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「人」という文字の解説とともにけさは目覚めました。「人」はひとりでは「人」になれないのだよということでした。「人」になれないというあたりでは昔懐かしい「妖怪人間」というアニメのあの有名な「早く人間になりたぁ~い」というシーンが出てきたりしていました。人間になれない妖怪というのは、まるでトランスサタニアン天体の権化のようです。ということは、この場合の「人」というのは対極の「太陽」を目指している存在のことなのでしょうか。アントロポス。そういえば、忘れていましたがシュタイナーの団体は「アントロポゾフィー」と言うのでした。
2008.06.30
日本の昔話の中に登場してくる聞き耳ずきん天狗の隠れ蓑万里鏡 などは現代でいうところのリモートヴューイングや幽体離脱のことなのでとてもおもしろいです。幽体離脱すると透明人間になるわけです。今も昔も変わらないのだな、と思ったりします。今も昔もそういうことができた人は居るのだな、と思います。
2008.06.29
「可笑しきに笑い悲しきに泣いてそのあとを心に残さざるこそ養生也。憂いを蔵さず用心のための用心をせず進みゆくことに不安を抱かず失敗を恐れず希望しても焦らざること又養生也。」整体の野口晴哉先生の言葉です。社団法人整体協会茗荷谷指導室月報より。
2008.06.28
西暦2000年代は第三ミレニアムになるというお話になりますがさいきん夢などを通じて伝えられてくるメッセージのひとつに卑のなかの貴貴のなかの卑というものがあります。第三ミレニアムの時代はこの双方向的視点を人類は育成してゆくというそういうメッセージで夢の中ではもっとわかりやすい映像を通して伝えられて来ました。このようなメッセージが伝えられてくるのはもちろん、わたしだけではなく多くの人に降り注いでいるものなのかと思います。このようなメッセージが形無き世界から降り注いでくると即座に、現実世界の中でこれに関した対応物といくつもなんども出会うことになります。そしてそれらの出会いはかけがえの無い喜びの感覚を伴う体験となります。
2008.06.27

このカードの絵で墓から死者が蘇るように忘れたものが蘇る。封印していたものは自分の姿勢であって呼びかけのラッパによっていつでも引き出されます。時間の流れにさらわれてしまわない意識の自立する力がここで発揮される。これは環境に負けない人になることを示します。運命を支配する。大切だと思ったものは自分の力で維持できる。無理だと思ったものでも興味を向け続けると開発される。過去のものが戻ってくる。20という数字はもともと偶然に支配されない継続力を意味する数字でそこには永遠性ということを重視する意思が込められています。『大アルカナで展開する実践編タロットリーディング』説話社松村潔、著、より。
2008.06.24
「大切にするということは愛するということです。そして、大切にし、語りかければ必ず相手からも気持ちが返ってくるでしょう。大切にされたものはいつまでも輝きを失いません。ないがしろにされたものはすぐに壊れたり汚れてしまいます。大切にすることはあなた自身の魂を尊重することなのです。」『日本の神さまカード』株式会社クレイヴ出版事業部大野百合子 著 より。一部省略の転記です。
2008.06.22

今日は、とっても楽しい一日でした。まるで、夢のような一日でした。不思議な不思議な幸福感に満ち満ちた、一日でした。古い古い何度も何度も転生している魂の記憶が雲の切れ間から天啓が訪れるように降り注いだ一日でした。写真は夏至の日の今日つくってみた自分用のキャンドルです。
2008.06.21
きのう、野口先生のテープを聴きました。活元についてお話しているテープです。野口先生のテープを、ちゃんと聴いたのは初めてです。少し前に、隣の部屋で耳にしたことはありました。初めて、野口先生のテープの肉声を耳にした時、意外な感じがしました。わたしは知らなかったのですが野口先生は、子どもの頃とかに声が出なくなる病気になってそれであのような声をされているのだということが、後からわかりました。不思議なカリスマ性を持った方だったと聞いていましたが、テープからもそれは伝わってきました。スコンと突き抜けたH6の世界を感じられる方だと思いました。きのうとかは、野口先生の命日の前で活元についてのテープを聴いたりする少し特別な日だったのだそうです。
2008.06.21
最近、「月」についてなかなか真剣に考えたり感じたりすることが多いなぁとぼんやりと考えていてふと、気が付いて自分でも驚いたのですがたりあさんとやっているお絵描き占星術の次回のテーマが「月」でした。たりあさんとのお絵描き占星術は一ヶ月に一度のペースでの開催なのですが講座を主宰するということはそのエネルギーは強力に活きていて自分自身にもそれは当然なのですが働きかけられて来るのでした。たりあさんとやっていると自分ひとりで主宰している時とは違いより大きなエネルギーが動く感じがしたりしています。「月」の講座が終わるまで「月のテーマ」は活き続けます。わたしも自身の「月」と向かい合って過ごしています。そういえばたりあさんは前回の「太陽」の時に講座前一ヶ月の時点でアトリエえんどうまめに「太陽」を設置しましたから、と少し謎の発言をしていたのでした。だけどわたしは、えんどうまめの天井の真ん中に一ヶ月間「太陽」が輝いていたのをちゃんと、知っていましたよ。今回の「月」についてはたりあさんにちゃんと確認はとっていないのですがおそらく今回も講座前一ヶ月の時点でたりあさんはえんどうまめの天井に今度は「月」を設置したに違いないと気が付きました。この日々の「月」っぽさはその影響の現れのひとつなのでしょう。「月」とちゃんと向かい合いよりしあわせな私になってゆこうと思います。道が開いて行くことを自分で自分に許可して行けたらと感じています。今、この時にご一緒に「月」と向かい合うご縁のある方々がおひとりまたおひとりと集まり始めていますよとたりあさんからはお聞きしています。
2008.06.20
孤独に太陽系の一番外側に存在していると位置づけられていた冥王星が、実はほぼ同じくらいの大きさの天体との、二重惑星であったことが発見され、そしてそのまたそのあとで、冥王星は惑星から降格されたわけなので、現在、トランスサタニアン天体は、海王星と天王星のふたつと言っても、間違いではないのかも知れないと、考えたりします。するとこのあたりにも、「2」という数霊は、一つのキーワードとして存在していることになります。冥王星が実はふたつであったこと、トランスサタニアン天体が、現在ではふたつであること。このことと、西暦が2000年代に入ったことは、かなりシンクロした影響が働いているのではないか、そんなふうにわたしは思います。ノストラダムスの大予言で1900年代の世紀末に騒がれていたことは、何も起きなかったのではなくて、第一フェーズの数霊が「1」から「2」に移ったことに象徴される、さまざまな価値観や事柄の変化として、現れているようにも思うのです。少し前にこのブログにも書いたことですが、「2」が見えるためには「3」の視点が必要です。西暦2000年代というのは、「2」を両方意識化できる、実は「3」の時代なのだと思うのです。西暦999年までが「1」の時代、そのあとの西暦1999年までが「2」の時代、そして西暦2000年からは「3」の時代なのだと、思うのです。この「3」の時代には、どちらかひとつが絶対的な価値観を持つということでは無いのだと思います。「2」の時代には相対的に、ひとつがひとつと向かい合っていることが起きていたのだと思います。「2」の時代つまり西暦1000年代に確立された思想・哲学・精神は、西暦2000年代に持ち越すことは、不可能なのではなかろうか、そんなことを考えることが多いこの頃です。出家した尼さんや生涯独身の修道士的イメージは、やはり、もはや過去の古典的存在になったとしても、おかしくないのではないか、そんなことも考えたりします。シュタイナーの西川リュウハンさんは、1999年頃に、「キリスト教の神父は成仏できずにさまよっている人が多い」と、みんなで食事をした時に、言っていました。このあいだお借りして読んだ坂本マサミチ氏の本によると、「ひとつの信念体系に捕まっている人は成仏できない」というようなことが書いてあると思うので、それは西川さんが言っていたことに共通すると考えても良さそうです。ひとつの信念体系に捕まること自体が、西暦1000年代に起き易かった傾向のひとつと考えてみるのも良いのかもしれません。
2008.06.19
3ヵ月後に訪れるわたしのお誕生日に向けて満年齢ハーモの図をまじまじと見てお話を紡ぎだしてみました。紡ぎだしてみたお話は最初は夢物語でもくり返しくり返し紡いで行くと少しずつ少しずつほんとうのことになって行く。そのプロセスでいろんなことがあるけれどそれもまた楽しいです。
2008.06.19

青い梅の実がなる頃その木陰には独特の陰影がありますね。一年に一度今くらいの季節に見ることのできる少ししっとりとした光りと影と緑の色彩のグラデーションです。
2008.06.18
目覚めている時わたしは体という「よりしろ」の中に存在しているのだな。からだは居心地の良い落ち着きどころなのだな。これが月なのだな。あらためてそんなふうに思いました。
2008.06.18
人間関係というものは相対的なものだから対になっている関係性において一方が仏になるともう片方は鬼になるような鬼にならざるを得ないようなそんなことは無いのでしょうか。だいたい昔話でも小さなつづらを選ぶ好々爺のおじいさんには大きなつづらを選ぶ強欲婆のおばあさんがセットとなっているわけはおばあさんの言い分としては「そりゃあ、おじいさんあなたが、小さい方のつづらを迷い無く選ぶ人だからだからわたしは長年連れ添ううちにおおきなつづらを選ぶ人にいつの間にかならざるを得なかったのですよ」そんなことはないのでしょうかね。と、こんなことを考えてみた夜更けです。鬼のような男の人は昔は居たのだと思うわけは地震雷火事親父という言葉が残っているからだけどもうあんまりそういう男の人はたくさんは生き残っていないように思ったりもします。もちろん「類は友を呼ぶ」で似たもの夫婦という要素もこのことに上書きされるのだとは思います。
2008.06.17

きのうのリモートビューイングの練習会で「ギザのピラミッド」がターゲットだった時のわたしのメモです。こちらが一枚目のメモです。浮かんだものは、みんなメモしました。こちらの一枚目のメモの方にピラミッドにより近い情報と思われる「△」「黄金虫」などがあります。「洞窟と鍾乳洞」は松村先生が世界地図と日本地図の対応として同じ牡牛座一度のところに世界ではエジプトがあり日本では、秋芳洞があると、何度か講座で言っていて共通するものとして「ミイラ」の話をしているのでそんな影響もあってかわたしの他にも出てきた人が居ました。こちらは二枚目のメモですがサーチしていた時間は30分近くあったのでいろいろと出てきました。今日の先生のHPに書かれている蠍座の最後あたりの度数のボイドの影響が色濃く出ていると思います。「エナジーポイント」のあたりでわたしが、サーチしたことは、ここの場所は、とても重要な場所なのでその時代その時代の覇者が、ここをゲットしようと戦いをくりひろげた。だけど、今ここを抑えられている存在は居ない、というようなそんな内容のものでした。☆それと「ピラミッド」といった時何もない砂漠の中に存在している三角形の巨大な人工物を今の人たちは、連想することが多いのだと、思うのですが、わたしの場合、見えて来るのは湿潤で豊かな、大地なのです。以前のRVでは「ピラミッド」で、見えて来た場所を「三保の松原」と、間違ったくらいです。もっとも、もっと細かく見ると「三保の松原」よりも人工的に治水されているし生えている樹木は、違うものなのですが。
2008.06.17
さいきん、少し不思議なことに気がつき始めた、というか。それは、時間に関してのことなのですが「今」という瞬間からは過去に向かってと未来に向かってまるで樹木のように根っこと枝が伸びていて。と、ここまではあたりまえだと思うのですがただそれだけじゃあなくて今は過去にも未来にも同時に流れている流れがあって。今どうあるか、は過去も未来も瞬時に書き換えているのだということ。かつて描いた一枚の絵が毎日、違うふうに見えるのもそういう理由も一部にはあるみたい。だから要するに今どうあるかはそれだけ永遠なのですね。オーラを長い間やっている人が「過去のオーラも書き換えちゃったんだ」と言ったことがあってその時、話題になっていたのはわたしとしては、体感していたとてもリアルなことだっただけにやっぱりそういうこともあるんだな、と。そういうことはみんなにもおきているのだと思うのだけどとくにそういうことが起きやすい状態になっている人もいるのだな、と。そんなことを思いました。ここ数日わたしはこのことを忘れて違った存在形態に偏っていた。そう思います。そちらの存在形態は、一見未来を手に入れることのようだけどこの時間の樹木のことに気が付くとあんがいそうではなくて「今」こそが「永遠」であったことにもういちど、気が付かされたりしています。
2008.06.16
けさ起きた時に古い古い、忘れていた記憶がよみがえっていました。どうして、今この記憶がでてくるの?という感じでぽっこり浮かんでいました。これも、水星逆行のひとつの現われかも知れません。その記憶というのはシュタイナーの治療オイリュトミーを初めて受けた時のこと。まだあの頃はハイル(治療)オイリュトミーをする人は日本に居なくて、帰国したばかりのその人が初めてのハイル・オイリュトミストだったように記憶しています。☆その頃は、自身で占星術を封印していた時でした。「封印していた」つまり自ら使用することを一時的に禁止していたわけです。今、「自身で封印」と書いたけどよくよく思い出してみるとそれを、どのレベルの私が決定したことなのかそれは不明です。というのも、わたしがあるエネルギー状態に陥った瞬間に触っていたパソコンが、突然壊れて再起不能になったからです。あとからそのことを思い出してああ、これは、封印なんだなと気が付いたわけです。その理由は子育てという、現実的・地上的・個人的プロセスを生きる時占星術を正しく使うことはとても難しい、ということにありました。とうじ私にとって、占星術は本を読んでの独学の段階であったことも理由のひとつかも、知れません。とにかく、人生のそんな時期を生きていた時だったのですが、再び占星術を再開してみてわかったことはその、ハイル・オイリュトミーを受けずには居られなかった時は9.11同時多発テロの時期にむけて数年間何度か形成された土星・冥王星の柔軟宮のグランドクロスにすっぽり巻き込まれていた時だったということ。☆シュタイナーは、占星術のことも熟知していて、独自の使い方をしているのだと思います。そしてその一方でオイリュトミーというものも人智学の中にはあるわけでこの二つの関係性についてけさがたの眠りから覚醒へのプロセスの中でいろいろな対話がなされていた感じです。おもにアストラル体への作用の部分なのだと思います。ひとは、(占星術が読み解いている)アストラル界からの影響を否が応でも受けながら生存しているわけですがそのいっぽうでハイル・オイリュトミーなどはそのアストラル界からの影響として訪れた、現実的体験から受けた必要以上のエネルギーのダメージを修正することもできる。このふたつは、二頭立ての馬車のように人が魂レベルからの生き方を取り戻そうとする時に欠かすことのできないものかも、とけさは再確認しながら目を覚ましたりしました。
2008.06.15
きのう、RVでおもしろい体験をしました。いつものやり方であれば、消去してゆくイメージの方に、宝もあるのかも、ということでそちらを純粋にサーチしてみたら今まで感じたことの無い、かなり強力な手ごたえで「フェンシングの剣」が出て来ました。わたしは参加者のひとりの人がかつてフェンシングをしていたということを知ってはいました。結局、正解は、その人が出題したものだったけど封筒の中に書いたターゲットは、全く違うものでした。だけど、おもしろかったのはそのあとで、なんとその人の隣の人もフェンシングをやっていて今、この会場に来る前にフェンシングをしてきたところだということがわかったことでした。もっとさかのぼるとイデオグラムを描く段階でこのおふたりが、全く同一のイデオグラムを描いていてその中のおひとりが「あ、同じ」と言われたのでわたしは思わずその絵を見ていたという経緯もあります。不思議だな、とも思いましたがわたしはつくづく人型なんだな、構造がと痛感しました。けさ起きた時ドラえもんの歌の「人型ロボット」のところが頭の中に響いていました。
2008.06.14

今日は、久しぶりに夕暮れ時に、東京都内の内陸の方にも海のかおりが、あがってきた日でした。真ん丸い、真赤な太陽が輝きながら、しずんでゆきました。今日、わたしは生まれて始めて代官山に行きました。なにか、どこか不思議な深いところがすくずられるようなわたしにとってはそんな場所でした。
2008.06.13
太陽回帰図というのは生まれた瞬間の太陽の度数の位置に経過の太陽がぴったり回帰した瞬間の図のことでそのチャートから、およそその年齢の一年間の動向をサーチする、というようなものです。お誕生日のおよそ三ヶ月前から有効ということで私も2008年の太陽回帰がとても気になるようになりました。気になるというのはある意味、太陽回帰というのはひとつの節目を表している感が強くてひとつの節から次の節へのシフト状態をそこからリーディングできるので太陽回帰図を読み解き自分自身を同調させてゆくことでその変化を、より良く取り入れやすくなるというような感じを経験上、強く持っているからなのです。去年も今年も3ハウス9ハウスラインが強調されていることには変わりはないのですがわたし的にとても気になる配置がひとつあってそこの部分をどのように使って行くかが今回のシフトのひとつの課題のようにも思えています。そこは、あるがままの自分で良いところなのでいしこりどめのみことのパワーを借りて静かに耳を澄ませて異なる次元から響く鈴の音を聴いてみたいと思います。自然体の本性の導きのままに、というところなのかと思います。
2008.06.13

坂本政道の本を、ある人から借りました。サイン本で「愛をこめて」と書いてあります。楽しいですね。題名は『死後世界ガイド』です。イラストのマンガがとてもかわいいです。この本によると「この本を手にしたことじたいガイドの導きによって」ということです。そういえばこの本はこの本の持ち主の人が「読まない?」と言ってくれて、わざわざ持ってきてくれたのでした。ありがとう。読む本にも「縁」みたいなものは確かに働くのだと思います。☆死後の世界のことはだいぶ前にシュタイナーの著作の中で読んだことがありました。その時の記憶とこのヘミシンクで探査した世界とは共通点と、共通していないところとその両方があるようにも思いました。☆この本によると地上への転生は順番待ちで、稀有なことであるとなっています。そうであるとしたらわたしたちはここで生きることを大切にしなくては、ね。と思いました。☆ヘミシンクのなかでも『ゲートウエイ・エクスペリエンス』はフォーカス10から21まで行けてそのあとは『ゴーイング・ホーム』というのでフォーカス27まで行けることがわかりました。
2008.06.10
きのう吉田さんの展覧会に行ってきました。ヨシダユミコさん。新しい展開を見せた平面絵画が数点とアクセサリーの浄化ボックスとして使えるミニミニ六角ボックスが数点展示してあります。6月いっぱいやっています。会場の三月の羊というお店は手作りの無添加菓子とかを作って売っているお店だそうです。お茶を注文することもできます。三月の羊というお店の名前とても良いですね。最近、日が長いし水星逆行の影響もあるのかうっかりしていると夕方遅い時間になっていてあわてることが多いです。きのうも少しのんびりしていたらいつの間にか終了間近の時間になってしまっていました。少しいそぎながら会場に向かう途中頭に浮かぶ人が居てそうしたら、やっぱりみたいな感じでその人も会場に居ました。元気そうで良かったです。そのあとほびっと村に行きました。ほびっと村に行ったのは20歳の頃以来。30年とか28年ぶりとかです。建物はそのままでした。お店の感じもそのままでした。でもお客さんとかが違うんだよね。少し浦島太郎気分でした。悪い意味じゃあなくておもしろかったです。時間をワープしたようなそんな感じがしました。そう、やはり時代が違うんだよね。今の人間たちとか見えない空気みたいなものは30年前に比べると明るくライトになったようなそんな気がしました。
2008.06.09

雑誌はあまり見る習慣が無くて美容院に行った時読むくらいです。きのうおもしろい記事をふたつ見つけました。ひとつは宝塚の人についてのもの。その人は、最近本を出したらしいのですがそれにからんでいつ頃からか宝塚の(たぶん学校の)食堂にブスの25カ条という張り紙が貼られている、ということを記事の中で、話していました。それがおもしろかったです。昔、大妻女子出身の人が卒業記念で配られる鏡に「恥を知れ」と書いてあって「むむむ、という感じなんだよ」と話していました。宝塚のその25カ条の中には内側から輝くための秘密のアドバイスがたくさん含まれているように思いました。☆もうひとつ、やっぱり毎回瀬戸内寂聴の記事には目を通してしまうのですがその中で「長生きしようしようとする人はあんがいぽっくり行ってしまって自分みたいに長生きしたくないしたくないと思っていると長く生かされたりするものかも知れない。」と言っていました。残りの人生を生きることを漠然と思いやった時に良寛と太田垣蓮月というふたりの芸術家のことがわたしの場合はやっぱりとても魅力的に見えます。平安の中で造る芸術も存在するのだととてもうれしくなります。☆きのうであった宝塚の人と出家した人というふたつの記事は太陽の輝きと月の輝きのようにも思います。占星術の象徴としての太陽と月という意味では無くて表の輝きと裏の輝きのような意味で使いました。そして、だけどこのふたつの輝きは中心で通じているようにも思いました。☆それから、きのうは『風の谷のナウシカ』を見ました。とても、久しぶりに、見ました。今の私にはこの映画は「虫」と「羊」をきちんと描き分けていないとうつりました。少し前までだったらそこのところに今ほどのこだわりは持たずに、見ていたのですが。☆今日はたりあさんとのお絵描き占星術でテーマは太陽でした。その最初に描いた絵を最初にアップしてみました。このブログにアップしたことも無意識でしたが輝きについてということで今日のテーマの太陽に共鳴していたということが後からわかりました。今日は、お絵描き占星術の最初と最後に二回絵を描きました。最後に私の太陽について描いた今の絵はこちらです。
2008.06.07

きのうの新月の日は不思議な一日でした。☆あさ、むせ返るような薔薇の花に囲まれている夢を見て目を覚ましました。少し遅めの朝ごはんを食べた場所は私が座っていたところからはちょうど目の前に窓があってその窓の向こうははるか遠く新宿の高層ビル街まで何も視線を遮る物が無かったのです。東京都内でこういうアングルのところはめったに無いと思いました。千駄ヶ谷の駅に行ったら「せんだがやだがや」がもう無くてとてもがっかりしました。写真撮っておいて良かった。☆ランチの時に自作の香水を持ってきている人が居てわたしもかおりをかがせてもらいました。むせ返るような濃厚な薔薇の香りです。そのかおりが目覚めの前の夢に出てきていたことにあとから気が付きました。☆そのあと新国立美術館でアボリジニのおばあさんのドリーミングの絵を見ました。この人のことは15年くらい前に3チャンネルの日曜美術館で見てずっとずっと気になっていました。こうして日本にやってきて本物を見ることができてとても良かったです。80歳を過ぎてから数年間に3千点を越える絵を描いた、ということは知らなかったです。☆美術館に行く途中でサントリー美術館の前のB1にある安田侃の白い大理石の大地母神のような彫刻にもまた会ってきました。あの彫刻の周りではいつも子どもたちが遊んでいます。日が暮れるのがとても遅くなっているので帰り目白の駅前はしっとりとした水色の気配になっていました。☆このあとわたしとしては記念すべきあることがあったのですがそれはまだここには書かずにおこうと思います。☆たくさんのたくさんのメッセージがきのうの新月ではお手紙のように私に届きました。
2008.06.05
今日も朝から一日中不思議でとてもおもしろい一日でした。ありがたいことです。夜最後に引いたのはかやのひめのかみ。そういえば今日一日の大半をこのようなひめのかみの化身のような人と共に過ごしていたのでした。かやのひめのかみが出たのはこれが初めてです。今日一日に感謝して眠りに着くことにします。
2008.06.03

今のわたしの一番のお気に入りはこれです。JRの千駄ヶ谷の駅に貼ってあります。
2008.06.01
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