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林家たけ平著「よみがえる歌声」、ワイズ出版より2,800円で好評発売中! この本を買わずして、戦前・戦中・戦後、SP盤時代の流行歌を語るべからず!神保町のらくごカフェでも売っているので、よろしくよろしく。昭和44年8月2日のNHK「思い出のメロディー」男性ベテラン歌手出演拒否騒動の顛末!NHKが出演依頼を一括で依頼という、あまりの失礼な態度に激怒したベテラン勢。依頼の仕方の酷さというのは、ギャランティの額とも比例していたようで…またまた東海林先生の話。「批判したくなりますね。われわれに対するNHKの出演料は民放の5分の1か6分の1。金のことをいいたくはないが、あまりにひどいでしょう。レコードの売れる歌手には金を積んで昔のベテランにシワ寄せする。これが大NHKのすることでしょうか。番組の作り方にしてもアチャラカはひかえて、NHKは堂々とオーソドックスで行くべきです」(原文ママ)怒りが「思い出のメロディー」だけじゃないところまでいっちゃってる気もしないでもないが…(苦笑)。とにかく、12チャンネルに対する義理立て、そしてベテラン勢に対するNHKの無礼さ、ギャラの低さ、怒りが収まらないのはよく理解できる。逆に、出演したサイドの意見。ベテラン勢で出演した数少ないお一人、霧島昇先生の談話。「今度の出演については、6月頃から漠然と耳に入っていました。NHKは歌手協会に出演を依頼したので、ぼくも協会から聞いたんですよ。ぼくたちの仕事は旅が多いので、出られなかった人があるのはやむを得ませんね。東海林さん、ミネさん、灰田さんに比べると、ぼくは大正生まれで若輩なんですが、昔の歌手はいわゆる美声でないと全然だめでした。しかし、歌い方ということでは、今の若い人たちはなかなかうまいですね」(原文ママ)…優しいな~…っつうか、結構甘いなあ(苦笑)。大滝てる子さんの意見が聞いてみたい(笑)。まあ、霧島先生は12チャンネルを裏切った訳じゃ全くなく、単に依頼があったから出ただけというスタンスだったんだろうけど。(当時の)若い歌手に対しての、東海林先生の意見。「ステージでうたうのはむしろ末端のことで、大切なのはそれ以前の人間としての心構えだ。歌は、その歌手の理解した以上のものはうたえない。だから人生を経験し、勉強し、高尚な趣味を持て。そして技術的には、発声のごまかしがあってはならない」(原文ママ)こりゃ厳しい!厳しすぎる!だからこそ、東海林太郎先生の歌声は、今もなお胸を打ち、嵐のような感動を巻き起こすことが出来るのだろうが…。よく「後年の歌声は衰えててどうの…」とかいう意見もあるが(これが原因で6~7年くらい前にネット上で大喧嘩になった…)、私は若いときの美声も結構だが、後年の昭和40年代の歌声こそいわゆる「東海林節の真骨頂」だと思っている。話が逸れたが、このときのNHKは流石に猛省をしたのだろう。翌年はキチンと直接出演交渉をして、東海林・伊藤・灰田といった面々は出演している。第2回「思い出のメロディー」は、当時開催中の日本万国博覧会の協賛番組として、万博ホールから生中継されたので、どうしてもベテラン総登場をさせたかったという、NHKの思いもあった…と私は推察するが…どうなんだろう?ところが、ディック・ミネ御大だけが、NHKが嫌いで出演を蹴ったという…(苦笑)。このことはまた追って書きましょう。次回は話を少し戻して、昭和44年大晦日、初めてカラー生中継された「年忘れ大行進」の裏話を。…とはいっても、すご~く断片的なことですが…。あまり期待しないで、ご期待下さい(苦笑)。
2012年10月27日
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林家たけ平著「よみがえる歌声」、ワイズ出版より2,800円で好評発売中! この本を買わずして、戦前・戦中・戦後、SP盤時代の流行歌を語るべからず!さあ買った、買った、買った!昭和44年8月2日のNHK「思い出のメロディー」男性ベテラン歌手出演拒否騒動の顛末!NHKの出演依頼の仕方の無礼さだけが、出演拒否の理由ではなかった!むしろ大きな理由はこちらかも…。昨日に引き続き、東海林太郎先生の当時の談話。「ご存知のように、去年から東京12チャンネルがわれわれを熱心にあつめて『なつかしの歌声』という番組をやっています。去年の大みそかにも、NHKの紅白のウラ番組として生中継しました。非常に一生懸命で、それなりの視聴率もあげているんです。NHKが今になって急に民放のマネをすることはないじゃありませんか」(原文ママ)つまるところ、今日の懐メロブームをつくったのは「なつかしの歌声」であって、その功績の横取りを企むNHKには協力したくない!というこった。現にこの記事には、伊藤久男の協力拒否の理由が「12チャンネルをいじめるNHKはおとなげない」というふうに書いてある!ちょうどこの時期あたりが、「なつかしの歌声」のレギュラー放送の絶頂期だったとも言える。平均視聴率は10%~13%、これは同時間帯の民放(関東)でトップの視聴率を取っていたという、文字通り12チャンネルの人気番組だった。放送時間枠が毎週火曜日の21時半という、現在の「なんでも鑑定団」の枠だったので、オヤジたちが一杯飲みながら、家族と一緒に観るというのにベストの時間帯だったことも、高視聴率の理由の一つだったとも思われる。この番組のおかげで、戦前~戦後デビューの歌手は往年の人気を取り戻し、キャバレーのショーやら地方公演などのギャランティが、相当跳ね上がったという事実がある訳で…。ベテラン歌手は全員「足を向けて寝られない」というくらいの感謝を、12チャンネルの方々にしていたという話もある。その人気を横取りしようとして、類似番組を始めるNHKなんざ許せん!という、諸先生方の気持ちはよ~く解る(笑)。「なつかしの歌声」プロデューサーで、たけ平さんの本の鼎談にもご登場されている三枝孝栄氏の、当時の談話もここにあるので、載せておく。「ベテラン歌手のみなさんは、NHKが公共放送だからと長い間協力を惜しまなかったのに、時流に乗らなくなると冷たくあしらわれたんでしょう。今度の場合は交渉の方法が失礼だったと聞いています。客観的に見ても、NHKがいきなり”なつメロ”番組をやるというのはおかしな話です。NHKにはラジオの『なつかしのメロディー』があったといっても、テレビの”なつメロ”はうちが本家ですからね。ベテランの東海林さんたちが、うちの番組を盛り立ててくださるのは、ありがたいことです」(原文ママ)たけ平さんの本にも、このときの某女性ベテラン歌手のエピソードが、三枝さんの口から語られているので、是非お読み頂きたい。私でさえ、初めて聞いた話だったから…。女性ベテラン歌手も、12チャンネルに申し訳ないという思いで出演した人が殆どだったかも…私は勝手に思っている。さて、この続きはまた次回ということで…。
2012年10月25日
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林家たけ平著「よみがえる歌声」、ワイズ出版より2,800円で好評発売中! この本を買わずして、戦前・戦中・戦後、SP盤時代の流行歌を語るべからず!さあ買え!買うんだジョー!現在も「夏の紅白」の異名を取る、NHKの恒例番組「思い出のメロディー」の第1回で、男性歌手多数が出場を蹴った話の続きである。「ベテラン歌手の総登場」を謳い、当時としては珍しくNHKは前宣伝にも力を入れていただけに、欠落者の多いこの第1回は、視聴者の期待を完全に裏切ったといえる。何故に男性ベテラン陣は出場を蹴ったのか? 第1の理由、それはNHKの出演依頼の横柄さにあったというのだ。 NHK発表によると、主な歌手の欠場理由は以下の通り。東海林太郎…「病気で出られない」伊藤久男… 「1月の初めに約束した仕事が 8月2日に入っていて無理」ディック・ミネ… 「東南アジアへ旅行」灰田勝彦… 「スケジュール調整が無理」ところが、これはNHKに出たくないがための言い訳(後付け?)だったらしいのだ。その上、上記の断りは「一旦承諾したあとに断る」という前代未聞の断り方。そのうえ、東海林先生は別に病気でも何でもなく、44年の6月に手術をしたものの、至って普通の体調だったということが判明!東海林太郎先生の、このときのインタビュー記事をここに書いておく。「私はこの通り元気ですよ。病気などと言われて憤慨しているんです。6月にまた腹を切る手術をしましたが、毎日の発声練習は欠かしていません。お陰さまで仕事も忙しくやっております。地方が多いのですが、『思い出のメロディー』があった8月2日は東京にいましたよ。」「ぼくはあれに出なくてよかった。つくづくそう思いましたね。たとえば霧島昇君のあとに、突然森進一が出て来るなんていうのはブチこわしだなあ。”思い出の歌声”ではなく『思い出のメロディー』だから、他人の歌を勝手にうたってもいいのかもいいのかも知れませんがね。それに何ですか、飛行服を着たり、軍刀ぶらさげたり、ああいうコッケイな茶番はやめたほうがいい。歌手は歌だけを大切にして、それを最もよい状態できいてもらえばいいんじゃないでしょうか?」(原文ママ)あの東海林太郎先生が、これだけ言っちゃうのだから、相当な怒りぶりが伺える。これだけ怒らせた原因が、NHKの出演依頼の仕方!以下は当時の東海林先生のマネジャーの話。「NHKでは、東海林先生が会長をなさっている歌手協会へ電話で”何月何日にこれこれの歌手を出演させてほしいからよろしく”といって来たんです。事務員がその電話を受けただけで、先生方がみな承知するとでも思ったんでしょうか。スケジュールも問合せず、ひとまとめに頼むなんて失礼ですよ。こういうNHKの態度に屈しないサムライが何人かいると思いましたが、やはりいましたねえ。”あの内容では出なくてよかった”というファンからの手紙も、沢山来てるんです」(原文ママ)つまり「ベテラン歌手に対するお願いの仕方・礼儀が全くなってない!」ということなのだ。本当に出て欲しかったら、一人一人に「何月何日に生放送で特番やるので、スケジュールが空いていたらご出演お願い出来ますでしょうか?」と頼んだら、ここまでにはならなかったんじゃなかろうか?藤山先生はNHKの準専属だから、出演蹴るわけにはいかなかっただろうし、霧島・小畑・岡本の3人は、蹴れない性格(!?)だったんだろう、多分(笑)。まあ、それでもベテラン勢は出なかったかもしれない。それは、もう一つのボイコット理由があったから…。続きはまた次回!う~ん、実に惜しい切れ場(笑)!
2012年10月24日
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林家たけ平著「よみがえる歌声」、ワイズ出版より2,800円で好評発売中! この本を買わずして、戦前・戦中・戦後、SP盤時代の流行歌を語るべからず!…いいから買えっつってんだろ!バカ野郎!(↑『アウトレイジビヨンド』公開記念)…いくらなんでも失礼すぎるな、これは(笑)。とにかく本題に。今日からのエピソードは、当時の週刊誌に載ってたゴシップネタ。結構長いから、とてもじゃないが1回で書ききれない(笑)!懐メロマニアには比較的有名な話ではあるのだが、結構知らない人も多いみたいなんで、当時の記事を参考に書いていきたいと思う。昭和44年に入っても「なつかしの歌声」の視聴率は衰え知らずで、好調を続けていた。そこに目を付けたのが、NHKである。昭和30年代後半から「もうそろそろ、若い歌手にバトンを…」ってなもんで、戦前~戦中デビューの歌手を「紅白歌合戦」から切り捨てたNHK。そんな恩知らずな行為をしたことも忘れて(笑)、12チャンネルに対抗すべく、ベテラン歌手を集めた真夏の大型歌謡番組を企画した。それが現在まで続く「思い出のメロディー」!第1回は、昭和44年8月2日に渋谷公会堂から公開生中継された。司会は宮田輝アナウンサー。NHKはVTRを録画して残しておらず、今から20年くらい前、宮田アナが自宅で録画していた白黒VTRが発見され、「思い出のメロディー」の第25回と第40回で、その一部が放送された。「NHKアーカイブス」で現在、全編が視聴可能のはずである。ちなみに私は未見です(苦笑)。ところが、鳴り物入りで始まったこの大番組は、多くの男性ベテラン歌手を激怒させてしまい、出演拒否という事態になってしまったのだ!出演者は以下の通り。まずは男性。藤山一郎、霧島昇、高田浩吉、岡本敦郎、小畑実、春日八郎、三橋美智也、村田英雄、フランク永井、若山彰、藤島桓夫、北島三郎、森進一、鶴岡雅義と東京ロマンチカ、ダーク・ダックス、デューク・エイセス。女性陣は以下の通り。淡谷のり子、小唄勝太郎、市丸、渡辺はま子、二葉あき子、菊池章子、並木路子、菅原都々子、織井茂子、久保幸江、神楽坂はん子、荒井恵子、美空ひばり、都はるみ、ザ・ヴァイオレッツそして森繁久彌、フランキー堺、伴淳三郎、北沢彪、阿里道子という方々がゲスト出演をしている。確かにゲストは豪華だけど、この出演者を見る限り、現在の目で見ても、当時の視聴者のガッカリ感が窺える(笑)。女性陣はお馴染みのメンバーを揃えているが、男性陣の欠落ぶりが半端じゃない(笑)。東海林太郎、ディック・ミネ、伊藤久男、灰田勝彦、林伊佐緒、岡晴夫、田端義夫、近江俊郎という人が出ないで、当時の「紅白」常連組が多数出ている。おまけに「思い出のメロディー」だっつってんのに、フィナーレは森進一の「港町ブルース」!新曲じゃん、当時の(苦笑)!今だったらAKBがトリ取るみたいなもんだよ。これには視聴者も腹が立ったらしく、放送が始まったとたんにNHKの電話が鳴りっぱなしになって…「なぜ東海林太郎が出ないのか?」「灰田さんの『燦めく星座』が聴きたかった」…というような文句が殺到したらしい(笑)。何で男性ベテラン陣は怒ってしまったのか?第1の理由、それはNHKの出演依頼の横柄さにあったというのだ。以下は次回に続きます。乞うご期待!
2012年10月23日
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たけ平さんの本の宣伝は、ちょいと今回はお休み。たまには、時事ネタ&過激ネタ書かないと、何となく色々な感覚が鈍りそうなので…。その1・前代未聞!鬼畜の所業!尼崎連続変死事件とにかく、ワイドショーなんかで説明を聞いても、事件の全貌が全くと言っていいほど判らない!これだけ大量の人を殺め、赤の他人の家までをも崩壊させ、金をふんだくった角田美代子という女、正真正銘の鬼畜としか言いようがない。…まあ、予想通り「日本人」じゃなさそうだけど、この角田は。だって「戸籍上のいとこ」の苗字が「李」なんだから。この事件の加害者周囲も、おそらく「ざ○にち」が大半なんだろうよ。日本人だって、過去に残虐な事件を起こした奴は多々いるだろうが、ここまでの酷さは、ちょっと聞いたことのないレベルだからね…。「人の家に勝手に乗り込んで、平気で殺戮」っての、竹島不法占拠と同じ図式だと思うのは、私だけ?規模が国レベル・島レベルになっただけで。まあ、事件の全容が解明したら、首謀者以下全員死刑でお願いします。その2・フランスの人気司会者、日本を揶揄これは、あくまで私個人の定義だが…。「ブラックジョーク」は「テレビではこの線まで」「舞台ではこの線まで」というのがあると思う。この人気司会者のジョークは「サッカーの川島選手のGKが鉄壁だったのは、福島の原発事故で放射能を浴びて、手が4本の奇形人間になったからだ」というニュアンスのジョーク(&合成写真)でしょ?これがフランスの小劇場の舞台だとか、日本で言う寄席の高座で言ったというのなら、腹は立つけど、何となく「仕方ないか…」という気になる、私は。しかし、よりによって国営放送のテレビの生放送で言うというのは、状況判断の出来ぬ馬鹿であると言い切って構わないだろう。今の世の中、YouTubeもあるし、すぐに日本中に伝わるって分かって言ったんだろうか…おそらく「日本人なんか、馬鹿だから怒りゃしねえよ」と、タカぁくくって言ったんだろうけど。それより何より、根本のこのブラックジョークが、「ブラックジョークとしてレベルが低すぎる」のは如何なもんだろうか?それでウケてるフランス人も、笑いのセンスがなく、オツムも足りないウスラトンカチなんだろう(笑)。川島選手が抗議して、日本政府も抗議して、仏政府とテレビ局は謝罪したというが、当の司会者は懲りずに「津波がどうの…」と、また何か言ったらしい。今更後に引けないんだろう…毒舌キャラの司会者と聞いてるから。そりゃ素直に謝れないわな。それにしても、フランスにゃ、すぐ強く抗議するのに、支那や朝鮮には強く抗議しないのは何故?そんなに気を遣って、何かメリットがあるんだったら教えて欲しい。三国人に恩を仇で返されてばかりなのに、何も強く言わない(言えない)政府とマスコミは、ホントに頭がおかしいと思う今日この頃…。その3・高田文夫先生、半年ぶりに復帰最後はお笑いファン、寄席ファン、落語ファンにとってお目出度い話題で。4月11日に自宅で倒れ、休養&リハビリを続けていた高田文夫先生が、昨日の「ラジオビバリー昼ズ」で、半年ぶりに(電話だけど)生出演!倒れてから2週間意識不明で、ICUに入っていた(病院の)日数記録を更新したとか…。シャレでも何でもなく、生死の境をさ迷い続けたほど重篤な状況だったことを、昨日初めて知った。とにかく、お元気になられて良かったと心底思う。談志家元、志ん朝師匠、圓楽師匠、森田芳光、景山民夫、小野ヤスシというお歴々辺りが、逝きかけた高田先生を、三途の川の手前で追い返してくれたんだろう(笑)。11月から、まずは月・金と週2回で復帰とのこと。私は野球を全く知らないので、出来れば早いうちに木曜日への復帰を望みたい(笑)。清水ミチコとのコンビは、現代のラジオ界において最強のタッグだと思っているので(笑)。
2012年10月20日
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林家たけ平著「よみがえる歌声」、ワイズ出版より2,800円で好評発売中!この本を買わずして、戦前・戦中・戦後、SP盤時代の流行歌を語るべからず!買ってくるぞと勇ましく!昭和43年12月31日は、「なつかしの歌声」レギュラー放送日の火曜日だったため、生中継の公開特別番組を神田共立講堂から放送した。翌年から「年忘れ大行進」というサブタイトルが付き、現在の「年忘れにっぽんの歌」に続いていく訳だが、このときは「なつかしの歌声大会」と、何とな~く地味なタイトルだった(笑)。モノクロ放送だし。放送時間は20時~21時56分まで。今の大晦日から比べると、非常に短時間番組だが、この特番が「懐メロブーム」に拍車をかけたことはまぎれもない事実のようである。↑VTRは残念ながら残っていないようで、このようにスチールしかない。ちなみに、これはフィナーレ場面。詳しい裏話は、たけ平さんの本に書いてあるので、今日はそこに載っていない裏エピソードを。「なつかしの歌声」は、後年はフォーマットが崩れたが、レギュラー放送の基本形は「出演者が4人で2曲づつ、計8曲歌う」というものだった。だから、いくら往年の歌手に再び脚光が…とはいえ、昭和43年の4月に番組が始まってから、お歴々が一堂に会するということはなかったわけである。この第1回目の大晦日特番が、初めてベテラン勢がほぼ全員、顔を合わせた機会になった。これも、水谷先生や松島先生の御子息から聞いた話だが、楽屋で久しぶりに会う人たちが続出し、ある意味「同窓会」のような雰囲気になったという。昔は不仲だった人もいただろうが、そういうのを越えて、一致団結して「紅白歌合戦」に真っ向から勝負を挑もう!みたいなノリになったのだろうと私は推察する(笑)。第1回目は、放送時間が2時間しかなかったので、結構欠落メンバーが多い。松島先生の御子息も「第1回はオフクロ出てないよ」と言っていた。松島先生の他にも、市丸・赤坂小梅・高田浩吉・近江俊郎・田端義夫・池真理子・岡本敦郎・奈良光枝など、のちの大晦日の主要メンバーが出てなかったりする。しかしながら、この特番は「紅白歌合戦」の真裏で11%の視聴率を取ってしまったのである!…つくづく、VTRが残ってないのが惜しい。次回は、翌年に放送が始まったNHKの夏の特番「思い出のメロディー」との確執を書きましょう。
2012年10月18日
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林家たけ平著「よみがえる歌声」、ワイズ出版より2,800円で好評発売中! この本を買わずして、戦前・戦中・戦後、SP盤時代の流行歌を語るべからず!買わねえ豚はただの豚だ!昭和40年9月から41年1月まで、東京12チャンネルで放送されたのが、芥川隆行司会の「歌謡百年」。オリジナル歌手歌唱による懐かしい歌を、当時の世相と共に紹介していくというコンセプトの番組だったと聞いている。その番組から「世相紹介部分」をカットして、純粋な歌番組としてリニューアルさせたのが、例の大番組「なつかしの歌声」ということになる。たけ平さんも私も、この番組のVTRを見なかったら、今日昭和歌謡マニアをやっていないと言い切れる程、若い人にまで影響力のあった番組と言える。さて、昨日は東海林太郎先生の話に特化したので、今日は「なつかしの歌声」放送当時の、知られざるエピソードを書こうと思う。SPレコード盤の知識や収集に関してだったら、私はまずマニアとは言えない。SP盤を集めてはいるけど。しかし、12チャンネルの「なつかしの歌声」なら、自惚れで言うわけではないが、資料収集及び知識で、私は日本で3本の指には入るだろう。そんなに「なつかしの歌声」に入れ込んでる人がいないからね、懐メロファンの中に(爆笑)。私が知る限り、東京に私、埼玉にお一人、兵庫県の淡路島にお一人、九州(宮崎?)にお一人…と、この番組のマニアは、全国に4人だけ…(苦笑)。あとは、たけ平さんと、私のグループのメンバーぐらいだから、かなり多く見積もっても、全国に100人いるかしら?ファンが。マクラが長くなった、そろそろ本題、本題…。残念ながら昨年2月、マスコミに公表しないでお亡くなりになってしまった方から聞いた話。その方とは、私の歌謡曲マニアのお師匠さんで、作曲家で指揮者の水谷良一先生。「なつかしの歌声」で毎週タクトを振っていた、水原弘に少し似た、二枚目のあの先生だ。↑顔が見えないが、この左端のタクトを振ってる方。この先生とは中野坂上の「艶歌」で、松島詩子先生の御子息と共に、なかなか聞けぬこの番組の貴重な話を山ほど話してくださった。その中から、ここに書けそうなものを2つほど。エピソード1・伊藤久男の譜面は綺麗いつも頭がボサボサで、衣装に無頓着だったと聞く伊藤久男御大。しかしながら、いつも持ってくる歌の譜面は綺麗だったという。東海林・藤山の二人ならイメージ通り、という感じがあるが、やはり伊藤御大もプロだった。まあ当たり前か、こういうことは。エピソード2・どういう訳かカメラ目線これは松島詩子先生の御子息の指摘で、初めて我々グループが気づき、大爆笑になった話。水谷先生は、この番組が白黒放送だった時代は、歌手の人が歌っていても、バンドの方を向いて指揮をしていた。まあ、指揮者なんだからね。ところが、この番組が昭和45年4月にカラーの放送になった途端、カメラ目線で指揮するようになったというのだ(笑)。大晦日の歌舞伎座では、さほどしてないのだが、レギュラー放送の映像を改めて観ると、これがホントにカメラ目線で指揮をしていた(笑)。勿論、ずっとじゃなく歌手の歌い出しのところで「ここからですよ!」という感じで向くことが大半なのだが、どういう訳か、最初から最後までず~っとカメラ目線のVTRも幾つか残っていて、思わず爆笑。テレ東「昭和歌謡大全集」の映像をお持ちの方、暇なときに確認してみて下さい(笑)。…次回は大晦日特番「年忘れ大行進」のお話を幾つか書いてみましょうか。
2012年10月16日
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林家たけ平著「よみがえる歌声」、ワイズ出版より2,800円で好評発売中!この本を買わずして、戦前・戦中・戦後、SP盤時代の流行歌を語るべからず!天が許しません!てな訳で、本の売り上げが少しでも伸びるよう(笑)、昭和の大歌手のエピソードを、今日からシリーズで書いていきたいと思いますので、宜しくどうぞ。この本でいちばん、様々な歌手の方の思い出に残り、写真の量もダントツナンバーワンなのが、この方!初代日本歌手協会会長、我らが東海林太郎先生!色々な歌手の方の思い出の中に、今もなお生き続ける、本当に偉大な歌手であらせられる。デビュー時~戦後のエピソードは、あちこちで語られ、ドラマなんかにもなったから、結構ご存知の方も多いだろうと思う。そこで、空前の懐メロブームを東海林先生が巻き起した切っ掛けのエピソードが好きなので、これを書く。…リクエストもあったので(笑)。ただ、これからの話は、かなりいい加減な記憶で書くので、間違いがかなりあると思います。そこは、どうかご容赦ください!昭和35年に「ゼネラルレコード」という会社で新譜を吹き込みして以来、東海林先生は全く新曲の吹き込みが無く、完全に「過去の人」扱いになってしまっていた。勿論、東海林先生だけでなく、戦前~戦中派の方々はこの時期は(30年代後半)全員仕事がなくなって、非常にキツイ時期だったと聞いている。松島詩子先生の御子息からも、霧島昇・松原操夫妻のお嬢さま、二代目松原操さんからも、そういう話を聞いているので、間違いないだろう。そういう方たちが、どうして人気が復活したか?それはひとえに、東海林先生の力であると言える。昭和39年頃、高度経済成長真っただ中で、日本中イケイケドンドンだった時代。キングレコードのディレクターが、あるキャバレーに行ったところ、東海林先生が舞台に出てきた。勿論過去の人扱いだから、もしかしたら舞台裏ではいい加減な扱いだったのかもしれない…。今でもそうなんだろうが、キャバレーに来る客はホステスと酒飲んで喋って、あちこち触るのが目的で(笑)来ているので、舞台の歌なんぞ聴く訳がない!…と、そのディレクターは思ったらしい。ところが、1曲目の「国境の町」が始まった途端、客席のオヤジたちは静まり返って、東海林先生の歌を聴き出したという。酒も飲まず、ホステスにも触らず。そして「麦と兵隊」が始まったら、オヤジたちは全員泣き出したらしい!当時の40代~50代の人は、ほぼ全員が兵隊の経験がある人ばっかり。そりゃあ泣くでしょ。ショーが終わったら万雷の拍手で、オヤジたちは東海林先生にお礼を言って、握手を求めたとか。それを見ていて、これだ~!ということになり、昭和40年6月21日、ステレオで往年のヒット曲を吹き込み直し(それもスタジオじゃなく公会堂を借り切って吹き込み)をした。このLPが10月に発売されたところ、何と当時のLP売り上げ新記録(20万枚)を樹立!そして11月3日、流行歌手として初めて紫綬褒章を授賞し、大晦日には「第16回NHK紅白歌合戦」に9年ぶりにカムバックを果たした。この話と、東京12チャンネルが「歌謡百年」という歌番組を始めたことが重なって、懐メロブームが「空前レベル」で巻き起こったということである。…続きは次回に致しましょう、長くなるから(笑)。
2012年10月15日
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戦後の落語黄金時代を肌で知る師匠が、また一人、冥土の名人会に呼ばれてしまった。「武蔵名物」の出囃子に乗って、独特のアクションで高座に出てくるあの姿を、もう二度と生で見ることはできなくなった。今日の昼過ぎ、私の携帯に落語関係者から電話が。「まだマスコミに正式発表はしてないんですけど、圓菊師匠が今日亡くなられました…」ここ4年ほどは、もう高座から退いておられたので、いつかこの日が来るだろうとは思っていたが…。やっぱり、受けたショックは大きかった。最後の弟子、古今亭文菊さんの真打披露興行の真っ最中に、この訃報を聞くことになろうとは…。文菊さんの心中は察するに余りある。まあ、真打になったのを見届けて旅立たれたのが、唯一の救いかもしれないけども…。あの昭和の名人、五代目古今亭志ん生の直弟子。聴覚障害者の方のために、手話落語を始めたりと、福祉やボランティアなどにも、非常に積極的な活動をしていた師匠、という印象が強い。私も寄席やホールで、志ん生直伝の演目の数々を、たくさん聴くことができた。「宮戸川」「鮑のし」「風呂敷」「唐茄子屋政談」「妾馬」「井戸の茶碗」、そして「火焔太鼓」などなど…。私が圓菊師匠を生で見られたのは、晩年の数年間…ということになるのだが、志ん生師匠を彷彿とさせる言い回しや声音に、客席でゾクゾクッときた経験が何度もある。あれは、私にとって本当に貴重な財産になった。確か俳優の小沢昭一先生が、末廣亭の高座に上がったときだったから、05年6月下席だったと思う。…記憶違いだったら、ごめんなさい(苦笑)。ただ、末廣亭の客席の一番後ろ(喫煙所の前)で立って見た経験は、あの一度だけだったから、多分そうだと思うのだが…。その昼席に圓菊師匠が出ていて、確か「鮑のし」を演っていたと思う。そのとき、何気ない言い回しの声と間合いが、志ん生そのまんま!思わず小声で「あっ…高座に志ん生がいる…」と呟いてしまったのを、今でも覚えている。後輩やお弟子さんには、大変厳しい師匠だという話は、いろんな人から聞いていた。結構理不尽な怒り方をするから…みたいな話も、何回か聞いたことがある(苦笑)。しかし、あれだけ多くの弟子を育て…。特に最後のお弟子さんは、何と28人抜きという大記録を打ち立てて真打になったのだから、本当に落語界に対しての貢献度は大きい師匠だったと思う。今頃は、あの世で志ん生・馬生・志ん朝・馬の助・朝馬・志ん馬・志ん五・右朝といった、古今亭の一門に迎えられているかもしれない。もしかしたら、ついでに家元も隣にいるかも(笑)。圓菊師匠、本当に長い間お疲れさまでした。心からご冥福をお祈り申し上げます。
2012年10月13日
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我が親友の落語家、林家たけ平さんが精魂込めて取材し、書き上げた昭和歌謡本の決定版が、今週の火曜日、10月9日に発売されました。題して「よみがえる歌声」!ワイズ出版より、お値段2,800円なり。全528頁とボリュームたっぷり!「値段が高い!」と思ったあんた、ホント甘い!甘すぎる!大甘!大海人皇子!チーズケーキにキャラメルかけるぐらい甘い!♫チーズケーキにキャラメルかけて、泣いて別れたすみだ川~、思い出しま~す、観音様の……これじゃ精神分裂だと思われるので、真面目に。現在「昭和歌謡」というと、松田聖子・中森明菜とか70~80年代の歌を指すようになっているようだが、これはハッキリ言って間違っている。「昭和の歌謡曲」「昭和の流行歌」というカテゴリーは、昭和初期~昭和35年頃まで、というのが正式なもの。その「正しいカテゴリー」の昭和歌謡本は、おそらくこの本が最後になってしまうだろう、残念だが。今ご存命のベテラン歌手ほぼ全員へのインタビュー、ボリュームたっぷりの東海林太郎特集。そして、こういった本では初めて取り上げられたと思われるのが、東京12チャンネルの大看板番組「なつかしの歌声」制作スタッフの鼎談!この本は本当にお薦めです。昭和歌謡の専門書というのは、過去にも幾つかあったものの、マニアやSP盤コレクターにターゲットを絞りきったような内容が殆どだった。この本も、確かにマニア向けっぽい所もあるのだが、一般の人が読んでも読みやすく、昭和の歌謡曲に興味を持ちたての人の入門書としても最適!そして、最大のオススメポイント。それは、殆どの歌謡曲関連の資料提供したのが、この私だということ(笑)!SP盤のレーベル写真の半分以上は、私の集めたSP盤のものであります。そして「なつかしの歌声」関連の資料提供(写真の放送日付調査など)も、私がやりました(笑)。この本を買わずして、昭和歌謡を語るなかれ!自分の思い出話に終始した、落語協会副会長の本とは、内容は月とスッポン以上の差(笑)!今日から何回かは、たけ平さんの本の宣伝も兼ねて、昭和歌謡関連の話をシリーズで書いていこうと思っております。乞うご期待!
2012年10月12日
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このブログを書く際、「公開するボタン」を押す前に誤字・脱字がないかチェックする。自分が感覚で書いた文章を、改めてザーッと読み返すことになるのだが、自分自身で「よく書けた!」って思える文章は、20回に1回あるかないか。あとは…読んでくださる方は、どう受け取られるか分からないが、「クソ面白くもねえ文章だなあ…」と、自己嫌悪に陥る文章の方が、非常に多い(苦笑)。「つまらん!!お前の話はつまらん!!」…そういうときに、このフレーズが地鳴りの如く、頭の中から聞こえる場合があるんだ、これが(笑)。上記の金鳥の殺虫剤のCMの名フレーズだが、これは大滝秀治さんの演技力・声質・間が、このフレーズとピタリ一致したからこそ、今なお強烈なインパクトがあるのだろう。10月2日、87歳で天に召された大滝さん。舞台を降板したのは知っていたが、亡くなられるほど体調が悪かったとは思わず、本当に驚いた。私より上の世代だと「特捜最前線」や、東芝日曜劇場「うちのホンカン」シリーズなどが、大滝さんと言えばこれ!という作品なのだろう。私の世代(30代半ば)だと、特定の作品はこれ!というよりは様々なドラマ・映画などで脇を締める大御所、という印象が強い。あとは、何といっても関根勤さんの物真似が大きい。NHKのBSで、二人旅の番組を見た覚えがあるし。関根さんの物真似…というと、20年以上前は馬場さんや長嶋監督、千葉真一が中心だったが、大滝さんの真似というのは、最初に観たときはホント衝撃だった。確か20年くらい前、TBSの19時台の番組で、関根・小堺・ルーの3人が中心のバラエティ番組が初披露だったような覚えがあるが…。それで、ご本人が出てきて関根さんが凍りつき、小堺・ルーの二人が大爆笑!みたいなコントを観た記憶があるがなあ…詳細は忘れてしまった。宇野重吉亡き後の「劇団『民藝』」を、奈良岡朋子と共に支えた重鎮の死は、日本の演劇界において、ドラマ・映画界において、本当に大損失であろう。若いときは「壊れたハモニカ」と言われていたというかすれた甲高い声が、加齢と共にどんどん味を増し、最後には堪らない魅力になった。只今公開中の、高倉健さん主演「あなたへ」の漁師役。これが遺作になったわけだが、あの魂の宿った気迫ある名演技を、我々はもう二度と見ることはできない。長い間、本当にお疲れさまでした。心からご冥福をお祈り申し上げます。
2012年10月07日
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今日のブログは、いきなり余談から入る(笑)。今日の「徹子の部屋」に、久しぶりに往年の大歌手、旗照夫さんが出演しておられた。現在79歳で、現役バリバリで喜ばしい限り!それはさておき、旗さんが話しているのを聞いてて「誰かの声と喋り方に似てるな~誰だろう??」と思っていて、今の今まで、ずっと考え続けていたが、やっと解った!柳家小満ん師匠の声と話し方と、殆ど同じなのだ!…だから何なんだ!?という話だが、それだけ(笑)。余談は終わり!とにかく、本題本題…。今日は2012年10月4日。日本を代表する歌手、東海林太郎先生が73歳でこの世を去って、ピッタリ40年目の命日。リアルタイムで東海林先生を覚えている一番若い人で50歳を過ぎてしまっている…ということに、驚きを禁じ得ない。とにかく個人的に、東海林太郎・藤山一郎の両先生は、数多の好きな歌手の中でも、別格中の別格である。直立不動の歌う姿、どんなジャンルの歌でも全身全霊、信念を貫き通した歌声は、テレ東の映像を何度見ても、SP盤の歌声を何度聴いても、胸を打つ。この先生の歌を、カラオケで歌う際は…と言っても、神楽坂にある「おきな」という行きつけの店でしか出来ないことなのだが、わざわざセンターマイクを用意して歌うほどのファンである、私は(笑)。だから今の演歌歌手が、体を動かしてコブシを回して「赤城の子守唄」や「名月赤城山」などを歌われると、カリカリして血圧が上がってしょうがない(苦笑)。現在、東海林太郎の知名度が下がってきているのは、嘆かわしいことである。そろそろ、戦前~戦中デビュー歌手の方たちは、中学~高校の音楽の授業で教えなくてはいけないのでは?洒落じゃなく、本気でそう思う。私の好きな歌を羅列して、今日は終わる。お馴染みの大ヒットを書いていくと、いくら書いても終わらないので、渋めの歌を中心に…。「お駒恋姿」「母に捧ぐる歌」「お夏清十郎」「湖底の故郷」「春の悲歌」「上海の街角で」「残菊物語」「陣中髭くらべ」「築地明石町」「戦場初舞台」「ああ草枕幾度ぞ」「銀座尾張町」「さらば赤城よ」「東京物語」などなど…。
2012年10月04日
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今年も10ヶ月を過ぎ、あと3ヶ月もすると新年。年末になったら、またここで「墓碑銘」を書く事になるのだろうと思う。これ以上書きたくないと、心から思うが…。先だっての春日野八千代先生のような大往生なら、「お疲れさまでした」と心から言えるもの。しかし6月のチイチイのように、頻繁にテレビで見ていた有名人がパタッと急に亡くなった、という訃報は、好きな人・嫌いな人に関わらず、一瞬心臓が痛くなる程の衝撃を受けるものである。あの感覚は、何回経験しても嫌なものだ…。フジテレビ「ホンマでっか!?TV」などの番組で、流通ジャーナリストとして活躍していた金子哲雄さんが、41歳という若さで亡くなられたという。ネットのニュースで20時過ぎに知り、声を出して驚いてしまった。家電量販店での値切り方法とかを、独特な舌足らずな口調で、解りやすく解説してくれていた金子さん。風貌が、少し島田紳助に似ていたので、さんま師に「ホンマでっか」の中で、いつもチンベルを鳴らすと「紳助!」と呼ばれていたことを思い出す。「肺カルチノイド」という病名は初めて聞いたが、何でも悪性腫瘍の一種とのこと。確かに、何の番組か忘れたが、つい最近テレビで見た姿は、私の知ってる姿とは完全に別人だった。金子さん本人は、「太って睡眠時無呼吸症候群になったので、ダイエットした」という説明をしていたように記憶している。私も「凄いダイエットだな~!」なんて、バカ正直に受け取っていたが…今になって思うと、あの痩せ方は尋常ではなかった。人相が変わっていたし…。…あっ、思い出した!正式な番組名は忘れたが、最後にテレビで見たのは1~2ヶ月ほど前、タカアンドトシが司会をしているTBSの深夜番組だった。各界の知識人・賢人が5人ほど集まって、様々な質問に答えていくという「スーパーコンピュータ」がどうの…という内容の企画で、賢人の1人で出ておられたのだ。そのときに「随分痩せましたね?」みたいに聞かれて、上記のことを言っていたんだ、確か。芸能界の方々も…誤解を招く言い方かもしれないが、みんな「騙されていたのか」と思うだろう…。「痩せましたね?」みたいに質問した芸能人の方々は、今は深い悲しみと、己を責める気持ちで一杯だと思う。私がもしタレントで、テレビで金子さんと一緒になり、軽い気持ちで「あれ?かなり痩せましたね?」と聞いて、今日の訃報を聞いたら、絶対己を責めるだろうから。しかし金子さん自身は、周囲に心配をかけまいとして言い続けた「嘘」な訳で、最期までテレビに出るときは普通通りに扱ってほしいと思ったから、「痩せたのはダイエット」と言い続けたんだろう。自らの命が尽きる直前まで持ち続けた、強い精神力。そして周囲に対する気配りは、尊敬に値する。あまりに突然の、あまりに早い最期でショックだが、とにかく「お疲れさまでした」と言いたい気持ちで一杯である。心からご冥福をお祈り致します。
2012年10月02日
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今日から10月。早いね、今年もあと3ヶ月(笑)。番組改変の時期ゆえ、各局で新たな番組が始まったが、BS日テレは素晴らしい番組を始めた。昔の「笑点」をノーカットで放送してくれるという夢のような番組「笑点デラックス」!「単なる再放送」と言うなかれ!「日本の文化遺産」を惜しげもなく再放送するのは、再放送にあらず!と私は思う。…こういうことを言う人が多いから、BS日テレもこういう番組を始めたんだろうけど(笑)。…ひょっとして、まんまと思うツボに嵌ってるか?私は(苦笑)。まあ別にいいやね。久々に観る、先代圓楽師匠のハツラツたる司会ぶり、回答者時代の歌丸師匠。そしてこん平師匠。自分の中では、そんなに時間が経ってると思えないが、じっくり改めて見ると、やっぱり懐かしい。特に大喜利を見ると、やっぱり全員今より15歳は若いわけだから(当たり前)、回答も会話のテンポもスピーディーで、勢いがあるのだ。願わくば、もっと昔の三波伸介司会時代(小圓遊師、圓窓師が回答者、松崎真が座布団運び)が見たいが、さすがにVTRが残ってる数は少ないだろうか。私が生まれる前の、歌丸VS小圓遊の罵倒合戦を、一度通しで見てみたいのだが(DVDも断片っぽい感じだったしね…)。せめて、古今亭朝次(今の桂才賀)師匠がいた頃の大喜利が見たいのだが…やはり無理かな?放送時間が40分だったからキツイか。そう考えると、立川談志、前田武彦司会時代の映像が全く保存されていないというのが、本当に残念である。しかしながら、こういう番組は、個人的に大歓迎!日本人にとってどうでもいい、クソ朝鮮ドラマ枠なぞどんどん廃止して、こういう過去のアーカイブを有効活用した番組を、各BS局でたくさん放送してくれれば、ホント有難い。BS-TBSなら「落語特選会」、BSジャパンなら「なつかしの歌声」「人に歴史あり」「私の昭和史」あたりを、ガンガン放送してくれれば…って、流石にワガママすぎるか、これは(笑)。
2012年10月01日
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