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笑ひある暮らしは良しと日曜は夕べを待ちて笑点を見る(大塚八重子 コスモス六月号より)コスモスの特選欄にあるこの歌を、夫がみつけて「おまえと同じような人がいるよ」と、見せてくれた。あ、ほんとに、私と同じ! でも、私は、ここまでそのまま歌うことは思いつかなかった。こういうところが、初心の頃から教えられていた「歌のたねはどこにでもある。格式ばるのばかりが短歌ではないから、自分の感動に素直にうたいなさい」という一例なのだろう。こういう場合、テレビの番組の名なら「 」に入れるのが普通なのに、まったくそういうこともなく、普通名詞のように入っているところもすごい。「これを読む人なら、だれでも笑点が何かくらい知ってるでしょ」という大前提だし、現に私にもちゃんとわかった。ちょっと調べてみたら、作者は私よりわずかに年長だが、たいたいおなじいような年齢なので、そのあたりも、感覚的に似ているのかもしれない。カナダでも「笑点」が見られるし、放送日も日曜日。バンクーバーの場合は、夕方の6時15分から。(「大喜利」は6時30分から)放送内容は、だいたい日本より3カ月から4カ月くらい遅れている。(なので、今でも、歌丸さんは入院前だ。)TVジャパンを見ている人にも、案外「笑点」のファンが多い。不思議なことに、日本語があまりわからなくて、言葉遊びが通じない人でも、「TVジャパンは日本語がわからないからほとんどみないけれども、笑点は面白い 」という人を何人か知っているし、うちの孫も、Cushion Shaw と言って喜んでみているし。もし、私が仕事で、「笑点」の英語の字幕製作をしろと言われたら、「もう、とても手に余るから」と辞退せざるを得ないが、それでも面白いと笑わせるのが「芸」というものだろう。
May 31, 2014
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くらぐらとああぐらぐらとわが子なりトゥエンティー・ミニッツ・オールドのわが子を抱く(大松達知『ゆりかごのうた』より)まさに、処置と沐浴のすんだばかり赤ちゃんを、そっと渡されたときのおとうさんの歌。(そういえば、うちの息子は、臍帯をハサミで切らせてもらったと言っていた。こういう夫参加型の出産になってきている時代だ。)おかあさんだったら、まだ横になっているところに赤ちゃんをのせてもらうので、あたたかさや重さは体に伝わってくるものの、「ぐらぐら」感はまだこれからのこと。 これはお父さんの特権である。作者としては、この「ぐらぐら」のわが子を抱くことによって、ほんとうに親になった実感を受け止めているのだろう。一首の中に「わが子」が二度でてくるのにも、その高揚感が伝わってきて、年寄りとしてはなみだぐみそう。また、下の句の「トゥエンティー・ミニッツ・オールドのわが子」も好きな表現。カタカナが効果的で。子もトゥエンティー・ミニッツ・オールドのあかちゃんなら、親の方も、実はトゥエンティー・ミニッツ・オールドのおとうさん。ここにその、誇りも、うれしさも、心細さも、緊張感も、とまどいも その他もろもろ集約されていると思う。実は、あかちゃんのことを How old is she? とか How old is he? とかを聞くとき、私はいつも多少の抵抗を感じるものだから、冗談めかしてHow young is she( or he)? などと言ってしまうことが多いのだけれども、この作者は、ほんとうに、twenty minutes oldと思っているという感動がよくわかる。 この20分間の体験は、単なる20分間と違うのだから。それにしても、ほんとうに生れ立てのあかちゃんって、小さくて、ぐにゃぐにゃで、つかまえところがなくて・・・ 特に初めての子を抱くときは、たいへんだったのを思い出す。でも、いったん抱いてみると、そのあたたかいこと! かわいいこと!私が、長男を産んだときに、付添婦さんが「可愛いとかわいらしいとは違うのよ。子どもは親にとっては、みんな可愛い。」と言っていたのを、また思い出してしまった。当時の私は、うまれたばかりの子を、「可愛らしくて、可愛い」と思っていたのに!おっと、短歌を鑑賞するときに、それに便乗して、自分の体験を語るのは、反則だったっけ!
May 30, 2014
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「わが裡の断捨離ブーム」で、あちこちひっくりかえしていたら、なんと、赤坂プリンスホテルの水色のフォルダーにはいった書類があった。書類の方は、電子化して捨ててしまったが、今や、このフォルダーは捨てられない。このホテルは、もう取り壊されてしまって存在しないから、今後このフォルダーが作成されることもないので、今や、貴重品。上の方には、かつて存在したホテルの建物がプリントされているし・・・この最上階には、レストランがあって、そこから富士山がきれいに見えたこととか、朝食のバッフェにとてもおいしいメロンがあって、何度も行って、メロンばかりたべたら、翌日、「メロンはお一人さま3切れまでにお願いします」みたいな(数字は不正確)札がメロンのお皿についていて、「あら、私のことだわ」とはずかしかったこととか・・・・10階あたりに泊まったときに、地震があって、窓枠と窓がずれるような感じで揺れて、「あ、これが耐震建か」と感心したこととか・・・このフォルダーを「断捨離」の対象になることから救うためには、日々使用しなくてはなりますまい。「断捨離」は、物への拘りを捨てるのが本来のことなのだろうが、ひっくり返していると、読んだけれども、ここでまた読みたくなる本やら、忘れていて使っていなかったけれども、今の暮らしには役立つものだの、「物との別れ」というより「物との再会」の要素が多くなったりして、フォルダー一つを例にとってみても、まだまだ私の執着心は衰えていない。どうしましょ。
May 29, 2014
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「宮柊二の歌 365首」(柏崎驍二)より原罪といふはいかなる罪ならむまぼろしに鳴る鞭の音する(宮柊二『挽歌』)この歌、正直なところ、私にはよくわからない。原罪とはどういう罪なのだろうかと考えていると、その罪を罰する鞭の音が聞こえるような気がする・・・という意味のような気がするが、どうも、そうでもないような気がして、3・4・5句の解釈があやふや。生まれながらに持つ罪であるから、自分にもその罪があり、罰を受けるのは当然だと思っていた作者だったのか・・・。字に書いてみて、一字ずつ味わってみてもなんだか開けてこないまま、書の自由課題の一つとして、先生に送ったものが、今日帰ってきたのだが、先生からは、書の感想はなくて、「このような世界に到達するのは並大抵のことではないような気がします」との「歌についての感想」がついて帰って来た。書道の先生は、この歌がよくおわかりになって、字を見るよりも内容に気をとられてしまわれた気配。宮柊二の亨年まで、私もあと数年で達するのだから、せめて観賞だけでも行き届くようになりたいものだ。
May 29, 2014
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母の日に贈られた苺の鉢植え。毎日、水をやり、声をかけ、楽しみにみていたら、今日、実がひとつなっているのに気付いた。まだ緑色の小さい実だが、かわいらしい。花びらの落ちたあとに、もう少しで実になりそうなものもある。さっそく、写真をとって、孫に報告に行った。
May 27, 2014
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バンクーバー短歌会 会員作品 古希のひと慣れぬ指にてピアノ弾く生真面目な音くみたてながら(希) 燕麦の粥とサラダを食ぶる間をコーヒーの沸く軽やかな音 (粟)去年逝きし従姉の声と聞きまごふその妹のしづかなる声 (幾代) ピイと鳴き殻を踏みつけヒヨコはも怯みなき眼に世界見わたす (柏原草太) 手作りのカステラ夫に託したり海を渡りて孫に届かん (君子)荼毘に付し拾ふ骨さへ清らかな母でありしと友は書きくる (唐)足音も生活音もとだえたる震災跡に重機が動く (さだ) 検診の結果を聞きに医者へ行く母の形見のスカーフを巻き (沙羅)春風が桜並木をわたりゆきわが白髪に花びら散らす (すみえ) 山法師きりりと咲けりアイロンをかけしワイシャツの襟のごとくに (節子) 日ごと夜ごと首を鎖に繋がれて犬は飼はれぬ人の意思にて (奈津)ひとしほに別離は哀し三十余年ともに学びし歌友達よ (虹)理不尽な言葉噛みしめ空仰ぎ流るる雲をいつまでも追ふ (のぼる)予備校の看板にある太き文字「努力は実る」と断定をする (のりこ) ガラス瓶の牛蒡に新芽五つ出づ厨の窓に春の陽さして (ふみ) 野の鳥の塒となれる森の上(へ)にかすみたつ春の月かかりをり(みき)
May 26, 2014
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風花や候文の恋ありき (文挟夫佐恵)NHK俳句で、今朝、放送された一首。作者は、100歳で、19日に逝去された方。この句を何歳のときによまれたものかはわからないが、この恋文が、ご自分の受け取られたものとすると、時代としては昭和のひとけた頃ではないかと思う。「『そういえば、昔、候文のラブレターを貰ったなあ』という記憶もうすれつつあります」と解説されながら、ちょっと照れたように微笑まれたのが、魅力的だった。そして、「創作力が残っていると確認される時がうれしい」と語られたのも、きっと、その年齢に達した方なればこその感慨だと思う。画面で話していらっしゃる方が、わずか一週間前に故人になられていると思うと、おろそかには見られなかった。余談になるが、昭和になっても、書き言葉には、候文がかなり使われたらしい。たとえば、母がその母からもらった手紙も、候文であったと記憶している。病気で療養中だった娘を案じての「くれぐれもお大事にされたく候」という一文、なんだか妙に、切なかった。生きていれば、もう110歳くらいになっているはずの伯母も、伯父からの候文・草書・毛筆のラブレターを内緒で見せてくれたことがある。高校生だった私には、ほとんど読めなかったけれども、「さださま」という平仮名の呼びかけが、とても印象に残っている。ただ、内容としては、伯母が「恋文」だというわりには、私には普通の手紙のようにみえ、表現がかなり控えめであった。文挟さんの場合も、表現が控え目の恋文だったかもしれないが、早くご主人を亡くされたので、きっと、この候文の恋文を、ながいこと心の支えにしていらしたのだと思う。「風花」というあえかな季語を思う時、この恋文は、きっと墨で書かれたっものだろうと思うし、なんだかそうあってもらいたいような気がする。文挟さんが紹介されたもう一句は九十の恋かや白き曼珠沙華九十まで生きることだけでも難しいのに、こんな美しい恋を詠める方がいらっしゃったとは信じがたい思いがする。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。このところ、番組変更の影響で何回か抜けていたNHK短歌&NHK俳句。今日は、ひさしぶりにちゃんと番組表で確認できたので、録画をセットしておき、しかし、割合と早起きしたので、4時頃に見た。(放送は、3時からなので、それでも録画でなかったら、まず見られない。 3時というのは微妙で、夜更かしにはちょっと遅いし、早起きにはちょっと早すぎる。)短歌の方は、永田和宏氏が講師で、ゲストがなんと山中伸弥博士。俳人の言葉は、岡部桂一郎氏という豪華版。これもとても、楽しく勉強できた。一方、俳句の方は、櫂美智子さんが講師で、ゲストが銅板画家の山本容子氏、俳人の言葉は、19日になくなられたばかりの文挟夫佐恵さん。最高齢で蛇笏賞を受賞された文挟さんの、公にされた映像の中では、最後のものだろうと感慨ぶかく見た。
May 24, 2014
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孫が週一度だけ通っている日本語学校で、クラス発表会があったので出かけてきた。 少し早く着いたので、近所を歩いたら、白い藤がたくさん咲いているのにであった。涼しげな白が気持ちのよい季節になった。 今日発表するクラスは、日本語を話していない家庭の、小学校低学年のクラスで、週に一度、2時間ほどの授業があるだけなので、そんなにたくさん日本語をならっているわけではないのに、それを総動員して、クイズ仕立てにしたり、寸劇にしたり、とても工夫のあとのみられるプログラム。まず、幼稚園クラスの発表: ビニールで工夫して作ったミッキーマウスとミニマウスの衣装をきて、日本語のミッキーマウスのうたに合わせて、お遊戯をしたり、頭・肩・足とか、歌にあわせてタッチするお遊戯をしたり・・・・この年齢は、どうしても女の子がおしゃまで、みぶり手振りが上手。男の子で独り、ほんとうになんにもしないで立ったままの子がいて、それはそれでまた可愛かったりして。「時分の花」とはこういうところにもあてはまりそう。先生は、CDプレイヤーのスイッチを入れると、観客の後ろに走っていって、生徒が真似をすればよいようにお遊戯をしてみせたり、大きく口をあけて、プロンプターをしたり、運動靴で走り回る大活躍。私が、この学校の先生をしていたときは、そんなサービスはしなかったなあ・・・。こういう風に、もっと子供が興味を持つようなことをやればよかったなあ・・・と、30年くらい手遅れの反省をした。次は一年生の発表。このクラスの授業参観は、10月にしたのだけれども、その時はまだ本当に小さい感じの子ばかりだったのに、ずいぶん大きくなっていた。絵がかかれたカードをみせられたら、それに相当するひらがなのカードを選びだし、大きな声で読む、たとえば、先生が花の絵のカードをみせたら、「はな」というカードをさがして、大きな声で「はな!」というゲーム。母国語以外で、大きな声で話すのは、なかなか最初はむずかしいのに、なかなか元気にできたので、思わず、一枚ごとに拍手してしまった。(本当は、最後にまとめて拍手することになっていたらしく、誰も拍手しないので、ちょっと恥ずかしかったけれども、やっぱり、出来たときに拍手した方が励みになると思うし。)その次は、二年生の発表。うちの孫は、昨年9月に入ったばかりなので、本当は四年生だけれども、日本語の学校では二年生にはいっている。自己紹介で、名前や年齢を言うときに、ちょっとかわいそうだと思ったら、彼なりにサバをよんで「きゅうさいです」とか言っていた。ま、いいか。もうひとり、8歳の女の子がいて、「はっさいです。ちゅうごくじんです」と言っていた。 ちょっとめずらしいかな?このクラスは、クイズ入りの寸劇をやったのだが、出題者の役にしていただいていたのは、大きい二人への、先生の気づかいだろう。 最後に、ドレミの歌を日本語でうたった。英語でよく知っている歌だから、たのしく覚えられたようだ。最後が 三年生の発表。家族の絵を描いて、ひとりずつ紹介したり、自分の名前を言い、朝からしたことを、ひとりずつ発表したり。語彙が少ないからしかたがないけれども、全員がほとんど同じことを言うのは、ちょっと後の方の子がかわいそう。
May 21, 2014
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歩いていたら、いつも通る道なのに、なぜ気が付かなかったのだろうと思うところに、トルコ食品屋さんがあった。なんとなく、トルコ語もできないし、トルコ料理のこともしらないのに入りにくい雰囲気だったので、道の反対側から写真をとってきただけだったけれども、そのうち、亭主に同伴してもらって入ってみたいと思った。食料品店なら、きっとつきあってくれるだろうし。
May 20, 2014
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この記事、12日の欄にUpするべきものを、間違えて19日の欄に乗せてしまった。記事の内容は、とりあえず、12日に移したのだが、せっかくいただいたコメントが、うまく移せないので、とりあえず、しばらく、このまま残すことにした。なんと、不手際なこと! *************日本から来ている友人達とゴルフをして、ホテルに送ってからふと、車のオッドメーターを見ると、あと、3キロほどで、もうすぐ10万キロになることがわかった。最近、電車ができてから、車は市内に使うことが多くなったし、毎年、冬に東京に行ったりしているので、あまり走らなくなったのだが、それでも、とうとう・・・99999になったら、写真を撮りたいと準備しながら運転していたのだが、99998 で、フレーザー河を越える長い橋に乗ってしまい。そこで写真をとるのも危ないので控えて、橋を渡り終えたところで、メーターを見たら、すでに100000キロになっていた。99999を逃したのは、残念だけれども、10万だけは記念の写真をとっておいた。(といって、どうということはないのも承知の上だが)カナダでの私の車は、最初がダットサンの510、これは中古で買ったのだが、1976年の時点で1500ドルのハッチバック。これは2年ほどしか乗れなった。次もやはり、中古でシボレーの NOVA. 後ろ座席が広くて子供たちが3人ゆったり吸われたが、運転席が、もっと大きい人用にできていて、背の低い私には、ちょっと扱いにくかった。でも、始めてのパワー・ブレーキ、パワ―・ステアリング。 オートマチック変速。この車で、息子たちも娘も運転を覚えた。それが、寿命一杯はたらいたところで、新車で四段変速のHonda Civic. この頃には、息子たちも車に乗る年齢になっていたので、大きな車は必要なくなっていた上に、国際引越しのセールスで、毎日、100キロ近く乗っていたので、少しでも燃費のよい車をと思った。その次は、ドッジのダイナスティー。 これには、夏になるとやってきていた母を、度々乗せたものだった。そして、トヨタのカムリ。(1986年型?)それを15万くらい走らせてから、息子にゆずり、私は2000年のカムリの新車に乗り換えて、それが今の車。これが私にとっては、初めての冷房車。日本のドライバーさんたちがお読みになったらびっくりされるくらい、冷房になるのがおそい。あまり冷房が必要というわけではなかったのだが、2001年型がでたあとの、2000年型のセールで買ったので、冷房は選択の余地なく、ついてきた。まだ、快調で、元気に走っている。
May 19, 2014
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いよいよ、今日は、みなさんが帰国の日。ゴルフバッグに何かいれたり、カバーをかけたりしたいということで、10時半にホテルに行くと約束しておいたのだが、日曜で道がすいていたので、10時には到着してしまった。せっかちは私だけではなく、みなさんも、もうパッキングを終って、なにとなく手持無沙汰でおしゃべりなどしている。ホテルのチェックアウト・タイムが12時。その時間にホテルを出て、空港に直行してしまうと、空港での時間がありすぎるので、代替案をいくつか考えてはみたものの、結局、時間通りに12時少し前にチェックアウトして、空港に向かう。到着の時は、全員が一台に乗れる車体の長いタクシーで来たのだが、帰りはごく普通に、小型タクシーと私の車に分乗。時間に余裕がある時に限って、道が空いている・・・・ということもないのだろうが、そんな感じで、すぐに空港についてしまった。まだチェックインがはじまらないし、荷物はカートに積んであるとはいえ、身軽ではないし・・・ せめてみなさんがチェックインが済むまで荷物番をしながらでも、空港でご一緒する「つもり」だったのだが、どうも、私のことを逆に心配してくださる気配で、「このくらいでいいから、はやくお帰り。きりがないよ。」みたいに言ってくださるものだから・・・・ちょっと考えたものの、「つもり」よりも大分早くお別れした。「親切とお節介」の境界線あたりで、その加減がわからずにうろちょろしていた私が、お役にたったかどうかは疑問だし、そして、自分が楽しんでしまったので、肝心の「お客様」に十分楽しんでいただけたかどうかもわからないのだけれども、私には、よい経験であった。このお別れは「ながのお別れ」というわけでもなく、また秋には何度かは会える方たちなので、感傷的になるわけではないのだが、それでも、どこか気が抜けたような感じだ。(フレーザー河を挟んでの対岸から見た空港)See you soon !
May 18, 2014
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今日の予定は、1)ホームコースのレストランで、日本からの5人と、ママさんと、孫、それに主人と私の9名でランチ。2)その後、 ★ 日本からのゴルファー3人と主人でフォーサムを作り、ゴルフ ★ ママさんと孫は、近く走る5キロ走に備えてトレイニングに行く ★ 今夜のお料理をしてくださるMさん夫妻と私は、買物をしてから食材を持って、私の車でホテルに行き、食事の支度をしてみなさんを待つ。 ★ ゴルファーは、クラブを積んだタクシーでホテルに帰る。(主人も一緒) 3)夕食は、ホテルで7人揃って、Mさん夫妻の手料理をいただくということになっていた。 佐藤夫妻に感謝してくださる夕食会ということになっているが、それは同時に、みなさん、カナダで今回最後の夕食ということにもなり、旅行の最後を飾るイベント。しかし、いよいよになって考えていたら、私が最終的にホテルから家に帰るときに、かなり疲れていて、車の運転が負担になるのではないかと、朝になって心配になってきた。買物をしたら、一旦、我が家によっていただいて、車を置いて、タクシーで食材を持ってホテルに行き、夜の帰宅も電車にしてしまおうかしら・・・と、バックアッププランを作成。主人にも同意を得ておいたら・・・・Mさんから、「料理に時間もかかるし、買物も大体済んでいるから、自分たちは、最初からゴルフ場にもいかないで、ホテルで準備をしている」との電話があった。ま、そうしてくださるのなら、私はゴルフのプレイ補助でもしようかな?と、ここで更にプラン変更。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「おばあちゃんのボーイフレンド達」に会いたいという孫の好奇心もみたし、日本でドライブしてくださったAさんに再会したいというママさんの希望もかなったところで、三度目のゴルフ。従いて歩いてみれば、結構、用事もあり、みなさんの、ショットの調子が出てきたのも楽しかったし、写真もたくさんとれたし・・・・めでたし。可能性としては、1) 前回と、前々回は、私がみなさんの足を引っ張っていたまたは2) 皆さんがカナダの柴に慣れてきたまたは3) 補助の紀子さんがついていたので、余計なことをやらないで済んだなどの理由が考えられるが、まあ、私の名誉のために、2または3としておこう。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・終了後は、皆さんのクラブは私が車に預かって明日ホテルに持っていくことにして、今日は、みなさんを駅まで送ってから、一旦、家に帰って車を置いて、電車でホテルに行くことにと、更に計画変更。ご馳走は、さすがにおいしくできている上に、ヘルシーだったし、家ですぐに応用できるものもあり、おしゃべりも弾み・・・このあたりは、A氏のブログにゆずるが、「今回の旅行は、わが人生の記念に残る出来事の一つだ」というI氏の言葉が、そのまま私の感想。みなさんにはご迷惑かもしれないが、今年の短歌の連作は、このあたりから生まれそう。前にも書いたように、高校時代の数年間を同じところで勉強したご縁で、こういう旅行が実現したということの幸せももちろんだが、私にはもういつのまにか当たり前になってしまっているカナダと日本の差が、みなさんの所見として話されるたびに、「ああ、そうだった、こういうことを補って詠まないと、歌として伝わらないのだ」というヒントになったのがうれしい。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・帰りの電車では、座ったとたんにコックリ居眠りをしてしまい、目が覚めたら、もうすぐ終点。ああ、電車で行ってよかった! 車で来ていたら、居眠り運転をするところだった。(まったく呑めない人なので、酒気帯び運転の心配だけはないけれども)
May 17, 2014
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電車の駅に近いリッチモンド市役所の庭に、アイリスがきれいに咲いているのを、日本の方にも見ていただきたいと思って、お連れした。なんでも、東京農大出身のガーデナーさん達が植えて、管理をしているそうで、毎年とても美しい。ところが、この花よりも、そのそばにあった慰霊碑の方が、みなさんの注意をひいた。たしかに、こちらの方が、社会的・歴史的には意味深い。これは、その慰霊碑の一番上の部分。”They died for you " と字が彫ってある。そして四面あるその一面ごとに、年代がほられ、その下に、名前が・・・1914-1918 (とあるのは、第一次世界大戦の時期)1939-1945 (これは第二次大戦の時期?)1938-1946(とあるのは、これも第二次世界大戦? 対ヨーロッパと対日本と区別した?)1950-1953 (とあるから、これは朝鮮戦争?)それにしても、名前の数が少ない。リッチモンドは、ほんとうに田舎の小さな漁村だったとしても、これほど少ないことは無い筈。偉い人の名前だけ書いてあるのか・・・・それとも、日本と違って、戸籍がない国だから、名前がわかっている人がこれだけということか???スティーブストンにある、漁に出て亡くなった漁師さんたちの、網針の形を中心とした慰霊碑には、船の名前と亡くなった方々の名前が彫ってあるが、そちらの方がずっと人数が多い。気になりだすと気になるので、みなさんが帰国してから、ちゃんと調べておこうと思う。
May 16, 2014
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今日は、ホームコースに、ゴルファー3人をお招きしてプレイをする日。日本からの3名と、主人と私・・・だと、5人で半端なので、主人がいつも木曜日に一緒にプレイしている三人のクラブメンバーにも参加して2組を作っていた。前回、UBC ゴルフクラブでプレイした時に、みなさんのクラブは私があずかっていたので、朝、まず、クラブを車に積んで主人とゴルフ場に行き、主人に手続きを準備をしておいてもらい、空になった車で、今度は日本組3名を電車の駅までお迎えにいくという手順。全員一度に乗れないことはないのだけれども、それはやむを得ないときにとっておくことにして。なれていないところであっても、約束の時間の20分前には、全員揃い、そこまでは順調すぎるほど順調。ゲームの方は、主人の仲間の三人のうち、一人が急用でかけたので、3人と4人の2組を作ってラウンド。私にとっては、全員、おなじみの方だし、 私が一番、気楽にプレイしたかもしれない。ゴルフというゲームそのものは同じでも、日本とカナダでは、更に、同じカナダでも、前回のパブリックコースと、今回のプ懶ベ―ロコースでは手続きもゲームの運び方もいろいろ違うので、戸惑うところもあったと思うが、それぞれさすがに「おとな」の対応。ゲームの進行が少し遅くて、4時間半かかってしまったのが気になったのだが、幸い、前の組が遅めの人だったので、タイムを入れるときは、前の組にひきはなされることもなく、パンチができて、セーフ!多分、皆さん本当は疲れていたのだろうけれども、そして、日本でゴルフをしたときのように、入浴とかもしたいのだろうけれども、にこやかに「しかしまあ、74歳になって、よくこう毎日、遊びまわる元気があるものだ」と互いに呆れあって、「では、またあしたね。」昨日・今日と、私があるいている所の写真を何枚か見たのだけれども、自分ば意識しているよりも、ずっと背中がまるくなって、老人歩きになっているのがわかって、ちょっとショック!みんなの中で、私が一番姿勢が悪い!!! 気をつけねば、いまに、二つ折りになって歩くオバアチャンになってしまう・・・ぞ!
May 16, 2014
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今回の旅行では、とびとびの3日間だけ、ドライバーガイドさんつきのバスをチャーターした。1回目は、バンクーバーの市内観光、2回目は、ビクトリア。そして、今日は、バンクバーの入江をはさんだ北岸の、キャピラノのつり橋のある公園、街に一番近いスキ―場のグラウスマウンテン、バンクーバーの夏をささえる水源のクリ―バーダム。観光客としてバンクーバーに来ると、たいていはまわるところだが、住人になってしまうと、特にどなたかの案内をするとかでないと、なかなか来ないので、私にとっては、どこもひさしぶり。まず、キャピラノの吊り橋。私にとっては、わたらないで済めば、わたりたくないところ。これまで、私が案内した人の中で、「渡らないでまっている」と言った人はいないのだけれども、あえて、強情をはって渡らなかった。こんなものが怖くて、よく11階に住んでいられるものだと、自分でもばかだなあと思うのだけれども。この橋の向こうは、以前は、別に何もなかったらしいが、最近は、樹に渡された橋があったりするようで、今回、ちゃんと渡ってきた方のブログで初めてみたが、そちらは固定されていて、揺れはしないものの、やはり、あんまり行きたくないかなあ、私は。吊り橋を戻ってきた方には、もう一つのアトラクション。空中回廊! これは動かないせいか、みなさん余裕しゃくしゃくで、十分に景色も楽しめている様子。ただ、終りの方から逆に少しだけ行ってみたら、そんなにびくびくしなくても大丈夫そうだったので、ここは行けばよかったかなとちょっと後悔。次は、グラウスマウンテン。 ゴンドラで一気に山の上までのぼる。ハイキングコースもあるのだけれども、この季節にはまだ開いていない。このスキー場は街からも近いので、割合、気楽にスキーに行く人も多い。しかし、それだけに「のびのびとすべれそうな、スキ―場とはいえないなあ」と、いう意見もあった。「ここに住んでいるのに、どうしてスキーをしなかったの?」と不思議がられたが、ま、それは、我が家の貧乏時代を知らない人の言うこと。 でも、人生、そういうこともあった方が、修行になるのです・・・なんて、ちょっと負け惜しみ。ライオンの耳と言われるライオン山。一年中雪を被っていて、リッチモンドからもよく見える山。みるからに険しそう。残雪が、例年より少ない感じがする。時期的に、ちょっと中途半端だったらしく、 ZIP LINE も営業していなかったし、 チェアリフトも動いていなくて、みなさんには詰まらなかったかもしれない。 チェアリフトから、氷河を抱く山々を見まわすのは、なかなかよいし、雪どけのあと、一度にでてきた花が、たくさん咲いているゲレンデというのも、華やかでよいのだけれども、案内出来なくて残念!それでも、街からこの山がいつも見えているように、この山からも、街が一望される。最後は、貯水池とダム。下から見上げて、水しぶきがかかってくる方が、ほんとうは迫力があるのだけれども・・・・ この際、「また上ってくるのがたいへん」という声があって、上から見下ろすだけでよしとする。というわけで、本日も、無事終了。 みなさま、おつかれさまでした。
May 15, 2014
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「今日はどうするのかな」と思っていたら、「バス・電車共通の一日乗り放題の切符を買って、あちこち行ってみる。明日の待ち合わせの予習にもなるから、リッチモンドにも行ってみる」と連絡があった。「あ、それなら、なるべくランチの頃、リッチモンドに来て、一緒にランチをしよう」と提案。(ちなみに、私の住んでいるのは、リッチモンド なのです。)約束通り、予告電話がはいってから、見計らって駅に行くと、ちょうど、みなさんが下りてきたところ。何でも選択肢が多い方がよいかと思い、一年ほど前にできたばかりの、フードコートにご案内したのだけれども、さて、どうだったか。ひとしきり、中国人の街、リッチモンドを見てから、みなさんまた、電車に乗って、次の旅にお出かけだった。そういえば、私も、以前、主人の会議についてロンドンに行ったときに、電車の路線図を見ていたら、私の住んでいるRichmond と、隣の街のSurrey と同じ名前の町が隣りあっているのを見つけ、何があるともわからなぬまま、電車の切符を買って行ってみたら、なにやら、私の知っているRichmond と Surrey と、田舎加減が同じような、のんびりしたまちなみがあって、そこを散歩しながら、図書館に入ってみたりして「冒険的一日」をすごしたのが、観光バスに乗った日のことよりも、印象に残っているのを思い出した。2012年のオリンピック以来、当地の公共交通も大分便利になったので、これからは、こういう独り歩きもオススメだと、一つおぼえた。まして、男性4人と女性1人が一緒に動いていれば、何のキケンもないだろう。初夏のバンクーバー9泊10日の旅 参照
May 14, 2014
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ドライバーガイド付きのバスで、ビクトリアへ。今日は、主人も私も同行した。今回も、詳細は、初夏のバンクーバー9泊10日の旅に リンクさせていただく。ビクトリアは、BC州の首都で、バンクーバーとはジョージア海峡をはさんだバンクーバー島にある。このジョージア海峡には、大小の島がたくさんあり、フェリーからの眺めがとてもよい。こういう島々の一つであるNORWAY ISLAND(一周300メートルだと聞いたことがあるが、ほんとうかどうか) を、もう亡くなられた小説家の森瑤子さんが買って、毎年、夏には来ていらしたっけ。彼女とは、世田谷の区立中学で、一年生の時同じクラスだったので、バンクーバーに出ていらしたときに、お会いしたことがあった・・・・というのは、脇道のオハナシ。今回の同行者は、高校時代の同級生なので、また別の仲間だ。ところで、海図で見ると、ジョージア海峡には、アメリカとカナダの国境線が、直線ではなく、折れ線グラフのようにまがって入っていて、このフェリーは、途中で、ちょっと、アメリカ領土を通過する箇所がある。「これは、国境侵犯ではないか?」と友人の一人に言われて、「あれ?」と思い、なぜ自分がそれまで気にしなかったのか、不思議に思った。 以前、長男は、ヨットを持っていて、アメリカにも海から入国したようだったが、たしか、上陸するときに、手続きをするだけで、海上では何もしないと言っていたような・・・。何か、アメリカとカナダの間で、特別な協定でもあるのではないだろうか。(今度、長男に聞いてみよう!)右上の白い俵状のものが救命ボート。非常のときには、海に落とすと、大きなボートになるそうで。バンクーバー島も、石楠花の盛り。いろいろな色があるが、石楠花の原種は、うすいピンクだそうだから、こんな感じかな?ビクトリアのインナー・ハーバーから、エンプレスホテルを望む。その右奥に見えるのが、博物館。画面をはずれる右に議事堂がある。今は、花の季節なので、ちょっとしたところにも、花がたくさん植えてあるし、フラワーバスケットも、そこここにかかっている。 住んでしまうと、なかなかこういうところに来るチャンスがないものなので、今回は、私も参加できて、ほんとうによかった。帰りは、みなさんのホテルに行く途中、私たちだけ自宅に下ろしていただいた。疲れているのは皆同じなのに、申し訳けないと思ったけれども、せっかくのご厚意だったので、甘えてしまって・・・・・とてもラクでした。(ホテルに行ってから帰ってくると、1時間以上、またかかってしまうので)「明日は、何も予定を入れていないので、みなさん、それぞれにね、 Bye! 」
May 13, 2014
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ビクトリアのブチャート・ガーデンで、ヒマラヤの青い芥子(メコノプシス)を見た。11日にバンクーバーのバンデュッセン・ボタニカル・ガーデンでは、まだまだという感じで、蕾が固かったのに・・・ビクトリアの方が、バンクーバーよりも気温が高いというのは、ほんとうらしい。宮英子 『天蒼々』より係恋に似てとしながく思ひたる青いケシ(メコノプシス)をブータンに訪ふチュレーラ峠四千メートルの沢のなぞへ草がくれ咲く青いケシ(メコノプシス)は沢深く踏みのぼりきて一輪の花びら青きケシにひざまづく一茎は花終るべく一茎はつぼみ垂れたりヒマラヤの青いケシ高度違和いくらかありて踏みごたへ危ふく沢の瓦礫をわたる茎立ちの細くあえかなる青いケシただ四本のみ、はなびらふるふ人生の回収過程に入りしかなヒマラヤに青きケシを探すなど喬木限界標高三千五百を越えひつそりと青くケシは咲きをり南天の夜のさそり座よ閃々とまみどりに青きケシを染めゐむ
May 13, 2014
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今回の旅行では、ゴルフの希望があったので、3回、設定した。一回目は、ホテルから一番近い UBC Golf Club.参加者は、私を含めて4名。くわしくは 初夏のバンクーバー9泊10日の旅 にリンクさせていただくが、このゴルフ場では、今はもう47歳になる次男が、大学生のころ、プロショップでアルバイトをしていたし、私も、日本人の女性四人で、毎週一度、定期的にプレイしていたこともあった。その頃は、日本からの駐在員の人数も、今の比較にならないほど多くて、ダウンタウンに近いこのゴルフ場は、接待にも、駐在員の息抜きにも便利だったせいか、来るたびに、日本語で大声で話す声が目立って、マーシャルの人から注意するようにたのまれたりしたものだったが、最近は、日本人が経営しているゴルフ場が郊外にできたせいも、また駐在員が激減してせいもあって、今回は、日本人に出会うことはなかった。このゴルフ場は(どこでもというわけではない)12時をすぎると、グリーンフィーが少し高くなるし、シニア割引もなくなる。今回は、みなさん、まだ時差の影響もあって、あまり早くには起きられないかもしれないと思ったので、ぎりぎりのところで、11時のティータイム。(グリーンフィーも、シニア割引。パワーカートもシニア割引)別に吝をしたわけではないけれども・・・ 暑くなく、寒くなくの晴天のもとで、みなさんに遊んでいただけてよかった。二回目は16日、私のホームコースのQuilchena Golf and Country Club で8名、三回目は17日 同クラブで4名の予定。 全部、よい天気に恵まれますように。
May 12, 2014
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日本から来ている友人達とゴルフをして、ホテルに送ってから帰る途中で、ふと車のオッドメーターを見ると、あと3キロほどで10万キロになることがわかった。最近、電車ができてから、車は市内に使うだけのことが多くなったし、毎年、冬には東京に行ったりしているので、あまり走らなくなったのだが、それでも、とうとう・・・99999になったら、写真を撮りたいと準備しながら運転していたのだが、99998 で、フレーザー河を越える長い橋に乗ってしまい。そこで写真をとるのも危ないので控えて、橋を渡り終えたところで、メーターを見たら、すでに100000キロになっていた。99999を逃したのは、残念だけれども、10万だけは記念の写真をとっておいた。(といって、どうということはないのも承知の上だが)カナダでの私の車は、最初がダットサンの510、これは中古で買ったのだが、1976年の時点で1500ドルのハッチバック。これは2年ほどしか乗れなった。次もやはり、中古でシボレーの NOVA. 後ろ座席が広くて子供たちが3人ゆったり吸われたが、運転席が、もっと大きい人用にできていて、背の低い私には、ちょっと扱いにくかった。でも、始めてのパワー・ブレーキ、パワ―・ステアリング。 オートマチック変速。この車で、息子たちも娘も運転を覚えた。それが、寿命一杯はたらいたところで、新車で四段変速のHonda Civic. この頃には、息子たちも車に乗る年齢になっていたので、大きな車は必要なくなっていた上に、国際引越しのセールスで、毎日、100キロ近く乗っていたので、少しでも燃費のよい車をと思った。そして、トヨタのカムリの新車。(1986年型)それを15万くらい走らせてから、息子にゆずり、その次は、ドッジのダイナスティー。 これには、夏になるとやってきていた母を、度々乗せたものだった。その後、2000年のカムリの新車に乗り換えて、それが今の車。これが私にとっては、初めての冷房車。日本のドライバーさんたちがお読みになったらびっくりされるくらい、冷房になるのがおそい。あまり冷房が必要というわけではなかったのだが、2001年型がでたあとの、2000年型のセールで買ったので、冷房は選択の余地なく、ついてきた。まだ、快調で、元気に走っている。
May 12, 2014
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東京から昨日バンクーバーに到着したばかりの友人たちを、早速、今日の午前中から、あちこちお連れする・・・というのがよい選択かどうか、大分迷ったのだけれども、滞在日数もそう長くないので、ドライバーガイドさん付きのミニバスで10時出発!バス会社のオーナーさんは、むかしのゴルフ仲間の道子さん。 ドライバーさんも、経験豊かな、臨機応変にうごけるベテランで、ゴルフの上手な鵜飼さん。(この場合、ゴルフは何の関係もないのだが、私のコネはほとんどゴルフと短歌のつながりばかりなもので)本日の観光コースは、定番のスタンレーパークから始まって、 一応、案内書にでているようなあたりを網羅してもらって、最後にバンデュッセン植物園で黄花藤とハンカチーフの樹を見ていただいてホテルには3時過ぎに帰着予定。実際にはもう少し、時間がかかったけれども。(詳しくは、初夏のバンクーバー9泊10日の旅のブログにリンクさせていただきました。よろしく!)・・・・・・・・・・・・・・ ちょうと、私たちがグランビルアイランドでバスを降りて、そぞろ歩きをはじめたときに、日本の高校生をのせたバスが到着し、制服姿の高校生たちと、あちこちで顔を合わせることになった。さすがに、高校生は元気で、物おじもせず、楽しそう。今は、すっかりおじいさんやおばあさんになった私たち一行だけれども、彼らの様子をみながら「私たちもちょうど、あんな年齢の頃に、同じ教室で授業をうけていたのねえ」としばし感無量。ま、私たちには過ぎた道だから、「感無量」ですむけれども、彼らに「ね、わたしたちって、あなたたちくらいの年齢の頃から友達だったのよ」と言ったら、想像もできなくて、さぞ面食らうことだろう。実際のところ、私自身、高校時代の私に聞かせて、おどろかせてやりたいような気がしている。
May 11, 2014
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夕方、息子と孫がやってきて、 "Happy Mothers' Day !" と、苺の鉢を二つプレゼントしてくれた。ピンクの花と白い花がいくつか咲いていて、つぼみもたくさんある。実は、昨年も苺の鉢植えをもらったので、それ用の台もあるし、さっそくベランダに置く。これから花を楽しみ、実を楽しみ・・・ ふふふ。「昨年と同じでごめんね。来年は別のことを考える」と息子が言うので、「来年も再来年も、ずっと苺がいい!」とあわててリクエスト。夏の間は、旅行の予定もないし、毎日 世話をしながら楽しめそう。そういえば、カナダでは、「母の日にカーネーション」という話は、ついぞ聞いたことがない。苺を植える鉢は、ちょっと変わった形をしていて、壺のような形をして、横に窓がついている。
May 11, 2014
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いよいよ、今日は、高校時代の同級生4名とそのうちの一人の奥さまの計5名が、日本から到着の日。これまでも、いろいろな方から、こういう話が出たたことは何度もあるのが、実現した例は少ないし、お互いに高齢になってしまったから、今後、そう何組もあるとは思えないので、私にとっては画期的な出来事。55年ほど前に同じ学校を卒業した人たちが、それぞれの道をたどって「元気な老後」に至り、利害関係のまったくない立場で、太平洋をわたって遊びにきてくださるのだから、誰に言ってもうらやましがられる。せっかくのチャンスだから、私が大邸宅に住んでいて、「みなさん、どうぞお泊まりください」とでもにこやかにお迎えできたらもっとよかったのだけれども、残念ながら、2LDKのアパート住まい・・・・ということで、バンクーバーの中心にあるキッチン付きのホテルに泊まっていただくことになった。空港で、みなさんが元気な顔で到着ラウンジに出てくるのを見てからは、自分でも気付くほどのはしゃぎっぱなし。Calm down, Noriko!!この日のこの後については「初夏のバンクーバー9泊10日の旅」のブログに譲る。来てくださった方たちは、それぞれの道での成功者なので、同級生としてはとても誇らしいものの、その一方で、「同じ学校で同じ先生の授業を受けた」のに、よくこんなに差が出たと思うような情けなさが、数年前までは常につきまとっていたのだけれども、最近では、トシの功か、私もそういう意識をあまり持たずに、「尊敬の念を伴う素顔のままの友達つきあい」ができるようになった。私も「おとな」になったかな? ・・・・ それとも・・・開き直ったのかな?♪ ああ~、ばあちゃんにゃ かなわない♪ という〈ニンニク卵黄〉のコマーシャルが聞こえてきそう。
May 10, 2014
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バンクーバー短歌会の五月例会。1985年に会を立ち上げてから数か月後に参加されたKさんが、熊本に住まれる娘さんのところに引っ越されることになり、今日が最後の出席。90歳のKさんのおひとり暮らしを娘さんとしては放っておけなかったのだろう。「コスモス」はつづけられるので、これからも毎月、誌上でお目にかかれるし、また、当分はバンクーバーの会に通信参加されるということなので、まったくのお別れではないが、ながいおつきあでシャキシャキとしていらしたKさんを存じ上げるだけに、感無量。もっとも、その感想はKさんも同じらしく、「佐藤さんなんかも、まだピチピチしていたのに」と、ほめられたような、嘆かれたような・・・???花が好きで、造花作りのプロでいらしたKさんのために、Kさんの短歌と花の写真を組み合わせて、カードを作ったらとても喜んでくださったことを思い出し、ひっぱりだしてきた。私には、自分の母に寂しい思いをさせてしまったとの思いがいつもつきまとっているせいか、Kさんの娘さんの親孝行を見ると、本当に頭が下がる。
May 9, 2014
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「カナダに住んでいる のりこさん、なにやら日本のテレビばっかりみているらしい」ということになりそうだが、今朝、一週間分の「花とアン」を見ていたら、ハナが初めてアルバイトのお給料をもらったときに、そのお金で、きんつばを買うところがでてきて、思わず笑ってしまった。「笑うところ」ではないのに笑って、脚本を書いた方には悪いのだけれども、実は、私も、学生時代、はじめてアルバイトをしていただいたお金で、家にきんつばを買って帰ったのを思い出したからだ。私が子供の頃は、本はなかなか買えるものではなかったので、主に従姉や姉からゆずりうけた小説などを読んでいたのだが、特に、吉屋信子の小説などには、「きんつば」というものが何度も出てきた。 で、ずっと「きんつば」とはどんなお菓子だろうかと思っていたのだが、お茶の先生をしていた母のところでは、きんつばは茶席のお菓子には入らないらしく、ついぞ、家にあったことも、買ってくるように頼まれたこともない。今思えば、「食べたい」と頼んだら、買ってくれないこともなかったのだろうけれども、なんだか食べ物をねだるのははしたない気がしてねだったこともなく、お小遣いを貰っていたけれども、お小遣いでお菓子を買うのも「買い食い」と言って、区立の小学校でも好ましくないとされていたし・・・・と、まあ、いろいろ理由はあるが、とにかく、きんつばにはずっと興味を持っていたものだから、いつもお茶のお菓子を買いにいく豪徳寺の和菓子屋さんで、家族四人分の「きんつば四個」をドキドキしながら買ったのが、急に思い出されてきた。あのお菓子屋さんには、お使いでは何度も言ったことがあったのに、自分のお金で、自分の勝手に買うのは初めてだった。今思うと、融通がきかないけれども、先生や親からすれば、扱いやすい子供であったにちがいない。 だから、ちょっと型破りの人と結婚したのだなあ・・・・と、改めて、思ったりして。ハナさんは、ドラマで見るかぎり、買うこと自体には、あまりドキドキしていないようだったけれども。お店の名前は「むろまち」と記憶していたので、ネットで検索してみたら、今もちゃんと営業していた。次回、帰国したら、是非行ってみなくては!
May 8, 2014
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11月ごろだったろうか、「バンクーバーに遊びに行こうかという話がでている」と Aさんに言われた。まあ、そういう話はよく出るのだけれども、実際にはなかなか実現しないことの方がおおい。なのに、どういう加減か、その後、話はどんどん進み、こちらもあれこれとできる手配はして、とうとう10日には、男性四人とその奥様一人の「初夏のバンクーバー8泊9日のの旅」の実現近し。東京に行くたびに、ゴルフそのほかの行事で顔を合わせている方たちなので、だいたい「わかっている」から、気楽にいけそうだ。主人も計画には快く協力してくれているし、楽しいことになりそう。60年近く前の少年たちが、前期高齢者の卒業まじかになって、太平洋を渡って訪問してくださるなど、話に聞いてもめずらしいと思う。当時は50人のクラスが一学年に8組あり、400人の同級生がいるのだから、その中から気をゆるせる人が数名あったとしても「なんのふしぎなけれど」、天の時、地の利、人の和が、うまくそろったということだろう。
May 7, 2014
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息子夫婦のオジャマムシで、バンクーバー交響楽団の演奏会を聞きにいった。かつて、常任指揮者だった秋山和義氏の指揮。切符は、高かったのだが、がんばった。息子夫婦には、東京でN響に連れていく約束があったのだが、果たせなかったので、ここで、せめてもの罪ほろぼし。会場は、バンクーバーの街の中心地にある オルフェウム・シアター。アールデコの影響の残るシアターは、天井まで凝っている。コンサートの始る前に、奏者が席について、思い思いの音だしをしている時の緊張感ある雰囲気が私は好きだ。さて、今夜のコンサートは, Rimsky-Korsakov のRussian Easter Overture の賑やかであかるい曲。バンクーバーのバッハ合唱団の他に東京からの合唱団の方々も、かなり見えていた。ちょっと話がそれるのだが、今回、楽しかったのは、隣の、だいたい同年輩くらいの女性との「出会い」。私と同じようにコートを膝にかけ、私と同じようにわりと大き目のバッグを持ち、さらに私と同じように、メモ帳とペンを持ち、さらにさらに同じようにオペラグラスを持って、忙しそうな音楽鑑賞をしている。「ああ、いいなあ」とうっとり目をつぶる時は隣の席も静かだし、「あ、ここはちょっと見たいな」と私がオペラグラスを目にあてる時に、ちょっと隣を見ると、彼女もオペラグラスの焦点を合わせていたり、短歌の種をメモするときに、隣でも何やら書いていたり、途中で顔を見合わせて笑ってしまった。(なんとマナーの悪い、私たち!)インターミッションになって、どちらからともなく話をしたのだが、彼女は音楽が好きで、しかも、何かの文章のグループに入っていて、演奏者の表情をとらえたいときにオペラグラスを使う72歳だとわかり、世の中には同じような人がいるものだと、感心してしまった。ただ、彼女は、マエストロ・秋山 のことを中国人だと思っているらしく、「That Chinese Maesto is wonderful. Why did he leave Vancouver?」なんて言っていたのが、気になって、「Maestro Akiyama is a Japanese」と訂正したら、びっくりしていた。 「ま、音楽を聴きに行ったのだから、こだわらない方がよいのかな?」と思いつつも、つい訂正してしまうところが、私も修行がたりない。コンサートが終わって、「またどこかの音楽会で会いましょう」と、どこのどなたさまかわからないままハグをして別れてきたが、うそのような偶然のできごとであった。
May 3, 2014
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11月頃から話がでていた友人たちのバンクーバー旅行の日がいよいよ近づき、「机上の計画」感が薄れて、かなりの実感を伴ってきた。私がまだ利用したことのない、羽田発の全日空機の利用なので、そこも、興味のあるところ。(私が初めてカナダに来たときは、まだ成田空港ができていなくて、羽田の発着ではあったが、航空会社は、今はもうないCP AIRだった。)是非、経験談を聞こうとは思っているのだが、まずその前に、機内食の写真が送られてきてびっくり。こちらが、羽田発の機内食。こちらは、バンクーバー発の機内食。こんな豪華版には、いままで、AIR CANADA でも、JALでも エコノミーではお目にかかったことがない。驚いて夫に見せると、「ビジネスクラスの機内食じゃないのか?」と言う。そういう書き方はされていないけれども・・・・。 こんなによい食事がでて、羽田発着で、料金も同じようなものだったら、AIR CANADAに乗る人がなくなっちゃうぞ! と、AIR CANADAの年金で受給者の妻としては、おおいに心配なところである。
May 1, 2014
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人間とうまくやるのはむずかしいけれど、外で葉をたべている姿は、純真そうで、私は好きだ。最近は、兎が多くなりすぎて、農作物を食べてしまったり、また、兎を食べようとするコヨーテが出てきたりしてあぶなかったりするので、市でも対策を考えているらしい。少ないうちは、「かわいい、かわいい」でちやほやされていたけれども、ちょっと増えてくると邪魔にされる。スノーギース、ダック、ラクーン、リス・・・みんなそれは同じ。そういえば、日本車だって、アメリカの経済に影響がない程度の数しか売れていなかったときには、性能がよいといってちやほやされているけれども、ちょっと、数が増えて、アメリカ車が売れなくなると、なんだかんだと理由をつけて、リコールをかけさせられたりして・・・ また、ある期間、おとなしくしていると、ひそかに売上があがりはじめて、それからは加速的に増え・・・ で、また、排斥されたりして。あらら、ちょっと飛躍しすぎたかしら。
May 1, 2014
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