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前回の入院時、他の患者さんから「あなたの前にこの同じ部屋にいたAちゃんも、摂食障害かつ糖尿病で苦しんでいたけど、すごく頑張ってたんだよー」という話を何度か聞いていた。昨夜の再入院で、同室の向かいのベッドの人と話していて、アレっと思ったら、何と偶然にも彼女がそのAちゃんだった。なんと言う巡り合わせ!!彼女の話を聞いていると、自分の辛かったときの感情がピリピリと共鳴して、私の胸は何度か切なくなった。昨日かなりへこんでいた私は、彼女が気持ちを分け与えてくれたその時間で、何とか昨日という日を凌げた。今日夕方、かなりの自己嫌悪が降ってきた。私が体調のことで意識がいっぱいだったこの一ヶ月くらいの間に、年に一度しかない保育士国家試験の今年の願書が締め切られていたことが分かったのだ。昨年、初受験した。仕事の立ち上げと短大の保育実習と保育士試験が重なって、徹夜を繰り返しながら市販のカフェイン剤を規定の何倍も服用し、腕がしびれ意識がもうろうとする中で、何とか4単位合格した。残りの単位を今年と来年の2回のチャンスで揃えたいと考えていたのに、私は愚かにも今年の受験チャンスを無駄にした。来年一発で残り全科目を合格しなければ、あんなに無理して取った昨年の4単位は無効消滅する。県庁への電話を呆然と切って病室に戻ったとき、かなりテンパってた。Aちゃんには自然と麻布の仲間ほどに素直に気持ちの壁がはずれていたので、その動揺をありのままに話せた。出会ってくれて、ありがとう。昨日出会っていなかったら、私はここで病院から逃げ出し、糸がキレて、多分そのまま糖尿病の治療さえもドロップアウトした気がする。Aちゃんとの出会いが、天と地ほどの大きな別れ道を導いてくれた。最後はいつも仲間が私を生かしてくれる。
2004.06.30
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外来診察日。数日前から、もうガタガタだった。もう、嘔吐し過ぎて、息んで息んで顎も瞼も腫れてむくみ、涙と鼻水でグチャグチャ。体を支える腕には針が貫くような痛み。それなのにもう血糖値が維持出来ない。診察室の前でうなだれる私。「もう、へこたれてきた…。」 で、そのまま再入院になった。今、かなり落ち込んでいる。「悔しい」と言うほどのエネルギーさえない。「情けな」くて、うつむくばかりだ。やり方は間違っていたとしても、自分では、全身全霊目一杯精一杯もがいて、それでこの有り様…。無力感や何やかやで、涙が滲む。
2004.06.29
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川柳教室の戸を叩いたのは、行き場を失った濁流を逃がす道が必要だったからだ。濁流はすでにコントロール不能なまでに膨れあがっていた。不可能に思える困難にぶち当たったとき、ビジネスミーティングなどでも、まず問題を分割してみることがある。大きすぎて掴み所のない問題をモンスターのままにしておかず、小さい単位で、ひとつひとつ解決策を探るのだ。 結婚、同居、喧嘩、病気、別居、仕事、実家とのトラブル、兄弟との溝、入院。様々なものが同時進行でやって来た。今思えば、それらは私に精神的な親離れをさせてくれる良い苦難だった。だが当時、それらを捌いていくには、私はあまりにも経験不足だった。 私の櫂はすぐに折れて使えなくなった。足掻けば足掻くほどトラブルが重なって、それぞれに勢いのある流れが合流し濁流にまで膨れあがってしまったのだ。 だから、一つの波、一つの風に題材を絞る短詩を書き始めたのだろう。それ以外に私には濁流に対処できる櫂が思いつかなかった。 川柳教室で初めて出された題は「開く」だった。 開く、ひらく、ヒラク、……。いろいろな単語を辞書で見ては、自分の心の中を探った。そのとき私の中に沈んでいた「開く」は、母に対する私の開き方だった。 私は、中学生くらいからか、親に接する際の自分なりの基準を定めていた。嘘は言わないが事実は選択して話すという基準だ。良い出来事はすべて言う。良いことしか言わないと、「心配事を抱え込んでいるのではないか」と親が心配する恐れがあるし、その気遣いが親を寂しくさせるかもしれない。だから、良くないことも、笑い飛ばせる程度のことは伝えておく。出来るだけ、「うちの子は、良いことも良くないことも全部話してくれているから」と、親が無意識に安心出来るように。それが私のルールだった。「開く」の題が出た時期、私には病名が与えられ、今後どう病気とつきあっていくかという頃だった。一生付き合っていかなければならない病気だ、と思うと不安だった。不安だったからこそ、母をも不安に巻き込む恐れがあるので、これは母には言わない事実へ私は分類したのだった。そんな中で、私が初めて教室で提出した川柳はこうである。 胸襟を開く加減も思いやり 幾つか、その頃の作品を書き出してみる。 つぶて呑むたび私の海がせり上がる そうねとだけ言うゴミ箱でいてあげるよ 気遣いを気付かせぬよう気を遣う 胸の奥、腹の奥底から、想いの塊を掻き出してくる。そのどろどろと形が与えられていないただ重たいものに、言葉を与える。この気持ちは何だ? 怒りか、悲しみか、寂しさか、愛おしさか、嬉しさか? どんな情景だ? どんな物体がどんな音を立てている? まずたくさんの言葉を探し、とっかえひっかえしながら、五・七・五を基本とするリズムに研磨する。発音したときの響きはどうだ? 字面の漢字ひらがなカタカナの使い分けは、適切に息づかいを伝えているか? 韻はどうだ。濁音の配置は? 清音は? 響きを確かめたか? そうやって、えぐり出してきた素材でしかなかった想いが、作品の形になったとき、歩くこともできないほど重かったはずの出来事が、作品という翼に乗せられて私から放たれる。私の手許には、何とか背負って生きられる程度の質量になった思い出だけが残るのだ。 出来事、相手からの言葉や自分の感情を呑み込んで、海の藻屑とならんばかりに沈んでいく私が、何とか浮いていられたのは、川柳で嘔吐していたからかもしれない。川柳と出会って十年近くになろうとしている。その間に、生き方も学んできた。 まず、いい人ぶらない。呑めないものを無理に呑み込まない。そして湧いてきた思いを呑み下さないこと。 以前東京に住んでいたとき、二ヶ月ほど入院した。私が入院するときは大抵一人で病院へ行き、手続きし、入院し、支払いし、一人で帰った。このときもそのパターンだった。年末に帰省したとき、普段の会話の中で、母が「東京に一週間行ったけど、病院へ行く時間が作れんかったけん、行けんかった。そやけど、あんたそんなこと気にせんやろ?」と言った。 かつての私なら、自分が子供の頃から定めたルールに従って、「ぜーんぜん気にせん」と答えながら、心の中に黒い尖った石の欠片がバラバラと降り積もるような寂しさを抱え込んでいただろうと思う。でも、ちょっと考えて、「いやあ、寂しくて寂しくてウルウルしちゃったよ」と少し冗談めかした表現をオブラート代わりに自分の思いを伝えた。 母はそれを聞いてうろたえていた。私が眠ったと思ったのだろう。母は、行こうと思ったけれど行けなかったのだということを他の家族に一生懸命話していたのが、私には聞こえていた。 川柳の表現を教わりながら、降ってくる雨を無理矢理全て呑むような、無理をしなくてもいいんだよということを知ったように思う。敢えて呑み込まなくても、また敢えて弾かなくても、体に当たる雨粒は、そのまま、流れるままに私の体を伝って地面へ戻っていく。ただ、それだけのことだった。地面に返せばいいだけだったんだ。そんなことを最近思う。 絶望に逆らって立つ花カンナ 10年前の入院時に作った句だ。生命力が強い植物だからと、風が厳しく吹き付ける海岸やバイパスの分離帯などに植えられて、ぼろぼろに花びらを引きちぎられても、短い茎をまっすぐに立て、みっともないほどに傷んだ花びらを晒して、それでも咲いているカンナの花に自分を託した。 呑み込んだ毒を川柳で吐いてきた。十年、川柳に支えて貰った。
2004.06.26
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腰から崩れ落ちそうだったよ。内科外来でH先生「A1c聞きたい?(←ちょっといたずらっぽく)」私「はい(←いつものことなのに、何でそんなこと聞くの?って感じで)」H先生「ホントに?」私「はあ。(←うなずく…今月、そんなにムチャクチャ悪くはない筈だよね)」H先生「聞きたい?(←この表情は…???)」私「えぇ?(← …もしかして、思いの他悪かった? いや確かに問題児患者なんだけど、私としては何とかすべり込みセーフかなって思ってたの…甘かったのかな? かなり不安になる私。)」H先生「5.2(←あっ、マジ)」私「あぁ(←何だ、ビビッた~、5.0以下ってラインはクリアできてないけど…。ほ~)」H先生「A先生に、いつでも妊娠していい状態って伝えて(←やったじゃ~ん、って感じで。)」うーん、先生おちゃめ。でも元来すごい劣等生なので自信がないから、すっげービビッちゃったよ~先生。この会話が意味することを説明すると、この5.2って数値は、他の人にとってのクリア目標としての大変さとは桁違いに、私にとっては主治医がこんな風に[よかったね]ってことを表してくれる程にクリアするのがすご~く困難だってこと。全てを掛けてるモン、マジで!!さて、「崩れおちそう」なのはこの続き。後日、産婦人科のA先生の外来にて。私「先日のA1c、5.2だったんです。H先生(内科)がいつ妊娠してもいいって(←いつもは劣等生だけど、今日ばかりはエッヘン。)」A先生「よかったなぁ。そやけど、妊娠してなくてもずっとそれでいないといけないもんやろ(←サラッと…)」がーん。いや、確かにその通りなんだけど…、いや、その通りです。そうなんだよな、糖尿病の真実!!出産がゴールではなくて、この必死の精一杯が、本来私が「生きているだけ」に死ぬまで必要なんだったってハッと、糖尿歴15年。
2004.06.25
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カップラーメンにお湯を注いで「三分間待つのだぞ~」と待って三分後、蓋を開けると、中が空っぽだったらどうする?空っぽのカップ麺の容器を呆然と見つめるしかない…。「残念でしたー、今回はハズレ。次回を待ってね」って………、はーー。カップ麺のたった三分だって、待てば必ず欲求に応えられるという約束があるから待てるんだよね。この日で、三度目の人工受精。妊娠していると判断できるまで「三週間待つのだぞ」なのだが、多分今回もダメなんだろうな~と思う。でも、完全に可能性がゼロでもないので一応は待つ。空っぽ?…
2004.06.24
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六畳一間のアパート。住人は、一階に二人、二階に二人、総勢四人。こぢんまりとしている。ドアや郵便受けの前で顔を合わせれば、挨拶はするけれど、顔を覚えるほど頻回ではない。だから私は、誰の顔も名前も覚えていない。 先日、一階の男の子が引っ越して行った。荷物を運び出す物音や人声がして、やがて静かになった。翌日、通路に四つ並んでいるガスメーターの一つに、住人がいないことを示す札が取り付けられていて、やっぱり引っ越しだったんだなと思った。 私には、このさらりとした人間関係が心地よかった。住まいは静かな方がいい。住まいは平安な方がいい。でも、時計の針以外は何も動くもののない部屋。 ある日、食器店で、ガラスの醤油さしを見つけた。私はその器に醤油の色が似合わないと思った。透明なガラスはシンプルな釣り鐘型。側面上部に蛸の口のような小さな注ぎ口がついている。真上には小さな穴があり、そこにゴルフのティーのようなガラス棒を差し入れて栓にする。ガラス棒の上に青いガラスの玉がついていて、それが唯一の色だった。内部が洗い難いし、醤油さしとしては実用的ではない。それに、醤油の色が青いガラス玉の色を殺してしまう。何なら似合う? そうだ、メダカだ。メダカならこの器にふさわしい。私はそう思った。 醤油さしを持って、熱帯魚を売る店へメダカを買いに行った。メダカはいなかった。メダカくらいの大きさで、生き餌として売られている、一匹二十円のアカヒレという魚を買った。「こんな狭いところで飼うなんて、かわいそうですよ」と、体の向きも変えられないような水槽にアマゾンの巨大魚アロアナを飼っている店の人は言った。私は何だか可笑しかった。私は買った魚を「うちのメダカ」と呼んだ。それからは、出窓の真ん中で、小さな「うちのメダカ」が時計の針とは違う動き方で動いていた。小さな空間で、ゆっくり泳いでいた。「ただいま」。そう言いながら、私は彼を流しへ連れて行く。彼にとっては一日に一度、天地がひっくり返る時間だ。小魚を掬う網に醤油さしの口を傾ける。彼の全世界が流れ出る。彼も一緒に流され出る。彼の体は恐ろしく広い空気に曝される。人間なら、宇宙空間に放り出されたような恐怖だろうか。私は手早く試験管を洗うブラシで瓶を洗って、天辺の穴に漏斗を挿す。網を裏返して、彼を漏斗に乗せ、汲み置きしてカルキを抜いた水を彼の上から流す。スコールだ。いや洪水か。やっと出窓の定位置に穏やかな世界が再構築され、つまようじの先を耳かき状に削ったもので、天辺からエサを降らせる。 彼はそんな自分の環境をどう受け止めていたのだろう。 本を買って、彼が住める水温を調べた。小さなアパートの夏は、外出から戻ると大変暑い。彼の世界がお湯になってしまわないように、毎朝、ユニットバスの洗面台に水を張り、一滴ずつ水道の水を落とし続けた。その中に彼の全世界、醤油さしを浸す。彼は、ガラスの向こうの水へ、泳いでいきたかっただろうか。でも、そこにはカルキがいっぱい入っていたんだよ。 冬の明け方は零下になることもある。私はもらい物の林檎を包んでいた白いネットを断熱材代わりに敷いて、その上に毎晩一つずつ使い捨てカイロを置いた。彼の世界はその上だ。きっと彼は、夏は涼しく、冬はほんのり暖かいものだと思ったに違いない。 私が留守にするときは、困った。水が腐るから、多めにエサを入れておく訳にはいかない。体が小さいから、食いだめも出来ないだろう。落っことして醤油さしを割ってしまわないように、私はビニール紐でネットを作って、首からぶら下げた。なるべく揺れないように、波立たせないように、首からぶら下げた瓶を手で大事に持ちながら、私は何度も彼と飛行機に乗った。実家に帰省する行き帰りや九州の友人を訪ねたときも、彼とエサと水換えセットを持参した。 彼との別れは、帰省していた実家での朝だった。透き通っていた彼の体がしらす干しのように白くなって浮いていた。 決して恵まれた環境ではなかった中での、一年と少し。よく生きてくれたな、と思った。小さな私の部屋の、小さな彼の部屋。制約のある環境の中の、制約のある彼の世界。 彼のいなくなった醤油さしは、今も出窓の林檎ネットの上、いつもの場所にある。水が抜かれて、主の居ない醤油さしは、本当に魂が抜けたように、ただあるだけだ。 そのままにしておこう、私の心にも空室ができるまで。急がなくていい。次の入居者はまだ探していない。
2004.06.10
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生命保険に正式加入しました。 これで、万が一死んでも、会社の借金が片づけられます。私が始めた願いのために、本気で協力してくれた家族やスタッフ、地主さんに、不幸をなすりつけて逝くことは無いのだと思うと、本当にありがたい。苦しくて入院しただけ。だけど、生命保険に入れるチャンスを貰った。………。本当にありがたい。大切な人たちに、少しでも迷惑掛けずに死ねる。事業を始めて初めて知ったうれしさ。逆に言うと、愛してくれた人たちに不幸をいっぱい背負わせて万が一他界してしまったら、私が生まれて生きていたこと、存在したこと自体を呪いたくなっただろうと思う。ああ、ありがとう。
2004.06.03
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