一即多、多即一

一即多、多即一

2005.02.08
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テーマ: ココロ(1449)
カテゴリ: 精神世界
 人は心が緊張しっぱなしか、逆に弛緩しすぎの場合が多いが、緊張と弛緩のバランスがとれた状態が必要である。

 ヨガでは緊張と弛緩のバランスをとることを目指す。これは心の状態でも同じことが言える。釈迦牟尼の弟子で、弦楽器の名手だった人がいた。この人は釈迦牟尼の弟子になったはいいが、なかなか瞑想に入れなくて悩んでいた。
 ある日釈迦牟尼にそのことを相談したところ、釈迦牟尼は、弦楽器を演奏する時に、弦の状態はきつすぎず、ゆるめすぎない状態でいるのではないかと聞いた。弟子はその通りですと答えると、釈迦牟尼は、心もそれと同じことであると答えた。そこで弟子ははっと気づき、それからきちんと瞑想に入れるようになったそうである。

 チベットの聖者、マチク・ラプドンマも同じようなことを言っている。まずは心を緊張させ、徐々にゆるめていく。それによって瞑想に入っていく、というようなことを言っている。まずはしっかりと緊張させ、徐々にゆるめていく。これによって瞑想に至れるのである。

 集中と緊張が混同されている場合があり、精神世界系の人で、集中を否定する人がいたが、真の集中は、緊張とは無縁のものである。リラックスしつつ心が一点に集中し、静まっている状態、これが本来の集中である。緊張しているうちは、本当の集中とは言えない。緊張と弛緩のバランスがとれて初めて、真の集中に至れる。

 チベット密教のゾクチェンやマハ・ムドラーでは、「無努力」ということを説く。またタオイズムでは「無為自然」と説く。これを単に怠惰になって何もしないことのように勘違いしてしまう人がいる。それは極端な見解であり、本当の「無努力」や「無為自然」とは、もっと絶妙で精妙なものである。

 ゾクチェンにはまって、自分の都合のいいように解釈し、きちんとした努力を怠っている人たちがいる。ゾクチェンでもまずはしっかりと努力し、そこから無努力の実践に入っていく。しかし、そのことを理解できないと、怠惰さを肯定したり、単純な煩悩肯定で終わってしまう。中沢新一氏も無努力に至るには、まずは努力が必要であると言っていたそうである。

 緊張と弛緩のバランスがとれることで、本当の意味での中道、二元を超えた状態に至れるのであろう。中道もやりすぎずほどほどにという解釈をする人もいるが、ほどほどでいいと思っていると、だいたい怠惰になりすぎてしまう。まずはしっかりと緊張させたり努力をして、そこからゆるめていくことによって、本当の中道となるように思う。

 これを書いていて、いったん書いていたものが消えてしまった。むかむかしていたのだが、これではいけないと思い、気を取り直し、集中して書き直すことにした。すると心も落ち着いてきた。心が乱れるのも、集中に欠けているからである。また、バランスがとれていない状態だと言えるだろう。緊張と弛緩のバランスをとり、本当の集中を心がけたい。





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Last updated  2005.02.08 12:26:22
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湖 南 @ Re:衝撃の事実(04/09) こんばんは 私のようなオタクとは違って…
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one3792 @ Re[1]:衝撃の事実(04/09) ミネア135さん >私もほんとこの前まで…

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