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先生を見ていると縄文人の生き残りが現代にいるような気がしていたが、縄文人の遺伝を一番多く有しているのが東北だと私は信じて疑わない。藤原作弥氏の『東北のシャーマンたち』を読んでいて又そう思った。名は知らないが作弥氏の父親はウラルアルタイ語系の研究をしていた。日本語源論には当然諸説あるわけだが、研究熱が昂じてか、東北地方のみならず、父親は北方の国を放浪した。言語学者で民俗学者でもあった父親は、土地土地の原始宗教、シャーマニズムのフィールドワークにも熱心で、その度山間僻地へ山間僻地へ移り住んで行った。父親は恐山のイタコの口寄せに、死んだ姉の霊を呼び戻してもらったことがあった。涙を流し弟との別れを悲しみ、愛しみ、髪振り乱してわなないた姿の恐ろしさは忘れ難いと作弥氏は書いているが、死んだ姉と会うことの出来た弟が、シャーマニズムの研究調査にいよいよ傾注していった姿は想像に難くない。津軽の野づらを行く尺八吹きも、越後の杖をつき歩く瞽女も、法螺貝を吹きながら出羽三山を行く山伏たちも皆広い意味ではシャーマンだ。作弥氏の父親は、そうした者達が歌謡に託した古くからの民間伝承を多く採集した。しかしそのシャーマン達が伝える昔話は、アテルイが滅ぼされた話とか、義経が自死したとか生きているとかの歴史に取りあげられるような話より、圧倒的に名もない庶民の悲しい物語だったという。風水害。疫病。旱魃。冷湿な山セによる寒害。なにより大地震、大津波。恐山の口寄せ巫女達は今度のこの大地震をどのような歌にするのか。。。イタコではなかったらしいが、恐山出身の霊能者で、毎日五種も十種も歌が○○比売から降りてくる洗足術の先生は、今はどんな歌を歌っておられるのか・・・。東北地方には歌舞音曲のシャーマニズムも盛んだ。神楽、鹿踊、剣舞など生活に根ざす伝統芸能の宝庫でもある。正月ともなれば尺八を吹き、三味線を奏でる門付けが訪れる。田楽や獅子舞や万歳が新年を祝賀する。三・十一の大震災後初のお正月。東北各地ではそうしたシャーマンたちの再生祈願の舞いの光景が見られる筈だ。悲しみの年が明ければ、新しい年が拓ける筈だ。 -作弥-
2011.12.28
夢を見て目覚め、また寝ては同じ街での同じような夢を見た。先の夢は短すぎたから、長編を描いてみたらしい。昨夜のセガンティーニのアルプス三部作みたいなものだが、あんな高尚な夢ではない。それは過ぎ去りし哀れ血塗られた革命の話だった。解釈間違いでなければ。ひとときの夢だ。戦いで得た成果は、もしかしたらまた新しい戦いの序曲になる。恨みつらみは人々にはそれくらい容易には消しがたいものなのだ、きっと。けれどその物語の終わりがなぜまたあの街なのかは私にもわからない。それにしても、風景画なんかもう飽き飽きしてたりするのに、昨日はアルプス画がやけに胸にしみた。ああいう所に住んだとしたら絵を描いたかどうかは分らないが、光をどのように受け止め、自然をすべて理解するところまで行ったか、それらは全然分らないが、若い頃はセガンティニが求めて行ったというああいう所に住みたかった。空は一瞬たりとも同じ空ではなく、厳しき故に身を切るほどの美しい風景は魂の穢れを許さぬだろう。そして生活は容易ではない。ゆえなく憧れた山を見上げた時、頂上からはるけき彼方を眺めた時、風の中で、一瞬のとことわ(永遠)を見つけたかもしれない。昔むかし 机の前を幾度かは通り過ぎた永遠。昔むかしの崇高なものへの想い。
2011.12.26
昔、習った。北海道から移植した樹木を例にとって。ほおっておけばあれも元に返る。質は元に返る、と。此教の八島教祖もいつも言っていた。だから日々精進と。あれもいらない、これもいらない。いらないものを捨てるのはいい。あれが大切、これが心ときめくもの。それは自分の価値基準で選ぶ。誰かに強要されてやるのではない。だからそれに口を挟もうとは全然思わないが・・・が、と私は考える。あれもいらない、これもいらないと、その捨てたものを聞いて、ではあの娘が選んで残したものって一体なんなんだ?あの娘にとって、人生を大切に生きる、自分を大切に生きるということは結局わからず終いなのか。人はそんなにも変わらないものなんだとまたまた打ちのめされる。いや実はそうと知っていればこそ距離を置いた。時には距離も必要と。しかしあう度話すたび失望。そしてまたしても失望。あれらの日々、彼女達に感じた失望は、それは同時に自分や社会への失望でもあったから、その失望の隣にある希望に思いを託したのだったが、それはあの娘がMに会いに行った所で終わった。私の失望や希望は彼女達とは違う所にあるから、そのお終いは彼女達には意味はなく、一人一人はただ自分の生活があるのみだった。大抵の人はいつも自分の幸せ探しに忙しい。そしてそれは悪いことではない。修行者はいつか一等大切だと思うものを喜捨するところに出るが、あの娘もいつか選んで残したものを捨てる時が来るか?その時・・・いや、あの娘の人生はそういう所には出ない。だから私の会報もその内もうなんの役にも立たなくなるだろう。自分が真にいい人に巡り会わないのは自分故だと言ったって、人は咄嗟に自分が出てしまうもので、それはもう四六時中傍にいても教え難い。私が馬鹿な子達だと思いつつもT子達が愛しかったのは、あの娘が持たないものを、どんな時でもT子達はちゃんと大切に持っていたからだ。その心の奥深くの慈しむ愛のことを、今更またなんといえばいいか。。。
2011.12.22
向上心忘れてしまったような日常で、いよいよカミ様に見放されたのか、世界危機のこの年末に何のお知らせもいただけなかったが、今日は久しぶりに夢を見た。しかし何の夢だかさっぱり解釈のしようがない。姉達が皆出てくる夢はあまり良かったためしがないが、では悪い夢かというとそんな気もせず、研究所からの続きで夢日記をつけている私はしきりと解釈を試みる。おそらくは昨夜見た『菜の花診療所』の徳永進医師のせいだろう。ホスピスケアをやっているということは知っていたし、著書があることも知っていたが、どんな所か、どんな人かは全然知らなかった。テレビに登場する人というと、いくらいいことを言っていてもどうも私のようなへそ曲がりはどこかに胡散臭いものを感じてしまうものだが、徳永先生にはそれを全く感じなかった。人格然り、やってること、言ってること、すべてに好感が持てた。野の花診療所とか、渋民の慈光さんのお寺とか、人間が人間らしく最後まで生き、そして死ぬことを教えてくれる。老人の考え方次第で日本は少しは救われる。
2011.12.16

皆既月食は見られなかったけれど 往く手に月。やがて背中から朝がやって来た。
2011.12.12

誰も来ない山。知らぬまに秋は過ぎて 道は早や冬色。ざくろだらけの岩や石ころを踏んで谷筋を行く。キーキーキーと 鳥なのか 動物なのか 姿なく 谷の番人みたいな鳴き声。 大きいこげ茶も小粒の茶色も灰鉄柘榴。なんとも贅沢な登山道だ。
2011.12.02
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