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10月末に、ベランダのプランターの整理をしていたら、以前蒔いたことのあるおしろい花が、アロエの間から芽を出していたので、一年草だとばかり思っていた私は、もう冬に入るので、抜いてしまおうとしたのだが、なかなか抜けない。不思議に思って、土を掘ってみると、まるで球根のようなどっしりとした根から、そのおしろい花が出ていた。それではと、鉢を改め、土も新たにして、それを植えて、リビングの日当たりのよいところに、アロエや蟹サボテン、胡蝶蘭などと一緒に置いて、日本に行って5週間。帰宅したら、大分大きくなっていて、黄色い蕾もたくさんあった。(胡蝶蘭も咲いていたし、アロエも蕾を持っていたが、これは期待通り。おしろい花だけはまさか・・とおもった。)で、それ以後、毎日水をやっていたら、今日、二輪、季節外れの花が開いた。留守の間の水やりは、一週間に一度くらいだった筈だから、それでよく咲いてくれたと思う。しかし、十月とか十一月に咲く花が、今頃咲いて・・・なんだか気の毒でもある。
March 31, 2015
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一日中、雨というわけではないが、なんとなくすっきりしない天気だったが、夕方になって、ぱっと明るくなったかと思ったら、美しい虹が出てきた。弧が高い虹で、しかも、片脚しか出ていなかったので、まるで垂直に立ったような感じだったが、ひさびさの虹で、私はすっかり上機嫌。しかし、間もなく、地面に近い方から消え始めて、しまいに、中程だけぼんやりと雲に紛れた「彩雲」のようになって、まもなく消えてしまった。
March 31, 2015
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東京にいるとき、「もう断捨離期だから、紙の本は買わない」と思い、ある本もかなり無理して纏めてブックオフに持って行った・・・のだが、「ミイラとりがミイラになる」の言葉のとおり、「本売りが本買いになる」を地で行って、本を買ってしまった。「計算をしますので、店内でお待ちください」という店員さんの言葉に、みごとひっかかって、「ま、もう少し生きているからいいや」みたいな気持ちになってしまう。カナダにいると、英語の本は、読みたかったら、図書館にリクエストできるが、日本語の本はそうはいかないので、つい・・・と、まあ、言い訳はここで終わりとして、買った本の中に、「ピアノでひく世界の国歌」という楽譜集があった。国歌が大好きな孫のマークが、最近、学校のバンドの時間に、サックスを習っているし、国歌を練習してみるのも楽しいだろうと思ったのだが、 先日来たときにこの本をみつけた彼は、今日はにこにこと、サックスを持ってやってきた。もちろん、最初はカナダの国歌。大好きな国歌だが、しかし、フラットが三つもつくので、ちょっとたどたどしい。 次回までに「C調に書きなおしておくね」ということで、ぱらぱらめくって、アメリカも、フランスも、ついでに中国も、歌ったり吹いたりした。中国の国歌なんて、「日本をやっつけろ」という歌がもとになっているそうだから、ちょっと微妙だが、ま、国際試合の時にでてくる以上、そこのところは飲みこむ。でも、なんと言っても、彼の気にいったのは「君が代」。普段は、「なんだか、元気がなくて哀しくなるような国歌」だといって、肩を落として歌ってみせたりする国歌だが、楽譜を見れば、歌う部分には、細かい音符はないし、シャープもフラットもないし、「これはできるぞ」と思ったのか、何度も繰り返して合奏した。私はピアノを一人で弾くときは、ヘッドフォーンをして他に聞えないように弾くのだが、孫と合奏するとなればしかたないからヘッドフォーンを外すし、サックスも、少しずつ音が出てくるようになったので、かなり音が大きい。「ちょっとまずいかな」と、窓はしっかり閉めておいたのだが、やはり、階下の人には聞えたらしく、夫があとで、エレベーターで出会ったら、台湾人のおじさんが ♪きみが~よ~は♪ と歌って「そこまでしか知らないけど」とにっこりしてくれたそうだ。今回のところは、「うるさい」とは言われなかったが、みなさんんが機嫌をそこねないうちに、こういうことは、一戸建ての息子の家の方でやるようにしなければなるまい。こちらの学校では、小学校高学年にはバンドの時間があるので、実際、あちこちから管楽器が聞えるのだが、ま、正直のところ、すべてがここちよく聞えてくるわけではないし。管楽器にも、ヘッドフォーンをつけて練習できる道具(silent brass)はあるのだが、まだ音がちゃんと出るようにならないうちは無理だし、合奏の楽しみはない。また、band in a box という ハード&ソフトも、何年か前に次男に買って貰って、バンドとの合奏をヘッドフォーンで一人で楽しむことはできるのだが、たまには、孫の伴奏などということもやってみたいし。
March 30, 2015
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ダイソーに行ったら、書き初め用紙を売っていたので、30枚入り2袋買ってきた。紙の質は・・・ それなりだが、ま、贅沢は言えない。で、コスモスの二月号に出た自作を書いてみた。 私の短歌にしては、主張があるから、それが取り柄だと思うし、内容に同感してメールをくださった方が何人かいらして、嬉しかったのだが・・・・ ふと気付くと、「護る価値なき言論」が何であるかは、読む人の心次第。何をもって、価値があり、何をもって価値がないとしているかの、作者なりの主張がでると、支持者は少なくなるかもしれないが、主張ははっきりする。これは、実は、昔の同級生で、ジャーナリストだったI氏が言われた言葉。さすが・・・と、私はすっかり同感してしまった。ざっと世の中を見回すと、護る価値のない言論が本当に多い(私のブログなども、その一つだと自覚するが)。それをいちいち護るために、本当に大切な言論が護られなかったり、あるいは、混乱を招くこともたくさんある。「なるほどなあ・・・・」と、I氏の言葉をさらに味わっているうちに、そのままで一首になった。「護」と「守」は意識して使い分けた次第。最初から自分の心から出た言葉でないのが、気にはなるので、「逃さず取り上げた」・・ということで、納得していただけるかどうか。まだ、四分の一も終わっていない2015年だが、今年のわが短歌の中で、一番気にいったものになる可能性が大きい。本当を言うと、こういうむき出しの標語のような段階で留まっているのは、内容が自分で気にいっていたとしても、「一年の代表歌」にするのは、情けない。気にいったのなら、内容はそれを大事にするとして、それを、何かに托して歌い、そこから読者が「そうだなあ、あんな言論よりも、もっとまもるべき大事な言論があるなあ」と感想を持つような構成になっていなくてはいけないとは、わかっているので・・・・「ここからが短歌」と、自分に言い聞かせて、年末までには、自分で納得のいくよい一首に育てたい・・・と思っている。・・・・ ちょっと、偉そうだったかな?
March 30, 2015
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日本で言えば、ヨドバシカメラのような電気機器の店、FUTURE SHOP が、何の前触れもなく、今日、カナダの全店閉店をしたことが、ニュースになっていて、「朝、従業員が行ってみたら、解雇されていたことがわかった」とか、「店に買物に行ったら、閉店していた」とか そういうインタビューがたくさんでてきた。 この店は、カナダでは、多分一番長く電気用品を扱ってきたところで、数年前にアメリカのBUST BUY という店をやっている会社に買いとられて営業を続けてたのだが、今回、急遽閉店になったので、サービスの途切れた部分は、BUST BUYが やると 聞いた。 しかし、これだけ、事前に漏らさずに閉店ができたのは、しっかりした経営者だと感心する。 普通、従業員の間には、少なくとも前兆がわかって、なんとなく、そういうニュースが洩れるところだが・・・。 閉店には、こういう形の閉店もあれば、SIMPSON SEARS とか、TARGET とか ZELLERS とかのデパートのように、何も無くなるまで売るということで、半年以上も、閉店セールをする店もある。 FUTURE SHOP が、半額セールなどやったら、かけつけて、今使っているwindow 7 を、10に買いかえる・・・のは無理だとしても、8には、UPGRADE しただろうし、プリンターのインクだの、紙だの、高性能のカメラだの・・・いろいろ買っておきたかったな! もっとも、半額といっても、無料ではないのだから、買わないで済んだのは、よいことだったのだろう。 断捨離よりも、買いだめをしないことの方が先だと、改めて思った。
March 28, 2015
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40人のほどの昼食会で、雑談していた時に、最近、鷲のすばらしい写真を送ってくれるジャッキーさんに、お礼を言い、写真を褒めたら、「いいカメラを買ったから」とにっこりする。「どんなカメラを買ったの? いいカメラは取り扱いが複雑なんじゃないの?」と聞いたら、「鳥を撮りたいので、望遠が効いて、シャッターを押すだけでよい写真がとれるカメラ」と店で言ったら、「じゃあ、これ!」と言われたので「OK」と買ってきただけだったけれど、大当たりだったという。(そういえば・・・値段のことは何も言っていなかった!)機種は、「キャノンのxxx]。それを聞いた、バーバラさんが、「私のは、ソニーだけど、これもとっても操作がやさしくて、気に入っている」という。この人は、花を撮るのが得意だ。「ノリコもたくさん写真をとってるけれど、どんなカメラをつかってるの?」と聞かれたので、「エクシリム」と言うと、「あらら、日本のカメラを使っているのかと思ったら、違うのね、」ときた。「エクシリムは日本のカシオというメーカーが作っているのよ。それに、ついでに言えば、キャノンもソニーも日本の会社よ!」と言ったら、みなさん、びっくりしている。思えば、ソニーは、外国語でも発音されやすいようにと、言葉を探して名付けたという話を聞いているから、みんなが英語の会社名だと思っても無理はないのだけれども。メリー・エレンさんなか、スマートフォーンで、わざわざ確認して、「ほんとだ!みんなジャパニーズだ」とか言っている。私は、べつに、ソニーや、キャノンや、カシオの関係者でもなんでもないのだけれども、カナダ人のみなさんが自国のものだと思って、ふつうに使っているものが日本製であることが、おおいに誇らしかった。
March 25, 2015
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一つづつ円持ち寄りし夫とわれ同心円となりて五十年 (片野千浪歌集「二人旅」より)同心円二つに描くわが一生半径伸ばして内外になり (同上)同心円二つを描く夫とわれ時折互みに半径のばす(同上)片野さんご夫妻が、喜寿と金婚式を 迎えられた記念にと、奥様が上梓された第二歌集。そうか、同心円だったのか! ふむ、ふむ、なるほど・・・。えらいなあ!と、感心したところで、わが身に引き比べて考えてみる。それぞれの円を持ち寄るのは当方もそうだけれども、そして五十年をすぎたのも同じだけれども、当方の場合、同心円夫婦とはほど遠い。二つの円が近づいて、両方の一部同士がかさなりあい、時に大きく、時に小さくなる両者の共通部分のところでだけ付き合ってきたようなもので、その共通部分が限りなく大きくなれば、そこに同心円が生れるのだろうが、それはとても無理。作者ご夫婦の同心円の半径の長さは、時に変化するらしいが、「互みに」とあるところを見ると、お互いに相手の半径を伸ばし合っておいでなのだろう。これも、すばらしい。あえて言えば、片方の半径が、もう片方より大きくなると、半径の小さいほうは「すっぽりと包まれて、幸せ」と思う時もあるが、「出口がなくて窮屈」と思う時もあるのではないだろうか? また、半径の大きいほうも、責任がたいへんだろうし、持ちこたえるのが辛いときもあろう。かといって、もし、半径も、中心もまったく同じ同心円だったら・・・理想的なような、窮屈なような・・・?など、いろいろ考えさせられるが、夫婦というユニットは、やはり、相手のあることだから、それぞれに、相手と落とし所を見つけていくより仕方がないのだろう。・・・・・というようなことはともかく、だいたい、歌集を読んで、歌の内容に気をとられすぎて、歌にむきあった鑑賞をしないのは間違っているけれど、しかし、それがわかりながらも、この三首が強烈だったので、つい内容につかまってしまった歌集だった。気持ちを改めて、以下に、歌集の中で、上記以外に、私が好きだった歌を引く。サバンナの満天の星に手を伸ばしオリオン一つもぎ帰りたしマンザ湖の岸の繁みに横たはる病めるライオン独り死期待つ禿鷹の群が低空旋回し死にゆくライオン見守りてをり真昼間に太陽徐々に欠けゆきて天空一面星空になりぬ太陽をかくし切れない月の辺にピンクの光もれて輝けり集ひたる五人の孫の若やぎは種火のやうに辺り温(ぬく)めたり屋根瓦が地震で落ちたる軒下に巣を作らむとつばめ飛び交ふ林立するモスク、教会、仏閣は民族毎の表札ならむ山羊ひつじ牛に家鴨の親仔連れ道路横切りて川辺に向かふ大地震(おほなゐ)に崩れし棚田の直されて雪解の水の流れ初めたりいろいろな外国に住まわれたり、旅をしたりされて、珍しい風景や情景がたくさんに収まった一冊であった。
March 22, 2015
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家の近所まで戻ってきたら、数日前までは、まだ散る気配のなかった木蓮が、ずいぶん、柴の上に散っていた。雨に負けたのかもしれない。散ったばかりの花びらは、まだみずみずしくて、美しい。(すぐ、茶色くなってしまうのだけれども)
March 21, 2015
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ダウンタウンのハイヤットホテルのそばにある桜の「名所」。例年なら、春分の日のころに満開になるのだが、今年はどうかな・・・と思って寄ってみたら、もう散り始めて、葉も出てきていた。舗道にも、灌木の上にも、ブロンズの像の上にも、道路に駐車している車の上にも、そして名残りの桜を見ている人の傘の上にも。だれかの透明なビニール傘の上に、散って、ぴたりとついているはなびらがとてもきれいに見えたけれども、他人の写真をとったりすると、失礼なので控えたが、そのあたりをうまく拾えば短歌になりそう。ついで・・・と言ってはかわいそうだけれども、雨に濡れたチューリップも、きらっと光って美しかった。
March 20, 2015
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このところ、小学校は春休みだし、両親は働いているしで、孫がうちに来ることが多い。今日も、午後になって「Let's do shuji」などと、習字セットをぶら下げてやってきて、私を喜ばせた。「何をかこうか」・・・とか言いつつ、「桜」という字を教えたが、どうも、この字はむずかしいらしく、私もうまく書けなかったし、彼もいまひとつ、満足できない。自分で満足できないと、たとえ褒められても、次に書く字がだんだん小さくなっていくのが彼の作品の特徴で、なんだかいじらしい。とりあえず、二人で「桜」の文字を嘆きあい、「二人とも自分で好きな字を考えて書こう」というになり・・・彼は「ねこ」、私は「朝」という字を選んだ。数枚目で、「よし、これならおとうさんに見せられる字だ」と彼は筆を置き、私も、「まあこんなものかな」と筆をおき、後片付けに入る。彼の字も写真にとっておきたかったのだが、「おとうさんに見せてから」とか言って、持って帰ってしまった。私の書いた字は、消してうまくは書けてはいないが、かなり元気のよい字になった。孫がいるからの「から元気」かもしれないけれども、こんな字がかけたら、先日来の体調不良は終わったと思って大丈夫!まずは、めでたし。明日は、バンクーバーのダウンタウンに行く用事があるのだが、元気で行ってこられそう!
March 19, 2015
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アメリカから二年程前に進出してきた、ターゲットという「庶民的」なデパートが、カナダではうまくいかず全面撤退を決めて、「売りつくし」のセールを始めたのが数カ月前。私は、わさわさしていたので気付かなかったのだが、10歳の男孫からの情報では、「まだ続いていて、なんでも安くなってるよ。」のだそうで・・・。実際、彼も、半額で買ってもらったというホワイトキャップ(地元のサッカーチーム)のロゴ入りのシャツを見せてくれた。ターゲットは、テキサスの店などはそうでもないのだけれども、少なくともリッチモンド(カナダの私の住んでいる町)店に限っていえば、なんとなく、安物の感じがする商品が並んでいて、私は一度は行ったものの、その後は行かなくなっていたのだけれども・・・・。(そういう人が多いから、きっと撤退せざるを得なかったのだろう。)でも、そんなに安くなっているのだったら、普段は買わないような、明るい色のブラウスでも探してみようかしら? と出かけていって・・・・ 一枚、買ってしまった。 衝動買いとは言えないが、計画的無駄使いだ。自分での言い訳としては、たとえ、あんまり似合わなくて、すぐにどこかに寄付してしまうようなことになっても、まあ、我慢できるし、逆に、もし明るい色も似合うと思えるようになれば、今後の選択肢が広がるし・・・・ということだが、ちょっとはずかしい。もっとも、このトシになれば、何を着たところで、そう変るものでもなし、自分が「似合うよ」と思って着たら、それでOK、、、、ですよね!
March 18, 2015
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ある講座で、自分の中心からの引力で、どんどん体積が小さくなり、でも、全体の質量が変らないために、密度が高くなって、比重がとてつもなく大きくなってしまい、性質が変化してしまう星の話を聞いた。それは、星としての終末に向かうということらしい。その頑張れば頑張るほど、星としての終末に近づいてしまう空回りが、身につまされて、気の毒で寂しくて「涙がでそうだったわ」と人に話したら、「そこで星の性質が変わったら、まったくあたらしい、何かが生まれるかもしれないという期待はもたないの?」と逆に聞かれた。お互い、科学を擬人化で考えすぎるにしろ、どちらかと言えば、私の考え方は、救いがなくて、よろしくない・・・マッタク。
March 17, 2015
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小学校は、今日から春休み。両親が働いているところでは、なかなか対応がむずかしい。昨年、ストライキがながびいた時には、息子は子供を職場につれていっていたらしい。13歳にならないと、一人で家に置いてはいけないことになっているので、うちの10歳の孫に関しては、両親には「二人が都合がつかない時には、うちに来させてね」と、おばあちゃんの方がうれしくて、頼んである。何しろ、人の気持ちを見抜く孫は、「How about doing some Shuji(習字)?」なんていうものだから、私にはいっそう楽しみ。とはいえ、生後半年から、誰かに預けられて育って来た子のせいか、そうやって人の気持ちを見る習慣がついているのはちょっといたいたしい。「せっかくだから、この際、何か、のびのびとしたいい字を書かせて、10歳の春休みの収穫にさせたい」と思っている。
March 16, 2015
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本日は、雑用で、コンドの建物内ではあちこち動いたが、建物の外には一歩もでなかった。運動不足ではあるけれども、しばらく留守にしていたので、いろいろと用事がたまっていて・・・。なにしろ、11階なのに、留守にすれば、天井と壁のつながる直角のあたりとか、植木鉢と植木鉢の間には、マメに蜘蛛の巣ができているのだから、驚く。どうやって上ってくるのかわからないけれども、蜘蛛は小さい体でなんと勤勉なのだろう!とはいえ、「折角、一生懸命に作ったのに」と、褒めているわけにもいかないので、壊してまわった。胡蝶蘭は、ひらりと花を咲かせていた。三年目の花で、きれいなのだが、大分、茎が短くなっている。うまくさかせると、20年はもつと説明書に書いてあったが、なんだか、却ってかわいそう。留守中の郵便物の仕分けをしたり、ま、とにかく、ごたごたしているうちに、朝の三時。せっかく疲れがとれてきたのに、何をやっているのろ、ワタシは。
March 15, 2015
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昨日のフライトで、カナダへ到着。到着して数日は、いつも体調がよくないのだが、今回は、出発前の一週間を元気なくすごしてしまったので、よけいにこたえる。起きられれば、散歩がよいと、午後はよい天気になったので、近所をひとまわり。いつもの場所に、いつもより早く咲いた木蓮は、もう、満開をすぎた感じ。聞いていたとおり、今年はソメイヨシノが早いが、それでもまだ満開ではなく、蕾もあって一番よい時。満開の桜は、少しさびしいので、このくらいが、私は一番好きだ。
March 14, 2015
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カナダへの移動日成田空港の展望デッキにでたら、すこしもやった空に、夕日がぼんやりと見えた。13日金曜の便ゆえか、空席が多く、各列(3席)に一人程度の空き具合で楽ができた。これだけ飛行機に乗る人が増えても、まだまだ、どこか危険を感じる人が多いのだろう。気にしない人にとっては、とてもありがたいことだったりして。
March 13, 2015
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4日の午後から急に体調が悪くなって、何も喉を通っていかないのが情けないのだが、カナダに発つ日が近づき、それまでにしなくてはならないこともたくさんあるので、とにかく、外に出てみようと、主人と羽根木公園の梅を見に行った。2月の梅まつりの日には、ちらほらしか咲いていなかった梅が、今日は満開の樹と、少し盛りをすぎた樹とあって、とても美しい。「梅まつりは少しはやすぎたわねえ」と、たまたま一緒になった方と言葉を交わしたりして、ゆっくりと見て回った。西の方に、幹や枝の間から富士山が見えた。中学生のころから、根津山には何度も来ていたのに、ここで富士山を見たのは初めてのような気がする。昔の方が、高い建物も少なかっただろうし、空気も住んでいたのだろうけれども。
March 11, 2015
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久しぶりによい天気!・・・と思っていたら、10時ころからあちこち、あやしげな雲が出た。これは、午後2時ころの南側の空。まるで、竜巻が起こる前のような・・・
March 10, 2015
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井の頭線の下車駅に近くなったので、席をたったら、ちょっと離れた席にいたやさしそうなオバアチャマが、ニコニコして会釈してくださった。あれ? 私に? と辺りを見回したが、やはり私にとしか思えない。「コスモス」の方かしら? とか考えをめぐらすが、あいては帽子をかぶって、マスクをしていて・・ということは、やさしく笑っている目しか見えないので、頭の中は混乱するばかり。「あの方人違いしていらっしゃるのよ」と勝手に結論を出して目をそらせたら、オバアチャマは、席をたっていらして「大橋さん、わかんない?」と、マスクを外して顔を見せてくださった。「まあ! Kさん!」マスクを外したオバアチャマを見て、びっくり!そういえば、彼女も井の頭線だった。マスクさえなければわかりますとも。11月に会ったばかりだし。それにしても、日本ではマスクをしている人が多くて、ちょっと怖い。Kさんは、中学三年生の時の同級生。京都・奈良に修学旅行に行って、京都に泊まった晩、京大の学生さんだった二人のお兄さんが旅館にいらして、同じ部屋の人たちを皆連れ出して、不二家でソフトクリームを御馳走してくださったのを、今でも京都に行くたびに思い出す。「お兄さんがいて、いいなあ」とか思ったりして。それに、ソフトクリームというものが、日本で流行りだしたばかりで、私は、ソフトクリームを食べたのは、あのときが初めてだったし。
March 3, 2015
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積極的平和主義とふ日本語は翻訳されていかに伝はる(S.J.)7名の選者のうち、5名が四首選に入れていた。何年か前に、Lost in translation という映画を見て、翻訳によって生じる誤解を面白おかしい喜劇になっているのことに思いあたって、大笑いしたことがあったが、たしかに、こういう言葉は、翻訳者の解釈によって、ずいぶん違う意味に翻訳できるであろうし、自分の都合のよいように訳すこともできる。(意識はしなくても、先入観でそうしてしまうこともありがち)なので、こうした場合には、かならず、担当部署で検討して定めた翻訳があるはずで、我々が勝手に考えて作り上げて、「こうです」というわけにはいかない。私も現役で仕事をしていた頃だったら、敏感に、正式な(少なくとも)英訳をチェックして知っていたのだろうが、そして、もし知らなくても、予習できるものなら、予習をして、はっきりした公式の翻訳を調べておくのだけれども・・・こういう場合、一番手早いのは、ジャパンタイムズを読んでおくこと。英語圏の新聞などでは日本の首相の発言が話題にならないこともあるし、話題になっても、意図的に、曲解されることもある。・・・・・と、えらそうに言い訳を並べたけれども、はやい話が「私は知りません」ということ。 そして、やはり、これを知らないということは、英語圏に住んでいる日本人、しかも、数年前まで翻訳業をしていた身としては、大恥。引退したという理由で、アンテナの感度を下げるのは、何より自分のためによくない。さて、この場では、「積極的」には positive ではなく、pro-active を使うのでしょう と、英語の先生のOさんが発言し、私もなるほどと思ったが、その場では触れられなかった「平和主義」の方も、pacifism とするのではぴんとこない。大雨の中帰宅して、濡れたものを着換える前にまず、新語時事用語辞典 で調べたら、Pro-active contribution to peace という公式の英訳が出てきた。おおいに納得できて、さすがだと思った。自分のふがいなさを反省させられると共に、英語の勉強もした東京歌会だった。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・東京歌会では、その場で詠草集が配られるので、予習をしておくことができないのが、私のような「予習型」の者には、タイヘンだ。思えば、この歌を、文字通り読んでみると、「翻訳されて」という言葉は、一般的に「翻訳」であるから、別に英語を特定しているわけではない。読者としては、もっと、多言語で調べてみて、そのニュアンスの違いを考えなくてはならないのかもしれない。外務省では、国交のある国の言葉、それぞれについて、言い方を用意しているのだろうと思う。あるいは、翻訳が他の言語への訳ではなくて、日本語の中での翻訳(わかりやすいように、言いかえる)ということもあり得る。「翻訳」という言葉を見て、すぐそれを「英訳」と翻訳することもまた、「いかに伝わる」の疑問の一つになるのではないか?
March 1, 2015
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珈琲にミルクが混ざりゆくやうな木管五重奏にまどろむ柔らかい感じの木管五十奏を聴いているときの、心地よさが出ているという感想がいくつか出たあと、高野氏が「混ざり」は「ざ」の語感があまりよくないので、せめて「混じり」、なろうことなら「溶けて」などとして、濁音を使わない方がよいと評された。さらに、この歌は、木管五重奏が聴覚で感じるものを、コーヒーにミルクが混じってゆくのを見る視覚で表すテクニックで、synesthesia (通覚)の手法が使われていることを話された。たとえば、芭蕉の 海暮れて鴎の声ほのかに白し という作品にみられるように、音(聴覚)を色(視覚)で表現しているのと通じるとのこと。実は、この秋、gacco.org の俳句講座で、私はこのことを習ったばかり。つまり、「俳句は17文字という、短歌よりもさらに短い詩である故に、少しでも多くのことを言うために、一つの感覚を別の感覚で表すことも有効な方法である。」これは短歌にも通じると思い、普段、聞くことのない synesthesia や 通覚 という言葉もそれなりに納得したのだが、数か月たってしまうと、同じような場面に接しても、その分析法をもう忘れていたので、ちょうどよいリマインダーになった。一つの感覚を、その感覚内にとどまって表現するよりも、他の感覚で表現した方が理解されやすいというのは、今度こそ忘れずに覚えておこう。このさい、俳句講座のビデオをもう一度見直さなくては!
March 1, 2015
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