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2004.06.12
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カテゴリ: エッセイ
私ことエンゾーは、昔から、ある誤解を受けた。

「エンゾー君って、秀才っぽいよね」
「そーそー、あたま良かったし」

えーっと、一体何の話だ(・_・?)

仮に小学生がチーパッパと学習塾に通って、ほんの少し先走って方程式が解けたりしたからといって、それを秀才とは誰も呼ぶまい。

例えば初等教育では、なぜか卒業の時期になると「卒業文集」などを作りたがるが、「遠足が楽しかった」とか「友達がいっぱい出来て良かった」などホノボノした作文 が大半を占める中、
「洗面台のボールに水をためて栓を抜くと、必ず左回りに(右だったっけ?)渦を巻いて流れ出ていく。これは、地球が自転していて日本が北半球にあるからで、南半球では逆の現象が起こる。僕は将来はロケットを作りたい云々」
と、恐ろしく高等な話を書いた奴がいた。繰り返すが、小6で、である。

秀才とはこういう人間のことを言うのであり、彼はそのまますくすくと育って、今では名古屋で人工衛星なんぞを造っている。僕の周りにいた人間が、僕のことを「お利巧さん」と誤解したのは、単に私が「ええかっこしい」だったからに過ぎない。

幼い頃の僕は、甘やかされた一人っ子ゆえの「さびしんぼうの目立ちたがり屋」で、親や先生の愛情を得ようと、必死に優等生をやっていた。ところが「勉強の出来るものわかりの良い子」というのは、演じ続けるにはなかなか骨が折れる役柄で、中学卒業まではなんとか持ちこたえたものの、受験で進学校に合格した時点で、ついに燃え尽きてしまった。


ごく自然な成り行きで、中学までは何とか「クラスで2~3番」で行けた成績が、一気に学年最低まで落っこちた。いま思い出してもすがすがしいくらいの転落ぶりだった。人生15年にして、僕ははじめての挫折感を味わった。

ある時は、学年でたった一人、留年の危機にさらされ、英語の追試を受けた。3歳のころから10年間も習った英会話は、受験勉強に関して何の役にも立たなかった。

ある時は、担任だったY氏のもとに親子ともども呼びつけられ、
「お前は俺の教師人生の中で、最悪のノータリンだ」
と決め付けられたが、一体どこで育て方を間違えたのかと酸欠のキンギョのように口をパクパクさせている母親の隣で、僕は今晩の夕飯にありつけるかどうかを心配していた。

またある時は、数学教師M氏に学年一不勉強な生徒として目をつけられ、授業のたびに集中攻撃を受けた。
例えば彼は、一つの数式と、その答えを1番から3番まで黒板に書き、笑顔で僕にこう言った。

「さてエンゾー君、 どうせそのままでは分からないだろうから 、君の為にわざわざ正解を一つ 入れておきました 。確率は3分の1です。どれが正解でしょう」
「・・・え~・・・、あ~・・・い、1か3」

大爆笑が巻き起こった。 正解は2番だった。

そんな訳で、勉強に関してはまったく情熱を失ってしまった僕だったが、それでもめげずに学校に登校し続けられたのは、好きなことがあったからだ。文章を書くことである。
僕は、好きな女の子が所属していると言う、これまた不純な動機で、文芸部に入った。他に楽しみがない学校生活で、僕は何かにとり憑かれたように「小説っぽいもの」を書いて書いて書きまくった。書いている間だけは充足感があった。おかげで原稿用紙がぜんぜん怖くなくなり、20枚や30枚は鼻歌交じりでこなせるようになった。

一度などは、一番前の席に座っていたにもかかわらず、授業中に講義そっちのけで小説を書いていて、怒った生物の先生に机を蹴っ飛ばされたが、それでもまったく懲りなかった。学校一ダンディーだったG先生、あの時はごめんなさい。許してね。

ちなみに文芸部は漫画研究会と仲が良く、僕は自分が書いたヘボな小説に、漫研の女の子から挿絵をつけてもらっていた。当時から非凡な才能を発揮していた彼女は、その後上京して、 つぶれたパンダ のようなキャラクターを考案し一世を風靡することになるが、それはまた別の話である。


国語が好きだった僕は、ある時、教科書に載っていた中島敦の名作「山月記」をいたく気に入り、授業がまだ半ばのころに、全文を暗記してしまった。のろのろと進む授業はとても退屈だったので、山月記に登場する二人の主人公を、常日ごろから僕のアイデンティティーを脅かしつづける担任のY氏と数学担当のM氏に置き換え 、「二人はホモだった」 というストーリーを捏造してノートの切れ端に書き綴り、山月記のパロディーとしてこっそり回覧した。
これが大受けで、件の紙片は瞬く間にクラス中を巡り、僕はリクエストに応じて次々と続編を書き、ホッチギスでまとめられた走り書きの原稿は、とうとう他のクラスにまで飛び火した。

三日後、授業中にこれを読んでいた別のクラスのある生徒が、笑いを噛み殺すのに失敗して吹き出してしまったことで、このお下品な怪文書はようやく当人たちの知るところとなった。担任のY氏が原稿を握り締め、
「これを書いた奴ぁ、誰だ!」
と青筋立てて教室に怒鳴り込んできたが、学年が変わるその日まで、ついに犯人が発覚することはなかった。

その後、僕は2年間の浪人生活を経て、かろうじて大学に進学し、それから4年の間、九州から遠く離れた北海道で過ごすことになる。誰にも邪魔されることなく、もはや受験勉強からもうるさい親や先生からも解放され、それまでの人生の中で、僕は生まれて初めて、一人静かに考える時間を得た。

「自分が、一体いつ頃から、どういう理由で勉強嫌いになったのか」

長い間僕を苦しめてきた・・・今となってはほろ苦い・・・謎が解けたのは、実に大学3年生になってからのことである。そのとき初めて、僕は「自分のために、自分らしく生きること」という、ごくごく当たり前のことに思い至り、それまで経験したことのない開放感を感じると同時に、いたずらに空費した20年間を思い起こして、狭いアパートの部屋の中で、ぽろぽろと20年分泣いた。

 幸いな事に、その後は父親と死別したりしながらも、良き出会いに助けられて、至って幸せに暮らしている。
あれだけケチョンケチョンな少年時代を過ごしながらも、ここまで持ち直せたのは、一重に支援してくれた方々のお陰である。照れ臭いので面と向かっては言えないが、ここでこっそりお礼を言いたい。

ありがとう、そしてこれからもよろしく。


(注:以前書いたエッセイに、加筆・訂正したものです)





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Last updated  2004.12.24 22:25:57
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いぬりく@ めっちゃわかります 自分もカメラ初めたときに絶対に最初からR…
エンゾー@ Re[1]:「転送コム」というもの(07/06) まさかこの古い記事に書き込みいただける…
うわ~!@ Re:「転送コム」というもの(07/06) 懐かしい! この会社で働いてました(笑) N…
エンゾー@ Re[1]:くたばれ、ベテラン!(10/14) 神坂紅羽さんへ 更新しなくなって久しい…
神坂紅羽@ Re:くたばれ、ベテラン!(10/14) あんまり共感しちゃったんで、思わずコメ…
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