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2014.07.26
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カテゴリ: 読書案内
【新田次郎/武田信玄 山の巻】
20140726

◆三方ケ原の合戦に大勝するも、巨星墜つ
疾如風徐如林侵
掠如火不動如山

武田信玄が中国の古典に精通していたことは、周知のとおり。
だからと言って、中国の兵書に陶酔していたわけではない。
著者・新田次郎は、「むしろ彼は著書の文学的表現に敬意を払った」のだと述べている。
そういうことから、孫子の兵法に出て来る“風林火山”の文言を、幟旗に書いたようだ。

~火の巻~では、嫡子義信が離反したことで、武田家ではにわかにお家騒動が巻き起こった。
しかし渦中の義信が病死してしまったことで、決着がついた。
さらには、信玄の愛妾・湖衣姫との間に生まれた四郎勝頼が立派に成人し、正式に武田家の後継者と定めるに至った。

著者は、武田信玄という人物を愛するがゆえに、二人を比較し、かなり冷静な視点を持って評価している。
それは、信長の叡山焼討ちに関するくだりなのだが、信心深い信玄は叡山から焼き出された僧たちを身延山久遠寺に呼び、そっくり与えてやりたいと思ったのだ。
そして延暦寺の再興を計りたいと願った。
ところが寝耳に水だったのは日蓮宗総本山の久遠寺である。
無論、信玄も代替えとして、久遠寺は信濃国中野へ今の3倍ほどの大伽藍を建立するという条件を出したのだが、久遠寺の僧たちは皆、小指を切って移転反対の嘆願書に血判を押し、一斉に抗議のための断食に入ってしまったのだ。
信玄はここでも、イヤというほど信長の実行力を思い知らされたに違いない。

「信玄は誰にもどうすることもできなかった叡山を亡ぼした信長の力量と久遠寺一つ移転させることのできない自分の力とを比較して見た」

結果、延暦寺を身延山に再興する話は、中断してしまった。
“戦いの神”とも呼ばれた信玄も、信長の大胆にして徹底的な叡山焼討ちには、驚愕を隠せず、言葉を失った。
さすがの信玄すら手も足も出ない禁域に、信長はいとも簡単に刃を向けたのだから、その一点においても信玄は己の弱さを恥じ入るしかない。

~山の巻~で最後の柱となるのが、徳川家康との合戦である。

浜松城で家康を囲む軍議は、白熱した空気に包まれていた。
天下に並ぶ者のいない名将と称される信玄を相手に、どうやって迎え撃ったら良いものかと、出撃説やら籠城説で、軍議は割れていた。
結局、家康は城を出て武田軍を迎え撃つのだが、精鋭の揃った武田騎馬軍団と見事な陣構えに、家康方の三河武士らは恐れおののいた。
三方ケ原合戦は、徳川方の大敗北に終わった。

※ちなみにこの時の陣構えは、徳川方は鶴翼の陣に対し、武田方は魚鱗の陣である。


今は、戦国時代の片鱗を思わせるものなど何一つないが、四方を山に囲まれた甲斐育ちの信玄が、高台から遠州灘を望んだ時、どれほどこの浜松という恵まれた土地を渇望したことか知れない。
西上の途中、53歳で逝った信玄の無念さを思うと、想像を絶する。
“歴女”という呼称がない時、すでに“歴女”だった私は、もし、一番好きな戦国武将はと問われたら、迷わず武田信玄であると答える。
最後に、その信玄の座右の銘を紹介し、『武田信玄』の感想を終うとしよう。

人は城、

人は堀、
なさけは味方、
あだは敵なり


『武田信玄』~山の巻~ 新田次郎・著 [吉川英治文学賞受賞作品]



20140705
コチラ

武田信玄「林の巻(第二巻)」は
20140712
コチラ

武田信玄「火の巻(第三巻)」は
20140719
コチラ



20130124aisatsu


☆次回(読書案内No.136)は子母沢寛の「勝海舟」を予定しています。


コチラ から
★吟遊映人『読書案内』 第2弾は コチラ から





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最終更新日  2014.07.26 11:22:48


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