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マケマケの神話の最初の方。髑髏を持っていた巫女さんはやはり2.女教皇波に流されてたどり着いたあとは19.太陽 ですね。マケマケという名前がついたことについての天文関係のニュースはこちらです。神話についてはこちらです。
2008.07.31
今日は朝から元気に!エリスの気分を味わっています。「やってることの意味がわからない。あまりにも意味不明。」「他の人の気持ちをないがしろにしている。」「8ハウスを使うならもっと徹底すべきだ。」「とっても嫌な感じ!」感情に外宇宙的な形容し難いものが進入した感じ、です。あ、そうだ。明日の19時12分に「食」の新月です。通常の新月でもその直前は大きく落ちたり引いたりすることが起き易いのですが「食」の時はそれがより大型になる感じあるのでした。なので、もし今日から明日にかけてあんまりおもしろくないこと自身の影を見ること相手の嫌な部分が浮き立つことネガティブになることあったとしてもそれはこの天体配置の影響なのでめったに見られないお化け屋敷に入ったと思って受け流して行きましょう。そうしましょう。そうしましょう。こうして意識化することで天体からのこの影響は受けないことにすると決めれば良いわけだし。ここで立ちのぼったものたちは深い影であるわけで影の反対側には必ず光りがあるわけだから。光りもあれば影もある。半年に一度の大きな波が来る前に大きく波が引くそんな時間。なのである意味、めったにないような大切な人生テーマを拾えるチャンス!静かに耳を澄ましてみる。占星術の原理から考えると新月直前は浄化の時でも良いのかも。あたらしい太陽の意志を受け取るために月は古い今までのものを手放して空っぽになろうとしているのだから。古い必要の無い月はさようならをする絶好のチャンス!そしてやっぱり必要以上の試練は必要ないのだとわたしは思います。
2008.07.31

ある人からこの本についてのメールをもらった時とてもどきどきして、すぐに欲しい☆と思いました。夜だったのですが、池袋ジュンク堂に電話してみたら「閉店は夜10時です」ということだったので走って買いに行こうと、思ったくらいです。でも、いちおうその前に、在庫の確認をしてもらったら現在は品切れの状態が続いています、ということだったのであわててアマゾンに注文しました。それが、さっき、昼前に届いて少し読み始めて これまた びっくり!本の初めのところに書かれているのはけさわたしが、ブログに書いた《 山手線でのこと 》と同じ。おまけにもう少し読み進んでみたら今わたしが、松村先生のところでやっているリモートビューイングの練習で体得している、そのままの内容といっても過言ではない、内容なのです。わたしは、その体得中の内容は誰かから教わっているのではなくて自分で体得しているという認識だったのですが。その内容とは最近、このブログにも書いている「創造の光線の下降」に対する「進化の流れ」の蛇のまきつきのことです。そして無心ということです。あまりの内容の一致にとても驚いても居るしやっぱり、これで良いのだとうれしくも思っています。本の題名は『あなたを成功と富と健康に導くハワイの秘法』です。PHP研究所ジョー・ヴィターリ 著イハレアカラ・ヒューレン 著ホ・オポノポノと言うのだそうです。☆松村先生のHPに出てきた「滝と杯」と同じこともこの本に出てきました。すごいです。やはり、わたしたち人類は「鳥」を共有しているのですね。「鳥」つまりシンクロにシティーとしての情報の共有かと思います。ヘミシンクとかをしているとやはりそこのところは加速度がつくのかと思われます。☆そして、もっと拡大して言うのなら外がわの天体につけられた四番目の名前が「マケマケ」という環太平洋圏の神話の神さまの名前ということもやはりリンクしていることなのでしょうね。☆こんどは、おとといの東京星図めぐりでわたしが同行の人にくり返しお話したことと同じことが出てきました。ゴミ箱のお話です。ここまでくるともうちょっと言葉には表し難いものあります。☆なおも読み進めてみたらこんどは、きのう占いに来られたお客さんとのリーディングの内容が出てきました。それは、ひとことでいうと「霊感か それとも 意志か」。わたしはその問いに対してタロットのライフシンボル・スプレッドでこたえたのでした。☆と、ここまで来たら急に最近多発している刃物での殺傷事件のことがとても気になり始めました。そして、夏至図のことも。今年は夏至にセラピーキャンドルづくりをしなかったのでわたしはちゃんと深くは夏至図をよんでいなかったのです。これが今年の夏至図です。いっけんハードな配置は無いように見えます。でも良く見るとASC近くの獅子座の火星が水瓶座の海王星とオポジション。この火星は山羊座の月と魚座の天王星とでヨッドができています。これなのかな、とも思いました。殺傷事件と直接関わりがある配置では無いと思いますがというのはつまりこの配置ができたから殺傷事件が起きる、というものでは無いわけなのですが。星はそこまでのことを決め付けては居ないのです。天体配置をいかように使うかはわたしたちつまり今を生きている人類に委ねられているところあると思います。お話を元に戻すと、テレビなどでのマスコミの報道がこの火星の衝動に拍車をかけます。秋葉原の事件の火種が全国に拡大して行く可能性は読み取ることが可能です。ネットでの犯行予告ということも読み取れる火星の配置です。えに言われぬ衝動に支配される可能性もあります。このことはさきほどの「霊感か意志か」の問いについて考えさせられるところです。どこからか強力に訪れる内側の衝動に身を任せることの危険性も示しています。そのような衝動を感じても衝動に身を任せないだけのしっかりした柱を自身の内側に確立させること。とても大切です。☆そしてさらに読み続けたら「スピリチュアルな教師について学ぶために家族のもとを離れた人々は過去にも例がある。」という言葉が出てきました!なかまが居たんだ、という感じです。とっても、うれしいです。☆P.74「プログラムの場合も同じです。他人の中にプログラムを見つけた時は自分の中にもそれがあるということです。逃れるためには清めるだけのこと。」これこれ。これなのです。占星術は、吸い取り紙で無禅の禅ということと同じです。トランシットの冥王星の不必要な影響をこのあいだわたしは自分自身の中で掃き清めたばかりです。☆誰か、問題のある人が私のところにやって来たらそれは、わたしの問題。なぜならばこの世界では類は友を呼ぶという原則も働いているから、なのだと思います。このことは占い師を仕事としている人は日々感じていることだとわたしは思います。わたしは私自身の中でそのことを清めます。これはヘリオセントリックの太陽への道。ひいてはワンネスへの道なのでしょう。と今日はつくづく思いました。☆わたしはこのような絵を描いていたすこし昔から、このことを知っていたようにも思えます。そしてわたしはこの世に生まれるはるか前の時からもこのことを知っていたようにも思えます。
2008.07.30
ひるまの山手線でとなりの高田の馬場では乗降客が多い時もあり二つの席が空きました。じゃあ座ろうかな、と近づいたとたんべつの中年女性が同じタイミングでやって来て自分のカバンをドスンと置いて二席を確保しました。どうして二席かというともう一席は自分の娘さんのため。娘さんは、三十代。これは、よくある日常のひとこまです。あまりにも良くあることなのでわたしは、別に何も感じない。あまりにもあたりまえなので何も感じなくなっている出来事なのですがわたしにはそのシーンがみょうに気になりました。みょうに気になる、というのは天使とかガイドとかが居るとしたら「これをよく見ておきなさい」と言われた出来事のように思えたのです。松村先生の「人類の堕落」のおはなしが根底にはあるのかもしれないのですが。ひとつ大きな視点を持ってみた時。気が付かなかったことに気づかされることがあります。きのうも「マケマケ」のお話しから今の人類は食べつくしてしまう人類であることわたしは気づかされました。昔の人たちは、全部を食べつくさなかったのだけど今の人類は、全部を食べつくしてしまう。とても良いことに気づかせてもらいました。ひとつ大きな視点を持った時あたりまえで見えなくなっていたことが見えて来るんだなぁ。気が付くと、変わるので。変わるというのは自分の見方・感じ方が変わるとすべての見え方も変わったりもするのでときどき知らないうちにかけている眼鏡に気が付いてそれを外してみるとおもしろいですね。眼鏡を外した時ああこの世界はほんとうはこんなにすばらしいところだったんだと別の見え方をすることもとても多くなり始めました。
2008.07.30

今日初めてフォーカス15に行きました。その時自分が柱のあたりに立っていました。身体は別なところに横になっているそのままだったのですが。体脱だったのかも、と思いました。感じとしては身体としてのわたしは横になっているけれど夢の中のわたしは柱のところに立っているというような感じでした。初めての体脱かも、です。やったぁ☆トンネルも出てきました。鍾乳洞のような人間の腸を巨大にしたような洗濯機の排水パイプのように蛇腹になっているようなそんなトンネルでした。わたしはそのなかを進んでゆきました。トンネルの先は宇宙のような星の光りの集合体でそこに全身のミロクのような存在と半身のキリストのような存在が居ました。宇宙的な地上のものでは表現しにくいものをたくさん見ました。絵に描いたのは女性の身体でもあり巨大ロケットでもあり惑星でもありそしてカタツムリの頭部のようでもある大きな有機体です。宇宙に浮いています。このあともたくさんの映像が見えました。フォーカス12よりも、わたしにはフォーカス15は、よりはっきりと見えたようにも思えました。
2008.07.28
きのうは『東京星図めぐり』の最終日でした。魚座地区で明治神宮に行きました。明治神宮は、原宿側の鳥居が改修工事中でした。そのそばの緑の木陰のカフェで「今日は打ち上げだし」ということでわたしは生ビールを飲みながらずいぶんと長い間お話をしました。お話の内容は個人的な過去のお話から明治神宮と靖国神社の違い陸軍と海軍の違いなど今から思うと驚くような内容にまで展開していました。「水」がキーワードの一日でした。「水」という象徴がさまざまなところにあふれていました。湧き水のお水もいただきました。御詠歌もみんな水がテーマでした。本殿のところには全国からの名水が奉納してあってここでも水でした。そしてそのあと明治神宮での結婚式をわたしは始めて見ました。結婚式のあとで本殿へ参拝に行くところなのだと思いますが屋内から行くのではなく外に出で行きます。神主さんのあとに新郎新婦やご親族の方々が一列になって歩いてゆきます。白無垢姿の新婦さんの上には赤色の和傘が広げられそれがまわりの樹木のしっとりとした緑色の中に映えていました。一般の参拝客の人たちも「おめでとう」と声をかけるとても和やかなものでした。『東京星図めぐり』の最後にとても良いものを見させていただきました。
2008.07.28
ゆうべ眠る前にその導入剤のようにたち現れた夢は銀色の海の映像でした。今でもとても良く覚えています。銀色の海なのだけどそれは非物質の存在というか実在ではなく非実在というか。なので、そこは惑星ではあるのだけど地球ではないことがわかりました。☆今日は太陽サビアンは獅子座5度 「絶壁の端にある岩の塊」ネットのニュースで見つけました。「(夢を阻む)れんがの壁がそこにあるのは、自分がどれほどそれを望んでいるかを試すチャンスを与えてくれるためだ」まさにこれは獅子座5度の言葉のように思えました。☆オーラの泉を毎回楽しみにみています。きのう三輪さんはTOKIOの人たちに「馴れ合いにならないお付き合いが長続きの秘訣よ」と言っていました。☆ある振動が八図やH12にも関することであることはわたしは体験的には知っているように思います。それを使える人をわたしは知っています。それでは、わたし自身がそれを使えるかというと微妙に接近した体験はあったように記憶していますが日常的にそこに触れては居ません。しかしながら七図的社会生活を送る時に人格はどうしても必要なものですがその人格の壁があるとまた八図には行けないということがあるように思えます。より八図に移行して行った人たちをわたしは何人か知っているように思いますがそれとこれとは別問題のところがあります。しかしながら人生体験や人格的には幼いまま留まって八図を開発しているケースという場合もあってやはりそれは人としては問題ありのようにわたしには思えました。☆街と森の境界線に存在し続けることはわたしの場合これは持って生まれた本性のように思います。ただ相性的に、そのことをより強調させる存在とそうでは無い人とがいます。
2008.07.27

ヘミシンクをすることで得ることのできる効果は、おそらく人それぞれなのだと思うのですがわたしの場合14.節制のように中心軸を通す効果が得られることに気が付きました。「創造の光線の下降」と「進化の流れ」の統合の役割も果たすと思います。「進化の流れ」の方向性には周辺性にウエイトが置かれた傾向が強まるのだと思うのですが下手をすると、周辺性や周辺的価値観の中にすぐに埋没してしまうわたしが居てそこにひとすじの光りをヘミシンクは与えてくれるそんな感じです。それはいわば確かにリコネクションと同じように宇宙的存在でもある自分自身を取り戻し地球的存在でもある今を生きるわたしに再結合するようなそんな感じかも知れません。この生き方はそうとうに高度な生き方のひとつなのかも知れなくてわたしはどちらか一方にどうしても偏りがちになってしまいます。ヘミシンクをした時にひらく何かはRVをした時にひらく何かにとても良く似ているようにもわたしには思えます。わたし的にはこれらのひらく何かは未来的方向性からの「創造の光線の下降」ととらえています。これが開くと、瞬時に反対方向である「進化の流れ」としての過去的方向性からの周辺性が蛇が棒にとぐろを巻き登るようにからみついて来ます。このふたつはどちらか一方だけということはあり得ないのだと思います。象徴的には古事記においてヨモツヒラサカでイザナギを追うヨモツシコメの関係ともいえると思います。双方向の統合のポイントにわたしたちは生きているというわたしたちはその存在自体なかなか高度なことを日々し続けているのだなと感心して思ったりします。中心部分は創造的要素がとても強い部分なのだと思います。いまだに無いものの創造へと結びつく人生物語のお話の発動に関したところなのだ、とも思います。
2008.07.26
大きな大きな鳥でした。鷲のようなコンドルのような黒い鳥でした。その鳥が子育てをしていました。これはけさみた夢のお話です。雛は一羽だけででも鳥の巣は地面の上にありました。そこは大きな神社の参道です。大きな石灯籠が並んでいて石灯籠には白黒で眼のマークがはっきりとついていました。
2008.07.25
対人関係は「鏡の関係」とよく言われますが人は本来いびつな鏡なので「洗心」「明鏡止水」の言葉が示す状態を保持し続けられる人はなかなか居ないわけですがたとえばここに霊的成長が進化してよりこの言葉が示す境地に近づいた人が居るとするとそうするとその人はより「無色透明の鏡」の存在となり相対する人の闇や汚れをダイレクトに映し出すことでしょう。そうなると対人関係的にどういうことが起きるのかというとおそらく、相対する人は自分自身の持つ闇や汚れをその無色透明に近い存在の上にそのまま見出すことでしょう。つまり、ほんとうは自分自身の闇や汚れなのだけどあたかも相対する人がその闇や汚れにまみれているように見えることになるのだと思います。今、また新たに鍵穴に鍵が差し込まれ扉がひとつ、開かれたようにそのように、思えてわたしは、とてもうれしいです。
2008.07.24
女性という存在はその存在の本質においてエロス的現世肯定的地上的存在なのだと思いました。それに対して男性という存在はその存在の本質においてタナトス的現世否定的宇宙的存在なのだと思いました。女性という存在は本質的には弁財天的存在なのだと思います。男性という存在は本質的には竜神的存在なのだと思います。そのふたつが交じり合い相互に影響しあう世界それが、今を生きるこの地球での時間と空間なのかも知れません。もちろんそうではなくて「ひとり神」的人生を選択して生きる自由も認められていると思うしジェンダーを越えた生き方を自由意志で選択することもここでは認められているのだと思っていますが。性としては女性であることを、今回はみずから選んでこの世に生まれてきた場合にはそのことに、より同調して大地母神に近づいてみた時この世に生まれ、生きた人たちが「ああ、地球に生まれて良かった。」そう言って去ってもらえたらこのグレートマザーとしては本望なのかも知れないなそんなふうにも今日は思ったりもしました。
2008.07.24

何年か前に、きちんと「月」と向かい合おうと思ったのです。スピリチュアルなこともいろいろとやってゆくなかで血縁の家系の中に代々引き継がれてきたものも明確に浮上しそれが長い間私のテーマとなっていたということもあります。それは足元の一番の闇と向かい合うことでもあるのでとてもしんどいことですがそこに少しずつ光りが通っていろいろなことが動き始めてそうすると変化が起こり良かったと思いました。最初はただの夢だったのですがこつこつと続けていたらいつの間にか少しずつ変わるようになりました。こないだは生まれてはじめて「ごめんなさい」という言葉を耳にしました。その言葉はあまりに唐突にさりげなく発せられたので言われた私はとても驚いてしまったくらいです。わたしにとってそれは真珠のように輝くたからものの言葉となりました。このプロセスはタロットでゆくと20.審判のように思えます。「月」については時には怒り時には泣いてそしていつもいつも私は絶望してきたように思えます。そういうわたしの周りにぐるぐる巻きになって取れずに居た黒い雲が少しずつ少しずつ祓われたのかな、とも思ったりもします。人間関係は、相手との間にたちあがるものだとつくづく思います。「月」というのは地上生活の一番のナビゲーターでもあるわけなのでここに暗雲が垂れ込めていると人は方向性的に天上を目指す傾向が強まるようにも思います。すくなくともわたしはそうだったなと思います。それは、反対の見方では天上を目指す方向性を強めるために「月」との関わりが課題が多いものとなっていたということも出来るのかとは思います。いずれにしてもここのところの黒雲の存在にまずは気が付く、というプロセスがあってそのあとに行為としてその黒雲を消してゆくプロセスがあってこのプロセスの経過とともに地上生活は、その見え方に大きな変化が起きて行きました。
2008.07.24
虫は魚の餌になるという夢を見ました。夢に出てきた虫は真っ黒で非常に巨大でした。ヘラクレスオオカブトという名前なのでしょうか。世界で一番大きいカブトムシもしくはクワガタということでした。カブトムシのようでもありクワガタのようでもありました。それが死んでからからに風化してゆく途中のものをわたしは自分の池もしくは川に太鼓橋の上から落とします。すると即座にそれは魚の餌になりました。わたしは夢の中でわたしの魚たちは幸せなんだろうかと考えます。そして水が澄んでいるから幸せに違いないと自身で答えます。あの水はまさしくわたしの水。そういう感じのものでした。
2008.07.23
千駄ヶ谷の鳩森神社の前も道路が五差路になっています。現代の交通から考えると五差路というのは不思議です。きっと江戸時代とかそうとう古い時からの名残のように思います。現代の交通で考えるとターミナルは五差路になっても不思議は無いです。たとえば駅前とかから放射状に道路が延びるのとかはイメージしやすいです。東京星図めぐりの準備で地図を見ていて別の都内のある場所にやはりくもの巣のように放射状に伸びる五差路を見つけました。新しく見つけた場所も現代の交通からは五差路である必然性がまったく無い場所なのでこんど近くまで行く予定なのでその時に見に行ってみようと思います。そこの場所は今までほとんど行ったことが無かったのですが最近、いろいろなことで行くことが急に増えつつある場所です。けっこう大好きな気の良い場所のひとつです。
2008.07.22
目白のほうはアトリエえんどうまめという名前を使っていますがえんどうまめをさやえんどうという人が居ておかしかったです。封筒の宛名とかにアトリエさやえんどうさまへと書いてあります。☆今日は、ジャックと豆の樹のことを考えていました。これは前に調べた時イギリスの昔話ということがわかったのですがこういうお話というのはつくづく良くできていると思ったりします。現世とスピリチュアルな世界のありようや関わり方をいろいろと伝えていると思います。えんどうまめさやえんどう豆の樹いずれにしても蔦(つた)科の植物です。子どもの頃はどうしてそれが雲まで伸びたのだろう、と真剣に考えたりしました。お話の終わりでたしかジャックは金の卵を産む鳥と金の竪琴を雲の上から持ち帰り豆の樹はなたで切り倒します。このラインにタロットの20.審判を見ることも可能かと思います。上下間の統合です。と考えると19.太陽は左右間の統合となるかと思います。そういえば2003年にこの豆の樹にとても良く似た大木が出てきた非常に神秘的な夢をみたことがありました。
2008.07.21
今日ネットのニュースで見つけました。小さな短いニュースですが。マケマケという名前がついたそうです。豊饒の神さまの名前って良いですね。さっそくマケマケについて調べてみました。ほかの天文関係の記事はこちらです。
2008.07.20
8月16日(土)スタートの『新・東京星図めぐり』では「あなたにとっての一番の開運の場所をさがす」をキーワードにきゅうりの吉田さんとご一緒に一年かけて一ヶ月に一回のペースで東京都内のあちこちを探訪をします。きゅうりの吉田さんというのは他にも吉田さんという人がいるのでいつからか、おふたりの区別するために誰からとも無く、呼び始めた呼び名です。どうして「きゅうり」なのかと言うと「きゅうり加持」という、めったに無いことをする人だから、なのです。きゅうりの吉田さんはレイラインや江戸の風水や結界も見る人です。なので、そちらのお話をお聞きできるのも楽しみのひとつですね。西洋占星術も松村先生のもとでしっかりと身に付けられています。ただいま、第三の眼の代々木店の日曜日にも、出られています。吉田さんとわたしが西洋占星術の持てる技術をすべて動員して参加者の方おひとりおひとりにとって最も開運になる東京都内の土地を読み解いて行きます。とりあえずは、あちこちを歩き回ってみる予定なのですが「僕の車を出しても良いですよ。」と吉田さんは言ってくださっているので少し遠方に行く場合、もしくは都内でも、電車の便の悪いところに行く場合は吉田さんのマイカーで星図めぐりをすることもあるかも知れません。近日中に詳細をHPのほうにアップします。この講座はなかなか乞うご期待☆なのではないかと主催者のひとりとして私自身も、とてもわくわくしたりしています。
2008.07.20
十牛図は活きていてまだ終わってないのだと思いました。手ごたえとして私の道はやはりここにある、というそんな実感です。じつはその道はどこへ良く道なのかも自分ではまだよくわかって居ないのですが。未知の領域は不明の世界なので手探りで一歩一歩を進めています。不思議な時間と空間です。どうしてかというと自分が進まないと何も変化しない世界だからです。でも一歩進むと「なにか」が動いて行くのです。それが「なに」であるのかまだ私にはわからないので言葉にはできないのですが。ああ私の牛はここに居る。そんな不確かだけど実感のある不思議な感じを味わいながら少しずつ少しずつ歩いているそんな感じです。とにかく何もわからないので触れ続ける時間を持ち続けてみようと思っています。そしてこの時間はわたしにとって何より楽しい時間です。
2008.07.18
人は眠っている時に気力・体力をチャージして朝元気に目覚めるように思いますが占星術のチャートを毎日見ている生活をしていると天体配置のエネルギーも夜寝ているときにチャージされることを感じることが多いです。それが目覚めの時に夢やメッセージを通してより具体的に伝えられることも良くあります。今日の場合とても土っぽい内容でした。土星も乙女座木星も山羊座。社会性に関わる2天体が土のサインに居ますのでやはり土は強まっている感がありますね。とくに土星は土のサインはとても居心地良く本領発揮なのではないでしょうか。それで伝えられてきたメッセージは土のサインはこつこつと時間をかけて積み上げたものを大切にします。というようなものでした。「等身大の」ということもキーワードのひとつでした。「そこのところが世の中の、社会的安定に結びついているのだよ。どんどんやろうね。」こう言って同調しているのは山羊座の木星さんでしょうか。つまり、事実として実際の社会の中でどういう経験や実績を積み上げてきたのかね、ということに価値を見出すポイントが移っている時、と言うことができるのだと思います。
2008.07.17
破壊の言葉つまり「それを言ったらおしまいでしょう」という言葉があります。『天空の城ラピュタ』にも出てきたそこに成立しているワールドを破壊するそういうパワーを持った言葉のことです。この言葉は、やはり決定的な破壊力をうちに秘めているので使い方はよくよく気をつけなくてはいけません。まあ、ようするに冥王星的パワーを持った言葉ということになります。この言葉にスイッチを入れた時または他者から投げつけられた時ぜひお勧めしたいのが「ちょっと待てよ」とすぐに反応しないこと、です。ぐっと、腹で受け止めてしばし深呼吸して少し待ってみる。そうすると不思議とね。冥王星が惑星降格する前と違ってその破壊の言葉は少しずつ形を変えて腐るようにして消失して行きそしてそこから今度は、とても新しい今まで無かった可能性の芽が生え出すように、なりました。そのプロセスを客観視することはとても喜びであったりもします。死と再生破壊と創造が偏在化しているのです。きっと、今地上では。冥王星失墜はこんなふうに地上への影響を変えてきたのだと気が付きました。今までのパターンにとらわれないほうが良いです。今までとは違って来ています。お亡くなりになったものは消えてしまうのではなくて『千の風になって』で歌われたみたいに形なきものとして、偏在化するのだと思うのです。形なきものとして、偏在化している冥王星のエネルギーに、触れた時は感謝して、静止してみるのがポイントかも、と思います。静止する、つまりゼロポイントで、明晰になる。それと全く、逆の姿は、感情的な暴風雨の中で、翻弄されるです。この時はゼロポイントでしばし待つ。イメージとして一時的に「虫」になってみるのも良いかと思います。ここでメタモルフォーゼが起きるのだと思います。つまり、変化を受け入れる私に変わる。ゼロポイントにいちど到達できるとそれはすばらしい再創造へと激変する可能性が開かれて行きます。そうは言っても必要以上の試練は引き寄せる必要性は無いのだと思います。あるがままの地上での生活を楽しむことも良いことです。もし、どうしても試練が訪れた時には「できない試練は与えられない」ということに気が付くと自分の内側からきっと、だいじょうぶという自信が輝き始めて乗り越えるためのエネルギーになったりもします。
2008.07.13
今日本の神さまの中でひそかにクローズアップされている神さまナンバーワンはくくりひめなのではないかと思います。☆くくりひめとかけて占星術の30度アスペクトと解きます。そのこころはイージーとハードの異なる世界を結びます。
2008.07.11
《ひとつ前のブログ》からの続きです。それで、上位の存在とアクセスするということを考えた時あこがれの感情というものを全く持たない人が居るとしたらその上位の存在とアクセスするという行為自体が成立しない可能性があります。シュタイナーは、だから人間にとっては、あこがれの感情を自分自身の中に保持しているかどうか、ということは、とても重要であこがれの感情は、「月期から水星期の切り替わりの頃に、どきどきするような大人と出会えるかどうかがに、かかっている」というような言い方を、たしか、していました。上下間の接続について考えた時あこがれの感情というものを自身の中に持っているかどうかはとても大切なことであるとしてもこの、あこがれの感情を持つということと崇拝・依存するということは共通点もあるけれど別ものでもあることは留意すべきことなのかも知れません。
2008.07.11
あらためてマザーテレサは神を配偶者として生きたのだよね?と思いました。それというのは本来どんどんと全人類の方向性に拡大して行く生き方なのでしょうか?ここで、ある人が先日、ボソッと言っていたことを思い出します。そのことはつまりこのことをズバリ表現していたのだけどうまくひとことで言語化できない。う~む。そうですね。ここのあたりのことは松村先生の言葉を借りると「食料」ということなのかな、と思ったりもします。つまり、引き上げられるためには自身は上位の存在の「食料」になる、というそういうあたりのことです。昔、うさぎがおぼうさんに「私を食べて」と言って火の中に飛び込んだというそういうお話を、思い出しました。
2008.07.10
朝目覚める前にまごころという言葉と対話していました。まごころちょっと、古くさくてだささも、あってだけど、奥が深くて時に、陳腐でそして、でもその核心を捉えることができると未知のすばらしいエネルギーが放出されるようなそんな塊のような言葉のようにも思えます。外側は、ありふれた体裁の、ぱっとしない茶色に、なってしまっているけどそのまんなかに、黄金色の宝のような、輝きを秘めているようなそんなイメージ。ありきたりでありふれていると関心を向けずにそっぽを向いてしまうと何も発動しない。でもふと気が付いて意識を向けてみてその本質にアクセスできるとその中心には非常にパワフルで活き活きとしたすばらしい輝きを秘めているそんな言葉のように思えました。ほんとうのまごころはただそこにあり輝いているもの押し付けないものだと思いました。そして、そこにアクセスできると共振的に、シンクロしてつながるネットワークが、あるようなそんな気がします。人間の構造の中でハートチャクラは発信機であり受信機であったのだとそう、思いました。
2008.07.09
さきほど、庭のほうでうぐいすが、ひとこえ鳴きました。えっ☆いまどきの季節に。それとも通りすがりの小学生がとても良くできた鶯笛とかを持っていてそれを上手に鳴らしたとかなのでしょうか。
2008.07.08
一日のうちにはいろいろなことがあってその邪気を祓うにはお風呂に入る時にやはり湯船に一握りのお塩ですね。これは野口整体のS先生が生前、おっしゃっていた方法でもあります。そう、それでその時に髪も洗うとより効果的なことを最近発見しました。
2008.07.07
ふたたびグリム童話が持っている現代が喪失した「あるもの」に強い関心が芽生えています。その「あるもの」とはひと言で言うとおそらく「秘儀」とでも言えるものなのではないかと思うのです。グリム童話は、その有名な赤ずきんであるにしろ白雪姫であるにしろ「秘儀」的なものを一度封印しました、というそのことそのものが結晶化して封印されているお話なのだと思うのです。日本のお話に類似しているものとしては桃太郎などのお話に似たものが存在しています。日本の場合は、その秘儀に精通している存在、近代自我が芽生える以前の支配的な力を「鬼」という象徴として表現していたりするようです。
2008.07.07
次回、東京星図めぐりが実施されると満願成就になります。わたしは、今回の12サインの東京星図めぐりでは最初の牡羊座の時にひとつの願をかけたのです。その願いは誰にも内緒なのですが。それはかつてある人がわたしにしてくれたことなのです。なのでわたしも生きているその間にその恩返しがしたいなとそんなふうに思っての行為でした。☆おかげさまで東京都内のスピリチュアルスポットの傾向と対策みたいなものはしっかり把握できたところあります。これはいわばご褒美の恩恵かと思います。次回魚座で満願成就に達した暁には東京星図めぐりつまりスピリチュアルスポットをそれぞれのサインの特質に応じて回ることはお仕事にして行く予定です。私がサーチしたことをみなさんにお伝えして行きます。スピリチュアルスポットとはつまり、とても気の良いところ。気の良いところではご自身のなかの上位の存在と現在のご自身が出会うというそんな不思議な現象がひんぱんに起こることをわたしは何度も体験しました。
2008.07.05
2003年の火星の大接近の頃ある二つの物が、急激に欲しくなったのを《きのうの赤いカバン》から、思い出しました。2003年に欲しくなったのは赤いルビーのような石の指輪と赤い靴のふたつでした。これは自分でも良くわからない無意識の奥底から急に欲しくなったのでそれまで指輪とかまったくすることが無かった私としてはどうしちゃったのかな、という急激な変化でした。不思議な引き寄せの法則が働いて結局わたしは、赤い石の指輪と赤い靴を、なんと二足も手に入れて日常的にそれを身に着けることになりました。日常的に身に付けているグッツの色彩が持つ影響力は想像以上のものがありそうです。赤い石と赤い靴の持つ無意識的影響力は大接近の火星の天体配置の影響と共に私の人生を大きく変えるその原動力となったように今から考えると思うのです。あの時の大接近の火星の度数は私のネイタルのASCにぴったり合でしたのでそれはなおさらのことです。この心理的なものへの影響まで含めた不思議な実体験の流れを思い出すと無意識的な、大いなるエネルギーの流れと色彩との密接な関わりは想像以上に濃いことがわかります。人生が大きく変わる時何かわからない、でも不思議な予感に導かれて人は所持している日常品の色彩を無意識的に変化させているのだと思います。
2008.07.05

A地点からB地点への移動の途中あまり時間にゆとりが無かったにも関わらず一軒のカバン屋さんに、吸い込まれました。何故だったのか、良くわかりません。そしてこじんまりとした店の中を、ひとめぐりしたら、この赤いカバンと目と目が合って離れられなくなりました。お店の人は、いちはやくそのことに敏感に反応してすごい喜び方をしていました。まるで飛び跳ねるようなそんな喜び方をしていました。私のほうとしたら「長い間このカバンは人を探していた。そしてカバンがわたしを選んだ。」そんな感覚にさえ陥ったのです。わたしは知らなかったけどそのお店は、カバンを作って売っているお店でそのカバン職人でもあるお店の人がほれ込んでイタリアのカバン工房から取り寄せたのがこのカバンなのだそうです。そのお店の人もこれの色違いを自分でも使っている一生物です、ということでした。このカバンを見ているとほんとうに「愛」を感じます。私の中から「愛」が発動します。文句なしで、大好きだよ☆物に対してのこのような感覚は一週間前に突然再生しました。あるひとつの石ころに対して発動しました。牡牛座的に私物化したいという欲を感じることは生きて行く前向きな意欲とも結びつきやすいし楽しいことなんだ、と改めて思いました。わたしはこれからこのカバンと一緒に生きてゆけるかと思うととてもうれしいです。
2008.07.04
「人」と「人間」と考えてきたその続きになりますが確かシュタイナーは「他者と出会えるのはこの地球上の生存だけ」というようなことを言っていたように思うのです。1900年代までの精神世界指導者の何人かは「自己を他者に投影する人間システム」のことについて言及しているようですが他者との出会いと関わりによって引き起こされるエネルギー変換にこそ生きている意味があるのではないかとそう思ってしまうのはわたしが特に7ハウス型にできているからなのでしょうか。自閉と交流の呼吸作用がテーマとなっています。
2008.07.04
JR原宿駅に山手線が停車しているその数分間に目にした明治天皇の御歌にはっとする思いをしました。原宿駅構内に大きな看板があってそこに毎月明治天皇と皇后の和歌が掲示されています。それをたまたま目にしたわけです。明治天皇の和歌の内容は正確には覚えていないのですが意味としては水というものはどのようなかたちの器の中にも自在に静かに収まるものだが時としてそれは長い時間をかけて磐をも変形させる力強さも持っている。このような内容の和歌で見た瞬間に、はっとしました。この和歌をほんとうに明治天皇ご自身がつくられたのだとしたらやはりただものでは無いのかも、そんな思いが湧いてきました。和歌の言葉の向こうに大きな突き抜け感を感じたのです。このただものではない感じは昭和天皇の皇后の描かれた絵というのをテレビで見た時にも感じたことがありました。昭和天皇の皇后の絵はご本人が描かれたものにほぼ間違いがないとわたしはそのてテレビを見た時直感的に思いました。指導していた絵描きが惚れこんでいた絵だとテレビではアナンスしていたのですがまさにそのような絵でした。人間的でありながら巫女的な絵でした。巫女は巫女でも「大巫女」というなにかやはりこの世のものとも思えない大きな魂の高貴さを漂わせているそんな絵だったと覚えています。
2008.07.03
真夜中の12時近くに200グラムのステーキをぺろりとたいらげるなんて自分でも信じられない。不思議な不思議なエネルギーの動いた一日でした。目白の駅からのいつもの帰り道真夜中の道路にとても美少女な猫が居ました。猫は道路のあちらのところにたたずんでいました。わたしもしばらくその猫を見ていました。線の細い若くてとてもとても美しい猫でした。夜中の12時を過ぎてもまだまだ人通りは頻繁にありました。でも、ふとその人通りが途絶えた時私の何かがその猫と一体化してあたりの世界が全く違ったものとして見えました。たぶん猫は人間と違っていつもそのような世界を生きているのだろうと思いました。それは私が知っているなかではオーラ視の世界が一番近いように思いました。前にわたしはカラスに同調して似たような異界を垣間見たことがあったことを思い出していました。背中を向けて歩き始めたその猫にさよならをして帰り道を歩いてゆくといつものキリスト教の教会の前に近づいてきました。そうしたらだんだんだんだんあるはずのない濃厚なユリの花の香りでむせかえるようでした。フォーレの歌にそんなのがありました。わたしはそのフレーズがとっても好きで今でも歌うことができます。その歌を小声で口ずさみながらのこりの帰り道を歩いて帰りました。
2008.07.02
そして、そしてというのは《きのうからの》続きになりますがこんど「人間」となった時にはなるほど人と人との間に立ちのぼるかたちなきもののことになるわけなのですね。その人と人との間に立ちのぼるかたちなきもののことが人間なわけです。
2008.07.01
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