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人間というのは実に不思議なもので、普通にしていれば順調に成長できそうなところを、敢えて右へ行ったり左へ行ったり急にUターンしてみたり、そんな風に落ち着きがなく、なにかと紆余曲折をへながら年齢を重ねてゆく生き物。当然、僕も例外ではなく、いえ、例外でないというより、上に挙げた不思議な生き物の代表格のような人間だったりします。---私はたいした人間ではない。毎日、愚かさから脱しようともがいている。---(ル・コルビュジェ LE CORBUSIER(20世紀に最も影響力のあったフランス人建築家))上に記したコルビュジェの言葉に、これまで何度勇気付けられたことか。(そうだ、自分だけじゃないんだ。きっと多くの人が、その人なりの人生の中で、どうにか人生をよいものにしたいと、もがいているのだろう)20代の頃、そんな風に自分に言い聞かせることで、過度に自己嫌悪に陥らずに済み、不器用ながらも前に進むことができたものでした。だけれど今の自分は、以前ほどには、このル・コルビュジェの言葉に共鳴できなくなっている。それは何故か?20代という感情の浮き沈みの激しい季節と現在をつなぐ30代の終わりに到るまでの架け橋の中で、様々な多々なる意義深い発見や気付きがあったからです。単刀直入にいえば、次のようなことになります。「人生というのは、実は、自分が想っている以上に、遥かにシンプルに、そしてスマートに、穏やかで豊かなものの連続として過ごすことが出来るものなのではないのだろうか」そうした内なる問いかけと模索、これに尽きます。現在の自分は、そのような模索の日々の中で、日々訪れる僅かながらの発見や気付きの集積を、何とか自分なりに自分の人生の中で善き方向に活かそうと努め、生きている。過去よりも、今よりも、近い未来に、スマートな生き方を実践できるようにと願いながら。まあ、単なる屁理屈かもしれませんけれども、こうした、もがき、こそが人間を人間たらしめているといえるかもしれない。さて、話を変えて。今日は仕事中に車を走らせていたところ、素晴らしい風景と出会いました。それはなんの変哲もない、実にありふれた田園風景。息をのむほどの神々しさに包まれたように感じ、思わず車を止めて、しばし、その風景に見とれてしまいました。ありふれた太陽の光が、こんなにも金色に美しく降り注ぎ、その光を受けて、稲穂は透き通りながら内も外も輝いている。美しさと生命のダイナミズムに溢れている。なんて素晴らしい風景なのだろう。とても感動しました。田舎に住んでいると、時折、こうした実にありふれた風景から、とても大事なものを教えられるのです。たとえば今日に目にした素晴らしい風景から、こんなことを想いました。「自然界の色彩というのは、なんて美しいんだろう」勿論、人口的なデザインにて描かれる色彩も人に感動を与えます。にもかかわらず、大自然の中に散りばめられた魔法の如き圧倒的な色彩の洪水の前には、そうした人工的なものは途端に色褪せてしまうように思えることも事実。では、どうして、変哲もないありふれた田園風景が、これほどまでに人の心に迫るのか?それは、きっと、全ての命を根底から支え未来へ向かって進ませている何か、神々しい何か、生命を生命たらしめているこの世の摂理のような何かが隅々にまで宿り、行き渡り、光り輝いているからなのでしょう。こうした清涼感と共振できる瞬間というのが、僕にとっての、生きる喜びの最大なるもののひとつであることは間違いありません。そして、自分の日々の愚かさを軌道修正させられる瞬間でもあります。人間は自然から、途方もないほどに大きなものを学びます。自分が考える以上に、それはとても大きいのだと思います。だって、自然という文字を見てください。自分という文字と一文字違いです。上手く説明できなくて歯がゆいのですが(笑)、この、一文字しか違わないというところに、両者を隔て、同時に、両者をつなぐ大切な真実が隠されているような気がします。自然という文字からは、大地から根が幾つも伸びて何らかの確かな事象へ実を結ぼうとする力強さを喚起させられます。一方、自分という文字は、自然そのまま大地から伸びた無数の根や収穫を己が他者に向けて果てしなく分ける、ということの限りない豊かさを内包しているように思わずにいられません。そのように思えば、とても大きな勇気が沸いてくるというものでしょう?僕自身、自分も、そのように生きてゆきたいです。では、また次回の日記で逢いましょう。>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 現代人は、自分達が自然の一部であるという、ごく当たり前のことを忘れがちになるものです。そこらへんのことに目をむけ、内なる命の流れを修正させてくれるべく、時に大自然は大いなる風景へと人をいざないます。そして、自然もしくは宇宙に流れ続けるエネルギーが、自然と共に、自然に抱かれ、長い歴史をかけて歩んでいた人間の知恵と努力(稲作における食文化)の結晶に、崇高な光を添えてたからものを与えてくれるのだと思います。芸術の秋なんていいますが、芸術だって何だって、自然からの偉大な恵みなくして自ら美しさを内包することはできないもの。そんな風なことを念頭に置きながら、これからしばらくの間、実りの秋を感じたいなあと考えています。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2009.09.18

宇宙からの限りない慈愛のエネルギーと、この地上で時折訪れる途方もない哀しみが回転木馬のようにめぐりめぐるのが人生。誰にだっていろんなことがある。当たり前の話だ。けども、自暴自棄になって命を捨ててしまってはいけません。人間は誰しも、手塚治の漫画「火の鳥」の主人公の一人である我王のように、必死に生き延びてゆこうと我に殴りかかるように決意し生きてゆかなければいけない。それが、生きる、ということなのだから。今日に書店で目にした本の表紙に記されていた事柄。日本における自殺者の数が、三期連続で年間3万人に上ったそうです。こういうことを知ると心が痛みますね。痛むと共に、実に複雑な想いがします。いやあ、なんというか、実に暗い話題で申し訳ないんだけれども、たまには、こういうことも心の片隅にでも置いて、現在の日本の状況を考えることも大事なことだと思います。さて、話は変わりますが、僕の友人に、ドイツ人女性と結婚した人がいます。その友人自身が子供の頃から何となくドイツ人みたいな感じの人なので、この結婚にはまるで違和感は感じませんでした。類は友を呼ぶというか、愛は国境を越えるというべきか。僕自身はドイツの人には今まであまり親近感を抱いたことはありません。フランス人かイタリア人と結婚したいなあと考えたことは、過去にあります。ヨーロッパを旅していた頃の話。で、ドイツという国は自殺率が高いんですよ。以前、デッサウというドイツの町を旅していた時、ふと、ドイツの自殺率の高さに纏わるエトセトラを思い出したんですよね。デッサウといえばバウハウスで有名な町。このデッサウという町には色んな都市伝説みたいなのがあって、非常に自殺者が多いと、まあそういう伝説、というより事実なんですが、これは実際にデッサウという町にいけば、町の空気として何となく理解できるような気がします。実に鬱々とした空気が町全体を覆っているからです。その原因として建築史家なんかがよく言うのが、バウハウスが行った近代建築の根底にあった思想やデザインの実験と人間生活との間に発生する軋轢の姿そのもの、となるのかもしれません。でも、どうなんでしょうね。僕にはそればかりではないように思えたことは事実。何故って?鬱々としているのは、別にデッサウばかりではなかったからです。ベルリンだってシュタットガルトだってケルンだって、いや、どこだって皆、ドイツという国自体が他のイタリアやフランスなどのヨーロッパ諸国に比すれば病的に鬱々としているように感じられて仕方がなかったから。でも、やはり、日本人と似ているなあと思えて仕方がない部分も多々あるように思えたこともまた事実でした。なんというか・・・・・考えすぎるんでしょうね、きっと。民族性として。なんとなく、そんな気がする。なんてことを、『素粒子』というドイツ映画を観ながら想いました。涙が止まらないほど、切なくなる映画・・・。堰を切ったように涙が止まらなくなる映画です。人生の色んな機微、不確かさ、人間の滑稽さと愛らしさの全てに向き合いながら、涙があふれる。かなり色んなことを考えてしまう映画です。『素粒子』http://item.rakuten.co.jp/mammoth-video/10009327/ヨーロッパ中で凄まじいまでの反響を巻き起こしたミシェル・ウエルベックのベストセラー小説の映画化!現代社会の恐ろしいほどの愛の欠如と絶望感を、ユーモアと悲哀を交えて痛烈に描いた問題の恋愛劇! (楽天市場商品解説文章より転載) 今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『秋のはじまりに神々しい光と色彩、命の流れ、豊かな実りを感じた一日』←クリック!上にリンクを貼った日記への感想をお待ちしています。今日の日記への書き込みは御遠慮願います
2009.09.17

主人公である2人の男女。純朴そうな青年と、彼に恋する言葉を話さない不思議な少女。この映画の何が素晴らしいかって、それは舞台となる自然の雄大さとか色々あるけれど、なんといっても主人公の一人である言葉を話さない少女のピュアな美しさが際立っている。「なんで、このコ、こんなにも素敵な表情をしてるんだろう?」そう思いながら映画を見ていると、ふと、きづくのです。ああ、そうか。このコは、恋をしているんだな。と。恋をすると、人は、美しくなる。そして、ピュアになる。ということで、皆さん、是非この映画を観て、感動しましょう。この、実に素晴らしい名作映画を観て心の底から超感動し、男は逞しさを身につけ、女性達は今よりももっとキレイになっちゃいましょう。『天上の恋人』http://item.rakuten.co.jp/joshin-cddvd/4988102353032/. 2009.09.25日記さて以下に、先日に発信した素晴らしい日本映画に纏わる日記文章を復刻します。------------------------------------------新宿区歌舞伎町保育園 2009.09.23日記------------------------------------------歌舞伎町に保育園?!?!、って一体どういうこと?なんて思ったんですが、意外にも、心に染み入る、とても素晴らしい映画でした。『新宿区歌舞伎町保育園』基本的にコメディ映画。笑いの中に、涙腺を刺激され、つい、ホロリとしてしまう感動的なシーンが多々あります。何度も繰り返し観たくなる、そんな名作だと思いました。生きる目的もないまま刹那的に生きるホスト達が、ある日偶然に目の前に現れた若い女性から小さな赤ん坊を預けられ、その女性は逃走。途方に暮れるホストたち・・・。仕方がないので、おしめを取り替えたり、哺乳瓶でミルクを与えたりしているうちに、自分の中の何かが変化してゆく。そして、何の因果か、歌舞伎町で働く若いママさんたちも小さな子供を強引に彼らに預けるようになり、ホストたちは戸惑いながらも、目の前の子供達の世話をしながら、今まで感じたことのなかった生き甲斐に目覚めてゆきます。ある日、保育園を開業しようと決意した彼らの前に、様々な壁が立ちふさがり・・・・・・・。そんな風な物語です。かなりホロリとさせられる映画ですよ。勿論、基本的にはコメディ映画なので抱腹絶倒の笑いが最初から最後まで用意されてあり、それだけでも十分に楽しめること必至。笑えて泣ける、素晴らしい映画。とても感動しました。http://item.rakuten.co.jp/asahi-record/00000933511/ミュージカル『テニスの王子様』のスタッフ&キャストによる青春コメディ。歌舞伎町のど真ん中に“ホスト保育園”を開業した3人の元ホストたち。行き場のない子供たちとの交流の中で、成長していく彼らの姿を描く。(楽天市場商品解説文章より転載) 今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『秋のはじまりに神々しい光と色彩、命の流れ、豊かな実りを感じた一日』←クリック!上にリンクを貼った日記への感想をお待ちしています。今日の日記への書き込みは御遠慮願います
2009.09.17

若い時に全然分からなかったことでも、歳を重ね、忘れた頃になって、自然と理解できてくることっていっぱいあるものです。そういうことって、いっぱいあります。生き急ぐ必要なんて、本当はどこにもないのです。とは言っても、そういことって、ある程度の年齢に達してはじめて口にすることが出来ることでもある。若い時に、多くの人が若気の至りの如く悩んだり、身勝手な性急さを持て余したりすることも、自然なことなのかもしれない。それで、昨夜の日記の補足。どうして僕が、今よりもずっと若かった頃に、大金と途方もなく大きな名声がほしいと考えていたのかというと、それは実に単純な話でした。有り余るほどのお金があれば、自分で好きなようにデザインした最高の建物が作れると考えたことが、ひとつ。自らがクライアントになるのですから、これは文字通り、好き勝手に作ることが出来るわけです。現に、そうした富豪と建築家を兼ねた人って外国とかには存在するんですよ。建築が好きな人なら、皆、そういうことに憧れるものなんです。そして、もうひとつ。何にも不自由しないほどの大金があれば、世界中を旅することが出来ると考えていたことが、ひとつ。旅するに必要な大金を貯めるために何年も現場労働で血と汗を流しながら大金を貯める暇があるのだったら、一攫千金でも何でもいいから、有り余るほどの大金が手元にあった方がいいじゃないか・・・そんな実に安直な発想でした。あと、途方もない名声がほしいなあと考えていたことの理由とは、これもまた実に安直な発想。ジャッキー・チェンとか、ああいう有名な人って、音楽家でもないのにレコードを出したりしますよね。で、大きな名声があったら簡単に、自分の作った音楽がレコードになって世界中に発売される。稚拙すぎる発想だけれど、なんとなくそんな風に考えていたのでした。今、考えると、我ながら、すっごいバカだなあって思います(爆)。でも、それが若気の至りというものです。好き勝手に、次々と、自分が願ったことが叶えられるのであれば、それって幸福なことでしょうか?バカを言ってはいけません。社会のしがらみの中で、どうすれば自分の願いに近づくことが出来るか?そういうことを、ない頭をふりしぼりながら日々考え続けることの中で、少しずつ鍛えられてゆく内面の成長というものこそが、真の意味で、たからものなわけです。こういうことって、ある程度の年齢に達さないと理解出来ないことのような気がします。さて、日記の冒頭に記したことに話を戻しましょう。若い時に全然分からなかったことでも、歳を重ね、忘れた頃になって、自然と理解できてくることっていっぱいあるものです。そういうことって、いっぱいあります。という話でした。本当、そういうことって、いっぱいあるものです。おそらく誰にとっても。たとえば昔、こんな風な不思議な体験が沢山あったんだけども、どうしてそんな風なことが身の周りに起こるか皆目わからない・・・そんな風に腕を組みながら考え込んだことって誰にでもあるでしょう?。ないと、おかしいですよ。でも、だいたいが、それなりに歳を取ってくると、多くの人が、どこどこの誰々の本に書いてあったから、というのではなしに、自然と、多くのことが腑に落ちて理解出来てくるというものなんです。だから、歳を重ねることって、別に悪いことじゃない。いや、むしろ、素晴らしいことである。老けたって、いいじゃないか(笑)。いたずらに老けてゆくわけではないのだから。大事な意味があって、皆、老けてゆくわけです。そんな風に想う今日この頃です。 今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『秋のはじまりに神々しい光と色彩、命の流れ、豊かな実りを感じた一日』←クリック!上にリンクを貼った日記への感想を沢山お待ちしています。今日の日記への書き込みは御遠慮願います
2009.09.17
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