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日本の哲学であり神である大富士の山をろがむわれは(野村清)東京より西に行くときには、行きにも帰りにも、富士山の写真をとりたくなる。子供のころ、御殿場に住んでいた毎日見ていたころは、そんなに富士山がどうということもなかったのだけれども、大人になって、老人になって・・・・ますます、「OH,Mount Fuji! Magestic!」みたいな気持ちになってきた。きっと、これは「哲学であり神である」からだろう。
February 28, 2015
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倉敷では、ドーミーインに泊まった。私は、数年前に、旭川のドーミーインに泊まって以来、すっかり気にいってしまい、泊まる土地にドーミーインがあれば、そこにとまることにしているし、人にもすすめている。なぜよいかというと・・・高級ホテルではないから、部屋はそんなに広いわけではないが、よく工夫されていて、使い勝手がよい。二人部屋で、一人が夜中に起きて何かしていても、もう一人の邪魔になりにくいように、照明も工夫されているし、ワイファイも、整っている。しかも、一度、どこかのドーミーインに泊まれば、その後、どこのドーミーインに泊まっても、なにもせずに接続できる。全国共通のパスワードになっているから、コンピュータが覚えてくれるのだろう。部屋に大きな加湿器があって、喉が楽だ。(ホテルの部屋は乾いてくるしいくらいのところが多い)部屋のお風呂は小さいか、またはシャワーだけだったりするのだが、大浴場がある。部屋のトイレには、断水のときにトイレを流すのに使うための水をいれた容器がおいてある。でも、それより、もっと気にいっているのは、エレベーターの隅に、閉じ込められたときに椅子にも使え、非常トイレにもつかえる「設備」が備えてあることだ。そういうことに行き届いているホテルは、きっと防災対策とか、防火対策とかも、ちゃんとできているにちがいないと私は勝手に感じてしまい、安心できるもので。70歳をすぎた夫婦には、あまり関係ないけれども、夜中にラーメンのサービスがあるのも、若い人にはうれしいことだろう。「50年前の自分にたべさせたかった」と、同行者は言っている。
February 28, 2015
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一週間の旅行をして、東京に帰った。この間、私が歩いていて気づいて写真をとってきたマンホールの蓋。各地がなかなか工夫を凝らしていて楽しい。愛媛県大洲 おおず おすい(汚水)宇和島 うすい(雨水) うすい イメージjはうしおに 色はオレンジ系。うしおに うすい(雨水)宇和島 オレンジ色は jpg" /> うすいイメージはうしおに 色はオレンジ系。安芸市 野良時計昔は、この時計の表す時間を気にしながら、野良仕事をしたいのだろう。仕切弁 安芸市消火栓 安芸市倉敷 汚水らしいが、フジの色が美しい。
February 28, 2015
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朝、安芸を離れて、昼前に、倉敷に行く。ずっと電車にのりっぱなしだが、その電車の雰囲気も、景色も、なかなか他で味わえないものがあり、十分に楽しめた。主人は、「よいところらしいけれども、歳をとってからでもいつでもいけそうに思うので、できるうちは、もっと不便なところをみておきたい」といって、倉敷はずっと「老後のお楽しみ」にとってあったのだけれども、とうとう、今度の旅行の計画には組み入れてしまった。「倉敷に来ちゃったね。これで旅行は最後かな?」とからかってみたら、「いや、心を改めて、いい加減に来ないと、倉敷が、昔の倉敷とかわってしまいそうだど気がついたもので・・・」と言う。そういえば、美術館とか、特に保存されてある街並みはともかく、ふつうのところは、かないふつうになっている・・・というのも妙な表現だが。美術館は真面目に見るとかなり疲れるのだけれども、それでも真面目に見たくなる作品にたくさん出会った。こういうお金の使い方をしてくれると知っていたら、倉敷レーヨンの製品ばかりを、愛用するのだったのに!!しずかでよい・・と思ったが、次の日には、秋篠の宮さまと佳子さまがおみえになったそうで、美術館の外にはたくさんの人がおしかけた・・・と後で知り、そんな日に来合せたら、一般人は美術鑑賞などさせてもらえなかったのではないかと思い、偶然にたてた予定がうまく一日違いになっていたことに、感謝。 それも、1日には東京歌会に、ちょっと足がご不自由になった先輩のMさんのサポーターとして出席したかったので決めた予定だったので、先輩に感謝!寒さも和らいていたので、夜の街の散策も、なかなか風情があった。さすが倉敷!
February 27, 2015
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吹き降りの中を、運賃が1000円に近いほど、なが~~いことバスに乗って、室戸岬に行った。学生さんが途中で乗ってきたり、下りていったりするいくつかをすぎて、やっと室戸岬に着くと、雨は降っていても、風がつよくて、傘がさせない。かねて用意のビニールのポンチョを着て、海辺の道を歩く。高校生の頃、よく、ラジオを聴きながら等圧線をひいて、天気図を作ったりしたのだが、その頃から聞きなれた室戸岬だから、「ある程度は、天気が悪い方が感じが出る・・・」とか、負け惜しみをいいながら、いかにもたくましそうなアロエの群生や、岩かげに隠れるように咲いている水仙を見たり、「これでどうだ!」と言わんばかりの波を見たりしながら、しばらく歩いているうちに、ホテルがあったので、とりあえず、ロビーにあるレストランに入った。窓際に外を向いた席が一列にあったので、そこに座って、ゆっくりと波を見る。ガラス一枚隔てているだけで、高見の見物の感じ。このあたりで仕事をしているらしい人達がいれかわり立ち替わり入ってくるが、中には私たちのような物好きがいないわけではなく、二組くらい、そとの景色にみとれながらランチをしていた。ランチに、主人が注文した岩ノリの天麩羅が、めずらしくて、とてもおいしかった。てんぷらと言っても、衣をつけた天麩羅とちがって、岩海苔を衣でまとめて上げたような感じだった。「海洋深層水 青海苔」の粉と塩を混ぜたものが添えられていて、それもまたおいしかったので、青海苔の方は、売店で買ってきた。食後、軒下に立って押し寄せては岩にあたったり、岩を越したりする波の動画をとって、バスに乗って安芸に帰った。安芸から室戸が、こんなに遠いとは思わなかったけれども、さすがに自然に恵まれた美しいところで、室戸のホテルで波を眺めながら、3日くらいゆっくりしてみたいものだと思った。(それ以上いたら、飽きるかもしれない、)
February 26, 2015
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この2~3日はちょっと体調も悪くて、薬を飲みながら行動しているのだが、室戸岬で波を見ているうちに元気が出たのか、安芸に帰ったら、すぐにホテルに戻らず、あちこちにある童謡の記念碑などを見て回った。 雨も少しずぐ小ぶりになったので、山の間から、白い蒸気があがってきて、風情満点。歩いていくうちに、安芸城に出た。小さなお城だが、よく手入れの行き届いている感じ。 案内のパンフレットを見て、安芸についたときから気に成っていた書道博物館が、お城の敷地内にあったので、ゆっくりと見る。それぞれの傾向はあるが、展示された作品で好きなものがたくさんあった。 </center>やっぱり、短歌と同じで、書も、よい書をみると、「こうも書いてみたい、ああも書いてみたい」という欲がでてくる。実際に書く練習をすることも大事だが、客観的によい作品を鑑賞することも大事だとつくづく思う。カナダにいると、そういう機会がないので、せいぜい、日本にいる時には、チャンスをみつけて、いろいろな書展を見たいものだ。<center> </center>
February 26, 2015
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安芸泊。タイガースの二軍のキャンプ地。今回の旅行で、はじめて、ホテルのレストランで夕食をとった。主人が「これは多分、魚だろうと思うけれども、きいたことがないから、注文してみよう」と言ってとったのが、「にろぎのからあげ」。 だいたい、2~3センチの長さの小さな、ひらたい魚。なかなか食べ物にうるさい夫が、ひとつ食べてみて「うまいから食べてみろ」と勧めてくれたので食べたら、パリッとしておいしい。揚げ方がよいのか、しつこいところもない。体にもよさそう。ただ、私も「にろぎ」という名前は聞いたことがなかったので、ちょっとしらべたら、鮒の一種の小魚で、高知県の魚らしい。こういうものをもっとたべていたら、今頃、骨そしょう症とは無縁でいられたのだったろうに。(そういえば、私のとったシラス丼も、カルシウム十分で、しかもおいしい。)
February 25, 2015
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今回の旅行で持っているのは、一週間有効のJR乗り放題の切符。宿は決めてあるものの、日帰りでその宿に戻ってこられれば、どこへ行くのも自由。朝、テレビを見ていたら、砥部の七折梅林の梅が満開だと紹介されていたので、「行ってみよう」ということになり、松山まで戻る。松山からバスに乗ろうと、案内所に行ったら、「梅まつりに行くのだったら、砥部まで行ってしまうと、ちょっと遠いので、宮内で降りて、タクシーに乗るといいですよ。バス停の傍に営業所がありますから」と教えられた。で、バスが宮内に来たときに、勇んでおりてみたら・・・・ JAの店があるものの、タクシーの営業所などどこにもない。ケータイ電話を持っているのだから、JAに行ってタクシーの電話番号を教えてもらえばよかったのだが、その時にはその智恵がわかず、あたりをみまわすと、「七折梅まつり」とかかれた幟が、道路沿いにずっと立っている。それに従えば、梅林につくのだろうが、距離はさて・・・・と思いつつ、まあ、歩きだしたら、広い道路にでるところに、「ここから3キロ」と書いた標識があった。「ま、タクシーがない以上、折角来たのだからあるきましょう」と、車もあまり来ない、広い自動車道路の、ゆるい上り坂を、農村の景色を見ながら歩く。「帰りにも、またこれだけあるくんだよ。めんどうだなあ」と、歩くのが好きな主人がぼやくのは、彼にしてみれば、山道を歩くのは平気でも、舗装道路を歩くのは、あまりたのしくないのだろう。だんだん、追い越していく車が増えてきて、そのうちに、前方に「梅まつり」らしい賑いが見えてきた。岡の上の方には、ピンクの梅林らしいものも見えている。「梅まつり」の駐車場の横に、昇り口があり、そこをのぼると梅林があるそうで・・・ そこで、入場料を払い、備え付けの杖を借りて、山道をのぼりはじめる。斜面の梅を道の左右に見上げたり、見下ろしたりしながら、また昇っていくと、広場があって、そのあたりが、ほのぼのと明るい梅林になっていた。催し物があればそこでやるらしく、今日のところは、小学唱歌のメドレーがながしっぱなしになっていた。かなり、やる気のない人が担当らしく、春の小川とか、春が来た とかをやっているうちはともかく、「あれ、松虫が鳴き出した」とか「笹の葉さらさら」と、どんどん季節が移ってきたときには、思わず噴き出してしまった。しずかなままで、いっこうに構わないのに・・・・。遠くに目をやると、パステル画のように、うつくしい梅林がひろがっている。「あそこまで行こうよ」と言うと、主人が「また四キロ歩いて帰るんだから、ひかえよう」とめずらしくひきとめる。それはそうだ。勢力の配分をかんがえなくてはいけない。さすが、老婆の体力のわかっている人のコトバと思い、遠景をカメラに収めただけで、満足する。ま、わざわざ上まで行かなくても、近くにも、ういういしく美しい花が、たくさん咲いていたし。帰りは、また3.5キロを歩いて帰ったが、下り坂だったし、様子がわかっているのとで、行きよりも近く感じた。松山についてからは、海岸線を通る線を選んで、午後の陽にキラキラ光る海を見ながら、下校の高校生の乗ってくる各駅停車で、大洲まで帰った。 大洲は三日目なので、なんだか家に帰ったような気がする。気まぐれで動いたから、ちょっと余計なこともしたけれども、天気に恵まれたのは儲けものだった。
February 24, 2015
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ホテルの部屋の窓は、西に開いている。夏だったら、西日がつらいところだが、この季節、夕日が美しくてよい。地球からみると、太陽は隠れ初めてから全部かくれるまで、どこからでも2分20秒だと、友人に教わってことがあるなあ・・と思い出しながら、その2分20秒を十分に味わった。海を一面に紅くそめて沈む夕陽と、山を逆光で影絵のようにして沈む夕陽では、ずいぶん、様子が違うなあとおもいながら。
February 24, 2015
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旅行に出ていると、毎食、レストランや食堂に行くのは胃に負担が多すぎるので、パンを買ったり、スーパーのお惣菜を組み合わせたりしてたべることが多い。今日も、スーパーをうろうろしていたら、「むかしながらの おばあちゃんのおすし」というのがあり、それが、私がよくつくる五目ずしと同じようなものだったので、笑ってしまった。わが家では、「obaa-chan's special」といつのまにか名付けられていて、英語と日本語が違うだけで、同じ名前だったもので。そうか・・・。 愛媛県のおばあちゃんも、やっぱりこういうお寿司をつくるんだ!
February 24, 2015
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たまたま、「入ろうか?」と入った「料苑たる井」。(ホテルの一階にあり、ホテルの一部という感じ、)軽い気持ちで入ったのに、畳敷きの大部屋だったので、少々緊張したが、床の間の掛物も置物も、なにやら高級な感じがするわりには・・・料金も手頃だし、私はちょっと靴を脱げると休まるので、満足。「会計はホテルのフロントで」と言われたので、フロントに行ったら、後ろにとても立派な額がかかっていた。右からの横書き四文字の「瑞気集門」で、署名に 「従一位通久」 とある。「え? 従一位? もしかして、久我侯爵?」と思ったけれども、自信がないので、支払が終わったときに、「ちょっとお尋ねしますが、この従一位通久さんは、苗字の方は何とおっしゃるのですか?」と聞いてみた、答えてくださったのは、男性で、たる井さん関係の人らしかったが、「さあ、従一位というからには、名のある人だとは思うのですが、誰かわかりません。 大分前に片づけていたら出ていたのですが、言葉が私どもの商売によいから額装してもらって、飾ってあるんですけどね。ほら、もうだいぶ、シミとかついているでしょう?」とのこと。瑞気集門 は、「めでたいことが起る兆しの氣が、あなたの玄関先に集まっている」というわけだから、たしかにホテルやレストランにはよい言葉だと思う。ホテルに帰ってからちょっと調べてみたら、「従一位通久」は 久我通久氏のこと。(京都出身 1843-1925 久我美子さんの曽祖父)。幕末の公家、明治・大正の華族、政治家、侯爵。貴族院議員、元老員技官、宮中顧問官、第十四代東京府知事など歴任和歌、書道、謡曲、歌詞などに堪能な趣味の人としても有名。明治36年、従一位となる。主人に話したら、「これからもう一度、そのフロント氏に会いに行って、知らせてあげなさい」という。「そんな・・・。おせっかいだよ」と私がいやがったので、その話は立ち消えになったが、私としては、思いがけないところで、品格のある字に出会って、目の保養ができて、とてもうれしかった。感激のあまり、写真にとるのを忘れてしまい、惜しいことをした。しかし、それにしても、たる井さんと久我侯爵は、どこでつながりがあったのだろうか。誰も、署名に注意を払っている様子がないのは、もったいなかった。やはり、出しゃばってお知らせしてくればよかったのかしら?
February 23, 2015
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道路脇の無人野菜スタンドで、胡瓜の上に何かが止まっていた。 「あれ?」と思ってよくみたら、笹の葉で作ったバッタで、ほかに、カブトムシやかまきりなどもあって、とてもよくできている。 一個100円だったので、一個をほどいて、もう一個をお手本にしたら作れないものかしら・・・と、「料金箱」2個分の200円を入れて 歩きはじめたら、やはり道に沿ったお宅の、大きなガラス戸のある部屋のこたつに、おじいさんが一人すわっているのが見えた・失礼ながら、ちょっと覗いてみてしまったら、こたつ板の上には、笹の葉がたくさん置いてある。「もしかしたら、この方が作っている?」と思うと、どうしても足が動かなくて、ガラス戸の外に立ち止まってしまって・・・見ていたら、「ほんの手仕事」という感じで、この方は テレビを見ながら、笹をひろげてナイフで線を入れている。「あ、やっぱり!」とうれしくなってにこにこしたところに、先方も私に気づき、にっこりしてくださったので、私も「これ、気に入って、買いました」とあいさつしてしまった。 交流はそれだけのことだけれども、こういう暮らしを悠々自適というのかもしれないと思った。しかし、見ればみるほど、手が込んでいる。一つ壊したら、もう見本があっても、復元できないかもしれないが・・・ できるようになったら、孫に尊敬されそう。
February 23, 2015
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日本に来るたびに、1週間、夫と旅行をするのが慣例になっている。日本に住んでいるころは、学生時代にはあまり旅行が好きでなく、学割の権利も、いつも写真部のAさんにゆずっていたくらいだし、卒業しても、新婚旅行に白馬に行った以外は、すぐ子供が生まれたこともあって、ほとんど旅行はしていず・・・ 日本を出てからの方が、皮肉なことに日本の旅行を多くしている。今回は、愛媛県の大洲に3泊、高知県の安芸(タイガ―スの二軍のキャンプ地)に2泊、倉敷に一泊の6泊7日。宮英子先生のお誕生祝いに出た翌日に出発し、東京歌会の前日に帰る という、ジグソーパズルにぴったり嵌めたような日程。ちょっと体調が万全でないので、やめようかと、数日前には言い出したのだけれども、「体調を見て、計画を調整するから大丈夫」と主人が励ましてくれて、でかけることになった。めでたし。
February 22, 2015
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大洲の街で見たマンホールのふた。ひらがなで 「おすい」と書いてあって、鳥の絵が描いてあるが・・・鷺かな?
February 22, 2015
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あめつちのそきへのきはみ征きまて相会はむ日のなしと思へりと出征した恋人を詠み、師の白秋に結句を「なしと思はず」と添削されて励まされた宮英子さん。明後日の2月23日で98歳になられる。コスモス武蔵野支部では、21日にお誕生祝いをするからと声をかけていただけたので、私も参加して、みなさんとハッピーバースデーを歌ってきた。ビールで乾杯され、赤い花束を贈られた英子先生、お帰り際には、集まった人達と力強く握手をしてくださった。その「きみ(宮柊二」」を公私にわたって支えられ、柊二亡きあとは、その志をついで「コスモス」の運営をされた上に、エスプリのきいたおしゃれな作品をたくさん詠まれるご一緒になろうとは、「あめつちの・・・」と詠まれた頃には、想像もおつきでなかったことだろう。
February 21, 2015
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まだ、何枚か、数えるほどしか書いたことのないお習字なのに、孫が「落款がほしい」などと言いだした。最近では、書をやる人は皆、自分で作るらしいが、隷書に縁がなかったし、彫刻刀も中学生の頃、図工の時間に使っていらいご無沙汰だし・・・・私にはとうていできない。幸い、私は、主人の妹の制作になる落款を使っているので、捺しただけで、なんとなく形がつくのを、孫も承知しているものだから、「日本に行ったらアンティーに頼んで~」と、ねだる。そうはいわれても、お願いするとなると、ちょっと厚かましい思いがあって躊躇っていたら、主人が電話をかけてお願いしてくれた。で、電光石火・・・ほどではないが、三日ほどでできたのがこの落款。きっと大喜びすると思う。右の行の、「佐藤」の、特に「藤」の画数が多いのに、左の行の「マーク」の画数が少ないから、バランスをとるのがむずかしいだろうと思っていたのだったが、その点も見事に解決されていた。それにしても、初心者のうちから落款を持つなんて、ちょっと生意気だなあ・・・。せいぜい、これからたのしく、沢山の字を書いてもらいたいものだ。「アンティー」さんのの好意に報いるためにも。思い出すと、私が最初に落款を持ったのは、大学時代に書道部に入っていて、学園祭で書道展をやろうということになったとき、「落款が在った方が恰好がつくよ」と、中国語科の先輩が臘石で作ってくださった時だった。隷書、楷書、行書、草書、かな と、五人しか部員はいなかったが、それぞれに得意分野が違ったので、展覧会そのものは、ちょっと見栄えがしたように思う。私は、仮名をうけもって、あめつちにわれひとりゐてたつごときこのさびしさをきみはほほえむと会津八一の歌とか・・・・ あとは、啄木と、白秋と・・・ あとなんだったか、「笛を吹き候」で始まる詩も書いたような・・・・とか 急に思い出した。(この写真では、肝心の落款の部分が、私に隠れてしまっていて、残念。そう、もちろん、カラー写真の普及前のハナシです。)あの、隷書の上手だった先輩は、その後、北京大学に留学して、さらにその後、NHKの中国語講座の先生をしていらしたことのある榎本英雄氏だけれども、ずっと個人的には交流がない。きっと、今でも、お元気で著作などなさっているのではないかと思うが、おたおたしていた一年生に、臘席で落款を作ってくださったことなど、多分、覚えてもいらっしゃらないだろう。
February 20, 2015
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帰省して根津山集合梅まつり)(静岡 鈴木誠一) 世田谷区の羽根木公園で行われている「せたがや梅まつり」の俳句の会で、特選になった作品。これって、まさに私と同じ!!羽根木公園は、昔は根津山と呼ばれていたので、「根津山集合」は、まさに、その時代に当地ですごした人の感慨だし、このリズムのよさと、歯切れのよさ。いかにも元気な心弾みが、俳句に不案内な私にも、よく感じ取られた。で、この方はどうなさったのか・・・・わからないけれども、私の方は、中学と高校が一緒だった実行委員長さんのもとに、高校時代の仲間が15名集合!花は、ちらほら。ちょっとさびしいけれども、これからの希望が感じられる梅をみながら、夢のような一日だった。(なお、http://nimoku.exblog.jp/24142017/ に、写真がUPされている。)
February 15, 2015
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書道展を見に行った。私の先生のお仲間の展覧会だったので、目指すものが似ているせいか、とても楽しかった。実のところ、作品を書くのは楽しいけれども、そして、他の方の作品を見るのも勉強になるうえに楽しいけれども、いざ自分の作品を、表装して、出品して・・・となると、そのあたりから、私にはついていけなくなってしまうが、そのところをよく知っている先生が、私にはそういうことを免除してくださるので、私のような習い方が、一番贅沢だと身に染みる次第。見終わって、一休みしていると、気になっていた新印象派展が、案外すいているのに気づき、そちらも見てきた。展示の量がちょうどよいので、ゆっくり楽しんでこられた。
February 13, 2015
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コスモス 武蔵野支部の歌会に、出かけた。今回の高点歌は、如月は小草生月(をぐさおひつき)梅見月まだ寒けれどわが生まれ月(S.K)節調がよく、優しくて、早春の感じがよく出た、うつくしい歌。小草生月(をぐさおひつき)が、効果的に使われていて、この言葉を知っただけでも、今日でかけた価値があったと思う。予習の時に、広辞苑を引いたのだけれども、これは「陰暦2月の異称」として、ちゃんと乗っていたのに、私には初めての言葉だった。選者のK氏も、歌の骨法をよく承知した人の作品、うたはこのように作るという見本のような歌だと批評され、「まださむけれど」に思いよせがあり、ここで深みが出てくると述べられた。こういう言葉をよく知っていて、さらに、さりげなく かつ 効果的に使えるようには・・・ 私はどんなに頑張ってもならないな・・・と、思ったことである。
February 11, 2015
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「正式なことはともかく、連歌のように、お互いに付けていく練習をしてみましょう」ということで、数日前からネットで歌の交換を始めた。どうなるのか心もとないのだが、常に 短歌を頭の隅に置いておくのは、けしてマイナスにはならないだろうと思う。「とにかくやってみること。そのうち道が開けます」と、何かにつけ、鈴木英夫師が言っていらしたことを思い出したし。で・・・心ぼそくも まわってきた575 に 77をつけて、ババ抜きのように、次の方に渡し・・・・ さて、二巡目がやってきた時に来たのが、帰らざるみはてぬ夢のなつかしさ折しも、自分の前半生をすごした東京に居て、ついつい色々考えがちなので、まさに今の心境ぴったり。香りほのかに白梅の咲くと 付けた。夢のなつかしさ が なんでまあ、白梅に・・・ いよいよ、飛躍を覚えたか ということになりそうだが・・・実は、そうでもない。私が 「みはてぬ夢」をみていた頃は、今は、羽根木公園とよばれている当時の根津山(根津邸の跡地)の隣にある中学に通って、♪武蔵野の白梅かおる丘の辺に♪ ではじまる校歌が大好きで、よくみんなで歌っていた。なので、夢 と 白梅 は、私にとってほとんど同義語だったのである。多分、その気持ちは、伝わらないだろうけれども、あとで自分で読んだときには、きっと思い出すことだろう。
February 9, 2015
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主人が日本経済新聞を買ってきたので、読ませてもらっていたら、詩歌欄に梯久美子さんの、「愛の顛末」と題した、宮柊二(1) 戦場からの手紙という記事が出ているのを見つけた。宮柊二の戦場からの愛の手紙は、終戦後、「お互いに処分しましょう」とご夫妻で約束なさったものの、夫人の方は密かに取っておかれて、宮柊二全集にも発表されているので、私たちは読んだことがあるけれども、一般には知られていないのだろうと思う。文学者としての、宮柊二の記録として貴重なものだと判断されて、梯さんも、4回の連載をなさったのだと思う。柊二先生の方は、約束通り、奥様からの手紙を処分されたのに、ちょっと、奥様のほうがずるいなあと思ったり、文学的なことを考えれば、この事情がわかって柊二作品を読むのと、わからないで読むのとでは、ずいぶんの違いがあるので、さすが、文学者の妻で、偉いと思ったり・・・。たまたま日本にいて、この記事を読めたのは、内容はすでに知っていることとはいえ、嬉しい気持ちがした。おりしも、NHK短歌の今月のアーカイブは、英子先生で、当時の愛の歌なども朗読されているし。(小さくて読めそうもありませんが、記事の様子だけ伝われば・・・。もう少し大きくできないこともないのですが、そうして読めると著作権の侵害になるような気もするのであえて)
February 8, 2015
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出発前の忙しさにしようか、時差に適応できないせいにしようか、それともトシのせいにしようか・・・・ ま、とにかく、昼間が昼間らしくすっきりしないので、用事に取りかかる前の準備運動にしようと、葛西臨海公園に行った。水仙まつりがあるそうだ。以前、どこかの支部で吟行に行ったと聞いたことがあるので、もしかしたら、何か歌が拾えるかもしれないし。電車を降りたら、富士山が見えた。やっぱり、ここでも富士山の写真を撮ってしまう自分が不思議だ。入口で「水仙はどこで咲いていますか?」と尋ねたら「観覧車の下あたり」と教えられたので、観覧車を目標に到達。 水仙も咲いているは咲いているのだけれども、もう終りに近いらしく、葉ばかりのものが多い。ま、それは残念にはしても、やはり、海に近くて空気がきれいなのはうれしい。今日は、身体に昼と夜と教え込むのが目的なのだから、かならずしも、水仙が満開である必要はないし、むしろ、この方が、人出が少なくてヨロシイ。ここの水族館は有名なのに、未だ見ていなかったので、是非・・・と、ほんとうはあまりそういうことが好きでない主人に、わるいかなあとは思ったけれども、頼んでみたら、「行こう」 との返事をくれたので、気の変らないうちに、入場数年前に見た ”Finding Nemo" の映画のままの、華やかな色の魚が泳いでいた。ただ、ニュースで知ってはいたが、群れとしての回遊を見せてくれるはずだったまぐろが、多数死んでしまった寂しい水槽には、心痛んだ。主人とは、じきはぐれてしまったが、ま、だいたい、こういうところでははぐれることになっているので、想定内。案の定、出口に近いペンギンのところで、坐って待っていた。March of Penguins で見た皇帝ペンギンがいたが、映画から想像していたのよりもずっと小さく、こんなに小さい体で、極地の寒さに耐えるのかと思うと、涙ぐましい。他にも、映画で馴染みのあるペンギンがいろいろ。赤ちゃんではなく、「世界一、小さい種類のペンギンです」 というのも、大きいペンギンたちからは、隔離されたビーチの岩かげにいた。水にはいると、とたんにスイースイーッと流線型になってのびのびと泳ぎだすペンギンたちの姿も、楽しそうだし、頼もしい。すっかり満足した私は、孫たちに出す絵葉書などを買って、「おまちどうさま」と、たいへんな辛抱をしてくれた主人に頭を下げたのだった。なにしろ、主人の方は「水仙を見に行こうか」なんて、誘わなければよかったと思っていたかもしれないのだから。
February 5, 2015
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前回、帰国したときは、刺身の「つま」がスーパーで売られているのを見てびっくりしたのだが、今回は今回で・・「半熟卵」四個入り210円にびっくり。ま、ちょうどよい時間をきちんと機械にセットすれば、半熟卵はたくさん一度にできるかもしれないが、それがどういう人に、どういう目的で買われていくのかが、わからない。それに、半熟は暖かいイメージなので、冷たい半熟卵というのが想像できないし、もし温めたら、半熟ではなくなってしまうだろうから、冷たい半熟卵を・・どうやって食べるのかしら?・・・と、容器の説明を見たら、卵かけごはんに乗せるのに最適だそうで。たしかに、ご飯があたたかければ、冷えた半熟卵でもなんだか大丈夫そう。でも・・・それだったら、生卵でもよさそうだし。もし、これで売れているのだったら、生卵にちょっとの付加価値をつけて販売価格を倍にするのだから、考えた人はえらい。
February 5, 2015
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朝、テレビを見ていたら、昨日の豆まきの模様が報道されていた。最初に出てきたのは、成田山新勝寺。これまでも度々 成田山の豆まきはテレビで見ていたのだが、28日に成田山に行ってきたばかりなので、今回はこれまでより身近に感じる。その時、境内の店の人に教わったのが、「豆まきでまれた豆は、ひろって食べてはだめだよ。せっかく払った厄を拾うことになるから」ということ。 ふむ、ふむ と聞いていたのだが、「食べるのは店で売っている豆だよ~」と、話が続いたので、「あれ?営業だったのかな?」昨日、成田で撒かれた、「拾って食べてはいけない豆」は1.2トンもあったのだそうで・・・・・!! ま、地面に落ちたのだから、拾って食べる人もいないだろうが、子供のころ、家で豆まきをしたときは、「歳の数だけ拾ってたべなさい」とか言われて、姉が私よりも、毎年毎年四粒多く食べるので、すねたりしたのを急に思い出した。その伝でいけば、私は今や、74粒食べてもよい・・・・わけだけれども、とてもムリ。ま、74歳が74粒たべたら、そりゃあ、厄も拾うだろうて。
February 4, 2015
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うちのユニットからは見えないのだが、外の廊下から月が美しく見えた。カナダで、11階から見晴らす月もよいものだが、やはり、葉を落としたユリノキの枝越しに仰ぐ月の方が、趣がある。折しも、gacco.org で、「ブラックホール入門」を受講しているのだが、「月も軟X線で観測すると、僅かに光って見える。どうしてか、調べてみたり、推察してみて、400字以内で説明せよ」という問題について、一昨日、なにやら情けないレポートを出してしまったのを後悔しつつ仰ぐ月・・・ま、いいか。私的罰ゲームとして、「題詠blog2015」は、「竹取物語」のテーマで統一しようかと思っている。「竹取物語」のおじいさんが、「私も70の坂を越したので、お前が独身でいるのが心残りでならない。せっかく言い寄ってくださる方がいるのだから、まじめに考えたらどうかい?」と、娘に説くあたり、70歳を過ぎてみると、しみじみとよくわかる。逆算すると、おじいさんは50代の時に、かぐや姫の子育てを始めたわけだから、媼さんも多分、50代だったのだろう。経済的には、竹から次々と出て来る金で問題はなかったにしろ、赤ちゃんの世話は、さぞ大変だったろう・・・とか、40代で子育てをしているウチの息子たちを見て、つい引き比べたみたりして。それにしても、高校一年の夏季講習で初めて「竹取物語」を読んだときは、まさか、自分が翁・媼の視線でストーリーを見る日がくるとは思わなかった。遥けくも来るものかな!
February 3, 2015
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京王線の武蔵野台駅近くのお寺の前のひだまりに、とてもやさしいお顔のお地蔵さま四体を見た。四体の表情が、それぞれに違うのだけれども、それぞれが優しい。中でも、この写真のお地蔵さまのお顔がよかった。こういう表情をしていたら、豆まきをしなくても、福がやって来そうだが・・・・ このところ、テレビのニュースなど見ていると、なかなかこうはいかない。バンクーバーの領事館からも、緊急一斉通報として、 以下のようなメールが届いた。 かといって、今後、どのように身を謹んだらよいものか、具体的にはさっぱりわからないのだけれども。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・渡航情報(イスラム過激派組織のISIL(イラク・レバントのイスラム国)による日本人と見られる人物の殺害を受けた注意喚起)2015年2月1日1.2月1日(日本時間),イスラム過激派組織のISIL(イラク・レバントのイスラム国)を名乗る人物が,シリアで行方不明となっていた湯川遙菜氏に引き続き,後藤健二氏と見られる人物を殺害した映像がインターネット上で配信されました。2.この事件は各国のメディアでも多く取り上げられており,国際的に非常に注目を集めている事件であることや,最近はISIL又はISILの主張に賛同しているとみられる者によるテロが世界各地で発生していること等を踏まえれば,日本人,日本企業,及び,日本人学校等の我が国の関係機関や組織がテロを含む様々な事件に巻き込まれる危険があります。3.つきましては,上記のような情勢を十分認識し,誘拐,脅迫,テロ等の不測の事態に巻き込まれることのないよう,各地域の特徴を踏まえた上で,外務省が発出する渡航情報等及び報道等により最新の治安・テロ情勢等の関連情報の入手に努め,日頃から危機管理意識を持つとともに,状況に応じて適切な安全対策が講じられるよう心掛けてください。4.特に,シリア,イラクのみならず,退避勧告が出されている国や地域に滞在中の方は,直ちに国外等の安全な地域へ退避するよう強く勧告します。・・・・・・・・・・・・・・・・「どうしてよいかわからないときは、腰を抜かしてじっとしていろ。はたからみれば、泰然自若としているように見えるよ、ハッハッハ!」と、父が言っていたのを思い出した。
February 2, 2015
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