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「神秘学概論」読解38 :地球紀4 分離した人間様態の合一-1 地球進化には、二つの分離した人間の根源を合一させるという目的を持つ。物質身体、エーテル体及びアストラル体から成る低次の人間と、霊人(アートマン)そして生命霊(ブッディ)及び霊我(マナス)より成る高次の人間である。地球上に生存する現在する人間は物質身体、エーテル体あるいは生命体、アストラル体、そして「自我」から成っている。人間のこの四重の本性は、本来、より高度な進化への萌芽を備えている。「自我」は自ら率先して「より低次の」諸体を変化させ、そうすることによってそれらの中に人間の本性のより高次な諸部分を組み入れるのである。「自我」によるアストラル体の浄化と純化は「霊我」(マナス)の発達を引き起こし、エーテル体あるいは生命体の変容は「生命霊」(ブッディ)を生み出し、そして物質身体の変容は真の「霊人」(アートマン)を創り出す。アストラル体の変容は、地球の進化の現時点において進行の最中にあるが、エーテル体と物質身体の意識的変容は後の時代に属する。この人間の三重の変容は意識的なものであるが、地球の先立つ進化の間は、幾分無意識的な変容がそれに先行していた。アストラル体、エーテル体、そして物質身体のこの無意識的な変容の中にこそ、感覚魂、悟性魂、そして意識魂の起源を求めねばならない(シュタイナー「アーカーシャ年代記より」人智学出版社/P182・195-196) なぜ「低次の人間」と「高次の人間」というように「二つの分離した人間の根源」があるのだろうか。ただ「高次の人間」となるのが目的であるならば、殊更「低次の人間」として地上に生まれてくる必要はない筈である。それがわざわざ「低次の人間」の構成要素と「高次の人間」の構成要素の萌芽を一つひとつと加えながら、人間は土星紀、太陽紀、月紀、地球紀というプロセスを経てきた。 そのプロセスが不可欠であるとするならば、そして「自我」の働き、つまり、自我がアストラル体に働きかけて霊我へと変容させ、自我がエーテル体に働きかけて生命霊へと変容させ、自我が肉体に働きかけて霊人へと変容させるという働きを考えるならば、その「低次の人間」と「高次の人間」という分離と変容更に合一というプロセスそのものに秘密が隠されている。むしろそのプロセスそのものに重要な意味があるのではと思考する。 つまり、「低次の人間」としてこの地上に生きているということによってはじめて「高次の人間」の可能性も同時に存在する。そういう意味でも、「低次」と「高次」というのは人間進化における二つの重要な「極」であって、その二つの「極」としての「分離」とその「合一」というプロセスそのものが人間存在そのものであるということができるのではないだろうか。従って、ただ低次から高次という方向性だけしか見えないと、たとえば、仏教における「解脱」というふうな、ともすれば「現世忌避」及び超越志向のようなあり方がでてきてしまうことになる。哲学・思想ランキング
2023年02月28日
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「神秘学概論」読解37 :地球紀3 動物・植物・鉱物-2 第三では鉱物存在についての要項を纏めます。地球の鉱物界もまた、人類の進化全体から排除されることによって生じた。鉱物の形態は、月が地球から分離したあとでも、凝縮したままでいた。魂の存在のうち、土星紀の段階に留まりつづけ、したがって物質形態を取ることしかできないものだけが、このような鉱物体に惹きつけられた。(P253-254) 鉱物存在は、月が地球から分離しはじめたときその萌芽が形成され、地球が現在のような、いわば固体化した形態をとるようになってはじめて「鉱物界」が存在するようになったといえる。鉱物は、地上においてはエーテル体、アストラル体、自我を持たないが、アストラル界においてエーテル体を、霊界下部にアストラル体を、そして霊界上部に自我を有している。さて、動物、植物、鉱物の存在は、人間がその進化において、みずから放出してきた存在であるということができる。逆にいえば、そうした存在を放出することによって人間は現在のような進化段階に立つことができたともいえる。それらの存在は人間に供犠を捧げている存在だともいえる。人間は、食べることひとつとっても動物、植物、鉱物の存在なくしてはこの地上で生きることはできない。それらの存在によって助けられながら生きているわけで、その意味においても、人間はそれらの存在に対する責任を有しているといえる。仏教で「山川草木悉皆成仏 (さんせんそうもくしっかいじょうぶつ)」というように、この世のありとあらゆる存在は「成仏」する可能性を有していて、人間はそれに対する責務を負う存在であるということもできるかもしれない。現在の科学主義的な世界観では、この世界は、すべて物質でできていて、エーテル体とかアストラル体だとか自我だとかいうのもそれらに還元されてしまうことになる。そうした世界観においては、動物、植物、鉱物の存在への視点を持とうとしても、詭弁のような「保護」の発想しかでてこないだろう。その意味でも、地球進化における進化段階の違いやそれぞれの存在様態の違い及び相互関係について神秘学的な観点が必要されるのではないだろうか。哲学・思想ランキング
2023年02月27日
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「神秘学概論」読解37 :地球紀3 動物・植物・鉱物-1 地球紀には、肉体(物質様態としての身体)・エーテル体・アストラル体・自我をもった人間だけではなく、肉体・エーテル体・アストラル体をもった動物、肉体・エーテル体をもった植物、肉体だけをもった鉱物も存在している。推し量ればおそらく現在の地球紀に存在している存在はそうした単純な四分類だけではとらえられないだろうけれども、基本的な進化段階としてはその4分類でとらえることができよう。それでは、そうした動物や植物及び鉱物はどのようにして現在のようになったのだろうか。「神秘学概論」の地球紀の章の説明はそれ程多くは語らないが、「人間性の本質」の章で、人間の構成要素に関連して、動物、植物、鉱物について述べられている(P57-65)がある。要点を纏めて「地球紀」での説明を中心に見てみる。 先ずは、動物存在についての要項。地球が空気の要素を形成したときには、月紀の生き残りのようなアストラル存在たちが生きていた。彼らは、進化という点では、人間のもっとも低級な魂よりもあとにとり残されていた。彼らの魂は、太陽が分離する以前に、人間から見捨てられた形姿に受肉した。これらの存在が、動物界の祖先である。彼らは長い進化の過程で、人間にとっては添えものでしかなかったような諸器官を、特に発達させた。彼らのアストラル体は、ちょうど人間が月紀においてなしたような仕方で、肉体と生命体に働きかけた。このようにして生じた動物たちの場合、その魂は、個々の動物の中に住まうことができず、祖先の形姿をとり続ける末孫にまで存在をひろげた。本質的に同一の形姿から生じた動物たちは、共同で同一の魂を保つことになる。子孫が、特別な影響を受けて、先祖の形態をとらなくなったときにのみ、新しい動物魂が受肉する。その意味で、霊学は動物については、集合魂もしくは群魂について語るのである。(P251) 動物は、地球から太陽が分離する以前に、人間がもはや受肉できない形姿に受肉した存在であり、人間のように自我を持たず、集合魂的なあり方をしている。自我を持たないといっても、地球上にはもたないというだけで、自我をアストラル界において有している。 続いて、植物存在についての要項。植物存在においても動物存在についてのと同様なことが、太陽と地球の分離期にも生じた。水の要素から生じた形姿は、月紀以前の人間以上に進化することができなかった。それらは、もっぱら外から働きかけるアストラル作用だけを受け取ることができた。そしてそのような作用は、太陽と地球の分離以降はじめて生じることができた。地上に太陽の季節が来る毎に、太陽のアストラル作用がこの形姿に働きかけて、地球のエーテル部分から自分のエーテル体を形成できるようにした。そして太陽が地上から他へ転じると、その生命体は、地球体のなかに解消された。こうして太陽のアストラル成分と地球のエーテル成分との相互作用の結果、水の要素から、今日の植物界の祖先となったものの物質形姿が生じた。(P252)記: 植物は、太陽と地球の分離期に、月紀以前の人間以上に進化することができなかった存在である。地上においてはアストラル体も自我ももたないが、アストラル界においてアストラル体を、霊界下部に自我を有している。哲学・思想ランキング
2023年02月26日
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「神秘学概論」読解36 :地球紀2 月の濃縮化と惑星の発生 地球紀において、なぜ月が地球から分離しなければならなかったのだろうか。其の理由を探究してみよう。 月が地球から離れる以前、月が地球の中でますます濃縮化の働きを強めていったとき、この働きの結果、人間が地上に残していった萌芽から生じたものたちの中には、体を持たぬ状態から再び立ち戻ってくる人間の魂が、もはやそこに受肉できぬものも現われた。萌芽から生じたそのようなものの姿は、余りにも濃縮化され、そして月の働きの結果、余りにも人間形姿からかけ離れてしまったために、人間の魂を受け入れることができなくなってしまったのである。(P248) 太陽が地球から分離したことで、地球上に生存場所がなくなってしまった存在のために、その居住地として「木星」が用意されることになった。その「木星」は「地球の物質的な進化の始まりに地球と結びついており、太陽もまたそこから現われてきた存在」である。そのように、惑星は、地球進化期において、「濃縮化」が進んだために、そこでは居住できなくなった存在のために発生したということができる。たとえば、「火星」は、さらに地球が固体化してきたための居住地であり、「土星」は、まだ地球が太陽と結びついていた頃、空気成分が組み込まれたことで、地球進化を共にできなくなった存在のための居住地である。因みに、水星(今日でいう金星)と金星(今日でいう水星)は、太陽が地球から分離する際に、地球よりも精妙で、太陽よりは粗雑な居住地として、作られた惑星である。そのように、濃縮化の結果、地球にはまったく人間の魂が住めない状態になってしまうために、別の居住地を用意するだけではなく、月は地球から分離した。当時、まだ人間の魂を受肉することのできた身体形姿のために、月の分離が必要だった。人間萌芽は、これまで直接地球内で働いていた月の作用を、もはや受けずに成熟し、のちになってから、その作用を外から受けるようになった。人間萌芽は、人間の内部で形成されるようになったが、この萌芽を導いた霊的本性たちが、彼らのもっとも強力な仲間に導かれて、月を地球から分離させ、この危機を地球が通過できるようにしたのである。(P250-251)哲学・思想ランキング
2023年02月25日
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「神秘学概論」読解35 :地球紀1 地球進化のプロセス・レムリア時代の月の分離記: 西洋の神秘学とインドの古代伝承は同じ人種系列から見て共通する部分が見え隠れする。たとえば、レムリア大陸は最大時には太平洋をまたがって赤道を半周する、現在のユーラシア大陸と同位の面積があったレムリア大陸の文明伝説がある。アメリカ合衆国の著作家バーバラ・ウォーカーは、伝説上の大陸名の「レムリア」とは、本来は「レムレスの世界」、すなわち「亡霊の世界」のことを意味していたと自書で述べている。「神秘学概論」に記述されている地球進化のプロセスをレムリア時代の月の分離あたりの概略を確認してみると其のことに気付かされる。 土星紀、太陽紀、月紀に続く地球紀では、人間は、肉体身体、エーテル体、アストラル体に、自我を加えた「四重の人間」となり、土星紀の昏睡意識、太陽紀の睡眠意識、月紀の夢意識ではなく、「対象意識」を獲得することになるがそのプロセスは、まず「三つの前段階」を経る。 「三つの前段階」というのは、土星紀の繰り返し、太陽紀の繰り返し、月紀の繰り返しである。 その第一段階である土星紀の繰り返しにおいては、「肉体がある高みにまで引き上げられ、新たに始まる対象意識の基礎を作るのに必要な形態を発達させる」。第二段階である太陽紀の繰り返しにおいては、エーテル体が、第三段階である月紀の繰り返しにおいては、アストラル体が成熟を遂げる。その三度目の繰り返しが終わった後、「すべての本性やその働きがここで再び霊化される」。そして、地球紀の物質的進化が始まる直前において、アストラル界(魂界)のなかに現われる。その時期の人間はアストラル形態であって、肉体も生命体もそのアストラル形式のなかで存在していた。その宇宙体のなかで、「濃縮」と呼ばれうるプロセスが起こり、「火の形態」が現われる。これは土星紀の最も濃縮した状態に似ている。そしてアストラル体の一部分が感覚魂の最初の萌芽となる。この時期にとって重要なのは「人格霊」である。この発展段階における人間は、感覚魂とアストラル体とエーテル体、及び火によって構成された肉体から成っていた。さらに濃縮化は進行していき、「その本性部分の僅かしか、火として残らないほどにまで濃縮化が進行」し、その残りの部分が「気体」または「空気」と呼べるような形態を取る。そしてアストラル体の一部分が悟性魂の最初の萌芽となる。この時期にとって重要なのは「大天使」である。それまでの地球は太陽と一体だったが、火と空気とからなる地球から、太陽が独立、分離し、現在の太陽になる。それは「ヒュポルボレアス時代」といわれる時代の後半である。 太陽が分離したのは、高級霊たちが自分自身の進化や地球の進化のために働くには、水にまで濃縮した物質をそれ以上もはや担い続けられなくなったからである。この高級霊たちは、必要な要素を他の存在たちと共有してきた地球体から去って、太陽に新しい居住地を作った。さてそのとき以来、この高級霊たちは、太陽から地球へ、外から働きかけている。(P231-232) その太陽霊のひとつがキリスト存在である。さらに水の成分が地球体に組み込まれ、地球体は、火と空気と水からなる存在になり、人間の魂に感覚魂と悟性魂に加えて意識魂の萌芽が生じる。水の要素のなかには「天使」が働いている。増しては更に地球の濃縮プロセスは続いていき、「地」と呼ばれる個体の部分が加わり、人間も地上生活に必要な部分に「地」の要素を組み込んでいくが、そのまま進化が進んでいくと、その固体部分の影響を受けて、硬化し続けなければならなくなるため、月が地球から分離する。これまで直接地上で固体的な形体を生み出してきた力が、それからは弱められた仕方で、月から間接的に働きかけるようになった。固体形式を司る高次の存在たちは、地球の内部からではなく、その外部から作用するようになったのである。(P239) 「レムリア時代」の事どもで、この時代に、両性が分離することになった。月が地球から分離する前は、人間は太陽の力を外から受け取る、いわば女性的な存在だったといえるが、月が地球から分離することで、太陽が男性的な力を、そして月が女性的な力を地上に及ぼすようになった。両性が分離する前はいわば両性具有的であったが、両性の生殖によって子どもが生まれるようになると、霊界から地上に受肉してくる、いわば個的になった人間の自我に肉体を提供するという意味合いが強くなった。しかしそのことは同時に「死」を体験するということでもあったということには注目する必要がある。さて、ここで自我がでてくることになる。 人間は、地球紀に、個体化された魂を獲得した。月紀に「運動霊」が流出した人間のアストラル体は、地球紀になると、感覚魂と悟性魂と意識魂とに区分できるようになった。そして意識魂がさらに進化して、そのための相応しい体を地上生活のためにつくり上げたとき、「形態霊」が自分の本性の火を、その人間に付与した。かくして「自我」が人間の中に点火された。(P252)哲学・思想ランキング
2023年02月24日
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「神秘学概論」読解34 5:諸天体とその相互作用-2 この「地球」は、霊的宇宙の進化プロセスである経緯・段階において、「土星」から「太陽」そして「月」というふうに受肉段階を経てきた。つまり、「地球」は次々と転生している存在であるということを前提にして考えていかなければならない。このことはすでに「進化期の名称の章」でふれているので、そちらのほうを参照。そのときにも引用したように、「超感覚的に直観された土星、太陽その他の霊的状態と、同じ名を持つ物質上の天体との対応関係」を「外的な仕方で自然を観察する」だけではわからないということだけはいえる。その重要な捉えどころは天体の円運動及び天体相互の位置関係の変化について、それはいったいどういうことなのか、また、それはなぜそうした在り方がでてくるのか。そのことを考えてみる必要に迫られる。「地球紀」のところでも次のように述べられているように、「天体相互の運動が、そこに居住する霊的存在たちの相互作用の結果」である、というふうにとらえる必要がある。 霊的段階の当時の宇宙は、現在時の天体相互の関係とはまったく別な在り方をしていた。けれども天体相互の運動が、そこに居住する霊的存在たちの相互作用の結果なのだ、と 考えることは、この場合にも必要なことであろう。諸天体は、霊的、魂的な原因によって特定の位置を占め、特定の運動をするようになったのであり、物質界の中で霊的な働きがそれを可能にしたのである。(P234)記:神秘学が神の啓示による宗教や数を原理と考えたピタゴラス派、更には「いわゆる物理は嘘をつかないとする物理教」、形而上学的哲学・主観的観念論による絶対者等の世界観と相違するのは、神若しくは大霊が構成する世界に自ら認識し得る世界を体験したとすることに特異性が際立ちます。物理的科学世界論や唯物史観の現代には却って見直される思考ではあります。哲学・思想ランキング
2023年02月23日
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「神秘学概論」読解34 5:諸天体とその相互作用-1 太陽と月とが、それぞれ相応しい居住地となるために、二つに切り離された。霊の働きによる素材と力のこの方向づけは、さらに続く。霊的存在自身が諸天体の運動、相互の円運動を定める。これらの天体は、それによって相互に変化した位置を占めるようになる。そしてひとつの宇宙体が他の宇宙体に対してその位置を変化させると、それらに対応する霊的存在たちの作用にも変化が生じる。太陽と月との間にもこのことがあてはまる。月が太陽の周囲を公転(*あくまでも霊的宇宙でのあり方))するようになると、人間存在もまた、ある時は太陽の作用圏内により近づき、別の時にはそこから離れて、寧ろ自分自身に頼ろうとする。この運動は、特定の月存在の前述した「離反」と、それが原因で生じた争いの調停との結果である。それは、離反が招いた霊的な力関係の物質的な表現であるにすぎない。 ひとつの天体が別の天体の周囲を運行することは、天体を居住地とする存在たちの中に、前述したような意識の変化を生じさせた。月はその生命活動をある時には太陽の方へ向け、別の時には太陽から引き離す。太陽の時期と遊星の時期とが交互に存在するようになる。遊星の時期には、月の存在は、太陽に背を向けた月面上で、成長を遂げる。もちろん、月の上では、諸天体の運行になお別の事柄が付け加わる。すなわち、超感覚的な眼でこの時代を回顧すると、まったく周期的な仕方で、月の存在たちが自分で月面上を移動しているのを知ることができる。彼らはある時期には太陽の影響に晒される地点を求めて移動し、別の時期にはこのような影響を受けることなく、云わば自分に立ちかえれる場所へ移っていく。(P209-210)記:シュタイナーの示唆する宇宙進化の経緯を考えるにつけ、太陽や月、そしてその他の惑星等の存在はいったいどういった存在なのだろうという疑義が浮かぶのは理の当然。少なくとも、太陽系の諸惑星にしても、現状の太陽系で通常とらえられているように、ガス体であるとか、荷電粒子群と電磁場が相互作用する複合系であるプラズマ状であるとか、地球のような岩石・大地をもった状態であるとかいうような、そうした在り方ではないことは認識せねばシュタイナーの神秘体験は追い切れない。 因みに、各惑星についていえば、イザラ書房出版の「神智学の門前にて」には「土星」、「太陽」、「月」という名は、今日存在する惑星を指しているのではない。「太陽」は今日の太陽ではない。今日の太陽は恒星である。太古の「太陽」は惑星だった。受肉の経過のなかで、「太陽」は惑星から恒星の等級に上昇したのである。太古の「月」と名づけられているものも、今日の月ではない。「月」は地球の第三の受肉段階である。「土星」は地球の最初の受肉段階である。(P110-111)とある。哲学・思想ランキング
2023年02月22日
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「神秘学概論」読解33 月紀4:両極性と統合 月紀における意識状態は、明らかに異なった互いに交替し合う二つの特徴的な在り方を示している。太陽に関わる時期には、より暗い意識状態を示し、自分自身により多くの関わりを持つ時期には、より明るい意識状態を示している。第一の意識はより暗いけれども、より一層没我的になる。その時期の人間は、外的な宇宙、つまり太陽の中に映しだされた宇宙に没頭して生きている。意識状態のこの交替は、現在の人間の眠りと目覚めの交替に比較できるが、さらにまた、誕生から死までの地上の生活と、死から新生までの霊的な生活との交替にも比較できる。 太陽の時期が次第に終わり、月紀での目覚めの時期が始まる時、その目覚めは、現在の人間の毎朝の目覚めと、母親の胎内からの出生との中間のようなものだといえよう。同様に、太陽の時期が再び近づき、意識が次第に暗くなるのは、眠りと死の中間のような体験だといえる。現存在の人間におけるような生誕と死は、太古の月紀には、まだ存在していなかった。当時の人間は、太陽の生命を生きながら、只管(ひたすら)にこの生命を享受していた。太陽の時期の人間は、自分固有の生から離れて、寧ろ霊的に生き続けた。(P211-212) 月紀における二つの意識状態の交替が、現在のような眠りと目覚め、生と死に比較できるという言に注目してみると、二つの極の間を振幅するということを通じて宇宙進化が展開されていくということがわかる。そしてやがてその時期の進化は太陽と月の分離していた状態から再び太陽と月が「ひとつの宇宙構成体」となるように、その二つの極の「中」によって成就されていく。ヘーゲル体系の弁証法の正-否→合というように。その合体の際に、人間の肉体はエーテル化されるが、その際に肉体が消えてしまうのではないということに何かしらの意味がある。そもそも物質的なものは、外的に物質として現われるだけなのではない。それはエーテル的、アストラル的なものの外的形式としても存在しうる。だから外的現象と内的法則性とを区別しなければならないのである。(P218)記: 重要なのは、外的に物質であるかどうかにあるのかではなく、その「物質法則性」が存在しているかどうかが重要であって、新たに付け加えられたものは、いわば「内的法則性」として保たれていく。二つの極の交替によって、新たなものが付け加わる可能性が生じ、再びその二つの極がひとつになるとしても、その極における「内的法則性」は保たれたままである。そのことは、たとえば集合的なありかたが個的なあり方になり、またその個が高次の在り方へと変容していく際に、個的なあり方から遷移したとしても、その個の、いわば「内的法則性」は失われないというのにも似ている。つまり、この二つの極の合体は「融合」ではなく、それぞれの「極」の「内的法則性」が保たれたままの「統合」、統合的変容なのである。この二つの極ということで、植物の形成運動における「拡張」と「収縮」を思い出したが、これは「分離」と「融合」ということで説明されたりもするように、こうした両極性と統合によって、あらゆるものはさまざまな遷移レベルにおいて、展開していくのではないかというイメージをシュタイナーの精神科学から受け止められる。其のことは彼の著「精神科学と医学」においても、たびたびこの「両極性」が示唆されていることから解かる。シュタイナーのいう宇宙進化プロセスを理解していく際には、この両極性と統合という視点が重要になる。哲学・思想ランキング
2023年02月21日
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「神秘学概論」読解32 月紀3:水と意識状態-2 月紀の人間の意識を理解しようとするなら、当時の人間が、前述した蒸気のような環境に埋没して生活していたことを考えねばならない。この蒸分の中には、多種多様な営みが顕れていた。様々な素材が結び合ったり分離したりしていた。ある部分は濃縮され、別の部分は希薄になった。そのような営みは、すべて人間の感覚器官である眼や耳によっては直接知覚されず、人間の意識の中で、形象となって現れた。 その形象は、現在の人間の夢の形象と比較できる。眠っている人間は、何かが床に落ちたとしても、その事柄を実際に知覚しないで、なんらかの形象を、たとえば射撃の情景を夢に見る。月紀意識の形象は、夢の形象のように、勝手な現れ方はしない。象徴像ではあっても、外の出来事に対応している。特定の事柄に対しては、まったく特定の形象だけが立ち現れる。それゆえ月紀に人間は、そのような形象にしたがって、態度を決めることができた。現在の人間が知覚に従って行動するようにである。ただ、知覚に基づく場合は、勝手な行動をとることができるが、このような形象の影響のもとに行動する場合は、まるで暗い衝動に駆り立てられるようにして行動する。(P206-207) 月紀における人間の意識は、上記にもあるように形象意識としての夢意識状態にあった。現実在時の人間のの夢意識そのものではないが、人間はもっとも高次の構成要素としてアストラル体を有していて、「蒸気のような環境」のなかで可能なのがその形象意識だったのである。太陽紀においては、空気状態のなかで人間はもっとも高次の構成要素としてエーテル体を有していて、そのときの意識は睡眠意識であり、土星紀においては、人間は熱状態のなかで、肉体を有し、昏睡意識であった。人間の進化のプロセスにおいては、熱ー空気ー水という惑星状態と意識の状態とが深く関係していたであろうことが推察される。現在のように外界を知覚することができるためには、自他未分のような状態ではなく、対象をある程度自分とはわけてとらえることのできる固体状態になった惑星状態が必要とされ、そのなかで自我が発達できるようになったのだといえる。然し乍ら、現在のような自我の状態にまで至ったといっても、人間は対象意識だけで生きているわけではもちろんなく、かつての惑星状態における意識そのものではないがそれと比較できるような夢意識、睡眠意識、昏睡意識をも有していて、そうした意識状態を自分では殆ど把握できない。夢のなかで自分の手を見ることさえも困難なように。哲学・思想ランキング
2023年02月20日
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「神秘学概論」読解32 月紀3:水と意識状態-1 土星紀における人間存在の肉体は、熱形態であった。太陽紀には、それがガス若しくは「空気」状にまで濃縮された。月紀になると、アストラル成分がそこに流れ込むので、ある時期に、肉体成分は、さらに濃縮度を強め、現在の液体に比較できるような状態にまで達する。この状態を「水」とよぶことができる。けれどもこの言葉は、現在のわれわれの水を意味しているのではなく、なんらかの流動的な存在形態を意味している。人間の肉体は、このようにして、今や次第に、三つの構成体から成る存在形態をもつようになる。そのもっとも濃縮された部分は、「水体」である。この「水体」は空気の流れに浸透されており、そしてさらに、そのすべてを貫いて熱が作用している。(P195) 当時の人間は、養分を動物的な植物界から取り出してきた。この動物的な植物は、浮動もしくは浮遊して、容易に相互に合生し、ちょうど現在の下等な水中動物が水の中で、そして陸棲動物が大気の中で生きているように、周囲を取り巻く成分の中で生きていた。けれども、当時の環境成分は、現在の意味での水でも空気でもなく、この両者の中間の、一種の濃縮された蒸気のようなもので、その中でさまざまの存在体が、蒸気のさまざまの流れに融け込むようにして、あちこちへと浮動していた。(P205)記:我々が現存する現在の地球紀には、気体、液体、だけではなく固体が存在しているが、月紀においては、いまだ固体状態は存在していなかった。月紀も進んでくると水状態が濃縮化されて「ねばねばした粘液形態」をとるようになるとはいうものの、現在のような固体としての物質状態ではなかったのである。 土星紀においては、空気状態でさえ存在しない熱状態であり、太陽紀においては、液体状態さえ存在しない空気状態だった。現時の我々人間は、あたりまえのように固い物質に取り囲まれていて自分自身の肉体にしても硬い骨があって自分と外界とが明確に分離されそこで活動していると、そうした熱状態・空気状態・水状態を表象するのはなかなか難しいが、これをイメージするというのも、いわゆる「対象のない思考(瞑想)」の訓練になる。ところで、こうした水状態においては、現在のような人間の意識、つまり対象認識は可能ではなかった。対象意識が可能になるためには自我が働く必要があるが、自我は現在のような地球紀の状態においてはじめて人間に生じたのである。哲学・思想ランキング
2023年02月19日
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「神秘学概論」読解31 月紀2:アストラル体 土星紀には、意志霊の働きで肉体の萌芽が、太陽紀には、叡智の霊の働きでエーテル体の萌芽が生まれたように、この月紀においては運動霊の働きでアストラル体の萌芽が生まれ、はじめて魂の特性を獲得するまでに至る。いわば、この時期の人間は「動物的な人間」と呼ぶことができる。太陽紀においては、植物的な人間、土星紀においては鉱物的な人間と呼ぶことができるであろう。 運動霊が人間にアストラル体を流し込んだのは月紀の第三周期であるが、このことによって、人間は快ー不快を感じることができるまでに留まる。第四周期において、さらに形態霊が働きかけることで、そのアストラル体の働きに、願望や欲望が現われ、そして第五周期において、人格霊が働きかけることで、そのアストラル体に独立性、自己性が加わるようになる。しかしそれはまだ自己意識にまではいたらない段階である。 「運動霊」によってアストラル体を流し込まれた人間存在は、はじめて魂の特性を獲得する。生命体を獲得した人間存在の働きは、太陽進化期には未だ植物的でしかなかったが、その働きが、今や感覚体験を持つようになり、快・不快がこの体験の中で感じられるようになる。とはいえ、「形態霊」が働きかけるようになるまでは、この内なる快・不快も交互に強まったり、弱まったりするだけに留まっている。「形態霊」の働きと共に、この交互に現われる快・不快の感情に変化が生じ、人間存在の中に、はじめて、願望や欲望が現われはじめる。人間は、一度快を与えてくれたものをさらに求めようとし、反感を感じたものは避けようとする。けれども、「形態霊」は、自己の本性を人間存在に委ねようとはせず、その本性の働きを人間存在の内部へただ流入、流出させるだけなので、その欲望には、内面性と独立性がまだ欠けている。欲望は、「形態霊」に導かれて、本能的な性格をもって現われている。(P194-195) 「人格霊」は、人間のアストラル体に働きかけ、その結果、人間のアストラル体は、人格としての特徴をもつようになる。今やアストラル体は、快と不快を内的に体験するだけにとどまらず、その快・不快更に苦と自分自身との関係をも体験する。アストラル体は、まだ完全な自我意識をもって、「私がここにいる」と言えるようになるまでには至らないが、しかし自分が周囲にいる他の本性たちによって担われ、保護されているのを感じるようになる。だからアストラル体は、他の本性たちの方にいわば眼差しを向け、「このような環境こそが私の存在を保証してくれているのだ」と自分に言いきかせることができる。(P204) 先ずは、快・不快が生まれ、さらに願望・欲望が生まれ、そしてそれに自己性が付け加わっていくという経緯はアストラル体というか魂の特性を理解するために興味深い。子どもの成長においても、おそらくこのプロセスを観察することができ得るし、自分自身をも観察することも可能である。 赤児はまず快と不快の転遷の往き来・行き交いに生きている。それが次第に、願望・欲望を明確にしていきながら、周囲との関係のなかで、自分という存在を確認していく。最初は、自分と自分でないものの境目さえ認識しないが、以降は次第に自分でないものがあるということがわかるようになり、自分でないものがはっきりするに応じて、自分という存在の個別性を認識するようになる。鏡に自分を映してどのように反応するかも成長によって異なってくるのがわかる。最初は自分が鏡に映っていることはわからないだろうが、次第にそれが自分であることがわかるようになる。(*動植物の認識と人間の感覚認識の洞察) 今は地球紀の人間なので、自分のアストラル体・魂の働きの段階をある程度、自己意識によってとらえることができる。アストラル体の基本特性は、やはり快ー不快であり、それを基本原理にしながら、願望と欲望が働いている。其れ故に、「一度快を与えてくれたものをさらに求めようとし、反感を感じたものは避けようとする」。 地球紀の人間といっても、おそらくにアストラル体の発達は人それぞれで、そうした月紀的なアストラル体を専らとする人もいれば、反感を感じてそれを避けるとはかぎらない人もいる。反感を感じはするが、そこに意味を見出してあえて避けないこともできる。それはマゾヒスティックな働きであることもあるが、もちろんそれだけではなくて、そこに思考を育てていくこともできる。思考とはまさに反感を基底にすることでもあるのだから。そして自己意識の可能性へと向かうことができる。思考によって、その冷淡さを感じることがあるのはその反感にもよるが、思考を否定することは月紀への逆戻りでもある。却って、思考を生きたものとすることもできる。そうしたある意味での矛盾によって進化していくというヘーゲル的弁証法が人間存在であるということもできる。自由というのもそうした矛盾それ故のものであるが、その自由によって人間は人間である可能性を開花させることができ得るともいえる。哲学・思想ランキング
2023年02月17日
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「神秘学概論」読解30 月紀1:月紀七つの周期概要 シュタイナーの著「神秘学概論」の月紀の章は、他の惑星紀(*太陽は未だ惑星とされる段階にある)の周期としては、非常に複雑であり、其の影響力は世界の各種占いにおいても最も人間人生に大きな作用が認められるように重視される。 ひとつの準備期が、本来の月紀の進化に先行していた。特定の仕方で、土星紀と太陽紀の進化が繰り返された。今、太陽と月が合体したのちの衰退期においても、同様に、二つの時期を区別することができる。したがって、月紀の進化のための二つの準備期について語ることができるが、衰退期における二つの準備期についても語ることができる。そのような「時期」は「周期」と呼ばれる。初期の二つの準備期に続き、そして衰退期の二つの準備期に先行する期間には、つまり月が分離して存在していた期間には、三つの時期が区別される。その中間期は、「生命の子ら」が人間になった時期である。それに先行する時期は、すべての状況がこの主要事件に向けられていた、そしてこの中間期に続く第三の時期は、新しく創造された世界への適応を完成させる時期であった。このようにして、中期の月紀の進化は三つの時期に分けられる。だから二つの準備周期と二つの衰退周期と共に、月紀の進化は、全体として七つの周期に分けられる。(P223-224) 月紀の準備期である第一周期、第二周期は、それぞれ土星紀、太陽紀の繰り返しである。その後、本来の月紀進化が第三周期、第四周期、第五周期と続き、そして、次の進化期を準備するともいえる衰退周期である第六周期、第七周期と続く。準備期の後、月と太陽が分離し、月が太陽の周囲を公転するようになる。 月は、その生命活動をある時には太陽の方へ向け、別の時には太陽から引き離す。太陽の時期と遊星の時期とが交互に存在するようになる。遊星の時期には、月の存在は、太陽に背を向けた月面上で、成長を遂げる。このようにして月紀における意識状態は、明らかに異なった、互いに交替し合う二つの特徴的な在り方を示している。太陽に関わる時期には、より暗い意識状態を示し、自分自身により多くの関わりを持つ時期には、より明るい意識状態を示している。第一の意識はより暗いけれども、より一層没我的になる。その時期の人間は、外的な宇宙、つまり太陽の中に映しだされた宇宙に没頭して生きている。意識状態のこの交替は、現在の人間の眠りと目覚めの交替に比較できるが、さらにまた、誕生から死までの地上の生活と、死から新生までの霊的な生活との交替にも比較できる。(P209-211) 第三周期に、「運動霊」によって人間にアストラル体が流入され、人間はこの時点ではじめて魂の特性を獲得することになり、第四周期において、「形態霊」が働き、そのアストラル体の働きが転回するようになる。らに、第五周期において、「人格の霊」がそのアストラル体に独立性、自己性を与えそれが人格としての特徴をもつようになる。且つ亦、、この時期には「火の霊」が人間のエーテル体に働きかけ、その影響で、体液の流れが人間に生じ、一種の養分摂取の働きが見出せるようになる。更には、その第五周期において、人間は土星紀での「霊人」の萌芽や太陽紀での「生命霊」の萌芽のよう自分の中に「霊我」の萌芽を育てていく。そして、衰退周期において、再び月と太陽が合体する。その太陽と月の合成体に、「叡智霊」により「叡智」が流し込まれる。この衰退期において、悟性魂と感覚魂の萌芽が生じることになる。哲学・思想ランキング
2023年02月16日
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「神秘学概論」読解29 太陽紀2:進化と停滞 - 2 進化は、人間に限らず、高次の霊的存在にとっても一様ではない。そのプロセスにおいて、さまざまな進化段階や進化の経過を経てきた存在たちが複雑な様相を呈することになる。このことを理解しておかないと、宇宙進化の重要な部分が理解できなくなるということが起こり得る。そういう意味でも、「宇宙の生成にとって進化は最大の意味をもつ」わけである。またこの点において、以下ののことも忘れてはならない。 しかしすべての人間鉱物がこのようにして生命化されたわけではない。それは起こりえなかった。というのも植物人間は、その生存の基盤として鉱物を必要としたからである。太陽上の植物人間の場合も、今日植物がその諸実質を取り入れる鉱物界なしでは存在しえないのと同様である。より以上の進化のために、植物人間は人間の原基の一部を鉱物の段階に置き去りにせなばならなかった。太陽における諸条件は土星のそれとは大きく異なっていたので、突き落とされたこれらの鉱物は、土星上で採ってきたものとは著しく異なる諸形態を取った。こうして人間植物界と平行して、第二の領域、特殊な鉱物界が出現したのである。人間は仲間の一部をより低い領域へと突き落とすことによって、より高い領域へと昇るということが理解でき得よう。我々は、続く諸々の進化段階において、この過程が幾度も繰り返されるのを見ることになろう。これは、ある基本的な進化法則に合致する。「アーカーシャ年代記より」人智学出版社版/P158) 個々の人間が進化するということは、「仲間の一部をより低い領域へと突き落とすこと」もあり得る。たとえば、合格人数の限られた試験制度では自分が無事合格すれば、誰かを不合格にするということにもなる。そのことを忘れて、この世界を正しく理解することはできない。自分が進化し得ているということは、「仲間の一部をより低い領域へと突き落と」しているという「事実」である。しかし、だからといって、人間の意志は進化しようとしないでいることはできないのが常道である。哲学・思想ランキング
2023年02月15日
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「神秘学概論」読解29 太陽紀2:進化と停滞 - 1 霊的惑星時代が経過する間に、すべての存在が進化を遂げるのではない。目標に達することなく、停滞するものたちがいる。したがって、土星進化の過程でも、すべての人格霊が、すでに述べたような人類段階に達したのではないし、同様に土星紀に形成された人間の肉体のすべてが、太陽紀に固有の生命体を担えるまでに成熟を遂げたのでもない。したがって太陽紀の状況に適応しないものたちが太陽紀に現れ、土星紀に達成できなかった事柄を、今、太陽の進化段階で、もう一度やり直さなければならない。~このようにして、土星紀の熱存在のままであり続けたものは、太陽紀において二つの部分に区分され、その一方は、人体にいわば呑み込まれる。そしてそれ以降、人間存在の内部にあって、人間の低次の本性となる。(P185-186) この「停滞するものたち」のことは「宇宙の生成にとって最大の意味をもつ、ひとつの事実」だという言い方をシュタイナーはしている。 何故に、「最大の意味をもつ」といったのだろうかそのことを考えてみる。たとえば、物質的現存在時の人間は、この地球紀において、肉体、エーテル体、アストラル体、自我を有しているけれども、もし仮に、「停滞するものたち」がいないとすれば、人間はある意味、そういった構成体を有することができ得なかったともいえるのである。 太陽紀において、人間は土星紀と太陽紀を経た肉体と太陽紀において得たエーテル体を有しているといえるが、仮に「停滞するものたち」が存在しないとすれば、肉体を有することができなかったともいえる。人間は進化を通じて「高次」のものを形成するとともに、「低次の本性」を有していく必要性がある理由がある。もちろん、「停滞するものたち」の意味はそれだけではなく「停滞するものたち」が新たな「領界」を作り出すということでもある。 土星紀の熱存在のもう一方の部分は、太陽紀の人間存在と人間存在の間で、またはそれらのかたわらにあって、独立した存在となり、人間界と並ぶ第二の領界を作り出す。それは、太陽紀に、まったく独立した、物質体だけの熱形体を形成する。したがって、完全に進化した「人格霊」は、独立した生命体に、前述した仕方で働きかけることができなくなってしまう。ところが、ある種の「人格霊」もまた、土星紀の段階に残留していた。この人格霊たちは、土星紀においては、人類の段階に到達しなかった。彼らと、独立するに至ったこの第二の太陽領界との間に、ある種の親和関係が生じる。彼らは今、太陽紀に、ちょうど彼らの先へ進んだ仲間たちが、すでに土星紀に、人間存在になったのと同じような仕方で、この残留した領界に向き合わなければならない。彼らの進歩している仲間たちは、土星紀に先ず肉体を形成したのだったが、しかし太陽紀におけるこの残留した人格霊たちには、このような仕事をする可能性はまったくない。それゆえ彼らは、太陽体から離れて、太陽体の外に。別の独立した宇宙を形成するようになる。太陽から別の天体が生じる。この別の天体から、残留した「人格霊」たちは、第二の太陽領界の前述した存在たちに働きかける。このようにして、以前土星であったものから、二つの星体が生じた。太陽は、その周囲に、もうひとつの宇宙体をもつようになる。この宇宙体は、一種の土星の再生であり、新しい土星なのである。(P187-188)哲学・思想ランキング
2023年02月14日
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「神秘学概論」読解28 太陽紀1:概観 太陽紀においては、人間は漸くエーテル体の萌芽を獲得する。このときの人間は、いわば植物状態であり、意識の段階としては植物のように夢のない眠りの状態にある。また、土星紀では「意志の霊」が中心となって働いていたように、この太陽紀においては、「叡智の霊」が中心となって働く。 土星期に続く、こうした太陽紀での進化を概観してその経緯は以下のように分別される。I 霊的太陽上では人間の第二の意識状態、夢のない睡眠の意識状態が発達する「惑星(*恒星とは表記されていないことに注意。)」である。人間の物質身体は、その中へのエーテル体の浸透を通じて、一種の植物状態へと高まる。II この進化は、七つの補助的な段階(小周期あるいは「循環期」を通過する。 1 これらの内第一周期において、土星の進化段階が、物質身体に関しては幾らか変化した形で反復される。 2 第一周期の最後において、「叡智の霊」によるエーテル体の発出が始まる。 3 第二周期の中頃において、「運動の霊」のこの体への作業が始まる。 4 第三周期の中頃において、「形態の霊」のエーテル体への作用が開始される。 5 第四周期の中期以降、この体「人格の霊」を通じて自己性を受ける。 6 一方物質身体は、より早い時期からその上に作用し続けている諸力の活動を通して、第四周期以後、「火の霊」がそれを通じて自らを人間へと高めうるほどに発達している。 7 第五周期の中頃において、すでに人類の段階を通過していた「火の霊」は、エーテル体への作業を受け継ぐ。この当時物質身体の中では、「薄明の子」が活動的である。 8 第六周期の中頃において、エーテル体への作業は「薄明の子」に転任される。人間自身が、今や物質身体に働きかける。 9 第七周期の間に、生命あるモナドが成立する。(「アーカーシャ年代記より」人智学出版社版/P166-167) 土星体」はおもに「熱」から成っていたが、これが太陽進化紀になると、「現在のガスもしくは蒸気に比較される状態にまで濃縮する」。この状態は「空気」状態であると呼ばれる。土星紀は熱状態、太陽紀は空気状態、月紀は水状態)この状態は、「運動霊」の活動が始まってから現れる。 「人格の霊」は、土星紀において人間の肉体に働きかけたように、この太陽紀においては、「愛の霊」とともに人間の生命体に働きかける。 土星紀においては、熱が、人格霊の人格を人格霊自身に向けて反射したように、今、気体が光輝きながら、人格霊の直感意識の形象を、人格霊自身に向けて反射する。気体となった太陽から放射される形象の中には、地球紀の人間にとっての愛に似た力が作用している。太陽から発するこの光の中には、崇高な存在たちの活動が見出せる。それはすでに触れたことのある「愛の霊」、キリスト教の「セラフィーム」の働きである。愛の霊はこの時期から、人格霊と協同して、人間の生命体に働きかける。この活動のお陰で、人間の生命体は、進化の一段高いところにまで前進する。生命体は、自分の中に存在する気体存在を変化させ、その中で人間の生殖活動が始められるようにする。気体存在が特定の形態をとるようになると、そこに発汗作用のような一種の排泄作用が生じ、それによって生じたものから、母体存在に似た形体が作られるようになる。(P185) また、このとき人間の肉体には、「火の霊」が働き、現在の感覚器官の萌芽が生じはじめる。一方その肉体には、停滞した土星本性の一部が混入し、そしてそこに「火の霊」が働いているのである。停滞した土星本性に「火の霊」が働きかけて生じさせたすべてのものの中には、地球人の現在の感覚器官の先触れが見られる。(P188) さらに、「生命の子ら」(天使)と「調和霊」(ケルビーム)との共同作業が始まり、人間存在の内部には「味覚に比較され、そして外に向かっては音響として現れるようなもの」ができるが、土星紀に比べて、より内面化され独立したものとなっている。 そして、太陽紀の終わりにおいて、人間は人格のように作用する植物のような状態になり、「生命霊」(ブッディ)への最初の萌芽が形成される。今や人間存在は、内的な嗅覚知覚とでも言えるような意識内容を、内面の営みの中に発達させ、外なる天空に向けては、自分を一個の人格として、内なる「自我」によっては導かれない人格として、告知する。それは、むしろ人格として作用する植物のように現れる。(P190) さて、補足的に、恒星と惑星の違いについてふれておきたい。この進化を理解するためには、この第二周期においては、太陽は未だ惑星であり、後になって初めて恒星という存在へと進歩したということを理解せねばならない。神秘学の見地からすれば、恒星とは、それから離れて位置する一つ、あるいは複数の惑星に対して生命力を送るである。第二周期の間、太陽はいまだその条件を満たしていなかった。当時それはまだ、力を与えるべき諸存在と結合していたのである。これらの諸存在の類、そしてまた当時の進化段階にあった人間は、まだ太陽の上に生きていた。「アーカーシャ年代記より」人智学出版社版/P158) 惑星は、恒星へと進化する。かつて太陽は惑星であり、太陽紀において恒星に進化することになった。ということは、地球も未来において恒星へと進化することになるのだろう。 以上のことにより神秘学とは、一に、絶対的存在・意識・意志(目的)である世界の創造者を啓示によって存在の認識と踏まえる一神教を代表とする宗教。二に、存在そのものの普遍を代表とするものを究めんとする哲学とは相違し、あくまでも、自己の内的神秘体験を基調にしており、其の体験を共有するには余程の努力を必要とします。哲学・思想ランキング
2023年02月13日
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「神秘学概論」読解27 霊的太陽系の進化概略:「神秘学概論」進化期での再験の意義2 人間の成長プロセスと惑星進化の成長プロセスとは非常に興味深い関係があることが「シュタイナー教育の基本要素」(西川隆範訳/イザラ書房)の第三章「受胎・誕生・成長」に示唆されています。 死から再受肉までの人生は、「土星・太陽・月」の各紀におけるかつての人生から決定的な影響を受けている。「土星・太陽・月」紀における人生が死から再受肉までの人生に反映し、さらに誕生から死までの人生に反映するのである。誕生から死までの人生は、死から再受肉までの人生の鏡像であり、死から再受肉までに生起することは、古い『土星』、古い「太陽」、古い「月」で生じたことがらの影響を受けている。(P48) 少し詳しく見てみると、次のようになる。 受胎に際して生じる現実の経過に関係するものすべてが問題になります。その経過は地球に属します。しかし、誕生前のことがらは、太陽と地球の共同に属す。 胎児期に、ある現実の経過の反映が演じられ、現実の経過が誕生前に演じられる。それは、古い「月」で生じた経過を繰り返すものです。誕生の時点から、幼年期が終わって人間は意識的に「わたし」といえるようになる時期までには、古い「太陽」進化の繰り返しが反映される。学校に通う年齢に反映されるのは、地球の古い「土星」経過の繰り返しです。 教育が終了して、社会に出るときには、どのような経過が反映されるのでしょうか。「土星」時代前の経過が反映されるのです。可視の世界に属さない経過、外的に目に見える星々のなかに相関物のない経過が反映されるのです。教育が終了するまでにわたしたちが体験することの相関物は、まだ目に見えるということができます。目に見える星々が、まだ関係をもっています。私たちが学生時代後さらに体験し、わたしたちの内に形成されていくものは、まったく不可視の世界に属しています。教育を終えたと看做されたときに、私たちは可視の世界から解放されるのです。(P62-63) 以上、間の成長プロセスには、惑星進化のプロセスが深く関係しています。其の中でも重要なのは、この「可視の世界から解放され」た後のこと。このことが人間の「自由」と深く関係しているのである。 精神科学が与えるものを受け取るということは、感覚世界の操り人形であることをやめて、人間になることを意味します。自由を獲得し、生涯にわたって自由のなかで活動するということを意味します。自由というのは、感覚世界に由来しない概念からのみ理解することができるのです。わたしたちは感覚世界から有するものによっては、自由になることができないのです。「自由の哲学」で、倫理学の基礎を道徳的ファンタジーと呼んだとき、わたしはそのことに注目していたのです。(P63-64)哲学・思想ランキング
2023年02月12日
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「神秘学概論」読解27 霊的太陽系の進化概略:「神秘学概論」進化期での再験の意義1 太陽紀の進化の過程で、人間存在にエーテル体もしくは生命体が組み込まれる。それによって、人間存在は、より高次の意識度を獲得するに至る。しかしこのことが生じうる以前に、既に述べたような仕方で、土星紀の諸状態がもう一度繰り返されねばならない。この繰り返しには、きわめてはっきりとした意味がある。すでに述べたように、休息期が終わり、次いで、「宇宙の眠り」の中から、かつての土星が新しい宇宙体である太陽となって現われてくるからこそ、進化の状況に変化が生じるのである。土星紀において働いてきた霊的存在たちもまた、新しい状態を獲得する。しかし人間萌芽は、はじめ、新たに形成された太陽の上でも、土星紀に形成されたときのままで現われる。人間萌芽は先ず、土星紀に通過した進化段階を、太陽紀の状況に適したものにしなければならない。それゆえ太陽紀は土星紀の諸状態を繰り返すところから始まる。しかしその繰り返しは、太陽紀の変化した生活状況に適応しながら行なわれる。(P180-181) 土星紀では、肉体、太陽紀ではエーテル体、月紀ではアストラル体、地球紀では自我が人間に組み込まれ、進化期を経ていくにつれてそれらは育っていくのだが、それぞれの進化期の間には「休息期」があって、「休息期」が終わると、それ以前の進化期が繰り返された上で、新たな進化期での展開が生じてくる。その繰り返しというのは、人間が転生してくるときにも似ている。人間は生まれてくるとき、当然のことながら、最初から一足飛びに大人として生まれてくることはないし、以前の生の続きをそのまま再開するというのでもない。肉身をもって生まれた人間は、それなりのプロセスを辿りながら成長していく。教育に関する示唆でもよく知られているように、人間は生まれるときまでは母胎に包まれていて、生まれる時点で肉体が解き放たれ、その後、7歳頃にエーテル体の覆いから、14歳頃にアストラル体の覆いから解き放たれる。肉体の誕生を第一の誕生とすれば、エーテル的な誕生を第二の誕生、アストラル的な誕生を第三の誕生ということもできる。人間はこうしたプロセスを生まれるたびごとに行ないながら成長していく。このように、太陽紀も、土星紀の諸状態を繰り返すことからはじまり、月紀も、土星紀、太陽紀の諸を繰り返すことからはじまり、地球紀も、土星紀、太陽紀、月紀の諸状態を繰り返すことからはじまった。この繰り返しには人間の霊的進化には欠かせないことをシュタイナーは強調する。哲学・思想ランキング
2023年02月11日
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「神秘学概論」読解26 土星紀進化概略:「神秘学概論」自己性・利己性 記:人格霊(時の霊/アルヒャイ)については、シュタイナー理論は神智学協会を離れてからは自らの神秘体験からなのか独自性を帯びます。 これらの霊は、人体に自己性を、利己主義を植えつける。それらは、それら自身の人類段階を土星上で初めて達成するために、なお長きに亘って人類との関係を保つ。だから、それらは続く諸周期においても同様に、人間の上に完遂すべき重要な仕事を持つのである。この仕事はに、自己性の接種として作用する。自己性の利己主義への退化は、それらの霊による活動に帰せられねばならないが、他方でそれらは、人間のすべての独立性の始祖である。それらなしでは、人間は自己完結した存在、一つの「人格」とはなりえなかったであろう。キリスト教秘密教義ではそれらに対して「根源の力」(Archai)という表現が用いられ、また神智学文献では、それらはアシュラ(阿修羅)と命名されている。(P170-171)記:神智学文献で命名されている阿修羅は人間のすべての独立性の始祖とされるが、言い得て妙な気がします。阿修羅(修羅と略称される。)は元来はインドの鬼神の種に属していた。サンスクリット語、パーリ語のアスラasuraの音写語で語源からすれば、sとhの交代により、古代ペルシア語のアフラahuraと関係がある。しかし、古代ペルシアではアフラは善神とみなされ、悪神ダエーバdaēvaに対立すると考えられているが、インドではアスラを神(スラsura)に非ざる者、つまり非天と解釈した結果、その関係が逆になり、善神デーバdevaに敵対する悪神を呼称することとなる。そして善神と悪神との戦闘は、インドの大叙事詩「マハーバーラタ」に見え、ビシュヌ神の円盤に切られて大量の血を吐きながら、刀、槍、棍棒で打ちのめされたアスラたちが戦場に横臥(おうが)し、血に染まった彼らの肢体が、褐色の岩の頂のように累々と横たわっているようすが描かれている。ほぼ同様の叙述は、仏典にも所々に言及され、これらを通じてわが国の文学にも伝えられた。それで血なまぐさい戦闘の行われる場所を「修羅場(しゅらば)」という。またこのような阿修羅に生まれ変わることは、(1)地獄に生まれること、(2)畜生界に入ること、つまり動物になること、(3)餓鬼すなわち亡者となることとともに、四つの悪処(あくしょ)、悪趣(あくしゅ)に数えられる。すなわち、人が死後受けるところの不幸な運命の一つと考えられている。奈良・興福寺蔵の阿修羅像(国宝)は三面六臂(ろっぴ)で、巧妙な手の配置、愁いを含む表情で表される天平(てんぴょう)彫刻の名作で我々は其の姿を知ります。 我々現代に住する人間は、人間に神が人間に禁じた「知恵」を与えたルシフェル、自己の持つ属性に絶対権威からの自由を求めた阿修羅の顔の両面を見なければならない。両者は共に人間存在に精神的自立の可能性を与えたことには肯んずる筈である。哲学・思想ランキング
2023年02月10日
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「神秘学概論」読解25 土星紀進化概略:「神秘学概論」土星紀の進化プロセス区分記:土星期の霊的存在の人間が体験する進化段階はシュタイナーの人智学出版社版よれば、そのプロセスの概略を見てみると七つに区分されます。Iこの惑星上では、最も暗い人間意識が発達する(深いトランス意識)。それと同時に、人間の最初の原基が発達する。II この進化は、七つの補助的段階(小周期あるいは「循環期」を通過する。これらの段階のそれぞれにおいて、高次諸霊は人体形成における自らの作業を開始する。第一周期において、意志の霊(座天使)第二周期において、叡智の霊(主天使)第三周期において、運動の霊(権天使)第四周期において、形態の霊(能天使)第五周期において、人格の霊(根源の力)第六周期において、火の子の霊(大天使)第七周期において、薄明の子の霊(天使)III 第四周期において、人格の霊が自らを人類の段階にまで高める。IV 第五周期以降、熾天使が示現する。V 第六周期以降、智天使が示現する。VI 第七周期以降、真の「人間の創造者」座天使が示現する。VII 座天使の示現を通して、この最初の惑星の第七周期において、「霊人」アートマンの原基が発生する。 シュタイナーが晩年になって各種分野における応用もふくめた展開を行なっていくに際しては、「神智学協会」的な説明はむしろあまりに図式的すぎて、認識を妨げてしまうこともあるのではないかと危惧していることが伺える。実際、この「神秘学概論」での土星紀に関する説明でも、「周期」的な説明をしてはいない。高次の霊存在の働きとその展開のほうを中心に置いていて、それによって、読む者に図式的なとらえかたをさせないようにしている。恐らく此れは彼の現実的神秘体験と神智学協会の教義の離反の発端に起因する。哲学・思想ランキング
2023年02月09日
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いっぷ句-79白梅が震える寒さ粉の雪 愚通にほんブログ村
2023年02月08日
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「神秘学概論」読解24 土星紀4:「神秘学概論」土星紀の進化段階2 火の霊1-3記:土星紀における宇宙の進化で「愛の霊」、キリスト教では「セラフィム」と呼ばれる存在が、自身は土星の進化を観察することによって得られる特権をすべて放棄し、すべての享受、すべての喜びを放棄し、火の霊がそれを持つことができるようにしたあとに続いて、生命の子ら(天使/アンゲロイ)は、味覚と音響のドラマがはじまる。此の甘い・苦い・酸っぱいというような「味覚」というのは興味深い表現である。更に「音響」となると宇宙ハーモニーを連想させる。この、生命の子らは、現在の植物が有しているような「夢のない眠りの意識」を有していて、月紀において人間の進化段階に達することになる。また、この生命の子らは、人間に一種の「悟性」の萌芽を生じさせるが、それを通じて「調和の霊(ケルビーム)」がそこに働いている。 土星存在の新時代が、この出来事のあとに来る。光だけの舞台に別のものが登場してくる。しかし超感覚的認識に映じるその情景は、多くの人には、まるで狂っているとしか思えないであろう。まるで土星の内部が、さまざまの味覚内容の合流し、波立つ流れのようになる。土星の内部のさまざまな地点が、甘く、苦く、すっぱく感じられる。そしてその味覚作用が外なる天空の彼方へ向けられると、それらすべてが音響となり、一種の音楽となって知覚される。 この状況下で、再び特定の存在たちが、土星上での活動を開始する。それは「薄明の子ら」、もしくは「生命の子ら」、キリスト教の「天使」と呼ばれる存在たちである。彼らは土星内部で波立つ、味覚の働きと作用し合い、それによって彼らのエーテル体は、一種の新陳代謝と呼ぶような活動を行なう。彼らは生命を土星内部にもたらす。そうすると、土星内に養分を摂取し、排泄する経過が生じる。彼らはこの経過を直接生じさせているのではない。彼らの生じさせているものを通して、間接的にこの経過が生じるのである。 この内部生活は、「調和霊」、キリスト教では「ケルビーム/Cherubim」と呼ばれる別の存在たちが、この宇宙体に入ってくることを可能にする。この存在たちのお陰で、「生命の子ら」は、暗い意識が持てるようになる。それは、現在の人間の夢意識よりも、さらに暗い意識、人間が夢のない眠りに入ったときのような意識である。 この「夢のない眠りの意識」を、現在の植物もまた所有している。植物の意識は、たとえ外界を人間のようには知覚できないにしても、生命活動を制御し、生命の働きを宇宙の働きと調和させることができる。今問題にしている土星紀において、「生命の子ら」は、この制御作用を自分では知覚できないが、しかし「調和霊」はそれを知覚している。したがって調和霊こそがこの生命活動の本来の制御者なのである。 この生命活動のすべては、すでに述べた人間幻像の中に映し出されている。したがって、人間幻像を霊視すると、それがまるで生きているように現われる。しかしその生命は、仮象の生命にすぎない。この人間幻像を使用して、十分に生きようとするのが「生命の子ら」の生活なのである。(P172-173)哲学・思想ランキング
2023年02月08日
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「神秘学概論」読解24 土星紀4:「神秘学概論」土星紀の進化段階2 火の霊1-2 火の霊である大天使(アルヒアンゲロイ//Archangeloi)は、現在する霊的人間存在が物質体を知覚するときの感覚器官を最初の精妙なエーテル的な萌芽状態のなかで輝き出させる。この火の霊は、現在の動物が有しているような「夢の意識」としての「形象意識」を有していた。この「形象意識」というのは、ある意味で「自我」の萌芽ともいえる。この火の霊は、次の太陽紀において、更なる人間の段階を達成することになる。 因(ちな)みに、意識の働きということでみるならば、人間は土星紀においては、鉱物が有しているようないわば「昏睡意識」、太陽紀においては、植物が有しているような夢のない眠りの意識、睡眠意識、月紀においては、動物が有しているような夢の意識、そして地球紀においては目覚めの意識、対象意識を発達させてきたいえる。 それはさておき、火の霊と土星の熱形体の相互作用のなかで、人間の感覚器官の萌芽が生じることになるのだが、そこには「愛の霊」(セラフィム)も関わってくる。記:セラフィム (seraphim)は熾天使(してんし)。「熾」は「火が盛んに燃える」の意で 、神への愛と情熱で体が燃えていることを表す。 火の霊たちと土星の熱形体とのこの相互作用の中で、人間の感覚器官の萌芽が進化に組み込まれる。人間が現在、物質体を知覚するときの知覚器官が、その最初の精妙なエーテル的萌芽状態の中で輝き出る。感覚器官の光の原像として現われる人間幻像(ファントム)が、見霊的に知覚できるようになる。この感覚諸器官は、火の霊の活動の成果であるが、この感覚諸器官の成立に参加したのは、この霊たちだけではない。火の霊たちと同時に、土星紀の舞台に、別の存在たちも登場する。それは土星紀における宇宙の進化を観察するために、前述した感覚萌芽を使用できるほどにまで進化を遂げた存在たちである。彼らは「愛の霊」、キリスト教では「セラフィム」と呼ばれる。彼らは、土星の進化を観察し、これを形象に変えて、火の霊に伝えることのできるほどの高次の意識を所有していた。彼ら自身は土星の進化を観察することによって得られる特権をすべて放棄し、すべての享受、すべての喜びを放棄し、火の霊がそれを持つことができるようにする。(P171-172)哲学・思想ランキング
2023年02月07日
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「神秘学概論」読解24 土星紀4:「神秘学概論」土星紀の進化段階2 火の霊1-1記:霊的太陽系の土星惑星段階の進化プロセスが熱状態として顕れ、人格霊の働きで「自我」を反射しながら、光の煌めく大地と化します。 進化がここまで至ると、再びある本性たちの活動が可能になる。それは「火の霊」、キリスト教では「大天使(アルヒアンゲロイ/Archangeloi)」と呼ばれる霊たちである。彼らはアストラル体をもっているが、この存在段階においては、自分で自分のアストラル体を働かせることはできない。土星の今述べた熱体に作用することができなかったら、彼らは、感情や知覚を働かせることができなかったであろう。 彼らは、自分たちのこの作用の中に、自分たちの存在を認識できるようになる。自分に対して、「私はここにいる」とはいえないにしても、「私の環境が私をここに存在させている」ということはできる。彼らは知覚活動を行なうことはできるが、その知覚は土星紀の前述した光の作用の中での知覚である。この知覚は、ある意味では、彼らの「自我」である。この「自我」が、特殊な意識を彼らに与える。その意識は、「形象意識」と名づけられる。それは、人間の夢の意識のような在り方をしているが、その働きは、人間の夢よりもはるかに活発であって、意味もなく浮動する像なのではなく、土星の光の働きと現実的な関係をもって現われる。(P170-171)記:ここで霊存在たちの構成要素を検討してみよう。意志の霊、叡智の霊はその最も低次のものとしてエーテル体を持ち、動きの霊、形態の霊、人格の霊は同様にアストラル体を持っていた。火の霊に関しては、この「神秘学概論」のなかでは、アストラル体をもっているということは書かれているが、エーテル体に関しては明確に示されていない。「火の霊たちと土星の熱形態とのこの相互作用の中で、人間が現在の受肉体、物質体を知覚するときの知覚器官が、その最初の精妙なエーテル的萌芽状態の中で輝き出る」とだけ書かれている。このことから推察すると、火の霊には萌芽状態のエーテル体があったのではないかとも想われる。更には、生命の子らの最も低次のものはエーテル体である。そして、人間だけが、この土星紀において、肉体の萌芽を有することになったのは幸か不幸かは定かでない。哲学・思想ランキング
2023年02月06日
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「神秘学概論」読解24 土星紀4:「神秘学概論」土星紀の進化過程2- 3 後半 土星紀の霊的世界の人間存在の進化経過は、次いで、土星紀の「人間」である人格霊(アルヒャイ)が活動します。この存在が、土星紀の「光のドラマ」を演出することになります。人格霊が現在の人間の段階にあったというのは、意識の進化段階として「自我」意識を有していたということ。また、人格霊は、運動霊、形態霊と同様、その最も低次の部分としてアストラル体をもっています。そのアストラル体を進化させて自我の働きの萌芽が生まれたのです。 土星がこのような段階にあったときに、同様にそのもっとも低次の部分としてアストラル体をもち、そのアストラル体を進化させて、現在の人間の「自我」のような働きを可能にしていた別の存在たちが、土星と関係をもつようになる。この存在たちを通して、「自我」が土星の周囲から土星に眼を向ける。そして自分の本性を。土星の個別的な生命存に伝達する。そのようにして、現在の人生を生きる人間の人格に似た働きが、土星から宇宙空間の中へ放出される。このような働きをする存在たちは、「人格霊」、キリスト教では「アルヒャイ(Archai)」または「原初」と呼ばれている。この霊的存在たちは、土星体の諸部分に人格の特質を附与するが、しかし土星そのものの上には、人格は存在していない。いわば人格の鏡像、人格の外被だけが存在しているのである。「人格霊」は土星紀の「人間」なのである。しかし彼らは、そのもっとも低い部分として、肉体ではなく、自我と結びついたアストラル体をもっていた。それゆえ、彼らは現在の人間とは異なり、アストラル体の体験を、今日の人間のように肉体とエーテル体との中に表現することはできなかった。しかし彼らは、「自我」をもっていただけではなく、その自我について意識していた。土星の熱が、「自我」を反射しつつ、彼らに「自我」を意識させていた。彼らは、地球とは異なる状況の中での「人間」だったのである。(P169-170) 土星進化の過程は、その後、それまでとは異なる諸事実を示すようになる。それまではすべての外の生活と外の知覚とを反射していたのに、今や一種の内面生活がはじまる。土星世界のそこここに、輝きを増すかと思うと、再び暗くなるような、光の生命がはじまる。さまざまの場所でちらちらと光がゆらめく。そうかと思うと、別のところでは、稲妻のように輝きが走る。土星の熱形体がきらめき、輝き、そして光線を放ちはじめる。(P170)このように、意志霊と叡智霊は、土星に生命的な働きを付与し、運動霊と形態霊は魂的な働きを付与し、そしてこの人格霊は「自我」的な働きを付与していった。それらは萌芽的なものではあったけれども、まず土星進化は、熱状態として現われ、人格霊の働きで「自我」を反射しながら、光のドラマとして展開していったのである。哲学・思想ランキング
2023年02月05日
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「神秘学概論」読解24 土星紀4:神秘学概論」土星紀の進化過程2- 3 前半 記:シュタイナーの神秘学の世界の宇宙進化の過程では、各種各段階のヒエラルキアに位置する元々から霊的世界に住する霊存在が、人間の霊的存在に働きかけるのであるが、此のことは神秘体験からの認識の神秘学と、神の啓示体験における宗教との微妙な差異があるのですが、なかなかに判別は難しいものがあります。此処に登場する霊的世界に住する各段階のヒエラルキア、元来、ヒエラルキー(独語: Hierarchie、英語: hierarchy、)とは、階層制や階級制のことであり、主にピラミッド型の段階的組織構造のことを指し、元々は、聖職者の支配構造であり、かつてのカトリック教会や正教会などが、この言葉の現代的意味において「階層的な」組織を持っていたことに起源があります。シュタイナーが神秘学の世界において此のヒエラルキアの霊体を共用していることには、彼の基礎的自我の奥底に西欧キリスト神学があり、それを離脱し得なかったことが伺えますが、彼の神秘体験である以上、門外漢がとやかく問いただすものでもないでしょう。例えば仏教における観世音菩薩、観自在・観世自在などとも云われる如く、世間の出来事を自在に観察する意を持ち救いを求める者の心に応じ、相手により千変万化するという観音菩薩は「観音」と表記される如く其の各々の人間に両面の大太鼓の皮が響くがごとくに其の姿を變化します。それ故、ヒエラルキアの霊体の姿を取ることも有り得、シュタイナーの神秘体験をヒエラルキアの霊的世界に住する霊存在の形姿を厳密に差別化するのかどうかには疑義があります。 それはさておき、各段階のヒエラルキアに属する元々から霊的世界に住する霊存在、第一ヒエラルキアがむしろ低次のものであるとされる物質的なものに働きかけ、第三ヒエラルキアが高次のものであるとされるアストラル体に働きかけている、ということを見てもわかるように、いわば「最も高きもの」と「最も低きもの」というのはもっとも互いに働きかけあっているということがいえる。つまり、低次の要素であるから軽視するというのは、もっとも認識の欠如をあらわしているということでもある。「肉体は汚れているから常に高次のもののほうに目をやらなければならない」というふうに考えるとしたら、そこにはルシファー的な認識の陥穽がある。哲学・思想ランキング
2023年02月04日
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「神秘学概論」読解24 土星紀4:神秘学概論」土星紀の進化過程2- 2 土星紀の進化の第1段階の意志霊と叡智霊の最も低次の働きの部分は、エーテル体だったのですが、第2段階の運動霊と形態霊の最も低次の部分がアストラル体であることには注意が肝要です。土星紀の進化の第2段階に、運動霊はその「魂の作用」を反射させることで、「反射された生命」が、「土星全体が魂をもった存在として、共感と反感を表わしているかのよう」に現象する。また形態霊は、「反射された生命」が、「個々の存在から宇宙空間の中へ感情表現が放出されるように作用する」。このように、運動霊と形態霊は、土星に魂的な要素を付与するために働いているといえる。 通常に高次、低次ということでいえば、たとえば人間の構成要素の肉体、エーテル体、アストラル体、自我でいえば、肉体が最も低次で、自我が最も高次であるといふうにとらえがちだけれども、意志霊と叡智霊がエーテル体を最も低次のものとして持ち、運動霊と形態霊がアストラル体を最も低次のものとして持っているように、高次ないし低次というとらえかたを絶対化してしまうと、宇宙進化のダイナミックなプロセスをシュタイナーの描く霊的世界を捉え損なう恐れがあるので注意が肝要です。哲学・思想ランキング
2023年02月03日
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「神秘学概論」読解24 土星紀4:神秘学概論」土星紀の進化過程2-1 土星紀の進化の第2段階に入ると意志霊と叡智霊に続き、運動霊(デュナメイス)と形態霊(エクスシアイ)が人間の霊的存在に各々の能力をもって働きかける。 意志と生命との共同作用を通して、土星が一定の進化段階に達した後に、同じ土星の周囲の別の存在たちが活動を開始する。その存在たちは「運動霊」と呼ばれ、キリスト教では「デュナメイス」もしくは「力」と呼ばれる。この霊たちは、肉体と生命体をもっていない。そのもっとも低次の存在部分は、アストラル体である。土星の諸物体が生命を反映する能力を獲得したとき、この反射された生命は、この「運動霊」のアストラル体の諸特性を身につけることができた。その結果、その生命は、まるで知覚行為や感情その他の魂の諸力を、土星から天空へ放射しているかのように現われた。土星全体が魂をもった存在として、共感と反感を表わしているかのようだった。しかしこのような魂の現われは、決して土星そのものの現われなのではなく、「運動霊」の魂の作用が反射されたにすぎない。(P168) 次いで「形態霊」と呼ばれる別の存在たちの働きが始まる。形態霊のもっとも低い部分も、アストラル体である。けれどもそのアストラル体は、「運動霊」のアストラル体とは異なる進化段階に立っている。運動霊たちは反射された生命に、一般的な感情の表現だけを伝えているが、「形態霊」つまりキリスト教の「エクスシーアイ」または「脳(能)天使」」のアストラル体は、個々の存在から宇宙空間の中へ感情表現が放出されるように作用する。運動霊」は全体としての土星を、ひとつの魂的な生命存在のように現出させるが、「形態霊」はこの生命を個々の生命存在に分けるので、土星はそのような魂的存在の集合体であるかのように現われる。(P168) 記:脳天使(エクスシーアイ/Exousiai)、単数形でエクスシーア/Exousia)は神の掟を正しく実行に移す働きを司る能力の天使で、神に対しての侮辱を償う方法を教える天使です。神学に基づく天使の階級においては、第6位の天使達の総称。キリスト教では父と子と精霊の階層にそれぞれの天使が属します。哲学・思想ランキング
2023年02月02日
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「神秘学概論」読解23 土星紀3:神秘学概論」概観 - 土星紀の進化過程 - 2 人間が現実在肉体、エーテル体、アストラル体、自我といった構成要素を持つに至るまでのプロセスを理解するためには、土星紀の第一ヒエラルキアから第三ヒエラルキアまでの存在形態を表象するのも無益ではない。記:ヒエラルキー(ドイツ語: Hierarchie、ヒエラルヒー、英語: hierarchy、ハイァラーキ)とは、階層制や階級制のことであり、主にピラミッド型の段階的組織構造のことを指す。更にヒエラルキア、この言葉はもともと教会用語としての起源をもっており,およそ6世紀の文書にも「神聖なものによる管理」の意味で「ヒエラルキア」という言葉が記されている。シュタイナーの引用語句は古今東西の哲学・神秘学・宗教の慣用語を知悉しており、其れ等を講演・著作に援用しています。先ずは、意志霊と叡智霊の働きかけについて語ります。 土星紀のはじまりに意志を流出させ、それに浄福を感じていた存在たち、「意志霊」と呼ばれ、キリスト教秘学では「座」と呼ばれる。この流出がある期間続いたあとで、すでに述べた「叡智霊」の働きが、この意志と結びついた。この結びつきによって、これまでの無特性な意志が、生命を天空へ反射する性質をもつようになった。(P167) これらの存在たちの本性のもっとも低次の部分は、エーテル体だった。(P165) 土星紀の最初には、「時間」は未だ存在せず、「持続」という状態にある。そのなかを意志霊が勇気の海波のように満ちていたということである。それに輝く叡智のような光の雲である叡智の霊が結びつく。これは、意志の霊の調和の霊に対する供犠の行為だったという。この供犠の行為が土星紀の「熱状態」を創り出し、「時の霊」(人格霊)が現われることになる。まさに此処に、「時間」が現象化することになる。この人格霊は、土星紀の「人間」である。つまりは、この土星紀においての人格霊は、現在の人間の進化段階である「自我」意識を有していたことになります。 現代においても、哲学・宗教・物理科学においても「時間」そのものの存在と其の流れ、特に「時間の流れ」ついては未だに未解決です。自我意識と時間の関係というのは興味深いところで多くの説明がなされていますが、決定的な解はアインシュタインの相対性理論をもってしても甚だ難解でしょう。哲学・思想ランキング
2023年02月01日
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