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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想9(六百七十五) 人類は理性を獲得した瞬間から、何時如何なる生活圏、文明や地域或は国家を問わず、「時」に長さの単位を与えています。此のことが、人類をとりわけホモ・サピエンスが地上に現れ集団社会を発展に導く要因となったのは旧約聖書を読破するまでもなく、人間精神の観想の中に取り込まれています。有史以前から人類は「モノの変化」を単なる変換とは捉えず「モノの変動」として観想する精神の深層に感応し意識する理性に恵まれ、其の理性が数学的論理には未だ不知だとしても「時の長さ」を生物界一般の物理的に太陽や月の地上及び海中に与える物理的性質に関しても、其のままを受け入れるのではなく、「時そのもの」が長さと共に、たとえ「時の単位」を明示化するものは知らなくとも、自己意識には取り込んで来ました。但し、「古ゲルマン」と称せられる北欧ゲルマン人は、世界内物質の環境変化と時間に明瞭には区別を与えていません。其れ故に太陽が昇り、夕陽となっており下り、月が出て、再び昇る太陽の曙を時刻的単位の集合とは考えていなかった、時間の循環は考慮の外でした。時間とは未来から過去へと一方的で直線的に流れるゲルマン的時間意識そのものであり、キリスト教の過去から未来への直線的時間観は、布教が浸透するまでは時間も神々の日々として認識しています。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月31日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想8(六百七十四) 時刻という言葉の意味合いを時間と同一の語彙とするのは、一般的ではではあるが通俗的な誤りで「時」の実態を誤謬し其の実相を観想するには陥穽(かんせい)と混乱が待ち受けます。「時刻」とは時の流れの中の或る一点、{時間」とは時刻と別のある時刻の世界の動き或は変遷を伴う「何もの」かを指しています。此処で「時間」を「何もの」かと言ってるのは時間が重力子や光子などとは些(いささ)赴(おもむ)くところを異にするからです。時の性状は不可解です。「時刻」は時の流れの中の点であるからには其処に長さや大きさや変化は有り得ません。時間に変化が持たされるには「時刻」の積み重なる概念だけでは足りません。点は幾ら集合しても幅を持たない「点」に過ぎないからです。更には現在時の点と未来の予想点に継続性を齎す時間特有の流れの幾許かの特性、更には絶対的特性が無ければ時間は「一点の時刻」に過去・現在・未来が、人間とは異質の永遠の一瞬に、特の流れ其の物とは別に、水平線上(X軸)に垂直の絶対時間をY軸に持つ点の集合にしか成りません。「時」に「時自体」として持つ特性としての長さと変化を与え、将又、「時」に運行を齎すものなしでは長さと変化の実相が見えては来ないのです。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月30日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想7(六百七十三) ビッグバンを起点にして大宇宙の創造が始まったにしても、人間身体の一部の頭脳にして精神である理性もってしても其れを認識し、ましてや見聞することは有り得ません。人類には、宗教的な体裁を帯びる仏教哲学を除けば、観相することは成し得ませんでした。大乗仏教哲学の創始者「龍樹(ナーガールジュナ)」のみが、人間の心の倫理的実存、即ち内精神を鑑み「時間の流れ」其のものを否定します。彼の著「空論」から類推して大宇宙を発生させた「ビッグバン」は有と無を離れたものだとしても「今」現在には「ビッグバン」其のものは大宇宙には存在しないし、人間の論理的実存が描く未来にも存在しない。「今」にしても流れる「一瞬」と考察しても時は止まらない。人間の思考する時間は始まりもなく終末もない、まして、時刻の一点などは人間の精神の環境的対応であり、砂上の楼閣だと決めつけます。然し乍ら、此のことは「コアの爆発(Bigbang)の重力子の海が空間の創生や働きがけは当然ながら考慮はされてはいません。但し、龍樹が世祖として崇める{仏祖シッダルタ」同様に、世界に過去や現在及び未来の物理的世界の運動を否定したのではなく、其のことに囚われる人間精神の愚かさを説くのだとすれば、世界存在、将又、世界内空間に実存するもの全てを変化するものとは認識しています。人間の考察とは異次元にあり、世界に過去や現在及び未来の物理的世界の運動を否定したのではなく、其のことに囚われる人間精神の愚かさを説くのであり、世界存在、将又、世界内空間に実存するもの全てを變化(へんげ)するものとは捉えますが時間に対しては異論を述べます。龍樹の説く「空の論理」が浮上します。時間を変化としても捉えない世界とは如何なるものでしょう。思い浮かぶのはベルグソン等が説く「神の永遠の瞬間」「瞬間の無限」しか思い付かないのが当然の帰結です。現代科学理論からみれば龍樹が「思考」で描いた空理論は「無から有」や「有から無}の変動理論を知らないのだからから当然ですが、現代科学を以ってしても「時間」を物質的量子の変動や原子とは捉えられず「時間因子」という心許ない答が顕れます。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月29日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想6(六百七十二) 地上に舞い降りた大天使等を除き、内世界に発生した人類は其の胎内に生きる限りは、大宇宙の「理(摂理)」からの制限を免れ得ることは有り得ません。然し乍ら、「時」の性状が「時刻」の積み重ねというよりは内的宇宙の見掛けの変化運動だとしたら、「時」は一瞬或は永遠として俯瞰出来得る筈です。此の摂理は「神」を想定すれば案外簡単に解決できます。時間線上にY軸垂直線の神は時間線Xからの影響を被らないでいられるからです。然し乍ら、人間が未来から現在更には過去への移行する時間線を超えた存在に成れるのかどうかというと甚だ疑問です。肉体を保持しながら人間そのものの至高の精神思考を持って覚りの境地に高め「仏」の文字で冠せられる「釈尊」を覗いては史上には現出したことがないといっても過言ではないからです。否、ナザレのイエスであるキリストはどうだといえば、元来が「神」であるものから神の人間への慈しみから人間の肉体を持って派生した人物ですからの「神」の目的が肉体をもって死すること自体がイエスの誕生の持つ意味ですから、人間の肉体を持っている限りは其の束縛を免れ得ず神に召されます。ある意味で、時間を追求することは人類が獲得した、若しくは何者かに授与された精神の基底です。過去の記憶や記録がなければ人類は遺伝淘汰による進化しかなく、未来を見据える精神の働きこそが人類をゴキブリと区別するのだと云えます。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月28日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想5(六百七十一) 「時間」という言葉の語彙は案外に曖昧です。貴方を長い或は永い間待っていたのよ、と言われても其の状況背景により時間「時点間}の意味する長短は変幻自在に状況や個人や年齢差で感受されたものが表現されています。愛し焦がれる人との待ちわびるデートでの時間感覚は長く、クジラやマグロの年漁の夫の胎児を抱えた新婚の母親が港で待つ時間も同様に時間は経たない経験をします。毎秒約55回最高では約80回の高速で羽ばたき、空中で静止するホバリング飛翔を行う鳥類の中で、最も体が小さいグループであり、キューバに生息する全長6cm、体重2g弱のマメハチドリ( Calypte helenae)に、仮に時間観想能力を授けられたとするならば、人間は超緩慢な動きをなし、さも我々人間がゾウガメを見るよりもイライラがつのるでしょう。昆虫を除けば、ホバリングや高速飛行中の翼の高速な振動を維持するために、ハチドリは全動物中で最も活発な代謝をおこない、 心拍数は毎分1260回に届き程、安静時でも呼吸数が毎分250回になるのであるから人間から観相すれば忙しい其のものですが、彼等は其れが正常の時間の流れと感じている筈です。時間の定義は事程左様に面倒なものです。此処に厳然と現在する「時」の有無が浮上します。人間が或る条件のもとに定義した時の刻みは、哲学や芸術及び自然科学や心理学に圧し掛かる要素なのです。時の刻みとは機械式或は電子発振の表層に過ぎないかもとの疑念も浮上します。時とは「時刻」を意味し他の要素を持ち込まないこととすることと定義することが単純明快ですが、人間精神に蓄積された理性は其れを許容しません。変化が其れを許容することを拒みます。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月27日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想4(六百七十) 超巨大なブラックホールの内部では中心に近づく程に時間が間延びして遅延することは、時間の特性に質量的な要因である重力が絡んでいることは容易に推察できます。此のことから、「無」或は「絶対意思」、宗教的な「神」の何(いず)れかにより、宇宙の始まりである「コア(核)の爆発」であるビッグバンに重力子が齎す重力の海が時間を発生させたことに鑑み時間と重力には密接な繋がりがあるようです。其の時間ですが、西洋では「TIME」をタイムライン{時間線」といった表現を用い、図式では過去を左端に、現時を点、未来を右矢印として表現されますが、一般的は左端には始発点は無く、ライン化された未来も終着点を示さないのが、人類史の観想する時間概念や大宇宙世界の定常的な大宇宙世界の時間観相の描き方です。大宇宙の過去に始元が有るのならば、無から有が発生し現在時に有として存在し、未来へも存続可能なものとしてはエントロピーを認識する必要に迫られ無に帰すことが当然となります。此のことが内宇宙に発生し、精神を獲得した人類の重要なテーゼと成り、哲学や芸術及び自然科学や心理学に圧し掛かる(おしかかる)ことになります。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月25日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想3(六百六十九) 時間とは、人間が世界の出来事や其の動向及び変化を観想するのに基礎づけられた概念です。前提に「時間」其のものの有無を問うこと其のものが第一義ですが、人類文明の基礎を成す哲学や芸術及び自然科学や心理学では命題として掲げられるものの、定義は其々に異なった解釈がされています。我々人間が日常的には時間を漠然と受け入れて、未来から現時である「今現在時(現時の刻)」即ち流れ得る「時の一点」を「今」とし、過去の時は流れ去って今は史上や記録上の現代に及ぼした蓄積であると考えます。極論すれば「時間」は大宇宙の存在の外存在或は「無」を除く世界内での枠的箍(たが)と言っても差し支えないでしょう。時間表現の中に顕れる「時刻」とは、或る特定の一瞬を表し、其処には過去も現時も未来の区別なく特定出来得る時間の流れの特異点です。時間の流れの特異点を最も顕著に表すのが「コア(核)の爆発」とされるビッグバン(Bigbang)でしょう。時間が発生してないので、当たり前ですが時間経過もなく瞬間爆発ともいえる物理現象は存在自体に致命的な外枠を強制します。更には超巨大なブラックホールでは、もはや光さえ巨大重力に掴まれ動くことが出来ないところから、時間は遅延若しくは間延びすると考えられています。時間が発生したとされる大宇宙の誕生は、人類が世界内に築き進化した精神が内世界に存在する限りには踏み越えきれない観念でしか捉えきれない世界の誕生と成長、やがてエントロピーが襲いかかる世界なのです。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月24日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想2(六百六十八) 渡り鳥が渡りの時期を日時で決めるわけでもなく、珊瑚が産卵の時期を日時で知る筈もなく、亀の定期的な産卵にしても、何れも時間は影に潜んで、進化段階に置ける生存本能が大きく擡(もた)げられ、太陽と月の運行の環境変化が本能的な段階にまで浸透されて行動あお成さしめています。人類にしても、ホモ・サピエンスの曙では同様だったでしょう。時間そのものが此の時点では未だ認識されてはいない筈です。時間は人類が理性を獲得して認識能力を手中にしたときから観相されて初めて発見されたものです。其の原点は「太陽」と「月」の運行にあります。農作物や狩猟及び漁業にとっては欠くべからざるものであり、「太陽」と「月」の運行が収穫の時間や猟期や漁期を認識させます。時間観念そのものはエジプト文明ならずも古代文明は当然に持ち合わせていましたが、時間を計る発想はが紀元前4世紀から紀元前1世紀の真正のギリシア人都市とされる古代都市アフガニスタン北東のアム・ダリヤとコクチャ川との合流点の河岸台地にあるアイ・ハヌムの日時計が最初でしょう。更に、視覚的に発想された砂時計(hourglass)はひっくり返すまでは、時間は上の「未来」から縊れである細管である「現在」を通って下の過去へと蓄積されていきます。時間を流れを未来から現在そして過去へと流れるのが一般化したことの素因はこのあたりにありそうです。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月23日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/時間概念を観想1(六百六十七) ニーチェの発案した「永劫回帰」を解き明かすには、人類が人間精神をもって人間として誕生し、やがて老いて屍になるのを経験を通して知ったであろう「時の流れ」のテーゼがニーチェの「永劫回帰」なるものを理解するうえでは欠かせないものであり、神や真理、理性や価値、権力志向による不死伝説や自我の保持や転生にの関して理解するうえでも非常に強い要素となります。「時の流れ」がゴキブリやナメクジには自覚的には全く無い要素だと考察できますが、だからといって、人間がゴキブリやナメクジを観相すれば誕生から活動期を経て死するのを見る訳ですから、彼等が時間とは全くの無縁だとも結論付けることは不可能でしょう。時の流れは、もともとは人類が知性を得た段階で、太陽や月の動きから頭に刻み込まれています。それ故に、アメーバー等の下等生物は光と熱の強弱により自らの生活リズムに従い生存しているだけで時間観念は生まれようがありません。然し乍ら、記憶を持ち精神に時間の概念を芽生えさせた人間にとっては、時を経て、今あり、亦去る。時は経てまさに今其のもの時が迫り到る、未だ来ぬ時は用意されたものであろうか無かろうか等を、人類黎明期に母が父が老いて死に、闇に出ていった子が野獣に襲われないように松明を燃やし、無事の帰還を願い何者かに頼る、過去と現在と未来を区分して考察します。動物の進化段階に於ける精神を獲得した人間だけが、恐竜の末裔の子孫の鳥のような「本能的なすり込み」ではなく時の流れを観相します。百獣の王ライオンも当然に子ライオンを守ろうとしていますが、彼は考察によってそうするのではなく、獲得した生存本能がそう仕向けているのです。でなければ、周りを彷徨く青年ライオン、かっての主の雄ライオンを倒し雌を手中にしたときに、前主の血脈を引く子ライオンを殺伐することは有り得ません。考察より本能的学習が其のような行動を取らせるのです。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月22日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル50/ニーチェ19(六百六十六)中断章 ニーチェは古代ギリシアのプラトンやアリストテレスに拠(よ)らず、人間の霊魂の存在の不滅を、西洋的信教の「神」絶対的自者であり亦他者の働きがけによる人間霊魂の変成を経ての人間の不死性が宿った肉への変体(復活)は我慢には及ばなかったのでしょう。かといって、世界のなかでの人間内精神の霊の輪廻転生を説く仏教哲学も彼には意味を成しません。ニーチェの発案した「永劫回帰」は、人類が物事(ぶつじ)を砂や地面に描くと共にハードディスクである洞窟石面や岩に物事(ものごと)の事象や事件を刻み或は描いた悠久の過去からの謎です。「永劫回帰」を解き明かすには大宇宙に一体全体として「時間なるもの或はアリストテレスの変化としての運動」が有るのか無いのかの解釈は欠かせません。此のテーゼを理解しなければニーチェの発案した「永劫回帰」を解き明かすには不充分であり、更には「超人思想」を漫画チックに捉えることにも成りかねません。其のこと故に、サルトル50/ニーチェ19章を一旦は中断して「時間なるもの或はアリストテレスの変化としての運動」の時間概念其のものを探求するために時間概念を観想します。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月21日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル49/ニーチェ18(六百六十五) ニーチェは「神」に対しては、彼自身が提唱した概念「超人(superman)」を、「真理」に対しては「神」と同様に 真理・価値・超越的なものの実在やその既成の様態を尽くを否定する、思想的立場既成の価値や秩序、道徳、自我といった概念の立ち位置を否定する{虚無主義」を示しています。「理性」に関してもキリスト教批判における中心概念から、「恨み」や「妬み」が理性をも歪める。著書「道徳の系譜(1887年)」において、ニーチェは、キリスト教の起源をユダヤ人のローマ人に対する精神活動をルサンチマン(恨みや妬み)に求め、キリスト教の本質はルサンチマンから生まれた歪んだ価値評価にあるとします。被支配階級であるユダヤ人は、支配階級であるローマ人の力強さ、能動的に生を楽しむこと、自己肯定的であることに対して恨みや妬みを抱き、このルサンチマンから、強い者は「悪い」、強くない私は「善い」、という屈折した価値評価を作り出した。この価値の転換はさらに屈折の度合いを深め、「貧しき者こそ幸いなり」ということばに代表されるような、弱いこと、欲望を否定すること、現実の生を楽しまないことこそ「善い」とする価値評価が生まれ、最終的にキリスト教の原罪の考え方、禁欲主義、現世否定主義につながっていったとニーチェは考えます。 人間的「価値」に関しては既成のキリスト教的価値観には懐疑的で、芸術至上主義的な面で対抗させます。「権力」に関しても幼き時より仲睦まじい妹がナチズムに傾斜するに連れ、其のことを悲嘆する程に既定権力や新興権力に対しても否定てきです。「自我」に関しては絶対的唯物者から賦与されたものではないと強説します。ニーチェは悲劇的認識、デカダンス、ニヒリズム、ルサンチマン、超人、永劫回帰、力への意志などの独自の概念によって新たなる思考世界への一面を切り開いたのです。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月20日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル48/ニーチェ17(六百六十四) ニーチェへの影響は芸術家とりわけ音楽家ワーグナーの影響は最たるものでしょうが、彼の専攻学である古代ギリシア史、ソクラテス以前の哲学者も含むギリシア哲学の影響も見逃せません。更には、アルトゥル・ショーペンハウアーへの陶酔もあり、西洋文明を人間から観相し、理性主義・主知主義・実証主義の哲学や唯物論などに反対し「生きている生及び体験としての生の直接的把握」を目指してヨーロッパで展開される哲学を披露しています。それ故に、実存主義の先駆者または生の哲学の哲学者と称されます。先行哲学者の身体的特徴である突起している「おでこ」(Stirn)を基に高校時代につけられたニックネームに由来するヨハン・カスパー・シュミット(Johann Kaspar Schmidt)の異名を持つマックス・シュティルナー(Max Stirner/1806年-1856年)は、いかなる人間的共通性にも解消出来ない交換不可能な自己の自我以外の一切のものを空虚な概念として退け、その自己が、自らの有する力によって所有し、消費するものだけに価値の存在を認める徹底したエゴイズムという彼の思想は、セーレン・キェルケゴールが先行するが保々同時期であり、「唯一者(独: der Einzige(1844年)」としての自我を全ての思考と行動の基礎に据えようとした点に、ニーチェによる「超人」との思想的類似点を見い出せます。然し乍ら、彼キェルケゴールの思想はヨハン・ゴットリープやフィヒテとルートヴィヒ及びアンドレアス・フォイエルバッハの系統の発展思考であり、彼の言「私の事柄を、無の上に、私はすえた(独;Ich hab' mein Sach' auf Nichts gestellt.)どおり、自己を「無」、つまり誰もが迎える「死」という必然によって規定される有限な自己主体であることを自覚しつつ、生きていく瞬間瞬間において常に自らが自らを定立し、新たに自己自身としての自我を創造て、、被造物である自己に留(とど)まることなく超克する、自己規定を超えつもの「創造的虚無」を訴えます。「見えない存在」を批判的にも認識したヘーゲル左派の思考でしょう。何れにしても人間存在の「完全絶対である無」からの発祥と「完全絶対の無への帰還」を述べていないことには興味が注がれます。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月19日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル47/ニーチェ16(六百六十三) ニーチェの妹エリーザベトが、ヒットラーとワーグナとニーチェを三つ巴の大団円とする妹エリーザベートに対して、兄フリードリヒとは幼年時代から仲睦まじく、友好関係は成人後もしばらく続いたものの。エリーザベトがベルンハルト・フェルスター、元高校教師で狂信的な反ユダヤ主義煽動家と結婚してからは、兄フリードリヒからの書簡「フェルスター博士殿は反ユダヤ主義運動と未だに手を切っていないのだと。それは火を見るより明らかだ。そうと判れば、お前に対する俺の愛もこれまでだ。永らく俺はお前を可愛い妹と思ってきたが、こんな馬鹿げたきっかけで絶交することになろうとはな。お前は、俺がこの世にいる理由を何も判っていないじゃないか。お前が反ユダヤ主義者と結婚したおかげで、今や俺はこっちまで反ユダヤ主義のゴロツキどもと混同される危険と戦わねばならなくなった。」それというのも、我が妹、元妹と言おうかとまで言い切って、全てはナチス・ドイツ時代はヒトラーの副官を務めた、後にナチス党の出版全国指導者となるマックス・アマンも所属していたたヴィーデマンのせいだと決め付けています。続いて「「ツァラトゥストラ」が反ユダヤ主義者どもによって手前勝手に利用されているのを見ると、ぶち切れそうになる。俺は今、お前たちのお仲間に対して非常防衛手段を講じなければならない立場に置かれている。」彼はヒットラーの自分に対する陶酔は迷惑千万だと叫んでいます。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月18日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル46/ニーチェ15(六百六十二) 1900年8月25日、ニーチェは、現代では老病として捉えられかねない肺炎を患って55歳で没します。妹エリザベートのかっての希望で、遺体は故郷レッケンの教会で父の隣に埋葬させています。生前に、ニーチェは「私の葬儀には数少ない友人以外呼ばないで欲しい」との希望を遺言を残していましたが、政治的にも一物の見識・見解を的にもエリザベートは、ニーチェ言には従わず、彼の数少ない友人にも参列を許さず、葬儀は皮肉にもエリザベートの反ユダヤ的軍関係者および知識人層により壮大に行なわれることになります。妹エリーザベトはニーチェの死後に遺稿を編纂して自ら「力への意志を刊行」。此の著作がエリザベートの恣意的な編集は「ニーチェの思想はナチズムに通じるものだ」との誤解を生むの批判の的となります。贋作であれ妹エリーザベトとの肉親愛は強烈にして思想的には対抗精神が旺盛なことが読み取れます。但し、今で言うナウい女権論者テレーゼ・エリーザベート・アレクサンドラ・フェルスター・ニーチェ(Therese Elisabeth Alexandra Förster-Nietzsche/1846年-1935年)は其れ等に自らの政治的色合いを付け加えます。此のことがヒットラーとワーグナとニーチェを三つ巴の大団円と一般に認識さしめることに関わっており、後世に多大に影響を与えています。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月17日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル45/ニーチェ14(六百六十一) ニーチェがショーペンハウアーとの哲学的な繋がり、更には社交界にも交友の広かったワーグナーとの交友を断ち切った後には、ニーチェが心許せる友は殆ど残されていません。彼は其の孤高の立ち位置を受け入れます。自らの意思を曲げてまで尻尾を振るようなことの出来得る人物ではありません。孤高の立場から一時は詩人への転向さえ考えます。1885年のニーチェの本分とするところの「ツァラトゥストラ」の4部にしても上梓するが、友人に献本する始末です。ただ、ニーチェ自身は気が付かないにしても、自費出版した1886年の「善悪の彼岸」、其の後1886年から1887年にかけて「悲劇の誕生」や「人間的な、あまりに人間的な」「曙光」「悦ばしき知識」の第2版の著作が再刊たことを捉えて、ニーチェは読者層が伸びてくるだろうと期待しています。事実、ニーチェの思想に対する関心は一部の読者に注目され始めています。妹のエリーザベとは反ユダヤ主義者のベルンハルト・フェルスターと結婚した頃から。対立と和解が悲喜交交(ひきこもごも)と成し、ニーチェの精神が崩壊するまで顔を合わせることはありませんでした。健康状態も改善の兆しを見せるもの、1889年1月3日にはニーチェはトリノ市の往来で騒動を引き起し二人の警察官の厄介に、其の後のワーグナー夫人コジマ宛の手紙では、「私が人間であるというのは偏見です。(中略)私はインドに居たころは仏陀でしたし、ギリシアではディオニュソスでした。(中略)アレクサンドロス大王とカエサルは私の化身ですし、ヴォルテールとナポレオンだったこともあります。(中略)リヒャルト・ヴァーグナーだったことがあるような気もしないではありません。(中略)十字架にかけられたこともあります。(中略)愛しのアリアドネへ、ディオニュソスより」、彼の狂気が始まります。其れも間もなく1900年8月25日にニーチェは肺炎を患って55歳で没しています。狂気のニーチェに相関する者は果たして真実に狂気じみて見てるのかは割愛します。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月16日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル44/ニーチェ13(六百六十) ニーチェは大学を病弱の理由から教壇に立てず、其の後は在野に下った哲学者として生活、病気の療養に、夏はスイス冬はイタリア・フランスの村や都市に赴き、時折はナウムブルクの家族のもとへも顔を出したますが、妹エリーザベトとの衝突を避けようとして頻繁にとまではいきません。彼はバーゼル大学からの年金で療養の旅を続けますが、さしもの年金も療養を兼ねた旅路の生活資金を賄いしきれません。教壇時代の師弟ヨハン・ハインリッヒ・ケセリッツ、彼がペンネームを贈ったペーター・ガストがニーチェの秘書として生涯勤めるかたちで資金を提供、ニーチェの生涯を通じて誠実な友人であり続けます。更には、リヒャルト・ワーグナーの友人でもある作家マルヴィーダ・フォン・マイゼンブークもニーチェがヴァーグナーのサークルを抜け出た後も、ニーチェに対して母性的なパトロンでありつづけます。此れ等の友人の支援を得てニーチェは活発な執筆活動を始めています。後に騎士領を所有する一家の次男として生まれ、ユダヤ系で宗教はプロテスタントで、ライプツィヒなどで学び。父親の希望により一年志願兵として普仏戦争に従軍するも、まもなく負傷し、退役したニーチェに共通する経歴の後に医師として名を成すパウル・レーとチューリッヒ大学で宗教学、哲学、そして芸術史を修める才女と愛の三角関係を構成しますが、すべてが破局、ニーチェとレーとザロメの三角関係を不道徳なものとみなしたエリーザベ-トが、ニーチェとザロメの仲を引き裂くために密かに企てた策略も一役買ったともされてはいますが尚問題を残します。此処に、ニーチェの真骨頂、失恋による傷心、病気による発作の再発、ザロメをめぐっての母や妹と不和になったための孤独、自殺願望に取り憑かれた苦悩などの一切から解放されるために、ニーチェはイタリアのラパッロへ逃れて、驚くべきことには、僅か10日間のうちに後世に代表作とされる「ツァラトゥストラはかく語りき」の第1部を書き上げてみせます。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月15日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル43/ニーチェ12(六百五十九) ニーチェは、病気の療養のため最適な気候環境を求めてさまざまに町や都市を選択、夏はスイスのサンモリッツ等々に国を問わず療養しています。ナウムブルクの家族の故郷のもとへも顔も出しましたが、兄の宣伝において主導的な役割を演じたものの、彼の思想の一部分を歪めてしまった妹エリーザベトとの間で衝突を繰り返すことが多く気は休まらなかったようです。妹エリーザベトといえば、本名はテレーゼ・エリーザベト・アレクサンドラ・フェルスター=ニーチェ(Therese Elisabeth Alexandra Förster-Nietzsche/1846-1935年)で、生粋のドイツ民族主義者で反ユダヤ主義者ですが、当時は、兄が病に苦しんではいたものの、漸々(ようよう)に、その著作は全欧でも読まれ始め、注目の的になり始めます。ために、エリーザベトは兄の宣伝において主導的な役割を演じてはいたものの、兄の本意までには至らず彼の思想の一部分を歪めてしまったことにも解る通りニーチェ自身の思考を認識するまでには至らなかったようです。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月14日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル42/ニーチェ11(六百五十八) ニーチェの自己自身の発意(ほつい)である思考から実存哲学を展開していく分岐点と看做されるのが、1878年に刊行された人生・社会・文化等に関する見解を世(人間的世界)の真理を端的に言い表した言葉で埋め尽くした箴言をもって、それ迄の批評家的思考から自己の精神の奥底の叫びを顕します。其のことは、ワーグナーは言うに及ばずショーペンハウアーからの離脱を意味します。更には此の期を境として、良き友人であり理解者であったニーチェと学生時代から友人で、ショーペンハウアーの後継者として、インド哲学とショーペンハウアーの哲学を結び付けて独自の世界観を形成したドイッセンやドイツの古典文献学者の古代ギリシャ宗教史の権威ローデとの交友も途絶えがちになります。明くる年の1878年に、幼少の頃からの極度の近眼というよりは精神的な面が影響しているとみられるが、外界が全く何も見えなくなったり、偏頭痛や激しい胃痛を持病として抱えており、幼少の頃より其の覚めた頭脳とは裏腹に健康に問題を抱えており、更には志願入隊での落馬事故からジフテリアと彼の身体は苛まれ、教檀を離れざるを得ず在野に下り、思考する人間として執筆活動が盛んになります。此処に精神医学の巨人ユング、生き方に対するスタンスが似ているこの医学者が同年代であれば、後のニーチェの狂気は怒らなかったもしれないと云うのは、歴史に「もしや」はないとする御仁からは批判されるでしょうが、人間とは明日も生きて目が覚めるとする期待値、死が何時も付き添っていることを何も気付かない存在であり「仮に」の文言(もんごん)も許されるでしょう。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月13日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル41/ニーチェ10(六百五十七) バーゼル大学時代の古典文献学の教授ニーチェは、血気盛んな時でもあり、次々に長文の評論を発表しますが、其の基底には思考的にはあったにせよ、未だ本格的な自己の哲学は表面には立たず影に潜まっています。「ダーヴィト・シュトラウス、告白者と著述家(1873年)」、「生に対する歴史の利害(1874年)」、「教育者としてのショーペンハウアー(1874年)」、「バイロイトにおけるワーグナー(1876年)」と矢継ぎ早に刊行しますが全ては英仏には文化的には遅れたドイツ文化の発展に挑みかかる文明批評として、基底にある思想にしてもショーペンハウエルとヴァーグナーの思想を下敷きにしたものであり、ニーチェ哲学は影に淀んで(どよんで)います。辛うじて、死後に刊行される「ギリシア人の悲劇時代における哲学」として刊行されるものが批評ではなく彼自身から出た思考であり、彼の思考の集大成ともいえる「ツァラトゥストラはかく語りき」にいたるまでの経緯にあり、ショーペンハウエルに由来するペシミズムからの脱却して以後、ニーチェは自己自身の発意(ほつい)である思考から実存哲学を展開していくことになります。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月12日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル40/ニーチェ9(六百五十六) ニーチェは同行の妹のエリーザベトに対し、「此れがパイロット(水先案内人)だったのだよ}と発言する一件に、前後して書かれた著作「バイロイトにおけるワーグナー」以降は、ニーチェのワーグナーに対する心酔の反動としての懐疑と失望は増々深まり、決別のときを迎えます。其の後もワーグナーに聖杯伝説を題材とした、ワーグナーが1865年にバイエルン国王ルートヴィヒ2世のために書いたオペラ(楽劇)の台本を贈られるも、聖杯騎士団や異教の美女クンドリやクリングゾルの魔の城、聖杯(グラール)と聖槍(ロンギヌスの槍)など各モチーフについて其の構想が通俗的だと断定し、其れを得意気に語るワーグナーへの懐疑と失望はは反感へと変貌します。1878年にはニーチェ著「人間的な、あまりにも人間的な」では、公然とワーグナー批判を始め、両者は決別を向かえ、ニーチェの死でさえも再開することはありませんでした。然し乍ら、1889年1月3日哲学者ニーチェはトリノの広場で鞭打たれる馬に出会うと駆け寄り、其の首を掻き抱いて涙し、其の儘精神は崩壊し、彼は最期の10年間を看取られて穏やかに過ごしたという。 其の馬のその後は誰も知らないが、其のニーチェも晩年にはワーグナーとの対話を好んで語り、最後には必ず「私はヴァーグナーを愛していた」と付け加えていたといいます。そのことは、発狂後にワーグナー夫人のコジマに宛てて「アリアドネ、余は御身を愛す、ディオニュソス」と謎めいた愛の手紙を送っていることから、コジマへの横恋慕がワーグナーとの決裂に関係していたと見る向きもあり、。夫人コジマといえば、ニーチェを夫ワーグナーを侮辱した男と見極め、マイゼンブーグ充ての書簡では「あれほど惨めな男は見たことがありません。初めて会った時から、ニーチェは病に苦しむ病人でした」と書いています。ニーチェの悲劇はワーグナーが要因となったというよりは、愛する女性に恵まれなかったことから来ているのかも知れません。信仰を失い観念論からは離れ、実存に生きる人間には世界が厳しいことも覚悟する必要があります。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月11日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル39/ニーチェ8(六百五十五) ニーチェのワーグナーへの心酔ぶりは、自己の思考方法の基底としていた古代ギリシアの古典文献学的手法をも、敢えて自ら踏み外し、学檀から白眼視される程に極めて好意的な、ニーチェ著作の第一作「悲劇の誕生」を書き下ろし、当のワーグナーを狂喜させるも、後(のち)には、パトロンのバイエルン王ルートヴィヒ2世やドイツ皇帝ヴィルヘルム1世といった各国の国王や貴族に囲まれて得意の絶頂にあるワーグナーその人を見て、自己の心酔するかっての市民社会の道徳や宗教といった既成概念を突き破り、芸術によって世界を救済せんとするかつての革命家が見えず、彼の心酔した古代ギリシア精神文化の復古は世俗に汚穢されていることを失望とともに実感します。更には後日のワーグナーの楽曲「ニーベルングの指環」は酷評甚(はなは)だしくワーグナー自身陥ち込み(おちこみ)鬱状態になる程の出来で、祝祭劇場に赴いたニーチェは失望のあまり上演の途中で抜け出す始末、ニーチェは同行の妹のエリーザベトに対し、「此れがパイロット(水先案内人)だったのだよ}と発言することになります。ワーグナーとの決別の始まりが訪れようとしています。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月10日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル38/ニーチェ7(六百五十四) 近代に於ける民族的独逸人の美学観は、古代のギリシア文明圏を、アテネポリスを中心とした、宗教的共同体であり、其処から見出される美的文化を編み出した芸術家並びに非常に高度の政治思想を達成をさせた理想世界であるとした、18世紀ドイツの古代ギリシャ美術の再評価を促し、新古典主義を確立した人物、美術史家であり考古学者でもあるヨハン・ヨアヒム・ヴィンケルマン(Johann Joachim Winckelmann /1717年-1768年)以来の伝統が浸透していました。其の流れにはロマン派歌劇の頂点であり、また「楽劇王」であり革命家として独逸3月革命革命に参画したことでも知られるワーグナー(ヴァーグナーとも)がおり、彼の論文「芸術と革命」を始めとして、彼の現代西洋に失われた古代ギリシアの文化の芸術復興のみによって人類は近代文明社会の頽落を超克し得る、困難や苦しみにうちかち、其の苦悩を乗りこえること。再び自由と美と高貴さを獲得しうるとのロマン主義的思想が高らかに謳い上げられます。現代を予言したとも云えるアシモフと並列されるSF小説の巨匠アーサー・C・クラークの短編小説「前哨」から着想を得て、「博士の異常な愛情」でスクリーンを驚かせたの名匠スタンリー・キューブリックがクラークと共に脚本を書き上げ(『博士の異常な愛情』の名匠スタンリー・キューブリックが監督・脚本を担当し、1968年4月6日にアメリカで公開された、「2001年宇宙の旅」に異星人或いは謎の精神体とのファーストコンタクトを描くのにワーグナーは人間の未来を描くには欠かせないものでした。此のことは同時代に心酔するニーチェにとって、古代ギリシアの哲学よりも思想的背景に古代のギリシアの美的文化を優先したことでも解ります。即ち、ニーチェは世界の真相を形而上哲学からでもなく信教の教えからも離れ芸術に根ざした思考方法に求めていることが読み取れます。彼は単なる無神論者ではなく日本の哲学を西洋に初めて認めさした「直感」を大事にした思想家であり、此方は芸術ではなく「禅」に思考方法を求めた西田哲学に符合します。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月09日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル37/ニーチェ6(六百五十三) ニーチェは哲学を志向するも、其の哲学思考は古代ギリシアの古代文献を研究するにも関わらず、ギリシア思想の要とも云えるギリシア観念論からは一定の距離を置き、専ら、古代ギリシアの文化である芸術に興味と関心を示します。其の基底にはニーチェは学生時代から音楽に強い関心をもち、生涯を通じて音楽に強い憧れがあったことが観想出来ます。殊(こと)にアドルフ・ヒトラーも憧愛したヴィルヘルム・リヒャルト・ワ(バ)ーグナー(独: Wilhelm Richard Wagner)の熱狂的支持者であり、念願叶って1868年には対面をしています。更には、ワーグナーの妻コジマの知遇をかち得て、増々、賛美の念が高まります。ニーチェはスイスのバーゼルへ移住してからというもの、同国のルツェルン市トリプシェンに住んでいたヴァーグナー夫妻の邸宅に23回も通ったことが記録される程心酔していました。この31歳も年下のかけ離れたニーチェをワーグナーは自己のグループの集まりへ誘い入れ、バイロイト祝祭劇場の建設計画を語り聞かせてはニーチェを感激させ、片やニーチェは1870年のコジマの誕生日に「悲劇の誕生」の版型となった論文の手稿をプレゼントするなど、二人は年齢差を越えて親交を深めています。この辺りに、ニーチェ思考の心底が顕れています。彼の思考を左右するのは論理的観念論や倫理学ではなく、人間の霊魂さえ揺れ動かす芸術が至高のものでした。此れが後の彼の思想と運命に決定的な要素となり、人生的には悲劇の様相を帯びます。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月08日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル36/ニーチェ5(六百五十二) 弱冠二十四歳の在学中にはニーチェは博士号も教員資格も取得していなかったにも拘らず、師事していた教授、多分にリッチュル自身の学檀上の名声向上の下心は歪めないものの、リッチュルの「長い教授生活の中で彼ほど優秀な人材は見たことがない」という強い推挙もあり、ニーチェ自身は哲学教授を望んでいたでしょうが、博士号も教員資格も取得していな彼をバーゼル大学が古典文献学の教授として招聘したのです。1460年に創立されたスイス最古の大学であり、卒業者にユングが在籍したことでも有名なバーゼル大学に赴任に先立ち彼は、ドイツはプロイセン国籍を離れ、事情があってでしょうがスイス国籍は取得せず、無国籍者と成り生涯を終えるまでどの国にも籍を希望していません。師事した教授リッチュルと同じヴィルヘルム4世に因(ちな)んだミドルネームを「ヴィルヘルム」もも捨て去っています。ライプツィヒ大学でギリシア宗教史家エルヴィン・ローデの影響から古代ギリシアに関する古典文献学を研究した彼は、厳然たる態度の講義が評判で、ホメロスの詩篇研究の縁もあり神学教授フランツ・オーヴァーベックや古代ギリシアやルネサンス時代の文化史を講じていたヤーコプ・ブルクハルトとの親交が始まり、その講義に出席するなどして深い影響を受けています。然し乍ら、彼の思考の基底には哲学思考の方法論的論理があり、厳密な古典文献学的手法を用いない彼の論文は散々叩かれ、哲学科への異動を希望するが認められず苦悩の日々を過ごします。此の時期にニーチェに於ける至極の女性でも現れていれば彼の人生観も変わったでしょうが、彼には女難の相があるのか其の後の女性との出会いは惨(みじ)めです。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月07日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル35/ニーチェ4(六百五十一) 落馬事故での除隊、ギリシア宗教史家エルヴィン・ローデと知り合ったことが、相次ぐ家族の死去にも信仰を捨てなかった敬虔なキリスト教徒であったニーチェを「神は死んだ」とは、やみくもには叫ばせないでしょう。ライプツィヒ大学の在学中に古本屋の離れに下宿していたニーチェが、その店内にあった仏教精神そのものといえる思想と、インド哲学の精髄を明晰に語り尽くした思想家であるアルトゥル・ショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer、ショウペンハウエルと表記されることが多い/1788年-1860年)の著書「意志と表象としての世界」を偶々(たまたま)に購入したが此の思想の書の虜となったこと、其の三年後の師事するリッチュルの紹介で、当時ライプツィヒ滞在していた「2001年宇宙の旅」でも感動させる楽曲を多数世に送り出した、記者も敬愛するリヒャルト・ヴァーグナーとの面識を得られたことを解釈しなければ彼の信仰に関しての翻意は読み取れません。其のことは妹ローデ宛ての手紙の中で、ショーペンハウエルについてヴァーグナーと論じ合ったことや、「音楽と哲学について語り合おう」と自宅へ招待されたことなどを興奮気味に伝えていることからも理解(わか)ります。然し乍ら、社会的には学檀上の地位を占めていた彼が、在野に下っても「神は死んだ」と叫ばせるには不足している何かがあります。興味深いことには、自身どころか家族までユダヤ人に苛まれたと確信する画家を志したアドルフ・ヒトラー(Adolf Hitler/ 1889年-1945年)が、生涯、彼等ヴァーグナーとニーチェを信奉していたことです。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月06日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル34/ニーチェ3(六百五十) リードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェは私塾ギリシア語ラテン語の初歩を学び、1854年にはナウムブルクのギムナジウムに入学、1864年にはプフォルター学院を卒業すると、ニーチェはボン大学に進み、神学部と哲学部に籍を置きます。神学部に籍を置いたのは、母がニーチェに父の後をついで牧師になる事を願っていたための配慮だったと指摘されますが、在学中にニーチェは徐々に哲学部での古典文献学の研究に強い興味を惹かれています。ボン大学では、古典文献学の研究で実証的・批判的なすぐれた研究を行った自身と同じミドルネーム持つフリードリヒ・ヴィルヘルム・リッチュルと出会い師事しています。リッチュルは、当時弱冠大学一年生のニーチェの類い稀な知性をいち早く見抜いた事は事実でしょうが、ただニーチェに受賞させるためだけに、懸賞論文の公募を行なうよう大学当局へもちかけているところは世渡りの巧みさなのでしょう。24歳でスイスはバーゼル大学の古典文献学員外教授に就任ニーチェは、このリッチュルのもとで文献学を修得、師事するリッチュルがボン大学からライプツィヒ大学へ転属となったのに合わせて、自分もライプツィヒ大学へ転学します。此のライプツィヒ大学でギリシア宗教史家エルヴィン・ローデと知り合ったことから、彼の故なのかニーチェの思想に影響を与えたのか、思考に変化が現れ始めます。後にイェーナ大学やハイデルベルク大学などで教鞭を取り、驚くべきは1867年には、一年志願兵として砲兵師団へ入隊するが、1868年3月に落馬事故で大怪我をしたために除隊するというまでの体験をもしています。彼の持つ哲学思考の独自さは此れ等の経験を踏まえたものと想われます。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月05日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル33/ニーチェ2(六百四十九) 「神は死んだ」の衝撃的発言が取り上げられ注目されるリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(独: Friedrich Wilhelm Nietzsche、1844年-1900年)は、ドイツの哲学者にして古典文献学者であり、現代では実存主義の代表的な思想家の一人と数えられます。実存論の思想家として知られるキルケゴールの其の後を次ぐヤスパースを継承する3番目に名を掲げられる人物として記されることの多い哲学者であり、後(のち)のハイデガー、サルトルと共に五大実存主義者と称えられています。彼の経歴はというと、其の衝撃的な思考表明からは、些か以外かもしれませんが、プロイセン王国領のにプロヴィンツ・ザクセンのライプツィヒ近郊の小村レッツェン・バイ・リュッケンに裕福な元教師であったルター派の裕福な牧師カール・ルートヴィヒを父として、同じ日に49回目の誕生日を迎えた当時の1に因(ちな)みミドルネームを「ヴィルヘルム」と名付けられています。しかし、5歳の幼少時における父カール・ルートヴィヒの不慮の死、1850年には2歳の弟ヨーゼフが歯が原因とされる死により、故郷レッケンを去りナウムブルクに移住、父が死ぬ前の幼い時代の幸せも、近親者の死の体験により思考が大きく振(ぶ)れて行きます。然し乍ら、此の時迄は数々の困難を自分が乗り越えて来た事を神に感謝する言に包まれています。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月04日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル32/ニーチェ1(六百四十八) 実存とは人間の立ち位置を内在的世界に、個々の人格はもとより、譬え、イギリスの小説家ダニエル・デフォーの小説に登場するロビンソン・クルーソーであっても精神社会的には独立独歩に生きては居らず、社会関係を離れて生きられる人間は通常ではいません。インドで発見された狼に育てられた狼少年と呼称された人物も、人間の社会生活ではないにしろ、狼の社会には適合した生活はしており理性は働いており、狼社会では一定の位置を占めるまでに成長しており全くの狼になったわけではありません。人間の理性は社会的繋がりを通して自己の実存を確認します。狼の群れで成長した「狼少年」にしても擬似的社会生活にあっても自己の精神の実存は朧気ながらも確信しています。其の実例が母狼を擬人化して捉えていることに顕著です。人間の周りを取り巻く世界環境、世界と個々の人間との関係に他者を締め出したのが、「ツアラストラはかく語りき」の著で知られ「すべての神々は死んだ。今や我々は、超人が栄えんことを欲する。」としたフリードリヒ・ニーチェ(Friedrich Nietzsche/1844-1900)がヤスパースの後(あと)を受け、「神は死んだ」「力への意志」「永劫回帰」「超人」の自らの運命を愛する力強い生き方を旗印に哲学社会に人間の実存を唄います。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月03日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル31/ヤスパースの11最終章(六百四十七) ブラックホールやホワイトホールましてビッグバンに始まる空間の発生、其の後の質量子の発生によって、光子などが生まれ速度制限が生じ、時間或いは変化なるものが生じ、現代宇宙論では物質的存在としての「有」と「無」の交換がされているとする21世紀を知らないヤスパースは、空間が無ければ時間観念は発生しないし、時間の捉え方もアリストテレス以来の運動量理論だけでは説明できない時代を知らなければ、当然の如く、人間が実存在として捕捉できるものだけを実在とした経験論を踏まえるのは人間実在論を説き、他者を考察するとき人間の主観の自由のためにも、人間の主観と客観は分裂を超え、「超越者」なるものを超えた実在を求めます。主観と客観は同一化されてこそ実存があり、存在とは科学的には捉え切れない「包括者」、主観と客観を一体化する或る種の在り方、其れを「包括者」と表現します。時空間的に位置している人間は物質的なものだけではなく、存在と存在者を創造・被造物に関わらず超えた他者を想定せずに、関係を成り立たせるものを想定します。此れは当に「空論」説くところの実存を確認出来得ること能わず、無きことも能わない「関係子」でしょう。此のことは精神病理学的哲学の限界を吐露しているともとれます。但し、人間での立ち位置の実存哲学を志向したことは後の実存主義の五人と称せられるニーチェやハイデガー及びサルトルの思想に少なからず影響力を持ちました。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月02日
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「思考と直覚」人間の霊魂を思考/サルトル30/ヤスパースの10(六百四十六) ヤスパースの「包越者( Umgreifende )」と「超越者(Transzendenz)」は彼ヤスパースには概念としては明確に区分さてたものであろうか。ヤスパースが哲学に手を染めて「包越者」が初めて文献に登場するのは1935年の「理性と実存」で、大著「哲学」には彼の「超越者」のみしか登場せず、「理性と実存」以後は「超越者」と「包越者」の双方が併用され区分が曖昧模糊に成りかねません。彼の著書に「包越者」が登場する以前においては、彼は「全ての存在を包括すべき存在は超越的である」と規定し、「時空間内」即ち、大宇宙内で経験的に把握したものが現実であり、世界は形而上学的な観念の観相だけでは埋め尽くされ得ない。人間の自我意識の思惟が自己を客観化しようにも「主観」を抹消出来得ない。但し、此の、人間の自我意識の思惟客観化を抹消出来得るとの思考が亜細亜のインド大陸の思想にあったことを誰かに気付かされなかったことは此処に強調できます。自己の主観を捨てることである「無我」にこそ真実在があること。我執には実在の虚構のみであるのを観たシッダルタの「覚り」が東西世界で対角線上にあることも認識しなければ西洋哲学の本質的な要素を解明するには参考になります。視野を深奥させ且つ拡めさせてくれるのです。cap-hiroのプロフィール哲学・思想 ブログランキングへ
2017年01月01日
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