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このところ、私が忙しく仕事に所用にと走り回るのにひたすら付き合ってくれていたミンミ。(ユウはリタイアして友達と遊びまくっています・・・「ママには付き合いきれないよ~!」と)1週間前から滞在しているウーファさんが、子どもの相手が上手な人なので、母屋に遊びに行くとなかなか帰ってこないんです。それで、電話相談が終わった後も、レメディーの割り出しなどに時間を使ってしまったりして(いつもは夜に回すんですが)、ついつい昼間の仕事量を増やしてしまっていました。すると、やはり出ました!どうやら、ある一定の許容量を超えると出てくるようですねぇ。ゼロゼロと胸を鳴らし、コンコンケホケホと咳を始めました。発熱も他の症状もなく、単に気管支だけの問題のようでした。(ユウが最近調子に乗って市販のお菓子を買いたがり、それにミンミも便乗することも多かったしなぁ)まあ、出したいものを出しているわけだから・・・と深刻には考えず、適合するレメディーをあれこれ与えて、「抱っこ!」と言われれば抱っこして、「立って抱っこ!」と言われれば立ち上がり、「お家の中を散歩して!」と言われればあちこち歩き回り・・・を繰り返すこと2日間。1日目の夜は、『六ヶ所村ラプソディー』の試写会があったりして、「咳コンコンでは邪魔になるかなぁ?」という心配はしたのですが、出かけることや夜更かしがそれほどの支障になるとは考えない私なので、一緒に出かけていきました。終わった後の打ち合わせ途中で、「もう帰りたい!帰る!」というので、素直にしたがって帰りました。翌日は、映画を観るために石和からやってきてくれた知人一家が泊まりに来ました。家の中に男の子が4人になって、大騒ぎ。もちろんミンミも大はしゃぎ。ゼロゼロ言いはするものの、前夜のような寝苦しさはほとんどないようで、早めに床につき、スヤスヤと眠っていました。上映会当日の日曜日、胸に耳を当てても音はしません。咳もめっきり減りました。ウーファさんを送って家に帰る途中、後部座席にいた彼女が「ホメオパシーってすごいですね!本当に治るんですね。最初は私もちょっと怖かったんですけど・・・」そして、「お母さんの愛情も・・・」と言いかけたあたりで、助手席にいたミンミが「ママのおかげ!」と一言。え~っ!!!????な~んて可愛いんでしょう!できることなら録画しておいて何度も繰り返し聴きたかった!これだから母親はやめられません・・・ママが元気なのも、ミンミたちのおかげだよ~。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2007/07/08
そう頻繁には連絡をよこさないユウパパからメールが来て、「NHKのテレビ番組に出演するから、ぜひユウに見せてくれ」ということでした。彼の現在の本業は、亡き父親の遺志を継いでの地下資源開発なのですが、もうひとつお父さんの遺した仕事として、若い頃から陶芸ギャラリーを経営してきました。そこで取り扱っていた国吉清尚(くによしせいしょう)さんという陶芸家さんの一生を特集したドキュメンタリー番組が作られ、彼もインタビューに答えて生前の清尚さんを語っているのだそうです。この国吉清尚さん、孤高の芸術家で、とても繊細でオシャレなオジサンでした。私が彼と結婚した頃、ちょうどお弟子だった若い女性と何度目かの結婚をして、何人めかのお子さんがユウと同じ年に生まれているんです。ガソリンをかぶって自らに火をつけ自死されたのは、確か私たち夫婦が離婚したすぐ後だったように思います。私は好きで子どもと2人になったわけですが、ある日突然にポツリと遺されてしまった奥や、1歳を過ぎたばかりのお子さんのことを考えると、複雑な気持ちでした。Iくんというそのお子さんも、元気に育っていればやがて10歳になるはずです。あれからもう何年もの時が過ぎたのですね。実はこの間ずっと、清尚さんが私に焼いてくださった2枚の大皿が、ユウパパの手元にあります。今回のメールにはそのことも書かれていました。なんでも今年、沖縄で清尚さんの回顧展を行うとかで、それに展示して多くの人々の目に触れさせた後に返したいということでした。この2枚の大皿の曰くをお話しますと、私たちが結婚してまもなく、当時の夫の主催で開かれた酒器展で私の作ったタイ料理を振舞うことになったのです。清尚さんがそれをたいそう喜ばれたそうで、後になって「これにぜひタイ料理の盛り付けを」と、わざわざ焼いてくださったということでした。その日は、那覇でも評判の美味しいお寿司屋さんもやって来て、出張握りをされていたのですが、清尚さんはどうやらタイ料理の方をお気に召したご様子でした。わが家に置いて、ユウの満歳祝い(1歳になったときのお祝い)や来客時に活躍してくれたお皿たちでしたが、離婚が決まって、夫の荷造りが終わった家に入ってみると、2枚の大皿は姿を消していました。「私がもらったものだったんだけどなぁ」と思いはしたのですが、まあいいかと気を取り直して、それからは家探しから引越しの手配、MOMの開店など、忙しいことが続いて現在に至り、大皿たちはすっかり記憶の彼方に追いやられてしまっていました。今ではきっと何十万円、もしかしたらもうひと桁ぐらい違う価格がつくかもしれない大皿たちが戻ってきたら、ありし日の清尚さんをしのんでタイ料理を作ってみようかな。その前に、ユウパパの出番が終わったあたりまでしか観ていない(伯父の家で観せてもらっていたのですが、子どもたちが、「もういい!もう帰ろう!」とうるさいので帰ってきてしまった)番組を、最後まで観なければなりませんね。~・~ もうひとつの日記はこちら ~・~ 富士ヶ嶺MOMの家 ~・~
2007/07/01
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