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遡ること1日半、一昨夜のことです。夕飯を済ませたころから相方は腹が痛いと言いながらトイレに何度も行くようになりました。夕飯を食べすぎたのか、それとも何か食あたりでもしたのかと思いながら見守っていました。夫は7年半ほど前に胃癌の手術をして胃を5分の4摘出しました。しかし年を経るうちに徐々にたくさん食べられるようになり、最近では私以上に食欲もあり、よく食べます。夜はいつも早く寝るので、いつも通りベッドに入ったのを見届け私は別のことをしていました。すると吐きそうだと言ってまたトイレ通いをし始めました。しかし今度は生唾が出るだけで胃の中の物は何も出てこなくて、心臓が痛いと言い出し、左胸を押さえています。それが午後8時ごろから午前様近くまで続きました。さすがの私も心配になって、1年3か月前のことがよみがえりました。その夜もやはり普通通り早めに自分のベッドに行きました。私は他ごとをして起きてましたが、急に目の前に現れ「オレ、明日の朝、死んでるかもしれない。」と言いながら苦しそうにしていました。「救急車を呼ぼうか?」と言いましたが、「いや、いい。明日の朝までこうしている。」と座椅子を倒して横になっていましたが、心配でその夜は眠れませんでした。翌日当市にある大きな病院へ行き、容態を言いましたが、患者さんが多くて、結局お昼まで待たされました。そして診察してもらったら即入院でした。肺に水が溜まって、心臓は心房細動、心不全を起こしていました。それからというもの、薬で肺の水を抜いてもらい心不全や心房細動の治療をするため大学病院へ転院して、カテーテルで心臓の壁を焼くアブレーション手術もしましたし、1年以上たって現在も治療中です。最近では難病指定の心臓の病気も判明しました。現在、高額の薬を使って治療中です。心臓は生命の源ですからやはり心配ですよね。心臓の他にも腎臓、肺、胃の定期検査はきちんと受けています。それで気分が悪くなるととても心配になります。結局、この日も朝まで眠れませんでした。年末年始に片道16時間以上かかりながらオーストリア・ウィーンまで旅行もしましたが、幸いなことに何事も起こりませんでした。またこれからも色々と旅行の計画がありますが、何はともあれ、今日のダンスパーティーに出られないかとそちらが真っ先に心配でした。一昨年の12月は相方だけでなく、私も腹膜炎で2週間入院したので、結局クリスマスパーティーをどれもドタキャンすることになりましたし、払ったお金が戻ることはなく、まるで悪夢を見ているようでした。今回も今日のパーティーに出ることができないのではないかと心配になりましたが、とにかく命が優先なので事の成り行きを見守ることしかできませんでした。翌朝早くから起きていつも通りに果物を食べている姿を見た時には正直ホッとしました。昨日は腰が痛いと湿布を貼っていましたが、元通りの姿だったので、安心しました。そしてダンスレッスンが終わってから、相方を迎えに自宅に戻り相方のリクエストの昼食に出かけました。私は豚汁と相方の味噌汁を2人分食べることになりましたが、それ以外は相方も完食しました。なにより食欲が戻りホッとしています。今日はいつも仲良くしてもらっているお友達5人を相方とともにお客様として招待してあります。無事に今日1日過ごせたらいいなぁと願っております。午前8時半過ぎに出かけ、帰りは夕方5時半ごろになるかと思います。では行ってきます。
2026.01.31
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いよいよ明日は私たちのスタジオのニューイヤーダンスパーティーです。昨年12月下旬のクリスマスパーティーが男先生の体調が悪く、開催が1か月延びたのです。今年になってこれで3回も雪が降り積もりました。昨夜からまたお天気が怪しいですが、雪が積もらなければいいです。深々と冷え込んでいますが、今度こそは延期にならずに開催してほしいです。さて、年末年始にウィーンに出かけて約1か月が過ぎていこうとしています。お友達や知り合いにお土産を配りましたが、まだこれだけ残っています。円安でユーロが高かったので、お土産はほとんどチョコレートを買って来ました。自分の楽しみに貴腐ワインを1本買ったぐらいで香水も買いませんでした。だって本当に物価が高かったんですもの。両替店で手数料を入れると1ユーロ200円近かったんです。ウィーンのお店で物を買う時に200倍して計算しながら買い物をしましたからね。推し活をしているチェリストさんからコンサートのお知らせが来ました。夜の開催ですが、思い切って出かけようと思っています。ヨハンシュトラウス1世の「ラデツキー行進曲」はウィーンでのニューイヤーコンサートを思い出しますし、15年ほど前に出かけたハンガリーやチェコの旅行を思い出すのでハンガリー舞曲も大好きです。チェリストさんにもお土産持参で行ってこようと思っています。楽しみがまた一つ増えました。PS) 昨夜の雪はこれだけで済みました。もうこれ以上降らないことを望みます。午前8時過ぎの気温はまだマイナス2度です。お隣の屋根には雪が積もっているのが見えます。早くお天気が回復してくれるのを祈っております。
2026.01.30
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いよいよ明後日はニューイヤーダンスパーティーです。連日練習、練習に明け暮れています。昨日は午前中エステに出かけ、昼食も取らずにダンス教室へ出かけ、レッスンを受けてきました。パーティーではルンバのデモンストレーションと、スローフォックストロットのミニデモンストレーションをしますが、先生からミックスデモンストレーションにも出てほしいと頼まれたので、そちらにも出る予定です。それで練習を3種類やって帰ると、少し延長したので前もって電話をもらった人が2時ジャストにやってきてそれから1時間半ほど話をしました。帰られると午後3時半を過ぎていました。その後、先日来重ねている原稿の推敲もしましたので、昼食はもちろん、昼寝もできませんでした。それでどっと疲れが出てしまいました。そうなると頭も全く回転しませんね。そこへお助けマン(実際はウーマン)の愛知の娘に冬休み中、1月3日と4日に1泊2日で出かけたUSJのキャラクターの写真を送ってもらいました。娘のお友達の方の推し活に付き添ったんだそうです。それに孫のペコちゃんの卒業旅行の下見も兼ねて出かけたそうです。実は相方もUSJが大好きで3月下旬にまたみんなで出かけるそうです。愉快なキャラクターを見ているうちになんだか私の疲れも取れてきました。今日はダンスレッスン後、美容院でキレイキレイしてきます。
2026.01.29
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日曜日も1日夫婦でボランティアに出かけました。そして昨日もダンスレッスンの前にボランティアで出かけました。私は1時間で失礼しましたが、相方は午前中ずーっとボランティアの仕事をしてきました。具体的に何をしてきたかはここでは言えません。(まあ時期的に想像はつくと思いますが・・・)そして昼間や夜の空いた時間を見つけてやっとにじいろ会の花編みまでボンド付けをし終えました。春の交通安全運動に向けてせっせと袋詰めまで完成しようと思っています。鹿児島のお友達から蝋梅と薩摩紅梅の花が咲いている写真を送っていただきました。鹿児島は12度らしいです。我が家の庭ではまだ山茶花が満開です。当市は最低気温がマイナス3度で最高気温が4.8度でした。鹿児島とは気温差がかなりありますね。こちらは朝方雪が少し舞いましたもの。さて、1週間ほど前のことですが、岐阜新聞に堂上蜂屋柿の記事が載ってました。こちらは私の2013年1月17日のブログですので、今から14年ほど前のことになります。平安時代から時の権力者に献上されたというのは1188年に源頼朝に献上したのが始まりとされています。そして信長、秀吉、家康も舌鼓を打ったそうで、天皇や歴代の将軍への献上品であったので「堂上」という名前がついたそうです。そして今年は3個入りの堂上蜂屋柿が10万円で買われたそうです。我が家は14年前にこの方が県知事賞を獲得された折に、私が直談判して、以来14年間毎年お年賀用に買っています。14年前に比べると物価も値上がりしました。しかしお正月にお年賀として差し上げ、皆さんに喜ばれています。
2026.01.28
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昨日のことです。このところFBを見ているとウィーンフィル管弦楽団のニューイヤーコンサートの動画がたくさんUPされています。もちろんウィーンフィル管弦楽団からのUPもありますが、本当に大勢の人が動画を載せられています。そして昨日何気なくそれらのうちの一つを眺めていると、なんと自分の姿が写っているではありませんか。動画はその方の許しを得ないと載せられないので、自分の映っている場面だけ写真に撮らせてもらいました。実は今年2026年1月18日のブログに念願のウィーンの旅・その11として載せましたが、実際に自分がそこにいたという証拠は載せられませんでした。指揮者ヤニック・ネゼット=セギン氏がすぐ横の通路をタクト(指揮棒)を振りながら通られた動画だけは撮りましたが。12月31日にジルベスターコンサートを鑑賞しましたが、私は前から7列目に座っていたので良く見えました。そしてこの日はヨーロッパに配信するために高い所でカメラが動いていました。この方はどういう方なのか存じませんが、すぐ近くで撮られたのか、それともヨーロッパに配信された映像の一部なのかわかりませんが、とにかく画像を載せようと思います。これで自分があの場所にいたということがよくわかります。翌日のニューイヤーコンサートは世界に配信されて、日本のお友達や家族も観てくれました。そちらはもっと良い姿で映っていると思いましたが、予想外の姿が写ってましたね。何はともあれ、記念になりましたのでそれでよしとします。あの時の感動はまだ鮮明に記憶に残っています。
2026.01.27
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昨日は夜から降った雪が残っていて道路が凍っていたので中山道小松屋の掃除は欠席しました。すると掃除に出かけた男性から写メが届きました。庭には雪が積もっていたけれど、小松屋の部屋とトイレの掃除をしてすぐ近くの木曽川の様子を動画で送ってくれました。まるで墨絵の世界を見ているようでしたが、空気が澄んで清々しい感じの動画でした。午前10時半過ぎに私たちは歩いて近くのホテルへ出かけ、ある会に出かけましたが、既に大広間は満席で後ろで立っている人もいました。幸い椅子を出してもらえたので1時間余り話を聴いてきました。その後、にじいろ会に関係する人ばかり7名がランチに出かけようということになりお店へ。そこでおしゃべりの花が咲きました。皆さん同じような年齢の人ばかりで、話題は健康のこと。心臓にペースメーカーを入れた人。今まで身体に数回メスを入れ、今回は大腸癌の手術で8ケ月も入院したけれ今月元気に誕生日を迎えた人。乳癌の手術をした人等、皆さんどこかに問題を抱えながらも明るく元気で過ごしてらっしゃいます。私たちも皆さんに元気をもらえました。そしてみんなでお肉をたっぷり食べておしゃべりの花が咲きました。大きなハンバーグを完食。そして誕生日の人がいることをお店に伝えてみんなで誕生日を祝いました。みんなでタンバリンを鳴らしながらハッピーバースデイの歌を歌いました。こちらはお店から頂いた写真です。みんな童心に帰って、笑って笑って食べて、食べて楽しい時間を過ごしました。最高齢は83歳の女性でした。私達はその彼女に行きも帰りも運転してもらって自宅まで送ってもらいました。相方の母親(義母)には学生時代、可愛がられてよくお世話になった思い出があるそうです。別れ際にみんながこんな楽しい時間はめったにないのでまた集まっておしゃべりがしたいと言われました。またチャンスがあるといいなぁ~!
2026.01.26
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午前中ダンスレッスンに出かけ、午後は2時半から5時頃まで国際交流協会事務所で1/23,1/24の2日間当市に滞在中のマクラーレン温子さんを迎えて座談会形式で国際交流協会メンバー11名と「日豪の戦後の和解・友好の話」をしてきました。先ずマクラーレン温子さんの記事を紹介したいと思います。『2025年8月カウラ・ブレイクアウトから81年を迎え、戦後の日豪和解の歴史があらためて注目されている。こうした節目の時期に、日豪和解活動を続けるマクラーレン温子氏が9月13日、帝京科学大学の日英言語文化学会の研究会で「戦後の日豪の和解と友好関係」をテーマにオンライン講話を行った。マクラーレン氏は1970年代に国際結婚でNSW州北東部バロナに移住し、サザンクロス大学リズモア・キャンパスで日本語を教える傍ら、交流の施設「グリン神父記念日豪センター」の設立に尽力した。日豪の和解と友好への貢献がたたえられ、2018年オーストラリア・デーに勲章「メダル・オブ・オーダー・オブ・オーストラリア」(OAM)を受勲、同年10月には日本の外務大臣賞を受賞している。講話ではリズモア出身の故トニー・グリーン神父やその弟ポール・グリン神父の功績に触れ、さらにドキュメンタリー映画「愛の鉄道」を取り上げ、今日のオーストラリアがこれほど親日的な国となった背景にこうした人びとの尽力があることを伝えた。またマクラーレン氏自身が50年以上にわたり、オーストラリアで生活してきた経験や大学生活、出会った人びととの交流を通じて感じたことを紹介。日本人やオーストラリア人に限らず、各国の「フェアデンカン(公正な考えを持つ人びと)」の行動や心に残るエピソードも交え、参加者に向けて和解と友好の重要性を語った。(中略)今回の講話は戦後の日豪関係の歩みと、それを支えてきた人びとの努力を理解する貴重な機会となった。』座談会では皆さん、活発に意見を述べられました。広島、長崎ばかりクローズアップされるけれど、じゃあ日本軍が奇襲したパールハーバーやオーストラリアでやった酷いこと、中国、満州でやった酷いこと、東南アジアでやった酷いことはあまり教科書にも載ってないし、日本人でも全く知らない人もいるのではないか、お国のためと言いながら特攻隊で亡くなった若者の気持ちはどんなだったか等など、時には厳しい意見もありましたが、自由に思っていることを話し合えたと思います。そして自分たちが住んでいる地域の外国人との共生問題、地域の人の繋がりが薄れて行ってしまったこと、若者が都会に行ってしまい残っているのは老人ばかりとか話はいつまでも尽きませんでした。最後に和気あいあいと記念撮影をしました。こちらは国際交流協会事務局から頂いた写真です。今朝8時からの中山道太田宿・小松屋の掃除に出かける予定でしたが、夜中に雪が降り、早朝7時半過ぎにはまだ車が通っていないので道路が凍結していたので、ノーマルタイヤなので出かけるのをやめました。11時から12時まである会合には歩いていこうと思っています。
2026.01.25
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昨日は時間とともに雪も収まってきたので、午前中にダンスレッスンに出かけることができました。来週末の「ニューイヤーダンスパーティー」でルンバは3分のデモンストレーションしますが、今年に入って本格的に練習を始めたスローフォックストロットの曲にどうかとCDを2枚持って行って、先生に聴いてもらいました。おなじみの曲、「Time To Say Goodbye」です。2枚とも聴いてもらいましたが、この曲はフルで踊れるようになってから使いましょうと言われてしまいました。確かにミニデモ1分半では曲の途中で切れてしまいます。それで今回はあきらめることにしました。今月は先生が決めた曲で踊ります。午後は先日来作成している坪内逍遙博士の山椿通信の冊子の原稿の推敲を何度もしました。そして午後4時から6時半まで顕彰会の執行部会で頭をフル回転してきました。同じ執行部の女性が自宅で作られた晩白柚の砂糖漬けを持ってみえて他の6名にふるまわれました。疲れた頭に栄養が染みわたっていくようで本当に美味しかったです。彼女は昨年もこの時期に持ってきてくださいました。私は女性の旦那さんとも国際交流協会で知りあいで以前にも晩白柚の砂糖漬けを頂いた事があります。その後、臨時の理事会でまた頭をフル回転。午後7時半頃にやっと帰宅しましたが、どっと疲れました。それから夕飯でしたが、食欲がわきませんでした。豚汁が美味しかったです。頭を使うとお腹がすかないということを初めて知りました。
2026.01.24
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道路の雪は融けたので、午前中にダンスレッスンと買い物を済ませ、午後2時前に市内の小学校へ出かけました。そこは坪内逍遥博士の生家の近くにある小学校です。毎年この小学校で「山椿の集い」が開催されるので、今年は坪内逍遥顕彰会の執行部のメンバー5名と役所の方の6名で参加しました。校長室で時間までしばらく待ちました。最初に低学年(1年生から3年生まで)がこの劇を見て、私たちは高学年(4年生から6年生まで)と一緒に体育館でこの劇を観ました。「すくなびこな」を演じるのは名古屋のシアターウィークエンドの皆さん。いよいよ「すくなびこな」の登場です。「すくなびこな」とは小さい神様のことです。裸なので身体を温めて服を着せてやるとなんと人間の形になりました。そして沼に葦を植えると良いと教えてくれました。カエルも喜び飛び跳ねました。(多分これから稲作が始まる前のお話だと思います。)終演後、伝承文化研究センター所長のH氏が演者の方々を一人ずつ紹介されました。最後は小学生の代表が劇を観た感想を言ってその後、花束贈呈がありました。子供達は次々にH所長さんと握手をしました。私たちは校長室でまた話をして、午後4時ごろに解散しました。私も逍遙作の児童劇「すくなびこな」という題名は知ってましたが、この劇を観て初めてどういう内容なのかがよくわかりました。子供たちも所々で大爆笑したり、くすくす笑っていました。H所長さんが劇が始まる前に挨拶をされ「面白かったら笑って下さい。どういう風に反応してもらってもかまいません。」とおっしゃってた意味が後でよくわかりました。今朝も雪が降り始めました。気象予報では今週末にかけてまた大雪になるそうです。今の所、道路は積もっていませんが、これ以上、降らないことを願っています。
2026.01.23
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寒波到来で昨夜はまた深々と雪が降りました。今日はダンスレッスンに出かけられるかしら?積雪はこれだけで済みました。道路は凍っていないので車は走っています。なので、私も外出できそうです。私は12月の顕彰会の執行部会で1年間のまとめとして山椿通信という坪内逍遥顕彰会の季刊誌に昨年の行事の中で坪内逍遙生誕祭の記事を1ページ書くように割り当てられました。ところが、年末年始にウィーンへ旅行をしたのでその旅行記をブログに書いているうちにすっかりそのことを忘れてしまいました。そして今日の山椿の集いの連絡が来て、はっと思い出しました。原稿の締め切りは1月末ではなく2月末ということでホッとしました。しかし、毎日忙しない生活をしているので早めに書いておかないと締め切り近くになって慌てるのも嫌なので昨夜一生懸命原稿を書き、写真を選んで入れてみました。今日山椿の集いで会う執行部の方々に原稿を見せてチェックしてもらおうと思っています。使う写真は昨年のブログに載せてあったのでそこから抜粋しました。こういう時にブログは役に立ちますね。なんとなく見覚えがあるでしょ。もう少し写真を探して検討してみますが、文章は560文字で良いらしいので、ほぼ完成できたような気がします。もう少し推敲してみますけどね。何とか滑り込みセーフになりそうです。あぁ食事の美味しいこと!
2026.01.22
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昨日 1/20(火)は朝から呼吸器科を受診して、その後、先生の都合でダンスレッスンの時間が遅くなり、午前11時30分からレッスンを受けました。その後、自宅に戻らずに教室で少し練習をして12時45分頃、地元の小学校へ直行しました。お昼休みの午後1時から30分間、全校の小学生対象に本読みをするからです。音楽室の入り口で子供たちに声掛けをしましたが、お天気の良い日は校庭に出て遊ぶ子が多いのでほとんど低学年の子供たちがやってきました。ポンポロロンのお母さんたちに交じって私も本読みをしました。先ず最初は別のお母さんが読みました。次に私たちは二人で本読みをしました。「今年は何年(なにどし)ですか?」に始まって怠け者のごすけと貧乏神の話を読みました。金色の馬と銀色の馬、鉛色の馬が出てきます。ごすけは貧乏神から言われた宝物をいっぱい積んだ金色の馬も銀色の馬も捕まえられずに逃してしまいます。しかし怠け者のごすけは鉛色の馬と一生懸命働き、生活は豊かになりました。最後はその馬が金色の馬になって天高く帰っていくお話です。私は今回、貧乏神の声を低い大きな声で朗読しました。残念ながら写真はありません。でも子供たちは目を生き生きさせて耳を傾けてくれました。読み終わると手を振ってくれたりハイタッチをしてくれました。反応があって良かったです。そして2月6日(金)の朝に開催される「ありがとうの会」の招待状を頂きました。学校の玄関には桜の花とチューリップの花が活けてありました。昨日は大寒で冷たい風が吹く寒い日でしたが、ここだけは春が来ているように感じました。
2026.01.21
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長らくウィーンの旅にお付き合いいただきましたが、今回で最終回となります。楽友協会で念願のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートの興奮冷めやらず、外へ出てきてふと目の前のNHKブースを見ると、出演者の中谷美紀さんが着物姿で他の3名の男性もよくわかる姿で見えました。ニューイヤーコンサートに出かけた2組のご夫婦と私の5名がそのままホテルの7階にある日本食レストラン「雲海」へ直行。そこへ地下鉄に乗って買い物に出かけていた相方が戻ってきて6名と添乗員さんとでお正月なのでお節料理を頂いたのです。こちらは酒樽がさかさまになっていたので、相方がお店の人に教え、直されました。(ウィーンだなと感じました)お品書きを頂き、お節料理が順番に来ました。まずシャンパンで乾杯!私は自分の分と相方の分を頂き、その後、九州の酒豪夫妻が日本酒をオーダーして、私もお猪口でなくグラスの盃に数杯頂戴しました。デザートを頂く頃にはいい気分!どうもストーンの付いたつけまつげが重くて・・・ほろ酔い気分でホテルの部屋に戻り、そのまま午睡。ところが他の皆さんはウィーン国立オペラ座へ午後7時から始まるオペレッタ「こうもり」を鑑賞しに出かけられました。何とお酒に強く、精力的な方々なんでしょう。その後、ウィーン街中のホイリゲに買い物や遊びに行かれた様子。なんでも午前様近くまで最後の夜を楽しんでらっしゃったようです。私たちはとても真似ができませんでした。さて、ウィーン滞在も最後の日になりました。最後の朝もいつも通りフルーツとチーズの朝食を食べ朝8時にホテルを出発してウィーン空港まで車で送ってもらいました。空港近くの道路は渋滞して進まないので、飛行機の時間が迫った人は車を降りて重い荷物を引きながら走っていく人もいました。やっとウィーン空港について搭乗ゲートまで長い通路を歩きました。約1時間30分でドイツ・フランクフルトへ到着。フランクフルト空港でビジネスクラスの人は食事ができますので、皆さん朝食を食べてらっしゃいましたが、私は軽いものを少しつまんだだけでした。(そういえば行きのチューリッヒ空港でも皆さん驚くほどの食欲でお皿に色々と盛られてアルコール類も飲んでみえました。)私たちは搭乗時間近くまで免税店で買い物をしました。そして10時30分にオーストリア航空でフランクフルトへ飛び立つ予定でしたが、雪が激しく降り出したので、前の2機が除雪作業でまだ滑走路に残っていたので、1時間遅れで離陸しました。ルフトハンザ機に乗ってすぐにワインを頂きました。私はいつも窓際の席になりました。珈琲を飲みすぎで、紅茶にしました。乗務員さんはドイツ人でブラックティーで通じました。洋食か和食か聞かれ、そろそろ和食が恋しくなりました。すき焼きが出ました。そして眠っているうちに中央アジアの砂漠の上を飛んで、そろそろ日本に近づいてきました。朝食は相方が和食、私は洋食にしました。やっと羽田空港に無事に到着。ところが、羽田について私たちの荷物が届いてないことがわかりました。後日、羽田に届いたら配送してくれるということになりました。まあ大きなスーツケースを運ばずに身軽に自宅まで帰れるのでいいのですが、どこかで紛失しても困るので、自宅に届くまで心配でした。そして新幹線で富士山を観ながら帰りました。やはり富士山を眺めるとホッとしますね。夕方6時ごろに自宅に戻りました。(完)
2026.01.20
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昨日の続きです。12月31日の夜7時半から楽友協会の大ホール・黄金の間でウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のジルベスターコンサートを楽しんで興奮も収まらないまま、ホテル・インペリアルへ移動してニューイヤーズ イヴ ディナーを添乗員さんとコンサートを聴いた皆さんと一緒に楽しみました。女性のカメラマンが来てたくさん写真を撮ってくださいました。後でその時の写真とウィーンの旅の思い出を1冊の冊子にまとめて添乗員さんが送ってくださいました。とても良い記念になります。ジルベスターに行かなかったグループはゆっくり食事を味わったようです。そしてカウントダウンが始まりました。大聖堂の鐘を聴き花火を観に外へ出て行った方々は外の爆竹の音が大きすぎて鐘の音が聞こえなかったといって戻ってみえました。ホテルでもカウントダウンで乾杯のシャンパンを片手に天井から金色の風船がたくさん落ちてきたので、みんなそれを踏んで割って「ハッピーニューイヤー!」と言い合いましたが、私は風船がなかなか割れずにシャンパンを頭からかぶってしまいました。どこの国の方かわかりませんが、親切な紳士がティッシュを渡してくれたのでそれで頭を拭きました。長い間、風船割りを楽しみました。午前様なので二人は記念写真を撮って失礼しました。実は行き帰り雪が舞っていたのでブーツを履いてハイヒールは手に持っていきました。楽友協会の大ホールで履き替えて入ろうとしたところ階段の1段目で目を光らせていた係の方がコートを預けるクロークに手荷物を預けてきなさいと言われ、言われた通りブーツも預けたのでした。💦ホテルに戻ると、ロビーでは大晦日の生演奏をしていました。結局この夜は部屋に戻ってもあまり眠れませんでした。そしてお正月になりました。レストランにはお正月らしい品々が並んでいましたが、私の朝食は相変わらず、フルーツとチーズだけ頂きました。相方は一組のご夫婦と3人でガイドさんに案内してもらってベルヴェデーレ宮殿の観光に出かけました。私は午前11時15分に始まるニューイヤーコンサートに間に合うように添乗員さんと車でホテル・インペリアルに他の方々を迎えに行きました。添乗員さんは下見をしてきたのでNHKのアナウンサーに会ったそうです。その日はオーストリアの首相ご夫妻や要人がいらっしゃるので警察官が至る所に立って物々しい警戒をしていました。添乗員さんが楽友協会の前で記念撮影をしてくださいました。私が一生に一度、学友協会でウィーンフィルのニューイヤーコンサートを生で鑑賞するのが夢だったと話してあったので。前日も来ましたが、やはりお正月はまた雰囲気が違ってました。指揮者:ヤニック・ネゼット=セギン氏演奏:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団いよいよニューイヤーコンサートが始まりました。前日とはまた違った雰囲気でコンサートが始まりました。(前日は前列から7列目に座ってましたが、ヨーロッパに放送されたようです)この日は全世界に配信されたようです。日本でライブで見てくれた友人達や娘からLINEがたくさん送られてきました。角度を変えて載せますね。そしてニューイヤーコンサートは後ろの方でしかも座高が低く、前があまり見えませんでしたが、音楽はちょうど調和して良い感じで聴けました。ここからは余談です。私は後ろの方に座っていたので世界に配信された画像の中に映っていたのかなと思いましたが、日本の友達が私の姿を見たよと数人が言ってくれました。帰ってから録画を観たところ、ストーン付きのつけまつげが重くて眠たそうな顔でかろうじて写っていました。ご笑覧ください。寝ていないんですが、前が見えないので顎を挙げていました。💦こちらはコンサートが終わってから出てきたらNHKのブースにかろうじて着物姿の中谷美紀さんとアナウンサー、日本人のお母さんを持つ演奏家、バレリーナ(プリンシパルさん)がまだいらっしゃったので写しましたが、かろうじて写ってました。これからホテルでお正月の料理を頂きます。(つづく)
2026.01.19
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12月31日の午後、シェーンブルン宮殿の観光とその後、クリスマスマーケットを見て回り、夕方雪が舞う中をホテルまで送ってもらい衣装を変えて午後7時30分から始まるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のジルベスターコンサートに出かけました。男性はタキシードまたはダークスーツかジャケットにネクタイ着用で女性はドレス、ワンピース、ツーピースなどの装いをお勧めと言われ、一応ワンピースに大きなショールを羽織り、ホテルのロビー前の階段で記念撮影をしてもらいました。この格好にショールを羽織っただけで雪の舞う中を楽友協会まで歩いて行ったんです。寒かった~!コートを着てくればよかったと後悔しましたが遅かったです。💦夜の楽友協会です。もうすでに長蛇の列でした。やっとコンサートホールに入って初めて生で観る楽友協会の内装をオノボリサンは写しました。添乗員さんが私のスマホで記念に撮りましょうと10数枚も会場と私の様子を撮られました。(良い記念になりました)そのうちの2枚です。ここで初めて大晦日はジルベスターコンサートという名前ですが、翌日のニューイヤーコンサートと同じ指揮者で同じ曲目で演奏が聴けるということを初めて知りました。(12/29ぐらいからリハーサルをやって12/31はニューイヤーズ イブなので皆さん正装で演奏されました)相方は美術館、博物館巡りには出かけましたが、ジルベスターコンサートは行かずに、ホテル・インペリアルでニューイヤーズ イブ ディナーを他の皆さんと一緒に楽しんだようです。今回の4組8名の内、私ともう1組のご夫婦の3名だけジルベスターコンサートに出かけたのでした。正確には私は前から7列目で聴けました。演奏前に1枚撮りました。そして指揮者のヤニック・ネゼットーセギン氏が登場して演奏が始まりました。最後のラデツキー行進曲の時に指揮者が会場に降りてきてしかも私のすぐ横をタクトを振りながら通られました。とても思い出深い記念になりました。こちらはすべての曲を演奏し終えた後で撮りました。観衆は総立ちになって会場の拍手はしばらく鳴りやまず興奮の渦でした。私も寒さを忘れて興奮してしまいました。その後、ホテル・インペリアルに移動してニューイヤーズ イブ ディナーを頂きました。(つづく)
2026.01.18
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シェーンブルン宮殿はフランスのベルサイユ宮殿に似て敷地はとても広く、すべてを見て回ることはできませんでした。しかも宮殿内を見学し終わって出てきたら疲れてしまい、階段の隅でしばし休憩。しかも夕方近くでこれからそろそろ薄暗くなる頃でした。外は雪が舞っているので、遠くまで行く気になれず、クリスマスマーケットを見て回りました。外国からの観光客に交じって私たちも記念写真を撮りました。あまりにも寒いので、皆さん正門近くの売店に避難しました。そこでしばらく買い物をして過ごしました。これでやっと正門に戻ってきました。これからホテルに戻り、二人とも衣装を変えます。男性はタキシードまたはダークスーツかジャケットにネクタイ着用。女性はドレス、ワンピース、ツーピースなどの装いをお勧めですと言われましたので。そして午後7時半からのコンサートに出かけます。(つづく)
2026.01.17
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ここでまた旅行記を休憩して、昨日仲良しグループのお友達と車に乗り合わせて出かけて行った箏の演奏会と水彩画と陶器の二人展を紹介したいと思います。午前9時半過ぎに車に乗り合わせて隣の市へ。10時半から1時間余り箏アンサンブルの演奏会がありました。全く知らない方ではなかったです。新春にふさわしい邦楽の世界を体験できました。まず最初は「春の海」から始まり、童謡唱歌、流行歌などたくさんの曲を弾かれました。アンコール曲もありました。13絃のお箏だけでなく17絃のお箏も演奏され低音はまるでチェロのような響きをしていました。3人のアンサンブルは素晴らしかったです。集会所は満席になるほど盛況でした。帰りにぜんざいとミカンをふるまっていただきました。アツアツのぜんざいが美味しかったです。その帰り道で立ち寄ったのは知りあいの方々の二人展です。昨日も会場でお二人に会ったんですが、時々演奏会の会場でも顔なじみの方々です。某銀行のギャラリーへ立ち寄りました。お一人は水彩画を出品されてました。もう一人の方は陶器を出品されてました。お二人は定年退職されてから音楽の道へ進まれ、各地でコンサートを開催されてみえます。その傍ら趣味で水彩画や陶器を焼いてらっしゃるのです。芸術的な才能があるんですね。趣味の域を超えた素晴らしい作品ばかりで感心しました。それぞれに感心して帰りながら、みんなでランチに立ち寄りそこでまたひとしきりおしゃべりを楽しんだのでした。3時を過ぎたので解散しました。
2026.01.16
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ホーフブルク(王宮)でシシィ博物館を見学した後はウィーン市立公園の隣にある「シュタイラーエック」というお店へ創作オーストリア料理を頂きに出かけました。その前にウィーンの街中を走る馬車です。時間があったら一度乗って見たかったです。「シュタイラーエック」のお店に着きました。窓からは静かな公園が見えてました。白ワインを頂きました。山のように積まれたパンから自分が食べたいパンを選びます。キャビアも盛り付けてありました。どれも工夫が凝らされていて美味しかったです。少しずつ頂きましたが、おなか一杯になりました。お店から出てくると、雪が舞っていました。風が冷たく雪が降る中、シェーンブルン宮殿観光に出かけました。ヴェルサイユ宮殿のフランス王妃、マリー・アントアネットがオーストリアのハプスブルグ家の末娘(16人の子供の内15番目)として幼少期を母親マリア・テレジアとともに過ごした宮殿です。この宮殿で当時6歳のモーツァルトは神童と呼ばれ、鏡の間で御前演奏をしました。エリザベートとのエピソードは有名ですね。(省略)興味のある方は検索してみてください。この宮殿はハプスブルグ家の夏の宮殿(離宮)として使われていました。マリア・テレジアは1765年夫の死後、生涯を喪服で過ごしたそうです。どの部屋も天井画が素晴らしかったです。この部屋は全長40m幅10mで皇帝が主宰する舞踏会やディナーが開かれた部屋です。70本の蝋燭が使用されていたそうです。1814年のウィーン会議、1961年のウィーン会議にもこの部屋が使用されたそうです。マリーアントアネットの胸像どの部屋も贅沢の極みを尽くしてました。百万の間は紫檀の壁板、インド・ペルシャから取り寄せた細密画で飾られた最も高価な部屋になっています。マリア・テレジアと子供たちが描かれていました。一方、ハプスブルグ家のヨーゼフ1世に嫁いだエリザベートは厳格なハプスブルグ家の雰囲気が苦手で、活動的な彼女はこういう部屋で静かに過ごすよりも屋外で乗馬をしたり、旅に出るのを好んだようです。(前述)(つづく)
2026.01.15
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12月31日(水)大晦日になりました。毎日午前7時にオープンのモーニングに出かけ、大好きなチーズとフルーツだけ食べました。下のロビーはすでに2026年の飾り付けがしてあります。午前中ウィーン観光に出かけました。向かったのはホーフブルグ宮殿(王宮)です。実に広い宮殿で建物を一度では撮れません。現在はオーストリア大統領の公邸として使われていますが、かつてハプスブルグ家の皇帝が居城としていた場所です。そしてこのバルコニーは1938年3月15日にヒットラーがオーストリア併合を宣言したホーフブルグ宮殿のバルコニーです。宮殿の英雄広場に集まった数十万人の群衆に向けてヒットラーは演説を行いました。ガイドさんいわく、ヒットラーが演説している場面が歴史の記録フィルムによく出てくるとのことでした。↓ そのバルコニーです。門をくぐると見どころ満載の物が展示されていましたが、省略して先に進みます。中庭にある彫像です。誰だったか忘れました。いよいよシシィ博物館に入りましょう。入り口でしばらく待たされました。観光客が次から次へときますので。ではシシィ博物館に入りましょう。オーストリア皇后のエリザベートはシシィの愛称で呼ばれます。小さい頃はお父さんのチター奏者の傍らで街中でチップをもらったので「唯一自分で稼いだお金」とそのチップを大事に持っていたそうです。お姉さんのお見合い相手の所へついて行って皇帝フランツ・ヨーゼフ1世に見初められ16歳で結婚し、オーストリア皇后となりました。当時のヨーロッパ宮廷一と言われた美貌の持ち主で、身長172センチ、ウェスト51センチで生涯43キロ~47キロという体形の持ち主で美貌と痩身に執念を燃やし過酷なダイエットと美容方法で維持していたそうです。綺麗な長い髪を結いあげるのに毎日2時間から3時間かかったそうです。この運動器具はエリザベート皇后が自分の体形を維持するために使っていた器具だそうです。↓エリザベートが自分の容貌で最も気にしていたのは歯並びが悪く黄ばんでいることで、毎日懸命に歯磨きをして人前では扇子で口を隠していたそうです。そして年とともに皴やシミを黒いベールや扇、日傘で隠したそうです。彼女の人生には色々ありましたが、1898年9月10日旅行中のジュネーブのレマン湖のほとりでイタリア人の無政府主義者に長さ約9~10センチほどの鋭く研ぎ澄まされた短剣のようなヤスリで心臓を刺され、60歳で亡くなりました。彼女のデスマスクがありましたが、気の毒で写せませんでした。ただお顔はまるで小学生(低学年)か幼稚園児のような小さなお顔でした。(つづく)
2026.01.14
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午後自由行動をしてホテルに帰ってからほんの少し休憩し、午後7時からコンツェルトハウスで開演するベートーヴェンの「第九」コンサートを鑑賞しに出かけました。年末の風物詩といえば日本でも外国でもベートーヴェンの「第九」が演奏され、「歓喜の歌」が有名ですね。コンツェルトハウスの階段上の壁面です。伝統的なコンサートホールでベートーヴェンの「第九」」を聴きました。少々くたびれた表情ですが、記念に載せますね。後ろを向いて撮りました。前のステージはこんな感じです。私たちの席は下の階の前から7列目でした。開演前に記念に撮りました。ディマ・スロボデニウク指揮、ウィーン交響楽団の演奏が始まりました。第1楽章、第2楽章、第3楽章に続いていよいよ第4楽章になりました。オーケストラ演奏に加えて「歓喜の歌」を男性、女性の合唱と4人のソリストさんの高らかな声が会場内に響きました。男性、女性の合唱団は約100名ぐらいいらっしゃったでしょうか。お立見台の上の4人のソリストさん達にも拍手が鳴りやみませんでした。指揮者のディマ・スロボデニウク氏です。終演後もしばらくは拍手が鳴りやまなかったです。そしてウィーンで本場の初めてのコンサートが終わり、午後8時半頃に満足してホテルに帰りました。興奮のため寒さも忘れるほどでした。(つづく)
2026.01.13
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美術史美術館で膨大な量の絵画を堪能した後はホテル・ザッハー内「ローテ・バー」に行き、ランチを頂きました。まずパンとバターが出て赤ワインで乾杯!ウィーン風ターフェルシュピッツスープとウィーナーシュニッツェルとオリジナルザッハートルテでした。私はお腹がいっぱいで牛肉も子牛の背肉ももう入らなくなっていたので相方に引き受けて食べてもらいました。緑の紐で縛ってある袋の中にはレモンが入っています。皆さんワインのお代わりをして食欲旺盛で若いなぁと感心しました。イケメンのお兄さんたちが優しくお給仕をしてくださいました。その後、ザッハートルテでお買い物タイムです。美味しいものばかりですが、円安の影響でお高く感じました。お腹もいっぱいになったことだし、自由行動はそれぞれ別行動に。私達はケルントナー通りの有名ブランドのお店をウィンドウショッピングして歩きました。他にもディオール、ルイ・ヴィトン等などがこの通りに並んでいました。そしてシュテファン大聖堂に入りました。信者の方々が静かにお祈りを捧げてらっしゃいました。厳かな雰囲気で、とても静かでした。外に出てくるとタクシーが待っていましたが、もちろん乗らずにホテルまで歩きました。ところが方向を間違えて、ホテルとは反対方向に歩いてしまいました。途中2回ほど道を聞いてやっとホテルに着きほっとしました。相方はザッハートルテのお店を出てから疲れたといって先にホテルに帰ってしまったのでした。(つづく)当市は昨日成人式が行われました。今日でなくて良かったです。昨日午後から降り始めた雪は一晩で10センチ以上積もりました。
2026.01.12
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ちょっとここらで旅行記を小休止して、2026年度のお花のカレンダーとポコ君&ペコちゃん家族のカレンダーが届きましたので紹介しようと思います。プリンターとうまく接続できずスマホで撮りました。余白も小さくしました。2026年度1月のカレンダーは胡蝶蘭の絵です。「あなたの笑顔がここに」という言葉が添えてあります。今年もありがとうございます。我が家の庭では山茶花が真っ盛りです。蕾がたくさんついてますのでこれからしばらく楽しませてもらえます。ダンスレッスンに出かけると昨年のクリスマスパーティーの写真が届いていました。たくさんの中から先生の許可が出たのだけ紹介しようと思います。ご笑覧ください。お粗末様でした。ご覧いただきありがとうございました。
2026.01.11
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ヨハンシュトラウスの住居の次に向かったのはウィーン美術史美術館でした。ハプスブルグ王朝の膨大なコレクションが収蔵されています。写真はフラッシュをたかなければとっても良かったので、たくさん撮ってきましたが、あまりにも膨大な数なので有名な絵画に絞って載せようと思います。まずは外観からどうぞ。大勢の観光客が並んでいましたが、私たちはガイドさんに続いてすんなり入れました。柱や天井も素晴らしかったです。ガイドさんは事細かく説明されましたが、今となっては忘却の彼方へ去って行ってしまいました。オーストリア皇帝のフランツ・ヨーゼフ1世の胸像です。まずはブリューゲルの部屋から見学しましょう。「雪中の狩人」です。「農家の婚礼」(農民の祝宴)などのタイトルがあります。「バベルの塔」です。画家は変わりましたが、忘れてしまいました。国家資格を取った日本人ガイドさんはそれは詳しく作品1点1点に描かれた内容を説明してくださいましたが。ちょっと衝撃的だったので写しました。レンブラントの「自画像」です。フェルメールの「絵画芸術」です。絵を描いている後姿がフェルメールです。べロットの「ベルべデーレ宮殿からのウィーンの景色」です。ベラスケスの「マリア・テレジアの肖像」ベラスケスの「かわいらしい少女の絵」です。マルガリータ王女が描かれていると思います。ラファエロの「草原の聖母」です。磔をされるキリストが描かれています。水浴びをする裸婦を覗く二人の男性が描かれています。こうして広い部屋を絵画を中心に見学して回りました。他にも黄金の宝物、作品や陶器の作品など数えきれない作品が陳列されています。(つづく)
2026.01.10
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それではヨハンシュトラウスの住居の中を見学しましょう。ヨハンシュトラウス二世は「ワルツ王」として有名で、「美しき青きドナウ」、オペレッタ「こうもり」序曲、皇帝円舞曲、ウィーンの森の物語、ピチカート・ポルカが有名です。一方、父親のヨハンシュトラウス二世は「ワルツの父」と呼ばれ、ラデツキー行進曲が有名です。ヨハンシュトラウスと奥さんを囲んだ肖像画後ろにはヨハンシュトラウス一世の姿も描かれています。ヨハンシュトラウス一世(父親)、ヨハンシュトラウス二世、そして弟のヨーゼフ、エドゥアルトとともに音楽一家で音楽一族です。ヨハンシュトラウスと奥さんヨハンシュトラウス一世(父親)とヨハンシュトラウス二世との記念写真ヨハンシュトラウスのデスマスクです。ヨーロッパでは有名な方々はデスマスクを残してますね。マリア・テレジアの像です。彼女は11人の娘さんと5人の息子さんを産みました。16人の子供さんたちはヨーロッパ各国の王家へ政略結婚させハプスブルグ家の勢力拡大と外交政策に利用しました。有名なのはフランス王妃となったマリー・アントアネットと神聖ローマ帝国の皇帝になった長男のヨーゼフ2世です。それではこれから美術史美術館に入館しましょう。(つづく)
2026.01.09
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12月30日(火)になりました。朝7時に3階から朝食に降りていきました。エレベーターの中で毎回目にする宣伝です。私はフルーツとチーズを毎回食べました。ブルーチーズの他、日本では見かけない珍しいチーズが美味しかったです。ロビーで集合して2組4名と添乗員さん、ガイドさんと一緒にウィーン観光に出かけました。うっすらと雪が積もってました。ホテル前の通りです。色違いの数台のトラムが街中を走っていました。いよいよ1日目の観光に出かけます。添乗員さんの他に国家資格を取った日本人ガイドさんが一緒です。バスの右へ左へ現れる建物の説明をされるのですが、たくさん写真を撮ったことはいいけれど、それがどの建物なのか、日本に帰ってからわからなくなってしまいました。記憶に残っているのだけ載せようと思います。一方通行なので向かいにあるインペリアルホテルに泊まった人たちを迎えに行くのにもぐるりと回り道をしないといけないのでした。ニューイヤーコンサート会場の楽友協会の周りには3日前からORF(NHKなど)が世界に配信するために準備中でした。ベートーヴェンの像です。ウィーンの街中を流れるドナウ川。「美しき青きドナウ」です。映画「第三の男」に出てきた観覧車です。やっとヨハンシュトラウスの住居が見えてきました。ではヨハンシュトラウスの住居に入場して見学しましょう。(つづく)
2026.01.08
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昨日は食事を載せましたので、今日は違った角度から迫ります。セントレア空港から約1時間遅れで成田空港に飛びました。成田空港は広いので、とにかく表示に従って成田第1ターミナル16番バス停を目指しました。午後6時過ぎだったと思います。寒い屋外で次から次へとやってくるバスの行き先をチェックしながら45分ぐらい待ったでしょうか。どうも道路が混んでいたらしいのです。やっと私たちのホテル行きのバスに乗り込みました。ホテルの部屋に落ち着きました。しかしレストランへ行く気持ちにもなれず、ルームサービスを頼みました。このメニューがもっともあっさりしていました。他はステーキやお肉の煮込み料理ばかりでしたので。旅に出るといつも熟睡はできません。うとうとしながら朝になりました。モーニングに行きましたが、フルーツばかり頂きました。そして道路事情を考えて早めに出発することにしました。9時45分成田空港第1ターミナル4階南ウィングに集合でしたが、9時半前に皆さんそろったので搭乗手続きをしました。今回の旅行は4組8名の夫婦だけの旅行でしたので。12時10分にスイスインターナショナルエアラインズでチューリッヒまで飛びました。所要時間は14時間25分でした。窓から見えた月と目にはもっと真っ赤な線で本当に綺麗に見えましたが、日没の光景らしいです。飛行機の中では以前も載せましたが、6回も食事が出て夜明けの菜飯ご飯とモーニングはさすがに食べられませんでした。ここで日本の時間から8時間戻りました。そして18時35分到着後、チューリッヒで乗り継ぎをしました。旅の栞にはスイスインターナショナルエアラインズでチューリッヒからオーストリアのウィーンへ行くようになってましたが、私にはオーストリア航空に変わった気がしました。乗務員さんたちの制服が真っ赤に変わったので。1時間20分飛んで20時50分にウィーンに到着し、空港で入国手続きをしてからベンツでホテルまで送ってもらいました。22時10分になってました。こうして長い長い往路の旅が終わりを告げたのでした。(つづく)
2026.01.07
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昨日お昼前にスーツケースが無事に届きました。後片付けをしたり、ダンスレッスンに出かけたり、整体師さんの施術を受けたりしているうちに時間が無くなり、またもや皆様の所へお邪魔することができませんでした。夫は飛行機の斜め後ろの人の咳が移って咳が止まらず熱も38度まで上がってきました。苦しそうに痰の絡んだ咳を四六時中しています。私の気管支喘息より症状が重そうです。飛行機でもレストランでも本当に誰もマスクをせずに酷い咳をしていますものね。さて、今日からウィーンの旅を振り返ろうと思います。以前に少し紹介してあるのでかぶる所が出てくるかもしれませんが、お許しください。・・・12月28日はセントレア空港から成田空港に移動しました。朝早く自宅を出たのでセントレアで昼食を食べました。菜飯田楽にしました。そして午後2時過ぎのANAで成田まで飛びました。これが整備不良で機体を替えたとかで2時45分に変更しましたが、実際は午後3時近かったと思います。無事に成田空港に到着し、リムジンバスでホテルまで送ってもらったのですが、ちょうど出たばかりで45分ぐらい待ったでしょうか。外はもう真っ暗になっていました。ホテルに着いたらどっと疲れが出たので、あっさりしたものが食べたくなりルームサービスで夕食を取りました。私はピザでした。ちょっとホテル内の様子を見にぶらぶら。ロビーはお正月の飾り付けがしてありました。翌朝のモーニングです。一応、これでも控えめなんですけど。(苦笑)ホテルの全景です。そしてリムジンバスになって成田空港に着きました。年を取ると何事も早いので、集合時間の1時間半前ぐらいでした。でもゆっくり過ごせました。ここで両替をしましたが、1ユーロ198円ちょっとしたと思います。本当に円安が進んでいるなぁと感じたのでした。
2026.01.06
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やっと待ちに待った連絡がルフトハンザ航空から来ました。羽田空港にスーツケースが届いたという連絡です。これからヤマト運輸から送ってもらえるそうです。ただしまだ配送がいつになるのかはわかりません。パソコンの充電も半分以上なくなりました。いつまで書けるかどうかわかりません。皆さまからのコメントのお返しもできずに申し訳ありません。早く荷物が届いてくれることを祈るばかりです。・・・昨日もニューイヤーコンサートの録画を観ました。自分の席がどこかわかっているのでちらちらと映るのを見てにんまりしておりました。ただしカメラの移動が速いのでなかなか写せませんでした。やっとラデッキー行進曲が始まる前にゆっくり撮る時間がありましたので撮ってみました。座高が低く、前の方々の頭で前が見えないので顎を挙げて少々見苦しい姿ですが、テレビ画面に映るのは一生の記念になるのでスマホで撮ってみました。ご笑覧ください。寝ているのではありませんわよ。
2026.01.05
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PCの充電が残っている間に少しだけ報告します。昨夜帰宅してから夕食後、ニューイヤーコンサートの録画を観てその後、熟睡しましたので、今朝は元通りに体力が回復しました。おかげさまで旅行中、気管支喘息の咳も出ず、咳止めドロップで何とか収まりました。代わりに飛行機の中で斜め後ろの方が酷い咳をしていたので相方は喉をやられて、咳が出ています。結構レストランや飛行機の中でマスクなしで酷い咳をしている方がいましたので。私も真向いの人が酷い咳を平気でしているので、横を向いていました。では帰りのフライトの様子を少しだけ載せます。ウィーンからルフトハンザ航空でフランクフルトへ向かいました。フランクフルトへ到着後、乗り継ぎましたが、雪のため1時間遅れで離陸しました。そろそろ日本食が恋しくなり、食事は日本食にしてもらいました。帰りはフランクフルトから南回り(といっても中央回り)で飛びました。すき焼きが出てきました。砂漠の上を飛んでいる間、熟睡していました。中央アジアを飛んできたようです。朝食ですが、洋食にしてもらいました。相方はご飯、味噌汁、魚等の日本食でした。阿蘇山が見えた気がしますが、写真は撮れませんでした。羽田に無事着陸しました。それからのことは昨日載せました。早くスーツケースが届かないかなぁ~!
2026.01.04
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PS) ただ今帰りました。ウィーンからオーストリア航空でフランクグルトに到着しました。ところが、フランクフルトは雪が降っていました。それで除雪作業のため、私たちの飛行機の前に2機飛ばなかったので、私たちは飛行機の中で1時間待たされることになりました。帰りは早いはずでしたが、結局1時間遅れで羽田空港に到着。そこでまたハプニングがありました。フランクフルトで荷物の積み込みが遅れて、私たちの便の人たちはほぼ全員大きな荷物(スーツケース)が積み込みできず、後日自宅まで送ってもらえることになりました。ところが、その中にスマホの充電器やPCの充電器、お土産の一部が入ったままなのでした。💦そして羽田空港から品川に出る電車が遅れたり、途中の修理工事で運休になったとかで混乱してたので途中で乗り換えながら品川を目指しました。実は前もって午後2時19分の新幹線の切符が買ってあったんです。それに間に合うのかどうかギリギリのところでした。無事に何とか間に合いました。名古屋で降りて、乗り継いで午後6時過ぎに何とか帰宅することができました。明日からは充電してある間は何とかPCが使えそうですが、充電がなくなったらアウトです。早く荷物が届かないかなぁ!・・・早いもので今日はもう日本に到着。朝10時45分に羽田空港に到着します。その後、羽田から東京駅に出て新幹線で帰ります。長いようであっという間のウィーン旅行でした。後日またゆっくりと旅行記を書きたいと思います。今日まで予約投稿でした。
2026.01.03
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昨日のニューイヤーコンサートは全世界に配信されました。NHKEテレでも午後7時から放映されたようです。朝からNHKのアナウンサーに会ったり、オーストリアのVIP、トップの政治家がいらっしゃったので、警察官が大勢警備をして物々しい雰囲気でした。私達も入り口で座席のスマホ画像とパスポートを見せて物々しい雰囲気の中、会場入りしました。こちらの午前11時15分から始まりました。日本では午後7時でしたが。終演後、スタンディングオベーションが長い時間続きました。そして早速日本から娘やお友達から画像を送ってもらいました。その様子です。終演後、外に出ると、NHKの放送用のブースがあり、着物姿の中谷美紀さんはじめアナウンサーなど数人がいらっしゃいましたが、なぜかスマホの写真には中の様子が全く映らなかったです。その後、ホテルでまずお屠蘇を頂き、その後おせち料理、雑煮等をロゼシャンパンやお酒など飲みながら頂きました。今日はいよいよウィーンともお別れです。ウィーン空港からルフトハンザドイツ航空で1時間30分でフランクフルトへ着いて、乗り継ぎをします。帰りは12時間45分で羽田に到着予定です。長い飛行で機中泊になります。ちなみにこの日のウィーンは雪の予報でしたが、雪は降っていません。昨日はないナス3度で寒かったですが、本日の最高気温は̠̠マイナス1度で最低気温がマイナス4度です。ホテルから空港までの移動だけですが。
2026.01.02
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新年あけましておめでとうございます。昨日のことを少し振り返ります。午前中、ウィーン観光に出かけました。ハプスブルグの王宮へ行き、皇帝の部屋、シシィ博物館を見学しました。昼食はミッシュラン三ツ星ホテルの「シュタイラーエック」で創作料理を頂きました。午後はシェーンブルン宮殿の観光に出かけました。マイナス2度で雪が舞い散る中、風も強く寒かったです。宮殿の中を見学するのに1時間半ほどかかりましたので、外に出てきたらイルミネーションの世界でした。風が強くて雪が舞ってました。うっすら積もっているのが見えますか?夜は楽友協会に出かけてウィーンフィルハーモニー管弦楽団のジルベスターコンサートを鑑賞しました。ニューイヤーコンサートの指揮者の方です。PS) 聞いたところによると、ジルベスターコンサートは ニューイヤーコンサートと同じものを演奏するらしいのです。ということは、私は2度貴重な経験をするということなんでしょうか。ジルベスターコンサートが終わって午後10時過ぎから夕飯が始まりました。シャンパン、赤ワイン、甘口のアルコールを頂きながら12時のカウントダウンまで食事をして、その後、ホールでお客さん全員で天井から落ちてきたたくさんの風船を足で割りながら楽しみました。なかなか割れないので、私はシャンパンを頭からかぶってしまい、外国のイケメン男性からペーパーナプキンを数枚渡してもらいました。優しさに感心しました。ホテルに戻るとロビーで「蛍の光」を歌っていました。2026年が明けました。午前中、相方は現地ガイドさんと一緒にベルヴェデーレ宮殿観光に出かけます。時間的にかぶってしまうので、私は観光はやめて一生に一度はウィーン学友協会でウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートを鑑賞するのが夢でしたので、ウィーン学友協会へ行きます。今からとても楽しみです。NHKでライブ放送をしますので、ひょっとしたら映るかもしれません。ただこのチケットを取るのに苦労しました。💦今年からシステムが変わってウィーン学友協会から直接自分のスマホに連絡が来ます。しかも座席は開演2時間前でないとわからないのです。それだけが初めての体験で少々不安です。日本時間で何時になるのかしら?Eテレで午後7時からライブで衛星中継するそうです。全世界に放映されるので、3日前から楽友協会の建物の近くでクルーが準備をしていました。今までは確か夜、テレビの前で見ていた気がします。ウィーン最後の夜になるので街中に繰り出すかもしれません。1月1日のウィーンは雪の予報が出ています。最高気温はマイナス1度で、最低気温は̠マイナス4度で降水確率は70パーセントだそうです。マフラー、コート、手袋が必要です。
2026.01.01
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