今日、何読んだ?

今日、何読んだ?

全て | カテゴリ未分類 | 日記 | ニュース | スポーツ | 内政 | 映画 | 教育 | 自己啓発 | 健康 | ノンフィクション | 読書論(術) | ビジネス | 勉強法 | 仏教 | 生活 | 野球 | 人生論 | 安全 | 外交 | 趣味 | 音楽 | 科学 | | 手帳 | 文章術 | 脳,睡眠 | 歴史 | 小ネタ | 絵画 | ダイエット | 法律 | 小説 | グルメ | 俳句 | 旅行 | 従軍慰安婦 | 歯の健康 | スピリチュアル | 文学 | 報道 | 冤罪 | サイバー | 芸能 | 靖国 | 神道 | 貯金 | キリスト教 | 料理 | エッセイ | 江戸川乱歩 | 横溝正史 | 松本清張 | 今野敏 | 森村誠一 | 中山七里 | 東野圭吾 | 芦辺拓 | 貴志祐介 | 有栖川有栖 | 二宮敦人 | 我孫子武丸 | 道尾秀介 | 法月綸太郎 | 薬丸岳 | 深木章子 | 桜井美奈 | 知念実希人 | 澤村御影 | 中村颯希 | TERU | 飛野猶 | 内藤了 | 下村敦史 | 秋吉理香子 | 村田沙耶香 | 丸山正樹 | 横山秀夫 | 松葉紳一郎 | 真言宗(密教) | 日蓮宗 法華宗 | 仏教総論(概論) | 禅宗 | 浄土教系 | 佐竹一彦 | 般若心経 | 高柳芳夫 | 伴野朗 | 阿井渉介 | 姉小路祐 | 日下圭介 | 山邑圭 | 鳴神響一 | 葉真中顕 | 近藤史恵 | 翔田寛 | 黒川博行 | 大門剛明 | 染井為人
2024.03.26
XML
カテゴリ: 禅宗

自分をみつめる禅問答【電子書籍】[ 南 直哉 ]

 さて、
本当の自分は不可知
なのだそうだ。
 つまり今私が躍起になって求めている私は何者?という課題は、
 なぜ生まれてきたのか。
 なぜ死ぬのか。
 どこから生まれてきて、死んだらどこにいくのか。
 そのすべてに答えが出ない。
 つまり、我々の存在にさしたる根拠も意味も見いだせない。
 この耐え難い状況を、耐え難いゆえに「絶対神」や「霊魂」や「理念」で埋め合わせるよりも、この状況をあくまで直視して、なおかつ充実した生を求めていくのが仏教だと、ぼくは思う。
 この姿勢は、ある意味で最もシビアだろう。
 だから、ブッダは我々の存在をまず「苦」だと言い切るのだ。

ということだ。
 答えは出ない。
 けれども仏教は、絶対神や霊魂や理念に私を委ねず、答えはわからんけれども生ききろうよ、と言っている。
 ようするに、
 自己とは何か、といった「根源的な問い」があるからこそ、「神」や「死後」が問われるのだと言うのだな。  
 そういうことだ。
 しかし、さらに付け加えれば、この問いには答えられない。
 それは人間の知恵や知識が今のところ足りないから答えられないのではない。
 原理的に回答不可能なのだ。
 死んだらどうなるのか、どうして生まれてきたのか、自分とは何かという三つの問いは、実は同じ問いの三つのバリエーションにすぎない。
 その問いとは、「自分が自分である根拠とは何か」、言葉を換えれば「本当の自分とは何か」ということで、これはいかなる現実的な回答もナンセンスになる以外にない問いなのだ。

ということでどうやら私は何者?という問いに対する解はないとするのが本書のスタンスだった。
 ただ私は、自分は気付きでありサティであり認知であり自覚であるというところまで発展し、更に坐禅により心身脱落することで、その私がつまり真の我が出たり入ったりしているのを感じることができている。
 わからん、そんなものあるかないかもわからんでほっておかないで、坐禅で休んでいる私、坐禅で出たり入ったりしている私についてのもう少し深い見解が本書では欲しかったなと私は思う。(1/5記)






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024.03.26 05:00:12
コメント(0) | コメントを書く
[禅宗] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: