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朔太郎に 地面の底に顔があらはれ、 さみしい病人の顔があらはれという詩がある。中也には ホラホラ、これが僕の骨だというのがある。昨夜のこと。目を閉じていたらなにやら額が明るくなって来て例の鏡になった。おぼろげに見え出したのはまたしても指。二十か三十か、沢山の指先。パッと明るくなって驚いたことに、手が出ているのは砂地のような地面。地面からは腕から先だけが出ていて、指先がしきりと合掌を繰り返していた。咄嗟に朔太郎や中也の詩が浮かび、何だろうと考えている間に鏡は暗くなった。なおも目を閉じたままでいると、中央に眩いばかりの金色の光が現れた。あまりに眩しかったので凝視できなかったが、衣を纏っていた。黄金の顔、黄金の衣。如来だ!いっこう神様仏様を覚えない私には何如来様かは言えないが仏像の輝き!が、すぐに消えて、鏡も消えた。なんだろう?考える。なんだろう?朝起きても考える。あの合掌は祈りか必死で救いを求める声なき声か
2011.11.30
昭和27年か8年かくらいの『サロメ』らしいです。 さて私は誰でしょう? こんな写真を見つけて楽しくなって。 でも『サロメ』といえば やっぱりビアズレーでしょう! 画集にはこんなシーンは無かったような。。。 素敵といえば素敵。気味悪いといえば気味悪い。 ビアズレー秘密画集を何十年ぶりかで開いてみる。
2011.11.22
信楽にあるMIHO MUSEUMの陳列品は凄いと聞くが、あれは神慈秀明会のものでしょう。茂吉さんの箱根みたいなものかな?しかしこの雨足では流石になにも出来ないなぁ。猫たちと蒲団で丸くなる。
2011.11.19
25歳か27歳ではなかったかしらん?王様になったのは。今まだ王様は31歳という若さなのになんと素晴らしい!慈愛に満ちた顔がいい。物腰がいい。有り難さに涙が出る。あの雰囲気を見習わねば!誰の心にも龍がいる。龍は経験を食べて大きくなる。その大きくなった龍を自分で制御できるような人間にならなければいけない。とは!原発事故の福島の人達に、大震災で傷ついた人達に、とりわけ子供達に、その言葉は強い余韻を残したに違いない。放映されたその言葉を聞いた者の心にもまた。女子バレー最終戦。一番最後しか見られなくて残念!でもやってくれました。このチームはいいという予感が当たり、ブータンの王様のお顔もテレビ画面ながら拝見し、今夜は上等の気分。
2011.11.18
福来博士が講義をされていた頃の高野山時報を読みたいのだけれども侭ならず、たまに高野山大学論叢を開く。おかしなものだ。高野山と名が付くと先入観が先に立つのだろう、目次に文学論なるものを見つけると指先がひとりでに止まる。英・米・露・仏・などの海外文学論となると尚更に。しかし空点・色点・無点・幻点とは。いかにも高野山学徒らしい視点ではないか。面白そうではある。けれども文学から遠ざかっている私は、密教的観点からの海外文学論なんか今ではすっかり飛ばしてしまい、やっぱり日本の文学論に目は落ち着いてしまう。読みたかったのは岡山の、今生きてれば百歳はゆうに超している間野捷魯という詩人について書かれたもの。間野捷魯は『鬣(たてがみ)』という、私なんぞその漢字を書けと言われたらとても書けそうにない題名の同人誌を主宰していた。中央詩壇からすればどうでもいいような存在の地方同人誌『鬣』が少しでも有名になったのは、高村光太郎『智恵子抄』に収められている『美の監禁に手渡す者』の発出が、実は『鬣』だったということにある。なに、驚くことはない。私は光太郎をあまり沢山は読んでいないから光太郎像を確実に描くまでには至らないが、光太郎は実に律儀というか、何と言うか、頼まれれば、頼まれなくとも、名もない詩人達、文学者と丁寧な付き合いを人知れず続けていた。だから思わぬ所で、思わぬ時に光太郎の手紙、葉書、詩稿など、その達者な筆跡にお目にかかったりする。田舎詩人の多くは光太郎に憧れがあった。そのヒューマニズムに尊敬の念を持っていた。けれど、私は犀星が光太郎に感じたものが、もっとも光太郎という人を的確に著していると思う者で、間野捷魯という人もまた犀星と同じようなことを感じたとしても、それは光太郎には致し方のないことだった。そこで初めて間野捷魯という人間が、孤高への道を意識的に歩き始めたのだと考えることも出来るわけだ。青空に翔ぶ鷹。厳しい孤独。本来自由である筈の生き物。自らの慰めの為に動物園の金網の中に軟禁する人間。中国山脈渓谷部出身とあるが、鷹や鮎の詩からすると高梁であるらしい。今だ化石も採集出来る高梁川の鮎を しみじみと産卵したいのだ と謳い、貧しい地域の持つ劣悪な労働条件の中でも しみじみと 納得のいく 仕事、納得のいく人生を歩こうと、若き日、決意していたらしいことが伺い知れる。貧しさ故に 厳しさ故に 凛として生きられた時代というものもそこにあった。高梁は私の好きなところのひとつ。もう少し読んでみよう。
2011.11.18
アサヒグラフだったか、毎日グラフだったか、民たちと一緒に楽しげに田植えをされている王様達の写真を見たことがあった。ブータン王宮には誰でも入ることが出来た。民と王室との間に垣根はなかった。かつては日本もそのような国だった。塀を高く、より強固に。それはヤマト人の発想ではないと先生が言われたことがあったが、ブータンは垣根のない国だと、その写真を思いだす時はなんとなく幸せな気分になった。何年か前、ブッダの生まれ変わりだと言われた王様が、収穫祭だったのか、そこに居合わせた民衆一人一人に、この豊穣、豊な実りをもたらしてくれた国民に感謝してと、手をあわせ、酒を注いで廻る姿が放映されていた。美しい光景からは目が離れない。そしてやっぱり、あのグラフ写真を思い出した。あれは現天皇がまだ皇太子だった頃、美智子様とブータンをご訪問された時のものだった。ブータン万歳!現王様。文明の機器やネット社会の毒に負けるな。時代に取り残されるとか、経済の発展とか、アホのひとつ覚えの『グローバル化』なんて言葉に強迫されているような国々の真似をすることはないよね。ブータンみたいな国を創ろう!人口はその十分の一、百分の一でいいから、なんていう人で、それなりの朴人がいたら、はい、喜んで命捧げたいですね。ブータンの記事を読んだので、つい。ブータン大好き。
2011.11.17

みたらい渓谷の秋にあわせて309号開通なる。しかし・・・流石に白倉沢出合ともなるとハイキング姿の熟年の姿もちらほら、車も何台か停めてあるが、今年の渓谷の秋はなんだか色褪せて見える。凛とした空気の中では紅葉は鮮やかさを増すのに、秋が来ないまま冬になってしまったかのような白倉沢からの谷沿いの道を行く。枯れ葉舞う道、寒々とした樹々の間を行く車は私の一台だけ。道は冬季閉鎖ゲートへと続く。寒かった!十津川、大塔、天川なんて、僅かのニ三十年前までは近畿の秘境と言われていたんだものね。今は一部世界遺産だけど。人家、ひと気がないと本当に寒い。川沿いの風も、谷から吹きあげる風も早や冬色の風で、吐いた息が白かった。
2011.11.16
熟れたかりんの実がひとつ落ちて、銀杏の黄色、紅葉の赤、禅寺の秋はいつもの秋と変わらなかった。どこぞの勿体ぶった寺と違って本堂は今日も気持ちよくご開帳。お地蔵様はやっぱり片目で、何事かを語るようにこちらをご覧になるのもいつも通り。しかし・・・あの山の荒れ具合はどうだ。何年御無沙汰だったのか。どうして山道に水が流れるようになったのか?そこを守る里の会が、もう相当昔にわからなくなってしまっただろう小さな水路や枯れ沢を整備しているような形跡。その一方で崩落してきたらしい大岩、倒木、ずっと続くドロドロ道。知らない人が見たら大地震のあとか、台風の後かと思うだろうが、そこは台風があってもそこまでやられる場所ではない。なんだろう、あの荒れ具合は。仙人かと思った人はもういる筈もなく、仕事をすっかり終えてしまった場所にはほったて小屋のみすぼらしい屋根だけが見えて、あの冬は凍っていた滝を降りると、小屋には作業に使っていた道具類が錆びて残っていた。よじ登った崖はもうどこが崖か判らず、岩肌はすっかり蔦だらけになっていた。斜面に植えられた人間好みの物たちは、案の定蜜柑も桜も梅も少しも育たず、山の植物だけが圧倒的に強いことを見せ付けていた。どうしてあの一帯だけ道も滝もセメントを塗らなければならなかったのか、そんなもので少しばかり囲ってみた所で、飽きず毎日手入れをしない限りは、あの自然の力に打ち勝てるわけがないことはわかるだろうに、あんなことをしてくれたおかげで崖は昇り辛くなり、枯葉の座布団へは遠回りをしなければ行きつけなくなった。哀しかったあの秋、あの冬。ぱっと視界が開けたようなそこに、なぜともなく誘われたのは今となれば奇跡のようだ。そこがその同じ場所だとは私だとて信じがたいくらいだった。しかし谷を登りつめるとそこだけは僅かに面影が残っていて、しばし遊んでみた。祭壇らしきものがあった所はもうそこだったし、反対の崖の石組の仕様も見てみたかったが、自然というのは人間の手が入らなければ相当に薄気味悪いもので、そこは見上げただけで止めた。沸石。沸石なんてありそうもなかった。帰りながらあの粋な店が今日はなぜ開いているのかと考えた。多分誰か予約を入れた者がいたのだろう、それとも身内の慶事か。しかし、あの石切り場ももう閉鎖してしまったのか、切り出された岩の上ももう蔦だらけで、知らない人が見たらただの山の中腹にしか見えない。麓の石切り場も同様。なんだろう?どうして石切の石切り場や石屋が寂れているんだろう?私が全然ここまで足を延ばさなかった二年か三年の間にこの山だけに異変があったとか?まさかね~ここは大阪だよ~。
2011.11.10
昨日のまるい月を思い出して 久しぶりに書写など。持ち出したくなった詩集は やはり 語彙豊かな 有明 露風。今日は『白月』。 照る月のかげ満ちて 雁がねの棹も見えずよ 我思う果も知らずよ ただ白し秋の月夜は ふと風の音冴えて 秋草の虫がすだくぞ 何やらん心も泣くぞ なき明せ秋の月夜は
2011.11.09
ゴッホはおカラス様を見た。そして描いた。誰にでも見えるものではない天上からの使者。だからあれが自殺だろうと他殺だろうと、紛れもなく美しく昇天したのだと。私はその話を信じる。絵と映画に明け暮れた我が旦那様の青春に『モンパルナスの灯』があった。モジが好きだと言った。モジの絵が一等好きだったわけではないが、見たものを見たままに描きたいわけではないと言ったモジが好きだったのだろう。ものは見ようとした時にはじめて見えてくる写実に写実を重ね、あるものをあるがままに、見えたものを見えたままに描くことで、その奥にあのものが見え出す。写実に写実を重ねるところに超現実がある。礒江毅の哲学らしいが、それはそうだと私も思うが、私はしきりと主人が言ったモジのことを思い出していた。そして鴨居玲の絵の前で涙がとめどなく流れてきて立ち止まって泣いた日のことを。私は随分長い間、西洋の画家達のあの写真ではないかと見紛うような絵に畏敬の念を抱いてきたが、それは恐るべき根気が伴うにしても、主人の言っていたような西洋人独特の持って生まれた審美眼、繊細な指先感覚ではなく、手法であることが初めてわかって、なんとなく安堵した。礒江の初期のデッサン群を見れば、それは私達がよく知っている種のデッサンであり、明らかにスペイン時代のそれではない。学んだ手法で、ただ対象を見続け、模写に模写を重ねた。礒江の作品は絶対といってもいいくらい油彩より鉛筆に水彩といったモノクロ調のものがいい。油彩でもその色彩の淡い方がいい。私はずっと魚や鶏や大根や果物や、静物を微細に描いてみせる画家の心情がよくわからなかったが、ここまで写実が凄いと、画家がなぜそんなものを描こうとするのかがなんとなく納得されたような気分になった。四枚も五枚も広げられ重ねられた古新聞の上に描かれた裸女。新聞の小さな一文字一文字まで、皺具合、古さの濃淡まで。誰もが感嘆し、そのように描いてみたいと思う者なら誰もが舌を巻くだろう。まるで宙に浮いているかのようなクッションの裸女の前では皆が足を長くとどめるだろう。見事な絵の連続で、会場の途中でよく見かける退屈そうな面持ちの者は一人もいない。そういう意味では満足のいく良い展覧会ではあった。帰る前に図録を買おうどうかと迷って主人に聞くと、「いらん」と即座の返答。だろうとは思ったが。「また見に来るかって聞かれたら来んやろ?一回観たら十分や」「さいですね」会場を出ると雨足は少し強くなっていた。「持ってる魂みたいなもんが全然違うやろ?」上手いことと魂が打ち震えるような感動とは違う。美しい声で上手く歌うことと、心に忍び込んでホロホロと泣かせる歌声とは違う。そんな思いにとらわれる時、私はいつもベートーベン先生を思い出す。何ゆえに私は作曲するか。私が思っていること、それが表にでなければならない。私が作曲するのはそのためである。
2011.11.06
リーダーたるもの はっきりとものを喋るべし。日本の政治家はもうずっと理解不可能な日本語ばかりを喋っている。あれやこれやの意見に耳傾けることと、簡潔明瞭、指針となる言葉とは相反するものではない。ああいう意見もある、こういう意見もある、でありますからしてうんたらかんたら。。。質問には「はい」か「いいえ」かで明確に答えるべし。政治家さんともなれば学校では随分いい成績だったに違いないのに、そんなんじゃ小学校のテストでも×点しかもらえないぞ~。「遠まわしの言い方しか出来ない、断定的なこと言えない奴は、なにかって時は言い訳用意してる奴で、要は責任取れない奴です!」これはMさんが会社の上司に怒って言った言葉。お~、それにしても真夏のような空。暑い!こんな日に朝から拠所ない用事。石切まではそこが早いかと暗がり峠を越えてみた。生駒は奈良の方はたおやかでも大阪側は急峻というのは本当。路傍にお地蔵さんの姿を見ながらいい気分で走っていると間もなく聞きしにまさる急坂へ。勾配度日本一?十三峠は直登でも九十九折だが、暗がり峠は車一台がやっとの直下型急カーブの連続。ブレーキ踏みっぱなしで汗が出た。信号はなし。対向車が一台も来なかったから良かったものの、あんな道は絶対バック出来ない。やっぱり暗がり峠は歩くに限る。この天気に誘われてか、ちらりほらりとハイカーの姿。でも皆奈良の方から。昔の商人さんが大阪で荷をこしらえるっていうのがなんとも。御苦労様でしたとしか言いようがない。ということで宝山寺界隈が賑わった。歓喜天下、今も面影だけは残る。しかしこう暑くっちゃ、ついでのついでにと思っていた直越からの枯葉の座布団へは訪ねてみる気が失せてしまった。近頃著しく悪くなった目には陽の光が痛すぎて、崖なんかとても登る気にはならなかった。祝詞奏上はまた今度。沸石採集もまた今度。ニギハヤヒ山ももっと寒くなってからにしよう。予定がどんどんずれてくる。
2011.11.01
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