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「旧約聖書」出エジプト記 第23章後半・神の使い 23:20見よ、わたしは使をあなたの前につかわし、あなたを道で守らせ、わたしが備えた所に導かせるであろう。 23:21あなたはその前に慎み、その言葉に聞き従い、彼にそむいてはならない。わたしの名が彼のうちにあるゆえに、彼はあなたがたのとがをゆるさないであろう。 23:22しかし、もしあなたが彼の声によく聞き従い、すべてわたしが語ることを行うならば、わたしはあなたの敵を敵とし、あなたのあだをあだとするであろう。 23:23わたしの使はあなたの前に行って、あなたをアモリびと、ヘテびと、ペリジびと、カナンびと、ヒビびと、およびエブスびとの所に導き、わたしは彼らを滅ぼすであろう。 23:24あなたは彼らの神々を拝んではならない。これに仕えてはならない。また彼らのおこないにならってはならない。あなたは彼らを全く打ち倒し、その石の柱を打ち砕かなければならない。 23:25あなたがたの神、主に仕えなければならない。そうすれば、わたしはあなたがたのパンと水を祝し、あなたがたのうちから病を除き去るであろう。 23:26あなたの国のうちには流産する女もなく、不妊の女もなく、わたしはあなたの日の数を満ち足らせるであろう。 23:27わたしはあなたの先に、わたしの恐れをつかわし、あなたが行く所の民を、ことごとく打ち敗り、すべての敵に、その背をあなたの方へ向けさせるであろう。 23:28わたしはまた、くまばちをあなたの先につかわすであろう。これはヒビびと、カナンびと、およびヘテびとをあなたの前から追い払うであろう。 23:29しかし、わたしは彼らを一年のうちには、あなたの前から追い払わないであろう。土地が荒れすたれ、野の獣が増して、あなたを害することのないためである。 23:30わたしは徐々に彼らをあなたの前から追い払うであろう。あなたは、ついにふえひろがって、この地を継ぐようになるであろう。 23:31わたしは紅海からペリシテびとの海に至るまでと、荒野からユフラテ川に至るまでを、あなたの領域とし、この地に住んでいる者をあなたの手にわたすであろう。あなたは彼らをあなたの前から追い払うであろう。 23:32あなたは彼ら、および彼らの神々と契約を結んではならない。 23:33彼らはあなたの国に住んではならない。彼らがあなたをいざなって、わたしに対して罪を犯させることのないためである。もし、あなたが彼らの神に仕えるならば、それは必ずあなたのわなとなるであろう 主はイスラエルの前に「使い」を遣わすと約束、その神の分身とも云える使いは、イスラエびとの移動を道中で守り、主が準備している土地へ彼らを導くのが役目です。此の解釈にマリアの受胎告知から生まれてくる以前のキリスト、そう、イエスはマリアから産まれる遥か以前の生命の無い始原の世界である世の宇宙の始めから、神と共に存在していたではないかとの解釈もあります。太陽霊的存在即ち光の霊は主の名のもとに生命あるものとして現出し、人の子イエスに従えばイスラエルのみならず、全ての民に恩寵が授かります。言い換えれば、イエスは大天使から人間に、そして復活して人間の霊魂のためにキリストの光の世界を新たに創造して用意するというのです。ところで、主がこの契約の提示を締めくくるのに、イスラエルの領土を葦の海即ちエジプトの国境からペリシテ人の海である地中海まで、南の荒れ野から大河ユーフラテスまでにすると約束したことは中東の全域を含み、現在の中東のイスラエルへの疑心暗鬼の基となっています。
2013年08月31日
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「旧約聖書」出エジプト記 第23章中半・祭儀 23:13わたしが、あなたがたに言ったすべての事に心を留めなさい。他の神々の名を唱えてはならない。また、これをあなたのくちびるから聞えさせてはならない。 23:14あなたは年に三度、わたしのために祭を行わなければならない。 23:15あなたは種入れぬパンの祭を守らなければならない。わたしが、あなたに命じたように、アビブの月の定めの時に七日のあいだ、種入れぬパンを食べなければならない。それはその月にあなたがエジプトから出たからである。だれも、むなし手でわたしの前に出てはならない。 23:16また、あなたが畑にまいて獲た物の勤労の初穂をささげる刈入れの祭と、あなたの勤労の実を畑から取り入れる年の終りに、取入れの祭を行わなければならない。 23:17男子はみな、年に三度、主なる神の前に出なければならない。 23:18あなたはわたしの犠牲の血を、種を入れたパンと共にささげてはならない。また、わたしの祭の脂肪を翌朝まで残して置いてはならない。 23:19あなたの土地の初穂の最も良い物を、あなたの神、主の家に携えてこなければならない。あなたは子やぎを、その母の乳で煮てはならない。 イスラエルの祭儀は日本の祭りのように宗教行事として在りますが、その趣は完全に異なり、主が契約を毎年確認するために行わしめる行事であり、遊び心や浮かれたところは、聖王ダビデが契約の箱をエルサレムに運び入れる時に、力を極めて主の箱の前で亜麻布のエポデをつけて踊り、イスラエルは歓声をあげ、ラッパを吹き鳴らして浮かれます。その行列が町に入って来るのを、サウルの娘ミカルは窓から眺めて、公衆の中にあって、主なる神の契約の箱の前で、飛んだり跳ねたり踊っているダビデを見、王家の誇りを持ったミカルは軽蔑も顕わに、屋敷でダビデを待ち構えますが、心底には主のまえでは厳粛にして民の手本を見せるとの気持ちから、軽蔑に到ったと想われます。ここで定められた三大祭儀(三巡礼祭)は、今日も尚イスラエルでの最大の祭儀であり厳粛にして守られています。先ず除酵祭ですが、パン種(ぱんだね)つまりパンを発酵させる酵母を除く祭りという意味で、ユダヤ教徒であれば第一に決して忘れてはならないエジプトからの脱出劇、過ぎ越しを祝う祭りのことです。へブライ語でペサッハ(PESSAH)と呼ばれるこの祭りは現代でも祝われていて、ユダヤ人家庭では家族全員で正餐のテーブルを囲み、家長が出エジプト記を朗読します。この祭りは、エジプト脱出の際に、パンを発酵させる暇もなく神ヤハウェによって導き出されたことを記念しているのです。七日間の祭りの間は、発酵食品は一切禁じられ、普通の発酵したパンの代わりにマツァというクラッカーを食べます。第二の刈り入れの祭りは小麦の刈り入れの最初の収穫である初穂を主に捧げる祭りで、七週の祭りとも呼ばれるように、過越の第二日の7週間(49日)後に始まる1日の祭儀で、名は「週」を表すシャヴーアに由来します。此のことから「七週の祭り」とも呼称されます。イスラエルがエジプトを出て7週間後に、聖山であるシナイ山で律法が主から授与され、主とイスラエルびとが契約した事績により記念日としても貴重な日です。ヘブライ語でシャヴオット(SHAVUOT)と呼ばれるこの日は、ユダヤ教の祝祭で、過越、仮庵の祭とともに三巡礼祭の一つで、太陽暦では5月または6月に行われます。また春の収穫を感謝する農業祭の意味合いもあります。ユダヤ教の会堂その名もシナゴグでは旧約聖書のルツ記が朗唱され、伝承では聖王ダビデはシャヴオットに生まれ、シャヴオットに没したとあります。ギリシャ語でペンテコステとも呼ばれるこの日は、キリスト教の3大祭でもクリスマス以上に重要な日とされています。キリストの後任として聖霊が弟子たちのところにやってきた日だからというのです。第三の祭儀である取り入れの祭り、以降には仮庵の祭り(SUCCOT)呼称される祭儀は、イスラエルびとがスカと呼ばれる仮庵で7日間を過ごします。仮庵は律法にも定められた小屋とも幕屋とも呼べない程の粗末なものです。それは危険と不安でいっぱいのはずの荒野で主が確かに先祖を守り養ったことを思い出すためなのです。此のどれもが御神酒で騒ぐことは御法度の祭りの様です。
2013年08月30日
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「旧約聖書」出エジプト記 第23章前半・正義 23:1あなたは偽りのうわさを言いふらしてはならない。あなたは悪人と手を携えて、悪意のある証人になってはならない。 23:2あなたは多数に従って悪をおこなってはならない。あなたは訴訟において、多数に従って片寄り、正義を曲げるような証言をしてはならない。 23:3また貧しい人をその訴訟において、曲げてかばってはならない。 23:4もし、あなたが敵の牛または、ろばの迷っているのに会う時は、必ずこれを彼の所に連れて行って、帰さなければならない。 23:5もしあなたを憎む者のろばが、その荷物の下に倒れ伏しているのを見る時は、これを見捨てて置かないように気をつけ、必ずその人に手を貸して、これを起さなければならない。 23:6あなたは貧しい者の訴訟において、裁判を曲げてはならない。 23:7あなたは偽り事に遠ざからなければならない。あなたは罪のない者と正しい者とを殺してはならない。わたしは悪人を義とすることはないからである。 23:8あなたは賄賂を取ってはならない。賄賂は人の目をくらまし、正しい者の事件をも曲げさせるからである。 23:9あなたは寄留の他国人をしえたげてはならない。あなたがたはエジプトの国で寄留の他国人であったので、寄留の他国人の心を知っているからである。 23:10あなたは六年のあいだ、地に種をまき、その産物を取り入れることができる。 23:11しかし、七年目には、これを休ませて、耕さずに置かなければならない。そうすれば、あなたの民の貧しい者がこれを食べ、その残りは野の獣が食べることができる。あなたのぶどう畑も、オリブ畑も同様にしなければならない。 23:12あなたは六日のあいだ、仕事をし、七日目には休まなければならない。これはあなたの牛および、ろばが休みを得、またあなたのはしための子および寄留の他国人を休ませるためである。 裁判での証人の義務として、証人の真実の証言は神の前に誓った行為であり、その虚証を厳しく戒めています。悪人に味方したり多数に追随したりというのは当然、更には弱者を庇う証言をも戒めています。これは神への偽り行為となるからでしょう。現代でもキリスト教国にあっては、司法裁判に関しては証人に神の前で偽証しないことを誓わせ、偽証罪を非常に厳しく定めています。法廷では人間が人間を裁くが、その裁きの後ろに神の存在を忘れるなということなのでしょう。敵の牛が迷い、ろばが倒れているならば共に手伝えと言われる。それが神の正義なのだと。敵といっても、ここでは、戦時下の敵というよりは、日常生活の中で敵対している隣人という範囲です。箴言には「あなたを憎む者が飢えているならパンを与えよ。渇いているなら水を飲ませよ。こうしてあなたは炭火を彼の頭に積む。そして主があなたに報いられる。」とあります。イスラエルは一つの民であると同時に、十二部族の共同体でもあるのです。共同体という社会を維持するためには必要な行為規定と想われます。さてその司法裁判に関して、今度は審判(此処では神判と同意)の当の裁判官の守るべき義務が記されます。賄賂を取っての悪人や貧しい者への判決を歪曲することを、法と秩序どころか神に対する反逆だと決めつけています。次節はイスラエル特有とも云える7の数字が出てきます。此処では弱者保護義務として6年間使った畑は、7年目は休耕地にしなければならない。ぶどうの木を剪定や畑の残種が偶然芽を出し実がなっても、刈り入れてはならない。それらは、貧しい者たちや動物たちのために、主が実らせたものとされました。またミレーの絵画で有名な「落穂拾い」をみるように、たとえ7年目でなくても収穫作業の最中に落とした麦穂は拾ってはならず、それは貧しい者たちのために残せと戒めています。
2013年08月29日
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2013年08月28日
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「旧約聖書」出エジプト記 第22章後半・隣人を愛せ 22:16もし人がまだ婚約しない処女を誘って、これと寝たならば、彼は必ずこれに花嫁料を払って、妻としなければならない。 22:17もしその父がこれをその人に与えることをかたく拒むならば、彼は処女の花嫁料に当るほどの金を払わなければならない。 22:18魔法使の女は、これを生かしておいてはならない。 22:19すべて獣を犯す者は、必ず殺されなければならない。 22:20主のほか、他の神々に犠牲をささげる者は、断ち滅ぼされなければならない。 22:21あなたは寄留の他国人を苦しめてはならない。また、これをしえたげてはならない。あなたがたも、かつてエジプトの国で、寄留の他国人であったからである。 22:22あなたがたはすべて寡婦、または孤児を悩ましてはならない。 22:23もしあなたが彼らを悩まして、彼らがわたしにむかって叫ぶならば、わたしは必ずその叫びを聞くであろう。 22:24そしてわたしの怒りは燃えたち、つるぎをもってあなたがたを殺すであろう。あなたがたの妻は寡婦となり、あなたがたの子供たちは孤児となるであろう。 22:25あなたが、共におるわたしの民の貧しい者に金を貸す時は、これに対して金貸しのようになってはならない。これから利子を取ってはならない。 22:26もし隣人の上着を質に取るならば、日の入るまでにそれを返さなければならない。 22:27これは彼の身をおおう、ただ一つの物、彼の膚のための着物だからである。彼は何を着て寝ることができよう。彼がわたしにむかって叫ぶならば、わたしはこれに聞くであろう。わたしはあわれみ深いからである。 22:28あなたは神をののしってはならない。また民の司をのろってはならない。 22:29あなたの豊かな穀物と、あふれる酒とをささげるに、ためらってはならない。あなたのういごを、わたしにささげなければならない。 22:30あなたはまた、あなたの牛と羊をも同様にしなければならない。七日の間その母と共に置いて、八日目にそれをわたしに、ささげなければならない。22:31あなたがたは、わたしに対して聖なる民とならなければならない。あなたがたは、野で裂き殺されたものの肉を食べてはならない。それは犬に投げ与えなければならない。 婚約していない処女を誘惑して関係を持った男は、結納金を払って自分の妻としなければならない。但し、父親が嫁にやるのを拒否した場合は男は結納金相当の賠償金を払う。この規定はイスラエルの父親の権限が非常に強いことをよく表象しています。此れが、婚約している処女だった場合は男も女も必ず死刑と申命記には記されています。旧約聖書に於ける婚約は、日本で考える以上に結婚と同等の重要性があり、例えば、新約聖書の処女マリアの婚約者ヨセフは、マリアが受胎した時に事が公になれば死罪となる故に婚約破棄しようとします。次の女呪術師・獣を犯す・他の神々に犠牲を捧げる者は、断ち滅ぼされなければならないと、単なる死刑にとどまらず語意高く、必ず殺さなければならないと強調しています。呪術・魔術・占いといったものは悪魔の力、獣を犯すはギリシャ神話にみられるように、神々が動物に変身して人間と交わる等々、呪術的・異教的であるため、他の神々に犠牲を捧げる者とは、当時の周辺国の風習で長子を火中に投げ入れ偶像に捧げることが行われていたからでしょう。また、次節では弱者を保護する義務規定が記されています。イスラエルでは、寄留者を虐げるなという戒めが繰り返し説かれています。それは過去に、奴隷だったイスラエルは、自分の力で自由を勝ち取ったのではなく、それを主なる神に救われた。その神の慰めを受けたものが他者を虐げていいのかと言う問いです。それ故に弱い立場にある虐げることは神が許さないと戒めています。また、寡婦や孤児を苦しめるものは私が剣で殺すとさえ神は言われると説きます。あなたが死ねばあなたの妻は寡婦となり、あなたの子は孤児になるのだ。神の憐れみとは一方ではこのような激しさを持つのです。父系社会であるイスラエルは、夫や父を亡くした場合は非常に立場が弱いのです。その悲しみにある寡婦や孤児をさらに苦しめる者を、神は厳しく剣で殺すと宣言しています。更には、貧しい者にとっては唯一の夜具でもある上着を質にとった場合は、砂漠が昼と夜の気温差が激しいので、日没には一度かえしてやるよう命じています。皮肉にも高利貸しで有名なベニスの商人のシャイロックはユダヤ人ですが、此処では貧しい同胞に金を貸す場合の高利は禁止されています。さすれば他国人への高利の貸付ならば許されるのでしょう。
2013年08月28日
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「旧約聖書」出エジプト記 第22章前半・隣人の財産 22:1もし人が牛または羊を盗んで、これを殺し、あるいはこれを売るならば、彼は一頭の牛のために五頭の牛をもって、一頭の羊のために四頭の羊をもって償わなければならない。 22:3b彼は必ず償わなければならない。もし彼に何もない時は、彼はその盗んだ物のために身を売られるであろう。 22:4もしその盗んだ物がなお生きて、彼の手もとにあれば、それは牛、ろば、羊のいずれにせよ、これを二倍にして償わなければならない。 22:2もし盗びとが穴をあけてはいるのを見て、これを撃って殺したときは、その人には血を流した罪はない。 22:3aしかし日がのぼって後ならば、その人に血を流した罪がある。 22:5もし人が畑またはぶどう畑のものを食わせ、その家畜を放って他人の畑のものを食わせた時は、自分の畑の最も良い物と、ぶどう畑の最も良い物をもって、これを償わなければならない。 22:6もし火が出て、いばらに移り、積みあげた麦束、または立穂、または畑を焼いたならば、その火を燃やした者は、必ずこれを償わなければならない。 22:7もし人が金銭または物品の保管を隣人に託し、それが隣人の家から盗まれた時、その盗びとが見つけられたならば、これを二倍にして償わせなければならない。 22:8もし盗びとが見つけられなければ、家の主人を神の前に連れてきて、彼が隣人の持ち物に手をかけたかどうかを、確かめなければならない。 22:9牛であれ、ろばであれ、羊であれ、衣服であれ、あるいはどんな失った物であれ、それについて言い争いが起り『これがそれです』と言う者があれば、その双方の言い分を、神の前に持ち出さなければならない。そして神が有罪と定められる者は、それを二倍にしてその相手に償わなければならない。 22:10もし人が、ろば、または牛、または羊、またはどんな家畜でも、それを隣人に預けて、それが死ぬか、傷つくか、あるいは奪い去られても、それを見た者がなければ、 22:11双方の間に、隣人の持ち物に手をかけなかったという誓いが、主の前になされなければならない。そうすれば、持ち主はこれを受け入れ、隣人は償うに及ばない。 22:12けれども、それがまさしく自分の所から盗まれた時は、その持ち主に償わなければならない。 22:13もしそれが裂き殺された時は、それを証拠として持って来るならば、その裂き殺されたものは償うに及ばない。 22:14もし人が隣人から家畜を借りて、それが傷つき、または死ぬ場合、その持ち主がそれと共にいない時は、必ずこれを償わなければならない。 22:15もしその持ち主がそれと共におれば、それを償うに及ばない。もしそれが賃借りしたものならば、その借賃をそれに当てなければならない。 十戒で「盗んではならない」と定められいますが、もし盗んだら如何なる処分が待ち受けているかというと、家畜を盗んだ場合には、既に売り飛ばすか屠殺していたなら、牛は5倍に羊なら4倍の倍戻し。盗まれたものが生きたまま見つかった場合は、2倍にして償うことと規定されています。また、当時のイスラエルでは住居は泥を固めて乾燥させた壁で囲まれています。当然、家に泥棒が入る場合は、壁に穴をあけて侵入するのが常套手段でした。其の現場を夜間に見れば、家人が泥棒を殺しても一切のお咎めはなし。日中だったら単なる泥棒に対しては過剰防衛になると定めていますが、居直り強盗もあることも考慮すれば、少々緩刑とも思えます。また放牧した家畜が他人の畑で食べたら、自分の畑の最上の産物で償う。焼き畑の火が他人の畑を焼いた場合も償うとされていますが、士師記の二十年の永きに亘ってイスラエルを治めた士師サムソンは、三百匹の狐の二匹の狐の尻尾を縛り付け間に付けた松明に火を点け、未だ刈入れのないペリシテ人の畑を焼き払いますが、イスラエルに在ってはお構いなしの状態でした。更には金融業の無い時代金品は自宅に保管が常識、旅に出るときには当然に友人や親しい信頼の置ける隣人などに保管を頼むことが一般的であったでしようが、親しい友人の場合は自分の落ち度でもあるでしようが、それにしてもともかく、お金や品物を友人や隣人に預け、それが盗まれた場合はどうなるのか。犯人が見つかれば話しは簡単。問題になるのは、盗まれたのか、預かった者が着服して「盗まれた」と言っているだけなのかわからない場合です。しかし、預かった者が主の前で、自分は決して隣人の財産に手をかけていないと誓えば、一切償う必要はありません。この事は、神の前で誓うということが、それだけ重要な意味を持ち、神に虚偽の誓いをしたものなら、それなりの報いがあることになります。神に虚偽の誓いをすることは、主の名を濫りに口にしてはならないという十戒の第三戒の違反にもあたります。
2013年08月27日
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「旧約聖書」出エジプト記 第21章後半・目には目を歯には歯を 21:18人が互に争い、そのひとりが石または、こぶしで相手を撃った時、これが死なないで床につき、 21:19再び起きあがって、つえにすがり、外を歩くようになるならば、これを撃った者は、ゆるされるであろう。ただその仕事を休んだ損失を償い、かつこれにじゅうぶん治療させなければならない。 21:20もし人がつえをもって、自分の男奴隷または女奴隷を撃ち、その手の下に死ぬならば、必ず罰せられなければならない。 21:21しかし、彼がもし一日か、ふつか生き延びるならば、その人は罰せられない。奴隷は彼の財産だからである。 21:22もし人が互に争って、身ごもった女を撃ち、これに流産させるならば、ほかの害がなくとも、彼は必ずその女の夫の求める罰金を課せられ、裁判人の定めるとおりに支払わなければならない。 21:23しかし、ほかの害がある時は、命には命、 21:24目には目、歯には歯、手には手、足には足、 21:25焼き傷には焼き傷、傷には傷、打ち傷には打ち傷をもって償わなければならない。 21:26もし人が自分の男奴隷の片目、または女奴隷の片目を撃ち、これをつぶすならば、その目のためにこれを自由の身として去らせなければならない。 21:27また、もしその男奴隷の一本の歯、またはその女奴隷の一本の歯を撃ち落すならば、その歯のためにこれを自由の身として去らせなければならない。 21:28もし牛が男または女を突いて殺すならば、その牛は必ず石で撃ち殺されなければならない。その肉は食べてはならない。しかし、その牛の持ち主は罪がない。 21:29牛がもし以前から突く癖があって、その持ち主が注意されても、これを守りおかなかったために、男または女を殺したならば、その牛は石で撃ち殺され、その持ち主もまた殺されなければならない。 21:30彼がもし、あがないの金を課せられたならば、すべて課せられたほどのものを、命の償いに支払わなければならない。 21:31男の子を突いても、女の子を突いても、この定めに従って処置されなければならない。 21:32牛がもし男奴隷または女奴隷を突くならば、その主人に銀三十シケルを支払わなければならない。またその牛は石で撃ち殺されなければならない。 21:33もし人が穴をあけたままに置き、あるいは穴を掘ってこれにおおいをしないために、牛または、ろばがこれに落ち込むことがあれば、 21:34穴の持ち主はこれを償い、金をその持ち主に支払わなければならない。しかし、その死んだ獣は彼のものとなるであろう。 21:35ある人の牛が、もし他人の牛を突いて殺すならば、彼らはその生きている牛を売って、その価を分け、またその死んだものをも分けなければならない。 21:36あるいはその牛が以前から突く癖のあることが知られているのに、その持ち主がこれを守りおかなかったならば、その人は必ずその牛のために牛をもって償わなければならない。しかし、その死んだ獣は彼のものとなるであろう。 いわゆる「目には目を歯には歯を」の諺に成ったまでの有名な言葉です。此の報復的な同害復讐法というのはかなり厳しい。足を踏まれると、思いっきり踏み返したくなる。一発殴られたら二発殴り返したくなるのは人間の性(さが)でしょうが、日本でも江戸時代には仇討ち禁止令が出るまでは認められていました。しかし復讐のための報復というものは止まらないどころか大きくなり、報復のための報復が繰り返されのは、制度的には遅れています。それ故に現代法では国家機関が介入して報復の芽を摘み取っています。また旧約聖書の創世記34章ではカナンの地に戻ったヤコブが、ヨルダン川沿いのシケムの町の傍の土地を買い、そこに祭壇を建てて宿営、ところがあろうことか、そのシケムの町で娘のデナが地の男ハモルの子シケムに陵辱されるという出来事が起こりますが、どうも彼らにとっては、結婚についてのごく普通の手続きだった模様です。しかし、異邦人との結婚を禁じていたイスラエルの一族にとっては、これは許すことの出来ない辱めと考えたので、シケムの男たちが割礼を受けて苦しんでいる時を狙ってヤコブの子たちは襲い、男たちを皆殺しに、女子供は捕虜にして、家畜は一匹残らず分捕りました。その結果彼らは、今度は周辺の諸都市からの報復に怯えます。その様な報復の時代に、相手にやられた分しか復讐してはならないとする戒律は画期的です。此の戒めの目的が、報復の限度を教えているのは注目に値します。
2013年08月26日
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「旧約聖書」出エジプト記 第21章中半・死罪に値する行為 21:12人を撃って死なせた者は、必ず殺されなければならない。 21:13しかし、人がたくむことをしないのに、神が彼の手に人をわたされることのある時は、わたしはあなたのために一つの所を定めよう。彼はその所へのがれることができる。 21:14しかし人がもし、ことさらにその隣人を欺いて殺す時は、その者をわたしの祭壇からでも、捕えて行って殺さなければならない。 21:15自分の父または母を撃つ者は、必ず殺されなければならない。 21:16人をかどわかした者は、これを売っていても、なお彼の手にあっても、必ず殺されなければならない。 21:17自分の父または母をのろう者は、必ず殺されなければならない。 イスラエルに於ける死罪に相当する行為は幾つかありますが、此の箇所の規定は故意の死罪による暴力の抑制を鑑みての律法規定でしょう。十戒の第六戒で禁じられた殺人について、その刑罰は死刑であると断定しています。但し、故意ではなく死なせてしまった場合や、旧約聖書は彼の手に神が渡された場合と表現していますが、偶然に他人を死に到らしめた場合は、死刑には相当せず、「逃れの町」として定められた町に逃げることが許されました。そこに逃げ込めば、被害者の遺族といえども、報復のために手を出すことは許されません。裁判の前に遺族に復讐されないことを保証し保護するものための規定です。その一方では、故意の殺人のときには、たとえ祭壇の前からでも引きずり出して処刑することが厳しく規定されています。十戒の第五戒では、尊敬に値する親かどうかには関係なく父母を敬うことが命じられていますが、其の理由は、神が人間を泥からさえ創造したのですが、以降の人間創造はそれを両親に託しているからです。此のことから、神の創造行為の代理者とも云うべき両親は、子供にとっては主に順じて敬わなければならない者でしょう。それを、呪い殴る等々の行為に及ぶときには必ず死刑に処せとの規定です。確かに少々死罪という罪刑には厳しすぎるきらいはありますが、現代社会には応分には取り入れて然る可きかもしれません。逆に、両親にとっては、自分達が産んだとはいえ、其の子の命は、ユダヤ教では神が定め与えたものとして、主の教えを授ける重大な義務があり、また、其のことを思い責任感を持って育てなければなりません。日本での、子は神様からの授かりものという言葉も、出処が何れに在るとしても、心情はユダヤ教と共通しています。最後の他人の家族を金銭のため、己の欲望のため、国力増強の肥やしにするために拐かした者は、手元に置いていようが、其の上売却しようが、主に授かった夫々の運命の命と悲しみを想えば言語道断、処刑はやむなしといったところでしょう。
2013年08月25日
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「旧約聖書」出エジプト記 第21章前半・隷属と自由 21:1これはあなたが彼らの前に示すべきおきてである。 21:2あなたがヘブルびとである奴隷を買う時は、六年のあいだ仕えさせ、七年目には無償で自由の身として去らせなければならない。 21:3彼がもし独身できたならば、独身で去らなければならない。もし妻を持っていたならば、その妻は彼と共に去らなければならない。 21:4もしその主人が彼に妻を与えて、彼に男の子また女の子を産んだならば、妻とその子供は主人のものとなり、彼は独身で去らなければならない。 21:5奴隷がもし『わたしは、わたしの主人と、わたしの妻と子供を愛します。わたしは自由の身となって去ることを好みません』と明言するならば、 21:6その主人は彼を神のもとに連れて行き、戸あるいは柱のところに連れて行って、主人は、きりで彼の耳を刺し通さなければならない。そうすれば彼はいつまでもこれに仕えるであろう。 21:7もし人がその娘を女奴隷として売るならば、その娘は男奴隷が去るように去ってはならない。 21:8彼女がもし彼女を自分のものと定めた主人の気にいらない時は、その主人は彼女が、あがなわれることを、これに許さなければならない。彼はこれを欺いたのであるから、これを他国の民に売る権利はない。 21:9彼がもし彼女を自分の子のものと定めるならば、これを娘のように扱わなければならない。 21:10彼が、たとい、ほかに女をめとることがあっても、前の女に食物と衣服を与えることと、その夫婦の道とを絶えさせてはならない。 21:11彼がもしこの三つを行わないならば、彼女は金を償わずに去ることができる。 エジプトでは、寄留者から奴隷に貶められていたイスラエルはカナン占領後は、奴隷制度をなお採用していたが、大幅に制度を変えています。ユダヤ教では7という数がよく出てきますが、此処でも男の奴隷は7年目には解放せよと定められています。しかも解放する時には、7年間の働きに見合うものを与えよと命令されています。これでは奴隷と言うよりも年季奉公に対する扱いの風さえあります。我々現代人が奴隷と聞いて手枷足枷の囚人の如く奴隷を想像するのは、近世西洋のポルトガルの奴隷商人が齎したもので、古代の中東アジアの奴隷とは財産の一つであり扱いが寛大です。。またヘブライの奴隷(エベド)は「しもべ」との意味合いも持たせて「下僕」と訳させることもあります。なかでもイスラエルびとが同朋を奴隷として買う場合の規定は特異です。当時の一般奴隷は自由になるためには対価が必要ですが、ヘブルびとの同朋を奴隷にできるのは6年間だけで、7年目には無償で自由の身になれると定められ、更にはその奴隷を7年目に自由にの権利を得てあなたのもとを去らせるときには、主人は何も持たずに去らせてはならない。それまで奴隷を働かせていた羊の群れ、脱穀場、醸造所などから、惜しみなく持っていかせるように。それはあなたの神、主が祝福されたものだから、彼に与えなさいと諭しています。つい50日前までは、イスラエルはエジプトで奴隷になっていました。しかしイスラエルは無償でそこから救い出されたばかりか、エジプト人から金銀の装飾など大量の贈り物をもらって出発するように主が計らった恵みを忘れてはならないということでしょう。女性の場合はさらに保護された規定が定められます。女奴隷はイスラエルではおもに妾として買われましたが、奴隷として買われた妾であるにもかかわらず、主人は彼女に対して次のような義務を負うのです。女奴隷を気に入らなくなった場合。それは彼女に対する裏切りであり、彼女の親族に買い戻されるようにする。外国人に売ることは許されない。女奴隷を自分の息子の妾として買った場合は、自分の娘として扱う。ほかの女を妻に迎えても、女奴隷から食事、衣服、夫婦の交わりを減らしてはならない。主人がこれらに違反した場合、この女奴隷は無償で自由になることが出来るとされています。男は奴隷として仕えて7年目には財産を得て自由になり、女は妻同様に扱われる。しかも十戒の第四戒では、安息日には奴隷にも労働させることを禁じられています。即ち此の定めの目的は身を売るほどの苦境に陥って奴隷にまで落ちぶれた同胞を保護救済することにあります。
2013年08月24日
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「旧約聖書」出エジプト記 第20章後半・契約の書 20:18民は皆、かみなりと、いなずまと、ラッパの音と、山の煙っているのとを見た。民は恐れおののき、遠く離れて立った。 20:19彼らはモーセに言った、「あなたがわたしたちに語ってください。わたしたちは聞き従います。神がわたしたちに語られぬようにしてください。それでなければ、わたしたちは死ぬでしょう」。 20:20モーセは民に言った、「恐れてはならない。神はあなたがたを試みるため、またその恐れをあなたがたの目の前において、あなたがたが罪を犯さないようにするために臨まれたのである」。 20:21そこで、民は遠く離れて立ったが、モーセは神のおられる濃い雲に近づいて行った。 20:22主はモーセに言われた、「あなたはイスラエルの人々にこう言いなさい、『あなたがたは、わたしが天からあなたがたと語るのを見た。 20:23あなたがたはわたしと並べて、何をも造ってはならない。銀の神々も、金の神々も、あなたがたのために、造ってはならない。 20:24あなたはわたしのために土の祭壇を築き、その上にあなたの燔祭、酬恩祭、羊、牛をささげなければならない。わたしの名を覚えさせるすべての所で、わたしはあなたに臨んで、あなたを祝福するであろう。 20:25あなたがもしわたしに石の祭壇を造るならば、切り石で築いてはならない。あなたがもし、のみをそれに当てるならば、それをけがすからである。 20:26あなたは階段によって、わたしの祭壇に登ってはならない。あなたの隠し所が、その上にあらわれることのないようにするためである』。 出エジプト記の十戒に続く部分は「契約の書」と呼称されます。第20章~第23章は律法における契約法典であり、十戒の現実化としての法を定めています。さて、このときのイスラエルの民は、雷と、稲妻と、喇叭の音と、山の煙っているのとを見、恐れおののき、遠く離れて立ったとされています。なに故かと云えば、恐れを民の目の前において、民が罪を犯さないようにするために臨んだのです。アガペーの神ならば姿を見せてくれればいいのにと思いもしましょうが、雷と、稲妻と、喇叭の音と、山の煙っている濃い雲の中の存在は、恐怖だったでしょう。此処にユダヤ教の神に対する想いが表れています。即ち神を、愛を前面には出さないで、怒りの神・妬む神と捉えていることが解かります。そして十戒の現実化の第一に偶像礼拝の禁止とあるべき礼拝についての規定を置いています。自分の耳目にかけてこれらの掟を守れとの、契約順守の条項が提示されたのです。「あなたたちはわたしについて、何も造ってはならない。銀の神々も金の神々も造ってはならない。あなたは、わたしのために土の祭壇を造り、焼き尽くす献げ物、和解の献げ物、羊、牛をその上にささげなさい。わたしの名の唱えられるすべての場所において、わたしはあなたに臨み、あなたを祝福する」と。此れは世界の創造者である主が造られたものに、人が手を加えることを嫌われるとした思想だとも取れます。それ故、初期の祭壇は土あるいは自然のままの岩であり、牛や羊をそこで捧げることが命じられました。言い換えると、土や岩があるところなら加工道具がなくても主を礼拝できるということになります。更には、階段を使って祭壇に登ることも禁じられ、それは「あなたの隠し所があらわにならないため」と説明され、神を礼拝するためには、高きところに登る必要もなく、また、淫らな行いがされることが多い宗教的な煽りをも戒めています。しかし、やがてイスラエルは簡素な祭壇に満足できなくなり、アカシヤ材で祭壇を造り、祭壇の四隅にそれぞれ角を作り、祭壇から生えているように作り、全体を青銅で覆う。灰を取る壺、十能、鉢、肉刺し、火皿などの祭具はすべて青銅で作る等々の規定に変化していきます。
2013年08月23日
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「旧約聖書」出エジプト記 第20章前半・十戒の十 20:17あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない」。 貪り(むさぼり)とは、自己の尽きぬ欲望が満たされないで、そのために心が自由にならず、自分を律することが出来ない状態です。この貪りが権力に結びつくときには、弱者からの収奪になる。貪るなのとの禁止の戒めが、隣人を愛し、そして施しをなせに変化したときには、それは此の戒律を積極的に実践する行為に昇華します。貪りとは特定の行為の問題と言うよりも、その源泉である内面動機でもある意志、いわば人間性である内面の罪でしょう。人間にとって欲望は生きていく上で必要なものですが、生きるに必要なものをへの感謝を忘れ、貪欲に畑を奪い、家々を取り上げ、人々から嗣業を強奪するような人間になっては、もはや神の恩恵どころか、何もかも欲望の求めるままに、隣人の家を、隣人の妻を、男女の奴隷、牛、ろば等々、一切を欲しがるようになっては主の報復しか得られないでしょう。貪欲は孕んで更に罪を産み、やがてその事が熟して死を手に入れることとなります。それ故、戒律を以って防止を図っています。
2013年08月22日
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「旧約聖書」出エジプト記 第20章前半・十戒の九 20:16あなたは隣人について、偽証してはならない。 イスラエルでは審判するに当っては、法廷においては二人以上の証人を必要とします。公の場におけるイスラエルの民として、としての隣人としての義務と責任を主の名において追及しています。第九戒は単に真実を曲げた証言が、人の善悪から出た、或いは憐れみや同情から出たものであろうと、主の前に偽りの発言があってはならないことを戒めています。日本の法ではたとえ犯罪人でも近親者にあっては証言拒否が認められますが、イスラエルは神の選択した民であり、強者に媚び諂らって偽証するのは勿論の事、弱者を庇うために偽証するのも禁じています。出エジプト記23:6-9では、あなたは訴訟において乏しい人の判決を曲げてはならない。偽りの発言を避けねばならない。罪なき人、正しい人を殺してはならない。わたしは悪人を、正しいとすることはない。あなたは賄賂を取ってはならない。賄賂は、目のあいている者の目を見えなくし、正しい人の言い分を歪めるからである。あなたは寄留者を虐げてはならない。あなたたちは寄留者の気持を知っている。あなたたちは、エジプトの国で寄留者であったからであると記しています。神の真実を求めるものにとっては、事柄は私事でおさまらない。周囲にある欺瞞的なこと、隣人の不当な苦しみに対し、私人が証言し、偽証してはならない。偽証は不作為まで含めたときには、それは積極的な行為ともなると諫めます。見逃しは一見情け深いように想われますが、実は其の人間の償いの機会さえ奪って再出発の道を閉ざしてしまうことにもなると訴えているのです。
2013年08月21日
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「旧約聖書」出エジプト記 第20章前半・十戒の八 20:15あなたは盗んではならない。 本来の意味合いでは、あなたの男または女を盗んではならないとされ、誘拐を禁止したものと解釈されることもあります。流浪の民であったイスラエルにとって盗みは個人倫理の問題であると同時に共同体への裏切りとして信仰の問題でもあったのです。社会倫理における盗み、神の所有の私物化としての不正な所有の追及は正義の問題でもありる許されるべきではありません。そこには地とそこに満ちるもの、世界とそこに住むものは、主のものであるという思想が底辺に流れています。他人の財産というのは、主がその人に恵み与えた祝福です。その他人のものを奪うのは、主がその人に与えた祝福を横取りすることでもあるのです。神は「わたしの恵みはあなたに十分である」と言って諭しています。
2013年08月20日
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「旧約聖書」出エジプト記 第20章前半・十戒の七 20:14あなたは姦淫してはならない。 旧約聖書は人間は神のカタチに、男と女に創造されたとする。創世記には、男は父母を離れて女と結ばれ、二人は一体となるとあります。結婚は神聖な祝福で、それを穢すようなことを神ヤハウェは戒めています。人間の男女は交わりを本質的な在り方として生きる。旧約聖書においても、勿論の事、結婚は積極的に肯定されます。だが、この神聖な祝福である筈の結婚の秩序を乱すものとして、第七戒としての姦淫が登場します。仏教の釈迦の教えにあっては姦淫は不邪淫戒。仏教もキリスト教もこの戒律だけは共通しています。現代にあってもイスラム教では此の戒めが字句通り実行されていて、この防止のためには結婚した女性はベールを被ったり、家族以外の男と喋ることさえ慎むべきこととされ、邪淫をした場合、サウジアラビアでは石打ちの刑、即ち、皆で投石して殺す公開処刑が待っています。しかしながら現代のアブラハム宗教の多くの国が、この処刑に対しては女性解放の敵として眉を顰めています。だが、この戒律自体の重要性は現代でも何等価値を失ってもいないだろうし、衰えてはいません。現代社会は、此のことにあまりにも寛大なのかもしれません。言い換えれば、これが犯されたことにより生じる害悪に無知であるとも言えましょう。それとも実のところは、解っていても止められないといったところでしょうか。自己の感覚願望が渇望する愛欲に、理性判断が勝てないということがその真意なのでしょう。イエス・キリストが石打ちの刑が行われようとする場にあって、処刑される者ではなく、周りに向かって、まず自分に罪のない人から石を投げなさいといわれて誰も石を投げられなかったように、多少のことは皆犯してしまう守りにくい戒律でもあります。しかし安楽な家庭である楽園を失うと分かっている筈の浮気に何故人は走るのだろうか。それは、家庭平和は本人にとっても子供とっても霊的生長の幹だということです。理性判断が出来ない人間は、とてもじゃないけれそ霊長の人間とは呼称できません。たとえ社会的地位が高くても、教養があろうと、金持ちであっても、邪淫している家庭では夫婦仲は最悪でお互いを敵意をもって眺め、不運が家庭を覆うことから子供は家庭内暴力を振るったり、虐めの加害者や被害者になったりと、ありとあらゆる困難が生じてくる。これはまさに救いを失った失楽園である。目前の愛欲に盲目的に飛びつく代償は永く大きい。仏教では、危険な教法として胎蔵界・金剛界曼荼羅というのがありますが、此れに相応して左道密教が生じ、其の教えの総ては釈尊の教えと正反対になっているのが特徴で、邪淫自体を宗教儀式にまで高めています。信者は理性が完全に破壊されるにまで荒廃し、殺人さえ厭いません。日本では宗教の自由からか、一時世間を賑わしました。姦淫は邪淫に罪悪感を持たない確信犯ほど罪が重いと言えます。最後に此処で記して置かなければならないのは、後のイスラエルにとっての救世主であり聖王と呼ばれるダビデの存在でしょう。其のダビデの姦淫は清女に言わせれば許せない行為でしょうが。別記。
2013年08月19日
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「旧約聖書」出エジプト記 第20章前半・十戒の六 20:13あなたは殺してはならない。 旧約聖書では、人は神に似せて神によって創造されたと書かれています。私人が他人を殺すのも、自己の命を絶つのも、何方も、神の創造物を破壊する行為であり、神への冒涜だと説いています。まして、神の似姿である人間を殺すのは、神を冒涜することになります。殺人とは故意をもって人を殺すことであり、不慮の事故によって人を死なしめることは含まれていません。旧約聖書の「目には目を、歯には歯を」の言葉通り、出エジプト記では、人を打って死なせた者は必ず死刑に処せられると私的殺人は律法で厳しく裁かれ報復を認めていました。しかし、後代になると、復讐は神ご自身がされることが強調され、復讐制度は克服され、カナン占領後は、故意か不慮の事故を詮議して、不慮の事故によって人を死なしめたものは「逃れの町」で報復を恐れずに暮らすことが許されまるようになります。更にはヨブも神の審きを求め、贖いの道を示しています。実は第六戒は「殺さない」ことよりも、「生かす」ことに重きがあるのです。人間は神のカタチに造られた故にこれを殺してはいけないのです。創世記9:6では「人の血を流す者は人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ。」とあります。此の第六戒を、旧約聖書の怒りの神及び妬む神から、愛の神へと昇華させた新約聖書のイエスは、第六戒を「怒るな和解せよ」と根本にまで遡って解釈、殺すな、生かし合えという実践倫理を説いています。また、マタイは、昔の人は殺すな。人を殺した者は裁きを受けると命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に馬鹿と言う者は、最高法院に引き渡され、愚か者と言う者は、火の地獄に投げ込まれるとまで第六戒を進展させています。
2013年08月18日
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「直覚霊知」1序文の一(秘学論理) 「直覚霊知」の目的とするところは、敢えて此処では大宇宙の存在以前については述べませんが、コアの爆発を決起として誕生した大宇宙世界での、現なる霊の在り方と過去に観る霊の様相を論理的に追求して、其の存在を確想して現出させることにあり、世間的な単なる霊視ではないことを、極めて厳しく隔離することが前提条件となります。とはいえ霊の存在さえすら科学的には証明出来ない現在にあって、如何にして「視える」霊が登場する場が有り得ましょう。其処には人間精神が虚心坦懐に自らを鏡面に写すが如く世界を視る姿勢が必要となります。此の論理を否定しようとすれば、人間は世界を与者、例えばイエスであり釈尊の言説が、架空の虚言であり、人間としての神の子の主張、若しくは正覚者としての説法を全て否定することに繋がります。正当宗教と呼称されるものは、拙い歴史しか持たない科学か、感覚主義者である心理学者及び哲学者によって虚学であるとの批判に立たされることになるのが宿命なのでしょうが、其の当の批判者さえ、世界に不可視世界のあることだけは認めています。其処に人間の持つ自然心であるところの「直覚知」によって「霊」を確視する著者Hiroの真意があります。
2013年08月17日
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「旧約聖書」出エジプト記 第20章前半・十戒の五 20:12あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである。 第四戒までが「神と人の関係」を規定するものだったのに対し、第五戒以降は人間関係を律する法になっています。しかも此の第五戒だけは、その他のように禁止条項ではなく、指導事項の要素を持たせています。イスラエルでは家族は血族共同体であると同時に宗教共同体としての一面も併せ持っているのです。父母は子供に対しては神の権威を代表しており、家庭における宗教教育は両親の重大な責任であり義務なのです。その両親に子供が服従することは神への服従にもつながると考えられています。元来は成人した子に対し、年老いた両親への配慮を主が命じられたものなのでしょう。年老いた両親への尊敬と配慮は、主が賜る地で、父祖の遺産と共に長く生きる生活の条件であると述べているのです。しかもその服従は神への服従の戒めの下にあるというのです。マタイ福音書では、主が、我よりも父や母を愛する者は、我に相応しくない。我よりも息子や娘を愛する者も、我に相応しくないとして、絶対の神への服従を十戒の五は背景にしています。
2013年08月17日
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「旧約聖書」出エジプト記 第20章前半・十戒の四 20:8安息日を覚えて、これを聖とせよ。 20:9六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。 20:10七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。 20:11主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた。 此の十戒の四は、安息日を心に留め、これを聖別せよ。六日の間は働いて、何であれあなたの凡ての業(わざ)をして、七日目は、あなた方の神、主の安息日であるから、如何なる仕事もしてはならない。安息日とはヘブル語ではシャーバットやシャバースと呼ばれ中止する意味合いを持ち、また、区別するとするカーダシュの語意もあります。此処には奴隷までもが七日目には完全に休めと命じられています。我々現代人が考えるような「休む権利」ではなく、「休む義務」です。ちなみにソロモンは、早く起き、夜おそく休み焦慮してパンを食べる人よ、それは空しいことではないか、主は愛する者に眠りをお与えになるのだからと詠っています。しかし、此の安息日は、神が人には休息が必要であることを知って設けたものです。しかしながら、ただ単にのほほんと一日を過ごせばいいのではありません。その日を聖なる日として世事を離れ、世界を創造した神の創造の業を覚える日、神の救いの業を覚える日なのです。バビロン捕囚で捕われの身だったある祭司は、私は此処で神の創造を覚えた。罪を犯して捕囚となったイスラエルをも「良し」と言われた神を覚えると記しています。即ち、良しとされた存在、能力ではなく存在により良しとされたことを喜ぶ日でもあるのです。エジプトから救い出された主の強い手と伸ばした腕を想起して、感謝して喜ぶ。この喜びは同時に隣人をも解放するものとなる筈です。ところが、救いは必ず倫理的責任を伴うものです。イスラエルの民を救われたのはイスラエルに使命を果たさせるため、私が救われたのは隣人を救うためだというのです。アブラハムへの祝福は実は全ての民族への祝福の基となるための前兆であったのです。ところが此の祝福の具体化である安息日を、後世のパリサイ人は戒律の日にしてしまいます。後世のイスラームは単なる預言者の一人としていますが、新約聖書では神の子と見做されるイエスはこれを批判して本来のあるべき姿、安息日を設けたのは主であるにしても「あるじ(主)」は人であるべきものとして、神の祝福に相応しい形を求める。ねばならない拘束の日としてではなく、自由な日としてこの日を主なる神のために過ごすべき日だと訴えます。それ故アブラハムの宗教の何れもが、安息日の日にちは違えども理由はどうであろうと、其の日に教会に行くことを禁じてはいません。
2013年08月16日
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「旧約聖書」出エジプト記 第20章前半・十戒の三 20:7あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう。 十戒の三は主の御名の軽々しく濫用して唱えることを禁じています。濫りに唱えることを禁じているのであって,主の御名を唱えること自体を禁じているの意ではないでしょう。また、旧約聖書の記されている処では、主の御名を呼び求め,御名を讃え,御名を喜ぶ信仰者の言葉で満ち満ちています。恐れのあまりに御名を口にしないというのはこの戒めの意図するところではないということでしょう。むしろ正しく主の御名が唱えられることを求めているともいえます。旧約聖書にあって最初に言葉ありきとされ、その中でも名は,単に人やモノを区別する記号ではなく,その実体と密接なものとされていました。主の御名と言われるときには,神である主ご自身の本質,存在そのものがそこに表されているのです。その聖なる創造者の名を口にすることは,緊張感を伴うものです。ユダヤ人たちは御名を用いて神を冒涜することがあってはならないと考え,御名を口にすべきでないと考え、神の名をあらわす文字「YHWH」を「アドナイ」と読み換え,やがて本来の発音が忘れさられ,後世では「ヤハウェ」と読まれるようになります。第3戒の真意は、アブラハムの宗教が畏れと敬虔によらないでは神の聖なる御名を用いないということです。神は天地を造り、其々に名を与えられた。神はイスラエルを選民し、なきに等しいものに名を与え、存在を許し、其の民を受け入れたのです。古代、多くの宗教が名を知るものは、その力をつかむと考え、神の名を知るならば神を動かし得るとしていました。そこから、神名を唱えて神の力を用い人間意志を実現しようとする呪術が生まれる。此れは印度の仏教でも同様です。呪術を否定し、歴史を正道へ導く神への信仰が、神の名をみ濫りに唱えることを禁止させるのです。人間が名付けるのは神ではなく、人間の名を呼ぶ神への服従と信頼が根本精神であるのが第三戒です。
2013年08月15日
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「旧約聖書」出エジプト記 第20章前半・十戒の二 20:4あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。 20:5それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものは、父の罪を子に報いて、三四代に及ぼし、 20:6わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう。 旧約聖書の預言者アブラハムの宗教的伝統を受け継ぐと称するアブラハムの宗教(Abrahamic religions)は、此のユダヤ教をはじめ、キリスト教、イスラームの三宗教がありますが、いずれも一神教であり偶像崇拝を厳しく禁じています。それ故、エジプトの神は牡牛に乗り移ってそれを住まいとしますが、イスラエルは神像を持たず、神はアロンが鋳造した金の子牛の時は此れを見て憤ってを厳しく禁止された。そもそもユダヤ教では人間が造る神殿や神像において、神に出会う行為さえ神への不信と捉えて信仰を否定する。列王記ではソロモン王が、神は果たして地上にお住まいになるでしょうか。天も、天の天もあなたをお納めすることができません。わたしが建てたこの神殿など、なおふさわしくありませんと述べ、神が人間には不可視であると説いています。神は言葉と行為において、人間と出会われる。異教の神は人間の構築した場所に現れる。それは人間あっての神であるから。神の本質は人間の手段を一切不要というよりは、万物の究極の存在であり原因・結果である神は、必然的に唯一の存在として「永遠」です。何故なら、その存在が真理として疑いを挿めない以上、「神は永遠の真理としての存在性」を有します。始めも終わりもない自己原因であり、時間や運動から絶対超越した無限の存在が神の本体だと云うことです。神の本性を人間の本性と混同し、徒に、人間的感情を神に賦与し、神が怒るとか裁くとかの思考を投影しがちですが、絶対意思と認識を持つの完全体にその様な感情は必要でないし、また存在しないとする説にも一考の価値があります。
2013年08月14日
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「旧約聖書」出エジプト記 第20章前半・序文と十戒の一 20:1神はこのすべての言葉を語って言われた。 20:2「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である。 20:3あなたはわたしのほかに、なにものをも神としてはならない。 シナイ山に登ってきたモーセに、主(ヤハウェ)此の旧約聖書の主の呼称については、エホバは誤読であることが解っていて、現在ではヤハウェ又はヤーウェと発音しますが、そのヤハウェが戒律を提示します。「十のことば」と呼ばれる十戒は、このおきて(律法)を与えたのが何者であるかの宣言で始まっており、文語訳では「われは汝の神エホバ」の言葉ではじまっています。また、旧約聖書には第何条というような番号は振られていなかったために宗派によって、どの段落を前後どちらの条項に入れるかは解釈が分かれていて難しいところです。イスラエルは、長い間エジプトで被支配民として生きてきました。そして今カナン人の土地に入っていこうとしています。まず異国の寄留人から奴隷に貶められ辛酸をなめてきたイスラエルの民を、そこから導き出した者、わたしヤハウェ、ファラオを屈服させ、大エジプトの軍勢を海に沈めた多神教の国エジプトからきて、多神教の土地カナン国にいこうとするイスラエルに「ヤハウェだけが神である」ということを受け入れるように命じています。そこで異国の寄留人から奴隷に貶められ辛酸をなめてきたイスラエルの民を、そこから導き出した者、わたしヤハウェ、ファラオを屈服させ、大エジプトの軍勢を海に沈めた、わたしヤハウェがこれを提示するのだということを宣言します。この序文により、十戒が福音、即ち救済史の中の戒めであることが明らかになります。神は「私」として「あなた」である人間、選民としてのイスラエルに出会う。神格と人格の出会いであること、この出会いにより私を無から創造したことを明示していますが、全能の神を其のように捉えることには異論があることは致し方ないでしょう。しかし、あなたの神として自らを低めたもうた神、神はその意志を遂行させるものとしてイスラエルを選ばれ、契約のしるしとして十戒を与えられたと解釈すればそれも一理です。それに続いて、第一戒「20:3 あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」神への信仰は必ず隣人と社会への倫理へと展開し、具体的実践の中で生き抜かれる。神への服従が宗教倫理の根本であり、従って第一戒は他の規程にはなく重要なものとされます。逆にユダヤ教における倫理は常に信仰に基礎を持ち、信仰から出発する。その創造者たる絶対存在であるところの「有」および絶対意思を知らない現代社会の倫理は相対化せざるを得ないところにきています。しかし、原十戒の神は唯一神ではなく、拝一神であり、基本は「妬む神」そのものです。元来神とは(エロヒーム)は複数形であり、その中から主のみを拝する絶対倫理は生まれようがありません。
2013年08月13日
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「旧約聖書」出エジプト記 第19章・神の顕現 19:1イスラエルの人々は、エジプトの地を出て後三月目のその日に、シナイの荒野にはいった。 19:2すなわち彼らはレピデムを出立してシナイの荒野に入り、荒野に宿営した。イスラエルはその所で山の前に宿営した。 19:3さて、モーセが神のもとに登ると、主は山から彼を呼んで言われた、「このように、ヤコブの家に言い、イスラエルの人々に告げなさい、 19:4『あなたがたは、わたしがエジプトびとにした事と、あなたがたを鷲の翼に載せてわたしの所にこさせたことを見た。 19:5それで、もしあなたがたが、まことにわたしの声に聞き従い、わたしの契約を守るならば、あなたがたはすべての民にまさって、わたしの宝となるであろう。全地はわたしの所有だからである。 19:6あなたがたはわたしに対して祭司の国となり、また聖なる民となるであろう』。これがあなたのイスラエルの人々に語るべき言葉である」。 19:7それでモーセは行って民の長老たちを呼び、主が命じられたこれらの言葉を、すべてその前に述べたので、 19:8民はみな共に答えて言った、「われわれは主が言われたことを、みな行います」。モーセは民の言葉を主に告げた。 19:9主はモーセに言われた、「見よ、わたしは濃い雲のうちにあって、あなたに臨むであろう。それはわたしがあなたと語るのを民に聞かせて、彼らに長くあなたを信じさせるためである」。モーセは民の言葉を主に告げた。 19:10主はモーセに言われた、「あなたは民のところに行って、きょうとあす、彼らをきよめ、彼らにその衣服を洗わせ、 19:11三日目までに備えさせなさい。三日目に主が、すべての民の目の前で、シナイ山に下るからである。 19:12あなたは民のために、周囲に境を設けて言いなさい、『あなたがたは注意して、山に上らず、また、その境界に触れないようにしなさい。山に触れる者は必ず殺されるであろう。 19:13手をそれに触れてはならない。触れる者は必ず石で打ち殺されるか、射殺されるであろう。獣でも人でも生きることはできない』。ラッパが長く響いた時、彼らは山に登ることができる」と。 19:14そこでモーセは山から民のところに下り、民をきよめた。彼らはその衣服を洗った。 19:15モーセは民に言った、「三日目までに備えをしなさい。女に近づいてはならない」。 19:16三日目の朝となって、かみなりと、いなずまと厚い雲とが、山の上にあり、ラッパの音が、はなはだ高く響いたので、宿営におる民はみな震えた。 19:17モーセが民を神に会わせるために、宿営から導き出したので、彼らは山のふもとに立った。 19:18シナイ山は全山煙った。主が火のなかにあって、その上に下られたからである。その煙は、かまどの煙のように立ち上り、全山はげしく震えた。 19:19ラッパの音が、いよいよ高くなったとき、モーセは語り、神は、かみなりをもって、彼に答えられた。 19:20主はシナイ山の頂に下られた。そして主がモーセを山の頂に召されたので、モーセは登った。 19:21主はモーセに言われた、「下って行って民を戒めなさい。民が押し破って、主のところにきて、見ようとし、多くのものが死ぬことのないようにするためである。 19:22主に近づく祭司たちにもまた、その身をきよめさせなさい。主が彼らを打つことのないようにするためである」。 19:23モーセは主に言った、「民はシナイ山に登ることはできないでしょう。あなたがわたしたちを戒めて『山のまわりに境を設け、それをきよめよ』と言われたからです」。 19:24主は彼に言われた、「行け、下れ。そしてあなたはアロンと共に登ってきなさい。ただし、祭司たちと民とが、押し破って主のところに登ることのないようにしなさい。主が彼らを打つことのないようにするためである」。 19:25モーセは民の所に下って行って彼らに告げた。 エジプトを脱出したイスラエルの民は3ヶ月目に「ホレブ」とも「神の山」とも呼ばれるシナイ山のふもとの荒れ野に到着します。此のシナイ山こそがモーセが最初に神と出会って主から命令を受けた山です。イスラエルの民はここに1年間滞在し、神の民としての訓練を受けることになります。それは、過越の第2日の49日(7週間)後のことでした。この日は現在でもシャブオット(7週の祭り)と呼ばれ、ユダヤ教三大重要行事の一つとして大事にされています。此の日は「主」たる神とイスラエルの間に契約がかわされる、イスラエルの新しい歴史が始まった重要な日なのです。ユダヤ教ではモーセがシナイ山でトーラー(律法)を授かった日「マタン・トーラー(トーラーの授与)」として祝うようになり、人々は夜を徹してトーラーを学習したり論議したりします。 この契約が、出エジプト記の後半の主題となります。申命記では「主は荒れ野で彼を見いだし、獣のほえる不毛の地でこれを見つけ、これを囲い、いたわり、御自分のひとみのように守られた。鷲が巣を揺り動かし、雛の上を飛びかけり、羽を広げて捕らえ、翼に乗せて運ぶように、ただ主のみ、その民を導き、外国の神は彼と共にいなかった。」と記されています。その目的はというと、イスラエルを聖なる民、祭司の民である「選民」とし、イスラエルを通して救いを諸民族に伝えることだったのです。此処でイスラエルの民は神の現臨を聞いたのです。だが、神はモーセを通して民に語られる。ここに凡人には理解できない神の言葉を翻訳して伝える仲保者(預言者)の役割がある。民の禊が終わった三日目の朝には、神の顕現にともなう雷鳴と稲妻と厚い雲が山に満ち、しかもどこからとも知れない角笛の音が鋭く鳴り響いたので、民は恐れて宿営の中で震えていて、禁じられた聖域をおかすどころではありませんでしたが。そんな民をモーセは、山の麓まで連れ出します。主がモーセと語るのを聞かせるためです。そこで主がいよいよ山の上に顕れますが、勿論のこと、民にもモーセにも姿は見えません。シナイ山全体が煙に包まれ、鳴動したのを見たのです。それはただの地震や噴火ではなく、神が確かにそこに来たことの影響でした。大自然が、創造者の登場に答えているのです。角笛はますます鋭く鳴り響きます。モーセが主に呼びかけると、主は雷鳴で答えます。民は生きた心地がしなかったことでしょう。ここには愛だけの神は登場しません。荒野の生活は過酷で、そこでは主を畏れるようにし、規律と従順を戒めとして守り生きる必要があるからです。
2013年08月12日
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「旧約聖書」出エジプト記 第18章・ミデアンの祭司エテロ 18:1さて、モーセのしゅうと、ミデアンの祭司エテロは、神がモーセと、民イスラエルとにされたすべての事、主がイスラエルをエジプトから導き出されたことを聞いた。 18:2それでモーセのしゅうと、エテロは、さきに送り返されていたモーセの妻チッポラと、 18:3そのふたりの子とを連れてきた。そのひとりの名はゲルショムといった。モーセが、「わたしは外国で寄留者となっている」と言ったからである。 18:4ほかのひとりの名はエリエゼルといった。「わたしの父の神はわたしの助けであって、パロのつるぎからわたしを救われた」と言ったからである。 18:5こうしてモーセのしゅうと、エテロは、モーセの妻子を伴って、荒野に行き、神の山に宿営しているモーセの所にきた。 18:6その時、ある人がモーセに言った、「ごらんなさい。あなたのしゅうと、エテロは、あなたの妻とそのふたりの子を連れて、あなたの所にこられます」。 18:7そこでモーセはしゅうとを出迎えて、身をかがめ、彼に口づけして、互に安否を問い、共に天幕にはいった。 18:8そしてモーセは、主がイスラエルのために、パロとエジプトびととにされたすべての事、道で出会ったすべての苦しみ、また主が彼らを救われたことを、しゅうとに物語ったので、 18:9エテロは主がイスラエルをエジプトびとの手から救い出して、もろもろの恵みを賜わったことを喜んだ。 18:10そしてエテロは言った、「主はほむべきかな。主はあなたがたをエジプトびとの手と、パロの手から救い出し、民をエジプトびとの手の下から救い出された。 18:11今こそわたしは知った。実に彼らはイスラエルびとにむかって高慢にふるまったが、主はあらゆる神々にまさって大いにいますことを」。 18:12そしてモーセのしゅうとエテロは燔祭と犠牲を神に供え、アロンとイスラエルの長老たちもみなきて、モーセのしゅうとと共に神の前で食事をした。 18:13あくる日モーセは座して民をさばいたが、民は朝から晩まで、モーセのまわりに立っていた。 18:14モーセのしゅうとは、彼がすべて民にしていることを見て、言った、「あなたが民にしているこのことはなんですか。あなたひとりが座し、民はみな朝から晩まで、あなたのまわりに立っているのはなぜですか」。 18:15モーセはしゅうとに言った、「民が神に伺おうとして、わたしの所に来るからです。 18:16彼らは事があれば、わたしの所にきます。わたしは相互の間をさばいて、神の定めと判決を知らせるのです」。 18:17モーセのしゅうとは彼に言った、「あなたのしていることは良くない。 18:18あなたも、あなたと一緒にいるこの民も、必ず疲れ果てるであろう。このことはあなたに重過ぎるから、ひとりですることができない。 18:19今わたしの言うことを聞きなさい。わたしはあなたに助言する。どうか神があなたと共にいますように。あなたは民のために神の前にいて、事件を神に述べなさい。 18:20あなたは彼らに定めと判決を教え、彼らの歩むべき道と、なすべき事を彼らに知らせなさい。 18:21また、すべての民のうちから、有能な人で、神を恐れ、誠実で不義の利を憎む人を選び、それを民の上に立てて、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長としなさい。 18:22平素は彼らに民をさばかせ、大事件はすべてあなたの所に持ってこさせ、小事件はすべて彼らにさばかせなさい。こうしてあなたを身軽にし、あなたと共に彼らに、荷を負わせなさい。 18:23あなたが、もしこの事を行い、神もまたあなたに命じられるならば、あなたは耐えることができ、この民もまた、みな安んじてその所に帰ることができよう」。 18:24モーセはしゅうとの言葉に従い、すべて言われたようにした。 18:25すなわち、モーセはすべてのイスラエルのうちから有能な人を選んで、民の上に長として立て、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長とした。 18:26平素は彼らが民をさばき、むずかしい事件はモーセに持ってきたが、小さい事件はすべて彼らみずからさばいた。 18:27こうしてモーセはしゅうとを送り返したので、その国に帰って行った。 初めての戦闘に勝利し、喜びに湧くイスラエルの陣営。そのモーセたち一行がミディアン人の地であるホレブに着いて宿営したた時、そこへさらなる喜びがモーセに訪れます。かつてモーセが神の山ホレブ(シナイ山)で主(ヤハウェ)から命を受けたときに主は「イスラエルは脱出後にこの山で神を礼拝することになる」と約束していました。このことをエトロは娘ツィポラから聞いていて、神の山に行けば脱出してきたイスラエルとモーセに合流できるとやってきたのでしょう。彼らはセム系の遊牧民族で、根源を探ればアブラハムの第二妻の第四子の子孫に当たる民族であり、イスラエルの民と同じくアブラハムを祖とする民族です。ミデヤンの名の由来は、言葉通りであれば「訴訟」、もしくは「判決」だと考えられているのですが、その舅のエトロが、モーセの最愛の妻ツィポラと二人の息子を連れて、イスラエルの陣営を訪ねてきたのです。主がイスラエルのためにエジプト軍を壊滅させた噂は、近隣諸国に伝わっていたので、エテロはモーセから一部始終を聞いて、主を讃美します。「主をたたえよ、主はあなたたちをエジプト人の手から、ファラオの手から救い出された。そして今、私は知った。彼らがイスラエルに向かって、高慢にふるまったときにも、主はすべての神々にまさって偉大であったことを」。異教の祭司であるエテロが献げ物をモーセと共に捧げます。異邦人エテロが改宗したのです。主がイスラエルだけの神ではなく、全地の神であることをエテロは認めたのです。主は全ての民族を救うためにイスラエルを選ばれたと。申命記では「あなたは、あなたの神、主の聖なる民である。あなたの神、主は地の面にいるすべての民の中からあなたを選び、御自分の宝の民とされた。主が心引かれてあなたたちを選ばれたのは、あなたたちが他のどの民よりも数が多かったからではない。あなたたちは他のどの民よりも貧弱であった。ただ、あなたに対する主の愛のゆえに、あなたたちの先祖に誓われた誓いを守られたゆえに、主は力ある御手をもってあなたたちを導き出し、エジプトの王、ファラオが支配する奴隷の家から救い出されたのである。」と記されています。さて、モーセは民の全ての争いを仲裁していた。エテロはそれを見て、その非効率を忠告する。モーセはイスラエルをエジプトから引率してここまでやってきたわけですが、指導者の任にあたっていたのは唯一彼一人。彼は宗教的指導者として主の言葉を民に伝え、軍事的指導者としてヨシュアを戦場に送ったのですが、それだけではなくイスラエル人同士の民事訴訟も彼が責任を負っていました。それ故に、事あるごとに民は朝から晩までモーセの裁きを待って並んでいたのです。此れを見て、モーセの舅エテロはその非効率を忠告します。裁きびとがあなた一人では、あなた自身も、朝から晩までお裁きを待って並んでいる民も、疲れ果ててしまうではないかと。エテロは全て自分で責任の任に当たらずに、長老たちに権限を委譲するように勧めています。モーセも80歳の老人ですが、舅であるエトロはさすがひとつ上の世代、経験上、この異常さに祭司という彼ならではの説得をしています。このやり方ではあなたの荷が重すぎて、一人では負いきれない。あなたが民に代わって神の前に立って事件について神に述べ、彼らに掟と指示を示して、彼らの歩むべき道となすべき事を教えなさい。あなたは、民全員の中から、神を畏れる有能な人で、不正な利得を憎み、信頼に値する人物を選び、千人隊長、百人隊長、五十人隊長、十人隊長として民の上に立てなさい。平素は彼らに民を裁かせ、大きな事件があったときだけ、あなたのもとに持って来させる。小さな事件は彼ら自身で裁かせ、あなたの負担を軽くし、あなたと共に彼らに分担させなさいと言っています。モーセは、此の舅の言を快く受け入れて70人の長老を選び、世俗のことは彼らに任せました。かつての奴隷の集団が、ひとつの社会としての秩序を獲得したのです。
2013年08月11日
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「旧約聖書」出エジプト記 第17章後半・ヨシュアの登場 17:8ときにアマレクがきて、イスラエルとレピデムで戦った。 17:9モーセはヨシュアに言った、「われわれのために人を選び、出てアマレクと戦いなさい。わたしはあす神のつえを手に取って、丘の頂に立つであろう」。 17:10ヨシュアはモーセが彼に言ったようにし、アマレクと戦った。モーセとアロンおよびホルは丘の頂に登った。 17:11モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち、手を下げるとアマレクが勝った。 17:12しかしモーセの手が重くなったので、アロンとホルが石を取って、モーセの足もとに置くと、彼はその上に座した。そしてひとりはこちらに、ひとりはあちらにいて、モーセの手をささえたので、彼の手は日没までさがらなかった。 17:13ヨシュアは、つるぎにかけてアマレクとその民を打ち敗った。17:14主はモーセに言われた、「これを書物にしるして記念とし、それをヨシュアの耳に入れなさい。わたしは天が下からアマレクの記憶を完全に消し去るであろう」。 17:15モーセは一つの祭壇を築いてその名を「主はわが旗」と呼んだ。 17:16そしてモーセは言った、「主の旗にむかって手を上げる、主は世々アマレクと戦われる」。 イスラエルを民を襲った初めての外敵は、シナイ半島の北部にも住んでいたアマレク人でした。特定の定住地はなく、シナイ半島からカナンに亘って遊牧的に生きていた民族です。その彼らの方からすれば、自分たちの縄張りに突如として、250万人とも言われるイスラエル民族が押し寄せたのです。アマレク人とイスラエルの両方に満ち足りるだけの水など、水に乏しいシナイ半島にはありません。そこでアマレクはイスラエルを駆逐し、主がレフィディムでイスラエルに与えた水をも奪おうと考えたのでしょう。彼らは宿営していたイスラエルに攻撃を仕掛けます。此の事件以前にも申命記では、アマレク軍は道でイスラエルと出会い、あなたが疲れきっているとき、あなたの殿(しんがり)にいた落伍者をすべて攻め滅ぼし、神を畏(おそ)れることがなかったと記されています。此れまでは大難に遭えば主の名を叫び求めたモーセが、主の御力を信じて、自分で事態を解決しようと考えます。此れ以降には実質的な行動隊長となる従者ヨシュアに戦いの指揮をとるように命じました。のちにイスラエルを導いてカナンに攻め入るモーセの後継者となるヨシュアにとって、この戦いは指揮官としての初陣でもありました。ここ数百年というもの彼らは奴隷で戦闘経験がないばかりか武器さえろくになかったでしょう。剣を持つヨシュア以外は農具くらいで戦うしかありません。敵のアマレクは、諸国の民の頭と形容され、大国エジプトに隣接するシナイ半島を根城にしているくらいですから、実力のある好戦的な民族です。ヨシュアでなくても震え上がった筈です。しかし信頼し服従するモーセの命令で、民兵を組織して、迎撃に出ていきます。この時は主の御力を頼むいかなモーセも老いて、神の杖を握って手を上げているとイスラエルが優勢に、手を降ろしているとアマレクが優勢、戦いは日没まで続いたので疲れ、アロンとフルがモーセを岩の上に座らせ、左右からモーセの腕を支え続けました。そして遂に主は彼らの祈りに応え、ヨシュアにアマレクを打ち破らせたのです。ヨシュアと民兵が肉体で戦っているときに、アロンとフルの祈りに支えられてモーセは人力ではなく人の持つ魂の中の3つの霊力のうちの霊我「神のみ手」で戦っていたのです。勝利の後、主はモーセに、このことを記録として書き物に書きしるせ。わたしはアマレクの記憶を天の下から完全に消し去ると言います。創造者が何故それ程までにアマレクを断罪したのでしょう。主が神の民イスラエルに与えた命の支えである水を奪おうとしたことは、主自身に対する攻撃なのです。
2013年08月10日
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「旧約聖書」出エジプト記 第16章後半・マナ16:13夕べになると、うずらが飛んできて宿営をおおった。また、朝になると、宿営の周囲に露が降りた。 16:14その降りた露がかわくと、荒野の面には、薄いうろこのようなものがあり、ちょうど地に結ぶ薄い霜のようであった。 16:15イスラエルの人々はそれを見て互に言った、「これはなんであろう」。彼らはそれがなんであるのか知らなかったからである。モーセは彼らに言った、「これは主があなたがたの食物として賜わるパンである。 16:16主が命じられるのはこうである、『あなたがたは、おのおのその食べるところに従ってそれを集め、あなたがたの人数に従って、ひとり一オメルずつ、おのおのその天幕におるもののためにそれを取りなさい』と」。 16:17イスラエルの人々はそのようにして、ある者は多く、ある者は少なく集めた。 16:18しかし、オメルでそれを計ってみると、多く集めた者にも余らず、少なく集めた者にも不足しなかった。おのおのその食べるところに従って集めていた。 16:19モーセは彼らに言った、「だれも朝までそれを残しておいてはならない」。 16:20しかし彼らはモーセに聞き従わないで、ある者は朝までそれを残しておいたが、虫がついて臭くなった。モーセは彼らにむかって怒った。 16:21彼らは、おのおのその食べるところに従って、朝ごとにそれを集めたが、日が熱くなるとそれは溶けた。16:22六日目には、彼らは二倍のパン、すなわちひとりに二オメルを集めた。そこで、会衆の長たちは皆きて、モーセに告げたが、 16:23モーセは彼らに言った、「主の語られたのはこうである、『あすは主の聖安息日で休みである。きょう、焼こうとするものを焼き、煮ようとするものを煮なさい。残ったものはみな朝までたくわえて保存しなさい』と」。 16:24彼らはモーセの命じたように、それを朝まで保存したが、臭くならず、また虫もつかなかった。 16:25モーセは言った、「きょう、それを食べなさい。きょうは主の安息日であるから、きょうは野でそれを獲られないであろう。 16:26六日の間はそれを集めなければならない。七日目は安息日であるから、その日には無いであろう」。 16:27ところが民のうちには、七日目に出て集めようとした者があったが、獲られなかった。 16:28そこで主はモーセに言われた、「あなたがたは、いつまでわたしの戒めと、律法とを守ることを拒むのか。 16:29見よ、主はあなたがたに安息日を与えられた。ゆえに六日目には、ふつか分のパンをあなたがたに賜わるのである。おのおのその所にとどまり、七日目にはその所から出てはならない」。 16:30こうして民は七日目に休んだ。16:31イスラエルの家はその物の名をマナと呼んだ。それはコエンドロの実のようで白く、その味は蜜を入れたせんべいのようであった。 16:32モーセは言った、「主の命じられることはこうである、『それを一オメルあなたがたの子孫のためにたくわえておきなさい。それはわたしが、あなたがたをエジプトの地から導き出した時、荒野であなたがたに食べさせたパンを彼らに見させるためである』と」。 16:33そしてモーセはアロンに言った「一つのつぼを取り、マナ一オメルをその中に入れ、それを主の前に置いて、子孫のためにたくわえなさい」。 16:34そこで主がモーセに命じられたように、アロンはそれをあかしの箱の前に置いてたくわえた。 16:35イスラエルの人々は人の住む地に着くまで四十年の間マナを食べた。すなわち、彼らはカナンの地の境に至るまでマナを食べた。 16:36一オメルは一エパの十分の一である。 夕べになるとイスラエルの宿営に大量の鶉(うずら)が飛んできて、辺り一面を覆います。そして朝には、宿営の周りには露が降り、それが蒸発すると地表には、何か薄くて壊れやすいものが霜のように残っていました。食べてみると、蜜の味がします。民数記ではコエンドロの種のようで、一見、琥珀の類のようであった。民は歩き回って拾い集め、臼で粉にひくか、鉢ですりつぶし、鍋で煮て、菓子にしたとあります。これを民が、これは何だろう(マーン・フー)と言ったのでマナと呼ばれるようになったというこの不思議な食べ物は、イスラエルが約束の地カナンに入るまで、天から与え続けられます。ここで主は、イスラエルが指示どおりにするかを試すために、毎日、必要な分だけ集めるようにと指示しています。民はさっそく、地表をおおったマナを集めました。集めすぎたかなという者も少し足りなかったかという者もいましたが、計ってみると誰もが1オメル丁度だったと記録されています。その中には、マナを翌朝まで残しておいた者がいました。明日の食糧さえ手に入る保証もない荒野の旅、今満腹するよりも明日のための蓄えるのは理解出来ます。しかし残しておいた分は虫がわき、臭くなってとても食べられたものではないだけでなく。この不信仰で不従順な姿勢をモーセは叱りつけます。主の救いをまず求めるなら、明日何を食べようかと心する必要はなく、その日の苦労はその日だけで十分だという訳です。さて明日は休息の六日目の朝には聖なる安息日故に、民がマナを集めると、それは一人当たり2オメルありました。今度は民はモーセの指示どおりにしましたが、六日目の分に限っては、翌朝まで残しておいても虫がつかず臭くもならなかったとされています。ところが、七日目の朝、モーセは民に「今日はヤハウェの安息日だから、マナを探しても見つからない」と言ったのですが、それにも拘わらず何人かがマナを集めに出て行きました。しかし、マナは降らなかったので、彼らは手ぶらで帰ります。この繰り返される不従順に対しては、主もモーセも呆れたのでしょう。やがてイスラエルがシナイ山につき、ヤハウェから律法を提示されて、従うなら恵みを与えるという契約を締結します。主はモーセに1オメルのマナを保存して代々つたえよと命じ、アロンが金の壷にマナを1オメル入れたのですが、このマナも、虫がわくことも臭くなることもなく保存されました。壷はのちに、十戒の石板とともに「掟の箱」に収められていましたが、のちには「掟の箱」もろともに失われてしまいますが、主がマナによって民を養ったことだけはと子孫に綿々と伝えられていきます。申命記では、人はパンだけで生きるのではなく、人は主の口から出るすべての言葉によって生きることをあなたに知らせるためマナを降らせたとあります。なお、マナはギリシャ人が液状の時にネクタールと呼称するもので、シナイ半島等の山野に自生するマナ・ギリョウリの枝に付着するマナ虫の分泌物です。マナ虫の出す甘い液が白い粒子状に固まったものを樹枝から収穫して食べる食習慣は現在でもあり、多い時には一日一人当たり一キロの収穫も珍しくはありません。此の時点から、イスラエル人が約束の地カナンに入るまでの荒れ野での四十年間を「天のパン」マナが民を支えることになります。後にはマナしか食べられない民のを不満が爆発することもありましたが、モーセとアロンの指導力が此れをおさめます。此の民族の我慢強さは此の時に培われてきたのかも知れません。
2013年08月09日
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「旧約聖書」出エジプト記 第15章・モーセと民が主を賛美 15:1そこでモーセとイスラエルの人々は、この歌を主にむかって歌った。彼らは歌って言った、「主にむかってわたしは歌おう、彼は輝かしくも勝ちを得られた、彼は馬と乗り手を海に投げ込まれた。15:2主はわたしの力また歌、わたしの救となられた、彼こそわたしの神、わたしは彼をたたえる、彼はわたしの父の神、わたしは彼をあがめる。15:3主はいくさびと、その名は主。15:4彼はパロの戦車とその軍勢とを海に投げ込まれた、そのすぐれた指揮者たちは紅海に沈んだ。15:5大水は彼らをおおい、彼らは石のように淵に下った。15:6主よ、あなたの右の手は力をもって栄光にかがやく、主よ、あなたの右の手は敵を打ち砕く。15:7あなたは大いなる威光をもって、あなたに立ちむかう者を打ち破られた。あなたが怒りを発せられると、彼らは、わらのように焼きつくされた。15:8あなたの鼻の息によって水は積みかさなり、流れは堤となって立ち、大水は海のもなかに凝り固まった。15:9敵は言った、『わたしは追い行き、追い着いて、分捕物を分かち取ろう、わたしの欲望を彼らによって満たそう、つるぎを抜こう、わたしの手は彼らを滅ぼそう』。15:10あなたが息を吹かれると、海は彼らをおおい、彼らは鉛のように、大水の中に沈んだ。15:11主よ、神々のうち、だれがあなたに比べられようか、だれがあなたのように、聖にして栄えあるもの、ほむべくして恐るべきもの、くすしきわざを行うものであろうか。15:12あなたが右の手を伸べられると、地は彼らをのんだ。15:13あなたは、あがなわれた民を恵みをもって導き、み力をもって、あなたの聖なるすまいに伴われた。15:14もろもろの民は聞いて震え、ペリシテの住民は苦しみに襲われた。15:15エドムの族長らは、おどろき、モアブの首長らは、わななき、カナンの住民は、みな溶け去った。15:16恐れと、おののきとは彼らに臨み、み腕の大いなるゆえに、彼らは石のように黙した、主よ、あなたの民の通りすぎるまで、あなたが買いとられた民の通りすぎるまで。15:17あなたは彼らを導いて、あなたの嗣業の山に植えられる。主よ、これこそあなたのすまいとして、みずから造られた所、主よ、み手によって建てられた聖所。15:18主は永遠に統べ治められる」。15:19パロの馬が、その戦車および騎兵と共に海にはいると、主は海の水を彼らの上に流れ返らされたが、イスラエルの人々は海の中のかわいた地を行った。 15:20そのとき、アロンの姉、女預言者ミリアムはタンバリンを手に取り、女たちも皆タンバリンを取って、踊りながら、そのあとに従って出てきた。 15:21そこでミリアムは彼らに和して歌った、「主にむかって歌え、彼は輝かしくも勝ちを得られた、彼は馬と乗り手を海に投げ込まれた」。15:22さて、モーセはイスラエルを紅海から旅立たせた。彼らはシュルの荒野に入り、三日のあいだ荒野を歩いたが、水を得なかった。 15:23彼らはメラに着いたが、メラの水は苦くて飲むことができなかった。それで、その所の名はメラと呼ばれた。 15:24ときに、民はモーセにつぶやいて言った、「わたしたちは何を飲むのですか」。 15:25モーセは主に叫んだ。主は彼に一本の木を示されたので、それを水に投げ入れると、水は甘くなった。その所で主は民のために定めと、おきてを立てられ、彼らを試みて、 15:26言われた、「あなたが、もしあなたの神、主の声に良く聞き従い、その目に正しいと見られることを行い、その戒めに耳を傾け、すべての定めを守るならば、わたしは、かつてエジプトびとに下した病を一つもあなたに下さないであろう。わたしは主であって、あなたをいやすものである」。15:27こうして彼らはエリムに着いた。そこには水の泉十二と、なつめやしの木七十本があった。その所で彼らは水のほとりに宿営した。 女預言者でモーセとアロンの姉のミリアムが、他の女たちとともにタンバリンを手に、数百年にわたる奴隷の状態から救い出し、劇的にエジプト軍を打ち破った主への賛美は、歌にあわせて踊り出したときは、此の歌声はイスラエルの民を引き入れ延々と続いたことでしょう。詩歌の要点は肉迫するエジプト軍に怯えるイスラエルの民に対してモーセの、これは主の戦いである、あなた達は静かにしていなさいと言ったことを思い出して歌ったものです。しかし、アロンの姉のミリアムがモーセに立ち向かうことが生じます。此の中盤のペリシテの住民はイスラエルの宿敵であり、占領さえされた民族、エドムはイサクの長男エサウの血統、モアブは山沿いの民、カナンは平野の民です。これからイスラエルは、約束の地に向かって進んでいき、行く手に立ちふさがるであろうこれらの諸民族も、あのエジプトでさえ、イスラエルの神の前には無力だったと沈黙すると歌っています。「あなたの嗣業の山に植えられる」と歌われている嗣業とは、代々嗣いでいく業という意味で、旧約聖書ではおもに相続する土地のことを言います。イスラエルが子々孫々まで受けついでいく土地を、奴隷だった彼らに永遠の国土を、主が与えてくれると歌うのです。そして、イスラエルの真っ只中に主の聖所がおかれ、永遠に神である主に直接統治されると歌っているのです。ところがやがてイスラエルはその主に統治されるよりも人間の王に統治されるほうが良いと言って主から離れていきますが、後の聖王ダビデはイスラエルの「真の王」は主であると断言しています。それ故にイスラエルは長きに亘って、士師(捌き司)を戴くことはあっても、本来的な王による統制形態は無かった。仮にモーセが王に就くと言えば民の反対は出ないと考えられるにも拘わらず、何故に王政を採らなかったか。一つにはモーセがエジプトに於けるファラオの世継ぎ争いでの国の混乱、更には寄留人に王権が奪略されていまった中期ファラオの時代に、世襲制の地位の危うさを見たからに違いありません。二つ目はイスラエルの真の王が主なる神だと考えて、神以外に絶対者がいないことも主張しています。追手のエジプト軍から解放され、自由となったイスラエルはいざ、約束の地へと行進。ところが今度は内面の戦いが始まります。自己との戦い、不信仰との戦い、罪との戦いです。モーセが民を海辺から出発させ荒野に踏み入ってから三日目。早くもイスラエルは主に反抗を始めます。オアシスには辿り着いたものの水は苦くて飲めない。指導者モーセに向かって「何を飲めって言うんだ」と不平を言いだす始末。このマラ(苦い)での不平は、神の民イスラエルの反抗の苦い一歩となりました。
2013年08月08日
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「旧約聖書」出エジプト記 第14章後半・紅海渡渉 14:10パロが近寄った時、イスラエルの人々は目を上げてエジプトびとが彼らのあとに進んできているのを見て、非常に恐れた。そしてイスラエルの人々は主にむかって叫び、 14:11かつモーセに言った、「エジプトに墓がないので、荒野で死なせるために、わたしたちを携え出したのですか。なぜわたしたちをエジプトから導き出して、こんなにするのですか。 14:12わたしたちがエジプトであなたに告げて、『わたしたちを捨てておいて、エジプトびとに仕えさせてください』と言ったのは、このことではありませんか。荒野で死ぬよりもエジプトびとに仕える方が、わたしたちにはよかったのです」。 14:13モーセは民に言った、「あなたがたは恐れてはならない。かたく立って、主がきょう、あなたがたのためになされる救を見なさい。きょう、あなたがたはエジプトびとを見るが、もはや永久に、二度と彼らを見ないであろう。 14:14主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい」。 14:15主はモーセに言われた、「あなたは、なぜわたしにむかって叫ぶのか。イスラエルの人々に語って彼らを進み行かせなさい。 14:16あなたはつえを上げ、手を海の上にさし伸べてそれを分け、イスラエルの人々に海の中のかわいた地を行かせなさい。 14:17わたしがエジプトびとの心をかたくなにするから、彼らはそのあとを追ってはいるであろう。こうしてわたしはパロとそのすべての軍勢および戦車と騎兵とを打ち破って誉を得よう。 14:18わたしがパロとその戦車とその騎兵とを打ち破って誉を得るとき、エジプトびとはわたしが主であることを知るであろう」。 14:19このとき、イスラエルの部隊の前に行く神の使は移って彼らのうしろに行った。雲の柱も彼らの前から移って彼らのうしろに立ち、 14:20エジプトびとの部隊とイスラエルびとの部隊との間にきたので、そこに雲とやみがあり夜もすがら、かれとこれと近づくことなく、夜がすぎた。 14:21モーセが手を海の上にさし伸べたので、主は夜もすがら強い東風をもって海を退かせ、海を陸地とされ、水は分かれた。 14:22イスラエルの人々は海の中のかわいた地を行ったが、水は彼らの右と左に、かきとなった。 14:23エジプトびとは追ってきて、パロのすべての馬と戦車と騎兵とは、彼らのあとについて海の中にはいった。 14:24暁の更に、主は火と雲の柱のうちからエジプトびとの軍勢を見おろして、エジプトびとの軍勢を乱し、 14:25その戦車の輪をきしらせて、進むのに重くされたので、エジプトびとは言った、「われわれはイスラエルを離れて逃げよう。主が彼らのためにエジプトびとと戦う」。 14:26そのとき主はモーセに言われた、「あなたの手を海の上にさし伸べて、水をエジプトびとと、その戦車と騎兵との上に流れ返らせなさい」。 14:27モーセが手を海の上にさし伸べると、夜明けになって海はいつもの流れに返り、エジプトびとはこれにむかって逃げたが、主はエジプトびとを海の中に投げ込まれた。 14:28水は流れ返り、イスラエルのあとを追って海にはいった戦車と騎兵およびパロのすべての軍勢をおおい、ひとりも残らなかった。 14:29しかし、イスラエルの人々は海の中のかわいた地を行ったが、水は彼らの右と左に、かきとなった。14:30このように、主はこの日イスラエルをエジプトびとの手から救われた。イスラエルはエジプトびとが海べに死んでいるのを見た。 14:31イスラエルはまた、主がエジプトびとに行われた大いなるみわざを見た。それで民は主を恐れ、主とそのしもべモーセとを信じた。 意気揚々と行軍した筈の60万人を抱えるイスラエル軍団は心はすでに約束の地だったのに、土煙を蹴立てて背後に迫るエジプトの戦車軍団を見るやいなや忽ち恐慌状態、人数では圧倒的にイスラエルが上回っているとは言え、ろくな武器もない上に、奴隷上がりの根性では戦い方も知らず、更にはその勇気もない。たとえ屈強な若者が何人かいたところで、非戦闘員や家畜を抱えて軍陣も敷けません。そこで彼らはモーセに、何のために我々を連れ出したんだと詰め寄ります。荒野で死なせるためにか、荒野よりエジプトほうがまだましだからと言ったじゃないかと。目の前の現実に民は狼狽し混乱、しかし、エジプトで当然に指導者としての軍事、天文・地理学の教育と強烈な主への信仰がモーセを揺るがす筈もなく、毅然として民の反抗を主にとりなす。主はモーセの信仰とアブラハムへの約束のゆえに、民を憐れむ。それが此れ以降の旅路で繰り返されることとなります。絶望に狩られるイスラエルびとを敢えて背水の陣を敷かせたモーセと主お真意はどこにあるのか、それをモーセは、今日は主が戦うのだからと民を落ち着かせます。迫り来るエジプト軍の戦車と蹄の音、その時、主はモーセに民の出発を促せました。海と荒野に挟まれて、一体どこへ向かって出発せよというのでしょう。しかし、モーセが海に向かって杖を高く上げ、手を海に向かって差し伸べたとき、それが始まります。主が夜もすがら激しい東風をもって海を押し返され、更なる奇跡は泥濘んだ堆積物ではなく乾いた地面が現れたのです。海は乾いた地に変わり、水は分かたれ、彼らの右と左に壁のようになったので、イスラエルの民は海の中の乾いた所を進んで行きます。加えて民を先導していた、此れ以降も主を象徴する雲の柱が、民の背後に移動したのです。この雲のためにエジプト軍は一晩中イスラエルに近づけなかったと書かれていますから、ただの雲ではないのでしょう。しかし海の水が押し返されるほどの風が、イスラエルの人々が進む間も吹き続けるとは考え難い。それだけの風速なら何もかも吹き飛ばされてしまい、民にも相当の被害があった筈です。ここは高潮又は津波だったのでしょう。先程、イスラエルの民を奴隷上がりの根性と記しましたが、左右両壁の海の垣根を通る勇気には驚かされます。そしてイスラエルが前進をはじめたときに雲の柱は、再び民の先頭へ移動したのでしょう。エジプト軍はイスラエルの後を追って、海の中に現れた道へ殺到します。両壁の海を見れば主の力を恐れた筈ですが、例の通り主がエジプト軍を頑迷にしていたのでしょうか。イスラエルに迫るエジプト軍。しかしまたも主がエジプト軍の戦車の車輪を外して、進みにくくします。数々の戦いで勝利を収め、次なる戦いにそなえて整備を怠らなかったはずの戦車の異常、ここへ来て漸く、エジプト軍は我々の敵はヘブライの奴隷ではない。エジプトの神々よりはるかに強大な神だと気づき、退却しようとしますが、万事休す。イスラエルが対岸にたどり着いたところで主がモーセに命じて海に手を差し伸べさせると、水がエジプト軍の上に、夜が明ける前に海は元通り、イスラエルを追って海の中の道に入ったエジプト軍には一人の生存者もいなかった。民はこの主の神業(みわざ)をみて、畏れるとともに、信仰を堅く、主を「私達をエジプトから引き出した主」と呼称します。
2013年08月07日
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2013年08月06日
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「旧約聖書」出エジプト記 第14章前半・行き場のないイスラエル 14:1主はモーセに言われた、 14:2「イスラエルの人々に告げ、引き返して、ミグドルと海との間にあるピハヒロテの前、バアルゼポンの前に宿営させなさい。あなたがたはそれにむかって、海のかたわらに宿営しなければならない。 14:3パロはイスラエルの人々について、『彼らはその地で迷っている。荒野は彼らを閉じ込めてしまった』と言うであろう。 14:4わたしがパロの心をかたくなにするから、パロは彼らのあとを追うであろう。わたしはパロとそのすべての軍勢を破って誉を得、エジプトびとにわたしが主であることを知らせるであろう」。彼らはそのようにした。 14:5民の逃げ去ったことが、エジプトの王に伝えられたので、パロとその家来たちとは、民に対する考えを変えて言った、「われわれはなぜこのようにイスラエルを去らせて、われわれに仕えさせないようにしたのであろう」。 14:6それでパロは戦車を整え、みずからその民を率い、 14:7また、えり抜きの戦車六百と、エジプトのすべての戦車およびすべての指揮者たちを率いた。 14:8主がエジプトの王パロの心をかたくなにされたので、彼はイスラエルの人々のあとを追った。イスラエルの人々は意気揚々と出たのである。 14:9エジプトびとは彼らのあとを追い、パロのすべての馬と戦車およびその騎兵と軍勢とは、バアルゼポンの前にあるピハヒロテのあたりで、海のかたわらに宿営している彼らに追いついた。 イスラエルを「去らせた」のですが、ファラオとその家臣はいまさらに、荒野に三日の道のり程を行くだけというモーセの弁を真に受けていたわけでもありませんでしょう。しかしあらためてイスラエルが逃亡したとの事後報告を受けては、空にレンガを焼く竈の煙が絶えたのを見ると、ファラオも家臣たちも十の災禍や過越の恐ろしささえ忘れて、一体全体何ということをしたのだろう。イスラエル人を労役から解放するとはと後悔に駆られます。それもそう、ある日突然に20歳以上の兵役に就ける男性だけでも60万人という労働力を失ったのだから当前です。しかも奴隷にやらせていたような苦労働、市民がやりたい筈がないのも頷けます。ファラオはイスラエルを連れ戻すために自ら先頭に立って出陣しました。直属精鋭部隊の強力な戦車600を含むエジプトの全戦車、そして騎兵と歩兵を従え追撃します。みずからも戦車に飛び乗って。そして見つけたのは、海と荒れ野に挟まれて逃げ場を失っているかのようなイスラエルの宿営。ところが其の以前に、主はモーセにひとつの指示を出しています。イスラエルの人々に、引き返してミグドルと海との間のピ・ハヒロトの手前で宿営するよう命じなさい。バアル・ツェフォンの前に、それに面して、海辺に宿営するのだと。この地名が現在では何処を指しているのか論議のあるところですが、海を目前にした行き止まりであったことは確かなようです。此れこそが主が、ファラオの全軍を率いて追撃したそれを打ち破って栄光を現し、イスラエルの神こそ主であることをエジプト人に知らしめるものだったのです。
2013年08月06日
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「旧約聖書」出エジプト記 第13章後半・昼は雲の柱、夜は火の柱 13:16そして、これを手につけて、しるしとし、目の間に置いて覚えとしなければならない。主が強い手をもって、われわれをエジプトから導き出されたからである」。 13:17さて、パロが民を去らせた時、ペリシテびとの国の道は近かったが、神は彼らをそれに導かれなかった。民が戦いを見れば悔いてエジプトに帰るであろうと、神は思われたからである。 13:18神は紅海に沿う荒野の道に、民を回らされた。イスラエルの人々は武装してエジプトの国を出て、上った。 13:19そのときモーセはヨセフの遺骸を携えていた。ヨセフが、「神は必ずあなたがたを顧みられるであろう。そのとき、あなたがたは、わたしの遺骸を携えて、ここから上って行かなければならない」と言って、イスラエルの人々に固く誓わせたからである。 13:20こうして彼らは更にスコテから進んで、荒野の端にあるエタムに宿営した。 13:21主は彼らの前に行かれ、昼は雲の柱をもって彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らを照し、昼も夜も彼らを進み行かせられた。 13:22昼は雲の柱、夜は火の柱が、民の前から離れなかった。 更に創造者はこの聖別の定めを腕と額につけて記憶せよと命じています。ユダヤ教ではこれにしたがって、平日の朝の祈りの時間には、羊皮紙の巻き物を収めた小箱を腕と額に結わえ付けて祈るようになります。丁度山伏が額に付ける小箱のように。因みに新約聖書のイエスも長男故、父というよりは義父のヨセフと母マリアが生後八日目に贖いを捧げています。そのキリストが十字架に架けられたのは人間の贖罪ために、神の前に命を捧げたものです。さて、エジプトを出発した民イスラエルは、ヤハウェとアブラハムの契約による「約束の地」カナンを目指して旅立ちます。ナイル下流のデルタ地帯からパレスティナに行くなら、地中海沿岸にそって海沿いを行くのが近道ですが、主は彼らをそちらへは誘導せず荒れ野の方へ迂回させました。海沿いは以後で宿敵となる強力なペリシテ人の勢力範囲。イスラエルは、アブラハムの時代には周辺の王たちも一目おく豪族でしたが、その後は長い間、奴隷として生きてきたのです。戦わなければならないとなれば、民はエジプトに戻った方がいいと、主とモーセに反抗するでしょう。またイスラエルを近道の安易な道ではなく、遠回りの、困難な荒野に導かれた。今の民にはそれが必要だったのです。この民は神の救済を感謝するが、危機になればすぐにそれを忘れてしまう民だったから。彼らは試練を通して訓練を受けさせる要があったのです。そこで主は葦の海、恐らくは紅海渡渉の言葉に引っ掛かりがありますが、海に葦が育つ筈もなくシナイ半島北部海岸(北方コース説)、地中海を隔てる狭い地峡が発達したセルボニ湖を移動したのでしょう。「民数記」にある此処にヤーウェの許より風起こり出て海の彼方より鶉を吹きたりとして肉が与えられたとあります。此の海岸は鶉のが渡るときの休息地なので納得できます。此処ならば高潮やサントリーの火山噴火による津波で海が割れることも説明可能ですが、水は彼らの右左の垣根となれりとあり解釈が難しい面もあります。更に主は昼は雲の柱で導き、夜は火の柱で導いたとありますが、サントリーの火山噴火があったとしたら説明が容易となります。砂漠と言ってもいい荒れ野は、日中は暑く、夜は急激に冷え込みます。雲の柱は日差しから、火の柱は夜の寒さから、200万人とも言われる民を守ったのでしょう。民は昼も夜も行進することができたと記録されています。このとき、モーセはヨセフの遺骨或いはミイラを携えています。エジプトで宰相にまで上り詰め、父ヤコブの一族をエジプトに移住させた、あのヨセフです。ヨセフは死の間際に「神が必ず、父祖に誓われた約束の地へ連れ帰してくださるから、その時には私の骨を携えていってくれ」と遺言しましたが、数百年のときを経てその遺言が実行されたのです。
2013年08月05日
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「旧約聖書」出エジプト記 第13章前半・聖別 13:1主はモーセに言われた、 13:2「イスラエルの人々のうちで、すべてのういご、すなわちすべて初めに胎を開いたものを、人であれ、獣であれ、みな、わたしのために聖別しなければならない。それはわたしのものである」。 13:3モーセは民に言った、「あなたがたは、エジプトから、奴隷の家から出るこの日を覚えなさい。主が強い手をもって、あなたがたをここから導き出されるからである。種を入れたパンを食べてはならない。 13:4あなたがたはアビブの月のこの日に出るのである。 13:5主があなたに与えると、あなたの先祖たちに誓われたカナンびと、ヘテびと、アモリびと、ヒビびと、エブスびとの地、乳と蜜との流れる地に、導き入れられる時、あなたはこの月にこの儀式を守らなければならない。 13:6七日のあいだ種入れぬパンを食べ、七日目には主に祭をしなければならない。 13:7種入れぬパンを七日のあいだ食べなければならない。種を入れたパンをあなたの所に置いてはならない。また、あなたの地区のどこでも、あなたの所にパン種を置いてはならない。 13:8その日、あなたの子に告げて言いなさい、『これはわたしがエジプトから出るときに、主がわたしになされたことのためである』。 13:9そして、これを、手につけて、しるしとし、目の間に置いて記念とし、主の律法をあなたの口に置かなければならない。主が強い手をもって、あなたをエジプトから導き出されるからである。 13:10それゆえ、あなたはこの定めを年々その期節に守らなければならない。 13:11主があなたとあなたの先祖たちに誓われたように、あなたをカナンびとの地に導いて、それをあなたに賜わる時、 13:12あなたは、すべて初めに胎を開いた者、およびあなたの家畜の産むういごは、ことごとく主にささげなければならない。すなわち、それらの男性のものは主に帰せしめなければならない。 13:13また、すべて、ろばの、初めて胎を開いたものは、小羊をもって、あがなわなければならない。もし、あがなわないならば、その首を折らなければならない。あなたの子らのうち、すべて、男のういごは、あがなわなければならない。 13:14後になって、あなたの子が『これはどんな意味ですか』と問うならば、これに言わなければならない、『主が強い手をもって、われわれをエジプトから、奴隷の家から導き出された。 13:15そのときパロが、かたくなで、われわれを去らせなかったため、主はエジプトの国のういごを、人のういごも家畜のういごも、ことごとく殺された。それゆえ、初めて胎を開く男性のものはみな、主に犠牲としてささげるが、わたしの子供のうちのういごは、すべてあがなうのである』。 主はモーセを通して、総ての初子を聖別して我に捧げよ。イスラエルびとの間で初めに胎を開くものは全て人であれ家畜であれわたしのものである。聖別とは主のために、聖なる捧げ物ものとして他のものから区別するという意味です。主がエジプトを撃ったときには、すべてのエジプト人の男子の初子と、エジプトの家畜の牡の初子は死にました。しかし、イスラエルびとの初子とイスラエルの家畜の初子は、死の天使がその前を過ぎ越したので命を得ました。そのことを忘却することを許さないための、イスラエル人の初子とイスラエルの家畜の初子を他と区別して捧げ、主のものとせよというのが旧約聖書では最優先の掟なのです。其の厳しさはイスラエルびとの初子についても、本人を祭壇に捧げるかわりに動物で贖うことなどを基本としており、初穂を奉納する農耕民族には理解し辛い面があります。しかし、当時の中東では長男を生贄として火に捧げることは、頻繁に行われていたために、左程珍しくもなかったのです。それ故、本人を祭壇に捧げるかわりに動物で贖うことは画期的なことだった筈です。
2013年08月04日
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「旧約聖書」出エジプト記 第12章後半・エジプトに悲惨な過ぎ越し 12:29夜中になって主はエジプトの国の、すべてのういご、すなわち位に座するパロのういごから、地下のひとやにおる捕虜のういごにいたるまで、また、すべての家畜のういごを撃たれた。 12:30それでパロとその家来およびエジプトびとはみな夜のうちに起きあがり、エジプトに大いなる叫びがあった。死人のない家がなかったからである。 12:31そこでパロは夜のうちにモーセとアロンを呼び寄せて言った、「あなたがたとイスラエルの人々は立って、わたしの民の中から出て行くがよい。そしてあなたがたの言うように、行って主に仕えなさい。 12:32あなたがたの言うように羊と牛とを取って行きなさい。また、わたしを祝福しなさい」。 12:33こうしてエジプトびとは民をせき立てて、すみやかに国を去らせようとした。彼らは「われわれはみな死ぬ」と思ったからである。 12:34民はまだパン種を入れない練り粉を、こばちのまま着物に包んで肩に負った。 12:35そしてイスラエルの人々はモーセの言葉のようにして、エジプトびとから銀の飾り、金の飾り、また衣服を請い求めた。 12:36主は民にエジプトびとの情を得させ、彼らの請い求めたものを与えさせられた。こうして彼らはエジプトびとのものを奪い取った。 12:37さて、イスラエルの人々はラメセスを出立してスコテに向かった。女と子供を除いて徒歩の男子は約六十万人であった。 12:38また多くの入り混じった群衆および羊、牛など非常に多くの家畜も彼らと共に上った。 12:39そして彼らはエジプトから携えて出た練り粉をもって、種入れぬパンの菓子を焼いた。まだパン種を入れていなかったからである。それは彼らがエジプトから追い出されて滞ることができず、また、何の食料をも整えていなかったからである。 12:40イスラエルの人々がエジプトに住んでいた間は、四百三十年であった。 12:41四百三十年の終りとなって、ちょうどその日に、主の全軍はエジプトの国を出た。 12:42これは彼らをエジプトの国から導き出すために主が寝ずの番をされた夜であった。ゆえにこの夜、すべてのイスラエルの人々は代々、主のために寝ずの番をしなければならない。 12:43主はモーセとアロンとに言われた、「過越の祭の定めは次のとおりである。すなわち、異邦人はだれもこれを食べてはならない。 12:44しかし、おのおのが金で買ったしもべは、これに割礼を行ってのち、これを食べさせることができる。 12:45仮ずまいの者と、雇人とは、これを食べてはならない。 12:46ひとつの家でこれを食べなければならない。その肉を少しも家の外に持ち出してはならない。また、その骨を折ってはならない。 12:47イスラエルの全会衆はこれを守らなければならない。 12:48寄留の外国人があなたのもとにとどまっていて、主に過越の祭を守ろうとするときは、その男子はみな割礼を受けてのち、近づいてこれを守ることができる。そうすれば彼は国に生れた者のようになるであろう。しかし、無割礼の者はだれもこれを食べてはならない。 12:49この律法は国に生れたものにも、あなたがたのうちに寄留している外国人にも同一である」。 12:50イスラエルの人々は、みなこのようにし、主がモーセとアロンに命じられたようにした。 12:51ちょうどその日に、主はイスラエルの人々を、その軍団に従ってエジプトの国から導き出された。 イスラエルびとは、慌ただしく過ぎ越しと出発の支度を進めます。そして遂に神である主が定めた日の真夜中。神の使いである死の天使がエジプトを行き巡って、門と鴨居に羊の血を塗っていなかったすべての家の初子を撃ちます。ファラオも、国を継がせる筈の初子であった王子を失いました。家臣たちも跡取りも、民も、収監されている捕虜も、神聖な牛でさえ、初子を失います。が死んだのです。死人の出なかった家は一軒もなかったので、大いなる叫びがエジプト中に起こった、と記録されています。ファラオの頑迷さのゆえに、今迄虐げられて助けを求めて叫んでいた奴隷のイスラエルに変わり、今度はエジプトが叫ぶ番になったのです。今までの災厄のように自然災害で済ますことの出来得ない禍である大惨事で、頑迷なファラオも遂に主の前に屈します。その夜のうちに、モーセとアロンを呼び出し、イスラエルの出国要求を全面的に呑んだのです。そのファラオ同様、エジプトの民もこれ以上イスラエルを留まらせたら、初子の死の次は自分たちが死ぬ番かもという恐怖から、イスラエルの出国を急き立てます。勿論のこと、モーセの指示どおりエジプト人から金銀の装飾品を分捕ります。主が干渉したので、エジプト人は喜んで求められるままに差し出しイスラエルは分捕り品を長年にわたる苦役の代価として揚々と出発したのです。其の数、その数、兵役に就ける壮年男子だけでも60万人と記されていますが、妻子を数えればとてもじゃないけれど、それだけの奴隷をエジプトはどうやって管理していたのかとも思われ、ヤコブが一族僅か70人とともにエジプトに寄留してから430年だけで、幾ら多産だとしてもこれだけの数の民になるには可能としても多すぎます。旧約聖書のその後のイスラエルびとの行動記述からも其れだけの数があれば、エジプト国内でも一大戦力と成り得て、かえってエジプトは反乱があった時にはと怯えたことでしょう。まして、紅海渡渉にモーセの命令あればこそ、一団となって渡ることなど考えられません。更には種々雑多な人々も加わったとあります。同じように奴隷になっていた異国人がいっしょに逃げ出したのでしょうか。しかし、彼らはやがて、イスラエルびとを巻き込んでま主に不平を言うようになります。其れ等の種々雑多な人々も加わったために、主は過越しの律法を置きます。第一は、外国人についての規定、外国人は祭に加わることは出来ないとされますが、割礼を受けて主への信仰を表明さえすれば、アブラハムとヤハウェの契約に参与する者とされ、祭に加わることが許されました。血は命である。被造物の血が流されることによって、イスラエルの血が流れずにすむ。神は羊をほふることにより、イスラエルの罪を購われる。イスラエルの民は、この過越の出来事を祭儀の中で、繰り返し、想起する。そして民は神の言葉に接して礼拝した。新約聖書ではイエスは過越の祭りの時に十字架に架けられます。過越の出来事は時代を超えた出来事だと説いているのです。
2013年08月03日
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2013年08月02日
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「旧約聖書」出エジプト記 第12章前半・アビブの月 12:1主はエジプトの国で、モーセとアロンに告げて言われた、 12:2「この月をあなたがたの初めの月とし、これを年の正月としなさい。 12:3あなたがたはイスラエルの全会衆に言いなさい、『この月の十日におのおの、その父の家ごとに小羊を取らなければならない。すなわち、一家族に小羊一頭を取らなければならない。 12:4もし家族が少なくて一頭の小羊を食べきれないときは、家のすぐ隣の人と共に、人数に従って一頭を取り、おのおの食べるところに応じて、小羊を見計らわなければならない。 12:5小羊は傷のないもので、一歳の雄でなければならない。羊またはやぎのうちから、これを取らなければならない。 12:6そしてこの月の十四日まで、これを守って置き、イスラエルの会衆はみな、夕暮にこれをほふり、 12:7その血を取り、小羊を食する家の入口の二つの柱と、かもいにそれを塗らなければならない。 12:8そしてその夜、その肉を火に焼いて食べ、種入れぬパンと苦菜を添えて食べなければならない。 12:9生でも、水で煮ても、食べてはならない。火に焼いて、その頭を足と内臓と共に食べなければならない。 12:10朝までそれを残しておいてはならない。朝まで残るものは火で焼きつくさなければならない。 12:11あなたがたは、こうして、それを食べなければならない。すなわち腰を引きからげ、足にくつをはき、手につえを取って、急いでそれを食べなければならない。これは主の過越である。 12:12その夜わたしはエジプトの国を巡って、エジプトの国におる人と獣との、すべてのういごを打ち、またエジプトのすべての神々に審判を行うであろう。わたしは主である。 12:13その血はあなたがたのおる家々で、あなたがたのために、しるしとなり、わたしはその血を見て、あなたがたの所を過ぎ越すであろう。わたしがエジプトの国を撃つ時、災が臨んで、あなたがたを滅ぼすことはないであろう。12:14この日はあなたがたに記念となり、あなたがたは主の祭としてこれを守り、代々、永久の定めとしてこれを守らなければならない。 12:15七日の間あなたがたは種入れぬパンを食べなければならない。その初めの日に家からパン種を取り除かなければならない。第一日から第七日までに、種を入れたパンを食べる人はみなイスラエルから断たれるであろう。 12:16かつ、あなたがたは第一日に聖会を、また第七日に聖会を開かなければならない。これらの日には、なんの仕事もしてはならない。ただ、おのおのの食べものだけは作ることができる。 12:17あなたがたは、種入れぬパンの祭を守らなければならない。ちょうど、この日、わたしがあなたがたの軍勢をエジプトの国から導き出したからである。それゆえ、あなたがたは代々、永久の定めとして、その日を守らなければならない。 12:18正月に、その月の十四日の夕方に、あなたがたは種入れぬパンを食べ、その月の二十一日の夕方まで続けなければならない。 12:19七日の間、家にパン種を置いてはならない。種を入れたものを食べる者は、寄留の他国人であれ、国に生れた者であれ、すべて、イスラエルの会衆から断たれるであろう。 12:20あなたがたは種を入れたものは何も食べてはならない。すべてあなたがたのすまいにおいて種入れぬパンを食べなければならない』」。 12:21そこでモーセはイスラエルの長老をみな呼び寄せて言った、「あなたがたは急いで家族ごとに一つの小羊を取り、その過越の獣をほふらなければならない。 12:22また一束のヒソプを取って鉢の血に浸し、鉢の血を、かもいと入口の二つの柱につけなければならない。朝まであなたがたは、ひとりも家の戸の外に出てはならない。 12:23主が行き巡ってエジプトびとを撃たれるとき、かもいと入口の二つの柱にある血を見て、主はその入口を過ぎ越し、滅ぼす者が、あなたがたの家にはいって、撃つのを許されないであろう。 12:24あなたがたはこの事を、あなたと子孫のための定めとして、永久に守らなければならない。 12:25あなたがたは、主が約束されたように、あなたがたに賜る地に至るとき、この儀式を守らなければならない。 12:26もし、あなたがたの子供たちが『この儀式はどんな意味ですか』と問うならば、 12:27あなたがたは言いなさい、『これは主の過越の犠牲である。エジプトびとを撃たれたとき、エジプトにいたイスラエルの人々の家を過ぎ越して、われわれの家を救われたのである』」。民はこのとき、伏して礼拝した。 12:28イスラエルの人々は行ってそのようにした。すなわち主がモーセとアロンに命じられたようにした。 あれほどの譲歩を足蹴にされても、奴隷たちを出発させるつもりなどは現人神としてのファラオにしては毛頭微塵たりともなかったでしょう。しかしイスラエルの主たる神ヤハウェは、ファラオの意向などとは無関係に、イスラエルのエジプト脱出の準備を強引に始めます。主はアビブ即ち大麦の穂が出始める頃、現代の暦で3月から4月、それまでのイスラエルの七番目の月だった「アビブの月」を年初めの正月として「過越の祭り」を制定し、子々孫々まで祝うように命じました。この祭名の由来はは、最後の災いがイスラエル人の家は過ぎ越して、エジプト人だけを襲いその家の初子を殺したということに基づきます。主はこの儀式の意味を子供たちに尋ねられたなら「これは主の過越の犠牲だ。主がエジプト人を撃った時、イスラエルの人々の家を過ぎ越し、我々の家を救われたのだ」と答えて、代々伝承するようにも命じす。さあ此れでエジプト脱出の準備完了です。また主の過越の日に羊の血を家の入り口の両脇の柱とその上の鴨居に塗っておけば、信じて血を塗ったエジプト人であっても災厄を免れた筈です。
2013年08月02日
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「旧約聖書」出エジプト記 第11章・選民思想の根拠 11:1主はモーセに言われた、「わたしは、なお一つの災を、パロとエジプトの上にくだし、その後、彼はあなたがたをここから去らせるであろう。彼が去らせるとき、彼はあなたがたを、ことごとくここから追い出すであろう。 11:2あなたは民の耳に語って、男は隣の男から、女は隣の女から、それぞれ銀の飾り、金の飾りを請い求めさせなさい」。 11:3主は民にエジプトびとの好意を得させられた。またモーセその人は、エジプトの国で、パロの家来たちの目と民の目とに、はなはだ大いなるものと見えた。 11:4モーセは言った、「主はこう仰せられる、『真夜中ごろ、わたしはエジプトの中へ出て行くであろう。 11:5エジプトの国のうちのういごは、位に座するパロのういごをはじめ、ひきうすの後にいる、はしためのういごに至るまで、みな死に、また家畜のういごもみな死ぬであろう。 11:6そしてエジプト全国に大いなる叫びが起るであろう。このようなことはかつてなく、また、ふたたびないであろう』と。 11:7しかし、すべて、イスラエルの人々にむかっては、人にむかっても、獣にむかっても、犬さえその舌を鳴らさないであろう。これによって主がエジプトびととイスラエルびととの間の区別をされるのを、あなたがたは知るであろう。 11:8これらのあなたの家来たちは、みな、わたしのもとに下ってきて、ひれ伏して言うであろう、『あなたもあなたに従う民もみな出て行ってください』と。その後、わたしは出て行きます」。彼は激しく怒ってパロのもとから出て行った。 11:9主はモーセに言われた、「パロはあなたがたの言うことを聞かないであろう。それゆえ、わたしはエジプトの国に不思議を増し加えるであろう」。 11:10モーセとアロンは、すべてこれらの不思議をパロの前に行ったが、主がパロの心をかたくなにされたので、彼はイスラエルの人々をその国から去らせなかった。 ファラオの前を退出しようとするモーセに、主は最後の禍をファラオに伝えるように命じます。この禍によってイスラエルにエジプトを出ていかせる、否一人残らず追い出すことになると。主はモーセには、真夜中に私の「死の天使」がエジプトの中を進む。そのとき、エジプト中の初子は、ファラオの王子から貧しい者の子にいたるまで、さらには家畜の子までもがすべて死ぬ。このために、かつてなく今後も起こらない程の非常な叫びがエジプト全土に湧き起こるが、イスラエルびとの住む地では叫びどころか犬の唸り声さえ起きない。これによって主がエジプトとイスラエルを区別しておられることを知るようになる。此処ではそれがいつの夜なのか明らかにされなく、一層の恐怖がファラオを襲ったでしょう。当然にファラオも魔術師たちや神官などを総動員してこの戦いを凌ごうとした筈です。しかしこの第十の災厄だけは、未だ新約聖書のような「愛の神」では無く、「怒りの神・妬みの神」が前面の押し出され、世界になかった創造者の報復です。エジプトにとって最後の災いは最大の恐怖の悪魔の登場という訳でしょう。エジプト全土に悲しみの叫びが起こるのは、エジプトがイスラエル人を弾圧して叫ばせた故である。ファラオの犯した罪の報いをエジプト中の子たちが受ける。これは、私たちの理解を超えた出来事です。ソドムとゴモラの破壊では、ただ一人でも正義の人がいれば、破壊しないと言った同じ神です。ナチスの犯した罪の報いをドイツの子供たちが引き受け、日本では多くの子供たちがアメリカ軍の原爆によって死んだのは何故か、私たちには宗教的真実としては今は全てを知ることが許されていない。この事件ははエジプトにとっては災いではあったが、イスラエルには救いの出来事であった。それ故幾度もの神への不信は見られるものの、主が選んだ民族の神としての主への強烈な信仰が芽生え、やがてその事が選民思想、汎ユダヤ主義及びシオニズム運動へ発展していきます。
2013年08月01日
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