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風を感じるのが好きです。花を見つめるのが、海や空に想いを馳せるのが、人の笑顔と出逢うが好きです。そして、美しいこの世界が好きです。世界には沢山の色彩があって、遠くから眺めたら、それらはきっと、まじりあいながら藍色に輝いています。花や風や海や川、人間や動物も、みなそれそれの色彩を放ちつつ、ひとつの色彩の風景を紡いでいて、それは、現在・過去・未来、時の流れだってそう。このブログで出逢う人との交流だって、同じように、きっと藍色の風景に包まれながら、豊かにそれぞれの命を彩っているにちがいない。 ---藍色---この言葉には思い入れがあります。深い、思い入れです。20代の頃、スケッチブックに絵を書いたり、自分が理想とする家のスケッチを夢想するままに描く時に、僕は、それぞれの絵や文章にタイトルをつけていました。それらのタイトルには共通する言葉がありました。「藍色」”藍色の家” とか、 ”藍色に輝く海” だとか、自分で特別に意識していたわけでもないのに、藍色という言葉ばかり使っていたんです。当時の僕が心に思い描いていた風景には、ギリシャや沖縄の青い海の色彩やアゲハ蝶々の鮮やかな色彩が、すがすがしく心地良い風と共にあふれていたものでした。藍色というのは英語にすると、文字通り、BLUEということになるのでしょうか。でも、僕は勝手に自分なりの解釈で使っていました。自然の中で輝く色彩、それがBLUEを中心とした色彩で輝いているのであれば、それは「藍色」なのだ、と。なので、自分が勝手に想い描き夢想しながらスケッチする架空の風景に散りばめられた色彩が、ホワイトであろうと黄色であろうと何色であっても、僕の中では、アゲハ蝶々が健やかに飛び交う風景を彩った「藍色」の風景だったのです。あれから10年以上の歳月が過ぎて、現在の自分が再び、藍色の風景を駆け巡っているように感じています。当時の自分と現在の自分とが違うのは、スケッチブックの中にだけ理想の風景・美しい色彩を塗りこむことにのみ収束されないだけの強さを内に育むことが出来た点でしょう。10年もかかったけれど、いろんなことがあったけれど、ようやく最近、10年前とはまた異なった、より、リアルな風景に踏み出せつつあるような気がしています。過去の自分なら、スケッチブックの中でしか描くことの出来なかった藍色の風景を、今ならリアルな風景として、生活の中で彩ることが出来るんじゃないかな・・・そんな淡い予感と期待、願い。あれから10年が過ぎて、藍色に輝く風景に、いま一度、踏み出している自分が現在、います。以前の自分なら、こういうことは言葉にはできていませんでした。時の経過を感じると共に、少しばかり成長した自分がここにいることは事実。良きこと・・・とても善きこと。そんな風に、自分なりに深い感慨にふけりつつ(笑)、先日からブログTOPの模様替えを少しずつ行っている次第です。ということで、これからもどうぞ宜しくお願いします☆☆☆では、また次回の日記で逢いましょう♪>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 藍色への想いを綴った日記で、サクラの花の写真。違和感を覚える方もいることでしょう。・・・でも。これが現在、春の季節における僕自身の「藍色風景」です(^^)◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2009.04.21

先日に鑑賞した外国映画は、とても考えさせられる映画でした。タイトルが「この自由な世界で」。映画を見れば分かりますが、”この自由な世界で” というのは、自由な世界を謳歌する、という意味合いではありません。自由主義経済が加速するこの殺伐とした時代の中で、人はどのように生きてゆけば良いのかを問う、そんな映画。なので原題は、 ”it's a free world・・・” 。言葉の終わりに、疑問符のように、「・・・」がつきます。この映画を鑑賞しながら、ふと頭を過ぎったのが、人材派遣会社でボロ儲けした折口会長。あるいは、「金で買えないものはない」という発言で有名なホリエモンさん。巷では、物質主義の時代の終焉、新しい価値の創造、そのような時代の到来を予見する声がチラホラと様々なブロガーの日記等で見られますし、それはそれで素晴らしいことですが、ところがどっこい。イギリスの現在、ヨーロッパの現状は、日本のそれと大差がないばかりか、もう誰も止められないんじゃないか?というほどに「自由な世界」の中で格差は広がり、人々の心は荒れ狂うまま軋みまくっている・・・これが実際のところなのでしょう。「この自由な世界で」http://item.rakuten.co.jp/forestplus/4988102623135/上にあげた映画の主人公は、人材派遣会社を立ち上げ、ボロ儲けしたけれど、果たして彼女は、そして彼女の小さな息子は、あの後、幸せになるのだろうか。僕は想うのですよ。まず、無理だろう、と。確かにお金がないと何も出来ないし、質素な生活よりは贅沢にものを買える環境の方が素敵かもしれない。だけど、です。彼女と小さな息子が社会的地位や大金を得た後で失ってしまったものの方が、得たものよりも遥かに大きく、それは取り返しがつかないほどの損失であるように僕には思えたこともまた事実。たとえば、先日の日記に ∵.:*・*雪花*∵.:*・さんから舞い込んだ素晴らしい書き込みコメントに書いてあったような、家族で公園で笑顔で芝生の上に寝っころがりながら春の季節を感じる幸福感のようなものは、この映画の主人公の親子に、映画のラストの後で訪れることはあるでしょうか?。難しいですね・・・たぶん。(でも、身の危険を守るためにボディガードを常時雇うというのであれば可能かもしれません)。物語のエンディングの後味の悪さは、これから移民となりロンドンへ向かうであろう一人の東欧女性の無垢な微笑を映し出すことによって一層浮き彫りになってくるように思いました。以上、『この自由な世界で・・・』 と銘打った2009.04.21日記の復刻でした。話題を変えて。待望のGWがスタートしたので意気揚々と自然散策へ向かいました。やはりGWには自然散策が一番。お金もかからないし、健康にもいいし、最高のGWの過ごし方だと思います。皆さんも是非、GWには雄大な自然に抱かれて、新緑の若葉のように身も心もリフレッシュして下さい。今日に山の奥深くで出会ったのは雄大な川。眺める角度や位置によっては、藍色に輝いたり、エメラルドグリーンに見えたり、なんとも素晴らしい風景でした。次の写真は昨日に撮った市役所の前の公園の花壇の写真です。新緑の季節に、BLUEの色彩が美しく輝いています。まるで蝶のように。 今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『藍色風景への想い』 ←クリック!上にリンクを貼った日記への感想をお待ちしています。
2009.04.20

人間による環境破壊が地球に及ぼす悪影響への懸念とかを日記に書くと、悲観論者のように思われてしまうような気がして、なかなかそうしたことって書く気になれない。懸念とか、そんな風に物事をとらえる人って、どんな状況においても全ての因果関係を悲観的に結びつけて考えてしまう癖を持っているのでは?なんて批判されそうで、最近は口にするのも億劫にさえ思っている。これから日記に書こうとするのは、別に悲観論的な人類の未来予想図でも、エコに関する重要なエトセトラでもなんでもない。ただの、ありふれた僕自身の、個人的な幼少時代にまつわる思い出話です。子供の頃は夏休みになると、いつも友人達と川へ出かけては、一日中泳いでいたものでした。川を泳いだり、潜ったり、魚を釣ったり獲ったりするのです。ただ、それだけの繰り返しで、毎年、夏の季節は過ぎてゆきました。当時は今のように環境汚染がどうのこうのという話は耳にしたことはありません。川は汚染されているから子供達が泳ぐことを禁止すべきだ、なんて風に、大人たちが眉間に皺を寄せて川での遊泳を禁止することもありませんでした。今、実際に、どれほど川が汚染されているか、僕には詳しいことは分かりません。ただ、僕に分かるのは、僕が子供の頃に泳いでいた当時の川の姿は、そこにはないということだけです。近くに工場が出来たり老人施設が出来たりして以来(それは僕が中学に入った後くらいから)、何かが少しずつ変わっていったということくらいです。今、仙台の田舎町でも、ここで泳ぎたいなあと感じる川というのは、よほどの山奥へ出向かなければ見つけることは出来ない。それくらい、澱みのない美しい川の流れに出会うことは、ここ田舎でも、そんなに多くはない。少し前に、こんなことがありました。近所にあるコンクリートで作られた用水路を眺めながら、50代の中頃くらいの年齢の歳の離れた従兄弟と会話していた時の話です。「オラが子供の頃は、ここで毎日、うなぎを獲って家で食べていたもんだ。いくら獲っても獲っても、うじゃうじゃ、うなぎがいたもんだ。」「本当ですか?!」「みんな、毎日、食べてたよ」そういえば、その用水路は、僕が子供の頃には普通の小川でした。僕自身もその小川で毎日、フナを釣って遊んでいたものです。鯉も、たまに釣れました。でも、うなぎは一度だけ友人が釣ったことがあるという程度であり、その小川が以前に、うなぎの巣窟であったという話は俄かに信じ難い話であったのです。そのことを従兄弟に話したら、「少しずつ変わっていったんだ、田んぼの農薬とかのせいで。今じゃ魚一匹もいねえべ」こうしたことに、一抹の寂しさを感じることって、別に悲観論ではないように思います。素直な感情の発露、です。このような素直な感情の発露を、悲観的で後ろ向きな ”ノスタルジー” としてではなく、現在・未来に対する一つの警笛のようなニュアンスでもって受け止めることの出来る感性や想像力って大事なような気がするのですが如何なものでしょう。「人類の歴史は、未知のウィルスとの闘いの歴史でもある。だから、いちいち心配していたらキリがない・・・」なんて云々云々する人が稀にいるけど、どうなんでしょう?パンデミックの歴史って、そんなにそんなに古いものなのでしょうか??。現代から遡り、たかだか数百年の歴史しかないのでは?と、そういう意見には、つい眉を細めたくもなります。未知のウィルスは何処からやって来るのか?と自問すれば、-----それは人間社会から。つまり、自然と人間社会との間に存在する「歪み」「軋み」そのものである-----と考える術以外に、僕には今のところ合点の行く自答を内に持つことが出来ていません。こうした考えを、未来への処方を放棄しただけの無意味な悲観論と捉えるかどうかは、この日記を読んでくれている、あなたの自由。また機会を設けて、自然にまつわる色々なお話を日記に書きながら考えてみたいと思います。 ☆☆☆話を変えて☆☆☆昨年の後半から今年のはじめにかけて発信した過去日記の中から、自分自身で気に入っている日記を幾つか、以下にリンクつきでピックアップします。是非、再読していただけると嬉しいです。 旅人は星を数える リリー・フランキーと小さな女の子と天使 天空の城ラピュタ 翼をなくした天使が、いつか再び飛ぶ日 リーダーのためのイソップ童話の正しい読み方 新年あけましておめでとうございます アイ・ラブ・ユー イノセント・ラブ 次に紹介するのは、2冊のお勧めの本です!今年になって発売された本の中から、楽天ブログでも有名な2人のブロガーの本を紹介します。【亞】さんの本。『「易経」一日一言』http://item.rakuten.co.jp/book/5987377/うみねっと2さんの本。『運命は「波」で解ける』http://item.rakuten.co.jp/book/5974879/今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『藍色風景への想い』 ←クリック!上にリンクを貼った日記への感想をお待ちしています(^^)気兼ねなくどうぞ☆☆☆
2009.04.20

仕事の昼休みになると、沢山の人々が大きなコンクリートの箱から抜け出して、広い公園に集まり始めます。巣穴から一斉に出てくる蟻たちのように、公園に集まってきます。オフィスビルという名のコンクリートの箱の中にだけいたら、誰だって窮屈で仕方がなくなるというもの。昼休みくらいは、大きな公園で日向ぼっこししながら、青空の下で伸び伸びしないと息がつまるでしょう。昼休み。こういう時間だけ、普段は機械的に動き回っている人達も、公園に咲いている花々と似ているように思えてくるから不思議です。公園で色々な人たちを眺めていると、面白くて、いつまでも飽きません。50歳をとうに過ぎたであろう大人の男が、子供のような表情で、桜の木を、じっと見ている。アラサー風な女性達がケータイ電話を片手に桜の木のまわりを笑顔で歩いている。花壇のそばで、いつまでもじっと小さな花を眺めている小さな子供もいます。いろんな人たちを眺めているだけで、桜や、すいせんの花を見つめているだけで、昼休みは、あっという間に過ぎてゆきます。皆、大きな空の下で、花々を見ている。きっと、公園で咲き誇る春の花々を見ていると、皆の心も昼休みの間だけは、健やかに無垢になれるのだと思います。そして、少しだけ生き返るのでしょう。やはり、コンクリートの箱の中で咲いている瓶の花を眺めているよりも、大きな公園で沢山の花々を眺める方が、心も体も、自然とイキイキしてくるというものです。街の乾いたアスファルトの上を往復し、オフィスビルの中で黙々と仕事するだけでは、人の心だって、小さな瓶の中の花と同じように、乾いて、しぼんでしまいます。そういう意味で考えると、街の中にある大きな公園は、人と、自然に流れるエネルギーやリズムや調和とを回復させる大事な場所であるように思えてきます。春を代表する花といえば、桜。そして、すいせん。桜は、上空に近い場所で美しく咲き誇っています。一方、すいせんは、地面からちょっとだけ高いところで微笑むように咲いている。空ばかり見上げて歩いていたら、あぶなく踏んでしまいそうな場所で咲いている花です。 桜。 すいせん。どちらの花も、陽の光に恋するように、上を向いて咲いています。どちらの花も、青空の色彩が、とてもよく似合います。花の大きさも色彩もまるで異なるのに、どちらの花も、太陽の光をあびて、うっすらと輝いている。艶やかに、穏やかに、心地良さそうに。人間は、このふたつの花の中間あたりの高さの場所で呼吸をし、歩き、生きている。そして、空と地面と、その両方を眺めている。通勤へ向かう道の途中で。仕事の昼休みの公園で。いろんな場所で。空を見上げれば、桜の花々が青空に映え、地面を見つめれば、すいせんが、いろんな花々が咲き誇り、微笑んでいる。春って美しい。春って、素敵です。花々も、人も、同じように、陽に恋するように、やさしく穏やかに微笑んでいるように感じます。では、また次回の日記で逢いましょう ^^>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 仙台では今、桜が満開です。今日も沢山の人達が、街の公園内でケータイで桜の写真を撮っていました。春って、素敵ですね♪(^^)◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2009.04.15

気持ちの良い青空、ぽかぽかした陽の光。くすぐるような穏やかな風。こんな日曜日には自転車でお散歩に限ります。時速20kmとかで爆走サイクリングではなくて、きままに、ゆっくりスケートするみたいに。こういう場合、自転車に乗ってどこへ?とか考えてはいけません。花が咲いているなあ、キレイだなあと思ったらそこで休憩して、花を眺める。川の流れが清清しいなあ、素敵だなあと思ったら、そこでまた自転車をとめる。雲がまっしろで気持ちがいいなあ、と空を見上げながら、時速5kmくらいで自転車をこぐ。ゆっくりと音もなく、あたたかな陽だまりの中をスケートするみたいに。こういうのって、自動車では味わえない醍醐味があるんですよ。だいたい、車を時速5kmで運転してたら、うしろの車から石を投げられてしまいますよね(笑)。自転車だと、どんなにゆっくり走っても、誰も文句ひとつ言いません。車社会のハイ・スピードな時間の流れに馴れてしまっている人にとっては退屈に思えるかもしれませんが、同時に見えてくるものだってあるはず。刺激的なんじゃないかなあって思います。ゆっくり進まないと目に入らない風景や音や光というものがあって、そうしたものが無数に僕らを囲んでいる、というより共にあるのが本来の世界なのかもしれません。早く走れば早く目的地に着くけれど、時間と代償に失ってしまうものだって、きっとあるわけです。仕事はお休み。何もしなくて、いい日。そんな日曜日には、自転車でお散歩。 笑顔でお散歩^^では、また次回の日記で逢いましょう♪ (^^)>>>今日の日記文章は以上です。ここから下は挨拶・告知・紹介その他になります<<<◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 先週の日曜日にひきつづき、今日も青空。まぶしいくらいの青空です。素晴らしい日曜日。自転車で散歩を愉しんだ後は、図書館へ行く予定です。皆さんも素敵な日曜日をお過ごしください♪(^^)◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
2009.04.05

どうしてこの人と、この場所でバッタリ出会うの?!なんて風にビックリ仰天したことありませんか?僕はけっこう、そういうことあります。中学そして高校と、とても好きだった外国のギタリストと偶然に出会ったことがあります。道で、ばったり、出会ったのです。原宿の歩行者天国で。19歳か20歳くらいの話です。そのギタリストの名は、ジェフ・ベック。イギリスのミュージシャン。ばったり出くわした時、目を疑いました。これは夢なのか?と。でも目の前にいる外人の顔には、明らかに ”ジェフ・ベック” と書いてありました(書いてないですけど、そんな感じでした)。誰が見ても、ジェフ・ベック本人なのです。頭が真っ白になるくらいガチガチに緊張してしまいました。少し話を前に戻しましょう。はじめ、ジェフ・ベックの顔が視界に飛び込んできた時、僕は少し大きく声にしてしまったんですよ。「あ、ジェフ・ベックだ!」と。しかも日本語で(笑)。それで、その後に、(これは夢なのか?)となったわけです。やはりあの人はジェフ・ベックに違いないと判断した僕は、その人物の背について一緒に歩き出しました。そして、ふと、相手の前に飛び出して言ったのです。「ジェフ・ベックさんですね?!」(またまた日本語で)。すると、目の前の人物は、しばしコチラを見つめた後に、無言で頷きました。(うお--!すっごい!!)と感動した僕は、言葉を続けました。「握手してください!」(しつこいくらい日本語で。笑)。右手を勢いよく差し出したので、相手も握手を求めていると分かったのでしょう。同じように右手を出しかけた後に、その手を一旦戻し、何故か左手を出し握手してくれたのでした。「ありがとうございます」と日本語でお礼を言ったら、少しだけ微笑んでくれて、そしてすぐにスタッフとおぼしき人達と共に歩き去ってゆきました。心臓がドキドキして止まりそうなほど緊張したものでした。これには後日談があります。(どうして右手ではなく、急に思い立ったように左手で握手してくれたんだろう?)そんな疑問を抱いていたのですが、数ヵ月後に合点がいきました。ある音楽雑誌を読んでいたら、ジェフ・ベックのインタビューが掲載されていたのです。偶然に道でバッタリ遭遇出来たのは、ジェフ・ベックが公演のために来日していたせいだったようでした。そして、インタビュアーとのやりとりの中で、こんなことをジェフ・ベックは語っていました。「ファンから握手を求められると俺は左手で握手することにしている。なぜなら、心臓に近いのが左手だから」なるほど!だから左手で握手してくれたのか。僕は了解しました。さて話を変えて。今日、素晴らしい音楽DVDを購入しました。ジェフ・ベックのコンサートDVDです。彼のコンサートの模様を収めたDVDって初めて。あんなにも世界的に有名すぎるアーティストなのに、単独でのコンサートDVDが初めて世に出たというのも不思議な気がしますが、これは本人の強い意志でそうなっていたようです。非常に神経質かつ繊細なギタリストであるために、ちょっとした演奏のミスでも後世にまで映像が残ってしまうことが我慢ならないというの、これまでコンサート映像を収めたDVDが発売されなかった理由とのこと。まあ兎にも角にも、ファンとして、これほど待ちに待った日はありません。素晴らしいコンサート(というかライブハウスでの公演)、そればかりかキャメラはジェフ・ベックの演奏を指の動きまでクローズアップしながら追ってゆきます。まるでギタリスト志望の人たちへの教則本的DVD・・・そんな風に捉えることは十分に可能。逆にいえば、ギターに興味がない人が見たら、何がなんだかよく分からないかもしれません。とにかくエキサイティングでスリリングな映像、音の連続。ファンにとっては堪らない一枚です。ジェフ・ベック DVD【Live At Ronnie Scotts Club 】http://item.rakuten.co.jp/ajewelry/sibp-123/日記の冒頭に話を戻して。ちなみに、高校生の頃にとても好きだったミュージシャンには殆ど会いました。すべて偶然に、でした。時と場所を越えて、色んな場所でいろんなミュージシャンと偶然に道端とか色々な場所で出会ったのです。どうしても会いたいのに会えなかったのは、3人のミュージシャン。シド・バレットとケイト・ブッシュ、ロバート・クワイン。不思議なもので、会いたくても、会えないアイドルというのは、この世には確かに存在します。いいえ、偶然に会えてしまったりすることの方が不思議ですね(笑)。シド・バレットとロバート・クワインはもう亡くなったので会えないのだけれど、いつか、ケイト・ブッシュには会いたいなあって想っています。 ☆☆☆話を変えて☆☆☆昨年の後半から今年のはじめにかけて発信した過去日記の中から、自分自身で気に入っている日記を幾つか、以下にリンクつきでピックアップします。是非、再読していただけると嬉しいです。 よく見る夢、海の夢 ~心の中の海~ リーダーのためのイソップ童話の正しい読み方 本物と出逢うということが齎す可能性 新年あけましておめでとうございます アイ・ラブ・ユー あたたかな風 ~虹を見た日 イノセント・ラブ さて、次に紹介するのは、2冊のお勧めの本です。今年になって発売された本の中から、楽天ブログでも有名な2人のブロガーの本を紹介します。【亞】さんの本。『「易経」一日一言』http://item.rakuten.co.jp/book/5987377/うみねっと2さんの本。『運命は「波」で解ける』http://item.rakuten.co.jp/book/5974879/今日の日記は後日に消しますので、読み流して下さいませ。”書き込み” は下にリンクを貼った日記にどうぞ☆☆☆『自転車でお散歩日和♪(^^)』 ←クリック!上にリンクを貼った日記、その他の日記への感想を沢山お待ちしています!!(^^)気兼ねなくどうぞ☆☆☆
2009.04.04
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