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世田谷文学館で、第11回世田谷フィルムフェスティバル「名優・森繁久彌」が開催中だ。森繁久彌(1913-2009年)は、「世田谷区船橋に在住」とパンフにあるが、この特集を始めた頃はまだ存命だったということである。「この度、ボクの古い映画を上映して下さるとのこと、少し照れくさいが、わたしの仲間だった久世光彦さんの展覧会も開催されると伺い大変うれしく、世田谷文学館には感謝申し上げたい。また先般は、マスコミで皆さんに多大なご心配をおかけしましたが、私自身はおだやかに秋をむかえております。」という挨拶文があり、最晩年の名優が正装して写っている。国民作家という言葉があり、その栄誉を受けているのは、吉川英治と司馬遼太郎くらいであるが、国民俳優という言葉があるとすれば、それは森繁久彌しかいないだろう。1950年代後半から60年代を通じて、映画での社長シリーズ、駅前シリーズ「森繁もの」の人気はすさまじく、55年の18本を頂点として、毎年10本以上の映画に主演している。また、64年の「七人の孫」以来、70年代に入ると、森繁久彌はテレビの人となった。そして、まさに全国民が敬愛する俳優になった。森繁久彌の映画デビューは意外に遅く、37歳のときに「腰抜け二刀流」(並木鏡太郎監督)で初主演をする。早稲田大学を中退した痕、NHKアナウンサーとなって満州の新京(長春)に勤務し、33歳で帰国し役者を目指すが、なかなか芽が出なかった。1936年以来、300本を越える映画に出演。舞台では、「屋根の上のバイオリン弾き」は、900回の公演。文化勲章受章時の歌「わが胸に あつくもおもく たちばなの きときわ 薫る 人ひとの愛」森繁久彌は、パチンコのリズムに芸風のヒントを得ている。「リズミカルな動きと感情の推移」「次にどう出るかわからぬという未来を予測し得ない演技」。サラリしつこくなく点描して行くという二枚目半の芸風を開拓した。喜劇俳優から、実力俳優へ、そして押しも押されもせぬ、大スターへのぼっていく。この道程も興味深い。この人ほど、賞をもらっている人もいないのではないだろうか。 * 43歳。ブルーリボン賞。毎日映画コンクール主演男優賞 * 45歳。NHK和田賞。 * 51歳。紺綬褒章 * 52歳。NHK放送文化賞 * 62歳。菊池?賞。紫綬褒章。 * 63歳。ゴールデンアロー賞。 * 64歳。紀伊国屋演劇特別賞。毎日芸術賞。菊田一夫演劇大賞。 * 65歳。芸術選奨文部大臣賞。 * 68歳。創作集団文芸賞。 * 70歳。東京都民栄誉文化賞。日本アカデミー特別賞。 * 71歳。文化功労者。 * 74歳。勲二等叙勲。 * 78歳。文化勲章。 * 79歳。日本アカデミー賞栄誉賞。 * 83歳。日本映画批評家大賞。この人はただの俳優ではなく、極めつけの文化人だった。44歳で処女作を発表以来、主要著書は54冊にのぼっている。そのうち、63歳以降の著書が43冊と多い。「森繁久彌語り・久世光彦文」という「大遺言書」「さらば!大遺言書」を読んだ。森繁久彌のつぶやきが聞こえる名著である。この内容は、明日書く。
2009/11/30
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久世光彦(1935-2006年)という人のことは知らなかったが、いつもいい企画をする世田谷文学館http://www.setabun.or.jp/exhibition/kuze/の目を信用しているので、京王線の芦花公園に出かけた。蘆花公園はその名の通り、徳富蘆花の住んでいた住まいが恒春園として公園になっている場所である。久世光彦は、「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「悪魔のようなあいつ」などの国民的テレビ番組をつくりあげた辣腕の人である。80年代以降、つまり40代半ばからは映像制作会社の社長となり、50代に入ると優れた小説やエッセイを書きいくつかの賞を取っている。映像と文学の世界を自由自在に往復した人だ。「一番美しいものは、いちばん凶凶(まがまが)しいものと背中合わせにいるものだ。きれいなものを見たかったら、怖い思いをしなくてはならない。私は十歳の夏の夜、それをはじめて知ったのだった。」久世光彦の人生を概観してみよう。 * 13歳。中学で文芸部。映画少年で年間150-200本の映画を見る。 * 21歳。一浪し東大文学部入学(美学科)。演劇サークル「劇団駒場」を結成。 * 25歳。KRテレビ(後のTBSテレビ)入社。 * 27歳。ドラマ演出家としてデビュー。 * 29歳、「七人の孫」を演出。この番組で、向田邦子がシナリオライターでデビュー。 * 35歳。「時間ですよ」 * 38歳。プロデューサーもつとめる。 * 39歳。「寺内貫太郎一家」、「時間ですよ」がともに視聴率が30%を超える。 * 43歳。「七人の刑事」 * 44歳。TBSを退社。映画監督としてデビュー。 * 52歳。「昭和幻燈録」で小説家デビュー。 * 56歳。「世にも奇妙な物語」 * 57歳。「華岡清洲の妻」。芸術選奨文部大臣賞受賞。 * 59歳。「蝶とヒットラー」 「1934年冬--乱歩」で山本周五郎賞 作詞した「無言坂」(香西かおり)がレコード大賞を受賞 * 63歳。紫綬褒章 * 65歳。久世塾を開き、ドラマ作家を育成 「粛々館日録」で泉鏡花文学賞 * 69歳。「大遺言書」 スポニチ芸術文化大賞ウランプリ * 70歳、逝去。あぶらの乗った40代からの仕事の量と質の高さは驚くばかりだ。50歳過ぎから書き始めた小説なども、棚に並べてある数を数えると、56冊に及んでいる。一緒に仕事をした芸能人の久世に関する言葉があった。俳優の竹中直人は、久世が漱石の「行人」を映画にした、それを竹中とやりたいと言っていたとし、「ぼくが監督として映画にする、と言っている。森光子は、久世に「少年の目」を感じている。また、台湾の飛行機事故で亡くなった向田邦子とのコンビは、亡くなったあとも「向田邦子新春スペシャル」として年に一度テレビをつくっている。作詞した曲のリストを数えてみると、200曲にも及んでいる。天知真理の「ひとりじゃないの」、郷ヒロミの「真夜中のヒーロー」なども久世の作品である。「生涯の望みは自分が死んで50年100年たっても残る歌を書きたい」という言葉も残っている。詩を書くことが好きだったのだ。亡くなる直前の2006年2月9日のインタビュー映像が流れており、70歳の久世の姿を見、言葉を聞いた。岸田劉生の描いた「麗子」の絵を論じている。怖い、気味が悪い、魔物といった表現で「麗子」を語っている。この映像の中で、「映像お文章に移したというところがある」と語っていた。それが久世の文章の強みだったのだろう。自分の中には、文学少年と映画少年と演劇少年という3人の少年がいた。文学少年は小説を書いてある程度満足し、映画少年はテレビ番組で満足したが、演劇少年は意外に執念深い奴だったとも回想している。「マイ・ラスト・ソング」という企画も興味深い。「あなたは最後に何を聴きたいか」というテーマで1992年から「諸君!」に連載し、それは14年も続いた。200曲以上を取り上げたが、こういった企画にも人生の本質を見る眼を感じる。「文学の仕事」は、「見たもの聴いたもの、美しいと思ったもの、怖かったもの、脅えながら犯してしまった小さな罪や春の夜の悪い夢」の記憶に結びついている。「書林逍遥」には、「(太宰は)文章の名人だったが、「句読点」の達人でもあった」とある。生涯の師と仰いでいたのは、俳優の森繁久弥だった。1964年の「七人の侍」のアシスタントディレクターのときからの付き合いとなる。二まわりほど若い久世が、晩年を迎えた森繁の回想を書き留めながらそれを自分の文章にしていくという「大遺言書」という本になる。テレビという新しいメディアを縦横に使って、ありあまる才気で自己を十分に表現した人だった。私は久世光彦という人物をみて、「美しいもの」に対する執念を感じた。大学で美学を専攻したこともその現れではないだろうか。その久世は、師匠・森繁久弥よりも早くこの世を去ってしまう。
2009/11/29
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新刊の見本が届きました。 タイトル:「あなたの人生が上手くいく 7つの成功法則」 オビ:あなたの中に眠る「宝の山」が見つかる本! 「人生の達人」たちの共通点に学ぶ!1.お手本となる「師匠」がいる2.お互いを高め合える「ライバル(敵)」や「友」がいる3.「強い志」を持ち続けている4.「怒濤の仕事量」をこなしている5.「自分を鍛える」ことを忘れない6.「構想する力」を持っている7.「日本のよさ」を知っている 三笠書房定価:本体1400円+税 ハードカバー Chabo!本です。 「人物記念館の旅」を材料にした新しい分野の本で、「志 KOKOROZASHI」(ディスカバー社)に続く第二弾です。 書店に並ぶのは、来月に入ってから。90冊目の著書。-------------午前中は、留学生関係の会議。多摩キャンパスでの受け入れの方向と方針ができた。昼食を摂りながら、大学院教授会。来年度カリキュラムが確定。九段サテライトで、インターゼミ(社会工学研究会)。寺島学長は渡米前の時間
2009/11/28
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本日、「日経ビジネス・アソシエ」(日経BP)の取材を受けた。特集のテーマは、「2010年に 仕事の達人が示す これだけは絶対に実践してほしい仕事術50」。2010年に向けて、“これだけはやってもらいたい”という仕事術を経営者や専門家がアドバイススルという内容。実行に移せる行動ノウハウを“1つだけ”に絞って提示する。「どうしてもこれだけはやってほしい」という熱いメッセージがこもった行動ノウハウを紹介。私には「時間管理」というテーマが与えられた。インタビューの中で新しい概念と言葉が浮かんだ。先日は、「The 21」(PHP)の取材もあった。こちらは、「普通の人の何倍もの仕事をこなす人の 「スケジュール管理&行動計画」という内容で、私には「スケジュール管理」というテーマの取材だった。また20代向けビジネス情報誌「COBS」(毎日コミュニケーションズ)という雑誌からも、「目標達成のストラテジー」というテーマで、どんな目標を立て、どんな新しい挑戦をし、職業人として成長を果たしていくか。そのための戦略と戦術知りたいということで、「手帳」がテーマの取材があった。(発行部数:180,000部(10万部は会員自宅発送/8万部は駅ラック設置) ※駅ラック メトロFREEに設置 都内主要28箇所(銀座、青山、六本木、大手町、渋谷、など) ■WEB会員向け(cobs online同時掲載)会員80万人)いずれも12月の10日から15日の間に発刊されるが、主要読者である20代、30代の若いビジネスマンの関心は、厳しい経済環境の中で、今まで以上に少ない人数でいかに仕事をこなすかという点にあることを改めて感じることとなった。知りたいポイントは、達人の「タイムマネジメント」である。いずれのインタビューにおいても、「能力以上の仕事量を引き受けることがタイムマネジメント力をつける要諦である」ということを前提に、私自身のポリシーやスタイル、そして方法や技術を説明した。-----午前中は、講義。同僚との懇談。午後は、取材。出版社と打ち合わせ。学内での相談。夜は、樋口先生と矢内事務長と「エル・ダンジュ」での食事会。ここはグルメの樋口先生のお気に入りのレストランだが、鯖や牛蒡(ゴボウ)を用いた料理が珍しかった。
2009/11/27
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全学入試委員会を終えて、学長出席の戦略会議、自己点検委員会。その後、リレー講座。夕刻はホームゼミ、そしてインターゼミの東鳴子チームとの打ち合わせ。--------------本日のリレー講座は、東大の藤原帰一教授の「オバマは世界を変えるのか」。 * 都会の民主党と田舎の共和党。東部の民主党と南部の共和党。マスメディアの民主党とCNN・FoxNews Chの共和党 * 04年の大統領選でオバマ登場。「青いアメリカ(民主)もない。赤いアメリカ(共和)もない。あるのはアメリカ合衆国だ」 * アメリカの大統領は王に代わる統合の象徴。ワシントン、リンカーン、F・ルーズベルト、、 * オバマはキリスト(救世主)のイメージ。浅黒い肌、、、。 * オバマは民主党の支持層の5割をとって勝ったが、共和党の支持基盤を崩してはいない。 * 2010年の中間選挙では民主党は大幅に後退するだろう。(日本の参院選に似ている)。 * 経済が悪いと与党が票を減らす。2008年の大統領選もそうだった。 * 経済指標とは、GDP成長率・物価・雇用(失業率)。特に物価と失業率は身近な指標。失業率は遅れて出る指標で今から影響が出てくる。 * 経済がよくなる可能性は少ないから中間選挙は民主党は大幅後退。上下議会で野党が優勢になる。 * オバマ政権は一期限りの政権になるだろう * 内政。現在の争点は医療制度改革。これでオバマの支持率は20%ダウン。これが成立すると保険業界は壊滅する。 * この法案は骨抜きになって妥協の産物(オバマの裏切り)として上院も承認するだろう。内政は厳しい。 * 外交。ブッシュの負の遺産解消に取り組み、オバマは歴史に残る大統領になるだろう。 * ブッシュはロシア、イスラム、ヨーロッパとの関係を悪化させた。 * オバマのプラハ演説(核軍縮交渉の再開。4000-6000発の核弾頭を1700発へ)は西欧からは熱狂をもって迎えられた。英仏は300発。これに中国を誘い込めるか。ロシアの核の廃棄はアメリカがやる。 * インド、パキスタン、イスラム、北朝鮮、イラン。北朝鮮の核問題はイランよりはやくけりがつく(これからはつくらないが、これまでの核の廃棄は譲らない) * ノーベル平和賞はアメリカ国内に敵をつくった。 * 中東和平。カイロ演説はイスラムから支持。とるべき道は二つ。急進派ハマスとメタニエフ政権の両者を招いた会議。あるいは多国間交渉。 * アフガンは最大のアキレス腱。ブッシュは意味もなく戦線を拡大した。アフガンには「統治」(政府)がない。身捨てられた状態。イラクにかまけている間にアフガンはタリバンの支配になり反米になってしまった。コストが大きい。 * オバマの日本での演説、シンガポールでの演説もよかったが、アフガンに関する方針を示せなかった * 欧州とロシアでは記憶される大統領になるだろう。アジアは悪くない。 * しかし、北朝鮮、イラン(ロシアを誘い込まなければだめ)、アフガンに関しては、有効な手を打てていない。 * アフガンに関しては、鳩山政権は早く方針を出した方がよかった。警察力の不足に踏み込むべきだ。 * 日本はイスラムに信用がある。アジアのイスラムのマレーシア、インドネシアにも友好的。役割は大きい。 * 普天間は情けない論争になっている。
2009/11/26
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午前は、全国能率大会(第61回)で講演。社団法人全日本能率連盟が行う年1回の大会で、マネジメント技術の高度化促進の場として講演や企業の事例発表を行っている。今年のテーマは「変革の原動力--人材パワー結集のマネジメントのあり方を探る」」で、私は冒頭の基調講演を依頼された。講演のテーマは「考える社員、志のある社員を育てる」。日本の経営コンサルタントの組織が連盟の会員であり、ほとんどが経営コンサルタントの方々だった。 * 基調講演「考える社員、志のある社員を育てる」 多摩大学経営情報学部教授 久恒啓一 * 「リスクの重点化と対策における「リスクマッピング」の活用」 (社)中部産業連盟 吉田薫 * 「東京ディズニーリゾートの人づくり」 (株)オリエンタルランド 安藤吉克 * 「現場をやる気にさせる方法論」 NTTデータ 栗島聡 * 「いま求められるアクションラーニング」 NPO法人日本アクションラーニング協会 清宮普美代以下、参加企業または団体。* (株)アドバンス テクノ ビジネス * (株)価値総合研究所 * (社)神奈川県経営管理センター* 韓国JMAC(株) * (財)関西生産性本部 * (財)企業活力研究所 * (社)企業研究会 * (財)九州生産性本部 * 経営創研(株) * (株)現代経営研究所 * (社)公開経営指導協会 * 国際コンサルタンツグループ * (株)JIPMソリューション * (株)ジェー エム エー システムズ * (株)ジェムコ日本経営 * (株)システム科学 * (株)新技術開発センター * (株)ソシオテック研究所 * (株)ダイキ・ホールディングス * (株)タナベ経営 * (社)千葉県能率協会 * (社)中小企業診断協会 * (社)中部産業連盟 * (株)デシジョンシステム * (財)日本規格協会 * 一般社団法人 日本経営管理協会 * (財)日本経営教育センター * (社)日本経営協会 * 日本経営合理化協会 * (社)日本経営士会 * (株)日本経営システム研究所 * 一般社団法人 日本経営調査士協会 * (株)日本コンサルタントグループ * (社)日本産業訓練協会 * 日本資材管理協会 * (財)日本生産性本部 * (株)日本創造教育研究所 * 一般社団法人 日本創造経営協会 * 日本電気(株) * (社)日本能率協会 * (株)日本能率協会コンサルティング * (株)日本能率協会総合研究所 * (株)日本能率協会マネジメントセンター * (社)日本バリュー・エンジニアリング協会 * (社)日本プラントメンテナンス協会 * 日本マネジメント協会 * (株)日本リテイリングセンター * (財)野村マネジメント・スクール * (株)バランスセラピーUniv. * (株)ビジネスコンサルタント * (株)ビジネスブレイン太田昭和* (株)ビス経営アカデミー * マーサー ジャパン(株) * (株)マネジメントサービスセンター * (株)ワークスコーポレーション外資系のコンサルタントが幅をきかしているが、こちらは国内の経営コンサルタントの総本山的な団体だ。秋山会長は挨拶語、そのまま韓国に行くという話だった。終了後、戸張専務理事、小名川さん、そしてオリエンタルランドのキャストデベロップ部の安藤部長と歓談(インターゼミでのディズニー研究も話題にしておいた)。数年前に講演をしたことがある日本バリューエンジアリンッグ協会の宮本理事とも改めて名刺交換。午後は、JR東日本本社にて、「若手職員社外セミナー修了者のためのセミナー」で講師。管内の事業所から92名の参加があった。この研修は昨年から連続しているもので、今回は基礎編。終了は17時になったのだが、新宿にある本社をでるとイルミネーションが点灯していてきれいな光景だった。
2009/11/25
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矢口校長と教頭先生が迎えてみえて、母校である中津北高校に向かう。1年生と2年生の計430人を対象に講演をする予定だったが、インフルエンザがでて急に1年生が学年閉鎖になったとかで、講堂から大教室に会場が変更になった。後輩たちに講義をするのは、皆が熱心に聴いてくれたこともあり、楽しく話ができた。タイトルは、熟慮一番「図で考える人は勉強がよくできる」にしたのも興味を持ってもらった原因かもしれない。終了後、生徒会長が感想を述べるというシーンがあり、私の目の前で話し出したので、写真を撮ってみた。これはいい写真になった!終了後は、3年生8人ほどと懇談会。看護系を目指す女子生徒が多く、主に医療や看護関係の話をする。後輩たちの書いてくれたアンケートの感想。新しい勉強法がわかりました・一度多摩大学に行ってみたい・図で考えるという発想が凄い・感動しました・ブログを拝見・授業や小論文にいかしたい・多摩大のホームページに行ってみたい・面白くてためになる話・多摩大HPはわかりやすく調べたいことがすぐにでてきて便利だ。・多摩大HPをみます・ブログ更新ガン勝手ください・考えることについて学べた・本を読みます・今までと考え方を変えるべきだと思った・勉強の仕方を変えていこう・多摩大を調べてみたい・ブログみます・考えることは難しいと思っていたけど少しわかったような気がします・これからにつなげていきたい・とてもためになりました・これからは大事な要点をしかり押さえていこう・たしかにそのとおり・自分にも明るい将来があるという気がしました・面白くて吸い込まれれました・復習につかいたい・すべての科目を図で考えられるとは思いませんでした・すらすら入ってくるかも!!先生のホームページとても見やすかったです・発想に驚きました・ブロフ見ます・考えることが得意になりそう・多摩大HPは素晴らしい・自分で考えることをたくさんやりたい・箇条書きがよくないことがわかった・図を使って勉強したい・新しい考え方だ・これからは図で勉強したい・ものごとの考え方が大きく変わるかもしれない、大きなヒントを得た・先生のHPはすごい・勉強が楽しくできそうだ・図を描いて考えることにビックリしました・先生のHPも開きます・先生が最後に言った重要なことだけメモせよというのはいい・聞けてよかった・今までの考えを打ち壊されて考えが変わりました・目の前で写真撮影をしたり笑いもあって楽しかった・今までの私は考えていると思い込んでいるだけだとわかった・図で考えていきます・ブログみます・文章から図を考えられるようになりたい・わかりすくためになるものばかりだった・テストの時に役立てたい・最後まで真剣に聴くことができました・文化部の部活でプレゼンすることがあるのでいかしたい・楽しく理解できました・何か数学的な考え方だ・理解疑問反論が頭にに残った・タイトルに興味・「少壮老死」が気に入りました・ブログみます・勉強法を変える・HPが気になった・またきてください・また講演に来てください・勉強のやり方を研究したい・成績で悩んでいたのですごく参考になった・私も頭がよくなればい・ブログ!楽しい講演・ブログの写真が楽しみ・HP!・取り入れて勉強したい・HPやブログをみたい・普通の先生が言わないようなことも言ってくれて楽しかった・今の社会を図であらわしたことが印象に残った・興味あり・今日はまったく眠くなりませんでした・面白い人だ・真剣にきいた・図解ウェブ・これからは何でも図に・学ぶことの大切さに気づいた・本を読みます・ショッキングな講演でした・図はごまかしができない・写真は緊張がほぐれまhした・私生活にも役立つ・重要なことは大学では足りないんだな・最後の偉人の言葉はとてもいい・授業のノートに活用したい・「失敗する方を選べ」が印紙雨滴・また来て・日本史にいかす・勉強が楽になりそう・自分で考えられるようになりたい・本を読みたい・初めて聞きました・共感!・ブログの話が面白い・「考える」ことについて深く考えた・これからは図で考える・ブログをみます。、、、。コメントを書く
2009/11/24
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中津市街をぶらぶら歩く。福沢記念館。59歳時に帰郷の際、耶馬溪競秀峰を買収し景観を護った。これは日本におけるナショナルトラスト運動の先駆けだった。「俗世間も自然の一部だ」 「自由とは他人の妨を為さずして我心のままに事を行うの義なり」「一身独立して一国独立し、一国独立して天下も独立すべし」(中津留別の書。明治34年) 中津市学校校門は、現在の南部小学校生田門。 小幡篤次郎(1842-1905年)、中上川彦次郎(1854-1901年) 水嶋鉄也(1864-1925年)。神戸高商校長(神戸大)。「最善を尽くす」「霜雪を凌ぎて香る」。育てた人は、出光佐三(1885-1981年)、石井光次郎(1889-1981年)。 「福翁自伝」「学問のすすめ」は、インドネシア、ベトナム、韓国、中国、ドイツ、英訳などで翻訳されている。 広池千九郎(1866-1938年)。中津歴史(26歳)、古事類苑、モラロジー(道徳科学) 田中信平(1748-1824年)。中華料理の元祖、「けんちん」の創始者。 辛島正庵(1779-1857年)。種痘 中里真清(11865-1939年)。耶馬溪鉄道、中津市長 島田虎之助(1814-1852年) 宇都宮仙太郎(1866-1950年)。雪印の創業者の一人。 隣の増田宗太郎先生誕生の地を訪ねる。西南役中津隊長。木陰にりゅうとして石碑がそびえている。ひっそり。和田公園。和田豊治(大実業家)。富士紡を建て直した。和田豊治翁こう徳碑。中津城のあたりに小幡英之介像。歯科医の先覚者。中津市学校の校門。生田門。中津藩家老生田家の門。「西洋風の文化・生活様式の出発点は常に市学校だった」小幡篤次郎記念図書館を訪問。図書館の中に資料室があった。1842年中殿町に生まれる。16歳進脩館。1864年福沢の洋学塾入塾。1866年慶応義塾塾頭(24歳)、幕府開成所助教授。1871年中津市学校初代校長。1877年欧米巡歴。1890年塾長・貴族院議員。1901年社頭。1905年死去。1909年、遺言によって、土地・図書等の寄贈で小幡記念図書館設立。辞世の句「花にそむき 雁と己と旅寝かな」著書等。「天変地異」「生産道案内」「英文熟語集」「博物新編補遺」「小学歴史」「日本歴史」「洋兵明鑑」「弥児氏宗教三論」(ジョン・スチュアート・ミルの翻訳)。明治22年の慶応生科卒業生写真では、福沢の隣にいる。郷土のコーナーに私の本は2冊しかなかった。「図で考える人は仕事ができる」、「合意術」。この図書館のある場所は、藩校である進脩館にあった場所。藩からは維持費として米100石。年間生徒は200名。倉成龍渚、野本雪巌、野本白巌、白石照三、渡辺重名らが教師。夕食は、中津北高校の矢口校長、臼杵高校の飯沼校長、同級生の市会議員・須賀留美子さん、私の母の5人で食事。コメントを書く
2009/11/23
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「旅と言うものは、縁(えにし)の糸に導かれて行われる。」 日々の忙しさに疲れ、仕事に慣れてしまってはいないか。一度日常を断ち、心を新鮮にすべきではないのか。内なる声に耳を傾けた画伯、北欧への旅立ちを決意する。 「残照」が日展で特選になり、風景を生涯のテーマとすることを決意する。39歳。 「白夜光」。北欧旅行の3年後の作品。「この絵は、北の旅の終りであると共にまたいよいよ次の旅のはじまりを意味している。 鑑真和上がついに見ることの出来なかった日本の美しい山と海を描くことに決め、日本各地へスケッチの旅に出る。「海の図」のために、竜飛岬から日本海沿いに南下、輪島、城崎、小浜などを経て青海島にいたる本州縦断。「山の図」のために、黒部、穂高、飛騨を党踏破する。 八十代に入ると旅に出なくなって、絵を描く心の旅にでる。現場で描いたスケッチを持ち帰り、画室で構想をまとめ、仕上げる。若いときに多くのスケッチを描いておけば、旅に出なくても絵を描ける。 「夕星」。絶筆。「ここが最後の憩いの場になるのではとの感を胸に秘めながら筆を進めている。」 年表によると、東山魁夷画伯の美術館は、最晩年にできている。82歳、長野市の城山公園内に東山魁夷館。86歳、千葉県市川市に東山魁夷アートギャラリー。87歳、長野県山口村に東山魁夷心の旅路館。画伯は幸せだった。唐招堤寺の障壁画は、6月5・6・7の3日間のみ拝観できる。御影堂内部の写真をみたが、すばらしい。これは見たい。ーーーーーーーーーーーー午前中は、一般推薦入試の試験監督。その後、羽田から福岡へ。以上は、旅の途中で読んだ「東山魁夷への旅」からの抜粋。
2009/11/23
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午前中の教授会を終えて、長池公園自然館へ。「はちおうじ志民塾--地域コーディネーター養成講座」の最終日。この講座の最初と最後が宮城大学争議オウ研究所所長の私の担当。この講座では、毎回活躍している地域コーディネーターを講師に招いて話をしてもらって、その内容を受講生が図にするという趣向である。今回はその60枚ほどの図を私の方でパワーポイントで整理したものをバックしした。最終回は、それぞれの回を担当する人を決めて、その人の図に他の人の図の情報を加えて、「地域コーディーネーター」の要件、資質、能力、条件について発表してもらうことにした。以下。発表を聞きながら私がまとめた「地域コーディネーター」像。 * 「人柄の良い人」。人間的魅力。スキルやロジックとい専門性に加えて人格・心など人間的魅力。 * 「志のある人」。テーマ。こだわり。辛抱強い。地域貢献。人柄。 * 「柔らかい人」。感性。相手の目線。信頼関係。ネットワーク。柔らかさ。コミュニケーション。柔軟さ。 * 「まきこむ人」。人柄。周りをハッピーに。コラボレーション。きずな。共感。 * 「育てる人」。新しいことを考える。育成力。 * 「触媒の人」。創発的コーディネーション。仲人。カタリスト(触媒)。人柄。人格。多層。 * 「接着の人」。実際に活躍している地域コーディネーターの具体像が今回整理できた。今回の講座は、映像、音声、要約、写真、図解とマルチメディアで保存しているが、まずは年初に報告書がまとまる予定である。この八王子地区の地域コーディーネーター像を明らかにする方法を用いて、他の地域に広げていけば、地域活性化のリーダー像が明らかになっていくだろう。終了後、事務局の富永館長等と懇親会。
2009/11/21
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朝、犬の散歩で「皇帝ダリア」という名前の美しい花を見つけた。午前中は、講義。今日のテーマは「偉人の共通項・怒濤の仕事量」。紹介した人物は、30代を疾走した太宰治、700冊の著作を残した松本清張、奇蹟の14ヶ月の樋口一葉、詩人・歌人・劇作家・小説家・写真家・映画監督・戯曲作家とジャンルを越えた活躍をした寺山修司。冒頭に、多摩大教授の近著を紹介。沈才彬「中国経済の真実」、河村幹夫「不安な時代の人生設計図の描き方」。昼休みは、教員ラウンジで同僚たちと歓談。樋口先生、諸橋先生、斉藤先生、出原先生、、。今日は諸橋先生の自宅になっていた柿をいただく。おいしい。このラウンジでは、教員、職員が集まり、ごく自然にコミュニケーションをとることができる。情報交換と意思決定が和やかに行われていく。午後は、K出版社来訪、山田統括監と相談、そして聖蹟桜ヶ丘の美容院で髪を切る。宮城大で一緒だった天明茂先生に久しぶりに電話して知恵をいただく。夕刻から9時40分までは、品川の社会人大学院で「社会的合意形成論」の講義。今回のテーマは、日本の外交戦略。登録者15人、本日の出席者は12人。以下、現在までにアップされた感想。 * なかなか図解に表現していくというのにてこずりながら、早くも半分以上授業は過ぎてしまったんですね。今日は、「日本の論点」を図解しました。私の担当はODA供与の問題と基本法の制定についてでした。記事自体、論点が比較的整理されて書かれていたので、「こんな感じの全体像で書こうかな」というイージはしやすかったです。ただ、書き始めると、情報量が多くて言いたいポイントが埋もれてしまいそうな感じがしました。言いたい点と補足的な情報を、うまくメリハリつけて表現できるようになるといいなと感じました。あとわずかの講義数ですが、精一杯頑張ってわかりやすい図を描けるようになりたいなと思います。 * 授業もあっという間にあっという間に折り返し地点を過ぎ2週間ぶりに急に難しい図解に取組みましたが、断食の後にステーキとかつ丼とカレーライスを一気に食べたようないきなりの満腹感に、終わったあとは放心状態でした。図解の技量はまだまだですが、今さら改めて思うことは図解は理解の結果だということです。どんなに難しい内でもそれを自分で理解することができれば結論まで図解を導くことができる。そういう意味で図解にしやすい文章は優れた文章だと言えると思います。文章でも図解でも「結局何が言いたいのか」が一番重要な部分ですが、部分の関係性から結論に辿り着く方法とは逆に結論から細部をつないでいく方法も文章の構造によってはあり得るのではないでしょうか。今回はキーになる部分をワードでなくセンテンスで抽出してみてそこから最終的に大事な部分をそぎ落としてゆくような作業をしてみましたが、(お陰で紙にはもがき苦しんだ後がたくさん残ってしまいましたが、努力賞がいただけてよかったです(笑))そうするとだんだん頭の中も整理され、そぎ落とす快感というのもわかる気がしました。内容によっての得手、不得手があるうちは本物ではないとは思いますが、物事の関係性をつかみ全体像を把握するという作業は日常業務にも勉強にも十分応用ができるものです。帰宅すると、先日別府で行われた大同窓会の集合写真が届いていた。「藤田政巳君情報によると、久恒啓一君のブログには、同窓会の記事が早くもアップされて、松尾俊作君のコメントもあるとのこと。同窓会出席者全員の名前(なぜか旧姓)もアップしてくれています。インターーネット上で自分の名前で検索がヒットする人も結構いそうですよ。(実行委員会一同)」このブログをみんなが見てくれると嬉しいなあ。
2009/11/20
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* 「COBS」(毎日コミュニケーションズ)の取材。テーマは、「手帳」。12月10日発刊。---20代前半の若手ビジネスパーソンに向けて、キャリアとスキルという視点から、「今という流動的な時代を自分から楽しむビジネス力を身につける」ことを提案するフリー・ビジネス情報誌。ベンチャー企業や大手企業の第一線で活躍するスタッフや経営者からのメッセージや対談、インタビューなどで構成。首都圏主要駅フリーペーパーボックスなどで配布。----------20代のビジネスパーソン約40万人から支持されているサイトから誕生しました。読者対象はアッパークラスのビジネスマンにセグメントされています。 内容は、変化が激しい今の時代を勝ち抜くアタマとカラダづくりが重要と考え、毎号ユニークなビジネススキルトレーニング企画を中心に編集しています。ほかにはコラム、旬の人インタビュー、ファッション、クルマ、通販のページもあり、ビジネス情報のみならず、ライフスタイル系も力を入れています。COBSが、スキルもセンスも磨きたいという20代ビジネスマンのお役に立てるよう、これからもがんばっていきたいと思います。(編集部から)----20万部発行。東京・埼玉・千葉・神奈川県で配布。-----本日のリレー講座は、水野和夫氏(三菱UFJ証券チーフエコノミスト)bの「21世紀は陸と海のたたかい」。雄大なスケールの話だった。総括すると、、、「世界の成長は望めない。資源高で大変なことになる。日本は東アジア共同体構想に活路を。来年は二番底になる。」 * 世界史は海と陸の戦いの歴史である * ローマからスペインまでの陸の時代。イギリスからアメリカまでの海の時代。そして今は陸の時代(EU,ロシア、中国)への転換期。象徴的事件は、9・11,ソマリアの海賊、リーマンショック。 * 16世紀から1974年までが海の時代。1974年からが陸の時代。 * 日本の課題。1つは「成長戦略」。陸の国の仲間入り(東アジア共同体-ユーラシア共同体へ)首都は九州、ハブ空港。もう一つは「脱成長戦略」。地球の持続性を重視した視点。 * 課題。財政再建、金融政策(金利正常化)、社会政策(自殺はゼロ社会) * 海の資本帝国(成長がすべてを解決する時代)の終焉。近代の特徴=もっと先へ、より未知なるもの、より学術的に。 * 21世紀のグローバル化=辺境の消滅により成長の基盤が崩壊 * 安価な資源を無尽蔵に消費する時代の終焉(2030年に石油価格は197ドルになる。資源高) * 先進国経済は1974年に物的拡大面でピークを迎えた(先進国の粗鋼消費量は1974年がピーク) * 過去のグローバル化=15%のグローバル化。今回のグローバル化=100%のグローバル化。 * 日本。原油高=95年以降、変動費の増加(50兆円)が売上高の増加(43.6兆円)を上まわる。中小企業・非製造業は売り上げの減少(97年をピークに年率1.4%減少) * 脱化石燃料社会実現なくして所得増なし * 東アジア共同体によってアジアでのシェアを拡大 * 実質賃金は97年をピークに年率0.9%のペースで下落。 * 60日経済 * 資源価格の上昇によって向こう30年間は大変な時代になる * 95年はバーレル17ドル、08年は99ドル。10ドル上昇すると3兆円が流出するから、86兆円が流出。 * 二番底はくるか?原油価格は9ヶ月遅れでコストに転嫁。今は40ドル時代のコストだが、来夏は76ドルのコストになる。輸出はアメリカの減税効果がなくなる。今回のGDP1.2%成長のうち0.9%は輸出だった。アメリカのの追加減税があるか。結論としては、二番底はある。 * 2010年度は、景気後退-----------------・ホームゼミで、2年生の最近の様子を聞き、激励をする。・学長室ミーティング・多摩大ホームページ打ち合わせ・知研の八木会長と打ち合わせ
2009/11/19
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「多摩大生のキャリア戦略」というテーマで特別講義を行う。10月8日に3年生向けに行う予定だったが、台風の直撃のために延期になり、対象を全学年に変えて実施することになった。「志企業」に的を絞れ、「多摩地域に戻れ」という二つのメッセージを発信。講義は熱心に聞いてくれたしアンケートの感想を読む限り、このおメッセージが届いたと思う。以下、講義メモから。 * 寺島学長の講義から:資料(ブログメモ):稼ぎと務め・自由からの逃走・何者か?余人を持って代え難い・大中華圏・学習能力とスキル・友達・多摩大は恵まれている * 久恒:自由=カネ・ヒマ・カラダ、そしてココロ * これまでの私と、これからの私:ゴーギャンの名作のタイトル。これまでの私とこれからの私の関連 * 多摩大とはどういう大学か?多摩大HP:資料(多摩大HPのトップページ)現代の志塾:志とは何か。経営情報学部の志=産業社会の、、志入試。ゼミの人材育成の志。多摩大生・私の志。「私の志」小論文コンテスト=高校生353件。 * 現時点での就職率 * 企業の志=企業理念の研究:多摩大生の「私の志」・企業の志 * 私の志と企業の志のマッチング?・受験の理由を述べられる・企業規模の大小に関係ない * 人生鳥瞰図:資料・生い立ち・出会い・出来事-価値観=人生でもっとも大切にしいもの。・性格・関心・能力--仕事・仕事歴・学習歴・経験歴 * エニアグラム(性格タイプ)と職業:図解ウェブ。社会人基礎力 * 多摩大生の就活戦略(オンリーワン戦略) * 「志」企業に的を絞れ!--大学の特色。 志企業の紹介:図解ウェブ:資料(志企業・日本で)・知られざる優良企業・小さな総合商社・NPO法人 * 多摩地区での就職!--大学の名前:三多摩(北・南・西)+世田谷区:資料(地図:優良中小企業・サイバーシルクロード * 偉人の言葉を紹介:仕事に関する言葉・志に関する言葉----------------------以下、アンケートの感想から。3年生 * 自分の過去と未来をつなげること、自分の志と企業理念のマッチ等、参考になりました。 * 多摩大生の強みがよくわかる重要な講義が聞けた。志という観点から企業を見ることが大切だとよくわかった。 * 企業理念がしっかり筋の通った会社に出逢いたいと強く思いました。 * HPがこんなに内容が充実したものになっているとは知りませんでした。 * 自分の地元の長野にも「志」のある企業が多数存在することがわかった。 * 非常にためになりまhした。多摩大にいるという強みを持って就活に挑みたい * 大手ばかりに眼が向いていた。もと自分の住む中小企業も見ていこう。 * 「人生最大の幸福は職業の道楽化である」「自分のやるべきことを好きになれ」この二つを目指して就活を続ける。 * すぐ近くにもいい企業がたうくさんあることを知った。 * 「志」と「性格」という支店から就活を考えるという話はとても参考になりました。 * 「志」という支店はまったく新しい発想でした。 * 多摩大がどのような大学が少しわかったような気がします。 * 自分にしかり向き合って、「私の志はこうだ」といえるようにしたい。 * 視野を広げて企業を探したい。「志」というキーワードを中心に就活をしていきたい。 * とても参考になった。「志」をポイントとして主食活動を行っていきたい。 * 自分の今の志は「すべてのお客様に笑顔をなってもらう」です。 * 自己分析の基盤となる図解による「人生鳥瞰図」、会社の志望動機として使える「私の志と企業理念」などいろんな話が聞けました。志をもった中小企業にも目を向けていきたい。2年生 * 大学で何をしてきたぼかという問いに答えられるように、今日の今の瞬間から考えていきたい。価値観、、。 * 「自分の志」と「会社の志」が合ったところを探していきたい。 * 自己分析をやりたい * 一日一日を大切にしていこうと思いました。 * 今後の人生設計にも役にたった。志を貫き通せるような人になりたい。 * これから始まる就活で一歩、二歩と前にでていきたい。 * 「一つの企業しか受けないという人は失敗する」「現代の志塾出身なら、大小を問わず、志企業に入って欲しい」「最初の数ヶ月間は練習としてとにかく受けてほしい」。これ等の「言葉を受け止め、就活に臨んでいきたい。 * オンリーワン戦略が大切だ * 単なる就活のコツではなく、多摩大学の学生が「志」を生かして就活するという話が聞けてよかった。 * 「自由」についてのお話を聞き、考えが広がった * とても参考になった。このような講座や講義を聴く機会をもっと増やして欲しい * オンリーワンの戦略で多摩大生らしい「志」を武器に戦って行くことが大切だと思いました。 * この講義に出て自分が変わりました。 * 志のある企業に入れるような力を身につけたい。 * 就活が現実味を帯びた講義でした。プロジェクトマネジメントができる能力を身につけたい。 * ゼミの先生のススメできました。本日の就活戦略の話を聴き考えが一変しました。大企業で安定した収入が得られればいいという考えも改めました。 * 多摩大生だけのオンリーワンの就活をしたいと思います。 * 多摩大の武器「志を持つ人材を育てる」を十分に吸収して私の武器になり得るように努力したい。 * 大学に通う意欲がなくなりかけていましたが、どのような環境で学ぶかが重要だと感じました。視野を広げていきたい。 * 今日の講義で自信がつきました。「志企業」の事例を知って、自分の理想の企業が見つけられるような気がしてきました1年生 * 大企業に就職しようと思っていましたが、講義を拝聴して、中小企業や多摩地域の企業も視野に入れてみようと思います * 札幌出身です。「将来は起業し社会貢献する」という志を持って入学しました。イメージが湧いてきました。いい話。4年生 * エニアグラムによる適職診断に興味
2009/11/18
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宮脇俊三(1926-2003年)は鉄道紀行を文芸の新ジャンルとして定着させた人物である。中央公論の編集長などを歴任したが、51歳で常務取締役を自ら退く。50歳で国鉄全線2万キロを達成し虚無感に襲われたのだ。退職後最初に書いた「時刻表2万キロ」が第5回日本ノンフィクション賞を受賞し、以後鉄道三昧の日々と執筆の日々が延々と続く。54歳では「時刻表昭和史」が交通図書賞を受賞、58歳、「殺意の風景」で泉鏡花文学賞、65歳、「韓国・サハリン 鉄道紀行」で第1回JTB紀行文学大賞、72歳では鉄道紀行を文芸のジャンルとして確立したとの理由で菊池寛賞を受賞している。76歳で亡くなったが、戒名は「鉄道院周遊俊妙居士」といいういかにもというものだった。「休みには鉄道に乗りに行っておりましたが、ほとんど誰にも話しませんでしたね。、、それを聖域として大事にとっておく、、」。現役でいる間は、そういう態度を貫いている。52歳で退社したあと、遅まきながら作家活動を開始する。退職日は6月30日、そしてデビュー作は7月10日だった。それ以降の主な出版物をたどる。 * 52歳:「時刻表2万キロ」日本ノンフィクション賞 * 53歳:「最長片道切符の旅」 * 54歳:「時刻表昭和史」 * 56歳:「終着駅は始発駅」 * 59歳:「殺意の風景」で直木賞候補、泉鏡花文学賞 * 66歳:JTB第1回紀行文学大賞そして、67歳あたりから、注文に応じての取材旅行が、だんだん億劫になる娘の灯子さん(1968年生まれ)のエッセイによると、「60歳を超えたあたりから筆力がおち、酒の力を借りて書くようになった。」年表をみると、52歳からの15年間が精力的に活躍した時期ということになる。「70を過ぎた頃、父は、軽井沢でポツリとこう漏らした。「宮脇俊三も、もう終わりだな」」宮脇俊三の文章は、実にいい。例えば、、。 * 「自由は、あり過ぎると扱いに困る」 * 「どうも言語というもの、一本の線路のごとくであって。面とか空間の印象をあらわすのに適していない」 * 「彼ら(車窓風景)は見てくれと私に言う。しかし同時に、おれのことをお前、書けるのか、と言っているように思われるのだ。」 * 「旅とは。そうした観光地を点々ととすることではなく。線、つまり道程であると考える者」 * 「旅はほんらい「線」であった。目的地があっても、そこに至る道程のなかに旅のよさがあった。「おくのほそ道」にしろ「東海道中膝栗毛」にしろ、そこに描かれたのは「点」よりももしろ「線」である。」宮脇自身は、こういう行為をどのように表現しているのだろうか。 * 「国鉄全線完乗という愚かな行為」 * 「この阿保らしき時刻表極道の物語」そして、自らのことを「珍獣」と呼んでいた。愚かで阿保らしいこの行為を、自ら時刻表極道と呼ぶところが、ファンの多い理由でもあるのだろう。奥さんは同行しないのか、というインタビューの質問に対する答えがふるっている。「ええ、私は汽車に乗るのが手段でなく目的だから、利害が対立して、能率半減になるんで」学校を出て50歳までは、本業に専念し、その合間に人知れず趣味である鉄道紀行を続ける。52歳で会社を辞めてからは、プラスアルファの趣味が本業に昇格。後は全速力で息せき切って走り続けた。見事な人生である。鉄道紀行は、移動自体が目的となっており、尋常ならざる体力と気力が要求される過酷な分野である。それでも15年間は没頭できて、その慣性でその後も仕事を続けることができている。他の分野だったら、もっと長く活躍出来たのではないだろうか。鉄道紀行の異才・内田百けん、を継いだ阿川弘之は、早くから宮脇俊三に「衣鉢を」「譲る」と言っており、宮脇はその評価にふさわしい活躍をした。その宮脇も鬼籍に入った今、誰がその衣鉢を引き継ぐのだろうか。
2009/11/17
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通常の大学・大学院の講義以外に、今週から来週にかけてのいくつかの講演が予定されている。 * 18日。大学で特別講義(多摩)。「多摩大生の就活戦略」就職活動、キャリア戦略に関しての一般論ではなく、多摩大生が持つべき独自の考え方と戦略を講義するつもりだ。9月末に3年生向けに講義する予定だったが、台風のため中止となってしまった。今回は、学年を問わないという集め方になっている。 * 21日。八王子長池公園自然館(八王子)での「はちおうじ志民塾」の最終講義。「地域コーディネーターの仕事」八王子市主催の「地域コーディネーター養成講座」では、私は初回と最終回を担当している。受講者は、図解力を持ったファシリテーション能力を身に付け、地域社会の問題解決にあたる人材になってもらう。また、各講師の活動に関する70-80枚の図解ができあがるので、それを使って八王子の「地域コーディネーター像」やその要件を明らかにしていくことにしていた。受講生が毎回描いた図をもらってパワーポイントできれいにしたものを使って講義をする予定。http://www.city.hachioji.tokyo.jp/shiminkatudo/shiminkatsudo/shiminjyuku.html * 24日。大分県立中津北高等学校(大分県)。「図で考える人は勉強がよくできる」出身高校での講義。全校の1-2年生全員430名を対象とした講義。終了後は、時間割の関係で聴けなかった3年生を対象に話をする予定だ。「多摩大に来たれ」というメッセージを込めるつもり。http://nakatukita-h.oita-ed.jp/ * 25日。全日本能率連盟全国大会(青山)。「考える社員、志ある社員を育てる」社団法人 全日本能率連盟(全能連)は、『会員相互の協力により、公正な世論を促し、能率思想の普及を図り、これを実現する』という目的により、全国の能率団体が参集した連盟として昭和24年(1949年)に創立された。この会員は、経営コンサルタントが多い。この全国大会(今回の総合テーマは、「変革の原動力」)での基調講演。http://www.zen-noh-ren.or.jp/conference/informConf.html「「考える社員がいない。」これがあらゆる業界の経営者や人事担当者が異口同音に発する悩みです。文章至上主義と箇条書き信仰に侵された企業内外のコミュニケーションが、社員の「考える力」を奪っています。ベストセラー「図で考える人は仕事ができる」(日経)で図解ブームを巻き起こした久恒啓一教授が行っている考える社員を育てる実践活動に多くのヒントをいただきます。そして全国300館に及ぶ人物記念館巡りで得た久恒教授の近年の経験から、社内外の問題解決を目指す「志ある社員」を育てるための貴重な示唆をいただきます。」(パンフレットより) * 25日。JR東日本株式会社(新宿)。「図で考える人は仕事ができる」昨年から続けている講座で、中堅職員対象。--------
2009/11/16
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如水会館で行われた友人・松田俊秀君の結婚式。宇野千葉雄、山本嘉信、岩釣千三君と一緒に出席。新郎は60歳。新郎新婦とも初婚。参加者の挨拶を聞いていると、仕事ぶりや人柄が目に浮かぶようだった。友人代表としての私の挨拶の骨子。 * ブログ用の写真を撮らせていただきます。 * 来賓あいさつはあるが、新郎(60歳)の友人代表あいさつは久しぶり。30年ぶりか。 * 新郎は高校の同級生。かわいい少年だった。聡明な眼をしており勉強もよくできた。名前が俊秀なので納得。名は体をあらわす。 * 別府での還暦同窓会。みんな脂が抜けて高校時代の友人に戻った感じ。新郎は会社では常務取締役、そして新婚でもあり、脂は抜けないように。 * エニアグラムという性格分析。新郎はタイプ9の平和主義者。座右の銘が「忍耐と寛容」というのはうなずける。穏やか。新婦はタイプ1の完璧主義者。人を助けることを生き甲斐とするタイプ2に寄っているから看護師をしているのだろう。健康診断受診率100%を目指すという仕事にやり方はさもありなん。相性はいいから、新婦の言うとおりやっていれば間違いがない。やり過ぎると制止を。 * 60歳という年齢について。孔子が日本を暗くした。「、30にして立つ、40にして惑わず、50にして天命、、」。今はこの年齢を1.6倍にして考えるべき。48歳から64歳が壮年期、64歳から80歳が実年期、、、。新郎新婦は壮年期の後期にいる。 * 人物記念館の旅も300館。高齢社会のモデルだらけ。例えば徳富蘇峰。56歳からライフワーク「近世日本国民史」を書きを始め90歳で完成。それが世界最大の著作としてギネスブックに載っている。そういう年齢。 * まだ、30年以上ある。高齢社会の新たな夫婦のモデルに!----------ある方の挨拶より。夫婦の三段階----ラバーの時代。エネミーの時代。フレンドの時代。----------新郎の挨拶より。私はリスク管理、彼女はクスリ管理。----------南一誠 「俺たちの時代」男同士で 酌合う酒は 何も語らず わかる酒、、、、。-----------会場の一ツ橋の如水会館の一階には、渋沢栄一の半身の銅像が建っていた。その理由は以下。「如水会」とは東京商科大学(現一橋大学)卒業生の同窓会で、1889(明治22)年設立の高等商業学校校友会が前身。校友会は後に同窓会へと名称を変更、1914(大正3)年には渋沢栄一の命名により如水会となった。「如水会館」は如水会の会員親睦のための施設。渋沢栄一は商業教育を重視し、商工業者を蔑視する官尊民卑の風潮を打破するためにも「教育の力に依って商業を尊敬せしめるようにせねばならぬ」(『渋沢栄一伝記資料』第44巻p.305)と述べている。1900(明治33)年、渋沢は東京商業高等学校を大学に昇格させるように主張し、尽力。その後20年を経て1920(大正9)年、同校は東京商科大学へと発展した。その後、一橋大学に。渋沢は日本の500にのぼる会社の設立に関わったが、教育や社会事業にも熱心だった。その後、四谷のルノアールで、今取り組んでいる知研の本の最終校正作業に参加した。7-8人の取材参加者が集まり、細かな校正作業をこなす。21人の知的生産者の知が生産される現場を取材した本(東洋経済新報社刊)で、年内に出版予定。コメントを書く
2009/11/15
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九段サテライトで行っているインターゼミ(社会工学研究会)は、12月12日に発表会、12月26日に論文提出というスケジュールで、佳境に入っている。本日のインターゼミは、グリーンニューディール・チームの寺島学長への報告と、アドバイスを受ける時間を最初に持った。立ち会いは、担当の菅野先生、長田先生。アドバイスから(内容) * 民生部門のCO2は増加中、ここが難しい * エコ家電の矛盾(単体では省エネだが、画面が大ききなって、以前のテレビも使うから、結局は増加?) * 新技術を世界が必要としており(グローバリズム)、日本企業(東レ、新日鉄、、)は発電、資材などで潤っている * グリーンニューディールの全体像は誰にもない。 * 電気自動車も奥が深い * CO2犯人説は虚構という意見もある。 * エコ的生活 * 北欧の取り組みの詳細 * 原子力発電に関する技術の蓄積が必要。極東の日本のまわりは原発だらけになってくる。日本に技術の蓄積がなければ、原子力の平和利用については発言できなくなる。 * 化石燃料、原発、再生エネルギーのベストミックスが必要。折り合い。アドバイスから(まとめ方) * ブロックづくり * オムニバスというまとめ方もある * 等身大のレポート * 自分の頭で考えよ * 尺取り虫のように * 残して、次の期に渡していく * 発散と収斂その後、私の担当している「東鳴子温泉」チームの4人の中に入って、一緒にストーリーを組み立てる。現実的で、具体的な、継続性のある、面白い、そういう方向が出てきた。楽しみだ。--------10時半:来年度入学者の家族との面談12時10分:大学院教授会13時:広瀬先生から相談14時半:九段サテライトで、多摩大HPの打ち合わせ15時半:学長と打ち合わせ16時20分:インターゼミ
2009/11/14
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「マネジメントデザイン2」の7回目の講義。本日のテーマは、「持続する志」の後半。以下、講義で紹介した偉人の言葉から。村野四郎(詩人) * 文学は実業による防波堤中でなすべきもの。 * 「日本の現代詩人たちが、海外の詩的論理にばかり眼がくらんで、自分の足もとにある日本固有の古典の価値にほとんど盲目同然であったところに、今日の現代詩のひ弱さがあることを、かつて私は、どこかに書いたけれどこれは詩にかぎったことではなく、日本文化全体についてもいえると思う。」牧野富太郎(植物学者) * 「学問は底の知れざる技芸也」 * 「私は草木の精である」扇畑忠雄(歌人) * 「老いてなほ美しきものを吾は見む 若かりし日に見えざりしもの」 * 「偽装とは鶏肉にみにあらざらむ 政治家も学者も歌よみも亦」大山康晴(棋士) * 「賞はごほうびではなく、激励のしるしである」 * 「一時の栄光を求めるより、長く続けることが大切」 * 「人が真似できない芸を持つことが一流の条件である」 * 「無冠となって、気持ちが軽くなった。あとは、どうして立ち直ろうかと、その点にしぼってゆけばよいと自分を慰めた」 * 「立ち直るためには、一刻も早く以前の立場を忘れることである」原敬(政治家) * 「死去の際位階勲等の付与は余の絶対に好まざる所なれば死去なれば即刻発表すべし」 * 「墓石の表面には余の姓名のの外戒名は勿論位階勲等も記すに及ばず」 * 「余の日記は、数十年はとにかくなれども、当分世間に出すべからず、余の遺物中この日記は最も大切なるものとして永く保存すべし」 * 「日本人はとにかく一局処に眼光をうばわるるの弊あり」宮城まり子(ミュージカル女優・ねむの木学園理事長) * 「だめな子なんかひとりもいない」 * 「私ほどこの仕事に不適当なもんはありません。けれど、なんとか私がやりとおしてこれたのは愛です。」--先週の講義では、ヤンキースの松井秀喜の座右の銘に反応する学生が多かった。 「心が変われば行動が変わる 行動が変われば習慣が変わる 習慣が変われば人格が変わる 人格が変われば運命が変わる」やはりアスリートに関する関心も高いので、35歳で25勝したゴルフの片山晋呉(の言葉も紹介してみた。 * 「前週、自宅の引き出しに眠っていた古びたノートを引っ張り出した。まだ1もしていなかった当時の自分は「35歳で25勝する」と「書いていた。」 * 「僕の体は平均的な日本人。それで、どうすればゴルフがうまくなるかというテーマしか僕の思考回路にはない」大山康晴、牧野富太郎、原敬などに言及したアンケートが多かったが、性格タイプ2(エニアグラム)の人は吉行淳之介の恋人であった宮城まり子への関心が高かったのは「さもありなん」と納得した。現代の身近な人物のことも織り交ぜて講義をしていこう。---------------午前中の講義を終えて、午後は、「The 21」の取材を1時間半ほど受ける。12月10日発売。2ページ。写真は、取材に見えた編集者たち。逆取材で、無防備な姿の写真をパチリ。これはTwitterでも流した。オバマ大統領初来日。報道ステーションで寺島学長が沖縄の基地問題を含めた日米同盟の再構築について語っている。
2009/11/13
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多摩大サテライトに使っている寺島文庫ビルのニュースレターが届いた。内容が充実している。一つ一つ、一歩一歩、実績を積み上げていくというスタイルに共感する。どのような活動もこういう広報誌が大事である。以下、簡単に内容を紹介。 * 第8回 日総研フォーラム「世界を見る眼--21世紀初頭を超えて」(7月22日)レポート。東大先端科学技術センターの御厨貴氏、東大大学院の伊東乾氏、コーディネーターは寺島実郎・日本総研会長。第二部の寺島実郎総括講演では、「日本外交の再構築」「自他知性への回帰と自律性への志向」「中立型政策シンクタンク構想」「資源小国からの脱却-日本のエネルギー政策」がポイント。詳細はhttp://www.jri.or.jp * 深化するネットワーク * GIN総研フォーラム「寺島実郎の視座-構造転換する世界と日本の創生」(6月15日)レポート EV(電気自動車)XIT(情報技術)XRE(再生可能エネルギー)=GN(グリーン・ニューディール) 「3つのキーワードの相関によって、新しい産業技術文明論的転換にさしかかっているかもしれないという予感」 * 多摩大学・手塚山大学 寺島実郎監修リレー講座がスタート 手塚山大学は、一般聴講者145人、f大学生21人。多摩大学は、一般聴講者300人、学生200人。 * 寺島文庫ネットワーク 北東アジア研究会・アジアベンチャーネットワーク勉強会・アジア太平洋問題研究会・メディア戦略研究会・時代先見塾・ワシントンブルッキングス会。 * 来訪者・メディア取材など(ここで拙著が紹介されている) 「対話力」(樋口裕一+久恒啓一 中公新書ラクレ) 就職活動での面接、取引先へのプレゼンテーション、社内での伝達、調整業務、、、。現代社会では対話力を必要とする機会は決して少なくない。自分の考えを相手に理解しておらうにはどうすればいいのか。「小論文」と「図解」というコミュニケーションツールを武器に若者の対話力育成に取り組む二人が、本書で明かす。著者二人は共に寺島が学長を務める多摩大学の教授で、大分県中津市で幼少期を過ごした幼ななじみ。200万部超のミリオンセラー「頭のいい人 悪い人の話し方」(PHP新書)の著者である樋口教授と、ビジネスマン時代やその後の宮城大学時代を通じて図解思考を提唱してきた久恒教授が、現代社会における対話力の重要性や、対話力強化のメリット、その具体的方法などを対談形式で語り合う。表現の分野で活躍する二人がそれぞれの仕事への取り組みにいても語っており、コミュニケーションに悩む若者だけでなく、ビジネスマンにも参考になる本だ。」対話力 (中公新書ラクレ) * 主なメディア掲載論稿:7月-11月--------------------本日の午後、八王子のエイビット社(桧山社長)を訪問。
2009/11/12
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千葉県美浜区にある市町村職員中央研修所(市町村アカデミー)で、13時から17時まで研修講師を務めた。専門実務研修課程で、「政策企画--分権時代における自治体の政策形成能力の向上」というクラス名である。全国の地方自治体の政策、企画を担当している職員で、今回は66名だった。北は北海道から南は鹿児島まで。前職の宮城県の多賀城、大学のある多摩市から受講生があった。平均年齢は30代半ばから後半。「地方分権改革とこれからの自治体行政」(大森爾・東大)、「政策形成から行政評価まで」(星野芳昭・JMAC)、「人口構造の変化と自治体政策」(松谷明彦・政策研究大学院大学)、「情報収集と・調査のポイント」(宮内泰介・北大)、「効果的なプレゼンテーションの技法」(広瀬隆人・宇都宮大)、「住民協働による政策形成」(明治大)、「図解表現の技法」(久恒啓一・多摩大)、、というラインナップである。私の講義は、「説得型行政から納得型行政への転換」という内容である。この研修所で新型インフルエンザが出たとかで、全員がマスクを着用して受講するという連絡があったので、写真としては面白いと思ってその光景を教壇側から撮そうと楽しみにしていたのだが、時間が経っておりマスクをしている人は多くはなかった。そういう話をして写真を撮ったのが、「今日の一枚」だ。研修において、市長の位置づけの議論が興味深かった。ほとんどの受講生は、市長の存在を忘れて仕事をしているし、市長を意識している人も市役所という組織の中に市長を位置づけている。しかし、市長という存在は、半分は市役所内ではあるが、半分は市役所の外に出ているのではないか。あるいは、市長は市役所のトップであると同時に、住民の代表でもある。こういう議論と発見があり、面白かった。多摩大のホームページに興味を持って、市のホームページを作り直したいという人も現れた。終了後、名刺交換をしたのは、長崎県天草市、千葉県柏市、広島県福山市、兵庫県川西市、富山県高岡市、東京都多摩市からの受講生。
2009/11/11
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大山は、49歳のときに18期保持し続けた名人位を失っている。そして最後のタイトルであった王将位を50歳で失う。 この大山が51歳の時に書いた文章を読んでみると、絶頂から無冠になった後の、心構えや行動に教えられる。 「無冠となって、気持ちが軽くなった。あとは、どうして立ち直ろうかと、その点にしぼってゆけばよいと自分を慰めた」「こんどは、新しいものを身につけなければいけない。」「五十の手習いという。私の場合もそれと同じで、五十歳で再出発をしなければならないということであった。」「「休暇をとったつもりで、やりなおそう」と長期戦のハラを固めた。 これをいい機会として、世間や将棋界、そして自分を見直すことに時間をかけよと決心し、講演や将棋会をはじめどんあ仕事でも引き受けた。相変わらず多い対局の合間を縫って、全国を歩き回って、見知らぬ人々と会っている。その間、全国各地で多くの人の激励に接して、それがあきらめの誘惑から救ってくれたそうだ。 自分の流儀はそう簡単に変えられるはずはないが、頭から「変えられるはずはない」と決めこむのはあまりにも臆病すぎると大山は言う。旅行にも頻繁に出る、酒席も遠慮しない、そして自分が過去に名人であったことも忘れるようとしていたという。限られた枠の中で軌道の修正をはからずに、広い世間に出てみた。 五十歳から、生活の仕組みをかえるために、ゴルフにも挑戦している。この「何でもやって見よう」という精神の働きは素晴らしい。 「立ち直るためには、一刻も早く以前の立場を忘れることである」という言葉は、中年からの人生の転換をはかろうとしている現代人に強い示唆を与えるではないか。あの大山が名人であったことを忘れて新たな旅に出ようとしていたとは。こういった気持ちの切り替え、はなかなかできるものではない。 「五十歳の新人」として戦って、十段戦では宿敵・中原に勝ち、タイトルを取り返している。 「もう、年だなあ、、」と心にゆるみが生じたときに、すべてのタイトルを牛なったと述懐する大山は、そういう敗北主義を認めない。 五十一歳の大山は、誰にも破られ無い記録として「名人20期・優勝百回・千勝」という目標をこのときに掲げている。この記録を破る可能性が数字上あるのは、羽生善治であるが、それには途方もない時間がかかる。 大山は五十四歳のときには、優勝回数は112回、通算勝星1000勝を達成している。63歳では12年ぶりに挑戦権を獲得し中原名人に挑戦し話題になったが、1勝4敗で破れ、掲げた目標のうち名人位20期だけは達成ができなかった。 大山はその後亡くなるまでA級棋士として第一線で活躍し続け、通算では1400勝を超える実績をあげている。 大山の年度別成績表をみると、名人位を守っている時期はおおむね6割5分から最高時には8割に迫る数字が載っているが、勝率が7割というレベルは名人位を守っている時でも高い方だ。ところが、五十代の後半、60代に至る直前の1979年度には7割1分6厘、7割7厘という勝率をあげている。60歳の直前まで最強の棋士の一角を占めていたことをうかがわさせる。 29歳で名人位に就いた天才棋士という華やかな経歴にももちろん尊敬の念を覚えるが、私はむしろ、五十歳で無冠になってからの大山の心構え、心がけ、そしてその後の棋士としての生活に興味を覚える。 大山の五十代以降の仕事と人生への対処は、現代に生きる私たちに大いなる勇気を与えてくれる。
2009/11/10
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中津で川嶌真人先生(1944年生まれ)に会った。川嶌先生は医院を経営しながら、蘭学・医学を中心に研究活動を活発に行っている人物である。高校の先輩でもある。 診察中でもあり短い時間だったが、名刺を交換して、近著「九州の蘭学-越境と交流」という編著をいただいた。帰りの飛行機の中で読んでみた。 「九州の蘭学」は、九州出身あるいは九州で活躍した蘭学者と外国人の事績を記した評伝集で、59名の人物が紹介されている。この本は、2009年7月に出版されたのだが、この年はオランダと日本が平戸で貿易を開始してから400周年という年にあたっている。 九州の蘭学―越境と交流作者: ヴォルフガング・ミヒェル, 鳥井裕美子, 川嶌眞人出版社/メーカー: 思文閣出版発売日: 2009/07メディア: 単行本Amazon.co.jpで詳細を見る この本で紹介されている「中津」出身の人物10人についてのみ取り上げ、紹介する。江戸中期 前野良沢-晩学の異才辛島正庵-種痘に生涯をかけた医師たち 江戸後期村上玄水-中津のレオナルド・ダビンチ奥平昌高-夢多き蘭学大名大江春とう-蘭和辞書を出版した藩医神谷源内-殿様の異文化間交流を支えた藩士 幕末大江雲澤-医のリスクマネジメントの提唱者田代基徳-明治初期の医学教育界・軍医界で活躍した外科医藤野玄洋-大分県医療史上の先覚者福沢諭吉-蘭学を洋学に開花させた啓蒙思想家 日本の科学と医学の近代を用意した郷土の人物たちの働きを知り、感銘を受ける。福沢諭吉は、こういった歴史の上に立って蘭学を洋学として開花させた大輪の花だったのだ。
2009/11/09
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土曜日の夕刻から日曜日の昼ころまで、タイムトンネルの中にいたような、夢をみているような時間をすごした。同窓会の会場では100人ほどの同級生がいて、ずいぶん多くの人と話したが、気がつくと食事をほとんどしていないことに気がつく。食べものよりも、人がご馳走ということだ。それでも接触できた人は全員ではない。私の本について話題にする人もわりあいいたのだが、「お前の本を買ったよ」、とか「雑誌に書いている記事を見たよ」という人はいるのだが、「読んだよ」と中身について話題にす人はいなかったのは、何かおかしく、愉しい。風呂に何度か入ったこともあるのだろうが、それぞれの持ち場から離れる年齢でもあり、何か脂が抜けてきて、高校時代の本来の人格に戻っているような感じがした。肩の力が抜けて、高校生時代の友人たちと会話をしている思いがした。顔を眺めていると、あの男とあの女性は恋仲だったなあ、とかいろいろな邪念が浮かんでくるのは仕方がない。先生たちは、若い人でも76歳、年配者は87歳。古僧の雰囲気を漂わせる漢文・古文の先生も。我が高校は、県内で唯一坊主頭ではなく、長髪が許されていた。校風が「自由」というのもうなづける。二次会では、出身中学校ごとに校歌を歌うという趣向だった。城南中学、豊陽中学、東中津中学、緑ヶ丘、耶馬溪、友枝、長洲、吉富、洞門、今津など20近い中学校から集まっていたことを初めて知った。我が豊陽中学校は多いのだが、校歌を覚えている人はいなかった。会の冒頭、集合写真を撮った。男性は浴衣姿がほとんどだったが、女性は全員盛装だったのは面白い。夕方から深夜、そして翌日の風呂、朝食、ロビーでもさまざな交流が行われた。帰りのマイクロバスでは、消息通の友人が仲間の動向を詳しく教えてくれたが、高校卒業以来の波乱万丈の人生を垣間見る想いだった。以下、参加者。長田正文、安部逸郎、小倉ひろ子、渡辺恵子、井上友子、井上義信、猪俣範一、岩井正道、岩田政明、植田順一、内尾伸行、宇野千葉雄、梅木健太郎、江藤伸一、恵良洋子、大下正樹、今富博子、岡部栄一、氏山直子、奥健策、乙女もも代、小野恒春、友松保視、甲斐博、垣内洋一、賀来きよみ、加徳恭良、川内清巳、川口等、川原口悦士、神崎惟康、井堀ミユキ、北坂学、木戸美知子、横松由紀、清原敏樹、久恒なほみ、西本博子、五家忠雄、小洞ヨシ子、佐伯多加志、酒井英一、宮本マサ子、小野裕子、佐藤元信、中野貴祥、須賀留美子、大江千春、関戸悟、瀬口啓一、瀬口幹夫、高久保真理子、高橋是充、高宮明治、田中憲子、津村直樹、田渋順一、田中秀敏、西口とも子、千千岩洋、塚崎裕久、寺山正俊、豊永量一、中居素美、中島正人、永松正博、長松剛一、中山義広、衛藤恵美子、野依不二男、田中公恵、畑迫妙子、土生望、井上隆治、久恒啓一、久持英範、原恵子、福谷英明、藤田政巳、藤本正明、南好江、古野健一、前田猛、永木美津子、松尾俊作、松浪義和、今富よしえ、松本洋一、溝井潤二、三谷明、松田アツ子、宮田静一、小倉喜美子、平野多津子、横井由美子、吉松いくみ。
2009/11/08
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朝、羽田空港から、大分空港へ。別府・杉の井ホテルでの同学年の大同窓会が、開かれた。このホテルの名物の棚湯では、湯の中に同級生らしき顔が浮かんでいる。あれは、誰だったかなあ?、あれは○○君、あれは○○ちゃん、、、。440人ほどの同級生のうち、物故者20数名、連絡がとれない人20名。当日の参加者は、100名だった。先生たちも植山先生、木本先生、安部先生、中島先生、今仁先生、、。それぞれの人生が詰まっている感じがして、壮観である。同級生の神主の佐藤元信君による神事のあと、宴会が始まる。実行委員長は土生望君。高校を出て以来会っていない人も多く、懐かしい顔があちらこちらに見える。いろんな人と話しているうちに、あっという間に時間が経ってしまう。二次会もほとんど出席して、続き。3次会は大部屋で3時頃まで続いた。デジカメで写真を撮りまくったので、後でアップする予定。純粋で、とても愉快な、楽しい時間をたっぷりと過ごしました!-----------------上記は、速報です。
2009/11/07
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9時半:大学で仕事開始。10時40分:「マネジメントデザイン2」の6回目の講義。今日のテーマは「持続する志」。藤沢周平・池波正太郎・羽仁もと子・徳富蘇峰・大河内伝次郎・市川房枝について講義。12時半:NHK教育テレビの関係者がみえて番組の相談。実現すれば面白いことになりそう。14時:野田先生が梢先生の授業での講義のため来訪。16時半:品川で研修会社と企画の打ち合わせ。1月から。18時半:品川のサテライトで大学院の4回目の「社会的合意形成論」の講義。登録者は14人、出席者は10人。-------------------以下、今日のTwitter。逆順。品川のサテライトで、大学院の授業中です。今日は10人。修士論文の書き方というような内容の講義と実習になっています。全員社会人で、年令は30代後半が多いかな。ウイークデー2-3日と土曜日。みんな偉いなあ。約9時間前 webで品川で、研修会社と打ち合わせ。1月から浜松町で開講。約9時間前 webで野田一夫初代学長が大学を来訪。台風のよう、、。約14時間前 webでNHK教育の担当の方々が見えて、相談。実現すると面白いなあ。約14時間前 webで機械技術の分野にいちばん必要なのは挫折の歴史である。私はヘマな失敗例を集めた書物がほしい。(発明家ワット)約19時間前 webで@shyamamo 楽天からはてなに引っ越しました。約22時間前 webで shyamamo宛#@okadahironori ありがとうございます。約22時間前 webで okadahironori宛「常識に還ろう」「老人が戦争を起こして、若者が死ぬ」「アメリカは、天才とホームレスの国」「時間を切り売りする仕事(生活)と尊敬される仕事(NPO/NGO)のダブルジョブなど、仕事と生活を柔らかく設計せねばならない」http://d.hatena.ne.jp/k-his...約22時間前 webで今日も生涯の一日なり。約23時間前 webで
2009/11/06
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本日のリレー講座は、寺島学長の講義。 * 09年1月ー9月の日本貿易構造は、米国13.5%(1970年27.4%、04年は18.6%)。中国20.5%、大中華圏30.6%、アジア49.4%。 * グレーターチャイナ(大中華圏)。国民党の馬総統も関心。陸の中国(建国60周年・天安門20周年)と海の中国(香港、台湾、シンガポール)。ネットワーク的発展(相互補完。域内比率は50%へ) * 日本海物流の時代。中央自動車道と関越自動車道が八王子でつながる。間もなく東名自動車道とも。新潟へ、。そして釜山へ。太平洋側と日本海側がつなぐことが重要。釜山トランスシップ。四国も。仙台も。モノの動きが変わってきている。 * 日米安保は冷戦時代には有効だった。戦後65年経ったのに外国軍が駐留しているはおかしい。常識に還ろう!ドイツは米軍基地を93年に圧縮、地位協定も改定。日本の90年代は宮沢政権以来短命内閣で日米関係の見直しはなかったまま、準備不足のまま小泉政権でグローバリズムに乗ってしまった。 * 9・11以降の「しかたがないじゃないかシンドローム」。 * この8年間で米軍兵士はイラクで4339人、アフガンで822人、計5161人が死亡。5000人のアーリントンの墓地のイメージ。イラク人の死者は10万人から18万人。 * 「老人が戦争を起こして、若者が死ぬ」 * アフガンは、「オバマのベトナム」になる可能性。泥沼。カルザイ政権に正統性はあるのか。日本は2000億円を突っ込んできた。 * アフガン復興の仕組みの再構築が必要だ。 * オバマは第二のFDR(フランクリン・ルーズベルト)か、第二のカーターか? * 4700万人のアメリカ人が健康保険に入っていない。オバマは健康保険制度をやろうとしているが、それは社会主義だとして反対が多い。 * アメリカは、天才とホームレスの国である。高い能力のある人には楽しいが、普通の人以下ならホームレスにもなりかねない国 * 日本は中流幻想が崩れてきて、貧困率は15.7%。今回の政権交代には、格差と貧困の問題が横たわっている。 * 雇用者5539万人のうち、非正規雇用者1760万人。3人に一人は非正規雇用者 * 非正規雇用者のうち、年収200万円以下は74%の1305万人。 * 自営業の年収200万円以下を加えると、労働人口6376万人のうち、年収200万円以下は2196万人。3人に一人は200万円以下。 * 年収200万円とは、時給1000円のコンビニのレジ、居酒屋の店員で、いくら働いても超えないレベル。 * IT化によって、仕事の中身が平準化され(バーコードなど)誰がやっても同じ仕事になってきている。 * グローバル化。途上国は時給100円ということで、時給はアップしていかない。 * 大リーガーに代表されるような「余人を持って代え難い」能力には大きな勝ちがつく。 * この流れは続いていく * RFID(MITが開発中)という新しい技術革新は、すべての賞品にチップが組み込まれ、レジが要らなくなる。そういう時代がすぐくる。そうなると時給1000円の仕事もなくなる。 * こういう時代には、時間を切り売りする仕事(生活)と尊敬される仕事(NPO/NGO)のダブルジョブなど、仕事と生活を柔らかく設計せねばならない。-------------寺島学長は、リレー講座のあと、多摩大付属聖ヶ丘中学校・高校の先生達に短い講演をした。昨日の午後アメリカから帰ってきて本日の夜まで、総理を含む閣僚4人と面談というまことにハードなスケジュール。写真「今日の一枚」は、聖ヶ丘中学校・高校での講義風景。---------------ゼミ生にはリレー講座に出るように言っていたが、多くが出席して話を聴いていた。-------------ファンであるヤンキースの松井秀喜は、ワールドシリーズの第6戦で3安打1ホームラン6打点と大活躍し、MVPを獲得。まさに「余人を持って代え難い」人には、大きな価値がつく。「辛いときはなかった。試合ができれば辛くない」というコメントも素晴らしい。研究室でインターネットで一球づつの速報を見ていたが、ホームランにいたる一球速報もおもしろかったが、最後の8球目はホームランだった。ヤンキースとの契約最終年度にワールドシリーズに出て、最終試合で爆発し最高の栄誉であるMVPに輝くというシナリオをみると、神様がいるとしかいいようがない。
2009/11/05
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N出版社から来年3月刊行予定の本(NPO法人知的生産の技術研究会編著)の取材で、10時から茂木健一郎さんを訪問取材した。場所は、五反田のソニーコンピュターサイエンス研究所。取材は八木哲郎氏と私。極めて多忙な様子。早口で、カンが良いという印象。サービス精神が旺盛な方である。取材終了後は、東京工大の学生・院生への指導の時間だった。とてもいい取材ができた。詳しくは本で紹介することになるが、キーワードを以下にメモする。 * 独学・私塾・フリーランス・脱藩 * 大学という組織は粗すぎる。カリキュラム自体がナンセンス。PDFで手に入る時代 * 漢文の素読の塾 * 雑学が大事 * 組み合わせの要素の数。10、100、1000、、 * 渡辺京二・林望・梅原猛・吉田秀和・マイケル、、 * 教養とは生きるための知恵。総合的判断。コモンセンス。広さの上に高さがでてくる。多様性。 * 側頭葉前野に図を司る細胞があるらしいが、解明されていない * 関川夏生の「坂の上の雲」の論評。軽い国家と重い国家。 * 西洋哲学の2000年来のテーマだったクオリアが自然科学の問題になってきた。感覚の中の質感。色。音色。冷たい、熱い。スピノザ、デカルト。1000億個の脳細胞との対応関係。 * 歴史に学ぶとは、歴史上の人物の気持ちに寄り添うこと * 知の現場。動く。分野を限定しないで人と会う。 * いきなり本論に入る。 * 他人のために頑張っている人は伸びる。エネルギーが出てくる。メッセージも変わってくる。 * 知識を自分のものにする。身体知に関わる。 * 偶有性 * 子供には本物を見せる * 伊勢神宮、恐山、天の岩戸、高天原、、 * 秘仏。誰も見たことにない、エンプティ(空)の中で本質をみせるという方法 * おまかせ文化など、日本は凄い。しかしサブカルチャーしか輸出できていない。ハイカルチャーのすごさを出す * 毎日ウイークリーに書いている英文を外国にも配信する話。 * ケン・モギのブログ。英語のブログ。Twitter。---------------午後は、九段サテライトで地域活性化マネジメントセンターの第一回の運営委員会。
2009/11/04
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与謝野晶子は夫・鉄幹との間に実に11人の子供をもうけている。11回の出産で双子が二組あったから13人となるが、死産と直後の死亡で育ったのが11人となる。24歳で長男光、26歳で次男秀、29歳で長女八峰、次女七瀬(双子)、31歳で三男麟、32歳三女佐保子、33歳で四女宇智子、35歳で四男アウギュスト、37歳で五女エレンヌ、38歳で五男健、39歳で六男寸、41歳で六女藤子。つまり24歳から41歳までいつも妊娠状態だった、ということになる。その中であれだけの膨大でかつ優れた仕事を成し遂げたことに驚かざるを得ない。これらの子供の名づけ親は、上田敏、薄田泣菫、森鴎外、ロダンたちだった。「幾たび経験しても其度毎に新しい不安と恐怖を覚えるものは分娩」と述べている晶子は、いつも重い出産に苦しめられていた。「母として女人の身をば裂ける血に清まらぬ世はあらじとぞ思ふ」という出産を表現した女性としての壮絶な歌も詠んでいる。しかし子どもが生まれると、晶子はすぐに仕事と育児に明け暮れる。そうした日常の中で、先に述べた多くのすぐれた仕事を残した。そのエネルギーに驚きと尊敬を禁じえない。ところが子供たちからみると、口数が少なくいつも何かを考えていて、いつも心ここにあらずという風情だったらしい。母の作った料理を口にしたことはない、子供たちは晶子に看病してもらったこともなかった。与謝野家の家計は、そのほとんどが「気むずかい父の機嫌をとり、一家の経済を一人の肩に背負っていた」晶子の肩にかかっており、生活のためにあらゆる仕事をこなしたという面もあったようだ。ちなみに、自由民主党の重鎮であり政界屈指の政策通といわれる与謝野馨氏は鉄幹・晶子の次男で外交官であった秀(しげる)の長男である。「折々に私はこんな事を空想することがあります。私に満3年ほど休養して読書することのできる余裕を与へて呉れる未知の友人はないかと。若し万一にもさう云ふ篤志な知己が得られるなら、私は今の毎月の労働を三分の一に減じ、月の二十日間を、特に教授に乞うて帝国大学の文科の聴講と図書館に於ける独習とに耽るでせう。猶その余暇に私は東京と地方にある種種の工場などを見学して廻るでせう。私は可なり欲が深い。史学、文学、社会問題、教育問題、婦人問題等に就いて何れも多少の重みのある著述がしたい。さうして同時に修めたいのは哲学、心理学、社会学、経済学等であるのです。」何という欲張りだろうかと、その向上心に敬意を表したくなる。もし晶子が女性でなく、出産や子育てから解放されていたら、どのような業績を残しただろうか。恋愛、家族愛、教育、著作、作歌、あらゆる分野に抜きんでた巨人・与謝野晶子のエネルギー源は、いったい何だったのだろうか。年若くして世に出て、63歳で没するまで全力疾走で駆け抜けた与謝野晶子の生涯から学ぶことは多い。
2009/11/03
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10時から品川のサテライトで会議。昼食は、家内と都内で勤務している娘と待ち合わせて食事。その後、青山の新装成った根津美術館を訪問する。この美術館は、実業家にして古美術蒐集に熱心であった根津嘉一郎(1860-1940年)の遺志で、コレクションを一般に公開するために、1941年に南青山の根津家の敷地内に開館した。このたび3年半にわたる大規模な増改築を行ったのだが、設計は隈研吾で、「和」の趣を基調に、日本庭園と一体感のあるデザインである。展示室の照明はLED(発光ダイオード)を用いて、収蔵品が今までより映えるという技術だ。8万個のLEDのおかげで、光の明暗、太陽のような白い光から和ろうそくの暖かな光まで、作品の鑑賞に適した調光が可能になった。延べ床面積は今までの2倍の4000へーべ。絵画・工芸の名品展では、国宝の那智瀧図(鎌倉時代)、四季花鳥図(狩野元信・室町時代)、和漢朗詠抄(本阿弥光悦)。「手を競う」というテーマの展示室では小野道風の書。仏教。古代中国の青銅器、仏像などを観た。見事な庭園も散策してみた。起伏のある見事な手入れの行き届いた見事な庭である。五島慶太の五島美術館、原三渓の三渓園などでも感じたが、功なった実業家の最高の人生とは、美術品を蒐集して楽しみ、死後その美術品を一般公開する美術館を残すということではないだろうか。根津嘉一郎の略歴。万延元年6月15日~昭和15年1月4日(1860~1940)山梨県の商家に生まれる。県会議員などを務めた後、企業の株取得を通じて会社経営に乗り出す。現在のアサヒビール、富国生命など多くの企業の再建に手腕を発揮した。「ボロ買いちろう」と揶揄されたほど、経営難に陥っている会社を多く買収したが、それらを見事に再建させた。ボロ会社と言われていた東武鉄道を一躍優良企業に変貌させ、また、東武鉄道をはじめとする24社にのぼる鉄道会社の経営に関係したので「日本の鉄道王」と呼ばれた。事業以外にも、武蔵高校(現:武蔵大学)の創立や、古美術収集などにも精力を注いでいた。また1904年からは衆議院議員を連続4期、1920年からは貴族院議員もつとめている。郷里の先輩の若尾逸平から「金儲けは株に限る。株は運と気合だ」と言われ株の世界に入る。「乗り物」と「灯り」というキーワードをもらった嘉一郎は、東京電灯株を徐々に買い占め、ついに経営権を手に入れる。そして渾身の力を尽くして、東武鉄道の再建を依頼され社長に就任し、コスト削減とリストラを行い、成功する。日光線を成功させ、ボロ会社は一気に優良企業になった。根津嘉一郎が経営を手がけた企業は、日本第一麦酒(現:アサヒビール)、富国徴兵保険(現:富国生命保険)、日清製粉などがある。根津嘉一郎は自らを「生涯、他人に使われたことがない」と話している。多くの実業家は丁稚からたたき上げ、功労を積み、出世街道を登りつめたが、根津嘉一郎は生涯一匹狼を通し、人の下僚になり、使われた経験や人の恩顧を被った経験を持たなかった珍しい人物だ。「会社再生の秘訣は、どこに不正と不合理があるか、その病原を退治することが一番近道である」
2009/11/02
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先日訪れた札幌の渡辺淳一記念文学館で手に入れた「渡辺淳一の世界2--1998-2008 失楽園から鈍感力まで」(集英社)を読んでみた。北海道新聞連載のための語りおろし「愛と生を書き続けて」が面白かったので、この中からいくつか言葉を拾ってみたい。渡辺淳一のライフワークは、「男女もの」である。そこに至る経緯と、氏の決意がよくわかる内容だった。 * 「何でも好きなことを思い切りやりなさい。でも責任は自分でとるんだよ」といって許してくれた母の存在は、私にとって大きなものでした。 * 死は限りなく「無」であり、放っておくと死体は着実に腐ると知りました。死は腐敗なのです。だから、「今しかない、今、生きている間に思い切り何かをしないと意味がない」、と思いました。 * 医療という現場はエゴイズムがぶつかり合う、極限状況が見られるすてきな場所でもありました。 * 「何でもいいからまず書いて有名になりなさい。有名になれば書きたいものも書けるようになる。その前につまらぬことで悩んでいるうちに、君自身が消えてしまうよ」と(伊藤整先生に)言われたのです。 * 「君ね、できたら一度でいいから、ベストセラー作家になりなさい」 * ベストセラーを出すと人が寄ってきて、「書いてくれ、書いてくれ」とせかされ、追われて、そこで初めて隠れていた自分の能力を引き出される。ベストセラーを出した人間とその経験のない人間では力のつき方が違う、とも言われました。「だから、一度はスターに、時代の寵児になりなさい」と言われたのです。 * 大学病院にいるのはもう無理だと思いました。、、、今こそ上京して作家一本でやってみよう、年齢的にも、タイミング的にも今しかない、そう考えて決心したのです。ちょうど35歳の春でした。 * 原稿依頼が途切れなくなり、私はそれをこなし続けるため、小説の舞台となるフランチャイズを三つもとうと考えました。一つは今住んでいる東京、二つ目が生まれ育った北海道、そして三つ目が京都です。 * 男女ものの小説を書く人が減った理由の一つは、書けば自分が傷つくからです。まず、家庭でトラブルになるし、世間的にも批判を浴びる。しかし、それを乗り越えられてこそ作家です。 * 40代半ばに、私は得意にしていた医学ものと歴史物からいったん離れようと決意しました。それらより、自分の想像力で書く現代ものに引かれたのです。 * 「これ(「ひとひらの雪」)を書いていて間違いない。男女ものでいいんだ。生涯これを書いていこう」と確信したのです。ちょうど50歳目前のときでした。 * 65歳の時に札幌・中島公園の近くにエリエールスクエア札幌「渡辺淳一文学館」を大王製紙に建ててもらいました。 * 今年71歳になりましたが、ここまで来られたのは、やはり健康だったからです。小説を書くのは知的作業というより、肉体を酷使する一種の格闘技のようなものですから。執筆スタイルは40代のころと変わっていません。前夜酒を飲んでも、朝早く起きて原稿を書き始めます。厚めの原稿用紙と鉛筆と消しゴムを使って、行きつ戻りつしながら書くのが男女ものに合うのです。 やりたいことはたくさんあります。読みたい本や資料もあるし、映画や芝居も見たい。ゴルフもしますし、囲碁、将棋も有段者です。車で北海道の海岸線も回ってみたいし、そして女性との付き合いも、、、。 デビュー30周年の時、「原稿用紙のマス目を一つづつ埋めてここまで来た」と思いましたが、10年たった今も同じです。握る鉛筆が2Bから4Bへと少し柔らかくはなりましたが、これからも行きつ戻りつしながら、やはり男女ものを書き続けていきたいですね。 (平成17年初夏)
2009/11/01
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