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安土の駅を降りて、安土城址まで、行きはタクシーに乗った。時間は節約にはなったが、それでも、たいした距離でないとわかったので、帰りは駅まで歩く。いろいろなところを歩いていると、多少わかってくるのだが、私の印象では、この町はかなり豊な町であるという印象。学校の校庭は、コンクリートでも、泥でもなく、芝生になっているし、建物にも「あそび」があるし、家々の瓦によいものが使われているし、畑の土も手入れが行き届いtいる感じあし・・・・それに、マンホールの蓋にまでお金をつかってある。普通の街では、このように、図案はあっても、蓋自体に彩色が施してあることはめったにない。(明石もそうだったけれど)無彩色とはいっても、その図案は、昔のお金なのだからすごい。私など、お金だと思うと、踏むことができなかった。でも、ピンクもあるし・・・黄色もあるし紫もあるし青もあるし赤もある。安土でも、仕切弁には、色はついていなかった・わりと近くにあたる球磨川宿にも、模様はついていたが、シンプルなものもあった。財政が豊かということではなく、こういうことにお金を使いたい人がいる・・・と見たの方がよいのかもしれない。
November 27, 2015
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安土城に行った。大手道の石段のきついことと言ったら!数自体は、400段だから、金毘羅様よりずっと少ないのだが、一段の段差が大きいのと、それが不規則なのとで、タイヘンだった。話には聞いていたので、自分で折りたたみの杖ももっていったのだが、入り口で、「それでは役に立ちませんよ」と言って、そこにたくさん用意してある杖を使うことを勧められた。山の経験が多い主人も杖を借りるというので、私の分も、身の丈ほどあるしっかりした太い枝風の杖を選んでもらって、のぼり始めたら、数段ですぐ「あ、私の杖では役にたたない」とよくわかった。杖に体重をかけて、ぐっと自分を持ち上げるようにしていかないと、段を上がりきれないのである。この分なら、帰りはもっと大変だろうと心配になったが、後のことはあとのこととして、一段ずつのぼっていくと、石段に彫りこまれた仏様があったり、羽柴邸、前田邸などの跡があったり、厩の跡(こんなところまで馬で上った!と感心するようなところに)があったり、黒金門跡があったり、信長の足跡(大きい! 嘘だ!)があったり…さらに二の丸があったり、本丸があったりして、それぞれを見ていると、息もきれずに、いつのまにか上まであがれるようになっていた。もっとも、その石段を上ること自体の方が楽しいように見える夫などは、まっしぐらに上ってしまうので、いつのまにか別行動になってしまい、頂上で合流。展覧会を見に行っても、興味の中心が違うので、いつも出口で合流するものだから、別に、お互いが見えなくなっても探しもしないけれども。頂上からの眺めは、この上にさらに天守閣があったのだと思うと、当時の見渡しの良さの推測されるすばらしいものだった。戦史を研究していた父と、もし一緒に来ていたら、ずいぶんといろいろ勉強になっただろうに、父の存命中には、こういうものに興味もなかったので、勿体ないことをした。帰りは、途中までは、上ってきた道と同じだったが、その後、「帰路」との標識に従っておりたら、緩い坂道が、入り口のすぐそばまで続いていて、あの階段を下りることはなく、かなり楽に帰れた。往路にも、こちらを使えるという標識がなかったのは不親切だと夫が行っていたが、それだけ見るべきものもあったので、よかったと私自身は思った。(私は自分の姿が見えなかったから、ただ一段ずつ上にあがるというだけで平気だったのだが、夫によると、私の上り方は、かなり大変そうだったということで、下りはどうなるのかと、ひそかに心配していたそうだ。.... 失礼な!)
November 27, 2015
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「鯖街道の熊川宿を歩いてみよう」ということで、列車・バスと乗りついででかけた。あいにくの雨になってしまったが、それはそれで、まだ、寒いというほどの季節ではないので、却って趣になった。昨日の金沢と違い、もう、ほとんと誰も通らないいし、宿場のお店もほとんどしまっていて、人影がない。ゆっくりと、街並みや、山を楽しんで・・・・乗客が私たちしかいないようなバスに乗って・・・・ 午後は、琵琶湖に近い草津の、「ホテルボストンプラザ草津」に、チェックイン。雨がすっかり上ったので、タクシーで琵琶湖畔まで行き、あとは、夕方の町を散歩をし、琵琶湖に沈む夕陽などをみながら、ホテルに帰着。思ったよりも遠く、日が沈んだあとの街灯のないところと歩くと、心せかされて、思わず実力不相応の早足になって、少しつかれたが、ま、ご愛嬌。因みに、このホテルは、しっとりと落ち着いていて、なかなか雰囲気がよい。まさに、「ボストン風」(といっても、ボストンに行ったことがあるわけではない。)夜は、町を見下ろす満月まで見えて、長い一日を、無事に終えることができた。因みに、本日は、私の75歳の誕生日! 元気で生きてこられたことに感謝(亡くなった姉よりも、31歳も年上になってしまった。)
November 26, 2015
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私の母は、「暗い」わけでもないけれども、私から見るとまじめな人で、にこにこすることなどはあっても、大笑いすることはなかったような気がしていた。いろいろな記憶をたどってみても、おもわず「ウワッハ、ハ、ハ」と笑った母の顔など、どこにも浮かんでこない。それどころか、私が爆笑すると「女の子が そんな グワッハッハみたいな 笑い方をするもんじゃありませんっ」と、子供の時には、頬をつねられ、大人になってからはキッと怖い声で叱られた記憶はあるけれども・・・・ (ということは、子供のころから叱っていても、大人になるまで、その癖が治らなかったということでもある。)このブログの左側の連作欄にもUPしているが、「時に苦笑」というタイトルで、母の時に苦笑さそはれてをり娘の詠める短歌にうかぶ母吾の像をとりあげて、アクロスティックで30首を作ってみたたことがあるのだが、その時も、「母のことを、いろいろ考えても、苦笑とか微笑をした顔は浮かんできても、大笑いをした顔がまったく浮かんでこない」と夫に言い、「そういえば、オレも想像がつかないな」などと言いあっていたものだった。ところが、24日に夕食をいっしょにした従妹たちは「オバチャンは、面白かったよ。冗談も言うし、大笑いもするし」という。(「ま、ま、まさか! と私は思ったが、話をよく聞いてみると、ほんとうらしい。)二人とも、私が結婚して家を出てから、よく泊まりに行っていたらしく、いとこの妹の方は、東京で音楽学校に行ったので、受験のころから、ピアノのある私の実家に泊まったり、休みには息抜きに行ったりして、私の姉とも、よくつきあったようだし、いとこの姉の方は、「オジチャンがなくなってからは、オバチャンとはあちこち旅行に行ったよ」ともいう。おやおや、お気に入りの姪は、母の一番上の姉の長女ばかりかと思っていたら、この人とも、旅行! そもそも、自分に「姪」というものがいない私には、「姪」との距離感が、まったくつかめない。次女の私がカナダに行ってしまい、長女がなくなり、夫もなくなったあと、一人暮らしになった母と彼女たちが親しくしていてくれたと思うと、実にありがたく、また、母が自分の子供にはみせなかった「さばけた」面を持っていたことも耳新しく、第一、夫の姪たちに「オバチャン」などと呼ばれるのを我慢していたらしいことなどすら、発見だった。よく知っていると思っていた母が、私の知らない面をたくさん持っていて、それを従妹たちが知っていたことは、まったく妬ましくないと言ったら、それも嘘になるだろうけれども。それに、私なんか、毎週、「笑点」を見ながら爆笑してから、「こんな笑い方をして、叱られるだろうな」と、今でもあわててやめるのに・・・ 母が爆笑していたなんて!! 夢に見そう。
November 25, 2015
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金沢泊。父方の従妹が二名寺町に住んでいるので、「都合がつくようだったら、夕食をいっしょにしませんか?」と声をかけたら、二人とも、快く出てきてくれた。逢うのは三年ぶりくらいだろうか。おとなになってしまえば、そんなに変わるものではないが、それでも、二人の姉の方はその父に、妹の方はその母によく似てきて、改めてびっくり。でも、そう思ったのはお互いらしく、「紀子ちゃん、腰がいたいの? オバチャンの歩き方とそっくりになった」と言われてしまい、シャンとしているつもりだったのに、少々残念。ま、このところ、普段以上に歩いているので、多少、腰がいたいのを隠そうとして歩いていたので、母の晩年の歩き方に似てきているのを、否定もできない。この二人の従妹たちは、金沢に生まれ育ったものの、何かで東京に出てくるとなれば、親の兄姉のうちのどこかに泊まっていたので、結局、どの「いとこ」とも一番親しく、一昨年までは毎年開いていた「いとこかい」も、このお姉さんの方が発起人兼中心人物だった。その母である叔母も、末子で、みんなに可愛がられていたし。「金沢は、ずいぶん賑やかでびっくり。町は二年前とはあまり変わらないけれども、兼六園なんか、雨の平日の午前中に行ったのに、ずっと行列して歩いたのよ。やっぱり新幹線効果?」と聞いてみたら、ほんとうにその通りだそうで、「落ち着かなかったでしょう? でも、どうせ北海道新幹線が通るまでの辛抱。そうなったら、みんな北海道に行くから」と笑っていた。ま、そんなものかもしれない。
November 25, 2015
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北陸本線で金沢に向かう途中、山の端に虹のかけららしいものが、ぼんやりと見え始め、見る見るはっきりしてきて、山を背景に、大きな虹が立った。最近、写真には日付と時間を入れているので、こういうときは好都合。時刻表で調べると、これは滋賀県の虎姫駅の近くらしい。「戦国時代に山内一豊が羽柴秀吉から賜った領地である」という。
November 24, 2015
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23日,24日にとまったホテル、そして 25日にとまるホテルに、wi-fi がない。 今回、私は、タブレットしか持ってこなかったので、とても、不便に感じる。 以前通り、ネットブックを持って歩けばよかったけれど、あるいは、スマホがあれば、問題なかったのだろうが、交通機関の情報をみるにも、おくられてくるファイルへの対応にも、いちいち、主人を またせて、どこかによることになる。 私は, 最初、これはホテルの対応が時代遅れなのかとおもったが、よく考えると、私のほうが、securityの管理等で遅れているような気がしてきた。 そういえば、一関のホテルでも、ロビーの共用pcには、「個人のメールの送信受信にはつかわないでください」と注意書があった。 こうなると、スマホを、町角で、ちゃちゃっと操作して、手頃な喫茶店に連れていってくれる長女がうらやましい。 :
November 24, 2015
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東京から西の方に行くとき、京都・大阪にいくにも、中国・四国・九州地方に行くのにも、だいたいいつも通るのが名古屋。なのに、一度も立ち寄ったことのない蒲郡を、主人が旅程に入れてくれた。蒲郡の名前は、子供の時からいろいろと折に触れて耳にしていた地名で、父が12歳ころまでを過ごしたところだ。この際だから、数週間前に、実際の場所を、見たいと思って、相続税申告のときに取り寄せた古い戸籍謄本を見ると、愛知県宝飯郡蒲郡大字小江字社口 と、原本が読み取れたので、グーグルアースで探してみたら、蒲郡の駅の近くに、小江公民館というのが見つかった。今は、蒲郡も都会だから、大字とか、字とかの地名は残っていないだろうと思って、これもオンラインで検索したら、どうやら、神明町というのにあたるらしい。そのあたりをグーグルアースで、さらにみたら、博物館があり、HPをみたら、市誌資料なども展示していることがわかり、さらに、「お問い合わせ」のフォームまでついていたので、事情を書いて、「蒲郡大字小江字社口 はどのあたりにあたるのでしょうか」と質問してみたら・・・・・なんと、数時間後には、お返事が来て、(前略)・・・・・お尋ねのありました「大字小江字社口」につきましては、ご想像のとおり、小江公民館のあたりです。小江公民館のすぐ北に、「小江神社」がございます。こちらは、尺地神社と素護鳴神社が昭和38年に合併してできた神社です。尺地神社の所在地が 小江字社口、素護鳴神社の所在地が「小江字岡井戸」で、「社口」のすぐ北が岡井戸でした。・・・・(後略)とあり、字名と現在の地名の対照図まで、PDFで添付されてきた。なので、今回は、蒲郡駅を降りたら、もう、場所も頭に入っている小江神社に寄る。二つの神社が合同したにしては小さい神社だったが、ゆっくりお参りして、そのあたりの散歩もして駅に近いところだけあって、静かではあっても、道を隔てたところには、マンションがたっていたし、幹線道路にも近かった。が、神社のある一画は、今も住宅街。さて、ここのどのあたりに、父の住んでいた家があったのやら。父の姓の「大橋」は、このあたりに多くあったという名前ではないらしいので、ピンポイントで特定はできそうもないが、神社なら、ゆっくりしていても、写真をとっていても、怪しまれないから、「このあたり」ということで納得。昔住んでいた家が、神社になっていたというのは、説得力に乏しい説だけれども。実は、調べる前の私は、「大橋」というくらいだから、竹島に渡る橋の近くあたりかと、漠然と想像していたが、それは大間違い。 父の先祖だったら、案外、単純な姓の決め方をしたのではないかと想像したのは、失礼だったか???気のすむまで、そのあたりを見てから、私の身分にはすぎたクラシックホテルに向かった。菊池寛、川端康成、谷崎純一郎、三島由紀夫、志賀直哉、与謝野晶子、高浜虚子、そして、柳原白蓮も、佐佐木信綱も作品に登場させたホテルである。ホテルのロビーにおいてあった蒲郡市史の民俗の部に、大正七年の学校の教室の写真が出ていた。男の子たちが、熱心そうに授業を受けているその写真を見るのは、なかなかさわやかであるこういう手間をかけなくても、父が生きているうちに、いちどでも一緒に行ってくれと頼んで、話を聞いたりするチャンスがあったら、もしかしたらよろこばれたかもしれないのに、もったいないことをした。
November 23, 2015
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蒲郡では、俊成短歌会が毎年開催されている由で、選者をしていらっしゃる関係で蒲郡にくわしい小塩先生ご夫妻が、お忙しい日程をこなしていらっしゃる方なのに、私たちに会いに来てくださった。小塩先生は、一昨年まで開催されていた「海外日系文芸祭」の主催をなさっていて、私も、及ばずながら、作品集めのお手伝いをしたので、ねぎらってくださった次第。あの文芸祭では、小塩先生の尽力はたいへんなものだったのに、ありがたいことだと、私としては、感謝あるのみ。椅子席でくつろいでの和食をごちそうになり、短歌のお話なども伺いながら、とんびの声が聞こえてくる三河湾に臨んだ町を案内していただいた。(ホテルが崖の上にあったので、トンビが休んでいる写真をとることができた。)ここでは、海を見はらすお座敷で、お菓子とおうすのサービスがあった。土地の子供としての、私の父が、100年前に、ここで一生懸命に遠泳の練習をしたときいていた湾である・・とか想いながら、遠泳の目的地であったという島を見て、改めて感心。(これは、ホテルのロビーにあった蒲郡史の中にあった写真)中でも海の生命館は、印象的。祭日であるせいもあろうが、子供たちがたくさん、勉強をしたり、工作をしたり、遊んだりしていて、いかにも、施設が有効に活用されているという感じがして、頼もしい。私が一番、気になったのは、クジラの骨の化石。大きな頭や体の骨の化石が、もとの形におかれた展示は、圧巻。なんでも、市長さんがアルゼンチンで買われて、展示をしているうちに、最近、めずらしい品種のクジラだとわかったのだそうで、にわかに価値がでたという話。どうやって運んできたのだろうとかおもいながら、とても不思議な気持ちになった。のどかにみえながら、スケールの大きい町なのかもしれない。100年前、ここで少年時代をすごした私の父も、こんな気風の中で、おおらかにくらしたのだと思いたい。
November 23, 2015
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中学のクラス会。60人近いクラスだったが、今になって集まれるのは、15人程度。体調不良とか、他界とかで、毎年人数が減っていくのが寂しい。カナダの所属ゴルフクラブでも、毎年そういう理由でのメンバー減少があって、attrition というが、ま、どんな言葉で表現してみても、寂しいことにはかわりがない。会場は、小田急線の梅丘駅近くのお寿司屋さん。学校は、井の頭線の東松原と、小田急線の梅が丘の間の梅が丘寄りにあるので、今は、遠くに住んでいる人たちも、わりと気楽に来られるということで、毎年、その場所に決まっている。今回は、折角だからと、井の頭線の東松原で降りて、学校を外から見て、方丈記の書き出しのような感想をもちながら、会場に行く。この道も、私たちが中学生だったころには、両側ずっと畑であった。ま、それぞれに年齢を重ねて、穏やかに付き合いやすい「おとな」になっているので、和やかに会は進むのだけれども、話題にどうしても、体のことが多くなってくるのが、ちょっと・・・。そうなると、ちょっと抵抗心が湧いて、「私はおかげさまで元気にやっています」なんて言う風な挨拶をしてしまって、「子供」だったかなあ・・・と反省。来年も、出席できたら、もっとやさしいオバアチャンになっていよう。
November 20, 2015
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お習字の早朝練習をしていたのだけれども、なかなかうまくいかなくて・・・ でも、仕事ではないから「ま、いいか」といたずら書きに変更。初めて描いた花の絵だけれども、今日書いた字よりは、ましかな?イメージは、こんな感じの菊の花。 私もトシだから、これからは、こうやって自分で「くつろぐ方法」を考えていかないと、生きるのがむずかしくなるな・・・と、これは、言い訳。
November 18, 2015
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本年より発売の、青森A級米 「青天の霹靂」を買った。今年から、青森のA級米「青天の霹靂」が販売されると聞いていたので、東京についてすぐ、「どうせお米を買うのなら、新銘柄を買ってみたい」と、ご近所のスーパーを探したのだが、サミットストアになし、西友になし, Ito Yokadoになし、Edionになし、Commody Iidaになし・・。アンテナショップのウェブ・ページには、「少量、在庫があります」と書いてあったが、中途半端な熱意しかないので、遠くまで行く気になれなかったりして、秋田米を買った。(秋田米もおいしいし)ところが、今日、サミットストアに行ったときに、習慣でお米の棚も見たら、ありました!青天色の袋に入った11月7日精米の、「青天の霹靂」!2キロだけれども、老人2名では、カナダに帰る前に食べ切れるかどうかわからないが、余ればカナダにもって帰ればよいし。(日本のお米は、高いけれども、おいしい! だから、「青天の霹靂」も、きっとおいしいだろう。 政府が保護しているという標準米は、安いらしいけれども、このあたりのスーパーでは、見かけないし・・・。昔、日本に住んでいたころには、標準米しか食べなかったものだけれども、こしひかりが出たころから、東京は贅沢になったのかもしれない。)今日は夫が外食だったので、初物を一人用を炊くのももったいないので、「食べ初め」は、明日になる。
November 17, 2015
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畳屋さんが、作業所に運んで行った畳が、「お色直し」をして帰ってきたのが昨日。 私は外出予定があったので、主人に立ち会いを頼んだのだが、帰宅して玄関ドアをあけると、すぐにそれとわかる畳の匂い。 「女房と畳は新しい方がよい」と昔はよく言われたのを思いだしつつ部屋に入ってみると、どうも、その匂いがきつすぎて、あまり気分がよろしくない。 「しばらく、戸をあけておいてください」と言われたそうで、ベランダへの戸はあけてあったけれども、それでもきつい。 「今夜はここに寝ない方がいいよ」と夫も言うので、昨夜はリビングルームに寝て・・・ さて、今夜はどうしようかと思ったのだが、まだ匂いが強すぎるような気がする。 「これって、いつかは馴れるのかしら。」と思いつつ、なんとなく落ち着かないでいる。 昔、畳替えをしたときは、こんなに臭わなかったような気がするのは、気密度の低いあばら家だったせいかしらと思ったり、若くて無頓着だったのかしらとおもったり・・・ あるいは、今回は、安物の畳をんだからかしらと思ったり・・・。 そういえば、私た「新しい女房」であった時も、なかなかペースがつかめなくて、半年は落ち込んでいたな・・・とか、つまらないことを思い出す。
November 16, 2015
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アルバムは欲しい、係りはめんどくさい 軋みはじめるお母さんたち(飯ヶ谷文子)読んだ歌ではなく、耳で聞いた歌なので、表記は不確かで、申し訳けないのだけれども、身につまされた一首。申し訳けないのだけれども、昔、私も子供の父母会に行ったときなど、まさにこういう感じだったなあと、懐かしく思い出した。特に、学年はじめの父母会は、役員を決めるので、ドヨ~ンとしていたのを思い出す。そして、これは、トシをとっても変わらない。今日は、大学時代の同級生の会があった。もともとは、一学年に75人いたのだが、物故者、連絡のとれない人、興味のない人も当然いるので、本日は、14名の集まり。それなりに、くつろいで話ができるし、話題が一つになりやすいので、ちょうどよい人数ではあり、話は弾んだのだが、やはり困るのが次の会の幹事を決めるとき。「クラス会には来たいが幹事は荷が重い」状態の人ばかり。私も、「最近はメールだから、カナダにいても大丈夫でしょう? やってよ」と言われたのだが、以前、そういう風に言われて、中学のクラス会の幹事を引き受けたのに、結局は、日本にいる人でなくてはできない仕事ばかりになって、相棒で、中学時代からいつも頼りにしていたEさんにほとんどやっていただきかけた状態のとき、Eさんが病気になって入院・療養。 そのことを知った殿方が二人、見るにみかねて実務をやってくださってやっと会を持てたという、申し訳ない経験があるので、とても引き受ける勇気がでない。他の人たちも、一番若い人で74歳。多少の浪人・留年を得ている人で、77歳か78歳ということになると、「来年の約束には自信が持てない」という人ばかり。 口実ではなく、それぞれ、みんな、病気自慢の人ばかり。結局は、「自分は、他の会でも幹事をやっているし、いろいろ病気を抱えているから、やれるかどうかはわからないけれども」と、押し付けられるような形で引き受けたTさんのおかげで、来年も続くことにはなったのだけれども・・・そろそろ潮時かなあ と思わないわけではない。トシをとって、昔の友達と逢えるのは楽しいけれども、これ以上、トシをとった姿を、見られたくないという気持ちもおおいにある。
November 15, 2015
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NHK E テレで、 ETV特集「ドナルド・キーンの日本」前篇 を見終わったところ。「日本文学は世界文学である」というキーンさんのお話で結ばれていたこの番組を見て、なっとくするところも、学ぶところも多かったし、後篇もぜひ見ようという気持ちになっているのだけれども、一つだけ、私の考えと違うところがあった。それは、日本人は、季節や天気の挨拶をするが、アメリカ人は、そういうことを挨拶には使わない。という点。アメリカとカナダは違うのかもしれないけれども、カナダに住んでいる私たちは、いつも天気を挨拶にいれている。あついですね。寒いですね。涼しいですね。暖かいですね。よく降りますね、ちっとも降りませんね。からはじまって燕がかえってきましたね。スノーギースがかえってきましたね。葉が黄色になりましたね。赤くなりましたね。XXの桜が、咲き始めましたよ。その他、いろいろ。 私の知る限り、英語人だって、季節の挨拶はふつうにする。いまごろ、毎日雨ばかり降っているのにうんざりしているバンクーバーの人たちは、「良く降るねえ」とあいさつしていることだろう。もしかすると、アメリカ人やカナダ人も、少しずつ変わってきているのかもしれない。
November 14, 2015
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だいぶ傷んで来たので、表替えの見積もりのために、畳屋さんに来てもらったのが昨日の午後。見本の畳表の中で、和紙にビニールコーティングしたものは、うちの畳には使えないのだそうで、それをまず除外。「賃貸アパートなどでは、こういうのを使う人が多い」と見せてもらった畳表は、「うん、まあ、そういうものか。とりあえず、こういうものにしておいて、あとは売るときに壁紙や襖と一緒に変えてもいいなあ」という感じだったが、一つずつ、高級なものを見せてもらうと、「せっかく、替えるのに、これでは・・・」と却ってもったいないような気持ちになってしまって没。「日本の畳には熊本製が多いんですよ」と見せてもらった畳各種は、それぞれに、少しずつ感触が違い、オネダンも違い・・・・ さらに中国製で見せてもらったのは、同じようでも、ちょっとずつ安い。特に、雑な編み方だとは思わなかったが、中国製は、見本だけよくて、実際に来るものが違う場合を、カナダで経験しているので、そこがためらわれて、正直に言うと、間に入っているのは、日本人だから大丈夫だと、畳屋さんは言う。ただし、藺草を育てるのに使っている農薬の安全基準が日本と違うので・・・と恐ろしいことを言って、脅かしたから、「あ、日本製にしよう」と思ったら、今後は、「ただし、日本も、10年くらい前には、そんなに安全基準は厳しくなかったから、気にならなければ、気にしなくても大丈夫。」と、言われ、また迷う。「これなんか、上質です」 と見せてもらった畳表には、「ビンゴ」と書いてあった。 「お!これだ! bingo!」と思うくらいしっかりと目がつまって、藺草の太さもすっきりそろって、手を置いて体重をかけてみた感じが、とてもよい。 見ればみるほどbingo!最近は、畳までカタカナネームになったのかな?という筈もなく、「ビンゴって、広島のことですか?」と 訊ねてみたら、正解だった。「畳表は広島」と、社会科で習ったことがあると、親しみを覚えたが、なんと1枚10万円ほどするというから、パス。備後の藺草は、2メートルになって収穫できるまでに二年間かかるので、野菜作りなどの方が割に合うという理由で、栽培している人が少なくなっているから、高いのだそうだ。その他に、柔道場、天守閣、大広間・・・それぞれの用途で、なんといろいろあること!以前は、こんなに選択肢がなかったような気がする。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ある程度古いマンションでは、一部屋は畳の部屋があるのだが、それも最近は、洋間に変えてしまうところが多く、畳の仕事は減っているのだそうだ。畳の部屋は敷居が必要になり、バリアフリーの住まいにできないし、畳の上で杖をついて貰いたくないし、まして、車椅子で畳の上に乗ってもらいたくないし・・・ 畳の上に寝るのは、ベッドとはまったく違う解放感があるから、私は好きだけれども・・・・それも元気なうちかな?
November 14, 2015
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本来は、東京に来たら、第一日目にするべきことなのだが・・・・主人と一緒に墓参。「いつ来るかと思っていたら、やっと今頃・・・」などと、母の苦笑が目に見えるような気がした。帰りには、神保町で解散。私は、紙の本はもう買うまいと決心していたにも関わらず、また、4冊の本を買う。それから、昔からあるジャズ喫茶に行って、ヒーパップのジャズを聴いて命の洗濯をして帰宅。主人も、なにやら自由行動をして、私よりも少し前に帰宅。適度の自由行動は、生活のアクセント・・・なんて。
November 12, 2015
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高校時代に、美術部だった方々が毎年開かれる絵の展覧会を見に行った。私の姉も、高校時代、その美術部に入っていたので、もし、生きていたら、どの段階かで、この展覧会に出品するようになっていたかもしれない・・・という美術部だ。今日は、同級生の方々が、行くと聞いたので、私も参加してみたしだい。96歳になられた先生は、グレイ一色で大きな油絵を出品されていた。「3.11」というタイトル。数年前に、蛇笏賞を受賞された文挟夫佐恵さんのご長女も同級生で、毎年、染色の作品を出されている。
November 11, 2015
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路線バスに乗って、厳美渓に行った。早朝には霧が立っていて、視野がよくなかったが、だんだんに、霧が晴れると、北上川の水はきれいだし、紅葉も美しいし、すばらしい。柿の木のてっぺんに、赤い実が二つ残っていて、そのうちの一つは、鳥が食べたあとがあった。ああ、これがカラス柿。一つは、カラスのために残しておく・・・そういう暖かい習慣を含めて、とても美しいと思った。干し柿を作っている農家の光景も、とてもなつかしい。ごみ集積所。ちゃんと、それなりの建物になっている。さすが!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・本日の自慢は、この写真。高所恐怖症の私が、吊り橋の前で、夫に「わたろう」と言われて、思い切って渡った時にとったもの。川の方に、黒く小さく見えるのが、吊り橋をわたっている私の「影」であります。誰かさんがわざと揺らしたとき以外には、あまり揺れない橋であった。
November 10, 2015
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一関で泊まったホテルの朝ごはんは、6時半からなので、チェックアウトする支度を全部済ませてから、6時20分ころから、ホテルの外に、散歩ほどではないが、戸外の空気を吸いにでた。昨夜は雨が降ったけれども、朝までには晴れて、なかなか美しい一日になりそうだ・・・・とか、短歌メモをとりながら歩いていたら、いきなり♪あた~らしい 朝が来た、希望の朝だ♪という、ラジオ体操の音楽が、すぐ近くから大音量で聞こえてきた。あらら・・・・! ホテルの隣の文化センターの前庭に、何人かが集まりはじめて、どうやらこれからラジオ体操が始まるらしい。それにしても、朝早く、戸外であれだけの音楽を流しているということは、それでも、近所の人たちからの文句も出ないということだからすごい。人々も、子供の時から身についているから、今更、別に何を教えてもらわなくても、広場があって、音楽が鳴れば、自然に体が動くのだろうから、 これまたすごい。
November 10, 2015
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一関の道の駅での、主人の買い物。出品者は、小岩より子さん。なにやら、木の皮のようなものが、乾いて丸まっている。(百日紅の幹がはがれて落ちて丸まっているものの、縮小版のような色と形をしている、)私にはなんだか見当がつかない。袋に貼られいるシールをみると、「出品者 小岩より子、 原産地 岩手県一関市、100円」とか書いてあるのに、品物名が書かれていない。主人に「これ何?」と訊いたら、干し柿を作るときなどにでる柿の皮を、干したものだと教えてくれた。袋を開けてみると、たしかに、柿のにおいがする。主人の母は、しばしばこれを料理に使っていたそうで、たとえば、大根や株を煮るときにちょっと入れたり、白菜漬けをつくるときに入れたりしたのだそうだ。私も、白菜漬けをするときに、家族が食べた柿の皮をとっておいて入れたことなどあるけれども、干して販売しているのは初めて見た。ふーーん、そうか。 小岩より子さんってどんな方かしら。そのほかに、千葉さんのマイタケも出品者 菅原さんの林檎も、主人は気に入って、どんどん買い込む。「お値段は信じられないほど安いけれども、とくに林檎はずしりと重いのに、東京まで運ぶのお?」と、思ったが・・・ ま、主人が持ってくれるらしいから、いいか!・・・・・・・・・・・・・・・白菜も、曲がったネギも、私もほんとうは欲しいものがいろいろあったから、もし、車で行っていたら、かなり買い込んだかもしれない。ホテルの朝食のバイキングに、地元野菜を蒸かしただけのものがあったが、人参もサツマイモも、インゲンも、それぞれの味が出ていて、とてもおいしかったし。
November 10, 2015
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平泉の中尊寺を見て、一関泊まり。昨年の秋、コスモスの大会が北上であったときに、いっしょに行こうと言っていた夫が、急な事情で行けなくなり、私も間際にキャンセルしたので、夫としては、なんだか連れて行かなくてはいけないような気持ちになってくれたのではないか・・・と思われる。奥州の藤原氏はなぜここまで豊かだっただろう・・・その藤原氏を助けたから、「佐藤」という姓を賜ったという夫のご先祖さまの働きのことも考えたりして、面白い旅だった。中尊寺の美しい写真は、あちこちに出てくるけれども、あえて、数枚をここにUP.ちょうどよい季節だったと思う。ここの紅葉は、紅葉自身も美しいのだけれども、深い緑の中にあるから、いっそうに美しく感じられるのだろうと思った。金色堂への階段水に映れば、二倍の紅葉能舞台色あせているところが、歴史を感じさせていっそうの感慨。義経堂よりの展望。川の流れは絶えずしてしかももとの流にあらず・・ですが、ここにあったのは芭蕉の句碑、「夏草やつわものどもの夢のあと」でした。合戦があった場所は、ここからは見えないという話でしたけれども。
November 9, 2015
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ハロウイーンも終わって、一週間以上たつのに、まだ、駅前商店街は、ハロウイーンの幟を出している。せっかく、デザイナーに頼んで作ってもらったのに、すぐひっこめてしまうのは、もったいないのかな?Halloween の o はかぼちゃの、W は蛇のデザインでなかなか面白いが、Hall OW ee の三行にわけた横書きというのがいささかユニークすぎはしないかな?
November 9, 2015
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男孫の4歳の誕生日。とはいっても、彼はアメリカに住んでいるので、日本時間でいうと明日ということになる。ママさんから、彼の「作品」を送ってきた。何を描いているのかはわからないが、画面いっぱいに、元気に描いているところがよい。面白いのは、この子が両手に、それぞれ筆を持って描いているところ。この子の父親は、小さいときには左利きだったのを、幼稚園に入って右手を使うように努力したので、幼稚園の絵の時間に、「描けた人から外で遊んでいい」などと言われると、両手にクレヨンを持って、他の人の倍の速さで空を塗って、タタタタタッと、遊びに行ってしまったそうで、先生が笑っていらしたのを思い出す。その子供も両手で描いているのは、DNAのなせるわざか、それとも、父親から教わったのか???
November 8, 2015
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11月5日の日本経済新聞の「春秋」欄に・・・ 森鴎外「雁」は鳥類図鑑コーナーに収まり、芥川龍之介の「芋粥」は各種料理本に交じり、宮沢賢治の「注文の多い料理店」はグルメガイドの仲間に・・・・。まさかそんな図書館が、と笑ってはいけない。・・・と、Tsutayaを展開する会社が運営する図書館のことがかかれていたが、本屋さんでなくて、司書さんが分類する図書館でも、ないことではない。私の住んでいるカナダのリッチモンド市の市立図書館に、もう、ずいぶん前のことだが、Tenshin Okakura(岡倉天心) の 「The Book of Tea (茶の本)」(もちろん、英語版)が、cooking の本の中にならんていたことがあった。見たときは、ほんとうにびっくりしたのだけれども、司書さんたちはみんな忙しそうにしていて、私が指摘しても取り合ってくれない。しかたがないので、そのままにして帰ってきて、一か月ほどしてまた見たら、そこにはその本はなかったから、だれか、もっと権威のある人が気づいたのかもしれない。司書さんだって、すべての本を読んでいることもないだろうし、日本で有名なこの本のことも、まったく知らなかったということも、十分にあり得るから、表紙をみて、「これは、料理の本だろう」と、簡単に片づけてしまっても無理はなかったのだろうが、でも・・・・ちょっとね・・・・。
November 5, 2015
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おとなりのマンションの垣根の近くにある柿の木。おとなりが、日産の寮だったころから、毎年、たくさん実をつけて、いろいろな鳥が賑やかに集まっていた。私まで、おすそわけにあずかって、干し柿を作ったこともあるくらいだ。それが、この数年、いくら実がなっても、鳥がまったくよりつかない。しーんと静まっている。今年も、こんなに実をつけているのに、どういうことだろう?薬でも撒いてあるのかもしれない。そういえば、全体に、カラスがとても少なくなっているように思う。
November 4, 2015
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東京に来て、4日がすぎた。到着した31日夜は、いつも通りの分担。お互いに打ち合わせをする体力もないまま、いつも通り、夫が外回り、私が家の中をと分担。夫が食料の調達に行く間、あれこれと家の中で動き回り、テレビが見られ、布団も敷いて、ネットもつながり、水もガスも使用準備が整うころ、夫が近所のサミットストアから、イエローカードのついた食べ物を買ってきて、食事となり・・・あとは、あちこちに、「来ました。よろしく」みたいなメールをだし、就寝。1日は 夢中。2日は、「なんだか暗くて、雨で、バンクーバーの今頃と同じだな」と思って、普通に外出し、都心にも出た。「寒い、寒い。12月なみ」とTVの予報士さんたちがのたまうので、あたたかくしてでかけたら、家から駅までは快適。でも・・・ 電車の中、オフィスの中などがあつくて、しかも、出してくださるのは熱いお茶だったりするので降参。地下鉄の駅ホームで、冷たいドリンクを飲み、上着を手提げにしまい、身軽になってみたら、やっと気分がすっきりした。3日・4日は、穏やかで温かくて、「さすが、東京!」と、かなり能率が上がった。ただし、時差調整がうまくいかず、午前1時とか2時とかに、無駄なほどすっきり元気に目覚めます。そして、午前中は絶好調。午後はそろそろテンポが落ち、 夕方はゾンビのように暮らして、昨日など、7時にはストンと眠ってしまった。だもので・・・ 今日は、また早起き。
November 4, 2015
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昨夜、東京についた。今朝、さっそく外にでて、「ああ、東京だなあ」と思った風景二つ。一つは、住宅街。狭い道の両側に建つ家々と、そこにあたる暖かい秋の光。さすがに、日曜の朝だけあって、誰も歩いていない。同じく狭い道路だけれども、日曜日なので、歩行者天国にしてあって、人がゆっくりあるいている商店街。いずれも、カナダでは目にすることのできない週末風景である。
November 1, 2015
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