2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全31件 (31件中 1-31件目)
1
「第三文明」という雑誌にインタビュー記事。「特集 元気度アップ」に、3人がインタビューされています。今朝(書いているのは4月1日の朝)の朝日新聞朝刊にこの雑誌の広告があり、名前も載っていました)私は「女性を元気にする図解的思考法」というタイトルで、「全体像を把握しよう」「悩みから問題へ」「関係性をつかむ図解」「思い切って行動する人は元気」「元気とは自由になること」などの見出しで3ページほど語っています。書き出しは「ビジネスマン時代の個人的経験からいうと、男性の部下を扱う方が容易で、女性の部下のほうが難しかった記憶があります」です。歌手のアグネス・チャンは「人と会うことでエネルギーが生まれる」というテーマで語っています。「子どもたちの輝きに元気をもらう」「乳がんとの闘病生活」「元気がない=自分のことだけを考えている」。医学博士の今井英彦さんは、「元気を出すコツは、まず働くこと」というテーマで、「元気の源セロトニンを出す方法」「心の病とのつきあい」。-----------------この雑誌には田原壮一郎や城繁幸なども書いているが、京大の佐藤卓己准教授の「世論にながされず 輿論を再興せよ」が面白かった。「世論」(セロン)は情緒的で、「輿論」(ヨロン)は理性的なものだそうだ。明治15年に発布された「軍人勅諭」には、「世論に惑わず、政治に拘らず」とあり、「勝手気ままな論」という意味でつかわれている。また、輿論とは、五箇条の御誓文第一条に「万機公論ニ決スベシ」とあり、「公論」とは、「公議興論」の略で、公に討議し、論を輿ぐ(かつぐ)、すなわち公開討議された意見を意味している。すくなくとも戦前までは、世論と輿論は別の意味だった。1946年に当用漢字が制定され、「輿」が「世」に書き換えられて区別がつかなくなったとのことだ。輿論(意見・タテマエ)と世論(感情・ホンネ)の使い分けとバランスがを意識して考えたい。
2009/03/31
コメント(0)
NPO法人知的生産の技術研究会で取り組んでいるある本のプロジェクトで評伝作家・北康利さんのインタビューに同席した。場所は東洋経済新報社の会議室。午後の1時間半。八木さん、近藤さん、秋田さん、幅さんの5人で話を聞いた。2005年に「白洲次郎 占領を背負った男」という本で世に出た北康利さんは、銀行系証券会社に勤務する傍ら、故郷・兵庫県三田の郷土史家としての研究の中で、白洲次郎を発見し、新しい光をあてて世に出した。この本は大きな話題になり、、NHKのテレビドラマになっている。最近まで二足の草鞋だったが、専門だった分野のことを中央大学専門職大学院国際会計研究科客員教授として教えるようになった。そして本格的な作家活動に入っている。私は「白洲次郎」以来、「福沢諭吉」、「松下幸之助」、「九鬼と天心」など、この人の本はよく読んでいる。そして本の感想をこのブログで書いていて、北さん本人がコメントを二度ほど書いてきたこともある。今日の名刺交換の時にそのことが話題になった。若い人に尊敬する人物、人生のモデルを示したい、そして生きる力を与えたいという情熱が、評伝を書くエネルギーになっている。私もここ数年の「人物記念館の旅」から、同じ思いを持つようになり、多摩大で行っている「マネジメントデザイン2」で偉人の生涯と残した言葉を解説していることもあり、深く共感した。道徳、倫理、一隅、リアル、コツコツ、匠、つながり、人、福沢、谷沢、日本、時間、危機、空白、、、、。今まで読んだ本。同行二人松下幸之助と歩む旅 北 康利 (単行本 - 2008/3/25) 福沢諭吉 国を支えて国を頼らず 北 康利 (単行本 - 2007/3/30) 北 康利 (単行本 - 2005/7/22) 九鬼と天心 北 康利 (ハードカバー - 2008/9/13) 白洲次郎占領を背負った男未読の本。福沢諭吉 (PHPノンフィクション) 北 康利 (単行本 - 2007/12/12) 匠の国 日本 職人は国の宝、国の礎 (PHP新書 501) 北 康利 (新書 - 2008/1/16) レジェンド 伝説の男 白洲次郎 北 康利 (単行本 - 2009/1/9) 蘭学者 川本幸民 北 康利 (単行本 - 2008/6/27) インタビューを終えて、近くの「たいめいけん」でオムレツ、オムライスを食べながら、取材者5人で歓談。
2009/03/30
コメント(0)
![]()
朝日新聞記者村山治の書いた「市場検察」を読んだ。80年代に日米構造協議にかかわった検事たちは、2000年代に次々と検事総長となって検察を変えた。登場人物と事件は以下の通り。中村喜四郎、金融破たん処理、石油商泉井、KSD事件、参院のドン村上正邦、日歯連事件、野中広務、KSD事件、ホリエモン、村上ファンド、、、、。検察の使命は、国家=官僚システムに介入して特定の利益のために政策を歪めようとする政治権力の排除が大きなテーマだった。政界がターゲットだった。そしてグローバル化の波の中で市場の求めるルールとのギャップに取り組んでいくなかで、司法制度改革や市場経済に対するチェックとバランスの再構築という重大な課題について官僚である検事に委ねていいかという疑問にこたえようとした書である。結論は、検察には国民の絶対的な信頼があり、制度面でも検察側に圧倒的に有利にできていた。特捜警察が政治家を逮捕すると、実質てr機にその時点で社会的制裁を受ける、それは裁判制度とは別の制裁システムとして働いてきた。国民は自民党一党支配すなわち実質的な官僚支配を容認し、その構造を破壊しかねない自民党議員の官僚へのちょかきをチェックする役目を果たしてきた。検察官僚が取り組んできた司法制度改革は、官僚機構を温存しつづ、近代化、合理化しつつ、徐々に国民を統治の主役に変えていくスタイルになった。しかし、検察へのチェック体制は機能してきたとは言い難い。自らがチェックされないという構造自体が検察・法務の「市場検察」化における最大の矛盾となる。以上が主旨である。検察も官僚機構の一部であるということだろう。ところで、司法制度改革も検察官僚の主導で行われてきた。「法の支配」に貫かれた事後チェック・事後救済型、つまり「市場型社会」に日本が変わるために、司法の仕組みを変えるという問題意識で始まっている。2001年12月に司法制度改革推進本部(総理が本部長)を設置し、裁判員制度、法テラス、法科大学院を3本柱に進めてきた。事後チェック・事後救済型になると、持ち込まれた紛争を引き受けるシステムも容量もなく、社会が機能不全になるか闇の世界がの役割が大きくなるから、インフラ整備としての司法制度改革が必要ということになった。筆者は、01年のKSD事件、04年の日歯連事件の政界捜査との取引で司法制度改革が成立したのではないかとの疑念も持っている。本当のところはわからないが、よく目を凝らしていないといけないということはわかった。市場検察
2009/03/29
コメント(0)
一職を得れば一職、一官を拝すれば一官、心頭を離れず、ひたすらにそれをつとめしのみ、他に出世の秘訣なるものならず。(豊臣秀吉)日本史上最高の出世物語を成し遂げた太閤・秀吉が漏らした意外な出世の心得である。天才・信長から投げかけられる難問をその都度全智全能を振り絞って、誠心誠意解こうとした若き秀吉の心根が伝わってくる。異例な出世は、結果だったということだ。迷うことなく二十四時間仕事に没頭する、それが日本一の出世男の成功の秘訣だったのだ。--------------------------仕事はなんでもいい。一生けんめいに生きている人の顔はみんな美しい。美しい顔になりたい(相田みつを)人の心は、顔にあらわれる。うつろな心に人は空虚な顔になり、やましく生きている人は卑しい顔になり、不平を鳴らしている人は不平顔になる。どのような仕事でも懸命に力を捧げている人がいるが、そういう人にはみなぎる力が宿っている。そういう人と付き合うことは楽しい。そういう人になりたいものだ。----------------------------人を相手にせず天を相手とせよ、天を相手にして己を尽くして人を咎めず、我が誠の足らざる尋ぬべし(西郷隆盛)どのよう組織でどのような仕事をしようと、人間ジャングルの中で悪戦苦闘していくのが私たちの日常である。苦手な上司、理屈の多いライバル、批判的な目で見つめる部下、、、。戦うべき相手は周りの人間である。そうした人たちの反応に一喜一憂する、邪魔する人を非難する、、。だから私たちの心にはいつもさざ波が立っている。大いなる使命を意識して、自らを反省し次の行動を起こしていくということに徹すると、澄み切った青空が見えてくる。-------------------------今ふりかってみると、まずしいながら私だけの作風をやっとつかむことができたのは50歳になってからである(遠藤周作)「私だけの作風」、何という気持のいい言葉だろうか。私たちには、いくつの「私だけの」ものがあるだろうか。人生とは、私だけのものを創り出す道程である。----------------偉い人の言葉と私の解説、にトライしてみました。コメントを書く
2009/03/28
コメント(2)
16時から品川キャンパスで大学戦略会議。今回から学長室長として司会を担当。野田学長代行最後の会議であり、「所感--学長代行退任に当たって」という文書をもとに、1年間の地ならしの過程で気がついた大学運営の問題点の指摘と、本質の提示、解決の方向について詳しいお話があった。最後に寺島実郎次期学長から総括的な意見表明があった。終了後、寺島さんと二人で車で新宿へ向かうが、年度末の金曜日ということもあり、道路が混んでいて18時半までには目的地の新宿京王ホテルには到着しない。この間、ゆっくりと話をすることができた。19時からは、新宿京王ホテルの47階で大学教職員懇親会。寺島さんのあいさつ(地盤をしっかりかためて、心を込めて職責を果たしたい)、野田先生のあいさつ、田村理事長のあいさつ、そして永年勤続表彰ということで、20年、10年勤続の教職員の表彰が行われた。今泉先生、星野克美先生、尾崎総務部長が20年、ということは創立以来の教職員ということだ。松林グローバルスタディーズ学部長、紺野登先生、田坂広志先生、多摩大総研の松本先生、中庭先生、学園本部の田村常務理事らと親しく歓談することができた。最後は、野田先生のご挨拶だったが、やはり聞かせる。マスコミなどの三次情報に惑わされずに、自分の経験と勘という一次情報を頼りにして、人と会うことによって得られる二次情報を大切にして、自身がとるべき道を選べ。経済危機、金融危機などは危機ではない。危機とは首都の破壊だ。日本史上、600年前の応仁の乱の京都破戒、大正時代の関東大震災、第二次大戦の東京大空襲の3回あった。今の日本はそういう危機とは全く違う状況にある。敗戦後の日本はには生き残ったという幸福感と、秩序と活力があった。誠実、几帳面、勤勉さがあった。今の危機は大した危機ではない。アメリカのルービンは許せない。今日の得は自分のもの、明日の損は他人のものというやり方。こんなものは経済学ではない。信用に基づく取引ではない。経済学者などが「間違っていました」というのは許されるものではない。経験と勘を頼りにしてほしい。終了後、管野光公先生と樋口裕一先生とコーヒーを飲みながら歓談。自宅に戻ってテレビ朝日の「報道ステーション」をつけると、寺島実郎さんが出ていて、政局や労働問題にコメントしていた。番組終了後、寺島さんから携帯に電話がある、明日から海外ということだ。
2009/03/27
コメント(3)
汐留には資生堂のビルが3棟建っている。その中の一つで2時間ほどの講演。対象は、国内化粧品事業の事業企画部の大前部長以下スタッフ約100人。参加者の部署名を記してみる。マーケッティング戦略室-宣伝媒体・商品マネジメント・商品エンジニア・商品PR・商品PR・マーケッティング戦略 事業マナエジメント室---販売業務・販促物購買 事業管理---------------売上管理 店頭企画室-------------売場開発・システムS・SBU流通S・RS活動S 美容統括室-------------BC活動企画 営業戦略室-------------計画管理・企画推進・営業研修 SBU-----------------スキンケアU・ヘアボディメンズU・メキャップU・リレーショナルBU・通販事業U 経営企画部-------------コミュニC企画・業務改革・経営企画 資生堂ビジネスS--------テクニカルサポート部(薬事・品質管理・表示)組織流通部--------------営業サポート・企画推進専門店部----------------企業型専門店営業ロジスティック部--------需給統括・供給2この事業企画部は総勢200名以上の大きな組織で、こうやって参加者の部門名を並べてみると、一つの企業の本社部門がワンセット揃っている感じだ。部や室やユニット、グループの名前を眺めてみると様々な面から事業をサポートしている様子が見えるようだ。この業界でも従来型のビジネスシステム自体の弱体化に面しており、情報を見分け、課題を抽出し、構想力するという「考える力」を磨くことが重要となってきている。そして効果的で効率的な働き方も求められている。景気の動向には直接の影響を受けない業界ではあるのだが、今回の経済危機においては一気に大きな落ち込みになっているとのことである。化粧品業界では、カネボウを吸収した花王、P&Gなどが競合関係にある企業。終わって、10数人の方々と懇親会。いくつか質問に答えながらビールでのどをうるおす。今回の講演は一連のシリーズの一つで、毎月さまざまな分野の講師を招いている。フジマキジャパンの副社長のふ日真紀幸夫、京都女子大学准教授の西尾久美子、資生堂美容専門学校校長の永嶋久子、演出家・劇作家の鴻池尚史、グロービス代表の堀義人、東大の妹尾堅一郎、ロランドベルガー会長の遠藤功、バイオリストの千住真理子、多摩大の野田稔、リッツカールトン日本支社長の高野登、慶応ビジネススクールの山根節、雅楽師の東儀秀樹、コーチAの鈴木義幸、早稲田ビジネススクールの山田秀夫。以上がここ1年半の間に呼んだ講師のリストだが、演題もあわせてを見ると、優良企業の企画部門の学びニーズがわかるようだ。
2009/03/26
コメント(0)
本日の日本経済新聞夕刊の「フォーカス」に寺島実郎さんの多摩大学長就任関係の記事。「多摩大学長に就任、企業勤めと兼任生活に 寺島実郎氏」、「産官学の「境界人」めざす」。学長としてまず二つの事業に力を入れる。一つはリレー講座。二つ目は都心の新設する「九段サテライト」で少数の学生をじっくりと指導し日本の知的基盤を充実させたい。、、、、。----------------SPYSEEという、ウェブ上から人と人の関係を見つけ出して見える形にするサービスがある。人脈を「見える化」するということを目指していて、なかなか面白い。現在の登録人数は、304,294人で、その人に関する「つながり」人数は、28,643,923人。http://spysee.jp/俳優、タレント、お笑い、ミュージシャン、芸術家・作家、スポーツ、政治家、官僚、ビジネス、学者・研究者、歴史上の人物、キャラクターという分類になっている。「いま、話題の人」では、斉藤祐也、辻昌建、内川聖一、庄司智春、岩隈久志、松村邦洋、原辰徳、陣内智則、岩崎恭子、真野恵里菜、藤本美貴、藤原紀香など。斎藤裕也などのラグビー選手、 内川・岩隈などのWBCメンバー、藤原紀香と陣内智則など話題のカップルなどがアップされている。自分の名前を検索する。http://spysee.jp/%E4%B9%85%E6%81%92%E5%95%93%E4%B8%80画像検索でホームページやブログに出ている自分を含む写真が出てくる。プロフィール。 「タグ」という分類項目では、「学者・研究者」「多摩大学」「宮城大学」。 人とのつながりで出てくるのは、野田一夫、寺島実郎、勝間和代、高井伸夫、小宮一慶、和田裕美、そしてそれぞれの人の先に、ドラッカー、糸瀬茂、小杉泰、松山真之介、本田直之、岡本行夫、朱建栄、ブライアン・トレーシーなどの人たちの写真が並んでいる。「久恒啓一」をもっと知る、というコーナーでは、「つながり」として梅棹忠夫、桐野夏生、高塚猛、寺島実郎、高井伸夫、野田一夫、和田裕美、小宮一慶。 「つながり」の成分として、3割が「学者・研究者」、2割が「ビジネス」、2割が「宮城大学」、その後、「芸術家・作家」、「早稲田大学」と続く。 「キーワード」では、組織・団体として「三笠書房」「多摩大学」「日本航空」。「その他」として「知的生産」「自己表現力」「通勤電車」「図解」「翻訳出版」「箇条書き」「美イネスマン」「プレゼン」、、、。 自分の「動画」もある。 「ウェブページ」、「最新ブログ」。 ふーん、ウェブの世界では、こう見えるのか、、。何人か、引いてみる。坂本龍一http://spysee.jp/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E9%BE%8D%E4%B8%80渋沢栄一http://spysee.jp/%E6%B8%8B%E6%B2%A2%E6%A0%84%E4%B8%80小沢一郎http://spysee.jp/%E5%B0%8F%E6%B2%A2%E4%B8%80%E9%83%8E河合隼雄http://spysee.jp/%E6%B2%B3%E5%90%88%E9%9A%BC%E9%9B%84司馬遼太郎http://spysee.jp/%E5%8F%B8%E9%A6%AC%E9%81%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E後藤田正晴http://spysee.jp/%E5%BE%8C%E8%97%A4%E7%94%B0%E6%AD%A3%E6%99%B4
2009/03/25
コメント(0)
![]()
ある案件があって午前中は六本木と赤坂のビルをいくつか見て回った。昼食は、野田事務所。午後は、M出版社と現在進行中単行本企画の原稿をチェックしてもらいながら今後の相談。6月出版のスケジュールになる。他に既刊本の文庫化の話と新たな企画案も浮上。途中、ワールドベースボールクラシックの日韓戦の経過をアイフォンでチェックしながら一喜一憂。最後は当初の私の予感通り(?)イチローで突き放し優勝。まさにサムライ軍団。大相撲とは随分様子が違う。---------------------------------------------夜は小沢一郎民主党代表の続投の記者会見をみる。この件は、最新の情報と独自の見解を載せている新党大地の鈴木宗男議員のブログをずっと興味深く読んできたので、事件の構図が見える気がしている。http://blog.goo.ne.jp/kouich3big 新聞報道とは随分と違う図柄である。以下、「宗男日記」から一部抜粋。-----西松献金事件で逮捕された大久保容疑者について、「前任者も談合関与か」と報道されているが(東京新聞1面)、私が以前から指摘している様に、大久保秘書の前任者である高橋嘉信元秘書が西松建設との献金枠組みをつくり、更に仕事にも関係していたと言われている。大久保氏は単に引き継ぎをしたに過ぎないと、もっぱらの話である。 この高橋嘉信氏が岩手県自民党第四選挙区支部長であり、次期衆議院選挙での立候補予定者である。小沢代表の秘書をし、小沢代表のおかげで国会議員にもなれた男が、今度は自民党の候補者として小沢代表の出ている選挙区で争うというのは、尋常ではない。 この高橋氏が何を、どんなことを話しているのか。検察が間違った情報で動いたとしたら、とんでもないことである。報道では「元秘書」となっているが、それは紛れもなく高橋嘉信氏である。それなのになぜ名前を出さないのか。この点も不可解である。 元秘書は「献金の仕組みづくりや検察に関わったことはない」と言っているが、これが正直な答えだとは考えにくい。高橋氏が上申書を出したという話も伝わってくる。 この高橋氏が何をしていたのかが明らかになれば、西松献金事件もすっきりすることだろう。高橋氏の背後関係も明らかになれば、もっとわかりやすくなるだろう。----歪んだ正義また、本日、宮本雅史「歪んだ正義---特捜警察の語られざる真相」(情報センター出版局)を読み終わった。佐川急便事件、ロッキード事件、造船疑獄指揮権発動事件を題材に検察の動きと裁判を丹念に追った作品。著者は産経新聞記者時代に、検察庁、警視庁を長年担当した人物である。竹下登ほめ殺し事件、仙台市石井市長のゼネコン汚職事件、本間俊太郎宮城県知事汚職事件、金丸信5億円献金事件、鈴木宗男贈収賄事件、田中角栄総理への5億円献金のロッキード事件、佐藤栄作に対する造船疑獄指揮権発動事件などの様子がよくわかる問題提起の書。
2009/03/24
コメント(0)
本日の行動。9時から、学長室ミーティング。(多摩)11時から、大学ホームページ打ち合わせ。(多摩)13時から、税理士事務所と打ち合わせ。(自宅)16時から、財団法人日本総合研究所理事会・評議員会。(赤坂)19時から、出版プロジェクトキックオフの集まり。(品川)写真「今日の一枚」は、池の木の枝の上で甲羅干しをするカメ3匹。--------------------------------------------------------あるメディアで「グレート・コミュニケーター養成講座」と題した多摩大学教授陣のリレー執筆を始める。第1回は私の担当なので、帰宅後書いてみた。図を含め1000字。第1回:図解コミュニケーションへの招待 本講座は、ビジネス・コミュニケーション能力に秀でた「グレート・コミュニケーター」を目指すレッスンである。コミュニケーション力を、理解力・企画力・伝達力の総合力と定義すると、理解力と伝達力は他人とのコミュニケーション、企画力は自分とのコミュニケーションであり、これらの3つの力のレベルをバランスよくあげることによって、私たちはグレート・コミュニケーターへの道を歩むことができる。まず、第1回は「図解コミュニケーション力」がテーマである。ビジネスの現場におけるコミュニケーションは文章と箇条書きによる情報伝達が主流である。それがあらゆる職場の混迷の主犯である。まず文章最大の特徴はごまかしがきくということである。書いた本人がよくわかっていないのだから、相手はわからないのは当然である。また箇条書きでは各項目同士の大きさを表すことはできない。重なりも表すことはできない。因果関係も表すことはできない。したがって、現実を的確に示すことはできない。大事なことはそのキーワード同士の「関係」である。文章と箇条書きを中心としたコミュニケーションには大きな欠陥があることは明らかだ。そこで、図解を用いたコミュニケーションに舵を切りたい。地の中に図が浮かび上がってくるものを地図という。情報を扱う仕事のシーンでは現場の中から浮かび上がってくる地図の図柄の見極めがポイントになる。図を描くことが現状理解であり、図を修正することが改善・企画であり、図で説明することが強力な伝達となる。図は全体の構造と部分同士の関係を表すことができる表現手法であり、私たちは対象に対して「腑に落ちる」という感覚を手にすることができる。全体を俯瞰する見晴らしの良い視力、部分同士のつながり・関係を見出す洞察力磨くことができる。文章地獄、思考を停止させる箇条書き文化、その結果としての人間関係の悪化、、、。そういった風土を刷新するために、丸と矢印を用いた図解コミュニケーションによる自由で闊達で気持のよいコミュニケーション活動の世界に入りたいものである。
2009/03/23
コメント(0)
堂本印象は、1891年に京都で生まれ、京都市立美術工芸学校図案科を卒業し、三越図案部を経て、龍村平蔵工房で図案をかく。この工房で8年間いたあと、絵画専門学校に入学する。この時点ですでに27歳になっていた。そして翌年から始まった第一回帝展で入選して以来、画風は変えながらたゆまず絵を描き続ける。後に1961年に文化勲章を受章する。京都市立堂本印象美実館は、白い壁に印象らしい造形が表現されている珍しい建物である。できた当時は物議をかもしたらしい。美術館に入ると、「この館は神仏や善意に充ちた多くの人びとからの贈りものである」と印象自身が記した1966年の言葉が目に入る。この美術館は本人が隅々まで目を配って生前(75歳)に完成した珍しい美術館である。1955年の福井地方裁判所エントランスの「楽園」というステンドグラス、1963年の玉造教会(大阪カテドラル聖マリア大聖堂)の「栄光の聖母マリア」には、高山右近と細川ガラシャ夫人が描かれている。「メトロ」。61歳で画風の刷新をはかるべくヨーロッパに旅立ち6か月を旅に費やしたあとに発表した作品。日本画とヨーロッパの抽象画の融合。以下、印象に残った絵。「回帰」「交響」。シンフォニー。「楽譜を私なりに解釈して、絵の中に私の交響曲を表現したい」。代表作。交錯し、重なり、結合する線の濃淡が三次元的空間を創り出す。墨や絵具の飛沫や背後に沈潜する多彩で微妙な色彩とともに、それらの波動はそのまま音に置き換えることすら可能である。(「堂本印象の世界展」の解説より)「華」「無間知覚」「無明」「調律」「桜杉木立屏風」。抽象表現と日本的な花鳥風月の世界の装飾的融合。デザイナーとしての類まれな資質がうかがえる。「光輝」「聖家族」「煩悩」「生起」「風神」。新しい風神雷神。西洋人は「じっくり描いた極彩色のものよりも、速度のある墨絵に興味を持っている」と確信。この画家は、生涯において画風の変遷があるのだが、一方で日本各地の古寺名刹、神社に約600面に及ぶ障壁画を描いているのも特徴である。画題は100。高野山金剛峯寺の十六大菩薩、信貴山成福院、浅草寺天人、平安神宮の女郎花と鹿、東寺(教王護国寺)、仁和寺の松と鷹、、。華麗な画風に加えて、大作が得意で、画域が広いからだろう。印象は部類の読書家で、多方面の書物を読み、深い知識を持っていて、それがとりあげる画のテーマの広さにあらわれている。でも、私にはレオナルドが、ミケランジェロが友達だ、、 仏画を描いているときは、行に入ったとでもいうか、気持が非常に純粋である。 最初にそれがとても至難だと思われるものを、屈服せずにやり遂げると、それは必ず至難ではないものであることが分かる。(大作とは) 建築や音楽と同じく面積や容積と音だけの組合せであれだけ美しい感情を表すように、絵も線や点や色の濃淡だけの構成で本質的な作品が生み出される。
2009/03/22
コメント(0)
京都市左京区岩倉上蔵町にある維新の史蹟・岩倉具視幽棲旧邸を訪問する。財団法人岩倉公旧蹟保存会が管理している。維新の英傑の中で公家として活躍した岩倉具視(1825-1883年)については、薩長のリーダーに隠れてなかなかその実相を知る機会はなかった。岩倉は新政府において参与、議定、大納言、右大臣等をつとめ、1871年(明治4年)特命全権大使として大使節団を率い欧米を約1年10か月にわたって視察する。明治維新がなったのは1868年だから、岩倉は43歳にときである。岩倉具視は、皇女和宮の将軍(家茂)家降嫁など公武合体を掲げて尽力したが、倒幕急進派の誤解を受け弾劾され、官職を辞し剃髪のうえ洛中より追放され、11代前から縁のあったこの地に幽棲する。1862年から1867年まで5年四余を過ごしたところだ。「終日掃除ノ処古家ニシテ実ニ住居ナシ難し、兎ニ角落涙ノ外ナシ」と日記にあるように、男盛りの38歳から43歳までを過ごした場所である。ここには、大久保利通、中岡慎太郎、坂本龍馬ら明治維新の志士たちが訪問し、王政復古に向けて密議を行ったところである。「鄭雲軒」という額のある日本間の障子はガラス障子という当時としては珍しいものだった。お手植えの松も庭にあるが、全体としては粗末な家だった。今現在この家は200年近くになる家屋である。2棟が続く家屋を回ると、「対岳文庫」に出る。今は資料館として使われている。この文庫の岩倉具視関係資料は1011点が重要文化財に四t礼を受けている。比叡山と対峙する岩倉村にいるという意味で自らの雅号を対岳と称していた。征韓論ンに敗れ下野した高知県士族武市熊吉ら9人が、征韓論論争を主導した右大臣の岩倉を襲った赤坂喰違事件で重傷を負い一命をとりとめたときの衣服・携帯品が展示されている。眉の下と左腰に負傷したが、皇居の四ツ谷濠に転落し襲撃者たちが姿を見失ったため、一命を取り留めた。文箱、下駄、水筒、、、。岩倉具視直衣姿の写真は教科書などでよくみた正装の写真だ。「岩倉公実記」。「米欧回覧実記」(久米邦武:1839-1931年・久米美術館)には、「観」と「光」の大きな文字が書かれてあった。明治天皇岩倉公邸親臨之図という絵があった。この親臨の翌朝岩倉は59歳で死去、国葬となった。手に入れた「国際舞台への日独登場 岩倉使節団--日独交流史展」という小冊子には5代目の子孫で岩倉公爵旧蹟保存会会長の岩倉具忠氏(京都外国語大学教授)のインタビューが載っている。この具忠氏の貴族風の風貌の写真をみて日航時代に二人の岩倉さんを思い出した。一人は新入社員時代の上司であった具二氏。もう一人はロンドン時代に4年ほど先輩だった人でこの人も「具」という字がついていた記憶がある。岩倉具視の伝記と、米欧回覧実記を読みたい。品川区大崎にある久米美術館は、この邦武の資料と画家であった長男の桂一郎の絵を保存している。次の人物記念館訪問は、ここにしたい。
2009/03/21
コメント(0)
10時から、大学で卒業の集い。14時からは、京王プラザホテル多摩で謝恩会。野田学長代行・職業は能力を社会に結びつけるもの ・自分のプロジェクトを持て ・希望、志を大事に 杉田教務委員長 諸橋学部長の代行で挨拶グレゴリー・クラーク名誉学長(現在、国際教養大学副学長。72歳) あなたたちの人生はあなたたちが想像できないくらい長い 桜井誠後援会会長社会人にとってどういう能力が大事かという調査。いろいろあったが共通していたのは、「コミュニケーションが大事」ということだった。 鈴木信夫同窓会会長・3期生。OBには、IT系社長、国立大学准教授、一部上場企業執行役員などがいる。 ・異口同音に言うのは「多摩大の教員が素晴らしい」ということ。 ・「現代の志塾」に沿って、ゼミ、サークルのOB会もつくっていきたい。 藤田倫太郎卒業生代表 落ち着いた話し振り。田村邦彦理事長(常務理事が代読)・身についた「良識」が問題解決を生み出す。 ・多摩大は志を育む現代の志塾です。 野田先生、鈴木同窓会長、田村理事長の挨拶の中に、「志」という美しい言葉がが入っていたが、「現代の志塾」をテーマに今後は多摩大のもっと多くの関係者がこの言葉を使うようにしていきたいものだ。
2009/03/20
コメント(0)
朝食を野田先生を囲み出張同行者全員で食べながら情報交換。これで仕事は終わり。地下鉄とタクシーを乗り継いで左京区岩倉の岩倉具視幽棲旧宅を訪問する。詳細は別途報告。次に、立命館大学の正面に建つ大正-昭和時代の日本画家・堂本印象美術館を訪問する。詳細は別途報告。そのついでに立命館大学構内を少し歩く。数年前に訪れた末川記念会館があった。この中に名学長として著名だった末川のメモリアルルームがある。会館の向かい側には末川博の「未来を信じ、未来に生きる」の石碑が建っている。この大学は、学祖は西園寺公望である。1869年に邸内に開いた私塾に始まり、その公望に生涯師事した中川小十郎が1900年に始めた京都法政学院が源で、1913年(大正2年)に立命館大学と名前を変えている。「よう寿たがわず 身を修め以て之を俟つは 命を立つる所以なり」とういう孟子の言葉から命名したものだ。同志社は新島襄、立命館は西園寺公望、慶応は福沢諭吉、早稲田は大隈重信、と私立大学にはそれぞれ学祖の存在がある。「学祖と建学の精神」を大事にすることが重要だ。前回休館中だった右京区の美空ひばり館がオープンしたということだったので行こうと思ったが、新幹線の時間との関係であきらめる。京都府は、西田天香、小松均、乃木希輔、真下飛泉、松下幸之助、美空ひばりとあと6館を残している。18時前に東京に着き、駅にある15分マッサージを受けてすっきり。18時45分から新丸ビルの21CクラブでE出版者と打ち合わせ。一緒にプロジェクトを遂行するKさんと1時間ほど企画の話が弾む。このプロジェクトが成功するとその先に面白い世界が待っている。
2009/03/19
コメント(0)
朝8時半発のJAL便で大阪へ。甲南大学西宮キャンパスCUBEの見学が目的の出張で、野田学長代行・菅野教授・豊田准教授・矢内事務長・高野課長と私の6人で西宮駅前に一棟まるごと新キャンパスという画期的な新学部(マネジメント創造学部)をみる。2512.23ヘーベの土地に、11,520.69ヘーベの延床面積のすばらしい空間ができあがっていた。地上9階建て。4月からの学部長予定者でこのプロジェクトの推進者である佐藤学長らから熱心に説明を受ける。社会人に本当に必要な共通する力として、「コミュニケーション力・コラボレーション力」「論理的思考力」「思考を飛び、越える力」「パーソナルクオリティ」の4つをあげていて、ぞの総体を総合的マネジメント能力と呼んでいる。CUBEスタイルとして「プロジェクト型学習」「リベラル教育」「英語環境&英語教育」「フィールドワーク」。カリキュラムの中核は「プロジェクト型科目」だ。携帯でかざして開けるロッカー、昼休みがないカリキュラム編成、窓が多い設計、ガラスをふんだんに使った開放感のある教室、教室や溜まり場にある机とイスはオフィス家具のショうように一つとして同じタイプのものはない、アイフォンなどでプレゼンができるというIT環境、常時BBC放送が流れている英語スペース、教室の壁はすべてホワイトボード、本を読ませるためのやや暗い空間を持つメメディアスペース、ブラインドスペースのない空間配置、いずれ学生が店長をやるキオスク、階ごとに違う配色のカラーコーディネート、学生によるキャンパスツアーガイド、学生との隔て感のない事務スペース、フリーアドレススタイルのスタッフ、、、、。徹底した少人数教育を行うというソフトにあわせて考え抜かれた妥協のないハードという印象を受けた。入学予定者の話を聞くと、競合はないというオンリーワンの大学である。内外とのコミュニケーションを中心のデザイン。熱意とバイタリティ、妥協のない設計、、。佐藤イズムが施設の隅々まで行きわたっている空間だと感銘を受けた。注目すべきキャンパスである。------------御影の「蘇州園」で昼食。旧財閥の別邸であった絢爛豪華な純日本風建築と美しい庭園。それがレストランとなっている。新神戸から京都に出て、駅前のホテルで野田先生を囲んでミーティング。夕食は旧竹内西鳳邸を使ったレストラン、ガーデン・オリエンタルで野田先生の女友達であるハープ奏者・ちひろさんも加わって楽しく歓談する。二次会は京大山岳部出身の菅野先生の案内でカラオケを楽しむ。
2009/03/18
コメント(0)
朝は、多摩キャンパスで9時から学長室ミーティング。トライアルで役職者と事務局スタッフを中心にに配布していた全学スケジュールを、本日より全教授陣に配布。昼食は、赤坂の野田事務所で野田一夫学長代行から寺島実郎次期学長への引き継ぎに陪席。未来に向けてすぐに動かねばならない案件も出てきた。午後は、東京駅前の新丸ビ10階にある21Cクラブで久しぶりに過ごす。このクラブは会員制クラブで仙台時代には私の東京オフィスとして使っていた場所だが、最近はご無沙汰している。途中でオアゾの丸善で本を物色。新著「タテの会議 ヨコの会議」はいいところに配架されていた。いろいろな本をみているうちに取り掛かっている本を書く意欲がじわっと湧いてくる。17時から銀座の貸会議室で一時間強、多摩大ホームページの4月1日からの全面リニュアルのためのデュナミスとカヤックとの打ち合わせ。遅れていたが、このところの突貫工事でだいぶ姿がみえてきた。18時半から、銀座の中華料理店で会合
2009/03/17
コメント(0)
寺島実郎監修リレー講座の春学期のラインナップが固まりました。申込http://www.tama.ac.jp/info/lecture_relay2009.html2009年の世界は、単なる「同時不況」「経済危機」というよりも、本質的な意味での構造転換に直面している。「外は広く、内は深い」という鈴木大拙の言葉のごとく、より広い視界で世界を見渡し、より深く自らの立脚点を見つめる視座が求められる。この講座では、我々が生きる時代を的確に認識するために、時代の抱える問題点を正視し、誠実に発言している論者を招き、受講者が時代を生き抜くための「考えるヒント」を提示したい。寺島実郎--------------------------------------2009年度春学期スケジュール4月16日 寺島実郎 多摩大学学長 2009年という時代--世界史的転換期として 4月23日 沈 才彬 多摩大学経営情報学部教授 今後の日本経済の行方 5月07日 山内昌之 東京大学大学院教授 テーマは調整中 5月14日 渡部恒雄 東京財団研究員 オバマ新政権の行方を読む 5月21日 寺島実郎 多摩大学学長 世界潮流の中での日本---日米関係とアジアへの視点座 5月28日 天江喜七郎 元駐ウクライナ大使 ロシア「帝国」の復活を考える 6月04日 財部誠一 経済ジャーナリスト メディアを疑え 6月11日 諸橋正幸 多摩大学経済学部長 テーマは調整中 6月18日 江川紹子 ジャーナリスト 新聞の読み方・テレビの見方 6月25日 岸井成格 毎日新聞特別編集委員 文明の岐路に立つ世界と日本 7月02日 浅野史郎 慶応義塾大学教授 テーマは調整中 7月09日 寺島実郎 多摩大学学長 日本創生への視座--日本はどう進むべきか ------------------------------------------午後は、「知研」の新しいプロジェクトの取材を自宅で受ける。秋田、近藤、横野、幅、田村、幅の6人からの取材、そしてインタビューの作法について教える形になりあました。あっという間の2時間半。夕刻は、赤坂の野田事務所で、管野、出原、杉田、下井の各先生たちと野田先生を囲んで懇談。
2009/03/16
コメント(0)
朝から夕方まで、NPO法人知的生産の技術研究会の理事会、総会、懇親会。11時半から、市ヶ谷のデニーズで理事会。八木会長、高野福理事長、秋田理事・事務局長、横野理事、小林で総会にかける案の最終検討を行う。15時半から、ルーテル市ヶ谷で総会。この会場は知研が20年ほど前まで使っていた会場で懐かしい。次第は下記。2008年度活動報告 2008年度決算報告 2009年度活動方針 2009年度予算審議 定款の一部改正 理事の退任と新任 永年会員への感謝状贈呈 新会員紹介 終了後は、ウェブ時代への対応を中心に活発な議論。会報はハイブリッド化の方向。17時から、近くの「みひろ」で懇親会。19時まで。
2009/03/15
コメント(0)
土曜日は、朝から学部教授会、大学院学位授与式、大学院謝恩会と続く。学位授与式。(29名の修士。全員が社会人)野田学長代行挨拶から。企業経営で大事なのは、経営学が対象としない感性、経験、人柄などだ。高度な実学が必要。 間違ったら学者は懺悔の書を書けばいいという人もいるが、実務家は責任を取らねばならない。 ミッツバーグが書いた「MBAが会社を潰す」という本があるが、そういう自覚のもとに新しい人生を構築していただきたい。 コミュニケーションが大事だ。態度、物腰、服装、意欲、熱意、こういったもので人はその人の話を聞く耳を持つ。 多摩大学は「小さくても個性的な大学」を目指した。大学院は「一業を起こし、一業を託される人材」を育てることが目標だ。 そういう人材は学者にはいない。学者には分野(マーケッティングなど)があるが、経営者は全部できないといけない。 橋本研究科長コミュニケーションが大事。受発信。アウトプットが必要。 同窓会副会長・堀晃一(大学院4期生)HSBCの香港上海銀行シニアバイスプレジデント。世界最大の銀行。世界で唯一黒字。日本では最高益をあげている銀行。 大学院で学んだことは、プロフェッショナルビジネスマンとして成功する哲学、スピリッツ。 クレディセゾンから東京スター銀行(リバースモーゲージの開発)、そして今はHSBC(リテールビジネスの立ち上げ)。 10年後、日本の金融業を変える 大学院で学んだことのお返しは、世の中で活躍すること、社会を変えること。 大学院生代表・谷口(25期)本日卒業の24期生の志に刺激を受けた。 修士論文を書き上げることは大変なことだ。 ヘッドハンティングで、ミスミに転職する。 多摩大ブランド。終了生代表・山中健司アサヒビール。 学び方を学んだ 師匠と呼べる先生に出会った 野田代行「成功とは何か?」。成功の反対は、失敗ではない。何も目指さないことだ。成功している人で失敗していない人はいない。 ------------------謝恩会(新宿センチュリーハイアットホテル)野田代行どの経営学の本にも「運」を扱ったものはない。しかし今まで会った名経営者、松下幸之助、本田宗一郎、盛田昭夫など全員が「運がよかった」と言っていた。みんな強運だということを信じている。 経営学は、運もそうだが、愛や勇気なども排除している。 学者とはそういう目に遭ったことがない人種だ。 運とは何か。 1.運は、信念である。(運が強いと信じていると運がついてくる)2.運は、準備である。(準備のある人は運・チャンスを見逃さない)3.運は、つながりである。(いい運といい運をつなげるとさらにいい運が舞い込んでくる)今日は、朝の教授会での爆弾発言から最後の謝恩会まで、冴えわたる野田ブシのオンパレードだった。
2009/03/14
コメント(0)
品川の大学院キャンパスで10時から開催された研究開発機構評議員会に出席。多摩大学は6つの研究所を持っている。その代表者が評議員となって研究開発機構を運営してしているという形になっている。研究開発機構のトップ(機構長)は、母体である田村常務理事。以下、6つの研究所。多摩大学総合研究所:地域経営に関する研究と教育。北矢行男所長 多摩大学ルネッサンスセンター:40歳代CEO養成講座・ビジネスリーダーを養成。中谷巌センター長 多摩大学統合リスクマネジメント研究所:統合リスクマネジメントの概念を学問的に研究。河村幹夫所長 多摩大学情報社会学研究所:情報社会を研究対象・研究、教育、社会的実践。公文俊平所長 多摩大学ロジスティックス経営・戦略研究所:競争優位のロジスティックス・経営的、戦略的、学際的な調査研究・教育研修。水嶋康雄所長 多摩大学知識リーダーシップ総合研究所:新たなリーダー像や働き方の研究:紺野登所長 2008年度事業報告と2009年度事業計画の報告と承認。人事案の承認。多摩大学総合研究所は北矢行男所長が退任し、私が後任に。研究所の名称変更。ロジスティックス経営・戦略研究所を、サプライネットワーク・マネジメント研究所に名称を変更。大学本体とのシナジー効果を高めることが課題。------------------------午後は横浜駅近くにある日産自動車人事部を訪問する。通い慣れたビルの7階。今年秋には完成する社ビルが見える。関連会社の管理職登用候補者の研修の相談を受ける。年間研修の一部を受け持って欲しいという案だったが、以前日産自動車でやった私の方法論で一年かけて幹部候補を徹底的に育成するという方向ではどうかということになる。単発で研修を行うのはつまらない。どうせやるなら一年かけて優れた管理職を育てるというテーマに取り組むのも面白い。本社人事部も関連会社人事部も担当者は女性である。しっかりした考え方と人材育成に対する強い情熱を持っていることに好感を持った。------終了後、渋谷へ出て久しぶりに家族4人で食事。
2009/03/13
コメント(0)
多摩市役所の須田雄次郎・広報広聴課長とNPO法人フュージョン長池公園の富永一夫代表が多摩大学に見えて一時間ほどいろいろと話をする。多摩市とは寺島新学長就任後の多摩大学との今後の連携の相談を行う。学生や教員が地元の多摩市を中心とする多摩ニュータウンをフィールドとしてどんどん出ていけるような仕組みや仕掛けをつくっていきたい。多摩市 http://www.city.tama.lg.jp/渡辺幸子市長 http://www.city.tama.lg.jp/shichoshitsu/index.html富永さんは40代の初めあたりから多摩ニュータウンに関わっている方で、このあたりの歴史、人、組織にめっぽう詳しい。こういう方に先導をしてもらって、地域との強固な関係を築いていきたい。本を頂いたので読んでみた。私の住んでいるところのすぐ近くにある手入れの行き届いた里山のある長池公園の指定管理者をこのNPOが担っていること、そしてそこにいたるご苦労と素晴らしい活動もよくわかった。愛犬を連れて散歩するたびに、このよく整備された大きな公園に感心している。この本によると、人口統計づくりを主導してわかったことは、多摩ニュータウンはイメージとは逆に人口が増加を続けているということである。面白くなりそうだ。 市民ベンチャーNPOの底力―まちを変えた「ぽんぽこ」の挑戦作者: 富永一夫, 中庭光彦 出版社/メーカー: 水曜社 発売日: 2004/08/25 メディア: 単行本 NPO法人フュージョン長池公園 http://www.pompoco.or.jp/
2009/03/12
コメント(0)
教職員が一緒に大学の改革を目指す「多摩大プライド」の何度か目の会合があり、前半は「ブログ講座」だった。最初に私から今準備中の4月1日からのホームページのリニュアルについての報告を行い、オンリーワンサイトのなるための考え方を説明した。志(こころざし)をテーマとしたサイト 図解サイト 空間軸ですべてがみえるサイト 時間軸ですべてがみえるサイト 次に、「学びのプログラム」を中心としたトップページのデザインを披露し、新学長の「寺島実郎ポータルサイト」も提示した。その上で、このホームページを中核として最新情報の開示を継続して行うことにより、多摩大データベースへの進化を目指すことを説明した。また、このホームページの重要なコンテンツとして教職員と学生が一緒に貢献できる場として、「多摩大ブログポータル」を用意しインターネット上でさまざまの情報や感慨を発信して、存在感を高めていきたいと述べた。次に、ホームページを「担当している(株)デュナミスの大上取締役と「はてな」を運営している(株)はてなの山田聖裕さん(京都から駆け付けていただいた)から、ブログの講習を受ける。「はてな」は梅田望夫さんが社外取締役をして応援してることもあって、私も楽天からはてなに引っ越しをしたという経緯がある。このはてなは、比較的若い層が多く、また学校関係者も多い。ブログを開設しているユーザーは90万、よく見ているユニークユーザーは1000万だそうだ。以下、資料と解説に沿って、出席者全員で勉強し、IDを取得に挑戦する。「授業で使うはてな」 はてなダイヤリーをはじめよう!(IDの取得と初期設定編) はてなダイヤリーをはじめよう!(基本操作編) 参加した教職員の皆さんには、開設した最新のブログを使って、今日の講習会の様子と感想を書いてもらいたいなあ。(^^:)さもなくば、このブログに感想を、、、。
2009/03/11
コメント(0)
![]()
10日の日本経済新聞の3面に新著「タテの会議 ヨコの会議」(ダイヤモンド社)の広告が出ました。タテの会議ヨコの会議 ------------------------------9日発売の「週刊ダイヤモンド」3月14日号は連載「学び直しの5冊」最終回。「ドラッカーも哲学も文章読本も図解することで理解が進む」というタイトルです。この4週間の連載で合計20冊の本を紹介しました。「論理はすべて図解化できる。応用編として、さまざまな図解作成の事例をみていこう。こうした課題に挑んでいるのは私ぐらいなので、拙著が多くなるのはご理解いただきたい。」 週刊 ダイヤモンド 2009年 2/28号 [雑誌]出版社/メーカー: ダイヤモンド社 発売日: 2009/02/23 メディア: 雑誌 「図で考えれば文章がうまくなる」(2008年) 「図で読み解く!ドラッカー理論」(2004年) 「大肝!図解 日本の白書」(1999年) 「図解雑学 哲学」(貫成人) 「タテの会議 ヨコの会議」(2009年)
2009/03/10
コメント(0)
NPO知研とタイアップしていた東京工科専門学校の校長だった芦田宏直さん(54歳)http://www.ashida.info/が職を辞して浪人中ということで知研主催で20人ほどが赤坂に集合。この専門学校はテラハウスという呼び方で10年ほど大型のセミナーをやってたが、この会場を提供してもらっていた。ここでは養老猛、藤原正彦、寺島実郎、西和彦などの大物講師のセミナーも開催した。リクルート社員、教育関係会社の経営者、文書管理コンサル、広告の総合商社、専門学校講師、留学コンサル、予備校講師、テラハウス出身の社会人、民主党の元衆議院議員、それに遅れて小渕優子大臣(内閣府特命担当大臣:少子化対策・男女共同参画)も子連れで参加。知研の八木会長の挨拶、乾杯のあいさつは私が担当した。「快活で厳しめの話が好評」「こんなに頭のいい人はいない」「人生の師」「大好きな方の一人」「エッセイスト、教育者、哲学者、商売人、、。ヌエのような存在」「力を与えてくれる改革者」「元祖フリーター」「すばらしい能力」「じゃじゃ馬」「元気」「遠くから見ている人」、、、。(皆さんの人物評)皆さんのあいさつを聞いていると、能力の高さは誰もが認めるところだが、優れた経営者、良き教育者、そして縁を大切にする人という印象である。・私の乾杯のあいさつ。芦田さんと一緒にセミナーを企画し始めたのが1997年頃だから、私は東京から仙台の宮城大学に赴任していた11年間はときどき会うという程度だった。2003年頃に経済産業省の産業人材研究会に参加したとき、野田一夫、玄田有史(東大)、高橋俊介(慶応)、大久保幸夫(リクルート)、私、そして専門学校分野からは芦田さんというメンバーで数回の会議を行ったことがある。芦田さんは論客で、流れを一変させる力を持っていた。また、ITにも造詣が深くホームページでは、映画、社会、政治、思想、紅白歌合戦など多彩なジャンルの評論を続けている教養人だ。哲学者らしく本質論を展開する。日本のあらゆる分野に人材が枯渇している今、芦田さんには今までの業界は舞台が狭かったのではないか。大きい川で泳げば大きな魚になる。今日は大海に出る前祝い。乾杯!・芦田さんのあいさつ組織を辞めるのは難しい。黙って立ち去った。20年間FD(教師の教授法研修)。情報リテラシーの先駆け。ネットワーク教育で先行。教材開発などすべて教員から。教育GPの審査委員。キャリア教育。大学全入時代になり大学はキャリア教育に注力。専門学校として競争してきた。特色GPでも東大の討議力、また人間力、総合力などがテーマとして出てくるようになった。どう考えたらいいか。一人になって学んだことは、組織と経営についてだ。今すぐにどこかに職を得るよりも、今までやってきたことを題材に乾坤一擲の良書をまず上梓するのがいいと思う。
2009/03/09
コメント(0)
いわさきちひろ(1918年生まれ)を記念した「ちひろ美術館」は、西武新宿線上行井草から徒歩10分ほどの住宅地の一角にあった。最後の22年間を過ごし数々の素晴らしい絵や絵本を描いた自宅跡にバリアフリーのいい雰囲気の私設の美術館として建っている。日曜日だったが、女性を中心ににぎわっている。入って右がちひろの作品の複製や本などを売るショップで、左に窓沿いに小さなテーブルと椅子が並べてあり、軽食やの飲み物を摂ることができる。従業員たちはファンなのだろう、よくみるとみんな子どもと花を好んで描いたちひろの絵のイメージのようにいかにも人柄の良さそうな若い人たちである。開館25周年の2002年に公開スペースを2倍に広げている。展示室1は、ちひろの作品を展示している空間である。「ちひろ 花の画集」出版記念で、80種類以上の花の絵がある。チューリップ、バラ、あやめ、あじさい、ひまわり、シクラメン、、、。以下、好きな絵のタイトル。「赤いシクラメンノの花」。添えてあるちひろの言葉は、「去年もおととしもその前の年も ベトナムのこどもの頭の上に 爆弾は降った。、、、、。あたしたちの一生は ずーっとセンスの中だけだったのよ」「野草とスイートピー」は水墨画風。「春と花のこぎつね」「花のダンス」「あざみと子どもたち」「秋の花と子どもたち」「春の庭」。。・すべて「花と子どもたち」をモチーフとしており、花を前方に描き、子供を後方に配した作品が多い。55歳で亡くなるまで9500点の作品を描き続けている。ちひろの作品は酸性紙に描いた作品が多いが、時間と共に色が変化するから、セイコーエプソンの協力でデジタル化した作品も展示してあった。ピエゾグラフという。二本のビデオを観る。はちきれそうな若さのちひろの写真、人柄の良さがわかる笑顔。ちひろの願いは、子どもの幸せと平和だった。意外なことにちひろは共産党員だった。絵という手段で平和の大切さを訴えた人だった。「子どもの四季」「戦火のなかの子どもたち」などの解説があったが、流れる童謡とのハーモニーはよかった。「戦火、、」」の方は、煙の中の子どもの目の表情が切ない。安曇野ちひろ美術館のビデオでは、両親の故郷にある素晴らしい美術館を紹介している。絵本を美術の一ジャンルにしようと世界28カ国127人の画家の絵を蒐集している美術館である。入口の正面の山も建物の景色の中に取り込んでいるのも斬新だ。「立てひざの少年」という絵がよかった。2階の展示室2では、ミュンヘン国際児童図書館の架空の絵本展をやっていた。世界の絵本画家72人が描いた本のない絵が展示されている。2階には、図書室があり、その向かい側にはこどものへやがあり、若いお母さんのために子供を遊ばせておくことができるように配慮されている。一階に降りると、「ちひろの庭」がある。さまざまの花が咲く心地よい場所である。ちひろは、いつもここで過ごす時間を大切にしていた。展示室3は、「ちひろのアトリエ」。絵を描く仕事場である。意外なことにちひろは左利きで、採光は右側からとっていた。大きな机に絵の具などの道具を広げて、小さくなった隙間を使って絵を描いていた。31歳で再婚した8つ年下の相手の松本善明は、ちひろはどのようなひとだったかと問われると、「ちひろの描く絵のような人だった」と答えている。どこかで見た名前だと思ったら、この人は日本共産党の有名な幹部だった。ちひろも共産党員だったのには驚いたが、絵という武器で平和の尊さをアピールしていくのがちひろ流だった。32歳で長男が生まれ、48歳で夫が衆議院議員になる。この松本善明が書いた「ちひろ」という本は、亡き妻・ちひろを深い愛情を持って語っている。「鉄の棒を真綿でくるんだような人」といいうのが妹たちのちひろ評である。そのちひろは、「割れは人の世の痛苦と失望とをなぐさめんために生まれ来つる詩の神の子なり」と述べた樋口一葉に深い共感を寄せていた。黒柳徹子の空前のベストセラー「窓際のとっとちゃん」の挿絵は、いわさきちひろの絵だった。1972年に書いた「大人になること」という文章の中にいい言葉があった。「私の若いときによく似た欠点だらけの息子を愛し、めんどうな夫がたいせつで、半身不随の病気の母にできるかぎりのことをしたいのです。」「自分がやりかけた仕事尾を一歩づつたゆみなく進んでくのが不思議なことだけれど、この世の生き甲斐なんです。」混んでいるのでもなく、閑散としているのでもなく、ちょうどいい具合に人が訪ねてきて、それぞれが穏やかな顔をしてこの空間を楽しんでいる。いわさきちひろと一緒に幸福な思いに浸れる美術館である。コメントを書く
2009/03/08
コメント(0)
京王線上北沢駅から徒歩数分のところにある賀川豊彦記念松沢資料館を訪問する。キリスト教の幼稚園の二階にある資料館は、中央の空間をめぐる四角の回廊になっていて、賀川の一生が追える形になっている。名前だけは知っているが、詳しく知らなかったこの人の事績を眺めながら歩き、最後のコーナーで本を買おうとしていたとき、この資料館で重要な仕事をしていると思しき人物が、私に一枚のパンフレットをくれた。「この人は、巨人ですね」と問いかけると、「そうです。忘れられた巨人です」というこたえが返ってきた。あらゆるものに興味と関心を持って、目についたところの改革に乗り出す直線的な行動力。ひとことでこの人の広大で膨大な仕事を何と表現したらいいのか。まさに怒涛の行動力である。残っているビデオ映像を見ていると、常に笑顔で会う人と懐かしそうに握手をする。その握手は強く上下に振り続けるというやり方だ。相手も賀川と会えて本当にうれしそうな笑顔をみせる。握手攻めで多くの人に慕われていたことがよくわかる。人柄のよさそうな、笑顔をが素敵な人である。この階下の松沢幼稚園の初代園長という肩書も残っていたように、子供と遊ぶ賀川の姿も気持が暖かくなる。賀川豊彦(1888-1960年)は、最初に観たビデオによると、日本生活協同組合の初代理事長だった。神戸のスラム街で貧しい人々を救う活動から出発した賀川は、友愛会、労働組合運動、農民運動、を経て、大阪で協働組合運動に入る。有限責任購買組合、神戸消費組合、灘購買組合。1923年の関東大震災の救援活動では、セツルメントから江東消費組合を結成、1935年にはニューディールの一環としての協働組合活動の拡大のためにヨーロッパ、アメリカ、アジアを歴訪している。戦後1945年には、日本協働組合同盟を結成して会長になっている。1948年には協働組合と消費生活法の議会通過に尽力。1951年には生協連合の初代会長として生協運動の流れをつくった。1927年9月2日発行の「家庭と消費組合」に消費組合中心の家庭経済を論じた記事があった。大きな流れは、「安価、安心、安定」。営利、競争、投機、掛売、利子、広告、などが一切ないから安価で生産できる。そして質・量・期日、配給などが一定であり安心できる。それが、自主、自立、自治、自由という社会的安定と日用品価格安定と収入の安定をもたrす。この流れは浪費と社会的無秩序を省くという論理構造になっている。このように書いていくと、この人は日本における生協の創始者だということになるが、こういう流れは一つではない。これは賀川豊彦の活動に一つの側面に過ぎない。療養事業、教育事業、政治、平和、労働事業、労働者教育事業、農民事業、農民福音学校事業、農漁村セツルメント、農村振興事業、新聞事業など実に多方面に活動している。そしてそれぞれの事業における立場を書き抜くと、理事長、会長、中央執行委員、顧問、副会長、校長、組合長、社長というように、全て責任者という具合である。多忙な社会改革運動の間を縫って、作家としても活躍する。代表作の「死線を越えて」は、100万部以上という空前のベストセラーになった。展示してある本のテーマをみると、フィクションでは、農村問題8冊、漁村問題4冊、廃娼問題2冊、社会風刺、協働組合、求ライ、山村、地方都市・政治、開拓、宗教迫害、など実に範囲が広い。代表作は、「死線を越えて」、「一粒の麦」、「空中散歩」、「宇宙の目的」などがしられているが、生涯著作は200冊を超えている。宗教関係58冊、社会思想39冊、文学53冊、翻訳23冊。「死線を越えて」の印税は今の金額にして10億円を越えたが、自らが関わって敗北した神戸労働争議の後始末や日本農民組合、友愛救済所基本金、消費組合設立費用、社会事業などに半分を出している。関東大震災の救援活動で目の悪化が進み、それ以降はほおんど口述に頼った。出した雑誌では、農村、農村改造、世界国家、自然と性格、雲の柱、土地と自由、覚すい婦人など。1958年8月に世界日曜学校大会で賀川が東京体育館で行った演説「幼な子のごとく」のテープが教会を模した部屋で流れていた。席に座って在りし日の賀川の声に聞き入る。賀川70才の最晩年の時だ。この資料館は、住み続けた松沢の地に1982年10月に建ったものだは、宗教、哲学、経済、社会、文明批評、随筆、小説、そして賀川個人の全集24巻など、5万冊の蔵書が納められている。こういった賀川豊彦の事績の一部を追うと、もっとも著名で影響力のあり尊敬された人物であることがわかる。それは1935年にノーベル平和賞の候補に擬せられたことでもわかる。韓国の李承晩大統領、中国の蒋介石夫人などからも尊敬されていた。「あなたは、多年私がはるかに尊敬を寄せている日本の指導者の一人です」(李承晩)。賀川が詩集を出したとき、与謝野晶子が推薦の言葉を書いていて、賀川の人物がよくわかる。「熱意と、博識と、勇気と、活動とには、全く目覚ましいものがあります。数人の専心努力する所を能く一人で兼ね備へられて居るといふ観があります」(与謝野晶子)賀川はエニアグラムという性格分析からみるとタイプは2であるが3に寄っていると感じるが、若いころ上昇志向が強いことを神父に指摘されているところをみると逆かも知れない。こうやって事績を並べると鉄の体を持っていたように思えるが、若いころから結核をはじめありとあらゆる病魔が賀川を襲っている。闘病の中で毎日の仕事をこなしていったのだ。同い年の妻・ハルは、賀川のために一生を捧げた同志でもあり、こういった突出した夫を持つ妻は苦労が絶えなかたっと思われるが、「三十九年の泥道」という詩が見つかっている。 わが妻恋し 妻恋し 三十九年の泥道を 共にふみきし妻恋し、、、、賀川ハルについては、「わが妻 恋し---香川豊彦の妻ハルの生涯」と(加藤重)という伝記があり、瀬戸内寂聴が「キリスト教の愛と犠牲を身を持って実践し、夫を支え続けたハルの、女の一生の美しさと輝かしさ」と推薦している。賀川に関する記念碑は、国内13か所、海外ではワシントンカテドラルの中に一つある。賀川の一生は、壁に掲げてあった「愛は私の一切である」という言葉に集約されているように思った。
2009/03/07
コメント(2)
![]()
3月5日配本の新著「タテの会議 ヨコの会議」(久恒啓一・ダイヤモンド社)が、週末あたりから書店に並び始めます。タテの会議ヨコの会議印税寄付プログラム(チャリティ・ブック・プログラム http://www.jen-npo.org/chabo/))Chabo!参加本となりますので、本書の印税の一部が特定非営利活動法人JEN(http://www.jen-npo.org/)を通じて、スーダンなど世界中の難民・被災民の教育支援、自立支援に使われることになります。以下、宣伝文句。-------------------------上司と部下の「タテの会議」と、部門をまたぐ「ヨコの会議」。――その目的も会議術も異なる。時間半減、生産性倍増のノウハウが満載!上司と部下の「タテの会議」の目的は、理解と伝達。部門をまたぐ「ヨコの会議」の目的は、企画・構想・創造。「会して議せず、議して決せず、決して行わず、行ってその責めをとらず」といった悪い会議がはびこり、繰り返されています。こうした“悪い会議”の問題点をすべて解決していく強力な一冊です。「タテの会議」では、上司と部下それぞれの視点から問題を解きほぐし、具体的なアドバイスをします。一方、「ヨコの会議」では、部門をまたいだ会議の際に生じるトラブルや、上下関係では生まれない、「ヨコ」ならでは悩みを挙げます。部門間での仕事のあり方を取り上げることで、“組織横断的な仕事のあり方”を学んでいきます。また、始まりつつある「ウェブ時代の会議術」についても触れています。ファシリテーターから新入社員までの必読書。きっと役立つヒントが見つかります。 -----------------------目次1章 会議うつ病から脱出しよう 2章 「タテ型会議」の会議術 理解と伝達の為に 3章 「ヨコ型会議」の会議術 企画・構想・創造のために 4章 会議をデザインする 5章 関係のマネジメント力を鍛えよう 6章 議題・議事録は図に 図解の基本をマスターしよう -----------------------前書き企業に勤めている間、数えきれないほどの会議に参加しました。会議室にはいつも、会議の効率化を促す言葉が入っているポスターが貼ってありました。「時間通りに始めよう」、「その会議のコストは○○円です」、などの言葉は、なるほどとは思うものの、「さて、それは置いておいて、、、」と、当然のようにまた長い、非効率な、胃が痛む会議の世界に入っていきました。企業にはその企業独特の会議の進め方があり、それに慣れるまでの若社員時代、担当者として出席を求められる中堅時代、会議を取り仕切るリーダーの時代、それぞれに経験をしてきたのですが、会議がうまくいったという満足感を持って終えたという経験はありません。そして、巷にあふれる書籍のタイトルを書店で眺めてみると、あいも変わらず、「会議」に関する新しい本が常に一定のリズムで売れていることがわかります。会議は、組織における人間関係が集約される場であるから、決定版はないということなのでしょう。この世界に一石を投じるという企画が持ち上がって、改めて考えると、会議の技術とは、「コミュニケーション」と「合意」の技術ではないだろうかと思うようになりました。組織内外の関係者のコミュニケーションを通して合意を得るための方法論の開発が求められているのです。組織に関わっている者にとって、会議という言葉に常にフラストレーションを感じるのは、時間をかけても、回数を重ねても、すっきりした合意がとれないところにあります。私は今の日本の混乱には、「社会的合意形成」の方法論の欠如が底流にあるとみています。それを「合意術」という書物にまとめたこともあります。「民主主義は最悪の体制である、ただそれ以外の体制よりはましだ」という言葉があるように、会議にはムダとムリが、場を多く占めていることは疑いの余地はありません。こういった本を読もうとするビジネスマンの溜息が聞こえてきそうです。そこで、この「合意」を意識しながら、会議に関する本を書いていくことにしました。この本は、危機的状況にあった中堅会社の業績を短期間で立て直した友人、また中小零細企業勤務の経験のある女性コンサルタント、そして大企業で会議に明け暮れていた私の三人で、議論を重ねながらつくっていったものです。それは一面楽しい時間でもありました。その過程で、タテの会議とヨコの会議という切り口が浮上したのですが、誰にとっても避けては通れない会議の技術やヒントなどを吟味して、会議の現場で役に立つと思われるものを披露しているつもりです。この本ですべての問題が片付くとは思ってはいませんが、従来よりは気楽に会議に臨めるようになるとは考えています。そして会議に費やす時間や労力も減っていくはずです。この本を読んで欲しいのは、若い社員はもちろん、会議を主催する事務局、新米の管理職などが中心ですが、会議に悩まされているすべての人にも読んでいただきたいと思っています。タテとヨコ、上と下、というように、会議の全体をみることができるようになっているので、この全体像を頭に入れて、実際の会議に出てみると、思い当たるふしがあったり、述べているヒントが腑に落ちると思います。会議を制するものは、ビジネスを制する。仕事の時間の中で、会議に費やしている時間は意外に大きいはずです。会議の効率をあげて、その時間をできるだけいい時間に変えることが、気分よく働けるということになります。それは当然のことながら業績にも反映していくでしょう。ビジネスの現場で戦っている読者の皆さんの、健闘とご成功を祈ります。-----------------------------------------------------------------
2009/03/06
コメント(0)
NPO法人知的生産の技術研究会のセミナーは、恒例の年1回の寺島実郎さんの講演。満員でキャンセル待ちが出たほどの盛況だった。私は紹介と司会。日進月歩する寺島さんの思想の進化を今回も堪能した。日本に希望はある。---------------------------------------オバマ大統領の背負う十字架は、イラクとサブプライム。 イラク戦争は「間違った戦争」米軍兵士4900人超の死者、イラク人9万5千人の死者、1兆ドルの戦費。2011年までにイラクから米軍は撤退。その結果は、ペルシャ湾の北側にイランンの影響の強い巨大なシーア派ゾーンの出現。余力なき米国。 米政府の8兆ドルの財政負担。新自由主義の総本山・米国が国家管理に進む姿は、中国の社会主義的市場主義を笑えない状況。巨額の国債発行が必要。中国と日本しか引き受けるとことはない。中国は元建国債(パンダ債)を主張。米国は日本に頼らざるを得ない状況。「円建国債」を日本は主張すべきだ。 米国は財政赤字と経常赤字の双子の赤字。経常赤字を資本収支の黒字で埋めてきた。金利差と資金運用力で世界のカネが集まってきていた。下血を輸血で補っている状況だった。米国はゼロ金利になり、資金運用はサブプライム入りだったから、資本収支で補うことは不可能となった。 米国は物語をつくりあげる力、時代のパラダイムを変える力を持っている。 オバマのグリーンニューディールという物語はIT革命を超えるか? 太陽・風力・バイオマスで5.5%。これを10%に。2025年には25%nするという計画。日本の専門家は大したことではないというが、本当か? 電気自動車(ハイブリッド・燃料電池、、)と再生エネルギー(小型分散・ネットワーク)がいまくかみ合ったら、パラダイム転換が起こる予感もある。IT革命は、ゴアのスーパーハイウェイとインターネットの結合によって成功したのと同じように。 日本を巡る08年の物流。米国は13.9%、中国は17.4%。大中華圏は26.7%、アジア45%、ユーラシア70%超。日本は中国を中核とするアジアと交流する国になった。 胡主席「中華民族の歴史的成果」と北京五輪を総括。中華民族には国内の五族協和、国外には大中華へのメッセージだ。 08年の人流。訪日外国人は中国、韓国が伸びている。前半までは円安、後半は円高。 中国はブランド企業はない。韓国はサムソン、ヒュナンダイ、など3つの企業グループがGDPの35%、GDPに占める貿易の比重は76%(日本は28%)。 産業力と技術力を持つ日本の再評価の流れが、日本への敬意が浮上。 日本創生のシナリオ。JAPICの日本創生委員会の委員長。 ここしばらくは日本の政治はガバナンスを欠いてくる状況になる。 経済と残業の向かうべき方向を示すシナリオを書く。キーワードは実体性と自律性。 食糧自給率の向上。農業生産法人への先端的技術の導入により農業のシステム化。300万円以上の収入を得る場の創出。 海洋資源開発による資源小国からの脱却。領海と排他的水域は世界6位。有望鉱床は11か所。探査技術と採鉱技術の進歩により資源大国の可能性がある。超党派立法による海洋基本法と宇宙開発基本法の成立。自前の衛星(順天頂)1-3号機の打ち上げ。 自動車以降のプロダクトサイクル。中型JET旅客機という新たなプラットフォーム産業の創出。マーケッタビリティの壁があったが、アジア大移動時代の到来で壁は無くなる。 日本創生ファンド。日本のカネを日本の産業へ。20年無利息の新型国債(ゼロクーポン)--相続税減免付きの提案。日本人の個人資産の割は高齢者が保有。20年後の子孫のために10兆円集めて宇宙開発、海洋開発、ロボット技術に注入。アシモ君を月に立たせるプロジェクト。 日本には美しい花はある、しかし剣山を思いつく力がない。米国は剣山(シリコンバレーなど)で勝負してきた。剣山をつくる構想力、全体最適、総合力、総合エンジアリング力、ソーシャルエンジニアリング、総合設計力を高めることが大事である。
2009/03/05
コメント(0)
私が多摩大で持っているゼミ(顧客満足ゼミ)のゼミ生がずっと取り組んできた「旧・聖蹟記念館来訪者倍増」のためのプロジェクトが完成し、学生たちが3月3日に市長あての提言書を担当課である市の教育委員会に提出した。この記念館は、都立桜ケ丘公園の中にある明治天皇の記念館で、多摩大からは徒歩で10分ほどの距離にある。昭和初期の珍しい近代建築である円形のドーム状の建物は、貴重な文化財として改修され今日に至っている。昨年5月に訪問した時の印象は次の通り。http://d.hatena.ne.jp/k-hisatune/20080503「明治天皇、田中光顕、そして多摩の植物展示など、焦点が定まっていない感じを受けた。明治天皇記念館でもなく田中光顕記念館でもなく、多摩植物展示館でもない。風格のある建物だけに惜しい気がする。多摩市教育委員会の資料によると、「明治天皇行幸を記念する建物」から「桜ヶ丘公園を訪れた人々の憩いの場」と変化したということだ。京王線の聖蹟桜ヶ丘という駅の名前も、この記念館からとっている。前は関戸駅という平凡な名前だったが、新しい名前は歴史や由緒を感じさせ、この街の発展に寄与したのだろうから、もっと大事にしてもいいという印象を持った。」このことを多摩大で最初に持った2年生の4人のゼミ生がに話したところ、興味を持って、このプロジェクトが始動した。図解と文章とで構成された50ページほどの提言書。以下、今回の提言骨子。現状確認のための現地調査と、認知度調査(永山駅、記念館付近、聖蹟桜ケ丘駅周辺でのアンケート調査)、満足度調査(記念館訪問者へのアンケート調査)を踏まえて、以下を提案。 1.新規来場者のアップに向けて広報記念館内・メディアへのアピール ・看板の内容変更 ・パンフレットの改定 ・ウェブの改善 記念館外・花火大会 ・友好都市 2.リピーターの獲得に向けてギャラリー ・記念館内部の地図の表示 ・個展開催のアピールラリー ・サイクリングラリー ・スタンプラリー内容と外観 ・喫茶店の改善 ・木の手入れ ・犬を連れた散歩客のためのスペース-----------------------------------------------以下、文章からの抜粋。P2、P3私たちは5月のはじめに多摩大学顧客満足ゼミの始めての提案のプロジェクトとして旧多摩聖蹟記念館の来場者アップの提案をしようと思いました。なぜ旧多摩聖蹟記念館になったのかというと、多摩大学の顧客満足ゼミを受け持っている久恒啓一先生が全国の記念館をめぐるのが趣味でこの旧多摩聖蹟記念館を訪れたときに、なにか寂しさを感じもっと活性化できないかと考えたところから、このプロジェクトは始動しました。まず私たちははじめに旧多摩聖蹟記念館前、永山駅前、聖蹟桜ヶ丘駅前でのアンケート調査を行いました。このアンケート調査はどのくらい記念館が人々にしられているかを図るための認知度調査の目的で行いました。このアンケート結果から記念館の認知度は桜ヶ丘公園に比べて低いことがわかり、認知度をアップするには多摩市周辺のメディアに更なるアプローチをかける必要があると思いました。次に私たちは記念館を訪れて記念館から出てきた人を対象にアンケート調査を行いました。このアンケート調査の目的は、記念館来場者の声を聞くことで記念館の満足度を調べようと思ったからです。その結果、犬をつなぐスペースや木の手入れ、喫茶店をオープンカフェのようにしてほしいなどの要望が出ました。また記念館のギャラリー(展示物)についての不満や要望が出ました。私たちはこれら二つ(認知度アップと満足度アップ)をすることで記念館の来場者をアップすることができると思いました。---------------P4~P9 記念館の認知度調査旧多摩聖蹟記念館の来場者アップの提案をするにあたって、まず私達は旧多摩聖蹟記念館がどのくらい人々に知られているのか、何が来場者の要望(不満)なのかをしっかり把握する必要があると思いました。そこで私達は永山駅の前や聖蹟桜ヶ丘駅前、旧多摩聖蹟記念館前(桜ヶ丘公園内)でアンケートをとりました。アンケートは最終的に50部集まりました。アンケートの結果、桜ヶ丘公園の中を散歩している人たちは記念館の存在を知っている人が多く、聖蹟桜ヶ丘駅周辺や永山駅周辺にいた人は旧多摩聖蹟桜ヶ丘駅の存在を知っている人が少ないということがわかりました。また聖蹟桜ヶ丘駅周辺にいる人は多摩市外の人が多くいて、多摩市外の人々の旧多摩聖蹟記念館の評価、(また記念館に来たいですかという質問や、記念館に訪れたことがありますかという質問に対してYESと答えた人の割合)が低いことがわかりました。このことから私達は多摩市以外の人々に多摩市の旧多摩聖蹟記念館の情報を発信する必要があると思いました。また、このアンケートでわかったことは公園の認知度や記念館の認知度は高いのですが、公園を訪れた人と記念館を訪れた人との人数に差があることがわかりました。また、ギャラリーの貸し出しを行っていることや、インターネットで記念館の情報を得た人が50人中10人を切っていて、ギャラリーを貸し出している事や記念館のインターネットがあることの情報の発信が足りないと思いました。こういった認知度不足の問題を解決して記念館を知ってもらう事は記念館の来場者アップにつながるかと思いました。記念館の認知度をもっとあげる提案として、私達は市のホームページ内の記念館のページの改正と桜ヶ丘公園内の看板数などの改正、多摩市近辺の地域メディアへのアピールの提案です。他にも多摩市の友好都市である長野県の富士見町への記念館のアピールや、多摩市の聖蹟花火大会でのアピールを提案します。------P10~P12 多摩地域への記念館アピール私たちはまず多摩地域のメディアについて調べてみました。多摩ニュータウン地域に発信している「もしもし新聞」というメディアに注目しました。他にも、市民が普段何気なく見ていると思われる情報の入手先を階層別にまとめてみました。一番意識しないでみている情報はデパートやスーパーなどでみるような広告で、次に電車やバス(ホームやバス停)の広告で、それからネット(ブログ)、新聞、雑誌、NPO等の団体という順で市民の情報を得ようとする意識が高いと思いました。私たちは、記念館のことをまったく知らない人に向けての情報を電車やスーパーといったところで発信して、記念館のことを知っている人やいったことのある人向けの情報(ギャラリーの貸し出しなど)をNPOの団体を通じて発信したらよいのではない のかと思いました。多摩市においてはいなげやや西友などのスーパーと、多摩市のコミュニティーチャンネルやFM多摩のメディアにアプローチをかけて新規来場者を獲得する方法がいいと思いました。同様に稲城市の市民に対しては「みのり」という新聞を通じての記念館の情報発信が有効かと思います。日野市は「広報日野」をとおしての情報発信が有効かと思います。-------P16~P17 WEB改正次に私たちは旧多摩聖蹟記念館のホームページの改善の提案をします。記念館の来場者の多くは記念館のホームページを見たことがないと答えています。26ページの意見からも伺えるようにホームページの存在が認知されていないようです。私たちは最近流行しているMIXIやGREEなどのSNSサイト、楽天やYAHOO、アメーバブログなどのサイトでの職員による記念館のブログ更新提案をします。このブログ開設によって普段は記念館に来ないような人手さえブログ閲覧によって、「来たい!」という気持ちがおこるのではないかと考えたからです。実際に多摩市永山にある多摩永山情報教育センターはスタッフのブログを更新しています。他にも多くの飲食店などでメニューやサービス内容のブログを更新していたりします。この提案で普段はあまり記念館にこない人を記念館に来場させることができるのではないかと考えました。以下、続く、、、。
2009/03/04
コメント(0)
「万能川柳・名人選 宮本則版」(毎日新聞社)を読みました。。1951年生まれの開業医(内科)の宮本佳則さんの作品集。毎日新聞の仲畑(貴志)流万能川柳の入選作から選んだ川柳名句集。作者の哀歓、悟り、哲学、人柄がにじんでいます。620句の中で、気に入った作品を紹介します。飛び乗って逆方向に連れてかれ悟ったと大声出したの十回目突然の指名ですがと祝辞読みサービスにしてくれないかサービス料寄せ書きに辛多かれと書いてあるお待たせと見えるとこから駆け始め関係を図にしてみたら星になるワープロの変換キーは駄洒落好き一回で潰れた本音語る会責任を取って社長は会長に昼寝して叱られた家具売り場ミニの娘が目を閉じたので目を開けるどの件で無言電話お掛けですまず怒りやがてはあきれ今笑う書き置きのとりに過ごす妻の留守この質問だけがねらいのアンケート被害者の被害広げるワイドショー理論など知らない人がやってのけよく事情知らない人が来た謝罪どろぼうにさんづけをして読む童話大体は機械がやると言う機長巨匠の絵よりも富士山見える窓本職を続けるためのアルバイト本人の家が事務所のファンクラブ理性っていうのはつまり世間体原稿にびっしりルビをふる秘書課1億もいて代表がコレかいな政治家にタカ派トハト派とサギ派あり政治家の手に負えそうもない政治秘密聞き秘密話せぬ奴と知る挙手したら他に誰かと言う議長犯人の気持ちを語る評論家ただ歳をとってくことも未知の旅収入のところでやめたアンケート天才を見てセオリーを生む秀才ライバルは同じ歳の時の父本妻と紹介されて怒る妻幹部会老人会と間違われワリカンを食べ放題と思う人中国に学んでもらいたい論語当人は本物なのか鑑定家水道のしまりのなさを笑えない両思いだったのを知る同窓会ゴミ箱のそばに散らかるミスショット舌よりも体が肥えているグルメあっちこち傷つけてきた丸い石不老不死こんなものかと見る造花今だけが未来を変えることができ-------------------------------------刺激を受けて、私も川柳らしきものをつくってみました。(^^;)おくりびと せめてなりたや 悼む人おくりびと 世界のオスカー 贈られる太郎と一郎 どっちにつくか おれジロー経済は 経世済民の略とは ホントかよ子ども去り 老犬残る 夫婦となりぬテレビより ラジオが似合う 日々となり小金持ち 小さな幸せ 小市民いつの間に 娘アラフォー おれアラカンほんとうに 百年に一度の危機か 盛り場はウオーキング 絶対ちがう 散歩とは
2009/03/03
コメント(0)
会議がいくつか続いた後、午後2時から「第三文明」という雑誌の取材を受ける。女性が元気を取り戻すにはどうしたらいいかというようなテーマだった。2006年に出した「働く女性の成功ノート」という本を出したことがきっかけである。この本には「ココロを元気にする解決法教えます。仕事の悩み実例40」というサブタイトルがついているが、今回の取材はまさに女性の悩みの解決法を探るもの。編集者、ライター、カメラウーマンという3人の取材。いろいろとしゃべったので、うまくまとめて欲しいものだ。この雑誌からは2-3年前に、「朝の時間の使い方」というようなテーマで取材を受けたことがある。------------毎週月曜日発刊の「週刊ダイヤモンド」に「学び直しの5冊」というテーマの連載をしている。本日の号で3回目。今回は「論理構築と図の手法」で、図解による論理構築の方法論をテーマに5冊の本を紹介した。「マインドマップ超入門」(トニー・ブザン) 「マインドマップ読書術、自分ブランドを高め、人生の可能性を広げるノウハウ」(松山真之助) 「戦略「脳」を鍛える BCG流戦略発想の技術」(御立尚資・ボストン・コンサルティンググループ日本代表) 「ロジカル・シンキング 論理的な思考と構成のスキル」」(照屋葉子ほか・マッキンゼー) 「ビジネスドキュメントの演出技法2 カラー化」(富士ゼロックスD推進グループ・コアデザイン制作部編) 「自分の考えを深めて論理をつくり出すのは、さまざまな要素の関係を合理的に整理することであり、色やイラストなど情緒的な要素に頼らない「白黒の世界」だ。だからこそ、、、、、、、、。」
2009/03/02
コメント(0)
納棺夫日記 (文春文庫)作者: 青木新門 出版社/メーカー: 文藝春秋 発売日: 1996/07 メディア: 文庫 オスカーを受賞した「おくりびと」の原作となった「納棺夫日記」(文春文庫)を感動を持って読み終わった。死という現実を真正面から見続けた人が到達した境地がここにある。青木さんは菩薩になったのではないだろうか。死体に抱きつくようにしないと、腰紐が通せない。 私の全存在がありのまま認められたように思えた。そう思うとうれしくなった。この仕事をこのまま続けていけそうな気がした。 友人たちが遠ざかっていたtことが、寂しかった。 服装を整え、礼儀礼節にも心がけ、自身をもって堂々と真摯な態度で納棺をするように努めた。納棺夫に徹したのである。すると途端に周囲の見方が変わってきた。 仕事柄、火葬場の人や葬儀屋や僧侶たちと会っているうちに、彼らに致命的な問題があることに気がついた。死というものと常に向かい合っていながら、死から目をそらして仕事をしているのである。 己の携わっている仕事の本質から目をそらして、その仕事が成ったり、人から信頼される職業となるはずがない。 「穢らわしい、近づかないで!」とヒステリックに妻は拒否した。 西洋の思想では、生か死であって、「生死」というとらえ方はない。 雪でもなく、雨でもない、手に取れば水となってしまうみぞれ。 鼻毛を洗い、鼻毛をきれいに取り除いたら、案の定臭いがしなくなった。 蛆も生命なのだ。そう思うと蛆たちが光って見えた。 葬という象形文字は、草と草との間に死がある合字、死という文字もばらばらになった骨と人をさかさにした形との合字である、 最近とみにぶよぶよとした死体が多くなってきた。 そんな農村での老人の死体は、遺骸という言葉がぴったりで、なんとなく蝉の抜け殻のような乾いたイメージがあった。 毎日毎日、死者ばかり見ていると、死者は静かで美しく見えてくる。それに反して、死を恐れ、恐る恐る覗き込む生者たちの醜悪さばかりが気になるようになってきた。 死者と毎日接しているうちに、死者の顔のほとんどが安らかな顔をしているのに気づいた。 にもかかわらず、死者の顔はみんな同じように安らかな相をしている。死んだままの状態の時などは、ほとんど眼は半眼の状態で、よくできた仏像とそくりである。 特に宮沢賢治作品の素晴らしさは、賢治の視線が微生物の世界を追っていたかとおもうと、次の瞬間には太陽系、銀河系、全宇宙へと移動し、瞬時にしてその視線が素粒子の世界へと移っていて、しかもその眼は極小から極大まで自在に動くズームレンズのような機能を持っているといった具合である。それはあたかも「般若心経」の観自在菩薩のような自在の眼で世界を認識しようとしていたかのようだ。視点の移動があって、思いやりが生まれる。 元はといえば「我々はどこから来て、我々は何で、我々はどこへ行くのか」があいまいであることから来ているのである。 死に近づいて、死を真正面から見つめていると、あらゆるものが光って見えてくるようになるのだろうか。 「仏は不可思議光如来なり、如来は光なり」(親らん) あらゆる宗教の教祖に共通することは、その生涯のある時点において、「ひかり」との出合いがある」ことである。「われは世の光なり」と言ったキリストも、天理教の中山ミキや大本教の出口なおなども、すべての教祖は「初めに光ありき」から出発した体現者であった。 宙に浮いた第三の視点からは、「さんたんたるわが身」も見え、「きれいな青空」も見えるのである。そこから「さんたんたる景色(現世)を横目で見ながら、すきとおる空(浄土)へと直行するわけで、死はどこにもない。 親らんの阿弥陀信仰は、どのような者でも「無碍なる不可思議な光」に必ず出合えるという絶対の確信からきている。 釈迦のように、光に包まれて肉体のとらわれを離れた心が、なお生を保つ肉体によって維持されながら四十五も持続できたのは、人類の奇跡としか言いようがない。 親らんも道元も、そして良寛も、偉大な良き人は、みんな詩人でもあった。 あの「光」に出合うと、生への執着が希薄になり、同時に死への恐怖も薄らぎ、安らかな清らかな気持ちとなり、すべてを許す気持となり、思いやりの気持ちがいっぱいとなって、あらゆるものへの感謝への気持ちがあふれでる状態となる。こうした状態になった人のことを、仏教では菩薩という。 宗教がどれくらい科学の立証に耐えるかによって、今後の宗教が歴史に残るかどうか決まるかもしれない。 今日のあらゆる分野で最も必要なことは、現場の知ではないだろうか。 要するに、菩薩に近い人が側にいれば一番いいのである。人は、自分と同じ体験をし、自分より少し前へ進んだ人が最も頼りとなる。 私は、湯棺・納棺をしていた頃、死社と私だけがぽかりと光に包まれているような奇妙な経験をしたことがある。
2009/03/01
コメント(2)
全31件 (31件中 1-31件目)
1

![]()
![]()