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「四次元/Die Vierte Dimension」数学と現実第4講:1905年5月24日、ベルリン 1-1 図25 - 図26 最近の講義のなかで、私は四次元空間についての図式的な観念を発展させようと試みてきましたが、それは何らかの類比を用いて行うのでなければ非常に難しいことです。私たちは、私たちがさしあたりアクセスすることが可能なタイプの唯一の空間である三次元空間において、いかにして四次元の図形を表現するかという問題に直面することになります。馴染みのない四次元空間の要素を何か私たちが知っているものに結びつけるためには、ちょうど三次元の物体を二次元のなかにもち込むように、四次元の物体を三次元のなかにもち込むための方法を見いださなければなりません。ここでは、四次元空間をいかにして三次元のなかで表現するかという問題に対する答を示すために、チャールズ・ヒントン氏によって広められた方法を用いたいと思います。どうすれば三次元空間を二次元のなかで記述することができるかということについて示すことから始めましょう。この黒板は二次元平面です。幅と高さというその二つの次元に奥行きを加えれば三次元空間が得られます。では、この黒板の上に三次元の図形を描いてみましょう。立方体は、高さ、幅、奥行きを持っていますから、三次元の物体です。立方体を二次元に、つまり平面にしてみましょう。ひとつの立方体を取り上げ、その六つの正方形の面を平面上に広げます(図25)。そのとき、二次元においては、立方体を規定する面はひとつの十字を形成するものとして想像することができます。図25:これら六つの正方形を、正方形1と3が互いに反対側にくるように折りますと再び立方体にすることができます。正方形2と4、そして5と6もまた反対側にきます。これは三次元立体を平面に移し替える簡単な方法です。四次元を三次元空間のなかに描こうとしても、この方法を直接用いることはできません。そのためには別の類比が必要です。色を使うことが必要になるでしょう。反対側にくる正方形の色がどの組も同じになるように、六つの正方形の辺を異なった色で塗り分けることにします。正方形1と3については、一組の辺を赤で点線、もう一組の辺を青に実線にします。他の正方形のすべての水平の辺にも青の、そのすべての垂直な辺にも赤の色をつけることになりますね(図26)。図26:これら二つの正方形1と3を見て下さい。それらの二つの次元が二つの色、赤と青によって表現されています。そのとき、私たちにとっては、正方形2が黒板に対してフラットになっている垂直の板面上で、赤は高さを、青は奥行きを意味します。高さには必ず赤を、奥行きには青を使いましたから、第三の次元、つまり幅のために緑の破線を加えて私たちの展開した立方体を完成させましょう。正方形5は青と緑の辺をもっていますから、正方形6も同じように見えなければなりませんね。さて、正方形2と4だけが残りました。それらが展開されたと考えますと、それらの辺が赤と緑になるのが分かります。これらの色がついた辺を視覚化してきたことからお分かりのように、私たちは三つの次元を三つの色に変換しました。高さ、幅、奥行きの代わりに、私たちは今、それらを赤(点線)、緑(破線)、そして青(実線)と呼ぶことができます。これら三つの色は空間の三つの次元に置きかわり、それらを表現しているのです。さて、その立方体が再びすっかり組み立てられると想像して下さい。第三の次元がつけ加えられるということは、赤と青の正方形が緑を通って動いた、つまり、それが図26において左から右に動いたと言うことによって説明することができます。緑を通って動くということ、あるいは、第三の色の次元のなかに消えるということは第三の次元への移行を表現しているのです。緑の霧が赤-青正方形に色をつけると想像して下さい。そのために両方の辺(赤と青)に色がついて見えます。青の辺は青緑に、赤は暗い色合いになります。緑が止むところにきて初めて、再び両方の辺がそれ自体の色で現れます。正方形2と4についても同様に、赤-緑正方形を青の空間を通って移動させることができるでしょう。二つの青-緑正方形5と6の内のひとつを赤を通って動かすのも同じです。いずれの場合にも、正方形は一方の側で消失し、別の色のなかに潜り込むと、反対側から元の色で現れるまで、その色に染まります。このように、お互いに直角の位置関係にある三つの色は私たちの立方体を象徴的に表現しています。私たちはその三つの方向のために色を用いただけです。立方体の三組の表面が被る変化を視覚化するために、私たちはそれらが、それぞれ緑、赤、そして青を通過するものと想像します。哲学・思想ランキング
2023年07月31日
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「四次元」数学と現実第3講:1905年5月17日、ベルリン 多次元空間に関する講義の聴講ノートと数学のテーマについての質疑応答 1-3アストラル領域 図24 空間構造の境界 立方体には、三つの次元、あるいは三つの軸があります。ひとつの軸の両側にはその軸に対して垂直な二つの平面があります。ですから、立体のそれぞれの面を考えるときには、先ほど私が、人間の生は二つの流れの交差したものとして成立すると述べたのと同様の理解が必要であるということを明らかにしておかなければなりません。中心から外に向かう流れを表象することができます。これらの軸方向のひとつを考えて下さい。空間はその一つの方向のなかで、中心から外へ向かって流れるとともに、別の方向から、つまり無限の彼方から中心に向かって流れています。そしてこれらの流れを、一方は赤、他方は青の色として思い描いて下さい。その二つの流れが出会う瞬間、それらは合流してひとつの面を創り出します。このように立方体の面は二つの対立した流れの表面における出会いとしてとらえることができるのです。このことは、立方体が何であるかについての生きた視覚的表象を与えてくれます。 つまり、立方体は三つの互いに作用する流れの交差なのです。それらの相互作用を総合的に考えれば、三つの方向ではなく、前-後、上-下、右-左という六つの方向が関係しているのが分かります。実際には六つの方向があるのです。そして、一方には点から出る方向、他方には無限から返ってくる方向の二種類の流れがあることによって、事態はさらに複雑になります。このことは、より高次の理論的な神智学を実際に適用するときのひとつの観点を与えてくれるでしょう。空間におけるどの方向も二つの対立する流れとしてとらえなければなりません。そして、物理的な立体はこの二つの流れが融合した結果なのです。さて、この六つの流れ、六つの方向をa・b・c・d・e・fとしてみましょう。この六つの方向、あるいは六つの流れを表象し、次回の講演では、この表象をいかに形成するかについてお話しすることになりますが、其れはさて置き、最初と最後のaとfをそこから無いものと考え、消して考えるならば、そのとき四つが残ります。この残った四つとは、あなた方がアストラル界だけを見るときに知覚できる四つの流れであるということに注目して下さい。私はあなた方に三つの通常の次元と、本来それに対立してふるまう三つのさらなる次元に関する何らかの表象を提供することを試みてきました。物理的な立体はこれらの次元が互いに対立的に働く結果としてて成立します。ここで物理的なレベルにある次元のひとつとメンタル的なレベルにある次元のひとつをないものと考えるとならば、四つの次元が残りますが、そのときこれは、物理的世界とメンタル界との間に存在するアストラル界を表わします。 世界についての神智学的な観点は、実際、通常の幾何学を越えたより高次の幾何学に従って働かなければなりません。通常の幾何学者は立方体を六つの正方形で表されるものとして記述します。私たちは立方体を六つの相互に貫入する流れの結果として、つまり、動きとそれに対抗する動き、あるいは対立する力の相互作用の結果として把握しなければなりません。ここでは、そのような一組の対立を体現している概念のひとつ、世界進化の奥深い秘密のひとつを私たちに示す概念のひとつを外なる大自然からとった例で示したいと思います。ゲーテは「蛇と百合のメルヘン」のなかで「開示された秘密」について語っていますが、それはこれまでに話された言葉のなかでも最も真実で賢明な言葉のひとつです。自然のなかにはまだ見たことはないけれども全く手に取るようにわかる秘密が、多くの倒置プロセスを含めて存在しているというのは本当のことです。そうした例のひとつを紹介したいと思います。 人間を植物と比べてみましょう。これは最初は遊び半分のようにも見えるでしょうが、そうではなく、深い秘密を示しているのです。植物は土のなかに何を有しているでしょうか。それは根です。そして上方には茎・葉・花・実が育ちます。植物の頭である根は大地のなかにあり、その生殖器官は地上に、太陽に近いところに発達しています。これは純潔な仕方の生殖と呼び得るものです。植物全体を逆にして、根を人間の頭と考えてみてください。するとそれは上に頭があり下に繁殖器官のある人間、逆転した植物となります。動物はその真ん中にあり、ひとつの堰き止め(Stauung)となっています。植物を逆転させた結果が人間なのです。神秘学者たちはいつの時代でもこの現象を3つの線を使って象徴的に表現してきました(図24)。図24:植物を象徴する1本の線、人間を象徴する別の線、そして動物の象徴としての対立する第3の線が合わさって十字架を形成します。動物は水平の位置をとっていて、私たち人間が植物と共有しているものを横断しています。 ご存じのように、プラトンは全体魂(Allseele)について語っていますが、全体魂は宇宙身体(Weltenleib)にかけられて、つまり、宇宙身体という十字架に縛りつけられています。世界魂(Weltenseele)を植物、動物、人間として表象すると、それは十字架になります。世界魂はこの3つの領域のなかに生きることで、この十字架に縛られているのです。ここでは力の堰き止め(Stauung)の概念が拡張されているのがお分かりでしょう。植物と人間は二つの互いに補い合いながら分岐し、しかし交差する流れを表している一方、動物は上方と下方への流れの間に割り込みながらそれらの間に現れる堰き止め(Stauung)を表しています。同様に、カマローカとしてのアストラル領域はデヴァチャンと物理的世界の間に位置しています。互いに鏡像の関係にあるデヴァチャンと物理的世界の間に堰き止めの表面(Stauungsflaeche)、つまりカマローカの世界があるのですが、そのカマローカ界の外的な表現が動物界なのです。この世界を知覚するためには力が必要なのですが、その知覚に適した器官を既に有している人は、これら三つの領域の相互関係において見なければならないものを認識することになるでしょう。動物界を堰き止めから現れたものとして把握するならば、植物領域と動物領域の関係、動物領域と人間領域の関係を見出すことになるでしょう。動物は、互いに補い合い、貫入する他の二つの領域の方向に対して、垂直の位置にあります。低次の領域はより高い次の領域に食物として奉仕します。この事実は、人間と植物の関係は動物と人間の関係とは異なっているということに光を当てます。動物を食べる人は堰き止めの状態との関係を発達させているのです。真の活動は対立する流れが出会うところにあります。このように申し上げることで、私は一連の思考のきっかけを与えているのですが、それは後になって不思議な仕方で、まったく別のかたちで再び現われることになるでしょう。要するに、正方形は二つの軸が線によって切られることで生じる、立方体は三つの軸が面によって切られることで生じるということを見てきたわけですが、では、四つの軸が何かによって切られるということを想像できるでしょうか。立方体は四つの軸が切られるときに生じる空間構造の境界なのです。正方形は3次元の立方体を境界づけています。次回は、立方体そのものが四次元図形の境界を形成するとき、どのような図形が生じるかについて見ていくことにしましょう。◎質疑応答問;6つの流れを思い描き、そして二つを消す云々とは何を意味しているのでしょうか。答え:6つの流れは、3の2倍として考えなければなりません。つまり、3つの軸に規定される方向に沿って中心から外に働く3つの流れ、そして無限からやってきて反対方向に働く別の3つの流れです。ですから、それぞれの軸方向に関して、一方には内から外に向かい、他方にはこれとは逆の外から来て内に向かうような2つのタイプがあるのです。これらふたつのタイプにポジとネガ、あるいはプラスとマイナスをつけると、こうなります。+a -a、+b -b、+c -cです。アストラル空間に入るためには、内向きの流れと外向きの流れを有するひとつの方向全体を消し去らなければなりません、例えば+aと-aのような。(第3講・了)哲学・思想ランキング
2023年07月30日
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「四次元」数学と現実第3講:1905年5月17日、ベルリン 多次元空間に関する講義の聴講ノートと数学のテーマについての質疑応答 1-3アストラル領域 図20 - 図23 我々が数や時間の領域、そして道徳生活の領域においてアストラル空間に入るときには、物理的世界のなかで習慣的に考え行なっているものの完全な鏡像に関わることになることから、我々は対称的に読みとる習慣を身につけなければなりません。それはアストラル空間に入るときに必要となる技能です。これまでの講義で示唆したような、またこれからの議論でさらにもっと知ることになるような基本的な数学的表象に結びつけるときには、対称的に読みとることを学ぶのが最も容易になります。先ずは、まったく単純な表象、つまり正方形の表象から始めましょう。ひとつあなた方が見慣れているような正方形を表象してください(図20)。私はその四つの等辺を四つの異なった色で描くことにします。図20:これは正方形が物理世界においてどのように見えるかを示しています。ここで私は正方形をデヴァチャン界において見えるように黒板に描いてみたいと思います。まったく正確にとはいきませんが、少なくともメンタル界では正方形がどのように見えるかについての表象を与えたいと思います。正方形のメンタル的な対応物はほぼ十字のようなものです(図21)。図21;概略的には、垂直に重なって交差している二つの軸、互いに交差する二本の直線と言ってもいいでしょう。物理的な世界における対応物は、これらの軸のそれぞれに垂直な線を引くことによって構成されます。メンタル的な正方形の物理的な対応物は、二つの互いに横断する流れを]堰き止めるものとして最もよく表象できます。これらの互いに垂直な軸線を、それらの交点から外に向かって働く力あるいは流れとして表象するとともに、反対側から、つまり外から内に向かって働き込んでくる対抗的な傾向がある、と考えてみてください(図22)。そのとき、正方形はこれら二つのタイプの流れ、あるいは力、一方は内から、他方は外からやってくる力が互いに堰き止めあうようなものとして表象されることによって物理的世界のなかへとやってきます。つまり、力の流れが堰き止められるところに境界ができるのです。図22:この像はあらゆるメンタル的なものが物理的なものにどのように関係しているかを表しています。あなた方はあらゆる物理的なもののメンタル的な対応物を同じようにしてつくることができます。この正方形は考え得るもっとも簡単な例です。もし、二つの交差する垂直な直線が正方形に対するのと同様の関係において、何らかの物理的な物体の相関物を構築することができれば、それぞれの物理的な物体のデヴァチャン的あるいはメンタル的な像が得られます。もちろん、その過程は正方形以外の物体に関しては非常に複雑なものとなります。では、正方形のかわりに立方体を思い浮かべてみましょう。立方体は正方形とよく似ています。立方体は六つの正方形で境界づけられている図形です。シャウテン氏は、立方体を表す六つの正方形を示す特別なモデルを作りました。さて、正方形の四つの境界線の代わりに、境界を形成する六つの面を思い浮かべてください。そして、堰き止められた力の境界が垂直な直線ではなく垂直な面から構成されていると、そしてさらに二つではなく三つの互いに垂直な軸を想定してください。そうすれば、正に立方体を規定したことになります。立方体のメンタル的な対応物がどういうものなのか、もうだいたいのところを表象することができますね。ここにもお互いに補完する二つの図形があります。立方体は三つの互いに垂直な軸とその面に対する三つの異なった方向性をもっています。この三つの面の方向のなかに、堰き止める作用を考えなければなりません(図23)。先に述べた正方形の場合には二つの軸の方向と四つの直線があったように、三つの軸の方向と六つの面はある特定の種類の対立として表象することができるだけです。図23:この問題についてとりあえず考えてみようとする人であればだれでも、これらの図形を表象するためには、まず最初に作用と反作用の対立、あるいは堰き止めの概念に至らなければならないと結論づけるに違いありません。この場合、対立という概念が入ってこなければならないのです。ここでは事象はまだ単純なものですが、幾何学的な概念に関連して修練を積むことによって、もっと複雑なもののメンタル的な対応物をも事象に即してつくりだすまでに至るでしょう。この活動は私たちがある程度までより高次の認識へと至るための道を指し示すことになるでしょう。しかし、私たちはすでに、別の立体のメンタル的な対応物をさがそうとするときにも、いかにとほうもない複雑さが生じるかを想像することができます。そこには、遥かに複雑なものが現われてきます。ひとつ非常に複雑な空間形式と作用を伴った人間の形態とそのメンタル的な対応物を考えてみて下さい。それがどれほど複雑なメンタル的な構造になるかを想像することができます。ほんの概略ではありますが、私は私の著書「神智学」のなかで、メンタル的な対応物がおおよそどのように見えるかについて述べました。哲学・思想ランキング
2023年07月29日
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「四次元」数学と現実第3講:1905年5月17日、ベルリン 多次元空間に関する講義の聴講ノートと数学のテーマについての質疑応答 1-2アストラル領域 図19後半 カマローカ カマローカにおいては、最近になって肉体を離れた人を見るときも、まったく美しくは見えません。その瞬間には、あらゆる激情、衝動、願望、切望そのものをまだ有しているからです。カマローカにいるそうした人々は、なるほどもう肉体もエーテル体もないのですが、そのアストラル体のなかには、彼らを物質界に縛り付けるものや肉体によってのみ満足することができるものすべてがまだ保持されているのです。過去の生においても大したことはせず、宗教的な発展に向けて努力したというのでもない現代の普通の平均的市民を思い浮かべてみてください。それは理論的には宗教を否定していないかも知れませんが、実際上は否定しているような、つまり、彼ら自身の感情に関する限りそれを窓から放り出しているような人々です。宗教は彼らの人生においては生きた要素にはなりませんでした。そのようなとき、そのアストラル体には何が含まれるでしょうか。そこにあるのは、例えば美味しい食べ物を楽しもうとする欲望のような肉体器官によってしか満足させられることのできない熱情だけです。しかし、それを満足させるためにはその欲望が満足させられるための味覚がそこに存在していなければなりません。あるいは肉体を動かすことで満足させられる別の楽しみを求めているかも知れません。肉体がなくなった後もそうした欲望がアストラル体のなかに頑として生き続けると想像してみてください。もし、アストラル的な純化や浄化をしないまま死んだとすれば、そのような状態になります。食べる楽しみやそのほかのものを求める欲望はまだもっているのですが、それらを満足させる可能性はもうありません。それらはカマローカにおいて恐ろしい苦しみを生じさせます。そこでは最初にアストラル的な浄化をせずに死んだ人々の欲望が取り去られなければなりません。もはや満たされることがない欲望や願望を放棄することを学ぶときにのみアストラル体は解放されるのです。 アストラル界において衝動や激情は動物の形態をとります。人間が肉体をもっている間は、アストラル体は多かれ少なかれその肉体の形態に順応しています。けれども、外的な体がなくなると、衝動、欲望、激情のような動物的な本性はそれ自身の形態をとって現われてくることになります。ですから、アストラル界において、人はその衝動や熱情の模像となります。このアストラル存在は別の体を利用することもできますから、悪を退けることのできる霊視者がいないときには、霊媒をトランス状態に入らせるのは危険なことなのです。物理的な世界におけるライオンの形態は特定の激情を決まった形で表現し、虎は別の激情の表現であり、猫はさらにまた別の表現です。それぞれの動物がどのような特定の激情や衝動の表現であるかを知ることは興味深いものです。アストラル界、つまりカマローカでは、人間はその激情に従って動物の本性にほぼ似たものとなります。この事実は、エジプトやインドの司祭、そして叡智の教師によって説かれる魂の輪廻の教えに関して、よくある誤解が生じてくる原因となっています。動物に生まれ変わらないように生きなさいと教えは説きますが、この教えは物質的な生についてでは全くなく、より高次の生について言っているのです。教えが意図していたのは、死後カマローカで動物的な形態をとる必要のないような生活を地上において送ることを勧めるということに他なりませんでした。例えば、猫の性格をつくりあげた人は、カマローカにおいて猫として現われます。カマローカにおいても人間の形態で現われるようにするというのが魂の輪廻の教えが目指しているものです。本当の教えを理解し損ねている学者たちがこの教えについてのばかげた考えをもっているのです。こうして、私たちが数や時間の領域、そして道徳生活の領域においてアストラル空間に入るときには、ここ物理的世界のなかで習慣的に考え、行なっているものの完全な鏡像に関わることになるということが分かりました。哲学・思想ランキング
2023年07月28日
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「四次元」数学と現実第3講:1905年5月17日、ベルリン 多次元空間に関する講義の聴講ノートと数学のテーマについての質疑応答 1-2アストラル領域 図19前半 過去からと未来から来る流れ 過去から来る流れと未来から来る流れを思い描きますと、それは二つの互いに交差し、これらすべての点において互いに合わさる流れになります(図19)。ひとつの方向に向かう赤い流れと別の後方に向かう青い流れを考えてみましょう。今、それらの流れが合わさる四つの異なる点を思い描いて下さい。それら四つの点すべてにおいてこの赤い流れと青い流れが相互作用します。これは連続する四回の受肉の相互作用に関する図であり、それぞれの受肉(Inkarnation)において、私たちは一方の側から来るものと別の側から来るもものとに出会います。ですから、あなた方はいつでもこう言うことができます。「あなた方を迎える流れがあり、あなた方がもたらす流れがある」と。それぞれの人間はそのようなふたつの流れの合流点なのです。図19:事態がどのようになっているかについての考えを得るために、次のように想像して下さい。あなた方は今日ここに座ってある一定の量の体験をします。明日の同じ時間には別のまとまった出来事が起こるでしょう。さて、明日あなた方に起こるであろう出来事がすでにそこにあると思い描いてください。それらに気づくようになるということは、あなた方に向かって空間中を近づいてくる出来事についての全景(パノラマ)を見るのに似た体験になるでしょう。未来からあなたにやってくる流れが今日から明日にかけてのあなたの経験を運んで来ると想像してください。未来がやって来てあなたと出会うとき、あなたは過去によって支えられているのです。あらゆる時間の断面において、ふたつの流れが合わさり、あなたの生を形成しています。ひとつの流れは未来から現在に、もうひとつの流れは現在から未来に向かって流れますが、それらが出会うところではどこでも堰き止め(Stauung)が生じます。人生のなかでいずれ直面することになるすべてがアストラル的な現象の形態で自分の前に現われます。この出来事は信じられないほど印象的な言葉で表現されるべきものです。 神秘学徒がアストラル界を覗き込むように意図された進歩の時点に至ると考えてみてください。彼らの感覚は開かれ、今の時期が終わるまでに体験しなければならないであろう未来の経験のすべてが、アストラル界において彼らを取り巻く外的な出来事として知覚されます。それは、すべての神秘学徒にとってまったく印象的な光景です。つまりこう言わなければなりません。神秘学徒が、第六根源人種の半ばに至ってもなお、というのもそのときまで私たちの受肉は続くのですが、体験しなければならないあらゆるもののアストラル的なパノラマを経験するとき、神秘修行におけるひとつの重要な段階が達成されると。彼らにとっての道は開かれました。神秘学徒は、近未来から第六根源人種に至るまでにいずれ直面することになるすべてのものを外的な現象として経験するのです。この境域にまで進むと、ある問いが歩み寄ってきます。おまえはこれらすべてを考えうる限り短い時間で経験しようとするのかどうかと。秘儀伝授を受けようとする者にとってはそれが問題となります。この問題について熟考するとき、あなた自身の未来の生全体がある瞬間において、アストラル的な観照の特徴である外的なパノラマとしてあなたに現れることになります。「いや、私はそのなかには入らないことにする」と言う人もいれば、「私は入らなければならない」と思う人もいます。「境域(Schwelle)」あるいは決定の瞬間として知られるこの神秘的な進歩の時点において、私たちはまだこれから体験し、体得しなければならないものすべてとともに自分自身を経験することになります。「境域の守護者」との出会いとして知られるこの現象は私たち自身の未来の生に直面することにほかなりません。境域の向こうに横たわっているのは私たち自身の未来の生なのです。 これに対して、アストラル的な現象世界のユニークな特徴のひとつは、ある予見できない出来事によって、人生にはそうした出来事があるのですが、アストラル界が突然開かれる人が、さしあたり理解できそうもないものの前に立たなければならなくなるときに見られます。そうしたことが起こるとき、この恐ろしい光景以上に混乱させるようなものは何もないほどです。従って、肉体とエーテル体の間、もしくはエーテル体とアストラル体の間が緩むというような病的な現象の結果として、アストラル界があなたに突然押し寄せる場合に備えて、それについて今何が言われているのか、何が問題とされているのかということを知っていることは、最もすばらしい意味で良いことなのです。そのような現象によって、人は思いがけずアストラル界に入り、アストラル的な生を覗き込む状態に置かれることがあります。そのような人々は、こう見えるとか、ああ見えるとか言いますが、見ても理解して読み解くことはありません。対称的に見なければならないことや、自分に向かってくるすべての凶暴な獣を自分のなかにあるものの鏡像として理解しなければならないことを知らないからです。実際、アストラル的な諸力や人間の激情はカマローカにおいてはあらゆる多様な動物の形態を取って現われます。オカルト・ホラー小説 ブログランキングへ
2023年07月27日
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「四次元」数学と現実第3講:1905年5月17日、ベルリン 多次元空間に関する講義の聴講ノートと数学のテーマについての質疑応答 1-2アストラル領域 図18 真実本当は、アストラル界においてはすべてが私たちから発するのです。アストラル界においては、私たちに向かってくるように見えるすべてを、私たちから発しているものとして観察しなければなりません(図18)。まるで無限の空間から私たちに押し寄せてくるかのように、あらゆる側の領域からこちらにやってきます(*まるで現代宇宙物理観測のビッグバン現象の背景放射のように)。しかし本当は、それは私たち自身のアストラル体が外から送ってくるものに他なりません。図18:私たちが周囲のものを中心に運び、周囲のものを中心のものとして観察し、解釈することができてはじめて、私たちはアストラル的なものを正しく読みとり、そのときはじめて真実を見い出すのです。アストラル的なものはあらゆる側からあなたがたへと向かってくるように見えますが、それは実際には、あらゆる側へとあなたがた自身から発しているものであると考えなければなりません。ここで神秘学のオカルト(okkult)訓練において非常に重要な概念をご紹介したいと思います。それは幽霊のように神秘学の研究に関するさまざまな書籍にはよく出てくるのですが、ほとんど正しく理解されてはいません。神秘学的な進歩のある種の段階に至った者は、自分のなかにまだカルマ(因果・業)的に求めているすべて、歓喜、快楽、苦痛等をアストラル界のなかに見ることを学ばなければなりません。どのような楽しみ、悲しみ、苦しみ等々に出会うことが期待できるでしょうか。正しい意味で神智学的に考察するならば、あなたがたの外的な生と物理的な肉体は、今日現代において、反対の方向からやってきて互いに交差する二つの流れの結果、あるいは交点に他ならないということが明らかになるでしょう。オカルト・ホラー小説 ブログランキングへ
2023年07月26日
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「四次元」数学と現実第3講:1905年5月17日、ベルリン 多次元空間に関する講義の聴講ノートと数学のテーマについての質疑応答 1-1 アストラル領域 親愛なる皆様、今日は私たちが探求に取り組んでいる難しい課題を続けて扱っていくことにします。その際、これまでの二回の講義でふれた様々な事柄にもう一度言及することが必要になるでしょう。その後で、二乃至三の基本的な概念に取り組みますが、それによって、最後の二つの講では、シャウテン氏のモデルを使って、幾何学的な関係の詳細及び神智学の興味深い実際的な観点の両方を十分に把握することができるようにしたいと思っています。お分かりのように、私たちが四次元空間の可能性を心に描こうとした理由は、いわゆるアストラル領域とさらに高次の存在形態に関して少なくともある種の概念を得るということでした。私はすでに、アストラル空間、アストラル界に入ると神秘学徒はまず恐ろしく混乱してしまうだろうということを指摘しました。神智学やエソテリック(秘教的、秘伝的、奥義的)な課題について綿密に探求したことがない人、それらを理論的なレベルにおいても扱ったことがない人にとっては、いわゆるアストラル界において出会う諸事象や諸存在の非常に異なる本性を表象するのはきわめて難しいことでしょう。この違いがいかに大きいかについてもう一度簡単に描写してみます。最も簡単な例として、私たちはすべての数を逆に読むことを学ばなければならない、ということを申し上げました。ここ物理的な世界において読まれるような方法でのみ数を読むことに慣れている神秘学徒は、アストラル界の迷宮のなかで道に迷うことになるでしょう。アストラル界では、例えば467という数は764と読まなければなりません。あなた方はそのような数を対称的に、それが鏡に映ったように、読むことに慣れなければならないのです。これが基本的な前提条件です。空間的な構造や数にこの原則を適用することはまだしも簡単です。時間的な関係を取り扱うということになると、それはさらに難しくなります。時間的な関係もまた対称的に、つまり、後のできごとが最初にきて、始めのものが後に現れるように見えると考えなければなりません。ですから、アストラル的な経過を観察するときには後ろ向きに、つまり最後から最初へと読むことができなければならないのです。このような現象の性質は、そこで何が起こっているかについて何の考えももたない人にはしばしばまったく奇怪に見えますから、暗示することしかできません。アストラル界においては、まず息子がいて、その後で父親がいます。まず卵があって、その後で鶏が続くのです。物理的な世界においてはその順序は逆です。まず誕生があり、誕生は古いものから何か新しいものが現われる、ということを意味します。アストラル界では逆のことが起こります。そこでは古いものが新しいものから現われるのです。アストラル界においては、父あるいは母的な要素であるものが息子あるいは娘的な要素であるものを呑み込んでいるように見えます。 ギリシアにおもしろい寓話があります。ウラノス、クロノス、ゼウスという三人の神は象徴的に三つの世界を表わしています。ウラノスは天の世界、つまりデヴァチャン界を表わし、クロノスはアストラル界を表わし、ゼウスは物理的世界を表わしています。クロノスについては、クロノスがその子どもを食べ尽くすと言われます。ですからアストラル界においては子孫は生まれるのではなく、食べ尽くされるのです。しかし私たちが道徳的なものをアストラル平面で考察するとき、事はまったく複雑になります。道徳性もまたある種の裏返し、あるいはその鏡像において現われるからです。ですから、そこでの事象を説明するということが、物理的世界において慣れているような仕方で説明するのとはいかに大きく異なっているかを想像することができます。アストラル界において例えば凶暴な獣が私たちに向かってくるとします。その凶暴な獣は私たちを食い殺します。外的な出来事を説明することに慣れている人にはそのように見えるのですが、この出来事は物理的な世界においてそうするであろうように説明することはできないのです。本当のところは、凶暴な獣は私たち自身のなかにある性質であり、私たち自身のアストラル体のひとつの側面が私たちを食い殺しているということなのです。食い殺すものとしてあなた方に向かってくるものは、あなた方自身の欲望に根ざすものです。ですから、例えばあなた方が復讐という考えをもっているとすれば、その考えは外的な形態を取って現れ、死の天使としてあなた方を苦しめることになります。哲学・思想ランキング
2023年07月25日
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「四次元」数学と現実第2講:1905年3月31日、ベルリン 多次元空間に関する講義の聴講ノートと数学のテーマについての質疑応答1-2 図13- 図17 私たちは点と球の間の違いを理解することを学ばなければなりません。 実際、ここに描かれたような点は受動的なものではなく、すべての方向へと光を放射しています(図13)。図13:そのような点の反対はどのようなものになるでしょうか? ちょうど左から右へ行く線の逆が右から左へ行く線であるように、 光を放射する点の反対も存在しています。巨大な、実際は無限に大きな球、あらゆる方向から、しかし今は内へと暗闇を放射している球を表象してみましょう(図14)。この球が光を放射する点の反対です。図14:光を放射する点の正反対とは、単にニュートラルな闇が無限に広がる空間ではなく、あらゆる方向から闇をあふれ出させる無限の空間です。闇の源泉と光の源泉が対極をなしているのです。私たちは、無限のなかに姿を消す直線が別の側から同じ点へと戻ってくることを知っています。同様に、点がすべての方向へと光を放射するとき、この光は無限からその逆のもの、つまり闇として戻ってくるのです。さて、その反対の場合を考察してみましょう。闇の源泉としての点を考えてみますと、その逆とは、すべての方向から明るさを中へと放射する空間です。[前回の講義において説明したように、線上を動く点は無限のなかに消えてしまうのではなく、別の側から再び戻ってきます(図15)。図15:同様に、点は、拡張するか、あるいは外へと放射するとき、無限のなかに消え去るのではなく、無限から球として戻ってくるのです。 球は点の逆です。空間は点のなかに生きています。点は空間の逆なのです。立方体の逆とは何でしょうか? この立方体によって規定された部分を差し引いた無限の空間全体にほかなりません。ですから、全体としての立方体は無限の空間にその逆を加えたものとして表象しなければなりません。世界をダイナミックな力の意味で表象しようとするならば、極性なしではうまくいきません。そのようにしてはじめて物をその本来の生においてとらえたといえるのです。神秘学者が赤い立方体を表象するとき、その他の 空間は緑になります。というのも、赤は緑の補色だからです。神秘学者は単純な自己完結した表象だけをもつのではありません。彼らの表象とは抽象的で死んだ表象というよりは生きた表象なのです。私たちの表象は死んだものですが、世界の事物は生きたものです。私たちが抽象的な表象のなかに生きるとき、私たちは物自体のなかに生きていません。私たちが光を放射する星を表象するときには、その反対、つまり無限の空間を、対応する補色において、表象しなければなりません。こうした訓練を行えば、思考が鍛えられ、諸次元を表象するための自信が得られます。正方形は2次元の空間領域ですね。ふたつの小さな赤い正方形とふたつの青い正方形からなる正方形は異なる方向に異なって光を放っている面です(図16)。異なる方向に光を放つ能力は3次元的な能力です。ですから、ここには長さ、幅、そして放射能力という3つの次元があります。図16:ここで面に関して行ったことは立方体に関しても行うことができます。上記の正方形が4つの小正方形から構成されていたように、立方体が8つの小立方体から構成されていると考えてください(図17)。立方体はさしあたり高さ、幅、奥行きという3つの次元を有しています。それらに加えて、それぞれの小立方体の部分の内部に、ある一定の光を放射する能力を区別しなければなりません。その結果、高さ、幅、奥行きに加えて、さらなる次元、放射能力が生じます。図17:4つの小正方形の部分からなる正方形を組合わせて、8つの異なる小立方体の部分からなる立方体を考えてみてください。そして、立方体ではなく第4の次元をもった物体を考えてみてください。私たちはこの物体を放射能力を通して理解することができるようになります。8つの小立方体の部分の それぞれが異なる放射能力をもっているとします。そして、単に一つの側に向かってだけ放射能力のある立方体があるとしますと、すべての側に向かって光を放つ立方体を得るためには、すべての側に向かって光を放つもうひとつの立方体をつけ加える必要が、つまり、その反対の立方体をもってそれを2倍にする必要があります。私はそれを16の立方体から構成しなければなりません。(第2講・了)記:「中心で分けられた線分は、両方の線分の部分で2つの正方形がそれぞれ接するように、正方形へと補完することができます。そこから、4つの小さな正方形に分割された大きな正方形が生じます(図16)。4つの正方形の部分で2つの立方体がそれぞれ互いに接するようにすることで、そこから8つの小さな立方体に分割された立方体を作ることができます(図17 )。それに対応した4次元構造である4次元の立方体は、3次元の立方体8つの立方体の部分が2つの4次元の立方体ごとに共通の「境界空間」として把握されるときに生じます。それによって4次元の立方体は、16の立方体の部分に分割されます。哲学・思想ランキング
2023年07月24日
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「四次元」数学と現実第2講:1905年3月31日、ベルリン 多次元空間に関する講義の聴講ノートと数学のテーマについての質疑応答1-1 図10- 図12 今日は特に、非常に機知に富んだ男であるチャール・ズハワード・ヒントン(Charles Howard Hinton、1853年 - 1907年4月30日)の考えを参照しながら、多次元空間の表象に関する基本的な要素をお話したいと思います。(原註1)前回は〇次元の考察からはじめて多次元空間の表象へと進みましたが、覚えておいででしょうか。どのように二次元空間から三次元空間へと至ることができるかという表象についてもう一度簡単に繰り返しておきたいと思います。シンメトリーの関係とは何を意味しているのでしょうか。次のような互いに鏡の像である赤と青のふたつの平面図形を重ねるにはどうすればよいのでしょうか。二つの半円の場合には、赤い半円を青い半円のほうにずらしていくことで、比較的簡単にそれができます(図10)。図10:次のような 鏡の シンメトリーをもった図形の場合は、そう簡単にはいきません(図11)。 面の内部に留まる限り、そうしたやり方で赤を青のほうにずらそうとしても、赤い部分と青い部分を重ねることはできません。けれども、これを可能にする方法があります。黒板から、つまり第2の次元から出て 第3の次元を用いれば、別の言葉でいえば 、青い図形を鏡の軸を中心にして空間中を回転させて赤の図形の上に重ねればそれが可能になります。図11:一組の手袋もそれとまったく同じ関係にあります。3次元空間から出ることなく、片一方の手袋をもう一方の手袋に重ねることはできません。第4の次元を通過して行かなければならないのです。前回、私はこう申し上げました。第4の次元の表象を得ようとするならば、第2の次元から第3の次元に超え出るときの状況と同じ状況を成立させることによって、空間における関係を流動的なままに留めなければならないと。紙テープから互いに絡み合った空間構造を作り出すとき、その絡み合いは特定の複雑さを呼び寄せることになります。これは単なる遊びではありません。何故なら、そうした絡み合いは自然のなかに、特に物質的な対象物の絡み合った動きのなかにいつでも生じているからです。物体はそうした絡み合った空間構造において運動しています。この運動は諸力を備えていますから、その諸力もまた互いに絡み合っているのです。太陽の周りの地球の運動、そして地球の周りの月の運動を考えてください。月は、太陽の周りにある地球の軌道の周りに巻き付くような円を駆けめぐっています。つまり、月は円周の周りで螺旋を描いているのです。太陽自身が運動していますから、円周の周りの月はさらなる螺旋をなしています。その結果、空間全体を通じて広がる非常に複雑な諸力の線が生じているのです。天体は、私たちが前回考察した、シモニーの絡み合った紙テープのように、相互に関係しています。私たちは、前に述べたように、私たちがそれを固定化させないようにするときにのみ理解することができるような複雑な空間概念を取り扱っているのだということを生き生きと思い浮かべなければなりません。空間をその本質においてとらえようとするならば、私たちはなるほどまず固定的なかたちでとらえなければなりませんが、しかしさらにそれをもう一度完全に流動的なものとしなければならないのです。それは、零にまで行き着いて、そこで生きた点の本質を見出すようなものです。もう一度いかに次元が構築されるかを生き生きと思い浮かべてみましょう。点は0次元であり、線は1次元、平面は2次元、立体は3次元です。ですから立方体には、高さ、幅、奥行きという3つの次元があります。さて、さまざまな次元の空間構造は互いにどのようにふるまうのでしょうか。あなたが直線であって、1つの次元だけをもち、直線に沿ってのみ運動できると考えてください。そのような存在であるとするならば、そうした存在の空間表象はどのようなあり方をしているのでしょうか。そのような存在は1次元性を自らにおいて知覚せず、どこに行こうとも点を知覚できるだけでしょう。というのも、私たちが何かを描こうとしても直線には点しか存在していないからです。ですから、2次元的な存在が出会うのは直線だけであり、1次元存在だけを知覚するでしょう。立方体のような3次元存在は、2次元存在を知覚できますが、自分のもっている3次元を知覚することはできないでしょう。さて、人間は3次元を知覚することができます。私たちが正しく推論するならばこう言わなければなりません。1次元存在が点だけを知覚でき、2次元存在が直線だけを、そして3次元存在が面だけを知覚できるように、3次元を知覚する存在はそれ自身が4次元存在でなければならないと。人間が外的存在を3次元によって境界づけることができ、3次元からなる空間と関わることができるということは、人間が4次元的であることを意味しています。同様に、立方体が2次元だけを知覚することができ、それ自身の3次元を知覚できないように、人間は自身が生きている4次元を知覚できないということは明らかです。こうして、人間は4次元存在でなければならないということがわかりました。私たちは水のなかの氷のように、4次元の海を泳いでいるのです。もう一度、鏡の像の考察に戻りましょう(図11)。この垂線は鏡の断面を表しています。鏡は左側の図形の鏡像を反射しています。反射のプロセスは、2次元を超えて3次元を指し示しています。鏡像のそのオリジナルに対する直接的で連続した関係を理解するためには、私たちは1次元と2次元に加えて3次元の存在を仮定しなければなりません。 さて、外的空間と内的表象の関係を観察してみましょう。 私の外にあるこの立方体は私の内なる表象として現れます(図12)。 立方体についての私の表象像は、鏡の像がそのオリジナルに対するように、立方体と関係しています。私たちの感覚器官は立方体についての心的な表象を発現させます。この表象像をオリジナルの立方体に重ねようとすれば、第4の次元を通っていかなければなりません。ちょうど2次元の鏡プロセスを連続して行う場合、第3の次元に移行しなければならないように、表象像と外的な対象との間に直接的な関係を生じさせるためには、私たちの感覚器官は4次元的でなければなりません。あなた方が2次元的にのみ表象するとすれば、夢の像だけが目の前に現れ、外の世界に対象があるなどとは考えないでしょう。私たちが何かを表象するときには、4次元空間を通じて、私たちの表象力を外的な対象の上に直接投げかけているのです。図12:人類進化の初期段階においてアストラル状態にあった人間はただ夢見る人に過ぎませんでした。彼らの意識のなかに生じるイメージとは夢の像だったのです。人間は後にアストラル領域から物理的空間へと移行しました。このように述べるとき、私たちはアストラル存在から物理的、物質的存在への移行を数学的に定義したことになります。この移行が生じる以前には、アストラル人間は3次元的な存在でした。そしてそれ故に、その2次元的な表象を3次元的な物理的物質的な対象世界へと拡げることができなかったのです。しかし、人間が自ら物理的な物質になったとき、彼らはさらに第4の次元を獲得しそれによって生命をも3次元のなかで体験できるようになりました。私たちの感覚器官のユニークな特性によって、私たちは私たちの表象像を外的な対象に重ねることができるようになっているのです。私たちは、私たちの表象を外的な物に関係させることで、その表象を外的な対象にかぶせながら、4次元空間を通過して行くのです。もし、私たちが物の中に入り込んでそこからそれを見ることができるとしたら、つまり物は反対側から見るとしたらどのように見えるのでしょうか。そのためには、私たちは第4の次元を通って行かなければならないでしょう。アストラル世界自体は4次元の世界ではありません。けれども、物理的世界へのその反映と共に考えれば、アストラル界は4次元的です。アストラル界と物理的世界を同時に見渡すことのできる人は4次元空間に生きています。私たちの物理的世界のアストラル世界に対する関係は4次元的なのです。哲学・思想ランキング
2023年07月23日
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いっぷ句-82付き合うにもう疲れたよ俺の影 愚通にほんブログ村
2023年07月22日
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「四次元」数学と現実第1講:1905年3月24日、ベルリン 4-四次元を知覚 外的世界と私たちの印象との間にそのような関係があるということを表象するならば、私たちは次のことに至ります。空間における 幾何学的な 鏡の像は、左と右の手の手袋のようなものですが、この像を直接的に、そして連続的に一致させるためには 、私たちは新しい空間の次元を利用する必要があります。今、外的世界と内的印象が幾何学的な鏡の像に似たものであるとすれば、それらを直接一致させるためには、同様に追加的な次元を用いてそうするしかありません。今、外的世界と内なる印象との間に関係を成立させるためには、私たちは同様に第3の次元にいながらにして第4の次元を通っていかなければならないのです。そこでは私たちは 外的世界そして内的印象とひとつになりますが、私たちがそれらに共通のものを探すことができるのはそこにおいてのみなのです。私たちはこの鏡像について海を漂っているように表象することができますが、その内部ではそれらの像を重ねることのできるのです。こうして私たちは まずは純粋に観念的にですが 何か3次元空間を超えたもの、それにもかかわらず現実性をもっている何かへと至ります。そのためには、私たちは私たちの空間表象を生き生きとさせ、それに生命を与えなければなりません。 オスカー・シモニーは、この生きた空間構造をモデルで表現しようとしました。 これまで見てきましたように 、0次元の考察からはじめて徐々に4次元空間を表象する可能性へと至ります。 鏡の対称性(シンメトリー)をもった物体の考察により、つまりシンメトリーの関係を使って、私たちはまず最も容易にこの4次元空間を認識することができます。4次元空間との関係で3次元空間の経験的な特質を研究する別の方法を提供してくれるのは、結び目のある曲線と2次元の帯です。シンメトリーの関係とは何を意味しているのでしょうか。空間構造を相互に関係づけるとき、一定の複雑さが生じます。この複雑さは3次元空間に特有のものであり、それは4次元空間では生じません 。若干の実際的な思考練習をしてみましょう。環状の帯をまん中に沿って切れば、そのような環がふたつできます。こんどは端をある度数でねじって貼った帯を同じように切ると、一本のねじれた環になり、2本には分かれません。貼り合わせる前に帯の端をある度数ねじると、切った際に2つのねじれた輪がつながったものになります。最後に帯の端をある度数ねじると、同じプロセスによって結び目ができます。自然の過程について考える人であれば、そうした捻じれが自然のなかで生じていることを誰でも知っています。 実際 、そのようなねじれた空間構造というのは特別な力を有しています。たとえば、太陽のまわりの地球の運動、そして地球のまわりの月の運動を取り上げてみましょう。月は地球のまわりを円を描いていると言いますが、 正確に見るならば 、それは 地球の軌道に沿って ねじれた線、つまり円周のまわりの螺旋なのです。そして太陽はとても速く宇宙空間を進んでいるのですが、月はさらにそのまわりで 付属的な 螺旋運動をしています。ですから、空間のなかを広がっているその力の線は非常に複雑なものとなっているのです。私たちは、それをピンで留めようとするのではなく、それらが流れるに任せるときにのみ把握することができるような複雑な空間概念に関わっているのだ、ということに気づかなければなりません。 もう一度、今日お話したことをおさらいしてみましょう。0次元的なものは点であり、1次元的なものは線であり、2次元的なものは面、3次元的なものは物体です。この空間概念は互いにどのような状態にあるのでしょうか。あなた方が直線に沿って動くことができるだけの存在であると考えてみてください。1次元存在の空間表象とはどのようなものなのでしょうか。そのような存在は自分自身の次元である1次元性を知覚するのではなく、点のみを表象することでしょう。何故なら、私たちがそのなかで何かを描こうとしても、直線には点だけしか描きようがないからです。2次元の存在は直線と出会うことができ、従って1次元的な存在を識別することができるでしょう。たとえば立方体のような3次元存在は2次元存在を知覚することができるでしょう。けれども、人間は3次元を知覚することができます。私たちが正しく結論づけるとすれば、こう言わなければなりません。1次元存在が点だけを知覚することができるように、2次元存在が一次元だけを知覚することができるように、そして3次元存在が2次元だけを知覚できるように、3次元を知覚することができる存在は4次元存在に違いないと。人間は外的な存在を3次元に従って境界づけることができ、3次元空間を処理することができるわけですから、私たちは4次元存在でなければなりません。そして立方体が2次元だけを知覚でき、それ自身の3次元を知覚できないのと同様に、人間はみずからが生きる4次元を知覚することができないというのが本当のところなのです。オカルト・ホラー小説 ブログランキングへ
2023年07月22日
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「四次元」数学と現実第1講:1905年3月24日、ベルリン 3-四次元(図7ー図9) 対象におけるすべての性質が外にあるとすれば、それらは外界からどのように私たちのなかに入ってくるのでしょうか。 外的なものが内的なものに移行する点はどこにあるのでしょうか。私たちがすべての感覚的な知覚内容を外的世界から取り去るとすれば、それはもはや存在しなくなります。こうして認識論は、自分の髪の毛で自分を自由に高みへと引っ張ろうとするミュンヒハウゼン(Munchausen)に見えてきます。私たちの内に生じる知覚を解明するためには、外的世界の存在を仮定しなければならないのですが、それを成すにはどのようにしてこの外的世界の諸側面は私たちの内部へと入り込み、私たちの心的な表象の形で現れることができるのでしょうか。この問題は別の形で定式化される必要があります。まずいくつかの類似性について考察してみましょう。このことを把握しないならば、 外的世界と内的知覚の間の 関係を見出す可能性をもつことはできません。AとBの末端をもつ線分に戻りましょう。私たちは、端の点を重ねるためには第1の次元を超え出て、線を曲げなければなりません。(図7)図7:この直線の 左端の点Aを右端の点Bにそれらの点が下でふれるように重ねると考えてください。そうすれば、 重なった端の点を超えていき 起点へと戻ることができます。線分が短い場合は、それに対応する円も小さくなります。 最初に与えられた 線分を円にして、それからますます長い線分を円にするとすれば、端の点が出会う点はさらにますます はじめの 線から遠くなり、無限に離れていきます。そのとき、曲率はどんどん小さくなり、そしてついには肉眼ではもはや円周を直線と区別できなくなります。(図8)図8:まったくそれと同じように、地球もまた、私たちがその上を歩くときには、それが丸いにも関わらず、直線の平らな部分のように私たちには見えます。直線の両方の半分が無限に広がると考えると、円は実際に直線と同じになります。そのとき、直線は直径が無限である円としてとらえることができます。さて、もしも仮に私たちが 直線に沿ってずっと遠くまで走り、そしてそのとき線のなかにとどまっているとすれば、私たちはついには無限を通って、再 反対側から戻ってくるだろうと想像することができます。幾何学的な 線ではなく、現実と結びつけることができる状況について思い描いてください。 円周上の点Cが円周に沿って進むにつれて冷たくなると同時に、その最初の場所からますます遠く離れると表象してください。(図9)その点が下方の境界A、Bを通過して反対側を戻るときには、温度が再び上昇します。こうして、点Cは帰路においては往路とは逆の状態に遭遇します。暖かくなる傾向は、出発した元の温度に到達するまで続きます。この経過は円がどれほど大きくなっても同じです。つまり暖かさは最初は減少し、次に再び増加します。 無限に広がる直線の場合にも、温度は一方の側でますます失われ、他方で上昇します。(図9)図9:これは私たちがいかにして生と運動を世界へともたらし、そして、より高次の意味で「宇宙の理解」と名づけることのできるものに近づくかについての例のひとつです。ここには自らを生み出し、互いに依存しあっている二つの状態があります。しかし、感覚的に観察できるものすべてに関して言えば、そうですね、右の方に向かう過程が左から戻る過程とは何の関係もなく、それにもかかわらずそれらが相互に条件づけあっているということなのです。さて、外的世界の物体を冷たくなる状態に、そして、それとの対比で、私たちの内的知覚を暖かくなる状態に関連づけてみましょう。 外的世界と内的知覚は直接には感覚的に知覚可能なものを共通には何ももっていないにもかかわらず 、お互いにある関係にあり、今お話しした過程と同様に相互に依存しています。このことを裏付けるために、 印章と封蝋(ふうろう)の関係についてのイメージを外的世界の私たちの内的世界との関係に適用することもできます。印象は、印章が封蝋のなかに残ることなく、そして印章の物質的なものが封蝋のなかに移ることなく 、封蝋のなかに正確な刻印、印の正確な複写を残します。外的世界と内的知覚の関係の場合にも同じ対応関係があります。本質的なものだけが 移されているのです 。一方の状態の 形が 他方のそれを条件づけているのですが、しかしその場合 物質的なものは 何も移らないのです。オカルト・ホラー小説 ブログランキングへ
2023年07月21日
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「四次元」数学と現実第1講:1905年3月24日、ベルリン 2-〇・一・二・三次元(図1ー図6) 最も単純な幾何学的対象は点です。点はまったく広がりをもっていません。それは想像することができるだけです。点は空間におけるひとつの位置を指し示すものです。即ち点はゼロに相当する次元をもっています。図1:第一の次元は線によって与えられます。直線はひとつの次元をもっている長さです。太さをもたない線をそれ自身動かせば、第一の次元を離れて、面になります。面は長さと幅という2つの次元をもっています。面を動かせば、これら2つの次元から離れます。その結果、立体が得られますが、立体は高さ、幅、奥行きという3つの次元をもっています。(図1)しかし、ある立体 たとえば立方体を空間のなかで動かしても、結果はやはり単なる3次元の立体です。立体は単に動かしただけでは 3次元の 空間から離すことはできないのです。図2:さらにいくつかの概念を見ていきましょう。線分を考えてみますと、それは2つの境界、A点とB点という2つの末端をもっています。(図2)図3:A点とB点を合わせようとすると考えてください。それをするためには線分を曲げなければなりません。そのとき何が起こりますか。A点とB点を合わせとうとすると、 1次元の直線のなかにとどまっていることはできません。これらふたつの点を結合するためには、直線それ自体から外に出なければなりません。つまり、第1の次元から出て、面という第2の次元に移行しなければならないのです。このようにして、その末端が重なることによって、直線から 閉じた曲線、つまりもっとも単純な場合 円が成立します。(図3)線分を円に変化させることができるのは第1の次元から離れることによってのみです。同じ操作を 長方形の形をした 面で行うことができます。しかしこれができるのは、2次元のなかにとどまらないときだけです。長方形を管、筒に変化させるためには第3の次元に入らなければなりません。この操作は前に第1の次元を離れることによって2つの点を重ねたときと全く同じ仕方で行われます。私たちはここで 面の場合 、面の2つの端を重ねるために、第3の次元に入っていかなければなりません。(図4)図4;すでにそれ自体で3次元を有している空間構造で、同様の操作を行うことができると考えられるでしょうか? 2つの合同の立方体が3次元の直方体の境界をなしていると考えてみて下さい。そのひとつの立方体を別の方にずらして重ねることができます。さて、ひとつの立方体の一方の面が赤、 その反対側の面が青に 塗られていると想像して下さい。この立方体を、 幾何学的には まったく同じですが赤と青の色が逆に塗られているもうひとつの立方体に一致させるための唯一の方法とは、一方を回転させ、そしてそれらをスライドさせて重ねることです。(図5)図5:別の3次元の対象物について考察してみましょう。左手の手袋をとってください。左手の手袋を右手にはめることはできませんね。しかし、お互いが鏡像体である一組の手袋について考え、そしてAとBの末端をもった線分について考えれば、その手袋がいかにお互いに属しているかが理解できます。それらは中心に境界 つまり鏡の面 を有する単一の3次元像を構成しています。このことは人間の外皮の2つのシンメトリックな半分についても言えます。お互いが鏡像体である2つの3次元構造をどのようにして重ねることができるのでしょうか?それはちょうど前の例で第1および第2の次元を超えたように、第3の次元を離れるときにのみ可能なのです。4次元空間を通っていくことによって、私たちは右の手袋を左手に、あるいは左の手袋を右手にそれぞれはめることができます。 観照空間の第3の次元、つまり奥行きの構築に関しては 私たちは右目から来る像を左目から来る像に重ねています、つまり、ふたつの像を融合しています。 ここでツェルナーによるひとつの例を考察することにしましょう。ここに円があり、その外側に点Pがあります。どのようにして円を横断しないで点Pを 円の中に 入れることができるでしょうか? 面の内部にとどまっているときには、それはできません。正方形を立方体に移行させるときには第2の次元から第3の次元へと超えていかなければならないように、ここでも第2の次元から出ていかなければなりません。同様に球の場合にも、 球の表面を突き抜けるか、または 第3の次元を超えていくことなくしては、 内部に 入っていく可能性はありません。(図6)図6:これらは概念的な可能性ですが、認識論に関しては、 特に知覚内容の客観性の認識論的な問題に関しては 直接に実際的な意味をもっています。私たちはまず第1に人が実際どのようにして知覚するのかを明確に理解していなければなりません。私たちはどのようにして感覚を通して対象物についての認識を得るのでしょうか? 私たちは色を見ます。目がなければ私たちは知覚することができないでしょう。そのとき物理学者は言うでしょう。空間の外には色と名づけられるようなものは何もなく、純粋に空間的な運動形態があるだけだ。それが私たちの目を通り、視神経によって把捉され、脳へと送られ、そこでたとえば赤が生まれるのだ。次に、こう問うこともできます。知覚がそこにないとしたら、赤ははたしてそこにあるのかと。赤は目がなければ知覚することはできないでしょう。鐘が鳴るのも耳がなければ知覚することはできないでしょう。私たちのすべての知覚は、運動形式が私たちの肉体的魂的器官によって変換されることに依存しているのです。しかし、次のように問うとき、事態はもっと複雑になります。いったい本当にこの固有の性質である赤はどこにあるのかと。それは私たちが知覚する対象物の上にあるのでしょうか。或いはそれは振動過程なのでしょうか。私たちの外部に発した一連の振動過程は目の中に入ってきて、脳そのものにまで伝達されます。至る所に振動の、そして神経の過程がありますが、どこにも赤という色はありません。目そのものを調べてみても赤を見つけることはできないでしょう。それは私たちの外にも、また脳のなかにもありません。私たちが自らを主体としてこの運動過程に相対するときにのみ、私たちは赤を有するのです。では、いかにして赤が目と出会い、嬰ハ(えいハは、西洋音楽の音名のひとつ。ハの楽譜上の位置を変えずに半音上げた音であり、楽譜ではハに♯を付けて表す。)が耳に出会うのかについて論じることは不可能なのでしょうか。問題は、この種の内的な 心的表象とは 何か、それはどこで生じるのかということです。 世紀の哲学的な著作には、この問いがすべてを貫いて流れているのがわかります。たとえばショーペンハウエルは、次のような定義を行っています。「世界は我々の心的表象である」と。しかし、その場合、外的な物体にはなお何が残っているのでしょうか。 色の心的な表象が運動によって生じることができるように 、私たちの内部における運動の知覚も、何らかの運動していないものの結果として生じることができます。動いている 馬の姿のスナップ写真を、その間に細いスリットのついた筒の内側に貼りつけると考えてみましょう。私たちが回転している筒を横から見るとき 、常に同じ馬がいて、ただ足を動かしているという印象を持つでしょう。同様に、何かが実際には まったく動いていないときでも、私たちの体ー組織を通じて、運動の印象が引き起こされるのです。こうして、私たちが運動と名づけているものは無へと解消されます。しかしそのとき物質とは何なのでしょうか。物質から色の輝き・動き・ 形態」そして感覚的な知覚によって媒介されるあらゆる性質 を取り除いてください。そうすれば何も残らなくなります。私たちが 色・音・熱・味・匂いといった外的世界の過程によって個人的な意識のなかに呼び出される副次的な、つまり主観的な知覚を私たちの内において求めなければならないとしたら、私たちは形や動きのような基本的な、つまり「客観的な」知覚も私たちの内に求めなければなりません。外的世界は完全に消えてしまいます。しかしこの事態は 認識論に関する 重大な困難を引き起こします。オカルト・ホラー小説 ブログランキングへ
2023年07月20日
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「四次元」数学と現実第1講:1905年3月24日、ベルリン 1-第四の次元について 私は今日、第四の次元についての基本的な側面についてお話ししようとしているので、今からお聞きになることについて失望されるかも知れません。しかし、この問題についてより深く洞察しようとする人は、数学の高次の概念を厳密に知っておく必要があるのです。私はあなた方にまったく基本的で普遍的な若干の概念を提供したいと思います。私たちは4次元空間の現実とそれについて考えることができる可能性とを区別しなければなりません。4次元空間は、私たちが感覚的現実的なものとして知っているものを超えてはるかに広がっている現実と関わっています。その場所へと赴(おもむ)こうとするならば、思考を作り変えなければなりません。あなた方は少しばかり数学へと事象を遊ばせて、数学者の思考方法のなかに入らなければならないのです。 数学者が歩を進めるときには、その一歩一歩が理論全体の流れにどのようなインパクトを与えるかについて説明しなければならないということをはっきりとさせておく必要があります。しかし、私たちが数学に関わろうとするならば、数学者ですら4次元の現実の中には 一歩も踏み込むことはできないのだということにも気づいていなければなりません。 彼らは単に思考可能な、あるいは思考不可能なものから結論へと達することができるだけです。 私たちが扱おうとしている課題はさしあたり単純なものですが、第4の次元の概念へと近づくにつれてより複雑なものになります。私たちはまず次元というものが何を意味しているかについて明確にしておかなければなりません。さまざまな幾何学的構造をその次元性ということで吟味するときにもっともよくそのことが明らかになります。そのとき、それは今世紀になってはじめてボルヤイ、ガウス、リーマンのような偉大な数学者によって着手された考察へと私たちを導くことになります。哲学・思想ランキング
2023年07月19日
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「四次元」数学と現実・多次元空間に関する講義の聴講ノートと数学のテーマについての質疑応答記1:通常一般に我々が耳にする「四次元」若しくは「四次元世界」とは縦・横・高さ、つまり空間の三次元に、時間の一次元を加えたもの、ユークリッド空間の三次元に、時間の一次元を加えて表される広がり「時空」を意味します。然し乍ら、ここでシュタイナーが取り上げる「四次元」は、現代量子理論のうちの量子重力理論やМ理論が意味するところの多次元世界を言い表しています。真実には我々人間は感覚的には厳密な意味で三次元世界を知覚しているのではありません。実在の三次元の空間の一次元を割愛したものを認識機関を通して三次元空間を再構築してしています。例えば、映画時代(1930)の寺田寅彦のいう実在の三次元の空間の一次元を割愛して唯二次元の断面に限定する代りに、第四次元たる時間を一次元空間に投射する映像。即ち三次元空間であれば左右の眼の視差をもって鏡面二次元平面に、四次元空間であれば三次元空間面に、五次元空間であれば四次元空間面に鏡像を結ぶとすれば図像が想像しやすくなるかも知れないともいえます。これが高等生物には左右に眼孔が開いている意味です。何れにしろその存在の有無が未だ物理科学上にて確認されない「時間」線は此処では次元に数え上げられません。記2;四次元の世界 一般的にこの世界は3次元だと言われます。しかしこれでは3次元空間運動をする変化が表せないので便宜上4番目の次元として「時間」をもってくる時間と空間を統一的に扱って「時空」を四次元世界とします。我々の日常では時間は万人に共通に流れるもので、空間とは似てもにつかぬもののように思えますが、これが光速に近いスピードで運動する系である相対論的世界では正しくなくなります。ことの始まりは、真空中では光の速度は誰からみても常に一定であること。つまり、地球上にいる人にとっても、進んで行く光を追いかける人にとっても、また光に向かっていく人にとっても常に同じ速度なのです。我々の日常の常識だと、電車の中で進行方向にボールを投げると、それを地上でみている人にとってはボールの速度は電車の速度プラス車内でのボールの速度になって増えますが、ボールを投げる代わりに光を放つことをやると、光の速度は電車の速度プラス車内での光の速度というふうな足し算にはならず、外からみても車内で測っても同じ速度になります。極端な事をいうと、光を光の速度で追いかけても、やはり光は光の速度で逃げて行くし、光に向かって光の速度で突進していっても、光は光の速度でしか進んで来ないということです。万物の速度は光速を越えないという法則はここにも現われています。つまりはニュートンの絶対時間が否定され、相対時間が導入されるはめに陥ります。ということはすべてに独立した「有(常)」が否定されたわけです。最近の理論物理学では、此の人類在住世界である宇宙が10次・11次元だとか、26次元かもしれないとかいわれていますが、それはたぶんに理論上都合がいいために導入されるものを超えないとして万人には認証されてはいません。余剰次元を現在は観測する方法が発見されていないからです。哲学・思想ランキング
2023年07月18日
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第六講 ケルン 1907年 12月27日 序序:集合自我と個の自我。人間の本質的構成要素の完成度の違い。未来における生きた法則の支配のための必要条件:秘蹟主義(サクラメンタリズム)の秘密。物質体における本質的構成要素の表出(感覚器官、腺、神経、血液)とエーテル体における表出(人、獅子、牛、鷲)。人間の各種族におけるこれらのさまざまな表出。人間の集合魂(諸民族)。その存続と変容。不死鳥(フェニックス)。秘学(オカルティズム)における言葉の象徴学と霊的な修練にとっての意味。記:不死鳥(フェニックス/phoenix)は、死んでも蘇ることで永遠の時を生きるといわれる伝説上の鳥。寿命を迎えると、自ら薪から燃え上がる炎に飛び込んで死ぬが、再び蘇るとされており、不死鳥、もしくは見た目または伝承から火の鳥ともいわれる。フェニックスとはラテン語での呼び方であり、ギリシア語ではポイニクスと呼ばれ、赤を意味する単語、赤はすなわち炎の色に由来する。第七講 ケルン 1907年 12月28日 序序:霊的な意味における形と数。以前の時代と今日における人間の物質体への表象力と感受力の作用。建築様式の体験と以後の受肉における人間の肉体形成に及ぼす影響(ゴシック様式、ノアの箱舟、ソロモンの神殿)。像の世界と音の世界。惑星の運動における数の割合と天球の音楽。メルクリウスの杖(カドゥケラス)の瞑想。第八講 ケルン 1907年 12月29日序:霊の修練のために必要な教育手段としての形象的表象。感覚性から自由な思考。アストラル界での反対物としての形式と生命。腐朽と病気。魂における人間の高次の性質。低次の性質の反映。十字形の力の方向の意味。聖杯。未来の器官としての心臓と喉頭。反復(エーテル体)の原理と遮断(アストラル体)の原理。薔薇十字。数のシンボルの内的力。数の比率の霊的音楽。人間の本質的構成要素の比率としての1:3:7:12。鏡のシンボル。以上、神秘学の記号と象徴、そのアストラル界と霊界との関係をシュタイナーは暗幕に閉ざすのではなく、なるべくなら理学的に語ろうとしています。哲学・思想ランキング
2023年07月17日
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第五講 シュトゥットガルト 7 神秘学の記号と象徴 今日(きょう)は、皆さんが基礎的な神智学において理念、概念、表象として修得しておられるものが、いかにして次第に体験へと導かれるかを暗示するだけにとどめておきたいと思います。何しろ神秘学におけるいかなる図像も体験からのみ取ってこられたのですから。例えば、有名な卍の図形を例にとってみますと、さまざまな文献に、この図形に関する極めて機知に富む解釈を見出すことができます。これはもともとはどのようにして神秘学に取り入れられたのでしょうか。この図形は、私たちがアストラル的な感覚器官と呼んでいるものの模像に他なりません。ある種の処置、修練によって、人間はアストラル的な感覚器官を養成することができます。この図示される二本の線は、本来、霊視者の霊眼に、炎の車輪か花のように見えたアストラル体の中での動きなのです。これらは蓮華とも呼ばれます。この車輪ないし蓮華、それらのうち例えば両眼のあたりには二弁のもの、喉頭のあたりには十六弁のものが位置しますが、アストラル界に発光現象として生じてくるこのようなアストラル的感覚器官を表す記号、図形が卍なのです。あるいはまた別の記号、いわゆる五芒星(ペンタグラム)を考えてみましょう。思索しても哲学しても、五芒星の本来の意味を見出すことはできません。五芒星はひとつの現実なのです。これは、人間のエーテル体の中に見出せる流れ、力の流れの作用を描き出している図像なのです。人間の場合、ある種の力の流れが左足から頭部の一定の一まで上昇し、そこから右足へ、次いで左手へ、そこから身体を通り、心臓を通って右手へ、そして右手から再び左足に戻ります。その結果、人間の中に、頭、腕、両手、両脚、両足を通る五芒星を描きこむことができるのです。これを単なる幾何学的な図形としてのみではなく、力の作用として表象せねばなりません。人間のエーテル体の中に、皆さんは五芒星を有しています。力の作用は、正確にこれらの五芒星の線をたどっています。各線はさまざまにねじ曲がることもありますが、常に五芒星の形を保って、人体に書き込まれています。五芒星はひとつのエーテル的な現実です。象徴ではなく事実なのです。 このように、神秘学においては、どの象徴も霊的世界の事実の像です。こうした事実が根ざしている世界を示唆することができてはじめて、その意味が認識されます。従って、最高度の明敏さといえども、神秘学の記号の解釈に至ることはできないのです。唯一霊的世界の体験から、神秘学の記号と象徴の意味を見い出すことができ、この意味を認識することで、人間は「何かを始める」ことができるのです。ですから人間が、まず霊視的な能力によって見出されたことを伝達され、語られて、それから獲得することは、決して不必要なことではありません。そして、探求された事実から、再び人間はこれらの事実自体の原因へと回帰させられるのです。記号や象徴と同様、古い伝説や神話においても事情は同じです。伝説や神話は民衆文学からつくり出されたものだとするのは、学識上の机上の空論です。民族は創作しません。すべての伝説や神話は、人間がまだある程度霊視能力を有していた時代の遺物なのです。ヨーロッパの伝説や神話において語られていることは、人間が以前に見た事実を保存しています。これらの伝説、メルヒェン(寓話)、神話の中にあるすべては、本来霊視的に見られたもので、本来の霊視的経験を見たとおりに語っているのです。神話とはそもそも霊視的経験が見たとおりに語られたものなのです。今日(こんにち)でもなお、神話において語られている出来事全体をアストラル界で追求することができます。ヴォータンあるいはオーディン(*オーディンは、北欧神話の主神にして戦争と死の神。詩文の神でもあり吟遊詩人のパトロンでもある。また、ドイツ語では Wotan or Wodan という)による行為は、実際に起きた事なのです。神秘学的な記号・象徴・封印の背後に、真実を探すことができるのです。しかも、思弁によってこれらの記号の解釈を企てることが少なければ少ないほど良いのです。 このように、この連続講演では、神秘学の事実感覚へと入っていこうと思います。記号は考え出された作り事などではなく、霊的世界における実際の出来事の模像ないし複製です。そして、神話において出会うすべての物語は、まだ人間の大部分が霊視力を有していた頃に見たことの再現なのです。記:右卍「図案卐」と左卍の違いは、特に右卍はナチス・ドイツにより用いられた鉤十字が有名。鉤十字は日本では卍(まんじ)と呼ばれており、鉤型の先端が左を向いている「左まんじ」と鉤型の先端が右を向いている「右まんじ」がある。古代では正十字に次いで最も広く用いられ、右旋と左旋があり、右旋は白魔術・吉祥・進行など、左旋は黒魔術・降魔・退行などを意味する。なお、鉤十字の一種でよく知られたものにナチスの標章ハーケンクロイツ(Hakenkreuz)がある。十字は太陽・月・星・空・水・火・大地・雷電・生命の樹・豊饒・破壊と創造・復活と救済・吉祥・繁栄・超越・中心・統合などの象徴として古代から最も広く用いられてきた図形であり、方向性と中心を示すことによって混沌から秩序を生みだす機能をもつものと考えられた。世界各地の万字文を挙げると、ギリシアにおいてはアテナイのディピュロン出土の前8世紀ころの壺にギリシア雷文の一つとしてあらわれ、のちに絵画や建築装飾や服飾など広く用いられた。また中国では卍は仏書にある万の字の代りとして用いられ、仏の胸上の吉祥万徳の印であった。哲学・思想ランキング
2023年07月16日
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第五講 シュトゥットガルト 6 地球の受難の過程 この地球が、私たちが今日の進化段階で順次進化していくための固い舞台基盤となるべく準備していた時期を考察してみると、私たちはそこに絶え間ない地球の受難の過程を記さなければなりません。固体化を進めることで、地球は苦しみ、苦痛に呻吟するのです。私たちの生存は、地球の苦痛を通して獲得されたのです。いわゆるアトランティス時代の初期まで、この苦痛が増していくのが認められます。人間が次第に自分で自らの浄化を行うようになった時から、地球も再び苦痛と受難から解放されるのです。この過程は、まだそれほど進んでいません。私たちの足下にある固い地盤の大部分は、今日なお苦しんでいます。霊視をそこへ向けてみるなら、私たちにとって固体は地球存在の呻吟であることがわかります。このような事実を神秘学的な由来から探求し、偉大な宗教的文献の中にそれらを再び見出す人には、こうした文献が霊的世界のいかなる深みから書き上げられたかが開示されます。その時、これらの宗教的古文献を尊重する感情がなおいっそう高まってきます。経験を通じて、私たちは外的世界の事実に目を向けつつ、いかなる真実の基盤がパウロの言葉、つまり「すべての自然は苦痛に呻吟する養子を得ることを待ち焦がれつつ」の根拠になっているか、経験的に認識することができるのです。このパウロの言葉をちょっと翻訳してみると、「地球生成のすべては、後に地球の存在たちにとって養子を得る。つまり霊化が成し遂げられるための、苦痛のもとでの生成、苦痛のもとでの固体への凝集である」ということです。それ故に地球生成のすべてに養子とされたものは霊化を成し遂げなければなりません。 真に秘密の修練と呼ばれるものにおいては、それらを見たとき、私たちの裡に感情を呼び起こすような、周囲の世界のイメージからとりかからなかればなりません。まず始めに修練をやり遂げようとする弟子に、外部の自然で起こっていることを単に外的な出来事として観るのみならず、内的な体験として魂全体をもって、いかにこの地球の生成、固体化が苦痛を引き起こしているかを感じとることができるような表象、概念を伝えられます。この苦痛の心象は、実際の霊的な事実を提示しているのです。真の神秘学においては、像は何らあれこれ考えてつくり出されたものではなく、実際の霊的事実から読み取られたものなのです。いかなる哲学も、思弁も、最高度の明敏さも、このような像の謎を解くことはできません。高次の世界の事実を認識することによってのみ、理解に導かれるのです。神秘学においては、あらゆる像は霊的事実を表しているのです。哲学・思想ランキング
2023年07月15日
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第五講 シュトゥットガルト 5 鉱物自我の基本要素 鉱物界にもこのこと(*事物の背後にある魂的・霊的なものの開示)はあてはまります。鉱物も自我を有しています。ただ、この鉱物の自我はさらに高次の所にあります。つまり、神智学文献が、アルーパ・デヴァチャンと呼びならわしている、デヴァチャン界(*デヴァチャンとは、文字通りには神の国)の高位の部分にあるのです。この鉱物の集合自我は、物質界における人間の自我、低位デヴァチャン界における植物の集合自我、アストラル界における動物の集合自我と同様、それ自体部分として完結した存在です。物質界においては、単に鉱物の物質体のみが存在しますが、鉱物にはアストラル体もエーテル体もあるのです。霊視者は生きた連関を視ています。採石場に行って、鉱夫たちが石を切り出しているのを見ると、霊視者たちにはちょうど生体の肉に食い込む時のような感じがそこに生じているのがわかるのです。そして、鉱夫たちがそこで働いている間中、アストラル的な流れが岩石界を貫いています。アストラル体として鉱物が有しているものは、デヴァチャン界の低位部分に見出され、鉱物の自我はデヴァチャン界の高位部分に見出されます。岩石の自我は苦痛と喜びを感じます。岩石をたたき落とすと、鉱物の集合自我は喜び、満足を感じます。これは最初逆説的に聞こえますが、実際そうなのです。単に類推で考える人は、岩石を打ち砕くと、ちょうど生き物を傷つける時のように、岩石にとっては痛いことだろうと思うかもしれません。けれども、岩石を砕けば砕くほど、鉱物の自我は満足を覚えるのです。さて、「それではいったい鉱物の自我はいつ苦痛を感ずるのか」と問うことができます。鉱物の自我にとっての苦痛を皆さんは次のような例で知覚することができます。食塩を溶かしたコップ一杯の水を想定してください。コップの中の水を冷やしていって塩が固い結晶となって分離されてくると、鉱物的な実質が再び固体化してきます。この個体の分離において苦痛が生じるのです。同様に、砕いた岩石を全部合わせてまた一個の岩石に戻すとしたら、やはり苦痛が生じます。鉱物の集合自我においては、鉱物が溶解する時はいつも喜びの感覚が生じ、固体化する時には苦痛の感覚が生じます。温めた水に塩を溶かすと満足感が生まれ、水を冷却して塩の結晶を析出させると、痛みの感覚が生まれるのです。このことを、より大きな宇宙的な関連の中で表象してみるなら、私たちの地球の形成、鉱物の形成がどのようにこのような過程と関連しているかわかるでしょう。この地球の形成をずっと以前までたどっていくと、この地球の温度はますます上がり熱が高まっていきます。そしてレムリア時代において、岩石のひとつひとつが溶解している状態、現在は完全に固く結晶化してしまった鉱物が、ちょうど今日溶鉱炉の中で鉄が液体化されて流れ出しているように流れ出している状態に行き着きます。鉱物はみなこのような過程、つまり水を冷却するとコップの中に溶けていた塩が沈殿するということのなかにその小規模な形を見ることのできる過程を経てきたのです。このように、地球上ではすべてが固体化し、集結してきたのです。このような固体化は、液体状の地球の中への集結による固い結晶が次第に沈殿してくという形で進行しました。このような固体化によってのみ、地球は今日の肉体を持つ人類の住みかとなり得たのです。この固体化はむろんある特定の時期に頂点に達したというようにとらえることができます。今日、ある意味でこの頂点の時期は過ぎています。今日すでに部分的には多かれ少なかれ溶解過程が記されなければならないのです。地球がその目的に達した時には、そして人間がもはや地球から何も引き出すことができないほどに浄化され霊化された時には、地球自体もまた霊化されていることでしょう。その時には地球の鉱物的な含有物はすべて精妙にエーテル的になり、地球は物質化する前にもそうであったアストラル的状態に移行することができるのです。物理的な溶解過程はそれに到るための過渡的状態なのです。哲学・思想ランキング
2023年07月13日
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第五講 シュトゥットガルト 4 植物自我の基本要素-3 単に集合自我についての抽象的な概念の中でではなく、空虚な抽象概念を感情と感受性へと変化させるように、この中に沈潜すると、私たちは自然の出来事とともに生きることを学びます。私たちの自然観察は生き生きとした感受なのです。秋に野を行き、鎌で穀物を収穫している人を見る時、私たちは鎌が茎を通り、茎を切り取るのにぴったり合わせて、畑の上に何か霊的な風のように快い感情が吹き渡っていくという予感を得ます。霊視者が地球のアストラル体の裡(うち)に見るものは、ここで描写されたことの霊的な根本原因なのです。このことを見抜いている人にとって、穀物の収穫はどうでもよい出来事なでではありません。ちょうど人間の場合、何かある体験の際に、まったく決まった種類のアストラル的形成物が立ちのぼってくるのが感じられ、見えるのと同じように、秋には畑の上を地球の快い感情のこのようなアストラル的表現がかすめていくのが見られるのです。鍬が地面に畝を立て、植物の根に手を加える時には、事情は異なってきます。鍬での畝起こしは地球に苦痛を与えます。この時、苦痛の感情が立ちのぼってくるのが見えるのです。ここで言われたことに対しては、容易に反論できるでしょう。つまり、状況によっては、牧場へ行って役に立たないということからあらゆる花々を摘み取ってしまうよりは、植物を根ごと地面から引き抜き、移植する方が良いではないかと。このような非難は、道徳的な観点から考察すれば的を得たものであるかもしれませんが、ここではまったく異なった解釈が提示されているのです。たしかに、状況によっては、白髪になり始めた人にとって、これを美的な理由から正しいと見なすなら、最初の白髪を抜く方が良いと言えるかもしれません。それでもやはり引き抜くのはその人にとって痛いことなのです。花を摘むことは地球にとって心地よく、植物を根から掘り起こすと地球にとって苦痛であると言う時、これらはまったく別の観点なのです。生はそもそも苦痛を通して世に現れます。生まれてくる子供は、出産する母親に苦痛を起こさせます。これは環境の中で単に認識するのみならず、自然の中に感情移入するすべをいかに学ばねばならないかということのひとつの例です。哲学・思想ランキング
2023年07月12日
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第五講 シュトゥットガルト 3 動物自我の基本要素 動物の集合体としての自我の本性・内的な特性と個々の人間の特性であるものとの間には、著しい相違があります。この違いは、皆さんには非常に逆説的に思われるでしょうが、現に存在しています。つまり、ひとつの特異な事実があるのです。アストラル界での動物の集合自我の知力と叡智を、ここ物質界での人間の知力、叡智と比較してみるなら、意外なことに動物の集合自我の方が、根本的に賢いということがわかります。動物の集合自我がなすべきことは、最高度の自明性をもって行われます。人間は、進化を遂げていく中でようやく、その自我を動物の集合自我がアストラル界ですでに有している叡智にまで至らせなくてはなりません。むろん、この動物の集合自我には、人間がこの物質界で地球進化全体を通して養成してきたものが欠けています。この特殊な要素は、動物の集合自我にはまったく見い出せないものです。これは、愛という要素、愛であるもののすべて、血縁関係にある人間の血族的な愛という最も単純な形から、普遍的な人類愛の最高の理想の愛までです。この要素は、他ならぬ地球進化の内にある人類によって養成されてきたものです。感情、感覚、意志衝動は、動物の集合魂も有しています。愛を発展させること、これがまさしくこの地球上での人間の使命なのです。これが動物には欠けています。動物の集合自我の基本要素は叡智であり、人間自我の基本要素は愛なのです。 私たちを取り巻いている自然そのものの内部で、この動物の集合自我の顕現をどのように感じとるべきか深く知ろうとするなら、ここで私たちを取り巻いているものすべてが、霊的な秘密と霊的な諸存在の顕現なのだとうことを思い起こさなければなりません。霊視的能力を備えていない人は、もちろんあのアストラル界での「散歩」をすることはできません。アストラル界では、この地球上で物質的な人間における自我に出会うように、そこに住んでいる動物の集合自我と出会います。けれども、霊視をしない人でも、この集合自我がなしている行為、作用をこの物質界で知覚することができるのです。毎年、秋が近づくと、鳥たちが北東から南西の暖かい地方へ向かって飛翔し、夏が近づくと再びまったく決まった進路を通って帰ってくるのが認められます。各々の鳥の属に対してその進路のひとつひとつを高度と方角に従って比較してみると、これらすべての中に、叡智が、深い叡智が存在することをひとは予感し始めます。この全体を導いているのは誰なのでしょうか。それを導いているのは動物の集合自我です。さまざまな動物の属がこの地球上で成し遂げていることは、すべて動物の集合自我の行為であり作用なのです。動物の集合自我のこれらの行為を追求すると、本質的にこれらの動物の集合自我は地球の周囲に広がっていて、地球の周囲で力となって展開しているということがわかります。地球は、多種多様な力、さまざまなうねり、直線や曲線、蛇行線をなして地球を取り巻いている力に囲まれているのです。これらの力をここではその作用、その顕現の中にのみ見ることができます。人間がこれらの顕現を実感すると、霊視による場合に、動物の集合自我のところへ彼を導いていくものが何なのか予感することができます。このように、動物界で起こっている叡智に満ちた事に踏みいっていくすべてを学ぶことができます。動物の属や種がおこなっていることは、動物の集合自我の行為の幾ばくかを垣間みせてくれるのです。哲学・思想ランキング
2023年07月11日
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第五講 シュトゥットガルト 2 自我と魂 我々の霊的諸存在の内的な経過の外的な顕現は如何様になるのか、私たちの回りに生きている魂的、霊的なものに関しての理解に達したなら、周囲の自然がどのように見えるか、ここでちょっと想像してみることにしましょう。まず、理想的にこれにとりかかるなら、次のように問わなければなりません。物質界で周囲に生きている被造物の魂、つまり動物・植物・鉱物の魂はいったいどういう状態なのか、物質的に感覚に現れているものの他にこの自然の三つの領域には何があるのかと問うのです。動物の領域を観察しますと、これは霊的・魂的に、人間とはまったく根本的に区別されます。私たちが個々の人間の皮膚を境に閉じた内部に有しているもの、こういうものは個々の動物の中にはありません。個々の動物は私たちにとって寧ろ人間の各部分に比較されます。同じ形態を持つ動物は全て、つまり、すべてのライオン・トラ・カスタマス・ハエその他動物界において同じ形姿を有するものは、人間の一部分、例えば手の指に比較することができるのです。人間の十本の指を考えてみてください。十本の指の一本ずつにそれぞれひとつの自我を有した魂を与えられているとは思えないでしょう。十本の指は全部、一個の人間に属しているわけですから。人間一人一人に自我その魂が与えられています。人間ひとりひとりに自我-魂が与えられているように、これを集合魂と呼ぶか群魂と呼ぶかは問題ではありません。問題なのは、物事をぼやけさせ、流動的に考えることです。このように、同じ形姿を持った動物のグループの場合、個々の人間のそれと同じ「自我と魂」が基礎になっていると認めなければなりません。けれども、この動物グループの魂は、人間の自我における魂が探索される場所を探しても見つかりません。人間のこの自我における魂が誕生と死の間に存る場所は物質界です。これをもって、この自我-魂がその性質と本質により物質界のみに属するということがいわれているのではありませんが、人間の自我-魂は物質界で生きています。動物の「集合自我」の場合はそうではないのです。同じ形姿を有する個々の動物の集合自我の場合、個々の動物がいる場所は問題になりません。ライオンがアフリカにいようと何処其処(どこそこ)の動物園にいようと、まったく同じなのです。個々の動物は同じ集合自我に属し、この集合自我はアストラル界にあります。ですから、同じ形姿を持つ動物の属・種(グループ)から自我を見出そうとすると、霊視的にアストラル界にまで赴かなくてはなりません。アストラル界では、当の動物の集合自我はこの物質界での人間の独立した個性です。もし人間が十本の指を伸ばした時、ここに仕切り壁を立て、壁の十個の穴から十本の指を突き出すと、壁の外側にいる人には十本の指しか見えません。十本の指の自我を探そうとすれば、壁の後ろ側に行かねばなりません。このように、個々のライオンには、すべてのライオンの集合自我の一部を見なければならないと考えねばなりません。アストラル界へ行くと、すべてのライオン種の個性あるいは個体を見い出すことができます。ちょうど壁の後ろ側に人間の十本の指が属する個体が見い出せるように。同じ事が、同じ形姿を持つ他の動物の種類にも当てはまります。もし皆さんがアストラル界を散歩・遊山するなら、アストラル界にはこれらの動物の集合自我が居住していることがおわかりになるでしょう。そこでは、この物質界でひとりひとりの人間に出会うように、この動物の集合自我と出会うのです。ただこれらの集合自我は、ちょうど十本の指を一本ずつ壁から突き出しているように、物質界へそれぞれが分化した動物個体へと差し伸ばされいるのです。哲学・思想ランキング
2023年07月10日
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第五講 シュトゥットガルト 1907年 12月26日 序・1 秘学的記号・形象の象徴や記号の意味序:人間の環境への態度。事物の背後にある魂的・霊的なものの開示としての世界。動物、植物、鉱物の魂的・霊的なもの。アストラル界にある動物の集合自我とその基本要素としての叡智。人間・自我の根本要素としての愛の養成。植物界、鉱物界の苦痛と喜びの感情。秘学の修練においては単に形象を観照するだけでなく、内的に体験せねばならないとする。卍と五芒星の隠された意味。 今回の連続講義では、いくつかの秘学(オカルト)的記号や形象についてお話するつもりですが、その際、これらの象徴や記号の意味、意義が単に知性だけではなく、感情や心情と親密になるようにしていこうと思います。1:皆さん全員がご存知のように、神秘学(独: Okkultismu)や神智学(独: Theosophi)においては、さまざまな形象や記号が使用されています。そして、このような記号や形象を解釈するのに、しばしば多大な機知と思弁が費やされていることも周知の事実です。さて、今回の連続講義は、こうした機知や思弁の多くが不適切であり、そもそも思弁や機知というものは、秘学的記号や象徴の本当の意味に近づく力を有していないということを示してくれるでしょう。神秘学者にとって、決して単に一般的な手引き書や著作で言及されているようなものが記号や象徴であるのではなく、通常は殆ど予測しもしないようなところに、非常にしばしば秘学的記号や象徴が見い出せます。やはり、民族に根ざす神話や物語の中に深い秘密のオカルト的な真理が隠されているのです。このような神話や伝説を解釈する際に通常屡々犯されている過ちは、端的に言って、あまりに多大の機知、思弁が費やされていることです。あまりにも分別的、理性的に深い意味が追求され過ぎていると言っていいほどなのです。4回の連続講演では、このテーマを汲み尽くすことはできず、警句的に扱うことができ得るのみですが、それでも、ここで取り扱うことを、秘学的記号や象徴の高次の世界に対する関係、つまりアストラル界及びデヴァチャン界ないし霊的世界と呼ばれるものに対する関係について表象を形成することができるように描いてみたいと思います。記:神秘学(しんぴがく)は、オカルティズムまたはオキュルティスム(仏: occultisme、英: occultism、独: Okkultismus)の日本語訳の一つである。オカルト主義、隠秘学(おんひがく、いんぴがく)、玄秘学とも呼称される。Geheimwissenschaft の日本語訳でもある。ご存知のように、日常の言語においても、何か高次に在るものを解釈しようとするとき、非常にしばしば特定の具象的な比喩が用いられます。例えば、認識や洞察に比喩を用いようとする時、「光」とか「認識の光」という言い方をします。私たちの言語のこういう単純な表現の背後に、時折、何か途方もなく深いものが潜んでいます。このような表現を用いるひとは、少からずその起源をまったく意識しておらず、従って例えば光という比喩がどういうふうに認識や洞察と関係づけられているのか、全然考えてもいないのがほとんどです。彼らは、今日詩人が比喩を用いるように、それを比喩とみなしてるのです。もし神秘学においてこのような比喩的な意味のことだけを考えるとするなら、まったく道を誤ることになります。物事は遥かにもっと意味深いのです。今日の言語において象徴的と言われているもの、比喩的と言われているもの、あるいは寓意(アレゴリー)という表現で示されているもの。これらはたいてい間違った道に導くものです。ある記号は恣意的に何かあるもののために選ばれたのだと、安易に考えられています。神秘学において、記号は決して恣意的に選ばれることはありません。神秘学においてある記号がひとつの事柄に用いられるときは、常に深い関連がそこにあるのです。けれども、人間が神秘学の観点から見て、自らの環境に対してどのように位置づけられているかについて、少し立ち入ってみければ、神秘学の記号・形象と高次の世界とのこうした関連について真に明確にすることはできないでしょう。神秘学、あるいは今日神智学として知られている神秘学の基礎的な部分が、いつかより深い意味で、世にその使命を果たすときには、これはまだやっとのことで始まったばかりなのですが、いつの日にか、私たちの生活と文化のあらゆる支脈が神秘学の真理と衝動に貫かれるようになった時には、人間の感情、感覚生活全体、寛容への位置づけ全体が本質的に変化してしまっていることでしょう。今日の人間が外界に対してどのように位置しているか示そうとすれば、次のように言わなければなりません。この数世紀来、人間は格別に外界に対して非常に抽象的、合理的、唯物的な関係をつくりあげてきたと。今日野原を行く人は、春でも夏でも秋でも、たいてい眼前に現れるもの、感覚が受け取ることのできるもの、知性が感覚知覚から結合できるものを見ています。その人に美的な天分があれば、何か詩的な感受性があれば、彼はその知覚を感覚及び感情で満たし、ある自然の出来事の場合には悲しみや苦しみを、また別の場合には高揚や喜楽を感ずるのです。然し乍ら、今日の人間の場合、無味乾燥な感覚的知覚が詩的及び芸術的な感情に転ずるときでも、それは本来、神秘学によって今や頭脳、理性や知性にではなく、魂と心に与えられねばならないものの端緒にすぎません。神智学が単に物質界、アストラル界、デヴァチャン界のあらゆる出来事の思索的な要約を与えてくれるだけでなく、私たちの魂に深く親和的になり、魂が前とは違ったふうに受け入れられ、感じられ、学ぼうとするようになった時、はじめて神智学は人生における重要な要因となるのです。とりわけ私たちが明確にしておかなければならないのは、神智学と神秘学を通じてすでに昨日の記念講演で強調したことが現実にますます起こってくるということです。つまり、人類は感覚に現れてくる外界において表現されているもののなかに、事物の背後に魂的、霊的なものとしてあるものが自らを開示する顔貌、身振り、表情を見てとるようになるのです。私たちは、地球の外部で起こっていること、つまり星々の運動の中にも、霊的、魂的なものの表現を見出すことを学んでいくでしょう。例えば、ある人の手の動きやまなざしの中に何か魂的なものが見出せるように。このようにして私たちは例えば晴れていく大気の中に、空気、水、土を真に浸透している霊的諸存在の内的な経過の外的な顕現を見ることを学んでいくのです。哲学・思想ランキング
2023年07月09日
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第四講 シュトゥットガルト 5 宇宙との一体化 人類は自らを浄化することで「宇宙の螺旋」と呼ばれるものへと上昇します。浄化された蛇の形態、この宇宙の螺旋は、深い意味をもっています。皆さんは、これについて次のような例でひとつの概念を得ることができます。現代の天文学はコペルニクスの二つの法則に基づいていて、第三の法則は顧みられずに放置されています、第三法則とは太陽もまた動いているというものでした。太陽は前方へ捻じれながら進んでいて、その結果、地球は太陽とともに複雑な曲線を描いて運動しているのです。同じ事が、地球の回りを運動している月にもあてはまります。これらの運動は、初歩の天文学で受け入れられているよりもはるかに複雑なのです。螺旋が天体のなかでどのような意味をもっているのかは、ここでおわかりでしょう。この天体は将来に、人間と一致するような形態を表しているのです。その時には、人間の生み出す力は浄化され、純化されているでしょう。人間が浄化された蛇の体として進化させていったものは、その時、もはや下から上へではなく、上から下へと作用することでしょう。私たちの中で変化した喉頭は、聖杯(グラール)と呼ばれる杯になるのです。そして、この生み出す器官と結びついているもうひとつの器官も同様に浄化されているでしょう。この器官は、宇宙の力の大いなる精髄となるでしょう。精髄の中のこの宇宙霊は、聖杯に向き合う鳩の図像で描かれています。ここで、鳩は、人間がいつか宇宙(コスモス)と一体化する時に、宇宙から働きかける霊化された授精作用の象徴なのです。この出来事の想像力全体が、虹によって示されています。これはすべてを包括する聖杯の封印なのです。これらを総てとする全体が、宇宙と人間の関係についての意味を、驚くべきやり方で他の封印の意味も絡めとるようにして伝えてくれます。従ってここにも封印の周囲の縁に書かれた文字として、宇宙の秘密が現れています。この宇宙の秘密は、人間が原初に根源の力から生まれてきたことを示しています。どんな人間も、振り返ってみれば、意識の力から新しく生まれたなら、今日霊的に成し遂げている過程を、原初の時代に経てきたのです。薔薇十字会ではこのことを頭文字を取ってE.D.N=ex deo nascimur(神から生まれた)と表します。開示の内部では、第二のものが加わることを見てきました。すなわち、生のための死です。人間は、この死の中で再び死を見出すために生きとし生けるものすべての源泉の中で、この感覚の死を克服せなばなりません。この源泉は、すべての宇宙進化の中心点なのです。というのも、私たちは、意識を獲得するためには死を見出さねばならないからです。しかし、私たちはこの死の意味を救い主の秘密の中に見い出すとき、死を克服するでしょう。神から生まれたのと同様、私たちは秘教的な叡智の意味で、キリストにおいて死ぬのです。I.C.M=im Christo morimur(キリストにおいて死ぬ)。そして、何かが開示される所ではどこでも、第三のものに統一されるべき二元性が示されるので、人間は死を克服したとき、自らが、宇宙を貫く霊(*聖杯に向き合う鳩の図像で描かれている鳩)と一体化することでしょう。人間は復活し、再び霊のうちに生きるのです。P.S.S.R=per spiritum sanctum reviviscimus(聖霊により復活する)。これが、神智学的薔薇十字です。これは、宗教と科学が宥和する時代を照らすのです。 さて、以上のとおり、このような封印には、宇宙全体が描かれており、しかも宇宙は魔術師や秘儀参入者によって、この中に組み込み構成されたため、封印には強い力が内在しています。皆さんは、いつも新たにこれらの封印に戻ってくることができます。封印は、瞑想を通して無限の叡智を開くことができるということを、皆さんは改めて見い出すことでしょう。封印は、宇宙の秘密から創られていますので、人間の魂に強力な影響を及ぼします。今日ここでお話しているような、宇宙の聖なる神秘へと高めてくれるような、そうした事柄が語られている部屋に、こうした封印を掲げるなら、それらは、人にそれと気づかれなくても、最高度に生き生きと啓発する作用を及ぼします。けれども、同時に、こういう意味をもっているからこそ、世俗化されることを嫌います。奇妙に聞こえるかもしれませんが、霊的なことは何ら語られず、俗っぽい言葉が語られている部屋にこういう封印が漫然と掛けてあると、やはり作用は及ぼすものの、この場合には、肉体組織を病気にするような作用をするのです。通俗的な言い方かもしれませんが、封印は消化を損なうのです。霊的なものから生まれたものは、霊的なものに相応(ふさわ)しく、世俗化されてはなりません。このことをそれ自身が象徴する作用によって示しているのです。霊的な事柄の記号は、霊的な事柄が起こり、作用を得る所にこそ相応しいのです。哲学・思想ランキング
2023年07月08日
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第四講 シュトゥットガルト 4 第五の封印・第六の封印・第七の封印 叡智で自らを満たし、それから、宇宙における大いなる変化がまの当たり迫り怒る時に近づきます。人間が太陽の力を引き寄せてしまうと、太陽が再び地球と一体化するというあの進化段階が始まります。人間は、太陽の力により自らに太陽を生み出すでしょう。ですから、それ故の「第五の封印」は太陽を生む女なのです。その時、人類は非常に道徳的であり倫理的になっているので、低次の人間本性の中にある有害な力はすべて克服されています。これは、七つの頭と十本の角を持つ動物によって描かれています。太陽の女の足下に、地球が用いることができず押し出していなかったあらゆる有害な実質を含む月があります。今日、月が魔術的な力で地球上でなしてることのすべては其の時点で克服されるでしょう。人間が太陽と一体になるとき、人間は月を克服したのです。続いて「第六の封印」で、このように高次の霊化に昇り詰めた人間がいかにミカエルの形姿に似ているかが表されています。ミカエルは、この世の悪いものを龍の象徴の中に繋ぎ止めているのです。 私たちはあるやり方で人類進化の初めと終わりが同じ変化の状態であることを見てきました。この同じ状態が、流動する火の足を持ち口から剣を突き出した男の中に描かれていることがわかりました。意味深い象徴学においては、私たちに宇宙の全存在が聖杯の象徴において明かされます。皆さんにこの第七の封印について二乃至三程度概略的にお話しておきたいと思います。神秘学者としてこの世界を知ることを学ぶ者は、空間というものが物質的世界にとって、単なる空虚なものとはまったく別の何かであるということを知っています。空間は、すべての存在をいわば物質的に結晶化させて出現させてきた源泉なのです。水で満たされた完全に透明なガラス製の立方体の器を考えてください。さて、それからある冷却する流れがこの水を貫いて導かれ、さまざまなやり方で氷が形成されるのを思い浮かべてください。こういうふうにして、世界創造のひとつの表象、つまり空間を得ることができます。この空間の内部へと神的な創造の言葉が発せられ、ありとあらゆる事物が結晶化し生み出されたのです。神的な創造の言葉が内部に発せられたこの空間を、神秘学者は水のように透明な立方体によって表します。この空間の内部でさまざまな存在が発達していきます。私たちの最も近くにある存在を、立方体は三つの垂直方向、つまり三本の軸、長さ・高さ・幅を持ち。これが立方体の三つの次元を示しているということで、最もよく特徴づけることができます。さて、これらの外の自然界にある三つの次元に反対の次元を加えると考えてみてください。皆さんはおよそ次のように想像することができます。ひとりの人物がある方向に進み、もうひとりが彼に向かってやってきて両者がぶつかるというふうに。同様に、各空間次元にも、それぞれ次元→←反次元が存在するのです。従って、私たちは全部で六本の線を持つことになります。これらの反対線は同時に人間存在の最高の構成要素の原初的萌芽を表しています。空間から結晶化された物質体は、最も低次のものです。霊的なもの、最高のものはその反対物で、次元→←反次元によって示されます。ここで、進化において、まず最初に、激情、欲望、本能の世界に合流させることで、最もよく描かれ得る存在、こういう存在の次元→←反次元が形成されるのです。最初、これはそういう存在です。それから、のちに何か別のものになります。ますますいっそう、この存在は自らを浄化していきます。この存在がどれほど浄化されるか、私たちは見てきましたが、もとは蛇によって象徴される低次の衝動から出発してきたのです。この経過が互いに向き合った二匹の蛇の中での反次元の融合によって象徴されているのです。記:宇宙の一様性問題が何故問題なのかと真空のエネルギーが何故それを解決するのかという辺りはこの限られたシュタイナー原理の説明では理解できません。インフレーション理論では、宇宙の初期ビッグバン以前は真空のエネルギーが全てで卓越した存在。となれば、インフレーションの進行に伴って真空のエネルギーが物質や通常のエネルギーに転換していったといことになる。そもそもがエネルギー保存則がビッグバンの直後からが現在まで真実成り立つのか。ビッグバン直後の高温高密状態がなぜブラックホールにならずに膨張できたのか。シュタイナー原理がその解決案の一助になるやもしれません。哲学・思想ランキング
2023年07月07日
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第四講 シュトゥットガルト 3 第三の図像・第四の封印 私たちが人間の進化を遥か彼方にまで遡っていくと、当然に、何百万年もの時の助けを求めなければなりませんが、そこにはまた人間の進化とは別のものも現れてきます。現在、人間は物質的に地球上にいます。しかしながら、この地球上を動き回っていたものが、まだ人間の魂を受け取ることができなかった時代もあったのです。その時、この魂はアストラル界にありました。そして、さらに遡(さかのぼ)ると、この魂が霊界すなわちデヴァチャンにあった時代に至ります。魂は、地球上で自らを浄化したあかつきには、未来において再び、この高次の段階に上昇するでしょう。霊からアストラル的なものを経て物質的なものへ、そして再び霊へ。これが人間の長い進化の道程なのです。けれども、これを人間が土星及び他の惑星状態で経てきた進化の時間と比べると、短期間のように思われます。人間は単に物質的な変化のみではなく、霊的、アストラル的、物質的変化を遂げてきたのです。こうした変化を追求していくと、霊的世界にまで上昇しなくてはなりません。そこでは、天球の音楽、この霊的世界で空間にみなぎりあふれている音が知覚されます。そして、再び人間がこの霊的世界に慣れていくと、この天球のハーモニーが彼に向かって響きわたるでしょう。これがオカルトでは天使のラッパの響きと呼ばれるのです。従って、第三の図像はラッパです。霊的世界から啓示がやってきますが、それは人間がなおいっそう進歩を遂げたときはじめて、姿を現すのです。それから、人間に七つの封印を施された書物が開示されるでしょう。この封印はまさに私たちがここで考察しているものです。この封印によればこれらの謎が解かれるでしょう。ですから、中央には書物、下部には人類が置かれます。何故なら四頭の馬は、時代を経てきた人類進化の諸段階に他ならないからです。 けれども、もっと高次の進化があります。人間は、もっと高次の世界に起源を持ち、そして再びこの高次の世界に上昇していくでしょう。その時、人間が今日とっているような形態は世界の中へ消えていくでしょう。今日、外の世界にあるもの、人間を構成している個々の文字を人間はその時、再びすべて受け取っているでしょう。人間の形態は世界の形態と一致していることでしょう。神智学のある種の通俗的な記述においては、自分自身の内に神を探し求めると教えたり語ったりされています。けれども、神を見出そうとする者は、万有のうちに広がっている神の作品のうちに神を探し求めねばなりません。宇宙の中の何ものも単なる物質それは単に見かけ上そうであるにすぎません。実際はすべて物質は霊的なものの現れ、神の活動の知らせなのです(*霊的観念論)。そして、人間は来るべき時代の経過において、自分の本性をいわば拡大していくでしょう。ますます一層人間は世界と一体化し、人間の形態の代わりに宇宙(コスモス)の形態を置くことで、自らを提示することができるのです。このことは、岩、海、円柱を備えた第四の封印に見いだせます。今日、雲として世界を通り過ぎてゆくものが、人間の肉体を形づくるための素材を提供するでしょう。今日、太陽の霊のもとにある諸力が、さらに限りなく高められたやり方で、霊的な諸力を作り出すことになるものを、未来において人間にもたらすでしょう。この太陽の力こそ、人間が手に入れようと求めるものなのです。自分の頭部、つまり根を地球の中心に向けて沈めている植物とは反対に、人間は頭を太陽に向けています。そして、人間は頭を太陽と合体させ、より高次の力を受け入れるでしょう。このことは、岩と円柱の上の雲の体にある太陽の顔の中に見てとれるでしょう。その時、人間は自らを創造するものとなっているでしょう。そして、完全な創造の象徴として、多彩な虹が人間を取り巻いています。ヨハネ黙示録の中にも、皆さんはよく似た封印を見いだせるでしょう。雲の中に書物があります。黙示録では、秘儀参入者がこの書物を飲み下さねばならないと語られています。これによって、人間が単に外的に叡智を受けることができるだけでなく、今日食物で自らを満たすように、叡智で自らを満たし、自身が叡智を体現するようになる時が告げられているのです。哲学・思想ランキング
2023年07月06日
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第四講 シュトゥットガルト 3 第一・第二の図像 「初めに言葉があった。言葉は神のもとにあった。言葉は神であった。」これは、思弁的な意味での哲学的な言葉ではありません。まったく字義通りにおこなわれた太古の事実をヨハネは提示したのです。そして、終わりにも言葉が言葉があるでしょう。言葉の具現が創造であり、人間が未来に置いて生み出すものは、現在言葉であるものが具現化したものなのです。けれども、その時には、もはや人間は今日のような物質的形態はとらないでしょう。人間は土星上でとっていたような形態、火の実質にまで進歩しているでしょう。このように宇宙進化の始まりにおける創造的な力は宇宙進化の終わりにおける私たち自身の創造する力と結びついているのです。 今日あるすべてのものを宇宙の中に言葉で出現させた存在は、人間の偉大な模範です。この存在は、宇宙に土星、太陽、月、地球その地球は半分ずつで火星と水星、木星、金星を出現させました。この七つの星が暗示しているのは、これらは人間がどの程度まで進化できるかを表す記号であるということです。火の実質の中に、この惑星は最後に再び現れ、人間はこの火の実質の中で創造的に語ることができるでしょう。これが口から突き出ている火の剣なのです。すべては火のようになります。従って、両足も溶けた青銅なのです。見事に印象深く、進化の意味がこの記号(しるし)に表されています。記:此の章に語られる事柄は、SF・ファンタジーの範疇を超えています。逆に神秘体験と捉えれば肯(がえ)んずることが出来るのかも知れません。 今日の人間を動物と比較してみますと、その違いは「人間は個々の人として、個々の動物が自らのうちに有してないものを、自らのうちに有している」と言わなければならないということに表されています。人間は個人の魂を持ち、動物は集合魂を持つのです。人間のひとりひとりが一の動物の属全体にあたります。例えば、すべてのライオンは共通でひとつの集合魂を持つのみです。この集合・自我は、人間・自我とまったく同じですが、ただ集合・自我は物質界にまでは下降しません。アストラル界でのみ見いだされるのです。この地上では、各々が自我を担っている物質的人間が見いだされます。アストラル界では、皆さんはアストラル実質の中で、皆さん自身と同じような存在と出会います。ただ、物質ではなくアストラル的な覆いの中で出会うのです。皆さんは、皆さんのような人と話すように、彼らと話すことができます。これが動物の集合魂です。人間も以前の時代には集合魂を持っていたのですが、次第次第に今日の独立した存在へと進化してきたのです。これらの集合魂はもともとアストラル界にあり、それから肉の中に宿るために下降してきました。今、アストラル界の中に人間の原初の集合魂を探してみますと、人間の由来である四つの種類が見いだせます。この四種を、今日の動物の属をなしている集合魂と比較しようとすると、次のように言わねばならないでしょう。四種類のうちのひとつはライオン(獅子)と比較される。もうひとつは鷲と比較される、三つめは牛と、四つめはその自我が下降してくる前の太古の人間と比較できると。けれども、さらに人間のより高次の顕現のための集合魂、つまり子羊、救い主の徴(しるし)である神秘の子羊により示される集合魂も存在しますし、地球が存在する限り、これからも存在するでしょう。これら五つの集合魂の分類、すべての人間に共通する偉大な集合魂を取り巻く人間の四つの集合魂、これを第二の図像は描き出しています。哲学・思想ランキング
2023年07月05日
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第四講 シュトゥットガルト 2 祝賀ホールに掲げらた封印 皆さんは、私たちの一部をなしているこの宇宙との関連における人間進化の像(を、ミュンヘンでの会議期間中、祝賀ホールに掲げられていた封印の中に見ることができます。何が示されているか見てみましょう。最初のものは、白い衣をまとった人物を示しています。その両足は金属、青銅のようです。口からは炎の剣が突き出しています。彼の右側は諸惑星である土星・太陽(*注)・月(*注)・火星、水星、木星、金星の記号で取り巻かれています。ヨハネ黙示録をご存知の方は、黙示録の中に、この像とかなり一致する記述が見られることを思い出すことでしょう。ヨハネは秘儀参入者であったからです。この封印は、つまり、言うならば、人類全体の理念を提示しているのです。ここにおられる古参の方々にはすでにおなじみの表象をいくらか思い出していただくと、このことを理解できると思います。 人間の進化をさかのぼっていくと、人間がまだ不完全な段階にある時代に到達します。例えば、人間は、皆さんが今日両肩の上にのせているもの、つまり頭部をまだもっていませんでした。当時の人間を描写すると本当にグロテスクに聞こえるでしょう。つまり、頭部はだんだんと発達してきたのであり、さらにこれからも進化していきます。人間においては今日、いわば終結に達した器官があります。自らを作り変えていく別の器官もあります。そう、喉頭は力強い未来を有しているのです。むろん、心臓とも関連しています。今日、人間の喉頭はようやくその進化の始まりにあって、将来、霊的なものに作り変えられた生殖器官となっていくのです。今日の人間が喉頭を使って行っていることを明らかにすれば、この神秘についての表象を得ることができるでしょう。ここで私が話しますと、皆さんに私の言葉が聞こえます。このホールが空気に満たされていて、この空気中に一種の振動が引き起こされることにより、私の言葉が皆さんの耳に伝達されるのです。私がひとつの単語、例えばアステロイドベルト(小惑星帯)という語を発音すると、空気の波が振動します。これは私の言葉の受肉(物質化)です。今日、人間がこのように作り出すものは、鉱物界における創造と呼ばれています。空気の運動は、鉱物的な運動です。喉頭を通じて、人間は環境に鉱物的に働きかけているのです。けれども、人間は、自らを高め、いつか植物的にも働きかけるようになるでしょう。単に鉱物的な振動だけではなく、植物的な振動をも引き起こすようになるでしょう。人間は、自らに植物体を出現させるでしょう。その次の段階は、その他の感受する存在を負って自らに出現させるでしょう。そして、進化の最高の段階では、人間は自らの喉頭によって自分に似たものを生み出すでしょう。今日、人間は魂の内容のみを言葉によって語ることができますが、その時には自分自身をそのまま言い表すようになるのです。そして、人間が未来において存在を方って出現させるように、人類の先駆者である神々は、今日存在するすべてのものを語って作り出した器官を備えていたのです。神々はすべての人間、すべての動物、そしてその他すべてを語って生み出しました。これらはすべて字義どおりの意味において発せられた神々の言葉なのです。記:地球で初めての生命が、海中若しくは岩石の中で生命が誕生して35億年の進化を考察すれば、シュタイナーのいう人類が、500万年前のアフリカで誕生してから猿人-原人-旧人-新人へと進化変容を見せたのだが、此れを今後百万年単位でますます進化が速まると予想される人類の形姿の変容にて予想すれば、シュタイナーのいう人類の異様な変態(metamorphosis)も受容の範囲になるでのしょう。記:シュタイナーの振動創造論は、ひもが開いているか閉じているか、どのように振動しているかが基本粒子の種類を決める、全ての基本粒子を超弦として統一した理論思考を想起させます。哲学・思想ランキング
2023年07月04日
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第四講 シュトゥットガルト 1907年 9月16日 序・1 大なる宇宙と小なる宇宙 黙示録の封印。人類進化の像としての黙示録の七つの封印。薔薇十字のシンボル。封印が人間に及ぼすことのできる生気を与え啓発する影響について。さらに、霊的なものが世俗化されるときの破壊的な作用についての解釈。 象徴や形象のうち、そもそも私たちが所有していて古今の神秘学者たちからも認められている最も意味深長なものは人間自体です。人間は今も昔も、常にミクロコスモス{小宇宙)と呼ばれてきました。これは、まったく正当な言い方です。何故なら、人間を詳細に綿密に知るようになる人には、ますます人間のうちに人間の外部の自然の中に広がっているあらゆるものが含まれていることが明らかになってくるからです。このことを理解するのは、はじめは困難かもしれません。然し乍ら、これについて思索を深めれば、人間のうちには全自然から採った一種のエキスとしての精髄、あらゆる実質と力が見いだせるということの意味を理解できるでしょう。皆さんが何らかの植物をその本質という点に関して研究し、充分深く探求することさえできれば、人間の有機体組織の中にあっても、同じ本質が含まれていることがおわかりになることと思います。さらに、外にいる動物を考えてみてください。皆さんは常に、人間の有機体組織の中に、その本質に従って、あるやり方でその組織中に取り込まれているいるように見える何かを指摘することができるでしょう。このことを正しく理解するためには、もちろん宇宙の進化を神秘学的観点から考察することが必要です。それで、たとえば神秘学者は、もし外部の自然の中にライオンたる獅子が存在しないなら、人間は決して今日のような性質の心臓を持つことはないということを知っています。まだライオンというものが存在しなかった時代へと遡ってみましょう。人間は最も古い存在ですので、その当時にも人間はいました。けれども、その時の人間はまったく別様に形成された心臓を持っていたのです。自然の中には、至る所に必ずいつも明白ではないにしても関連があります。かつて人間がはるか太古の時代に自らの心臓を今日の形態へと発達させた時、その時にライオンが生じました。両者は同じ力を形成したのです。それは、恰(あたか)も皆さんがライオンの本質を抽出し、神の如き巧みな技により、それから人間の心臓を形成したかのようです。皆さんは人間の心臓には何らライオンのようなものはないとお考えになるかもしれませんが、神秘学者にとってはこれは本当なのです。あるものがひとつの関連、ひとつの有機体組織の中に置かれる時、それが独立状態にある時とはまったく別の作用をすることを忘れてはいけません。逆にこの様に言うこともできます。皆さんが心臓のエッセンスを取り出すことができたとして、この心臓に相応した存在を作り出そうとするなら、そしてその存在が有機体組織の諸力に規定されないなら、それはライオンになるのです。勇敢さ、大胆さといった特性、あるいは神秘学者なかでもオカルティストが言うような人間の「王者らしい」特性のすべてはライオンとの関係に由来します。そして、秘儀参入者であったプラトンは、王者のような魂を心臓の中に置いたのです。(注/プラトン「国家」では勇気(thymos)はホメロスに従って心臓に置かれる) 人間と自然のこのような関係に対して、パラケルススはたいへん見事な比喩を用いました。彼は、「それはあたかも自然の中でひとつひとつの存在が文字であるかのようだ。けれども人間はこれらの文字から組み立てられた言葉なのだ。」と言います。外には大いなる宇宙としてのマクロコスモス、私たちのうちには小なる宇宙としてのミクロコスモス。外ではいかなるものもそれ自体として存在し、人間にあっては他の器官も共に織り込まれているハーモニーによってすべてが規定されているのです。そして、だからこそ私たちは人間の中に全宇宙の進化、私たちの一部をなす全宇宙の進化を観照することができるのです。哲学・思想ランキング
2023年07月03日
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神秘学の記号と象徴・アストラル界と霊界との関係要綱◎第三講 シュトゥットガルト 数の象徴と一元性 さて、数の象徴を述べたところで再び一元性に注目したいと思います。他の数も考察したことにより、一元性について語るべきことが正しい光の中に現れるでしょう。一元性の本質的なものは不可分性です。実際のところは無論、「一」としてある完全体をさらに、例えば三分の一や二分の一というふうには分けることはできません。けれども、皆さんが思考の中で承認することのできる非常に意味深い重要なものがあります。つまり、霊的世界においては、2/3を除くと、1/3はあくまで一に属するものとしてあり続けるということです。何かが神から開示として分割されても、残り全体はやはり神に属するものとしてあり続けるのです。ピュタゴラス的な意味で「一を分割せよ。ただし、ひとえにおまえの思いの底で、残りのものが一のためにあるように一を分割せよ」は意味深な言です。 本来、一を分割するとはどういうことなのでしょうか。例えば、金の小板を考えてください。皆さんがこれを通して見ると、世界は緑色に見えます。つまり、金は、その上に白い光が当たると黄色い光線を反射するという特性をもっているのです。それではまだ白の中に含まれていた他の色はどこに行くのでしょう(*現在の量子論では解決済み)。それは、対象の中に入り込み、それを通過します。赤い対象は、赤い光を反射し、他のものを自らのうちに取り入れるから赤いのです。他のものを残しておくことなしに赤をしろから取り出すことはできません。こうして、私たちは大いなる世界の秘密の緑に触れるのです。皆さんはこのことをある特定のやり方で観ずることができます。例えば、光がテーブルにかけられたテーブルクロスに当たると、私たちは赤い色を感受します。太陽光線に含まれている他の色は「吸い込まれ」ます。例えば、緑色はテーブルクロスに吸収され反射されません。私たちが赤い色と緑色を同時に私たちの意識の中に受け入れようと努めるならば、私たちは再び一を回復したわけです。私たちはピュタゴラス的な意味で一を分割したのです。そうすると、残りのものは、そのまま維持されます。分けられたものを常に再び一と結びつけるということを瞑想的に成就すると、それは、人を高みへと進化させうる意味深い営みとなります。数学においてもこれを表す式があります。神秘学の学院ではどこでも通用するものです。「1=(2+x)-(1+x)」これは、1をどのように分割するか、分けられた部分が再び1となるようにどのように提示するかを表しているとされる秘密の公式なのです。神秘学者は、一の分割を、部分が常に再び一へと連結されるように考えねばなりません。以上、今日は数の象徴学と呼ばれるものを考察に委ね、世界を瞑想的に数の観点の下に動かすと世界の秘密の内奥に迫ることができるということを見てきました。 補足として再度述べておきたいことは、第五週目、五日目、あるいは五時間目においては、何かをしくじったりし良くしたりできるということに気づくことが大切であるということです。七週目、七日目、あるいは七時間目、あるいは相応する特定の数の関係においては常に何かが、そのこと自体を通じて起こります。たとえば、熱はその病気の七日目に一定の性格を示すでしょう。あるいは14日めにも。そこには世界の構造を示す数の関係が常に根底にあるのです。ピュタゴラス的な意味で、「数を探求せよ」と言われることに、正しい仕方で沈潜する人は、この数の象徴学から生と世界を理解することを学びます。このことについて、今日はみなさんに概略的にご理解いただけるようお話した次第です。哲学・思想ランキング
2023年07月02日
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神秘学の記号と象徴・アストラル界と霊界との関係要綱◎第三講 シュトゥットガルト 数の象徴「7」 人間の生には七つの時期があります。第一の時期は生まれる前の時期、第二の時期は歯の生え替わる頃まで、第三は性的成熟まで、第四は凡そその7~8年後まで、第五は30歳頃と続いていきます。人々が、これらの時期に何が問題となるか、ちょうど第五の時期に人間に何を近づけ、何を遠ざけるのかを知るようになれば、いかによい年齢を準備することができるようになるかについても、いろいろとわかってくるのです。その時、残りの人生全体に対して善いことあるいは悪いことの作用が及ぶでしょう。初めのいくらかの時期の場合、これらの法則に従って、教育を通して多くのことを行うことができます。けれどもそれから、人生の第五期に、後の人生全体にとって決定的な転換点がやってきます。この人生の第五の転換点は、少なくとも人間がいわば完全に確信をもって人生へと送り出される前に超えられねばなりません。今日主流をなしている、人間をあまりに早く人生に送り出してしまう原則は、たいへん害のあるものです。このような古い神秘学的原則に注意を向けることには、大いに意味があります。ですから、以前は、そのことについて知っていた人々の命により、人は親方と認められる前に、いわゆる修業時代と遍歴時代を卒業しなければならなかったのです。以降はとある神秘的事績(奇跡的事件)を除いて、一般的に人間の生は第六期・第七期へと続きます。7は完全性の数です。このことをまた人間自身を手がかりに明らかにすることができるでしょう。人間は被造物として4の数の中にいます。そして、善か悪の存在でありうるという限りで、5の数の中にいるのです。人間が萌芽として自らのうちに有しているものをすべて造り上げてしまったら、色の世界、虹においても、音の世界、音階においても、7という数が支配しています。生のあらゆる領域のいたるところで皆さんは7という数を一種の完全性の数として示すことができます。7の背後には迷信も呪(まじな)いもありません。記:シュタイナーはブラヴァツキーによる聖なる数字とされてきた7を用いたオカルト進化論の単位とも言える「周期(ラウンド)」という図式を、ブラヴァツキー以上に自身の思想に徹底的に組み入れて重視した。地球・人種・文明・人間は進化のプロセスが7段階あるとされ、それぞれ密接に関係しあっていると考えた。哲学・思想ランキング
2023年07月01日
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