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映画の世界において、恋愛映画やミュージカル映画というのは、とても人気がある。それらの映画における、理屈ぬきに心が躍るシーンの連続の中に、人は何を求めるのでしょう?たぶん、それは上質な夢やロマンス。きっと人は、日常生活の中で心に溜まった垢を、それらの映画に感動することで洗い落とす。だから、人は良質な恋愛映画やミュージカル映画に魅了されるのだと思います。こういうことって映画の世界に限らず、小説や詩あるいは音楽などにも同じようなことがいえるでしょう。素晴らしい物語というのは、それが映画であれ本であれ音楽であれ、人の心を洗いキレイにしてくれます。親が小さな子供に絵本を読んで聞かせてあげることにも、上にあげたようなことは同様にいえます。絵本の中の物語を読み聞かせることによって、親は子に、生きる上でとても大切なことを教えているのです。小さな子供を膝の上にのせながら、親が子に絵本を読んで聞かせてあげるということで教えることが出来るのは、愛情の大切さ。あたたかな体温を伴い親の声から伝わってくる短い物語の中から、小さな子は果てしなく大きな旅へいざなわれます。そして、その物語にこめられた作家の願いやメッセージを通じて、子は親の手の中で、幼いなりにも愛を学んでゆく。だけど、大人になると人は、いつしか、こうした人と人との間に生まれる、あたたかなつながりの大切さを忘れがちになってしまうものです。そんな風に、とても大切な何かを忘れそうになった時にはどうすればよいのでしょう?。病は気から、といいますよね。最近、梅雨の影響だろうか何だか心が不安定だなあ、とか、肩がとても凝るなあ、そんな風に感じることがあったなら、手っ取り早い方法として、絵本を読むといいですよ。気の部分に滞っていた何かが、澱んでいた何かが、中和され、さらさらとなってゆくのが自分でわかるはずです。というのも僕自身、書店などで偶然に絵本を手にとって、それを読み始めたことで、肩の力が不思議なほどに抜けて、体が軽くなるようなことって沢山あるからなんです。心が疲れたら、絵本を読むに限ります。絵本には、人と人との間に生まれる、あたたかな愛情の結晶が、最良の温度でこめられているからです。そうした愛情の結晶・最良の温度が、絵本を読む者の心に、あたたかさを運び、その人の心の中のほころびを、そっと修正してくれる。このような上質な愛情の結晶としての、上質な映画や本や音楽、時に絵本といった諸々の芸術作品に触れ続ける限り、人は自分の心をキレイに磨き続けることができます。そして、いつまでも、そこに触れる人の心の中に、愛は枯れることなく流れ続けてゆきます。どうして人には愛が必要なのでしょう?。時代性に関係なく、命が未来に運ばれるために必要で重要な普遍的テーマに深くつながっているからです。おそらく何千年も前の時代に生きていた人たちも、それを考えていたでしょうし、何千年先に生きる人たちも同様に、同じことを考え続けるはず。そもそも、愛って、何だと思いますか?。正直いって、僕にもよく分かりません。しかし、ただ、愛とは理屈ではないことだけは確かだと思います。きっと、愛とは、プラスの方向に作用する(もしくは作用させる)命のエネルギーのことです。人にとって、愛というのは、とてもとても大事なものです。枯れることのない泉のように、永遠へ向かい流れ続ける命のメロディが神々しく奏でる至上のエネルギー。それがないと個体である人間一人一人ばかりでなく、社会全体が健やかさを失うでしょう。よく、体を温めれば健康になるって言いますよね。それは、心だって同じこと。冷え込んだ心を温め回復へ向かわせ、人に笑顔を運び、永遠の命の流れに近づけさせてくれるもの、それが、愛なのです。 では、また次回の日記で逢いましょう。>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 前回の日記中で予告していた、赤ちゃんと母親との良き関係性についてのお話は、次回の日記に綴ることにします。文章が非常に長くて文字数制限を遥かにオーバーしてしまったということも理由のひとつですが、それに加えて、日記を読む人にとっても、あんまり長い文章を読まされるのは大変だろうなあと想像するからです(爆)。よって、いくつかの短い文章に分けて、以降に少しずつ日記発信してゆきたく思う次第です。それはそうと、7月21日は僕の誕生日です♪^^奇しくも自民党の解散が行われる予定日と重なってしまいますが(笑)、兎にも角にも、誕生日なのです。「ああ、またひとつ歳をとってしまった・・・やだなあ(爆)」というのは本音だったりもするんですが、これを機に、これからは一つ一つ歳を重ねることに喜びを感じるような、そんな人生にしてゆきたいなあとも考えを新たにしています。ということで、これからもルカの街並ブログをどうぞ宜しく御願いします。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2009.07.20

雨が続いていて少し憂鬱と思っていた矢先、とても感動するお話に出逢いました。全盲のピアニストのお話です。それは、辻井伸行さんという若者が某国際ピアノ・コンクールで優勝した際のお話でした。「THE21」という雑誌を仕事後に立ち寄った書店で立ち読みしていて、そのお話を知ったんです。その記事を読みながら、あまりにも心を打たれてしまい、涙が出そうでした。コンクールで優勝した後に行われた記者会見で、一人の記者が無神経と思える質問を辻井さんにしたそうです。それは、目が見えない一人の若者に対して、あまりにも心無い質問であると思えるほどに無神経で粗暴な質問であったといいます。「もし、一日だけ目が見える日があったら、一番見たいのは何ですか?」一人の記者が、そんな質問を投げかけたというのです。しかし、辻井さんは笑顔で、その記者からの質問に答えたそうです。以下に、その記者会見における辻井さんの受け答えを紹介した記事内容からの抜粋を太文字で記しましょう。「お母さんとお父さんの顔がみてみたいです。友達の顔や星、海や花火もみてみたい。でも、いまは、心の目でみているので十分に満足しています。」この、辻井さんの受け答えを読み、思わず目頭が熱くなりました。(なんて、ピュアな心を持った青年なんだ!)と。THE21という雑誌の記事に掲載された記事文章には、他に、このようなエピソードが記されていました。辻井さんのお母さんは、辻井さんが生まれた後に、自分の子供が全盲で生まれてきたということを知り、あまりのショックで悩み、自分の子の未来を案じるあまり、子供と一緒に自分も死のうと考えたこともあったといいます。その後に、どのように試練を乗り越えながら、この親子が愛情を育み進んできたのかは、その詳細については記事中で記されてはいなかったのですが、相当の苦労の連続だったことと想像します。兎にも角にも、幾多の試練の末に勝ち取った国際コンクールにおける優勝という、日本人初の快挙を成し遂げた奇跡の物語には、胸が熱くならずにはいられませんでした。次回の日記でも、「愛」を喚起させる何らかの作品(映画、小説、音楽、なんでもあり!!~♪^^)に関して想いを馳せてみたいと思います。 今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『なぜ人には愛が必要なのか』 ←クリック!上にリンクを貼った日記への感想をお待ちしています。今日の日記への書き込みは御遠慮願います
2009.07.19

さよならしようと手をあげたら林檎の木の枝にさわった枝を手折ってやり場なくその花の白さを見つめているうちにきみの汽車はもういない・・・・・(寺山修司著『愛さないの愛せないの』より)僕には、”愛” というのが一体どんなものなのか、まだよくわからない。正直いって、まだよくわからない、というよりも、全然わからないといった方が正確でしょう。でも、そんな僕にとっても、わかることがあります。それは、愛というのは、心をあたため、穏やかな気持ちへいざなうだけのものではないということ。もっといってしまえば、きっと愛というのは、あたたかさ以上に、切なさや、やりきれなさといった、そんな感情、こらえきれないよな強い感情の上に成り立っているのかもしれない。たとえば、あなたが海へでかけたとします。海から吹いてくる風は、どんな匂いがしますか?蜜のように甘い匂いですか?そんなことはないでしょう。海から吹いてくる風は、涙のように、しょっぱいはずです。でも、それが時に甘く感じられるのは、そこに人が愛を想うからです。命の根源としての海に想いを馳せながら、永遠にただよう波の音に身をゆだね、穏やさへ心がいざなわれるからだと思います。次回の日記でも、「愛」を喚起させる何らかの作品(映画、小説、音楽、なんでもあり!!~♪^^)に関して想いを馳せてみたいと思います。 今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『なぜ人には愛が必要なのか』 ←クリック!上にリンクを貼った日記への感想をお待ちしています。今日の日記への書き込みは御遠慮願います
2009.07.19

随分前に、そんなタイトルの歌がありました。記憶違いでなければ、谷村有美さんの歌。どんな歌なのか思い出せません。というより、実際にその歌を聴いた記憶がなかったりもします。でも、とても素敵なタイトルだなあと思ったことは今でもよく憶えています。コチラの日記に書いたことと重複しますが、本当、自分の心をあたためてあげるって、とても大切なことですよ。なにか辛いことがあっても、落ち込むことがあっても、心を冷えたままにしてはいけません。自分の心の中の愛は元気だろうか?と、自分自身をいたわってあげるということって、とても大事なことです。だって、結局のところ、自分を大事にしてあげられるのは、最終的には、自分だから。自分の心の中の愛が元気かどうか、そこに瞳を向かわせることができる人には、他者の心を気遣う、あたたかな天使の眼差しが宿っています。愛は、それを内に大事にしている人にしか、他の人にも、愛を運ぶことは出来ないのかもしれません。 . 2009.07.21 23:18:53さて、今日の日記に追記する形で、今しがた読んだ物凄い日記を、以下に紹介させて下さい。『損して得をとる』 ←クリック☆次回の日記でも、「愛」を喚起させる何らかの作品(映画、小説、音楽、なんでもあり!!~♪^^)に関して想いを馳せてみたいと思います。 今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『なぜ人には愛が必要なのか』 ←クリック!上にリンクを貼った日記への感想をお待ちしています。今日の日記への書き込みは御遠慮願います
2009.07.19

小さな子供は、どんな時に不安を感じるでしょう?たとえば、小さな子供が街の中で親の手から離れてしまい迷子になっている状況があるとします。その時、その子が不安で泣きそうになるのは、親の姿が見えずに、どうしたらいいか分からないからです。しかし迷子になった子供も、親の姿を発見したら、不安から解き放たれるでしょう。そして、その子の心に宿った不安や悲しい感情は静かに消え、自然と微笑みに変わってゆくはず。こうした場合、小さな子供にとって親の存在というのは、地球にとっての太陽のようなもの。それから引き離されたら自分の中のエネルギーだって行き場を失うのです。小さな子供というのは、親との一体化を確認することで内なるエネルギーのバランスを図っているということが出来るのだと思います。思春期の少年少女は、どんな時に不安を感じるのでしょう?受験という言葉が重く心にのしかかる季節を生きる彼らの最大の不安材料は、やはり進学という言葉が象徴するように、近い将来に対する不安でしょう。あるいは学校によっては、イジメや学級崩壊といった実に現代的な不安要素が充満しているところもあるでしょう。そういう環境に身を置いている生徒であれば、受験や進学に加え、相当のストレスに苛まれるはず。下手したら勉強どころではなくなるかもしれません。そんな風に幾多の不安を抱えながら日々学問や部活動に励む彼らは、一体どんな時に己の内に巣食う不安を解消出来るのでしょうか?。僕自身の経験からいえば(個人的な話でしかないかもしれませんが)、親や最も身近な信頼出来る先生やクラスメートとの会話を通じて、内なる不安から開放されたように思い出します。親や先生や友人といった最も身近で信頼の置ける他者たちとのつながりの中で、なんとか不安に押し潰されずに済んだともいえます。子供と大人の間を季節を生きる者にとって、心の中に勇気が生まれて、少しずつ前に進めるのは、こういう関係性があってこそ、なのだと思います。大人は、どんな時に不安を感じるのでしょう?先行きが見え難い状況の中に身を置いている時、小さな子供や思春期の少年少女と同様に、やはり多くの大人達だって不安に駆られるはずです。たとえば会社をリストラされて再就職もままならない時。たとえば自分の恋人との関係が上手くいっていない時。たとえば結婚したパートナーとの間に不協和音が生じ、家庭崩壊に至ろうとしている時。たとえば巷で物騒な事件などが多発していて、日本の未来を案じながら動揺を禁じえない時。たとえば自分が高齢者になった時に果たして年金はもらえるのだろうか?もらえない確立の方が圧倒的に高いと考えた時。そのように、「たとえば~~の時」というのは、大人の世界だと、それはもう星の数といってもよく、小さな子供や思春期を生きる少年少女が抱える不安材料などとは比較出来ぬほどに多種多様なバリエーションで溢れています。そして、その解決策だって全てが一筋縄とはいかないでしょう。では、そんな時、大人は一体どうすれば良いのか?小さな子供と違って、親の姿を探せば、それがイコール不安材料を消すことにはなりません。大人の心に巣食う不安は、大人同士で解決のヒントを模索し、最終的には自分で答えを出すしかないのです。上記したような事柄を長々と述べたことには、ワケがあります。人生に不安材料というのは、年齢に関係なく、誰だって持っている。小さな子供でも、思春期の少年少女でも、大人達でも、皆、内に抱えている。不安という感情を誰もが年齢に関係なく持っているとして、それと同じように、不安を解消する最も大きな術も、また年齢に関係ない。つまり、こういうことです。「他者との心のつながり」の中で、人は自分の心の中に巣食う ”不安” という感情を鎮め、勇気の火を内に灯すことが出来るということ。このような問題の打開策というのは、年齢に関係なく、また性別にも関係なく、きっと誰にとっても普遍的なこの世の真実といえるだろうと思います。お金が沢山あっても自ら命を絶つ裕福な人というのは少なくありません。また、収入があまり高くないにもかかわらず、小さな家の中で家族つつましく毎日を笑顔で生きている人々もいる。この差は一体どこから生まれるのでしょう?職場のストレスから家に引きこもりになってしまう若い人達が現代、少なくないそうです。また一方で、「先の見えない時代」「100年に一度の不景気」そんな風に多くの人々が不安に駆られている現在日本において、しかし着実に業績をあげている元気なビジネスマンもいる。この差は一体どこから生まれるのでしょう?何となく思うのです。現在の日本が如何に不安材料でいっぱいだとしても、人と人との間のつながりから心を満たされたり励まされたりする習慣を大事にしている人というのは、ピンチに強いのでは?もし、日本中の多くの人々がそうした習慣を大事にし、社会自体がそのようであり続ける限り、人々の暮らしの中から笑顔は消えることはないのではないだろうか?、と。それが、枯れることのない泉のように、幸福感を次の世代に受け継ぐということなのではないだろうか、と。現在の日本には大人のウツばかりでなく、子供の世界にまでウツの症状が蔓延しつつあるといいます。まったくもって、ひどい話です。ここまでくると文明の末期症状なのではないかとさえ思ってしまいますが(それは言いすぎかも?)、それほど酷い世の中だと思います。しかし、現代日本に蔓延る酷い報道の数々を毎日のように目で追えば、このような日本の状況というのは、実は当然の成り行きのようにも思えてくるのです。大人の世界が、人と人との心のつながりの大切さを蔑ろにし続けてきたことの証、その集積の実像として、現在に報道を駆け巡っている物騒な事件の数々というのは、大人達の前に正確に姿を現していると考えるからです。(次回の日記に続きます)次回に発信する日記は、今日の日記内容の続きとなっております。文章があまりにも長くなってしまったために、二つに別けることにしました。以前にテレビで見た、赤ちゃんと母親の、実に興味深いお話を紹介しながら、今日の日記で書いた事柄の正当性を僕なりに証明したく思っている次第です。そして、なんらかの時代への処方が確かに見えてきたなら是幸いと考えています。では、また次回の日記で逢いましょう。>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 七夕だというのに、なんだか堅苦しい内容の日記で申し訳ない(笑)。でも、時には、このような事柄を、ブログというプチおおやけな場で問題提起することにも何かしらの意味があるようにも想います。それはそうと。今日の日記内容とダイレクトにつながらない事柄であっても、「僕は(私は)日本のここがこういう風におかしいと思います。だから、こうした方がいいと思います」というのがあれば、そうした意見も是非書き込んで下さい。話が広がるように思うからです。ただ、ひとつお願いがあります。僕自身が「朝まで生テレビ」みたいな討論・激論は性に合わないので、場を荒らすような過激な書き込みは御遠慮願いたく思う次第。素直に自分は今、日本の現状にこう想っている、そんな風な心ある姿勢が感じられる人からの書き込みをお待ちしています。◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2009.07.07
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