一即多、多即一

一即多、多即一

2005.02.07
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カテゴリ: 映画
 寡作の映画監督、テレンス・マリックの1978年度の作品。彼は哲学の講師をしていたが、映画監督に転身。この作品でカンヌ映画祭、監督賞を受賞している。

 誰もが目を見張るのは、圧倒的に美しいその映像であろう。大自然や、動植物を非常に美しく撮るのは、あまりアメリカ映画では見られない。風に揺れる麦補、沈まんとする太陽、小川のせせらぎ、自然の中でうごめく動物たち。これらの映像には息をのむ。

 ストーリーはありふれた、男女の三角関係が軸となっている。修羅場が展開されるが、それを必要以上にもり立てることもなく、淡々と話しが進んでいく。そして、主人公の妹の視点から描かれており、誰かに偏ることもなく、穏やかに物語は進行していく。

 金と土地に恵まれ、満ち足りた天国の日々。それも大自然の驚異と、人の中にある醜い心の作用によって、あっという間に崩れ去ってしまう。広大な麦畑がイナゴの大群におそわれ、醜い嫉妬心から派生した麦畑の火災の前に、人々はまるで無力である。一切が崩れ去っていくことを、ただ見守るしかない。

 この映画では、明白な善と悪の区別をしない。主人公の妹のモノローグで、「誰だって完璧じゃない。完璧な人なんて見たことがない。誰のなかにも悪魔と天使が半分ずついる」と語られる。監督は誰を擁護することもなく、非難することなく、ニュートラルに登場人物達を描いている。

 キリスト教世界では、人間は自然を克服しようとしてきたが、東洋思想では、人間は自然と調和していくものであり、人間も所詮は大自然の中の大きなサイクルのひとつにすぎない、といった考えである。テレンス・マリックは哲学を教えていたが、東洋思想に通じていたかはわからない。しかし、この作品では西洋的な考えより、東洋の思想が反映されているかのようにも感じられてしまう。

 この作品は超越的な視点から描かれているように思えるが、人間とは所詮愚かなものであり、大いなる存在の前には無力である、といった傲慢な感じはあまりしない。そこには人間に対する、深い哀しみと共感を感じる。

 最近のハリウッド映画と違って、地味な作品であり、いわゆる面白い映画が好きな人は退屈するであろう。しかし、見終わった後も心にしみ通っていくような余韻がある。深みのある作品である。





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Last updated  2005.02.07 16:40:05
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Geist Holistic Center @ 目覚め あのOSHOは数台のベントレーやロール…
湖 南 @ Re:衝撃の事実(04/09) こんばんは 私のようなオタクとは違って…
one3792 @ Re[1]:衝撃の事実(04/09) マー坊007さん >おはようございます。…
one3792 @ Re[1]:衝撃の事実(04/09) ミネア135さん >私もほんとこの前まで…

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