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東京の高校生が、神岡隕石を所有しているという。27日の河北新報に出ていた。小西さんという実名と写真も。記事になっているのだから書かせていただく。ロシアの隕石落下を受けた特集記事だ。神岡隕石は日本で確認された50個の隕石の一つ。長さ3センチ程度の楕円形で重さ30グラム程度。2002年に秋田市に住む小西さんの大叔母が自宅に保管されているのを発見。隕石は1940年代初めに、神岡町(現大仙市)の地主だった大叔母の生家に、空から降ってきたと地域の人から持ち込まれた。持ち込まれたときはまだ熱を帯びていたという。石は大叔母から受け継いだ小西さんが、現在神奈川県の博物館に貸し出している。■関連する過去の記事 巨大隕石と東北(2013年2月16日) 気仙隕石(2010年2月15日)
2013.02.28
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今日の午前に弘前市では積雪153センチとなり、平成17年の150センチを越えて、昭和57年以来の観測史上最深を記録したという。昨日、稼働中の気象庁観測点では国内最深積雪を記録した酸ケ湯では、午後5時現在556センチとなり、さらに記録更新中という。気温も低い。宮城県でも平年より5度ほど低い気温。白石でマイナス10度、塩竈でマイナス7度など冷え込んだ。国公立の2次試験前期日程は、開始時刻を繰り下げた。仙台市内に通う我が家の高校1年生も、遅れた生徒のために期末試験の開始時刻を遅くしたのだそうだ。2次試験で仙台を訪れた受験生の皆さん。寒い学都と思ったかも知れません。冬将軍が歓迎しようとちょっと威張って見せたのでしょう。本当は温かい街です、安心して是非入学し、充実した生活を送って下さい。
2013.02.25
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子供の頃はヤナアサッテは明後日の次の日だった。ヤノアサッテ、ヤナサッテなどと発音することもあるだろうが、基本的には東北ではこれらは、明後日の翌日、つまり今日から数えて3日後をさす言葉だろう。個人の体験で言うと、テレビなどで耳にしたのだろう、シアサッテが3日後でヤノアサッテが何と4日後を指す地域があるらしいと知った。シアサッテは私の幼少の頃は地域ではあまり使わなかったが、使うとすれば4日後を意味するだろう程度の理解。大きくなってからは、「明日」「あさって」に続く3日後、4日後は、それを示す言葉を用いずに、何日とか何曜日とか絶対値をもって会話していた。混乱を避けて自然にそうなったのだが、別に不都合もない。方言の世界では、同一の語が意味を変えて分布する例は少なくない。例えば、コワイが「恐ろしい」の意味とは別に、東北、北関東、中国地方などでは「疲れた」の意味で使われる(ちなみに東北で「恐ろしい」はオッカナイ)。以下、徳川宗賢編『日本の方言地図』(中央公論社、中公新書533、1979年。佐藤亮一執筆部分)に基づく。■明後日の翌日(3日後)をどう言うかシアサッテ石川県・福井県、近畿以西で広く分布。名古屋市、東京都区部シラサッテ広島県・鳥取県・佐賀県の一部シャサッテ島根県東部、岐阜県の一部シガサッテ愛知県東部、静岡県西部、長野県南部 シノアサッテ長野県の一部サアサッテ三重県、愛知県の一部、岐阜県北部、富山県の一部、能登半島一部、鹿児島県薩摩半島南端と大隅諸島サンアサッテ長野県の一部、八丈島ヤノアサッテ新潟県・長野県北部・山梨県・静岡県伊豆半島以東の東日本と北海道で広く分布赤字で記した3語が基本語形かと思う。すなわち、東のヤノアサッテ、西のシアサッテ、両者の中間帯にサアサッテ。ただし、東日本でも東京都区部はシアサッテ。それでは、4日後はどう言うのか。■明後日の翌々日(4日後)をどう言うか(注:無回答とは該当する言葉がないこと)シアサッテ栃木県・山梨県・千葉県、群馬県(一部無回答)、埼玉県(同)、長野県の一部、静岡県伊豆半島、東京都の一部、神奈川県(大半は無回答)の一部、佐渡、北海道サアサッテ福島県の一部、茨城県の一部、山形県北部、秋田県沿岸北部、青森県西岸部ヤノヤノアサッテ岩手県の一部、宮城県の一部キササッテ青森県の一部ココノサッテ青森・岩手の県境付近、山形県村山地方サラサッテ秋田県の北部サラヤノアサッテ秋田県の一部、山形県庄内北部ヤノアサッテ東京都区部、長野県の一部上の表は東北・関東を記した。東北地方や新潟県は「無回答」が多い。また、表中の関東一円のほかに、ごく部分的にのようだが、4日後にシアサッテを使うところが、岩手、宮城、福島の各県に見える。また、中部以西になると、4日後の呼び方は、ゴガサッテ(3日後をシガサッテと呼ぶ地方)、ゴアサッテ(北陸、近畿、九州)、ゴラサッテ(3日後をシラサッテと呼ぶ地方)シアササッテ、サキササッテ、サシアサッテ(高知県)、などとなっている。なぜ3日語と4日後について、全国的にこのような食い違いがあるのか。上掲書の解説をまとめてみた。いかなる過程を経たのか、考えられる第一のケースは、東西のシアサッテが無関係に生まれたとする考え方。いずれも数字のシ(四)に由来するが西は今日を第1日として数え、東では明日を第1日としたと考える。しかし、3日後についてはシアサッテの領域に隣接する石川・富山・岐阜・三重と大隅諸島にサアサッテが分布するが、4日後の分布図でも、シアサッテの外側にサアサッテが見られる。この事実は東西のサアサッテ・シアサッテが互いに無関係に発生したものとは言えず、一方から他方に伝播したことを示すと考えられる。第二は、サアサッテ・シアサッテが、かつては「明後日の翌日」の意味で西日本から関東一帯、東北にも及ぶ広い地域に分布していたが、その後東日本にヤノアサッテが発生して、在来のサアサッテ・シアサッテの座を奪い、その結果として、サアサッテ・シアサッテは4日後の意味に変化したとする考え方。しかし、3日後をめぐるシアサッテとヤノアサッテの対立は典型的な東西二大対立をなし、一般的にこの種の地域差は非常に古い時代から存在したと考えられるため、ヤノアサッテが新出とする根拠がない。第三の説は、東日本では3日後の意味のヤノアサッテが強い勢力を持っていたために、西日本から伝播したサアサッテ・シアサッテがヤノアサッテの座を奪うことができず、隣接の意味分野である4日後の位置に侵入したというもの。明後日の翌日(3日後)の分布図ではサアサッテがシアサッテの両側の地域にあること(周圏的分布)は、サアサッテがシアサッテより古いことを思わせるもので、かつてはサアサッテが西日本に広く分布し、その後西日本中央部で生まれたシアサッテによってサアサッテが周辺に追いやられたと推定される。4日後の分布図のサアサッテ(福島など)とシアサッテ(関東)の分布配列も、西日本における両語形の発生順序を反映していると考えられる。ただし、東日本のサアサッテ・シアサッテは、西から東へと漸進的に地を這うように伝播したのではなく、西日本中央部から関東中央部に飛び火的に輸入されたのかも知れない。かつて西日本にサアサッテが勢力を持った時代にサアサッテが、次の時代にシアサッテが輸入されたと考えると、東西ともにサアサッテが外側にシアサッテが内側に分布する理由を説明することができる。上掲の書では第三の説を無理がないとして採用する。ところで、西日本では、明後日の翌日をシアサッテ、その次の日をゴアサッテとする地域が多い。これは、シアサッテの「四」が意識されて生まれた表現だろう。高知のサシアサッテは、「次の」の意味の接頭要素「サ」を冠したと思われる。(サアサッテも、明後日の次という意味で「サ」をアサッテに冠したものと考えられる。)また、明後日の翌々日(4日後)について東北地方ではヤノヤノアサッテ、サラヤノアサッテがあるが、ヤノアサッテを基盤に生まれたと言える。山形や青森の一部にみられるココノサッテは、ヤノを「八」と意識した結果。東京中心部は、シアサッテ(3日後)-ヤノアサッテ(4日後)の小領域が存在し、周辺の関東のヤノアサッテ-シアサッテの一大領域とは全く逆の構造。このシアサッテ-ヤノアサッテのパターンは、北海道と長野のごく一部を除いて、方言としては全国に例を見ない珍しいもの。おそらく、一時代前には東京中心部もヤノアサッテ-シアサッテだったのだろう。その後京阪地域との交渉が活発になりシアサッテを明後日の翌日の意味のまま輸入し、同時に在来のヤノアサッテを翌々日の位置に押しやったと思われる。その際に、「四」「八」の順序の意識が働いたのかも知れない。なお、北海道は一般に東北系や西日本系のほか、標準語・共通語の勢力が強いが、この項目に限っては、標準語でも全国共通語でもない関東方言(ヤノアサッテ-シアサッテ)を採用していることが興味深いのだそうだ。以上、学説も大変面白いが、改めて「明後日の翌日」と「明後日の翌々日」の呼び方を大まかに整理して終えたい。明後日の翌日その翌日東北ヤノアサッテ(なし)、サアサッテ、ヤノヤノアサッテ他関東一円ヤノアサッテシアサッテ東京中心部シアサッテヤノアサッテ西日本シアサッテゴアサッテ、(なし)他三重・岐阜・富山サアサッテシアササッテ他
2013.02.24
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戦前の時点のようだ。下記文献によると、次の3つをさす。東北実業銀行五城銀行七十七銀行第七十七国立銀行が株式会社に改組し、やがて上記の銀行と合併。戦時体制では銀行合同政策は一層強化された。■吉岡一男編『宮城県謎解き散歩』新人物往来社、2011年 より
2013.02.20
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蔵王火山は100万年近く前から活動しているが、北蔵王と南蔵王は既に死火山になっている。中央蔵王は約1万年前を中心に、大爆裂火口とその中に中央火口丘の五色岳ができた。その後、五色岳西山腹に噴火が起こり、御釜が形成された。御釜はなお活動が続いている。御釜は典型的な火口湖で、直径300メートルほど、水深約25メートルの浅いすり鉢状である。かつて御釜は火山活動の休止期には、水の色は太陽光線の吸収と反射で瑠璃色や緑に近い青色をしている。だが、活動が始まると、湖底からガスが噴出し、湖底の火山灰や硫黄などの白色に近い沈殿物が水面まで持ち上げられるので、乳白色を帯びてくる。また、水の酸性度の変化によって水中の鉄分が変化し、赤褐色になったり、硫黄鉄が出来て黒色になることもある。このような現象が組み合わさって複雑な御釜の色が生じてきた。ここ100年をみても、4回の大きな活動が記録されている。明治28年、大正7年、大正12年、昭和10年である。その後、活動はかもしか温泉付近に移っている。最近では御釜の水は青く澄み、ほとんど変わらない。活動が休止状態のためである。■吉岡一男編『宮城県謎解き散歩』新人物往来社、2011年 より
2013.02.19
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ロシア・ウラル地方の隕石落下(15日)は、当地の人々は驚いただろう。音速を超える落下速度のため衝撃波が激しく、低空突入圧力で地上数十kmで3度爆発。ガラス破砕など建物被害が大きいようだ。負傷者は1200人以上とも伝えられる。ところで今、地球には直径45mで重量13万トンの小惑星が接近中で、今日16日未明にインド洋上空27700kmで再接近するのだが、これとは全く関係ないのだそうだ。同規模の小惑星が同程度まで地球に近づくことは、40年に1度のペースで起きている。そして、1200年に一度は、地球に衝突しているのだそうだ。今回の小惑星は衝突しないのだが、仮にこの規模の小惑星の衝突があるとどうなるか。1908年のシベリア「ツングースカの大爆発」では、今回とほぼ同じ大きさの小惑星が大気圏に突入し、上空で大爆発。その結果、半径20kmの森林の木々がなぎ倒される被害が生じた。もちろん、人口密集地なら大変なことになるということだ。新聞では原発に隕石落下を想定した論議もあった。また、6500万年前にはユカタン半島に直径数kmの小惑星が衝突し、舞い上がったチリで日光が遮られ恐竜絶滅の一因になったとされている。現在確認されている小惑星には、地球に落ちてくるものはないという。ただし、それは一定規模以上のものであって、小さな規模の小惑星だと、把握できないので突如落ちてくるものには事前の対応のしようがないのだそうだ。昨日のウラルの隕石は数メートル規模のようだが、小さな規模の小惑星だったとの説明もあった(隕石は小惑星だと理解していいのだろうか)。新聞によると、隕石の落下は珍しくなく、年間200から300個は地上に落下している。地球の近くには無数の小惑星があり、その軌道が地球の軌道と交差すると地上に落ちて隕石となるという。そして、過去の主な隕石落下として、ユカタン半島や1908年ツングースカのほか、次のような事例が解説されている。○ 861年 福岡県直方市(目撃記録のある世界最古)○ 1920年 ナミビア 約60トン○ 1947年 ウラジオストク北東部森林地帯 半径300キロ以上にわたり多数落下○ 1954年 アラバマ州民家(屋根を突き破り女性ケガ)○ 1976年3月 吉林省平原に多数○ 1992年12月 島根県民家 約6キロ(美保関隕石)○ 1996年1月 つくば市周辺 20数個○ 1999年9月 神戸市北区 民家の屋根を突き破る○ 2012年1月 モロッコで発見の隕石がNASA調査で火星からのものと確認東北では、36貫目(135キロ)あったとされる嘉永3年の気仙隕石(陸前高田市)だ。ほかには、大富隕石(落下1867年、東根市、6.5キロ)仙北隕石(1900年頃発見、大仙市、0.9キロ)天童隕石(1910年発見、天童市、10キロ)白岩隕石(1920年発見、仙北市、0.95キロ)神岡隕石(落下1921-49年、大仙市、0.03キロ)長井隕石(落下1922年、長井市、1.81キロ)青森隕石(落下1984年、青森市、0.32)富谷隕石(落下1984年、富谷町、合計0.0275キロ)十和田隕石(1997年発見、十和田市、0.053) などがあるようだ(ネットによる)。このうち、宮城県の事例である富谷隕石について調べてみると、1984年の8月22日13時35分、富谷町富ヶ丘の住宅街。Aさん宅の縁側に干していた双子の女児のパジャマの上に飴玉ほどの数ミリの小さな黒い石が落下したのだそうだ。周囲を探すと、隣家Hさん宅の物置屋根に、もっと小さい黒い石が発見された。衝撃音や閃光は目撃されていないが、落下直後は石から生臭いにおいがしたという。(富谷町観光マップから)また、平成24年7月の「広報とみや」の「あったか探検隊」コーナーに写真付きで詳しく出ている。富ヶ丘三丁目の浅野さんというお名前も(Aさんとは仮名でなくイニシャルだった)。昭和になって4例目の隕石落下で、宇宙にあるままのきれいな状態で、落下後20数時間内に専門家の手に渡ったことなどから、太陽系の生成過程を知る貴重な資料となった。落下場所が住宅地で、日時まで特定できるという世界でも珍しい例である、などと。さらに、コラムのように、日本最大の気仙隕石の紹介。また、海外の話題として、ボスニア・ヘルツェゴビナの村で、3年間に6回も隕石が落下した家があり、国際的に注目されているという。隕石落下は数十億分の1の確率のはずで、落下の時は必ず豪雨であるなど、何かその家に落下する必然性を解明しようということのようだ。意外と、身近に落ちているのかも知れない。もっとも、6回も落下されてはたまらないが。■関連する過去の記事気仙の巨大隕石(2010年2月15日)
2013.02.16
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わが宮城県のニュースで気になった。県内の女性が、交際相手の浮気を解消させるため都内の「別れさせ屋」に工作を依頼して代金も支払ったが、会社側が仕事をしないので、代金に利息を付した分の損害賠償を求めて、昨年12月下旬に仙台地裁に提訴したというものだ。13日にわかった、という説明で報道されている。この会社が請け負ったような「別れさせ屋」とは、疑似恋愛で人をダマして破局させる(結果的に復縁できるようにする)という手法なのだそうだ。具体的には、依頼者の配偶者や交際相手が浮気をしているような場合に、さらに別の異性(おとり)を接近させて、その浮気をまず解消させ、さらにおとりの異性も姿を消すということになるのだろう。そんなことがうまく行くのかどうか知らないが。そしてこの県内女性の場合は、2006年12月に会社に工作を依頼。調査料として代金80万円を支払った。契約上は会社が女性調査員を派遣して気を引き、別れさせたあとに復縁させることになっていた(らしい)。しかし、その後会社側は女性調査員を派遣していないとして、女性は契約解除の意思を伝えた(とされる)。それで、利息分を含めて107万円の損害賠償を求めているということらしい。ちなみに浮気も解消していないらしい(そりゃそうだろう)。原告側代理人は「そもそも、個人間の恋愛感情に干渉し、対価を得ることは公序良俗に反する。そうでなくても、別れさせることが可能であるかのような虚偽説明は詐欺にあたる」と契約の無効や取消しを主張しているそうだ。民法90条(公序良俗違反で契約無効)を根拠とし、かりに有効だとしても、できもしない工作を説明した会社側の欺罔だとして、同法96条(詐欺による意思表示で取消し)を根拠にするという主張なのだろう。なお、会社側は答弁書で「婚姻外の男女を別れさせる働き掛けが、当然に公序良俗に違反するということはできない」と反論。女性調査員の派遣はした、と主張しているようだ。朝日新聞の記事では、内容は淡々と叙述しているが、見出しが「私が頼んだんだけど・・・ 別れさせ屋は違法で無効」という趣旨のタイトルで、原告女性が虫の良さを示唆するような感じだ。さて、よく考えてみよう。詐欺の主張は別として、90条違反の点だ。公の秩序と善良の風俗に反する内容の契約は当然に無効で(90条)、教室設例的には、裏口入試の依頼、愛人契約、暴利行為などだろう。そして、90条が出たら必ず708条を論じろと民法の先生に言われたように、不法原因給付の議論があるはずだ。90条違反の契約は絶対的に無効(追認もできないはずだからだ)。となると、既に給付された依頼料80万円は不当利得であって、会社側が保有するいわれがないから、女性に返還することになりそうだ。しかし、民法708条は不法の原因のため給付した者は返還をもとめることができないと定める。つまり、反社会的行為(契約)をした場合は、その契約自体も無効とする(90条)上に、さらに、給付してしまった物の返還請求権を法的に認めない。かりに訴訟で求めても国家として認めないとしているのだ。とんでもない契約をした者が、給付したカネを返せと訴えることができるのでは、虫が良すぎるという思想だろう。息子の裏口入学を依頼した親が、不合格だったから金返せとは言えないのだ。請け負ったエージェントが裏の世界で返還するのはあるだろうけど、エージェントが息子ができが悪かったからだと突っぱねた場合に、親が表の世界(裁判)で返還を主張してもダメなのだ。それは、エージェントを得させる趣旨ではなく、不法な契約をした者に国家が助力しないという毅然とした姿勢からくる結果なのだ。俗な言い方をすれば、悪を頼んだ者が、予定通り行かないからあのカネ返せというのは正義に反するだろう、ということだ。これを今回の女性について言えば、金返せというのは正義に反するということで、庶民感覚にも合いそうな感じがする。法律的には708条に反して認められないとなりそうで、このことは記事では触れていないが、上記の朝日の見出しが、女性の身勝手を読者に代わってとりあえず非難しているようにも読める。(なお、訴訟では損害賠償を主張しているようだが、708条は、不当利得返還の場合のみならず損害賠償の場合にも類推適用される。)原告はどのような論法で臨んでいるのだろう。別れさせ契約の無効を主張しておきながら、708条の場面ではないという構成をとっているハズだから、やり方として思いつくままに考えてみると、(1)90条違反だが708条該当ではない(どうやって?)(2)別れさせ契約自体は無効だが、返還の合意が別途有効に存在していた(返還合意は当初からではなく会社の不作為が明らかになった後に救済のために行われた、として当初契約との関係を希薄化させて主張)(3)別れさせ契約は無効。しかし会社側の全体の態度(不作為)が損害を与えた(契約外の事実たる不法行為の構成だが、そんなの無理だろう)(4)不法性はもっぱら会社(反社会的行為を広告)に存在し、女性(かよわい消費者!)の賠償請求は保護される(708条但書)(5)不法性は両者が認識していたが、圧倒的に会社側の方が主導していたとか。記事では、被告の会社側は90条違反ではないという主張のようだから、708条の論議には入っていないのかも知れない。
2013.02.15
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多賀の里に城が築かれるとき、都から多くの者がやってきた。そのうちに悪賢い役人がいて、ため池で水を汲んでいる白萩のような美しい娘を見つけた。娘は走って逃げ出したが、役人は後を追って家までついてきて、親たちに娘を嫁に出せと言う。親が断ると役人は腹を立て、城に戻ってから、築城の人柱に娘の父親を名指しする。父親は里でも評判の正直者で、人柱を選びかねていたほかの役人達も、神様にお供えするのだから信で惜しまれる人間でないといけないとして頷いた。この知らせを聞いた娘は、こんなことになるなら私があの男に嫁ぐよう頼んでくると言って走り出そうとしたが、父は娘を止めて、自分が立たなくてもいずれ誰かが人柱になる、自分がこの役を引き受けるしかないと語った。母と娘は生きた心地もせずただ父にすがって泣き伏した。その日、あの役人は朝早くやってきて父を急き立てて連れて行った。里の者たちは一人残らず後に続いて見送った。女達はすすりなき、男達は拳を握って、細い道を黙々とのぼっていった。城の入口まで来ると役人は里のものたちの前に立ちはだかり、父は役人の後についていった。まもなく人柱の儀式を知らせる太鼓が里に鳴り響いた。それから二、三日たった日の夕方、あの役人が里にやってきた。父を葬れば母娘だけ、今度こそ娘を手に入れようと考えて、戸をたたいた。しかし家の戸は固く閉ざされ、返事をする者もない。気が付くと里人が押し黙ったままぐるりと役人を取り囲んでいる。里人たちは黙って西の方の丘を指さした。みんな怒りにふるえて鋭く指さした。役人はあたふたと丘に登っていった。行ってみると丘の登り口の大きなしだれ桜の木の下に、母娘が抱き合って立っている。樹下の大きな石の上から城の方へ体を伸ばして、手をさしのべるようにしているのが母親で、その母を抱くように立っているのが娘だった。しかし役人が近づいてもふたりとも身動きもしない。役人はさらに近づいて娘の腕をとったが、冷たくこわばっている。二人は立ったまま死んでいるのだった。父を見送って役人に追い出された後、母娘は父の姿を見るためこの丘に登ろうと走ってきたのだ。そして登り口にたどり着いたとき、父の最期を知らせる太鼓を聞いたのだった。二人は叫びながら立ちつくし、悲しみのあまり息絶えた。里の者たちが二人の遺体を抱きかかえて石から降ろそうとしたが、体は石像のように動かなかった。城に向かった父の姿を求めて、身を乗り出したまま石のようにかたくなってそこを離れることを拒んだ。その後、日が過ぎるうちに母娘の姿は朽ちていったが、母の左足と娘の右足の足あとだけは、石の上に一寸もめりこんでくっきり残った。何年経っても、苔も生えず、ぬめぬめとした不思議な光をたたえている。この石は母子石とよばれて、塩竈と多賀城をむすぶ坂の登り口に今でも残っている。■日本児童文学者協会編『県別ふるさとの民話40 宮城県の民話』偕成社、1982年 から (当ジャーナルで縮約)
2013.02.13
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子どもとテレビを見ていて、鶴岡市三瀬の旅館に行列が出来ている。海水浴客などの減る冬季にご主人が出すラーメンが評判だからだというのだ。琴平荘(こんぴらそう)さん。子どもが覚えていた。ところで、建物の外にまでできる行列の背景を眺めながら、アレはあそこではないか、とピンと来るものがあった。さきほどハードディスクの画像を探しまくって、それを引き出した。(ちょっと逆光ですが晴れた午後でした。)05年秋に鶴岡に行ったときだ。大井沢や田麦俣を訪れながら、宿の温海温泉に向かう途中に、日本海沿いに7号線を南下しながら、何度か奇岩を目にした。小さなパーキングがあるたび、2度か3度車を停めて、珍しい光景を眺めつくしたものだ。屹立する岩にしめ縄が渡されている光景が、何枚かあるのだが、そのうちの最初のものが、おそらく三瀬の海岸で撮ったものだと思う。地図で見ると「立岩」なる表記が三瀬をふくめ何か所かあるようだ。たぶん、この画像が三瀬だと思う。ところでこの旅館のラーメンは美味しそうだった。10月から5月で昼間だけ。麺も自家製だという。立岩に立ち寄った3時頃に行列は周囲に見えなかったが、正午過ぎだったら、奇岩に行列という光景に出逢えたのかも知れない。■関連する過去の記事(このときの旅行に関連するもの) 大井沢の大栗(10年4月13日) 山形交通三山線の電車モハ103(07年11月23日) 鶴岡からちぎり絵をいただく(06年1月12日) 鶴岡でのちぎり絵体験・続(05年11月6日) 鶴岡でのちぎり絵体験(05年11月6日) 鶴岡市の南岳寺について(05年11月6日) 鶴岡を訪れて考える(05年11月5日) 4日の日記(山形県温海温泉)(05年11月4日) 4日の日記(山形県温海温泉)(05年11月4日)
2013.02.11
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蛸薬師は長町駅、長町病院の近く。舞台八幡神社と並んでいる。その昔、この一帯は海だったらしく、祠にあった御本尊は蛸が薬師瑠璃光如来像に付着してこの地に漂着したものという言い伝えから、この如来像は蛸薬師とよばれてきた。境内の説明板によれば1334年(建武元年)に権中納言藤原朝臣藤房が京都西洞院蛸薬師如来に祈願をかけ、仏像を勧請して淵上蛸薬師としたのが始まりとある。この蛸薬師はイボ取り薬師とも呼ばれ、イボ取りの願掛けの絵馬が表戸にいくつもかけられている。隣接して舞台成功の祈願成就に御利益があるとされる舞台八幡社が並んでいる。■仙台歴史探見倶楽部『宮城 歴史探訪ウォーキング』メイツ出版、2010年仙台平野の津波の歴史研究で高名な飯沼勇義先生によれば、「蛸薬師伝説」は津波伝説の1つであり、具体的には、長町3丁目まで到達し蛸が打ち上げられたというもの。伝説ではあるが、不動の歴史的真実を語り継ごうとしたものである。長い信仰の歴史と、災害から子孫を守ろうとした叡知。これに対して卑近な話題で恐縮だが、イボ取りの御利益というと、若い頃イボで悩まされた私としても思い当たることがある。石巻に住んでいた頃だ。別会社の先輩に、イボとり地蔵なら○○○にあるから、行きなさい。その代わり治ったら必ず御礼に再訪すること、と。従順な私は、後日オンボロ車を駆ってお参りに行った。その場所なのだが、たしか神取橋の旧桃生町側で、橋のたもとのT字路に車を停めた記憶がある。いま地図を開いてみると、神取山に山神社という記載があるが、しっかりした建物ではなくて路傍のお地蔵さんだったように思うし、ひょっとしたらそれさえも想定したイメージであって実際には見つけられずに帰ったのかも知れない。とにかく橋のたもとだった。程なくして仙台に引っ越し、増殖する一方のイボに悩まされて治療にも努めたが、体中にあんなにあったイボがある時点から潮が引くように見事に消えてしまった。神取のお地蔵さんのおかげなら、御礼のお参りに行かねばならない。もう四半世紀も経ったのだが、いま思い出した。私の歴史探訪でもあるのだが、御礼ついでに、足にウオノメができたとまた騒いでいる我が家の娘たちを連れて、いま一度の祈願に。■関連する過去の記事 イボコロリのこと(2007年8月23日)
2013.02.10
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鳥海山は東北第一の高峰。古代は大物忌神の鎮座する神山(みわやま)とされたが、不思議なことに中世以降いつのまにか鳥海山とよばれるに至った。山には13ほどの登山口があるが、象潟登り口はかつて小滝口と称し、自然地理的には山の正面に当たり、中近世は鳥海修験の一中心をなしていた。名曾の白滝がここにあるが、この滝は奈曾川沿いの渓谷がつきて川が平地に出る境目にかかるところ。奈曾川は鳥海山の八合目付近、鳥海の神の奥の院とよばれる岩間の御滝に源を発する。このことから、奈曾川こそが鳥海の神が、これを下って下界や海に出、また登って山頂に帰るお成り道だったと思われる。実は鳥海の神は川を進む竜神と考えられ、奈曾の滝は下界に降り立つところだったのだ。そこで、神を迎える小滝の修験たちの神事は竜の舞だった。大物忌神と称されていた山神が、いつのまにか鳥海の神の名でよばれるようになるのも、実はこの竜神の舞に基づいていたのだ。小滝に残る古代舞楽、チョウクライロ舞というのがその生き証人である。チョウクライロの意味は従来不明とされてきた。古代舞楽の「陵王の舞」と「納蘇利の舞」をあわせ演ずるもので、「陵王」は中国で正確には蘭陵王といい、その王は長恭という人だった。チョウクライロとは、長恭蘭陵王(チョウキョウランリョウオウ)の意味だったと思われる。チョウクライロウオウというのが正しい(蘭陵王は羅陵王とも書かれる。羅はライと読む)のだろうが、チョウキョウランリョウオウの訛りと言っても良い。恭は和音でクになるから。ところで、陵王の舞とは本来南方アジアで始まったもので、もとは竜のよろこびを表す舞とされ、それで竜頭の面を付けることとなった。陵王というのも竜王の意味を込めたものだ。陵王・納蘇利の舞は古代舞楽の代表で由緒ある古代の寺社仏閣で広く奉納されるが、鳥海山では、山自体が竜王の山と信じられていたから特別の意味を持っていた。その証拠に、中世にはこの山を竜頭山と、山神の大物忌神の本地仏(神の本になる仏)をまつる神宮寺を竜頭寺といっている。鳥海山では初夏の奈曾川渓谷沿いに雪渓がみられるが、地元では竜が胴をくねらせ頂上に登る姿という。奈曾川の名と納蘇利の舞の関わりも考えないわけにはいかない。納蘇利の舞は竜王の舞の答舞で一体で奉納されるもの。竜頭と胴体がセットに捉えて、山頂は竜王(陵王)、川は納蘇利、その縮小表現が奈曾だろう。チョウクライロ舞を奉納する人たちにとっては、チョウクライロの神こそは、政治の神である大物忌神であった。これに対して人々が祭事の神としてよぶ名はチョウクライロになっていったと思われる。これがチョウカイになり、鳥海と書き表されるようになった。■高橋富雄『東北歴史紀行』岩波ジュニア新書97、1985年 から
2013.02.09
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ある村におみつというめんこい娘がいたと。ある時、おみつはだんだん顔色が悪くなり口数も少なくなった。心配した母親が隣の婆さまに心配事を聞くよう依頼した。婆さまが聞き出すと、おみつは好きな男ができたが、他の村の人間だという。その村では村の者どおしが結婚する決まりだが、婆さまが思い直して更に問うていくと、その男は毎晩来ては未明に帰るのだが、体が冷たいのだという。驚いた婆さまは、顔には表さずに、今夜アズキを煮て、その汁でその人の足を温めるよう洗ってやれば正体がわかると、おみつに教えてあげたと。おみつは婆さまの言うとおりアズキの煮汁を用意して男に足を洗わせた。すると男はだんだん元気がなくなり、今日は早く帰るといって出て行った。明くる朝早く、浜へ行った漁師が、それはそれは大きな鱈が波打ち際で死んでいるのを見つけた。村の人たちは大きさにすっかり肝を抜かれてしまった。一方、婆さまは、やっぱり鱈であったかと独り言を言ったと。浜の人で切った鱈の肉は馬車に積んだら、5駄分もあった。それでそれから自分の村のことを五駄鱈(ごだんだら)村と呼ぶことにしたと。おみつは急に腹病みはじめ、まもなく鱈の子を山のように生んで死んでしまった。それはかわいそうなことだったと。おみつのいた五駄鱈村は、いつの頃からか、ごんだら村とよばれるようになったと。■「宮城のむかし話」刊行委員会編『読みがたり 宮城のむかし話』日本標準、2005年
2013.02.08
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地域名としての「仙北」が、秋田ではセンボクと読まれ、仙台・宮城ではセンポクが主流であることは、以前記した。■関連する過去の記事 仙北は「せんぼく」か「せんぽく」か(2010年07月16日)また、「南北」はナンボクと読むのが日本語の標準のようだ。もっとも、これについては、仙台市民や宮城県人がどう読んでいるか私も自信がない。でも、ナンポクと読む人は確実に居るような気がする。(たとえば歴史上の南北朝時代について、私自身として、ナンポクチョウと半濁点で読みたくなります。念のため、わが子の小学生向け社会科資料集を借りて確認したら、振り仮名が「なんぼくちょう」となっていました。もちろん宮城県教委作成ではなく全国ワイドの出版物ですから。)■関連する過去の記事 南北線は Namboku Line(2012年11月22日)と言うわけで、あえて一般定式化すれば、次のようだろうか。ことば標準的よみ方仙台・宮城の人 「仙北」せんぼくせんぽく「南北」なんぼくなんぽく(?)さて、それでは「県北」はどうだろう。先日のこと栗原市内で築館から若柳まで暫定的に供用されている自動車専用道の「みやぎ県北幹線道路」を走ってきた。路上の青い案内標識には Kenpoku と明記されていた。bではなくpだった。間違いなく。これで、少なくとも宮城県土木部のオフィシャルは半濁音の「けんぽく」だとわかる。全国的にはどうだろうか。身近なところでは岩手県に「県北バス」がある。公式サイトのURLがkenpokuの語を用いている。半濁音のケンポクだ。長崎県の行政組織に県北振興局というのがあり、urlはkenhokuを用いている。しかし、福島の県北地方振興局はkenpokuになっている。茨城県にはやはり県の行政組織で県北振興室や県北県民センター(常陸太田市)があるようで、urlではkenhokuを用いているが、県北ジオパークをkenpokuと読ませているようだし、また、県北地区就職支援センターは「ジョブカフェけんぽく」と愛称を付けているなど、県民感覚では清音と半濁音がいずれも使われているのだろうかと察する。ワープロの辞書では、kenpokuとすると手紙の脇付の意味の「研北」が出るが、「県北」はkenhokuで入力しないと出てこない。(ちなみにkenbokuもダメ。)こんなことから仮説としては、全国的には「けんほく」だが、東北や茨城では半濁音の「けんぽく」が主流あるいは許容されるというところか。
2013.02.06
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日本風景街道という登録制度があり、東北ブロックの第1号が「のしろ白神の道」。延長約100キロ。秋田杉の美林や白神山地のブナ林など自然景観とともに、木の香る道づくりの取組も評価されたとのことだ。解説パンフ(「東北地方の風景街道」東北風景街道協議会、平成24年11月)によると、この街道沿線の地域資源に、手這坂のかやぶき集落が紹介されている。江戸時代の紀行家菅江真澄が桃源郷のようだとうたった民家集落。当時の風情を残す癒しの風景を楽しむことが出来るという。また、魅力向上の取組として、手這坂活用研究会とボランティアが屋根の葺き替えをしているそうだ。場所は、八峰町峰浜水沢。(グリーンツーリズム協議会さんの解説)是非訪れたい。
2013.02.03
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