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あしたから3月。どうも初日から天候は荒れるとの予報。と、書いたとたんにバラバラと雨の音だ。ただいま21時56分。 春嵐。このことば、そこはかとなくエロティックで、好きだ。上品な色気かというと、そうでもない。もう一歩で怪しくなりそう。では、下品かというと、そうでもない。薄汚さ、卑しさは、感じられない。やはり「そこはかとなく(なんとなく)」である。 ただね、これに世代をかさねるとニュアンスがちがってくる。少年の春嵐---青年の春嵐---壮年の春嵐---老年の春嵐。どうです? それぞれイメージがまったくちがいますでしょう? 私の2009年の句に、 春嵐や深夜寝覚めの睦みごと 青穹 老いの身に春に嵐の喩えとは さて、明日の午前中は外出仕事が入っている。雨のなかをでかけることになるのか----
Feb 28, 2018
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自作をジャンル分けすることを好まないが、他人が言うことには抗弁できない。また、他人のその言挙(ことあげ)を私が拒否したとたんに自らひとつのジャンルを形成してしまうことになろう。 こんなことを思うのは、間もなく画廊にひきわたす作品について、私の頭の中に「This work is an anti-representational art and also a symbolical art, even written the caption in the picture. 」という言葉がかけめぐっているから。これは弁解なのだろうかと、自分自身に問うているのだ。それとも「武器」なのだろうか、武者震いしながらの---。 私はこの作品について完成前から周囲の何人もの知人に語ってきた。こんなことは初めてだ。たぶん、自分自身をにっちもさっちも行かないところに追いつめているのだろう。----そして、もう完成しているのに、いまだにちょこちょこと手を入れている。いや、そうじゃない、ただキャンヴァスの縁の丸みに触れて、手ざわりなどを確認しているのだ----笑っちゃうよ、この弱い心を!
Feb 27, 2018
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一昨日、24日のこのブログ日記で、私が25年ほど昔に実際に見た大学生協書籍部や書店のあきれるほど寒々とした状況について書いた。すると、今日の毎日新聞が、「全国大学生活協同組合連合会は26日、2017年の学生生活実態調査を発表した。」として、大学生の1日の読書時間が「ゼロ」という回答が5割を越した、と伝えていた。 「ありゃりゃ!」ってなもんだが、この調査結果に驚いたわけではない。「やっぱりね、そうだろね」と思っただけだ。 今にはじまったことじゃない、たぶん25年前にはすでにその徴候があったのだ。 当時、私は、大学生の読書量のみならず、教養格差もしくは学力格差がとんでもなくひろがっているのではあるまいかと疑っていた。というのは、ある学生たちの知識がまるで中学生以下だと、言葉を失ったことがあった。しかもそのような己を「これが私の個性」と、のたまった。二の句がつげないとはこのこと。 なるほど、現代社会は、どうにでも生きていくに困りはしないだろう。金をみつけ、食い物を手にいれ、着飾る。それが、生きるっていうことじゃないの? と、かれらは言う。人間の理想を考えて何になるの、この広い世界のことをどうして知り得るの?-----あれから25年、かれらも今は50歳の手前くらいか。「そだねー」と、私は言わなかった。口をつぐんでしまったのだ。 じつは、一昨日、新宿へ向かう電車のなかで、私は別の光景も見ていた。 向かいに座っていた3人の若い男性グループ。まもなくかれらが大学生であることを知ったが、そのうちの一人が或る分厚い学術書を手にしていたのだ。新宿駅に着くころ、かれは隣の仲間にその本をあずけ、膝にかかえていたリュックサックの口をあけて、あずけていた本を受取って入れた。----ただそれだけの光景。 どこの大学かも判らなかったが、私はただやみくもに大学生の読書状況を批判して切り捨てているわけではない。5割超が一日の読書時間「ゼロ」ならば、少なくとも4割くらいは一日に少しでも本を読んでいることになる。それがマンガや雑誌でなければ、専門学部生として4年間をみっちり専門書を読んでいると、思えないわけでもあるまい。 ヘンリー・ミラーがこんなことを書いていた。「4万冊の本を読んで、はじめてたった1冊でよかったことを知った』 自分の人生に必要不可欠なただ一冊の本をみつけだせるか否かは、私にとって重要なことだと思っている。
Feb 26, 2018
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きのう自転車に乗りながら思いついた制作技法のアイデアは、一晩考えて、とりあえず引っ込めておくことにした。 というのは、その技法を一種の背景に使用しようと思ったのだが、主部の効果を減殺してしまうかもしれなかった。つまり観客が視線を彷徨わせすぎるであろう、と。その結果、主題の訴求力が弱くなるにちがいない。 ----一晩考えていたのは、私が作者としてではなく第三者の観客になって頭の中で空想の作品を鑑賞してみるということ。すると、あたらしい技法によって結果したイメージをめぐって様々な「言葉」がでてきた。それを作品の主題を厚くすることと考えるか、それとも挟雑的想念と考えるか、迷うところではあったが、今作品に関しては挟雑的想念となるであろうと判断した。 なにか小さな作品で実験を繰り返すことにしよう。
Feb 25, 2018
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午後2時ちかくになって、自転車で少しばかり遠出した。きのうは午前中は小雨、午後になって陽が差したが風はつめたかった。しかしきょうは、ペダルを踏むほどに汗ばむ。軽快な歌をくちずさみ走らせた。 と、ある私鉄駅で有料駐輪場に自転車をあずけて電車に乗り換え、新宿へ向かった。作品制作に関して思いついたことがあり、その特殊な材料を購入しておこうと思ったのだ。 DIYの専門店〈TH〉に行き、精密工具をしらべたり、さまざまな種類のテープ、また各種スプレー式塗料の仕様書を丁寧に読むなどして1時間ばかり。結局、大刷毛や金属テープや化学薬品など1万数千円分買い込んだ。それから別の店に額縁を見に行ったが、買うまでにはいたらず。〈Bカメラ〉に寄ってプリンター用のインクとフォト光沢紙を購入。 本屋にも寄った。しかし目当ての本がない。じつは先日来、その本をさがして、きょうは3軒目の本屋だった。本屋が役にたたないほど本屋が自らをぶっ壊している、と感じながら。 ----ついでだからしゃべってしまおう。 私が『湯浅泰雄全集』を企画・全論文収集・他社との出版権交渉・編集・校正・解題執筆・造本と、コンピューター・オペレーターを一人おいたほかはすべて私ひとりでやり、出版にこぎつけた当時、それはもう25年も前になるが、私は各大学の生協書籍部や大学内の一般書店に販売を依頼するために足を運んだ。そのとき、私は自分の目を疑ってしまったのだが、はっきり言おう、まともな大学書籍部は東京大学だけだった。そこは売り場面積の広さもさることながら置いてある書籍も学術書のたぐいが主で、学生たちがひっきりなしにやってきて専門書を注文していた。店員の前に注文書がつぎつぎに重ねられていた。私は自分の商談は別にして、訪ね歩いた大学の本屋の書棚の内容に寒々としていたので、東京大学でほんとうに人心地つくような感じがしたのだった。 これも言ってしまうと、『湯浅泰雄全集』販売をあきれるほど無礼な態度で拒否したのは上智大学と学習院大学の本屋。それ以外の各大学では好意的に受け入れてくれ、その場で数冊の注文書を出してくれた大学もあった。一般書店では、岩波書店がものの5分で商談成立、すぐに本棚の場所も確保してくれた。ありがたかったし、これにも内心びっくりした思い出がある。 自転車をあずけた私鉄駅からふたたびペダルを踏んで帰宅したのは午後6時。夕食後に、仕事場に入り、制作に関する思いつきをさっそく実験してみた。イメージどおりにはなり、おもしろくもあるが、さて、その効果が私の思想を観客に解明する手ずるになるかどうか。----これは一晩考えてみよう。
Feb 24, 2018
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きょうは地区民生委員の月例会議。今後1年間の全員共同分のスケジュールが出た。これが出ると、私は、自分の画業のスケジュールと合せて1年間がたちまち過ぎることを感じる。 今朝、鏡を覗いたら(あまり覗くことはないのだが)、ずいぶん白髪がふえていて、「おやおや」と思った。数年前までの、友人にはカツラじゃないかと疑われて引っ張られることもあった真っ黒な髪が、いつのまにか白髪頭だ。だからどうだということもないのだが、先を急ぐ気持にはなる。
Feb 23, 2018
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【おしらせ】 民生委員・児童委員100周年記念 『合唱コンサート』 3月19日(月) 杉並公会堂大ホール 11時〜16時 入場料無料(入・退場自由) ぜひおでかけください。おまちしています。
Feb 22, 2018
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梅がほころびかけている。木瓜(ぼけ)が満開のお宅もある。我家の木瓜はやっと小さな莟がのぞかせた。春は確実にそこまで。 午後から地域のボランティア・グループ「見守りネットワーク」が主宰する高齢者サロンを訪問。みなさんお元気な様子。お茶を飲みながら4時半までそれぞれのお話をうかがう。 3月19日の杉並公会堂での合唱コンサートに来てくださるという方もいて嬉しい。はりきって歌おう。明日は練習日である。
Feb 21, 2018
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ほぼ終日,読書。1冊読了。次の作品制作に向かって神経を尖らせ気持を高揚させていくため。勉強だ。蔵書で間に合わないので関連書を数冊購入しなければなるまい。
Feb 20, 2018
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きょうは地域の高齢者・高齢独居者を支援しているボランティア・グループから社会保険・年金に関する相談があったので、A4判150ページほどの資料集を作成。本人が適用要件をみたしているかとか、申請前に知っておくべきことなどを、簡略説明版、やや詳しい説明版、もっとも詳細に制度解説した版と、三種をファイリング。グループで所持していてもらい、水曜日には私が概略をお話しに行くことに。当人がひとりではできない煩雑な事務手続きなのだが、いきなり専門家集団に依頼して、高額の相談料を請求されないための注意喚起である。
Feb 19, 2018
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午前中から始め、全作品の文字通り最終工程となる特殊技法による仕上げ。12時間経過して、現在、出入り禁止の一室に静かに「眠らせて」いる。明日の昼頃に「御機嫌うかがい」をして状態を見る。 この作業の最中は身の回りのことをかまわずに、つまり時間との競争で絵具が飛び散ろうが構っていられず、いつも着ている物をダメにする。洗濯がきかないのだ。繊維のなかにすっかり染込んで、しかも乾くとバリバリになってしまう。きょうもズボンとフリースのジャンパーをダメにしてしまった。あらかじめ襤褸(ぼろ)を着るのだが、襤褸服がいくらあっても足りない。 何をやっているのかと思われるかもしれないが、そこは「企業秘密」。もう5年ばかり研究を重ねている技法である。
Feb 18, 2018
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三日間休養していた。ほとんど何もせず、ただボーッとしていた----というわけでもなく、気張らない小さな作品を楽しみながら描いていた。 それでもやはりボーッとのぶるいで、それだからであろうか、ふと故湯浅泰雄博士のことを思い出した。 それは、ある日、一緒に歩きながら先生が私に話してくださったこと。誰にも話したことがなかったと仰って、経済学からユング心理学の研究へ移っていかれたその経緯について。ここに書くわけにいかないが、驚くような話だった。 ----私は、今になって、私がその話を傾聴し、そのまま受け止めることのできる人間であることを、先生はよくぞ見抜いていられた、と思う。私は、自分のことを生育環境もふくめて、先生にまったく話したことがなかったのだから。ただ一度、私の視覚的な記憶力について先生を驚かしたことがあった。それは、先生の知遇を得る数年前、私は湯浅先生のお顔さへ知らなかったのだが、たまたま上智大学でお見かけした方が、後になって湯浅泰雄博士であることを知った。親しくお話をうかがうようになって、私は上智大学でおみかけしたときの先生がお召しだったスーツの色やネクタイの色や柄を記憶からよみがえらせて、「あのとき先生は---」と話したのだ。そのネクタイはまさに先生が国際学会で東南アジアへ旅行されたときに現地で買われたものだった。 学問的に大きな仕事を遺された湯浅先生が、なぜ学問上の方向転換されたか、そのことを誰かに話しておきたかった。そして、なぜか、私を選ばれた。私が口外してよいものかどうか、わからない。だから私は誰にも話さず、どこにも書かず、胸の内にしまい込んでいる。 そのことを、ふと、思い出した。----先生から頂戴した手紙をたくさん所持している。いつか時間ができたら読み直してみよう。
Feb 17, 2018
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ニューヨークへ送る差し替え作品が午後4時ちょうどに完成した。「完成してしまった!」という感じだ。予定より4日早かった。出荷予定日の1ヶ月前。 まだまだこれから乾燥を待って、全作品の特殊加工という、これがなかなか技術的に難しい仕事がまっている。それが「無事」に終了して、ほんとうの意味で全作品の完成である。最も困難が予想されるのはメインの作品、混合媒体および混合技法による「広島レクイエム」。何も「描いて」はいない作品。しかしこの作品を発表するために、全作品の差し替えをした。 いま執筆を終わったからといって気を抜くわけにはいかない。むしろ精神集中である。
Feb 14, 2018
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あいかわらず一日中仕事場にこもって執筆。夕食を早めに済ませてすぐに再び筆を執り、20時15分を過ぎたところで一休み。コーヒーを飲みながらこれを書いている。 もう2時間ばかり執筆すれば、2度目の描写が一応画面全体におよぶことになる。今夜はそこまでやってしまいたい。そうすると明日から3度目の描写に入れる。完成に向けて、描写をやり過ぎたところを抑え、いまだしのところを書き込み、色調を整え、明暗を調整する。やることはたくさんあるが、確実に終末に向かっている。そして、一旦乾燥させてから、人物の肌の色を私独自の混合絵具で整えて、完成。 もう数日だ。もう少しだ。
Feb 13, 2018
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午後から制作。微妙な描写に入ったが、調子良く進む。あるいは今週いっぱいで完成するかもしれない。 山陰地方や北陸地方に大雪予報がでている。私のところは、と、念のため気象庁の予報を見ると、一週間をとおして晴のようだ。 18日(日)は我が市の市議会議員選挙投票日。候補者の選挙カーがつぎからつぎへと来て、なんだか子供じみたことを言って去っていく。政党名を連呼しながら、しかし当然あるはずの国政との関わりを、ちゃっかりオミットしているのが凄まじい。市議会は烏合の衆と見たり。
Feb 12, 2018
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午後、3時間ほど制作。 夕食後、しばらくぶりで次弟と2時間ばかり文学にまつわる話しをした。彼がいま関心があるらしい書物を、私の蔵書から8冊貸した。 明治文豪の勉強の深さと仕事ぶりが気になるらしいので、「ひとのことなどどうでもいいから、自分の勉強をするんだね」と言ってやる。「漢文と古典文学をやらなくちゃ,前に進めない」と呟いていた。「やりなさい、やりなさい。漢文を書くのは無理でも、読むのはたいしたことはないのだから」 68歳の弟だが、歌論書など数百冊の書物を買い込んで、終末に向かってまだまだあらたに勉強しているらしい気概を兄として喜び、まるで若い学生を励ますように励ました。
Feb 11, 2018
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昨日10日、石牟礼道子氏が逝去されたという。享年90。 私は1969年の『苦海浄土 わが水俣病』を、出版後すぐに読んでいる。水俣病が当初「奇病」として表面化し、ニュース映画でも見たのは、私が中学生になったばかりのころ。石牟礼氏の御著書刊行の10年余以前。漁港の海岸道路を一匹の猫が身体統御不能状態で悶えるようによろめく姿に驚愕した。その映像は60年後の現在でも思い出す。それにつづく『苦海浄土 わが水俣病』であった。さらに翌年頃だったと記憶するが、写真家ユージン・スミス氏のルポルタージュ写真が、石牟礼氏の小説としての言葉に現実の影像として並び立つ。 中学生の私が水俣病に大変な関心を寄せたのには理由があった。当時、私の亡父は福島県の八総鉱山に勤務しており、町議会議員でもあったのだが、その八総鉱山を上流とする川の下流で鉱毒問題が発生したのである。私たち子供はその川(龍神滝の滝壺)での遊泳を禁止され、川遊びは会社と父母たちが手作りした支流の「プール」に限定された。父はこの問題処理のために奔走していた。原因は選鉱過程で排出された水が地下に浸出し、地下水を汚染、その地下水が水源から遠かったけれども年月を経て川に湧出していた。幸いにして人的被害はなく、やがて問題は解決して終焉したのであるが、しかし川水が浄化するまでには年月を要した。 そういうことが、水俣とほぼ時を同じくして私の身辺にあった。すでに社会問題に目を向ける中学生の私ではあったが、被害者の「声無きひと」の立場に身をおいて考えを深めなければならないと胸に刻んだのは、石牟礼道子氏の『苦海浄土』をひとつの機縁とする、と私は思っている。 また、偉大な作家を失ってしまった。「人間は滅びる」とは、石牟礼氏の言葉である。それにしても---- 石牟礼道子氏の御冥福をお祈りします。
Feb 10, 2018
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昨日やった最初の塗りが乾かない。 この作品の色調はほぼ単色に近いところで着地させようと考えている。なぜ乾きが遅いかというと、気温のせいもあるし、使用した白色絵具の化学的性質による。油絵具の白には化学的成分のちがいによって数種類ある。メーカーによって化学的成分は似通っていても名称が違っていることもあるが、一般的なところではシルバーホワイト(鉛白)、チタニウムホワイト、ジンクホワイト。これらはじつは性質が大変ちがうのである。 シルバーホワイトは鉛白であるから、油との乾燥性に優れ、乾燥後は艶のあるガッシリした画肌となる。ピーチブラックや同じ性質のヴァンブラックとの混色は美しいグレーをつくりだすのであるが、しかし、硫化系の絵具(カドミウムレッドや、カドミウムイエロー、ウルトラマリン、バーミリオン等)を変色し黒化してしまう。毒性を有するので注意が必要。 クレムニッツホワイトやフレークホワイトも鉛白を原料としているが、クレムニッツホワイトは媒材を使わずポッピーオイルで練り上げている。フレークホワイトは鉛白に少量の酸化亜鉛を混合してポピーオイルで練っている。製品としては、いずれも地塗り用に使われ、亀裂を起こさないように研究されて販売されている。(ただし、社名は伏せるが、某社のアンダーペインティング・ホワイトは、私の実験では10年を経過すると目もあてられない亀裂が生じる。もしかすると酸化亜鉛(ジンクホワイト)を多量に混合しているのかもしれない。) チタニウムホワイトはその名のとおり酸化チタンを原料としている。白色油絵具のなかで最も被覆力がある。しかもどんな色と混色してもほとんど不変。もちろん硫化作用もない。人体にも無害。いいことずくめのようだが、長所があれば欠点もあるのが「自然」というもの。乾燥が非常に遅いのである。しかも乾燥後に白亜化する。つまり艶退けして白墨(チョーク)状になる可能性があり(チョーキングという)、また油絵具として粘りに欠け、ゆるい。チタニウムホワイトだけでは固着力に欠けるのである。この白を単独で使用せず、白色絵具だと次に述べるジンクホワイトと混合するとか、いわば体力がある絵具と混合するのがのぞましい。 ジンクホワイトは絵画材料史のなかで19世紀半ば以降に登場する工業製品である。化学成分は酸化亜鉛。硫化系絵具との混合が可能であり、いわゆる煤煙や空気中の硫化ガスにも安定している。ただし被覆力が弱く固着力も弱い。乾燥後の画肌はやや軟質。この白の上に塗った色絵具の艶退け(チョーキング)を起こす。また、溶き油にリンシードを使い過ぎると経年で黄変する可能性がある。長所は、硫化系絵具と化学変化をおこさないというほかに、原料の酸化亜鉛を膠水で練り上げたものはキャンヴァス上に堅牢な下地をつくるのである。市販されているキャンヴァスはすでに下地塗りがされているが、酸化亜鉛と膠水の混合を塗ってあると考えられる。 さて、白色油絵具についていささかの蘊蓄を書いたけれど、私が制作している作品の第1回の塗りの乾燥が遅いのは、じつはチタニウムホワイトとジンクホワイトを混合した白を塗っているからなのだ。まったく化学的物性理論のとおりの状態で、こればかりは、私がいくら気合いを入れて「乾け!」と言ってもダメである。しかたがないので予定外の小品を描き始めた。
Feb 9, 2018
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午前中にエージェントから電話があり、風邪などひいていないか元気でいるか、と聞いてきた。作品の引渡しが1ヶ月余に迫ってきたので,様子伺いというところだろう。すべて完成していると言うと、安心したらしいが、いまから1点だけ差し替えるというと、やや当惑したような気配が電話の向こうから伝わってきた。 「今回、どうしてもやっておきたいので、いまから描きます。それが完成したら全部いっしょに引き渡しますから、よろしく」 「今後、そのスタイルで行くということでしょうか、それともこれまでのスタイルに新しいスタイルが加わるということでしょうか---?」 当然の疑問ではあろう。しかし私自身がそこは決めかねている。ただ、「いまやらなければ!」の思いだけが、私をつき動かしている。どんな作品を描こうと、どのみち私自身を出ることはできない。すべてが、私だ。 「よろしくお願いします。社長によろしくお伝えください」と私はいった。 というわけで、その後、新作にとりかかる。 2週間くらいで仕上げてしまいたい。そして残り1週間、2月末までに全作品の最終チェックと、特殊技法による「加工」をする段取り。 OK ?(自分に) OK(自分で)
Feb 8, 2018
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地塗りしたキャンヴァスがまだ乾燥しないので、きょうは終日、読書。 ここ数年間、断続的にではあるが或る作家の著作を集中して読んできた。単行本で41冊。きょう読み始めたのが42冊目になる。現在私が制作を進めている作品を発表するについて、励まされる気持だ。茫漠とした原野にたたずんでいるかのような孤独を感じながら、しかしこの人の著作を読むことによって知らず知らずのうちにも、意志するエネルギーをたくわえた。そして、今、72歳の私をつき動かす遠くからの励ましの声として聴く。近づいている死との競争だとしても。
Feb 7, 2018
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猫達の食糧を買うついでに、しばらくぶりに自転車で遠出した。 上空の空気が澄んでいたのであろう、雲のかたちがくっきりして、絵描きの私が言うのもヘンだが、「絵に描いた」ようだった。----と、書いて、あっと思い出した。 寺田寅彦の東京大学の物理実験室に,ある日、同僚の気象学のF博士がやってきての雑談。F博士のところへ取材に来た女性記者が、さかんに「雲の美しさ、雲の美しさ」を連発するのに辟易したので、「雲の美しさについては寺田先生に聞いてくれ」と彼女を追い払った、と。----このエピソードは、じつは寺田寅彦の研究がきわめて多岐にわたり、人が思いつかないような自然現象の物理学的な追求にあったことを我々読者に知らしめるのであるが、まあ、この際それは措いておこう。自転車を走らせ、歌をくちずさみながら、女性記者のように「雲の美しさ」を気にとめていた私自身がおかしかった。 帰宅したときはもう午後5時になっていた。新作のためのキャンヴァスに地塗りをし、それだけで今日の仕事は終了。
Feb 6, 2018
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連日して作品完成。なんと調子の良い。われながら感心。 ごほうびは大きなシュークリム二つ。弟からの差し入れだ。二つは多いかなと思ったが、ええい、完成祝だ!と、パクパク。 作品が出来上がっていくのは日常的なことなのだから、大騒ぎする必要もなければ、まして完成祝などオコがましい。要するに甘いお菓子を二つ食べる口実である。ハハハハ。 さて、明日からは次の新作の準備だ。頭を休めず、精神と肉体のエンジンを噴かしつづければ、作品はつぎつぎに生まれていく。ヘンな人生だ。----まあ、しょうがあんめ(しかたがないでしょう)。
Feb 5, 2018
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現在,20時35分。まだ執筆の最中である。差し替えのためお蔵入りにする作品ではあるが、あるいは明日にでも完成してしまうかもしれない。これはこれで面白い作品になりそうだ。下絵の段階での構想の複雑さを、描きながら簡略化したのだが、それが良かったかもしれない。 これからもう少し、9時半まで描くことにする。それで今日の制作は終了だ。休む。
Feb 4, 2018
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あらら、完成しちゃった! 昨日、この日の執筆を終了したあとで、21時頃になってまだエネルギーが余っていたので再び執筆を開始し、結局0時半まで描いていた。今日も雑用をすませ、昼食も摂って、午後1時半からつづきを描き始めた。どんどん進んで、午後5時、あらら、完成しちゃった! なのである。 数日寝かせているうちに少しばかり補筆するかもしれないが、2月半ば完成予定が2週間も早まった。平行して制作している作品があるけれど、こちらもおそらく1週間後には完成するだろう。 と、ここまで調子良く運んだところで、じつは今朝、新たなイメージが出てきて下絵をつくったのだ。新しい方に気持が動いてしまうのか、予定外のこの作品も完成させて作品の入れ替えをしたくなった。つまり、1週間後には完成するであろう作品はお蔵入りにしてしまおうというわけだ。 惜しいには惜しい。なぜ差し替えようと考えたかといえば、間もなく出来る作品は全作品のなかでただ1点キャンバスが横長だ。どうも会場の展示構成としては縦長作品でそろえた方が美しい。そう考えた。 しかし、展示構成は画廊に完全に任せている。以前、私が構成を書面で指示したことがあったのだが、まったく無視してしまった。何を考えているんだか、と私は思ったが、私の力の無さだと考えて腹に収めた。----そういうわけだから、難しくなるであろう構成よりは、はじめから、そうならざるをえない作品群としておこうと考えた。 展覧会プランがスタートする前に、できれば横長作品がほしいと言われることもある。その場合は最初からそのように構想する。しかし、たいていの場合---私に限って言えば----頭に浮かんでくるイメージによってキャンヴァスが縦であったり横であったりするわけで、横長のキャンヴァスを用意してそこにイメージを詰め込んでいるわけではない。もっとも、私はイラストレーターでもある。商業美術作品というものは、依頼主や総合ディレクターから絵を依頼される段階でフォーマットが決められている。したがってわたしは、横長といわれればそのようにイメージを構成するし、縦長と言われればそれに応じる。それは何の苦もない。 私の絵は、具象的ではあるが写生画ではない。頭の中では一番初めは完全に抽象的な世界なのだ。それが具象的なイメージになるまでの過程を言い表すことは大変難しいが、フォーマットなんてたいした気にはならないのである。 ああ、駄弁を弄した。予定より早く完成した分、新しい構想でもう1点差し替え用の作品が描けるだろう。
Feb 3, 2018
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東京は、先日の雪以来10日経って、また降った。積雪は5cm程度ながら、今朝も雪掻きから一日の仕事が始まった。 昔、美術館に改装できはすまいかと思って、蔵のある家を探したことがある。北国に良い物件がみつかったと不動産会社がたくさんの写真を送ってきた。なるほど手が届かない価格でもない農村のなかの古屋敷だった。いろいろ夢想しながら、ふと思い出したのはそれ以前に別の不動産屋が言ったこと。「雪国は年をとってから大変ですよ。特に雪知らずの東京の人が中年過ぎてから移住すると---」 若い不動産屋だったが、随分率直な意見だった。雪国の人たちにはまことに申し訳ない言い分だが、実際、不動産屋の言うとおりだろうと思った。蔵付の古屋敷の写真を見ながら、この夢想の実現はやめることにしたのであった。 ----今朝、雪掻きをしながら、そのことを思い出した。まだ老骨に鞭打つというほどでもなかったが、たかが5cmの積雪に「やれやれ」と思うようでは、とても雪国に住めるはずはなかったと苦笑した。 雪掻きをしたからではないが、午前中は制作にとりかかる気分にどうにもなれず、昼食後にようやく執筆を開始した。はじめてしまえば筆は進み、5時間ばかりやった。
Feb 2, 2018
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今日はほぼ半日、民生委員の専門部会のうちの児童部会の研究会議。 民生委員はひろく一般の相談相手になったり独居高齢者の見守りのほかに、いくつかの専門に分かれて3年間を一括りとして問題を掘り下げ研究している。そのいわば勉強会で学んだことを「技術(スキル)」として、日常の福祉活動において役立てているわけである。私は前期3年間は高齢者部会に属していたが、今期3年間は児童部会に席を置いている。 今(---おそらく昔から---)、子供たちは複雑な社会のなかで、そのなかで苦しんでいる親のもとで、あるいは他人がなかなか理解が難しい見えざる深い心身の問題をかかえながら、文字通り生きることの困難さのなかにいる。それは、私たち民生委員が研究すればするほど、決して少なくはない事例なのである。しかも、子供問題というのはきわめてデリケートな外皮をまとっている。民生委員は単独で事に当たることはなく、かならず資格をもった専門家とともに、むしろ専門家のサポーターとなるように心がけているのであるが、子供という「声無きひと」の苦しみに寄り添いたい、救いたい、という念いは、問題を研究すればするほど深くなる。しかし簡単なことでは無い。むしろ非常に困難だ。しかし救わなければ意味が無い。カラサワギになってしまうかもしれない。 私は自分の福祉活動によって「むくわれたい」とは全然思わないけれども、遠くからでさえ寄り添えないと断念しなければならない事態は、実のところ相当シンドイのである。
Feb 1, 2018
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