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むかし 男ありけり。私は思いだす。手掴みされたレタス。細く長い指。カウンターに置かれたグラス。酔っているのかいないのか、わざとのようにモザイク道を真っ直ぐに歩いてみせる男。憧れは勇さんか業平様か。本人曰くは浅吉さん。わかっちゃいるけど似合わない。筒井筒ゐづゝにかけしまろがたけ生ひにけらしなあひ見ざるまにくらべ来し振分髪も肩すぎぬ君ならずして誰かあぐべき風吹けば沖つ白波たつた山よはにや君がひとり越ゆらむ君があたり見つゝを居らむ生駒山雲な隠しそ雨は降るとも君来むといひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものゝ戀ひつゝぞ経る高安から生駒越え。馴染みのその道が業平道だったとはじめて知って、田中耕耘を取り出してみました。分厚くなくていいんです。烏水に『書斎の岳人』なんてありますが、あの頃はそこいらの山にだって行きませんでしたね。今日は本当の秋晴れでしたよ。
2011.10.29
料理本や料理番組にはご縁もなく来たから、栗原なんとかさんという料理家?さんのことなど全く知らなかった。誰が作っても同じに出来上がることに執拗にこだわっている人らしく、テレビカメラがその人を追っかけていた。六十四歳というと昔はおばあさんだったが、生き生きとしていて、笑顔が素敵な人だった。感じのいい人だったので、何気なくつけたテレビではあったが、ついつい最後まで見てしまった。考えることなく見ていればとてもいい番組。けれど見続けながらやっぱり疑問はわいてくる。この人のこだわりは分らなくはないが、どうなんだろう~~と。この人は日本全国にチェーン店を展開したいタイプの人なんだろうか、と。大ベストセラー本ばかりだというから、この人と同じ物を作る主婦は多いのだろう。日本全国津々浦々?この人の本を見た人が、この人と同じ料理を作り食卓にのせる。私なんかはあまり好ましい光景のようには思わないけれども・・・どうなんだろう?家庭料理というのは、同じ素材で同じものに挑戦しても、どのように作るかは主婦の自由なんであって、料理本なんていうのは一つの参考程度のものだと、私は長年そう思っていたが、書かれている通りにやれば、誰でもその通りに仕上がるというのは、本を出す者にとっては大切なことかな?料理人はこだわりにこだわるが、その執念のようなものには感動するが、その結果としての料理本にはさして魅力を感じない私である。それに普通の主婦はそんなレシピを見てもどこか少し間違って、例えば30秒多く炒めてしまったとか、火が僅かに強すぎたとか、そういうことがあって、やっぱり自分流のものを作ってしまうんだろうと思うのである。しかし、カメラが追っかけていた栗原さんなる人が、魅力的なおばさんだということにはかわりない。本当に生き生きキラキラしていた。
2011.10.25
原発事故以来、食の安全性ということがよく言われる。さっきもテレビで討論会というか、消費者、生産者、専門家を招いて、そういう番組をやっていた。主に都会のスーパーで何十年買い物をしている身で、食の安全性もなにもないもんだ、何かあったらそれに打ち勝つ精神、何かあったらそれも運命、と常々私は思っているし、言いもしているから、食品の安全性などさして考えることもなく無頓着このうえないといえば言える。しかし、自分なりの考えはある。感覚頼り。ただの勘頼りではあるが、肌触りとでもいおうか、栄養面その他、例えどんなにいいとのお触れがあっても、いやだと思うものは絶対買わない。この年までそれで来た。まーだから栄養バランスはひどく悪い。が、気にもとめず。これは原発事故以前の話だが、事故以降も何も考えず買い物をしている。幸いといおうか、何と言おうか、私がいつも行く店では福島県産と明記されたものは何も売っていない。が、もし仮に売っていたとしたらどうか?答えは決まっている。それしか売っていなければ仕様がないが、他県のものがある限りは買わない。当然だ。放射能なんて、その飛散の仕方が正確にわかる筈はないから、では他県のものが安全かどうかということも甚だ疑問ではあるが、不安のある所のものをわざわざ好んで買う消費者はいない。いや、たまには被災地に思いを馳せ、そういう慈悲深い人もいないとは言わないが。ということで、私が素人考えで言うと、一年か二年かはわからないが、この食の安全性がことさらに取り上げられなくなるまで、日本全国の米は政府が買い上げたら宜しい。日本全国の米をブレンドし、政府米として一律に供給する。大体昨今市場に出回っている米なんぞブレンド米ばかりで○○産などと明記してあっても怪しいかぎりではないか。余談だが、米がまずくなりはじめたのは 私三十の頃。私はほとんど御飯と漬物と味噌汁しか食べずに生きてきたから米の味だけにはうるさい。で、それまで買っていた所の番頭さんが独立した時、そちらで買ってやってほしいと言われそうしたら・・・おかしい。それで三ヵ月後くらいに挨拶に寄ってくれた時私は怒った。米だけはどんなに高くても最高のものを食べる。それは母の教えでもあった。一体どんな米をごまかして売ってるんだ?と。半年後、私は元の米屋に戻した。しかし、その米屋も主人が年で閉店し、以来、世の中がおかしくなったのか、私の舌がおかしくなったのか、たまにどこかで美味しい御飯に出会うことはあるが、私の思うおいしい米にはありついたことがない。
2011.10.22
単にボランティアというのではなく、東北に移り住もうかというような学生達が増えているらしい。こちらはテレビで見ているだけだが、一から創りあげなければならないような所も多く、土地の人々と手を携えての街づくり村づくりに、人生の意義を見出しているのだろう。すでに社会人になっている人達より学生達の方が少しは身軽に動ける。そのかみのもう一つの日本に、新しい時代を見ているのか。そういえば阪神大震災の時、仲の良かった女の子がボランティアに行って、そのまま大学を休学して神戸に移り住んだ。いつも健康そうな顔をした明朗快活な娘で、随分頑張り屋でもあった。彼女ももう三十半ばになったわけだ。目茶目茶可愛い顔をした娘で・・・元気かな~。もうお母さんになったかな~。もう大阪に全然帰ってこなくなったけど・・・懐かしいな~。
2011.10.18
戦時中、日本の特高警察は結構躍起になってフリーメーソンを調べていた。今でも時折びっしり何事か書き込まれた手帳の類が発見されるが、いつもどこかしらに誰かが潜んでいて、あっという間に掻っさらわれて行く。粗方わかっていることばかりでも、細部となると闇の中みたいなことも多々あるのか。しかし日本の秘密結社とは?日本の歴史上の人物で、武内宿禰ほど謎の人物はいないという者達がいるが、あれは襲名制故だ。だから今でも武内宿禰がいる。この日本で、百年前の予言により、七十三代武内宿禰を襲名したなんて、奇想天外な小説ネタみたいだけれども、これは小説ではない。選ばれし人物のその後の行動から、それが疑うべくもない事実であることがわかる。口碑だろうと、文書だろうと、伝えられて来た事なにもかもが全て正しいというわけではないだろうが、千年、千五百年、ずっとそれを秘密裡に護り通して来た集団があり、いつかまた次の武内宿禰を探すようになる。日本の地下深い所に根付いているとある組織。ならば日本にはまだまだ秘密結社は他にもあるのだろう?しかし一体なんの為に?竹内文書は正しい日本の歴史を伝える為だろうが、日本の危機=皇室の危機の時には立ち上がるのか。興味津々の話だ。その昔、世界中どこでも、その国の都市の中心地の名前は全てアスカだったそうで、飛鳥は韓国では安宿アンスクだから面白い。日本のあちこちに安宿はあり、アスカと読む。ナスカももしかしてアスカなのかと想像をめぐらす。世界の中心は日本だから楽しい想像だ。ところで世界の権力者達がうらやむという日本の天皇の歴史は、天皇家と庶民が本家分家の関係であり、権力者が権力者に蹴落とされるという中国式の歴史は当てはまらないのだ先生は言われていた。そのような史観を持ち込んだ者が遠い昔にいたというわけで、中西さんが調べていることでそういうことも明らかになるのか。たかが二千年前のことでしかないと先生は言われていたが、時の流れの速くなってしまった二千年前の実証はなかなかに難しいことだろう。
2011.10.18
不登校児やニート達を就農してもらうことで支援していくというグループがあり、秋の天川通いは延期せざるを得なくなって手持ち無沙汰の折でもあり、その人達がやっているという田畑を訪ねてみた。元から田んぼだった所、開墾された所、まだ放棄されている所。それらを眺めていると、なぜともなく(おそらく先生がそういう者達に多くかかわってこられたせいだろう)先生の言われた超能力のことが思いだされた。朝晩の精神統一によって引き出された能力は、当然今生に役立つわけだが、だからといって、「えい、ちちんぷいぷい」とばかりに即願いが叶う筈はなく、ある日の講義の時ふいと思ったことは、超能力は生前の為というよりは、むしろ死後の為にあるということだった。生あるうちに、この五体が自分の意志や努力で動かせるうちに、だ。ジャータカ物語なんてまことしやかな全集が出されているが、釈迦は輪廻転生を説いたことはない。南龍氏など、釈迦ともあろうものがそんなことを言う筈はなく、もしそれを説いたとしたら、それはあの世での転生の話だと決め付けた。道教の先生も然り。わが師も然り。私の好きな能力者の多くは士魂招聘であり、軽率に転生を唱える能力者は危険な詐欺的資質を持った存在だと言う。とまれ、呼べば答える者はこの世で磨かれた魂だけで、それら魂は子孫の為、国家の為、はせ参じることが出来るのだそうだ。それこそ思った時は達した時。今生での習慣に慣れきった者はただ昏々と自分が願う墓場で遂には宇宙の塵となるまで眠り続け、目覚めは命日や盆や、それもまたこの世の習慣のなせる技だとか。あの世に行ってまで子孫のことや国のことなんか考えてられるかい。死んだら死に切りに願いたいと私はいつも思うのだけど、真実は如何に。
2011.10.17
金融経済の崩壊が徐々に始まっているのは確かだが、円が百円を切った頃、もう二十年位前か・・・陰謀だろうと、その場凌ぎだろうと、目に見える崩壊も改革も確実に二十年は遅くなったわけだ。年金討議なんか数十年は遅れている。しかし、いつも思うのだが、歴史を鑑みればわかるように、技術の進歩はあっても国家の永遠の繁栄なんぞどこにもなく、右肩上がりの経済ばかりを夢見たような年金制度導入は、それを導入した時点ですでに国家財政破綻への道。それは村落共同体の完全崩壊への序曲だったのだ。釈迦の説いた心の法は今はなく、がんじがらめの法律の法が幅を効かす。法に触れたら罰せられ、法に触れなば許される。法をかいくぐればなんだって許される。宗教のない世が本当の信仰心の育つ世なのであり、律法のいらない世が本当の法を知る生き方を助けるといっても、膨張し続けようという意思たちの多い世界ではそれは難しくなる。不増不減是故空中なんていっても詮無い。ところで、小沢一郎ばかりのニュースの日、笑った。疑わしきは罰されるべきなんだそうだ。『罰せず』は過去の格言となるのかどうか。国会議員だからかどうか。私は今、原発事故以降、幾度となく福島上空を飛び回っているという七つの噂のUFOや、鈴鹿山脈を伊勢に向かっているというUFOに興味を持っているが、一向新しいニュースはない。UFOなんか見たこともない私はとてもとても疑っているが、疑わしきは確認せねば!と言いつつ、私は何年か前、ヘンな赤い小さな灯を空に追っかけていて、それが突然落下しながら爆発してきのこ雲を作ったというのを全くの眼前に見たことがある。UFOではないと知りつつ、あんなものを見たのは初めてだったからUFOもどきだと時々思ったりする。或る人曰く、それはある化学現象で、時々そういうことは上空で起きるらしいが。。。台風12号でなぎ倒されてしまった庭のコスモスは今年は空へは向かわない。朝露の降りる季節になったが、夏の花はまだ終わらず、その横で金木犀が馨しく、西洋タンポポは摘んでも摘んでも黄色い花をまた咲かせている。なんと強いことよ!最近はいつが春でいつが秋なんだか、花を見ても、野菜畑をみても、市場に買い物に行っても何がなんだかよくわからなかったりする。年を感ずる。
2011.10.12
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