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入試が続いている。AO入試のコミュニケーション型という形態の入試の面接官として、10時半から4人の高校生を面接した。今回も教育熱心なマーケッティングの豊田先生と一緒のコンビ。高校生と親との関係、職業意識、関心を持っている仕事の最新の動向、大学生活に対する期待、多摩大のイメージ、在学生の印象などを垣間見ることができて、私にとってもいい時間となった。13時半からは、経営企画室主催の学部・大学院合同の初めての予算委員会。予算の作成を通じて全学の構造や課題が見えてきて、大きな方針が固まっていく。10日にもう一度委員会をやって、来年度の予算配分が決まる。18時からは、新宿で九大探検部時代の仲間との飲み会に参加。田中と新原は先日の関東同窓会で会っている。石油会社の坪内とは札幌で会って以来15年ぶりだそうだ。内野は数年前福岡で会ったときは佐賀大にいたが、最近埼玉医大に移った神経画像専門の教授。関東同窓会会長の松尾さんは急きょ来れなくなった。ということで、よもやま話。坪内は私のメルマガをずっと読み続けているので動向をしっていた。内野には送ることにした。
2009/02/28
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夕刻、品川の大学院キャンパスでルネッサンスセンターの乾さんからキャリア関係の新聞の執筆依頼を受ける。どう料理しようか。その後、喫茶でダイヤモンド社の久我さんから3月5日発刊の新刊「タテの会議 ヨコの会議」の見本を受け取る。以下、タイトルまわりのワード。「結果の出る」ノウハウ満載! 理解と伝達の「タテの会議」、企画・構想の「ヨコの会議」。 目的も違えば、甲斐技術も異なる。会議を制する者は、ビジネスを制す! アfシリテーター必読書! 上司と部下の「タテの会議」と部門をまたぐ「ヨコの会議」。目的も会議術も異なる。結果の出る知的会議をデザインしよう。 タテの会議 ヨコの会議―時間半減、生産性倍増の実践ノウハウ19時からは、大学院で私の講義を受けている社会人大学院生14名ほどと懇親会。夜間と土日に授業を受ける30代の社会人が中心だが、時間的にも、精神的にも、肉体的にも、全員が厳しい状況を戦っている。会社の中期計画策定が終了して一息ついているひと、中計策定の真最中の人、経済評論をやっている女性、など現下の経済の大変動期を乗り切るために頑張っている人が多い。また、仕事と家庭と大学院の両立に悩んでいる人、いくつかの企業を経営している人、私のブログやメルマガをよく読んでくれている女性たち、、、。自分の30代の時のことを思い出し、アドバイスしたり、激励したりしながら、楽しい時間を過ごす。新刊の見本を3冊ほどじゃんけんで決め、贈呈する。歴史上の大物経済学者を料理する出版プロジェクトの提案をして、有志で挑戦することになった。これは楽しみだ。二次会にも参加。
2009/02/27
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今年度行った多摩大学での寺島実郎監修リレー講座を、来年度も開催します。26日の「アサヒタウンズ・八王子版」で受講者の募集を開始しました。以下、概要と募集要項。各界講師は最終的に決まり次第、ホームページにも掲載する予定です。新年度4月より寺島氏は多摩大学学長の任に就き、グローバルな視界で大学の革新に関わります。------------------現代世界解析講座2「いま、世界の構造転換と日本のあり方を考える」各界の碩学を講師として迎え、リレー講座として日本と世界が置かれた歴史的位相を多面的な視点から再検討し、その今日的課題を解析するプログラムを構築する。寺島実郎氏が「世界潮流と日本の進路」を基軸に、国際情勢や経済、国内行政等の各分野における精鋭の専門家を多摩大学に招き、リレー講座形式による通年の体系的なプログラムを開催します。世界各地域の現況、海外から見た日本、また日本国内の諸問題を多面的に取り上げることで、問題意識の提起を目指し、内外一体の時代認識を深めることが主眼となります。また、現代世界の歴史的位置付けを再考し、地政学的知を深めることを通じ、現代が抱える課題を解析するプログラムを築きます。新年度4月より寺島氏は多摩大学学長の任に就き、グローバルな視界で大学の革新に関わります。今回は、昨年スタートした責任監修リレー講座の第二弾として、通年で全24回の講義を開催し、一般社会人の聴講生と多摩大学在学中の学生は履修科目として、計約600名を対象にした講義を連続開催します。日程:春学期 全12回 (各回木曜) 4月16日より7月9日。 場所:多摩大学多摩キャンパス 001教室(アクセスhttp://www.tama.ac.jp/info/guide_tama.html) 一般募集定員:300名 申込締切日:3月23日(月)。 応募者多数の場合は抽選とさせていただきます。 抽選の結果、受講可能な方には3月31日までに受講料の請求書を郵送いたします。受講料:12,000円(春学期12回分) ※特別割引:多摩市及び稲城市の在住在勤者、多摩大学卒業生、多摩大学大学院修了生、多摩大学大学院生、学生、経営情報学部 後援会:10,000円主催:多摩大学 監修:寺島実郎 企画 全体テーマ:「現代世界解析講座II -いま、世界の構造転換と日本のあり方を考える」 お申し込み:こちらのウェブフォームからお申し込みください。 https://tamauniv.jp/relay/lecture_relay2009_pc.html
2009/02/26
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週刊ダイヤモンドに連載中の「学び直しの5冊」。毎週水曜日発売。本日入手。以下、その概要。---------------------------------選・評多摩大学経営情報学部教授久恒啓一稟議書の文章表現にやたらとこだわる上司がいる職場の生産性は低い。強い経営の基本は、「理解+企画+伝達」というトータルコミュニケーション」にあるのに、子細にこだわるあまり理解も思考も進まず、コミュニケーションも活性化しないからだ。しかし、、、、、、。上手に描けるだろうかと案ずることはない。一定の訓練で一定のレベルに達せられ、個々人のセンスに依拠しないからこそ図解コミュニケーションは知的生産の「技術」なのだ、、、、、。拙著『実戦!仕事力を高める図解の技術』は、問題点を見える化するための図解の基礎技術を解説している。、、、、。マイクロソフト社の図解コミュニケーションツールを使って図解する技術を解説が同じく拙著『Visioでマスターする図考プレゼン実践の極意』(アスキー 二〇〇五年 二四〇〇円)Visioの評価版CD付きなので、、、、、。海保博之は、心理学の大著もある斯界の大家だが、「認知表現学」という領域を打ち立て、数多くの啓蒙書を出版している。『一目で分かる表現の心理技法』(共立出版 一九九二年 二一〇〇円)は、、、、、、、、。分かりやすさとは何か、を切り口に図解を研究しているのが藤沢晃治で、『分かりやすい図解コミュニケーション術』(講談社プラスアルファ新書 二〇〇六年 八〇〇円)は手ごろな、、、、。図が、いかに多くの概念を包含させられるかを知るには視覚デザイン研究所編『図表・地図ハンドブック』(同研究所 一九八一年)。古書での入手となるが、、、、、、、。
2009/02/25
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月曜日は母と一緒にホテル日航福岡に宿泊。この日の昼食は、博多在住の叔父さんと久しぶりに会って、長い時間さまざまな話をする。81歳の叔父さんは父の弟で九大薬学部を出て、アメリカとヨーロッパに留学していた学者で幼い頃からの憧れの人だった。帰国後、徳島大学や城西大学で教授をつとめて、今は郷里の博多にいる。子供のころは「博多のおじちゃん」と呼んでいた。久恒という家の歴史はこの叔父さんの記憶に頼るしかなくなっており、元気なうちにいろいろと聞いておこうということで、話をしてもらったが、会ったことはない祖父の経歴の概要を知ることができたのは収穫だった。本家の中庸先生(名古屋大学の冶金学者)の医者であった父上の代診をやっていたこと、そしてその父上と一緒に台湾のキールンで医院を経営していたこと、中庸先生と同世代であったこと、明治薬科専門学校に通い薬剤師の資格をとり、その後歯医者の資格もとったことなどもわかった。先日初めて会った金沢の加賀友禅作家・久恒俊治さんの祖父が中庸先生だったので、これで俊治さんとの位置関係がわかり、つながった。今後もいろいろ聞いておきたい。火曜日は、福岡空港から羽田にJAL便で飛び、そのままディズニーのある舞浜へ直行。多摩大学の教職員の多くが参加するティーチインが13時から翌日のお昼にかけてあった。問題点の確認、議論、方向性の確認などを行う毎年の行事だが、こういう形でコミュニケーションをとりながら、次年度の方針が決まっていくという流れになっている。昨年は熱海だったが、教員がほとんどしゃべるというスタイルだった。今年は教員と職員が一緒に議論を行いながら、大学の方向を決めていくというスタイルになり、解決策もより現実的になったように思う。エンロールマネジメント、開学20周年行事、、、、、。夕食は全員で2時間ほどかけて教員・職員一緒にわいわい言いながら交流し、その後はまたテーブルを囲んで議論の続き。みんな熱心だ。私は少し早目に引き上げて部屋で学長室の高野課長と懸案の相談。翌日(25日)の水曜日は、野田学長代行が見えて1時間ほど大胆な提案を聴き、質疑応答。野田先生が帰られたあとは、来年度から始まるプレゼミについての意思疎通、多摩大総合研究所と一緒にやろうとしている地域観光に関するテーマなど、活発な議論が展開される。最後に、学部長からこの二日間の議論を総括して欲しいという要請が学長室長の私にあり、所感を少しながく述べた。ティーチインの進化、遠心力の20年、今後は求心力の回復がテーマであること、あらゆる組織を総合したトータルなマネジメントの必要性、寺島新学長の考えていること、経営情報学部のマネジメントを固めて全学に広げていく、その第一歩としてこのティーチインが位置づけられること、職員の志と能力の高さに感銘を受けたことなどを述べてみた。ティーチインは多摩大のすぐれた伝統だと改めて感じた。
2009/02/24
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昨年の9月23日のこのブログに納棺師を演じる本木雅弘が好演した 映画「おくりびと」の感想を書いた。いい映画だったが、それがアカデミー賞の外国語映画賞を受賞した。その内容を再録し、味わいたい。ーーーーー本木雅弘主演の映画「おくりびと」を観た。本木は、NHK大河ドラマで徳川慶喜役を見事に演じていた役者である。今回は難しいテーマをよくこなした好演だった。「おくりびと」とは、聞きなれい言葉だが、遺体を棺に納める納棺師という仕事をテーマとした異色の感動を与える作品である。死という現実を納棺師という目から扱った作品だが、これは主役である本木が10数年前から温めてテーマである。第三者が初対面の遺体を抱き、その旅立ちを手伝う行為、無言の関係が映画的であると思っていた本木は、自分が見た光景が、洗練された所作で非常に美しく、茶の作法のようでもあり、作曲家、指揮者のように、場の一体感を生み出すアートであると感じる。この役者の感受性は将来の大成を予感させる。遺族や近親者が集まって故人をしのぶ中、遺体を清め、死装束を着せ、剃髪や化粧を施し、棺に納めるのが納棺師の仕事であるが、実際にそういう場面に遭遇したことはない。そのような仕事があることに驚いたが、実に奥の深い仕事だ。主人公の妻役の広末涼子は、はしゃぎすぎの印象だが、夫の仕事の中身を知り「汚らわしい」という言葉を発するところは、よかった。納棺師の親方役の山崎努の圧倒的な存在感を相変わらずで、この映画のテーマの奥行きを感じさせる名演技である。こういう役者はなかなかいない。助演の笹野高史もいい味を出している。鶴乃湯で一風呂浴びて詰将棋をしているこの男は、焼き場に勤務している人だった。遺体を毎日焼く仕事をしている彼は、「ここは門です。全ての人が通る門です。」と心に沁みる言葉を発する。滝田洋二郎監督は、長い静寂の中から多様な感動をもたらす納棺について「生前の一番輝いていた頃を思い起こさせながら、それぞれが生きて来たさまざまな感情を瞬時に噴出させるというか、それを演出する納棺師の仕事ってすごい職業だなと思いました」と語っている。まだ文字がなかった時代に自分の思いを石に託すという石文という手紙のスタイルも、親子の感情をあらわすのに用いていたが、これも小道具としては効いていた。音楽を担当した久石譲は、全編をチェロの演奏でまとめるが、チェロ奏者の芸術(アート)も、納棺師の技術(アート)も、死者を蘇らせるという点において、本質は同じである。山形県の美しい自然の中で、人間の肉声の近く、低い音から高い音まで広い音域で奏でられる楽器であるチェロの美しい響きと、納棺にあたっての主人公の美しい所作のパフォーマンスには深い感動を覚えた。いい映画だった。
2009/02/23
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土日は、郷里の中津に滞在。土曜日は、母と一緒に小倉に出て、松本清張記念館を再訪する。その後、鍛治町の」森鴎外旧居を訪問。明治32年6月から35年3月まで住んだ家である。ここで原作以上といわれたアンデルセンの「即興詩人」を書いた。クラゼヴィッツの「戦論」もここでの翻訳である。八幡製鉄の開所は1901年だったことは記憶にあったが、鴎外はこの陸軍第12師団軍医部長として開所式に出席している。鴎外の身長は161.2センチだったが、当時の日本人男子の平均は155センチだったから大柄だった。鴎外は、ここを起点に九州各地を精力的に旅行し、主な史跡はほとんど見て回っている。出張するときに、日記の行数が極端に増えた。古い文献、古美術品、そして人々との出会いを楽しんでいる。後に小倉を離れるときには、見送りが1000人を超えたという。風通しのよいこの家で鴎外が使っていた八畳間には、「天馬行空」という書が架けてある。源高湛(みなもとのたかやす)といういみなで書いた鴎外の書の写しである。豊前の発明家・矢部良一の死後、その父におくった直筆の書である。夕食は、同級生たちと1年ぶりに会った。瀬口、久持、羽生、藤田君らと清美ちゃん、ももちゃんの2人の女性陣と、11月に別府で開催する大同窓会の準備をさかなに「安べえ」で盛り上がる。そしていつもの「詩織」で得点の出るカラオケで点数を競い合う。最高点がでた。帰宅は午前になった。日曜日は、亡くなった横松宗先生の自宅を訪ね、母の親友の奥様と談笑する。中津の生んだ偉人を調べるのに、横松先生が残した書き物が重要だということが改めてわかった。立派な書庫で先生の集めた膨大な書物のなかで先生をしのぶ。夕食は、内尾、瀬口の両君とイタリアン。安心院ワインを飲みながら、楽しく歓談する。医者の内尾君は電話で呼び出されいったん病院に戻り、また加わる。帰省するたびに、小中高の仲間が集まってくれるのが嬉しい。
2009/02/22
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北九州市小倉の松本清張記念館で「1909年生まれの作家たち」という企画展が行われている。松本清張は1909年生まれだから今年は生誕100周年にあたる。久しぶりに訪問する気になったのは、「1909年生まれの作家たち」という企画に興味を惹かれたからだ。中島敦、太宰治、大岡昇平、埴谷雄高、そして松本清張という並べれた作家たちの生きた時代に興味を持った。1909年という年は、伊藤博文が朝鮮で暗殺された年であり、文学誌スバルが創刊された年でもある。年譜をみると、彼らの少年時代は大正デモクラシーの時代で、自由主義教育、大正教養主義の盛んな時期で、教育の現場では「綴り方」が行われていた。埴谷雄高の1年から5年までの通信簿が展示してあった。修身、国語、から始まって歌唱、手工などすべてが「全甲」だった。国語の項目を覗くと「話し方、読み方、綴り方、書き方」になっていた。大岡は小林秀雄に心酔し個人授業を受けているが、青年時代は、清張のみ高等小学校を出て就職している。早熟の中島は東京帝大を出て33歳で亡くなっている。大岡は京都帝大を出て国民新聞、帝国酸素、川崎重工を経て出征し、新夕刊新聞、フランス映画輸出入組合に職を得ている。戦争が始まった昭和16年、彼らは32歳。太宰は胸を患い徴用免除、埴谷は結核、清張は朝鮮で衛生兵、大岡は暗号手としてフィリッピンに出征している。清張と大岡が会社勤めをしたのは、出征後にも手当てがでることが理由だった。埴谷雄高は「死霊」、太宰は「人間失格」、中島は「山月記」、大岡は「武蔵野夫人」などの代表作がある。「群像」を舞台とした大岡昇平の「松本清張批判――常識的文学論と清張の「大岡昇平氏のロマンティックな裁断」という論争もあった。この同年生まれの5人の作家の全集が並べてあった。中島は3巻、太宰は12巻、埴谷は19巻、大岡は23巻、そして清張は実に66巻と圧倒的な仕事量だった。(それそれ別巻がある)5人の年表を並べて掲示してあった。中島は33歳で「山月記」、34歳で没しているが、死後「李陵」が発表された。太宰は、35歳で「津軽」を刊行。大岡は39歳で「俘虜記」。埴谷は39歳で「死霊」。そして松本清張は44歳で「小倉日記伝」で芥川賞を受賞して世に出ている。清張はこの中でも遅咲きである。清張は83歳で亡くなるまで膨大な仕事をしたし、88歳で亡くなった埴谷はその直前まで作品を発表している。全体を眺めてみると、活躍した時代をずいぶんと違う。生年ではなく、没年が重要なのだ。企画展を見た後、常設展を足早に見てまわった。この記念館は第56回の菊池寛賞を受賞している。「水準の高い研究誌を刊行しつつ、多彩な企画展を催すなど、健闘しながら開館十年を迎えた」と評価されている。女性館長藤井康栄さんは「作家・松本清張らしく運営することにいたしました」と述べているように、仕事の鬼だった清張にならって年中無休で開いている。
2009/02/21
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宮崎市保健所で講演。宮崎県庁には数年間毎年のように職員研修に通っていたことがあるが、今回は宮崎市の保健所からの要請である。40人ほどの受講者は、保健師が多いが、栄養士、薬剤師、理学療法士、獣医師、そして事務職などもいる。地域保健関係職員の研修会だ。「保健所の業務も多様化し、行政職として広い視野を持ちながらそれぞれの業務を見直しながら取り組むことが大切」ということで、そのために私に依頼があったものだ。この講演を企画した人は以前に私の講義を聞いたことがある人だったが、保健所全体に影響を与えて欲しいとのことだった。保健関係では、今までに全国保健師連合会(東京)、国民健康保健団体連合会(大分)、石川県看護協会(金沢)、茨城県保健師会(水戸)、宮城県保健師会(仙台)宮城県仙南保健所などで講演した経験もあるので、この分野にはある程度土地勘はある。厚生労働省関係施策の現場の第一線で仕事をする人たちなので、影響力も大きいので、熱心に講義をしたつもりだ。この10年ほどの行政改革は掛け声は大きかったが、地方行政は財政破綻の危機に襲われるなど完全に失敗したこと。総合計画の作り方の基本的な問題点、説得型行政から納得形行政への転換の必要性、文章と箇条書きによる仕事からの脱却、考える公務員への道筋、、、などを講義する。その後、実習に入る。アンケートは後で送ってもらうことになっているが、皆さんの感想はいかがだろうか。宮崎では、ワールドベースボールクラシック(WBC)のにおいを少し感じた。
2009/02/20
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志のある人とない人は、日常の過ごし方がまるで違うものになる。何が違うか、志を持っている人は「勢い」が違う。私の母のことで恐縮だが、ブログで書いた記事を記しておく。--一人で九州に住む80歳の母親から、「私の伊勢物語」(久恒啓子著・短歌新聞社)が届いた。母は歌集を3冊ほど出しているのだが、10年前の70歳になって初めての著作「万葉集の庶民の歌」に続く2冊目の単著である。60代の10年間を費やした本と、70代の10年間を使った本である。60代から70代の半ば過ぎまで脳溢血で半身不随となった父の介護があったから、この本の価値は大きいと息子として思う。どちらも季刊の同人誌に書き綴った文章をまとめたものだが、テーマ(志)を持つということの意味と、一歩一歩と歩んでいく継続することの重みを改めて感じた。母は普通の主婦として過ごしてきたのだが、60歳になって「万葉集の庶民の歌」というライフワークを見つけた。その後20年以上がたったが、この間、郷里にいても、仙台に来ても、東京に出ても、歌碑をめぐる旅を続けている。私もよく付き合わされるのだが、感心することが多い。志を持ち、それに向かって歩むことに勢いを感じる。高齢者で自分自身の志を持たずに、息子や孫のことにだけ関心を持っている人も多いが、そういう人は長い老後を持て余していることが多いように思う。最近、同窓会が多くなってきた。小学校、中学校、高校、大学、そして職場での元同僚の会などによく出席している。学校時代に成績の良かった人はビジネスマンになっている人が多いのだが、定年をまじかに控えていると、話題も会社の話が多い。しかもそこから離れることに寂しさを感じていて、勢いを感じない。会社の中の人生だったということだろう。ところが、自営業をやっていたり、専門職的な仕事をしている人はすごく元気だ。まだまだやるべきことがあり、気力が充実している印象を受けることが多い。一生を視野においたテーマを持っていないと、長い人生を充実して生きることは難しいと思う。今から振り返ってみると、大学時代に探検部というクラブに熱中したことが、その後の私の道筋が決まったという感じを持っている。探検のための知的生産の技術に関心を持ち、30歳で「知的生産の技術」研究会に入り、現在まで活動を継続している。この活動の中から、著作が生まれ、大学に転身し、図解コミュニケーションという新しい分野を切り拓いてきた。こういうふうに総括すると、私の志は「探検」であるという言い方もできるかも知れない。とにもかくにも、やるべきことは目の前に山積みであるし、限りもない。最初の段階で偶然に出会ったものに没頭して、その延長線上に次の課題が見えてきて、それを深堀していくと、新たな地平がせりあがってくる。志を持続してきたというより、結果として後から振り返ると、一筋の道筋らしきものが見えてきたという感覚である。
2009/02/19
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北矢行男先生が多摩大総研のソシオビジネス研究会で行った「私のハードボイルド人生」という講義に出席。北矢先生は、ホロニックカンパニー、知本主義、ソシオカンパニーなど時代を先取りするコンセプトを提供し続けてきた戦略家である。私がまだ30代の半ばになる頃「知的生産の技術」研究会で行った「知的生産者の発想現場から」(TBSブリタニカ)という本をつくったとき、横浜のご自宅にインタビューにうかがったのが最初の出会いだ。この本では、西和彦、大坪壇など「知的実務家」という概念を考え出し10数人の著名人を取材した。当時北矢先生は39歳、気鋭の経営コンサルタントだった。「サラリーマンが副業で少しお金が入るようになったら、その金はすべて知の再生産に使え」など、アドバイスもいただき、その後、本の印税などが入るようになっても、その教えをずっと守ってきた。そういう意味では、随分とお世話になっているような気がする。先生とのつかず離れずのお付き合いも、もう25年である。その北矢先生が、三井物産の寺島実郎さんを紹介してくれたのが、寺島さんとの縁の始まりだから、その後の私の人生に大きな影響を与えていただいた恩人ともいえる。1900年代の北矢先生の活躍は目覚ましかった。「ハードボイルドの経済学」「「知本主義の経営学」「プロ野球の経営学」「「10年後一流の会社」「ベースボール革命」「ハードボイルドリーダー」「ホロニックカンパニー新装版」「二本を救うソシオビジネス」など話題作を毎年のように出版していて、企業の中で日夜奮闘している私たちにとっては仰ぎ見る存在だった。通底している問題意識は日本企業は利権を巡るカンパニー・イズムであり、そういう情の経営から論の経営に変えていくべきであるというとの主張は一貫している。大学を出て日本能率協会に入って14、5年ほど地域計画中心の調査や超電導、水、エネルギーなどの各種プロジェクトを手がけている。ここは自分にとって「修行の場」「私の大学院」だったと振り返っている。恩師、友人、プロジェクトに恵まれて、まさに怒涛の仕事量をこなしている。そういえば、25年前のインタビューで、人のいやがる仕事でも何でも引き上受けてた体力で勝負したと言っていた記憶がある。「1990年シナリオ経営」「戦略経営」などのプロジェクトで北矢先生は二つ下の寺島さんと出会って、目を開かされる経験をする。このあたりの話に出てくる人物名はまことにきらびやかだ。土屋もりあき東大教授、大前研一(マッキンゼー)、守誠(商社)、小林こうじ(NEC)、、、、。38歳で能率協会を辞め、長銀経営研究所(のちの長銀総研)に転職する。この直後にインタビューをしたことになる。ここで、ソフト戦略を研究し、会津泉さんや公文俊平さんと出会い、新しいネットワーク時代を語るようになる。その後、城西国際大学の設立にかかわるが7ヶ月で辞め、独立し、戦略問題研究所を立ち上げてフリーとなって大いに活躍する。平成4年に多摩大学に入り、以後15年間の教授生活を送る。奥さまの健康面の問題から、昨年は多摩大教授を辞め、今度は多摩大総研所長も退任し、完全にいったん引退するが、「ドラッカーを超える会」(95歳で亡くなったドラッカーの寿命を超えようという趣旨)の会長として10年後あたりに再び世の中に出てくるというのが北矢先生の長期構想である。4月で64歳というから、ドラッカーを超えるにはまだ30年以上の長い年月がある。出席者は70名。大学関係者では、大槻文彦先生、サービスマネジメントの近藤隆雄先生、ベンチャーの柳孝一先生などがおり、ご挨拶を交わす。他は、北矢ゼミの関係者や起業家などが多い。二次会も50人ほどの人が集まり、男気にあふれる北矢先生の人気の高さがわかる。冒頭の乾杯のあいさつを頼まれたので、多摩大の今後と北矢先生の今後を話題にして音頭をとる。宴会では、北矢先生の前に座り早稲田の柳先生、ルネサンスの斎藤さん、アイティイニシアティブの土屋さん、秘書室の金子さんらと北矢先生を囲んで楽しく歓談する。
2009/02/18
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風が強く空気が澄んでいるので、研究室から雪をいただいた富士山の美しい姿がみえて、すがすがしい気持ちになる。来年度のリレー講座(寺島実郎監修)の担当者・梅澤先生からの説明と相談を諸橋学部長、事務局の三澤さんと一緒に受ける。予習ができるように資料を用意すること、復習も兼ねて感想や議論ができる掲示板をウェブ上に設置すること、インターゼミ(寺島塾)の参加者の参画方法、教員の受講方法、社会人と教員との交流の機会を設けることなどのアイデアが生まれた。昨年より進化した形で運営できそうで楽しみだ。昼食の弁当をいただきながら、林川室長以下浜田先生、酒井先生、尾崎部長、高野課長ら経営企画室の教員と職員のメンバーと交流。その後、業績評価制度について宮城大学(県立大学なので教職員は公務員)の事例をベースに多摩大のあり方を議論する。教育、研究、社会貢献、管理運営の4つの分野のそれぞれの全体の中の割合を定めて、全体の総合点が自動的に計算できる宮城大学の仕組みの骨格を私から説明する。来年度中にすっきりとした考え方で制度を再構築してもらいたいものだ。今度3年生になるA君が研究室に来訪。勉強はもちろんのこと、あらゆる分野に興味と関心を持って、忙しく動き回り、それぞれ実績を積み重ねているが、それでも今後の方向について、いろいろと考えことがあるらしい。私の考えをアドバイスする。大学の期待の星でもあるので、頑張ってもらいたい。メールボックスに30代の若いビジネスマンからのファンレターが届いていた。最近はメールやブログなどのインターネット上での連絡が多いのだが、手紙でなおかつ手書きなのでやや感慨を持って読んだ。-----------初めてお便り致します。兵庫県○○市在住の会社員の○○(32歳)と申します。先生の著作『残業はするな、「前業」をせよ!』を読み、仕事観が変わる体験をしましたので、そのお礼と思いお便りさせていただきます。(多忙の折、失礼します)感銘を受けた部分を列記させていただきますと、「通勤電車は快速よりも各駅停車に乗ろう」--まったく逆の考えを持っておりました。通勤時間はコストではなく資源なのですね。 「顧客満足よりも自己満足」--妙に納得してしまいました。他人の評価で「生きない」大事さを知りました。 「昇進を目指さない人が昇進できる」--昇進は目指すと逃げて行くのですね。同期を大事にし、自分の仕事を深堀りしていく姿勢が大事だと学びました。 先生のこの本は、分厚くないにもかかわらず、エッセンスがつまっていると実感しました。小生は現在、会社員をやりながら今後のキャリアを模索中です。(「図解でわかる40歳からのライフデザイン」も参考にさせていただいています)大いに参考にさせていただき、毎日「前業」し、充実した人生を送りたいお考えております。本当にありがとうございました。PS.小生は飛行機が大好きで、JAL便には大変お世話になっています。海外出張時、遠地で白と赤のJAL便をみるとホッとします。--------大企業勤務の32歳の読者からの手紙だが、本を書くことの影響を改めて感じる。夜は、今手掛けている本の執筆にあてる。
2009/02/17
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今日は、ほぼ1時間おきに予定があり、厳しいスケジュールだった。9時:学長室ミーティング 10時:大学ホームページ打ち合わせ(デュナミス) 11時:資生堂来訪(講演打ち合わせ) 12時:週刊ダイヤモンド取材(「学び直しの5冊) 13時半:インターゼミ(社会工学研究会)の受講希望者4人を面接 15時:実務教育出版の編集者来訪 16時:「多摩大プライド」(教職員による改善会議。教職員ができるだけブログを書くという方向へ。神尾さんら女子職員のプロジェクトも豊かな実りがありそう、、、。) このあと、日本ペンクラブの会合があったが、小中陽太郎先生に電話して欠席。本日発売(2月21日発行)の週刊ダイヤモンドから連載が始まる。4週間の連載。-------------------「学び直しの5冊--図学の理論 知的生産の効率を向上させる基本技法のべースとなる理論」 選・評 久恒啓一 多摩大学経営情報学部教授梅棹忠夫「知的生産の技術」(1969年)は、「知的生産とは頭を働かせて何か新しいことがら--情報--を人にわかる「形で示すこと」と図学の基本的な視点を提示した。 川喜田二郎は「発想法 創造性開発のために」で、集団での知的生産の可能性を明らかにした。 松岡正剛著「知の編集術」も必読の書。情報を創発するには、編集とデザインの両方の技能を個人が備えるべきであるとし、、、、 野中郁次郎の「知識創造の経営 日本企業のエピステモロジー」は、、、知の創出モデルの基本のキとして理解しておきたい。 拙著「図で考える人は仕事ができる」は、野中理論の実践的な方法論を探った本だ。 -----------------この原稿では、構成者との連絡がうまくいかずに、不用意な言葉を使ったり、いい過ぎのところもあり、やや不本意なものとなったが、とにかく4週間にわたって連載が始まった。
2009/02/16
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シンセサイザー富田勲先生と行く恒例のそばと大吟醸を楽しむ会。ほぼ毎年開催しており、もうすぐ20年になる会である。13時に西武新宿線の池袋駅で仲間と待ち合わせ。13時半のレッドアロー号で出発。今回は15人。日本航空がファーストクラスに日本の代表作である大吟醸を搭載して評判になったプロジェクトから端を発した会で、そのときの仕掛け人である富田勲先生、私、関口さんの3人を中心に、客室乗務員を中心に当時の仲間が集う。日本一の「こいけ」のそばは、今年は群馬県産、茨城県産、そしてブレンドという3種類で今年も素晴らしい。日本酒は、菊姫(石川県金沢)、上喜元(山形県酒田)、繁升(福岡県八女)を中心に堪能する。上喜元の出羽三山という銘柄は2300円ほどの酒だが、とても評判がよかった。やはり今年も菊姫大吟醸が至高の味だ。往復の電車の中や酒席でうかがう富田先生の話がとても興味深い。手塚治虫の代表作の一つ「ジャングル大帝」の漫画とそのストーリーのすばらしさに改めて感動する。この物語に富田勲先生がつけた勇壮な曲も素晴らしい。そのときのエピソードをうかがった。巨人・手塚治虫から当時20代の富田先生にいきなり電話がかかってきて、曲をつけることを依頼される。事務所に行くと手塚は床に寝転がっていて、ときどき手だけが動いて、波がしらの先をなぞったりする。それが絶妙だった。手塚治虫は60歳という若さで亡くなるが、富田先生より4歳年上だから、生きていたらどれくらいの作品を描いただろうか。手塚は忙しい人だったが、同窓会にはまめにでたらしい。ライオンキングとジャングル大帝のトラブルの話、「ディズニーに負けたくない」という手塚治虫の志の話など、実に興味深い。富田先生は、高校生のころから作曲を志している。オーケストラに興味があり、音楽の構造に関心を持った。慶応の学生のころ、朝日新聞主催の全日本合唱コンクールで賞をとったのがきっかけでNHKやコロンビアと縁ができた。NHKの帯番組の作曲などを担当していた。慶応時代には、音楽関係の情報を持っているマニアが近くにいて、「インターネットみたいな奴がいました」と面白い表現を使う。聞けば最新情報が何でもわかったそうだ。大吟醸特集を組んだ懐かしい機内誌ウインズを富田先生が持ってみえた。ここで日本酒の杜氏さんが登場して造り酒屋の志気があがり、後継者も出てきて素晴らしい日本酒を飲める期間が10年は延びたと当時言われた。この特集は1990年だったから、この大吟醸搭載プロジェクトの開始は1989年だろうか。そうすると20年だ。来年は20周年記念に、関係者を集めようということになった。小池さんには、長くこの素晴らしいそばを提供していただきたい。お願いします。
2009/02/15
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朝から大学院修士論文最終試験と審査、教授会と続く。夜は、赤坂エクセル東急のなだ万のジパングで行われた「輪島塗の漆器で料理を食す会」に夫婦で参加。長年の友人のギリークラブを主宰する渡辺幸裕さんからのお誘いである。渡辺さんは「和」をテーマとしたものや雑誌の最前線で活躍する編集長の座談会やワインと食事の会など、年間200回ほどのさまざまな会を催しているスーパーマンである。ギリーとは案内人のことを指すが、いろいろな分野への案内をしていただけるから感謝している人も多い。人柄とまめさと好奇心でまわりに人が集まる。この渡辺さんが2007年の3月に起こった能登地震の時に、山本益弘さんたちと食のボランティアを組織し、被害にあった方たちを元気づけるプロジェクトを行ったことがある。今日の会はその延長線上に出てきた企画である。-------------------●主旨:地震で被災した輪島塗を応援する気持ちで、古い漆器で輪島の食材を使った料理を食べ、輪島の方と交流する会です。●当日の進行輪島塗ミニセミナー 丹圃俊記 輪島市産業部商工業課長) 岡垣昌典氏(輪島漆器商工業協同組合理事長)・箸の使い方のセミナーなど 講師:松本昌夫氏(ギャラリー遊庵店主) 細川英邦(輪島市漆器産業振興室)●食事に関して・江戸から昭和にかけて作られた、旧家での冠婚葬祭などで使った漆器で食事をして頂きます。・食材は輪島、能登の食材をできるだけ使用し、黒田料理長に考えて頂いています。・それぞれの料理は当日黒田料理長からご説明頂きます。・輪島の清酒を輪島塗の酒器で味わって頂きます。-------------------能登の地震で多くの建物が倒壊したが、蔵の中にあった輪島塗りの漆器があった。それが散逸するのを食い止めるために、市が400点を保管している。その漆器の名品を使っての食事会。今から6800年前の縄文時代から漆の漆器が登場する。漆の木に触れるとかぶれるが、この木の肌から出る樹液は酸化し茶色に変色し、1年もたてば黒くつやびかりしてくる。私たちの先祖は、漆には神がいると感じ、魔除けにも使った。平安時代には、公家など身分の高い人が使う器として重宝されたが、室町時代になって全国にこの漆器が広がっていった。1600年頃に、能登半島の輪島で現在の輪島塗が登場する。「地の粉」が発見され漆に混ぜることで頑丈な下地ができ、優美さと堅牢さを兼ね備えることができるようになった。また、北前船の航路となった輪島は、全国からこの地の近くの寺院に修行に来ていた曹洞宗の僧侶が帰国する港となり、この輪島塗を大量に持ち帰り、広まった。そして蒔絵の技術が加賀金沢から能登に伝わり、赤と黒の漆器に高級感を添えることになった。このような経緯で輪島は日本一の漆器の町になっていく。漆をほぼ100%使った漆器を生産できるのは輪島だけで、福田総理時代の洞爺湖サミットで使われた輪島塗の祝杯は、渕に各国首脳のイニシアルを配し、中央に「Y・F」という福田総理のイニシアルを書いたものが使われた。同じものは1000ドルで売られている。(この杯を使って、輪島の大吟醸を飲んでみた。優美さと、軽い重さとに感銘を受ける。)現在石川県伝統工芸のイベントを東京で開催中で、35種の伝統工芸が出品されていて、この輪島塗も出ている。(昨年金沢で会った加賀友禅作家の久恒俊治さんもこのイベントに出ているはずだ。昨日は車の中でラジオを聴いていたらこの工芸展のことを紹介していた。)お箸やお椀の持ち方は、健康に直結している。正しい作法で三度の食事をする中で、お椀の重さを背中で感じ、姿勢がよくなり、健康になるということだ。輪島塗が値段が高いが、修理に出すことができるから一生を使えるし、子供の成長と共に下取りする仕組みがあり、リサイクルの思想が入っている。漆は水で固まるので、水とは相性がよい。毎日使って洗うことで風格が増してくる。保温と保冷がいい。なだ万ジパングの料理長の黒田さんのあいさつでは、輪島塗は美術工芸品というイメージが強く、それを使った料理はとてもできなと最初は思ったが、やっていみるとてとても楽しく勉強になった。料理人冥利に尽きるという話だった。この会では、前菜以外は、輪島塗の漆器を使った料理を味わうことができた。前菜は、青豆豆腐 土筆 蕪寿司 芹胡麻和え 蕨白よごし タラの芽おかき揚げ 穴子煮こごり 蕗の薹 公魚木の芽焼 ままこみぞれ和え 厚焼玉子。 汁は、粕汁で、寒鰤塩身 大根 人参 蒟蒻 葱 造里は、寒鰤 めじ鮪、甘海老 青利烏賊 添え野菜 煮物は、能登鮑と能登娘大根旨煮 干し椎茸 小松菜 京人参 柚子胡椒 焼き物は、寒筍牛肉巻 鱒幽庵焼 八ケ芋 大椎茸炭火焼 焼蚕豆 止肴は、可能蟹白子酢掛 千切野菜 巻若布 食事は、輪島産ハザ干しコシヒカリ 釜炊き白御飯 御菜は、高野豆腐 生若布旨煮 きんぴら牛蒡 止椀は、田舎味噌汁 滑茸 豆腐 葱 デザートは、三宝柑ゼリー寄せ 料理の素晴らしさと器の見事さを堪能しながら、輪島の銘酒を楽しんだ。いつもは料理の中身に関心がいくのだが、これほど器に注目しながら食べたのは初めての経験だ。私たちのテーブルには、岡垣昌典(輪島漆器商工業協同組合理事長)さんがいて、輪島塗の話を中心に深い話をしていただいたので、すっかり輪島と輪島塗のファンになってしまった。同じテーブルには、三笠書房の柴田さん、女性弁護士の木下さん、文芸春秋の白幡さん、翻訳家の北代さん、北国新聞の松本さんがいて、話の輪に加わった。この会には40人ほどが参加していたが、テレビや雑誌などのメディア関係者が多い。加藤タキさんや中尾ミエさんも楽しんでいた。輪島市の関係者の方々は志が高く、人柄もいい。熱いファンが増えただろう。優れた企画だった。日本の文化は実に奥が深い。私自身も含めて日本人は日本へ向かうべき時代が来ていると改めて感じた会だった。この会で次は能登の輪島に出かけようということなった。
2009/02/14
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言葉の蒐集。今日の収穫。----------したくない仕事しかこないんです。でも、運はそこにしかない。(萩本欣一) 人生とは今日一日のことである。(D.カーネギー) よい人に交わっていると、気づかないうちに、よい運に恵まれる。(安岡正篤) じっくり考える時間は、時間の節約になる。(プブリウス・シルス) 世の中に、自分で試してみないでわかることなんか、一つもない。(五木寛之) いつも念頭においておけば成就する。ゆっくり進んでいれば、到達する。(モンゴルのことわざ) 小さな妥協は小さな人物でもできるが、大きな妥協は大きな人物にならなければできない。(松永安左衛門) 人は極端に何かをやれば、必ず好きになるという性質を持っています。好きにならぬのがむしろ不思議です。(岡潔) 上機嫌は、人が着ることのできる最上の衣装である。(サッカレー) 究極の失敗の原因は、安住してしまうことだ。(テッド・ターナー) アバウトは健康にいい。(赤瀬川原平) たった今から、収入の一割を貯金したまえ。(大谷米太郎) 臆病者と言われる勇気を持て。(松尾静麿) 人を集めよう。幸福が集まる。(斎藤茂太) 幸せになりたなら、もっているものを増やすのではなく、欲望を減らせばいい。(セネカ) お前の値打ち以上に持ち上げる者を恐れよ。お前を不当に下げる者だからだ。(アラビアのことわざ) できるか、と尋ねられたときはいつでも、たしかにできると答えなさい、それから急いで、どうすればいいかを探しなさい。(セオドア・ルーズベルト)
2009/02/13
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日本画の最高峰・加山又造の展覧会が六本木の国立新美術館(黒川紀章の作品)で開催されている。日経新聞でもこれに合わせて文化欄での企画が進行している。作家の渡辺淳一が12日の新聞に「黒い薔薇の裸婦」というテーマでエッセイを書いている。「失楽園」「幻覚」に続き、化身」では、黒い薔薇が描かれたレースをからませた白い裸婦を日本画的な線で表現した絵が表紙を飾った。表紙では加山のエロスを超えた女の美、そして小説の中身は生の女というように連なっていく。加山又造は1927年(昭和2年)生まれだから私の母と同じ年に生まれている。2004年に76歳と画家にしては比較的早く亡くなっている。ぞの前年には文化勲章を受章している。入口の空間に展示された「雪月花」という三部作は東京国立近代美術館に依頼されて8年間かけて描いた大作である。春の桜、秋の月、冬の雪という季節と風物の組み合わせ。月では、波濤をアルミで描き、花では硫化水銀で黒地をだしアルミ箔、金箔などを使って、伝統的な日本画に革新性を持ち込んだ加山を代表作の一つとなっている。加山は平面的装飾的な画面で構成される日本画に、キュビズムなど西洋絵画の手法を加えた新しい日本画を目指した。華やかで優美ではあるが、どこか近代的な命も持っている、そういう絵である。「月と駱駝」「悲しき鹿」「紅鶴」加山には屏風絵が多い。同一画面でもあり、かつ空間や時間を超えて表現できる屏風絵はいい作品を生む土壌となっている。「奥入瀬」「千羽鶴」「七夕屏風」「天の川」「春秋波濤」(代表作。逆遠近法を使い遠くを大きく近くを小さく描く)「雪月花」。「伝承者は写しをするが、断絶している者は古いものの中に前衛をつかむことができる」浮世絵の線を理想とした加山は、一本の美しい線を引く出す作業に腐心している。1976年の「黒い薔薇の裸婦」は、屏風に半裸婦を描いたモダンなトーンの枝が、浮世絵の雰囲気も漂わせている。加山の父は西陣織の衣裳の図案家であり、祖父は円山四条派の絵師だったというから、そういう血筋と環境が加山又造という大輪の花を咲かせたのだろう。「伝統と革新」は加山の生涯のテーマだった。日本には「倣」(ほう)という考え方がある。これは単なる写生ではなく、本質を取り出し、それを制作の目標とする積極的な芸術行為である。「いのち」の形として移ろいゆく自然の観想を形にする。「華と猫」「不二」「「牡丹」「秋草」「夜桜」「満月光」「水墨山水図」「月光波濤」「凍れる月光」「龍図」。水墨画について加山は「五感からときはなたれた空の世界の空間」と語っている。「生活の中に生きる美」という章では、版画、陶器、着物の絵付けどんちょうやジュエリーのデザイン、飛行機の室内装飾、BMWのアートカー、洋食器など、ありとあらゆるものに挑戦している。「飛行機の室内装飾」とあって、よくみかけた絵だなと思っていたら、1968年(昭和43年)、加山41歳の時に、日本航空の依嘱によりボーイング747LRの機内コート、クロゼット、壁画面に「銀河の図」「「日輪草花図」などを制作したとあった。機内の壁の絵は加山又造の作品だったのだ。この企画展への協力企業に日本航空が入っていた。若いころ西洋画に惹かれ強く影響を受け動物画、室町時代の装飾的な屏風、琳派など日本の古典につながる端麗な屏風、浮世絵の線描の美しさをひく裸婦像、北宋山水画に学んだ水墨画など、日本の伝統の世界に革新的な今日性を取り入れた。加山又造の世界を堪能した。「日本独自の何かをつくってみようとね。できなければ、その芽だけでもつくっておいてやろうと思う」と述べていた加が活躍する舞台をつくった創造美術は、「世界性に立脚した日本絵画の創造」とうたいあげた。加山又造は、それを実現したようにみえる。
2009/02/12
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数年前、福島の美術館で知った熊谷守一(1880-1977年)のこと。豊島区千早にある熊谷守一美術館を訪ねた。画壇の仙人と呼ばれるこの画家の自然体で暮らした生き方に今なおファンが多い。この小さな記念館も知的な感じの老夫婦らがゆっくりと訪れている。この画家がようやく売れ始めたのは1964年頃というから84歳頃と、随分と貧乏な時代が続く。画家は長寿が多いが、この人は97歳。美術館で拾った言葉「たとえ乞食になっても絵かきになろう」と志す。 「もし神様がいたらこんな姿では」とアイヌが思った。 「軒が傾いて雨森するような家が気に入っている」(52歳から45年間住んだ) 「これ以上人が来るようになっては困る」(文化勲章を辞退) 「お国のためには何もしていないから」(勲章を断る) 自伝「へたも絵のうち」(日経新聞の「私の履歴書」で大きな反響があったため本にしたもの)から自分で何かを考え出したりつくったりするのは平気だし好きなのだが、人のマネというのが不得手なのです。 絵を描くのは、初めから自分にも何を描くのかわからないのが自分にも新しい。描くことによって自分にないものが出てくるのがおもしろい 私は、ほんとうは文章というものは信用していません。 大好きなのは、世の中にいっぱいあります。特に小さな子供と、鳥と虫には目がありません。 「独楽」「人生無根帯」「無一物」「五風十雨」(好きな言葉)。「日々是好日」「謹厳」(嫌いな言葉) この正門から外へは、この30年間出たことはないんです。でも8年くらい前一度だけ垣根づたいに勝手口まで散歩したんです。あとにも先にもそれ一度なんです。 以下、後で書き足したい項目の覚え書き。・悲しみをたたえた知的な表情の自画像。若いころの写真。・「某婦人像」。後に妻となった秀子の絵。・犬より猫。「あまりにも忠実な犬は嫌い。気ままで自由なネコを好く)--加山又造もネコ派だった!・美校時代の友人・青木繁(28歳で亡くなった天才)との交友。・絵のこと
2009/02/11
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午前中は、宮城大学時代のゼミ生で現在は早稲田大学のビジネススクールに通っている笠間君が大学に来訪。相当に鍛えられている様子。アジアからの留学生が半分で企業派遣も多いそうだ。いくつか参考になる点もあった。仙台と東京を行き来しながらの大学院生活で順調にキャリアを広げつつあると頼もしく感じた。午後16時から、新宿のハイヤットリージェンシーホテルで、近藤節夫さんの「停年おやじの海外武者修行」(早稲田出版)という本の出版記念パーティに出席。少し遅れて会場に入るとペンクラブでお世話になっている小中陽太郎先生の挨拶中だった。120人ほどの参加者。いくつかの祝辞、乾杯の後、NPO法人知的生産の技術研究会(知研)の仲間らと歓談。八木哲郎さん、秋田英澪子さん、小林尚衛さん、、、。パーティのなかほどでの挨拶のトップバッターに指名され祝辞を述べる。「中高年に勇気を与え、若者に喝を入れる名著。好奇心とバイタリティ。知研での図解講師。多摩大リレー講座での学生の一喝。ホームページ・ブログへの挑戦と成功など中高年の生き方のモデル。人物記念館の旅で似た人は、彫刻家の平櫛田中か。好奇心とバイタリティで107歳まで仕事をした。60,70、はなたれ小僧、男盛りは100から、100から」という平櫛の名言によれば、70歳の近藤さんははなたれ小僧。あと40年近く時間はある。自己PR図によれば、文学賞の受賞という未来があるが、大宅壮一ノンフィクション賞か日本エッセイストクラブ賞をいずれとると予言しておきたい。われわれ後輩の希望となるような模範をお願いします」という趣旨の挨拶をした。終了後、京王プラザホテルで日本生命主催の講演会場で寺島実郎さんと待ち合わせのため18時半前に行くと、まだ途中だったので会場に入り最後の方の話を聞かせてもらう。大会場でビジネスマンが相当な数集まって熱心に聞いている。隣の人はベンチャーキャピタルの人だった。「昨日まで台湾の東亜経済人会議に出席。最近は産業力と技術力により日本の再評価が始まっている。貿易依存度は韓国は76%で大打撃を受けている。日本は28%。今年は間違いなく政治の不安定の年となるが、経済人はそういうものに惑わされず実体性と自立性を高める努力を。実体性とは技術と産業。自立性とは食料・資源・エネルギーを自前で調達すること。日本創生委員会委員長。20年無利息の新型国債(相続税減免措置付)の提案。海洋開発と宇宙開発のシナジー。中型旅客機プロジェクト。農業生産法人と先端技術の農業への注入、、。」私の聞いたのはほんの20分弱だったが、また新しい情報が付加されている。終了後、南園という中華料理レストランで黒ビールを飲みつつ食事をしながら寺島さんと打ち合わせ。来年度のスケジュール、インターゼミ(社会工学研究会)の運営、その他の事項に関する情報交換と意思決定。途中政治やJALや知り合いの話題も。昼頃に電話がつながって夕刻にちょうど二人とも新宿にいる予定だったので、うまく打合せの時間が持てた。その後、同じホテルの喫茶で打ち合わせを続けている知研の仲間に合流し、出版プロジェクトについての意見交換。何とか動き出しそうだ。久方ぶりの大型プロジェクト、ぜひ成功させたい。
2009/02/10
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9時。学長室ミーティング。全学スケジュールと学長室スケジュールに沿って確認と意見交換と、懸案事項の進捗状況の確認、、、。室長の私を含め4人での初めてのミーティング。全学スケジュールは、関係者に後ほど、PDFファイルで送信。10時。大学ホームページのリニュアル打ち合わせ。11時。ダイヤモンド社の久我さん来訪。3月上旬刊行の本の原稿修正確認と装丁の検討。タイトルは「タテの会議 ヨコの会議」。二つの会議を十字の形ででクロスさせたユニークなデザイン。Chabo!マークも表紙にうまく入った。何とかいい感じの本に仕上がった。会議術の本だが、理解と伝達の「タテの会議」、企画・構想の「ヨコの会議」と二つの会議がある、という考え方で書いてみた。表紙の肩書には「多摩大学教授」と入る。13時。日経BP社の「大学・大学院ガイド2009」の取材で、同僚の樋口裕一教授との対談を収録。「小論文に図解は役立つか」というテーマで1時間半ほどの対談。かなり切り込んだ話となったが、こういうことは信頼関係がないとなかなかできるものではない。二人で「表現力」の多摩大学をPR。今まで縁のなかった受験業界へのデビュー。終了後、樋口先生から「頭のよくなるバッハ力」とい新刊のCDをいただく。15時。総務と打ち合わせ。16時。時間差で研究室に集まった管野先生、林川経営企画室長、高野課長らと情報共有と歓談。17時。多摩大学総合研究所松本先生と打ち合わせ。------------日曜日に公園で梅の花が咲いていた。今日の一枚は「紅梅」。
2009/02/09
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仙台で富田さんから「市村清講演集」という新書(三愛新書)をもらった。没後40年を記念して三愛会だ出した本で、2008年の12月16日の刊行となっている。非売品。市村清は、リコーの創業者で、松下幸之助や本田宗一郎と同世代の伝説上の経営者である。三愛石油、明治記念館、ハミルトンリコー時計なども経営したり、大河内正敏博士が率いる理化学研究所でも仕事をしたりしている。富田さんからは時々、「リコー時計」という会社の名前を聞いているが、その会社のことがよくわかった。富田さんは市村清に一度会ったことがあるそうだ。この本の中に野田一夫先生の名前が二度でてくる。市村清は1900年生まれだから野田先生より27歳上だが、野田先生は市村学校の生徒だったとある。この講演をしていたころは、市村が60歳ころで、野田先生は30代半ばという計算になる。この学校には、五島昇、盛田昭夫ら若手経営者や大宅壮一、邱永漢、今東光、升田幸三等が入っていた。本を読んだが、いかにも創業者らしい言葉が並んでいる。経営の基本は「人」であると強く意識しているとの印象を持った。この講演集の中から言葉を拾う。欧米式の経営学などは習ってきて参考にはなるかもしれないが、もっと実際的に日本独特に研究していったらどうか、、。 いろいろ書きだしてみて、組み立てたり、バラしたりしえみるおです。そうしなすと、かくならなければならない、かくなるべきだという結論が生まれてくるわけです。 私が一番苦心しているおは人事管理です、、、。 (商品の)欠点のあるところをわれわれの販売技術とか熱意とか努力で補い、そういった気迫なくして営業は成り立ちません。 地位は適材適所 「人」という問題が徹底的に中心となる 食欲、性欲、自己拡張慾 人を愛し、国を愛し、勤めを愛する 経営学は外国の直輸入の経営学では駄目ではないかと思っております。やっぱり日本には日本の風土に合った経営学があるのではないでしょうか。私のこうしたいろいろなことを取り入れて、野田一夫君がそれを体系化しようとしてやってくれています。 知っているということは存外、判断力とは別物ではないか、、、。 人と同じでは人以上にはなれません。
2009/02/08
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昼は、仙台メトロポリタンホテルで仙台時代の長年の友人野口さんとゴルフの師匠の富田さんと食事。野口さんは、宮城大学の父兄による後援会の設立者の一人で、大学側の責任者として予算などずいぶんと応援してもらった。人材派遣関係の企業を経営して成功していたのだが、最近は身体の調子があまりよくないようだ。よく一緒にゴルフをした。豊富な人脈の持ち主でこちらの面でもよく助けてもらった。富田さんは、右手のじん帯を損傷していた。知恵を貸していただいた本のゲラのチェックをしていたときなので、それを読んでもらった。共通の知り合いの話題などで楽しんだ。富田さんは宮城リコーの社長経験者で、リコーの創業者市村清の講演集をいただいた。最初のページに市村学校の紹介があり、「野田一夫君などもおりまして」野田先生の名前もみえる。1962年の講演の中で「欧米式の経営学などは習ってきて参考にはなるかもしれないがもっと実際的に日本独特に研究していったらどうか」ということを言っていた。当時としてはやはり自分の頭で考える経営者だったのだろう。16時からは、NPO法人キャリア開発研究機構の理事会。喜多さん、萱森さん、横野さん、成瀬さんという懐かしい面々と今後のことについての相談。このNPOも5年やっていることになる。18時からは、同じホテルで宮城大学同窓会。現学長の馬渡学長の挨拶はよき伝統の話と法人化の進み具合についての話だった。次の初代学長の野田先生は急きょ欠席となりメッセージを畠山君が代読した。代読なのに参加者の心を奮い立たせる力がある。「志」についてのメッセージは皆の心に残ったようだ。粟田先生、生嶋先生、宮原先生、金子先生、武田先生、桑名先生、小沢先生などと歓談。ゼミ卒業生にも久しぶりに会った。佐々木寿美ちゃん、まきちゃん、、、、、。少し早目にでて、開学以来の仲間であった粟田先生と生嶋先生とバーで飲みながら、近況を語り合う。東京で仲間だった教員たちの同窓会をやることになったので、3月にはまた会えるだろう。新幹線で、東京に戻る。自宅には11時半に到着。
2009/02/07
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宮城大学時代の最後のゼミ生の5人は、3年生から大学院に進んだ2人、海外留学1人、そして今回卒業する4年生2人。一人は社会人学生、一人は自動車産業に就職する。11時ころから卒業論文発表会のリハーサル。2回づつ練習をしていくつかアドバイス。12時50分から、私のゼミの二人の発表。質疑もうまくこなして、2人とも上手な発表だった。14時ころから馬渡学長と面談。宮城大の独立法人化の様子をうかがい、多摩大の様子を報告。15時から岩澤君とホームページ関係の打ち合わせ。18時からメトロポリタンホテルで3人で卒論打ち上げの食事会。以下、卒論要旨から。-------------------------宮城県と自動車――エコカーの宣伝・販売促進による経済効果の可能性5.結論 消費者の購買・外出意欲を増加させる特典として、本研究ではエコドライブコーポレーションカード(エコなドライブに協力するカード)の導入を提案する。特典がつくランクは低排出ガス・燃費基準の達成レベルに応じて4段階にわけられる。カードの導入により、自動車関連企業だけではなく、取り組みに参加した他業種の企業においても、環境を配慮した企業としての評価を向上させることが出来る。加えて、特典の付加によって消費者の車での外出回数が増え、利用客が増加することで、収益の向上も見込める。そして、エコドライブコーポレーションカードの導入、普及による波及効果は、先に述べた官民の協力体制が整うことで、より大きな効果の創出が可能となる。----------------------宮城県におけるカウンセリング事業の提案5.結論宮城県においては、女性の自殺防止対策と、東北6県の高齢者対策をメインに、相談出来ずに急に自殺してしまうと言われている男性にも利用しやすい相談機関が必要である。具体的には、宮城県の中心都市である仙台駅前のビルにカウンセリングルームを設置し、面談や電話相談を受け付ける他、他の業種(占いや整体院)と提携するのが望ましい。宮城県にはカウンセリングルームの倍以上の占いの店舗がある。占いには寂しさや悩みを抱えた女性が毎日のように来店する場合もあることから、占いに来た女性にカウンセリングを試してもらい、気に入ったら占いとセットでの提案も行う。また、東北6県の高齢者対策として、“話し相手”が居ることだけで高齢者の心の健康に役立つことから、高齢者の方の電話相談は無料にするなど、行政の補助やボランティアの協力が望まれる。最後に男性対策として、仕事疲れの男性も多く利用する整体院やマッサージ店と提携し、施術後にお茶を頂きながら気軽に話すという雰囲気作りで、男性特有の“悩みを話せない”という壁を取り除く。場合によっては本格的なカウンセリングを紹介するなど、臨機応変な対応を提案する。また、インターネットを活用した広告やメール相談で、“カウンセリング”を普及させる事も大切な要素である。
2009/02/06
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今日は、自宅で仕事。大学院の来年度科目のシラバス作成。大学院院生の修士論文6本を読。D社から3月に出る本の再校のチェックと赤入れ。DV社からの注文に対する見本原稿を書いて送る。それから、6日の宮城大学の最後のゼミ生の卒業論文発表会に立ち会うために、久しぶりの東北新幹線で仙台へ。その途中で、「清張日記」を読む。松本清張は、昭和55年から日記をつけ始めた。清張71歳の時である。内容は旅の記録、人との交遊、歴史上の事件に対する懐疑、人物批評、などさまざまだが、清張らしい緻密な内容だ。この年齢での行動力に感心する。以下、線を引いた箇所から。酒はなるべく控えるべし、酒を飲むと執筆の時間がなくなる、と自分は先輩の彼に「忠告」したことがある。 癖によって午前四時に眼がさめる。 日記はつけたりつけなかったでいる。 自分はもとより才能なく、ろくろく教育を受けず、知識を授かる正規な場所も人もなくして、今日に至る。些少の努力をもって欠点を補わんとしたるのみ。 未知の読者からのこうした手紙を拝見するたびに、ありがたいと思うと同時に、身の緊まる思いがする。 、、ゲラに手入れす。いつもの如く抹消、加筆多し。推敲の足らざるを反省す。 警戒すべきは近親者の言や著述である。
2009/02/05
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「週刊ダイヤモンド」に「学び直しの5冊」というコーナーがある。大テーマがあり、それに沿って毎週中テーマを掲げて5冊を紹介し、結果的に4週間で20冊の本を選び、論評するという企画である。現在の連載は山田健太専修大学准教授の担当で、大テーマが「新聞の読み方」で、1月31日号は「新聞の歴史」が中テーマで、「日本新聞通史」、「別冊新聞研究 聴きとりでつづる新聞史」、「体験者に聞く テーマ別戦後新聞史」、「新 現場からみた新聞学」、「デジタル情報時代・新聞の朝鮮」、「新聞が消えた日 2010年へのカウントダウン」だった。(おかしいな、6冊だ)テーマとしては、「経済思想史」、「市場・経済環境」、「工業デザイン」、「数学」、「行動ファイナンス」、「古典」などが過去のリストに並んでいる。紹介される本は、現在流通しているものという約束があり、このコーナーも続いていくと読書案内として優れた本に結実するのではないだろうか。岩本康志という経済学者の担当では、「経済思想史」、「マクロ経済学入門」、「ミクロ経済学入門」、、などが中テーマとして並んでいた。私もこの欄を4週間担当することになった。テーマは「ビジネスデザイン」である。構成の担当者とこの分野で20冊選ぶ相談をした。自分の本も毎回1-2冊、入れてよいということだった。毎回1ページ弱のスペースしかないので、本に対するコメントはほんの数行という制約もある。ビジネスデザインという大テーマに沿って、どのように4回の中テーマを構成するか、中テーマに沿ってどの本を選ぶか、それぞれの本の本質的な部分はどこか、など案外、楽ではない。構想力、企画力が問われる場面だ。この連載は、2月16日発売号からスタートする。http://dw.diamond.ne.jp/
2009/02/04
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都内で仕事をしていたら、新聞社から問い合わせの電話が携帯に入り始めた。三井物産が09年3月期の連結業績予想と同時に役員人事も発表し、寺島実郎常務執行役員の3月末に退任を公にし、4月の多摩大学の学長就任がわかっため、各新聞社の経済産業担当記者からの問い合わせがいくつもあった。すぐに大学に戻り、朝日、日経、共同、NHKなどの問い合わせにスタッフと対応する。2月1日に就任した学長室長としての初仕事。電話:042-337-7300。4日もまだ記事になっていない新聞社も含めて、問い合わせが多くなるだろう。-----------日本経済新聞は、4日朝刊のの企業欄に囲み記事で写真入りで報道。「寺島実郎氏 多摩大学長に 三井物産戦略研究所長を退任」「三井物産は3日、子会社の三井物産戦略研究所社長兼所長の寺島実郎常務執行役員(61、写真)が3月末で退任すると発表した。退任後は多摩大学の学長に4月に就任する予定。同大学は中谷巌前学長が2008年3月に退任、学長職が空席となっていた、、、、、、(以下、寺島氏の経歴を紹介)asahi.com 寺島実郎氏、多摩大学長就任へ http://www.asahi.com/national/update/0203/TKY200902030320.html多摩大学ニュースリリース 寺島実郎氏が多摩大学第五代学長に就任します http://www.tama.ac.jp/ http://www.tama.ac.jp/news/release/doc.php?p=1610寺島実郎プロフィール(日本総合研究所会長) http://www.nissoken.jp/rijicyou/profile/profile.html
2009/02/03
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午後は、勢いのある元気な出版社で講演。女性社長以下、営業、編集、広報、宣伝、社長室などの全社員が受講した。若い社員が多く、吸収の度合いも大きそうだった。終了後、社長の配慮で、全員が一言コメントをしてくれたが、全員が短い時間できちんと感想や意見を過不足なく述べることができるなど、社員の志気の高さを感じた。全社員共通の研修だったので、共通体験と共通言語の獲得により、研修の効果は高くなるはずである。アンケートでは、「感動しました」「「大違いです」「驚きました」「気づくことができました」「がく然としました」「「楽しさ」「楽しみです」「「はまりそうです」「有効だと感じました」「目からウロコの落ちる思いでした」「顕わになりました」「納得できました」「試してみたい」「明確になりました」「ガクゼンとしました」「感激しました」「驚きました」「有意義でした」「刺激になりました」などの言葉が目についた。明日からの仕事への取組の変化が楽しみだ。この出版社と仕事をすることになっているので、その成果を確認していきたい。さて、本日はこのはてなのブログへのアクセス数が1000を超えた。また、ホームページへのアクセス数も1500を超えてきた。ともにここ1年では最高のアクセス数となった。本日発行のメルマガのスタイルを変えたのが効いたようだ。いつも工夫を怠らないようにして、いろいろとこのウェブ世界を試していきたい。HPやブログへのアクセスが増やすことが人生の目標(大げさかな?)、日常の行動の基準になってきているので、ともかくもうれしいニュースとなった。
2009/02/02
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「鳥の目スケジュール」という独自に開発したスケジュールソフトを使って数年になります。毎年手帳の季節には、独特のやり方ということで雑誌などのメディアに取り上げられています。毎週初めから始まる4週間を一望できるようにしてあり、近い2週間は広く、遠い2週間はやや狭くという工夫をしています。そしてそれ以降はだんだんと記入欄の面積が小さくなっていくという考え方を採用しています。スケジュール表に時間の遠近法を取り入れているということになります。この鳥の目スケジュール・ソフトは、長年私個人のスケジュール管理に重宝してきたのですが、明日からは、それを私が属す組織に適用していきます。一つは、明日から責任者となる学長室のスケジュール表として、企画担当2名と秘書担当1名のスタッフと共有する予定です。組織の主たる任務の進捗状況や各人のスケジュールが一望のもとに見れるので、毎週の打ち合わせを行いながら各人の予定が調整されていくようになるはずです。いくつかの大きな目標とそれを達成するための具体的な施策、そしてそれらを時間軸に沿って展開していくことで、日常の問題がリズムよく解決されていくなかで、チームとしての一体感が醸成されていくはずです。もう一つは、学長室として大学全体のスケジュールをつかむ必要があり、それをトップ、各学部、教員組織、職員組織、外郭組織、などの動きが時間軸の中で全体としてみんなに見える形で提供していきたいと考えています。毎週月曜日には、今日から約1ケ月がどのような流れで動いていくかを各責任者が鳥の目で見渡せるように、そしてそういった流れの中で自部門の動きを全体のベクトルに自然に合わせていけるようになるといいですね。組織全体が、一つの生命体のように息を吸ったり吐いたりしながら、一定のリズムで動いていくように、2月、3月の間に、情報の収集と発信の体制を整えながら、新学長を迎える準備をしていきたい。個人スケジュール、部署スケジュール、組織全体スケジュールを重ね合わせながら、新しい任務を遂行していきたいと思います。
2009/02/01
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