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辺りが騒がしい。 かしましい鳥の囀(さえず)り。庭先を掃く雑司女の無遠慮な喋り声。それに、西の対を新築している工人が仕事を始めたのだろうか、遠くで槌を振うような音もする。 ああ、もう夜があけたのか。嫌な夢を見た。道端で亡者を拾った咎(とが)で、地獄の責め苦にあわされるとは。 堀河は欠伸をしながら身体を伸ばし、ゆっくりと畳の上に身を起こした。すると、目の前に据えられている帳台が、嫌でも目に入る。 帳の上がったままの帳台の中では、昨夜の男が昨夜のままの姿で寝ていた。寝不足の堀河の頭は混乱し、絶望的な気分が襲って来る。 夢じゃない……やはり自分はとんでもない厄介を背負い込んでしまったのだ。 堀河は恐る恐る帳台に近づき、中を覗き込んでみた。 男はぐったりと茵の上に横臥していたが、息遣いは意外に安らかだった。 浅黒い顔に、濃い眉とわりあい通った鼻筋。乱れた蓬髪に覆われてはいるものの、明るい朝の光の中で初めて見る男の顔は、そう見苦しくはなかった。 堀河はそっと手を伸ばして、男の額へ触れてみた。 左のこめかみに、三日月型に並んだ目立つ三つのほくろがある。 堀河はそのほくろに指を触れ、それから掌で額を覆ってみた。熱はないようだ。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2011年08月30日
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夫とは親の決めた縁で、互いに愛し合って結婚したわけではない。 今まで逢瀬を重ね、恋の歌を贈り合ってきた多くの男たち……その中に、ことさらにもう一度だけでも逢いたいと願う男がいるだろうか。 堀河の胸の中で、走馬灯のように数々の男たちの顔がよぎる。どの顔もおぼろげで定かではない。遥か昔に死んだ夫と同じように。 堀河には、これまで自分が歩んできた人生が、急に我慢がならないほど空虚なものに思えてきた。ずっと誇りに思ってきたあの二つの歌の箱すらも、俄かに色褪せて見えた。 精進に精進を重ねて必死に詠んできた歌でさえも、本当に心からの……本物の歌ではなかったのだ。 激しい虚しさが、堀河の胸に込み上げて来た。 堀河はその痛みを振り払おうと身を捩り、思わず寝ていた畳の上に起き上がった。 眼の端に、あの得体の知れない男が寝ている帳台が映る。 こんな善(よ)しないことを考えてしまうのも、きっと疲れ果てているからだろう。今まで一度もこんなことを思ったことがなかったのだから、そうに違いない。この男のせいで……なんて忌々しい! 堀河は乱暴に燈台の明かりを吹き消すと、自分の袿を引き被って浅い眠りについた。そして、地獄の閻魔羅闍(えんまらじゃ)に変化(へんげ)した待賢門院に針の山の上へ突き落とされるという、恐ろしい夢を見た。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2011年08月22日
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堀河はそのような実りのない恋の憂さを嘆き哀しみ、自らの心を慰めるためには歌を詠むしかなかった。 確かに、それらの歌は読む人の心に響くものであったのだろう。堀河の歌はますます評判を呼び、歌名の方は恋をするたびにどんどん高まっていった。 だが、そんな生活を長く続けているうちに、堀河はふとあることに気づいて愕然としたのである。 いつの間にか手元に残った恋の歌が、去っていった男を嘆く歌ばかりだったのだ。 自分は一体何をしているのだろう。実のない男に振りまわされているだけではないか。 そう思うと、堀河には男女の仲というものがつくづく愚かに見えた。 それに、そう気づいた頃には、堀河はもう三十路を過ぎていた。言い寄って来る男も少なくなり、堀河自身もいつの間にか男に何かを期待することをやめていた。 そのせいで、ここ数年は通わせている男もいない。それは、堀河にとって穏やかではあるが、ひどくもの悲しいものだった。 きっと自分はこのまま静かに年老いていくのだろう。誰からも愛されず、誰を愛することもなく。そうして、もう二度と、恋の歌を詠むこともあるまい。 堀河はそっと目を開けて、部屋の隅にある厨子棚に目をやった。梨地に千鳥の螺鈿が施された二つの大きな料紙箱が乗っている。その中には、今まで堀河が詠んだ歌の草稿が入っていた。いつか自分の家集を編みたいと思って、長い間かかって詠み貯めてきたものだ。 もうこれからは、あの箱に心からの恋の歌を入れることはないだろう。 心からの……そう思った時、堀河の胸に迫るものがあった。 自分は果たして、今まで一度でも、本物の恋の歌を詠んだことがあっただろうか。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2011年08月18日
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それに、他の男たちとの関わり合いの中で、堀河は一体何を学んだだろう。 堀河とて、夫の死後ずっと孤閨(こけい)を守ってきたわけではない。ある程度の美貌が最低条件になっている待賢門院の女房である堀河のこと、言い寄ってくる男は少なくはなかった。名の通った歌人や良家の公達と浮名を流したこともある。 だが、それらはいつも浮ついた逢瀬でしかなかった。 男たちは名高い歌人の堀河と関係を持つことで、自分の歌才や権力を誇示したかったに過ぎなかったのかもしれない。一頻り堀河との歌のやり取りを楽しんだり、あの堀河を愛人にしているという優越感を仲間たちに誇ったりした後、男たちはやがて堀河の元を去っていった。 堀河の方は、それほど簡単ではなかった。 堀河は元々遊びの恋というものが、あまり理解できなかった。言い寄られれば誰にでも身を任せてしまう他の女房たちに、つい苦々しい視線を投げかけてしまっていたものだ。 だが、宮中での男女の出逢いに、元々清らかで真剣な付き合いなどあるだろうか。 最初の頃、堀河はそんなことには気づかず、言い寄って来る男の言葉をそのままに信じた。だが、そんな堀河の信頼はいつも裏切られ、堀河の胸の中に深い傷を残すだけだった。 ↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2011年08月11日
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そんなことを考えてつい呆然としてしまった堀河に、父は気づかぬ振りをして自分が孫娘のために探して来た縁談の話をした。 もちろん、相手は釣合いの取れる評判の良い人物で、堀河には何の異存もない。娘自身も納得して心待ちにしているという。後は吉日を選んで、その婿を通わせるだけだろう。 全ては父が取り計らってくれるので、話を聞いても堀河には何もすることはなかった。 それも堀河にとっては寂しいものだった。本来なら、娘の結婚相手を決めるのも婚儀の準備をするのも、実の母親の役割なのだ。 娘にとって自分は何の意味もないのだと、改めて堀河は思い知らされた。 だから、せめて女としての結婚後の心得でもそっと伝えておこうと、今夜は一緒の寝所で寝ようと娘に言ってあったのだが、待賢門院からの呼び出しでそれすら果たせなかった。 だが、よく考えてみると、堀河が自身の短い結婚生活から学んだことなどほとんどない。何しろ、今では夫の顔すらよく覚えていないくらいなのだから。 決して嫌いであったわけではなく、胸の奥底に優しい記憶として残ってはいるが、ずっと昔に死んだその面影は、今では朧でよく思い出せない。唯一、父親に面差しが似ている娘の顔を見る時だけ、ふと思い出すことがあるだけだった。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2011年08月09日
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だが、その娘はいつのまにか里でつつがなく成長し、もう婿を迎えるのだという。 それを聞くと、堀河はなぜだか急に強い寂しさを感じた。それは、何か取り返しのつかないような、耐え難いほどの喪失感だった。 どうして自分は御所勤めなどしてしまったのだろう。本当に大事にすべきものは、もっと別のところにあったのではないか。 だが、それはもうとうの昔に堀河の手の中を滑り落ち、既に堀河の見知らぬ一人前の一人の女の姿をしているのだ。 堀河は、幼い頃自分の母がしてくれたことを思い出した。 優しく髪を梳かしてきれいな桃色の紐で結んでくれたり、可愛らしい人形の着物を縫ってくれたり。 堀河は母が大好きだった。そして、母が亡くなってからは殊更に、そんな小さな他愛もない思い出を胸の内から取り出しては、母親というものの暖かさとありがたいほどの愛情を噛み締めてきたのである。 だが、自分の娘にはそんなことを何一つしてやらなかった。 娘はきっと、堀河が自分の母に抱いているような愛情を、堀河に対して抱いてはいないだろう。堀河のいない隙間は乳母が埋め、もはや堀河の居場所など娘の中にはない。 堀河はようやく自分がいかに大切なものを失ったのかを悟ったのだった。 だが、それを今更どうやって取り戻せようか。↑よろしかったら、ぽちっとお願いしますm(__)m
2011年08月03日
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