが悪いからでしょうか。今日出先で目にした水仙。寒空の下、清楚な姿で凛と咲いていました。午前中、バタバタしていたのでランチに連れて行ってもらいました。テニス仲間と以前立ち寄ったお店だそうです。温かいものが食べたくてドリアとグラタンを頂いて来ました。豆乳グラタンだそうです。デザートには白玉とアイスが付いていました。純和風の隠れ家的お店ですが、お昼時はほぼ満席でした。夕方テニス教室へ出かけたノア君とジージが「雪が降ってきたよ~。」と言いながら戻ってきました。明日、明後日にかけて東海地方でも雪が積もるかもしれません。岐阜は60cmの積雪との予報が出ています。当市でも積もるのでしょうか。年末年始の頃が暖かかったので、寒波襲来で一気に寒さを感じてしまいますが、これが平年並みの1月の寒さなんでしょうか。2度か3度ぐらいは気温が低いように思います。皆さんも温かくしてお過ごしくださいね。
2017年01月13日
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岐阜県ではインフルエンザ患者数が急増し、ただ今インフルエンザ警報が発令中です。A香港型インフルエンザだそうです。私は数年前、A型とB型をたて続けに罹患し咳が止まらず、気管支喘息を発症し以来ずーっと呼吸器科に通院しています。皆さんもうがい、手洗いを徹底し、マスクを着用してインフルエンザを予防してくださいね。このところ今季最強の寒波が日本に到来し気温もグンと下がりました。当市も今朝は雪が舞いました。最初は小粒の雪が次第に大きくなりぼたん雪が舞い始めましたが、雪も雨に変わったので車で出かけてきました。このところ咳がよく出て、頭痛もしていますが、ダンスレッスンにも出かけてきました。でも夕食はあったかいものが食べたくなりました。窓から山茶花が綺麗に見えました。あったかい味噌煮込みとホットウーロン杯とおつまみをつまんでいると次第に身体も温まってきました。帰りの車から見えた雲間から現れる月明るくて大きな月今日は満月らしいです。どおりで大きくて明るく真ん丸な月だこと。あぁ頭が痛いし、咳が出ます。熱はまだそんなに上がってないんだけど。インフルエンザの予防接種は今年も打ったんですが。今夜は早めに寝ることにします。
2017年01月12日
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気象情報では今シーズン最強の寒波が襲来中なので今日から明日にかけて北海道から東北地方、北陸地方にかけて(特に日本海側では)大雪や猛吹雪に警戒するようにと呼びかけています。その地方にあたる方々はくれぐれもご注意ください。明日は私も車で出かける予定ですが、今まで暖冬だったのでまだタイヤを交換していません。雪が降らないことを祈るばかりです。(昨年1月19日の画像です)夕方モコちゃんの習い事の送迎を歩いていきましたが、空気がかなり冷たかったです。気温がぐんと下がって来たのが分かります。さて、このところ愛知まで電車を乗り継いで出かけることが多いのですが、両脚の筋肉と体幹を鍛えたいと思ってエレベーターやエスカレーターは使わずいつも階段を使う事にしています。そして満員電車では吊革やにぎり棒を持たず両脚で踏ん張って、揺れに身を任せています。快速なので急カーブや急停車の時は仕方ないですが、できるだけ何も持たずバランスを取るようにしています。そして買い物もできるだけ車を使わず歩いて出かけ、両腕に買い物袋を提げて帰ります。これからの体力維持と転倒防止に役立つかなと思い新年の決意をしました。
2017年01月11日
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ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団、ニューイヤー・コンサート2017の続きです。私はステージから4列目の席で鑑賞することができました。ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団の演奏全15曲はもちろん、オペレッタのスペシャリスト、ソプラノのシピーウェさんとテノールのミロスラフさんの迫力ある歌声を間近で聴くことができました。ソロで歌うのあり、二重唱ありでそれはそれは素晴らしい歌声でした。それに加えて、舞踏をしたバレエ・アンサンブルSVOウィーンの2組のペアのバレエダンサーによるバレエの華やかで美しいこと。お正月のステージに華を添えてくれました。前半はビタミンカラーやブルーと白、赤と白の衣装に着替え、後半は純白のドレスや淡い水色のドレスで軽やかに舞ってくれました。4人の中にKeisuke Nejimeさんという日本人男性がいらっしゃいました。ワルツのメロディーが流れると思わず私の体も揺れるのでした。プリマドンナの細くて華奢な身体の割に背筋や両脚の筋肉がモリモリついているのを間近で見ることができたのでした。前半8曲、休憩をはさんで後半7曲が演奏され、最後はヨハン・シュトラウス2世の「美しき青きドナウ作品314」が優雅なバレエの舞いと共に演奏されました。会場からはアンコールの拍手が鳴り止まず、アンコール曲が1曲披露され次にソプラノとテノール歌手が登場してもう1曲、最後はラデツキー行進曲で会場の手拍子も最高潮に。するとバズーカ砲からピンクとシルバーのテープが会場の天井にめがけてたくさん打ち出されました。このどさくさに紛れて写真を撮っちゃいました。こうして2時間余りのニューイヤーコンサートは終了したのでした。
2017年01月10日
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毎年新春の楽しみであるニューイヤーコンサートに今年も行ってきました。 ニューイヤー・コンサート2017の出演者はソプラノ:シピーウェ・マッケンジーテノール:ミロスラフ・ドヴォルスキー指揮&ヴァイオリン:オーラ・ルードナー管弦楽:ウィーン・フォルクスオーパー交響楽団舞踏:バレエ・アンサンブルSVOウィーンの皆さんです。先ず、コンサートの前に恒例のBefore Party があります。今年はMCに写真をご遠慮してくださいと言われ残念ながら撮れませんでした。Before Party後にパチリっと。これは2年前の画像です。今年もこのお二人によるヴァイオリンとピアノ演奏でした。ヴァイオリニストの女性はコンサートマスター(女性はこういう呼び方ではないそうですが)ピアニストの女性はウィーン滞在8年目で通訳をされました。素晴らしい演奏の後はフランス料理のフルコースですが、その前に抽選会があり今年もウィーン・フォルクスオーパー交響楽団のCD4名とワイン4名は当たりませんでした。残念!11:50~13:30まで開催のBefore Partyの後はいよいよニューイヤー・コンサートです。13:30開場、14:00開演です。私は目ざとく交響楽団のメンバーを見つけちゃいました。ミーハーな私は友人を連れてちゃっかり記念撮影を頼みました。快く記念撮影をしてくれたのはティンパニー奏者の若者とヴァイオリニストです。さあいよいよ開演です。(続く)
2017年01月09日
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今朝からどんよりした雲が垂れ込め気温もグンと下がり寒い朝でした。いつの間にか冷たい雨が降りだし1日降り続いています。今も激しい雨脚が部屋の中まで聞こえて来ます。喉の痛みと咳は大分治まりましたが、お天気の影響なのか頭痛がまだ残っていますので、1日家の中で静かに過ごしました。我が家の次男家族はどこかへ出かけまだ帰ってきません。愛知の長女家族も一泊で出かけたようです。天候の良し悪しにかかわらず出かけるというエネルギーというか、パワー、これが若さの表れってことでしょうか。蕎麦打ち体験の様子が写メで送られてきましたので紹介しますね。自分で作った蕎麦はさぞおいしかったことでしょう。天ぷらそばのお味はいかが?明日は私も出かける予定が入っています。果たして明日は気分爽快で出かけられるでしょうか。若者のパワーを少し分けてもらいましょう。
2017年01月08日
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暖かく穏やかなお正月から一転、寒の入りで気温がグンと下がったとたん抵抗力のない幼児が風邪をひき私も年末年始の緊張が緩んだ途端、風邪気味でのどの痛みと鼻づまり、咳と頭痛に悩まされています。ここ数日は簡単にUPすることにします。皆さんのところにもお邪魔できないのでお許しくださいね。今朝は七草粥を食べられましたか。年末年始の暴飲暴食で弱った胃腸を優しい七草粥で休められたのではないでしょうか。 こちらは年末に14箱購入した堂上蜂屋柿のうちの1個。干し柿もたくさんありますが、これは特別です。昨年12月から3か月間ANAの国際線ファーストクラスの機内食に採用されたこともあって最近またお値段が上がりました。最高クラスは木箱入り1箱に10個入って15,000円です。たかが干し柿、されど干し柿ですね。これは2013年の第23回堂上蜂屋柿品評会で金賞を受賞された時の写真ですが、この方は県知事賞も受賞されました。2013年にこの会場で直談判して以来、毎年我が家はこの方から購入して4年になりました。甘くて本当においしいんです。あらっ、また絵に描いた餅で申し訳ありませんね。1188年源頼朝に献上したのが始まりで、信長、秀吉、家康も舌鼓を打ったとされ、伝統の製法で丹精込めて作られています。天皇や歴代将軍への献上品だったことから堂上という名前が付いたそうですよ。
2017年01月07日
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昨日母を三重県へ送る直前に3人のチビちゃん達とママが帰宅し、今日からまた元通りの生活になりました。ところがノア君は風邪で保育園を休み、ミラ君もどうも風邪気味で元気がありません。今夜はチビちゃん達の両親の仕事が遅くなり、みんなお疲れモード。そこで学生時代の友人から頂いた年賀状の紹介を。ご主人は日展画家(彫塑)。今年の干支、酉の絵が描いてあります。ここで紹介させていただきました。そしてこちらは今日届いた漫画。小学館コミック、オジロマコト氏の「猫のお寺の知恩さん」TV Bros.(東京ニュース通信社)の「2016 ブロスコミックアワード」大賞を受賞した漫画です。なぜかとても親近感がわきます。理由はあまり詳しく書けませんが、登場する建物、景色が私の故郷の物だからです。簡単ですが今夜はここまで。
2017年01月06日
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年末年始を我が家で過ごした母を午後三重県まで送って来ました。今回はノア君も私達と一緒に乗って。ノア君は途中で寝てしまいました。今日の高速道路は帰省ラッシュも終わり渋滞もなくスイスイ走りました。片道2時間で到着し、迎えに出てきた弟に母を託しとんぼ返りしてきました。帰りはいつもの所で数キロだけ渋滞。帰省ラッシュ時の20数キロに比べたら楽なものでした。刻一刻と暮れていく空を見つめ色々な形をした雲を眺めているうちに車はどんどん走りました。サービスエリアで途中下車しているうちに日が暮れていきました。家路につく頃には夜の帳が下りて来ました。今日は小寒。お正月の間、暖かかった気温が2度ほど下がり足元が深々と冷えて来ました。やはり寒の入りという事なんでしょう。皆様、風邪をひかないようお身体に気を付けてくださいね。
2017年01月05日
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(頂いた年賀状の書です)お正月3日間食べ過ぎたので今日から運動を開始しました。垣根に這わせたつる薔薇の剪定、家の周りの道路や駐車場の掃き掃除、休み前にスマホで撮ってきたチャチャの足型の復習、そして郵便局とスーパーまで行って来ました。郵便局は車を置く場所もない混雑ぶりでした。郵便局員さんが外に出て入ってくる車に近づき大きな袋へ年賀状を集めてました。お正月に2日間十分遊んだ部屋の片づけをしているとこんなかわいい手紙を見つけました。モコちゃんが 「週末の3連休に会いたいなぁ~。ねえおばあちゃん、会えるかな~。」と聞いたので「さぁどうかなぁ~。でも春休みには会えると思うよ。」と言ったのでペコちゃんに手紙を託したようです。でもペコちゃんは忘れて帰ってしまったのでした。5人で遊んだのがよほど楽しかったんでしょうね。 最後に春らしい年賀状の紹介です。今年のお正月は暖かかったですね。春はもうそこまでやってきているのでしょうか。
2017年01月04日
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今日届いたグリーティングカードに興味深いことが書いてありました。カナダの女性からでしたが、郵便料が半額だからという理由でアメリカから投函されてました。外国から来るグリーティングカードにはほとんどの方が昨年1年間を振り返って書いてくれますが、特に興味深かった内容をちょっとだけ紹介したいと思います。彼女は3月にナイアガラの滝を見物に出かけたついでにDuran Duran(デュランデュラン)のコンサートに行ったそうです。1980年代には見たこともなかったけれど、実際に聴いてみたら素晴らしかったのでとても興奮したそうです。その際乗ったバスで隣の席に座った人がPrince(プリンス)さんと彼の素晴らしいコンサートの前夜に会ったそうですが、そのコンサートの1か月後にプリンスさんが亡くなったのを知りとてもショックを受けたと話してくれたと書いてありました。友人はカナダのトロントに住んでいます。彼女が住んでいる通りにBrindle Pathという名前のマンションが建ち並ぶ通りがありそこにプリンスさんが住んでいたことがあり、あるクリスマスの日のこと、マンションから出てきて郵便配達員にこれでクリスマス休暇を過ごしてくださいと5,000ドルを手渡したそうです。信じられる?と結んでありました。何だかにわかに世界のスーパースターが身近に感じられる存在に思えたのでした。さて、お正月に食べるように冷凍庫に保存してあったんですが、あれもこれもあったので出し忘れた毛ガニを今夜頂きました。身が詰まった足は母に食べてもらいました。母は三杯酢を少しつけて食べました。私は甲羅の部分、もちろん蟹みそも頂きました。何もつける必要はありませんね。甘くてとても美味しかったです。でも、タラバガニに比べて毛ガニは手に優しくないのでちょっと大変でした。ほとんど一人で綺麗に頂きました。いつになったらダイエットをスタートしようかしら?まあお正月3が日だけは大目に見て明日から頑張ろうっと。
2017年01月03日
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元旦まで食べずに残しておいたおめでたいお菓子を解禁しました。元旦は長女家族、次男家族が集合してにぎやかに食卓を囲みました。子供達は座卓に正座して食事をし大人はじいじがお肉を焼いて取り分けてくれましたので夜もワインとビールで乾杯しました。ミラ君はママの膝の上にいます。夜遅くまで宴は続きました。 2日は義姉家族が年賀の挨拶に来てみんなでにぎやかに話をしながら昼食。その後、入れ替わるように長男家族がやって来ました。渋滞する高速道路を6時間も走って(朝8時に出て着いたのは午後2時)年賀の挨拶に来てくれました。長距離ドライブをしてきたトコちゃんは叔父ちゃん家族、叔母ちゃん家族、おおばあば、じいじとばあばからお年玉をもらっても熟睡中。目が覚めて90歳差の二人が記念撮影です。そういうわけで昼食は2回用意しました。2度目は長男家族と次男家族用です。その後、チビちゃん達6人の記念撮影をしました。モコちゃんがどうしていつも写真を撮るのかと不思議がりましたが、成長記録を残しておきたいからだよと説明。写真を撮る間だけは静かにしてくれました。それ以外の時間はもうにぎやかな事ったら。まあ元気な証拠ですから我慢しましょう。じいじのカメラマンで記念撮影です。ポコ&ペコちゃんのパパは帰りました。トコちゃん家族は帰りも時間がかかりそうなので夕方早々に帰りました。そしてポコ&ペコちゃん家族も夕飯を食べてから帰りました。モコちゃん、ノア&ミラ君達もママの運転で先ほど帰省しました。家の中はいっきに静まり返ってしまいました。
2017年01月02日
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お正月早々、私としたことが・・・本当にあわて者なんですから。^^;ゆく年くる年を見ながら、午前0時を過ぎた頃ブログを更新しましたが、日付を見ずにUPしたので今朝12月31日になっていることに気づきました。気を取り直して1月1日2度目の更新です。 元日の朝は全国的に穏やかで暖かい夜明けを迎えました。早朝テニスに出かけた相方が初日の出を撮って来てくれました。実はここには展望タワーがあるんですが、タワーの上から初日の出を拝もうと思う人たちが長蛇の列をなし、待っておれない人たちはこの堤防上で初日の出を眺めたそうです。今朝はお天気もよく、全国各地で初日の出が見えたそうです。テレビでは飛行機から富士山付近の初日の出を見た人がインタビューに答えていましたね。こちらはその堤防上で目の前に現れた虹です。立ち昇る龍ではなく虹です。きっといいことが起こりそうな気がします。 庭にある南天、千両、葉牡丹を使って90歳の母が正月花を活けてくれました。午前中に愛知から娘家族がやってきて家の中が賑やかになりました。持参したワインで娘と私は昼間から乾杯です。夜もまたにぎやかに食事です。お昼用と夜用と2本ワインを持参したのでそれに合わせて料理を変えます。下戸の人には申し訳ないですね。 ではそろそろ準備に取り掛かります。
2017年01月01日
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