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朝っぱらから楽しまないニュース。年金受給は70歳から。消費税は急いで、あと五年もせぬうちに10%まで引き上げる。 児玉清だっけ?それから長門裕之な、確か76でついこの間死んだ。 これからは30年か40年か年金払うて、数年しか年金貰えなん奴がおおなるから やっぱり病院のベットで動かれんようになっても意地でも長生きするでな~。 年金貰うまでどうすんねん?って話あるやろ? そしたらやっぱり生涯現役ってんで、いつまでも会社に残るやん。 年功序列みたいな会社の若者はもう昇進の道が少なくなってな、益々盛り上がらん。 原発ダメっていうのは判るけど、省エネ家電の勧めとか、 全家庭ソーラーパネルの設置とかってテレビでよく言ってるけど、 省エネって最初お金かかるし、食べるのいっぱいいっぱいの人達に、 どうやって家電買うかとか、屋根やりかえるかとかのいい案は全然言わないんです。 やっぱりテレビに出てる人達って、そういう底辺の人のこと判らないんですよね。 ま、いろいろ あら~ね。 お先真っ暗。なんもかんもぶっ壊した方が楽しい。
2011.05.31

亀の瀬渓谷にはやっぱり降りられなかった。相変わらず道路には交通整理のおじさんが立っていて、川向うに停まっているのは工事車両のみ。ただ歩くことを楽しみ、どこからでも川に降りてしまっただろう子供時代にはなれない。車を何時間もどこかに駐車しておくというわけにもいかず、仕方なくというか、予定通りというか、青谷に向かった。青谷から柏原工校あたり、大阪では結構な鉱物が採集出来たそうだが、今は面影もないだろうからそんな所はうっちゃってお目当ては金山彦神社。金山彦というからにはタタラに関係ありと思ったのだ。オークションで中古車を安く売っている会社の倉庫に以前行ったことがあったが、金山彦はそこから直ぐだった。ちょうどカーブにさしかかり左手に野池がある所。こじんまりとしている。山の上からここに遷座したのはそう遠い昔のことではないそうだが、やっぱり嶽山・竜田山を背景に、古代はタタラ工場?があったらしく、平成十年だかにこの社で刀匠まで呼んでその再現を試みたようだ。礼拝所横に、鉄を取り出すときに割った窯の残りというのが埃だらけで展示されていた。竜田は風の神を祭る。古代、ここいらに鉄の製造に適したいい風が吹き降ろしたことが想像されるが、参拝客なく日当たり悪く、触るものすべてがざらざらしている社にちっとも風は吹かなかった。さて嶽山とはどの山を指すのか、それがどこだか誰も全く知らないが道は続く。上には姫がいるという。金山媛のことだ。夫婦?なのに離れて祀られるようになったのかな?私の持っている大日本神名辞書にはあまりたいしたことは書かれていないし、ここの金山彦・媛の名は製鉄業が地元を潤したことから勝手にとってつけた名なのだろうと思う。しかし媛神社はいい。境内には清清しい風が吹き、光が見える。至福堂から上に行くと、光当たらず苔むした中にある石ころがキラキラ光る。上は雁多尾畑。葡萄畑が広がっていく。子供の頃は少ない小遣いを持って時折関西線に乗った。関西線は王寺に差し掛かるまでの景色が好きだった。降りる人も乗る人もない河内堅上は一番気に入っていた駅だ。そこから信貴山を目指した。駅前の小高い土地が坪千円だかで売りに出されていて、大人になったら大和川を見下ろせるこの土地を買おうと思ったこともあった。雁多尾畑には今ほど葡萄畑はなく、山柿はそこかしこにほったらかしで、おなかがすくとその柿をちょっと失敬しながら信貴山の赤い橋を目指した。幼い弟や妹と一緒にふざけながら歩いたことを思い出すとしんみりする。みんなみんな遠く過ぎ去ってしまったが、あの屈託ない笑い顔は会えないほどに胸に沁みる。私は今は簡単に走れる183号線を走る。昔は183号を歩いたことはなく、地図で見るかぎり青谷をそのまま登っていったように記憶していて、大きな池に出くわしたこともない。本当にずいぶん開けたもんだ。ブドウ畑もいっぱいだ。たまに胸が苦しくない日もあったのか、気分のいい日だったのだろう、葡萄畑そばに坐って母も一緒にお弁当をひろげたことがあった。あれはいつのことだったか。。。弟はまだ小学三四年くらいだったような・・・想い出にふけりながら車を走らせるといつのまにか信貴山の赤い橋に出た。河内堅上から青谷にかけて何か出るとも思えないが、生駒山活断層の最南端。今度Nさんと来る時は少しは歩かねばならない。 ↑或る秋、子供の運動会の日。誰が撮ったのかな~。
2011.05.26

私は聖書を一冊も持たない。若い頃は何冊か持ってもいたが、本が増えるにつれて大小と収まりが悪い、しかもロクロク読みもしないそんなものはあっさり欲しい人に譲った。以後、買わず。しかし、文語体のものがあればそれは買ってみようとは思うし、アリスが持っているという日本最初の聖書も見てみたいが、キリスト教そのもの、ローマ法王もひっくり返ってしまうだろうと言われている『死海文書』の全文公開される日を待つ方が楽しいかと思ったりする。と、言いつつ、思わず『出エジプト記』を古書店の本棚に見つけ買ってしまった。二十歳のクリスマスに『十戒』を観て体が勝手に覚醒したらしい経験を持つ私は、『出エジプト記』という文字を見るとつい手にとってしまう癖があるのだ。実はモーゼといえばヘストンを思い浮かべる単細胞頭でしかないけれども。しかしだからといってその手に取った本を買うことはなかった。この間フランシスコ会聖書研究所の出版した『出エジプト記』を思わず買ってしまったのは、最終7枚にあの失われたアーク、幕屋の図が描かれていたからだ。棺の作り方、あがないの座、燭台、パン机、司祭の徽章、ミトラなど等の図もある。そこでふいと、1995年阪神淡路大震災の時、エジプト旅行をした人を思い出した。マナの壺から溢れかえる水の幻想?なるものを見て一気に前生?を思い出して、日本に帰っては飛んで幣立神社に行った人だ。エジプトから帰って気が狂ったように日本でピラミッドを探し出した酒井勝軍とちょっと似ているではないか、などと面白がって話していたら、一体マナの壺はどこから降って来たのか、落ちていたのか、とえらく深刻そうだった。神武天皇は省きましょうよ、などという、私達からすれば実におかしな異端古代史好きの会長が彼女の話に耳を貸そうともしなかったせいもあるのだろうが、幻想を見た彼女はマナの壺が日本にあると信じ込んでいた。棺の中のアロンの杖とマナの壺はとうの昔になくなっていた筈だから・・・・う~ん、彼女は何を知りたがっていたのだったか・・・前生追っかけていただけか。。。それに神輿の最後部を担いでいたのはダン族だったという話は誰の説だったか。。。記憶があやふやだ。『マナの壺』を書いた人は阿波の人だったと思うが。先生曰く。長い時間の中では、平穏平和だった飛騨は歴史から忘れ去られた。偉大なるご先祖様が歴史上に全く見えないなら、理由はただ単にそんなことではないと思える。どんなにうまく隠しても策謀はどこかに見え隠れするものだ。さて、肝要の十戒石は・・・真鳥に託した日本歴史がほんとなら、むっちゃんはどう言っているのかな~。傍らで聞いていたら「そんな歴史が今の俺らになんの関係があるねん!」と、また主人が怒り出しそうだ。
2011.05.24
子供の頃によく見ていた夢。幾度も幾度も、今だって絵まで描けそうなほどよく見た夢。あれは、恐怖心が見せる予知夢だと知って(思い込んで)以降はぱったり見なくなった。先生が子供の頃、毎日のように見ていた夢は、母親と引き離された悲しみが見せた夢で、遠く離れて、母子で同じ夢を見ていた。I君がよく見ていた夢は、地獄の炎で焼かれる夢。Mさんがよく見ていた夢は、いっぱいの海水が押し寄せて来て、今にも波に飲み込まれて溺れ死んでしまうかという夢。同じ夢を幾度も幾度も見るのは子供の時に多いが、大人になって全然見なくなっても、あれはなんだったんだろうとは皆、時に考えるらしい。若くして死んでしまったサンタさんが毎日のように見ていたという夢はなんだっけ?縄が投げられて、それをくぐる夢だったかな・・・・・ダリはよく夢を見てはその夢の絵を描いたらしい。何シーズンもの洋服コレクションの夢を見た時は大金持ちになれると思ったが、ニ三のドレスを思い出しただけで、あとはすっかりデザインを忘れてしまったから、財産を失ったような気分になったのだと夢日記で語った。夢を見て発明をした人、夢で教えてもらって文字を解読した人、色々いるが、金光教のお爺さんは、夢ではなくあの世に行って(おじいさん曰く)数学を教えてもらい、それで仕事が続けられたと、いつだったか私に言った。意識をとばしてみたら、なんのこっちゃ、あっちこっちの宗教、金光教ももうユダヤに乗っ取られているとも言っていたな~。話脱線。安倍公房に『笑う月』というのがあるが、安部公房は夢でいつも笑う月に追っかけられていた。覚めてみれば、笑う月なんか怖くもなんともないはずなのに、おそらくは、逃げても逃げても追っかけられるというのが怖かったのだろうと回想していた。が、夢の解釈には興味がなかったと言う。こちらが昼なら地球の反対側は夜だというように、起きているいる時を昼とするなら、寝ている時は体は夜でも、脳は昼なんだという、脳学者か何かの説をいたく好んでいるのだとか。暗黒が広がるにつれ輝きは集中する。仕事でもなんでも、精神が活性化している時ほど夢もよく見、しかも内容が豊富で肌理細かく、安倍公房によると、夢は、生きる為の、無意識の補助エンジンなんだそうである。
2011.05.23
私は本読みだからか、テレビにはほとんど無関心で、誰かがつけた番組をただ横目で見るだけでテレビ人生過ぎてきた。 ところが、とある日、主人の帰宅時間までと思い、何気なくつけたチャンネルでやっていたドラマが、どういうものか最近になく稚拙で、故にか、とても新鮮で、あっという間に時間が過ぎてしまっていたということがあった。 ある日、チャンネルをひねると、また、そのドラマに当たった。 そしてまた、ある日、その同じドラマに当たった。 そうなってくるととても気になってしまうものだ。 最初から見たことなく、最後まで見たことなく、そんなことを繰り返していたから余計かもしれないが、ある週から主人の晩御飯もそこそこに「私はテレビを観る」と宣言。 テレビ大好き人間の主人はこの妻の勝手を大いに喜んだ。が、ここがへそ曲がりで主人は未だに『ソドンヨ』は絶対見ようとしない。自分は夜遅くまで『ファン・ジニ』や『春のソナタ』を、人を巻き込んでまで見ていたくせに。嫁はんのいいというものなんか見れるかい!っと。 そういえば・・・我が旦那様は私がいいという男性は皆嫌ってたわ~~。私は主人がいいという女性は皆好きなのに、ね。 しかし、『ソドンヨ』ではチャンが好きだったわけではない。チャンよりサキッテルの方が魅力的だったし、何より好きだったのはソンファ姫だ。私は女性に弱い。 しかししかし、『ソドンヨ』に一等心惹かれたのは、私の理想の学舎がそこにあったからだ。 学びの場は私の一生の憧れなんである。 そんなふうに、いつだったか、韓国ドラマとの出会いがあったが、それから数ヶ月か、一年か、息子に返済をたのまれて貸しビデオ屋に行くまで、また主人が『朱蒙』『朱蒙』と事あるごとにしつこく言うまで、他の韓流のことは何も知らなかった。 ここ一年、韓流に嵌っていた。 百済から入り、高句麗に行き、関心は扶余。それから渤海。渤海は『テ・ジョヨン』。随分いい加減な歴史だが、ここでの関心は契丹。この契丹は古史が好きだったものだから色々調べては見ていたが、チョリンのパク・イェジンちゃんに嵌っていたものだから、でそのイェジンちゃんの出ているものを片っ端から見た。といってもあまりなかったのだが。 それから見るものにことかいてグアンニョルssiが主演だというので『ホ・ジュン』を見て、そこでまたまた女優さんにはまって、今度はファン・スジュンssiのものを探しまくった。肝要の映画の方と初期のものが全然ないが、見られるものは全部見て、『夢のソナタ』というMBも買い、WAXのMBもコピーした。 そのスジョンssiのおかげで現代物にも目を向けてみるが、見たいものがなく、ホ・ジュンの師の俳優さんの言葉を思い出して、グァンニョルssi出演の『青春の罠』を見た。と、ここでまたまたシム・ウナちゃんにはまって、シム・ウナを追っかける。 どうも美しい女性に弱いというのがいけない、な~。 ところが、このウナちゃん、ちょっと本当にいい。役が皆違う。『八月のクリスマス』『サランヘヨあなたに逢いたくて』『ボーン・トゥ・キル』『美術館の隣の動物園』。 魅力的だ。 しかし、良かったのは映画の方ではなくドラマの方。 『白夜』なんか、もう泣けて泣けて、終章のダニーボーイでまた泣けて、終わってはDVDを購入してしまった。全編通して流れる音楽にも心揺さぶられて、久々にサントラ盤まで買ってしまった。 それでひょっとして現代物にいいものあるのかと思って調べたところ、出てきたのが『砂時計』。 八枚目。終章。何度も何度も見る。見飽きないのでやっぱりDVDを買ってしまった。 それから好きになったイ・ジョンジェssiを探して、『イルマーレ』を見、チェ・ミンスssiが出ているからと『インシャラ』を見たが、肝要の見たい『イ・ジェスの乱』や『黎明の瞳』などは日本語版は」出ていない。『インタビュー』もない。 これでかれこれ、ニヶ月くらい韓流から遠ざかった。 今夜、息子につきあって一緒に久々geoに行くと、ないと思っていた『M』があった。万歳! しかしまー、韓流も大体ここまで。 映像とあまり縁なしの私にして一年で五百本。 かくして韓流カオス時代も終焉を迎える。 一塵の風が吹いて~~ 天と地の間に地上が現れる。 そろそろ史書に帰らねば! 本は二十冊も積み上げられたまま。積ん読書が矢鱈多くなってきた。群書類従の編者を尊敬するばかりでなく、羨ましいのはその環境!私も誰かに朗読をお願いできたらと、近年はそんなことをよく思う。
2011.05.20
金子光晴はほとんど読まない私だが、この詩集は題名が気に入っている。詩も少しも難解な処がない。それで気に入っている。 ある夕暮れに こんなふうに 日はすぎてゆく 大事なものは なにもない 大事なものは なにもない 帽子も 万年ペンも 水平線の 棚のうえに 忘れている のせたままで 嫉妬 愛情にも 嫉妬にも まだ 火がついていない マッチは そばにある マッチは たった一本でいい それをするのも それをすらないのも あなたのこころまかせ無題 あの皺だらけな胃袋のことは忘れよう洗いざらしたわしではあるが美食家と大食家の別はまだこころえている生と死毒薬を飲んだバラが青空にすがる肉体よ死んではいけないこの人生を言いくるめるのは死をあつかうほどらくではないがと、まー、こんなふうに楽に読めてしまうのである。
2011.05.18

弘法の水といわれる井戸を探して野道を歩いてみた。田んぼの土手には薊がいっぱい。ちょいと失敬。昔、薊を花屋さんで買っていた人を思い出した。三十年前の友人。今回は井戸はなんなく探せた。おそらく綺麗なのだろう水が蓋の所までなみなみ。周囲には平群谷からと思われる清流が流れ。畑を縫うように小さな流れも幾つかある。上はウォーターパーク。おそらくこの井戸も谷からの水で、地下水ではないのだろうと思える。私は井戸が苦手なので早々に蓋をしめ、付近にあるというお地蔵様を探した。これかな?と思うものはあるにはあったが、どうしたってお地蔵様には見えず、お地蔵様というよりは道祖神と呼ぶべきかと思う、そのもっと先の、こっちの方が気になった。草に隠れていてよく見えなかったから草を引っこ抜いてみたが、顔も姿も何も判らず、ただ苔むしているだけ。下にある小さなものは、近年誰かが持って来て置いたようだ。白山神社傍。しかし、ここにはこんなものがあった。岩が真っ二つ!岩戸開きだ。この間来た時は別の道から来たからか気付かなかった。本当に神社鳥居さんのすぐそばにある。ここ白山神社には菊理媛の名はなく、ただ白山大明神とある。鳥居横にあるのが湯殿か?鳥居さん前には弘法様とも親交深かった伝燈大師のことが長々と書いてあるが、そこから見た弥勒堂の瓦が印象的だ。ところで、白山本来の菊理媛は梨本(ならもと)ではないかと思う。これは多分、その昔はナラモトだったが正解で、梨本はあとでのただの当て字だと思う。梨本は寂れてはいるがそれ故素朴で、境内に入っただけでとても良い気が漂うが、この白山神社はアプローチからして大神社の赴きなのに、大師の墓への道もきちんとあるのに、残念ながら荒れに荒れている。しかし魂振りのごと鈴はながく鳴り続け、祝詞をあげていると快い風が吹いて来るあたり、まんざらどなたもおられないということではないらしい。私を見ていると菊理媛を思い出すから御詣りに行きんしゃいと、高岡、もしかしたら射水神社氏子の方に勧められてからは、どうも菊理媛が気になる私だがいっこうに縁あるような気にはならず、が、今頃になってホツマを思い出した。ホツマではキクリ姫はキクキリ姫。聞き切る姫。要するに耳がいい姫だ。やっぱりご縁はあるかな?ついでに白山姫はカンムスビノ神とは夫婦、イサナミノ神とはきょうだい。先生は思兼命は天照様の旦那様だと解釈されているけれども、思兼命はワカ姫の旦那様。天照の左大臣?第一天照様は男神だからして~~~うん、難しい!歩いていると一ところ、やけに赤い土があるのが目についた。近寄ってみると木の根っこ下を猪が掘り返したらしい大きな穴。深い!そして土は底になるほど赤いかった!赤土。粘土にでもなるのか。奈良は東に山の辺の青垣山、西に大阪よりの生駒山があるばかりで、ほんに奈良山というと松尾山くらいのもんで、あとは丘陵。おまけに粘土質の山ばかりだから棚田にだって岩石と呼べるものはほとんどない。工事中の所からも石がゴロゴロという光景は見たことがない。今日は土を持って帰った。赤土に雲母だらけの石を混ぜて・・・さて何かを作ったら面白そうだ。
2011.05.18
先週の火曜水曜はものすごい雨だったし、一人での鉱物採集は危険だということもあって、Nさんは私が教えてあげた所には行かなかったらしい。彼はメカマニアでもある。家の蔵には色んな機械類も詰め込まれていると聞くが、仕事場のあちこちには、ステレオ、スピーカー、ビデオデッキ類もゴロゴロ。凄いのはもう今では手に入らない一眼レフで、面白いようにそこいらに転がっている。その中にちょこんとあるのがファーブルシリーズの顕微鏡。近くの川の砂から採集した柘榴石を楽しんでいたりする。積み上げられた本は・・・やっぱりマニアが喜びそうな本ばかりで、彼はその中からまた活断層の本を貸してくれた。彼はずいぶんご大層な活断層地図も沢山持っている。買わなくてもいいからずいぶんと有難いのだけど、借りたものは返さなければいけないから、それがちと面倒だ。ながらく話しこんでいたら生駒石のことになって、亀の瀬の画像が出てきた。なんのことはない、竜田の山は今でも事あるごとに少し崩れるのだ。あそこらあたりには崖崩れ防止の工事車両がしょっちゅう停まっている。なにもなくとも山裾を走る関西線のレールはあそこらあたり、年に何ミリかは動いているというから、千年か二千年に一度か来るという震度七の地震にはとても耐えられそうにない。崩れれば電車は大和川にまッ逆様。くわばら桑原。で、そのこわ~い、普段は怖くもなんともなさそうだが、亀の瀬渓谷に行こうと。そこからは青谷も近い。川原で水遊びするにはいい季節になった。しかし、まー今日は二人とも多分行けない。楽しみは先に延ばす。今日は弘法様の水をきちんと探してみよう。なぜ、あんなところにそんな水が今でも滾々と湧出るのか。。。
2011.05.17
気がつけばこんな時間。知らない説も多々あって、面白いといえば面白いが・・・際限がない。こちらがそれらの説の巧妙な罠に嵌められてしまいそうだ。疲れたー。高い本を買わなくても済む時代は有難い?やっぱり紙モンの方が読むには適してる。寝てしまおう。目が痛い。
2011.05.13
広瀬の神様は実は長脛彦なのだという説からすると、かのお方のお妃様を御祭りしてある神社もその実は長脛彦を祀ってあるというわけだ。長脛彦は存外人気者だということは以前生駒を歩いていて知った。ただ強かっただけではないらしい。大忌の広瀬は水の神様?風神の竜田大社とはセットでもランクは上。大祀・中祀は下々の者には関係ないから一等上の位。道理で祝詞集に早い目にご登場くださっていたわけだ。その祝詞の始まりは七世紀。祝詞研究にも確かそう書いてあった。亀の瀬のことは一行も書かれてはなかったが、長脛彦の名はまだ地元ではずっしりと重かった。だいぶ前のことだが、江戸時代、大和川を大きく迂回させた時の地図を見たことがある。大和川はその頃ようやく今の私達が知る大和川になった、多分。交易に行く時は神様のように有難い川でも、ある時は手もつけられないほど暴れまくる大和川。天候によって天然ダム湖が出来たり消えたり、地滑りを起こした竜田山の土砂が河内平野になだれこむ。それが、古代、難波に都が続かなかった最大の理由といわれればさもあらん。もし、大氾濫、土砂災害がなければ、真土や辰砂の取引は、纏向村でではなく河内湖畔で行われ、今、河内湖畔のどこかに箸墓がある。楽しい想像だ。しかしなにはともあれ、古代の都建設は外敵よりも自然の猛威の方が重大事だった。川が氾濫し、土砂で村がなくなると、助かった村人達は集団移動。集団疎開。遠くはどこまで行ったのか、そこにまた村をつくった。今の大震災と似たようなことが延々繰り返された。今の被災村もそういうふうになるところがあるのか。これは天災とは関係ないが、神武の昔、長脛彦は東北に逃がされアラハバキ王国を建てた。まつろわぬ民の地。アラハバキは荒脛巾と漢字では書くから実はそこの出身かとも思ってしまう。面白いのは秋田唐松神社に伝わるとされる物部文書。ニギハヤヒが十種の神宝を持って降臨したのが畿内ではなく鳥海山。関東から北は簡単には行けないこともあって楽しさ百倍。またまた関係ない話しながら天孫の印は十種からいつのまにか三種へ。雨が強い。国の始まりが面白いなんて炬燵の中で楽しんでては被災者達に申し訳ないような強い雨だ。東日流外三郡史では崇神天皇まで(だったかな?)の何回かの天皇をあちらから出したというから、次回総理大臣は被災地出身者がなるというのはどうだろう?などと考える。雨で庭仕事どころではなく、そうだ、こんな日にこそ鉱物の店に行き、ついでに岩石ハンマーセットでも買うべしなどと思いきや、ドバッ~~!!物凄い雨です。仕方がないからまたまた土蜘蛛さんの本をひろげる次第です。いやはや、目の前は山なのか空なのか、天然額縁の中の絵は灰色一色です。
2011.05.11
子供の頃に読んだ本は自分の一生を左右するほど大切なのかもしれないと、昨日またそう思った。昨日、姫路から来ていた人は、幼稚園の頃に『地球』という かこさとし の本を読んだのだそうだ。そんな頃に地球の地、文字通り地球となった土のことだが、そんなものに興味を持つ女の子なんて実に変わっていると思うのだけど、なんだか楽しい。私。私の一生もそんなところでもう決まってしまっていたのだろう。石を割りながら柘榴が出てきて黄色い声をあげて、懸命で無邪気なその仕草が実に可愛い。私は女性二人の傍らでそれらを見せてもらう。おっちゃんもおばちゃんも若い子もない。ああいう所では皆が子供になる。今朝の空はなんだろう?きらきら光る石を眺めながら、雲間がきらきらしているのを見ると、そのきらきらは似ているようでも空の方はなんだか不吉。原発放射能はどうなったのだろう?台風一号が近付いているとか。連休明けてみれば為替八十円割れ。金銀暴落、ガソリン十ドル安。今頃十ドル安にならずにもっと連休前に下げて欲しかった。テロリスト退治して? われは知る テロリストの 悲しき心を これは啄木。不穏なことが続いて起きてしまう2011年哉?
2011.05.09
チューリップの花びらが一枚 一枚と落ちていき 躑躅が庭を彩り始めた。昨日は京都御苑を歩きながら 自転車をとめた人を真似て一個だけ梅の実を頂戴した。梅なんて我が家にも腐るほどあるのだけど、見上げた名も知らぬ大木の枝のあちらこちらに根を張っている青々と茂る草を見て感動し、、昔はこんなふうにここで樹木を見上げながら歩いたことはなかったと思うと、薄紅色した小さな実がやけに愛しく思われたのだ。それからずっと歩いていると自転車にカメラを持った人が路地を入っていった。ついて行くととある古びたレンガ造りの建物の前でカメラを構えた。そこにあった門は裏門らしく、何の建物かは全然判らなかったが、ただの西洋館ではなさそうで、しかしすでに使われているふうではなかった。路地を挟んだ向かいの、これまた古びた家の玄関の戸があいて、振り返ると老婆がゴミを持って出て来た。その家の表札を何気なく見て笑った。同じ苗字だったからだ。少し楽しい気分になって次の家の表札を見て又笑った。そこは私と一番仲のいいSちゃんと同じ苗字だった。またまた愉快な気分で次の家の表札を見たら・・・今度は笑えなくなった。そこの表札には主人と一番仲のいい人と同じ苗字が書かれていた。。。こういうのをなんというのだろう。私はまた次の家の表札を見てみようかと思いながら・・・やめた。タイムスリップしそうな感覚。遠い遠い昔からの縁かな~魂はそういうふうに出来ているのかな~念写協会・宮内力の本を買って、福来博士の汚名返上なんて書いてある箇所を読んだあとだったからか、先生の念写に関する持論をつい思い出してしまったりした。念写の念写論はまだ然るべき人達に支持されたとはいえない。念写はトリックではないと、まだその域を出ない。あの草を生かしている木は千年以上も生きながらえているんだな~。御苑のあの樹木の枝枝の間からのぞいた空を思い返しながら、古墳の芸術性に触れて、矢野和之に岡本太郎が言った言葉が蘇った。小宇宙という言葉は良くない。宇宙には大も小もない。どちらがどれだけ純粋かということだ。スケールでいってはいけない。
2011.05.03
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