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ラグーナテンボス・ラグナシアへ到着したのが午後5時過ぎ。午後5時からイルミネーションが点灯するはずですが、何せ日が長くなってきたのでまだ明るいのです。イルミネーションの点灯時間は過ぎていました。それで一番奥まで行くことにしました。レインボーアーチもまだはっきり見えません。雲海とオーロラの天空の幻想庭園が始まるまでにもう少し時間がありそうです。ツリーインザスカイです。↓午後5時半までもうしばらく時間をつぶすことにしました。(ちょっと見苦しい格好でごめんなさい)こちらは青の宮殿です。空はまだ明るいです。やっと午後5時半になり5分間のショーが始まりました。スモークが雲海となるはずでしたが、風が強く吹いているので雲海が流れて行ってしまいました。天空の幻想庭園は動画を撮ったので写真はありません。やっとあたりが暗くなってきました。レインボーアーチが綺麗になりました。それでここから引き返すことにしました。(つづく)一昨日から5年生の家庭科の授業、ミシンの使い方のサポートにボランティアとして出かけてますが、昨日も午後1時半に自宅を出て午後2時から3時35分までサポートをして午後4時前に帰宅しました。児童がミシンを使うサポートをしながら午後の時間を楽しく過ごしてきました。今日は朝8時過ぎに出かけて午前8時半から午後3時半過ぎまで6年生の調理実習のサポートを2クラスと5年生のミシンの使い方のサポートを1クラスしてきます。ダンスレッスンは休ませてもらいました。
2024年01月31日
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今日からまた蒲郡の旅を振り返ります。と言ってもそれほど多くありませんが、記録として載せます。1月28日(日)の事です。各地からバスが4台、蒲郡に向かいました。まず最初に昼食の予定でしたが、道路がスイスイ行けたので予定の時間より早く到着してしまいました。すると昼食会場は準備ができていないという事で近くの土産物店に立ち寄り、買い物タイムとコーヒー、お茶のサービスでリラックス。やっと準備ができて昼食になりました。私たちは自宅で蟹を食べているので本ズワイガニは一肩付きで充分。(と言っても相方が食べないので私は二人分頂きましたが)蟹釜飯が多くて、きしめん鍋とでお腹一杯になりました。食後はまた買い物タイム。そして次に向かったのはいちご狩りです。前日53個食べた人が最高だったそうですが、この日も皆さん40数個食べたとおっしゃってました。私は隣の柑橘類の方が好きなんですけどね。そして蒲郡海鮮市場に行き30分間買い物タイム。食べすぎたので運動と思って海鮮市場の中をよく歩きました。最後の目的地、ラグーナテンボス・ラグナシアに行く前に通りを挟んで向かいのフェスティバルマーケットに立ち寄りました。そこでまたお買い物と軽食タイムですが、私たちはもうそんな気もなく、ただ景色を眺めて過ごしました。そしていよいよラグーナテンボス・ラグナシアに向かいます。(つづく)昨日はいつも読み聞かせに出かける小学校へ家庭科の授業をサポートするボランティアで出かけました。午前9時半から11時半まで6班に分かれてミシンを使う練習をしました。先週1人1回ずつ「から縫い」と下糸と上糸のセットの仕方等を教えてもらっているので復習がてらから縫いをしてから糸で直線縫いをして、次に端まで着たら方向を変えて縫う練習をしましたが、なかなか思い通りにはいかず、糸が玉になったり下糸が切れて縫えなかったりとハプニングが続出。困ったところをフォローをして回りました。1テーブル6名と5名の所があって児童の興味が失せないように声掛けをしたり、励ましたりしながらあっという間に時間がたちました。写真は途中の休憩時間に撮りました。子供たちと楽しい時間を過ごせました。来週も出かける予定です。
2024年01月30日
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昨日は朝8時から月1回のボランティアの掃除をしてから蒲郡へバスの旅をしてきました。昨夜はイルミネーションを観てから帰途につきましたので、自宅に戻ったのは午後9時を少し回っていました。そして今日から3日間小学校へ出かけ、本日は午前中、午前9:30~11:25まで明日は14:00~15:35まで明後日は13:30~15:35まで5年生の家庭科授業にミシンで練習布に直線縫いをするサポートボランティアをしてきます。そしてすぐにダンスレッスンに走ります。今日はざっとバス旅を紹介して後日詳しく載せますね。昨日は当市から蒲郡まで出かけましたが、道路は渋滞もなくスイスイ行けたので、昼食の準備が間に合わず、途中で寄り道をしてお買い物。コーヒーやお茶で休憩してから昼食会場のオレンジパークへ行き、蟹御膳を頂きました。昼食後も買い物を楽しみ、次にいちご狩りをしに移動しました。旬のいちごを30分間食べ放題でした。練乳がついてました。添乗員さんの話では前日最高53個食べた人がいたそうです。昨日は皆さん40数個は食べたようです。次に向かったのは蒲郡海鮮市場です。ここでもまた皆さんはたくさんの買い物をされました。旅の楽しみは食べることと買い物ですものね。まだ明るいのでラグーナテンボス・フェスティバルマーケットへ立ち寄り、また買い物と食べ歩きをしました。最後にラグーナテンボスのラグナシアでイルミネーションとプロジェクションマッピングを楽しみました。午後5時半から幻想的な雲海とオーロラが広がるはずでしたが、風が強かったのでスモークが流れてしまいました。そして少しずつ日が長くなってきたので、なかなか暗くならないのでした。やっと暗くなり始めました。こちらは噴水ショーです。こちらはプロジェクションマッピングの会場です。動画で撮りましたので、写真はこれしかないです。今日はざっと紹介しました。後日もう少し詳しく載せますね。(つづく)
2024年01月29日
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月末の日曜日なので今朝は午前8時前に中山道草鞋の会の今月の掃除に旧小松屋へ二人で出かけ、1時間ほど掃除の後、全員で連絡事項などを聞いてから解散しました。雑巾がけの手指が冷たかったです。これから午前10時半過ぎに自宅を出て駅裏に集合し、バス旅行に出かけてきます。相方の体調次第でしたが、なんとか出かけられそうなので気を付けて1日出かけてきます。帰りは何時になるのかちょっとわかりませんが、そんなに遅くはならないと思います。・・・自宅の庭の山茶花です。紅白ありますが、白の方は木が結構高いのであまりうまく写せませんでした。白い花の方はもう終わりかけです。真冬の間、咲き続けましたが、春になり椿が蕾を付け始めると役目を終えたように散っていきます。山茶花は花びらが1枚ずつハラハラと落ちていきますね。紅白の山茶花を眺めていると童謡「たきび」の歌を思い出します。♪垣根の 垣根の 曲がり角、たき火だ たき火だ 落ち葉たき、あたろうか あたろうよ北風ぴいぷう 吹いている。♪♪さざんか さざんか 咲いた道、たき火だ たき火だ 落ち葉たき、あたろうか あたろうよ。しもやけおててが もう痒い。♪木枯らし 木枯らし 寒い道たき火だ たき火だ 落ち葉たきあたろうか あたろうよ相談しながら 歩いてく♪今はたき火をするとすぐに消防署へ連絡が行きますので気を付けないといけませんね。「たき火」の歌は昭和の良き時代を懐かしく思い出します。
2024年01月28日
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昨日はダンスレッスンを休んで相方と映画に。ちょうど昨日1/26に封切られた映画、POOR THINGS(あわれなるものたち)です。パンフレットを買ってくるのを忘れたので以前もらってきたチラシをコピーしました。なかなかユニークな映画でした。主役はエマ・ストーンです。ネタバレになりますが、チラシの宣伝文句を拝借しますと、【自ら命を絶った不幸な若き女性ベラは、天才外科医ゴッドウィンの手によって、奇跡的に蘇生する。ゴッドウィンの庇護のもと日に日に回復するベラだったが、「世界を自分の目で見たい」という強い欲望にかられ、(中略)ヨーロッパ横断の旅に出る。急速に、貪欲に世界を吸収していくベラは、やがて時代の偏見から解き放たれ、自分の力で真の自由と平等を見つけていく。そんな中、ある報せを受け取ったベラは帰郷する決意をするのだがー。】イギリス映画で上映時間は2時間22分でしたが、あっという間でした。映画の帰り道で昼食にかつ丼を食べてきました。現在、相方は塩分制限をしています。味噌汁は食べず、ご飯も半分だけ。実は年末年始7日間の旅行中、マスクをはめて山登りをしていると苦しいからと言ってマスクを外していました。帰宅すると足がかなりむくんで脈拍も変なので循環器科を受診しました。すると心臓弁膜症で心不全を起こしていると言われ、薬を飲んでいると体重がなんと8キロも減りました。(61キロから53キロに)身長172センチあるのに限りなく私の体重に近づいてきました。昨日の受診では曇っていた肺がくっきり写ったそうです。少しずつ快復しているようです。・・・・・お正月にたくさん干し柿を買ったので生産者の方から感謝の意味を込めて昨日干し柿をたくさんいただきました。甘くてやわらかくておいしいですが、カロリーは高そうです。
2024年01月27日
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手先が器用で何かに夢中になると完成するまで絶対にやめない相方がミニオンズ作りをここらで休憩するらしいです。今まで作ったミニオンズはたくさんありますが、すべて外観しか紹介しなかったので、身体の中を紹介しようと思います。最近作り終えたのは真ん中のミニオンズ。 ↑身体の中はこんなふうに作られました。↓そして少し前に完成したミニオンズはこちらです。真ん中の段の左二つその体の中です。そして他にも今まで作った犬たちとミニチュアのミニオンズたちこれはミニオンシリーズですが、他にもプラモデルがたくさん他の部屋に飾ってあります。好きなことがあるというのはととてもいいことですね。・・・・・毎回の事なんですが、相方は胃癌検診をする時は前夜からではなく前日の食事を昼食から食べません。昼食、夕食、朝食と丸1日分食べないので検診が終わるとケーキ屋さんでケーキを買って帰ります。私はイチゴのタルトとイチゴプリンを頂きました。イチゴが新鮮でおいしかったです。ところが真っ先に選んで食べたイチゴタルトが一番高かったようです。最近玉子や小麦粉などの高騰によりケーキの値段も上がりました。700円をちょっと切ったぐらいと聞いてもっとゆっくり味わってたべればよ良かったと思いました。イチゴの間にはベリー類がたくさん入ってました。そして夕食にはベニズワイガニを食べました。これで当分食べられないと思ったらなおさら美味しく感じたのでした。
2024年01月26日
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長らくお付き合い頂いた旅行記もやっと終わり、今日からまた日常に戻りました。昨日は寒波の襲来で岐阜県でも積雪の多い関ヶ原では高速道路や国道で車が立ち往生して長時間全く動けない状態の様子をテレビで見ました。ちなみに白川村で95センチ、飛騨市で68センチ、本巣市で53センチ、関ヶ原は49センチ、岐阜市で13センチの積雪で名神高速では上り5.5キロ、下り6.6キロにわたり立ち往生し、車が全く動けませんでした。休校になった学校もありますし、スリップ事故も多発しました。新幹線も在来線も時間の遅れや運休の所が出てしまいました。おかげさまで当市は朝ほんの少しの積雪がありましたが、昼間は車も平常通り運転できて助かりました。今朝も最低気温が低いので凍結が心配でした。自転車通学の中学生は無事に学校へ着いたことでしょう。私はもうすでに花粉症の症状が出ているので目がかゆくて仕方ありません。別の問題で1月早々から眼科通いをしているので、昨日もまた2週間分の薬で様子を見ることになりました。こちらは最近のアクセスレポートです。昨年11月下旬から12月初めにかけて3回ほど高い波があり、不思議に思ってましたが、今月に入って一昨日からまた始まりました。一体何なんでしょうね。・・・・・こちらは早々とバレンタインデーのネイルアートです。社交ダンスのお友達のネイルです。今回はとてもシックな色合いですが、全てバレンタインチョコレートのようです。チョコレートの質感が伝わってくるようですね。
2024年01月25日
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さて、年末年始の旅行記も今日で最後です。前日1/1に石川県能登半島で大きな地震が発生して旅をしている気分にはなれず、急遽帰ることにしました。1月2日は当初午後2時過ぎの新幹線で発つつもりでしたが、午前に変更してもらうことにしました。しかし「のぞみ」は全席指定ですので、すでに満席。グリーン車ならほんの少しだけ席が空いていたので、めったにないことなので午前10時過ぎのグリーン車で帰ることにしました。乗り継ぎ、乗り継ぎやっと自宅に到着。震度4だった岐阜の自宅は何も変わらずほっと安堵の溜息をつきました。能登半島地震で犠牲になられた方々には心よりお悔やみ申し上げます。そして大きな被害を受けられた方々には心よりお見舞い申し上げます。今なお復旧が進まず避難所や車の中で生活されている方々には寒い中、どうぞお体に気を付けてお過ごしください。長い間、旅行記をご覧いただきありがとうございました。最後に倉敷と岡山で写してきたマンホールの蓋を記念に載せておきます。カメラで撮った分です。スマホで撮った分もまとめて載せます。以上倉敷と岡山で撮ってきた汚水槽と消火栓などの蓋でした。これで倉敷・岡山の旅を終わります。(おわり)昨日小学校へ読み聞かせに出かけました。6年生のクラスで昨年度ノーベル生理学・医学賞を受賞したカタリン・カリコ博士の事を読み聞かせしました。長いお話なので時間内に読み終えられないかもしれないと本文を要約して持っていき、児童二人にページをめくるお手伝いしてもらいましたが、マスク姿でメガネが曇って読みにくかったので、マスクを少しずらして読みました。読み聞かせを終えて校長室まで戻ってくると職員室と校長室の前にロサンジェルス・エンジェルス・オブ・アナハイムの大谷翔平選手が日本全国の小学校約2万校へ計6万個のグローブを寄贈したうちの3個が並べてあるのに気づきました。大谷選手の手紙も添えてありました。小学生も大勢ここに来てグローブをはめてみたり、手紙を読んでおしゃべりをして楽しんでいると校長先生がおっしゃってました。私もグローブをはめてみましたが、とても軽かったです。グローブは右利きの子用、左利きの子用のものがありました。そしてすべてのグローブに大谷選手のサインが書いてありました。文章には「(前略) 私たちの次の世代に夢を与え、勇気づけるためのシンボルとなることを望んでいます。(後略)野球しようぜ。大谷翔平」と書いてありました。次世代の子供たちに夢をもって育ってほしいという願いを込めて贈られたグローブは素晴らしい活動だと思いました。
2024年01月24日
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旅先で2024年が明けました。元日なので神社仏閣に初詣でをすることにして、タブレットでホテルの近くを検索してみました。そしてホテルからタブレットを見ながら歩き続けてやっと見つけたのはこの小さな神社。道通神社と書いてあるような気がしました。少し歩くとお稲荷さんがあり、法随稲荷と書いてありました。こちらは莱豊大明神と書いてありました。いったん駅まで戻って岡山神社へ行くことにしました。SUN STATION TERRACEの前のポストの上には桃の鉢巻きをした可愛い桃太郎さんが頬杖をついて寝そべっていました。それには後楽園行きのバスに乗らないと行けません。するとお正月なので直行の臨時バスが出ていました。そのバスで後楽園に到着し、そこから歩いて鶴見橋を渡って岡山神社へ着きました。元日なので岡山神社は御祈祷する車と初詣の参拝客で混雑していました。干支の龍の前で記念撮影する人の波も絶えませんでした。やっとのことで誰もいない瞬間を狙ってパチリ!そして神社の本殿を参拝する人達の列は延々と続き鳥居の外へも延々と続いていました。この行列の後ろはどこかと歩いて探しましたが、向こうの角を曲がって、ビルの後ろまでずーっと続いていました。これでは1時間待っても本殿まで到達できないだろうとあきらめて列の外から参拝して引き返すことにしました。堤防で岡山城を眺めてしばらく休憩。その後、歩いて後楽園に戻りました。1日から3日まで催し物をやってましたが、名勝・後楽園はすでに見学したので元日は入り口付近の茶店でワッフルを食べたり水分補給をして過ごしました。そしてバスで岡山駅まで戻り、駅中のお店で昼食をすませ買い物を少しだけしてその後、ホテル4階の部屋に戻りPCを立ち上げ写真の編集をしていると急にグラグラと揺れ始めました。午後4時10分頃(正確には4時6分)でした。最初は疲れでめまいを起こしているのかとも思いましたが、余りにも揺れが大きいし長いので、テレビをつけると、N局の女性アナウンサーが大声を張り上げて「すぐに津波がやってきますから、何も持たずにとりあえず高いところへ避難してください。」と何度も何度も繰り返し叫んでいました。そこで初めて石川県輪島市付近で震度7(マグニチュード7.6)の大きな地震が発生したことを知りました。岡山県は震度3でしたが、4階はかなり揺れました。家族が住む岐阜、愛知、京都(奈良)は震度4でした。幸い家族は全員無事でしたが、震災地では火事も起こり大変なことになっている様子がテレビに写し出され、被害は次第に拡大していきました。その日は深夜まで地震情報を見て過ごしました。(つづく)今朝は今年初めての読み聞かせに小学校へ出かけました。6年生のクラスに入ってこの本を読み聞かせしました。
2024年01月23日
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今回も12月31日大晦日の事です。レンタカーで鬼ノ城(鬼城山)まで出かけ、山登りの後は備中高松城址へ行くことにしましたが、突然黒い雲が流れてきて雨が激しく降りだしました。仕方なくしばらく車の中で雨が小降りになるのを待ちました。黒い雲が流れて行ったので、車を走らせていると備中高松城址へ着いた頃には雨がやみました。『高松城は1582年の中国役の主戦場となった城跡で有名です。城は平城(沼城)で石垣を築かず土壇だけで築城された土城です。』『全国統一を目指した織田信長は西進を図り毛利方と対峙しました。織田軍の先鋒、羽柴秀吉は3万の兵で南東部に侵攻し次々と攻略し、最後に高松城の周囲に約2.6㎞の堤防を12日間で築き、梅雨を利用して足守川の水を引き入れ水攻めを敢行。籠城1か月余りで城兵が飢餓に陥った頃、本能寺の変が起きました。秀吉は毛利との講和を急ぎ、高松城主・清水宗治の切腹と開城を条件に休戦を成立させ落城させました。本丸跡には宗治の首塚があります。北西の家中屋敷跡には宗治の遺骸を埋葬した胴塚もあります。』と書いてありました。高松城址が残っているだけと思いましたが、高松城水攻図でわかりやすく当時の状況を表していました。東から見ていきましょう。右に大鳥居が立っています。大鳥居の左側、東には羽柴秀吉軍がいました。その左には宇喜多忠家軍もいました。北には津田与左衛門軍がいました。左には加藤清正軍もいました。西軍の陣地には吉川元春軍と楢崎十兵衛軍がいました。南は小早川隆景軍がいました。そして高松城水攻めを再現していました。足守川の水を引き入れ高松城に流すことで本丸周辺は湖となり、孤立無援となり、城主、清水宗治は切腹して幕引きになりました。資料館は年末でお休みでした。石の碑には「大原桂南の高松城懐古」が刻まれていました。漢文で書かれていましたが、城主・清水宗治が切腹することで民を守ったことを懐古している文章だと推測しました。こちらは遠くからでも目立つ大きな鳥居でした。左の方へ数キロいくと高松城水攻築堤跡がありましたが、運転手がその気にならず、ここでおしまいにしてホテルに戻ることにしました。大晦日なので岡山駅の中にあるお店まで出かけ夕食に年越しそばを食べました。そして大晦日恒例の「第九」をテレビで見て過ごしました。この夜は翌日に平穏な元日が来ると信じて疑いもしませんでした。(つづく)
2024年01月22日
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12月31日大晦日の事です。この日も岡山のTレンタカーのお店で車を借りて50キロのドライブをしました。あまりいいお天気ではなく、途中で雨が降ってきました。向ったのは鬼ノ城(きのじょう)です。ところが、カーナビに鬼ノ城を入れると、途中から車1台がやっとの細い道を走るように案内されました。途中で対向車が来たらどうしようとびくびくしながら山の中の昔のままの田舎道を登っていきました。ハラハラドキドキの連続でしたが、なんとか無事に到着。鬼城山(鬼ノ城)の説明によると、鬼ノ城は標高約400mの鬼城山に築かれた壮大で堅固な山城で、眼下の総社平野には集落が営まれ、役所、寺院などが造営されていたそうです。傘を差しながら鬼城山を登り始めたのですが、たかが400m、されど400mで気管支の弱い私にはとてもハードで息絶え絶え。途中で写真を撮る余裕はなかったです。やっとのことで前の方に何かが見えてきました。こちらの建物は立ち入り禁止になってました。私たちがいる場所は角楼跡でした。角楼跡の説明には「日本の古代山城です。中国の城郭でいう「馬面(ばめん)」、朝鮮半島での「雉(ち)」に当たります。ここは尾根続きで攻められやすいため、城壁の死角を補い防御力を高める目的で城壁の一部を長方形(13×4m)に張り出しています。下半部は石垣積みでほぼ4m間隔で一辺50cmの6本の角柱が石垣の間に建っていたことがわかりました。」と書いてありました。角楼跡からの眺めです。小雨が降っていたので、下界はほとんど見えませんでした。登った証です。一番高い休憩舎まで登りました。山頂広場に到着。晴れていたら下界がこのように見えたはず。頂上に鬼はいなくて、同じように山登りをしてきたお父さんと息子さんが休憩していただけでした。私たちは今登ってきた道をまた降りて行ったのでした。(つづく)
2024年01月21日
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三百年の歴史が息づく後楽園の後半です。唯心山から下りると、井田(せいでん)にアオサギが餌を探してゆっくり歩いていました。さらに奥に向かって歩きました。歩き続けると岡山城が見える南門に到達しました。ここから入ってくる観光客や出ていく人達もいましたが、私はここから岡山城を写しただけで戻りました。そして近くの茶店でちょっと一服。素敵なお庭を見ながらの一服は本当においしかったです。エネルギー補給をして蘇鉄畑を見ながらもう少し奥まで歩きました。今の時期、花菖蒲も藤もカキツバタも見ることはできません。すると、先ほど表側から見た能舞台・栄昌の間が目の前に現れました。能舞台・栄昌の間です。花葉の池(かようのいけ)です。栄唱橋(えいしょうばし)です。ここから引き返すことにしました。栄唱の間の屋根に鳥が2羽とまっていました。後楽園の入り口にある「みどりのリズム」という像です。二人の少女が手を組んでダンスをする一瞬のポーズをとらえているそうで、製作者は清水多嘉示氏です。この辺りは1/1にまた訪れました。バス停の横のポストの上には2羽のタンチョウヅルが舞っている像がありました。この後、バスに乗って岡山駅まで戻ったのでした。そしてなぜか粉物を食べたくなったので銀だこのタコ焼きを3種類二人で食べたのでした。モデルになった相方です。夕食を食べに出かけましたが、ホテルの傍のお店はどこも年末で早々と店を閉めてしまい、唯一開いていたのがこのお店でした。こうして12/30は暮れていったのでした。(つづく)
2024年01月20日
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朝から倉敷の大原美術館を見学した後、在来線で岡山に移動しました。昼食後一息ついて、重いキャリーバッグを引いて歩くのも大変なのでまだチェックインするには相当時間があったんですが、念のためホテルに聞いてみると預かってくれるという事で身軽になって岡山駅前からバスで岡山後楽園へ行きました。日本三大名園の一つ特別名勝 岡山後楽園にやってきました。岡山藩主 池田綱正公が家臣の津田永忠に命じて1687年に着工、1700年には一応完成しましたが、その後も藩主の好みで手が加えられました。平四郎の松の説明です。後楽園を作る前、この辺りに住んでいた平四郎の庭先にあった松を残したそうです。初代の松は樹齢三百年近い大木でしたが、枯れたため、これは二代目です。入って左側に茶店があり、振り袖姿の娘さんがいたので記念に1枚写させていただきました。その茶店の奥で白桃ソフトクリームを食べて一服。その後、後楽園を1周しました。鳥居の近くに慈眼堂(じげんどう)があります。池田綱正が藩内の平安と池田家の安泰を願って建立しました。沢の池は広いです。唯心山が左の方に見えています。向かって左側から延養亭(藩主が後楽園を訪れた時に居間として使われました)その奥に能舞台があります。池田剛正は優れた舞手で能装束が残されています。右側全体は鶴鳴館(かくめいかん)約6メートルの築山、唯心山にも上ってみました。唯心山からの眺めです。沢の池と砂利島(じゃりしま)、中の島、御野島(みのしま)が見えます。唯心山から下りてからは明日に続きます。(つづく)
2024年01月19日
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12月30日、旅4日目になりました。ホテルにキャリーバッグを預かってもらい、朝9時前に倉敷美観地区にある大原美術館へ行くと、すでに長い行列ができていました。12/26~12/28まで3日間休館だったので、みんな待ちわびていたのでしょう。私たちも岡山に移動する前にここだけは見たかったのです。入り口は反対側にあります。館内は写真撮影禁止なので、屋外にあった写真を写しました。さあ入場券を買っていよいよ中に入りましょう。ギリシャ神殿のような外観は1930年当時の姿をとどめています。そして入り口の右側にはロダン作「カレーの市民ージャン=デール」の銅像が、左側にはロダン作「説教する聖ヨハネ」の銅像が立っています。これから先、本館と工芸・東洋館を見て回りました。西洋の近代美術から古代エジプト、西アジアの美術品、西洋の前衛的な作品、日本の明治以降の洋画などを本館から順に観て回り、工芸・東洋館を巡り、濱田庄司室、バーナード・リーチ室、富本憲吉室、河井菅次郎室、棟方志功室、芹沢けい介室、石仏室、東洋館と回ってきました。余りにも多くの所蔵品を観て回り、目から入る情報があまりにも多かったので、見終わったら頭がくらくらしてきました。外に出て新渓園を散策しながらやっと一息つきました。向いの分館は工事中で長期休館中でした。こちらはもと大原家の米蔵でしたが、染色家のデザインによって展示館として改装されました。外へ出てきました。倉敷美観地区ともこれでお別れです。何度も通ったこの道を記念に1枚パシャリ!夜桜はどうもヒマラヤザクラだったようです。ホテルに戻って預けていたキャリーバッグをもらって、倉敷駅から在来線で岡山駅まで移動したのでした。(つづく)元国際交流協会会長だった知人がご自宅で育てた珍しい晩白柚とチャンドラポメロという種類の大きな柑橘類を甘夏と一緒にくださいました。晩白柚には『厚い白い綿の使い方はネットで調べてください。かなりおいしいゼリー状のお菓子ができます。』そしてチャンドラポメロには『そのまま食べても、ヨーグルトにも。味も香りもよいグレープフルーツに似た柑橘類です。皮は晩白柚と同じように砂糖煮にしてもおいしく食べられます。』とメモ書きがついていました。私は柑橘類が大好きですので、皮はオレンジピールのように煮て砂糖をまぶして美味しくいただこうと思っています。ご親切にどうもありがとうございました。
2024年01月18日
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レンタカーで180キロ移動した2日目の旅もいよいよ最後の目的地にやってきました。それは岡山桃太郎空港です。駐車場に車を入れて1階から3階まで上がりました。3階の展望ロビーに出て行くと中国の航空機(CHINA EASTERN 東方航空)が1機いただけです。向こうの方に滑走路が見えました。ロビーにあった桃太郎と家来のステンドグラスです。そのすぐ下には外にも桃太郎と家来の銅像がありました。大きな石の桃が数個ありました。朱塗りの橋を渡ったところに島が作ってありました。鬼が島なんでしょうか。帰りはヘヤピンカーブの山越えをせずに岡山駅裏にあるレンタカー屋さんまで走りやすい道路で帰れました。これで2日目の150キロ遠征?は終わりました。まだまだ旅は続きますが、先週ダンス教室へ届いた写真を少し紹介します。昨年12月に名古屋の大きなホテルで踊ってきたサンバの舞姿です。お粗末様でした。
2024年01月17日
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吉備津神社を参拝してから向かったのは天守が現存する山城、備中松山城です。雲海が見える天空の山城として有名です。最も高いところに天守が現存する山城で標高430mあります。遊歩道の途中で車を止めさせられ、1車線の細い山道なので山から下りてくる車をしばらく待って2台だけ出発しました。そして途中の駐車場へ車を止め、そこからは歩きで登りました。しかも舗装された上り坂を利用すればもっと楽だったのに、すぐに山の中に入り、昔の山道を登りましたので、足元が悪く、切り立った石段もほとんど壊れていました。こちらは中太鼓の丸跡です。かつて御根小屋と天守との伝達をした太鼓の丸で中継点で太鼓の合図で連絡を取り合ったそうです。これから先は息をするのも辛くて写真はこの1枚だけ撮っただけです。とにかく山から足を踏み外して転げ落ちないように気を付けながらふらふらしながら登ったのでした。どれだけ時間がたったでしょう。やっと大手門跡が見えてきました。これから先、たくさん撮ったんですが、少々多くなりますので省きます。こちらは大手門跡で、次は足軽箱番所、大手櫓、土塀、二の平櫓跡、路地門跡などの石の道標がありました。土塀がぐるりと張り巡らされています。国指定重要文化財です。(土塀の一部は現存のもので、残りは復元されたものです)こちらが現存する古い土塀だと思います。三の丸、厩曲輪(うまやぐるわ)、御膳棚(ごぜんだな)、二の丸と通って歩きました。「国指定史跡 備中松山城国指定重要文化財 備中松山城建造物 天守建造物 二重櫓建造物 土塀」と書いてあります。二の丸に登ってきました。そしてやっと本丸にたどり着きました。ところが、せっかく苦労して登った備中松山城でしたが、残念ながら年末年始の休みに入って入城することはできませんでした。天守は外から見上げるだけでしたが、二層二階の典型的な山城です。1683年水谷勝宗によって大修復されたものです。与謝野寛・晶子夫妻が1915年の秋に松山城を詠んだ歌です。「松山の渓を埋むる あさ霧に わが立つ城の 四方しろくなる」と書かれた碑が庭の片隅にありました。そしてまた来た道を駐車場まで引き返し降りて行ったのでした。(つづく)ミラ君の水泳教室の記録として載せておきます。
2024年01月16日
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やっと吉備津神社本殿に参る参道にやってきましたが、ふと目をやると、「桃太郎」「きびだんご」が目に入りました。鬼が甘酒を売ってました。早朝8時前からレンタカー屋さんまで歩いて、鷲羽山にドライブして山登りをしたのでちょっときびだんごでお腹を満たしましょう。お腹も満たし、では手を清めて参拝しましょう。ではこの石段を登っていきましょう。今回の旅では山登りや石段昇りが多かったです。途中の踊り場でしばし休憩してもうひと頑張りここは通過点でまだまだ石段は続きました。最後の石段をもうひと頑張りしました。やっと本殿まで登りました。【本殿には第10代崇神天皇の御代に四道将軍として吉備の国に派遣された吉備津彦命を祭神として祀られています。現在の本殿も拝殿も1425年に完成しました。1357年再建の南隋神門と1543年再建の北隋神門は国の重要文化財です。1612年建築の鳴釜神事の御釜殿は岡山県の重要文化財に指定されています。】本殿で参拝してから境内をぐるりと回って太いイチョウの保存樹と開運招福の大きな辰年(龍)の絵馬を写して祈祷所の傍を通り可愛い桃太郎のおみくじがありました。吉備津神社へ参拝できて境内でしばらく寛げたので帰りはなだらかな回り道を降りて次の目的地へ向かいました。(つづく)
2024年01月15日
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倉敷3日目の朝の事です。倉敷駅裏まで歩いてTレンタカーを借りました。瀬戸中央自動車道をひた走る途中で高速道路上で車の前部から火が出て火の塊が道路上へぼとぼと落ちているのを座って眺めている若者を見過ごしながら、車の流れに沿って通過していきました。(帰り道で消防車2台、パトカー他たくさんの車が出動して消火作業を終え、車が全焼して枠組みだけになっていました。)実はこの日1日で150キロを移動しました。先ず向かったのは鷲羽山。私たちは本当に山登りが好きですね。駐車場に車を止め、石段となだらかな坂道を頂上に向かって歩きました。坂道に咲いていたピンクの山茶花やっと瀬戸大橋が見えてきました。姉妹橋縁組締結記念碑瀬戸大橋-金門橋 姉妹橋と書かれていました。次に向かったのは吉備津神社です。この辺りが吉備津神社とカーナビに案内され、狭い空き地に車を止め参拝しました。しばらく歩くと参拝客は向こうから大勢歩いてきます。この頃になってどうもおかしいと気づき、相方はもう一度車を取りに引き返し、私は道路で待つことにしました。どうも吉備津神社の右手の端の神社を参拝したようです。駐車場の端に犬飼毅氏の大きな銅像がありました。ほとんどの人は気づかずに行かれましたが、私は車を待っている間に犬飼氏の銅像と道路を挟んで向かいにあった神社を写しました。そしてこちらが吉備津神社のご本殿に入る門でした。庭と広い駐車場を横切り吉備津神社のご本殿入口の方へ歩いて行ったのでした。(つづく)
2024年01月14日
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倉敷美観地区を充分見て回り買い物をしてから右手に阿知神社を見上げながらえびす通り商店街を歩きました。(数回この通りを通りました)この商店街にはえべっさんがあちこちにいました。歩いて歩いて倉敷駅に着きました。駅裏のモニュメントです。勇ましいバイキングのような姿をしていました。アンデルセンの世界も広がっていました。そして駅裏のショッピングモールを散歩してから隣の三井アウトレットにも足を延ばしました。昼食を食べて休憩してからまたとぼとぼとホテルまで歩いて帰ったのでした。ホテルで一休みしてから夕食を食べに出かけましたが、ホテルの近くのお店は早々と年末閉店のところが多くたまたま開いていた中華料理店に入りました。この夜は十六夜の月が綺麗でした。ホテル8階からの眺めとイルミネーションです。イルミネーションはスマホもカメラもうまく写せず、やはり肉眼で見るのが一番きれいでした。こうして倉敷2日目の夜は更けていきました。(つづく)
2024年01月13日
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旅2日目倉敷民芸館の次に訪れたのは倉紡記念館です。英訳も横に書いてありましたが、省略しました。では中に入りましょう。向かって左側です。しかし右側はこんな感じです。実は代官所跡なんです。今回は日本遺産の倉紡記念館に入りました。1888年(明治21年)当時のクラボウ創業当時の建造物(原綿倉庫)を企業博物館としてリノベーションされました。2023年倉敷アイビースクエアにてG7倉敷労働雇用大臣会合が開催されたそうです。G7のメンバーたちは倉紡記念館も見学したそうです。入り口から中へ入りましょう。ここは写真撮影ができました。明治期の紡績機械や創業当時の文書などが展示されていました。消防用蒸気ポンプと消防機具綿からごみを除去するための混綿機(1906年英国製)大正時代、第2代社長、大原孫三郎が労働理想主義のもと、従業員や社会のために取り組んだ活動を紹介しています。従来の集合宿舎を改善し、従業員のために分散寄宿舎にして清潔でプライバシーも保てる家庭的な生活ができました。大原孫三郎社長の執務机と椅子こちらは昭和時代(戦前・戦中)に不況と戦争期の時代背景とクラボウの変遷が展示してありました。棟方志功の「襖絵」です。昭和から現代へ、戦後の復興以後、倉紡産業とクラボウの事業の多角化、グローバル化の歩みが展示されてました。倉紡と言えばバレーボールが強かったですよね。最後は年表コーナーで明治から現代までの総まとめコーナーで、ビデオと写真映像、書籍が空間に展示されていました。すべて見て回り外に出てきました。アイビースクエアというのはこの「つた」と建物が四角形に建てられているところから来ているんですね。では次にまいりましょう。(つづく)
2024年01月12日
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今日はもう1/11です。あっという間に時間が過ぎていきます。ここで武下さん制作の今年のカレンダーを紹介します。表紙は亡き母親が愛知の娘家族(孫とひ孫たち)の庭に植えたのを引っ越しの際に我が家へ移植した思い出のスカシユリです。1月のお花はパンジーとナデシコ添えられた言葉は「受けた恩に感謝」です。・・・・・2日目の旅の続きです。大原本邸を後にして、今橋を渡り、休館中の大原美術館を眺めながら倉敷川に沿って歩きました。中橋を渡ったところに倉敷考古館があるのですが、どうも閉まってるみたい。親切な人力車のお兄さんが観光案内所まで聞きに行ってくれて年末のお休みに入ったと教えてくれました。この建物が倉敷館で観光案内所でもあり川舟乗船券販売所です。↓川舟にも乗りたかったのに残念でした。仕方ないのでもう一度じっくり眺めて諦めました。それで倉敷民芸館へ行くことにしました。先客の外国人カップルは1階だけ見て帰っていきました。私たちは入館料を払って2階へ上がりぐるぐると見て回りました。ここは館内の撮影が禁止でしたので、頂いたリーフレットを拝借しました。館内には本当にたくさんの民芸品が展示されていました。二階から中二階を上がったり下がったりしながら日本だけでなく世界の民芸品を鑑賞してきました。(つづく)
2024年01月11日
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倉敷に移動して一夜明けました。2日目は倉敷美観地区をゆっくり回ることにしました。昨日は急ぎ足で回っただけですので。午前9時過ぎに観光客もすでに歩いていました。足元にちょんちょん動いているのはシジュウカラ?大原美術館は2/26~2/29まで休館中。最初に訪れたのは倉敷川にかかる石橋を渡って大原美術館の向い側にある大原本邸(旧大原家住宅)です。では中に入りましょう。館内は写真撮影ができました。土間の天井から吊るされたオブジェ風の中で記念撮影。降り注ぐ言葉は5代、6代、7代、8代目当主が語った言葉です。次の土間には大原家の代々が並び、その周りに各代の関係者が明りになってつるされていました。大原家を支え、協力した方々だそうです。よく見るとカラヤン(左)とも交友があったようです。中倉1、中倉2、内中倉に入って回ってきましょう。中倉1では大原家の歴史を年表で紹介していました。中倉2では7代当主を紹介していました。内中倉では8代当主を紹介していました。8代当主の書斎をイメージしたカフェスペースには約2,000冊の蔵書がありそのブックカフェのカフェスペースでオリジナル珈琲とケーキを頂きました。その後、部屋の奥の方へどんどん進み、離れ座敷からゆっくりお庭を眺めました。7代目はお茶、8代目はレコード鑑賞をしながらくつろぎ思索をした間だったそうです。離れ座敷から出てくると、内倉1軒、中倉が2軒見えました。そして外に出たのでした。この辺り一帯にはなまこ壁の土蔵や建物が多かったです。明治中期に現在の形になった倉敷の町屋建築(倉敷窓、倉敷格子)は1971年に全10棟が国の重要文化財に指定されました。(つづく)
2024年01月10日
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昨日1/8(月・祝)13:30開場、14:00開演のウィーン・フォルクスオーパー交響楽団、ニューイヤーコンサート2024を友人と一緒に鑑賞してきました。駐車場が混雑すると思い12時半までに出かけました。実は楽しみにしていたのに、前回は残念ながら急遽中止になったのです。御一行様の中でコロナ感染者が出たからでした。今回も直前まで心配でしたが、何とか開催されました。コンサート前にロビーで数曲演奏してくれました。午後1時半の開場を待つ人たちでロビーは混雑していました。午後1時半に開場。新年らしくステージはお花で飾られていました。午後2時の開演前には1階席、2階席、3階席まで満席になりました。今までにもこの交響楽団の演奏を数回聴いたことがありますが、楽団の演奏だけでなくソプラノとテノールの歌もあり、2組のバレエダンサーのエレガントな宮廷舞踏もあります。今回、女性は赤やゴールドのサテンのドレスに髪にティアラ姿で優雅に踊ってくれました。男性は白い服や水色の上着で兵隊のような服装で踊りました。ユーモアのあるおどけた格好で踊ってくれた演目もありました。ちょっと読みにくいかもしれませんが、プログラムと演奏者の紹介です。前半はオペレッタ、ワルツ、ポルカの曲を8曲演奏して休憩が入り、後半はオペレッタやポルカ、ワルツで7曲でしたが、最後の曲はヨハン・シュトラウス2世のワルツ「美しき青きドナウ」作品314でした。演奏とバレーの両方楽しめました。アンコール曲を1曲と最後にラデツキー行進曲をみんなで拍手しながら。ソプラノとテノールのお二人もアンコールに2曲披露してくれました。最後に天井からクラッカーの音とともに金や銀の紙テープがたくさんひらひらと舞い降りて終演となりました。午後のひと時、とても楽しい時間を過ごせました。・・・・・さて、話題はガラッと変わりまして、実は一昨日夜から当市にも初雪が降りました。昨朝屋根や切り株に雪が残っていたので写しました。山に降り積もった雪は当市の方から拝借しました。年末年始の旅行中に業者の方が庭の剪定をしてくれてました。なんとまあバッサリ剪定してくれたんでしょう。クロガネモチには真っ赤な実がついているのでこの木だけ残してあります。我が家は地下水が豊富なのかなぜか木々がすぐに枝葉を伸ばし成長します。まあこれで2年ぐらいはスッキリしていると思います。
2024年01月09日
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倉敷民芸館を見学した後、ホテルへチェックインする前にもう少しだけ倉敷美観地区をぶらぶら散策しました。面白いなぁと感じたところを写真に撮ってきました。どうぞご覧ください。倉敷川がここから始まっています。白鳥がゆったりと羽を休めていました。倉敷川の両側には柳の木が並び石橋の欄干には龍の絵が彫られていました。橋の反対側です。倉敷川が続いています。大原本邸を左手に見ながら進みました。翌日再びゆっくり訪れましたので。児島虎次郎記念館だと思います。ステンドグラスが綺麗でした。12/27には門松が飾られていました。古びた内科医院の看板です。今回は阿知神社の石段を登りませんでした。阿知神社は本当に大きな神社で一山全体が神社になっていました。古い杉玉と新酒ができた杉玉とが飾ってありました。鬼太郎の店の前を倉敷滞在中に数回通りました。2時間ほど美観地区をぶらぶらと散策してからホテルに戻り、部屋でリラックスした後、夕食に出かけ味噌カツ定食と熱燗2合を二人で食べて飲んだのでした。空を見上げると、四季桜が満開!酔ってないのにぶれていましたが、とにかくいい気持ちでホテルに戻ったのでした。(つづく)
2024年01月08日
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ここで旅日記を休憩して…1/4(木)に第10回記念のあべくるみ展を鑑賞してきたので紹介したいと思います。会場は「すいとぴあ江南」です。この日は駐車場も満車で置けないほど混雑してましたので少し離れたテニスコートの横に置いて会場に向かいました。会場にはお母さんがいらしてお話をしてきました。作品展「あいちアール・ブリュット展」の10周年記念美術展のポスターの絵に選ばれたので愛知県の関係者がこの大きなポスターを会場まで貼りに来てくださったそうです。愛知県知事さんとの記念写真も貼ってありました。10年前の作品も飾ってありました。相方はTシャツやキーホルダーなどを買ってきました。モデルはおばあちゃんだそうです。帰りに味噌カツを食べてきましたが、このお店も味噌の味が甘かったです。1/4は犬山の城下町も混雑していました。
2024年01月07日
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年末年始の旅の続きです。この辺りは倉敷川畔に伝統的建造物が保存されています。大橋家住宅を見学した後、倉敷物語館に入りました。倉敷物語館は江戸時代中期(1760年頃)に建築された旧東大橋家住宅を改修した観光・文化施設です。東大橋家は大橋家の一族で倉敷村の年寄役を務め村の発展に貢献しました。庭の一角に多目的ホールがあり二松学舎大学の備中漢学資料室があったので入りました。二松学舎大学145周年記念の企画展として「渋沢栄一と三島中洲」をやってました。渋沢栄一(1840~1931): 日本資本主義の父と称される実業家で三島中洲(1831~1919):現岡山県倉敷市の豪農層出身の儒学者、教育者です。詳細は省きます。長屋門や白壁の土蔵など当時の景観を美しく保存してあり庭も風情がありました。そして次の場所に移動しました。(つづく)
2024年01月06日
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年末年始の旅の続きです。岡山駅から在来線で倉敷に着き、チェックインにはまだ少し早いのでホテルのフロントで大きいスーツケースを預かってもらい、身軽になって少し観光をすることにしました。最初に向かったのは国指定重要文化財・大橋家住宅です。読みにくいかと思いますが、「江戸時代後期から干拓による新田開発や金融業で財をなした大橋家の住宅です。」と書かれています。リーフレットによると、先祖は豊臣氏に仕えた武士で、1615年大阪城落城後、京都五条大橋辺りに住み、幕府の追及を逃れるため大橋と名乗ったそうです。江戸時代に倉敷に住むようになり、水田塩田を開発して大地主となり傍ら金融業も営み財を成しました。天保の飢饉で金千両(当時の時価で1千億円)を献じて苗字を名乗ることができるようになり、讃岐(現香川県)に塩田を38,100坪(東京ドーム3個弱)を開いた功で帯刀を許され江戸時代末期には倉敷村の庄屋をつとめました。倉敷町屋の典型的な建物をご覧ください。(写真撮影は自由でしたので)母屋、長屋門、米蔵、内蔵の4棟が1978年(S.53年)に国の重要文化財に指定されました。これで大橋家の裏門に出てきました。では次の場所へ移動しましょう。(つづく)
2024年01月05日
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ここでちょっと旅行記を中断して・・・昨日京都から長男家族が年賀の挨拶に来てくれました。ちょうど次男家族も自宅にいたのでいとこ同士が久しぶりに会うことができました。恒例の記念撮影をしようとしたんですが、ミミちゃんは針金ハンガーが気になって仕方がない様子。実はトコちゃんが学校の工作で針金ハンガーを使う予定なんですが、最近はプラスティックハンガーばかりで、なかなか針金でできているのは見つからないので、我が家にあったのをあげたんです。ピンク、緑、黄色、紫、白と全て色違いにしたところ、ミミちゃんが欲しくて欲しくてたまらないので、二人分同じ色のハンガーをあげたところ、喜んで独り占めして遊んでいました。それで記念撮影はこうなりました。夕方から道路が混んでくるので、早めに帰るという事で玄関でもう一度記念撮影をしましたが、ミミちゃんは最後までハンガーを離しませんでした。また来てねと全員で車を見送りました。その後、モコちゃん、ノア君、ミラ君の3人は毎年私のそばで書初めをするので今年も書初めをしました。モコちゃんとノア君は中学生なので色紙に自分が選んだ四文字熟語を書きました。モコちゃんは「粒粒辛苦」を、そしてノア君は「一意専心」と書きました。ミラ君は「明るい心」を書きました。結局3人が仕上げるまで2時間ほどかかりました。そして長女家族は年末年始にパパの実家へ帰省していとこちゃんたちと久しぶりに会って楽しい時間を過ごしてきたようです。女の子たちは今年はタコ焼きを作ったそうです。ポコ君もペコちゃんもお兄ちゃん、お姉ちゃんとしていとこちゃんたちをとても可愛がってあげたようです。いとこちゃんたちの楽しい思い出をたくさん作ってくださいね。
2024年01月04日
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今日はもう1月3日。昨日倉敷と岡山の旅を終えて帰宅しましたが、後片付けと疲労回復に努め、今朝は平常通りの活力に回復したので、地元の氏神様にお参りしてきました。そして昨年度のお札様を燃やしてきました。参拝客は少なかったです。大晦日に旅先へ友達が送ってくれたのは参拝客にふるまわれた甘酒でした。彼女は甘酒作りを手伝ったそうです。さて、年末年始7日間の旅をもう少し詳しく振り返ります。旅先で掲載したのはすべてスマホで撮った画像でした。自宅へ戻って写真をパソコンに取り込んだところなんと600枚ほどになりました。その中から選んで少しだけ載せようと思います。新幹線で岡山駅に到着後、駅前では桃太郎と家来たちの銅像が出迎えてくれました。その足でバスに乗って岡山城へ行くことにしました。駅のコインロッカーの大きいボックスはすべてふさがっているので、仕方なくキャリーバッグを引きながら向かいました。烏城公園では水鳥がスイスイ泳ぐのを横目に見ながらお堀にかかる橋を渡って進みました。岡山城の築城は1346年ー1369年ですが、戦災で焼失したので1966年に天守が再建されました。黒塗りのお城で「烏城(うじょう)」とも呼ばれます。また「金烏城(きんうじょう)」とも呼ばれます。これからは写真と共にお進みください。では中に入りましょう。やっと岡山城が見えてきました。2022年に天守が改修されたので真新しいお城に見えました。この日は重いキャリーバッグを持っているので外観を眺めただけでした。そしてまたバスに乗って岡山駅に戻り、そこから在来線で倉敷に向かったのでした。(つづく)
2024年01月03日
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元日の午後4時10分ごろに石川県で最大震度7の地震が発生しました。マグニチュード7.6の大きな地震でした。地震の被害にあわれた方々に心からお見舞い申し上げます。午前中に神社へ参拝し、昼食を済ませホテルの4階に戻って一息ついてPCに向かっていると急にクラクラと揺れ出しました。最初は自分がめまいを起こしているのかと思いましたが、いつまでたっても揺れが収まらないのでこれはおかしいと思ってテレビをつけるとNHKのアナウンサーが「津波が来るので今すぐ避難をしてください」と何度も大声で叫びながら石川県輪島市で震度7の地震が発生したことを報じてました。その後、緊急地震速報が何度も何度も出されました。その都度「津波!非難!」が出されて、大津波警報が何度も発生しました。岐阜県は震度4で京都も奈良も震度4でしたので、家族に連絡を取りました。朝食後、元日なので神社を参拝しようと思い、岡山駅の近くの神社を検索して歩いて回り、ぐるっと一周してやっと着いたところは小さな神社。知らないうちに相方が写真を撮っていました。次に向かったの小さな稲荷神社でした。商売繁盛をお願いしました。次に検索すると岡山後楽園の近くにも神社があると知り、バスに乗って後楽園に到着。元日は入園無料で大勢の人が訪れていましたが、私達は大晦日に訪れたので今回はパス。そして橋を渡って岡山城が見える堤防を歩いて岡山神社に到着しました。ところが、こちらは参拝客と参拝客の車で大混雑でした。↑こちらは今年の干支、辰(龍)の前で記念撮影する人達です。ところが、岡山神社の社殿を参拝する人の波は境内から表の通りに出て高いビルの周りをぐるっと1周して後ろの方まで続いていました。最初はその列の後ろに並んだのですが、これでは1時間かかっても参拝できないと思ったので、遠くからお参りして引き返したのでした。バスに乗って岡山駅に戻る途中で見えたんですが、参拝を待つ人の列はより後ろへ長く続いていたのでした。その後、駅のショッピングモールで昨夜食べられなかった年越しそばを食べたのでした。今日は午後2時過ぎに新幹線で帰る予定でしたが、午前中に変更して帰ることにしました。のぞみの指定席は満席で取れないのでわずかに席があるグリーン車で帰ることにしました。(つづく)
2024年01月02日
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皆さま、明けましておめでとうございます。新しき2024年が皆様にとりまして素晴らしい年になりますよう願っております。今年もどうぞよろしくお願いいたします。木曽川の向こうから昇ってくる初日の出を写して市内の友人が送ってくれました。さてブログは1日遡って12/31大晦日の事です。出かけようとすると雨がポツポツと降り始めましたので、ホテルの傘を借りて出かけました。この日も午前9時ごろにTレンタカー屋さんへ行き、車(プリウス)を1台借りました。(先日12/28は倉敷でヤリスを借りました。)そして向かったのは鬼ノ城(きのじょう)でした。鬼城山(きじょうやま)の山登りをしたのです。後でわかったのですが、標高400mしかありませんでした。しかし山登りは登りがやはり辛かったです。角楼跡から写しましたが、遠くは霞んでいました。山の天気は不安定でした。鬼城山の頂上へ到着。お天気が良い日の鬼城山からの展望です。下りは足元にさえ注意すれば楽でした。そして次に向かったのは備中高松城址でした。ここは秀吉が水攻めをしたお城です。築いた堤防の跡も残されています。城跡からは秀吉の本陣の場所も確認できました。スマホ画像なので少ししか紹介できません。足守川を堰き止め高松城に流すことで本丸周辺を湖としたため、孤立無援となり、清水宗治が切腹することで幕引きとなりました。(高松城水攻築堤跡は標識だけ写してきました。)そこから秀吉の中国大返しのスタートとなり、わずか2週間での仇討となった歴史の転換場所の一つです。そこから秀吉軍は姫路城へ駆け抜けました。こちらがその高松城水攻めの跡地です。そして次に向かったのは年中無休の動物園でした。ところが今年に限って12/31と1/1が休みになっていました。他に前方後円墳の造山古墳(作山古墳)も見たかったのですが、レンタカーを午後3時半までに返さないといけないので、途中で昼食を食べ、予定より1時間半早い午後2時に車を返しに行きました。倉敷では180キロ走りましたが、今回岡山では50キロドライブしただけでした。その後はホテルでリラックスして過ごし、夜は年越しそばを食べに街へ出かけたのでした。帰ってからは年末恒例の第九のオーケストラ演奏を聴いたのでした。そして2023年も暮れていったのでした。(つづく)
2024年01月01日
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