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2023.08.28
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カテゴリ: 禅宗

禅のすすめ 道元のことば【電子書籍】[ 角田 泰隆 ]

 道元禅師の考えは実に難しいのだが,一生懸命理解しようとすることで,何かがわかってきたような気もする。
 たとえば,

 仏教の一般的な考え方では、修行の功徳が熟すと内なる仏性(仏の本質)が現れるとされ、確かにそのように言うこともできるのですが、道元禅師は、修行(参師問法・弁道功夫)の時節を仏性が現前している時節であるとするのです。
 修行してゆくと、いつか仏性が現れるときがある、と考えるのは誤りである……、そして、今がまさに修行の時節であり、そう思って修行すれば、すでに仏性は現れているではないかと言われるのです。


というようなこと,これは修行即悟りということですな。
 このことは天童如浄師が坐禅について言われていたことだ。
 さて道元禅師において因果とは,

 道元禅師においては、因果は超越されているのであると私は受けとっております。 
 ここで「超越」とはどのような意味かと言いますと、これを修行と悟りの関係について言えば、修行において、果としての悟りを求めることなく、ただひたすら仏の行いとしての修行を行ずること。
 つまり、修行の功(効果・功徳)としての悟りがあろうがなかろうが、そのような結果を問題とせず、因なる修行において、果なる悟りを期待せず、ただ而今(今しかないという今)の修行あるのみでよしとする。
 そのとき、その人にとって、その修行は因果を超越していることになるわけです。


 仏教は因果を大事にしているところ,道元禅師はその因果を坐禅によって超越しているということだ。
 この著者の一文を解釈しなおせば,修行即悟り,つまり坐禅即悟りに行きつくことになる。
 結局坐禅は因果を超越していると言う事にもとれるし,また坐禅は坐禅,坐禅という因であり果でもあるととったらそれは行き過ぎの議論か。
 いずれにしろ坐ることが悟りであり仏であるとすると,我々は坐らなければならないと言う事になろう。
 それにしてもこんなに大事なことを私は通りいっぺんにしか読まないで理解せず過ごしてきたんだな。
 本当にいったい今まで何の勉強をしてきたものだろうか。
 いまさらながらもう一度道元禅を理解しなければならんな。
 道元禅師は,世尊,法然上人,親鸞聖人に比べたら早世した方だ。
 そんな禅師が厳しい坐禅についてとにかくわしは坐る,それで死ぬのは本望だ的なことをおっしゃったとも言われている。
 すごい覚悟の方である。(6/22記)





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最終更新日  2024.02.16 13:25:07
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