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その後堀河は、白河院鍾愛の待賢門院が鳥羽院の中宮として入内する際に、待賢門院付の女房として引き抜かれた。 女房名も改めて、堀河と名乗ることにした。 待賢門院の女房は、白河院が自らの威信をかけて集めた、当代きっての美女や才女揃いだ。待賢門院の女房に選ばれるということは、堀河にとって自分の歌才が公に認められたことを意味していた。歌を愛し生き甲斐としてきた堀河にとって、それは非常な名誉である。 その上、堀河の歌は待賢門院の御所でも絶賛され、その歌に打たれた多くの人々を堀河の元へ呼び寄せてくれた。 洗練された公卿たちや若々しく美しいその子弟たちが堀河の周りにいつも集まり、中にはその愛を得ようと躍起になる者もいた。そして、堀河はますます歌作と御所での生活にのめり込んでいったのである。 反対に、いつしか堀河は実家に残してきた娘のことを思い出すことも少なくなっていった。 もちろん、堀河は時折里へ帰ったし、そんな時は娘に会うこともあった。だが、娘は乳母にだけ懐いていて、堀河のことをまるで見知らぬ人のような眼差しで見る。それはやはり、本当の母親としては寂しく哀しいものだった。 堀河は娘に会うことが辛く思われて、里へ行っても娘の部屋を訪れることは少なくなった。 そして、時には抱き締めた時の甘い匂いや、膝にしがみついて来る快い重さを思い出すことはあるものの、いつしかそれはどこか遠い世界で起こったことのように感じられるようになってしまったのである。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2011年07月27日
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だが、そうであったとしても、やはり歌というものは、堀河にとって特別な何かを持っていたのだろう。 歌を詠むと、堀河の胸の内から憂さが薄れ、波立った心もやがて静まっていった。和歌にすれば、目に移る春夏秋冬の景色はさらに鮮やかに彩られ、喜びも哀しみもいつしか美しい思い出へと変わっていく。 歌は堀河の生活を活き活きと輝かせ、心身ともに健やかにしてくれた。 そして、そのようにして長じていくうちに、父の愛を得るための道具であった歌は、いつしか堀河のかけがえのない生き甲斐になっていったのである。 特に、夫が亡くなってからは、堀河は寂しい心を慰めるために殊更多くの歌を詠んだ。 その中の数首に目を止めた父が、何かの折にそれを白河院に見せたのだそうだ。白河院は堀河の歌を大層気に入り、ぜひ御娘である前斎院の御所へ出仕するようにとの直々の仰せを賜わったという。 子供のことでためらう堀河に、父は言った。「この子は私が引き取ろう。私の猶子として不自由はさせないから、安心して出仕するが良い。それに白河院からのたっての仰せ。無碍(むげ)にお断りするわけにはいかぬ」 それで堀河は娘を父に預け、父の屋敷に因んだ六条という女房名で、前斎院の御所へ女房勤めをすることになったのである。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2011年07月26日
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あれからもう、十五年以上も経つのか。月日の経つのは早いものだ。あのまだ頑是無くて父が死んだことすら理解できなかった幼子が、もう婿を取る年頃になったとは。 堀河の娘は今年十八歳になる。 夫が死んだ後、幼い子供を抱えて途方に暮れていた堀河に、前斎院令子内親王様の御所へ女房として出仕しないかという話を持ってきたのは父だった。 村上源氏のうちでも、堀河の生まれた家系は、代々歌の上手が多いことで広く名を知られていた。特に堀河の父である神祇伯源顕仲は名高い歌詠みで、その血を受けた堀河たち兄弟姉妹は、当然のように幼い頃から自然と和歌に親しむようになった。 中でも堀河は自分から進んで和歌を学び、まだ少女の頃から非凡な才能を現した。父は目を細めて、そんな堀河をことのほか可愛がってくれたものだ。 本当のことを言えば、姉妹の中で抜きん出た美貌を持つわけでもなく、性格も大人しく目立たない堀河にとって、多くの兄弟姉妹たちのうちで特に父に愛されるためには、父を喜ばせるような上手な歌を詠むしかなかったのだ。 もちろん、元々歌は好きであったが、あらゆる歌書に目を通し膨大な古今集をそらんじるまで、寝る間を惜しんで日々作歌の精進を続けて来たのも、多くは父に目を掛けられるためであった。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2011年07月23日
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もう二度とこんな思いをするのは御免だ。 堀河は帳台の中で寝ている男の方を睨んだ。 男はあいかわらず生きているのか死んでいるのかわからないほど、ぴくりとも動かない。 今夜は帳台を男に譲ったまま、この畳の座の上で眠るほかあるまい。主からの呼び出しさえなければ、こんな厄介事に巻き込まれることもなく、今頃は里の娘の部屋で、帳台の中で一緒に臥し、安らかな若々しい寝息を聞きながら眠りにつけただろうに。 堀河は先程まで娘のことで里に戻っていたのだった。 堀河は十代の終わりに一度結婚したことがある。 父が決めた結婚相手は同じ村上源氏の血を引く人で、優しかったが身体が弱かった。 堀河の元へは月に何度か通ってくるだけで、後は自分の実家で臥せっていることが多かった。しばらくして娘が生まれたが、夫の病は悪くなるばかりで、ますます会う機会は少なくなり、とうとう娘が三つにもならない頃に夫は身罷ってしまったのだった。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2011年07月22日
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だが、そのせいでこんなことになるとは。 侍女の病気を口実にして、出仕を明日に延ばせば良かった。こんな男を預かってしまっては、いくら待賢門院様の御命令とはいえ、もはや寝殿へ顔を出す余裕などない。 主のお叱りを思って堀河は重苦しい気分になったが、幸いなことに、堀河が女房の通用口である北門から三条西殿へ入ると、寝殿の方から華やかな筝や琵琶の音色が聞こえて来た。どうやら、堀河がなかなか戻って来ないせいで、歌会は管弦の宴に変更になったらしい。 安堵した堀河は、出来るだけ人目につかないように物陰を選ばせて車を進め、無理矢理東北の対の階(きざはし)に車の轅(ながえ)をもたせかけた。 破れて半ば垂れ下がった前簾から外を覗いて見ると、兵衛の局にすら明かりはついておらず、辺りはしんと静まり返っている。どうやら兵衛の侍女は、主のいぬ間にと、どこかで油を売っているらしい。 堀河は今のうちにと自分を励まし、念のため男に自分の袿を一枚すっぽりと被せた。そして、舎人(とねり)に急いで男を局まで運ばせ、帳台の中へ押し込んだ。そして、このことは他言無用と堅く口止めした上、小遣い銭まで握らせて、車を里へ帰したのだった。 ああ、誰にも見られずにここまで辿りつけたなんて、まるで奇跡だ。 もし、誰かに見咎められていたらと想像して、堀河は思わず震えあがった。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2011年07月21日
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堀河の局は、この三条西殿の東北の対の屋にあった。改修で手狭のため臨時に立てられた小さな棟で、ほとんどの部屋は鳥羽殿へ移築された西の対にあった調度品の置き場になっている。寝殿から遠いせいで、ここに局を賜わっていたのは、堀河と、同じく待賢門院に仕える女房である兵衛だけだった。 兵衛は堀河の妹である。実はついさっきまで、二人は実家である六条堀河の源顕仲邸で共に過ごしていたのだった。 堀河は父から呼び出されて、三日ほど前から実家へ里帰りしていた。そこへ今日の暮れ方、兵衛が物忌みのため御所を退出してきた。そして、主の待賢門院からの言伝を持ってきたのである。 御所を下がる前にご挨拶に伺った兵衛に、お前の代わりとして堀河を出来るだけ急いで出仕させるようにとの仰せを受けたのだそうだ。おそらく、気紛れな待賢門院のこと、今宵の美しい月を見て急に月見の歌会でも思いついたのだろう。それで、当代一の歌人である堀河に歌でも詠ませようと思ったのに違いない。 だが、あいにく堀河の侍女が急な腹痛で寝こんでしまっていた。侍女がいないと不便だから今すぐの出仕はと渋る堀河に、兵衛は自分の侍女の一人を局の後片付けに残してきたから、その者を自由に使ってよいと言う。それで堀河は一人で家を出て、出来る限り牛車を急き立てさせて御所への道を急いでいたのだった。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2011年07月18日
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一体、なぜ自分がこんなことをしているのだろう。しかも、何の縁もゆかりもない見知らぬ男のために。一体、何でこんな羽目に陥ってしまったのか。 そう恨み言を呟きそうになるが、関わりを持ってしまった以上、もう途中でほおり出すわけにもいかない。堀河は黙々と男の手当てをし、長い時間かかってようやく終えると、自分の単を着せて茵の上に寝かせかえた。 男はさっきからまるで死んでしまったかのように動かない。だが、そっと胸元へ耳を寄せてみると、かすかに鼓動の音がする。何とかまだ生きてはいるようだ。 堀河は男に綿入れの夜具を着せかけると、疲れ果てた身体を引きずって帳台を出て、常の座にしている畳の上に倒れ臥した。 耳を澄ますと、遠くで微かな筝の琴の音がする。待賢門院様の御座所のある寝殿では、今宵の管弦の宴はまだ続いているらしい。 女房たちがあらかたそちらに出払って局にいなかったのは幸いだった。そうでなければ、きっと途中で誰かに見咎められただろう。 堀河はこの局まで男を連れてきた時の苦労を思い出した。 堀河の勤め先であるここ三条西殿は、三条大路北烏丸小路西に位置した待賢門院所有の大邸宅である。 数ある御所の中でも、待賢門院は好んでここで過ごした。 本来この屋敷は白河院の皇女禧子内親王の所有であったのだが、自分に譲られた隣の三条東殿とわざわざ交換してもらったほど、待賢門院は養父の白河院と共に過ごし、昨年院の最期も看取ったこの屋敷を、ことのほか愛していたのだった。 今は鳥羽上皇の本所とするため改修中であるが、それにも関わらず待賢門院はここを常の御所としている。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2011年07月12日
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局の妻戸を閉じ掛け金を掛けると、堀河はようやく安堵して、へたりとその場に座り込んでしまった。 やっとこれで一安心。局の中にいれば、そう人目につくこともない。 堀河はしばらくしてまた気力を奮い起こすと、さっき牛飼い童から受け取った小さな紙燭(しそく…紙をよって作った蝋燭のような照明具)の火を、局の二つの燈台に移してまわった。そして、自分の帳台(ちょうだい)の上に寝かされた男へ目をやった。 堀河の袿を頭からひき被った男は、まるで壊れた人形のように、がっくりと茵(しとね)の上にくずおれている。 堀河はしばらく放心して男を眺めていたが、やがて深い溜め息をつくと帳台の中へにじり入り、血まみれになってもう使い物にならなくなった袿を男の身体から引き剥がした。そして、その上に男を寝かせ、少し躊躇した後、苦労して男の着物を脱がせた。 下帯一つにした男の身体はあちこち傷だらけだった。だが、幸いもう血は流れ出してはいないようだ。 堀河は局の角盥(つのだらい)に残っていた水で、傷の一つ一つをあらため、こびりついた血糊を拭き清めた。 ところが、身体を裏返してみると、まだ背中に折れた矢の先が突き刺さっている。堀河は途方に暮れたが、やがて覚悟を決めて目をつぶったままその矢を必死に引き抜いた。 左腕もかろうじてまだ胴体に繋がっているだけだ。その目も当てられぬほどおぞましく潰れた男の左腕に、堀河は恐る恐る不器用に白布を巻いた。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m↓これが帳台です。平安時代の寝室の雰囲気はこんな感じ♪
2011年07月07日
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だが、その時遠くで馬のいななく声がした。舎人の一人が後ろを振り向いて言った。「ずっと向こうに、松明の明かりがちらついて見えまする。誰かがこちらへ向ってくるようです」 もう躊躇している暇はない。 堀河は舎人らに命じて、男を車輪の下から引き摺り出した。そして、男の身体を持ち上げて牛車の中へ無理矢理押し入れさせ、うろたえている牛飼い童を叱咤した。「何をしておる。すぐに車を出しなされ。そして、出来る限り牛を励まして急がせておくれ」「でも、御方様、一体どこへ」 堀河はわずかにとまどった。だが、六条の自分の里へ戻ろうとすれば、後ろから迫っている者たちと鉢合わせしてしまう。それに三条は目と鼻の先だ。 仕方あるまい。 堀河はきっぱりとした口調で言った。「三条西殿へ」↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2011年07月05日
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