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オンザウェイ・ジャーナル「月刊寺島実郎の世界」の今週号。動画で木村知義さん(多摩大客員教授)のインタビューに答えていく動画が配信されている。本日の番組のキーワードは、以下のとおり。------------------------鹿島守之助への手紙・鹿島建設中興の祖・1963年・15歳の少年の手紙・476年前・札幌の高校生・クーデンホーフ・カレルギー・汎ヨーロッパ・欧州統合の父・クーデンホーフ光子・青山光子・タイムカプセル・寺島文庫・少年時代から集めた三万冊の本・地理と歴史の本・未来論・社会構造論・世代論・タイムカプセル・理想は必ず実現する・留学生・磁場・クラスター(葡萄の房)・梁山泊・アジア太平洋研究所、、、、。高学歴ワーキングプア・視聴者からの相談・ポストドクター・セルフヘルプ・学歴では生きていけない・他流試合・人から吸収・努力の延長にしか人生はない・力をつける・重大な欠陥・努力ができない才能・踏まれても咲くタンポポの笑顔かな・それでもうまくいかないという人にはめったにでくあわさない。、、、、。-----------------------以下、順番にクリックしていくと、この番組が見れます。多摩大学http://www.tama.ac.jp/「現代の志塾」多摩大の図解ホームページ。多摩大プライドhttp://www.tama.ac.jp/「多摩大の教員、職員、学生、OBなどのブログポータル」「寺島実郎の発言」をクリック。月刊寺島実郎の世界http://www2.jfn.co.jp/tera/index.html「オンザウェイ・ジャーナル「月刊 寺島実郎の世界」。この番組では、政治・経済・社会そして文化、歴史にまで視野を広げてこれからの日本のあるべき姿をテーマに、財団法人日本総合研究所会長で三井物産戦略研究所会長、そして多摩大学学長の寺島実郎さんと共に考えてまいります。」
2009/05/31
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損保ジャパン東郷青児記念美術館で、「没後80年 岸田劉生 肖像画をこえて」が開催されている。岸田劉生(1891-1929年)は、「麗子像」で有名な画家である。会場では、自らを描いた肖像画と友人知人を描いた肖像画が多数並んでいたが、圧巻は自分の娘である麗子の子ども時代から16歳までを描いた絵だった。「一体人間の顔程、画家にとっていろいろな美術的感興を興させるものは他にない」という岸田は、若いころ友人をモデルに肖像画を描きまくって「岸田の首狩り」「千人斬り」などと言われて恐れられた。岸田は日記をつけていたし、自画像を大量に残している。自分という存在の意味や意義を問う毎日だったのであろう。この自画像は30点ほど展示されていたが、ほとんどが22歳から23歳の間に集中している。細面で、眼鏡をかけ、耳が大きい。正面から、右から、左から、そして帽子姿もあるが、神経質そうな青年の顔である。16歳でキリスト教に入信した岸田は、絵を描くことが自らを生かす道だと感じて、白馬会の洋画研究所に入り、黒田清輝に師事する。20歳で信仰を捨てて、雑誌「白樺」を購読し、6歳年上の武者小路実篤(1885-1976年)と出会う。岸田はこの出会いを「第二の誕生」と呼んだ。実篤も気持ちよく付き合える友人、尊敬し合える友として岸田を大事にし、その交遊は生涯続く。死後も娘・麗子は武者小路を実篤を頼りにしている。1987年に麗子が書いた「父 岸田劉生」で、実篤は心のこもった序文を書いている。岸田は22歳で鏑木清方に日本画を学んでいたシゲルという女性と結婚し、翌年麗子(1914-1962年)が誕生する。家族の写真が展示されていたが、妻は色白の美人だった。岸田は家族の記念日を大事にする人で、麗子の誕生日には写真館で麗子と家族の写真を撮るのが恒例となっていた。岸田は日記も含めよく文章を書いたから、その心境がわかる。「道を見ると、その力に驚いたものだ。、、、これこそ、自分の眼でみるものだ。、、セザンヌでもゴッホでもない、ということをよく感じた」「肖像画同様の心の経験で自然物にぶつかる事がで出来だした。「見方が自由になり、また自然に帰って、さらに少し深くなっている。人間の顔の感じは、あるところまで出ている」(古屋君の肖像)岸田劉生は、こういった文章を書いた28歳の頃に、ようやく自分自身になりきれたようだ。29歳では、「りっぱな芸術は、たいてい見ていると、シーンとしてくれる。、、、僕はそういう感じが自分の絵から感じられるまでは筆を置くまいと思っている」と決意を述べている。有名な「麗子像」は27歳の時の「麗子肖像」という油絵が最初で、それ以降精力的に描き、これが岸田の代表作となっていく。愛娘を描いた絵が代表作として残るという幸福を得た画家はいない。「麗子肖像」「麗子六歳之象」「麗子坐像」「麗子微笑す」「麗子之像」「麗子立像」「麗子洋装之象」「麗子微笑之立像」「麗子微笑像」「三人麗子図」「「笑ふ麗子」「二人麗子図」「野童女」「麗子弾絃図」「「童女象」など、麗子の5才から16歳まで膨大な作品群である。そして最後となった「麗子十六歳之象」は、桃割れに結いあげた麗子の派手な衣装であったが、さらに卑近な赤で縁取られた、初期浮世絵的な作品である。これを最後に麗子像を終える。「麗子の絵は、私の美術鑑賞上の変遷とかなり歩を同じくしている」と岸田は語っている。有名な「麗子座像」は、黒い闇の中で、黒い髪、赤と黄色の絞りのメリンスの着物、そして赤いリンゴをそばに置いた麗子は、細い眼で斜めを向いている。一か月半を費やした労作である。確かに、シーンとする感じの絵である。この娘・麗子が後に書いた「父 岸田劉生」の序文では武者小路実篤が「劉生の事を知りたい人は是非この本は読まねばならない本だ」と書いている。最も近い肉親である麗子がみた父親・岸田劉生の日常と仕事ぶりがよくわかる。「一見して人の心をうつものをかきたい。深い力で、そして見れば見る程深いものを。これが自分の為す可き仕事であり道である、、」「自分はやはり仕事をしないと空虚になる。いい仕事をもっともっと仕度いと思ふ、、」毎年の元旦には「余は三十七歳、シゲルは三十六歳、麗子は十四歳、、」という記述がかならずあり、微笑ましい。自画像、友人・知人たちの肖像画、家族の肖像、6年間一日も休まず日記をつけ続けていたこと、その内容などをみると、岸田劉生は自意識の強い、周りへの愛情の深い人物だったように思える。-------------------土曜日は、14時に九段下のグランドパレスホテルで、大学院同窓会のホームページ担当の永井さんと会い多摩大ホームページの構想を語る。大学院同窓会のホームページもこれを契機にリニューアルすることになる。この組織は大学にとって大事な活性化した集団でもあり、その活動内容を外に出していくことが重要だと思うので激励しておいた。楽しみである。16時過ぎからは、九段サテライトでインターゼミ。私と菅野先生とでオリエンテーションを行って、グループ討論に入る。来週は、寺島塾長も参加する研究計画書の発表会。19時過ぎから、新宿三丁目で家内と都内でつとめる娘と三人で食事。
2009/05/30
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午前は、講義。過去6回の講義のおさらいの意味で私が監修し、出演もしているDVD「企画・プレゼンに活かす図解表現の技術」(日本経済新聞社)を見せる。午後前半は、1年生対象のプレゼミ。4人の教員チーム(椎木先生、中村その子先生、山原先生、私)で指導するのだが、テーマはNPO。指導の中で図解を用いることになっているので、私の出番も多い。午後の後半は、諸橋学部長と一緒に長池公園の自然館を訪問する。富永館長と国土交通省国土計画局の広域政策を担当する堀尾企画官と面談。三者にとって有意義な情報交換となった。15時半から18時過ぎまで。二人の青年の同席があったが、彼らは今年入省した総務省のキャリア官僚(丸尾さんは地域創造グループ地域政策課、矢後さんは地域力創造グループ地域自立応援課)で、新人研修の研修先としてこのNPOが管理する自然館に来ているとのことだ。富永館長の動きについていきながら学ぶという研修スタイルだそうだ。通常は、県庁や市町村という行政現場が研修先となるのだが、今年はNPOが研修先となった。官庁内部にも動きが出ているということだろう。夜は、NHK教育の「芸術劇場」の歌舞伎「菅原伝授手習鑑」の「寺小屋」を観る。---------------------------------歌舞伎の義太夫狂言を代表する屈指の人気演目。首の詮議にやってくる大役・松王丸を片岡仁左衛門が演じる。義太夫に造詣の深い仁左衛門が、親子の別れと悲しみをたっぷりと描く、必見の舞台。<演目>歌舞伎「菅原伝授手習鑑」(スガワラデンジュ・テナライカガミ)~寺子屋~竹田出雲・三好松洛・並木千柳<出演>松王丸:片岡仁左衛門 武部源蔵:中村梅玉 源蔵女房戸浪:中村魁春 御台園生の前:片岡孝太郎 菅秀才:片岡千之助 春藤玄蕃:市川段四郎 松王女房千代:坂田藤十郎ほか<収録>2008年11月25日・歌舞伎座(東京)演目については、文楽研究家の高木秀樹さんの解説を見つけたのでそれを転載。http://74.125.153.132/search?q=cache:ZK6MVjNoFQcJ:www.emo.or.jp/emo/organ/vol35/special4.html+菅原伝授手習鑑+寺子屋&cd=85&hl=ja&ct=clnk&lr=lang_ja----------------------------------------------今回は昼の部に時代物の大曲『菅原伝授手習鑑』と景事の『釣女』。夜の部に世話物の人気曲『曽根崎心中』をご覧いただきます。 時代物は江戸時代以前の事件をテーマにした歴史ドラマで、登場人物も公家や侍といった、いわば時代劇。一方、世話物は江戸時代の現代劇で当時の庶民がモデルです。 そのように登場人物は変わっても、文楽で描かれるストーリーの基本は変わりません。それは、人の情・情愛を描いているということです。『菅原伝授手習鑑』では、政治の犠牲となり引き裂かれる親子の情愛を。『曽根崎心中』では、この世では結ばれなくても、せめて、あの世では添い遂げようとする、若い男女の情愛を描きます。◆せまじきものは…昼の部『菅原伝授手習鑑』の菅原とは、平安時代の学者で政治家でもあった菅丞相・菅原道真のこと。丞相は政治的なライバル・藤原しへい時平の讒言により筑紫国に流罪となり、さらに丞相の若君・菅秀才の命が狙われます。時平側は若君を匿う寺子屋の師匠・武部源蔵に、若君の首を渡せと命じますが、源蔵は若君を救うため、新入りの寺子・小太郎の首を打って身代わりにしようと決意します。若君を助けるため、忠義のためとはいえ、何の罪もない子を殺さなければいけない苦しさ。源蔵は思わず「せまじきものは宮仕え(宮仕えなどすべきでない)」と本音を口にするのです。◆どんでん返しの展開やがて、時平方から来る首受け取りの者。首の真偽を確かめる首実検の役を務めるのは、時平に仕える松王丸。実は、その松王丸の名付け親が菅丞相で、親兄弟も丞相の世話になり、彼は丞相に深い恩義を感じつつ敵方に仕えていたのです。そして首実検。首桶の中には若君でなく身代わりの小太郎の首。松王丸は「若君の首に相違ない」と言い放ったものの、憂いの表情。このあと物語は思わぬ方向へ。何と身代わりで殺された小太郎は松王丸の子で、彼は我が子が殺されるのを覚悟の上、寺子屋に送り込んでいたのです。すべては丞相へのご恩返しのため。これも忠義が生んだ悲劇でした。---------------------中期展望として「歌舞伎鑑賞」もテーマとすることにしたい。
2009/05/29
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学長室ミーティング、山田事務局長との相談、多摩大ホームページの打ち合わせ、寺島学長へのブリーフィング、矢内事務長との相談、入試担当の井川さんと「私の志」コンテストの相談、諸橋学部長の代行でリレー講座の司会、ホームゼミ、、。---------------------------------さて、今日のリレー講座は、外務省参与で、元駐ウクライナ大使の天江喜七郎さんの「ロシア「帝国」の復活を考える」というテーマだった。事前に天江さんが寺島学長に挨拶に見えたときにご挨拶をする。プーチンという人物は大したものらしい。天江さんは現在は財団法人国立京都国際会館館長の仕事をして、同志社大学の客員教授もつとめている。ソ連ウオッチャーとして、二度のソ連駐在でミグ事件を担当、ソ連崩壊と新ロシア誕生を目撃しており、2002年から2005年にかけて駐ウクライナ特命全権大使としてオレンジ革命を経験している。帝国の条件は中央に権力が集中し、軍事力とともにインテリジェンス能力が強いこと、そして文化宗教など周囲を引き付ける魅力を持っていることだ帝政ロシア、ソ連崩壊、新生ロシア、強いロシアの流れプーチンのロシアは、1991年から2000年にかけてロシアの失われた10年から立ち直ったプーチンはレニングラード大で工学、経済学を学の国家秘密警察(KGB)に。レニングラードで局長、東ドイツ勤務。レニングラード市副市長。モスクワで連邦保安局長官。書紀を経て、首相。1999年12月31日に大統領代行、2000年3月大統領。2004年3月大統領再選。2008年5月首相。2012年から2026年まで、再度大統領職に就く可能性があり、26年間にわたって大統領と首相をつとめることになる。プーチンとメドベジェフの二頭体制は、80-70%とロシア国民の圧倒的支持を得ており、経済の復活、給与水準の上昇による中流階級の増加など社会不安の挑候はない。ロシアの特徴は、石油・天然ガスへの過度の依存、ヨーロッパとの相互依存の深まり、主要産業の国家管理である。金融危機は影響はあったが、1-2年は現在の歳出規模の維持は可能外交・安全保障では、CIS諸国との連携強化を推進している。EUに入りたいウクライナ(オレンジ革命)やグルジアのNATO加盟には強く反対中央アジアと上海協力機構中国との国境確定で関係は安定化したが、中国の脅威に備える必要対日関係は時間がなくて駆け足だったので、レジメでフォローすると以下の通り。ロシアにとり日本は第二次大戦の戦後処理(平和条約締結)が済んでいない唯一の国経済発展(特に極東・シベリア開発)に必要な資金、先端技術の調達先太平洋でロシアに対峙する日米安保体制の一翼を担う国「日露行動計画」に基づく協力関係が進展(サハリン2のLNG輸出開始、大手自動車メーカーの対ロ投資)「極東・東シベリア・イニシアティブ」の提案=平和条約締結を含む全般的関係拡大を志向原子力協力が大きく進展する可能性北方領土問題の見通し日本の立場四島は対日講和条約(1951)で日本が放棄した「千島列島」」には含まれず1956年の日ソ共同宣言で両国の国交は回復。しかし平和条約が締結されなかったのは、領土問題が未解決であるためロシアの立場四島は「千島条約」に含まれる1956年の日ソ共同宣言で、日本に引き渡される領土は「歯舞」「色丹」のみで、「国後」、「択捉」の明示はない。第三の解決法はあるか?四島の全面積を二等分する方法(中ロ方式)歯舞、色丹プラス国後の三島で妥協する方法四島全部を「共有地」とする方法------------ロシア「帝国」は復活しつつある。そして今から2026年にかけて日本にとっても北方領土問題解決の好機との印象を持ったが、そのためにはプーチン・メドベジェフ体制という盤石な安定政権との対峙のため、日本国内に強力な政権の樹立が必要条件となるだろう。
2009/05/28
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文藝春秋社の雑誌「諸君!」が休刊となった。保守論壇の一角を占めていたこの雑誌も、「現代」や「論座」も同様に去っていった。昨年の平均発行部数は6万超というレベルに落ちていた。この雑誌の愛読者ではなかったが、最終号の6月号を読んでみた。保守論壇の論客のオンパレードになっているが、寄稿を寄せた人たちの名前を並べてみる。-----------------石原慎太郎・古森義久・佐伯啓思・中嶋峰雄・西部遭・野田宣雄・秦郁彦・平河裕弘・渡部昇一新保祐司・北康利・三浦小太郎・竹内洋・粕谷一希・石井英夫・東真史・富岡幸一郎・酒井信・中西寛中曽根康弘・池辺良・山本卓也・渡辺恒雄・勝田吉太郎・田中健五・岡崎久彦・佐々淳行・曽野綾子・深田祐介・屋山太郎・金美齢・佐瀬昌盛・山崎正和・平沼赳夫・渡辺利夫・立花隆・黒田勝弘・長谷川三千子・山内昌之・鹿島茂・関川夏央・阿川尚之・東谷暁・井上章一・荒木和博・石破茂・坪内祐三・福岡伸一・佐藤優・福田和也・桜田淳遠藤浩一・桜井よし子・田久保忠衛・西尾幹二・松本健一・村田晃嗣・八木秀次・宮崎哲也荒川洋治・今森光彦・小堀桂一郎・佐々木俊尚・佐々淳行・佐藤優・杉原志啓・高島俊男・竹内洋・出久根達郎・中野翠・西木正明・樋口進・保坂正康-------------------この雑誌は、連載コラムが好評だった。「紳士と淑女」というコラムは30年にわたって続きファンが多かった。渡辺恒雄なども買うと真っ先にこのコラムを読んだと述懐している。最終号の「読者へ」には、その書き手の正体が初めて明かされている。「なお、三十年にわたって、ご愛読いただいた「紳士と淑女」の筆者は、徳岡孝雄というものであった。」とある。山本夏彦(1915-2002年)の連載コラムも人気があったらしい。石井英夫がそのことを書いているが、その中から風刺と諧謔の言葉を抜き出してみる。読者は作者の遺体が、冷たくなると同時に去るから、蚤に似ている。この世は笑うよりほかない所だからである。怒ってはいけない。怒るのはたいてい正義感で、この世に正義感ほど始末におえないものはない。天才だといた世間はすぐ忘れるが、言われた当人は忘れない汚職は国を滅ぼさないが、正義は国を滅ぼす。申しぶんのないことを言うひとたちはウロンですよ。実を言うと新聞の「天声人語」「余録」のたぐいは現代の修身なのである。美衣美食して助平のかぎりを尽すのは亡国の兆しである。ローマはそれで滅びた。そして忘れる国民は忘れない国民にひしひしとかこまれているのである。私は断言する、新聞はこの次の一大事の時にも国をあやまるだろう。--------------------------最後の「編集後記」には、「志を同じくする人々に支えられ、共に歩んできた四十年の歳月を誇りに思います」「長年の盟友にして、良きライバルだった雑誌「正論」にエールを送ります。一層のご健闘を。上島編集長、後はよろしく頼みました。」とある。総合雑誌を舞台にした論壇については、いろいろと議論はあるが、「日本を元気にするオピニオン雑誌」と銘打ったこの雑誌の休刊で、世の中が面白くなくなったのは間違いない。
2009/05/27
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「週刊教育資料」という雑誌から取材を受ける。日本教育新聞という大手の教育関係の新聞を発行してるところが出している雑誌で、主な読者は校長・副校長・教頭だそうだ。もらった5月11号では、「潮流―世界はテクノロジー活用の個別指導へ」「実践!校長塾」「高校・新学習指導要領を読み解く」「新・管理職選考試験対策」「校長講話」「事例解説・教育の紛争」「教育の危機管理」「こう育てた 教師の資質」「少子高齢化を生かす学校づくり」「変わる教育委員会」「教育問題法律相談」「世界の教育事情」「事務新時代」「著者に聞く」「文部科学省通知」「校長、教頭、副校長のための法律知識」など管理職の実務に役立つと思われるテーマが並んでいる。今回の取材は「著者に聞く」というコラムで、私の「タテの会議・ヨコの会議」(ダイヤモンド社)が対象である。学校現場の会議に役立つ本だそうだ。女性ライターによれば多摩大のホームページが予備校で話題になっているそうだ。こういう情報はありがたい。http://www.tama.ac.jp/J出版社の編集者がみえて以前から頼まれている本の相談をする。ずっと以前に出した本の復刻版という企画だが、作り方と中に入れる素材についての新しい提案をして合意がとれ、その方向でいくことになった。ひとつのアイデアで状況が一気に打開できた。秋を目指して取り組むことになる。C出版社の新書で、同僚の樋口裕一さんとの共著のための第一回の対談を2時間ほど行った。子ども時代から大人までの時間を一緒に振り返りながらの会話をしたのだが、同じ時代と地域での共通の体験と、異なる方向での出発という対比がはっきりみえてきて、いい時間となった。小学、中学校、高等学校、そして大学時代をそれぞれ語り合った。戦後の貧しい時代から高度成長、バブル、その崩壊、、、、とずいぶんとすごい時代を過ごしたものだ。映画「三丁目の夕陽」は都会の物語だったが、幼な馴染みのわたしたち二人の「四丁目」は田舎の子どもの物語である。1947年から1949年生まれの683万人を団塊の世代というが、広い意味では1951年まで含めることがある。そうすると広義の団塊の世代は1092万人。1950年生まれの私と1951年生まれの樋口さんは広義の団塊世代に属していることになる。その世代の成長史であり、久しぶりに子ども時代を思い出した。けんちゃん、さんちゃん、たいっちゃん、たかちゃん、よっちゃん、かずきちゃん、つよしちゃん、、、、、。みんなどういう人生を送っているかなあ。10歳近く年下の編集者、20才近く年下のインタビュアーとの時代感覚の相違も面白かった。次回は6月初旬にC社で行うことになった。多摩大のPRにもなる内容で、秋に出版となる予定。今日の一枚は、取材者を逆取材したもの。まさかブログに載るとは思ってはいないだろうなあ。(^^:)
2009/05/26
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5月24日の「地球温暖化問題に関する懇談会」で、2020年の温室効果ガス排出量の中期目標の最後の議論が行われた。1990年対比で2020年の目標を決めるのだが、経済界の支持するプラス4%から、環境団体の主張するマイナス25%までの大きな隔たりがある6つの選択肢が示された。6月に政府の方針を決め、12月の国連気候変動枠組み条約締結国会議(COP15)での合意に向けて、日本の目標を提示する。アメリカのオバマ大統領は2005年対比14%削減を唱えているが、これは90年の水準に戻すというレベル。総合目標値は国内削減分+排出枠分+森林吸収で決まるが、今回の議論は国内分のみが対象となる。京都議定書の「6%減」は、国内削減分0.6%+排出枠分1.6%+森林吸収分3.8%の内訳だった。議論や資料。http://www.kantei.go.jp/jp/singi/tikyuu/index.html-------------------------------------------------委員の主張枝廣 淳子 有限会社イーズ代表取締役 マイナス15%奥田 碩 トヨタ自動車株式会社取締役相談役(懇談会座長)勝俣 恒久 東京電力株式会社取締役会長 プラス4%黒川 清 政策研究大学院大学教授末吉 竹二郎 国連環境計画金融イニシアティブ特別顧問 マイナス15%高橋 はるみ 北海道知事月尾 嘉男 東京大学名誉教授寺島 実郎 財団法人日本総合研究所会長 マイナス7%福井 俊彦 前日本銀行総裁松井 三郎 京都大学名誉教授 マイナス15%三村 明夫 新日本製鐵株式會社代表取締役会長 プラス4%薬師寺 泰蔵 慶應義塾大学法学部教授 マイナス8-17%山本 良一 東京大学生産技術研究所教授 マイナス15か、マイナス25%----------------------------委員: 寺 島 実 郎地球温暖化懇談会への意見書1、現実的かつ合理的バランス感覚から判断して、ケース?最大導入ケース(05年比▲14%、90年比▲7%)が妥当な選択である これ以上はCDMなどで積み上げを含みとする2、理由は? 2年前のエネルギー基本計画における最大導入ケースを下回る目標は採用できない(2008年以後の景気低迷、太陽光を初めとする再生可能エネルギーへのインセンティブ導入)? 安倍政権時の長期目標(2050年に90年比50%削減)、福田政権時の長期目標(同、90年比60~80%削減)との整合性。また、「京都議定書」との最低限度の整合性必要。? 「限界削減費用」分析は合理的・科学的アプローチともいえるが、前提条件(例えば為替レート、新技術による削減コスト軽減)で結果は大きく変化し、数字の魔術的性格もある3、むしろ、ケース?を実現するために必要な政策の責任ある遂行を明確にするべきこと例えば、? 原子力発電につき9基新設、設備稼働率80%の実現(電源構成の約4割)? 再生可能エネルギー導入への総合的政策展開(一次エネルギー供給での比重10%を目標)4、国際的合意形成において日本として主張すべきこと? 米国、中国、インドなどの参画するルールとすべきこと? 米国、欧州の設定目標の内実を見極めるべきこと? 森林吸収、海洋吸収、農地吸収などの要素の位置づけの明確化? 基準年の2005年化5、「国際連帯税」的視界の必要性---------------------------------------「政府インターネットテレビ」--01ch総理の動き。懇談会の実況動画が放映されている。http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg2590.html------------------------------------------今日は、宮城大での講義のために仙台日帰り。仙台では横野さん、岩澤さんと昼食。そして東京駅で偶然に仙台の宮城総研で一緒だった安達綾音さんに会う。今はセガサミーホールディングスで会長秘書だそうだ。東京駅は通過人口が多いために、時々知人に会うことがある。
2009/05/25
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朝起きて聖書を読み昼は疲れるまで働き夜は祈りて眠る (羽仁もと子)「自治自労の生活」を目指す自由学園の創設者の言葉である。もと子は明治37年には家計簿なども自身で考案し、出版もしている。子供の頃「きわめて聡明で、きわめて不器用な子供だった」もと子のもっとも不得意な分野が仕事になったということだろう。2005年版の家計簿には「けむりのように消えてしまう おカネの足あとが つかめます。この家計簿をつけると 暮らしの予算が立てられ 明日がみえてきます」と書いてある。志に反して苦手なことが天職になっていく人もいる。-----------------------------------------私は生きる(平林たい子)郷里から上京するたい子に父は「女賊になるにしても一流の女賊になれ」と励ました。たい子の人生をたどってみると、その教えの通りに生きたという気がしてくる。すさまじいエネルギーと思い切りのいい強烈な言動のたい子は、「私は生きる」という言葉を好んで使ったが、記念碑にはたい子にふさわしい言葉として丹羽文雄を選んだこのこの言葉が刻んである-----------------------------------------------自分がやりかけた仕事を一歩づつたゆみなく進んでくのが不思議なことだけれど、この世の生き甲斐なんです。(いわさきちひろ)「我は人の世の痛苦と失望とをなぐさめんために生まれ来つる詩の神の子なり」と述べた樋口一葉にいわさきちひろは深い共感を寄せていた。詩を絵に置き換えて、子供の幸と平和を願った絵を描きつづけた。神から与えられた才能を自覚し、それを十全に発揮した。今なお多くの人がその絵に癒されている。-------------------------------------------------50歳ころまで生きることが出来るならば、50歳になって、ほんとうの「放浪記」を書いてみたいと思っている。「放浪記」にかぎらず、本当の小説というものを書いてみたいと思っている。(林芙美子)「私はやっぱり庶民的な作家で終わりたいと思っています。、、、いつ死ぬかも分からない。だから無駄弾丸は抛りたくない。、、、みんなに共感を持たれるような、そして庶民の人が読んでくれるような、仄々としたものを書きたいと思っています。」林芙美子は仕事を断らない働きぶりだった。それが47歳で寿命を尽きさせた。-------------------------------------------------------------
2009/05/24
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2004年にかんき出版から出した「図で読み解く!ドラッカー理論」という本は、現在までに版を重ねて手堅い動きとなっています。ドラッカー関係の学者や信奉する実務家は多いが、その理論を図解を用いて解説した本は初めてだったので、話題になりました。この本が縁でドラッカー学会ができるとき、発起人を仰せつかったこともあります。門外漢の素人なのだが、新しい切り口でドラッカーを論じたということでいくつかの縁ができました。この本は現在でも少しづつ版を重ねており、初心者のとっつきとして重宝されているようです。 図で読み解く!ドラッカー理論作者: 久恒啓一 出版社/メーカー: かんき出版 発売日: 2004/08 メディア: 単行本 その「図解・ドラッカー」の海外での翻訳本が2冊本日届きました。一冊は中国で翻訳出版されたもので、もう一冊は韓国での翻訳出版です。韓国はハングル文字なので、まったくわからないのですが、表紙のピーター・ドラッカーの顔写真と、本文中の図解の形をみると、私の本の翻訳本だなと見当がつくという具合です。また、中国版では、「徳魯克」という赤い文字が、ドラッカーと読むらしいことがわかります。ドラッカーのエキスを抜きだしたという意味でしょうか、「管理精粋」(粋の文字は日本語にはないので代用)という文字をタイトルにも使っています。いずれの本も、「図で読み解く!ドラッカー理論」の図の中のキーワードが、ハングルであったり、台湾で使われている漢字であったりになっています。このキーワードを英語、フランス語、中国語、エスペラント語、などに変えていくことによって、どの国の人々もドラッカーの経営理論を理化できるようになるはずです。今までの私の本の翻訳出版は、韓国、中国、台湾で盛んで、10冊を超えており、現在でも翻訳するという連絡はあったが、その後どうなったかわからないものもあります。英語での出版をアメリカで、という話もでてきており面白くなってきました。また、6月には「図解・資本論」という本を出版しますが、この本は多摩大学大学院の私の講義を受けている社会人大学院生との共同作業で、この土日に最後の校正をする予定ですが、今までにない「マルクスの資本論」をお目にかけられると思います。この本も東アジアでもすぐに翻訳されるのではないかと思います。----------------------午前の2時限目は講義。午後の3時限眼はプレゼミ。夕刻には品川でN出版社と企画の打ち合わせ。18時半から21時40分まで、大学院で講義。
2009/05/23
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7月に講演を頼まれている立川市の東京都立多摩図書館を訪ねる。八王子(協力貸出センター、立川(逐次刊行物センター)、青梅(行政郷土資料センター)の多摩地区の図書館三館が統合されて、昭和62年に都立多摩図書館となった。その後、平成14年に3つの地区で文学・多摩資料・児童青少年と機能を分担してきた。平成21年5月に、「東京マガジンバンク」を開設し、「雑誌・児童青少年・16ミリフィルム」に特化したサービスをする図書館として生まれ変わった。この「東京マガジンバンク」は、いわば雑誌図書館で、現在一万種類の雑誌が揃っているという特色がある。評論家・故大宅壮一の集めた雑誌類がもととなった世田谷の大宅文庫の公共版といえばそのイメージがわかるだろうか。先日お会いした新井係長と、司書の瀬島係長に案内していただいた。企画展示は、「Change!進化し続ける世界--世界が変わる・日本が変わる・図書館が変わる」というテーマで、1.1929年「世界大恐慌」とその時代、2.1973年のオイルショックの頃、3.2001年「米百俵」の精神、4.ChangeへChallenge日本の底力、5.山本有三寄贈本(「米百俵」を書いた)、6.日本の顔という順路になっており、百年に一度という経済危機とこの図書館の特色の一つである山本有三文庫とオバマ大統領の唱えるChange、そして東京の目指すオリンピック開催の気運を盛り上げる過去のオリンピックを特集した雑誌へつなげていくという凝った展示である。「創刊号から時代が見える」というテーマの展示では、このマガジンバンクの威力が発揮されており、総合誌、文芸誌、旅行、ライフスタイル、ファミリーなどの有名な雑誌を含む創刊号をみることができる。現代(1967年)、諸君(1969年)、正論、ダカーポ(1981年)、すばる、宝石、文藝、辺境、BRIO,百楽、日経OFFなどの創刊号が楽しめる。女性誌では、クロワッサン(1977年)など。1956年の週刊新潮創刊以後雑誌ブームとなる。環境関係の雑誌のタイトルも、公害、環境、そしてエコ(Eco do、エコソフィア、日経エコロジー)というように流れが明らかにあることがわかる。週刊新潮は30円、モンローの自殺とR・ケネディを扱っている週刊プレイボーイ(1966年)は60円、若き石原慎太郎がおめでとうと創刊を祝っている平凡パンチ(1964年)は50円、報道・解説・評論と銘うった朝日ジャーナル(1959年)は40円、、、。こんなに安かったかなあと時代の変化を感じる。また週刊文春は美智子様が表紙を飾っているなど、懐かしさにあふれた空間だ。また、最近の創刊号200誌も飾ってあるので、こちらも興味深い。創刊号は3000誌集めており、集中が集中を呼び、今後はさらに充実していくだろう。常設のマガジンも種類が多い。kappo、福楽、荷風、会津人群像、アラブ、中国・韓国などの世界の女性誌、いきき、こころの科学などの健康・食に関する雑誌、日本史関係、文学・文芸、建築・インテリア、デザイン・広告、そしてR25などのフリーペーパーまである。全国の図書館は行政の財政危機によって存亡の危機を迎えているが、東京に限っては図書館予算は伸びているとのことだ。土曜日なので比較的人は多いというが、ゆったりと調べ物をしたり、雑誌を読んでいる姿が多く、知的な空間である。過去の雑誌を読もうとすると、大宅壮一文庫の人名や件名索引で見当をつけたり、オンラインデータベースで国立国会図書館のNDL-OPACを使って検索したりして、カウンターの注文する。すると10分くらいで量が多い場合はカートに載って雑誌や本が出てくるというしかけである。私の名前をひくと書籍は51冊、雑誌記事は12件がでてきた。雑誌の最近3年分はバックオフィス近くに保管してあるが、地下には過去の雑誌や本の倉庫があり、みせてもらったが壮観である。太陽、ann ann、AERA、ビーパル、週刊宝石などが収められている。1万種類だが、これが1万6千種類まで増えるそうだ。大宅文庫の検索雑誌と国会図書館のオンライン検索を使って、与謝野晶子を調べてみる。2008年の週刊新潮の池内紀の評論を手にして参考になる情報をメモすることができた。「乱れ髪」は2001年。関東大震災で失った源氏物語お現代訳の原稿は4千枚、、、、。図書館は機能分担の時代に入っている。総合図書館は大きな図書館だけで、後は住民ニーズと手持ち資源との関係を深く考えて、生き残りのために、「選択と集中」で自らの戦略を立ててまい進することが求められる。この都立多摩図書館は、雑誌を長い間、丹念に集め保管してきたという手持ち資源の特徴を生かして、時代のニーズに合った選択を行った。そしてその方向に今後の資源を集中していこうという明快な戦略をとっているのは素晴らしい。その戦略の正しさは東京マガジンバンク開設以来のマスコミの殺到と記事や番組による紹介という形で現れている。時間の経過とともに、この特色はさらに磨きがかかっていくだろう。
2009/05/22
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本日のリレー講座(寺島実郎)は、1995年12月29日にNHKで放映の「トライアングルクライシス」の懐かしいビデオ映像をみた。寺島さんが企画し出演しているこの貴重な映像を材料とした講義となった。NHKアーカイブによると、このビデオは、「日本、アメリカ、中国。戦前戦後を通じて、この3国のパワーバランスに大きな影響を与えた男、ヘンリー・ルースの軌跡を寺島実郎が追う。ルースが創刊した「タイム」「ライフ」「フォーチュン」がいかに米国の世論、政治政策に大きな影響を与えていったかを現在の日米中にかさねあわせ分析する。」とある。1995年当時、三井物産ワシントン事務所長だった寺島さんは47歳。若く精悍であはるが、語り口は今と同じでまったくよどみがない。当時日本航空勤務の私は出張などでワシントンを訪れていたが、「二つのフォーチュン」の話は何度も聞いた記憶がある。知的三角測量日米関係は米中関係だ(松本重治)---------------------------------------1936年の「フォーチュン」日本特集号。200ページの大特集。日本株式会社の挑戦がテーマ。ルーズベルトのアメリカと蒋介石・毛沢東の中国の間で力をつける日本へのいらだち。---中国山東省で1898年に生まれたヘンリー・ルース。キリスト教宣教師を父に持つ。対シナ21カ条の要求などで日本を憎んだルースは「中国を日本から救う」という使命を持つ。タイム、フォーチュン、ライフというメディアを創刊したメディアの帝王1923年にタイムを創刊。偏見、挑戦、主観を押し出す。タイムで日本をたたく。ルースは、親中国の巨頭、強いアメリカを主張、メディアという職業を持つ、という3つの存在感を持つ本格的なビジネス誌「フォーチュン」を創刊。ドラッカー、トフラー、ベル、ガルブレイスなどを育てる。1936年2月の「フォーチュン日本特集号」は編める以下国民に大きな影響を与え、日本に対する反感をあおった写真誌「ライフ」を創刊し、対日感情悪化させた。宋子文を招く。1940年7月アメリカの対日禁輸、そして太平洋戦争へ。ルースはルーズベルト大統領に全面協力。1944年の再び「フォーチュン日本特集」。ガルブレイス。軍人も読んだ。日本の生産力はアメリカの8分の1で日本敗北t分析。1945年8月、敗戦。日本は情報戦に敗れた。情報の質と量の重み。世界を廣造認識する力に欠けていた。世界史の大きな構造変化に気がつかなかった。蒋介石が破れ、毛沢東の中国が成立したが、ルースは受け入れない1950年の朝鮮戦争の勃発により反共の砦として日本をとらえなおした。ダレスからの手紙。「ライフ」で美しく、奥ゆかしい国として日本を描いた。日米同盟の必要性をテレビも含めキャンペーン。日本は生まれ変わった。同じ理想。平和と自由。1951年安日米安保条約の締結1967年にルース死亡歴史認識の大切さ。日米中トライアングル時代へ向かう。米中のはざまで日本は立ち位置を見失うのでないか。日米関係を大切にしながらどうアジアに入っていくか。中国を建設的な参画者として世界に招き入れるか。構想力と知恵が問われている。多角的・立体的にみる日米は二国間関係ではない。中国という要素が絡み合っている1949年に共産中国が成立し、中国は二つに割れた。これが日本の幸運だった。以後1972年のニクソン訪中までの23年間、アメリカは日本を援助し続けた。そうでなければアメリカの投資は中国にむかい日本の繁栄は30年遅れただろう。----------------総括講義。14年前の映像をみて、「中国は戦略的パートナー」のクリントン時代、「中国は戦略的コンペティター」のブッシュ時代を経て、当時の問題意識修正の必要なないと感じた。太平洋戦争は中国をめぐる日米の対決だった中国にとって「門戸開放・機会均等」を唱えるアメリカは、欧州・日本への対抗勢力として歓迎すべき国だった。美国という言い方。1853年のペリー来航から1898年の米西戦争でアジアに出てくるまで45年あり、アメリカは遅れて出てきたルースは、宋美麗キャンペーン、フライイングタイガー(義勇兵)などを仕組んだ。rルースの思想がネオコンにつながっている。先日のシュミットやクレッソンなどが参加していたOBサミットの高度専門家会議にの参加したが、中国の存在が重くなっていると感じた。米中のG2論も北朝鮮のテポドン問題に見るように日米連携ではものごとはかたづかない。東アジアの新しい秩序中華思想の中国と理念の共和国のアメリカという2つの大国のはざまで謙虚な日本はどう生きるか。アメリカとは大人の関係。中国とはしっかりとした関係。日米中の関係をできるだけ正三角形にしていくためには、緊張感が必要歴史の脈絡を立体的にとらえなければならない------------------------------------------------本日のスケジュール9時:学長室ミーティング11時半:大学戦略会議14時50分:リレー講座16時20分:ゼミ18時:ゼミ
2009/05/21
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午前。都立多摩図書館の小澤館長と新井係長がみえて講演の依頼があった。この多摩図書館は立川市にあり、5月1日に「東京マガジンバンク」を中心としてリニュアルオープンした。国内最大規模の雑誌図書館で、新旧の雑誌一万種類があり、バックナンバーも含めると百二十万冊の蔵書数となる。雑誌図書館としては世田谷の会員制の大宅文庫が有名だが、多摩図書館は公共施設であり無料で閲覧できてコピー料金も安いなど便利。新聞やテレビでも取り上げられている。この図書館のリニュアルオープンの記念展示にあわせて7月14日に開催する「都立多摩図書館リニュアルオープン記念講演会」の講師を依頼される。都民が対象で、定員は150人。「図読のすすめ」というようなテーマで話をすることになる。マガジンバンクの写真を見せてもらったが、木のフロアーで開放的な雰囲気である。すでに内館牧子さんや小中陽太郎さんなどが訪ねているという。マガジンバンクには大いに興味があるので、事前に見学することになった。山田事務局長からいくつかの案件の相談を受ける。その後、アドミッションの井川さんがみえて、「現代の志塾」の一環として行う高校生対象の「立志論文コンテスト」の説明と協力依頼を受ける。午後。NPO法人長池公園の富永理事長と八王子のエイビットを14時に訪問し、檜山社長と面談。業績がよく最近本社ビルを購入し移転したばかり。社員の大学院入学の件や今後の連携の可能性について相談する。大学生の3日間社長のカバン持ち体験レポートが載った八王子の100社紹介のマガジンをみていたら、宮城大学時代に付きあっていたシーガルの桑山社長の写真が載っていた。多摩ニュータウンの長池公園自然館に戻り、富永館長と内閣官房地域活性化統合事務局の石塚参事官と3人で、地域活性化について議論する。16時から始めたのだが、20時近くまで楽しく有益な議論ができた。産・学・官・民の連携によるいいプロジェクトができあがる可能性がみえてきた。
2009/05/20
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日経新聞朝刊の経済面に「多摩大学創立20周年記念 寺島実郎新学長講演会&シンポジウム」の全五段広告。一般の参加希望者は軽く1000名を超えてきている。http://www.tama.ac.jp/info/20thSymposium.html午前中は学内で会議。午後は「経営市場」という雑誌からのインタビュー。「ベストセラー解体全書 作家さんいらっしゃい!! 話題の著者インタビュー」というコーナー。6月中旬にE出版社から出版予定の「図解・資本論」をテーマに話をする。過去の登場者は、「14歳からの世界金融危機」の池上彰さん、「一日30分を続けなさい」の古市幸雄さんというラインナップ。宮城県出身の若い編集者との話でこの本はウェブの世界での仕掛けを多用しようということでになる。http://www.keiei-ichiba.com/636.html知研の八木会長がみえて、N出版社へ提出する取材対象者の人選の相談。キーワードは「最先端」。菅野先生、飯田先生、中村先生、、、。M出版社と電話で、進行中の企画についての相談。いろいろと問題はあるが、何とか仕上げたい。そして学内の打ち合わせ。自宅に戻ると、注文していたWiFi&フルブラウザー搭載のデジタルカメラが到着していた。カメラから直接インターネットにアクセスできて、撮った写真や動画をかんたんにアップロードできるというもので、デジタルライフももう一段のアップが図られることになるかもしれない。これとアイフォンを使うとブログ生活も機動力が増すことになるだろう。まだ明るかったので、愛犬チョコラを連れて一時間ほど、近所を散歩する。緑がきれいだ。「今日の一枚」は、湖面に突き出た木の上で休む白鷺。NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」という番組に木村俊昭(43歳)さんがでていた。小樽市役所時代に職人展などの目覚ましい成功例を残した人で、その活躍から内閣府から引き抜かれて、今は地域活性化担当の企画官という管理職として、全国を飛び回っている。その動きを追った番組でなかなかよくできていた。この人からのメール配信を受けているのだが、きっかけは講演依頼だったように記憶している。たしかこのときは日程があわなかったような気がする。この番組のタイトルは「ばかものが、うねりを起こす」で、「人を動かせるのは、人」「心に、種火をつける」「ばかものが、うねりを起こす」という地域再生の知恵袋・木村さんの言葉が紹介されていた。プロフェッショナルとはという問いに「やはり初心を忘れることなく、思いやりをもって、しっかり実践をしつつ、将来の継続進化をできていける、そういう人をプロフェッショナルというと私は思っています」と答えている。行動の人。本物である。http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/090519/index.htmlどのような地域でも、どのような職場でも、そこを愛し信念を持った、たった一人の人が変えていく。
2009/05/19
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NPO法人知的生産の技術研究会のセミナーの予定です。-----------------------------------------6/3(水)東京・久保田達也セミナー『不況下に最大効果をもたらすe-ラーニング学習ノウハウ』2009年にいたり不況社会到来により組織会社内での業務遂行能力と個人の特性を生かす適正能力向上の両方のビジネス能力を学習する必要がでてきました。しかしお金は使いたくないが少ない時間を効率よく使って実践ビジネス社会に役立つ勉強がしたいとお考えなのではないでしょうか。そこでインターネットを活用したe-ラーニングの極意をご紹介いたします。学習内容は単なる暗記型学習ではなく実社会に即戦力として通用するビジネス能力をしっかり身につけるための実学方法をご紹介します。申込:http://tiken.org/modules/news/article.php?storyid=45----------------------------------6/26(金)19時~『観光カリスマ100選』の著者・市原実さんを囲んで座談会。詳細:http://tiken.org/--------------------7/13(月)19時~東京・北康利セミナー。白洲次郎を世に紹介した評伝作家・北康利さんのセミナーです。『白洲次郎 占領を背負った男』(講談社、第14回山本七平賞受賞)『福沢諭吉 国を支えて国を頼らず』(講談社)『同行二人 松下幸之助と歩む旅』PHP研究所(産経新聞に連載)『九鬼と天心 明治のドンジュアンたち』(PHP研究所)詳細:http://tiken.org/--------------------------地方支部開催のセミナー。2009-05-20 (水) 【岡山】宮林英子氏「野鳥は大切な仲間~探鳥で知った伝えたい自然の仕組み~」http://tiken.org/modules/eguide/event.php?eid=88---------------------------2009-05-30 (土) 【関西】時田幸於氏「開かれたセキュリティー」http://tiken.org/modules/eguide/event.php?eid=86
2009/05/18
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インフルエンザの流行、政治の混迷、経済の浮沈、メディアの動向、属している組織の動き、、など私たちをめぐる世界は、一寸先は闇である。しかし、よくみると大きなとうとうとした流れの中で大波、中波、小波、さざ波が襲ってくるようなものである。未来の流れはあらかじめスケジュールリングされているともいえる。その中で自分の組織と自らのやるべきことを意識的に為していくことが、大事な心構えなのだ。ビジネスマン時代、30代後半あたりから意識して仕事にあたった記憶がある。本部にいるときにもややそういう視点はあったが、全社を見渡す立場に立ったときには、全社の意思決定のスケジュール、方向、流れ、そしてそれを取り巻く社会全体のスケジュールを強く意識して仕事にあたったことを思い出す。組織の外と内の関係を睨んでおり、自分なりの心構えがある程度あるから、右往左往することが少なくなり、判断を速く下せるようになり、間違いも少なくなるということになる。そういったインフラを持った上で荒波に対処しなくてはとても乗り切れるものではない。さて、近未来はどのようにセットされているだろうか。手もとの資料をもとに関心のあるものを以下ピックアップしてみると、近未来の地図が頭の中におぼろげながらみえる気がしてくる。6月1日:GMが再建計画を米国政府に提出2日:横浜開港150周年4日:中国天安門事件20周年 : 富士山静岡空港オープン11日:全米女子オープン12日:米国、アナログテレビ放送停止 :イラン大統領選挙:G8財務省会議18日:全米オープンゴルフ25日:G8外相会議7月1日:EU議長国にスエーデン1日:函館開港150周年1日:中国人に対する訪日観光ビザ個人発給を開始8日:G8サミット9日:全米女子オープンゴルフ12日:東京都議会議員選挙16日:新潟中越沖地震2周年26日:仙台市長選下旬:裁判員制度導入後初の公判開始 :韓国、人工衛星打ち上げ8月 日産自動車本社移転(横浜みなとみらい地区)4日:GM株主総会7日:国連イラク支援団展開期限13日:全米プロゴルフ20日:アフガニスタン大統領選
2009/05/17
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16時20分から、九段サテライトでのインターゼミ。5つのグループ分けが前回終わって、それぞれ研究計画を練るというステージ。途中で寺島塾長も現れて、それぞれのグループにアドバイスをしてもらった。「グリーンニューディール」チーム6月10日に東京国際フォーラムで行われる「成長と環境を考える賢人会議」の紹介。基調講演は「エネルギーと環境の国際動向」(寺島)。これに参加して、エネルギー経済研究所、日本経団連、グーグルなどのシンクタンクや企業のキーマンの考え方をまず勉強。「アジアとの交流プログラム」「賢人会議」で大きな流れを知る。多摩大で進めようとしているアジアからの留学生増加プロジェクトへの参加。北九州市立大学などの調査。多摩地域の留学生寮計画などへの学生の目からの提言など。「ディズニーランドの研究」「ディズニーランドの経済学」。文献を全部あげる。オリエンタルランドの企画担当。なぜディズニーだけが一人勝ちか。情報の共有を積みあが得ていく。フィールドワーク。システムの研究。サービス産業、エンターテイメント産業への視界をひろがえる。顧客満族。ロスのユニバーサルスタジオ。ユニバーサルシティ。大学、ホス老いたる、、、との相関、シナジー。地場産業との連携。文献研究、一人一冊。事業と経営。リピーター戦略。チボリ公園。アッパーのセサミストリート、アッパーミドルのディズニー、下のクラスのマペットベイビーズ。弱点の補強としての買収戦略。MGMスタジオ、、、。「東鳴子」歴史、ロケーション。客層。文献、Web。フィールド。食と農。地場産業。グリーンニューディール、アジア、ディズニーとの関連。バイオマス。エネルギー、環境、食糧。東京からはどう見えるか。日本の未来との関係。5月末には、「多摩ニュータウンの再生」プロジェクトも含め研究計画を発表し、議論する予定。「実況!寺島塾」構想のアイデアも。今日の一枚は、インターゼミの様子。中央は寺島実郎塾長。-------------------------------------------------------------2010年3月卒業予定の大学院生の修士論文の予備審査会。9時から11時半。その後、大学院教授会。予備審査会や最終審査会は、社会人大学院生の社会に対する問題意識と解決へ向けた問題意識がわかり、私にとっては勉強になる時間である。5人の発表を聞いたが、本当は全員の発表を聞きたいくらいだ。私のグループの題目は以下の通り。高情緒的価値商品開発において情緒的価値の共有による効果ネットコミュニティによる知識共有モデルの研究ーネット世界のコミュニケーション的行為ーテクノロジーに支えられた場が知の変換過程に及ぼす影響についての研究強いGE Valueを持つリーダーの作り方職人型中小企業の研究-事業存続の計略考。攻勢終末点に注目して。 その他の院生の題目。 コンテクスト志向のマーケティングリサーチについての研究カーボンナノチューブの研究開発動向におけるイノベーションの検証インターネットメディアに潜む「クチコミ」力の探求-広告戦略再構築への糸口-温暖化ガス排出権取引が企業経営戦略に及ぼす影響に関する研究日本におけるドラッカー研究の類型と原点イスラム金融会計と国際会計基準の関係に関する研究Innovation Opportunities to attack poverty in Developing Countries -Corporate Social Responsibility Perspective -企業における環境リスク管理(特定課題研究論文)導線を活用した次世代マーケティング戦略外資計物流会社の「日本化プロセス」されたサプライチェーン国内展開戦略持続的競争優位なSCMを導くためのパートナーシップ成功要因の研究水産業界による、市場、卸の未来像、SCM環境経営における天然水産資源の将来のあり方に関する研究--------------------------電車の中で、民主党代表に鳩山由起夫氏のニュースを聞く。
2009/05/16
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懐かしい方からメールをいただいた。私の代表作である「図で考える人は仕事ができる」(日本経済新聞社)を担当していただいた名編集者だ。時代を読むカンと優れた編集技術を持つ人で、2002年当時は次々とベストセラーを世に出していた。「あなたの本はいくつか読んだが、一番肝心なところを書いていない。図解とは考えることが本質ではないですか、そこを書きなさい」という直球を投げこまれて、「そのとおり」と心が奮い立った。「図解のことを図解を使わないで、文章で書いてください」という注文も出た。なるほど、過去の本は図を用いたために、理屈を丁寧に書いてはいなかった面もある。「図解という言葉より、図という言葉のを使いたい」とも言われた。確かに図の方が広い概念であり、結果的に本にふくらみがでることになった。完成したあとは、「この本をマーケットがどう評価するか、楽しみです」とおっしゃって、そのとおり一気に話題になり、その後の人生が一変して今日にいたっている。この方の編集人生でも2番目に印象に残る本になったという感想をもらった。その後、「図で考える人は仕事ができる・実践編」、「合意術-深堀型問題解決のすすめ」などの本をつくってもらった。Yさんは私を世に出していただいた恩人である。セコムの飯田さんの取材でご一緒したり、東京丸の内の21Cクラブ、仙台の大学の研究室、そして泉ケ岳のやまぼうしという温泉での企画会議など、随分とお付き合いいただいた。そういえばランニングが趣味で海外のマラソンに市民ランナーとしてよく出ていた。仙台駅からやまぼうしまで走っていくと言われて驚いたことも懐かしい。温泉につかりながら「あなたの考えはオリジナリティがあるから、アメリカの出版に挑戦するか、アメリカの大学に行って研究しなさい。そして日本に再上陸したらいい」ともいわれたことがある。そのYさんが、数年前に病魔に倒れてしまったことを奥さまからのハガキで知り驚いた。その後、日常生活ができるまで復活されたと聞いていたが、本日、メールをいただいた。嬉しくて自宅に電話をかけて、久しぶりに話ができた。電話口の様子からは、昔との変化を感じなかった。そのYさんと近々、お会いすることになった。-------午前中は、講義。昼休みは、教員ラウンジで学部長、高野課長と打合せ。午後は、今年から始まった1年生のための「プレゼミナール」の合同講義。私が担当で1時間ほど話をした。終了後、多摩大総研の松本先生と打合せ。その後、諸橋学部長、菅野先生、樋口先生と歓談し、昨年着任した教員の食事会の日程調整。夕刻は、学外で用事があって大学から車ででかける。報道ステーションで寺島さんの、民主党代表選、新型インフルエンザ対策、夕張の高校生の活躍などについてのコメントを聞く。コ
2009/05/15
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寺島実郎監修リレー講座の4回目は、東京財団ディレクター・上席研究員の渡部恒雄さんの講演、渡部さんはアメリカにで戦略国際問題研究所(CSIS)など有名なシンクタンクに15年いたということもあり、アメリカ通として近年サンデープロジェクトなどで活躍している。1963年生まれ。東北大学歯学部卒。1989年から英国滞在。三井物産戦略研究所を経て東京財団へ。始まる前に名刺交換。 ----------------------------アメリカでは政権交代時にはシンクタンクが大きな役割を果たしている。政権交代時には政府では3000人が政治任用で交代する。このとことが大きな政策転換ができるという面もあるが、イラク戦争を起こしたネオコンなど危険な面もある。シンクタンクなどから政権入りする幹部も多く、過去の論文などを読むことによって、人事面からみていくと政策の予測可能性が高まる。オバマ民主党は国連重視になる。ブッシュの単独行動主義から変化。中道から左派のシンクタンクは、CSIS(中道系)、カーネギー平和財団、ブルッキングス研究所、国際経済研究所、米国進歩センター(政権移行チーム責任者を出した)、、。オバマ政権にはアジアをよく知っている人が入っている。日本は重要という認識を持っている。オバマ政権。黒人大統領。イスラムの流れ(ハーフネームはフセイン)をもつ、アジアに住んだことがあるなど多様なバックグランドを持つ。グレートコミュニケーターとしてプロセスを大事にする(レーガン大統領、F・ルズベルト大統領を尊敬)。2008年リーマンブラザース破綻の9月15日で大統領選の流れが変わった。緊急の輸血ともいうべき7000億ドル以上の金融再生法が9月末の議会にかかった時、マケインはあたふたしたが、オバマハ民主党を説得し危機にふさわしいリーダーということを示した。これでオバマ大統領誕生の流れになった。オバマ大統領の経済政策。枠組みを提示。48歳のガイトナーが担っているが、大統領アドバイザーとしてサマーズやボルカーを持っており、次のカードも用意している。経済政策の柱の景気対策(景気循環のらための刺激策)は、減税と公共投資。老朽化で道路など公共インフラに危険があるのでそれに投資。そしてグリーンニューディールに投資。経済政策のもう一つの柱の金融政策(経済の病気をなおす)では、不良債権処理を行っている。オバマ大統領は国内景気の立て直しに全力を傾注しており、外交は有能なクリントン国務長官を起用し任せている。テロの根拠地アフガンとパキスタンの核への対処。オバマ大統領のやり方の特徴は以下。ブッシュのイデオロギー重視と非現実主義とは大きな違い。必要な政策をバランスよく見まわし、優先順位をつけて実行。シーム・オブ・ライバルズ(強い個性の人材を使うことへのためらいがない)現実主義(リアリズム)と実用主義(プラグマティズム)中国が大事だが、日本も大事。中国の将来の危険ヘッジとして日本も大事に考えている。---------------------------------------------9時:学長室ミーティング11時:大学ホームページの打ち合わせ14時50分:リレー講座16時20分:ゼミ(2年・3年)写真はゼミの風景。----------------15日の日本経済新聞11面(企業)に、「多摩大学創立20周年記念 寺島実郎 新学長講演会&シンポジウム」の全五段広告。2回目。
2009/05/14
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今初めてのゴルフ、ということは忙しさにかまけて随分とやっていないことになる。野田先生とは1年ぶりくらいか。中央林間駅からすぐの相模カンツリー倶楽部。ここは70年以上前にできたゴルフ場で、フラットなのが特徴。http://www.h3.dion.ne.jp/~sagamicc/メンバーは野田一夫先生、エッサム社長の八鍬昭さんhttp://www.essam.co.jp/、JUNKO KOSHINO社長の鈴木弘之さん(コシノジュンコさんの夫君でカメラマン)。野田先生と10歳年下の八鍬さんは30年以上の付き合いとかで、言葉のやりとりが面白い。八鍬さんは去年は120回ゴルフをしたそうだ。フェアウェイからはずれラフに入れるとお手上げになるコースなので、全員スコアはよくなかったが、楽しい時間を過ごした。このコースは電動カートではないのでよく歩いた。終了後は、二子玉川駅近くの「九つ井」というレストランで歓談しながら、おいしい料理をいただく。http://www.bekkoame.ne.jp/~kodama-m/soba/k/kokonotsuido_futako.html
2009/05/13
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来訪者が多い。旧知の市場価値測定研究所の藤田聡社長が来訪。「ビジネス基礎力」を点数化できるプログラムの説明を受ける。TOEICと同じレベルで点数化しておりわかりやすい。「若者のビジネス基礎力の水位」というデータによれば、2004年は556点、2005年は533点、2006年は519点、2007年は513点と低下傾向にあるそうだ。ビジネス基礎力は、ビジョン策定・ストラテtジー・リーダーシップ・マネジメント・情報収集・パソコン活用・プレゼンテーション・異文化適応・タイムマネジメント・メンタルマネジメントで構成されているという理論。河合塾の高校教員向けの進学指導情報誌『ガイドライン』から取材を受ける。2009年7・8月号では、「デザイン系学部・学科」が対象で、工学系に加え社会科学系で「経済・経営のデザイン学」というテーマだった。経営情報学部で、「マネジメントデザイン」という科目を担当しているので、私が取材に対応した。春学期の図解コミュニケーション、秋学期のライフマネジメント論の説明と実績を紹介した。青山プラニングアーツの尾中謙文社長らが来訪。「社長テレビ」http://shachotv.jpを成功させている企業で、映像の撮影技術、動画技術、プロデュースが素晴らしい。アイデアをいただき、学内を案内する。------------------------------------------プレオープンした多摩大ホームページhttp://www.tama.ac.jp/の内容修正作業を連日行っている。インターゼミ:http://www.tama.ac.jp/guide/inter_seminar.html。教員、学生の全体写真。ブログポータル「多摩大プライド」http://www.tama-blog.net/経営企画http://www.tama.ac.jp/guide/keieikikaku.html学長室http://www.tama.ac.jp/guide/president_room.htmlホームゼミhttp://www.tama.ac.jp/guide/sc/smis_home_seminar.htmlプロジェクトゼミhttp://www.tama.ac.jp/guide/sc/smis_project_seminar.html今日の一枚は、ほおの木。
2009/05/12
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宮城大学での講義のため11時半に仙台駅到着。富田さんの車で泉へ。NPOキャリア開発研究機構の横野さん、デュナミスの岩澤さん、そして私のゴルフの師匠の富田さんと泉パークタウンゴルフクラブのレストランで食事。午後の4時限目は特別講義。本年の登録者は2年生を中心に89人。終了後、通りかかった宮原育子教授と立ち話。インターゼミでテーマになっている鳴子温泉地域に学生と一緒に深く入りこんでいるいい先生。最近の状況について少し情報交換ができた。帰りの仙台駅で文芸春秋6月号を購入。「日本の顔」というグラビアページは寺島実郎さん。ここ数カ月かけて撮った5枚の写真が掲載されている。肩書は日本総合研究所会長と多摩大学学長。----------------------------「三井物産マン時代に培った情報力と世界的視野をもとに、教育問題から地球環境問題まで様々な提言を発信し続ける寺島実郎(61)。十五を数える各省庁委員会をはじめ、政財界、学界、言論界で横断的に活躍し、それぞれの「界」をつなぐ「境界人」としての役割を自らに課している。「僕はシンクタンクの長として多くの専門家を育ててきたけれど、これからはあらゆる専門知の境界線上で専門家同士をつないでいく「知の結節点」的な活動をしたいと思っているんです。今、日本に必要とされているのは様々な人材が越境する知的セクターなんです」この四月には多摩大学第五代目学長に就任した。「経営者や歴史上の権力者と同じく、五代目というのは中興、再構築が至上命題、僕の好きな鈴木大拙の言葉「外は広く、内は深い」の精神を持つ若い人を育てる構想が次々と沸いてきています」多摩大学の入学式の写真。「今年創立20周年を迎えた多摩大学。入学式の学長挨拶では「平成生まれの大学に、冷戦を知らない人たちがやってきた」と感慨深げ」「関口浩史氏が司会する情報番組「サンデーモーニング」に生出演。「完全な朝型体質」ゆえ多岐にわたる話題にも早朝から的確なコメント」自宅の庭には蔵書3万冊を納める「小屋」がある。「僕の頭のかくはん器。ここでひらめくことが多い。」本棚にはけん玉コレクションも」-------------------------http://www.tama.ac.jp/terashima/19時過ぎに東京駅に着いて、そのまま有楽町へ。「夕刊フジ」で民主党小沢代表の辞任のニュースを知る。ビジネスマン時代の30代前半に同じ職場で過ごした気の置けない仲間たちとの会食に出席。みんなの動向や企業のテーマなどを肴に飲んでいたらあっという間に10時近くになった。電車で帰っている途中で寺島さんから携帯に電話があり、「文春」のグラビアが話題に。写真はビジネスマン時代の仲間たち。赤間、今村、私、市川、岡、岡田、橋詰、宮脇、環の各氏。
2009/05/11
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どんなことでも、それを一つの体験として生かせる人が偉いのです。同じような繰り返しで、つまらんと思う仕事をやるときもあります。そのとき、つまらんと思って無関心で過ごす人と、そうではなくて、これも一つの体験だとして受け止める人がいるわけです。どんな人が成功するかというと、やはり積極的に受け止め、体験からいろいろ発想を生みだすことのできる人です。仕事というものは、昔の侍の果たし合いで、一歩劣ったら首が飛んでしまうのと一緒ですからな、早く言えば。アマチュアというものは娯楽にやるんだけれども、プロというもんは真剣勝負しておるわけです。侍が真剣勝負して首が飛んでしもうて、ほなまたやり直そうということはできへんですもんな。運があるという信念ができたら、人間強うおますな。自分は運が強い、そう考えたら、一生懸命やればいい仕事ができる、と思えるようになる。そうすれば将来の展望も違ったことになってくる。自分ではどうしようもない運もあるが、与えられた運をそだて上げていくことも大切でしょうね。だいたいにおいては、やはり成功するまでやめないというくらいの志をもってやらないと成るものも成らないということですね。ちょっとやってみて、うまくいかなかったら「もうダメだ」というようなことでは、何をやっても成功しないでしょう。やっぱり根気よく続けなければいけない。「転機というものが「物事の変わり目」という意味であるならば私にとっては、毎日が「転機」であったともいえよう。何がなしに日々を迎えるというのではなくて、その事態のなかから、自分なりのヒラメキというか、一つの思いというものを感じ、それに基づいて、新たな道を切りひらく毎日ということが大事なのである。悩んだり、腹を立てたり、悲観したりすることが社長の仕事である、経営者の仕事である、そういうものがなかったら経営者の生きがいがないのやと、こういうように考えてからだいぶ楽になったですよ。いまは悩むために自分は存在しているんやな、悩みが本業やなと、こういうような感じをもつようになったんです。 「松下幸之助 運をひらく言葉」(谷口全平)より最後の項など、会社の経営を人生と置き換えても納得できる言葉だなあ。悩んだり、腹を立てたり、悲観したりすることが人生そのものである、それが自分の人生である、そういうものがなかったら生きがいがないのや、こういうように考えてからだいぶ楽になったんですよ。いまは悩むために自分は存在しているんやな、悩みが本業やなと、こういうような感じをもつようになったんです。
2009/05/10
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土曜日。午前中の教授会を終えて、九段下サテライトへ。インターゼミ(社会工学研究会・寺島塾)は、4回目。早目に到着して寺島実郎さんと進行の打合せ。出席の先生たちと歓談。寺島塾長から短い時間の講義。以下概要。---------------------ベルリンで行われた先進国サミットのOBによる「OBサミット」の準備のための高度専門家会議(賢人会議)に出席(OBサミット自体は今ジェッダで開かれている)。3日3晩、不思議な体験をした。91歳のシュミット元首相、カナダのクレッツエン元首相、スウェーデンの本首相、ロシア、中国、韓国の「本首相、またOPECの事務局長などが参加していた。彼らの世界観、示談感覚、哲学、思想、、、。こういった優れた人たちに向かいあう地力が日本人にあるだろうか、と実感した。日本からの参加者は、自分一人だった。初日は、エネルギー問題、グリーンニューディールなどがテーマ、2日目は、その他万搬、3日目は、冷戦時代に戻らないためにはどうすべきか。自分はグリーンニューディールについてレポートしたが、問題意識など違和感はなかった。北朝鮮問題については、やっかいではあるが世界史に重大なインパクトを与える問題ではない、制御可能な問題だという見解が多数だった。メインテーマはイラク、アフガン、ソマリア、コソボ、など憎悪の連鎖でアメーバのように増殖しつつあるイスラム問題であるという認識だった。イスラムとキリスト教国との接点が広がるなかで、イスラムをいかに制御するかに深い関心があった。この会合に参加している政治家たちが謙虚にあらゆるものを吸収しようとしていたが、大事なことだと感じた。少年のような無邪気さ、冗談の切れ味、心のしなやかさなどにも感銘した。-----------------その後、学部生と大学院生、経営情報学部とグローバルスタディーズ学部という、タテとヨコのインターゼミで取り組むプロジェクトのテーマ決定とグループ分けを行う。ディズニーランドの研究・多摩ニュータウンの再生・鳴子温泉の活性化・アジアとの交流プログラム・グリーンニューディールという5つのテーマが決まり、グループが結成された。教員は、経営情報学部からは、私、菅先生、酒井先生、金先生、諸橋先生、グローバルスタディーズ学部からは渡邊先生、大学院からは長田先生、多摩大総研かた松本先生。これに来週から木村先生も加わる予定。先生たちも各グループへ割り当てられる。来週から、文献調査やフィールドワークの設計などの具体的な活動に入る。終了後、教員同士で近所の居酒屋で懇親の飲み会を行う。菅野、長田、金、渡邊、松本、私の6名。ゼミの話題や寺島さんを肴に楽しい時間を過ごした。皆さん活発で切れ味がいいので、笑い声にあふれた会となった。いいチームになりそうだ。
2009/05/09
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9時:出勤10時40分:主に2年生向けの講義「マネジメントデザイン」。登録者は200人以上。イントロで昨日の山内昌之先生の「中東政治のねじれと30年戦争」の内容を即興で描いた図解メモで解説して授業に入る。過去の日経新聞の社説を題材とした授業。12時半:ヨーロッパ出張から急きょ帰国した寺島学長が来学。ラウンジで教員たちと一緒に食事をしながら歓談。菅野、今泉、出原、樋口、といった先生たち。ドバイで行われるがOBサミットの準備のための3日間の会合がベルリンであったそうで、面白く解説してくれた。90歳を超える西ドイツのシュミット元首相やカナダの元首相、OPECの事務局長などとずっと一緒だった。日本からは一人という。大変に面白い経験だったそうだ。13時:1年生のプレゼミ。NPO設立というテーマで具体案を3つのグループに分かれて検討。15時:T出版社の編集者が来訪。同僚教授の樋口裕一さんとの共著の新書の最初の顔合わせ。内容が膨らんでなかなか興味深い本になりそうだ。出版予定は9月。学部長、樋口さん、菅野さんらといくつかの施策をすり合わせ。その後、京王線で品川キャンパスへ。雨上がりの品川駅の港南口に出ると大きな虹がかかっていて、多くの通行人が携帯電話で写真を撮っている。私も持ち歩いているデジカメで撮った。18時半:品川キャンパスで大学院「コミュニケーション経営論」という講義は、登録者11名、聴講者2名。多摩大大学院は全員が職業を持つ社会人だが、今年の平均年齢はいつのも年より高く40歳を超えた。いつも思うが、仕事は猛烈に忙しいのに夜と土日に通っているのには感心する。教材は、沈教授の中国論、山内教授の中東論、そして多摩大ホームページも。今回は、中央公論の「時評」の内田樹「ネットでの無償閲覧を歓迎する理由」と福岡伸一「体細胞クローン牛の安全性問題」をテーマとした授業。内田さんのグーグル問題に対する見解を述べた「時評」は共感する人が多かった。社会人大学院生との3時間は私にとってもいい時間である。実習では笑い声に満ちた時間を過ごした。品川から山手線で新宿。そこで京王線に乗り換える。ふと見ると電車の窓の上の壁に多摩大の名前が目に入った。20周年記念の新学長の講演会とシンポジウムの広告だった。野田一夫、グレゴリー・クラーク、寺島実郎の3人の写真に加え、コーディネーターの私の顔写真も載っていた。1ヵ月掲載される。http://www.tama.ac.jp/info/20thSymposium.htmlコメントを書く
2009/05/08
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連休明け。9時:学長室ミーティングhttp://www.tama.ac.jp/guide/president_room.html11時:大学ホームページ打合せ(http://www.tama.ac.jp/)14時50分:リレー講座(山内昌之東大教授)http://www.tama.ac.jp/info/lecture_relay2009.html16時20分:ゼミhttp://www.hisatune.net/html/01-kyouiku/tamadai/home-seminar/index.htm-----------------------------リレー講座の第3回目は東大の山内昌之先生の「中東政治のねじれと30年戦争」の要約。知識だけでなく戦争、人の死など、同時代を感じることが重要だ。想像力を巡らせよ。歴史に、絶対の正義と不正義はない。しかし、強者と弱者は存在する。弱者にはトラウマが残る。それが世代間の無限の復讐という悲劇になっていく。アメリカのオバマ大統領誕生にパレスチナ人は和平の期待を28.1%が持った。これは歴史上一番高い支持だ。オバマの中東への包括的アプローチは以下の4つ。1.アメリカの利益をどう守るか。同盟国イスラエルと車社会を支えるアラブをどうさばくか。2.イランの核武装をどう阻止するか。イランはイスラエルに対抗する強国になろうとしている。3.イラクからどう抜けるだすか。4.アフガニスタンの民生の発展のために穏健派をどう取り込むか。アフガンはカオスのポケット。テロ、麻薬、貨幣の偽造、、、。イランとアメリカは30年間の冷たい戦争中。アラブは一つではない。トルコ、エジプト、、、。イランの外交目標は、対米関係の正常化だ。イランがアメリカに認めさせたいものは以下の3つ。1.シーア派体制の護持。2.ウラン濃縮化の継続3.シーア派資本主義を守る(シーア派僧侶は資本家)イランは核を持ってイスラエルに対抗したい。石油と核で中東の地域大国に。イスラエルは核を持っているとも持っていないともいわない不気味な国。イランの権力は分散している。大統領、最高指導者ハメイニ師、、、。アメリカは日本にイランとの断交を迫ってきたが、日本はイランといい関係を保っており、独人エネルギー安全保障政策を成功させてきた。このアメリカのフリーライダー論(ただ乗り)にこたえるために、陸上自衛隊のイラク派遣、海上自衛隊のアラビア海の改造掃討に派遣。日本はガザの復興に2億ドル出すが、アメリカの援助を受けたイスラエルがそれを壊すかもしれない。無間地獄。ヨルダン西岸の平和と繁栄の回廊(農産業団地)をつくり、ここからパレスチナへ供給するという日本独自の支援策を成功させたい。こういった動きをガザにも広げたい。------------------------------------------------多摩大新HPhttp://www.tama.ac.jp/反応がインターネット上に出始めました。http://www.wasedajuku.com/wasemaga/unipro-note/2009/04/post_402.htmlhttp://d.hatena.ne.jp/high190/20090430/p1http://n-idemitsu.269g.net/article/14271338.htmlhttp://hugkyoiku.g.hatena.ne.jp/kiyohero/20090428/1240903941
2009/05/07
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今日は、森鴎外について、少し書いてみる。森鴎外は、小説家として記憶している人が多いだろう。実際は、小説のほかに、戯曲を書き、詩歌をつくり、史伝という分野をひらき、翻訳にも力を注いだ、大文学者である。ところがこの人はの本務は、陸軍の軍医だった。軍医としては最高位まで登りつめている。二足のわらじを履きながら、全く相いれない仕事を両立させていた人物なのだ。日本銀行の理事から山一證券経済研究所理事長として活躍して最近亡くなった吉野俊彦氏(1915年生まれ)は、サラリーマンと執筆活動の両立という境遇を生きた鴎外に関心を持って研究した人物である。吉野俊彦は、日銀マンと文筆を両立させた鴎外に関心を持ち、師として仰いでいた。氏が書いた本によって、鴎外の生き方が脚光を浴びた時代があるが、今の時代ももっと陽があたってもいいと思う。渋江抽斎、鴎外、吉野俊彦、という系譜は、二足のわらじを履きながら、仕事とライフワークを同時に高いレベルで達成しようとした人たちの系譜である。軍人という仕事とライフワークとの間に迷いのあった鴎外は、渋江抽斎を発見し、その生涯の研究に没頭した。それは自分の迷いの回答を探す旅であった。吉野俊彦も、日銀マンという誇り高い仕事と文筆の両立のモデルとその理由を鴎外に求めたのだろう。私たちがまだ30代のころ、吉野俊彦という人物の存在を知って勇気を与えられたことがある。?外は時代が遠くあまりにも高い嶺でありすぎたが、同時代の先を生きている先達の姿勢に深い共感を感じるサラリーマンも多く、吉野氏は人気があった。この人の本によって二足のわらじを履いた人物としての?外にも親しみを持った記憶がある。三鷹の茂林寺に大きな銀杏の木の傍らに「森林太郎 言 加古鶴所 書」と書かれた森?外の有名な遺書がが刻まれた石碑があり訪れたことがある。「森林太郎トシテ死セントス 墓ハ森林太郎ノ外一字モホル可ラス」とある。墓地に入ると「森林太郎墓」とのみ記した大きなごつい墓石があった。字はいかにも森のような、いかにも林のような字である。遺書は東大の同期生で生涯の友人である賀古鶴所に口頭で説明しまとめてもらったもので「余は石見人 森林太郎として死せんと欲す。墓は森林太郎之墓と書き、書は中村不折に依託。宮内省や陸軍の栄典は絶対に取り止めを請う」とある。この文言につては、素直に故郷を愛したというように理解することもできるが、?外はここで初めて、自らを軍人としてではなく、文学者であることを初めて宣言した。生きている間は軍人としての人生を全うし、死後は文人として名を残したいと考えたのであろう。
2009/05/06
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ある雑誌で渡部昇一と谷沢永一という二人の碩学が対談をしていた。この二人は万般に通じているのでどの対談も面白い。今回のテーマは「川柳」である。「俳風柳多留」(柄井川柳)から子ができて川の字なりに寝る夫婦おい女房乳を飲ませに化けて来い米つきに所を聞けば汗をふき取揚婆(とりあげばば)屏風を出ると取り巻かれはげ頭能(よ)い分別をさすり出し医者衆は辞世を誉めて立たれたり道問えば一度にうごく田植笠母の名は親父の腕にしなびて居「日本史伝川柳狂句」(岡田三面子)から武蔵坊とかく支度(したく)に手間がとれ清盛の医者は裸で脈をとり生つばき吐き吐き巴切て出る浮草へむだに深草通いつめ江戸ならば深川辺りに喜撰住み只ものを人に遣るさへ上手下手三平二満(をとごぜ)の男ずれぬをとり得にて口に似ぬ女房ぎらひの子を持(もち)し内藤はちょいと書物を横に置き学者虚して曰く少ないかな腎五戒より和尚厄介保ってる江戸っ子の生まれそこない金を貯め金持ちをみくびって行く初鰹お釈迦様生まれ落ちると味噌を上げ浪人は長いものから食い始め「川柳雑俳の研究」(麻生磯次)三回目箸一膳の主となり月落ち鳥啼いて女房腹を立てなぐさみに女房のいけん聞いて居る谷沢「、、開高が「会食をする時に、皆を笑わせる小話をちゃんと用意してこない者は、罰するべきである」と言っていました。、、」渡部「川柳にはユーモアだけでなくウイット(機智)もあるし、サタイア(風刺)もあります。」渡部「ユーモアを養うためにも、普段から教養や知性を磨いておくと同時に、心に余裕を持たなければなりませんね。」なかなか面白かったが、私は20年以上も続いている「サラリーマン川柳」のファンだ。http://event.dai-ichi-life.co.jp/company/senryu/index.html
2009/05/06
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横浜に三渓園という公園があることは昔から知っていたが、それは原三渓という人の庭園であり、その人物が優れた人物であったことを初めて知った。「横浜は良きも悪しきも亀善のはら一つで決まるなり」といわれた原善三郎(1827年―1899年)は、1859年の横浜港開港直後に35歳で生糸貿易商「亀屋」を創業し大成功をおさめ、銀行頭取、初代市会議長、衆議院議員、貴族院議員などを歴任した。その善一郎の孫娘・屋寿と恋愛結婚して、31歳で原家を継いだのが原富太郎である。後に三渓。1868年に岐阜柳津町で生まれた富太郎は、原焦点を合名会社に改組し、日本の五大生糸輸出業者になるほどの成功をおさめた。1902年(36歳)に自宅を本牧に移す。1906年に自邸三系渓園を一般公開する。1912年実父の死。1919年祖父・高橋杏村のためにこう徳碑を建立(撰文は鴎外)。1923年関東大震災で壊滅した横浜の復興に立ち上がる。1925年納税額が神奈川県トップになる。1937年長男善一郎死去。1939年70歳で逝去。三渓の実業家としての経歴を眺めてみると、本業の生糸関係はもちろんだが、金融をはじめとして多くの仕事を引き受けたことがわかる。第二銀行取締役頭取、三井銀行取締役、横浜興信(?)銀行初代頭取、横浜市信用組合長、スマトラ島でのゴム園経営、日本郵船取締役、満鉄監事、、、。私より公を大切にし、横浜の利益になるなら私を無にした。横浜の復興に尽力するなどまさに横浜の恩人だった。三渓園の記念館では、実業家、奉仕家、美の養成家、美術家・数寄者、という面から資料を展示してある。「奉仕家」では、「三渓園の美しい自然の風景は私有すべきはない」と市民に開放している。市民にはもちろん喜ばれたが、社会主義者の堺利彦もこの英断を絶賛している。東京専門学校で学んだ三渓は母校の早稲田大学基金管理委員、理工学部新設時に資金を提供、横浜経済協会を設立し横浜駅の移転を推進、鶴見沖埋め立て。神奈川県匡済会での社会福祉事業、横浜貿易復興会理事長、横浜市復興会会長、内閣復興院評議員など数えきれないほどの役職をこなしている。砂糖商の中村房次郎(1870-1944年)は、三渓について「表面に出ることを好まず、常にその力を内に蓄えられていた。しかし一朝何事かある時は、その内に蓄えられた真の力を縦横にふるわれたものである」と語っている。「美の養成家」では、岡倉天心の依頼によって、日本美術の再興のために、横山大観、下村観山、小林古径、前田青沌、そして彫刻の平串田中などを援助している。前田青沌は「青年画家を育成された功績は永久に忘れることがでjきない」とその恩を語っている。また、安田○彦は三渓園での研究会を「楽園的会合、極楽世界」と述べている。「今、光悦」と呼ばれていた。三渓は日本美術院復興時には、賛助会員兼評議員もつとめている。しかし、関東大震災を契機に、こういう活動を断っている。「美術家・数寄者」では、天心の影響を受けて、美術品のコレクター、パトロン、美術家、作庭・建築・茶の湯などを愛好した数寄者であった。自らも絵筆を握る三渓は「美術の世界は他に求めることができない自由の別天地だ」と述べ、4000点の美術品を蒐集した。こういった面では、芥川龍之介、谷川徹三、夏目漱石、井上馨、益田鈍翁、佐々木信綱、高浜虚子などとの交遊もあった。内苑には桃山時代を中心とする名建築が移築されている。桂離宮と双壁をなし徳川吉宗が育った臨春閣をはじめ、月華殿、金毛窟、天授院、聴秋風、九窓亭、蓮華院、寒月庵、林洞庵、臥竜梅など見事な建築物をみることができる。小高い山の頂上には、伊藤博文が命名した松風閣が建っている。東京湾の絶景を見下ろすことができる。アジア初のノーベル賞をとったインドのタゴールもここを訪れた数ヶ月滞在した。この原三渓谷という人物は、横浜の恩人というだけでなく、日本美術界の恩人でもある。そして経営者のあるべき姿、人間としてのあるべき姿を示している。今日の横浜も、今日の日本もこの人物から多くの恩恵をもらっている。原三渓はもっと研究され、もっと知られていい人物である。売店で買った新井恵美子「原三渓物語」(神奈川新聞社)を一気に読んで、その感を深くした。横浜復興会会長就任の挨拶で、「しかしながらこれは言わば横浜の外形を焼き尽くしたと言うべきものでありまして、横浜市の本体は巌然として尚存在しているのであります。横浜市の本体とは市民の精神であります。市民の元気であります。特にここにおられる二百名の諸君が健在である限り横浜は大丈夫なのだ」と述べて、復興に取り掛かった。勇気を与える素晴らしい挨拶だ。機会あるごとに、見事な三渓園を訪れて、その遺徳を偲びたい。
2009/05/04
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私は、はじめから、文学というものは実業による経済的な防波堤の内側でなすべきものと決めていた。(村野四郎)やりたいことをやるためには、貧乏に耐える心構えがなければならない。そういう常識を詩人たらんとする若き村野はとらなかった。経済的な裏付けがなければ、やりたいことは常に風前の灯のように揺れてしまう。まずは実業で位置を確保する。その上で誰からも干渉されることなく志に沿って創造の世界に入っていく。会社の重役という経済的防波堤をまず築き、その内海で自由に飛祥し、詩人として歴史に名を残す。この戦略的人生を見よ。-------------私は精神的に弱いので、逆にそれを人にさらけ出して、どうしてもやらざるを得ない状況に自分を追い込んでゆくのである。(植村直己)不世出の冒険家の口から出るこのこと言葉に驚きと安堵をおぼえる人は多いだろう。危険を冒し続ける人はすぐに挫折をするだろう。危険を察知し、対策を立て、実行する人には、すでに危険は去っている。冒険家は危険を冒さない人である、ということかもしれない。--------------------------こは長きも二十行を限りとし短きは十行五行あるは一行二行もあるべし(正岡子規)「墨汁一滴」には、食べ物の薀蓄、歌に関する知識、人物胆、俳句、万葉集賛歌、闘病の苦しさ、少年時代の思い出、漱石のこと、試験の話など、優れた批評精神と好奇心のおもむくままに書いたエッセイは、豊饒な精神生活を感じさせる。テーマ、スタイルなどが多彩にひろがっていて、子規の世界を堪能させてくれる。随筆にみる子規は実に魅力的だ。現代のブロガーは子規に学びたい。
2009/05/03
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208年12月、長江中流の赤壁という場所で、魏の基礎を築いた曹操(兵力80万)と、蜀を建国する劉備と呉の礎を築いた孫権連合軍(兵力5万)の戦いが行われ、孫権の宰相・周ゆと劉備の宰相・諸葛孔明の火攻めによって、曹操は2千隻の大艦隊を失い、敗れ兵を引いた。このあと中国は魏・呉・蜀の三国鼎立時代を迎える。その物語を、愛と友情の物語として中国人監督・ジョン・ウーが描き直した大作が「レッド・クリフ」である。中国映画の水準を一気に高めた傑作である。「私たちが暮らしている今は、過去に生きた人々の勇気ある行動が積み重なってできてきました。世界的不況・不信の時代だからこそ、一人一人の決断で今を変えて新しい未来を作りましょう。みなさんそれぞれの「奇跡」を起こす時です」(親愛なる日本の皆様・ジョン・ウー)周ゆ(連合軍の最強指揮官)「集中力さえあれば、小石で巨人を殺せる」 孔明(風を読み、人を動かす天才軍師)「約束した事は、最後まで違えません」 曹操(天下統一を目論む、帝国の支配者)「赤壁を落とせねば、歴史は私を何というか」 孫権(父と兄の遺志を継ぎ、未来を拓く若き君主)「呉の誇りのためだ、勝てなくても戦わねばならぬ」 小喬(戦いの鍵を握る、愛に生きる美女)「私は民のために伺いました。この戦いをやめてください」 尚香(乱世に身を投じ、共に闘う君主の妹)「必ず、戻ってくる」 甘興(果敢に敵陣に攻め込む寡黙な武人)「海賊と蔑まされたが、誇りを失わなければそれで十分だ」 趙雲(命を賭して忠義に尽くす勇猛な武将)「こんな傷、線上に出れば治ります」 劉備(優しき心で人心をつかむ漢帝国の末裔)「民を守らずして、この戦の意義はあるおか」 関羽(天下に名を轟かせる劉備軍の猛将)「仁義をもって戦わねば意味はない」」 張飛(猪突猛進して敵をなぎ倒す豪傑)「善悪のけじめはハッキリつけなきゃいけねえ!」 孫叔材(曹操軍の心優しき蹴鞠の名手)「俺は最後まで戦う。税を免れ皆が飯を食えるから」 中国、香港、台湾、日本、韓国、アメリカからスタッフが集まっている。日本からは、俳優の中村獅堂(甘興)、音楽の岩城太郎。100億円かけたスケールの大きな映画で、興行的にも大成功している。最後のシーンでは、周ゆが曹操に「勝者も敗者もいない」というくだりがある。この戦争映画は「反戦」がテーマだと思う。
2009/05/02
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シリコンバレーから将棋を観る充電中の梅田望夫さんが、「シリコンバレーから将棋を観る--羽生善治と現代」(中央公論社)という本を書いた。2008年は将棋という趣味に没頭できた最高の一年だったと述懐しているように、この本は結果的に羽生善治を代表とする日本の若い棋士たちの頭の中を探検し、優しく鋭いまなざしでその世界を描いた好著となった。未来をイメージし、そこに向けての第一歩を踏み出している「ビジョナリー」たちの言葉に耳を傾け、未来の姿を考える、それが梅田の仕事であるが、今まではIT時代の最先端を走る人たちを追いかけてきた。今回は、日本の伝統文化の中に生き、もっとも日本人らしい生き方をしている棋士という若き人々の物語である。将棋界最高のビジョナリー・羽生は、「知のオープン化」と「勝つこと」というインターネット時代の思想を体現している。自らの頭脳ををオープンにさらけだし、その上でライバルたちと一緒に手を携えて高い嶺に登ろうとしている。それは、自らの「創造力に自信を持つリーダーの姿である。将棋の世界は、羽生善治を先頭として、佐藤康光、深浦康市、渡辺明ら羽生の好敵手たちとの共同作業によって新しい地平を切り拓きつつつある。彼らは敵というより、同志だった。梅田は、偶然と必然に導かれながら、タイトル戦をじかに観察する機会を与えられる。奥の深い将棋の世界にとりつかれている度合いが並外れていて、それが天才の中から抜きん出るということである。勝者も敗者もない、科学者が真理を追求する姿があった。シリコンバレーの技術者集団に似ている、、、。などさまざまな観察が述べてあり、読者として十分に楽しめるのだが、棋士たちの素顔を描いた記述が印象に残った。「とにかくまず、おそろしく頭がいい。地頭の良さが抜群で、頭の回転が速く、記憶力もいいから、話が面白い。自信に満ちている。会話の中で、相手の真意を察する能力にも、びっくりするほど長けている。だから会話がスムーズむ運んで心地よい。そして組織人とはまったく違う。そして技術者、芸術家、学者とも違う、不思議で素敵な日本文化を身体にまとっている。ときおり無頼の匂いがする。宵越しの金は持たぬという職人気質も見える。しかし礼儀正しく、若くても老成した雰囲気がふっと漂う瞬間がある。物事に対してすごくまじめで、何事も個がすべてだという感覚が当然のごとく人格にしみこんでいて、自分で物事をさっと決めてその責任を引き受ける潔さが、何気ない言葉の端々からうかがえる。時間的な制約にとらわれない生活をしているせいか、酒飲みが多く、遊ぶことにも貪欲だ。凝り性なのだろう。趣味や遊びに対しても、持ち前の記憶力で細部にこだわる風がある。そして、将棋や将棋界を愛する人たちを大切にする気持を彼らは心から持ち、将棋を通して人々と深くつながっていくことができる。」ビジョナリー・羽生との対談では、こころを許した友人同士の節度ある交流の中で、本質に迫る議論が展開される。「将棋って、最初から最後までずっと流れ続けていくものですよね。」「ねじり」「曖昧模糊さ、いい加減さを前に、どれだけ普通でいられるか」「可能性を極力残しつつ、残しつつ進めていくのが大事な要素となる、というのが、私の経験則ですね」「どこかやっぱり、他力本願的なところがあるんですよ」「一人で完成させるのではなく、制約のある中でベストを尽くして他者に委ねる、そういうものだと思いますね」「ある種、学術的な感じもするときがあるんです。棋士の人たち、ゲノムなんかの解析をやっているんじゃないか、と思うときもあります」羽生はリラックスして、梅田の質問に喚起されて、引き出されている感じがする。対談相手しだいで語る内容が深まる、あるいは普段考えていないような世界を自分の言葉で語ることがある。対談も実は将棋の対局に似ている。だから、羽生も相手との対話の中で、楽しみながら創造の世界に入っているのだろう。梅田の書いた佐藤と羽生の竜王戦のリアルタイム観戦記には、実に7600万のアクセスがあった。この観戦記について羽生は、梅田さんも対局してたという表現を使っていたが、その通りだろう。この趣味の世界を相手にするときも流儀を変えず、全力で散りくんだことがわかる。本来「充電」とはこういう形なのだろう。・私のPCには、将棋年鑑のデータが一万4567局入っている。・対局場で観戦しながら思い起こすかもしれない素材をすべて、ウェブ上の私のプライベート空間に、事前にぎっしりと敷き詰めておくことだった。・私は、対局の一か月前から、二人の対局者の過去の著作、「将棋世界」過去十数年分のバックナンバーの中で二人が語っていた言葉、現代将棋をめぐるさまざまな言説などから、これぞ「肝」だと感じた箇所だけすべて抜き書きし、ウェブ上のプラべート空間に筆者し、観戦記執筆時点でアクセス可能な脳の外部記憶装置を準備した。それが私の用意した「構え」であった。・今回の私の挑戦は、インターネットの特性そのものとも言うべき「リアルタイム性と分量無制限」という二つの優位にこだわって、その優位をどこまで活かしたものが書けるのかを試してみよう、という実験でもあった。・ちなみに私は、将棋の本や雑誌を読んで感動した部分があると必ず筆写して、ネットの「あちら側」に置いてある。だから必要なときにすぐ引用できる。それがパリからであっても。)・僕は毎朝だいたい午前4時くらいに起きて、まず昨日一日のうちに世界で何が起きたかを勉強するわけですよ。・本業のほうは、将棋のおかげでいい仕事ができています。他にはたとえば、絵を見ることもよく似ています。私たちの知らない世界がある。その世界をさらに豊かにするためには、なかなか垣間見ることができない閉じられた世界を内部からこじ開けようとする人と、その世界を外部から覗き込もうとする人が必要だ。内部の人は羽生で、外部の人が梅田である。内部の第一人者と外部の優れた観察者が出会ったという偶然には、必然を感じる。こういう出会いによって、将棋界はもちろんのこと、日本人の精神世界も広がりと深さを獲得するだろう。日本にはこういう伝統文化が数多くある。そういう資源の掘り起こしが、大切な時代になった。私自身には「リアルタイム」と「対話」というキーワードも頭に残った。
2009/05/01
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