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私が立川談志という人を最初に知ったとき…というのが、実を言うと正確に思い出せない。たぶん小学生のときだったとは思うのだが…。本気で大ファンになったのは、中学生のときだった。とは言っても、落語家として凄い!と思ったのではなく、毒舌タレントとしてだったのだけど…(苦笑)。当時日曜日の夜10時からTBSで、たけしさんと所さんが司会をしていた「ドラキュラが狙ってる」というバラエティ番組があった。この番組に、家元は何度か出演していて、そこであまりの面白さにひっくり返って笑い、そこから大ファンになって、今日に至る…ということである。特に…確か今、YouTubeに上がっていたと思うが、何故かヒヨコの着ぐるみを着てサングラスをかけ、檻の中で人生相談に答えるという回のインパクトは凄かった(笑)。あと、同じ頃(平成4年頃)聞いた、回顧特番か再現したものだったか忘れたが、ニッポン放送「談志・圓鏡歌謡合戦」の影響も、かなり大きい。未だに、あれに勝るラジオ番組はないと本気で思うほど、あのやり取りは衝撃だった(笑)。全く意味が繋がらないナンセンスな会話であるのに凄まじく面白いというのは、今聴き直しても凄い。落語を聴くことに、本気でハマったのは高校生になってから。でも最初は私は、文樂・志ん生以下、いわゆる「昭和の名人」のCDしか聴いていなかった。てなわけで家元の落語を聴いたのは、生が最初。今から14年ほど前のGWだったと思うが、新宿の紀伊國屋ホールで、山藤章二先生が主催する「寄席・山藤亭」という会で、「立川談春独演会・ゲスト談志」というのがあって、それが初。談春「宮戸川」、談志「天災」、中入り後が談春「三方一両損」という番組だった。このときの家元が、本当に素晴らしく、この一席で、益々大ファンになってしまったのだ。その後、年末のよみうりホールの独演会や、ゲストで出演する落語会に頻繁に足を運ぶようになった。まさかこのとき、憧れの家元と自分が「流行歌」を通して親しくなれるとは、微塵も思っていなかったが…。
2012年11月29日
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談志師匠が亡くなって、早一年を過ぎた。お別れ会にも行っていないから、亡くなったということが未だに100%理解しきれていない気がする。亡くなって以降、様々な方に様々な追悼をされた家元。不謹慎な言い方かもしれないが、これほどバラエティに富んだ追悼のされ方をした人を、私は他に知らない。心底悲しみ、精神的支柱を失ったような慟哭の叫びから、家元に対して悼む気持ちが、全く感じられない追悼文、平たく言えば「故人に対する侮辱」としか感じられないピントのズレた追悼文(苦笑)まで、いろいろとあった。そういうズレた文は、凄く腹は立ったけど、そういう追悼のされ方も、家元らしいっちゃ、らしいのかもしれない。私は先日までは、ブログに家元との思い出を書こうとは全く考えていなかった。気障と言われるだろうが「家元の思い出は心の中に…」ってなもんで、不特定多数の人にブログで「どうでえ!」という姿勢で思い出を書いたなら、「単に自慢しいで自己顕示欲の強いバカ」になると思ったから(苦笑)。だから、過去にも家元のことは書いたが、落語会の感想以外は、中心点をぼやかして書いていた訳で…。それでも、今読むと結局「自慢」と受け取られかねない文章になっているのだから、私が本気出して書いたら、どうしようもなくなるという自覚があった(笑)。でも…もし私が仮に、近いうちに死んだとしたら、後世に残すべき家元のエピソードが一つ残らない…ということを、寝ながら、ふと考えたのだ。「それは、かなり勿体無いな…」と。家元との個人的な付き合いを、私のような素人が書くと、不快に思う方も大勢いると思う。でも、「世間の落語ファンが、あんまり深く知らない家元の歌謡曲マニアの一面」を喜んで読んでくださるファンの方も、ひょっとしたら、おられるかもしれない。その「喜んで読んでくださる方」に向けて、これから家元のエピソードを、詳細に書こうかな…と考えた。そういうわけで、これから何回続くか分からないが、2005年8月から、2010年12月までの約5年、家元と逢ったときの思い出を、今までと違って詳細に、覚えている限りの全てを、書き出していこうと思う。お付き合いの程、何卒宜しくお願い申し上げます。
2012年11月27日
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林家たけ平著「よみがえる歌声」、ワイズ出版より2,800円で好評発売中!買えば烏がまた騒ぐ! さて、長い間書いてまいりました昭和44年大晦日・東京12チャンネル「なつかしの歌声・年忘れ大行進」裏エピソード特集!今日でフィナーレです!次回からは、一周忌を迎えた談志師匠のことを書いて残していこうと考えております。乞うご期待!今日の話は、過去に何度もお名前が登場している、松島詩子先生の御子息、内海さんから伺った話。今でこそ、こういう公開番組の観覧募集というのは、事前に往復はがきで応募をして、当選した人だけが引換券と座席番号を、ホール入口で交換して観覧をすることができるというシステムが一般的。ところが、この当時は…。他の放送局はどうだったかが分からないのだが、「年忘れ大行進」と、この翌年からスタートする夏の「郷愁の歌まつり」に関しては、入場は何と「早い者勝ち」だったという(笑)。実は私の手元に、昭和44年大晦日の台本がある。何と!高田浩吉先生の物で、どういう訳か数年前にヤフオクに出品されて、私が落札したのだ(笑)。それによると、当日の予定は以下の通り。10:30~ ピアノ搬入・調律、舞台・踊り稽古12:00~ 音出し・音合せ・音どり ABCバンド共13:00~17:00 カメリハ・ランスルー17:30~ 開場・客入れ18:15~ 緞帳上げ、前説・アトラク18:50~ 緞帳下げ(舞台スタンバイ)18:55~ 緞帳上げ・司会登場19:00~ ON AIRつまり、13時からがリハーサルなので、午前中~12時までにはお歴々が歌舞伎座に集合していたということである。勿論、松島詩子先生も12時前に入るべく、自宅から車で歌舞伎座へ。その運転手が倅の内海さん(笑)。それで、ここからが聞いた話なのだが(振りが長い)お昼に歌舞伎座に着いたら、もう正面口には長~い列が出来ていたと言うのだ!今で言えばスマートフォンを購入するが如く(笑)、かなり早い時間から並んでいたファンもいただろう。あの顔ぶれを、早く行けば行くほど(笑)いい場所で見られるというのなら、そりゃ早く行くだろうよ!そのファンの気合が肌で判ったのか、この大晦日のVTRを今見直してみると、出演歌手の気合いの入り方がハンパではない(笑)。風邪をひいていた人は除かざるを得ないが(苦笑)、以前書いた「第1回思い出のメロディー」の出演を蹴った人の気合が、特に凄いように見受けられる。VTRを見たことがある方なら、私と同じように感じた方もいるかもしれないが、特に東海林・伊藤・灰田・林・岡・近江の歌唱は、映像を見る限りではいつもの3割増し(笑)。きっと、お歴々の本音は「いい歌を歌って新しい年を迎えたい」とか、「お客様にいい歌を聴いて頂いて、良い年を迎えて頂きたい」とかじゃなくて、恐らく「打倒NHK!!」の一心で歌ってたんじゃないかと私は思っている(笑)。だから逆に、胸を打つステージが多かったのではないだろうか、この大晦日は。この第2回目の大晦日特番、視聴率は10.9%。今の目で見ると「低いじゃん」と思う人もいるだろう。しかし、当時の「紅白」は70%~80%の視聴率を軽く取ってた、文字通りの「国民的番組」。その真裏、21時からの1時間で、視聴率がいきなり急降下することなく、安定飛行し続けたというのは、当時で言えばミラクルに近い(笑)。この番組の威力が凄かったのか、この年の紅白の視聴率は69%と、前年に比べ些かダウンしている。とにかく、この大晦日特番は日本のテレビ史に残る番組だったと言っても過言ではない。「なつかしの歌声」の話は、今日でおしまい。次回からは、また別テーマで書かせていただきます!
2012年11月26日
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またまたブランクが空いてしまいまして…。 再就職が決まったのはいいのですが、新しい職場にちょいと問題があるらしい…と、元の上司から聞いてしまいまして(苦笑)。それも人間関係!折角決まったのに、そういう情報を事前に聞くとエラく憂鬱になるもんだ(苦笑)。林家たけ平著「よみがえる歌声」、ワイズ出版より2,800円で好評発売中!もう買いましたかな?昭和44年12月31日放送・東京12チャンネル「なつかしの歌声・年忘れ大行進」の裏エピソード!ちょいと今日の話は、少々重いネタになってしまうがご容赦頂きたい。12チャン初の、カラー生中継番組として放送されたこの大晦日特番は、岡晴夫の唯一現存するカラーの映像としても知られている。翌年の昭和45年5月19日、54歳という若さでこの世を去ってしまったので、大晦日の特別番組に出演したのは、たった2度。しかも、前年の神田共立講堂は映像が残ってないので、唯一「生番組で客前で歌ってる岡晴夫」のVTRということでも、大変貴重ということにもなる。歌は「港シャンソン」と「あこがれのハワイ航路」。「啼くな小鳩よ」でも「東京の花売り娘」でもない、「港シャンソン」という少しだけ捻ったチョイスが、ファンとしては堪らない(笑)。しかし、後半の「ハワイ航路」は絶好調だったのだが、前半8番目の出演で歌った「港シャンソン」は、あまりいい調子とは言えない、痛々しい感じだった。トップ先生が司会の途中で「本日風邪を引いて出るか出られぬかが危ぶまれていた岡晴夫さん」という紹介をしていたのだが、真実は違う。もう実はこのとき、かなり病気が悪化していたそうで、「来年の大晦日は、岡さんはもう多分出られない」と、周囲のスタッフは分かっていたというのだ。知らぬは本人ばかりなり、ってやつだ。だから、本来ならこういうステージでは2コーラスでおしまい(ほかの歌手は大体2コーラス)だったのを、「最後の花道を飾らせてあげよう!」というスタッフの心意気で、「ハワイ航路」は3コーラス歌わせてあげた、という話を聞いたことがある。真偽の程は分からないが、かなり信憑性のある話と判断できたので、あえて書かせて貰った、今日の話。談志家元や松島詩子先生の御子息は、この大晦日を含む『なつかしの歌声』での、オカッパルの歌う姿を見ることを嫌がった。二人とも「確かに岡さんなんだろうけど、見た目はやつれてるし、声も全盛期とは違うから見てて辛い」と仰っていた。確かにその通りだと思う。ところが、私の年齢の前後の昭和歌謡マニアは…。SP盤でハマった人は別にして、テレビ東京の特番で歌謡曲ファンになった私は、この最晩年の顔が最初の岡晴夫の姿だったので、後に若いときの写真を見て「こんなに太ってた人だったの?」と思ったのだ、小学5年の時に。やつれていても、あれだけの声でステージをこなしていたのだから、オカッパルはやはり凄かったのだと、当たり前のことを今更ながらに思う。『なつかしの歌声』に出てたときは、闘病中だったと後から聞いて「そう言われれば具合が悪そうだな…」と思った人は、私以外にもいるようである。岡晴夫が、せめてあと10年、元気でいてくれれば、もっと珍しい歌も歌ってくれてただろうし、大晦日に欠かせないメンバーになっていただろう。早世が、返す返すも惜しい。でも、VTRが残っているだけマシか。津村謙や楠木繁夫、松平晃は映像がないのだから。…重い話になってしまったので、最後にオマケ。オカッパルが『なつかしの歌声』で歌った歌の全記録を、私のHPから転載しておく。…こりゃ貴重よ(笑)。昭和43年10月15日(初出演)「啼くな小鳩よ」「あこがれのハワイ航路」昭和43年11月26日「港シャンソン」「男一匹の唄」昭和43年12月31日(大晦日特番)「上海の花売り娘」「啼くな小鳩よ」昭和44年2月11日「東京の花売り娘」「途中下車」昭和44年3月18日「男の涙」「港に赤い灯が点る」昭和44年4月29日「上海の花売り娘」「片瀬波」昭和44年6月17日「男のエレジー」「逢いたかったぜ」昭和44年8月26日「青春のパラダイス」「あこがれのハワイ航路」昭和44年9月30日「あこがれのハワイ航路」(VTRあり)昭和44年10月28日「東京の空青い空」「国境の春」昭和44年12月16日「東京の花売り娘」「青春のパラダイス」(VTRあり)昭和44年12月31日(年忘れ大行進)「港シャンソン」「あこがれのハワイ航路」(VTRあり)昭和45年1月13日「男一匹の唄」「広東の花売り娘」(VTRあり)昭和45年2月10日「啼くな小鳩よ」「港に赤い灯が点る」(VTRあり)昭和45年3月24日「逢いたかったぜ」(VTRあり)昭和45年3月31日(最期の出演)「上海の花売り娘」(VTRあり)それでは、また次回にご期待下さい!
2012年11月25日
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昨年の今日、私が長年崇拝し続けた「あの方」がこの世を去った。実質、訃報が巷に流れたのは勤労感謝の日だったが、とにかくあのショックは一生忘れられない。自分自身も病気になってしまったくらい、とにかく肉体的にも精神的にも、本当に衝撃が大きかった。たけ平さんの本の出版記念の「なつかしの歌声」関連ブログが一段落したら、やっぱり自分の胸中に思い出をしまっておくよりかは、何かを書こうかと考えている。とにかく、体調崩して5月末で仕事も辞めたが、何とか体調も戻ったし、12月から何とか再就職が出来たので、新しい仕事が落ち着いたら、少しづつ書いて残そうかと思う。
2012年11月21日
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昭和47年のヒット歌謡曲、というのは私の中ではほとんど今の歌みたいなもんである。「昭和の歌謡曲=SP盤時代の歌」という信念(?)は絶対に揺らぐことはない。昭和35年以前ね。しかし、ここ最近…。いわゆる懐メロブームの時代、東京12チャンネルが「なつかしの歌声」を放送していた時代(昭和43~49年)に新人として活躍していた歌手が、どんどんと鬼籍に入る時代になってしまってきた。そういう方の訃報を聞くたびに、信じられなさと寂しさと、焦りのような、妙な不安を感じてしまう。今年は伊藤エミ・尾崎紀世彦・桑名正博と、まだまだ年齢的には若い人たちの訃報が歌謡界では相次いだ。そして今日、先週の森光子さんの訃報ショックが冷めやらぬうちに、驚きの訃報が飛び込んできた。マスコミへの正式発表は21時過ぎだったようだが、私は夕方に聞いて、また強いショックを受けた。元「ぴんから兄弟」の宮史郎さんが、多臓器不全で今日亡くなられたという。享年69。ついこの間まで、テレビで歌ってたような気がするが…ホントに人の命はあっけない。いわゆる「ド演歌」のイメージは、この歌に集約されているのではないか?と思うほどの、インパクトある歌声で一世を風靡した「女のみち」。戦前~戦中デビューの歌手のような「正しい美声」を愛好する私にとって、あの歌も歌い方も苦手だった。しかし、ここ8年くらい、歌手協会の「歌謡祭」とかで宮さんの歌声を生で何度も聴くチャンスがあって、最初はしょうがなしに(苦笑)色んな歌をたくさん聴いたのだが…。あ~んだけクドかった(不得手だった)歌声が、年齢を重ねたことで渋みを増し、堪らない味が出ていたのに驚いた。言い方を変えれば「声量が落ちた」ということにもなってしまうが、あのバリバリに「がなってた」声が、少しトーンダウンをしたら、非常に魅力的になったと思ったのだ。だから、体調を崩されなければ、もっと味のある歌声になったのではないかと思うと、本当に残念で仕方がない。兄貴のギターがよくネタにされたり(ギターを弾いてるマネをする際に、よく名前が出された)、宮史郎さん自身のルックスが、「おそ松くん」のイヤミに瓜二つで、元はお笑い出身だっただけに、バラエティー出演でも、トークなんかで存在感を発揮していたのが、懐かしく思い出される。確か浜崎あゆみと2人で、ソフトバンクのCMに出ていたのは、つい最近だったようなイメージがあるんだけども…結構前になるのかいな?本当に残念だが、あの世で「ぴんからトリオ」の再結成が出来てしまった。どんな歌でもそうだが、オリジナルシンガーより素晴らしい歌を歌うことは不可能。「女のみち」が、これから他の歌手に歌い継がれることはあるだろうが、おそらく聴けたもんじゃないものになるだろう。それも残念である。宮史郎さんのご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
2012年11月19日
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今朝からの各報道での訃報の大きさに、改めて失った人の偉大さを感じている。昨日は厳しいことを書いたけども、別に森さんの全てを否定している訳じゃないので、そこは何卒ご理解ください(笑)。私の中じゃ、かなり高評価の女優さんなんだから(すげえ上から目線…)。ただねえ…やっぱり舞台「放浪記」が森さんの全て、みたいな報道は、やっぱり違和感を感じる。当人のライフワークだったんだから、仕方ないけど「もっとさ、他の部分も沢山評価しようよ!」って言いたくなる。今日はテレビ朝日「徹子の部屋」と、テレビ東京の「木曜8時のコンサート」が、緊急追悼特別番組を放送していた。おそらく、他の放送局は明日以降に数多く特番を組むことになるんだろう。森さんの稀代の名人芸を思い出してみると…。まず舞台から。昨日から散々書いてる「放浪記」も名人芸の塊だが、個人的には「おもろい女」を挙げたい。…見たと言っても(NHK)テレビの劇場中継でだが、これは本当にインパクトがあった。戦中に大活躍した漫才師、ワカナ・一郎の一代記。ミス・ワカナ役が森さんで、玉松一郎役は今は亡き芦屋雁之助師匠だった。最後の場面、ミス・ワカナはヒロポン中毒から来る急性心不全(?)で、舞台の中央でカッ!と目を見開いたまま、バッタリ倒れて終わるのだが、あの鬼のような無念の形相は、今も忘れられない。次にテレビ。「天国の父ちゃんこんにちは」や「時間ですよ」は、生まれる前の作品なので、いわゆる「懐かしのTV名場面集」のような特集で見ただけ。リアルタイムで、森光子の演技の凄さを、まざまざと見せつけられた最初は、加藤茶・志村けんと3人でのフジテレビのコント特番だった。今でもYouTubeに、動画が幾つか上がっているので是非確認して頂きたいが、「お母さん役」としてのさりげない台詞回しは、もはや神業の域だと思う。ドラマと違って、かなり荒唐無稽な部分が多いのだが(当たり前だ、コントなんだから)、それでも十分「温かい家庭の母親像」を見事に体現していた。最後に司会&歌手として。さっきのテレ東では、「夏祭りにっぽんの歌」にゲスト出演して歌っている映像が数多く流れた。久々に見た、玉置宏先生の姿に胸が一杯だった。森さん思い出の歌として「なつかしの歌声」の映像が比較的多く放送されたのは、とても良かったと思う。戦争中、満州や南方への慰問団に参加した森さん。東海林太郎・藤山一郎・淡谷のり子・林伊佐緒・松平晃・ディックミネ・田端義夫といったお歴々の前歌を経験しているので、歌うのはお手の物。何てったって、昭和16年頃にタイヘイレコードからデビューするはずが、検閲に引っかかってしまって発売禁止になってしまったんだから。…話が逸れたが、司会の話。森さんの司会と言えば、やはりNHKとTBS!NHK毎年夏の特番の「思い出のメロディー」だが、女性の最多司会者が、何と森さんなのだ!昭和51年~53年(第8回~10回)、昭和58年(第15回)と、都合4回。男性のパートナーは全て相川浩アナウンサー。その他にもゲストで出たり、歌手で出たりと、意外に「思い出のメロディー」への貢献度が高い方であった。昭和53年の第10回では・夢路いとし・喜味こいしの両師匠と「道頓堀行進曲」を歌っていたりする。「NHK紅白歌合戦」の司会は3度、TBSの大晦日「日本レコード大賞」では、昭和47年~51年まで何と5年連続で司会!これは凄い!あとリアルタイムで見たものだと、平成5年2月にTBSで生放送された、服部良一先生の追悼特番も森さんが山本ブンさんと共に、司会を務めている。このVTRは手元にあるが、改めて見直してみても、このときのゲスト捌きは見事なもんだった!フジテレビ「3時のあなた」では、緊急で大事件が発生すると、着物のまま(!)報道センターから野間アナと一緒に、事件の詳細を伝えていたもんね…。今の女優には絶対出来ない芸当だよ、こりゃ!とにかく最晩年はどうであれ、これだけのマルチな才能を持った女優は、もう二度と出てこないだろう。失ったものは、途方もなく大きかった。ジャニーズの面々も、黒柳徹子・赤木春恵といった古くからの親友も、深い悲しみに沈んでいるだろう。
2012年11月15日
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19時15分頃、テレビを見てたらニュース速報が。その数分前にも速報が入り、今日の野田総理と安倍総裁の党首討論で「明後日解散します!」と明言したことに伴い、来月4日に公示、16日に投開票決定というニュースだった。だから、その直後の速報も、恐らく国会解散関連の何か…だと思っていたら、驚いた。「女優の森光子さんが死去」…でも、不思議と大きなショックは無かった。しいて言えば「森光子も死ぬんだ、やっぱり」という言葉しか出てこない感じ。しかしながら、月並な言い方で何だが「昭和の終焉」を感じずにはいられない、強い虚無感で一杯である。今年は淡島千景・三崎千恵子・山田五十鈴・津島恵子・馬渕晴子と、一時代を築き上げた日本を代表する女優の訃報が相次ぎ、私もショックが大きかった。そこへ持ってきて、今日のこの訃報。上記の方々もそうだが「生きてて当たり前」「テレビや舞台に出てるのが当たり前」という感じの、最も強い女優さんが、とうとう亡くなってしまったのか…という気持ちが今、心の中から湧き出てくる。で、速報を見て、慌ててインターネットで調べたところ、10日に亡くなっていて、今日家族葬を済ませてからご遺族が東宝に連絡をして、公表されたという。これが私には、かなり意外だった。本心を言わせてもらうと…亡くなった直後にとやかく言うのは、凄~く嫌なヤツと受け取られかねないが、あえて言わせてもらう。この方の最晩年の「強い名誉欲」がとても鼻につく感じがして、非常に嫌だったのだ。自ら意図的に「大女優」という肩書を手に入れようとアピールするような感じが…。文化勲章は別だが、国民栄誉賞を生前に貰うために「森光子=代表作『放浪記』」をアピールしまくり、色々と画策したのでは?と思わずにはいられない言動(特に国民栄誉賞受賞時)に、それまでのいい印象が、全く無になってしまったのだ。昔を知ってる人は「森光子が何で国民栄誉賞なの?」と言ってたんだから。「どこが大女優なんだ?」とまで言ってる人だっていたんだし(苦笑)。私は森さんには、いついつまでも「庶民の大女優」であり続けて欲しかった。東芝日曜劇場の「天国の父ちゃんこんにちは」であり、「時間ですよ」であり、ザ・ドリフターズとコントで見事に爆笑を取り、「3時のあなた」で司会をする…。ご自身のライフワークだった「放浪記」を悪いとは言わないが、それ以外の上記の「作品」ももっと大事にして、いつでも、庶民の側に寄り添っている女優であって欲しかったと、今更ながらに思うのだ。そりゃ勿論、体力的な問題も多々あったとは思うが、文化勲章受章の後あたりから、テレビのドラマ・バラエティや歌番組の司会などから、徐々に距離をとっていった(マスコミも「放浪記」以外のものにあまり触れなくなったし、扱い方も変わった)のが、本当に残念だった。それに、どういう訳だかジャニーズ事務所の面々のご意見番みたいな形になってさ…。変な意見と言う方が大半だろうが、「放浪記」が代表作になってしまったのが、私は残念でならない。一度テレビで舞台中継を見たことあるが、見事な作品だったと本当に思う。お世辞じゃなくてネ。抜擢した菊田先生も凄いし、森さんも勿論凄い。しかしながら、一般大衆が求めている「森光子」は、「放浪記」の中には無かったはずだ。普通の「お母さん」を、あれだけ巧く演れる役者はそうはいない。山岡久乃・京塚昌子・森光子の3人が私の中では最強である。そういう森光子が、私はもっと見たかった。文化勲章を貰おうが、ホームドラマでのお母さんを軽やかに演じ、ドリフとのコントで、躊躇なく頭から水や粉を浴びる「大女優」であって欲しかった。「大女優」という肩書きが本当に欲しかったのなら、「放浪記」に固執せず、庶民が求めている役柄とライフワークだった舞台活動とを、もっと上手く並行していけば良かったんではないだろうか?そうすれば、自らアピールしなくとも「大女優」だと世間は言ったと思うんだけどなあ…。最晩年は舞台作品にこだわりすぎて、森さん最大の魅力だった庶民っぽさ、フランクな感じがどんどんと失われていったような気がしてならない。キツいことを書いたが、私はそれが本当に残念だ。…これでやっと話は戻るのだが(苦笑)、そういう自己顕示欲が強い人だと勝手に思っていたから、お葬式が密葬で、静かに天国に旅立ったというのが、私はとても意外に感じたのだ。出棺のとき、マッチとヒガシ以下、ジャニーズ軍団が棺桶を持ちそうなイメージがあったんでね…。最後は病院で親族の方たちと一緒に過ごして、静かに亡くなった、と訃報にあった。もしかしたら、最後は「一庶民の女優」として、あの世に旅立っていかれたのかもしれない。そう思うと胸が詰まる。享年92。歳に不足はない大往生だが、凄く寂しい。上でケチョンケチョンに書いたけど、本当に寂しい。あれだけ沢山のドラマやコントで、心から楽しませて貰ったんだから…。長い間、本当にお疲れさまでした。心からご冥福をお祈り致します。※しかし、10日が命日というのは、森繁先生と同じ!何か2人の間の因縁めいたものを感じてしまう…。
2012年11月14日
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「第11回輝く日本レコード大賞」(TBS 昭和44年12月31日放送・帝国劇場)とうとう…本当にとうとう、クレージーキャッツは犬塚弘御大が、最後の一人になってしまった。今日の昼過ぎに知った、本当に残念な訃報。ハナ肇とクレージーキャッツの名ピアニストである、桜井センリさんが、一昨日亡くなっていたという。享年86。一人暮らしだったそうな。確か…奥様がいた筈なのだが…一人暮らしだったってことは、先立たれていたのだろうか。とにもかくにも、残念でならない。上記の写真は、おそらくVTRで残るクレージーの最古のカラー映像である、昭和44年12月31日の帝国劇場のステージ。底抜けに明るく、楽しい7人のやり取りを見ていると、7人中6人が故人になったということが信じられず、胸が潰れる思いがする…。小柄な体格で、石橋エータロー御大と共にクレージーの名女形として大活躍。ピアノの腕も超一流。おまけに金鳥の殺虫剤のCMで「ルーチョンキ」というフレーズを大流行させたという功績もある。クレージーキャッツのスパイスとして、かけがえのない大きな大きな存在であった。一昨年、谷啓御大が亡くなったとき、このブログで「クレージーは今日、終焉を迎えた」と書いた。しかしながら「生き残っているメンバーがいる限り、クレージーに終焉はない!!」という気持ちの方が、今になって思やあ、強かったと思う。でも…今日は流石に「終焉を迎えた」と思った。犬塚御大には申し訳ないが、心底そう思った。だって「クレージーキャット」になったんだもの(涙)。ネットで犬塚御大のコメントを見たが、犬塚御大も「体調不良」とのこと…。83歳だから、仕方ない部分もあるのかもしれないが、これまた強いショックを受けてしまった。でも、クレージーの7人が伝説になるのは、まだ早い!もう少し、生き証人としてお元気でいて頂きたい。桜井センリ御大のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。
2012年11月12日
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またブランクが空いてしまってすみません。再就職活動に本腰を入れ出したら、このブログが疎かになってしまいまして…。ちなみに、今のところいい結果はありません(笑)!年内には必ずや再就職を!と思ってます…。林家たけ平著「よみがえる歌声」、ワイズ出版より2,800円で好評発売中! この本を買わずして、戦前・戦中・戦後、SP盤時代の流行歌を語るべからず!大きい本屋じゃ平積みよ!…ひらづみ…平泉成。さて、昭和44年12月31日の東京12チャンネル「なつかしの歌声・年忘れ大行進」の裏エピソード!…とはいっても、結構知られてる話かもしれない…。 とにかくまず、当日の出演者を列記しておく。赤坂小梅、淡谷のり子、池真理子、市丸、伊藤久男、近江俊郎、岡晴夫、岡本敦郎、音丸、小畑実、織井茂子、(神楽坂はん子)、菊池章子、霧島昇、久保幸江、小唄勝太郎、コロムビア・ローズ(初代)、塩まさる、東海林太郎、菅原都々子、高田浩吉、竹山逸郎、ディック・ミネ、並木路子、奈良光枝、灰田勝彦、服部富子、林伊佐緒、平野愛子、藤山一郎、藤原亮子、二葉あき子、松島詩子、美ち奴、渡辺はま子(五十音順)若干の欠落メンバー(田端義夫など)はいるものの、当時現役で歌えるベテラン歌手は、ほぼ全員出演!と言っていい最強の顔ぶれである。ちなみに、神楽坂はん子が大晦日初出演だったのだが、当日は流感(現インフルエンザ)で高熱が下がらず、欠場しているので、34人の出演ということになった。とはいえ、前年の19人から比べたら大幅な増員であることに変わりはない。放送時間も1時間拡大で「紅白」よりも長い放送時間だった訳だし。余談だが、この大晦日は、風邪&流感がもんのすごく流行っていたようで、出演陣でも小唄勝太郎・美ち奴・服部富子・奈良光枝の4人が風邪で、喉がすご~く不調でボロボロだった。それは置いといて、とにかく当時の最強の布陣を揃えた12チャンネル。NHKとTBSに真っ向勝負を挑むべく、とにかく気合を入れまくった。それは!何と!!「開局初のカラー生中継放送」をするこの番組用に、カラーテレビ用の中継車を局は買ったのである(笑)!スポーツでもなきゃ報道でもない、「なつかしの歌声」のためにまず中継車を揃えたというところに、凄い気合の入り方を感じる。そして、もう一つ、当時高額だった2インチVTRにこの生放送を録画して、後世に残したのである!そのおかげで「昭和歌謡大全集」から、現在まで続く「懐かしの昭和メロディ」まで、この大晦日の映像はバカスカ使われることになったのだ(笑)。本日はここまで!続きはまた次回!
2012年11月09日
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不整脈による心肺停止で、闘病~リハビリを続けていた高田文夫先生が、今日から正式にニッポン放送の「ビバリー昼ズ」に復帰した。4月11日以来、実に7ヶ月ぶりの登場。第一声が「あっどうも、藤本義一です」だったのは、流石としか言いようがない(笑)。ビバリスト特有のヨイショっぽく聞こえるかもしれないけど…。安堵の涙と、安堵の爆笑が同時に出るという稀有な体験をしたよ、私ゃ(笑)。少し声が弱くなったかな?と思う感じもあったが、ここまでの回復は、本当に奇跡としか思えない。三途の川の手前から追い返してくれた、談志家元と森田芳光監督に感謝である(笑)。いつも通りの鮮やかなトークとバカ話に、久しぶりの「東京の下らない会話」を聞いた気がした。今日は「お帰りなさいスペシャル」みたいな感じで、松本明子・松村邦洋・水道橋博士の3人が話を聞き、リスナーや関係者からのメール・FAXを紹介する内容だった。想像を絶する…「よく助かったな!」と思わずにはいられないほどの闘病体験は、思わずこちらが絶句するほどの、過酷なものだったことを初めて知った。「病院の屋上から、パスタ屋に財布を持って小走りに入っていく人を見て、ああいう人になりたいと心から思った」という言葉が、特に強く印象に残った。桃太郎師匠や、オフィスM’sの加藤さんなど、落語関係の知り合い・友人らと話をする際、この半年いつも「高田先生はどうなの?」という話ばっかりだったから…。とにかく落語界にとっても、高田先生の復帰は本当におめでたい。あれだけ普通に話せれば、近いうちに全曜日復帰も出来るだろう。その日が今から楽しみ楽しみ。…そうそう、中止になってた「桃太郎ナイトクラブ」が来年の2月22日(私の誕生日…)に人形町で改めて開催されることになったので、それにも是非お出でになって頂ければ嬉しい。桃太郎師匠の歌と私の司会を聞いて、また体調がおかしくなってしまわないよう(苦笑)、今から台本をもう一度練らなくちゃ。改めて、復帰おめでとうございます!
2012年11月05日
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一週間のブランクが空いてしまってすみません。林家たけ平著「よみがえる歌声」、ワイズ出版より2,800円で好評発売中! この本を買わずして、戦前・戦中・戦後、SP盤時代の流行歌を語るべからず!いいから買うのだ、皆の衆!昭和44年12月31日は、日本を代表する3大歌謡番組が初めて揃い踏みをした大晦日として知られている。NHKは、記念すべき「第20回NHK紅白歌合戦」を日比谷の東京宝塚劇場から生中継(21時~23時45分)。総合司会は宮田輝アナウンサー、白組司会が坂本九、紅組司会は伊東ゆかり。TBSは、前年まで12月下旬の昼間に放送していた「第11回日本レコード大賞」を、初のカラー生中継で帝国劇場から放送(19時~20時56分)。前年までの司会は三木鮎郎だったが、この年から「ミスターレコ大」こと高橋圭三が司会になった。いわゆる観客として招かれているゲストが凄い!VTRで判明している人だけでも…。桂文樂、柳家小さん、三遊亭歌奴(現圓歌)、桂文平(現柳亭左樂)、林家三平などなど…。フジテレビは歌謡特番「さよなら1969年世紀の祭典」を有楽町・日本劇場から生中継(19時~20時56分)。紅白の選に漏れた歌手(GSとか)の出演があったと思われる。さあ!そして!我らが…って言っていいのか?こういう場合は(笑)。東京12チャンネルは、前年まで共立講堂からだった「なつかしの歌声」の特番を「年忘れ大行進」と銘打ちグレードアップ!19時~21時56分までの3時間に放送時間を拡大し(当時で3時間というのは、異例の長さ)、会場も歌舞伎座に移動、そして何より「12チャンネル初のカラー生中継」で放送した。司会は勿論トップ・ライト。上記の番組のうち、「世紀の祭典」は何故か大した評価が現在までないが(VTRも残ってなさそう?)、残りの番組の「三つ巴の争い」は、そりゃ凄かった…んじゃないかと、私は勝手に思う(笑)。ここから3年間の大晦日は、日比谷~木挽町までに日本中のスター歌手が集結していたことになる!もし銀座に爆弾が落っこったら、日本の芸能界が壊滅していたかもしれないというほどの…(笑)。手元に当時の「週間TVガイド」の記事があるのだが、これがまた凄いので、引用をさせていただく。大体、記事のタイトルからして凄い。『「紅白歌合戦」に対抗する「なつかしの歌声」スターの挑戦状』サブ見出しが「12月31日 年忘れ大行進に勢揃いする意気と情熱」!これは凄い。前年の第1回特番が、民放最高の視聴率を上げて、ますますもって「なつかしの歌声」の特別番組の制作に力を入れた東京12チャンネル。記事は、こういう書き出しで始まっている。「大晦日といえば『紅白歌合戦』ときまっていた相場が、ことしは一波乱ありそうだ。まずレコード大賞の発表が大晦日。ついでカラーナマ中継で送る『なつかしの歌声』版紅白歌合戦が、堂々と名のりをあげたのだ。<ちかごろの若い連中はなってない>と意気盛んなベテランたちの、当たるべからざるこの発言に耳を傾けて、本番を待とう。」(原文ママ)「年忘れ大行進」は、どのような内容で若手の歌手に挑んだのか?この特番に賭けたベテラン勢の心意気は?とにもかくにも、次回に続く!乞うご期待!
2012年11月03日
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