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limousine love storyそれも今に分かるであろう、こう思い直して約束の出現の時を熱心に待っていた。そして車両は湾岸公園前の道路を占領するように滑り込んできた。リムジン―――。それはやはり自意識過剰な乗り物なのかも知れない。お金持ちの自尊心は名誉のために寄付をするものの、釈明の材料には事欠かないが、社会は七人の敵、常にあの手この手で現代最高の人生を生きていることの、取扱説明書が必要になる。そう、同時に自尊心はエグゼクティヴな貫禄、威圧感、カリスマ性などを求める。そして、女たちに一目で社会的成功の凄味を見せなくてはいけない。インドの王子は御者の操る象の背に小型ペントハウスを設置し、十八世紀のヨーロッパでは車輪のついた乗り物を飾り立て、豪華絢爛さを無我夢中で競い合った。スケールは違っても、コンセプトはそれほど大きく変わらない。馬車本体はロココ調、召使を両脇、御者に鞭をふらせ、前後にまた騎馬従者をつけた。そしてわたしは―――漆黒の大型リムジンという実用性を無視した、それこそレッドカーペットの上を歩く女優の、巻き戻し映像のような場所に辿り着いた。長さ数メートル、ハンドルを握るのはもちろんお抱え運転手。日和見主義者なら失神する。彼はこんなのは大したことないよ、世界最長の車は全長約三一メートル、プールからヘリポートまでついているんだよと教えてくれる。そして次の言葉は決まっている。いずれそれも僕は手に入れるけどね、そしてスウィートな甘い言葉、君がいる限り。口をぽかんと開けないように気をつけながら、それでも照れる、羞恥む、金持ちって甘やかされて育っていると思ってきた。「いかに生きるかということ」によって、それが『何であるかということ』をあらわにする。“即決果断”に・・・・・・。その正反対の人物と運良く仕事をしてきた、処理能力、識見、立案能力、そしてチームを支える若き指揮官、これが巨大な組織を、有象無象の集団を動かす人物なのだ。その才能や性格を正しく把握した、と思ってきた。ハーレクインロマンスではない。けれど、鈍感だった、慄然とした、皮肉だった、わたしは彼に見初められ、心の何処かでは遊びだろうと思っているのに・・・・・・。―――どれが、本当のあなたなの?わたしは彼の後に次いで、鉄面皮につとめながら、歌うことをしない、泉のような感情の流露をしない、瞬かない、宿命的な業務範囲と思い込みながら、リムジンに乗りこんだ。衛星の裏側が見えて来る。彼に問いたい、何故スマホがあるのに、自動車電話が存在するのだろ―――う。それは神殿の柱のようなものなのかも知れない。儀式なのだ。革張りのシートに滑り込んで端に寄ると、さてまた、怠惰の正当化のような対空迎撃システムが作動する。窓がウィーンと自動開閉する音がし、ドアのカチッと閉まる音がすれば、見事に烈気の甲冑である。彼は配慮の行き届いたリムジンであることを強調するように、アイス・バケット、シャンパン、ミネラルウォーターなどの飲み物が、各種用意され、グラスやカップホルダーがある小さなバー設備。グラスの中で氷がカチンとぶつかる音がし、手元によく氷入りのオレンジジュースが滑り込む。エグゼクティヴ。証券スキャンダルの渦中の人物、政界の重鎮などを垣間見せる非日常感が―――そこにはある。最初に会った時の彼は生き急いでいるように見え―――た。彼の表情、口調、視線、さらに肩をそびやかす態度にいたるまで、そしてわたしに対する非好意的な雰囲気まで気流となって立ち昇っていた。ずっと嫌われていると思っていたが、表面的な礼儀を完璧に順守していた。だのに、彼は時と空間のヴェールを透かすように、優しい瞳、リラックスした表情をしていて、弱気なわたしを困惑させる。生理的身体より、心理的調整、社会的訓練、物理的機械のすべてを人間的機能は包含するところの、“人間的な問い掛け”が邪魔をする。沈潜的傾向をもつと共に、孤独、限界、遊離、無為・・・・・・。どぎまぎしながら、歯痛のように、不快で危険な感覚を伴っていることに気付いている。眼がきちがいじみてぎろぎろと大きいし、眉だって蝙蝠みたいだ、鼻だって不格好だ、その上、職業から沁み込んだ疲労の影もある。臆病なの―――だ。彼に惹かれているのを認められず、そして彼に裏切られ、傷つけられるのに怯えてい―――る。踏切で立ち往生するリムジンに、一万トンの貨物列車が、突っ込む瞬間をとらえた衝撃映像をふっと思い出す。狭い空間に籠った強烈な香水や、アフターシェーブローションの匂いがした。そこからぼんやり浮き出たようにシャワーシーンが流れ、香料や石鹸の薫りに包まれるのを想像した。座席と運転席とを分割するスモークフィルムを張った仕切りは、社会を支える企業家たちの過酷な世界の秘密を垣間見せる。二台のテレビや、DVDがあるし、壁には向きを自在に動かせる緑のLEDの可動式照明が取り付けてあって、淡い色をしたわたしのドレスを落ち着いたエメラルドグリーンに染めている。社交界、それは誰にも気づかれないで行かなくてはいけない、固体地殻を有する天体のようなことを彼は言う。雑踏や交差点など以ての外、ボルテージをこうして上げていくのだ、と彼は熱弁する。そして彼は一瞬わたしの心を見透かすような興味の視線をやり、地位や権力は決意と価値判断の賜物だ、それは一定の刺激を与えてくれる、けれど、時には無人の恒星系に固有名詞が与えられないようなことに、自分の運命を見出したりする。そしてそれは―――次の瞬間、肩へと回された甘美な手となり、引き寄せられた逞しい胸板の中で、酸素ではなく窒素が主成分であることを再認識する。人を信じることは難しい、だけれど、信じて欲しいと思う、おのれみずから整えられ型づくられるところの、この生命がみずからの上にその形式と型態の原理を保持し、しかもみずからそれを意識する場所で、それを、美と名付けよう・・・・・・。かたく閉ざされて錆びついている思考経路を辿って、重要な中枢へと想像力の欠如をしたままアクセスすることはできない。きっとそうだろ―――う。言葉が止んでもまだ流れるように表情が動く、優雅に。わたしは心の奥の奥まで見通すように大きく眼を開けて、見張って、それでも黙り続けていた。貧しい家庭だった、見切り品の水着や、バザーの服、奨学金で大学へ行き、業績が右肩上がりの会社へ就職した、あの時のわたしは、こんなことを一度だって望んだことはなかっ―――た。でも彼の孤独の深さはわたしとよく似ていた。でも僕は同情だっていい、心の中にはいくつもの穴が空いている、長く忌避してきた、女は空っぽで、我儘で、嘘をつく生き物だと思ってきた。父の影響もある。厳しい人だった。会社を継いだ時、死に物狂いで何百倍にも大きくした。集団と組織と生産と技術。けれど、人はそんな合理的な生き物ではない。君という夜に誘われる妖しさを伴った、艶。「・・・・・・その美は、どんな仕事もこなす有能な姿にもあり、自動販売機前のベンチで、コーヒーを飲んでいる姿にもある。礼儀正しく挨拶する姿にもある、こんなに惹かれた人は他に一人もいな―――い・・」サウンドシステムのつまみを彼がいじると、音楽が大音量でかかって、クッション性のあるシートを通じて、ベース音がドスドス伝わってくる。それは彼の動揺であり、照れ隠しであった。きらきら光る、しずまりかけた波の上のたわむれだった。傍らには、いつのまにかきちんとアイロンのかかった新聞が用意され、その上に、小さな箱が手品のように置かれていた。開けてみておくれ、と言った。開けてみると、それはわたしのドレスに合わせた、ティファニーの緑柱石であしらわれた豪華な指輪だった。こんなの受け取れないと拒否する前に頬にキスをされ、嬉しさと困惑と散文的な現実の三重奏で頭に血がのぼっている隙に、サッと薬指にプロの掏摸のように鮮やかにおさめてしまった。不逞なほど強靭な表情が子供っぽくなるのが見えた。恋はロマンティックであるべきだという―――が、愛というものは、それであると信じさせるために、何百倍、何千倍にも、ロマンティックであるべきなの―――だ。すごいことに、ビートに合わせて照明がピカピカ光り、車内がわたし達だけのミラーボール・パーティーへ変身する。彼は愉快そうに笑った。こんな企画を盛り沢山の乗り物で、行動を解析した方程式通りに、辺境なる宇宙へ向かうことになるなんて、まったく思いもよらなかった。記憶が正しければ、格安お試しコースなどがあったはずだが、もちろんこのリムジンは、六六〇〇万円スタート。エグゼグティヴ、それは病める、狂える、壊れる魂を鎮める、ありえないほどの無駄遣い。でも今頃多くの人が愚痴や泣き言や馬鹿話に興じている。不謹慎だからこそ救われるというのがこの社会というゲーム。十八歳、わたしは凡庸の従属物だった。そして二十三歳、わたしは藁しべに、火を点けられた、愚か者の仲間入り。神ゲームにも糞ゲームにもなる天秤は、プライヴェートジェット、百万ドルの夜景を独り占めにしなくては手に入れられない、ということはないのだろうけれど・・・・・・。不毛と威嚇にみちた夜の荒野から逃亡するには、持って来いなのかも知れない。サンルーフの周りの鏡張りの天井をわたしは見た。彼は親指を立てて笑った。わたしは立ち上がってサンルーフを開けて身を乗り出し、彼が下半身をやさしく包んでくれていた。沈黙の磁場を身辺にはりめぐらせながら、冷たい夜風を顔に受けると乗り込んだ時とは違って、不思議なほど心が晴れてゆくのが感じられた。意識が飛びそうになるほどの気持ち良さを生み出し、星をちりばめた広漠たる夜の景色も白い傷跡になる場所で、永遠の愛について考えるという少女みたいなことを考えた。光も音も言葉もその技術の領域も拡大する都市で、世にも珍しい麻酔薬がリムジンのサンルーフにある。コペルニクス的転回の方向に沿うところの遠き延長で、数学的合理性の根拠や、小宇宙的人間を大宇宙的秩序にまで結びつける結紐が、決定したり確定したりしながら、世界構成の根源である主観を自我としたスクリーンの中の、無数の線になる。愛は、いつも眼が「見ること」を、そして耳が「聴くこと」を、口がそれでも「言うこと」を、また舌が「味わうこと」を、そこで鼻が「匂うこと」を、いま皮膚が「触れること」を、どんな時でも手が「つくること」を教えてくれた。ちらと決心がひらめき、瞳に影像を落としながら笑うと、ばねを弾いたように見開かれ、思いがけないことに彼も立ち上がってにこりと笑い合った、じっと見つめるだけでこっちの考えが頭の中に走り去るのが感じられた、世界が隠れてしまうと、もうわたしと彼以外見えな―――い。美は、微かに潤んでいる、ファインダーの向こう側にあり、貪婪なまでの暗い光を湛えてとじられてゆく瞳は、意味の強すぎて放射されて分裂させてしまう永遠の在り処を、一言も口もきけない理由の中に見出す。世界は暗い、暗いゆえに心深くまで穿ち通すことができる、この都市の空しい騒音にも、悲しい怒りに満ちた夜の中にも・・・・・・。
2024年09月30日

Harpuiaハルピュイア(ハーピー)はギリシア神話に登場する怪物だ。ハルピュイアは、ガイアとポントスの子タウマースと、オーケアノスの娘エーレクトラーの娘で、虹の女神イーリスの姉妹。この熱情の底に漲っている、涯もない寂寥の美しさが、山の誘惑として、時間の懸隔なく深くわが胸底に浸しみ入りて常に親密なる囁きを伝える、木霊、おいで、遠くなる、ガス・ステーションの自動販売機、湯煙のする宿、それが今も僕の中に響き渡ってやまな―――いね・・。高原に夜は来た。そして僕は確かにその魁夷なる異形を見た。(あとで、ここ、カットしてね、ちょっとカッコつけたかったんだ、わかるだろ?)マジンガーZって大きな声で叫んでみたいんだ。あ、ここも、カットしてね。神話によってはアエロ(疾風)、オキュペテ(速く飛ぶ者)の二姉妹とも、ケライノー(黒い雲)を加えた三姉妹とも、さらにポダルゲー(足の速い者)を入れた四姉妹とする場合もある。花にたずねても花自身にもそれはわからない、風だ。ハルピュイアは、様々なところで登場し、実体が中々掴めない。本来のモデルは尾白鷲で、次に禿鷹へと変化しているのを除いて、おおむね、顔から胸までが人間で、翼と下半身が鳥と描写される。ただ、鳥人間の場合もあり、つまり翼の生えているだけの普通の人間。氷が張り詰めたような沈黙が走り、この歴史のつぶやきと、嘆きの息、鳥が何故飛べるのか、という鶸のようなやわらかい言葉を、大人なら当然指摘するべき至極真っ当な美学―――を・・・・・・。握りつぶした(?)もういいじゃないッスカ、そんなのドウでもって言った、会社の若い子を見習いたい(?)さあ、月は林の葉叢の豊かな髪に巻き込まれていくようだぜ、こぼれ落ちた銀貨みたいに見えて来る、あやしき明滅・・・。(あとで、ここ、カットしてね、ちょっとカッコつけたかったんだ、わかるだろ?)どうしてその姿で飛べるのかは永遠の謎であるし、考えるな、感じろ、としか言えない。心の底から垂涎した、空を見ながら煙草を喫っていたら、バサバサと素早く風切り音を刹那に立てて、「止まる」「動かす」という生物の基本中の基本の動作が、生きとし生けるものすべての中でおそらく一番上手い鳥が、すぐに見えなくなった一幕を思い出す。可愛けりゃそれでいいじゃんって言えるようになりたい、過去の冥福をお祈り申し上げまするってふざけられるようになりたい、僕等もオトナ、そろそろ時局を考慮しなくちゃね(?)頭の中で『しかのこのこのここしたんたん』の歌が流れるんだよ、ガール・ミーツ・シカ(?)奥さんがね、スマホで町に現れた鹿の動画を送ってくれたんだよ、鹿だ、って言った。だから何だって?何にもないよ、ぶっ飛ばすぞ、こら(?)ふう、キレ芸も中々大変でござりまシュるな。さて、一説にはオリュンポス神族が登場する前から、存在していた女神とされ、やがてゼウスへ仕え、やがて冥界の神ハーデスに仕え、その住処をぐらりと傾きそうな彼岸花咲いてそうな墓地や、黄泉の国、死者の国の地続きのありそうな地下へと変えた。当時のハルピュイアはとても美しい髪をしていて、幼い顔は不器用にそのなかへと潜り込み、金色の羊毛のような感情の余韻を世界中に散らしていた。そして風とも鳥とも素晴らしい沈黙の緑色の蜜月をむすんでいた、と。神経を直接揺さぶってくる甘ったるいアイスクリーム声と、あまりにもコテコテで可愛すぎる少女っぽさの不自然なまでの同居。このいびつさが、いずれ、「暗黒の女」の異名を取るようになる。不潔で、貪欲で、忌避すべき、青蠅の蛆のわいたような邪悪な姿へと変貌する、奈落の底を塒として。ローマの詩人ウェルギリウスの叙事詩「アエネイス」によれば、処 女の顔をした鳥であり、爪は曲がって鉤となり、いつも飢えていて青白い顔をしているとされる。また死ぬことがない。頭の中の酸素がなくなるような悪臭を放ち、終始耳障りな金切り声の銅鑼を鳴らし、人語を介さず、眼にするものすべてをブラックホールのように呑み込み、その向こうに気配のような翳がわらわらと通り過ぎる。悪夢だ。糞をまき散らして辺りを汚し回っていた、と。満たされることのない空腹を抱えて、宴という宴を荒らし回る。浮浪者とやくざと熊を組み合わせたような存在。それは日本でいうところの鴉で、外国でいうところの梟かも知れない。「あの夏の君はもういない―――んだね・・・」と言ったのは僕じゃなく、サザンのバラードのせい。いやあ、ちょっと聴いてたんっすよ、これのこれもんでね。『逢いたくなった時に君はここにいない』とかにしびれくらげ、からの、アパレル販売(?)あと、ちょっと気取った感じのお馬鹿な歌詞なのに、そこが何かハマってくるところの、『CHRISTMAS TIME FOREVER』ね。何か涙がちょちょキレるわー、いやー、涙一滴も流れないんっスけど、こういうのがサザンなんだよね。俳句の話だけど、日本の季語に「ユーミン」とか「サザン」とか、「山下達郎」それから「稲川淳二師匠」もね。何で一人だけ師匠つけてるんだって、ホラーとかやっている界隈の事情よ、師匠つけないとまずい人はいるっしょや、何で北海道弁だって、なんくるないさー(?)言葉って近頃乱れてるよ、サザンのようにね、でもそこが好き(?)死体を解剖し人肉を食べたり臓器を売買したりしながら、ダーク過ぎるスローライフが送れる問題作「Graveyard Keeper」を、何故かふっと思い出した。彼女はローマ人によって怪鳥へ貶められたにもかかわらず、その不可思議な姿からしばしば紋章のモチーフとなる。中世には処女宮(乙女座)のエンブレムとなり、また、ダンテの「神曲」では、貪欲に人を襲う不幸と絶望のシンボルとして、自殺した人々の魂を貪り食う存在となる。沈黙の重みにぶるりと戦慄する。キリスト教会では、七つの大罪のうち「貪欲」を、描写するものとして用いられることもある。ところで、ファンタジー作品では敵側の怪物としての登場が多い。しかし近年の日本のファンタジー作品では、他の女性型クリーチャーの例にもれず、萌えキャラ化されて登場する。個人的な見解では、宇宙へと飛び出す時代において、宇宙人との遭遇を広く予感させる意味合いで、モンスターが人気なのかなと思っている。たんに女体に飽きたか、ゲテモノに救いを見出す心理かも知れない。元が有名なモンスターであるためメタルフィギュアはそれなりに作られ、D&D公式メタルフィギュアとしてはラルパーサ社の三体セット、またD&Dミニチュアゲームでは第二弾で立体化されている。ただし美形で造られているフィギュアはほとんど無い。全然関係ないけど、フィギュア業界でもやっぱり美少女フィギュアが、上位に入っているみたい。エヴァンゲリオンとかガンダムが可愛く見えるよね、変な話だけどさ。変な話ついでに述べるとさ、オタクだからモテないってことはないんだよ、だからさっさと結婚しちまえばいいんだよ。絶対出来るよ、ちゃんと働いて、清潔にして、人間なら。ただし、相手に顔とかスタイルとか性格とか求めるな、逃げるなよ、お前。お前がそれに匹敵するようなもの持ってるなら勝手に近付いてくるわ、それはそういうもんよ、引き寄せってそういうもんだわ、でも―――いまでも思うけど、結婚しようとか面と向かって言えないので、LINEで送ったのはちょっといまでも思うところはある、後悔は個人的な主義で、しないけど、まあ、そんなもんよ。一人で孤独死するのが怖くなる人もいるみたいだけど、そんなのは別にどうだっていいよ。好き勝手なことをやってひどい死に方をする、いいじゃねえかって思う、けど、一生に一度ぐらい結婚できるチャンスがあったら、誰だって立候補するんじゃないかなって思う。色んな女がいるし、色んな男がいる。もう、恋人が同性でも驚かない時代さ、むしろ普通にたずねても許される時代だ、ニューハーフなんか尊敬してるしね、俺もたまに思うよ、もっと素直に色んなことを話そうってね。ズゴーン、とね。いっておくけど、さっきの前振りだから?は? 何言ってんの、気持ち悪いんだよ、お前殺すぞ(?)さて、萌えヴァージョンで股間が進撃の巨人する、夜の紳士のために一言いわせていただければ、このモンスター娘めは、童顔で、ヒッヒッヒ、鳥頭で頭が悪くすぐに忘れるので、手籠めし放題の、中 出しし放題、これこそ、肉 便器ですよ。詩の世界ではじめて登場した、イエー、に・く・べ・ん・き。ビデオ屋の18禁コーナーに間違って陳列されててもおかしくない、間違った世界を正すべき本当に熟した桃の甘い芳香を漂わせて、さあ、エロスの夜へ飛び出せキックオフ、どぴゅどぴゅいこうぜ、脳を刺激する、空想のフィンガアァで、発車・・・んもう、発射!(?)『幽☆遊☆白書』と『鋼の錬金術師』の最終話思い出すよ、あの夏だったね、ひとりでにアンバランスな月で脳がバグりだす。ちょっと待て、おい、何の関係がって? あのね、そこを飛び越えていくんだよ、それが修羅の道。三蔵法師も歩いた道。何かって、それはシルクロード、お願いだから僕の名前これ以上出さないでね(?)そこしか表現するところがないという大人の事情を垣間見つつ、開放的に胸をさらしているのでいつもHな雰囲気が満点で、生まれてくるのは子供じゃなく何故か卵なので、目玉焼きにしてやりましょう、あと、鳥は砂遊びと水遊びが好きなので、開放的なセクロスが、見物ですね。ってお前、俺に何書かせてるんだ。
2024年09月29日

動物の変化「動物は夢を見るか?」という問い掛けは、「動物にも人間の適正があるか?」ということで、脳の大きさ、皺や重さだけで知性を語ることはできないわけだが、こと動物ともなれば、明らかに違うと考えがちだ。けれども科学的な見解で少しずつ人間と動物の違いはなくなっている。あるいは人間が王様の物語がそろそろフィニッシュライン、霊長類エンドコールで持って迎えたい。ゴキブリは瞬間的にIQ340にも達するというが、犬や猫のジョン・フォン・ノイマンというのは確実にいるはずだ。もちろん、手足の器用さは違うし、喋れない。もちろん、動物は人間にはなれない。だが、先入観ないしは固定観念に支配されているだけで、鯨や海豚もそうだし、犬や猫の中にも人知れず別の考えを持ちながら生きているかも知れない。SFにおける動物の人間化というのはそういう感情を代弁している。犬を飼っていた僕は、時折見せる人間よりも人間らしい瞬間を見たりもした。蛸の知性は未知数だし、魚だって鏡で自分を認識できる。豚は記憶力がよく、鴉は問題解決能力に優れ、人の顔を忘れない。感情移入や擬人化による思い込みとは、もちろん無縁で、都合のよい資料や解釈ではない、きちんとした仮説検証の結果に基づいて生まれている話だ。ちなみに人間の言葉を話すハスキー犬や、寝言がやたらと酔っ払ったオヤジなだめだめーな犬も、ただ、可愛いだけだと思います。さて、俄かには信じがたいだろうが、火を使う鳥がいる。火を使って狩りをする迷惑千万な鳥がいるのだが、たんに手足の器用さの問題や、学習指導要領がないだけで、もっと大きな変化をする生き物が生まれるかも知れない。知性の発達には、臨床実験や、マッドサイエンティストの実験など、『ムカデ人間』のテイストによる動物の身体に人間の頭部を移植するとか、遺伝子操作、あるいは動物の知性を増加させる薬などが必要だ。ここにはもしかしたら、ブリーダーの闇や、品種改良といった要素も遠因で働いているのかも知れない。そういうものはもちろん、人間都合のものだが、レッサーパンダや猫、熊などが二本足で立っている姿には、「中には何が入っているんだろうか?」と訝しく思える瞬間がある。「人間いるよな」は褒めているのだろうか、貶しているのだろうか、否、どちらでもないのかも知れないが、興味のキッカケというのには事前の現象があり、それが実行されたらと思うことには反映の現象が働いている。世界一周だって普通の人はまずやったことがない、多面的世界、広い広い宇宙であることは間違いない、もしかしたら違う次元では、この広いコスモスの何処かには、犬人間や猫人間がいるかも知れない、だって彼等は立って歩いている。見落としがちなことだけど、小さな点はいずれの日にか、惑星を見るように一目瞭然になる。フランダースの犬でこき使われているのを見て、パトラッシュの代わりに涙した心優しき人もいるかも知れないが、(ちなみに僕は中国で犬料理は食べられなかった、)労働力として社会の歯車の一部になったりする可能性はある、僕等の科学技術が進んだ状態で人間の九割以上が死に絶えた時に、それは起こりうることだ。設定によって状況を読み込みシナリオは進む。戦争の兵士としてチェスの駒になる。軍用犬はつとに有名だが、海豚なども軍事利用されている。CIAには猫の身体に盗聴器を埋め込み、スパイ活動に利用する計画があったというし、第二次世界大戦中に英国の諜報機関が鼠の死骸に、プラスチック爆弾を装填して、ドイツ軍のボイラー室に放置し、ドイツ兵が始末しようと炉の中に放り込むことを企図した兵器、「爆薬ラット」を製作したことがある。そしてこの手の話に出て来る宇宙人へと、「人間は本当に動物だったのか?」というミッシングリングへの問い掛けがある。『猿の惑星』はインパクトがあったが、実際、人間の進化にはいくつかおかしなところもあるのだ、あくまでも今現在の見解にすぎないわけだが。しかしたとえば「動物が知性化していない未来」と、「動物が知性化している未来」というのがあるとして、それに宇宙人が関わっている可能性を考えれば、僕は様々な生き物が知性化している、あるいは人間化している世界というのを―――想像する。場合によっては、多国籍社会のように、人間だけではない方が、つまり人間と同等の扱いを受ける動物人間が、様々な場面に顔を出す方が、より様々な問題を解決してくれるようになるかも知れない。世界が狭いよりも広い方がいい、でも土地勘がきかなくなる、何処に何があるのかわからなくなる、一つの小さな町だって誰がいるのかだって知らない。けれど、それを動物人間ならクッションになったり、こういう考えがありますよと解き明かせるかも知れない。グーグル先生が、個別指導のAI先生になったみたいに、一つの種族だけではなく様々な種族の視点で物を見る方が、僕にとってはより自然で、フェアな物の見方ができる気がする。こういうフラットな在り方はおそらく、人類がSFにようやく追いついてきたともいえるだろう。まさにガリレオの心境だ。「汝の発言は神を冒瀆するものであり、断じて許されない」「それでも地球は回っている」話は逸れるが、僕は動物の戦争参加には賛成だ。動物保護・愛護団体を敵に回したいのかという不敵な発言だが、意図は違う、戦争って二十四時間ライブカメラで、中継すればいいんじゃないかと思う。そんなことをしたら世の中にショッキングな映像が溢れるだろうが、そういうオープンさこそが戦争を止めるキッカケになるんじゃないか、と。動物が戦争に参加すれば色んな人に注目される。関わり合いになりたくない、政治に興味を持たない人だって、きちんとした考えを持つようになる。だって、犬や猫を戦争に狩りだせばみんな黙ってないだろう。絶対に怒る。人間ばかりが駒のように死んでゆくから戦争というものの愚かさが、深化しないんじゃないか、と考えたことがあるのだ。
2024年09月29日

殺人の動機殺人の動機は「憤怒が41.7パーセント」と最も多く、以下、「恨みの15.5パーセント」「痴情の11.9パーセント」「暴力団抗争の5.4パーセント」と続く。凶器準備の有無では、55パーセントの事件で凶器の事前準備が認められている。紐解くまでもないことだが、殺人の動機に高尚な要素、人間の美学のようなものが入り込む要素は一切ない。ミステリーにおける大量の殺人の実例を引いて、人殺しをしないネガティヴ人間の憂さ晴らしと言えば、ミステリ好きや作家は怒り出すかも知れないが、「人を殺すこと」がいまだかつて、正当な権利を持っていたことはないし、勝ち得ることもない。戦争は別だって? 戦争終わった瞬間から、夢から醒めただろ、恍惚状態の時間よりその後の方がずっと長いもの、これは鉄則。あるとすれば、それは情報規制下の、あるいは国家や宗教の、統率上の迫害や暴力というものだ。殺人の三大動機と言われているものは、「金銭トラブル」「恋愛トラブル」「普段からの恨み」だ。近年は、介護疲れなどによる介護殺人や介護心中も増えている。そういうことをわからないという人がいたら、いくらなんでも病気である。綺麗な世界を夢見過ぎ。空は青色じゃない、それだけは言っておいてやりたい。矛盾するが、この矛盾こそが、「人を殺すこと」であり、「殺人者に同情する余地を見出す理由」にもなる。たまに常識とか道徳と言うが、ニーチェも認めている、殺人は起こるだろうと堂々と述べておられる。ニーチェほどではなくともごくごく一般的な物の見方をする、大人ならば、「殺人は普通の方法法ではなくならない」ということを知っているだろう。それをして人間の動物の部分と捉えることもできるが、たんに、人間というのは複雑な生き物と説明してもよい。何故ならば、同族殺しの生き物はいれども、人間のように社会生活を営んでいく上で様々なことをする生き物である以上、何処からだってこういう禍根の種子は潜入していく。社会を病気の予備軍と捉える専門家がいるように、社会生活自体が犯罪の温床である。「ドラえもん、道具だして」「のび太くん、いいよ、はい、“じどうさつじんきかい、ジャポニカ学習帳”」「これ、すごい、デスノートのパクリなの?」「のび太くんは、馬鹿だなあ、ここに殺人の動機を書き込むだけで勝手に殺し合うんだよ、デスノートは耽美に欠けるね、ぼくなら殺し合うワルツを説くね、もっところそう、のび太くん、どら焼き、殺そう」閑話休題。ドラえもん好きです。さて、交通事故なら自動運転化、オートメーション化で、鉄則として犠牲を払いながら、賠償金を支払いながら、いつの日にかはその死亡者数を減らすことが出来るだろう。けれど「殺人」はそうはいかない。あるいはもっと複雑な手続きを必要とする。それはもっぱら、SFによる洗脳、無力化の方が話が早い。けれど、それゆえに「殺人」というのは研究の対象にもなる。世の中において、国家転覆罪とか、偽札を刷るなどの例外を除いて、まずこれ以上のことはないと思われるからだ。人を殺すのが日常となった場合、適応できるかできないかの選択を迫られる。不可能な殺人ゆえに、その動機について知りたいと思うものだ。ちなみに犯人が誰なのかを扱う、フーダニットや、密室、アリバイ物のように、犯行方法の解明が焦点となるハウダニットに対して、この動機のことをホワイダニットと呼ぶ。たんなる殺人動機ではもちろん物語にならない、「何故被害者の乳 首に洗濯バサミして、大根をあらぬところに入れてしまわれたのか」非常に難しい問題である、いま適当に作っておきました。プロファイリングの捜査官は仰られる。多分、ヘンタイなんでしょう。遺憾ですよ、本当に、あと、縛りプレイも追加しておいてもらえますか、紐じゃなくて、あの新体操でつかうやつで、あーいい感じいい感じ、神絵師すてき、ウーン、背徳的で、すこぶるつき―――(以下省略)「何故遺体の首を切断し、あまつさえ、つけもの石にしていたのか」それは多分、平井堅の『1995』のPVを見たか、外国のパン屋で、人体の頭部を再現することを思いついたらしい、店主の話を知ったかのどちらかだろう。下らないことだ、つけもの石にはやはり人間の頭部。この重さがやっぱりいいんだよね。しっくりくるよね、たまらんぜ。ただ、一番の問題は腐って来るのでたびたび人を殺さなくちゃいけないこと。名探偵コナンの殺人の動機といえば爆笑のものが多いが、どうしてその設定がないかを訝しむ。冗談はさておき、この動機探しは大抵においては謎であり、物語が真相に迫ってゆくタイミングでこの謎が明かされる。といって警察が冤罪ばかりやらしている理由が、動機による捜査だからというわけではないだろうが、社会派推理小説が事件捜査で動機を重要視する一方、証拠からの理詰めでの解決を重視するフィクションの名探偵は、時に犯行動機を度外視することもある。場合によっては動機を探っていく中で事件が解明されかねない、というリスクを減らしているのかも知れないが、大丈夫である、テレビを観て俳優から事件の謎を解き明かしたり、声優から犯人を見つけ出すのが現代のテレビ捜査官の実情である。あと、最初からわかってたよ、とか、知ってた、は愚か者の言葉である。ちなみに僕はすべての殺人事件の犯人が誰なのかを知っています。キリッ、アァーンド、ドヤァ。動機に命を賭けてくると、常識の垣根を越えて異常なる世界へ真っ逆様である。ちなみに異常な殺人の世界は精神病理の世界でもある。悪魔というのが憑依いているのか、と疑いたくなるような、躊躇いなどない驚くべき普通さで、常識が焼き切れている類で、人を殺してしまう人達が一定数存在する。ちなみに口先の場合は中二病と呼ぶ。通常はやはり、十数年に一人のような割合だろうが、世の中には模倣犯や、影響を受けた人もいる。「血が欲しかった⇒吸血鬼」であったり、「この女の服を着てみたかった⇒女装癖⇒ヘンタイ」であったり、「骨でアートを完成させたかった⇒イミフ」である。そもそも、人を殺す事自体お約束になっていて、別にすべての人と言っているわけではなく軽く考える傾向のある人が、麻薬や不倫と同じく、場合によっては踏み越えやすい、いい感じの段差になっているのかも知れない。「ミステリでシミュレーションして無事人殺しができました」とファンレターを送ってくる人もいるかも知れない。最高にいかれたファンだ。こうなってくると、サイコホラーの文脈へ一直線である。もちろん作家は仰られる。「人を殺せなんて言っていない! むしろ、お金欲しい。万札送れ、金の亡者なんだよね、本屋で本を買え、金が欲しい、編集者ころしてやるー」これが正しいミステリ作家の姿です。おー、生きる亡者。自分以外のすべての人が殺し合っていても拍手して見ていられる、というサイコパスな人も大丈夫、ミステリ好き、といえば成立する。すごい世の中だろう、アメリカでは血しぶきが出ないらしい、それはそれで大丈夫なのかと思ったのは僕だけではないだろう。
2024年09月29日

奇跡奇跡は、既知の自然法則を超えた次元で起こる不可思議な現象のことで、宗教的真理の証と見なされる、奇蹟とも記し、一般にある人物の入信・改宗の契機として示される例が多い、奇跡の逸話がもっともよくみられるのはキリスト教で、イエスが不治の病を治したりするのはその端的な例。また近代においてもルルドに湧き出た聖水や、第一次世界大戦中、ファティマに降臨した聖母マリアの話など、奇蹟譚には事欠かない。あるいは奇跡というのはまず宗教から発見された要素であり、蟻の巣のコロニーにおける女王蟻のような特別な存在がもたらす、人間が集合すると顕現する何らかの装置の一種と考えて差し支えない。人間をもっと機械的に考え、前提となるプログラムを読み取ってみよう。僕は奇跡の存在を否定はしない。何故なら、自然界の秩序や通常の物理的法則を完全に無視した何かは、存在するものだと肯定的に解釈するからだ。ただ、まずは、懐疑的な、目の上のタンコブを排斥していこう、と。しかし時間は存在しないものだという考えを呑み込んでみれば、現象を巻き戻せないという根拠はなくなる。また僕等は一つの奇跡に近しい現象が起こると、それ以上の奇跡の元となっているものを見抜こうとする眼を、失ってしまう傾向にある。イエスと盲目と揶揄的に用いてやりたい。単純にバタフライエフェクトのように小さな現象を、至り尽くした後でもまだ何か細部に潜んではいないかと考えてみよう。答えはないかも知れない。きっとそうだろう、だけど、僕のこの徹底的な態度には、奇跡という言葉に対する疑念があり、僕はスピリチュアル詐欺師列伝の存在があるからだ。暗い部屋で糸で空中に浮かんだ馬鹿を何故見抜けないのか。宇宙人と称して信者から金を騙し取っている馬鹿を何故見抜けないのか。いやいや場合によってはもしかしたら流行よろしく、底辺層を取り込むことでより馬鹿に見えるようなことかも知れない。普及できる能力を持った人は、つまり詐欺師的能力がある、と。たとえば古い聖書の記述、モーセが率いたイスラエルの民が紅海を渡った話、古代ギリシアの物語アスクレーピオスの話で、兵士が正夢を見て槍の穂先が消えた話、前者は別に海である必要はないかも知れない、湖かも知れない、場合によっては本当にとある土地のように、海が切り開かれて渡れたのかも知れない。これは優しめの言い方だが、荒唐無稽なものはまずはない。荒唐無稽なものの中にも前提となっている情報の破片はいくつか読み取れる。後者には当然そのような怪我をして、亡くなったと解釈された男を想像してみるといい。時間の歳月を無視して現れた男が帰還する、再会する、そのような風に捉えてみた時にこのような言葉が出て来る。僕は別にすべてが心理的な瑕疵とか、言葉の綾、飛躍にすぎないと論破したいわけではないが、まずはそこから考えてみるのが肝要である。最低、僕等は聖書の時代にいる愚か者達ではない。聖書や神話で何故まず世界を創造するのか考えてみたことはあるだろうか、人類の装置だ、僕等は馬鹿だからそこからしか考えられない。無というものを解き明かせたらそれは本当に神に近しいが、僕がたった一言で説明しよう、そんな者は絶対に存在しない。わからないものはわからないと認められない小賢しさが、奇跡の悪用を助長している。現代風にいえば、Google マップのストリートビューを使って、世界中の場所を当てるゲーム「GeoGuessr(ジオゲッサー)」があるが、これの名人級の人はどう考えてもインチキとしか見えない高速さである。一度、拝見して欲しい。僕は手を叩いて拍手して、滅茶苦茶笑った。だって、どう考えてもインチキにしか見えなかったからだ。けれどきっと本当なのだろうと思った、(あくまでこれはたとえ話で、その人がインチキかどうかを、暴くためのものではない、)前提には土地の記憶があり、細部の情報の記憶があり、それらをたった一瞬のうちに解析して見抜くというものだ。僕にはどう考えても出来るものではないので、それをして、奇跡ということも出来るだろう。自分の定規で物を考えるのは危険だ。世の中には常識ではうかがい知れない能力というものがある。ただ、それと同じぐらい出鱈目な話がわんさか山積していて、そこには人間の重力的な性質、それを認知した人の磁場的な性質として、僕はまず解釈する。スター効果、後光効果など様々な心理学が、集団の行動原理を支えていて、そこに何らかの精神病理が発現し、見えないものも見えるようになったり、場合によっては見えないものを見えるようにマインドコントロールされる。オウム真理教や、集団自殺の例を引くまでもないことだ。また奇跡は一種のカルチャーショックではないかと分析することもできる。たとえばアジアの宗教の世界観は西洋のものとはまったく異なっている。原因と結果の関係を流動的なものと見なしていることからして、既に西洋の奇跡の概念とは相いれないのである。儒教も道教もともに、神は自分が案出した体系から外へは出られないと考えられている。というのも、その体系の向こうには虚無しかないからである。仏教はチベットでラマ僧もしくは僧侶たちの導きによってその極点に達している。ラマ僧とは、来世のことを語りすべての自然の根底にある、無限の精神エネルギーを持つ者のことである。ラマ僧が行うと言われている驚異は、彼等が自分の精神力を自由自在に操る技をものにすることによって行われる。ラマ僧は自分のその精神エネルギーを用いて、思考したことに実質を与えるのである。この実質を伴う思考形態をチベット語でトゥルパと称する。そんな風に奇跡が、チベットに伝えられる数々の奇跡の如く、「ヨガ行者たちが空中に浮揚した」り、「途方もない高温に耐えた」り、「自ら仮死状態に入って行う肉体的な離れ技」などとして、解釈してみるのもいいだろう。そしてパンドラの函の最後に残ったのは希望であるという話のように、それはどんなに信じ難く見えても意志が生み出したものであり、魔術の一種なのである。場合によっては百人以上の集団がいる時、その半数以上が、その「奇跡を信じる/奇跡を信じない」という比率によって、選び出されてくる答えが決まって来るようなものと言ってもいい。僕等は嘘をつく生き物で、別にFBIの捜査官ではない。FBIの捜査官だって、催眠術や洗脳に対抗できるかは別の話だ。たとえば聖痕というのは本当だろうか、磔刑されたキリストと同じ箇所にできた傷だが、それは輪廻の存在を認め、場合によってはトラウマとして解釈できる。輪廻転生を信じる信じないは別として、それがお伽噺だと考えるのはいささか危険だ、僕は「いま眼の前に見えるものは、その影響下にあるはずだ」と思っている、下半身が蛇として生まれた話や、角が生えた話、もちろんそれを先祖返りとか、遺伝子の不具合と考えることもできるが、僕はいつもそういうものをパーセント表示で考える。疑うとか、信じる必要はない、まずは、パーセント表示だ。僕の結論は、「どんなことも、何だったら、ありとあらゆるものは、まず、精神というものを作っている過去の中」にある。僕等はまず「壜の中に囚われている蜂」のようなものであり、たんに「杭や、ロープや、衣食住で、愛と解釈している犬」にすぎない。ここからは宗教的意志の固執から離れ、「迷子になった犬が二五〇キロを自力で帰還した話」や、「エンパイア・ステート・ビルディングの墜落事故で、一日に二度も奇跡の生還を遂げた女性の物語」の話をしよう。前者は帰巣本能にすぎないがどう考えてもそれは奇跡である。後者は様々な幸運に恵まれた、こんな偶然普通起こらない、それはやっぱりどう考えても奇跡です。あの、カモメとかいう人いますよね、長ったらしく嫌味ったらしく、鬱なんでしょ、あと、人格破綻者なんでしょ、でもね、やっぱり奇跡ってあるんです、ほらほらほうら!なので、やっぱり僕等は奇跡に精通し、奇跡の数値化を訓練しなくてはいけない。僕だったら前者は「奇跡率二〇〇パーセント」で、後者は「奇跡率一五〇〇パーセント」かと思う。難しく考える必要はない、サビアン占い風数秘術を会得した僕は、あるいはいずれ会得するであろう君は、この数字から別の意味を読み取れる。数字は嘘をつかない。嘘をつくと占いの要素を著しくおかすので僕は避ける、直感で、素早く、だ。この僕の考えとは別として、奇跡には善人や、聖人など、よい行いをした人の当然の成果だとする文化的な匂いの芳しきもの、いわゆる啓発要素を挙げておきたい。なお、奇跡が「宗教的なものを成立させる中枢の装置、原動力」であることは、何となく見聞きしている君にとっても理解できることだろうが、場合によっては奇跡そのものがガチャみたいなもので、定められた方法で回せば回すほどいつか起こるもの、という風に考えて差し支えないのかも知れない。夢も糞もない話だが、人間の人生における態度や、能力には、常に決定的な刺激を必要とする。神の視座で考えてみるとそれを最適化する方法が“奇跡”だと、解釈してもいいかも知れない。超高齢化社会、少子化、政治的腐敗などを見るにつけ、遺伝子や、能力の限界などを知るにつれて、努力することや、よりよく生きること、学ぶことを忘れてしまう僕等は、世俗的で想像力に欠けた物の見方をして屑になる。文明四流国のIQ三〇の仲間入りする。生来の欲求は違うはずだ、そこに奇跡という博物館が必要だ、人って違うかも知れないと勘違いする、そしてまた挫折する、そして成長する、大人になる、老人になる、そうではないかも知れないし、そうかも知れない。ただ、一人の可能性、自分の可能性を最後の最後まで消し去らない。ホームレスにも、生活保護を受けている人にも、たとえ目の前で拳銃を頭に突き付けられている場面でも、奇跡はとても論理的で、明快だ。奇跡というのは、人間であるところの原初的な宗教の在り処、である。
2024年09月29日

Anguillaプエルトリコの東、西インド諸島にある、ポストカードの写真にぴったりなイギリス領の島、アンギラ。アンギラはセントマーチンからフェリーで簡単に日帰りができる。アンギラとはスペイン語や、ポルトガル語、さらにフランス語でウナギの意味で、島の形がウナギに似ていたことからコロンブスに命名されたと推測される。僕はたんなる殺戮者としか思っていないコロンブスと、発明家のふりした実業家のエジソンが嫌いなので、てめえをかば焼きにしてやろうか、と思ったことだけは付け加えておく。あとその怒りはすなわち怒涛の、一心不乱の、疾風の如き猛烈さで、カリブ海のアンギラの飛行機からの写真見て判断してやろうじゃないのと思わせ、眺めれば、コロンブスの頭がウナギであることが判明。誹謗中傷やめてください。コロンブス嫌いコロンブス嫌い。エジソン嫌いエジソン嫌い。ウナギと外国人が言えば、それはアンギラのことかも知れないが、僕にとってはかば焼きである。面積は九一平方キロ。サンゴ礁からなる平坦な地形の島で、周囲には美しいビーチが多数あるが、フェリー経由の海は濁っているので一切オススメできない。なのでみんなさっさと帰るらしい。綺麗な海って言っていたのに詐欺らしいが、透明度の高い海もちゃんと、ある。栽培植物は綿花で、ロブスターなどを出荷している。観光産業も重要で、オフショア金融も推進している。ちなみに、一時期独立していたこともある。一九六七年二月にセントクリストファー島とネイビス島と共に、セントクリストファー=ネイビス=アンギラとして、イギリスの自治領になったが、セントクリストファー島中心の政策に不満を抱き、一九六七年七月一二日に独立宣言し、一九六九年二月七日にアンギラ共和国の成立を宣言した。同年、セントクリストファー=ネイビス=アンギラ自治領政府の要請により、派遣されたイギリスの武装警官隊に対して、ゲリラは無血投降し、もっと的確に書くと、「独立ゲリラ」は抵抗するどころか、イギリス国歌を歌いながら大歓声で出迎え、島では一発の弾丸も撃たれることなく、イギリスの植民地統治下に、「復帰」した。一九七六年には改めて自治権が付与され、一九八〇年にセントクリストファー・ネイビスから正式に分離した、という経緯がある。混ぜると危険だったのか、そもそも何でもかんでも一緒くたにしたのがいけなかったのかは、僕の知るところではないが、他の島に支配されてるようなストレスを感じるなら、イギリスに支配されているほうがマシっていう感じなのかもと思う。ただ時代が違えば、状況や選択を間違えたら、血の海になっていたのは想像に難しくない。ゲリラというワードから、血が一滴も流れなかったと書けるのは、どう考えたって幸運なことだ。なお当たり前だが、独自の軍事組織は持たず、英軍基地もなく外交権もない。人口は約一七〇〇〇人で、アフリカ系黒人の子孫が九割以上を占め、三割弱はアンギラ以外の国籍を持つ。公用語は英語で標準英語に近い。首府はバレーだが、曰く人口の少ない特に見所もないような小さい町、とウィキペディアに書かれていました。コロンブス嫌い、コロンブス嫌い。エジソン死ね、エジソン死ね。閑話休題。ほとんどの人がキリスト教で、宗派は様々だが英国国教会が一番多い。あと、AI関連サービスの提供者が急増する中、「.ai」を含むドメインの取得も増加しており、アンギラは大きな利益を得ている。レオナルド・ディカプリオ、ブラッド・ピット、イーサン・ホーク、ロバート・デニーロ、ケビン・ベーコン、サンドラ・ブロック、ポール・マッカートニー、ビヨンセ、ジャスティン・ティンバーレイク、パリス・ヒルトン、ミランダ・カー、オーランド・ブルームらもこの島を訪れている。「アンギラの海は世界で最も美しい海のひとつ」らしいが、フェリー経由の海は濁っているので日本人は大体みんな帰る。文明四流国IQ30にとってはそれはごくごく有り触れたことである。沖縄に行って蛇に噛まれて死ね。北海道に行ってゴキブリに卵生まれて死ね。そして僕はその頃、もっと汚い大阪湾の海で虹色のゲロを吐いている。チェケラッチョ!ただ、この国の治安はいいとは言えない。屈指のリゾート地であるアンギラには海外のセレブがビラを建て、バケーション時期にやって来る。このビラを狙った犯罪が横行しているのだ。中には二度空き巣に入られたという人もいて、治安対策をしたデッドボルドの頑丈な鍵ですら壊され、窓にあった鉄格子も曲げられてしまったという。ここまでするからには銃なども携帯しているかも知れない。また車両強盗というのもあるので、貴重品を携帯しないなど、防犯意識を持っておくのに越したことはない。またアンギラには信号機がほとんどない代わりに、スピード防止帯が多く設置されていて、日本よりも段差が激しいので、話しながらの運転には注意が必要だ。なお、警察の評判がすこぶるつきで悪い。にアンギラで事件に巻き込まれた人によると、「警察は本当に全く何もしてくれなかった」と嘆いていたそうだ。アンギラはイギリス領とは言えど、治安や警察当局は、本土とは切り離して考える必要がある。付け加えて、日本領事館もないので、困ったことがあった時には、途方に暮れて泣く以外に方法はない。あと全然関係ないが、道路を横断する山羊や、山羊の群れなどもいるので、癒されるしかない。古い話になるが、僕も人生でいくらかどん底だった時に、猫に癒された経験がある。山羊ですけど? あのね、山羊も、一種の猫だ。ほら二文字。それに、牛に癒されたこともある。ほら、二文字。しかも、鳴き声だって大体一緒。ホルスタインはじっと見つめてくれた。そして豪快に放尿した。なお、アンギラの通貨単位は東カリブ・ドル (EC$)だが、米国ドルが普通に使われているので両替の必要はない。熱帯のサバナ気候もしくは夏季少雨気候に分類され、北東貿易風によって緩和され、気温は平均で二六度から二九度と、一年を通してほとんど変わらない。年間降水量は約九〇〇ミリで、最も多いのは九月から十月らしい。どうでもいいことだがアンギラ市民と婚姻する外国人は、三年を経過すると永住権を申請することができる。申請料は五〇ドルだ。ナンバープレートは国のカラーのターコイズブルーのラインに。三頭のオレンジ色のイルカの紋章が描かれている。クリケットが人気のスポーツで、テスト・クリケットは、他のカリブ海諸国などとの多国籍チームである、西インド諸島代表として国際試合を行っている。スーパーマーケットでは、採れたてのココナッツが売られ、一七〇〇年代後半に建設された「Wallblake House」はこの島で最古の家屋。他の島々から漂着した流木をアートとして再生利用している専門店、「チェディーズ流木スタジオ」や、外国の骨董品などが置かれた、アンティーク専門のお店「The GALLERIA World Art & Antiques」もある。観光スポットであるサン・バルテルミー島よりマイナーだが、休日を過ごす目的地としてその人気で、物価も急上昇中。ロブスターとイルカ、ハリウッドスター、そしてきれいな海、これだけで一種のパリ幻想のようなリゾートマジックの存在を垣間見るが、とある外国人の説、「何もしない時間というのが旅行の醍醐味」というのを地で行くような場所だ。そして日本人は海が汚いとたわごとを抜かしてすぐ帰る。ライオンに食べられて死ね。犀に突かれて死ね。そして僕はその頃、もっと汚い大和川でやっぱり虹色のゲロを吐いている。チェケラッチョチェケラッチョ!年間の観光客は七九〇〇〇人と聞くと、マイナーとメジャーの境目のような認識になるが、人と連絡がとれないような隠れ家を探している富裕層なら、現実的でお勧めできるスポットだ。ちなみに、「クインテセンス・ホテル」というのを、物見遊山で眺めていたら、プールの横に実寸大のチェスが存在していて滅茶苦茶笑った。一泊何十万とか、百万とかいく感じのホテルじゃんこれ絶対と思ったけど、意外と五万円台だけど、スウィートルームは眼ん玉飛び出して、道路脇の溝から下水道へホールインワンだわ、みたいな感じなので気をつけよう。
2024年09月29日

滅びの美学世界が若々しいというのは頼もしいことだ今日も新鮮な魚して賞味期限もQRコードもついていないでもちょっとずつ知ってゆくガタがきていること老化ではないアンチエイジングもできないそれは滅びというのだどこかで聞いた世界と交歓をした昔の法螺貝持ったような人は腰から下の汚いものを摩擦させた摩擦係数については知らない接地点には興味がない神は笑ったろうか何百年も何千年もきっと何万年も何億年もお前にはつれあいがいなかったのだそれとも月と双子だったからそのつてもあったろうか恋をしたことのないお前に好かれようか悲しみや怒りすらも再生するこの星の最下層にまで届く新しい星のラブソングを歌ってやろうか後戻りできないほど深みにはまった恋を知らないだろうその夜より深い夜をお前にくれてやりたい
2024年09月27日

雨の日の誕生日は完全防護から「完全装備ですけど、何か?」そう言わんばかり。コンビニの傘と、ホームセンターコーナンの雨合羽、の、組み合わせの風紀委員。同じクラスで、幼馴染設定。レッツ罰ゲーム!「そして、お前に、天然パーマの呪いをかける」かけられたのは、雨でもなく、液体でもなかったようです。嬉しい、今日は最高のハッピーバースデイ。「雨の日になめくじになる、呪いをかけてやろう」雨の日限定なら、フランチャイズの候補として考えておこう。馬鹿なことを言ったら、警察手帳の代わりに、攻撃的社会的制裁が腹部にHitした。「お前、あとでケーキくれてやる、楽しみにしていろ」わさびか、からしか、あるいは、戦時中の命懸けの仮病、しょうゆ色した、ケーキのようなしょうゆ、かも知れない。僕はフルートを出してやった。「発車オーライ(?)」それが遺言になった。雨の日の校門前は、猛者だらけ。
2024年09月27日

ナンパ撃退法ポエム幼女篇え、ナンパですか? お兄さん、カッコいいし、遺伝子プールのソクラテスだけど、うち、発育のいい、小学四年生なんですよね、ウン、でもランドセル、ガキなんで、しょってます。えーと、一応、幼女に沼ります? 守備範囲は、あと、一応、不思議なキノコはやしてますか?で、ですよねー、禁書目録ですよね、特別禁止区域ですよね、ロータリーエンジンでホワイトな恋人、魔法少女に憧れたつわもの達のゆめのあと、難しい言葉知ってるねって?お兄さん、女の子の精神年齢は高いんです。お兄さん、十年後、タキシード仮面で迎えに来てね、さよなら、また逢う日まで。でもきっと夏の海では誘惑が多いから、ガチムチホモの虜、恋は砂のお城のように崩れたのに、股間には汚いバベルの塔。アンチロマンでも、シャイニングッフィンガーから始められたい、ソルトな、ムーンサルトな幼女もいるさ(?)
2024年09月27日

走る地球上で最も速い人類の称号は、100メートル走のタイムを持った者に与えられる。何故ならそれが世界最速の基準であり、覇者の栄冠というものでもある。とはいえ最初にいくつか留意しておきたい点だが、ドーピングをすれば9秒の壁は破れるのか、ということだ。トップアスリートにとってこれは悪魔の質問に違いないが、水泳の世界記録がたびたび更新されるのは何故かという問題がある。もちろん選手たちの努力や、能力を引き延ばすための科学的な裏付けのあるトレーニングや、高価な機器、研究者を招聘し、メンタルを支えるコーチやマネージャーなど、絶対に欠かすことのできないものだ。けれど水泳の場合はハイテク水着を着るだけで、百三十以上の世界記録を破ってしまった。これは画期的なことである。ティラノサウルスの脚を分析して、短距離走よりも長距離走に適したタイプだったことが、判明するみたいなものだ。たとえばスーパーシューズみたいなものが生まれた時、それは一種のドーピングではないかという見方もある。トラックも、練習方法も、空気抵抗を減らす競技服だって、考えようによってはそうではないかという言い方もできる。僕は別に陸上にイチャモンをつけているわけではないが、はたして記録を伸ばすと行為には、一体どれだけの複雑な負荷がかかっているのだろうか、と思う。チーターの走る瞬間は120キロに達し、ハヤブサは300キロに達する。けれどそれは本当に誰かが手をつけたものじゃない、僕は思うのだ、陸上というのはそもそも才能ではないんじゃないか、と。これは科学なんじゃないか、と。研究成果なんじゃないか、と。いや気を悪くしたら申し訳ない、そういう考えをふっと抱いた時に、オリンピックの映像を見ていたら何かすごく気分が悪くなった。そうだね、子供の時の駆けっこみたいなものではいられない、それが文明であり、競技というものだろう。たった〇・三八秒でルービックキューブを完成させるロボット。陸上にはもちろんルールがある、フライングによる失格や、風が二メートルなら記録をとられない、などだ。殊にフライングはどんな選手でもやってしまう可能性がある。合図から〇・一秒未満でブロックから動くと失格になるからだ。だから眼を瞑って情報を遮断し、スターターピストルが聞こえた瞬間に飛び出そうともする。単純な競技だ、けれど単純だからこそ様々な要素が出て来る。ウサイン・ボルトは、100メートル走の最速9.58秒の、公式世界記録を持つ地球最速の男である。時速43キロである。もちろんこれ以上に速い動物や車やバイクなどはあると、言いたい人もいるだろう、しかし単純な話である、槍を持ったウサイン・ボルトに追いかけられてみれば、その恐怖感によって凄さがわかる。おわかりいただけただろうか?ちなみにとある陸上の限界の話では、9秒27という数字が出されていて、9秒を超えることはないだろうと言われているものの、実のところスタートの瞬間からトップスピードであれば、つまり静止状態からの加速要件を取り除きさえすれば、既に人間は9秒の壁を軽く超えている。また五〇年前は10秒が世界記録だった、俄かにはちょっと信じがたいよね、でも彼等は一生懸命駆け抜けた、走り抜けた。そこから九秒の壁をじわじわ攻めていっている。走者の環境も変われば計測方法や検証技術も見直された。ウサイン・ボルトの記録は中々破られないだろうが、百年後や千年後ともなれば科学力や、僕等の体格そのものも変わってくる。たった数十年前にはダイヤル式の黒電話を使っていたのに、今は多くの人がスマートフォンを使用している。そのスマートフォンの性能をつかさどるコンピューターチップが、「今後数十年で脳の処理速度に追いつく」と予想する人もいる。僕はハードではなくソフトな機械との融合の実現は近いと思い、それが様々な世界記録に触れるような時はやってくると考えている。場合によってはスポーツ特化型のロボットが誕生し、様々な競技に駆り出されるようになるかも知れない。『スーパーマリオブラザーズ』の最速クリア記録みたいなものだ。もしかしたらスタートの瞬間に謎の爆発が起きて弩のように解き放たれた、機械の肉体がシュッパーンとゴールへ向かって突き刺さるような、お前陸上なめてるだろ、みたいなこともあるかも知れない。ニコニコ動画なら絶対にやってくれるだろう。けれど四足歩行でギネス記録を持っている人がいるけど、二足歩行より速くならないと言える根拠はあるだろうか?たとえば「脳の進化と記録の変動」ということは起こりえないことだろうか、前述したように、それがドーピングではないとすれば、今後僕等が八秒や七秒の壁を破らないという保証はない。ところで短距離走者は、通常の体重の5倍の負荷をどれだけ速く、加えることができるかでそのタイムを決める。簡単に言えば、短い時間で地面を強く蹴る、というものだ。もちろんまず筋繊維の質や体格による腕の振り、上半身、太腿から踵に至るまでの足の振り方、足幅などのフォームが大事だ。それをフォースプレート内蔵型トレッドミルや、動態検知機能を持つ高速カメラなどの装置を用いて、能力を向上させようとする。もちろんやり方はそれぞれあるだろうが。また最高速度を維持できる時間は非常に短くそれは数秒未満で、ブロックから立ち上がり、足が最初に地面に着く前に、最高速度のほぼ三分の一に達するので、それが加速の最大の部分だ。十二歩目ぐらいには最高速度の九割に達する。あっという間だ。そこからはもう強さではなく足を振り下ろす動作や技術がモノを言う。後は筋肉が急激に疲労する。そして僕の脳も夏の疲れで疲労する。言い訳が巧くなる。会社のストレスチェック表を見ながら疲労の見える化を実感し、世の中の分かり易さとお仕着せがましさに精神的疲労骨折する。
2024年09月27日

バスと雨「お使いのPCは正常に狂っています」「お使いのスマホはヒビが入っています」公約無視に造反有理とか、派閥争いに情報操作の、サーカスの夢は見ないで、だんでらいおん、している。大体それは、まりいごうるど、と以下同文。僕等の日々は海の底みたいだ、水圧があって、不気味な甲羅や、グロテスクな生き物がいっぱいで、夢の中の君は美しい魚で水面目指して、酸素を取り込もうとする、透明でいびつな優しさに手を伸ばしている、今日も作られた未来。「降ります」「雨ですか?」みんな機械みたいだ。機械って、可愛い。
2024年09月26日

臭い話トイレに四年間も引きこもった、溶接工として、五〇年以上勤めていた、ドイツの、ヘンリック・ノーカスという男がいる。パズルの本を持って入ったその日から、彼はトイレを城とし、まさしく一国一城の主となった。時折、食事とパズルの本を要求し、この男は何をしたかったのだろうとあなたは思うだろうか。トイレとは、排泄の用を足すための設備が備えられている場所を指し、便器と手洗いの場所が併設されていることが一般的で、トイレットペーパーホルダーやタオル掛け、手すり、収納棚などが設置されている。トイレ好きな人は沢山いて、トイレ道というほどのものではないが、「トイレは人格が現れる」というようなことをぬかす人もいる。サバイバル時にどうぞ同じことを逞しく述べて欲しいものだ。ちなみに女性はトイレで着替えたり、ストッキングや靴下をはきかえたり、歯を磨いたり、うがいをし、顔を洗ったり、鼻をかんだり、鼻を洗ったり、コンタクトレンズを入れたり外したりするらしい。女性はヘンリック・ノーカスになっちまったのか、ヘヘイ、と、その狂言みたいな言い方はやめーい、とか言わないでおくれ。でも世界で一番落ち着ける場所は、「トイレ」だと宣言する人もいる。この気持ち、ええ、その気持ち、わかりますとも、だって、それは、ええ、それは、会社のトイレじゃな、い。ええ。スーパーのトイレじゃな、い。あたり。公園のトイレじゃな、い。ふう、命が一つ短くなった。神社のトイレじゃな、い。もう、九尾の狐さ。でもね、家のトイレで用を足している瞬間の謎の神々しさ。いまなら、もしかして数学上の未解決問題も、解けてしまうんじゃないか、否、それは幻想である。パッパラパー、それは、ボカロですよ。短いな、ええ、ホタルみたいな豆電球みたいな弱き輝き。持続時間乏しいな。そうですとも、大馬鹿垂れな勘違いをする場所、それが「トイレ」というものではありませんでしょうか。いやね、実はね、ウン、これがまあ、ウン、馬鹿なことを言い始める人が多いんだよね。ス カトロジーやホ モセクシュアル、フランソワ・ラブレーやマルキ・ド・サドなどの作品、あるいは芸人の一発芸の究極の形、パンク歌手にもいたね、そういう言いにくいことには文明論や、人間論、場合によっては人格形成論、感情論にいたるまで、アプローチすることができる。それは、フロイトの馬鹿のやりそうなことだけど、僕等はやっぱり動物でいたいという勢力もあるだろう。それをアナーキスト衝動で語ることもできる。都会、発達した科学文明、豊饒なる物に溢れた生活には、束縛が付き物だ、あるいはお約束が前提となる、突然街中で裸になることはできない、犯罪だからだ、でも世の中には一定数「そんなのおかしいじゃないか」と思う人がいる。馬鹿みたいと思う人は人間に何を期待しているのかという向きと、そもそも人間が何をこれまでしてきたかを問い掛けるべきだ。もちろん、アーメン唱えれば絶好調だ。食べたら出て来る、で長い間やってきた僕等の祖先から、「花を摘みに(隠語)」という言葉や、洋式トイレが汚物一回流すのに二〇リットルから、四リットルにまでなり、「サイホンの原理」「洗い落とし方式」から、INAXが開発した「エアドライブ式のタンクレストイレ」「パナソニック電工のターントラップ式のタンクレストイレ」―――泣けるね、停電すると使えない。だけど、低水圧の地域では使えないとか、勢いよく流すので排水音がうるさいとか声があったのを、改善した商品だ。そしていまでは、水を使わず排泄物を蒸発させるトイレが誕生している。上下水道への接続を必要としないため、水源にアクセスしにくい人々の助けになることが期待されている。世の中ってすごいよね、文明を感じる瞬間で、「温水洗浄便座」を挙げる人は絶対にいるだろう。スマートトイレや自動洗浄機能付きのトイレなど、技術の進化により利便性が向上し、その「スマートトイレ」にいたっては、音声アシスタントに、健康管理機能、自動洗浄・脱臭、ウォシュレットとエアドライヤー、UVライトによる殺菌、LEDライトと音楽再生、ともはや何がしたいのかわからない勢いである。いやもちろん、わかるんだけど、言わんとしていることは君にもわかるだろう。けど、馬鹿馬鹿しい話を何だってこんなに長々としているんだ、と言う人も一定数いるわけだ。否定しないよ、世の中がうすっぺらいのは今に始まったわけじゃない、便秘が心臓発作や脳卒中などの重大な危険因子になっているという、研究結果もある。僕はそれを馬鹿馬鹿しいとはいわない、君はもちろんそういう言い方をするのだろうね。僕が話をしている時に多くの人は正座して読むと聞いている、君は剣山状態の画鋲の上で正座して読むのがいいだろう。僕はもちろん体育会系派閥であり、鉄拳制裁も辞さない。ちゃんとした人にはしないけどね、なめてる人間にさらさらそのような態度を取るつもりはない。のさばらせるな、馬鹿を。馬鹿は頭が悪いことじゃない、マナーがなく、ルールもなく、そもそも日本語もよくわかっていない奴のことだ。みんなそうじゃない、一部が多数に思われる。恥ずかしいってきちんとした子はいつもそういう言い方をする。草って何だ、お前牛なのか、放牧中なのか。ホルスタインなら鳴き方をちゃんと覚えてこい。コホン。ちなみにこれは、緊張法というレトリックだよ。メタ視点ともいう。レトリックと言っていれば何やってもいいんだろうと思ってるね。まさか、ほんの少しのアカデミズムをびびりちらかしているだけさ。口先の教養じゃペン先が磨かれないことを知っているからね。じゃあ何なのかって言ったら、世の中には、つまり貧困に喘いでいる人にとっては、適切な衛生設備がないために、女性と女児が、不当な被害を受けている現状というのがある。トイレに行きたくなったという理由だけで女性がレ イプされ、さらには殺害される。日本人は平和ボケしているんだと言う人もいるが、そうじゃない、たんに突き詰めて考えないだけだ。熱中症の話で、サウジアラビアのイスラム教の聖地メッカを、巡礼する「ハッジ」の最中に、熱中症などで一三〇〇人以上が死亡したってね。調べたらすぐわかるよ。草なんて言ってオナソして畜生道へ走っていなければ、ね。詩の話を何百回どころか何千回もしていまだに、僕が何を言っていたのか一ミリもわからないんだ。たった一言さ、馬鹿なんだろう。突き詰めてわかったことはそういうことか、いやいや、馬鹿が邪魔しているから、きちんとした人が表に出てこない。ねえ、衛生設備が整っていない学校なんて想像できるだろうか、トイレに行きたくなる衝動と闘い、食べず、飲まず、疲れ、注意力が低下し、整理が始まれば毎月一週間は学校を休む、そんなことをあなたは馬鹿みたいって思うのだろうか。思うのだろうね、そして君は明日からアナーキストにでもなり、ストリートキング状態で大通りをひた走ってくれるのだろう。まるで箱根駅伝、驚異の十二人抜きさ。いっておくけれど僕は、四十年ぐらいトイレにひきこもれる自信があるね、案外、君も本当はそう思っているのかも知れない。同病相憐れむだね、そして臭い話だ。
2024年09月26日

社会的イメージアメリカを発見したのはコロンブスだということは誰でも知っている。では何故コロンブスにちなんだ名前はつかなかったのか?それはやはり運命の悪戯という他はないが、コロンブスは最初の航海でアメリカに到着している。が、サン・サルバドル島をインドだと勘違いした。二回目の航海ではヴァージン諸島と、プエルトリコ、ジャマイカを発見。三回目の航海では、トリニダード島を発見し、南アメリカ大陸に達した。それでも彼はそれを、西インド諸島の島の一つだと考えていた。さて、もう一人の探検家がいる。アメリゴ・ヴェスプッチだ。一四九七年六月十六日に最初にアメリカ大陸を発見したと主張した。一五〇一年の航海で、ヴェスプッチは南アメリカ大陸の沿岸を通過し、新大陸を発見したという手紙を書いている。あるドイツ人の地図製作者が彼の情報に基づいて地図を作製したが、その地図ではアメリゴ・ヴェスプッチにちなんで、新大陸にアメリカという名がつけられていた。それ以来アメリカという名が使われているというわけだ。ところで、人間の顔は名前に合わせて変化していく。「四十歳になったら、人は自分の顔に責任を持たねばならない」という名言を残したのは、元アメリカ合衆国大統領の、エイブラハム・リンカーンだが、この言い分はそんなに間違っていない。たとえば名前だけで、複数人の大人の顔を見て、当てるというゲームをしてみよう。もちろん絶対に正解をするというのはもはや透視術ではなく、ESPも千里眼もへったくれもないですやい、それはミスターintikiということに違いないわけだが、(もちろん、本物の超能力者、霊能力者、何らかの人のうかがい知れない秘密の能力があれば別だ、)これがまあ結構当たるものなのだ。もちろん外れる場合も無きにしも非ずだが、詳しいメカニズムは不明としても、血液型占いよりはずっと信じられる、僕等の顔はそうした社会が共有するイメージに合わせて、段々と変化していく。ちなみに性別や民族も容姿に影響を与える可能性がある。で、この紆余曲折的な道のりを経て、僕はニコニコしながら、え、この人善人なの、優しいの、いっておくけど僕よりハートフルマインドはないね、ただ、背中向けた瞬間に親指を下にしたり、中指を立てたりする茶目っ気はあるけどね。実は、アメリカ州にはそれぞれニックネームがついている。たとえば「かなめ石の州」と聞いたら何を想像する?駄目だ、全然だめだ、それはそうだ、僕等はアメリカ人ではない。けど、何となく想像がついた人もいるかも知れない。「かなめ石の州はペンシルベニア州」のことだ。独立の当時十三州の中央に位置し、また七番目に加わった州でもあったからだ。「一つ星の州」と言われてもやっぱり君はわからないかも知れない。アメリカに対する知識や、雑学選手権に出場して好成績を残したとかなら、ちょっとは違うかも知れないけどね。「一つ星の州はテキサス州」のことだ。州旗のデザインが旗の中心に一つ星のためだよ。まあこんな風に、「トチの木の州/オハイオ州」(トチの木が多く生育しているため)「無骨者の州/インディアナ州」(昔インディアナ州の船頭たちは荒っぽく屈強で、口論になると誰をも黙らせてしまった。そこで「黙らせ屋」という意味の言葉の音が変化して、現在のような意味の言葉になった)調べてみると結構面白いけど、ここからは日本の由来といこう。「日本」という言葉は、古代中国において、日の昇る木・扶桑のもとにある地をさした。 中国の世界像のなかで生まれたのだ。 それが、「倭国」を「日本国」と改めるという形で承認された。知っている人も多いだろう。ちなみに北海道という名前は、幕末の探検家である松浦武四郎が提案した、北加伊道が由来だ。「加伊(カイ)」はアイヌ語で「この地に生まれた人」という意味で、「北」は北海道が北に位置していることで、「道」は行政上の区画を意味する言葉だ。こんなの朝飯前だよね、へそで湯沸かせるよね。鼻からスパゲッティだよね、ごめんね、馬鹿なことばかり言って。都道府県の由来を、文明四流国ではなく、IQ30ではないなら、余裕でクリアできるだろう。ごめんね、超簡単だったよね、藪から棒じゃなくてエゾシカなのもわかっていたよね、藪から棒じゃなくてサンタクロースなのも読み込み済みだったね、ごめんね、簡単すぎてつまらないよね。だけどね、こういうやりとりが得意な人もいれば苦手な人もいる。頭が悪くても、馬鹿でも僕は全然いいと思う。そもそも、一度読んだだけで暗記してしまう人も、百科事典を読破した人も、雑学が好きで何となく知っている人も、そのことについては知っていてもそこから一歩反れただけで、まったく答えられないことは有り得る。知識って残念ながらそういうものだ。賢いっていうのは勉強しているという証にすぎず、いわば上げ底も上げ底、ハリボテもハリボテなんだよ。また専門家になれば、知っていなかったら仕事ができない。あのね、コロンブスは立派な人だというけれど、彼は沢山の人を殺した犯罪者だ。征服者というのはそういう意味だ。海賊と違うところなんか何もないさ、後ろ盾を誇大妄想まで根拠なく引き上げたら、そうなるだけさ。想像してご覧、君の名前に影響を与えているもののこと、みんないい名前をもらっているはずだ。だけど僕等はもちろんもう知ってるはずだよね、沢山のふざけた名前をつけた親がいることを。社会的イメージって何なんだろう。常識って何なんだろう、それを君はこれから考えるのさ。バミューダトライアングルの話ではないんだけど、そこにはアトランティスがあるかも知れないという話がある。アトラスの娘がね。どうして息子ではいけなかったんだろうなんてまさか思わないよね、シケリアのディオドロスは『歴史叢書』の中で、アトラス王は弟ヘスペロスの娘ヘスペリティスと結婚して、七人の美しい娘達の父となり、エジプトのブシリス王の依頼を受けた海賊に、誘拐されてしまった娘達をヘラクレスが救った際に、その礼としてヘラクレスの最後の功業を手伝ったのみならず、天文の知識を教えたが、これがギリシア世界でアトラスの蒼穹を担ぐ、アトラス伝説へと変化してしまったというようなことがある。というようなことを書きながら思うんだけど、もしかしたら適当に、何となくつけたのかも知れない。当事者にとってはね。有り得るだろ、わからないのさ。名前って何なんだろうね、女の子はきれいな名前が好きだ、美しい響き、麗らかな響き、あるいは芸能人みたいなカタカナの名前がいいらしい。中身がないのはいまに始まったわけじゃないというべきだろうか、それとも中身はまずプレゼントする贈り物の箱からだろうか。
2024年09月26日

quiet thoughts「ありがとう」胸にくすぶってないで、泣き虫なのに、意地張ってないで。365の日々が作り出す、サイコロ。車に棒刺して始まる、人生ゲームみたいにはいかずに。どうかこの先も、このまま―――。「君は君だよ」と言って欲しい。力になるよ、傍にいるよ、そしてそれはどうしても、あなたが、いい。通り過ぎた雲のように見つめた、過ぎ行く心を受け入れて。積み重ねた今日よりも、「いま同じ気持ちでいる」この何気ない瞬間が、どんなものよりも大切で。約束でつなぐ道―――。気障な言葉で彩りたくない、それは自然に溢れる素直な気持ち。胸をこじあけられた気がする、風が奏でている永遠と刹那のプレリュード。玄関を開けたい、虹を見た自動販売機のある歩道、春風吹き抜ける道を、青空見上げて歩いたことも、「支えられ、強くなった」あなたに会うたびにいつも、胸が痛いほど、心に詰まった思い出が、場面が、「ありがとう」くだらないことで大笑いしたことも、宝物になって、言葉に出来ないくらいの想いが溢れて、いま、限りある時を刻む。センチメンタルな、孤独、迷い、愛、夢が、蜃気楼。わけもなく淋しくなるから、一人じゃないよと言って。「付き合ってるよ」なんて聞きたくない、嘘でも、さもなければ心臓が欲しい。町で見かけたショーウィンドウに面影をうつしながら、秋が来る。わたしはすごく幸せで、胸が一杯で、音軽やかに光ってる命の弓弦。言葉を失ってしまったら、(麻疹になって、)言葉にできなくなってしまったら、わたしたちはすぐ人形になってしまう。「弱い思想に強い外套を持った抜殻の、資本主義の政治形態、民主主義的幸福」瞳でテレパシーはできないし、文字では上手く伝わらない、歌は恥ずかしい。不器用な好きも、投げやりな愛しているも、もうちょっと違う言い方あった、いつも自由は鎖を嘲笑する、剥製はなめらかさに責任を求める、ときめいている間に皮を剝いている、青の花模様。眼を見つめ合うと言えない。誓いの言葉はたった一度だけ、時には傷つけ合い、時には分かり合う、心があるから君の心に触れられない、「通り雨」言葉よりも確かなものを見つけた気がした、光に濡れた夕方の教室。迷いも恥じらいも甘くて切ない心から選んだ言葉。生まれながらの奴隷も迫られて、いくらかの歳月を経過して、道徳的な柔軟の消化物になる。1人が2人になった、コマーシャルペーパーよりもましな拡張の効果で。わたしの“恋”は、わたしの“想い”は、ドキドキする、悪魔は天使になって、正義は傍観者になる、Dear my friends照れてなんかいないで、潰れるほど、あなたの言葉で汚れて、人生を終えても、いい、生まれたての最高温度で、さざめく。
2024年09月25日

吃音症吃音症というのがある。改まって言うべきことではないけど、人それぞれ向き合うべき悩みというのがあると思う。パニック障害、コミュ障、緘黙症、吃音症というと、全然別の場合もあるけれど、考えようによってはすべて同じ可能性もある。偏見や色眼鏡なく、あくまで「どもる」という身体的経験に、フォーカスを当てれば、それは乗り越えるべき症状ではなく、身体に起こる現象として見ることも出来る。とはいえ、吃音症の原因はよくわかっていない。実際に大人になっても吃音症の人がいるものだし、吃音症を治したという人もいるはずだ。ただ、語弊がないように言えば、「治る/治らない」は誰にもわからない。ゆっくり喋る練習をしたり、症状をやわらげるために、抗不安薬が処方されたりするが、明確な治療法は確立されておらず、場合によっては一生の苦しみになるかも知れない。電話の受け答えが得意じゃないぐらいならまだいいけど、まったく駄目となったら社会人として大変だろう。なお、百人に一人の割合で吃音症になると言われ、話す際に音や音節、言葉が途切れたり繰り返されたりする言語障害で、原因は脳の言語処理や運動制御の調整に関わる神経機能の異常で、遺伝的な要因も影響しているかも知れない。とはいえ、これはかなり穿った物の見方だ。親の離婚やイジメ、極度の緊張という場合もあるだろうし、そもそもそれらとは一切関わり合いのないものかも知れない。あくまでも僕が知る限り、表情の強張りや、顔面蒼白になるのと付随していることが多い。もちろん大半の人がそうであるからといって、例外というのは絶対に生まれる。たとえば独裁者ヒトラーがスピーチの天才だったという話があるけど、その陰では、地道な練習をしている。努力を見せる人もいれば、まったく見せない人もいる。ちなみに僕は絶対に見せない。腕を挙げるポーズも、タイミングを合わせるのも、才能ではない。自分の演説を録音し、それに身振り手振りを合わせる練習をしていたのだ。で、何故ヒトラーの話をしているのかといえばだが、実は、「吃音を持つ人でも一人きりで話す際は吃音が発生しない」という事例が報告されているのだ。つまり自分の部屋で、孤独を謳歌している限り吃音は発生しない、というわけだ。それが難しいんだよとは思うけれど、「人と話していても一人で話しているような状態であれば自然に話せる」というメソッドだ。厳密にそうだといえる根拠はないけれど、「話し手が社会的に評価される可能性をもたらす一方で、個人的な独り言は社会的要素を含まない」ということは言える。また、吃音は女性よりも男性の方が多いものらしい。男性が股間にぶら下げているものからストレスを感じるのに似て、あくまでも僕の感覚の範囲として、あると思われた。けして吃音症というのはそういうものだと断定したいわけではなく、あくまでも、そういう解決策もあるかも知れないという意見だ。なお、どうしてなのかは説明できないけれど、歌は普通に歌えたりする。また素人医学、民間療法、お祓いだって治る可能性はある。僕の大嫌いなスピリチュアル詐欺師列伝の面々でも、景気よく治ることはあるだろう。実際、マジックマッシュルームを食べて治ったという経験を持つ人もいる。いかにも胡散臭そうだと思うだろう?けれど、治るという見込みがあるなら何だってそれは正しい、あるいは、残念ながら、正しいというべきか。けれどわかるんだ、吃音症の苦しみで泣いた人は沢山いるだろう、恥ずかしくて、馬鹿にされて、心ない扱いを受けて。愚かな人は机をトントンと指で叩き焦らせ、貧乏ゆすりなどしてくる。でも僕も心を鬼にして言うけれど、そういう弱みにつけこむのだ、人を騙す手合いというのは。奇跡なんか信じない方がいい、奇跡よりも毎日の努力を僕は信じたい。人に優しくするなら一生その人間を騙すぐらいのつもりで優しくする、それが粋で、心意気というものだ。デリケートな話題過ぎて、キリストのたとえ話をふと想像したけど、報われないことなんか僕だって山ほどあるんだ。けれど、人に騙された時、君は人を信じられなくなったりするだろう。僕はそれだけはどうしても回避したい。だから僕も心をこめて書いてやりたい、愛っていうのはみんなが持っているものだ、そして愛っていうのは同じ形で、同じ方向を見るものだよ、と。優しい人、馬鹿にしない人、そういうのをすべて受け入れてくれる人、助けてくれる人、そういう人がいるから僕だってこの社会で生きていられるのだ、と。奇跡なんかなくても、そういう小さなつながり一つで世界はもっとよくなるものだよ、と。ところで、吃音には四種類あると考えてもいいと思う。一部の音を繰り返す『連発』と、一部の音を引き伸ばす『伸発』と、言葉が詰まって、出にくい『難発(ブロック)』だ。バグ、エラー、フリーズ。美容師との会話がこれまた地獄。警察に職務質問、セールスマンのトーク、センパイのダル絡みを受けたらと考えるだけで地獄だ、なお、あともう一つは何かといえば、これは誰にでも起こりうる、身体・認知・言語能力などが発達する幼児期の、発達性の吃音である。症状は人によって違うが、多いのは「あ行の言葉」が出にくいこと、だ。あのー、とかが言いづらく、はじめの言葉が出てこない。それゆえに、自己紹介の時は一発芸を披露しているような具合になる。笑いというのは暴力に根差しているという一面もある。ただ、その人の緊張した顔や、泣きそうな顔を見ていて笑うなんて、さすが文明四流国で、IQ30のことだけありますねとは思う。立派な教師や生徒は笑わず、じっと待ってくれている。それはそれで有難いけど、当人にとっては申し訳なさもあるだろう。時には孤独が深まることもあるだろう。エヴァンゲリオンには思春期的課題が満ちていて、人類補完計画が鬱の真骨頂のように思えるみたいなものだ。でも吃音を持つ有名人もいるのだ。モーゼ、ソクラテス、元首相の田中角栄、GEの元会長のジャック・ウェルチ、歌手のスキャットマン・ジョン、タレントの小倉智昭、俳優のブルース・ウィリス、マリリンモンロー、作家の重松清、英国王ジョージ六世。僕だって個人向けに、何が正しくて何が間違っているかを伝えられない、もしかしたら逆効果になるケースだってあるだろう、ただ、そういうのだって人生経験だし、類いまれな個性だ。世の中には歌、演技、音読、プレゼンなど、特定のシチュエーションではどもらなくなるといった大まかな傾向と、一方で個人差も大きい。例外はどんな場合にでも存在する。「どもらなくなったことでかえって苦しくなり、再びどもれるようになる道を選んだ人」のような珍しいケースもある。眼に見えない苦しみもあるけれど、感覚を総動員して、人と違うことを強みとして成長する良さをあえて僕は挙げたい。
2024年09月25日

flare世界に向かって何かが欲しいと思うわたしは、それ自身であることを止め、すなわち言葉や意志の奴隷となった証だ、奔流は内側にある、変化は呼吸の中にある、何処までもそれ自身であることを貫こうと思う夜、何一つに価値を見出すことはない朝が来る、「一致」も「計算」も下らないことだ、ここで世界は変わる、どんなものもそれに抗う必要はなく、逃れる術はない。自分が立っている場所もわからないのか、これから何をするべきかもわからないのか、何が大切で、何処へ行くかも、決めてもらわねばならないのか、一つでいい、そしてその一つはもう手に入れている。生まれた、そしてそれは終わるだろう、ほんのひと時の間、それは小さな箱庭の論理だ、そんなところで一体何が見出せるというのか、そんなところで何を変えられるというのか、わたしはすべてを斥けた、わたしはすべてを拒絶した、光はその中にあった。わたしはそれ以外見たくなかった、わたしは人の瞳が薄汚れていることに、これ以上、気付きたくなかった。「神」は、一歩も動いていない。「精神」もまた、同じく。すべてをさらけだし、すべてに足掻き、もつれるもの、流れるもの、停まるもの、それは光の中にある。わたしは言った。「わたしも星ではないか、星だ」「あなたも星ではないか、星だ」昼も夜も始まらない。たった一瞬で永遠の時が、動く。
2024年09月24日

I am me. And that's enough求めるな、何もいらない。それが何だというのだろう。それで何だというのだろう。I only see the world through God's eyes.わたしは知りたかった。わたしは問い掛けていた。
2024年09月24日

拙くたっていいんだチクタクチクタク離すなときめいてた。方舟?終着駅?永遠のblue探しに行こうぜ割れた画面に自尊心の隈どり、宇宙が見えた、泣いたり笑ったり一生に一度、一瞬の切なさ、噛み締めた。風を追い掛けた世迷言の上澄みだったけど、現実逃避だけど、言葉はいつもキャッチボールだったと思う。。何もなくたって、いいんだ。breathe消えてゆくblueを、追い掛けようぜ。その先
2024年09月24日

氷の水の中氷が張った湖といえば、ワカサギ釣りやアイススケート。とはいえ、アウトドアの人間だけが冬特有の楽しみ方に思いを馳せるのは少し違う。一月六日(ロシアの古い教会では一九日)の正教会の、エピファニーの祝日に行われるエピファニー氷穴浴は、ロシアに存在する民間伝承。これは、ヨルダン川における主イエス・キリストの沐浴等に関連している。で、水着姿で入る。冬の女性のビキニ姿が見れるのは、温水プール施設以外ともなればその時しかない。救急車や緊急サービスの職員が緊急事態に対応してくれ、非常に組織化されている。ちなみに日本でも、裸の男たちが凍った川で水を浴び、炎の上で叫ぶ蘇民祭というのがある。ちなみに冬ではスケートで渡る人もいるリドー運河の氷は、Capital Property Guardiansという名前の会社によって、建設、監視、および保守され、氷の厚さは最低三〇センチにならないと、運河の通行は許可されない。五センチ以下は誰がどう考えても危険だが、十センチならアイスフィッシングも可能で、負荷重が九〇キロ、十二センチで負荷重は三六〇キロ。約三〇センチともなれば、負荷重は六八〇キロ。ちなみに三八センチになると負荷重は一トン、小型トラックも通行できる。が、これはあくまでも目安である。実際、氷の厚みとそれがどれくらいまで耐えられるのかは、専門家は別としても、見ただけではわからないことが多く、また、現実の氷の場合、細かい傷や亀裂が存在し、さらには枝なども氷に取り込まれることがあるため、 計算上の強度を発揮できることは殆どない。そして氷が割れて人間が転落してしまう事故は毎年発生している。氷は水より比重が小さいため表面は凍っていても、内部は液体となっている場合があり、氷が耐えきれないほどの衝撃を加えると割れてしまう。ゴルフ場の凍った池で遊んでいた若者や、 ワカサギ釣りを楽しもうとした釣り人などが犠牲となっているケースだ。当然だけど寒中水泳や、サウナの氷水とは違って、人間は突然足場が崩れることを想定していない。リアルな落とし穴ドッキリに耐性がある人はまず皆無だろう。だからまず、氷が割れて何が起きたか理解する前に水の中へ突入し、思わず水を吸い込んでしまう可能性がある。その場合は通常の水に溺れる時と同じように、 助けがなければもがき苦しみながら死を迎えることになる。ちなみに氷点下付近の水は、無数の針が刺さるように痛いはずだ。一度はやはり豪雪地帯へ行き、スタッドレスタイヤの凄さを確認し、道路が埋まるさまを確認してから耳が千切れそうな痛みを、あらかじめ味わったりしておくとそれがどれだけ不味いことかわかる。恐怖とか、痛みがもたらす経験を過少評価している人がいるだろうが、それは大きな間違いだ。僕が知る限り大きなバイク事故を起こすと大抵バイクに乗るのを止める。さて、人間が冷たい水の中に落下すると一般的に、「1-10-1の法則」と呼ばれる現象を辿って死に至る。一分間で低温ショック、十分間で四肢の機能を失い、一時間で低体温症により凍死するというものだ。順を追って説明していくが、人間というのは体温を一定に保つ生き物だ、恒常性とも言う。熱を逃さないように皮膚のすぐ下を通っている血管を狭める。 すると身体中に血液を循環させるための抵抗が増加し、 血圧と心拍数が急激に上昇し、若く健康な人間であっても、心筋梗塞に陥ることがある。また息が荒く浅いものとなって、それだけで水を吸い込んでしまう可能性が上昇する。 息をする頻度が通常より増加すれば常に頭を水から上に出していないと危険だということは、容易に想像できるはずだ。幸いなことに一分ほどで息が上がるという事態は収まるが、ライフジャケットや、身体を支えるものがなければ苦しい戦いになる。さらに人間には潜水反射という別の反射が存在し、人間の顔が水に浸かると酸素を節約するために、心拍数を少なくするというものなのだが、これは低温ショックの結果と真っ向から 対立し、潜水反射と低温ショックが体内で喧嘩のようなものを起こした結果、 不整脈を発生し、亡くなる人間も多いという研究結果がある。もちろん救助が前提にあるのならともかく、場合によってはそうやって死んだ方が苦しまずに死ねる場合もある。心霊体験で髪が真っ白になったり、気が狂ったりするように、不安や恐怖と戦うというのは誰でも難しいことのはずだ。そしてそんな風に次の十分の試練がやって来る。空気と比べて水は比重が重いため、体温を奪う速度が段違いに速い。あくまで目安だが、血流を抑制された筋肉はおよそ五分から十五分後には硬直し、 意識的な動作はほぼ不可能となる。当然その状態で気道を確保することは難しい。つまり、自力で這い上がることが出来るのは、最初の十分間だけだと考えられている。生存確率というものに賭けて最後の一時間がやって来る。一時間ほどで訪れる低体温症による死だ。とはいえこれもあくまで目安、体脂肪率や体重にも大きく影響を受ける。 体重が軽い子供は十五分でも命を落とす危険があるのに対し、 肥満体型の人では三、四時間ほど猶予があると推測されている。とはいえ、極寒の池や湖に落ちて低体温症でなくなるのは極めて稀で、低体温症になる前に四肢が動かなくなり溺死してしまう方が、圧倒的に多い為だ。だから落ちないように石橋をたたいて渡るべきなのだが、それでも落ちた時はできるだけ早く脱出しなくてはいけない。けれど、「1-10-1の法則」を忘れてはいけない。一分間で低温ショック、十分間で四肢の機能を失い、一時間で低体温症により凍死するというものだ。ちなみにタイタニックの乗客はマイナス二度の水温で、低体温症で十数分から二〇分のうちに亡くなるか、心臓麻痺で数分のうちに亡くなった。最低それだけの時間はあるのだ。きっと希望はある。ゴールデンゲートブリッジで自殺をする人の生存率は一パーセントだそうだ。プール飛び込みの世界記録は五二.四メートル。海パン以外の装備無しの無傷の飛び込み記録はこの高さで、ちなみにゴールデンゲートブリッジは六十メートルある。怪我をしても助かることがある。そんなの誰にもわからないことだ。最初の一分間は低温ショックにより無意識に息が荒くなる時間で、 すぐに脱出したくなる気持ちはわかるがまずは落ち着かなくてはいけない。これは人命救助でも同じことだ。パニックに陥っている人間は誰も助けることは出来ない。陸上のような火事場の馬鹿力はいらない、極寒の水の中での最善のパフォーマンスは、常に冷静さという要素が必要になる。頭を出して呼吸を落ち着かせ、重たい衣服も浮き代わりになるので脱がず、さあ、十分以内にこの最悪の事態を終わらせよう。まずあなたが氷の上で辿ってきた方向を向き、その部分の氷に手を乗せる。その後は水の中で足を蹴り、なるべく身体を水平に保ちながら、少しずつ氷の上に上がるのがポイントだ。身体を水平に保つことで体重を分散させ、再び氷が割れる可能性を下げることができる。とはいえ、氷の上に這い上がろうとしても、肘をついて力を入れるたびに、氷が崩れてしまうこともあるだろう。一般論や、常識的判断なんか何処にもない。最後まで、足掻き続けてやることだ。諦めないことだ。何か鋭く尖ったものがあれば氷に刺し、手助けしてくれる人がいればもっと楽になる。声が出せるうちに助けを求めることも忘れてはいけない。世の中には低体温症や、凍傷になりながらでも生き残る人はいる。諦めた瞬間に人は動くエネルギーをすべて失ってしまう。無事に水から脱出できたら立ち上がりたいところだろうが、這うようにしてその割れた氷から離れ、次に転がるように離れ、すぐに室内に移動するのが最善策となるが、雪山の話よろしく、低体温症の恐れもあるので、急激に温めすぎてはいけない。状況次第ということもあるが、抹消組織の循環が再開して、冷たい血液が身体の深部へと流れ込むと、体幹の温度が下がって死亡してしまうこともある。とりあえず、アルコール類やカフェインの入った飲料は、血管を収縮・拡張させる作用があるので与えてはならないし、入浴や暖房などで急激に温めるのも厳禁だということは、知っておいた方がいいだろう。できるならもちろんワカサギ釣りなんかしない方がいい、氷上でスケートなんかしない方がいい、フィンランドで冬だけ道路になっているとしても渡らない方がいい、けれど警告に従わないのが人間というものだ、好奇心旺盛な主人公はあっという間に傲慢な過失をする、しかし危険というのが好きなアドレナリンスポーツの虜という人もいる、馬鹿な死に方リストに名を連ねながら、今日も僕等はタイタニック号のように氷山に追突する危険性はないのに、それでもベーリング海のカニ漁という、過酷なアメリカンドリームへ向かう。
2024年09月24日

Spring fatigue「嬉しい」とか、「悲しい」とかが、時折本当にどうでもよくなるのがリアル。達観してるね、けど、みずみずしいものが、とまらぬ速さで消えてゆく気がする、それを『大人』っていうのか、君は。傷つくことが日陰の花の上の蜂のように、舞い降りてゆく、美しいものは滅びて、か弱くて感じやすい自分が、何だか多分嫌だった、いつも多分、漠然と、多分、言いながら、本当も嘘もないけど、知恵の輪も憂鬱の蔓を持っているだけ、僕はつまらない、無味乾燥な人間の仲間入りをしたんだ。世界で一番、春が嫌いだって僕は言った。
2024年09月23日

The fact that people don't understand hasn't just begun, but the fact that you don't understand hasn't stopped本当のところ、君が何を考えていたのかも知らない。小さな消えつつある電池によって点じている電信機と、S・O・Sのモールス信号。着物の背筋に拗ねた線を作りながら、あの花火大会が終わった、ガソリンや石油の匂いのする雨を嗅いでいる。さくらんぼや、薔薇、チューリップ、菫、ゆっくりと口を開き、感情を露出して、眼や鼻や口をばらばらに配置して、樹脂が流れて固まったような感電の仕方をしてしまう。僕は焦がれた。
2024年09月23日

The sign of this ice cream is a landmark.コーンに、今年は、特別な夏だって思っていた、だから、アイスクリーム屋でバイトした。ダブルアイスクリームマイクで歌った、蒸発的、夏の妖精アイスクリーム原理主義者へ立候補した。誰もわたしを止められない。お腹壊した。食事ブレイカー、クラッシャーマシンガール。
2024年09月23日

甘い声「君はどうして自分が生きているって思うんだい?」「・・・・・・」「何を言っているかわからない」「・・・・・・」「聞こえない」「・・・・・・」開かずの間から、聞こえてくる声。数十年前に、変死があったと聞く。いもしない人物を、その当時の所有者の子供は、不気味な絵を描くお姉さんと言って、蝶のあこがれの羽根のごとく慕っていたそうだ。咲き乱れる花々が人を酔わせる薫りを、放つように、生と死の淵の上の複雑な彩というのも、人を惑わせ、迷わせているようだ。「スペース」に止まっている所と、もはや既に「機能」としての働きの考え方に移っている所が、共存する。死因は、車の下敷きになった圧死だと聞いているが、クレーンでもない限り、そんな死に方はしなかった、という。静かに精密な機械が油で美しく磨かれて音もなく動いているように、「形態」は静かに『変貌』する。開かずの間からは、複数の時計の音がする。年に一度、掃除に入ると、時計は一つもない。あったとしても、とうに電池が切れている。ドライアイスのような煙。開かずの間の窓に時折マネキンが見え、時折首吊り輪にかかっている。痴呆の無感覚にだんだん隔って行く自分を、うつらうつら無意識と意識の境いに置きながら佇っている。世の中には一定数、魅入られる人、ミイラ取りがミイラになるようなことがある。眼の下に隈ができたり、眼つきがおかしくなってきたら止めなくてはいけない。独り言の癖が出てきたらいよいよ危険だ。先日、近くの湖で溺死した庭師がいる。忘れられないのか、夢を見た赤ん坊の口のように無垢で純情な、―――人を誘う声。おのが内と反響する、やるせない闇の滴り。
2024年09月23日

cavity welding僕 が ど っかに 行 ってしまいそうになる 。 START … 売店に群がる人々、ゴミが溢れ出しているゴミ箱、 憩いを求めている人でいっぱいのベンチ。 着ぐるみのキャラクター、アトラクションに並ぶ行列と、 塗装の剥がれたセーフティーバー。 ベンチにおき忘れられたペットボトル。 このノスタルジア、淡いユートピア気分。 暴走だ―――だ・・・・・・・ とりとめのない幻を呼び起こす想像がいつまでも胸ので、どうにもこうにも、消えていっては―――くれないのだ・・。 数万の意識から、 数千億以上の無意識がうごめき、 無限に分裂し、宇宙の音楽へとすり替わり、 夢の内側に呑み込まれる。 磨硝子色に厚みを保って陽気でも陰気でもない、 旧套の良心過敏性の衰亡者。 曖昧模糊とした意識の闇から、 蜃気楼のように現れる万物の生成変化。 緻密な凄みと執拗な鞣性を含んでいる、鳥。 妖艶な雰囲気が月暈のようにほのめき出て、 水面に鋤き入れる。 「花壇がノーチラス号になる」 「―――観覧車が衛星になる」 「断崖の底を覗き込んだような沈黙の後」 継承し、意識する秩序と法則による過剰な集合体。 街のどこかで、 誰かによって夢見られている「わたし」がいて、 風船のように漂い流れてゆく。 嘆声を挙げてやや晦冥に跳ねだす刹那。 純粋な味覚でもなく、そうかと言って普通の嗅覚でもない。 舌や口蓋や鼻腔粘膜などよりももっと奥の方の咽喉の感覚で、 意 味 の あ る 行 為 。 伝 え るは ず の 言 葉 。
2024年09月23日

Re空の青は暑熱を孕まず水線を思わせる一つの国。 ―――星を漬し星を現像する。 映し出して アスファルトの特殊カメラから、「踵」―――『靴底』を見る。 (浄化する)――[physical] [時間の(水底へ)]――[parallel] ひらかれたまま、鳴らない・・終わらない―― 温室的な薄い硝子の中に―――ある。 (フェードアウ―――ト、)後十メートル、後、五メートル・・。 [太陽の、世界、だ]
2024年09月23日

椅子は、背面と座面と、それを支える脚によって、一つの形態をなしている。これにひじ掛けや、食事用のテーブルなどがつくと、椅子はまた別の機能を持ってゆく。耳が四つもある猫みたいだ。ちなみにイラストにおける猫女の、四つ耳問題は、永遠に解けない謎の一つだ、可愛いは無敵であるが、聴力がよすぎて地獄耳といわれているか、いつも耳栓をしているかも知れない。なお、シンプルな椅子は段ボール箱でも成立する。椅子に座るのは犬や猫もそうであり、中でも人が中に入っているように錯覚するほどのクオリティで、ジャイアントパンダやクマが座る姿も目撃されている。 椅子が人間化したんだ。(...背もたれが梯子になった椅子や、足置きのある椅子を見ていた、)放っておくと・・・・・・・。(...パイプ椅子についている細い棒状の物を確認できるか?)すぐに【四つ足】になろうとする。(...何だろうね、昔のPCが立ち上がっている間、ずーっと鳴り続けていた、カリカリ音、あのハードディスクの音を思い出す、)There's a chair over there風の強い夜だったThere's a chair over there「そこは私の椅子だよ」と君は言った。
2024年09月22日

あのね、あのね、本当のところは、 「何が正しいのか」じゃなくて、 (ロールプレイング...) 「昨日と同じ方向」へ進むんだ、 (それも一つのロールシャッハ...) だから楽しい気持ちや嬉しい気持ち、 優しい気持ちを大切にする、 だって今日を僕等は生きてるから、 今日も僕等は生きようとするから。 、、、、、、、、、、、、、、、 昨日は僕もエイリアンと遭遇した。 リトアニアの市長は、 違法駐車にブチ切れ自ら装甲車で実力行使したし、 男性トイレの小便器の前に液晶画面を設置して、 美女を映し出すという実験もしたもの。 (それだって焼肉屋で、 牛の写真を貼りだすようなもの、) 、、、、、、、、、、 鳴りやまないブザー音。 真実に働 か さ れ て い る わ け じ ゃ な い 。 現実に揺 さ ぶ ら れ た り は し な い 。 ベネエズラやコロンビアの都市伝説、 骨袋を持った男、エル・シルボンが、 マグロ拾いと関わっているのかなと思った、 自分を少し笑った。 YouTubeの裏技で、十六倍まで視聴速度を引き上げられる。 それと高速道路の映像を組み合わせながら、考えていた、 「僕等は本当によりよく生きたいのだろうか?」 「僕等は本当のところ、何もわかっていないんじゃないか」と。 「政治が僕等の人生に何の役に立つだろう、 君は政治運動をするのだろうか」 みんなそうじゃないんだ。 みんなそうじゃないんだ。 「市民の声は大切だ、でも誹謗中傷罵詈雑言は何だ、 それはヴィーガンの過激派が、 肉を食べる人を怒鳴り散らしている姿を連想させる」 みんなそうじゃないんだ。 みんなそうじゃないんだ。
2024年09月22日

死んでから八分以内とはいうけれど、時間を大幅にオーバーして蘇生する例は数多く見られる。怪しげな宗教の場合は、ゾンビパウダーか、二十世紀少年に出てくる奇跡という手品を参照だ。世の中には植物状態となっても回復する例も見られるが、今後冷凍睡眠を利用した何光年も先の惑星を目指すような時代が来れば、ワープ航行に夢は膨らむけれど、十中八九、その眠りの期間は大幅に拡大することになる。死とは何だろう、毎分一〇五人が死んでいて、脳のホルモンが分泌を止め、酸素がなくなり、沈下した血液の色が皮膚の表面に紫色に現れるところの死斑が出る。筋肉は筋収縮に必要な筋細胞内カルシウムイオン濃度の上昇に伴い、緊張化をコントロールできなくなり、死体の筋肉が硬化する死後硬直という現象が始まる。一兆とも言われる数の微生物が死体の分解を促進し、腸内の嫌気性バクテリアが腹部にある臓器を食べ始める。でもそこにはもう、心はないのかも知れない。それは対称性による発想かも知れない。現象によるものなら、心はその働く動力源を失ったのだ。ところでどうだろう、それは「意識の檻の中(精神a)」にいるような状態かも知れないし、「天国ないしは煉獄(精神b)」かも知れない。心臓とも脳とも違うかも知れない心というものは、どんな次元の、どのような場所にいるのだろうか。何故、心は肉体とワンセットでなければいけないのだろうか。僕等には何となくわかっていることが、場合によっては因習による思い込みだったり、認識パターンであるかも知れない。またマトリックス、世界五分前仮説、水槽の脳のようにだが、僕等が世界だと思っているものが、必ずしも本当の世界だとは限らない。「体外遊離体験」で眠っている自分を見下ろす、もう一人の自分のように、だ。光に導かれ、意識が肉体から離れていく。これは「憑依」や「ドッペルゲンガー」や、「人格の入れ替わり」の補足になる。交通事故で眼球が衝撃で飛び出してしまうように、実は心(魂)というものを飛び出してしまうものなのだ。とはいえ、証明はできない、ただ、世界というのは、自分が思っているような視座における一つだとは限らない。たとえばラスタファリズムというのがある。一九三〇年代にジャマイカで発展した思想だ。聖書を用いるという点ではキリスト教と似ているが、ラスタファリでのイエスは黒人で、旧約聖書にある「イスラエルの失われた十支族」の一部が、今のアフリカに辿り着き、子孫が繁栄していったという考えが、ベースになっている。ただ、黒人とか白人とか関係がない、黄色人種で、なおかつ基本的には世界的に見ても平等な考えを持つ種族なので、どちらでもいいような気がする。教徒でなければ、絶対にそうだろう。ラスタファリアンは我々が考えるような大々的な葬式は執り行わず、また、死に対して悲しみを抱くことはない。ラスタファリアンにとって死は祝福なのだ。こういう考え方も僕にとってはどっちでもいい。とはいえ、動物たちの死の儀式さながらに、そういう考えが普遍的であるか、すべての生き物においてそうであるのかは別の話だ。もちろんラスタファリアンの人の中にも悲しみに暮れる人はいるだろう。教えが必ずしも全場面において投影されているとは限らない。難しい言い方をしたが、みんな一面的ではなく、多面的だ。アステカでは、不公平な死に方をした人は救われるべき、という考え方が尊重されている。一種の異世界転生物のチート設定みたいに、だ。ところで人間というのは今現在絶賛死亡中である。キャプテン翼&手塚治虫&なろう式交通事故テンプレートだが、人が死ぬということを表現する上で、交通事故は分かり易い。ありとあらゆる宗教が霊魂をぎゃーすか語ろうが、霊界だの宇宙次元だの菩薩だのとボケナス抜かそうが、人は百パーセント死ぬ。不老長寿の人が人類にいるという話もあるが、歴史の表舞台で、「わたしは不老長寿です」と現れたわけではない。これは科学的な限界であり、理解の限界である。今後、脳を電脳世界に取り込んだりして、人間の死の価値観は大きく変わるかも知れないが、それ以上ともなると、それは未知の表現をゆくことになる。証明することはかなわない。ギリシャにいたエピクロスは死について、何ほどもない、生きている間に死ぬだけだ、というようなことを述べている。こんな書き方をすると含蓄も何もなく、近所のオッサンが言ったら蹴りを入れたくなるような感じだが、生きている間に死を準備すること、覚悟することはよいとしても、死を恐れても何の意味はないということを述べているのだ。けれど、死の後に待ち受けているのが、「虚無」とか「暗闇」とか、いやいや、「広大な宇宙空間のようなしずけさ」ではないということはできない。場合によっては人が集団自殺をするのだって、UFOと交信をするのだって、そのせいかも知れない。高次元とか、形而上というのを何となく理解できる人もいるだろうが、それはスピリチュアリズム詐欺師列伝とそれほど変わらないことだ。初期仏教の聖典とされる、パーリ・ニカーヤでは、五つの死後の世界が説かれ、その後、派生と進化を経て生まれた大乗仏教では、それに一つ地獄を追加した六道という考えが受け入れられている。わかるだろう、増減するようなものが普遍の定理のわけがない。まるで豊饒の儀式だ。二元論から必ず三番目が出て来て、人格では十三人も生まれてくる。そしてアメリカでは十三という数字を不吉だという。オカルトだ。ちなみに哲学では「知らないこと、わからないこと」を、「無知の知」や「不知の自覚」という。とはいえ、カメラなどで撮影されているわけでもなく、扉にお札や呪文を唱えると霊界へ通じるというわけでもない。言うまでもないことだ。アニメや漫画の緩さならこれは成立するだろうが、現実世界ではもっぱら死後の世界は謎でしかない。謎というなら、天才と呼ばれるアルベルト・アインシュタインの脳は、死後に家族の許可なく彼の身体から取り出され、四〇年間研究に使われた。アインシュタインの脳は分割されて、研究者たちに分けられ、すでに全体は残っていない。短編小説が元になっている卵理論なんかでは、すべての人が自分であると嘯く。つまり生まれ変わるとキリストになり、仏陀になり、隣に住んでいる人になり、最後は神様になる、そして世界というのは卵だよと嘯くわけだ。これはみんな、愚か者の考えだとすぐにわかる。だけれど、愚か者の考えから学ぶこともできる。すべての人が自分ならすすんで争いを起こそうとはしないし、まず、自分に向かって嫌なことをしないはずだ、と。これを機械的にすると、僕等はNPCなんじゃないか、と思うことにもなり、僕等の意識とは何だろうという哲学的な問い掛けにもなる。クオリア言っていても何も解決はしないが。こういう考えはSFの得意分野で、たとえば星新一は霊界から死後の世界と交信できる装置作ったら、みんなが自殺するというものがある。いささか極端すぎるブラックユーモアだけれど、実際、これまで地上で死について語った人は大勢いる、どうして「死後の世界と地上とを結ぶ装置」を、作ってはいけないのだろう。どうして天国のような場所から地上へ、降りてこなくてはいけないのだろう。輪廻転生を解脱すると考えた仏陀は、要するに、「因果ではなく、輪廻の元となっている、欲求や執着、生きることそのものに対する執着さえも、棄ててしまえばいい」と思った。そして僕等は終末期明晰になったのだ、といえば、口が悪い僕は小言を喰らうかも知れないけど、そのメカニズムだって説明できない。世界記録は九秒の壁であり、スピードガンコンテストは百七〇キロ。何の前ふりかって? じゃあその悟りを開いた時からの持続時間を教えてもらえますか、だ。あと、本当に輪廻をしなかった証明を、である。こういう時、僕なら大真面目にダウジングだよ、テレキネシスだよ、おおまるで、聖ヨハネ降誕祭前夜だよ、と。これを突き詰めて考えると、僕等は天国や地獄が本当にあるかどうかさえ知らない。「霊界からの電話」があった、「死者」と会ったというのを、きわめてハートフルマインドに加工するとしても、それだって設定には違いない。ノストラダムスも設定である。僕等はポルターガイストにだって本当のところ、霊的な干渉からそれが起こっているのかを知ることはできない。科学的な物言い、あるいはオトナ語であるが、たまたまそれが霊的な手法によって払われたとして、それが霊的な干渉によるものだったのかを証明することはできない。もちろん、助けてもらったらきちんとお礼を言い、心を入れ替えようね。ちょっと考えてみよう、「地獄から地上に転生してきたという証言」が見られないのは、何故だろう、それは人を選んでいるからだという意見もできるが、霊的な理解というのは片方に寄り掛かっているものにすぎない、きわめてアンフェアなものだという解釈になる。みんな善人か? そんな気持ち悪い答え、聞きたくない。NHKで言ってろよ。ところで、カオダイ教というのがある。一九二六年にベトナム南部で創設された新興宗教だ。儒教、道教、仏教、キリスト教、イスラム教を土台としており、信者が着用するローブの色によって、どの教派に属しているのかが判別できる。僕の感覚でいえば、滅茶苦茶な宗教であるが、新興宗教にはこういう和洋折衷方式、いいところを積極的に取り入れるというのはある。カオダイ教における教えでは、カオダイの顔は実は数千年前からこの世界から介入してきたようで、一回目は釈迦の姿を借りて人類を救済し、二回目はキリストと老子の姿で人類を救済し、三回目にカオダイの顔として人類を救済中ということらしい。僕の感覚では一体誰がそんなざーとらしいことを信じるのかと思うが、別の言い方もできる、信じることと知ることは違うのかも知れない。僕は仏教徒だけれど、神社に行くし、クリスマスもする。曼荼羅を漫画に描き、魔法陣はアニメで色鮮やかに浮かび上がる。生の無条件肯定と、死の絶対否定のようなやりとりだ。深い海底にべったりと貼り付いた貼り絵のような自分や死の特異点。「見えるもの」が「見えない」ということができるだろう―――か。「見えないもの」が「見える」ということができるだろう―――か。僕はいまでも時折マザーテレサの告白を思い出す。神様を信じられなくなるのは普通のことなんだよ、信じれば信じるほど見えなくなるかも知れない。自分が今ここにいるのはとても不思議なことだ、別に統計学を持ち出してソロバンする必要もない、約八〇億人いる人間の中で、わかっていることが必ずしもそうではないと気付くのに、何十年もかかるなんて別に珍しいことじゃない。神の視点で人類を見続けてみる努力をされたことはあるだろうか、僕はある、その究極のところで僕なりに、「神というのはいるかも知れないが、おそらく僕等が想っているような神はいない」ということを想った。きっとマザーテレサも同じことを想ったのだ。詩人というのはまず、神の道具である。では、死後の世界とは何なのだろうか。とある人達には「前世の記憶(輪廻転生の証明)」だけではなく、「天国の記憶(死後の世界の証明)」を持った人がいる。天国からトンネルをくぐらされて記憶を失わされる、とか、行きたくないのに嫌々行かされるとか、だ。利発な子供の中には、大人でしか知らないことを、物心つく前にぺらぺら喋っていたりする。これは「人格の記憶(魂の器の証明)」と考えてもいいことだろうが、もちろん、そんな風に分かり易くできるまとめサイトや、内容を次の日忘れるユーチューブ動画とは違う。また人が嘘をつくことは今に始まったわけではない。
2024年09月20日

2024年09月19日
かもちゃんが言う。「古事記=難しそう。これは、YouTubeで中田敦彦が勝手に、大学を創設して以来のことダロ。来る日も来る日も、血のにじむような努力をして、へぇボタンと仲良くなり、学んだ、集大成―――」を、かもめハウスでぺらぺら喋ってくれるらしい。市長さんと魚屋のおじさんといずうさ。妖精三号がいずうさの耳を齧りながら寝ている。「古事記は日本がどう始まったのかというストーリーが描かれ、アニメとか小説のようなストーリー形式ダロ。パパパパパ...ぷぼっ(?)」いまの何? という顔を、いずうさはしたが、妖精三号に耳かじられていた。妖精一号と妖精二号は、冷蔵庫を開けて、ケーキをいただいていた(?)市長さんと魚屋のおじさんは、黙って話を聞く。喋り上手な鳥なので相当噛み砕いてくれるに違いなかった。「だからまさに、“日本の聖書”と呼ぶこともできるダロ。古事記は、中国などの諸外国のように、国の歴史をまとめようじゃないか、という国家プロジェクトで、三人の名前を大体覚えるダロ。言い出しっぺの天武天皇(てんむてんのう) 暗記の達人の稗田阿礼(ひえだのあれ)聞いて書いた編集者の太安万侶(おおのやすまろ)―――中二病要素満載で、シモネタ多めに走った、正真正銘の迷作ダロ。思うにコアな読者層がいて、無人島に流れ着いた時に持っていきたい一冊だったダロ。古事記は三巻パックで、上巻は“神の物語”中巻は“神と人の物語”下巻は“天皇の物語”ダロ。さて、それでは始めるダロ」、、、、、、始めて下さい。「世界の始まりは陰と陽、天と地。それらがどろどろにあわさったようなコンクリートミキサー状態から、最初の神様がどろんと生まれ、次々に神様がべろんと生まれ、最後にばろんと生まれたのがイザナギとイザナミ、ダロ。兄妹神が作ったのが日本列島。次にそこに住む神様も生み出すダロ、海の神、山の神、土の神、風の神など、びろんびろん、どりょりょんどりょりょん、たくさんたくさん産み、最後に火の神を産む時分、イザナミは火傷をして死んでしまったダロ」かもちゃんの擬音語のせいで、ちょっと頭に入ってこないところがある、といずうさは正直に思った。けれど、ベタな出だしなので特に気にしない。誰も見たことないのだから、それっぽいことを書くしかない。「取り残されたイザナギは悲しみに暮れた挙句、火の神を殺したダロ、そしてイザナミを追って、あの世である黄泉の国へ、ベケベンベンベン・・・ぶほっ(?)」いまの何? と、いずうさは思ったが、もう何も言わなかった。市長さんと魚屋のおじさんは、すっかり話にのめりこんでいた。「黄泉の国は広いのでそこはまあご都合主義だけれど、イザナギはイザナミにマジ帰ってきてよ、東京ディズニーランド行こうぜ、と懇願するダロ。イザナミは多分難しいけど、偉い神様に頼んでみるから、ディズニーシー、外で待っててね、でも絶対中は見ないでと言われたダロ。頭にねずみのかぶりものをしながら。うんともすんともいわない時間が、間延びして、間延びして、間延びした」間延びして、間延びして、間延びした。そこは要約できそうなところなのに、間延びすることを止められない、それが、黄泉の国ならぬ、読みの国。「しかし案の定だったダロ、もう、我慢できぬ、ハッハッハッ...ぷぼっ(?)しびれを切らしたイザナギは、中を覗いた、障子の穴にぷすっと穴あけるように(?)するとそこで見たのはゾンビーなイザナミ。ゾビナミ(?)イザナギは驚きと恐怖で逃げ出したダロ、“だってまだ、死霊のはらわたを見ていない”約束を守らなかったことに激怒したゾビナミ、仲間を引き連れ、追いかけてくる、“ナイト・オブ・リビング・ゾビナミしてやろうか”イザナギは足が竦みながらもカンガルーして、そこは何とか逃げ切り―――」どういう状況かさっぱりわからないが、一同、かもちゃんの言い方が面白いので許すことにする。「黄泉の国の出口まで辿り着けばその出口を大きな岩で塞ぐダロ、 追ってきたイザナミはその岩越しに、“こうなったからには生まれてくるものを、一日に一〇〇〇人はゾビナミしてやると言い出したダロ」ゾビナミってどういう意味かはわからないが、多分、殺すとかいう意味なのだろう。ゾビナミする方が、はるかに難易度高い気がする。「それに対してイザナギは、じゃあ俺は一五〇〇人産む、ゾビナミ、産む、ゾビナミ、産む、ゾビナミ、ゾビナミ(?)こうして生者と死者の世界が分断されることになったダロ」ゾビナミした、ということなのだろう、と一同思った。「その後イザナギは、黄泉の国というか、ゾビナミシンドロームで、身体を浄めようと川へ。そして、その雫から新しい神様が誕生したダロ。それが天の世界を治めるアマテラス、夜の世界を治めるツクヨミ海の世界を治めるスサノオ、ダロ。イザナギは新しい神様に命じられた、けれどスサノオは駄目だった、わがままで暴れん坊、いうことをきかずに暴れん坊将軍、網走刑務所の龍二」誰だろう、網走刑務所に龍二という組み合わせを見つけた人は。「スサノオはギャン泣き。ママに会いたいという声で、災害を引き起こしたダロ。玉置浩二の声を一千倍にまで高めると大体このような感じになるダロ、その一部始終を見ていたイザナギは、ゾビナミだったということもあり、そんなにハピネットや、ギャガドーンに会いたいって言うんだったら、勝手に行けよとキレた。いわゆる芸能界で干すという言葉の大元には、このような場面があるかも知れないダロ(?)地上へ追放される、ベケベンベンベン―――ぷはあ(?)」ゆっくり喋れと言われるまで早口まで喋り続けねばならない、鳥。「スサノオはせめてお別れにアマテラスに旅立ちの挨拶をしようと、天の世界を訪れるが、アマテラスは何でこいつ会いに来たダロと思った。まさかアバレン・ボー・ショウ・グンするつもりか、ここを日本の城塞アバスウィリ・ケイム・ショにするつもりか。疑った」疑ったのは、何故急に外国人になったのかということの方である。「おうおうおう、アマテラス。なんぼのもんじゃの、すったもんだのやんやかや。天の世界が目当てかとアマテラス。スサノオもその誤解を解こうと懸命だが所詮はIQ三〇の申し子(?)」こら、と誰かが言った。「なかなか理解されず兄弟ゲンカにエスカレーターしてエレベーターして、最終的にエラベネーダーして、ターミネーターした(?)ゲームでケリをつけたダロ、そのゲームの勝者は、アバレン・ボー・ショウ・グン・エボリューション(?)それはもう嬉しくて暴れた、趣旨忘れてはしゃぎ回った、田んぼを荒らし、家畜を殺し、宮殿壊しの、人身事故まで。この事態に怒りながらも傷ついたアマテラスは、―――アマテラスは、拗ねたダロ(?)」それは違う、と市長さんは思った。「スーパーニートになるために洞窟へとログ・インし(?)入り口を岩で塞いだダロ、天の神であるアマテラスが洞窟に引きこもってしまったことで、世界は空前絶後の暗黒舞踏会。どどめ色。そこで神々は集まってどうしたらアマテラスを洞窟から出せるのかの、会議を開いたダロ。ジジイやババアが集まったダロ。スケールとしてはアルマゲドンの映画ダロ、でも現実は井戸端会議。その会議の結論として、芸能の神様ばちくそエロく踊ったダロ(?)そしてスーパーニート釣り開催ダロ(?)」かもちゃんの古事記には、イメージ語が多用されている、と魚屋のおじさんは思った。『スーパーニートになるために洞窟へとログ・インし・・』という言葉が、頭から離れないで―――いる(?)「ハテサテ、アマテラスが洞窟から出てきたことで、太陽の光がざんざか戻り世界は平穏をパンパカ取り戻し、以降はアマテラスはミニスカポリスになったダロ(?)」なっていない、といずうさ思った。「いわずもがなその後スサノオは天の国を追放され、流しのギターさながらに、地上に降りて呆然とさまよっていたら一軒の民家を発見したダロ、そこで老夫婦と娘が泣いているダロ」どうでもいいけれど、流しのギターさながらに、はよい。「理由を聞いてみるとヤマタノオロチとかいう八つの首を持つ、化け物に、ビッグスネークチョロ松に、ざばざばぐわんなぴろ助に、娘を生贄として捧げなきゃならない、こう言う。左様。成程(?)」一同は失笑を禁じ得なかったが、ワードセンスの良さと、妙な締まり具合だけは認めた。「しかしそんなこたーどうでもいいダロ、その娘クシナダヒメがスサノオのめちゃくちゃタイプだったダロ、あっという間に股間がバッベールの塔、バッベルベルのカノンしたダロ、ヤマタノオロチを退治するから娘くれ。ハァハァハァ・・・ぷはぁ(?)山賊じゃないけど、まじでくれ。俺のドリルドライバー、プラスドライバー、それはいわゆる一つの、スクリューパイルドライバー(?)」古事記の説明で、ここまで滅茶苦茶にしたがったのは、おそらくこの世界でこの鳥、一羽ならぬただの一匹。「でも安心、現実ならドキュンの川流れダロ、けれどドラコンボール設定なら無敵ダロ(?)老夫婦もいきなりのことなので驚いて、ジョジョ立ちするが、化け物に食べられるくらいならということでその申し出を承諾、 癌になった投げやり老人が箪笥貯金を寄付して、寄付して―――イヤッホウ、一躍有名人みたいな勢い(?)」、、、、、イヤッホウ。「スサノオはすぐにヤマタノオロチを退治する作戦を思いつき、それは大量のお酒を飲ませてぐでんぐでんに酔っぱらったところをやるというもの。お酒を用意し早速ヤマタノオロチがこんばんみー!スサノオは景気づけに一杯飲んでいってくださいよ、と言いながら、ヤマタノオロチをへべれけに酔わせて泥酔したところで、一気に首を切り落としたという寸法。刈り取り。あるいは今の時代でいうところのカリスマ美容師(?)」イヤッホウ、そんな快感に満たされたい瞬間がある。あと、かもちゃん、カリスマ美容師に何か恨みが?「このようにして、万事滞りなく退治できたので、 スサノオはクシナダヒメと結婚して、やりまくったダロ(?)出雲、今の島根県に新居を構え、ピー音、チョメチョメ音ともども、やりまくりのまくわうり(?)天上界では荒くれ者だったスサノオも地上では幸せにやりまくり、子孫をゴキブリのように、破竹の勢いで増やしていったダロ。飽和。そして合唱」、、、、、、裏声で君が代(?)「その後、時は流れ流れ流れ流れ流れ―――て、」そこまで流れは連呼はしなくてもいいような気がする、兄貴なにしてはりますのやろ、とカラスは思った。「スサノオとクシナダヒメの子孫である、オオクニヌシの話。オオクニヌシには兄弟がたくさんおり、オオクニヌッコ、オオクニヤッコ、ヤシガニ、ヤスウィガニ、あと、ヌッコガニ、ヤッコガニ・・・(?)」多分そこかもちゃん以外まったく興味を持たない、いらない描写。「そうなのダロ、フムフム、なるほどなのダロ、その兄弟全員がヤガミヒメという同じ人のことを好きになるという事態になり、 オオクニヌシは兄弟の中でいじられキャラ、吉本新喜劇では走って飛び蹴り喰らうようなキャラなのだけれど、それにもかかわらずヤガミヒメから気に入られたのは何と、オオクニヌシ、蓼食う虫も好き好き、ハッピー、ラッキースケベ、ヤッターマン(?)」ストーリーの説明を二の次として韻を踏み、その楽しさをついつい追及してしまう、鳥。「そうなのダロ、それを面白くないと思った兄弟から壮絶ないじめ、オオクニヌシは万事滞りなく兄弟たちに殺されてしまう。その状況を可哀想と思った天の神によって生き返らせてもらう。アイルビイバック!(?)しかし兄弟からはお前まだ生きてたのかと壮絶ないじめ、万事滞りなくバンジージャンプ、再び殺され、天の神はそれでもオオクニヌシを生き返らせ、 しかしこのままだとまた殺されてしまうだろうと、逃げ込んだのが先祖であるスサノオが住んでいるところ。兄弟のいじめから逃げてきたオオクニヌシだったが、スサノオも天の国を追放されるほどのアバレン・ボー・ショウ・グンにして、日本の城塞アバスウィリ・ケイム・ショ(?)神聖のヤンキー、ヤンキー、ヤンキー、レボリューション(?)スサノオから厳しい試練を受ける羽目に。“まず根性焼きだから”“次に自動販売機でジュース、コンビニで朝食の準備”最終的に、鉄砲玉となっておつとめを果たし、スサノオから認められ、お前が国を治めろよということで出雲組をおさめたダロ」くみちょー、と、いずうさは思った。てか、くみちょーじゃん、それ、といずうさはさらに思った。「その動きを見ていて気になったのは天の国にいるアマテラスこと、ミニスカポリス(?)ねえちょっと聞いたんだけど、地上の国を治めているのはスサノオの子孫ってまじ? え、それ、ありえなくない?ということになり髪の毛を盛り、伝説の髪形である昇天ペガサスMIX盛りにし、そして地上に使いを送ったダロ」昇天ペガサスMIX盛り、は、かもちゃんの好きなワードである。アマテラスが絶対に望まないワードとも言う。あと、ミニスカポリスではない。「使いはオオクニヌシのところへ到着するも、地上が思ったよりも楽しいということもあり、現地に馴染んでしまう。ああやっぱり溜まってたんだな、ソー〇だよ、スーパー銭湯のこと、もちろんそうだよ、そのため使いを送っても何回か失敗したダロ、けれどみんな、しっぽりやっていい顔して帰ってきたダロ、最後にやり手の使いを送ったところで、ようやく交渉することになったダロ、結果オオクニヌシが治めていた国は、天の国の神様であるアマテラスのものになり、 オオクニヌシはアマテラスに国を譲るときの条件として、建ててもらったのが出雲大社ダロ。年間六〇〇万人、スケールが違う金の卵。うなるほど、ビビるほどの現ナマ(?)初穂料、参拝者の寄付: 祭事やイベント、観光収入ゲットだぜ。まじたまらんぜー、オオクニヌシ笑う」イヤッホウ、と一同思った。でも多分、そういうようなやりとりがあったのだろう。ヤクザの車にあたった時に高級腕時計であるロレックスを差し出すことを、こち亀で学んでいる(?)「その後アマテラスは自分の孫であるニニギに国を治めさせることにした。オオクニヌシはお金をお金のプール泳いでいたので気にならなかった。ラスベガスへGO!ニニギは地上に降りると今で言う九州のあたりで、サクヤヒメという美女と出会い、股間がはちきれそうなほど、バベルタワーみなとみらいした(?)そこでサクヤヒメと結婚することになるダロ、その際に、お父さんから姉であるイワナガヒメもよろしくねと言われ、イワナガヒメというサクヤヒメの姉が一緒に来たダロ。併せ商法のきわまれり。しかしイワナガヒメの見た目があまりにもタイプではなかった、ブスだった、ごめんブスだった、正直すぎてごめんブスだった(?)ニョホホ(?)ニニギはイワナガヒメを顔面偏差値シュプレヒコールしたダロ」途中で入ったニョホホが気になる。「うん、まじ、追い払ったったダロ。まじ、いらんかった。メロンを肉で巻く地中海のやり方、まじ、許せんかった―――ダロ(?)」それがどうやらニニギの喋り方らしかった。「しかしお父さんが姉妹を一緒にさせていたのには意味が。サクヤヒメは桜のように華やかだが桜のように咲くので命は短命 イワナガヒメは容姿は醜いが岩のように長く栄えるという意味で、つまり? 目隠ししてファイターズ、セクロス・ザ・ユニヴァース。顔見なくても長くやれる方がまじいいってことダロ。ついてるもん一緒だよ、盲目のインナーマッスルを鍛えろ、めくらへび(?)」とりあえず、かもめスタジアムでは、滅茶苦茶なことが起こっているようだった。間違いなく。「てなことがあって、だから何だったんだってことにもなりつつ、それがきっかけとなり神様の持つ不死の能力が剥奪され、ここが神から人への変わり目なんじゃないかとも言われているダロ。そしてニニギとサクヤヒメの子孫であるイワレビコの話へ。イワレビコはこの地をずっと治めてきてくださった。この良い風紀がもっと広がるように東へ進出しよう。コロンブス、開拓せよ、重構えろ(?)ヴァスコ・ダ・ガマ、殺せ、殺せ、殺せえええ(?)マゼラン、イヤッホウ(?)そうして大和、今の奈良県を目指して東へと進んでいったダロ、 しばらくすると浪速と書いて、なみはや、今の大阪湾までたどり着きました。たこ焼き食べて、ユニヴァーサルスタジオジャパン!そのまま直進して大和まで進んで行きそこを治めていた勢力と争う、通天閣なめるなよ、東京タワーがなんぼのもんじゃい(?)」妖精一号は思った。大阪は品がなくて嫌いだ、と(?)妖精二号は思った。通天閣の下の串カツ屋は美味いらしい(?)かもちゃんは思った。じゅるり、と(?)「お腹減ったダロ、そのようにダロ、太陽の神の子孫なのに太陽の方向に向かって戦ってしまったという理由で、苦戦を強いられ撤退。そこで今度は遠回りして太陽を後ろ盾にして戦うことで、闘いに勝ったダロ、戦いに勝利し大和を治めたので調子ぶっこいて、大和を都にして暮らそうという宣言を行い、串カツ屋に行ったダロ、二度付け禁止ダロ」お願いだからストーリーを話してください。「そうダロ、この時にイワレビコが神武天皇に即位したと言われるダロ、つまり日本の初代天皇はイワレビコだと言われているダロ、そこから時は流れて十代後の崇神天皇の時代へと進むダロ、その時代には疫病が流行り、作物は枯れ、国民の半分以上が死んでしまうという非常事態ダロ、崇神天皇はその名前のとおり神祭りを大切にし、国が良くなるようにと朝から晩までずっと神様に祈りを捧げていたダロ、 するとある時に、土地の神様であるオオモノヌシから、私をまつれば国は鎮まる、といわれる夢を見た。その夢の通りにしてみると疫病はおさまり作物は育ち、朝から晩までやりまくりのストロンガー(?)栄養ドリンクあたりの傍に必ずあるそれのように、みなぎる(?)国は元通りの姿、文明四流国、IQ30の名をほしいままにしたダロ(?)」こら、とやっぱり、誰かが言った。「そこで崇神天皇は神様が祀られている土地や、神部という神様に特別に奉仕する人などを定めたダロ。このようにして今の神社制度が始まったダロ。十一代目、垂仁天皇の時代にも現代に通じる様々なことが始まったダロ、大和の力自慢と出雲の力自慢を戦わせたことがのちの相撲、昔は偉い人が亡くなると、亡くなった人の側近も一緒に生きたまま墓に埋められるという、殉葬という風習があり、別の名をイケニエ制度、ヤクザ、ドラム缶にコンクリ詰めして大阪湾ニシズメタロカイ(?)その殉葬を埴輪を作ることで、死者のお供をさせるようにしたダロ、そして先代の崇神天皇が神まつりを大切にしていた影響もあり、アマテラスを祀るためにもっと良い場所にしようと注力したダロ、各地を見る中で伊勢にたどり着いた時に、天から伊勢の国は美しい、ここにいたいという声が聞こえたダロ。それは地上ではまぎれもなくこう聞こえた。おお、神の声うるわしきかな。イセエビ喰いたい!伊勢神宮の帰り店に入ってイセエビ頼むと、何か違うもの、喰わされた。イセエビ!その言葉通り伊勢に社を立てることにした。そこでアマテラスは初めて地上に天下りされた、イセエビ喰いたい、その気持ちだけで天の国を支えている女帝(?)それが今の伊勢神宮。伊勢神宮は神社でもとても格式の高い場所になっている、イセエビ喰いたい」かもちゃんのお腹が減っていることだけはよくわかる。いずうさは、そっと、からあげというものをさしだした。そうすると、不思議だけれど、かもちゃんは、元気になった(?)市長のおじさんも、そっと、はるまき、というものをさしだした。そうすると、不思議だけれど、かもちゃんは、元気になった(?)魚屋のおじさんも、そっと、イセエビではないエビをさしだした。そうすると、不思議だけれど、かもちゃんは、悲しそうな顔をした(?)「次の十二代目、景行天皇の時代に話は進むダロ、その時代に熊襲という今の九州南部の勢力が、ヤマトにはしたがわないぞ、イセエビじゃなくてクルマエビでもいいぞ!ロブスター業務スーパーに売ってたぞ!と、言い出し反抗勢力になっていたダロ。そこで景行天皇の息子のヤマトタケルに熊襲を制圧してきてくれといえば、ヤマトタケルが見事に熊襲を熊肉に変えて制圧して帰ってくると、今度は東側も制圧してほしいぞ、じゃあ次は猪鍋ですね、心得た。鹿鍋。心得た。そして今でいう東北エリアも制圧させるようにお願いをした。静岡で茶をしばき、神奈川で箱根、みなとみらい、横浜赤レンガ倉庫を堪能し、東北も制圧することになったがその帰り道、三重のあたりで、山の神の祟りに合うことで息絶える。後に天皇になると思われていたヤマトタケハル(?)ごめん、ヤマトタケピョ・・タケハル(?)は、ごめん、ヤマトタケチヨ・・・タケハル(?)は、調子悪いな、ヤマトタケル・・・タケハル(?)は、白い大きな鳥となって、バババババッと、天界へと羽ばたいていきやがりましたか、いきやがりましたとも(?)」ヤマトタケハル。三種の神器とヤマトタケハル。冒険の書。「次はそのヤマトタケル―――タケハル(?)の子孫である十四代目仲哀天皇の時代へと移り、仲哀天皇の奥さんである神功皇后の身体に急にアマテラスが憑依(?)それは新羅を目指しなさいという言葉を伝えるためダロ。今で言うところの朝鮮半島を攻めろ、秀吉は関係ないダロ。その言葉を疑った仲哀天皇は呪いにより死んでしまいましたので、神功皇后自らが新羅を攻めに行くことを決意した、秀吉は関係ないダロ。神様の力が味方につき神功皇后は新羅を一気に制圧」イヤッホウ、といずうさは思った。「十六代目仁徳天皇の時代の政治はまさに国民ファーストと言える政治、高台から街を見下ろした時に街から煙が上がっていない様子を見て国民はご飯を炊けないんだと気がつき、そこから国民への課税と労役をすべて廃止。自らも極貧生活を送る。戦争時代の昭和天皇さながら。その甲斐もあって国民は食べるものに苦労しなくなったダロ。 また高台から街を見下ろした時に、町からご飯を炊く煙が上がっている様子を見た仁徳天皇は、とても喜んで、仁徳天皇陵古墳に姿を変えたダロ」かもちゃん、それは違う、と市長さんは思った。「それ以降にもいろいろな天皇がいて後継者問題などもありながら血脈が受け継がれていき、最終的には三十三代推古天皇まで受け継がれているというところで、古事記は終了となる。そして日本は鬱くしい国になったダロ。長い話おつかれさまでしたダロ」と、かもちゃんが言うと、いつのまにか、背後に重なるように聞いていた神様たちが、雪崩れのようにくずれおちて、ころころ笑い転げていた。妖精三号が言った。「ハローワークで・・しゅ、か、タケハル?」
2024年09月18日

問いそのものを掌から落している、饒舌な哲学の言葉も、弱い藁しべの火から始められ、ラップスターの言葉も、時代の寵児らしからぬ社会の習慣。追い掛けてくる太陽と月。時計の針が響く、躊躇い、尻ごみし、動揺し、ひきのばし、延期する。綺麗な白い空白の期間と奇妙な赤い血液、ビルディングの配列、街燈、鳥の群れ、けれど無表情なコンクリート。窓からでは全世界を見渡せない、真実は過失の中に隠れている。うしなわれた微熱に恋をしながら。誰もが怒りや悲しみを持っていて、背中が泣いている気がする路上、知っているからこそなお美しいなんて嘘だ、はばかりさま、自由と平等の二つは世界平和に橋をかけるけど、その言葉はいかさま師のもの。時は海に砂を撒いた。空っぽの器を満たすように、いつかは僕等は誰でも、いつかは僕等は誰でも、愛の意味に気付くだろうか、一生を決定づけるものは才能ではない、自分への理解と、心で引き寄せられる類の運と、そして誰一人口にしない愛だと僕は思う。型と原存在との間の、等値的射影が指示されている。「はい」と「いいえ」「イエス」と「ノー」オッカムの剃刀。だけどそれは政治に似ている。絶対に説得できない相手への、金銭での交渉に似ている。死体が焼けて父親が骨になってる。公園で死んだ口を開けた猫が蟻に眼球から侵入されている。世界を限定されたローカルな規則からでしかみられない、内部観測者のモデル。心のどこかで意識しつつも遠ざけている、避けられない運命と陽のあたる場所。繰り返す歴史から、同じ過ちを繰り返さないように、戦争、震災、詐欺、恋の痛手。古い骨董品だ。注射だ。夏。裾のぼやけた、そして全体もあまりかっきりしない入道雲。蝉の鳴き声が終わった。向日葵が枯れた。少年は、大人になった。少女は? やりまん、になった。フンドシがトレンドになるよ。髭を生やす女がいたっていい。ふぁろすカッターした男は、小便を我慢するのが大変だって聞く。全部、全部、全部、受け入れるって人間にできんの?そんなすごいことできんの?笑われよう。もっと無邪気で素直でいよう。言葉を。言葉よ。小さなものから決定的な変化を引き起こし、偶然のように符合する。機会が扉を叩かない一日なんて僕は知らない、いつのまにか引きちぎれなくなっている糸に、一切の人生真理があらわれる。罪に抗い、惰性を握りつぶした僕も。理性に従って、非常識に眼を背ける僕も。そして瞳に押し殺した、沢山の言葉に圧迫されている僕もだ。大都市の中で、物質的な豊かさを追い求める、行きすぎた資本主義の下すり減ってゆく人々の姿。貧富の差、少子化、ルサンチマン。禁欲主義者か、好色家か、いやいや悪党。いつかぼんやりと考えていた、支配したり服従したりしないで、本当の幸福が手に入るか、と。人生最高の日は言えないけど、人生最悪の日も言えない。けれど人生最悪の日の候補ならいくつか出て来る、誠実に、知的な風貌で、肖像画にするように。厄介なことに巻き込まれて疲れて歩く気力もない、年寄りを尻目に目的地へスマートに向かう若者の足取り、対比じゃない、光と影。新しい夢と神話と人間像。空っぽの器を満たすように、いつかは僕等は誰でも、いつかは僕等は誰でも、愛の意味に気付くだろうか、(誰かにとって、)優しい世界。(誰かにとって、)美しい世界。(誰かにとって、)望むべき世界。でもかったりーよな、世界経済よりもバラエティやSNS、学問はダストシュート、避雷針、本棚には避暑地、ショーウィンドーには避難所、ええ、ええ、もっと面白いこと、楽しいこと、嬉しいこと、踊るように楽しいことは過ぎてゆく、もう、ウンザリ、いやいや、吐きそう、(履きそう?)退屈でもまだ努力したくない、頑張るのが嫌な病、道草して、牛丼食べて、コンビニで酔って、近頃はスケボーしているらしい、幸せそうに笑う姿がずっと続くといいね。ゲームしようよ、好きな音楽聴かせて。あと、鏡の前で変顔した美女の話をして。世間の口の前に立って、おふらんす語がくたびれるのよ。ナイフの代わりに、ええそうですとも。フォークの代わりに、もっとやれもっとやれ。箸でお前の眼玉をえぐりたい。小鳥のようにつかまえておく手の中で、そういう幸福や不幸が花になる。肝臓や腸の動きも。心臓の音も。承認欲求じゃない、存在証明さ。さもなければ、憎む。驚くべき献身ってまともじゃない、よ。狂ってるよ。深刻な環境汚染や公害を引き起こす科学技術と、皮膚が陶器になる。大航海時代にも似た宇宙を視野に入れている。揺れる不安定な想いは、燃え上がりそうな心に似ているけど、いまは少しでもより良い人生に向かって、歩み出せるよう背中を押している。秘密の引き出しにとっておいてよ、きわめて完成した、悪魔さ。好きだという言葉を素直に言えたらいい、愛してるの数十分の一ほどかもしれないけど、日本人にとってはこの言葉さえ難しい、千里の道も一歩から、恥ずかしくてうずくまりたくなるような想いを連れて、夜景が一望できる風の強い夜のマンションの階段前。二度と立ち上がれないような悲しみも、逃げ出したいことも、嘘やきれいごとばかりの好き勝手な人々の言葉も、約束の場所があると信じて歩き出す、カッコつけなくていいんだ、気取らなくていいんだ、自分自身がありのままでありさえすれば、同じことを繰り返すのを笑って受け入れればいいんだ。スクラップアンドビルドで再興しようと奮闘した、先人達の決意と覚悟。渓流釣りや、古着屋、ピアスして髪染めた女の子の歌、一人では行けないような変な店も誰かとなら行ける、笑わないで、地図を作りたいんだ。生きている証なんかいらない、今日、その誰かがいればいい。愛なんていらない、今日も僕は好きって言葉を、万感の想いこめて放つさ。痛みを伴うことで経験として知っている諦めや達観、何が響くんだろうとか、こうすればいいんだとかはいらない、僕は僕の言葉を探す。波打ち際に愛の手紙を書いた詩人は、いま、ネオンサインから、衛星から、愛をこめて。言葉を発見し、文法を発見し、歴史が語彙を研鑽し、そして詩人が、「まあ素敵」「あなたって馬鹿ね」って真顔で言う。蛇に噛まれたことのある人になりたいって思った、バンジージャンプしたことのある人になりたいって思った、松葉杖ついて歩くより、善良で。石橋叩いて歩くより、破廉恥だ。自分では気づかないことが決めつけられている、わからないことは一生涯知らなくていい、何も望まないことは幸福だという皮肉がある、望みすぎれば不幸だという皮肉もある、雨に濡れながら帰っても死刑宣告されるわけじゃない、晴れの道を歩いても別に面白いわけでもない、目覚めた人が見ている夢の一部になろう、僕は「進め」と「止まれ」と、「後ろを振り向け」と「見上げろ」と言う。空っぽの器を満たすように、いつかは僕等は誰でも、いつかは僕等は誰でも、愛の意味に気付くだろうか、逃れよ、避けようとせよ、それでもまだ追い掛けてくる、子供が謎を解くように簡単に説ける、心の中に。否定ではなく、肯定ではない、―――中庸。
2024年09月17日

何を知った 夜 の 跡 ・・・・・・。 ―――ね え 、 ―――ね え 、 、、、 ―――あるよ。
2024年09月16日

部屋は広かった。シーツと上掛けと枕のベッドがあり、サイドテーブルにナイトランプもあった。テレビも天井から吊り下げられていたし、インテリア用途にも見える本棚には小説も入れられていた。小さな冷蔵庫のようなものまであった。何だか一流ホテルにでも泊まるようで落ち着かない。電気代のことを考えてしまう私は、洞窟から出てきたクロマニョン人だった。が、その静寂はすぐに破られた。そこにお義母様がやって来て、次々と服や靴などが部屋に運び込まれる。足の踏み場もないくらいに積まれた荷物は、シンデレラのカボチャの馬車みたいに見えた。「取り急ぎですから私の見立てで悪いけど、服を見繕っておきました」そう言いながらウィンクしてくる。「また今度、ゆっくりお買い物に行きましょう」「ふぇ?」「あなたは可愛いんだから、可愛い服を着なさいな」「あ・・・・・・・ありがとうございます」張り切った綱が切れたようにうるっときて、涙がぽろぽろこぼれた。お義母さんは全然怖い人じゃなくて・・・、むしろ優しい人―――。、、、、、、、、、そしてトウマさんも―――。バスタオルを頭にやりながら、東京ドームサイズの家の案内をされたこと、(観光できますねと言ったらトウマさんに滅茶苦茶笑われた、)お義母様と一緒に夕食を作って褒められたこと、美味しいよ、とトウマさんに言われたのも初めてだったし、お義母様もこの子は太鼓判と褒めてくれた。お義父様もにこやかな表情をしていて、本当に幸せだった。来たばっかりで疲れたろうから結婚式の話なんかは明日に、色々ほかにも話すことはあるけれど、よく頑張ったね、とトウマさんは言ってくれた。慌ただしく過ぎ去った一日だったけれど・・・・・・。ずっと夢みたいな気がして足元がおぼつかない。こういうのを―――。誕生日とクリスマスと正月が来たようなもの、というのだろうか。四季が、十二の動物の絵が、花見をしているような夢見の世界・・。ドラえもんの四次元ポケットの中で作ったような、嘘だらけの明るい未来。...ふと後ろを振り返ったら、「お嬢さん、これは、あなたの妄想の世界ですよ」「ハッ(鼻で笑う)...あなたみたいな器量なしに、人生で一度も喜ばしい経験のない女にあるのは、加速する不幸のアクセルだけですよ、ハッハッハ...」「この世は学歴社会、肩書社会。純然たる血統書の社会。観測・認識・経験できない、固有の無数の雑多な要素の相互作用の結果・・・、あなたはついに“キチガイ”になったんですよ、狂ったんですよ」、、、、コンコン。ノックの音がして、入るよと言う。やわらかなそよ風を感じる、声。、、、、、、トウマしゃん―――だ。幼児帰りする不思議。「あ、ホノカさん、お風呂上り?」「あ、はい、そうです!」パタパタ、と紙袋の音がしている。かた、こと、と中身の物が触れ合う静かな音がする。「丁度よかった、ジャストタイミングだね」紙袋から餅でも取り出すみたいな動作で、手を突っ込みながら、取り出す。何だか子供の頃に夢見たサンタクロースみたいだった。「ハンドクリームと、ヘアオイルに・・・、化粧水と乳液とか・・・色々用意したから、これ使って」テーブルの上に置いて、中のものを、いくつか取り出す。どれも高級品のように見える。「え? え? 私にですか?」「私は何が良いか分からないから、屋敷のメイド達に教えてもらったんだ」私の手をすっと取りながら言う。「使い方は自分で調べてくれ、わからなかったらメイド達に聞くんだよ、ここの誰もホノカさんの味方だからね、あと、ここだけの話・・・・・・」おいでおいで、とジェスチャーしてくる。耳に手をくっつけて近づくと、少し声をひそめた優しい声で、「私は君の一番の味方だよ、父さんや母さんが相手でも、私はそのつもりだよ」あ、また―――優しい眼をしている。そうだ、二年前と同じ、優しい眼だ。その瞳に見つめられていると、温かい気持ちがした。「・・・・・・とりあえず先にハンドクリームは塗りなさい、手が可哀想だし・・・・・・私も身に覚えがあるから、ね」、、、、、、、、、、私はようやく安心した。―――トウマさんが、昔の印象と一つも違わなかったからだ・・。「あの・・・聞いてもいいですか?」「何かな?」「どうしてそんなに優しくしてくれるんですか?」「あなたが妻になる人だからだよ、私は妻を物のように扱ったりはしないよ」「でもお姉ちゃんでも良かったんですよね?」、、、、、、、、、、、、、引っ掛かっていたことだった。これだけはきちんと述べておくけど、私は嫌だったよと言った。「私は最初からあなたと結婚したいと思っていたし、あなたと結婚する気しかなかったよ」「じゃあ何故、お姉ちゃんとお見合いをして、そのまま結婚話を進めたんですか・・・?」じいっと凝視めると、ふっと眼を逸らした。「それは、あなたのお祖父さんに頼まれたからだ」「おじいちゃんが?」、、うん、と―――。「姉の方は絶対に花嫁修業の段階で逃げ出すから、それまで好きにさせて欲しい・・・と。その後きっと、本命のあなたが嫁ぐことになる、と言われたんだ。お祖父さんはしかし千里眼だね、慧眼だ」おじいちゃんは―――角を立てないように、そういうことにしたのだろう―――か。「そう言われたから、その通りにしたんだ。まがりなりにもお願いしているのはこちらだったから、一つぐらい呑むのも礼儀かと思ったんだ。半信半疑だったけどね、君のお姉さんは―――」「はい・・・・・・」「正直言って、化粧臭い卑しそうな女で、喋り方も、まったく好きになれなかった。明るい髪色に染めているのも、ピアスもそうだが―――両親の評判は最悪に悪かったよ、そういうのって一つ一つ膨らんでゆくものなんだ、一度マイナス計算式になると、ね。食べ方も下品だとか、どうしてこんなにこいつは頭空っぽなんだろうとかね。醜さというのは、あるものだね。鬱になったよ、こいつと結婚するなら自殺か男色か独身を選ぶ。本当にそう思ったよ。言葉は悪いけど、頭が悪くても、馬鹿でも、心の素直な人がいる。失敗してもめげずに、前向きに明るくなろうとする人がいる。空っぽとは何だろうね、それが女の一つの性質なんだろうかと考えたよ。それにその、使用人たちにそれとなく尋ねたら、言いにくいことを聞いているわけだから、話したがらなかったけど、クビ覚悟で申し上げさせてもらいますと言ってね、教えてくれたよ。横柄な態度がひどいってね。ひどいという次元ではなかったね、召使や奴隷のような扱いをするとね。何度出禁にしてやろうと思ったか知れない。もっとオブラートに包んだ方がいいのかもしれないけどね、私は彼女も、その両親も一切容赦するつもりがない」「すみません・・・」そうだ、最低限の身だしなみ、見た目の印象というのは重要だ―――。お義母さんが私の服を見て怒ったのは、お姉ちゃんのことがあって、そのことを教える為だったのだろう。それに、もしかしたら、もしかしたら・・・、お義母さんが怒るのは家柄に関する時だけで、きっと、昔口酸っぱく言われたのかも知れない。「いや、君が謝ることじゃない、たんに私が子供っぽいんだ。ただ、さすがに嫁に来ると言うからには、覚悟はしてくるから、そこまで馬鹿じゃないだろうと思っていたんだよ、あなたのお祖父さんは慧眼とはいったものの、長い間、人間の器を見てきて自然そう口にしたのだろうね。けれど、お祖父さんの横槍など無視して、そう揉め事を起こしてでも、なんだったら君の一族郎党と全面戦争しようとも、君を連れてこなければいけなかった。誤解させてしまった、君は放っておいたら、謝罪して帰ってしまったかも知れない。そんな感じにも見えた。私は君がよかったんだ、何度も言うけどね。だが、結果はお祖父さんの言うとおりだった、うちの母に花嫁修業の内容を聞いただけで卒倒、厳しさに耐えかねて逃げ、母も父も、眼を丸くして、開いた口が塞がらないようで、それ以上、何も語りたがらなかったよ―――」お姉ちゃん、正当化しようと、御手洗家のことを悪く言っていたんだ―――。「代わりに、私との結婚を渋っていた、あなたが来てくれた―――天照大御神だ」笑って言ったけれど、からかうようなそぶりはなく、むしろ嬉しそうでこっちの心が温かくなる。ローマは一切の芸術の氾濫れる豊かな博物館。そういうのを見るにつけ、あの家での無感情な弱い観察の仕方ではない、もっと、相手のことを知りたい気持ちからくる、好奇心や、興味といったものが思い出されてくる。「じゃあ最初からずっと・・・、私が嫁ぐのを待っていてくれたんですか?」「もちろんそうさ、父も母も、なんだったら使用人達も、ね。ずっと君が来るのを待っていた、この部屋だって喜んでくれたらいいなと思って、私が時間をかけて用意したんだ」後頭部を搔きながら照れ笑いしたあと、こほんと咳払いする。「ただ、そういう具合だから、私としてはあなたが姉に結婚を譲ってしまったのは、残念だったが・・・」「そ、そうですよね―――その件は、大変に失礼しました」、、、、とはいえ。これはあくまでも―――本当にあくまでも、私の出過ぎた言葉というものだよ、と言った。「あなたはあの家で立場が弱かったから、どうしようもなかったんだろう。それぐらいのことはわかる」、、、、、、、、手をもじもじする。「どうして・・・・・・、私だったんですか・・・・?」精一杯、言葉を選ぶように顎に手をあてる。「二年前あなたのお祖父さんのお誕生日パーティーで、初めて会ったんだけど・・・覚えているかな?」「あ、はい・・、一度ご挨拶をしたのを覚えています・・・」「少ししか話せなかったけど、あの後も私はパーティー会場であなたのことを、ずっと眼で追っていた・・・」あんまり覚えていないだろう―――ね、でも私は昨日のことのように覚えている・・。一挙手一投足ね。「シンプルな服だったね、動きやすそうだった、それでいて、迷うことなく給仕人の中に溶け込んで、招待客に給仕人と勘違いされても嫌な顔一つせず、振舞っていて・・・まずそのことに、驚いたよ、まあ、私も最初も気付かず、他の給仕の人や、あなたの祖父が親し気に話をするので気付いたわけだが、」「パーティーは参加するより、お手伝いする方が好きでして・・・、料理は作らせてもらえませんけど、あんなに沢山のグラスとか皿が、すぐ空になってしまうでしょ、それが面白くて・・・・・・」「そうだな、給仕人たちと話すホノカさんは、私と話すよりイキイキとしていたね」「トウマさんとお話しする時は緊張していたんです・・・」、、、でもね。「あの時ずっと見ていて―――」、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、こんな風に心揺さぶられたことがあっただろうか。「あなたは誰にでも分け隔てなく優しいし、相手を傷つけない気配りも出来る人だと感じたんだ。私は幼少の頃から、教養のある、礼儀正しい令嬢を見て来た。話し方や、所作にいたるまで、完璧に作られた女性たちをね。でもその時でもついぞ感じたことのなかった、不思議な高揚感があった。はたして、その令嬢たちとて、本当の意味での、美しさを持っているのかと思った。信頼できる人柄、優しさというのはそういう場面で、出てくるものではないかと思った、名前なんかなくてもその人となりでわかる、結婚はゲームじゃないし、誰でもいいというものでもない・・・・・・」パーティーの間中、飲みも食べもしないで、にこにこしながら雑用をこなす姿が、ひときわ可憐で清楚だった。控えめな美しさ、甲斐甲斐しい働きぶり、そんなことをしていて何が楽しいのか、けれどどうも楽しいらしい、彼女の澄んだ瞳。君が十六でなかったら、その時にプロポーズし、婚約を申し込みたかった。けれど、十六の女の子にそんなことを言うには、人目をはばかられる家柄だった。、、 、、、、、、、、、、、でも、あの時でもよかったんだ。「だからそんなあなたと、結婚したいと思った」、、、、、、、、、、、、、、、、、どんな言葉なら信じてもらえるだろう?「うちの母は厳しい人で、うちは裕福で使用人もいるが、いつまでもそうであるとは限らない、自力で何でもできないと駄目だ、といつも言っている。だから私も家事は普通にできる。父も同じでね、大学に通っている時は小遣いはなかった、欲しいならアルバイトをして稼げ、こんな感じだ。お金持ちにこういう考え方の人は多いらしいね、家にはお金なんてないと教えるらしいね」違う、こんなのは何の理由にもならない、私はあのパーティー会場で、君に一目ぼれした。「で、私はあなたのパーティー会場での姿が、甘やかされていない女性に映ったわけだ、そういう意味でもあなたは私の妻に申し分ない人だ」、、、、、、、いくらでもある。苦労してでも何かを得ようとした人にはいくらでも。「あなたがご実家で虐げられていたことは、お祖父さんからも聞いていた・・・・・・、ごめんよ、隠していたみたいで―――」「いえ・・・・・・」「それと、君は知らないことだから黙っておくことも考えたけど、お祖父さんが教えてくれたよ、君はあの両親の子供ではない、―――母親のお姉さんの子供らしい」「・・・・・・実は、知ってます」ずっと前に祖母の葬式があった時に親戚が話しているのを、聞いたことがあったのだ。「あくまでも推測なんだが、あの、クソババアが―――」首をかしげると、トウマさんが冗談だよ、と言ってくれた。全然冗談ではなさそうだったけど、そう言ってくれた。―――この人は、本当にわたしのことを思って、本当に腹を立ててくれているんだ。「が、君を引き取ったのはコンプレックスがあったんじゃないか、と思うんだ。その八つ当たりみたいなものじゃないかとね。そういうのってすごく根深いものだからね、―――君にも恨みつらみはあるだろう?」「ないとは、嘘でも言えません―――でも一番は、家族になりたいと思ってきました・・・・・・」「そうだろうね、私なら一日も我慢できない。君は忍耐強くて、人のことを最後まで諦めない人なんだろう」「・・・・・・私はずっとあそこで育ってきました、だから我慢できただけです。でも、あそこはさみしい家でした、私の居場所が何処にもなくて、ここに来てから本当の意味でわかりました、たった一日ですけど、たった一日でも、そのことはわかります。いまでは、いい人間になろうとか、尽くそうとか、そういうのが駄目なこともわかるんです・・・・・・・」そっと、肩にトウマさんの手が置かれた。「うん、正直私が職権乱用して、君の義理の両親もとい姉に、手ひどい仕打ちを与えることもできる、だけれど―――だけれど、それを私はしないよ、断じて、しない。それは、この頑張ってきた手に対して背くことになるからね、でもこれだけは言わせておくれ、ホノカさんが頑張ってきたのは痛いほどちゃんと分かる・・・、心を伴っている、誠意のある、頑張り、前向きな気持ちだけが、人の心に影響を与えることができるんだ。父と母は半信半疑だったよ、あなたの姉の、あの家の者が、と思っていた。けれど、あなたは庭のほんの短い時間で、母の心をちゃんと掴んだ、食事の席に着いたあの短い時間で、父の心も動かした、私には分かるよ」そういうのは、私よりも、年の分だけ苦労をした父や母がよく知っているだろう。「花嫁修業するまで家事をやったことがない人より、自然とやってきた人の方が我が家には相応しいし、私個人としても好ましく思える・・・・・・、どんな体験も―――ゼロにはならないよ、させない、意味がないこともある、でも絶対に、意味がないようにはさせない・・・・・・」「トウマさん、ありがとうございます、誰のどんな言葉よりも、嬉しい・・・」、、、、、、、、、、、、、、、、、、私は彼女を洗脳しようとしてはいまいか?選択肢も与えず、自分の気持ちばかり伝えていないか。焦ってはいけない、二年も待ったのだ、怖がらせてはいけない、相手の心にゆっくりと、自分の誠意で語り掛けるんだ。「あなたを結婚相手に選んだ理由はまだあるが、大体はこんな感じだ」、、、、、、、、ゆっくりと訊いた。「それで・・・あなたはどうなんだ?お姉さんが逃げたからイヤイヤ嫁いできたのだろうか?」「そんな心配そうな顔をされなくても、大丈夫です。私・・・初めて、トウマさんとの結婚のお話を聞いた時、嬉しかったです・・・人生であんなに嬉しかったことは、きっと一度もなかったと思います・・・」二年前のパーティー会場の光景が甦ってくる。そうだ、こんな人と結婚できる人は幸せだな、と思った。姉に譲った時の胸の鋭い痛みが不意に思い出された、きっと、二度と会えないような切なさや淋しさだ。私はきっと、トウマさんにずっと前から恋をしていたのだろ―――う。「あなたに―――憧れていたから・・・」「本当?」「はい」「じゃあ、改めて聞きたいのだけど・・・」そう言いながら、壁に近寄り電気を消した。トウマさんと声をかけると、トウマさんは床に跪いて手の甲にキスをしてくる。月影に隈なく見渡されるような気分だ。言葉を変えて、街角をゆく、うらぶれた思い入れ、袋小路、冷たい陰鬱な光の夜の街燈、誰も一人にはなりたくはない―――のに、誰もが一人だ・・・。『鼓動』は覚えている、『息遣い』は覚えてる、『昂奮』は覚えている、『生きてる感覚』は覚えてる。鳥が欅にとまっているような無造作で、夜の街燈も、夜空も、月の光も、部屋も、夜の空気も、私も、あなたも、すべて一つだった。、、、、、、、最初からずっと・・・。、、、、本の中の――『自分の読みたい部分』 『自分が考えていることをさらに納得させてくれる部分』「ホノカさん、私と結婚してくれるだろうか?」、、、、、、、、、、、、、とろけそうな笑顔をしていた。「はい・・・是非」お姉ちゃんたちは私が、恐ろしく厳しい家に嫁いで、ヒーヒー言ってる姿を期待していただろう。でも結婚式の日、私は幸せしか感じていなかった・・・。お姉ちゃんたちは参加しなかった。その後で、一度だけ電話がかかってきたらしいけど、お義母様が怒鳴って音信不通状態になっている。おそらく内容は、おじいちゃんが結婚式の後に言ったことだろう。「お前がずっと苦労をしていたのは知っていたよ、もちろん、お前が頑張って本当の家族になろうとしていたのも。わしは知っておったよ、健気なホノカ、でも、心を鬼にして、あれが、親の愛情に目覚めて、まともな人間になりはしないかとずっと―――」「おじいちゃん・・・」「じゃが、性根を腐っている人間には、わしからもきちんと罰を与える。ホノカよ、わしのことを許してくれるか?」大丈夫ですよ、とトウマさんが言った。・・・・・・人同士が関係を持つことや心で固く結ばれるのは、鏡の中の論理。「何しろ、彼女は、あなたの誕生日パーティーで、給仕係の仕事をするのが好きですからね、ちなみに私もあなたのパーティーが続くのを願っています、一人のファンとして」、、、、、、、、、、、、、、、、、ここには優しい陽だまりの気配がある。お義母さんは優しくて、すぐに仲良しになった。お花や、お茶を少しずつ教わっている。トウマさんも私を大事にしてくれるし、お義父さんも寡黙な人だけど、温かい人で、御手洗家に嫁げて本当に良かった―――。家族に愛されて、笑顔があふれて、私はいま、とても幸せに暮らしている・・・・・・。いやいや、そんなはずはないと思いながら、次の。 いやいや、そうかもしれないと思いながら、次の。Everyone has an equal right to be happy, and the first step is to know love.―――愛している人が生活。
2024年09月15日

その後、姉とトウマさんのお見合いは、滞りなく進み結婚することが決まった。あんなことを言ってしまった私もいけないんだけど、結局お姉ちゃんでも良かったんだなと複雑な気持ちになった・・・。“まだ独身でいたい”という人が多い中で、“身を固める”のは、―――名家の体裁を整える、ということなのかも知れない。そう思うと、胸がほっとするのが不思議だった。でもそれは多分、トウマさんを悪く言いたくない気持ちだ。義理を立てる相手を間違えている気はするのに、だってトウマさんは、優しい。気が付くと、ずぶずぶになって、屈折度が増してゆく自分を感じる。しかしそれゆえ仕事に精が出て妙な達成感を得られた。そして月日は流れて、姉は花嫁修業という名目で、御手洗家の御屋敷に引っ越すことになったのだけど、その前日・・・。私の部屋へ来るなり、母親が突っ慳貪に言ってくる。ふくよかな貫禄のある腹部をぶよよんとさせ、せっかちなウィンカーみたいな人差し指を突き立ててくる。「ホノカが御手洗家に嫁いでちょうだい」「え?」「お姉ちゃん、向こうの家に挨拶に行って、酷い扱いを受けたそうなの。そんな怖い家にお姉ちゃんをお嫁に行かせられないわ」来て、と言ったが―――。来い、のことである。、、、愁嘆場。キッチンでは、テーブルに突っ伏して、ヨヨと泣き崩れている姉。少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った両親。それに引き換えサーッと私の血の気が引き、その行き先をしめす針はスピードメーターのように、しかるべき場所へ吸い込まれる。ここに味方はいない。ずっと前から知っていることだ。冬になるとバケツで氷がかたまる、鯉は口をぱくぱくさせながらなんでも食べる。、、、、、、、、ひびが入るだけだ。ネジやボルトがまた一つ外れ、積み荷になって、身体がまた少し重くなる。「トウマさんも、そのお母様も人でなしよ。あの家は鬼の巣窟なのよ! 絶対に結婚しないんだから!」...ウワアアアアン。そうすると、父親も勇み足で言う。時間もっと間延びして感じられる中、何処かにありそうな家族ドラマを演じようとする中、その時、私は姉の咽喉の動きや、様子を探るような目配せを見て、これは嘘泣きだなとすぐにわかった。子供の時はよく嘘泣きをされて、母親から平手打ちを喰らった。「当初はホノカと結婚したいと言ってたんだし、おじいさんにはお父さんから話しておくから、ホノカが行きなさい」どうしてお姉ちゃんが嫌がるような場所に、私ならいいと言ってほっぽり出せるのだろう。まるで口減らしだ。私は鼠かゴキブリなんじゃないかと思えてきて、何故か鼻がヒクヒクする。しゃっくりみたいなものだろう―――か。でも本当におじいちゃんに説明するとは思わなかった、私がおじいちゃんに好かれているのは一目瞭然だし、仮にしたとしても、私が姉から奪ったとでも言うのだろう。そういう冬の雪がそのまま残っている裏工作よりも・・・・・・。ずうんとした圧迫―――閉塞。途中で止まった血が気味悪く後戻りしてゆくような、恐怖感。から―――の、穴の中へ落ちてゆくマネキン人形。「いいね?」「そ、そんないきなり・・・」しかし私は家族に逆らえない・・・。言われたとおりに荷物をまとめた。といって、学校の卒業証書と、衣服ぐらいしか持っていくものはない。日常必須の嫁入り道具もなく、(あっても、持たされるようなことなどなく、)あえて言えば使い慣れた包丁や鍋などを持っていきたかった―――が、後で何か言われても面倒だと思うと持ち出せなかった。そして御手洗家に向かった。でも鬼の巣窟ってどういうことだろう・・・。どんな扱いを受けたんだろう・・・?事故で片一方の意見だけを聞いていても真相はわからない。、、、すたん、と鍵をテーブルへ置いて家を出たのは、もうここへ帰って来ることは許されないだろうと思ったからだ。帰ってくれば、笑い者にされ、もっとひどい扱いを受けるだろう。しかしまた十中八九、御手洗家を追い出されるだろう。失礼にも程がある。気が重かった。「(愛されないまま・・・)」風の音が、はっきりと聞き取れた。それは幼少期の漠然とした記憶を呼び覚ます。真上に見上げて、鱗のように小さな波のような雲と、しなやかに空を泳ぐ小鳥を見た。厚ぼったい本を閉じたように、人生の第一章が終わった。投げた石のように、光の欠片のように飛び回っている早朝の雀。コンクリート塀も、自動販売機も、信号機も、見えなかった。、、、、、、、見えないでいた。新しい波を起こすような透明なうねりの原動力に羨望しながら、あんなに小さな鳥にでも自由があるということに気付く。、、、、、、お前はいいね。けれども、忘れるなと思う、自由には代償があり、その代償は雨の強い日や風の強い日に、人知れず死んでしまうこと―――だ。天敵もいる。ただ優雅に空を飛んでいられる享楽家では生きていけない。先のことを考えてどうしよう、いや、いままでのことを考えて、一体何をどうできるというのだろう。そこには強がりも見栄もない。空元気でもない、理性に鞭打っているが、けして投げ遣りではない。、、なら。「(ならいっそ、赤の他人と、暮らした方が、気が楽かも知れない)」―――愛して欲しいと、願わなくて済むのだから。世を憐れみながらも、中学校卒業して以来、わたしは高校に進学させてもらうことすらかなわず、(専門学校へ行きたい、就職でも構わない、とも言ったが、お前には無理、と一蹴された)半ば家の奴隷として、終わりなき労働をしてきたことを思い出した。自分自身ただ心の何処かで言い聞かせてきたことが、どんなに内なる願望の穏やかな海のようであったか。心細かったし、できるならこのまま蒸発したい衝動にも駆られたけれど、もうあの家へ帰らなくてもいいんだと思うと少しだけ心が軽くなった。ずっとわかってい―――た。 、、、あそこは『私の家』なんかじゃ―――ない・・。 *バス停で静かな朝の情景を楽しみながら、数分後に乗って、駅に着き、通路をゆっくりと歩きながら、プラットフォームで家からお弁当代わりに作ってきた、おにぎりと、自動販売機のお茶で朝御飯にする。なんて素晴らしいんだろう。(おのぼりさん黙れって、ナレーターが言っています、)世界は何て輝いているんだろう。(気弱タイプと無口タイプのあわせわざかよって、ナレーターが言っています、明日クビにしておきます)それから電車に乗って車窓の景色を物珍しげに眺め、(バスも電車もおっかなびっくりになるぐらいには久しぶりだ、場合によると十年ぶりぐらいかも知れない、)それから少し歩かなければいけなかった・・、もちろん彼等は車で送っていってくれない、道に迷おうがそれはすべて私の能力不足になる。地図を渡して、ここに行け、だった。「い、行くか・・・・・・」(内気かよ、臆病かよ、人見知りかよって、ナレーターが滅茶苦茶なことを言っています、裁判は一か月後に華々しく始まります)本来だったら菓子折りでお詫びの一つでもするところなのに、お小遣いすら与えられていない私には何もできない。スーパーでバラ売りのジャガイモとか、タマネギ入れるビニール袋二枚取ったような悲しさ。交渉スキルにも乏しいので、ただひたすら頭を下げるしかない。帰れと言われたら、おじいちゃんのところへ身を寄せよう。坂道の上にある大きな建物は財閥の、旧家のといった瀟洒で威厳のある雰囲気。高級車が通過するような大きな家の門構えを見た時は怯んだが、なるようになれとインターフォンを押すと、どちら様ですかと聞かれたので名前を答えると、門の使用人扉からメイド服の二十代女性が出てきたので、簡単に事情を説明した。さすがに洗練された御手洗家の使用人である、眉一つ寄せない。少しお待ちくださいと五分ほど待つ間、門前払いも十分にあるなと考えて冷や汗をかき始めた頃、戻ってきて、お待たせしました、奥様と坊ちゃんがお庭でお待ちしていますと言った。、、、、こちらへ。ドキドキしながら後へ続いた。枯山水の見事な庭園だった。身が引き締まる想いがした。小さな女性と大きな男性の輪郭。スーツ姿と着物姿。近づくたびに緊張で吐きそうになってくる。ぺこりと、頭を下げながら言った。、、、、、、、、、、、潜在能力を試される戦い。「申し訳ございませんが、色々ありまして、当初の予定通り私が結婚することになりました、また先日は姉が迷惑をお掛けしましたことを、あわせて・・・」「・・・・・・いや、そのことはいい。あなたの祖父の慧眼を思い知っている」「え?」「でも、そうか、なるほど、こうするとまるで天岩戸だね」トウマさんは二年ぶりにお会いするけど、あの頃よりずっと怜悧で、硬質な印象を崩さない・・・・・・。けれども、また一段と大人びた面差しになっていて官能的だ。だが、こんな非常識なことをされたら、どんな態度を取られても仕方ない。何だか新聞の横文字を、縦にして誘拐文でも作っているような気分になってくる。「まあいいでしょう、トウマは最初ホノカさんと、お見合いするつもりだったのだから、予定通りです」突き放したような言い方を奥様―――つまり、これから私のお義母さん、姑になる人は言う・・。しかし、度量のある意見だなと感心する。何が正常で何が狂っているかは別として、即帰れ、ということにはならなさそうだ。御手洗家の縁の下の力持ちだけあって、すごい気品だ。同じ女としての戦闘スキルには月とすっぽんほどにあった。身長は百五十ほどのわたしと同じぐらいなのに、舞踊経験者だろう―――か、居住まいの美しさが気位の高さをあらわしている。「食事の用意がちょうどできています、その後に、あなたの部屋を案内しましょう・・・・・・」この方は口うるさい人なのだろうか・・・、それとも何事にも厳しい人なのだろうか・・・。「ああそういえば、荷物が届いてないのだけど、家から送られてくるのかしら?」「あ、いえ」ちょっと答えにくい。姉が先例を作った以上、そうでなければ不自然だとするお義母さんの意見は正しい。でも弱点を曝け出さなければ利益というのは得られない。「私の荷物はこれだけです」、、、、、、、、、、 、、、、、、、、、、、あの人の皮をかぶった、面汚しみたいな人間の屑。、、ねえ。「・・・・・・それはそれとして、あなたの服、随分とみすぼらしいようだけど、そういうものしかお持ちでないの? 嘆かわしい!」ぶるっ、と震えている。まるで爬虫類や、昆虫でも見たような反応だった。これでも私の持っている服の中で一番ましなものだった。だが、継ぎ接ぎがあるかないかだけの違いである。とはいえ、嫁ぎ先にのこのこ現れた以上は言われて当然だ、身だしなみは人格以前として、ある。、、違う。、、、、、、、、、、、、、、、これが人間のする仕打ちだろうか。「す、すみません」「身長体重スリーサイズ、あと、足のサイズは?」「え?」ドキッとした。中学校三年生以来、そんなことを気にしたこともなかった。だが、これがいけなかった、お義母さんは一気にヒートアップした。「あなたねえ、まさか、把握していないと言うの?あなたの御召し物はじゃあ今までどうなさっていたのかしら!」、、、、、、、、、、、、、、、、、、運がよければ姉からのおこぼれがあった、というようなこと言うのが恥だという自覚はある。この家の図書室に置かれた調査報告書、一人の女性を娘として迎える親の気持ち。「すみません!」「そのようなことで、明治から続く御手洗家の嫁が、おいそれと務まると思わないことよ!まったく・・・とんでもないわ!」「ごめんなさい・・・」予想していたとはいえ、委縮してしまう。と、トウマさんが不意に近付いて手を握ってくる。が、色っぽい理由からでないのはすぐにわかった。「ボロボロの手だな・・・、触ったらこちらが傷つきそうだ」「す、すみません」女性として恥ずかしいことだったが、私はあの家でハンドクリームさえ買うことが出来なかった。もう十八にもなるというのに、なんて恥ずかしいことだろ―――う。そしてそんなことを言われてしまう自分が心底情けなかった。「肌はそれほどでもないが、髪は傷んでいるな、きちんと手入れできているのか、毎日ちゃんと眠っているのか」「・・・すみません」「まあいい―――これは色々と考える必要がありそうだな母さん・・・」「そうね、私も少し考えが甘かったわ」どうしよう、こんなに幻滅されて、嫁として失格なんじゃ・・・。スタスタと前を歩いていく二人を数秒見てすぐ、後に続いた。お義母さんに呆れられ、婚約者のトウマさんにも渋い顔をされ、私は立つ瀬がなかった。でも気付いていないのは本人自身にもある。だって彼女はいつのまにか、表情を作り、時にはそれが出来ないまま相手のことを気にしている。その驚くべき変化がたったの数分で起こった―――ことを。、、、、、、、、、テーブル席に着いた。私は名誉挽回しようと、した。が、不思議そうにトウマさんが声をかけてくる。「どうして食べないんだ?」「いえ、皆さんが必要なものがあれば、すぐに取りに行けるようにと思いまして・・・」その瞬間、ぐわっとトウマさんの眉間に皺が寄った。明らかに怒っていた。「私たちが食べ終わってから食べるつもりか?」「は、はい・・・」お義母さんが言う。「もしかして、いつもそうしてたの?」「はい・・・」「呆れたわ・・・なんてことなの」「す、すみません・・何か至らなかったでしょうか・・?」トウマさんが言う。 、、、、、、「もういいんだ・・・」、、、、、、、、、ここにいなくていい、という意味かとビクッとした。私はこんな時に一つしか言葉を知らない。「ご、ごめんなさい」目尻に涙が浮いてきた。必死な努力で乗り切ってきた、いつも、いつも、だ。それに応えてくれる時間というものがすっかり無くなってしまっては、この世界は少しもわからないものになる。致命的に遅れている列車を待っている受験生のような気持ちだった。「至らないところがあれば、言って下さい!すぐにでも直します!言って頂けないとわからなくて・・・ごめんなさ・・・」すっと、目尻に指先が触れた。トウマさんの人差し指だった。どうして気付かなかったのだろう、どうして気付かなかったのだろう、表情や言葉なんかよりもずっと明瞭に、彼は優しい瞳をしている。「いい加減にしなさい、君は私と結婚するために来たんだろう?」こくん、と肯いた拍子に、トウマさんが気を落ち着けて言った。理解のずれ、省略、心の擦れ違い―――。ちょっと、きつい言い方をしてしまったが、すまない、頭にくることばかりなんだ、君を責めてるんじゃない、と言った。「どうして同じ娘なのにこうも扱いが違うんだ、それをまあお見合いの席では―――」「およしなさい、トウマ、食事の席ですよ」、、、、、、、、、、、、、、、、、けがらわしい豚の話など聞きたくない。でも本能の吐き出す霧は、身体や首筋、腕、肩にもそれを伝えた。「言葉を荒げてすまない、でもその、ホノカさんは、家政婦じゃないだろ?」「あ・・・・・・」「一緒に食べよう。もちろん初対面の席で、緊張して咽喉が通らないというのならわかる、実を言うと―――私もだよ。どうやって接していくのがいいのか、試行錯誤してる。ましてや、ホノカさんにも引け目があるだろう、でも、私たちはホノカさんと食事が食べたいんだ。それに、おいおい気付くはずだよ、みんなホノカさんが考えているよりずっと忙しい、するべきことがある、でもホノカさんが来るから、今日はみんなスケジュールを調整したんだ。何の為に? それは、食事を横から眺める家政婦のためじゃない、今日から一緒にスタートする、家族の顔を見たかったのさ」、、、、、、、、嬉しい言葉だった。思わず、キュンとした。「そうですよ、家族なのにどうしてあなただけ後で一人で、食べなければならないの? 苦手な料理を出されて食べられないのなら、わかりますけどね、私も。けれど、ホノカさん、それを当たり前とすることは金輪際お止めなさい。今までがどうであれ、ここに嫁ぐからには、そんなことしなくていいのよ」抑制が強く、気のきつい言葉は目立つけれど、曲がったことは絶対にしない、人。「ある程度の事情はみんな知っている、あなたのお祖父さんからも頼まれている。無下にはしないよ。だが一つだけ言える、われわれは敵ではなく、味方だよ。急には無理だろうが慣れていっておくれ。みんな癖がある、でも息子の結婚相手を、いや―――人間の尊厳さえ踏み躙るようなことは、絶対に、しないよ」あれ・・・。皆さん、もしかして・・・・・・。すごく優しい・・・・・・?姉が逃げ出すほど『怖い家』なんだと思っていたし、到着した時に渋い顔をされたと思って勝手に委縮していた。でも私は何か勘違いをしていたようだ・・・。、、、 、、、、、、、、、ここは―――私を必要としている。 *
2024年09月14日

暗い印象のショールーム・キッチンさながらの、生活感のなさ・・・。昔の追憶が起こってくるというように、自分の心の底に想い沈んでいる、無気力さ、不安定、脆弱さを、飼い慣らしている・・・・・・。私の名前はホノカ。父と母と姉と私の四人で暮らしており、家事全般は私の役目だ。一見よくある家族構成で、傍目からは普通に見えるのに・・・。キッチンで料理の片づけをしている私に、姉の声が響いてくる。皿洗いの手が止まる。「ねえホノカ、今日着てたセーター、引っ掛けて糸がちょっと出ちゃったんだよね~、直しておいてくれない?あとシャツにアイロンもね」「あ、うん。わかった」母から矢継ぎ早に催促が入る。横殴りの雨に打たれながら、木々が苦しみながらもだえるような身振り。自分の影を殺しているような気分になってくる。あるいは、いつのまにか自分が宇宙人にでも食べられて、まったく別の、もう一人の人間にでもなったような気がする。“自由ナンテココニハナイ...”役割分担ではない、押し付け、やるのが当たり前、それは家庭内暴力というのではない―――か・・。「あ、ホノカ明日近所の人たちとお茶会があるから、この前みたいにラズベリーケーキ作って頂戴」「わ、分かった・・・」段々いたたまれない気分になってくる、間隔にも姿態にも少しの動きも見せずに位置だけ変わってゆく。手を動かし始めた、外側にある価値や感情に見向きもせぬために―――。「ホノカ、父さんの明日の弁当もな」「・・・・・・分かった」私は姉のように美人じゃなくて、頭も良くなかった。―――黒い切り絵。ぐずでのろま、とか、馬鹿なんていうひどい言葉も昔は言われた。これでもかなり改善した方だ。両親に少しでも褒めてもらいたくて、お手伝いを頑張ったんだけど・・・。嗤っている。家族の談笑が聞こえる。自動的に浮かんできて他の機能が停止する。哂っている。他愛のないやりとりが聞こえる。新しい世界へ通じる扉は閉ざされ、心が石化する。ザーーーーーー。ザーーーーーー。水が流れている。観測地点での大加速記録。ザザーーー。ザザーーー。ノイズのように聞こえる。、、、、、、、、、、、何処で間違えたのだろう。次第に私がやるのが当たり前になり、気が付けば私は家政婦のようになっていた。うらぶれてひねこびた細胞の記憶は、私の元々小さかった声をさらにいくらか小さくした。そこに家族の愛情があって、感謝の気持ちがあればよかった。けれど廃園のような荒廃した心理状態はつくられ、縒れ戻る枝、蔓枝、そして苔むし、風化し・・。すっかり私の心は穴だらけになった。元々の短所や、苦手だったことすらも目立たなくなるほどに。この家の掟。この家の律法。私は家事や雑用をこなすしかない、それが私の存在価値だから。両親は相変わらず姉だけを溺愛した。陰湿な会話の御伽噺みたい―――だ。ニャルラトホテプ這い寄る混沌。、、、ボソッ・・・と声を漏らしたら、厚い藻の塊があることなど、(知 っ て い た で し ょ う ・・・?)それは緑と蜜柑色の黴を生やしていることなど、(知 っ て い た で し ょ う ・・・?)もっとみじめになり、もっともっと、辛い気持ちになる。「私だけ、家族じゃないみたいだ・・・」光を弱め、冷たくなっていく太陽、息苦しい夜を抜けて、終わりのない階段へ―――。晴天の昼下がりの公園(や、)夏の夕方の堤防(や、)街路樹の木洩れ陽(や、)雨上がりの町の水溜まり―――、 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 ・・・・・・その家の人は誰もあなたのことを愛していない。 *そんなある日、祖父が私にお見合い話を持ってきた。祖父が来ると、家族全員が出迎えるという決定事項がある。祖父は父に会社を経営させ、母の父親であるが殆ど唯一の恐れる人物だ。しかし孫の私にはいつも優しい好々爺であり、他の客には顔さえ合わせてもらえないことを抜きにしても、私は祖父のことを好いていた。私は生まれて何度か祖父にこの家を出たいとお願いしようと思ったことがある、そう、こんな風に祖父がやってきた日に―――。でも何度も考え直した、そう―――何度も考え直した、一度その選択をしたらもう家族の関係は修正できない。豆電球のようにささやかなものが天使のものに思える、愛は愛のない状況によってでしか発見できないものなのだ。、、、応接室―――。ここには値の張りそうな外国製の応接セットの他に、高給な酒瓶もある。(成金必須アイテムとしての動物の剝製もある、)もっぱらは客次第のようだが、祖父には迷うことなく酒を用意する。この応接室にはまた、家族の肖像画が飾られているのだが、まさしくこの家の象徴的な一枚だと思う。、、、、、、、、 、、、、、、、、、、、、その家族は三人で、私はそこに含まれていない。―――絵は蛍になれない蛍袋、音を鳴らせない釣鐘草。(それは、)部屋のあちこちにある、何処にでもある。(それは、)彼女を差別し迫害し、ユダヤ人の歴史を彷彿させる。「御手洗トウマくんが、ホノカと結婚したいと言っていてな・・・どうだろう?」「御手洗さんって・・・、確か財閥の御曹司の・・・?」ビュッフェスタイル、台車に乗せて料理を運ぶ給仕人。十数名のコックが腕によりをかけて作る料理と、上流社会らしいブランド服やパーティードレス。血を大きく搏つ一種の諧調と音楽と色彩とがある。眼を細めながら、いつかのパーティー会場を手繰り寄せる。スーツ姿がとてもお似合いで、高身長で、容姿端麗なのも相まって、―――ひときわ異彩を放つ男性。「前におじいちゃんの誕生日パーティーで一度、ご挨拶しただけのような気がするけど・・、一度しか会っていない私と結婚ですか・・・?」何を話したのだろう、駄目だ、何一つ思い出せない。ただ、物静かな雰囲気の人で、優しい眼をしていたのを覚えている。お仕事の話とかしてくれたんだけど・・・。「・・・・・・ト、ウ、マ、さん」私ったら緊張して、舌を噛み、顔が真っ赤になり、あと、あわあわ、って言ったと思う。思えばあんなに感情が動いたのは久しぶりだった、けれども、明らかに違う世界の人が、釣り合いの一切とれなさそうな人が、自分みたいな貧相な女に興味を持つ・・・・・。周章狼狽。隔靴掻痒。馬鹿みたいにみっともなく、汗を掻いていたんじゃないかとも思う。沸騰するガソリンエンジン。それから、猛烈に咽喉の渇きを覚えて間違えて、お酒を飲みそうになって制止された時に、手が偶然触れて、眼が合ったのを覚えている。ただ、トウマさんと全然喋れなかった・・・。「嫌か?」嫌? 死ねなら、わかりますよ、おじいちゃん・・。嫌なんて、とんでもない・・・。こんなに嬉しいことはない・・・・・・。明日もしかしたら死ぬのかも知れない、でもそれを差し引いても、恐悦至極。もしかしたら、家の庭に穴が掘られていて、今日落ちることになっているのかも知れない。ロト6? 人生あみだくじ?しかし何処に見初める要素があったのかを考えると、風呂場でも溺れられる自信があった。ネガティブについ考えたくもなるので放り投げるとしても、もしかしたらトウマさんは、網走刑務所から出所したばかり、とか?聞いた噂じゃないけど、あるかも知れない。―――真相はどうあれ、自分にも、そんな風に言ってくれる人がいるというのは、不思議な印象を感じながらも、運命を感じる。繊細な感情は注意報や致命傷みたいだ―――と思う。暗く澱んだ空洞の中にいてもなお、期待し、希望を抱き、子供のような心に繋がってしまうから。「えっと・・・」、、、そこへ。「ねえ、おじいちゃん!」、、、、、、、お姉ちゃんだ。「それ私じゃダメなの?私がトウマさんと結婚したい!」「え?」そんなの嫌―――と、本当は言いたかった。言いたかったけれど、ギロッと睨まれた途端、声は呻き声にしかならなかった。、、、、、、、、、、まるで高圧送電の鉄塔。「ホノカも私の方がトウマさんの結婚相手に、いいと思うよね?」お姉ちゃんが私が作ったクッキーを、みんなに配っていた時みたい―――だ。あの時私は逆らった、バレンタインのお返し、そういうのよくないよ、と言った。次の瞬間、胸倉をつかまれ、転ばされ、お姉ちゃんに顔を踏まれた。ゴム底の歪な形に歪んだ靴の感触。何度も何度も、鼻血が出るほど。冷たい両親でもさすがにこの仕打ちを、見逃すまいと思った。、、、、ご飯抜きと言われた。顔に残ったあざが引くまで閉じ込められ、水しか与えられなかった。私は姉に謝罪した。あの時の勝ち誇った姉の毒々しい顔によく似ていた。マズルコントロールみたいに鼻、口、頬をおさえて、次逆らったら承知しないわよと言った。顔とは上下にある身体が互いに隣接しながら相反する。結婚するには、自分の力でモテなければならない時代、過酷な椅子取りゲームに参入しなければならない、と、お姉ちゃんは言った。いまその同じ口で、保守的なお見合いの席を奪い取ろうとしている。「・・・・お姉ちゃんと、結婚した方が・・・」蛇に睨まれた蛙だ。勢力範囲もとい縄張りを宣伝する行為の前で、私は俯くよりほかにない。「いいと―――」、、、、、、、、絞り出すように、「思う・・・」、、、、弱弱しく。―――おじいちゃんが見咎めるように、ちょっと待たんか、と怒気をあらわにした。おじいちゃんの眉間に皺が寄っている。「ホノカ・・・もう一度聞くぞ、お前は本当にそれでいいのか?」姉の傍には、両親が立っていて、雨の日の段ボール箱の汚い犬でも見るような眼をしていた。映画『ALWAYS三丁目の夕日』にでも迷い込んだような気がした。ここには救済措置なんていうものはなかった。ここには決定する自由な思考なんて存在しなかった。「うん・・・」ふう、とおじいちゃんが溜息を吐く。がっかりさせたよね。情けないよね。おじいちゃんはきっとわかっているんだ、お前がそれならそれでいい、という幻聴が聞こえる。私が本当はどう思っているか―――わかりながら、自分の気持ちをきっちりと言えないことに、呆れているんだ。「そうか・・・分かった、ならあちらの家と話をしてみよう」ワッワッキャッキャッと浮かれている姉。私はお姉ちゃんの嬉しそうな声を背中越しに聞いた。、、、、、、、、、、、、一瞬胸に鋭いものが走って、いたたまれなくなってスッと立ち上がった。スピード制限、追い越し禁止、駐車禁止などの路上標識が見える。整然としてリズムのある突出物。道路と舗道の境界線。「やったー! 財閥の御曹司と結婚なんて最高~!」人生はきっと、と思う。折角やって来た幸運―――も、口を噤んでいたら万に一つも掴まえられないのだということを、わたしは応接間から抜け出しながら想った。目尻に浮かんでいた涙は何故だろう、悔しかったから? まさか、こんなこと三百六十五日、しょっ中だ、きっと、懐かしい人の顔を思い出して胸がざわついたんだろう・・。クリア条件を設定しなければ半永久的にゲームを続ける。星は寿命を終える時、ひときわ明るく輝くというけれど、私にもそんなことが起こるのだろうか?夜空を照らす一等星の傍らで、もっと小さな星がある。そこにあるけれど、まったく見えない星の数の方が多いのに、見えるものでしか価値を見出せないのだ。、、、、、、無重力乱気流。胸が詰まるようなあの一場面が、どうしてこんなに熱い頬を湿らせるのだろ―――う。それを憧れというのか、それとも、恋というのだろうか。色んな勘違いした挙げ句に、唇を血が滲むほど噛み締める。そんな想い、これから一度でも、もうしたくない・・・・・・・。けれど姉の結婚式で、突然私は泣くのかも知れない・・・・・・、こんな想像、毛布をかぶっていても眼に痛い、ヒロインに立候補するっていう沈黙が拡がるその一瞬に、私は一目惚れがあったことを正直に認めるんだろ―――う。 *
2024年09月13日

集団の内面の視覚です。 (環状線です、地球儀です、空洞です、循環します、) レンズの構成の背後に幾千の集団構成です、 電流の背後の幾多の集団構成です。 (I can do it...Everything’s gonna be alright...) ―――無情な宇宙の存在を促した雲は世界の終わり、 それでも繰り返す言葉に勇気づけられ、 雨が降る、雲が姿かたちを変え、風が吹きつける、 徐々に感情がたかぶっていくのがわかるんだ、 そして一瞬夢のような輝きで瞳を壊して光が爆発する。 (ここは煉獄さ...ここは煉獄さ... 一瞬一瞬、自分がいつのまにかほかの自分になっている音もない移動、 縦横無尽の鏡の間...否定を媒介した形象化と... 感情移入による認識の最終地点まで) ・・・うるさい蝉の声を聞きながらぐらりと視界が揺れて、 通り雨を見ていたあの日の僕の頭の中の真っ白さ。 対象のうつりかわりと同じリズムをくりかえす心の呼吸の連続。high。 「蜘蛛の巣みたいな視界の、外れた車輪みたいな世界 ―――誰もがって言ったんだ、幻のスターターピストル。 “越えられるかって言った―――超えるさ。 シンプルな構成の中でも複雑微妙の感情と切なさに心を揺さぶられる” ―――何度も何度もって、誘ったんだ、限界を知る夢と脈打つ気配。 “カッコよくなくちゃいけないし、本気でなくちゃいけない、 そして才能っていうのは限界の片鱗すら覗かせちゃいけない” 集団の矛盾ひしめく視覚です。 (陥穽です、歓声です、管制塔、感受性、閑静です、慣性です、) レンズの構成は所有と犠牲の幾万の集合体です、 電流の背後は有象無象のなれの果てです。 (僕は毎日何故こんなに悩んでいるんだろ―――う、 世界に大きな影を落とす為か、ついでに原子爆弾を落とす為か、 未曽有の大災害を引き起こす為か―――否だ・・断じて、否だ・・) 「ミッシングリンクの解消による道路網の多重化。 未着手道路、バス空白地帯、急下り坂、 アップダウンの激しい難易度の高いコース・・・」 ―――すべては記号になる、すべては暗号になる、 曼荼羅の絵も、万葉集も、雪舟がきわめつくした絵の極意も、 利休が立ちいたった芸道の涯も、そして僕の言葉を、 後にも先にも越えられない場所へ、衝撃へ、時代へ・・・。
2024年09月12日

一九五〇年のとある日アメリカの複数の新聞に、おぞましい記事が掲載される。フロリダの海岸とバミューダ島の間で複数の失踪者が出ているというもので、合計九機の飛行機と一隻の船そしてそれに乗り込んでいた、約一三五人の民間人と乗組員が跡形もなく姿を消してしまったというもの、同じ場所でこれだけの人数が失踪なんて常識的に考れば異常だ。そしてこの付近の海域はその名も高き、『バミューダトライアングル』として有名になることになる。すべての始まりは一四九二年の、『コロンブスによる最初の大西洋横断』だ。この横断航海の際に、三つの奇妙なことが起きた。まず、「船の乗組員が火の玉のようなもの」を見かけ、さらには「コンパスの示す方向が狂い」まくり、そして「海面に謎の光が浮いているのを見た」というものだ。しかし当時は写真や動画という技術もなく、確実な証拠となるものがなかった。また実際のところ、コロンブスがバミューダの海域に近づいたのが、九月頃で、その時期は流星の軌道からちょうど、「おうし座流星群」が活発でその流星群を『火の玉に見違えたという説』がある。そして、九月一七日に乗組員がコンパスを見たところ北極星とコンパスの針がズレていることに気付いたわけだが、当時はコンパスが狂った理由を解明できず、オカルトチックな予測が多く立てられた。これはやむをえないことだ。時代が経ち、技術が進歩するにつれて、コンパスが狂った理由が明らかになってきた。 それは『磁気偏角』で、コンパスは磁石を使い、地球の磁場を用いて方位を知る道具だが、その地球の磁場自体が長い期間をかけて変化している。もちろん、『磁気嵐』だろうとおおむね構わない。僕の判断であるが、これら二つの報告が直接事件と関わっているとは思えないからだ。あわせて言えばだが、「バミューダトライアングル内」ではなくどちらかというと「北大西洋の中心より外で起こったこと」だった。しかし三つ目の奇妙な光は「トライアングル内」で目撃されたものであり、 その様子はまるで蝋燭が宙を浮いてるようだった。ちなみにこれが何だったのかを証明する手立てはないが、個人的にこれがUFOであってもよいのではないかという気がする。そもそも、UFOが飛んでいて事故が起こったわけではないからだ。バミューダトライアングルは、フロリダ半島先端、大西洋のバミューダ諸島、プエルトリコを三角に結ぶ海域のことである。この北大西洋に広がる五〇万平方メートルの領域は、これまで七五機以上の飛行機と、数百隻もの船が消息を絶ったことで知られている。―――が、バミューダトライアングルはまず、都市伝説であり、三角地域を少し外れているだけならまだしも、はるか遠くで起こった事件が、「バミューダ海域で起こったことになっている」のを皮切りに、実際は「通常の事故で沈没したと判明している」ものでも、『謎の消滅』をしたことになっている。この水増し成分のそもそもは『バミューダトライアングル』を伝えたのが、オカルト雑誌であり、大半がフェイクでオカルトチックな推測、いわば小利口な人がわからないからズブズブに信仰宗教にハマる心理、これはけして現代人にも縁遠い話ではないはずだ。ではその中にも本物はあるんだろう、どれが『バミューダトライアングルの謎』になるのかといえばだが、実のところ、一つもない。おかしな物言いかも知れないが、呑み込んで欲しい。一つもない。もちろん飛行機のパイロットがUFOを見ているというのは本当だ。実際、もしかしたらその中にUFOなど、僕等がうかがい知れないことが、関与している可能性もあるかも知れない。科学の仮説が嘘だらけであるし、僕等がわからないことなんか山ほどある。原理や理屈はわかっても、どうしてそうなのかは不明なんてよくあることだ。でも一番重要なことは、そこが『バミューダトライアングル内』ではないということで、仮にそうであっても、それが様々な要素の重なりであることを否定できるものではない。アメリカ沿岸警備隊は、魔の三角地帯とされるこの海域を、「伝説の中だけにあるエリア」としているのを結論としてもいいぐらいだ。当然、彼等はバミューダトライングルと呼ばれている場所があることは、承知しているのだが、長年調査をした結果、物理的原因以外の要因による事故を、示すものは一切発見されていないと説明している。働く者が都合の悪いこと、本当は別の真相があっても、それは語りたがらないものだと百歩譲るとしても、だ。またアメリカ海洋大気庁でも、バミューダトライアングルで起きている現象は、同程度の空および海の交通がある他の地域のそれと、まったく同じだと述べている。また、有名な「フライト19事件」でも、その原因はコンパスが乱れ、飛んでいる位置を誤解し、通信が切れて海が荒れてパニックになり、燃料が切れて墜落した、という風に考えても差し支えないのではないかと思う。物語はいくらか大袈裟にしすぎる。この「フライト19事件」はフライトリーダーの役目を生徒に引き継ぎ、全体の監督をする「テイラー」という人物が大きく関わっている。彼は優秀で経験豊富なパイロットだったが、このフライトの以前はフロリダのキーウエストで、飛行インストラクターを務めていた。つまりテイラーはこのバハマ上空を飛行するのが初めてだった可能性がある。事件の原因はわからないにせよ、また機体が見つかっていないというのは大きな問題であるにせよ、一週間捜索しても見つからず打ち切ったというだけだともいえるし、実のところ、これらの事件に『海賊』というような、諸外国による強奪、『第三者の得をする勢力の影』がないか、と思う。乗務員や荷物が消えてしまうというのを通常考えたら、誰かが奪ったのだ。場合によっては、バミューダトライアングルという言葉が独り歩きする背景には、きわめて政治的な陰謀論で本質をすりかえようとするもののように思える。もちろん僕は「探偵」でも、「バミューダトライアングル研究家」でもないが、電源にプラグが刺さっているか外れているかぐらいは、ちゃんとわかる。確認するからね、残量表示も見る。「天候急変説」「磁力異常説」「ブラックホール説」「宇宙人説」「メタンハイドレート説」「マイクロバースト説」など様々あるが、それは尾鰭の部分にすぎない。こういうのは科学者なりの想像力逞しい意見だ。けれど勘違いしている。そもそも、彼等は、「バミューダトライングル内」で失踪したわけではない。「バミューダトライアングルという不思議な言葉で、この場所に近付けないよう宇宙人が紐づけている」というそんな馬鹿げた仮説を発表したいぐらいに、全然関係のないことまでバミューダトライアングルの謎になる。そちらの方がよっぽどの謎だ。バミューダトライアングルに住んでいる漁師に至っては、船の失踪を、腕が悪いからだ、と茶化すような物言いをする人もいるらしい。もちろん記憶から人物が消えたりするようなホラーテイストはない、それは改変である、明らかな消失である。けれど極論も時には有効に作用する。そうではないのなら、超自然的であろうが人為的であろうが、それは「何らかの形で消えた」ということは疑いようのないことなのだ。また古い話は伝言ゲームになりがちだし、胡散臭い部分も含む。現代においてよほどの過激派でなければ聖書の奇跡を信じたりはしないはずだ。誇張には虚言癖やパーソナリティ障害がある。もちろん歴史上、集団の失踪事件というのは存在する。『アンギクニ湖事件(一九三〇年)カナダ』『メアリー・セレスト号の消えた乗組員(一八七二年)アメリカ船』六〇〇人が一夜で消失した、『オエル・ベルデ村(一九二三年)ブラジル』というのもある。インダス文明も不思議な消え方をしている。けれど逆に考えれば人類史において、人類というのは集団で失踪するものだ、という認識を持っていてもいいのかも知れない。もちろん異次元の入り口が、本当に、「バミューダトライアングルに存在する」という可能性もなくはない。火のないところに煙は立たないし、こういう言い方をしていても、一九九一年、グラマンクーガーのパイロットが、高度上昇を求める定期連絡を発信。その上昇中、徐々にレーダーから機影が薄れ、完全に姿を消したのは何故だろう。直近の事件である、二〇一五年十一月、バハマ沖南で台風に巻き込まれた貨物船エルファロ号が、三三名の船員と共に失踪したのは何故だろう。終戦直後なら成立するようなことも、あるいは大昔ならどうせ嘘だろうと言えるようなことでも、現代の、つまり今日と、ほぼ変わらないような事件ともなれば首を傾げるほかない。でも残念ながらだけど、「監視カメラの向こう側で姿が薄れた末に、消失していった」とか、「明らかにイッちゃった眼で、光り輝く場所へ進んでいった」とか、そういう映像は一つも残っていない。あなたはまだバミューダトライアングル症候群である。映像が残ってないからフェイクニュースのように、情報にオカルト成分が混ざり、あたかも超常現象のようになるのだけれど、シンプルに物を考えると、僕等はバミューダトライアングル方面に別の側面が見えてくるまでは、すべて明らかな間違いとしてもいいのではないか、と思う。話半分で聞いて欲しいけれど、怖い話の中には、マンションの電気設備によって違う世界の声が聞こえる、行く、とかある。精神の浮遊感覚状態と異世界というのはワンセットだ。僕は別にバミューダトライアングルの胡散臭い伝説の片棒を、担ぐつもりはない。リアリティの話だ。だから僕は自分の住んでいる町から隣の町へワープした子供を書くなら、必ず「ふわふわした頭で」というような描写をすると思う。リアリティは信じられる部分でしか定着しない。僕は見えていないもの、確認できないものを―――ある、という風には絶対に書かない。最低、躊躇う。話のリアリティの基準に従って取捨選択する。明らかにこれはおかしいと思ったらそれは『嘘』だと断定する。バミューダトライアングルを調べながらつくづく思ったのは、陰謀論で、場合によってはマフィアとか、死の商人も関連しているのではないか、ということだ。いや、本当にこれまで誰か一度でも、そんなことを考えたことはないのだろう―――か。僕等はみんな嘘をつく生き物だけど、人が死んだり、失踪したりする中で、そんなひどい嘘をつくとは思っていないようなところがある。葬式の日に焼香してお悔やみ申し上げますと言った口で、死んだ人間を悪く言っている人間だっている。パワーバランスや椅子取りゲーム、その情報が有効だと占めているものをパーセント表示してみせろよ、ついでに、何らかの疑問の余地がないかを暴いてみせろよ。不思議な話を聞いていると、そうだったらいいよなあと思うけれど、僕等は生きているという感覚のとりたてて情念のようなもので、救済だったりを無意識に求めているような心理構造があるのではないか。不幸は蜜の味というけれど、ホラーとか不思議な話って非日常が醍醐味で、現実を忘れさせてくれる。けど、それでも失踪した人間が、本当は生きているかも知れない、死んでいるかも知れない、という選択を残さなくてはいけない。不思議な話は誰にでも起こりうるけど、たとえば、ファフロツキーズの謎の一つだと僕が考える、どうして土の中にいる蚯蚓が落ちて来るのだろう、と。蛇や蛙ならわかる、海の生き物でもわからなくはない、どうして蚯蚓なんだろう、土がもっとハチャメチャに落ちまくっていてもよさそうなのに、どんな竜巻がそれをかっ攫っていったんだろう。わからないことがあると思考停止して、現実逃避し、とりあえず認識できる箇所だけを集中的に呑み込もうとする。落ちて来たということは、やっぱりそれは何処かにあったんだ。どんな風にかは、僕の知るべきところではない。
2024年09月11日

蚯蚓。大多数の人から嫌われてやむをえない虫だが、土壌の健全性を維持する上で恵みをもたらしてきた生き物だ。じゃんかじゃーんと地球上に人間が登場したのは、約一四〇〇万年前。けれどまったくのノー・マークだった、ダーク・ホースですらなかった、競馬の話やめろよ、蚯蚓が地球上に登場したのは、北米で発見された暁新世後期の化石から計算されたところによると、人の一〇〇倍以上にあたる約四.六億年前。ちなみに六〇〇〇種類もの蚯蚓がいる。またミミズは土の中で暮らす動物の総重量の、五〇~八〇パーセントを占め、日本国内の最も多い報告では一平方メートルの土地に、一二〇〇匹以上いたらしい。みすず、といえば可愛いのに。みみず、それは宇宙だ。それはたとえば蚯蚓に小便をかけると陰茎が腫れる、と言われるようなものだ。いわずもがな迷信ではあるが、これは雑菌が尿を伝わって陰茎に付くかも知れないという説や、田畑に養分を与えるミミズへの尊敬と感謝に由来する説がある。しかし一部の種では、体腔液と思われる毒のある液体を、刺激された際に放出するものがいて、それが原因の可能性もある。それはさておき、農家にとって蚯蚓は益虫である。蚯蚓は一日に自分の体重と同じくらいの有機物を食べるため、当然その分排泄の量も多く、一日に自分の体重の半分~二倍排出される。その有機物や微生物を消化吸収して粒上の糞こそが野菜にとって重要な栄養素となる。カルシウム、マグネシウム、カリウム、リン酸などが含まれ、フカフカな団粒構造の土を作る。蚯蚓が住み着くことにより土壌が耕され栄養が循環するため、農作物の生育に適した環境が整えられる。また良し悪しはあるだろうけれど、蚯蚓を餌とする様々な生物を集める役割を持っている。生態系とは様々なバランスの中で成り立っている。進化論で有名なダーウィンも、この小さな虫のことをべた褒めしているぐらいだ。けれど死ぬ間際まで研究していたとなるとこの発言も、斜に構えてみるべきかも知れない。ダーウィンは蚯蚓マニアであった可能性がある。ダーウィンとファーブルが話し合ったらと想像するのが、ロマンというものだろ―――う。けれど機械の構成体の一部をなす歯車の一回転も、その全組織の構造の欠くべからざる一要素。単純な生き物こそ様々なものの写し鏡になる。ただ、貧弱でありながら毒に対する耐性が強い蚯蚓は、しばしば毒蚯蚓と化して様々な中毒を引き起こす。プラスチックを食べた魚のたとえ話さながらに、毒蚯蚓を食べた鳥がめぐりめぐって、人間へと災厄が降りかかって来ることも―――ある。逆にイギリスでは、この生物濃縮を逆に利用して、重金属に汚染された土壌の浄化を行っていたりもするが。とはいえ、蚯蚓はうねうねしているし、深海生物さながらグロテスクである。率直な言い方をすれば―――醜い。気持ち悪い。ごくごく、一般的な人間の評価だろうと思う。ただ、醜さというのが差別や迫害の動機ともなっているように、無意識的な心理の方面ではもしかしたら、恐怖を促すためにその姿に進化したのかも知れない。その方面ではやはり蛇が思い浮かぶわけだけれど、蚯蚓にいたっては手足どころか、頭、触角など目につく顕著な器官が体表に何もない。弱いということを体現しているともいってもいい姿だ。こういうのを食べようと思う人がいるというのも変だが、まあ、栄養価の高い蚯蚓はいるし、蝸牛だってエスカルゴだろという具合で、アメリカのカリフォルニア州などでは、蚯蚓を使った料理コンテストなども行われている。ただ、蚯蚓なんて何処にでもあるという人にとっては信じがたいだろうが、食用の中でも上質なものは、六〇〇〇円とか八〇〇〇円する。もしかしたら店が特注で頼んでいるような場合なら、もっと値段は高いかも知れない。ちなみに都市伝説のミミズバーガーは、手間やコスト上からも、一般人に何のうかがいもなく入れる事自体すでに有り得ず、フェイクニュースならいざ知らず、世間一般のイメージが、事実だとわかった瞬間、店にとってどれだけの大打撃になるだろう。ただ、幸か不幸か、それゆえにユーチューブでミミズバーガー作ってみた、という動画を楽しく眺めることが出来る。ただ、下等な生物と思われがちであるが、むしろ顕著な頭部器官や疣足を持つ同じ環形動物門の多毛類のような、複雑な形態を持った祖先から、地中生活への適応として、二次的に単純化を起こす方向で進化したものとみるべきもの。いわば存在価値にかかわるような機能の出現によって、その形成をうながされ、固まり、成長してきたと考えられる。その戦略も間違っているとは思えない。とはいえ―――とはいえ、である。日本でも数十センチの蚯蚓がいるが、アフリカや南アメリカでは二メートルを超える種類があり、オーストラリアに住むメガスコリデス・アウストラリスは、三.三五メートルまたは三.五メートルと言われる。分かり易く大きくしてみるわけだが、こんなのが夜中に傍で眠っていたら、それは恐怖でしかないだろ―――う。気持ち悪いとか、怖い、なんかすごく嫌は正義である。そんな時にふっと思い出して欲しいのだが、実は蚯蚓大権現とかいう、蚯蚓の神社というのがある。ネタを話せばすぐにわかるのだが、大流行したコレラや腸チフスが、非科学的きわまりないが蚯蚓の祟りだと噂され、蚯蚓の供養のためにお堂を建立し、蚯蚓を祀っている、というものだ。迷信だって何だってそれで気が鎮まれば儲けもの。霊感詐欺は一切オススメしないけどね。また蚯蚓を煎じた生薬もあり、その腸内細菌の力は東洋医学の世界でも認められている。こんな時、僕等は中国っていう国の底知れない漢方というものを思い知る。というか、僕が。どうして僕は、奥さんに頼んで、中国で漢方の店を拝見しようと思わなかったのだろうか、僕はデパートで安いお菓子をお土産に買い、川を見、奥さんの学校の同級生の経営しているらしい店でビールをしこたま飲んだ。色々間違っていた、いつも後になって思うんだ。犬食の看板の向こう側にはついぞ、吸い込まれたくないと心には決めていたけど。けどね、何で僕がこんな胡散臭いエピソードを話してるかっていうとね、簡単だよ、犬はね、蚯蚓の死骸の臭いが好きで、時には食べることもあるらしい。犬の飼い主全般、腕組み、眉間に皺寄せ、何やってんだと思うだろうけど、犬が死んだ飼い主の顔を食べてしまうという話さながらに、犬って腐った肉、猫の糞なんかも匂い的に結構イケるみたいなんだね。それを気持ち悪いと捉えるのも真っ当なんだけど、野生時代の名残。トイレをする前に、ぐるぐる回転するのも、地球の磁場を感じ取って南北の方角軸に沿って身体の向きを揃えるため、という話もある。別にどんな向きでもする犬もいるんだろうけど、重力とか磁場ってあんまり馬鹿にできたものじゃない。有名な神社も磁場の上に立ってたりする、まるで風水みたいに。ところで、蚯蚓が釣り餌として優秀だという話は、釣りをしない人は知らなくとも、「蚯蚓はよく使っている」ということは知っているはず―――だ。僕なりに調べてみてわかった限りではだが、昭和二十年代の釣りの本には蚯蚓の餌は最上のものということが、きちんと謳われているし、渓流釣りとも縁がある。ちなみに日本で一般的に二種類が売られていて、「キジ」と呼ばれているツリミミズ系と、「ドバミミズ」と呼ばれるフトミミズ系になる。しかしそんな蚯蚓がアメリカでクレイジーワームと呼ばれている。その一つの要因が、釣りの餌として、アメリカの釣り人界隈で蚯蚓が脚光を浴び、次々と持ち込まれるようになったかららしい。蚯蚓を欲しがるなんてどう思うとか近所の人に聞いてみなよ、「ゴキブリの研究機関みたいなものの親戚ですか」と偏見丸出しで言われるよ。まったくね。その通りだよ。でもそれはね、多くの人が釣りをしないからだ。知らないことに想像力はまったく働かないように出来ているからね。でも時折には、一コマ一コマの構図を考えてみるのもよい、心はより多くの関心を、レンズの絞りと光線に配られている。けれど他にも輸入された土壌や植物に混入して、蚯蚓が意図せずに持ち込まれることもある。蚯蚓の卵はとても小さいがゆえに、付着していても気付かない場合が多い。ハイキングシューズの底や、マウンテンバイクのタイヤに、卵が付着して持ち込まれる。ゾッとするような話だ。そして回数ではないが、結局は回数といったところもある。一回や二回ならまだいいが、何十回、何百回ともなれば深刻の度合いは増してゆく。僕はヒアリやブルーギルなんか話とあわせて想像している。蚯蚓は弱い生き物だけれど、繁殖能力は高い。そんな風に最初は餌として運ばれた蚯蚓が森に放たれ、どんどん増加の一途を辿った。蚯蚓は日本では主に落葉を食べて糞をして豊かな土壌を作って来た。しかしアメリカの落葉樹林では落ち葉が水の過剰な蒸発を防いだり、病原菌を遮断するという役割を果たしている。落葉はその環境にとって大切な存在。だが日本の蚯蚓は落葉を食べる速度が尋常ではないぐらい速い。蚯蚓がいない森林では土の分解がゆっくりと行われる。地表には何年分もの腐葉土が溜まっていて、それによってゆっくりと芽を出して成長する植物たちが沢山いるのだが、蚯蚓はどんどん食べて繁殖し、ついには多くの植物が育たなくなった。その結果、たった二種類の植物しか育たなくなった森林もあり、当然ながらその植物たちを食べていた生き物達も食糧がなくなる。こうして次々と在来種を追い込み、生態系が大きく崩れることになってしまったのだ。ちなみに蚯蚓の繁殖力を示す面白い実験があり、それは火星で蚯蚓が生きられるかを試したものだ。これを行ったのはオランダの大学なのだが、火星の土で蚯蚓がが生き延びられるか試したのだが、ミミズは生き延びただけでなく、子作りにも成功していた。とはいえ、語弊や注釈はつく。あくまでも火星のような土を使っただけで、その環境を正確に模倣したわけではないから―――だ。とはいえ、この実験は将来的に人間が火星に移住するテラフォーミングの可能性を示唆したものになった。またミミズ型ロボットの話もある。僕等の科学技術は動物や昆虫や植物を模倣したもので、バイオミメティクスという。カワセミの嘴が新幹線のノーズになったり、鮫の鱗が競泳用水着、蜂の巣の構造が航空機などの構造材、靴のクッション材になる。そしてそのように、ミミズ型ロボットである。月の重力は地球の六分の一しかないため、重力を使って進む通常の掘削機は月面ではうまく掘り進められない。だが、ミミズ型ロボットは掘った壁の側面を支えにして進むため、低重力の環境でも安定した力を出せる。さらに蚯蚓のように掘った土をお尻から出せば、より深く掘り進むことができる。そんな風に、二十二世紀は蚯蚓の時代だ。見る意味はかぎりない急転回と、躍進と、測りしれざる未来。その新しき視線への崩るるごとき没入。溶接の一関連体とする巨大なる溶鉱炉さながらに、僕等はもしかしたら宇宙を蚯蚓のようだと考えるかも知れない。
2024年09月10日

前に壁、横も壁、上下左右、 イイイイ...入れ替わる、 ジャン ルやエリア、キーワ ード ――。 「「「日常に侵入する非日常 テトリス細胞のような迷宮、 ヴァリエーション 変奏曲の彼方、静止した平面(も、) 静止した曲面(も、) さ.び.し.い. こ.た.え.を.ま.つ.て.る.よ 時 間 のああ何という無情――。 江戸時代にも実証されていた輪廻転生。 「勝五郎の再生」 ***指を切って敗血病、鼻をほじって肺炎 陰険の忌まわしき影を有するが故に、、、 消えていく真っ暗な夜・・思い出せないな・・・。 You will have to explain from the beginning as I am completely in the dark. 退廃的だった。 やがて視線の及ぶべき距離に近づきぬ。 家の中に降り注ぐ小石やナイフ・・・。 意志を持った、幽寂界、 弾丸の雨注せし戦場の樹立、 「ポルターガイスト現象」 “恐怖体験”―――と、 “恍惚体験”―――の、一体化。 (頭の中が静かになって、「あ、いまわかりました」 白紙になり、空っぽになりました) 、、、、、、、、 美しかったんです。 コーヒー。 なんか―――ね・・すごーくすごく嫌な臭いさせる――― させる――。 ホモグラビア、墓荒らし、 マグロ漁船、、、 (暗い部屋に音が響いた、 (「みずからが作り出した世界の夢 無限大と無限小の迷妄、 ――奇異なる挙動の恣しいまま。 フラッシュバックして。る・・よ―― ストラヴィンスキー色の音楽・・。 "Yes, I know," 泥水になって。 それの単純に五倍とか十倍したような密封具合で、 Good-bye...emotion... 目の前が少し遠い、状況・・。不 意 打 ち 、 病みつきになるよ。 電子ユニットの集合基板みたいな、る・・よ―― 宇宙を横領する悪魔の手に導かれて、、、 二人の人間の精神が、 お互いに一瞬にして入れ替わる、 「人格の入れ替わり」 既知がいい、生き血がいい、 イーハトーヴのエスキス、 何の学習もなしに感じられる適応不要な感性情報、 幻像がスクリーンの上を流れて行く、 1step 何らかの適応を必要とする感性情報、 しかしまた純粋に挿画的に、 2step 適応努力の有無にかかわらず快感誘起につながらない、 適応不能な情報。 3step な ぞ り な が ら―――。 コーラと牛乳混ぜながら。 オレンジジュースと卵混ぜながら。 一人の人間が同時に二カ所で目撃される、 「ドッペルゲンガー現象」 >>>「ファン・メイル」は読んだ? DOWN...手で掻いて、 >>>「アメリカン・サイコ」は? DOWN...夢で見た景色、 行き違い、でも意外と近い異界。 位階の猪飼、でも間違い、 どうやって、 どうやったって、 全員が謎の失踪を遂げた、 「マリー・セレスト号」 牛の金玉の唐揚げ、孵化直前の家鴨のゆで卵、 山羊の野糞スープ、蝙蝠のチリソース煮、、、 さ.び.し.い. こ.た.え.を.ま.つ.て.る.よ You will have to explain from the beginning as I am completely in the dark. 退廃的だった。 やがて視線の及ぶべき距離に近づきぬ。 「乾物屋に入ったことないの? あそこってカンブリア宮殿だったっけ?」 「花屋で花を買ったことがないの? あそこってセレブリティな場所だったっけ?」 硝子窓の平面を透して、往来する街路を眺めて、 動く壁画...絵巻...走馬灯... つ ながらなく・・・て・・・・ (であるのだが、)―― 目の前が少し遠い、状況・・。 見えない手が首を絞めてくる、 「グレイフェアーズ・ カークヤード教会」 夢の中で追いかけて来る男、 そして夢の中で助けを求める声、、、 ケネディ大統領暗殺に関する疑惑も、 地球空洞説―――も、 ナスカの地上絵―――も。 落ちた身のひと煮立ち、 蓋が煮立ち、吹っ飛んだダリ。 蟻見ていたダリは去り。 退化し、流行りの囃しは野次と化し、 歪つなアイロニー、 アイデンティーさえまやかし、 もの(し、)ごい響き、、、 な ぞ り な が ら―――。
2024年09月09日

陸地に座礁した鯨みたいな気分さ、僕は。 蛞蝓が断崖めざして這い寄る、矛盾を、苦悩を。 メイメツ... 、、、 こ――んなに・・ 懐ーかーし・・く――て、 「・・・こんな場所に立ってる。」 こんなの出来レースじゃねえか、 焼け灰と骨のちらばる飢えと硝子蓋。 だか――ら・・だから、 単 調 な く り か え し の 道・・ 忘れたいの、たった一呼吸分で、 淋しいの、停滞する泥濘の最深部、 賤しいの、マッピングツールで、 美しいの、余裕ぶっこいて猶予に、 ギ リギ リ ま で 甘 ん じ た、 僕 は ま だ 生 き て い き た い の 、 い や い や も う 死 に た い の 。 ――時が止まるから夜のランプをともし ・・薄暗い。 すげーすげーすげー、夏。 綺麗なままの、 幸せな形、お互いの口は閉じられた墓で。 Why does fate pass? 、、、、 クリシェ。 l o v e ... ――僕の名前を呼んで・・ 俄かに燃えてきた、 コ――――――ド、コ―――ド、、、 試行錯誤の四面楚歌、 耳元でやたらと騒ぎ立てる北風と、 「自 問 自 答 の 合 わ せ 鏡 ・・」 ヨーニ・・。ガッ・・(ッ、) 頭蓋の中に黒い翼拡げた死神。 、、、、、、、、、、、、、 若さとは一体何なのだろうか、 、、、、、、、、、、、、、、、、、、、 失われてゆく時間とは一体何なのだろうか。 ブラックアウト ニ/ュ/ー/ト/ラ/ル 、、、、、、、、、、、、、、、、、、 天国へのカウントダウンナウオンセール。 「どうせ誰もアンタのことをわかっちゃいない」 しーんと静まり返った、 しらずしらず・・・きんちょう・・しいられて 答えのない夜の向こう側へ。そ、の、 歪んだ輪郭の、底辺、 「(解きはなたれた声なら、 「(言える、 >>>きっと人類最後、 >>>うるさい、人類最古 クアイエット ――沈黙は、・・ まつわりつく万華鏡の覗き穴、 うまれて間もない世界の空気を吸い込(み、) 可視化された蟻の巣穴のような日々、 はなびらが、落ちる。 出口を探している、雨を降らせた言葉が、 飛び交っている、祈りと救いの声、 シャボン玉の色にひかりながら 遠ーいーあなた・・ 海の声――が、 蝸牛管の迷宮で渦巻いていた。 宙に翻れば、ば、ば、 ネオンや雑踏に紛れていったさ、 刻一刻と削れていくこの足元とノイズ&ハウリング。 僕等まだこんな、どうしよう、 どうしよう・・ 「合図を待ちきれない・・・。」 S・T・O・Pは 悪い夢を見続けている。 「理知」だとか「情念」だとか、、、 「感覚」だとか「肉体」だとかに、 縛り首みたいな枝の上のコンビニの袋。 か弱いもの、花にだってわからない、 感じやすいもの、四畳半に氷が張り詰め、 滅びゆくもの、気障な言葉や嘘で満たして、 壊れゆくもの、生きた呼吸は一つもなくとも、 まどろみ 死のような仮睡に、 、、、、 撃たれる・・。 《だろう・・》くらんでしまう・・ 夢の中を猛スピードで落ちてゆく・・。 いつかこの世の光がとどかなくなった場所で――。 ――時が止まるから夜のランプをともし ・・薄暗い。 《だろう・・》(やわらかい――) くらんでしまう・・ 綺麗なままの、 幸せな形、お互いの口は閉じられた墓で。 Why does fate pass? 、、、、 クリシェ。 l o v e ... ――僕の名前を呼んで・・ “沈”んでゆくか―――ら・・。 “沈殿”んでゆくか―――ら・・・。 柔らかな影も生まれ、 、、、、 それも淡いかげろうのような、快い疼き・・。 この身を捩って前にゆく、 僕はまだ逃げたくない、 いやいや戦う前の狼煙。 エッジの効いたカッティングリフ、 キャベツ切ってるみたいな音がする。 無色、忘却の、真夜中・・・。 ――消えない刻印、風景の象嵌・・ 君 は 見 た ん だ ろ う ? 日陰の花の上に舞い降りてゆく。 夜空に星が煌めいていた。 (あまいかおりをただよわせて、、、) ひとりでに揺れていた。 (はてしなくひろがるゆううつ、、、) 「(解きはなたれた声なら、 「(言える、 >>>きっと人類最後、 >>>うるさい、人類最古 陸地に座礁した鯨みたいな気分さ、僕は。 蛞蝓が断崖めざして這い寄る、矛盾を、苦悩を。 メイメツ... 、、、 こ――んなに・・ 懐ーかーし・・く――て、 とけだしてゆく・・・ ――いまにも
2024年09月08日

時間を忘れた町があるという。繁華街はずっと昼で、裏路地に入るとずっと夜になる。昼の金属が腐蝕して煙になったような具合で、河川敷へと行くとそこはもうずっと魚の下腹部のような、病的な、神の蜜、ちびた蝋燭の、光らしきものをとどめた、幾条もの皺をなした夕方で、僕はそこが一番気に入った。そんな風に場所ごとに、時間の流れ方が全然別のもので、いつか眼にも入らず、耳にも入らない、背中に、夏や、生活を麻痺させる、冬が、隠れていることにも気付いた。それはまるで夢の中の夢の中の人のような気がした。そこでは幸せは血のように流れているし、愛は死にゆく自分の身体の冷えや凍え。すべてが愁いや嬾のうさなどない、甘やかものであればいい。けれど、酸っぱい強い匂いや、うすぼんやりとした発酵の具合のように、何かは何かによってでしか真っ白なノートを維持できない。たとえば激しい競争の場では、純粋な霊感を伴った創造性よりも、最適化という順応を求められてしまうようなものだ。世界は神隠しに遭ったようにも思えるけれど、それは何処までも続く塀からの禁足地で、曰くつきの秘密であるのかも知れない。千年王国思想や、アンチキリストを生み出した背景とは何だろう―――か。時計の針が止まっている。ここに住んでいる人に不便はないのかと聞くと、怪訝そうな顔をされた。それは炎症を起こしている皮膚のようにも思われた。もしかしたらもう、時計という名前も、余白、時間の概念も、泥水の霧のように、もはや機能的には存在していないのかも知れない。複眼意識、並行する空虚の穴、時間の継ぎ目と陥穽。劣等感が極端に肥大化すると、"タナトス"のような破壊衝動に行き着く。あるいはそれは“エロス”なのかも知れない。そんな風に、だ。そんな風に考えなきゃいけないことがあったのに、そうそれは曇りのない輝き、ゆるやかに動き続ける振り子、もはや崇高な精神ともいえる、雪崩の混沌としたものを刻むゼンマイ、グローバリゼーションの歯車、文明の衝突であったのに、ひどく眠くて明日考えることにした。もちろん、すべてのロジックは妥協的か抑制的で、説教くさく、全方位的で、全人格的で、垂直で水平で、あと、面倒臭い説得に満ちた試みであるのかも知れない。はるかに届かぬ自由を望んでいるようにあてどなく、悲しく見上げるみたいに明日は石を喰っていた。工業地帯も、古墳へも行ってみたいと思っていたのに、海へ、丘へ、底の知れない別世界のあこがれは、視界に荒廃した風景を再現させる。それから多分僕はそこで死んだ。死亡は、それぞれの現存在がそのときどきに、みずからわが身に引き受けざるをえないもの。そこにおける死とはすなわち、現存の未了である。口に誰かが水を含ませてくれた。口元が濡れるように感じた。それが夜の残り香だった。鋭い輪郭を失い、幻惑のエネルギーを受け、シンバルのように音を伝播させた。涙の雫のような白い想念。気が付くと、コップの中に僕の部屋はあった。本棚とベッドが。それ以外は部屋ごとコップの向こうで遮られていた。窓の向こうの景色も見えた、すべて水族館のアクリルガラス越しに見え、ある日、誰かがコップの中を覗き込んでいた。けれど、僕はそれが誰なのか思い出せなかった。それ自体が時間の水底に沈殿した姿であろうとも、海月や、マリンスノウが、おだやかな反映を与える。リアリティはセットされなくてはいけない。そのようにして鏡は見る行為に人工的な虚構性を与え、感覚にフォーカスする。パースペクティブという言葉は蜂のようなもので、比喩のようにうなりを立てている。夢の中では夜にだけ聞こえる、オルゴールが流れている。僕はもしかしたら植物なのかも知れない。その日は、身体の深みからゆっくり、ねばねばする毒物のようなものがこみあげた。そのせいかも知れない。認知バイアス。損失回避の法則。次の日、その淋しいような美しいような感情が、一つの変化を生み出していた。一つのイデオロギーはつねに一つの装置のなかに、さらにはその装置の実践、あるいは諸実践のなかに、存在する、死者が話をする。いや、死者といっても僕も死者だ。何より正確に話をするわけじゃない。彼女は人型だけれど人間と呼べるかどうかはわからない。また胸の向こうに穴が空いていて、それは海星や海胆のようなもので、声にならない声で、空、窓、雲、青、というように、見たものを簡潔に喋った。身動き一つせずに、退屈な時間を眼の中の限定された情報だけを謳いあげた。キッチンタイマーのようだとも思えた。まるで恐ろしい肉挽き器の中に落ちた、雀のような声で。感情というものはまったくなかった。羽搏くことを忘れてしまった言葉から、弦楽器へと歩み入るような、愛が生まれてくることはない。それでも僕はその死者を愛した。空っぽの穴が深く大きくなるほどに朝が遠ざかるように、ざわめいている気ぜわしい波にも似た都会の囁きを、何も知ろうとしないまま身を委ねている時にだけ夜は忘れられる、たとえそれが浮遊感覚でも、眼を閉じると、何処でもない場所で居眠りをしているような気がした。言葉は伝書鳩のように思えたし、時には優しい毛布のようでもあった。人通りの絶えた町の空のはためきや、カーテンや洗濯物の揺らめきのようでもあった。彼女は静止した透明な空間の音符だった。それは水の中で空想の星を浸し、その星を明るく翳る光の中で現像した。世界というものが劇的に変わったのは、いつだったろうか、鏡のようにひっそりとした空が燃え狂ったあと、外の世界は砂になっていて、ただ何年も、何十年も、何百年もずっとそのままだった。たまにドライフラワーを眺め、何百回も読んだ本を読み返す。やがて硝子が割れて僕は水のない世界へと戻った、すり硝子のようで、はっきりしない、乳色をした、夜の溜息のようなそよ風を感じた。乾燥したアメーバーのように、パセティックな、無機的な、砂漠を歩いて、バス停を見つけた。不意に後ろを振り返ると、彼女がいた。やっぱり何もしゃべらず、胸に完璧に貫通した穴が空いていた。炊飯器が蓋を開いたまま落ちていて、魔法瓶に砂を詰められ、ウォシュレットにセラミック包丁が何故か刺さっていた。それは文化プロトコルの記号のようにも見えた。夜が、うす青い硝子でも貼ったような空が、明るく冷たく見えている。バスは来ないまま、裏返しにした浅い受け皿のような砂漠に、荒野の静寂が戻っていた。世界は見えざる裳裾にふれるように、そよ風が吹いていた。死や死ぬことやその回避不能な期日が来てもなお、スローモーションのように艶めかしく迫って来ては、ストップモーションとなる、彼女は一体誰なのだろうか、そして僕は一体何なのだろうか、この世界とは一体何処なのだろうか、バス停のめじるしにいつまでもバスはやって来ない、ただ、夜だけが更けてゆき記憶が少しずつ曖昧になる。抑圧された意識が表出するという意味ではこの場所も、インターネットや夢の中なのかも知れない。ふと足元に水溜まりが出来ていることに気付く。覗き込むと、林檎をくわえている蛇がいて、いたずらに外へ飛び出して、何と心やすい、自然のふところ、みずがめのような、形代めいた夜へ吸い込まれていく。天の河の底なしの深さが視線を吸い込んで行ったあとでは、あとにも先にも、もう何処にも、誰もいない場所で、蠅の音が一度しただけ。つかみどころなくぼやけてゆく記憶の頼りなさで、人口の集中、食糧の充当、階級と職能の分化、交易力の拡大、公共建造物の定着、言語的記録力の発達、支配的な表現様式の出現、そして僕は目覚めた、鼠として、鼻の奥のような二つの穴から下水道の臭いを嗅ぐ。星の光を塗りつぶすような街が見えてきた、流星群のようにミサイルが発射されていて美しかった、悪意に満ちた輝きが呑み込んで、これからもう一度始まる世界が水溜まりのように溶けている。
2024年09月07日

夏の終わりの雨のあとの溪が間近に俯瞰された。数日来の雨で、見ゆるかぎりが一連の瀑布となった形で、ただ滔々と流れ下っている。ひざがしらの震えるのを感じた。山は噴火しかけて中途でやみ、その噴出物が凝固してこうした怪奇な形の山を成したものだという。すぱるた式の訓練のように。とはいえ、惚れ惚れとむかしをなつかしがらせる、やわらかい情調は枯れてしまって、すぐに人間と自然との窮極の運命を思わせようという、露骨な強迫が見えて来る。しりあの青。天地の律呂か、自然の呼吸か、隱としていためるところあるが如し。想えばわづらいとはわが上のみにはあらざりけるよ。論理的につきつめた確信は、却って一種の和解、一種の融和。心がずんずんすみ通ってゆく、片羽根をもがれた蝶のような自分にも、走れば走るほどに後方へと退く蜃気楼のように。下駄の音と、女の声が聞こえる。路端に石地蔵が二つ三つ立っていたように覚えている。奉納の小さな幟と、淫祠。ほかにも、稲荷があったのではないかと記憶している。どうしたのだ、静かにせよ。薄い筋雲が、迷子になった煙さながらに、硝子の表面の引っ掻き傷のように浮いている。白い、弾力のある、ほの暗い影にひたされた、匂いのある一つの肉の形で凝結して来た。花粉のような匂いがし、その酩酊に身を沈める。秋の雑木林は金のように黄色く光っていて、痛切に現世の穢土なることを観じ、一心に浄土を冀うのほかまた何らの光明をも認め難き状態となり、光明界に導き給う仏に帰依する人の心理に踏み入れる。さざなみのように広がる、風ではない動きが、内側からでは不安のみなぎった湖のおもてのようである。さりとて見抜く必要は、もうない。顔ほどに深い表層はない。はいでがーの存在の不安。支那古代のいわゆる神仙道は、内容が非常に多岐にわたっていて、大部分は、神変怪異を説く原始宗教であった。もっともその起こりは非常に古く、春秋まで遡る。そして疫病やみの鴉が一羽とまって頓狂な声を出すがごとくに、古代神仙道時代は、七百年の船跡を見せて昏くなる。星座は曼荼羅のごとくあり、縦横に引き裂いてゆく、ばべるの塔のごとくに。彗星が北極星の下で消え、天蓋にもう薔薇は見えない。ひっそりと濡れたような静寂が、だんてという翁の耳の鳴るような痛苦、叫喚の消え去ったあとのように思われてならない。世界は永久に不変であり、そうして永久に変貌する。そういう二重の世界を自由に出入りした、その瞳の硬さをおぼえていた。先端は鋭く尖り異物のようであり、また、冷たく凍てついていて、人の虹のようであったことを。政治とは何か、命とは何か、さいわいとは何か。秦の始皇帝が徐福を蓬莱の島につかわして、不老長生の仙薬を探したり、漢の武帝が方士を諸国に派遣して、神仙を索めたりしていた時代。幻術妖術の域を脱せず、宗教の体には成っておらず、いまとなっては空洞のつめたさにおののく午後の霧。消えてゆく星をつかまえようとしていた世間の口に、魂は拒まれ、ひびわれてゆく。春泥を踏む音のように、岩にうねり、谷にくだって見えなくなる。それが魏伯陽の説く内丹の道へと移り、肉体的の不死を得ることが目的ではなく、生死を超越した心境を悟得するにあって、禅宗でいえば悟り、基督教でいえば信に入るのと同じものを探すというのは、波が来るごとに砂が開いた足指のあいだを滑りぬけ、戻ってくるように感じられる。絢爛であり、清純。白く光ってあたりに飛び散る山桜のはなびら。おのれを超脱せよ、些々たる自己の観念に囚われるな、学問は必ずいちどその範疇の中へ人間を閉じこめる、その範疇を打開することが修業の第一歩である、頭の中からまず学問を叩き出し、跼蹐たる壺中からとびだして、空濶たる大世界へ心を放つのだ、窓を明けろ。遠い遠い時代のことが不意に思い至り、薄い膜をはりめぐらせたようにかすんでいた空が揺らぐ。因果の法則、縁というもの、輪廻というものにまで思い至る。余香のように樹脂製の匂いに包まれた、この場所で。はかない人間の仕事が荒廢の前で、睫毛一つ動かすにも足りないことを思い知る。古りしの伽藍の古刹には蝋燭の火が揺らめいて、一心に念仏を唱えている。京洛の古寺の面影があり、庭石にも石壇にも、美しい苔がつき、また遠く見晴るかせば平野を一望に見渡し、緑蔭清風で申し分がない。いつわりなく、そねみなく、にくみなく、あらそいとてなし。人は生死のちまたに迷い、世は興亡のわだちを廻る。ひとたび外界へ飛び込めば、すべてが容易になり、可能になるような幻想がある、胸をはずませて来た、「言葉」と「声」があらわれ、のちの「認識」とせめぎ合う「行動」の揺らぎが見える。光彩陸離たる言葉を伴っているように思われる、月のあからさまな光りをのがれて、木立の影に紛れた。ほととぎすだの、郭公だの、微風にみちた紺いろの夜気を導き入れるように、その黒曜石の小粒子がいっせいに宇宙に放たれる、雀たちの朝、届くだろうか、炎立つ空をしぼるごとくに、ものくろーむの無限の幻影に染めてゆく。
2024年09月07日
テレビ画面で芸能人の身長が正確にはわからないことが多い。そういうことはあるものだ。テレビ画面の中で椅子に座っていたり、たとえば舞台セットの都合なんかで。僕は巨人の元監督の長嶋茂雄の身長がイマイチよくわからなかった。そこには年齢的な要素や上半身を映す写真の都合もあったかもしれない。前者は実のところ、「背の高いお年寄りはいない」という先入観であり、後者は「写真などの限られた情報でしかその人物を見ていない」ということで、ようは見ているけれど“身長”の要素などを見ていない、もっと厳しく見方をすると散漫に物事を見ているということもできる。いやいや、こういう言い方も出来る。比較対象というものがないと、人は簡単に間違える、と。たとえば受験に使う参考書でも違いが出てくるように、学校の教師と塾の講師では捉え方や、勉強の仕方が違うかも知れない。さらにユーチューブで、有名大卒なんていう箔があれば、ノウハウはもっと伝わり易くなる。世の中は宗教や心理学であり、場合によっては動物の生態学だ。前提条件が多数存在している。もちろんのことだけれど、僕がこうやって書いているのもミスリードだ、僕は長嶋茂雄の身長を最初から知っている。「あなたは僕が嘘をつかない」と思っているかも知れない、これも実のところ、たまにいるのだ。言っておくけれど、“嘘をつかない人はただの一人もいない”のだ。ただその嘘が、許される類か、必要な嘘かなどの細かな区分けがある。詐欺全般、巧妙な嘘である。それに気付いていない人は盲目であり、自分を知らない見識の狭い人だ。僕は別に批判しているわけではない。情報を積み重ねれば自然とあぶり出されるものだと説明しているだけだ。たとえば、僕はリムジンなんかについぞ乗ったことがないけれど、僕はリムジンの描写を書くことが出来る。どうやって、と言うかも知れない。ミステリを書く人ならノウハウを知りたいかも知れない。簡単なことだ、と僕は灰色の脳細胞をみなぎらせて答えるだろう。ググればいい。これはとても初歩的なことだ。近頃ではAIに尋ねるのも主流かもしれない。けれどおそらく、これではうすっぺらいだろう。九割方は満足できるけれど、残り一割の僕は、「リムジンではなく高級車でもよいのではないか」と皮肉を述べるかも知れない。「なんだったら競走馬でもよいのではないか?」ここまでくると、明らかにダメージを与えようとしている。しかし安心して欲しい、これもすべて攻略要素がある。毒と薬は両方あって初めて効果を与えるもの。次にリムジンの要素を調べればいい。リムジンのデータとなるものを引き寄せればいい。ウィキペディアなどが代表例だろう。あるいは、「リムジンを販売している人」や、「リムジンに乗っている人(乗ったことのある人)」を知って、そこから描写を組み立てるかも知れない。こうなってくると、ある程度のことを説明できる。論理的思考力の勝利だ。描写全般そうだけど、手元に引き寄せて処理してゆくだけだ。近頃ユーチューブのスピリチュアル詐欺師の動画を斜に構えて観ていて、“奇跡”という言葉が大変に気持ち悪いものだと気付いた。僕は奇跡って何だろうとユーチューブの底辺馬鹿コメントを見ながら、二つの事実に気付いた。「奇跡=カネ」であることと、「奇跡=サクラ」だということを、だ。どちらもが共存しているということが“奇跡”なのだと感じて、すごくニヤニヤした、性格悪いって?いやいや、もちろんミスリードである、僕はそんなことでニヤニヤしない、何故嘘つくのかって、批判したい対象を浮き彫りにするためだ、どうだろう、このうすっぺらさ、と特定の対象を引きずり出す為だ。物事には作法というものがある。表現技法という言い方もできる。で、この長ったらしい嫌味までの描写が何を意図しているのかといえば、ミステリなんかで、『日常の謎』といわれるジャンルがあるよね、という着地をするための伏線である。長編よりも短編、あるいは連作短編などを取ることが多い。密室殺人などが大掛かりなイリュージョン・マジックだとすれば、日常の謎とはトランプなどを使ったテーブル・マジック。シャーロック・ホームズがワトスンに対して、「君は見てはいるが、観察をしていない」と言っているわけだけれど、これはそっくりそのまま、世界が広告的であるという意見を、あなたが何処まで理解しているかということでもある。世の中にはミステリが苦手という人もいるわけだけれど、僕は感動を強要するものが苦手だ。一人の人間を馬鹿にしていることなんて枚挙にいとまがないわけだけれど、これだって広告だし、カタルシスだし、人間社会の誤魔化しに満ちた奇跡を助長する大変悪しき風習である。それはあなたがロクデナシだからではないですかという意見もあろう、いやいや、あなたはまだ僕が何処まで読み込んだ状態で、書いているかわかっておられぬと見える。もちろんこの言い方も警戒心を強める。古めかしい言い方には要注意だ。たとえば「自転車」といって咄嗟に浮かぶのはきっと、「通勤・通学用の自転車」のことだ。すなわち、そこから情報は断絶されていて、追加情報がない限りは、広告のようにただ綺麗でさわりのないことしか読みこめない。けれど「自転車」と一口に言っても、様々な切り口がある。“自転車用のファッションがある”という発想は、男性にはしづらいかも知れない、仮に出来ても、あの芸人の延長のような恰好だろうと思うかも知れない。それは先入観だ、普通に違う。人って思う以上にモノを知らないものだというけれど、ここで抜群に「情報過多シンドローム」だの、「脳のキャパシティの問題」だの、を挙げればコロッといくかもしれない。「現代の一日の情報量は江戸時代の一年分」だとか、「現代では、商品に関する情報が過剰なほど出回っている」などといえば、この人はモノを知っている人だと思うかも知れない。そうではない。たんに僕はやり方を知っていて、そのやり方とは狙いを定めて相手を特定し、そこから論理を展開しているにすぎない。かように、シャーロック・ホームズ氏が愚の骨頂なのは完璧に指摘できる。そもそも、知性が高い人ほどむしろ情報を知らないことに悩まされるし、ずぶずぶの麻薬中毒者が何言ってやがんだという意見もできるだろう。屑は道徳社会においては権利を与えられない。こういうフェアではない意見に本来は誰も耳を傾けないだろ―――う。僕だったら三秒で「こいつは馬鹿だ」と言うと思う。人は誰でもある程度のゆとりを持った状態で、許しや甘えを発動させながら、敵を作らず、なるべく温和に会話のキャッチボールを心掛けなければいけない。道徳の部分だ。けれど、リアリティオリエンテーションはいらない、これはキャラクターの広告的表現なのだ。ミステリのドラマの最後のシーンからスタートして、あなたは犯人がわかった状態でそのドラマを見直すとする。そうすると、発言の一つ一つがミスリードであったり、決定的なミスにいたっては間抜けな姿として映るかも知れない。けれど、それが「物語の構造」だとか、「世界観/世界秩序」といえるかも知れない。ミステリで完全犯罪が起きにくいのはよく知られているが、それは「推理の見せ場」のためというよりも、「罪を犯した犯人は裁かれなくてはいけない」という無意識の思い込みのせいかも知れない。前述したように、世の中は宗教や心理学であり、場合によっては動物の生態学だ。前提条件が多数存在している。僕は「日常の謎というものは都市伝説的なものなのではないか」という問い掛けをしてみる。当たらずも遠からじかもしれないが、いやいや、人によっては「日常の謎」ではなく、「日常の謎と呼ばれるミステリのイメージ」から、その意見を斥けてしまうかも知れない。よくあることだ。馬鹿に何を言っても時間の無駄だ、といったら横暴だろう、けれど、世の中はとある一面的には、インスタグラム脳底辺社会である。幼児をあやすような、分かり易さが求められる。ゆえに、「日常の謎(都市伝説)⇒誹謗中傷を書かれる⇒裁判を起こす」と書けば、実のところ、「日常の謎の仕組み」を説明できる。何故なら、そこには反応があり、時間経過が存在しているからだ。「見る人はすなわち咎める人」であり、「物語の装置/ドラマツルギー」が起動する。何も起きない物語を延々二百ページ書き続けられる凡才の人がいる、これは現代詩を書くような人のことだ。あるいは小説家なんて「赤川次郎に毛の生えたような、馬鹿」のことであり、今時では「なろう小説に毛の生えたような、阿呆」のことかも知れない。胸糞が悪い物言いだろう?いやいや、日常の謎というのはそういうものなんだよと、サイコパス風味に説明しているのだ。「小説が下手糞すぎて読む気がしない」とはいうけれど、「底辺社会を受け入れてこそのベストセラー」ではござらぬか。何を言っているのですか、うう、ジキルとハイド、精神鑑定うけさせてください、もうまじ無理、「あなたはあの人を殺しましたね?」ちんこ痒いし、ごめん、ちんこが痒い。コナン読んでると蕁麻疹が出て来る、あと、灰原哀可愛いっていってる奴、ロリコソ王国なの?れいぷれいぷれいぷ。ちかんちかんちかん。はんざいはんざいはんざい―――。(以下省略)社会が隠し持った通奏低音、暗部を、無意識に触れると、―――奇跡が起きるのだ。遠近感が頼りない、塩基配列はわからない、何で人殺しをするのかわからない、トリックが既に胡散臭い、時刻表のトラベラーの前に頭の中が密室の檻、人死なないっていいよね、感動したいよねオリンピックすごかったよね、甲子園、大谷、格子園、尾緒田煮、降りん匹お、馬鹿の王国、スピリチュアル詐欺師だけど奇跡の大金入手、神様の力米米CLUB、街じゃいまではカマっこ倶楽部、構ってちゃんも、同性愛者もこめこめ、拳銃で射殺、新時代のシャーロックホームズ、「もう顔見た瞬間に人殺すからね、ワトスン」マフィアじゃねえか。サイコパスじゃねえか。「もう顔見た瞬間にわかるんだよ、お前が馬鹿だってね」どうせサクラだろ、でもこれ日常の謎なんだよね、生まれる生まれる生み出しちゃったんだよね、奇跡奇跡、気絶しちゃう、これから法規制始まるんだよね、そしてそれは壮大な物語の序章なのだった。いやいや何もかもがトリックにすぎない、ノウハウの中にある、どうして僕等はこんなに馬鹿なんだろうって説明するジャンルだ。一時間も本を読みたくねえよあらすじでいいじゃねえか、この作家頭悪すぎだろいちいち難しい漢字使うなよ、頭悪いんだよな全部わかる言葉で書けよな死ねよないいから、はやく死ねよないいから。
2024年09月07日

連休、小学校における男の子の夏休みは、蝉取りとカブトと相場は決まっている。蛇にプロレス技かけ、蟻の巣を水没みたいなのは昔の話。ゲーム、漫画、アニメ。受験があれば、予備校、追試、とらのあな。大体そこから始まってくるのが、スタジオズブリプロダクション。明日は風の谷でナニシタ、そして今日も天空の城でナニシタ。何処も満員電車並みの飽和状態で混みやすく、高速道路をいきって埋め尽くしたがる。海外旅行で羽目外しすぎてカメハメハ大王みたいな顔をした、馬鹿な女が、「明日から仕事です」とか言ってる。ハメハメハ大王に仲間入りした彼女は遊び人の称号を得て、近い将来、ソシャゲの水着キャラみたいな風貌でかめはめ波する。マ スターベーションインストラクション。略してマスターアジア。いや、マスターアジアは関係ない、ワールドトリガー。あと、僕の偏見でなければコニドーマを入れ、西瓜とかメロン農家の箱入り娘みたいな顔して、寄せてあげるブラさ。意味がわからんって? かくいう、僕もさ。しかしそういう休みのさなかだからこそ、短期間で稼ぐチャンスがあるともいえる。波がかすかな響きを立てて彼方へ流れるでもなく、緩慢にかちあいながら揺れ動いているウェーブ・トーキング。ちなみに日本の国土面積(領土)は、世界で六〇位。微妙だなって思うだろう、しこティッシュがうるせえんだよ。しかし、国土を取り囲む「領海」と、「経済的排他水域」をあわせた海域の広さは国土の一〇倍以上。日本が排他的に利用できる海は世界六位の大きさ。日本は「海洋国家」とも呼称される理由がわかっただろう。だから何だって? しこティッシュがうるせえんだよ。言いたいのか? たまにはね。稼ぎたいが、夏も抱きしめたい、だってやっぱり凶暴なファイヤードラゴンのブレス攻撃。勇者になるんだ、煎餅が湿っけて、マンホールで目玉焼き。チョコーレートがどろどろのでろでろ。けど、僕等はどうか?まだ、蒸発していない、蒼の彼方のフォーリズム。ごめん、ちょっとウケた。自分で言ってて自分でウケた。うっせーんだよ、しこティッシュ。そんなわがままとも言える希望を叶えるかもしれないのが、「海の家」のアルバイトだ。非日常を味わえる、海が綺麗、そして暑い、女の子が下着姿、蒸発、そしてスライム、汁 男優、あとは文学シッタルダ。語呂合わせ? もうあなたってば、知ったかぶりばかりなんだから。罪作りなサングラスマジックのもと、勘違いな気障な台詞でパーリィピーポー。あと、世界のドラム隊が和太鼓持ち出して、アマゾンやアフリカの原住民族リズムを、奏でてしまうリップスライムの、『楽園ベイベー』を思い出して、いわゆる一つの浜辺でオ ナる。ところで世界の魚は約四万種類。日本近海にはそのうち二〇〇〇種がいて、食用として市場に出るのは一五〇種、商品として重視されているのは数十種にすぎない。何が言いたいかって?リア充やドキュン、陽キャすげえよなあってこと。知ってるか?魚には「眠る魚」と「眠らない魚」がいる。停まると死んでしまうマグロは別格としても、回遊魚は眠らない魚で、定住する魚は眠る魚だ。それが何かって? シコティッシュがうるせえんだよ。とはいえ、世に巣食う軽さ、ヘリウム、ガス、軽さと、仕事はやっぱり別物と考えるべきだろ―――う。海の家のアルバイトは基本的には、キッチンと接客の呼び込みの三種。海の家で販売される飲食物の調理や提供をするが、基本的には簡単な料理工程のものが多い。海の家の焼きそばなめんなよ、簡単だよ、でも風情があんだよ。焼きトウモロコシなめんなよ、別に喰いたくもないのに、コーンと細胞が入れ替わったんだよ、なめんなよ。それだったら色々とまずいだろ。まずいことはないだろ角膜をうまく処理しろよ、黄色くても信号じゃないんだからいいだろうよ。めちゃくちゃだな。うるせーんだよ、シコティッシュ。とはいえ、料理に謎の才能を持っている人もいる。BBQがあればセッティングや火点けなどもする。後片付け、掃除。ヤクルトの容器。電池。あと、鉄腕アトム。禿げたスヌーピー。他にも荷物預かりや、コインシャワーの提供、海水浴に使うグッズの貸し出し、だ。時には、ナンパしまくっている人や、泥酔しているのに海へ行こうとする人を制止することもある。何処にでもいるんだ。あと、オランダの過激すぎる性教育番組。いまの文章必要?あのさ、多様性なの、ジェンダーなの、LGBTなの、あと少子化。いまの文章必要?うっせーな、シコティッシュが。また海の家って、海水浴場ごとにある組合に加入し、営業権を取得しなければ営業することはできない。イメージとしては縁日の出店だ。とはいえバイトにそんなのまったくもって無用の話だ。「海の水しょっぱい!」「子供か」みたいな、ノリ。ハードル上げていきますよ。「お城つくるー!」「子供か」みたいなノリ。ついてこれるかな、いや、ついてきてよね、でも好きじゃないんだからねえええ!「水着似合ってるね」「うん、スクール水着」「って子供か」みたいなノリ。あふれ出るアドレナリン! 刻み込め小気味の良いビート! そして何故海ではフリスビーが流行り出すのか。ハードル上げていきますよ。そして何故海では西瓜割りが流行り出すのか。ついてこれるかな、いやもうついてくんなよな、でも好きじゃないんだからねえええ!そして何故海ではバーベキューが流行り出すのか。イメージ的にはやんちゃな男の子や女の子が、バキュンバキュンしてそうな感じはするだろうけど、暴走する連帯意識はファンタジーへのロールプレイングならぬ、ロールシャッハテストだった。海なし県・埼玉に自称「海の家」があり、軍艦島はオーシャンビューな廃墟。そしてね、それが何だとかかんだとか色々あんだろうけど、たまには「こんなのもいいんだろーかよ」って心境なんだよ。文句あっか、シコティッシュ。夜ともなればグリュリュングリュリュン、ズババン、それはマジンガーZですよみたいなこともあるだろうけど、時給は確約されていても「思い出」や「出会い」に関しては、保証されているものではなく完全出来高制。そこを察する能力があるということは、ときめきメモリアルの実写の映画なんか観ていない。僕は観た。そして美人の女の子が沢山出てきて、海の家で働いていた。内容が頭にまったく入ってこなかった。顔が可愛ければそれですべては救われる方式の映画は、後にも先にもそこでしか僕は拝見したことがない。そういう傾向はある、でも振り切っていない。でも青春とか、記念碑的なシロモノってそういうものではないのか、むしろそういう馬鹿馬鹿しいものが大衆的正義ではないのか。可愛い女の子が普通にしているだけで、あるいはカッコいい男の子が普通にしているだけで、イチコロなんだっていう伝説を信じられるような気がした。すけこましシコティッシュ野郎の考えそうなことだ。あと、僕ではないです。アメリカドラマでも顔面偏差値優先で、内容がペラくて、最低評価を得たドラマがあったと思うが、そういうW受賞の快挙。両刀している大谷さながらに、両刀使いでなければいけない海の家。みんなどうせ真面目に読んでいない。だから僕も真面目に書かない方針に決めた。雇う側はピアスや髪色や髪形にうるさくはないとしても、話し方がちゃんとしていなかったら雇うとは思えない。もし雇うなら家族経営の友達のとかいう保険が掛かっている。また海の家のバイトは通いが多く、住み込みは少ない。醤油ラーメンと思いきや魚介系ラーメンであることや、冷やし中華に、何故かタイカレーがあり、二十世紀の遺産のようなアイスケースがあったり、山口百恵のポスターが貼られていたりする、海の家。イギリスのエクセター大学の研究によれば、海に近い都市部に住む人は、精神疾患の人が少ない、という研究結果を発表している。そして巨大な蛸が海に漂着して、たこ焼きパーティーが繰り広げられてい(以下省略)・・・・・・・。幸せホルモンと呼ばれるセロトニンが多く分泌され、鬱病にも効果があると言われている。あと、やっぱり大人のメロンクリームソーダタイム。しゅわしゅわしていて、甘くて、このアイス美味しいね。って子供か。シコティッシュ、シコティッシュうるせえ。
2024年09月05日

この世界の生きとし生ける者にはすべからず寿命というものがある。もちろん、植物もその例外にはあたらない。ただ、若返りを繰り返すベニクラゲ、不死身の生命力を持つプラナリア、クローンを作って生き延びる白蟻の女王、単細胞生物で自分を分裂させる大腸菌のバクテリア、なども、そういう意味では不死だ。クマムシは空気がなくても、餌がなくても、水がなくても、摂氏一五〇度以上またはマイナス一五〇度以下の温度でも、生き延びることができる。でも二つの意見がある。一つ目。たとえばたかだか百年ほどしかない人生にすぎないけれど、今後の進歩次第では、不老不死に見劣りしない人生構造が、設計されうるかも知れない。スローフード運動も可能かもしれない。二つ目。「不死身」「不老」「クローン」という要素を経て、不老不死を得たとして、そこに問題は起きないのかということだ。前者は遠くない将来、いわゆる近未来に実現されるかも知れない。後者はおそらくマッドサイエンティスト、非人間的な発想だ。ただ、電脳世界に魂を移す、精神転送、脳のディジタル化とでもいうべき、こういう考えがあるけえど、それに非常に近い。SFの分野だ。脳の冷凍保存をすればさらにこの考えを推し進めることが出来る。ともあれ、僕等にはいまのところ、寿命というものがある。植物は僕等が百年であるのに対して数千年も生きる。なお、世界で最高齢の植物としてよく名前が挙げられるのは、アメリカのブリスルコーンパインという木で、樹齢は四千歳代の後半とされている。さて、植物の長寿の秘密は、“植物細胞分裂の在り方”と“植物細胞の特性”にある。もちろん、ブリスルコーンパインを挙げたのは、けして長生きしているからというだけではない、一目見るとあたかも死んでいるかのように見えるこの樹は、樹齢を重ねるにつれ、外側の樹皮の層は朽ち果て、残るのは根本から限られた数の枝へ直接伸びる、剥き身の結合組織だけとなる。そこには想像を絶するような環境が前提としてある。特殊な成長の仕方をするものは、人間でもそうだと思うけれど、何度も死ぬような目に遭ってきたに違いないからだ。そこに「成長戦略」や「環境適応能力」を、想像することもできるだろ―――う。ちなみに人を含めた動物は、脳細胞の寿命の分だけ生きるわけだが、それ以外の大部分の細胞は“細胞分裂をする生きた細胞”で、構成されている。つまり動物は古い細胞と新しい細胞が、次々と入れ替わっていくような成長をする。ちなみに心臓の細胞組織は、約二二日で入れ替わる。身体の細胞は、部位によって生まれ変わるサイクルが異なり、肌の細胞は約二八日、胃腸は三日~七日、骨は二年、肝臓は約二ヶ月、 血液は約四ヶ月だ。更に付け加えれば、細胞は場所ごとに専門性を持つ。脳細胞を、心臓へ持っていくことなど絶対に出来ない。いくつもの役割を持った一つの統合的な組織のようなものだからだ。人を含めた動物が「複雑で予備のない構造」であるのに対し、植物は「単純で重複の多い構造」になっていることに起因する。植物というのは、死んで困る細胞がない。例えば人を含めた動物の場合は心臓や脳などの器官は一つしかなく、どこかの器官の細胞が壊れれば、そのまま死に直結する。しかし植物は葉や花などが沢山あり、一枚虫に齧られた程度ではビクともしない。一本しかない幹が切られても、植物は代わりの幹を出す。あえてそこに人間を樹として植えこんでいるイメージをしてみろ、虫に齧られて平気でいられるか、腕を切られて生きていられるか。植物の個性はユニークだ。またその細胞は、葉・花・幹などのすべてになれる万能細胞。この特性を『分化全能性』という。それに加えて植物は動かない。長生きする植物はゆっくりと成長していくパターンであることも指摘できる。動物だと死んだ細胞は邪魔だが、植物は死んだ細胞が邪魔になるどころか、成長するための土台になってくれる。というか、中心部分を生きている細胞ばかりだと、細胞と細胞の間がギチギチで、水などを根から葉まで運ぶことができない。井戸できない。だから細胞をあえて殺すことで、細胞の中身を空け、水を通すわけだ。この水を通す死んだ細胞でできた管を、“道管”という。ちなみに水以外にも植物は栄養分を根から運んでおり、こちらを通す管は“師管”と呼ばれる。師管は生細胞。これは水を毛細管現象という物理現象で自動的に、運べるのに対し、栄養分を運ぶのにはエネルギーが必要で、生きた細胞でないといけないからだ。ところで動物に寿命がある理由として、有力なのは、『テロメア』によって細胞分裂の回数が決まっているからという説がある。哺乳類であれば、染色体のほとんどの部分は、無規則だが、その端には必ず『TTAGGG』というDNAの塩基配列が、数万回ほど繰り返されている。この繰り返されている塩基配列こそが、テロメアだ。細胞分裂は完璧にDNAをコピーしているのではなく、細胞分裂のたびにDNAの端が少しずつ短くなっていく。これを“末端複製問題”という。そして細胞分裂のためにはある程度の長さのテロメアが必要であり、このテロメアの長さが残りの寿命を決定しているのではないか、といわれている。このことからテロメアは“命の回数券”と呼ばれたりもしている。ちなみにこの使ってしまい、短くなったテロメアを、子孫に遺伝させないために、動物の卵巣と精巣にはテロメアを、再生させる酵素“テロメラーゼ”が存在している。このテロメラーゼのおかげで、新たに生まれてくる子孫は、テロメアの長さが元に戻った新品の状態で誕生する。しかしこの“テロメラーゼ”は、癌細胞を生み出している。細胞分裂で遺伝子が傷つき、かつ突然変異でこのテロメラーゼを、偶然合成してしまった細胞こそが、死なない細胞こと―――“癌細胞”であるからだ。場合によっては不老不死の鍵となっているのは、癌細胞なんじゃないかと僕なんかは想像する。だってそれは人間的な発現、あるいは人間的な思考回路だと思われるからだ。テロメラーゼは基本、生殖細胞にしかないという意味は、遺伝子レベルでは、子孫を残せばお役御免ということ。ここからここまでは、ちゃんと決められている。生殖細胞以外の細胞にテロメアを再生させる理由がない。さて、植物は細胞すべてが葉や茎などすべてになれる、といった。つまり植物の細胞はすべて、生殖細胞である“花”になる可能性がある。だから植物はすべての細胞にテロメラーゼを持っている。だからテロメアが減らず、無限に細胞分裂が可能である。とはいえ、植物も遺伝子のコピーミスで癌になることがある。だが、植物の細胞には強固な細胞壁があり、癌が転移しない。だから植物の癌は、その場でもこもこと増え続け、瘤のようなものが出来る。これが植物の癌だ。立派な瘤に鳥が巣をつくっているという構図は、考えようによっては中々シュールである。テロメラーゼの檻というようなものの中にテロメアが住んでいる。ちなみに植物もちゃんと死ぬように設計されている。『プログラム細胞死(PCD)』と呼ばれるもので、強制的に死ぬ。この分子メカニズムなどはまだ未解明だけれど、細胞に、あらかじめ死ぬようにプログラムされているらしい。つまり元気なまま突然死ぬわけだ。動物と違い、癌になっても致命的になる部位が存在しない、この植物は細胞分裂が無限なので老化せず、一切衰えない。花が咲き、実を作る。そこに生命として一つの完成された形があるのに、はじめから生命を壊すことを前提としている装置がある。不思議なものだ。死へと至る病というのが遺伝子レベルでは、救済措置のようなものなのだろうか、僕には何か、世界最大の一本の木をコピーした森と、集団自殺という妄想が中々離れない。だってそれはやっぱり自殺というものだろうと思うからだ。なお、樹木などの植物は内的要因で死ぬことは殆どなく、基本的に外的要因の『枯死』か『伐採』になる。とはいえ、僕等が不老不死を目指すのであれば、今後、植物も僕等の都合で、そういうような憂き目に遭うかも知れない。月の堆積物であるレゴリスを使って、「シロイヌナズナ」という植物を栽培し、コケ植物「シントリキア・カニネルウィス」は火星の環境にも適応できるそうだ。そして僕等はいずれ樹木にも人格や声帯器官を与えるみたいに、本当はどう思っているのかを知るだろ―――う。愉快だぜ、ねえ、赤ん坊の泣き声を病院で夜中に聞くみたいにさ、泣いている理由は何だろう、皮膚が痛いから、怖いから、いやいや、僕は興味がないね、ただ、生命がここにある訴えるSOSの声さ。その不安の地続きにある神経にさわる、絶対零度。「不死身」「不老」「クローン」という三つの要素で形成された、未来の僕等の肉体に精神が成熟することを祈る。遺伝子がもし僕等のトリガーに触れていないことを祈るばかりだ。永遠なんて肉体がないから成立するものだっていうのを、古い雪の表皮が崩れ、融け、奔流となって騒々しく、押し流されるように考え―――る。昔見たな、冬眠が終わって蛇がうじゃうじゃしているんだ、絡み合ったり身を寄せ合ったりする、カナダの五万匹にもおよぶガータースネークの集団越冬の動画だね、あれは最高に蛇好きの僕のハートをテクニカルアタックする、あれに匹敵するのは、確かに蛇の上に蛙が群がる動画ぐらい。でも蛙が蛇を呑み込むという写真だってあるんだぜ。例外を有する。そしてなお、それをも全体の保険とする。でもさ、あれが僕等で、都市そのものなんだ。言っている意味がわかるかい、ああ君にはわからないだろうね、そんなことを考えている痛さに堪えきれない夜もある。生物の模倣はテクノロジーの進歩だけど、ひょんなことから全然別の場面や、思惑に出くわしてしまう、そうさ、不自然な僕等も、都市も、完璧な設計の中にある。立派な瘤に鳥が巣をつくっているという構図は、考えようによっては中々シュールだと僕は言ったね、覚えているかい、テロメラーゼの檻というようなものの中にテロメアが住んでいる、と。でもその瞬間、どうだい、まったく別の側面から、違う次元から、いきなりぴょんと違う概念が飛び出すんだよ。まだ君は気付いていない。そして僕すらも気付いていないこと―――がね。うっかりすると、勝手に名前をつけてしまいそうな僕だ。バタフライエフェクトみたいなものを、ね。爆発寸前まで、見えそうで見えないところまで、きているってね、ここは淋しくて真っ暗な自然の中じゃない、楽しくて明るすぎる都市が遺伝子を書き換えてゆくんだ、僕はバグとかエラーが好きなんだよ、最初からそれがあったなんて考える人はいないよね、途中からあたかも追加されたようなそれがさ。でも、時間は存在しないっていうじゃないか、前とか後なんてないのかも知れないぜ、じゃあどうしてそれがバグとかエラーと呼ばれるようになったのか、僕はそのことを無邪気な子供みたいな気持ちで知りたいのさ。
2024年09月04日

アンヌ=ルイ・ジロデ=トリオゾンの『アタラの埋葬』 から死姦を想像するような適切なグリセリン的発想力・・。 夏の水辺に高貴な音楽をつくるものは何か。 みぞおち 、、 ―――水落のあたりをスッと。 溟い敏速な瞬きのうちに酔いに霞ませるものは何か。 “吠え狂う虚空の喪章” 宵闇に包まれた金魚鉢のような視界の中の燈火の象嵌。 しきたり 終わりなき因習へのdeys... アンダンテやアレグロはない、 フォルティシモ・・・・・・、 名前を失った、それが、神経を食い破る合図・・。 器官が塞がれて、水銀が緑の中に揺れている。 歪曲橙小球感知器に触れる、 ルシフェラーゼ 黄金の気化点、頽廃、精神分裂、不安、妄想――。 炭素電球、タンタル電球、青蛍石・・。 夢と生命とをあざなわせた、 騙し絵のような華麗なる情念と、 エデンやアルカディアやユートピア、 小川の囁きのような清潔な美しい言葉、否・・断じて否・・・。 僕に残されているものは、君...。 花は香彩を開く・・・・・・。 Do you remember? 振り返ればいつも・・・。 燐寸がなければ灯すことのできない夜・・。 消 え た り 灯 っ た り す る 、 人 生 の 夜 ・・・・・。 淡い萌葱色の瞬きが、 おぼろなもうひとつの世界を垣間見せ、 点滅する記号の跡。 散逸力学。 池の水面の輪郭を浮かび上がらせていく、 屈折や欠落のアーキ・ヴィジョン・・。 闇にそっと触れる親和的なひかりが尾を引いて、 奇妙な罠のように眼に浮かんでくる、 忘ーれーらーれーなーい。 (無限に遠い―――。) ―――夜が。 獣の脂のような夜明けの証人を残しながら、 「神経の白い刺」を思い出させるんだ、 枕聴―――服や髪にしみこんでゆく。 ―――魔術に感染する、 (風はそよりとも吹いていないのに、) 、、、、、、、、、、、、、、、、、 おたまじゃくしの小節が移動している。 フェルナン・レジェの『都会』 入り組んでるパーツ、合成物のような都市の切り口。 ひよわな少年の絵模様を描く。 蛍もそうなんだ、長めのシャッター時間で撮影すると、 光の軌跡が長く尾を引くファンタジックな、 この世のものとは思えない、幻想神域。 木 漏 れ 日 が 揺 れ ま わ る よ ...。 まるで風が色をつけて、生きて動いている・・・。 つつましやかな刹那がけむりのようにふくらむ・・。 ―――夜の空の星が、 地上にフェルメールしにやって来る、 煌びやかなショーウィンドウ ガラ...ス―――。 植物の模様に成り果て、水如天・・。 呻吟を部品のように分解した、 「温度が欲しい」 楽園の魅惑的な声、―――忽吹散・・。 明滅するコントロール・ランプ。 「ナノ粒子をクレソンの葉に埋め込むと、 三時間半ほどうっすらとほのかな光を、 植物自らが放ったように・・・」 少年のオブジェ感覚に出入りする情報のざわめき・・・。 隠遁性と復讐性に富んだ、 幻想的な物語の挿絵よ。 サンセットファイアオパールや、 ビスマス結晶を思い出すんだ・・。 「人間が作った夜の光、信号機、ネオンサイン、 街燈、それらが人間以外に与える影響・・・、 環境や、遺伝子レヴェルでのことを考えていたら、 美しいことは磨いたナイフのように思えて、 魂をシーソーさせる・・・フラジャイル・・」 はっきりしている。 「課された役割」 それは、はっきりしている。 (...夏は夜。月の頃はさらなり) 線と四角形で構成された、奇妙な模様、 粉雪のような夏の虫の乱舞。 ただ―――時計を五分前に戻したい、 凪いだ空中に、わるだくみのありそうな、 あまくこぼれ落ちる情趣。 「水中の月も、枝上の花も、 生き物の声さ・・」 そぼ降ったもののように...静かな声で。 (火を点けて、) 聞き取りうる限りの小さな声で。 (...風に身をゆだねるから、) その“視覚”と“記憶”で・・・・・・。 、、、、、、、、、、、、、 小さな鍵の使い道を見つける。 琺瑯質の、おぼろな笛の、 綺麗とか美しいとかいう言葉―――。 疲れるばかりに匂いのよい陰性の花が散る、 風に揺れるシロツメ、、、 (不答信自閑―――人生は夜思千里) 電信柱、金網越しの桜並木、 車両通行禁止の標識、堅固な建築物、二車線道路、 自転車に乗った人物、マンホールの蓋、 自動販売機、通り過ぎてゆく車・・・・・・。 ―――神が睡る、花が散る。 琥珀や麝香、安息香や薰香・・・。 君は、沈黙と屍臭に導火線を延ばす。 君は、沈黙と屍臭に導火線を延ばす。 ―――まだ見ぬ鉱石質の向こう側へ。
2024年09月03日

2024年09月02日

* * * ・・・蓮の葉は、 ―――「標的...t a r g e t ...」 ―――「十字路...c r o s s r o a d ...」 ―――「戦略...s t r a t e g y ...」 * * 『内側』で は ど う し て も わ か ら な か っ た こ と が 、 『外側』に い る と す ご く よ く わ か る。 * * You can only see truly beautiful things when you are a child. * 「夏が何度も繰り返すようなものだったら―――と、 知りたいと思う、疑問に思う・・・・・・」 ありふれて忘れ去られた今日のような、 かげろういろ ―――糸遊色(に、) ありふれて忘れ去られた昨日のような、 ―――水道栓(と、) 「硝子も・・・・・・・」 「風船も・・・・・・・」 ...たゆとう夢の透き通った清水、 three dimensions... 空気に混じる香水の淡さで、 four dimensions 永遠に残るかも―――知れ・・ない・・・・。 永遠に残るかも―――知れ・・ない・・・・。 クリプトグラフ 暗号..... * * * 止.ま.っ.た. 「dystopia」が、 「utopia」を作ったかも知れないだろ。 未熟な十代―――の、 regret......
2024年09月02日

LGBTQ、クィアアーティスト、、、 心は乾いていく、固い雪として凍り付く前に。 けして枯れない花は、 欠けた月やおぼろな光、よどんだ水。 多くの人形を走らせている、興亡記――。 記憶にある眼瞼に触れることができたら、 「反射する音」 叶うのに・・・ 「Have」( to)と「have」(got to) 「I have to」と「I've got to」 嫌って、軽蔑して、嘲って。 <西洋の宗教画> にあるような天国を覗き込みながら move on... 世界のトップチャートはラップミュージック一色、 上手く言えないけど、 カウボーイハットとコカ・コーラが必要だ、 こんなジグソーパズル・・ こんなコンクリートジャングルシティーで――。 、、、、、、、、、 鮮烈に危なつかしく・・。 (woo...memory) 白なら眼に或る。 黒なら眼に或る・・。 明/暗 捩ぢれ――。 ふざけて、たわむれて・・・。 You can fly You can shine 僕は。 腐って、膿んで――。 Can you feel it? Can you feel it? サイン 噴水は合図を、送る・・。偽りの勝利――落日・・。 イメージ 夜・・黒曜石――あの石の像・・。 想像を可及的に拡げてゆくより外に仕方はなく。 想像を可及的に拡げてゆくより外に仕方はなく。 For what reason do you need the information? (したたり―――落ちる・・・・かすかな歌のような雫・・・ For what reason do you need the information? (昼間の明るさの溶岩流・・・・・・ 僕等って悲しいって思わないかい。 僕等って悲しいって思うだろう。 (だがどこへ、)(しかしそれで、) 末枯れた波の音がする・・よ―――。 「冗談だよ」って言ってほし――い、の、に。 ―――駅・は・近・い・の・か・、 バ・ス・停・は・あ・る・の・か・、 学・校・は・と―――続く。 セグンテーション 細胞分裂。 (通りの名前と距離を表す番号を記載した「標識板」と、 自由歩行における下肢関節モーメント。歩幅、歩隔、 歩行速度、歩行率という歩行因子、) “男”だった。 テレビ画面に出てくる、“影の薄い役のような男” ふざけて、たわむれて・・・。 You can fly You can shine 僕は。 腐って、膿んで――。 Can you feel it? Can you feel it? 主人公が町の中央に立ち、 三六〇度を見渡すように、左右にスクロールする。 ―――虫唾が走る、 無間地獄の如く救いのない闇が広がる。 覗かれて―――いく、死後も霊魂は生き続け・・。 開かれて―――いく、大きな毒虫は君だ。 ピース ピース 断片。部品。
2024年09月01日
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