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昨日、今朝と、続けて二回も、明日の石ころ拾いのことだと思う夢を見る。なぜ、ただの石ころ拾い、たいしたことでもなのに、そういう夢を見るのかを考える。去年、飛騨の大鍾乳洞で見た まったく見事な石コレクションを思い出す。飛騨から届いた日本古代正史縮刷版みたいな本と何か関係があるのかな?今日は昨日のボランティアのせいで足が痛い。明日は歩けるかな?しかし三輪山の頂上を見渡せる小さな小さな千畳敷カールばりの山道での作業は気持ちが良かった。水仙や野のすみれがあどけなく笑い、ふきのとうはすでに花を咲かせ、雪は時折舞っては来たが、本格的春の到来を告げていた。
2011.03.27
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いつも通る道の曲がり角の家の門を今日はしげしげと眺めた。錆びついてはいるが重厚な高い大きな門。伸び上がっても何も見えず、ただ背の高い草がぼうぼうと茂っている。主は住まず。この家は、その昔はもの凄い豪邸だったのだ。結婚したての頃、駅から歩いて帰りながら、いつも気になる家の前で足取りを緩めたことがしばしばあったが、この家は見かけこそ全然違え、その家にどこか似ている。昔々の豪邸は、美しい通りにあった。しかし門の前からぼうぼうたる草に覆われ、庭にはつる薔薇が好き勝手に咲き、背の低い建物の全貌はわからず、あばら家のように見えた。子供の頃に憧れたつる薔薇咲く庭の奥の白い西洋館とは似ても似つかなかったが、やっぱり西洋風の建物には違いなく、こんな家に住みたいと思いながら飽かず眺めていたが・・・私達がそこを引っ越して十年もたった頃、その家の庭が綺麗に整地された。そんなに広い敷地には見えなかったが残されていた家を見てびっくりした。あれは明治に建てられたものだそうで、手入れさえしていれば百年たった今でも近所に建つ家々と比べても遜色ない、どころか、神戸あたりも持って行ったら似合いそうなレンガ造りの超モダンな家。百年持つように建てられた超モダンな家。あばら家なんてとんでもない。そこは知らない間に壊され、二年か三年かたって通ってもまだ工事をしていた。一体何年工事をすれば気が済むのか、五年目も過ぎた頃にようやく終わった。どんなやくざな人間が住むのかと思うようなあまり品のあるとも思えないでかでかとした日本家屋。その大きな木の門にかけられた表札を見て笑った。なんだ・・・駅前にあった丸い屋根の西洋館の主の館か~道理で~~~言いたか~ないが、あそこは戦後焼け跡闇市時代にどさくさに紛れてちょい悪いことをして財産を作ったの~~まー勿論、本業でも稼いだわけだけど・・・ま、それは頭が良かったからということにしておいて・・・今ここの荒れ果てた家の主はやっぱりやがてはその人と同じようにまた百年はそこに君臨するみたいな家を建てるのかな~と思った。この荒れ果てたこの家の主は・・・
2011.03.25
詩や小説は最初の一行、書き出しで決まる、みたいに思っている私だが、ドラマはどうもそうではなく、最終章が肝要肝心だと韓国ドラマを見ているとよくそう思う。もっとも最後まで見る気にさせなければなんともならず、だけど、ただただ最終章の余韻だけでDVDを買う破目に陥ったりする。遅れて見はじめた韓国ドラマ。最近のお気に入りは『砂時計』。夕陽の沈んでいくチリ山での散骨シーン。風が灰を運ぶ。暗い画面。ひたすら暗い。高校時代からのただ一人の親友を裁かねばならなかった男。短いヤクザな生涯で、ただ一人真剣に愛した女。 何が変わったの? 何も・・・今はまだ・・・ "それは永久に変わらないのかもしれない" けれど年若く逝った友は言った。 "それから後 どう生きたかが大切だ" と。私はテスではなくウソクが好きだ。大学時代も検事になってからも。でも一等惹かれたのはやっぱりイ・ジョンジェssiのジェヒだった。ジェヒが済州島に行く前夜のやりとりから、テスが処刑されてチリ山に散骨されるまでを収めた8巻目の余韻は一ヶ月。ところで、沢山見たわけでも、名作を見たわけでもないけれど、どんな役をやっていても気に入ったのはキム・ヨンエssi。ちょっと素敵な人だ。最初の出会いは『ファン・ジニ』。主人公演じた女優さんは人気でそうな人だけど、ハ・ジウォンというのか・・・私はああいう女優さんにはあまり興味がなくて、ペクムに惹かれて時折見ていた。それから『白夜』。あれは実にカッコ良かった。特にセクハラシーン。『愛しているから』の主婦役も似合ってたし、他はなんだっけ・・・色々。ま~ちょっと素敵なおばちゃんだと思った。若い頃は可愛い顔。でも韓流はもう見たいものがなくなった。本当は『にっぽん昆虫記』『神々の深き欲望』など、昔見たのにあまり覚えていない今村昌平作品なんか見てみたいのだけど、ここのレンタル屋には置いてない。今村昌平といえば深沢七郎の『楢山節考』も見てみたい。主人が言うことには、今その楢山節考『その後』みたいなのを浅丘ルリ子主演で誰かが撮っているそうな。日本では姥捨て山で『マヌの法典』にはならないのかな?その後はやっぱり法典になるのかな?
2011.03.21
手の平がどうもおかしい。あまりに剪定鋏を持ちすぎているせいか。何年もそんな事ばかりしていると手も指も変わってしまうものだ。最近は精神統一もおろそかにしているからそんな筈はないと思ったが凄い吸引力だ。鍬や鎌や鋏のおかげ?いやいや、やっぱり大災害のせいか。電磁波というか、気というか、経験からいうと慈悲心かな?胸が痛むこと。そういうものに触れれば触れるほど湧出るもの。先生の言葉を思い出した。『ある日突然得たような力は ある日突然失われる』失われたのに、失っていないようなふりをするから そこに悪が生まれる。『毎日毎日努力して身につけた力は 努力を忘れない限り失われる事はない』内なるエネルギーの源。自家発電装置。光を集めて新聞紙を燃やすことなど、しばらく思い出しもしなかったのだけれども。
2011.03.21
生まれた時すでにその環境がそこにあった。そこがいいとか悪いとかではなく、その仕事が好きとか嫌いとかではなく。海辺の町に産まれ育った人とそういう会話をした日があった。地平線から押し寄せる波。海の彼方に赤々と沈んでいく夕陽。小波とじゃれながら砂に残していく足跡。海辺育ちでない私が知る海はただただ美しいが、私は海辺の町には住めないし、住もうとも思わない。強風に煽られるなら山での方がいいし、自然災害にあうなら雪崩やがけ崩れの方がいい。そういう遺伝子なのだ。けれど彼女は私とは反対で、都会の喧騒の中で懐かしく思い出されるのは、生まれた時すでにそこにあったその風景で、時折無性に帰りたくなるのだと言った。 灰色の海辺の町よそこは故郷だったのか、たしかシュトルムに海辺の町のことを書いた詩があった。今日はからりと晴れる日の筈だが空はまだ灰色で、そんな灰色した海辺の町の写真をバックに書かれた一ページをしきりと思い出すが、詩はただの一行だに正確に思いだすことが出来ない。ところであの大波に呑みこまれなかった者達は、遠い昔のアトランティスの生き残りの遺伝子を多く持つのか。海辺に近い町に住む人が繰り返し見ると言った夢のことをふいに思い出した。何もなくなったそこ、哀しい記憶を埋葬したそこに建つのは新しい希望の国なのだ。
2011.03.19

三千世界 一度に ひらく・・・ ひらかない だろうな~
2011.03.14
畑から帰ってみれば福島第一原発の事故報道。お気に入りの方の日記にもあったが、想像を絶する大地震大津波の後にまたこんな事故が起ると、本当に おふでさき を思い出さずにいられない。 富士さんの石を大切にしなされよその何気なく開いたページのおふでさきにびっくりして飛び上がって、足元に放置してあった富士登山のお土産を家に持って帰り洗い清めたのはもう随分前だが、昨日、一昨日としきりに富士山の石、白川郷で貰った石のことなど思い出しているのは何か意味有ることかと考えたりしている。まったく知らん顔してただ安置しているわけでもないが、大真面目に手を合わせなければならないような気になる。
2011.03.12
目覚めたら東の空に赤々と太陽が昇って来ていて、その眩しさに思わず瞑目した。そのくせ十分もしないうちに、太陽は空全体を覆う雲に隠れて雪だ。そして二十分もたった頃には屋根が少し白くなって・・・この時期は例年こんなふうだが、生駒はやっぱり大阪とはだいぶ違う。明日は雑穀作ってる人の手伝いに行こうと思っているが晴れるだろうか?そこの近くに昔鉱山だった所がある。あそこに限らず奈良の山奥深くにはもう昔に閉山になった鉱山は沢山ある。いや鉱山なんて実は小さいものまで入れると、日本国中いたる所にあったのだろう。私は有名なもののいくつかを知るにすぎないが、修験道が生きていけたのも、一介の学生僧にしかすぎなかった空海が海を渡れたのも、莫大な金がいったろうに阿闍梨位の灌頂を受けられたのも、数々の付嘱物を持ち帰ることが出来たのも、あそこらの峰々に、その下を流れる丹生の川に、昔々は金銀鉱物がなんなく探せるくらい豊富にあったからだというのは多分本当のことだ。つげ義春の無能の人が流行った頃、主人の友達に休日になると石を採集しに山に入る人がいたが、私も鉱物なんて名のつくものでなくてもいいから石ころ拾いを趣味にしようかしらんと昨日何気なくそう思った。石亭好きだし。そう考えただけで童心に帰ったように心が弾んだ。そういえば今はもう岐阜のどこだったかにしかないという硯になる石を探して川に行く人もいた。道楽が昂じて盆栽用の水石の為に河原の土地を買ったという人もいた。その人曰くは近畿の川なんかてんでダメなんだそうだけど、私は川から運んだ大きな石を庭石にしたこともある。別に鉱物だのを含んだ石とか化石の入った石とかである必要はない。川原で石ころ拾いに興じる。楽しそうだ!
2011.03.11

それが仮に悪だとしても、人は多いに許されねばならない。どこまでなら許せるか?そこは問題だったが、そこが人間の器だと思った。若い頃にはよくそんなことを考えたものだ。自分が正しいからとヒステリックになんにでも噛み付く人間は鬱陶しい。そんな者に限って、本当に大切な時は大抵尻込みする。人間はイザって時だけなんだ。そこが○チョンの神様。しかしあまりそんなことを聞きすぎて育つと、我が息子のように変に疎まれたり、へんに好かれたりする。なんでもほどほど。さーそれにしても、世の為人の為何かをなそうとする者が、何も捨てず何も変わらずして何かを成せるのか?そこは大いに疑問だ。私はかつて何かをしたくて天職を手離し、計算で成り立つ生活を捨てたが、彼らは自分の生活を捨てるどころかまたまた裕福になる為の策を講じていた。そうして大真面目の者は、私がそうまでしたことを重荷に感じた。まさか仕事を辞めるとは思ってもいなかったらしい。自分達には出来ないと。それが当時者達の口から出た言葉。実に面白い話ではないか。大抵の人はいつも口ほどには真剣でないらしい。行動がそれを示す。それだって許容の範囲内のことだったが、馬鹿馬鹿しい話ではあった。咄嗟の行動はその者の質を表すが、どこまでが許容範囲かなどとしきりと考えている。しかし今の私はおそらく何もしない。今日は『宇宙と人生』の購読料をいくら払い込もうかと考えていて、まだ『日本神学』も年間購読していた時のことを思い出した。霊系の話ばかりで重ッ苦しい神学に払い込むのが嫌になっていた時のこと。しかし好意で自著を何冊も何冊も送って下さる裕道師に多少の未練もあって会費をどうしたもんか多いに迷っていた時、ひらひらひらひら一万円札が私の前に飛んで来たのだ。私は信仰厚いあるお祖母さんがまだ若かった時、その徳のある旦那様が駐車違反をして捕まった時、どこからか罰金の額と同じ五千円札が飛んできて自分の足元に落ちたことがあったという話をふと思い出して、これはまだ神学を購読しなさいという思し召しだと思ってその一万円札で払いこんだのだったが、今回はそういうことはなかったな~。なくても払い込むことは神様はお見通しだものね。
2011.03.08
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