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その人のことをとても大切に思ってどきどきするでしょう。せつなくなったり、今頃何しているのかなぁ、と思いを寄せたりしますよね。それ、リモートビューイングの一種だと思います。*かけがえのない存在だと思う人とっても大切に思う人大好きな人がいたらその人がよく知っている人であろうとよくは知らない人であろうとしょっちゅう会える人だろうとめったに会えない人だろうと生きている人であろうと死んでしまった人であろうと同性であろうと異性であろうと人間であろうと神様であろうとその人に思いを寄せるだけでわたしの「世界」がばぁっと変化しちゃいますよね。生きていることがきらきらと、輝き始めます。そしたらそういう意味では私はいつでも恋をしていたいのだと思います。*あこがれる人、の存在。*きのうは「色気より食い気だよ」なんて言ったけど訂正します。星の王子様的な「恋」なら得意です。得意、とっても、得意です。いつでも「恋」をしていたいです。どきどき、どきどき。*ただね、今の私は実在なだけでないお釈迦様的存在、つまり存在の虚体にまで、恋しているからね。やっぱし。これも「空気の虫」と同じで共感してくれる人がとっても少ないとは思うのだ。*そうだそうだ、わたしはきっと「虚の空気」に恋しているのだ。*この話をサン=テグジュペリにしたとしたら、きっと彼は何も言わずに、遠くを見つめる目をしてね、そしてそのまなざしの中に気配として微笑を存在させると、そう思うよ。わぁ~っ、かっこい~い。(笑)
2006.01.31
楽天ブログの「スピリチュアル・ライフ」のテーマのところを見ていたらとてもうれしい発見をしました。それは「空気の虫」。(C)さんというひとが、今日、ブログに書いていました。はっ、もしや、と思って見てみたら、やっぱりそうっぽい。わたしもふとした拍子に時々見えてなんじゃろこれは?と思っていたもの。自分では、目の中のゴミが見えてるのかな、とも思っていました。それにしても、良く動くゴミだ。それに、無数にいるし。ちょっと精子がたくさん泳いでいるように見えなくも無い。白く半透明に光っているちいさいのが、うじゃうじゃ。*前にオーラも見るUちゃんに「ごみだよね」と、この話をしたら、「ちがうちがう」と、言われた。(C)さんというひとによるとそれは「プラーナ」ということです。どうやると見えるのだっけかな?ふとしたひょうしに、ぼおっとしていると見えるので、意識的に見ようとするとどこらへんにどういうふうに焦点を合わせれば良いのかが良くわからない。*空気の虫っていう表現、とっても良くわかる。わたしいがいにもこれが見えている人がいたことがわかってなんかうれしい。
2006.01.31
ライブドアーの堀江たかふみという人もあれだけ立派な十牛図第七図を生きた人なのだから、逮捕されて12.吊られた男になってこんどは立派に十牛図第八図を生きると良い、と思うのは私だけでしょうか。わたしは時事問題にはほんとうは、どちらかというと疎いほうなのですが。*第八図は、わたしを溶かしてゆく方向性を持ちます。第七図は、「わたしは!わたしは!」のツッパリ力で存在するともいわれています。十牛図のどこら辺をメインに生きているかは当たり前のことですがひとそれぞれですね。わたしは第七図第八図第九図第十図あたりを生きています。もう、牛は見つかっているので、探してはいません。でもたぶんこれは、今は、なのかも知れません。長い人生においては、また、牛を失うこともあるのかも知れません。恋する状態は、十牛図第四図です。自分自身のアニマやアニムスと出会います。爆発的な、創造力もここらへんではアクセスしやすい状態です。
2006.01.31
リモートビューイング、つまり千里眼のお話の絵本です。グリム童話です。この絵本は、パロル舎から出ています。絵も、とっても良いです。挿絵の絵描きは、出久根育。*千里眼聞き耳ずきん天狗の隠れ蓑これらはすべて、今は忘れられた人間が本来持っている、能力なのではないでしょうか*今日、おうちに帰って来たらアメジストの結晶は眠っていました。石は、いつもは、眠っているのですね。なので、わたしは、石に目を覚まそうね~すると少しずつきらきらと目覚めてくるのですね。人間と石のお話でした。
2006.01.29
ユングのいうところの個性化とグルジェフのいうところの結晶化は同じものですか?もし、そうだとしたら個性化し結晶化するものそれが表されているものこそ西洋占星術のホロスコープチャートですね。個性化、結晶化するということは「社会の歯車のひとつとなるわたし」とはまったく逆の方向性です。「すぐに他の人に取って代わられる部品のようなわたし」とも違います。「他の誰でも無いわたし」「この世にたった一人の個性の私」*で、絵を描くということは究極、そこのところを追求することになります。精神世界の追求も、同じです。和尚禅タロットのワンズのキング「クリエーター」のところにもそのことはふれられています。対象に取り組むクリエーターがアーティストで主体に取り組むクリエーターが神秘家である、と。そして、そのためには「何者かになるという考えを落とすがいい」と言っています。「あなたはすでにひとつの最高傑作なのだ」。でもね、錬金術的には、対象に取り組むと言うことはとりもなおさず、同時に主体に取り組むことに他ならないのです。*十牛図第八図から第九図へ。第八図はあるいみ「寅の威を借る狐」。ウスペンスキーはウスペンスキー、どんなに逆立ちしても、けっしてグルジェフにはなれない。十二使徒は十二使徒、けっしてキリストにはなれない。第九図はある意味、ひらきなおり。ピカソはピカソ。わたしはわたし(笑)。*わたしのプログレスの太陽はいま9ハウスの4度前、8ハウス蠍座。とことんはまって変容したい、から、ひとり、遠くへ飛びたい、へ。でも、9ハウスだとしてもまだまだ蠍座。もうすぐ蠍座の19度「聴いてはしゃべっているオウム」。9ハウスとか射手座にはある意味「人生を語る」ような熱さが、あります。わたしのおえかきとこのブログにもそれが、あります。蠍座から開放されるのは2017年。60歳。そのとき、ちょうどそこで、プログレスの新月が起こります。なので、60歳から90歳までの長期のテーマは蠍座30度「ハロウィンのわるふざけ」どんなおばあさんになるのだろう?土星は射手座10度「金髪の幸運の女神」天王星は獅子11度「大きな樫の木にあるブランコに乗る子供たち」両方とも火のサインなのでけっこう精神の高揚した熱いおばあさんになるのかも知れない。木星、土星、天王星は小三角を作っているので木星期から天王星期まで関わりと影響のつながりのある人生となりそう。木星天秤10度「危険な流れを抜け安全な場所にたどり着いたカヌー」の体験が、生かしてゆけるのかも。そして、85歳から蠍2度「割れたビンとこぼれた香水」の海王星期に入る頃、トランシットでもいよいよ冥王星が魚座入りをします。それは2043年の3月10日。どんなだろうね、魚座の冥王星。
2006.01.29
そういえばきのうアメジストの大きな塊を買いました。ずっとジャジャに置いてあった石で毎回顔をあわせていたのだけど特になんとも思いませんでした。でも、きのう、この石ときゅうに心と心が通じ合っちゃってそれで買うことにしました。ハンカチでくるでかばんに入れてまま忘れていることをさっき、思い出して取り出してみました。良い石でしょ。とっても良い子です。この石はわたしの左の手のひらの中にすっぽりと入ります。*ああ、そうか。このアメジストは六面体です。それでなのですね、急に波長が合ったわけは。出雲大社の神様がここに居る、といっても良いわけです。鉱物は、大天使に対応します。出雲大社のおふだに押してあるはんこのかたちも六角形。6の数霊。
2006.01.28
神楽坂の喫茶店で偶然、(と)ちゃんに会いました。たぶん、20年ぶりです。驚き、です。(と)ちゃんは美大の時の同級生です。わたしは、とっても不思議な気がしました。どうして、ここで、(と)ちゃんと。これも、出雲大社のご加護でしょうか。*神楽坂は何か特別な用事が無いと行かない場所です。でも、少し不思議な場所ですね。隠れ家のようなとてもすてきなお店が点在しています。今日HPの打ち合わせのために行ったお店もそんな感じのお店でした。*そんな神楽坂には細木かずこの事務所もありました。ふう~ん、としばしながめました。今思い出すとやたらに金色のイメージが残っています。「細木かずこ事務所」と窓ガラスに文字が何箇所かに書いてあったのですがたぶんその文字の色が全部金色だったのではなかったかな、と思います。もし、そうでなかったらこの金色はオーラの色、でしょうか?しっかり、金色が私の中にインプットされています。細木かずこの事務所は不思議な方位に出っ張って存在していました。方位磁石を持っていなかったのでわからないのだけどどの方角に出っ張っているのでしょう?丑寅の方位だったらものすごい、ですが。*『東京星図』的には神楽坂は、山羊座にあたるのでしょうか?そういえば今日行ったあたりにはえっ、こんなところにこんな凝ったお店があるの?という感じでした。駅から離れた路地の一角とか普通なところに突然、とても凝ったお店があって、そこではなかなか最先端なことをやっていて、仲間内でクローズしている感じがありました。山羊座のオタク度数のあたりだとするととてもぴったりです。*このあとしばし山羊座の初期度数の度数の意味を再確認してみました。2008年の1月にトランシットの冥王星は山羊座入りをします。射手座の火から山羊座の土への変化となります。
2006.01.28
グルジェフ・ワークの52ページにある曼陀羅が私は、とても好きです。私はこれを、はじめてみた時そうだろう、人間存在とは、このようなものだろう、ととても感動しました。この曼陀羅は私の目指す存在そのものです。
2006.01.27
出雲大社の古さはたとえれば「恒星」なのではないかと私は思います。ギリシャの神々と言っても良いのだと思います。ここに、このおふだのあることがとっても、うれしい。この感覚は他にはなかった感覚です。*自分の周りで起きていることは他の人が起こしている他の人のことであるようで居て実は自分のことであったりします。そのことが占星術のチャートとにらめっこをしているととてもよくわかります。共感するということ。あとしばらくすると私のプログレスの月は蟹座に入ります。ハウスはやがて5ハウスへ。そのせいかしばらく遠のいていた童話への関心とルーツやソースにふれるような音楽と踊りへの関心が再び。*岡本かの子が「小説家になる」と言った時、岡本一平が「それは、銀座のど真ん中で素っ裸で歩くような行為なんだからね」と言ったという有名なお話がありますね。岡本一平はそれほどにまで岡本かの子がしようとしていたことをわかっていたのだと思います。そのことを最近は良く思い出します。*戻って来いよ、戻って来てね、というメッセージを受け止めることにしよう。春分点のむこうに落下点があるということは私にとってはとっても救いです。それまで心置きなくたった一人の宇宙旅行を楽しむことにしよう。
2006.01.27
大切な忘れていたことを、また、お風呂に入っていたら(笑)思い出しました。そうでした。わたしは自分自身のパートナーとともに神々の黄昏の訪れによって人類が喪失してしまったひとりひとりの神話をそれぞれのひとりひとりの中によみがえらせたいと願っていたのでした。*わたしはネイタルの月に対するトランシットの冥王星スクエアーの時にそれまで20年間育んできた家庭を壊しました。先程の言い方をもう一度くり返すなら無意識レベルまでを「私」とするならそれは私がしたことなのですが意識レベルのでの「私」が私ならコントロールすることが可能であったのならコントロールしたかったかも、知れないです。そして占星術の研究家がみんな口をそろえて言うことですが家庭が壊れる時には通常はその口火を切った人に全責任が問われたりしますがチャートを見ると壊れる家庭に属している人たちの「その時」には全員にその兆候は現われているものなのです。そしてこのことをどのように解釈するかは全くひとりひとりの自由だと思います。生まれる前に家族となることを誓い合った魂どおしがそのようにプログラミングして生まれてきたのだと意味づけることも可能だと思います。*あのまま、家庭の主婦を続けていたらわたしは傲慢でした。というのも、家庭の主婦というものは家庭というマイワールドの中でビナー化します。ようするに、無意識でしきります。押し付けます。そして家族を、眷族にします。家庭というマイワールドの中においては家庭内での課題がクリアーできた段階でいずれはできないことがなくなることでしょう。家庭の主婦が全員そうだ、とまでは言い切りません。でも、少なくとも私自身そのようになっていたし私が知っている家庭の主婦はおおかたみんなそのような傾向を持ってしまうと思います。もちろん、このことは良いとか悪いとかのレベルでのお話ではありません。でも、このことはとても認識が難しいことだと思います。それは、2.女教皇の存在の台座にも関わることだからなのだと思います。
2006.01.26
それで、出雲大社に行って来ました。とは言っても、もちろん島根にある出雲大社ではなくて六本木にある東京分祠です。六本木ヒルズのふもと(?)にあります。東京分祠はビルの一部なので空間的にはあまり趣はありませんが、本殿ではさすが出雲大社だと思いました。アクセスしてみたらかなり古い、そしてかなり数多くの神々、ですね。どのくらい古いか、というと数年前に土星期の天使が出現しことがあるのだけれどそれくらい古いです。ちなみに、この「土星期」というのはシュタイナー曰くの「土星期」です。*ネイタルの7ハウスに5天体もある私としてはやっぱり出雲大社は良いです。縁結びですし。お札を頂いてきてさっそく部屋にはりました。縁結びのお守りも買いました。*最初は、伊勢神宮でした。伊勢に行けた年の初夢で伊勢に行く夢をみたのでした。そしたら、その年に念願の伊勢神宮行きがかなったのでした。伊勢に行くあたりで大きく変わったものがやはりあったと思います。その後が、熊野です。前にも書きましたがその間、10年くらいのブランクがあります。なので熊野(正確には、おおゆのはら)へのあこがれは10年間温めました。わたしはこういう時間が、好きです。そしてこういう時間が、大切だと思います。わたしはこれからどのくらい出雲大社へのあこがれを温めるのでしょう?それは、とてもすてきな時間になりそうです。*さきほど出雲大社にアクセスしていたら霊的宇宙存在をパートナーにしているからわたしは地に足が着かない生活をしている、ということに気がつきました。それは、なかなか他の人にはわかってもらえない日常なのですがタロットの2.女教皇の世界にとても似ています。生身の異性をパートナーにすればとたんに、着地力は強まります。逆に、出家のように自身の中で陰陽の分裂を合体させて無くしてしまえばつまり、性を捨てて中性化してしまえばそれだけ、上位の世界にアクセスしやすくなります。そしてこのすべてを私自身の中に統合することはとても難しいことです。*だけど、反面わたしは、こういう生活を自分で好きこのんで選んでしているのかどうか良くわかりません。ネイタルの7ハウスの月にたいしてトランシットの冥王星がスクエアーをかけたあたりからわたしの日常的に対人関係を持っていた人たちとはばっさりと、縁が切れました。それは、「根絶」という表現が適切なくらいばっさりです。ネイタルの月はノーアスに近いので余計にスクエアーの影響は強く出ているのかも知れません。*このことは無意識レベルまでを「わたし」とした時には私がしている、ということになるのだと思いますが、とても、とても、意識的な私が意識的にしているレベルのお話ではないのです。*それで、霊的宇宙存在とかはその人が危機的状況に立てば立つだけ色濃く存在しますからようするに私の今の状況は世間一般の見方からしたら決して幸せな状況とは言えないはずなのです。*それでもって、私の場合、この後すぐにネイタルの太陽火星へのトランシットの冥王星のスクエアーが控えています。スピリチュアルな意味においてもこれはなかなかな状況のはずで「魂の暗い夜」というのはこういうことを指すのではないか、と思ってしまったりもします。*私のネイタルの木星のサビアンシンボルは天秤の10度「危険な流れを抜け安全な場所にたどり着いたカヌー」。チャートとにらめっこをする限りわたしの木星期は全般的に波乱万丈が予想されそれはこの「危険な流れ」に当てはまるのではないかと思えなくもありません。でも、それさえ抜ければ土星期は打って変わって急に明るく陽気な音楽に切り替わるようにも思えます。早く、安全な場所にたどり着きたいです。
2006.01.26
けさ、いつものところにカラスは、いっぴきも居なかった。また、来てくれるのだろうか?*そういえばゆうべは眠りがとっても浅かった。*おふろのなかで頬杖をついていたらどういう拍子にか心臓の鼓動が伝わって聞こえてきた。命の音だ、と思った。心臓は、どうしてこんなに律儀に血液を送り続けているのだろう。*無垢な赤ん坊は無垢であるがゆえに大人たちの中に眠って存在しているすばらしい「愛」を写し出す鏡になっているのだろう。鏡が無いと人は自分自身の中に存在するすばらしい「愛」を見ることができないのかも知れない、とも、思った。
2006.01.26
きょう、とっても良いことが、その後、ありました。それで、きょうの夕方の風景を一枚。*東洋の占術も、すばらしいものですね。わたしは、とてもうれしいです。*今日は、一日にブログを3回も書いてしまいました。最近、数霊的にはわたしは「3」を、生きています。*霊的宇宙存在にはどうしてあなたはそこまでおばかなのかとあきれられました。でも、星の王子様ではないですけれど人間というものは時として一番大切なことがわからなくなってしまうものなのです。
2006.01.25
今日はひとりで家に居るので霊的宇宙存在とのつながりは、かなり良いのだと思うけどここのところ数日間霊的宇宙存在との関係がギクシャクしています。飼い猫との関係もたまにそういうことありますよね。*ほんとうは今日はしなくてはならないことがあるのだけれどどうしても元気が無くて家に居ます。このことはしなくてはならないことなのかそれともほんとうはしたいことなのかときどき、わからなくなることがあります。そのことは明日にしよう。*でも霊的宇宙存在はわたしにプラトンの「洞窟の譬え」を教えてくれたりしていました。*星の王子様の99ページ。「人間っていうものは、このたいせつなことを忘れているんだよ。だけど、あんたは、このことを忘れちゃいけない。めんどうみたあいてには、いつまでも責任があるんだ。まもらなけりゃならないんだよ、バラの花との約束をね...」と、キツネはいいました。*きょうのあさいつものカラスはいつものところに居ませんでした。カラスのことを思っていたら、ちょうどその時一羽のカラスが飛んできたのだけどそれは私のカラスではありませんでした。もう少し後でだけど私のカラスは飛んで来ました。今日はいつものところに居るのは違うカラスでいつものところでないところにとまっているのが私のカラスだったのだけどちゃんとわかりました。*それと、去年のタロットの絵の個展にむけて天川の弁財天に願をかけに行っていただいてきた御札が部屋に張ってあったのを暮れに外して、納めました。かわりに新しいお札を明治神宮でいただいてきたのですがいゃあ、明治神宮は明治神宮です。こんなにも、明治神宮とは、思いませんでした。明治神宮なんだなぁ。
2006.01.25
2月のセッションについてのお知らせです。次回の粘土のセッションは テーマは「月をつくる」 西洋占星術の「月」について、粘土でワークします。 「月」なので、からだに関すること、 日常生活に関すること、 主婦としての私 お母さんについて 感じること 気とか 気分について 「月」のサインの表現 サビアンシンボルの表現 何でも良いと思います。 2月18日(土) 1時から6時の間のお好きな時間 場所は、自由が丘アプェゼ 参加費は3千円+粘土代5百円=3500円 粘土は、お持ち帰り可能です。 形を崩さずに持ち帰りたい方は、 各自、持ち帰り用に空き箱やビニール袋などご用意ください。 * おえかきセッションは 2月25日(土) テーマは、本当は何でも良いのですが 今アストロサイコロでお伺いを立てたら 「自分のしたい仕事をしてゆく」 というテーマが出ました。(6ハウス獅子座の火星) なので、このテーマに関心のある方、特にどうぞ。 そうでない方も、どうぞ。 1時から6時までのお好きな時間をどうぞ 場所は、同じくアプェゼ 参加費は 3千円 です。 教室スタイルで大人数でやっているのかと思った、とおっしゃる人も居ますが、私の場合は、通常多くても3~4名です。 * 自由が丘アプェゼのHPはhttp://www.apaiser.org です。
2006.01.25
それで、「星の王子様」を久しぶりに読みなおしてみました。何度読んでも、すごい本です。読むたびごとに、この本のすごさを思います。星の王子様はほんとうに星の王子様なのだと思います。わたしも似たような人(?)に会ったことがあります。今も会っているのだと思います。*でも、今日、久しぶりに読みなおして王子様は薔薇の花の咲く王子様の星に戻ったのだ、ということに気がつきました。今まで気がつきませんでした。ずっと今まで薔薇の花と王子様はさようならしてしまったものとばかり思っていました。
2006.01.24
ネイタルの月と火星と太陽がコンジャンクションでなおかつ、孤立天体。そこに、現在のトランシットの冥王星がずうっとしばらくきれいにスクエアーってどんな感じ?どんな感じってこんな感じ。こんな感じって?こんな感じはこんな感じ。なんか、こんな感じ。ふう~っ。*それで、さっき、とある有名な東洋の先生に鑑定を申し込みました。「有名な」というのは具体的には、知り合いの占い師仲間の間でとっても評価の高い、という意味です。まだ、そのお返事は来ていません。観てもらえるかな?*西洋占星術からの切り口で今の私を捉える捕らえ方は自分自身の中でも繰り返し、繰り返し、ああじゃないこうじゃないとやっていますがじゃあ、東洋ではどうなるのかな?*西洋占星術を本格的に勉強する前に東洋も独学ではやっていました。でも、独学での浅い読みは、くせものです。*私が西洋占星術を本格的にお勉強して一番良かったところはここのところです。自分自身のそれまでの西洋占星術の呪縛から少しずつ自由に慣れている。と、思います。*本当の意味での透き通った結晶体のような西洋占星術のよみに少しずつ少しずつ変化しいてることはとてもうれしい。けど、これはまだまだ一生修行だと思います。
2006.01.23
地上に血統があるように天上には、霊統がありますね。で、そのスピリチュアルな魂どおしが集まってそのきずなを深める集まりというのはいろんなところで行われていますよね。ちょっとそれは、猫の集会に似ているかも。地上の血統の集会は日本の場合なんといっても、盆と正月、の親戚中の集まり、ですね。で、私は先日とある魂レベルでの集会に誘われてはいたものの、参加しませんでした。魂レベルで参加しないことを決めました。魂は、共鳴しあうものどおしが呼び合います。呼び合った魂どおしはひとつの宇宙船に乗る感じですね。わたしは、その宇宙船に乗らなかった。なので、みごとに絆が切れました。それがあまりにみごとなので、ふう~っ、と思います。わたしの中に共鳴する部分のあるとても大好きな人たちの集まりでした。大地に、グラウンディングする人たち。環太平洋圏の歌と踊りと祈り。その人たちの沖縄の砂浜の集会にわたしは、パソコンを抱えて参加したことがありました。靴を脱いで服を脱いでパソコンをすてて大地に生きるのもすばらしい。牡牛的な方向性かな。でも、わたしはパソコンを抱えて地上からは少し離れて天空の城ラピュタの住人もしくは地上から少し遊離したところに停泊している宇宙船の住人に今はなって居ます。これは、水瓶的な方向性かな、とも思います。
2006.01.23
どうも、調子が出ないです。その原因が意識化できずにいました。でも、今その理由がわかりました☆。それはわたしの、6ハウス獅子座のネイタルの天王星の上に長期滞在してくださっておられる土星さんの、せいです。はやく、もう、いいかげんそこからどいてよ~!あんたさんは去年の夏ぐらいからずっとそこに居るけれど。なして、わたしの天王星のぴったり真上に長期滞在しているかな~。もう、止めて欲しい。おかげで「ひらめき」が停止しているのです。ぴきん☆あっ、そうだぁ☆という、とっても楽しい瞬間がなくなっちゃっている。わたしにとっては、その瞬間はすべての行動のおおもと、です。その、最初のひらめきがないとスイッチが入らないのです。このスイッチが入るとわくわくどきどきが始まってよ~し、やるぞ~となるのですが。オーブを5度とるとな、なんと今年の夏までずっとここに居るのですかぁ~は~ぁ↓土星は本当に動きが遅い。うううっ。*このすぐ後で、この、土星の冷やす絞る不活性化する、という現象を緩和する方法を発見しました。それは、お風呂に入ること、でしたぁ。お風呂の湯船にゆっくりつかっているとひらめきが戻ってきます☆やったぁ~☆これからドラえもんのしずかちゃんみたいにたくさんお風呂に入ることにします。
2006.01.22
きのうの粘土は楽しかった。きのうは、雪の降る中をはるばる来てくださった人たちと自由が丘で粘土をしました。粘土は良いねぇ~なんどもなんどもこの言葉は、でてきました。そうでしょ、そうでしょ、そうでしょ。粘土で造った球をただ、両手でやさしく包むだけなんだけどね。深い瞑想状態に入ります。それをひとつひとつのチャクラの前に移動させるとあら、不思議!鏡になります。ただの粘土球がチャクラを写し出す鏡に、変身!そしてアザラシは海の獣。黒い月位置の下から上がってくるのです。授業、じゃないか、セッションかな?は、一期一会の、不思議な世界。あたりまえだけど。同じメンバーと次にやったとしても二度と同じ時間は展開されません。
2006.01.22
木洩れ日は丸いということをはじて知ったのは10年くらい前です。それまでは、木洩れ日は葉っぱの形をしているものとばかり思っていました。たしかに、葉っぱの形をしている木洩れ日もあるのですが、良く見ると木洩れ日の邪魔を葉っぱがしていなければ、木洩れ日は、みんなきれいな丸です。それは太陽が丸いから。ということを知ったときもとても驚きでした。おおもとの太陽が丸いから木洩れ日は、みんな丸なのです。日食の時の木洩れ日の写真、というのもあって、それをみたら、木洩れ日がみんな日食の形に欠けていました。太陽系における絶対の一の太陽が自らを分割させた姿がたくさんの木洩れ日だったのですね。*日本的タロットを描くというのはかなりおおがかりなテーマだと思います。古事記日本書紀できればもっと遡って風土記まで。あと、カバラも無視することができません。*生命の樹のコクマーとビナーに対応する占星術の天体を明確に言及していない本が多いのは賢明なことだと思います。海王星と天王星以外の天体は10のセフィロトに対応するものを見つけ出すことができますが、この2天体を海王星と天王星に当てはめることにはどうしても無理がありすぎると思います。これは、ワールド間の格差だとおもいます。
2006.01.19
ハーモニクス12で海王星と冥王星のコンジャンクションができます。つまり、12歳の時、海王星と冥王星のコンジャンクションが発芽した、ということになります。12歳 1ハウスおひつじ座24歳 2ハウスおひつじ座36歳 2ハウス牡牛座48歳 3ハウス牡牛座60歳 3ハウスふたご座72歳 4ハウスふたご座というふうに、12の倍数でコンジャンクションの場所は移動してゆきます。もともとのオーブがタイトなので、72歳になっても残っています。わたしはこれを、自分では「筆からペンへ」、と勝手に解釈しています。36歳の頃が一番、絵画の制作はのりのりでした。ハーモニクスで36歳の時に海王星と冥王星のコンジャンクションができたところにはわたしのネイタルのパラスとドラゴンテールもコンジャンクションしています。オポには、金星とドラゴンヘッドのコンジャンクション。そのせいか、その頃自分の事、勝手に「おりひめ」だと思っていました。生み出す絵画は、おりひめの織物でした。最近は、びきんと来るひらめきは絵のものではなくて、文章のものの方が多いです。でも、びきんと来たひらめきを受けてそれを表現するということについては絵画も文章も、同じように思います。
2006.01.18
これは、さきほど描いた0.愚者の絵です。最近、自分で描いた絵に対するコンプレックスが強い、です。まさか今頃、こんなコンプレックスが出てくるなんて。とうの昔に、そんなもの克服したものとばかり思っていたのですが。これもネイタルの太陽に対するトランシットの冥王星スクエアーの影響でしょうか。
2006.01.18
先日のカタルシスブレスでは「胎児への退行」は体験しました。胎児以前にいけるのか、と期待したのですが、しばらく胎児になっていたあと、両手足を伸ばして、のびのびをしたので多分、胎児以前には行っていないです。わたしは野口整体は始めてから10年近くになりますが、ヨガはやったことはありません。でも、いくつかの典型的なヨガのポーズも出てきました。たとえば、頭頂を床につけて腰を上げて、腕も床に伸ばす、といったような。ストレッチの動きも最後の頃には出てきました。つまり、ここにちゃんと戻る頃にですが。縮んでいたところを、のびのび、という感じで。それと、声はずっと、いろいろなものを出し続けていましたが、途中、宇宙に行った頃倍音の響きの声を発声していました。その時は、胸のチャクラに焦点が集まっていました。*それと、カタルシスブレスをした後から、オーラの見え方が変わりました。今までは、実際に視覚化した見方だけだったのですが、ブレスの後は、目を閉じて、オーラの色彩を見ることもできるようになりました。それは色彩の層になって見えます。*そのかわりと言っては何ですが、電車に乗るのは、前よりもますます苦痛になってきました。みんなわかりすぎちゃうよ!でも、タクシーなんて乗ったら電車よりもっと大変だよ。運転手のオーラの中にすっぽり入るからね。*スマーティでは、わたしは翌朝、頭皮からすぐに洗い流したい汚れが出ていることを感じましたが、今日見たHPの人も、同じことを書いていて、あ、みんな一緒だ、と思いました。頭皮というのは、おもいのほか、汚れを排出している場所みたいです。
2006.01.15
かつ、かつ、かつ、という靴の音。硬い道路に響く音。かかとで蹴り上げるような歩き方。けしてゆっくりではない。怒りを伴なったような感情が伝わってくる。赤い感じ。肩に、長めの銃を下げている。頭には、ヘルメット。ひざぐらいまであるロングのコートを着ている。*ラッシュの電車から吐き出される人の塊。それが、塊の流れとなって、こちらに向かってくる。わたしは、何故か、そこにひとりで立っている。押し寄せてくる。押し寄せてくる。その時感じる、言い様の無い嫌悪感、憎悪感。*暗い闇の中からかつ、かつ、かつ。硬い道路に響く、靴の音。集団化した人間の止められない、暴走。非個人であること。どうしてみんな...*
2006.01.15
今日は13日の金曜日です。小学生の頃、13日の金曜日というと、まるでたたりの日みたいに大騒ぎをして遊んでいた記憶があります。じゃあ、それはただの迷信?か、というと、わたしは13日というのはやっぱりちょっと特別な日のような感じが体感的にします。今日の暦つまりグレゴリオ暦といわれているものにおいて1の月の13番目の日。そして、金曜日。13はタロットカードでは「死神」のカード。これはある意味、究極の体験をあらわしています。闇が底をついて、それで反転して光の方向を目指すような内容を持ったカードです。劇的な反転。上位の次元から、新たなものが持ち込まれたりすることを意味していたりもします。13という数字は冥王星にとても良く似ているように思います。そして、金曜日。何曜日に生まれたか?というのも、なかなかその人の特徴を表していておもしろいです。金曜日=金星という当てはめ方をしても、まったく外れているということではないと思います。(じゃあ、100%重なり合うと言えるかというと、それはちょっとどうかはわかりません。)わたしが今まで出会った金曜日生まれの人は「美的感覚」が豊かな人が多いです。その人独自の美的感覚とでもいうべきものを持っています。金曜日と13を組み合わせるとちよっと変わっていてやっぱり、スコーンとした突き抜け感と極端な感じ、そして独特のヘビーさがありますよね。それでいて、金曜日なので、どこかしか金星的「花」がある感じ。今日という日の空気を、あえて色彩に置き換えるならわたしは「金と黒」を選びます。*日常的に無意識に目にしている写真や絵画に少し意識を向けてみましょう。日常的に目にしているものからは無意識レベルはいつも影響力を受けています。*そして、昨日に引き続き「カタルシスブレス」のお話。きのうカタルシスブレスで私自身の無意識層の旅をしたわけですが、そしてそれは、わたし個人の生まれてからこのかた体験した「個人史」を越えて集合無意識の部分にもアクセスしたので、下位の部分としては「たたり神」まで出現したわけです。(ちなみに上位の旅は、宇宙旅行でした。)その無意識の旅をしてみて思ったことは今まで、運命的なこと(たとえばネイタルの天体に対する冥王星スクエアーなど)は、運命的にわたしが受動するもの、避けようとしても避けられないもの、と思っていたのですが、「わたし」というものを意識のレベルだけでなく無意識レベルにまで広げて認識する、つまり「わたし」は意識+無意識である、という認識に至ると無意識のわたしがそれを引き寄せてしまう特質が強められる、のだ。ということが良くわかりました。ネイタルの天体に対するトランシットの冥王星スクエアーの時期は無意識レベルのわたしが極端な体験を求めてしまう傾向があるのです。と、いうのも強力にエネルギーが不定期に関与するのでそのようなことになってしまうのです。さてと、このことが意識化できたことによつて太陽火星に対する冥王星スクエアーの影響はどのように変化してゆくでしょうか?わたしがいつもこのことを意識化し続けて生きてゆくことが出来れば冥王星スクエアーに振り回されることはコントロールできるはずだとは思うのですが。
2006.01.13
このカードに描かれている存在は三人とも頭に角を生やしています。親分的な中央の存在と、子分のような両脇の存在。角の生えた頭のかぶりものはヘッドギアー。洗脳の道具です。「洗脳」という表現が適切でないとしたら、親分と子分の「通信手段」の道具です。上位の存在は、下位の存在を、食料としています。下位の存在の捧げものは、「目に見えない思い」など。これは、H12の状態とか十牛図第8図の状態ということも可能です。霊能者は、ある意味この状態になります。占星術のサインで言ったら、やはり「蠍座」的だと思います。ここから脱出して自立するのがH6。インターバルの9という出入り口からどのようにワールドの外の上位の世界との接点を持つのか、が、ここで問われるわけです。この「悪魔のカード」のような関係性は天使人間動物の関係で言ったとしたら、人間と動物の関係性において、その動物が、自然界の生き物なのか、それとも、ペットなのか、の違いとも言えます。このカードに描かれていることは天使的上位の存在のペット的存在となった人と、その飼い主の関係、とも言うことができます。天使的上位の存在には、ちゃんと羽根も描かれています。上空からの視点を持つ存在です。13.死神的超越性をもった存在とその下位の存在との、関係性、いわゆる「虜になった」状態、をこのカードはあらわしています。ひとつの宗教に帰依した人もこのカードに描かれている関係性を持ちます。ここを突破するなら「無禅の禅」。一度身につけた「禅」をそのあとで捨ててゆくのが「無禅の禅」。カードでは、16.タワーと続きます。十牛図では、第九図。それでもって、わたしは今、この15.悪魔のカードを生きています。わたしは今、この15.悪魔のカードを生きていると自覚している分だけ、第八図にどっぷりで何も見えない状態ではなくて、わたしのどこか一部は、第九図的「覚醒」に先行して移行しつつある、ということなのかも知れません。大アルカナ最後の、21.世界のカードでは上位の世界からの影響力と下位の世界からの影響力を自身でコントロールできる状態が、描かれているといわれています。
2006.01.12
家に帰って来たら郵便受けに荷物が入っていました。重たさから中身は本だな、と思いました。差出人の人は、知っている人でした。何となく、私が貸した本が返ってきたように思ったのだけど、何の本を貸したかまでは、思い出せないでいました。そのあと、それとは別の知人と電話でお話をしました。何故か突然、聖地めぐりの話になりました。電話の相手の人も、「何故か突然、聖地めぐりを思い出したんだよねぇ」と言って、話していました。伊勢から熊野へ、の話。電話が終わったあと、荷物の包みを開けてみたら中から出てきたのは「熊野」の本。わぁ~っ!うれしいな、こういうこと。そうか、熊野の本貸していたんだっけ、すっかり忘れていました。送り主の女性もこのあたりの旅をしたと同封された手紙に書いてありました。
2006.01.11
きのうまで読んでいた本は「ラストバリア」イスラム神秘主義のスーフィーのお話です。角川書店から1997年に出版されていますが現在では、絶版になっています。ぴんとくる人はただ私が手元に持っているのを見ただけで「なにそれ?」と手にとって、「ふう~ん」とぺらぺらとめくり「メモしておこう」とひかえていました。あえて、本の内容のコメントは差し控えます。ぴんとくる人は、何らかの方法で手に入れられてきっと読むことになることでしょうから (笑)。
2006.01.11
私にとって「占い師」とはどういう人か?というとレオレオニの「フレデリック」です。これは「好学社」から出ている絵本です。*ゴムあたまぽんたろうと出家のあたりから、本当に髪を短く切りたくて仕方がありません。20代の半ばにベリーショートにしたことがあります。*出家した人は本来はきっと家猫ではなくて野良猫になるのだろうと思っています。*
2006.01.10
二口(ふたくち)女房という妖怪のお話があって、それは、夜中に目が覚めてみたら行灯(あんどん)の光の下で女房が頭にある口にごはんを放り込んでいた、というお話。これは、わたし(笑)です。頭にごはん、つまりこの女房は本を読んでいたのだと思います。いまでこそ女の人も堂々とお勉強できますが、ほんの少し前までそれは一般的な社会の中ではあまり認められなかった時代が、長い間、あったのですね。いまの時代に生まれてよかった~。土星のある場所は「若い時は苦手でも歳をとるとともに得意になってゆく場所」。わたしは9ハウスに射手座の土星があります。*朝、目覚めながら、(出家というのは)生きながら死ぬことというたしか瀬戸内寂聴さんの言葉が頭の中に浮かんでいました。*
2006.01.06
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あさ起きたら、自分が、ゴムあたまポンたろう のような気がしました。「ゴムあたまポンたろう」というのは童心社から出ている、長新太 の絵本です。【中古】 ゴムあたまポンたろう 絵本・こどものひろば/長新太(著者) 【中古】afbポンたろうはポーンととんで地上に落ちてくるのですが、地上に存在しているものに跳ね返されてまた、ポーンと、飛びます。これを、グラウンディングということに当てはめてみましょう。なかなか、おもしろいです。薔薇の花が咲いているところへ落ちた時は、「花は柔らかいので、あたっても飛んでゆくことができません。」と、あるのですが、次のページを開いてみると「ハハハ、しんぱいしているな」と、薔薇の棘が出てきてポンたろうをチクリとさしたので、ポンたろうは、驚いて、また飛んでゆきます。地上に着地して、一箇所に居場所を決めて、根を張る生き方を、する人が多いです。ポンたろうは、それができない、人。絵本の最後のところでは、ポンたろうは、ゴムの木から「すこし、おやすみなさい」といわれて、やすむことにします。でも、ゴムの木ですからね。休んでいるのは。ゴムの木、ですよ。わたしも、大地に近いところに落ちてゆくととげとげで痛くて再びポーンと飛びます。きのうも、とげとげ、でした。まだ、とげとげは刺さったままなので、痛いですがそのうち、またきっと元気になることでしょう。*きのうからのお話の続きで考えると、そういえば、出家した人たちもポンたろうのように髪の毛をそりますね。*う~む、19.太陽で新しく踏みしめている大地はやっぱり旧来の大地では無いのではないでしょうか。21.世界まで考えると天空の城ラピュタこそめざすべきワールドであるのかも知れないです。*胎蔵界と金剛界についてはくりかえしくりかえし何度も何度も考えています。
2006.01.05
帰りの電車の中、涙がこぼれて、こぼれて、止められなかった。きょうも...。わたしがしていること、もしくはわたしがこれからしようとしていること、は非常に理解されることの少ない、ましてや共感を持ってわかってくれる存在はほとんど居ないと言っても良いかも知れないです。わたし本人としては、釈尊が家を捨てたことにもとても共通していることだと思うのだけれど、わたしの周りに居る多くの人にとっては、ただ、精神世界に偏って一般世界から離れてしまったどうしようもない人に写るだけであることを思い知らされることが多いです。12月にテレビで見た瀬戸内寂聴の生涯は私自身に重なるところが多かったと思います。わたしは瀬戸内寂聴と同じように周りのみんなが、どうして自分自身にうそをつきながら生きて行けるのかがどうしてもわかりません。・・・・・・あ゛~っ!出家というのは、まさしく「家を出る」と書くのでありました。そうでした。そうでした。・・・・・・でも、やっぱり苦しいのでじい~っと耳をすませてどこに答えがあるのかを探します。ひらめきと共にやってきた答えのある場所は今日は、「ルーン」でした。ルーンの9番「エイワズ」防御、避ける力。「今は待つときである」「正しい決定によって予期される困難を避けよ」「私たちは行動する者である前にまず決断する者なのです。はっきりとした決断がいったん下されれは、宇宙はサポートを始めます。」「困難や不快さを通して成長が促がされるのだということを教えています。今は辛いときかもしれません。しかし、それは確実に意味のあることなのです。」・・・・・・問われていることは、6.恋人達のカードの本質的な意味。ビナーにむかうのかティファレットにむかうのか、です。まさしく、決断が求められているのでした。
2006.01.04
甲府の十牛図の時に描いたわたしの第十図も同じことを書いていました。いままで、気がつかなかったです。わたしにとってヘリオセントリックの太陽とは、つまり太陽神であることに他ならないのでなんと大それた第十図だろうかとも今さらながら思います。それで、わたしは「占星術」をツールにしようと思いました。ヘリオセントリックの太陽に一歩ずつ近づくための道具です。ジオセントリックからヘリオセントリックへ。*蛇足なんだけど楽天ブログで同じ日付の日記をたくさん書く方法を見つけちゃった!やったね!
2006.01.02
これはおととしのお正月に千駄ヶ谷のカーサで描いた絵です。突然、思い出してさがしてひっぱり出しました。じぶんでも今この絵を見て、とてもびっくり!でした。胸が画面の太陽位置に黄色で表現されていて周りを12サインが取り囲んでいます。ジオセントリックでは自分自身は12サインのどこかの地球に足場を設けていてそこから主観的につまり天動説的にものごとを体験しているわけですが、これは完全中立のヘリオセントリックの太陽を描こうとしているのかも知れません。月位置に描いたレムニスカート。これはひょっとしたら「サルタヒコは黒い太陽である」を解く手がかりになるのかもしれません。
2006.01.02
新年始めの一枚は、ワンズのクイーンでした。ことし一年の私のテーマなのだと思います。「愛の分かち合い」「文化、芸術などでの発展的母胎」わ~ぁい!私は今年はワンズのクイーンを目指しま~す。
2006.01.01
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