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う~ん、やっぱりつらいです、寂しいです。 特に原作よりもアニプリの方が好きだった私としては早くOVAにでもなんでもなってほしいです。 やっぱりまだ原作がたまってないからなのかなあ。 もうこうなったら原作のエピソードを使わずに、青春学園や氷帝学園の日常生活を描くってなことで、オールオリジナルエピソードで放映してもいいんじゃないでしょうか。 私が危惧していることは(しても仕方ないですが)、このままアニプリが一年以上放置され、テニプリ人口がどんどん減ってしまうことです。 ジャンプのテニプリ掲載順が後ろにどんどん下がっていくのが怖い……。 ナルト観てるといいなあ、と思うんですよね。 今週放送分からついにオリジナルエピソード突入でしょう。 ナルトだったら、あの調子でどんどんオリジナル作れるもんね。 テニプリはやっぱりお話の都合上、作りにくいもんなあ。 余談ですが、今さらながら「RUSH&DREAMS」やってます。 榊太郎さんを落としました。 べつに落としたくなかったのですが(榊ファンの方、ごめんなさい)。 その時は乾を狙ってたんですよ。 で、次に忍足を狙おうとしたらまた榊さんが現れて……。 どうやったら榊さんは出なくなるんでしょう? ご存じの方がいましたら、教えてください。
2005年05月31日
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三十回ほどマウスピアスをいじってから、店員はゆっくりと話し出した。「どうして私がこんなにたくさんピアスを入れているんだと思います?」「さあ……私にはよくわからないわ」 私は慎重に言葉を選びながらそう言った。下手に店員を怒らせるのもいやだったし、ピアスがついている眉根をしかめた彼女は真剣に何かを考えているようだったから。「私、この仕事に就く以前は保育士やってたんですよ」 ねえ、驚いた?と言いたげな表情を店員はしていた。どこか得意げでもあり、不安そうな表情だった。 私は驚きはしなかった。彼女の地味で堅実な雰囲気は、ボディピアスの店より保育園の方がはるかに合っていそうだからだ。 だが私はなんとなく彼女を喜ばせてあげたくて、わざと息をのんでみせた。「えっ? 本当なの?」「ええ」 彼女は満足げにうなずいて笑った。笑うと急に目が細くなって可愛い。 彼女は私の前に手を出して言った。「次の質問はもうわかってます。だから訊かないで。どうして私がピアスをこんなに入れたかっていうと」 彼女はそこで言葉を切って、私を値踏みするように上目づかいで見た。「ストレスがたまったからなんです」「ストレス?」 わたしはおうむ返しした。そして思わず言っていた。「それってもしかして、園児さんの扱いに疲れてストレスがたまったってこと?」「え……どうしてわかったんですか?」「だって私もーーーー教師やってるから」 私の答えに、店員は深く息をついて笑った。「そうなんですかーーーーでも、そんな感じはしてました。あなた、以前の私と似た感じがあるから」「似た感じって?」「言いたいことを我慢してる顔です。弱音が吐きたくても吐けない顔」 図星をつかれた私は押し黙った。店員はとりなすように笑った。「気を悪くしたのなら、ごめんなさい。ただ最初、あなたが店に入って来たときから思ってたんですーーーー私もかつてはそうでした」 店員は遠い目をして語り始めた。「保育園の園児さんもいろんな子がいるんです。ひどい子なんて、お遊戯の時間も大騒ぎしぱなしでした。それで私が注意したら、親御さんが私をみんなの前で怒鳴りつけるんです。うちの子をいじめないで、って。他の同僚も注意してたんだけど、私にだけなぜかそうするんです。きっと私が一番気弱そうだから、文句がつけやすかったんでしょうね。それでものが食べられなくなるほどストレスがたまって、どうにか当たり散らされないようにされたいって思ったんです。だから耳たぶにピアスをしました。するとなぜか気持ちがスーッとしたんです。でもそのうちまたイヤなことがあって、だんだんピアスの数が増えてきてーーーー今みたいになりました」 店員は悲しげに微笑んだ。「私のこと、変な人間だと思います?」 私は微笑み返して、ゆっくりと言った。。「ええ、思うわ。私みたいにね」 店員は口の端のピアスをいじりながら、照れ笑いした。「ありがとう」「どうしてお礼なんて言うの?」「だってーーーーいい人って言われるより、変な人って言われた方が私、何百倍も嬉しいから。自分が変だって思うだけで、他の人と違う存在だって思えるから。つまらない人間だからっていじめられるより、変わってるからいじめられるって思えた方がまだマシ。だって変わってるってことは、私は他人と違う、この世界でただひとりの人間なんだってことだから」 私は打たれたように店員を見つめた。 そして彼女の口の端についたピアスをちょんとつついて言う。「そうね。あなたとっても変わってる。こんなものつけてる女の子、そうそういないわ。私あなたのこと、ずっと忘れないと思う。これから先もずうっと」 店員はふわっと笑ってから、涙ぐんだ。 指先であわてて涙をぬぐってから言う。「どんなピアスがお好みですか?」 つづく
2005年05月30日
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いや、どちらかというと普通よりおとなしいタイプの女だった。一重まぶたの細い目にはいかにも気弱そうな光が宿っていたし、猫背気味なやせた体が彼女のおどおどとした雰囲気をいっそう引き立てていた。 けれど、彼女が普通の同年代の女性とまったく違っている部分がひとつだけあった。 それは唇と鼻と額に入れられたピアスだった。 唇のピアスにいたっては五センチほどの長さがあり、その銀色の棒は重力に従って垂れ下がっていた。私はそれを見て、中学生のころに部屋に飾ってあった外国製の風鈴を思い出した。こんな重たそうなものをつけていて、ちゃんとしゃべれるのだろうか。 彼女は即座に私の疑問に答えてくれた。「いらっしゃいませ。今日はどうなさいますか?」 彼女のせんぴょうしつな風貌によく似合ったか細い声だった。それでもちゃんと話せるんだ、と私は妙なところで感心した。 私は彼女にすすめられるまま、革張りのソファに腰を下ろしてから言った。「あの……ピアス、入れたいんですけど」「はい。どちらのピアスですか?」 私はためらった。やはり無難にここは耳たぶ、とでも言うべきだろうか。目の前にいる店員はやはり私にとっては異界の住人だった。 なんとなくここで本来の要望を出してしまうと、私はもう引き返せないところに来てしまうような気がする。 だが、そこで私は思った。 引き返すって、どこに? また明日から出勤して、生徒たちにいじめられるのだろうか。ピアスひとつ入れられない勇気のない、さえないおばさんと陰口をたたかれるのか。そして一ノ瀬と少年Aの関係に口をはさむこともできず、黙々と少年Aの作った料理を食べるのか。 私は口を開いた。「乳首です」 店員は少し驚いた目をした。私は恥ずかしいと同時に、ほこらしい気分になる。 私はこの女の予想を裏切ってやったんだ。そう、私はおとなしくて地味な女に見えるけど、本当は乳首にピアスを入れたがるような女なのよ。 店員はなぜかにっこり笑った。単なる営業スマイルでは片づけられないような、心のこもったやさしい笑顔だった。私はあなたの親友よ、と言ってるみたいだ。「少々お待ちください。カタログをお持ちいたします」 店員はそう言い終えると、唇と耳のピアスを揺らしながら、店の奥へと消えていった。「お客様がご希望のニップルピアスはこちらになっておりますが」 店員はそう言いながら、分厚いバインダー式のカタログを開いた。乳首のピアスって、ニップルピアスって言うんだ。そういえば英語で乳首はニップルだって昔習ったな。私は妙なことを思い出してひとりでうなずいた。こういうことを考えることで、緊張が少しだけほぐれていくような気がする。 店員は写真がたくさんバインドされたページをめくって、そのうちの一ページを私の前に開いた。 よく見ると、店員は親指と人差し指の間にもピアスをしていた。「どういったデザインがよろしいですか?」 私は身を乗り出して、テーブルの上に置かれたバインダーをのぞきこんだ。 思ったよりそれは嫌悪感や違和感を私に与える写真ではなかった。 丸い金属の輪っかがいくつもそこには並んでいた。 ただ普通のピアスと違うのは、そのどれもが中央に大きな丸球がついていることだった。私はそれを指さした。「あの、これって……」「ああ、それですか。ストッパーっていうんですよ」 店員は得意げに説明を始めた。さっきは物怖じしていた細い目がいきなり生き生きとした輝きを帯び始める。「ストッパーって?」「留め金です。だってそうしないと、ニップルからピアスがはずれちゃいますから」 そこで店員はいったん話すのをやめて、口端をいじった。どうやら口につけたピアスがずれたらしい。やはりこれだけ大きいピアスを口につけていると、いろいろと勝手の悪いこともあるようだった。食事している時ははずすのだろうか。 店員は背筋をしゃん、とのばして気を取り直したように言葉を続けた。「ニップルは耳たぶと違って、はっきりとした凹凸がないからはずれやすいんです。特にアジア人種は欧米人種に比べて、乳首が小さい人が多いからよけいストッパーは重要なんです。うちで扱ってる商品はアジア人種用に作られてますから、とってもはずれにくいですよ」 まるでわが社の製品は業界一です、というような口調だった。 私はかえって現実味が沸かなくなった。 キャプティブビーズリング、バーベル、レジェントジュエル。気取った横文字の名前がつけられたピアスの数々を見ていると、これが人の乳首を食い破ってつけられるものだとはとても思えなかった。 なんだか肩すかしをされたような気分までする。これではボディピアスはおしゃれの一種で、私はそんなものに自分が変われるきっかけを見いだそうとしていたのか。「どうしました?」 気抜けした視線をカタログに向け続ける私に、店員がけげんそうに声をかけてきた。 顔を上げると、店員の棒がぶらさがった唇がへの字に曲がっていた。「お客さん、ひょっとして怖じ気づいたんですか?」 店員は笑いながら言った。私はその無礼な言葉に怒るより先に驚いていた。この気弱そうな娘に、こんな口を叩ける度胸があるとは思わなかったからだ。 そう考えて黙っている私に、店員は苛ついたように言葉をなげかけてきた。「ピアスってちょっと流行だから入れてみようかな~、なんて思っただけだったりして? あ、でももしそうだとしたら、普通のアクセサリーショップへ行けばいいだけの話で、うちみたいな濃い店には来ませんよね? ひょっとして、変態をからかいに来ただけとか?」「違います!」 私は無意識のうちにそう叫んでいた。がらんとした店内に、私の声は響き渡る。 店員は細い目を見開いて、私を見ていた。「……違うわ」 私は自分の気持ちを確認するように、もう一度言った。 ややあって店員がふたたび皮肉っぽい笑顔を浮かべて問い直してくる。「じゃあ、どうして?」「自分を変えたかったから」 私は即答していた。「ピアスを入れたくらいで、自分を変えられると思います? 今時、ピアスなんて女子高生の間じゃ制服の一部みたいなもんですよ」「だから乳首に入れるのよ」 私の答えに店員は口をつぐんだ。何かを考えるように首をひねりながら、口端のピアスを指でいじる。 店の外側から、風俗店の呼び込みをしている声が聞こえた。
2005年05月29日
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インターネットを検索すると、あっけなくピアッシングの店は見つかった。 私はその中から、自宅から電車で一時間ほど行ったところにあるピアス店を選んだ。ホームページが綺麗にデザインされていて、比較的うさんくさくなかったからだ。 私はそんなところにも社会的信用と手堅さを求める自分の小心さ加減に苦笑した。自分を変えたくて、ボディピアスなんぞを入れようとしているのに、どうしても安全な道を選ぼうとしてしまうのだ。 私は日曜日、その店に行くことにした。ホームページからダウンロードした地図を片手に渋谷の街を歩く。その日、私はTシャツにジーンズという、私にしてはひどくカジュアルな格好で出かけた。いつものブラウスやらスーツといった服装の人間が、ボディピアスを入れに行くなんてちゃんちゃらおかしい気がしたのだ。 それでも私は自分の地味さを意識せずにはいられない結果になった。日曜日の繁華街は十代や二十代前半の女の子でごったがえしていて、みな肌の露出が激しい服装をしている。おしりの割れ目が見えても平気な彼女たちに比べて、私はいかにもあかぬけないもう若くない女だった。いや、たとえ私がもっと若くても、地味で暗い女だと彼女たちにせせら笑われていたかもしれない。一ノ瀬ならば、こんな街中を颯爽として歩くだろうに。少年Aは一ノ瀬とこういった場所でデートしたことがあるのだろうか。 店は、表通りから少し裏に回った場所にあった。私はここに来たことに後悔し始めていた。店は風俗店の建ち並ぶ狭い通りにあったのだ。すすけた派手な看板が立ち並び、半裸の女の子の写真がにっこり私に微笑みかけている。 だがいよいよ店の前に来て、私の緊張は急速にほぐれていった。 私はそれまでボディピアスというと、アンダーグラウンドな世界をイメージしていたのだが、現実はそうではなくなっていたようだった。そこは美容院とみまごうかのような瀟洒なテナントだった。ペントハウスを意識してデザインされた白い外装に、流麗な書体で「Pierce house The change」と店名が記されていた。 その文字に私は自分を恥じた。そうだ、私は自分を変えたくてここに来たのではなかったか。 私は深呼吸をして、白いペンキで塗られたドアを開いた。チリチリと鈴の音がして、「いらっしゃいませ」という愛想の良い女の声がする。店の中はソファと雑誌が並べられたテーブルが置かれており、本当に美容院のようだった。 しかし次の瞬間、私は息をのんでいた。 奥から出てきた店員は、若い女だった。せいぜい二十代前半といったところだろうか。緑色のTシャツを着て、ジーンズを履き、白いエプロンを身につけている。黒い髪を後ろでたばねたその姿はどこにでもいる女の子のものだった。 つづく
2005年05月28日
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初日にさっそく見て参りました。 シネリーブルというふだんはアート系の映画をよく上映する映画館に行ったのですが、もう満員! 二時からの回を見るつもりが、上映三十分前にして券がすべて売り切れてしまっているということでした。 じゃあ、次の四時からの回にしようと思いきや、今度は立ち見ですと言われ、二時間立ったままはつらいと思い、結局券を買ったのは六時からの回。 ネットでの上映によると、映画館によっては朝からほぼ一日分の券が売りきれだったというところもあったらしくて、こりゃガンダムオタク相手の商売ってやめられないだろうなあ。 私はシネリーブルがあんなに満員だったのを初めて観ました。 ふだんは女性客が大半なのに、今回は男性ばかり。 まあ、女の子はガンダムにはあんまり興味はないか(種はのぞく)。 でも私にとっちゃ、やっぱり種よりこっちがガンダムなのよねえ。 劇場にはちらほらと小中学生の人も来ていましたが、これをきっかけに富野ガンダムを知ってほしいものです。 彼らにとってはやっぱり種がガンダムなのかな? ここからネタばれになりますので、イヤな人は読まないでください。 カミーユの年齢が17歳から15歳に引き下げられるとか、カミーユがすこやかでやさしい少年になるといったことを富野さんがインタビューで言っていたので「もしかして全然違うカミーユになっていたらどうしよう……」と楽しみなような不安なような気持ちで劇場に向かったのですが、ほとんど変わってないやんけ たしかにクワトロをぶん殴ったり、ウォンやブライトに修正されるなどといったエピソードや、ヘリクツをこねたあげく、エマに説教されたりはしていませんがやっぱりあいかわらずカミーユはカミーユです。 特に、自分がジェリドを殴った罪で拷問を受けた軍人にモビルスーツで「一方的に殴られるものの痛みを思い知れ!」と高笑いするシーンは、やっぱりカミーユはこうでなくちゃあ…… と初恋の人が同窓会で変わっていなかった時のようにうっとりしてしまいました。 監督はカミーユのヒステリックなところや病んだところが嫌いっていうけど、カミーユの魅力って実はそこなんですよね。 実際にあんなやつそばにいられると、たまらなくイヤですが。 カミーユってべつに病んでるわけじゃないんですよ。 ただ周りが彼の言うことにちゃんと耳を傾けようとしないし、彼も自己主張がヘタだからだんだん追いつめられていくという。 その問題構造は今の日本にはいたるところに見受けられるものでして、それを約20年前に描いた富野監督の先見の明はすごいと思います。 いや、富野監督がそういう性格だったのかもしれませんが(笑)。 新作カットでカミーユがレコアといっしょにいるシーンでカミーユの素直さを表現したと監督は言っていますが、テレビシリーズでもカミーユは結構レコアになついてるんですよね。 だから言われてみれば……という感じでした。 ちなみに新作カットと旧作カットの作画の落差はものすごいです。 どちらかというとキャラクター描写より、ロボットアクション描写中心で、プラモデルの宣伝にはもってこいでしょう。 もしかしてそれをめあてに作ったのではないかと思ったりして……。 まあ、ものすごい賛美両論になる作品でもなく、そこそこSFロボットアニメファンは楽しめるダイジェスト版なのではないでしょうか。 でもZをまったく知らない人はつらいかも……。
2005年05月27日
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私は息を詰めて少年Aの次の言葉を待った。少年Aがあいまいとしかいいようのない表情を浮かべ、ぬるい空気が私たちの間に流れる。少年Aのまなざしは、私の顔から胸へ流れ、そして畳の上にある小さなテーブルに泳ぎ着いた。「これ、ピアス?」 少年Aはテーブルの上に置かれていた銀色の輪に目をとめて言った。そのピアスは生徒が今日、教卓の上に置いたものだった。私は少年Aが話をはぐらかそうとしているずるさに。嘘で対抗することにした。「そう。ちょっと知り合った人にもらっちゃってさ、その人がぜひつけてくれって言うの。私にピアスが似合うって。私、困っちゃった。だって私、ピアスホール開けてないんだもん。ピアスホールってやっぱり開ける時、痛い? 教えてよ、少年A」「……その人って、男の人?」 少年Aは頬をこわばらせて、慎重そうに訊ねた。「さあね。ご想像におまかせしまァす」 私は笑って肩をすくめる。「ごまかさないでよ、先生」「じゃあ、私も訊かせてもらうけど」 私は視線を落として、そこで言葉を切った。少年Aの返答が待ち遠しくもあり、怖くもあった。「少年Aもどうしていきなりピアスなんか入れたわけ? 君らしくないわよ。ひょっとして誰かさんの影響?」 私はおそるおそる顔を上げる。少年Aは眼鏡のブリッジに手をやったまま、だまりこくっていた。「……ただなんとなく。べつに意味なんてないよ」 嘘つき。一ノ瀬とペアにしてるくせに。私はそう怒鳴りたかった。 けれど私は思いを吐き出すこともできないまま、うつろな言葉を紡ぐ。「ふうん、そうなんだ。私も少年Aみたいにイメージチェンジして、このピアスしてみようかなあ」「やめろよ」 少年Aは即答した。いつもは慎重に言葉を選びながら話す少年Aがこんなふうにあわてて言葉を返すのはめずらしかった。しかも「やめて」でも「やめてよ」でもなく、「やめろよ」だ。少年Aは私に男言葉の命令形を使っているのだ。生意気だ。私は思った。二又をかけている自信が少年Aをここまで傲慢にしているのではないか。 それとも愛しの一ノ瀬とせっかくペアにしているピアスと同じデザインのものを私が身につけるのに腹が立つのか。 私は少年Aに向ける見えないカミソリを探した。「どうして私がピアスしちゃいけないのよ」「……だって先生、ピアスなんて似合わないから」 私の語気に戸惑ったのだろう。少年Aの口調がいつもの自信なさげなものに戻る。私はひとまずの勝利を感じながら、言葉を続けた。「ピアスが似合わないのはお互い様でしょう? どうして私がしちゃいけないわけ? 少年Aには関係ない問題じゃない!」 そこまで言い終えた時、私の体は畳の上に押し倒された。「ちょ、待って、やだ……」 少年Aは私の言葉を自分の唇でふさぎながら、私のブラウスのボタンを乱暴にはずした。ボタンのいくつかがはじけ飛んで、畳の上を転がる。もがく私の脚を少年Aは体重をかけておさえこむ。その重さはすでに少年のものではなく、立派な男のものだった。 それでもブラジャーから引きづりだした私の乳首をはむ少年Aの顔は、あいかわらず幼いままだった。少年Aはよく私の乳房を賞賛する。ここに顔を埋めていると心が安らぐのだと。出るはずもない私の母乳を必死に少年Aはすすろうとする。それが自分の救いだとでもいうように。 私の頭にあるどす黒い考えが浮かんだ。 この乳首に銀色のピアスがはめられたら、少年Aはどんな表情をするだろうか。 つづく
2005年05月26日
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強くなりたい。 私は思う。きっと一ノ瀬は強いから、誰にも攻撃されないし、他人に好かれるのだ。少年Aの恋人にもなれるのだ。 私が一ノ瀬のようになれるとしたら、どうすればいいだろう。 そう考えた私は、無意識のうちに一ノ瀬に視線を落としていた。一ノ瀬の耳におさまっているピアスの輝きが私の目を鋭く射抜いた。 もしピアスをはめたら、私は変われるのだろうか。 ピアッシングの痛みを我慢できたら、もっと強くなれるのだろうか。 その考えはひどく私を魅了した。が、すぐに我に返って、生徒たちのニヤニヤ笑いを見るとそんな考えは吹っ飛んでいった。 ここでピアスなど入れたら、生徒たちの悪のりにまんまとのってしまうことになるではないか。それに教職員の間では、イヤリングまでは許されるが、ピアッシングはやはり教師にふさわしくないやくざな行為と無言のうちにとらえられている。 私は箱を教卓の中に押しやった。「ホームルームを始めます」 私は何かをふりきるようにそう言った。 それから私は機械的に一日を過ごした。 少しでも止まってしまうと、少年Aと一ノ瀬が抱き合うポルノまがいのシーンが頭によぎってしまうのだ。私は黙々と受け持っている授業を勧め、生徒たちのいびりも受け流した。 職員室を出る頃には、私は疲れ切っていた。今夜も少年Aはやってくるのだろうか。もしそうだとしたら、この疲れがいい方に私たちを持っていってくれるかもしれない。今の私は少年Aに皮肉を言う力も残されていないだろうから。それに一ノ瀬と少年Aが交際しているとはまだはっきりとはわかっていない。こんなふうに日々を過ごしていれば、そのうちにそんな疑念は去っていってくれるのではないか。 そんなふうに思いをめぐらせているうちに、私は私に疑われている少年Aがかわいそうになった。昨夜、お好み焼きを無言で食べる私を心配そうに上目づかいで見ていた少年Aのせんぴょうしつな顔が脳裏に浮かぶ。私はふと子猫をいじめているような気分になった。 学校から電車に乗り、アパートにつくまでの間にあるショッピングモールに立ち寄る。そこで私は少年Aの好きな食べ物を見繕っていくことにした。母親に連れてこられた五歳くらいの子供が、お菓子売り場を前にして、「ママ、これ買って」と甲高い声でねだっている。子供の無邪気な様子にいつしか私は毒気を抜かれていた。 そういえば、少年Aはクッキーが好きだったっけ。少年Aの家に行った時、お母さんが「秀一はこれが大好きで、小さい頃あるだけ食べておなかをこわしたんですよ」とチョコチップクッキーを私と少年Aに出した。少年Aは「そんなこと、僕覚えていないよ」と赤くなって否定していたけれど、その後すぐにクッキーに手を伸ばしていた。そんなことを思い出して、私はくすぐったい気持ちになりながら、クッキーを物色していた。 その時だった。背後で聞き覚えのある声がした。「ねえ、秀一。今日はいったいいつまで一緒にいられるの?」「う~ん、あと三十分くらいかな……六時過ぎには、先生いつも帰ってくるから……」 私は無意識のうちに声のする方を振り返った。 少年Aが、一ノ瀬に腕を組まれてショッピングモールを歩いている姿が目に飛び込んできた。少年Aはズボンのポケットに両手をつっこんで、前をむいたまま一ノ瀬に返事をしていた。一ノ瀬はすでに私服に着替えていて、ピチピチのTシャツからつきでた腕を少年Aにからめ、二つのこぶのような胸を少年Aに押し当てるようにしている。少年Aは私といっしょにいる時よりも、ふてぶてしい表情をしていた。肩の力の抜けた少年Aの自由な様子は私の胸に鈍い痛みを与えた。 それは私の前では、少年Aがやはり気をつかっているという証拠だったからだ。私はやはり少年Aの先生で、恋人ではないのだ……。 そんなことを考えているうちに、若い恋人たちは私に気づかずに私の前を通りすぎていった。 インターフォンがいつものように、ゆっくりと丁寧に押された。 私はドアを見つめる。このまま居留守を使うことを考える。年上の女は、少年に新たな恋人ができたことを知ると、黙って身を引くものなのだ。かつてそういう映画を何本かお昼の洋画劇場で見たことがある。 けれど幼稚な二十九歳の私は、そんなに格好良くは生きられなかった。少年Aが困惑する表情見たさにわざとゆっくりとドアに歩み寄り扉を開く。その間に学校関係者がここを通りかかって、少年Aが私の部屋に入る現場まで見てしまえばいいのに、とすら思う。もしそんなことになったら、少年Aはどうするだろうか。私はいつしか少年Aと一ノ瀬の仲が破綻することを望んでいた。そんな自分がくやしくて、私は少年Aの顔を見てわざとらしく眉をひそめる。「……先生、どうしたの? どこか具合でも悪いの?」 脱いだスニーカーを丁寧に揃えて少年Aは私の部屋に足を踏み入れた。べつに、と私は素っ気なく言う。声がものすごくとがっているのが自分でも分かる。おじゃまします、と一言かけてから少年Aは背負っていたリュックを背中からおろした。いつもは私は何回この部屋に来ても「おじゃまします」と他人行儀とも言えるあいさつをする少年Aが好ましかったのに、今日は違った。少年Aはなりゆき上、肉体関係を持ってしまった女教師に遠慮していただけなのだ。あんたなんて、本当に”お邪魔”なんだから、この部屋から出て行ってよ。そう怒鳴ってしまいたい衝動に駆られる。そう言われて、傷つく少年Aが見てみたい。もし私にそんなことを言われたら、少年Aはまたリストカットするだろうか。それとも一ノ瀬のもとへ喜んでいくだろうか。「これ、気になる?」 少年Aが左手首をおさえて尋ねた。無意識のうちに少年Aに向けられていた私の視線を、自分が剃刀をいつも当てている手首に向けられたものだと考えたようだった。少年Aの左手首には包帯ではなく、サポーターが巻かれていた。「まあね」 私は答えた。少年Aはリストカットのことを訊かれるとひどくいやがるのを知っていたので、それまでなるべく話題に出さないようにしていたのだが、今日は少年Aを困らせてやりたかったのだ。少年Aは困惑を必死に笑顔で隠しながら、手首を私の目の前に突き出した。一気にサポーターをずりおろす。そこにはミミズの張ったような例の傷跡があった。「最近、僕もちょっと要領が良くなったんだ」 誇らしげに少年Aは言った。私の心がじくん、と痛む。私はバイトを転々とする少年Aをよく「要領が悪い」と言っていたのだった。私としては雇い主の横暴やわがままにきまじめに反応して思い悩む少年Aを激励して言っていたつもりの言葉だった。が、少年Aにとってはそれがひどく気に障る言葉で、私に対抗するために今こうしているのかもしれないと私は思った。先生の助けなんかもういらない。少年Aがそう言っているように私は思ったのだ。 少年Aは得々と言葉を続ける。「このサポーター、バイト先のスーパーの中にある百円ショップで買ったんだけど、結構使えるんだよ。手首を切った後ってなかなか血が止まらないでしょ。その時、ティッシュを当てて、その上からこのサポーターで止血するんだ。包帯を持ち出すと、父さんや母さんが口には出さないけど”またリスカなんてやって”っていう目で見るし、やっぱり手首に包帯巻いてると、どうしてもイッちゃってるヤツって目で見られるから……いつもは腕時計で隠してたけど、やっぱりそれには限界があるし」「少年A、ちょっとしゃべり方変わったね」 私の指摘に、それまで得意気だった少年Aの表情がくもった。眼鏡のブリッジに手をやって、「そうですか?」と訊ねる。あわてた時の少年Aのクセだ。「うん。だってちょっと以前までは、リストカットのことを”リスカ”なんて縮めて言わなかったし、他にも”使える”とか”イッちゃってる”なんて言葉、使わなかったわ」 私はそこまで言って、深呼吸した。「もしかして少年A、新しいオトモダチでもできた?」 つづく
2005年05月25日
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現在、私は産婦人科に通っております。 とは言っても、おめでたというわけではなくて、いわゆる不妊治療ってやつです。 そんなに深刻なものではないんですが、私もだんなもどうやら子供ができにくい体質みたいで、治療することになったんですよ。 でもどうして治療することになったかというと、私は一年前、婦人科系の病気で入院しまして、その治療の一環で病院に通ってるんです。 で、だんなが「いったいいつになったら子供が作れる体になるか尋ねてこい」というので、深く考えずに質問したところ、「じゃあ、不妊治療始めましょうか」ということになったわけです。 だからべつに積極的に不妊治療をすることになったんじゃないわけです。 今はとりあえず、婦人体温計を毎日つけて、着床剤といわれる受精卵が着床しやすくなる薬(まんまやん・笑)を飲んでいます。 ここまできて言うのは何ですが。 産むのが怖い。 怖いって言っても、ガクガクブルブル、どうしようってほどの不安じゃないんです。 でもなんとなく不安なんです。 その不安の最大の原因は自分が生まれた子供をきちんとかわいがることができるかっていうこと。 私の知人にいわゆるできちゃった結婚をした女性がいまして、その人を見てると子供を産んだ女性がみんな母親になれるわけじゃないんだなあ、と常々思います。 その人、本当に子供に興味がないんです。 飲み会に0歳児のころから子供を連れ出し、子供が退屈してむずかっても知らん顔で自分は酒を飲んでいる。 子供がかまってほしそうにしても無視して、自分は携帯メールをいじっている。 ひどいなあと思ったのは、彼女が子供をほうったからしてラジオの競馬中継に夢中になり、そのあいだに子供が外に道路に飛び出して行ってしまった時でした。 幸いにも彼女の友人がそばにいて(みんなで遊んでいる最中だったのです)、子供を連れ戻してくれたそうですが、彼は一人ぼっちで車のゆきかう道路を歩いていたそうです。 それなのに彼女は子供には見向きもせず、あいかわらず競馬中継に聞き入っていて、息子はすごくさびしそうな顔をしていたそうです。 以前は私は「なんてひどい母親だろう」と思うだけだったんですが、いざ自分が出産するかも知れないということになって、なんとなくこの人の行動もわかるようになってきました。 おそらく、彼女は子供がうっとおしいんでしょうね。 子供の面倒を見るより、自分が遊んでいたいんでしょう。 「なんて身勝手な母親なの」とか「母性本能が欠如している」とか言うのは簡単ですが、人間ってもともとそういうものだったような気がします。 それを一生懸命、「私は母親なんだから」「子供には私しかいないんだから」と意志の力と責任感で子育てをしていたのが、最近だんだんそれをしない人が増えてきた結果、こうなったという。 幼児虐待だとか、児童遺棄などの問題もこれと決して無関係ではないような気がするのです。 自分がそういう母親にならないのかという自信は本当にありません。 「案ずるより産むがやすしよ」と言われたりもしますが、この場合、子供って生んだら一生育てなきゃならないんですよね。お試し期間なんてあるわけもないし(^_^;)。 かといって、子供が欲しいという気持ちがまったくないわけではないので、複雑です。 あ~あ、出産と子育てとは無縁でいた若き日々がなつかしかったりして……。 十代のころは子供が生まれたら無条件で愛せるって本気で信じてたもんなあ。
2005年05月24日
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主人公・蒼井門は売れない自称・芸術家。 ある日、彼はバイト先の会社で可愛い女の子・恋乃と出会う。 恋乃といいカンジになる門だったが、実は恋乃はコミケで同人誌を販売するマンガ家・兼・コスプレイヤーで門にコスプレを強要するのであった……。 この映画の一番の見所は、大竹しのぶのメーテルのコスプレです。 これ、冗談じゃなくて結構本気です。 大竹しのぶって、昔「GONIN2」という映画で、四十代にしてセーラー服姿を披露していたんですが、今度は50代でコスプレですかー! 女優魂というものをひしひしと感じました。 しかもこの役、大して重要でもないし、セリフも多くない役なんですよね。 でもこの人が二言三言しゃべるとなぜか画面が引き締まるのでした。 やっぱり大女優のオーラというものでしょうか。 さすが北島マヤのモデルになった人だこと。 映画自体の感想ですが、ビミョ~なところです。 デキは悪くないんだけど、どこをターゲットにしているか今ひとつわからないんですよね。 だってコテコテのアニメファンだったら、この映画のアニメネタは薄いし、かといって、アニメに何の興味もない人だったら、「え~、ヒロインがコスプレイヤーでコミケ行ってるの~? 気持ち悪い!」って言われちゃうだろうし。 あ、気持ち悪いどころか、コミケって何? コスプレって何? っていう人の方が多いかも。 ちなみにいわゆるヲタクの目から言わせていただきますと、このヒロイン、やりすぎです。 好きなアニメが始まったからって、テレビにかぶりついて一緒に主題歌を歌うアニメファンなんてそうそういません。 だいたいビデオにタイマー録画してるっーの。 あと、ヒロインがコミケで販売してる同人誌も今時ないだろう、という内容です。 この映画の監督は松井スズキさんなんでしょうが、この人って、サブカルは好きなんだろうけど、アニメやコミック、さらにはコミケには興味ないんでしょうね。 「エヴァ」の庵野監督が演出メンバーに入ってるし、本人もチョイ役(ほとんどエキストラ)で奥さんの安野モヨコと出演してますが、この二人も現役オタクではないでしょうし。 なーんかズレた雰囲気が全体を覆っているのでした。 映画自体はエキセントリックなラブストーリーって感じです。 もう一度いっておきますが、決してできは悪くありません。
2005年05月23日
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それから私はひどく冷静に少年Aに接した。 少年Aの作ったお好み焼きはほとんど味がしなかった。きっと少年Aがお好み焼きを作るのが下手でソースを入れすぎたせいだと思う。きっと少年Aがその夜は私に妙に優しくて、めずらしい笑顔をふりまいていたせいだと思う。 だから私は少年Aと話したことをほとんど覚えていない。少年Aはいつもより口数が多く、どうでもいいことばかり話した。そのわりには自分がどうしてピアスを耳たぶにはめたかということには一切触れなかった。私はそのことを訊こうとはしなかった。 だって、私と少年Aはしょせん恋人同士ではないのだから。少年Aはあくまで少年Aで、私にとっては名前すらどうでもいい存在なのだから。 私はべつに少年Aと二度と会えなくなってもさみしくなんかない。少年Aがどこで恋愛をしようともそれは少年Aの問題だ。 そう、私は二十九歳の大人の女だ。十七歳のガキとつきあっているのは、単なるなりゆきだ。少年Aがまた手首を切って、自殺未遂をしないように私は見張っているだけだ。 生意気な少年Aは、それなりに慣れた仕草でその夜も私を押し倒した。 少年Aは丁寧な手つきで私の服を脱がせ、丹念に私の体を舐め回す。 私はこんなガキにリードされるのがいやで、少年Aのものを口にふくんだ。「先生いいよ、そんなことしなくて……」 少年Aが眉をひそめて、下目づかいで私に言う。少年Aはいつも私にされるとこんな表情をする。 だが、目の色が少し違う。 いつもは口ではそう言っているけれど、してもらえる興奮を隠しきれないのにその夜は本気で困っていた。私はその理由を問いたくなる口を少年Aの肉塊でふさぐ。 舌でゆっくりつつんで、軽く吸ってやると少年Aはいつものように鼻にかかったあえぎをもらす。きつく目を閉じて、腰をゆらす姿は女の子みたいだ。私はこうするといつも少年Aを犯しているみたいな気分になる。いつも私は満たされる。少年Aにとって、私はなくてはならない存在で、少年Aは私にしかこの器管をゆだねたことがないと思えるから。 私と違って、少年Aは私以外の異性しか知らないのだ。 だが、その夜の少年Aのいつもは塩辛くて、汗のにおいをはなっているそこはシャボンの匂いがした。 私はそれが悲しくて、顔を動かす。少年Aの泣いているような声が私によるものだと思うことで、私は自分に生まれてくる疑念を消す。 きっと少年Aは偶然、ここにくる前に入浴したんだ。何事もすぐ気にする性質の少年Aだから、きっと今の季節、自分が汗くさいのではないかと気になったのだろう。ピアスだって、単なるファッションに違いない。そうだ、私に見せるためのおしゃれなのだ。 じゃあ、どうしてそのピアスを私に見せびらかさなかったのか。 私の中でもうひとりの私が言う。 私はその声に耳をそむけたくて、一生懸命少年Aを吸う。とりあえずこうしている間は、少年Aは私のことを考えてくれているはずだから。 翌朝、ホームルームの時間に教卓には小さな箱が置かれていた。ハート模様の包装紙に、ピンク色のリボンがかけられている。 私が出席簿を置いて、その箱に見入っている間に、日直が間延びした号令をかけた。 私は異変を感じた。ふだんなら教室はおしゃべりの声で騒々しいはずなのに、その日は妙に静まりかえっていたからだ。 顔を上げると、嘲笑をむりやりまじめな表情で塗り隠している生徒たちの顔がたくさん視界に飛び込んできた。 ただ一人、一ノ瀬だけがまっすぐに私を見つめている。一ノ瀬の白目は朝の光を白く反射していて、そこだけ潔い空気が発散されているようだった。 私は嫌な予感がして、その小箱を無視することにした。どうも悪い予感がする。ひょっとして、箱の中にはとんでもない代物ーーーーたとえば小動物の死骸か何かが入っているのではないか。以前も私はプレゼントと称して、机の中に死体写真を入れられたことがあった。どこかの事故現場を撮影したものであろう、車にひかれて脳漿を巻き散らしたその写真に私はとうぶんの間、ケチャップがかかったものが食べられなかった。「ねえ先生、その箱開けてくださいよ」 学級委員がお下げ髪をゆらしながら小首をかしげて言う。「そうだよ、俺らのプレゼントなんだからよォ」 飛んでくる声に、私はできる限りの威厳ーーーーそんなものあればの話だけれどーーーーを込めて言った。「ホームルームが終了してから、ゆっくり見せてもらうわ」 私の言葉に一ノ瀬以外の生徒は一斉にブーイングした。「生徒の好意を無視するって言うのかよ~」「うわー、すっげーエラそう!」「俺ら、淳ちゃんの授業、ボイコットしてやろうか? ついでに学校の目安箱に、淳ちゃん先生が生徒の気持ちを踏みにじりましたって書いてみたりして~」 情けないことに、私はその生徒の言葉に真剣におびえた。職員会議ではしょっちゅう生徒が問題を起こしているクラスの担任がやりだまに上げられる。そうして他の教員から嫌みを言われたり、バカにされたりする教師もめずらしくない。 ただでさえ教室でこれだけいじめられているのに、この上職員室でも立場がまずくなると、私は退職するしかなさそうだった。 幸い、生徒たちのいじめはまだ表沙汰になっていない。それはすなわち彼らのやり方がそれだけ如才なくて陰湿だということでもあるが。「みんな、静かにして!」 私は叫んだ。声が震えているのがなさけない。「じゃあ、あなたたちの好意を受けて、プレゼントを開けてみることにします。これが終わったら、さっさとホームルームに戻るわよ。いいわね?」「は~い」 生徒たちは悪のりそのものの声でユニゾンした。 私が好意、という単語を口にした途端、生徒たちはニヤニヤ笑いをしていた。 顔を見合わせて笑っているものもいる。きっと私が自分たちの悪意に気づいていないとでも思っているのだろう。 わかってます、それくらい。けど、鈍感なフリをしていなければ、私はとっくの間に教師をやめていた。少年Aみたいに手首を切っていたかもしれない。私にはもう手首を切れるほどの自由も残されていないのだ。私が手首を切ったら、きっと生徒たちや同僚の教員たちはめざとく私の傷跡を見つけるだろう。そして情緒不安定の教師として、この学校から追い出そうとするだろう。 もしそうなったら、私は一人暮らしの生計が立てていけなくなる。実家に戻って、両親に一家の恥として扱われなければならなくなる。若くない人間の傷なんて、今の世の中にとってはやっかいごとでしかないのだ。 私は嫌いな食べ物を早くたいらげてしまおうとする子供のように、小箱を手にとってリボンを取った。包装紙をはずすと、瀟洒な紙ケースが目に入った。そのケースの意外なかわいらしさに意表をつかれながら、私はふたを開ける。 そこに入っていたのは、一式のピアスだった。 さっきから私をじぃっと見つめている一ノ瀬が耳たぶにつけているのと同じ銀色の輪っかの形をしたピアスだった。そう、少年Aがはめているのと同じピアスだった。 その箱には、ハート型をしたメッセージカードが添えられていた。開いてみるとカードにはこう書かれていた。”一ノ瀬ばっかりひいきしてんじゃねえ、このバカ女。どうして一ノ瀬だけピアスOKなんだよ? てめーもピアスしてみたら? だったら少しはマシな人生送れるかもしれねえけどよ。まあ、てめえみたいなブスババァ、死ぬしかねえけどな” 少しはマシな人生。 赤いサインペンで書かれたその汚い文字が、私の中の何かを呼び起こした。”ねえ、君もピアスでもしてみたら?” かつて私に、このカードを書いた人間と同じことを指摘した者がいた。言い方はもっとやわらかく、常識的だったが。 その人間とは、私の初めての男だった。大学時代、私が手首を切ってまで引き留めようとしたあの男は、私にそう言ったのだ。ピアスでも入れて、少しはおしゃれしたら、変われるかもしれないよと。 たしかあの時は私は「ピアスは痛いからイヤだ」とか何とか言ったと思う。本当はピアスホールを開けるのが怖いからいやなのではなくて、私を変えようとしているあの男が悲しかった。 君はそのままでいいよ、と私は言ってほしかったのだ。男は私に自分の提案をつっぱねられると、つまらなさそうに口をとがらせた。もしかしてあの時、すでに男には新しい女がいて、それは私の単なる捨てられる前兆だったのかもしれない。 私は置いていかれたのだ。 私はピアスの入った箱を手にしたまま、一ノ瀬に目を向けた。今は髪の毛に隠れていてよく見えないが、一ノ瀬の耳にはあのピアスがはまったままだろう。だから生徒たちはこんな皮肉な贈り物を私にしてきたのだ。 本来なら、攻められるのは私ではなく、校則を堂々と破った一ノ瀬のはずだ。それなのに今、生徒たちが「なんとか言ってみろよ」と私ばかりをなじっているのは、ひとえに一ノ瀬と真っ正面から衝突するのが怖いからであろう。 一ノ瀬にはそういった強さがあった。 強くなりたい。 私は思う。きっと一ノ瀬は強いから、誰にも攻撃されないし、他人に好かれるのだ。 私が一ノ瀬のようになれるとしたら、どうすればいいだろう。
2005年05月22日
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ダンナの好みで最近、ハリウッドのコメディやアクション映画ばかり観ていたのですが、やっぱりこういう映画もいいわ~と思わされた映画でありました。 作家志望でありながら、訃報記事担当の新聞記者で生計を立てているダンはストリッパーのアリスと街で出会って恋に落ち、同棲を始める。 だがダンは写真家のアンナにも魅力を感じるようになって……。 恋愛っていうのはこうやって始まって、こうやって終わっていくんだなあというお話。 自分の心に正直に生きていこうとすると、いかにそれが他人の迷惑になるか、いかに他人を傷つけるか、ことに男女関係に関してはーーーーということを考えさせる映画です。 この映画は有名な舞台劇の映画化作品だそうですが、きっとこの脚本を書いた人って浮気をした経験とされた経験、そして離婚した経験があるんでしょうね。 最初は笑いながら相手を問いつめて、それがじょじょに修羅場になっていくシーンなど、これは経験じゃないと書けないだろうなあと思いました。 あんまりカップル向きの映画じゃないですね、これ。 ちなみに私はダンナといっしょに観ましたが、ダンナは「わけがわからない」「ストーリー展開が理解できない」とさっぱり意味不明……と言っていました。 この映画に大いに共感すると言われるよりマシかも……。
2005年05月21日
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攻め×攻めのアドベンチャーゲームという宣伝文句になっていますが、べつに攻めと攻めが×××するゲームではありません。 ルチルとキアというエージェントが、依頼を受けてターゲットをおとしていくというゲーム。 この二人が攻めだからこういう宣伝にしたんでしょうが、かなり違うような気がする……。 二人がHすることになって、どちらが受けで攻めになるかで争うというシナリオがあるならもうドンピシャリ! なのですが。 とりあえずアネルシナリオクリアしてみました。 最初にこんなショタキャラを選ぶ私ってどうよ?(^^; べつにショタ好きってわけじゃないんですけど、こんないたいけなキャラをどうやって×××するかでこの作品の鬼畜度がわかるかと思いまして。 だってこれ、設定からするとかなり鬼畜ですよね? 設定だけ聞いていると、男性向け成年コミックみたいじゃないですか。 だからこういう設定にどうやってBLのロマンやら愛やらを織り込むのかと思ったんです。 それが一番わかるのはアネルシナリオだと私は考えました。 だってこんな小さな子供、ゼッタイに自分から相手を誘惑したりしませんよね。 おそらくセックスがなんなのかもよくわかっていないだろうし。 それをどうBLに仕立てていくのかなあ、と思ったのです。 私はBLっていうのは、やっぱり基本的には愛があるべきだと思っていますから。 で、感想。 軽~いノリでした。 これはあんまり深く考えてプレイするゲームじゃないみたいです。 「こんなんあるかい!」な妄想と煩悩てんこもりの展開とセリフのオンパレード。 もしアネルが女の子だったら(実際、ボイスは女性ですし)、そのまま男性向け18禁ゲームのシナリオとして採用されるでしょう。 私はもうちょっとアネルとキアの心が近づいていくエピソードなどがほしかったのですが……。 ライトでHなノリが最近のBLのはやりみたいですから、これでいいんでしょうか? 他のシナリオをクリアしてみないと何とも言えないことですが。 まあ、設定からしてこういう内容でいいのかもしれませんがね。
2005年05月20日
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私は一ノ瀬の校則違反をとがめるのも忘れて、彼女の話に聞き入っていた。いつもは皮肉っぽくゆがんでいる一ノ瀬の口元が実に幸せそうな笑みを浮かべているのだ。 一ノ瀬は片手を銀色のピアスに当てた。「こうすると、どんな嫌なことにも耐えられる気がするの。オヤジに殴られてる時もちっとも痛くない気がする。あいつがあたしのこと守ってくれてるみたいなんだよ」 一ノ瀬はふと我に返ったように私を見た。私に向けていらうような笑みを浮かべる。「ねえ、先生は好きなヤツいないの? そいつに指輪でもなんでも送ってもらいなよ。そうすれば先生もちょっとは自信がつくよ。先生がクラスのヤツらにナメられてるのは先生がいつもオドオドしてるからだよ。自分なんかがこの世にいちゃいけないって顔してるからだよ。大事な人間に証をもらえば、少しは心が強くなるよ」 一ノ瀬の口ぶりはあいかわらず生意気だったが、自分にとって確実なものを見つけた人間の自信に満ちあふれていた。 私の男。私の好きな男。私の大事な男。 私は一ノ瀬の言葉からキーワードをひろって、自分にとってのそんな人間を頭の中で検索してみた。とりあえず、真っ先に少年Aの顔が思い浮かぶ。昨夜、私の膝の間に自分自身を埋め込んだ少年A。射精している時、きつく目を閉じた顔。その顔はまだまだあどけなくて、若さにあふれている。その顔は私の男というには、まだ未来がありすぎる。私が少年Aに指輪をねだったら、少年Aを重荷に感じるのではないだろうか。 私は一ノ瀬がうらやましかった。十五歳の一ノ瀬にとって、恋とセックスはまだただの楽しみでしかないのだから。だからこそ一ノ瀬は、安物のピアスをこの上もないお守りにしていられるのだ。 私は一ノ瀬から目をそらせて言った。「とりあえずそのピアスはずしなさい。校則違反は校則違反だから」 私はそのままそそくさと席を立った。私をつまらない大人と軽蔑しているであろう一ノ瀬の顔を見るのがつらかったのだ。 その日も少年Aは、私のアパートにやって来た。 丁寧な、ゆっくりしたトーンで押されたブザーが鳴る。私がドアを開けると、少年Aはいつものように背中にリュックサックを背負って立っていた。私はきょろきょろとあたりを見回しながら、少年Aを部屋に入れる。元、とはいえ、少年Aは私の教え子なのだ。「先生、今日の献立はお好み焼きだよ」「え、どうして?」 私はさっそく台所に立った少年Aに素っ頓狂な声を上げた。「どうして、って……」 少年Aはリュックから、値札のついたままのお好み焼き粉を出しながら、困ったように笑った。「だって少年A、お好み焼きなんて今まで作ったことなかったじゃない。それにこういう粉物、君嫌いじゃなかった?」 少年Aは驚いたように私を見てから、もごもごと口を動かして、やがて目をそむけた。その時私は気がついた。少年Aの耳たぶに銀色のピアスがはめられていることを。 それは一ノ瀬がはめていたものとそっくり同じだった。 私の脳裏に、一ノ瀬とその友人の会話がよみがえった。”一ノ瀬のカレって、すっごくまじめそう”一ノ瀬のカレって、すっごくまじめそうだよね。眼鏡なんてかけちゃってさ” つづく
2005年05月19日
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ホームルーム終了間際、私の動悸は限界まで早くなっていた。明日の予定を生徒たちに話すのに、何度もつっかえてしまい「淳ちゃんがんばってェ」だの「さっさと教師やめちゃえよ、バーカ」だの野次られた。 私はそれに傷つく余裕もなかった。その次に控えている仕事は私にとって、はるかに荷が重いものだったからである。「それではこれで、ホームルームを終了します」 私が一言そう言うと、それまでざわついていた生徒たちはやっと退屈な時間が終わったとばかりに伸びをし出した。机につっぷして居眠りしていた生徒もだるそうに顔を上げる。日直の女生徒が投げやりに「きりィィつ、気をつけェ、れェい」と号令した。 それから掃除のために、みんなが一斉に机を後ろに引き出す。何度注意しても彼らは机を持ち上げて運ばない。だから教室中は机の足に床がこすりつけられる金属音でいっぱいになった。それはよりいっそう私の不安感を増大させる。 私は深呼吸して、クラス一の問題児の名前を呼んだ。「一ノ瀬さん」 さっさと机を片づけて、友人と教室から出て行こうとしていた一ノ瀬光子は私に声をかけられたことにやや驚いたようだった。当然だ。私はこのクラスの生徒たちと同じように、いや、それ以上に一ノ瀬を避けているのだから。 一ノ瀬光子は俗に言う不良少女だった。両親は早くに離婚し、現在は父親と二人暮らしだ。その父親はわけありの職業についていると職員室ではもっぱらの噂だった。彼はまったく学校の行事に参加したことがない。 かく言う私も、一ノ瀬の父親には一度も会ったことがない。授業参観の時ですら、一ノ瀬の父親は家にいなかった。一ノ瀬と父親が住むアパートは洗濯物とスナック菓子、酒瓶が散乱する六畳一間だった。長い黒髪をかきあげながら、つめを磨く一ノ瀬に私はおそるおそる尋ねたものだ。”一ノ瀬さん、お父さんはいつお帰りになるの?” 一ノ瀬は鼻で笑った。つりあがった大きな双眸と白い肌を持つこの少女はこうした高慢な笑みがよく似合う。一ノ瀬はその日、黒いタンクトップと穴の開いたジーンズを身につけていた。これほどストリートファッションがよく似合う少女を私は一ノ瀬以外は知らない。”あのオヤジがいつ帰ってくるかなんて、娘のあたしでもわかんないよ””え……じゃあ、一ノ瀬さんってもしかしてずっとひとりぼっちなことが多いの?” まあね、と一ノ瀬は答えた。私は深く考えずに思わず言った。”それは、ずいぶんと寂しいでしょうね””たしかに寂しいよ。たしかにあたしはひとりぼっちだ。でも、生きてること自体がひとりぼっちだってことじゃない?” 私はその時、不覚にもこの生徒にあこがれてしまった。きっと一ノ瀬はどんなにつらくて理不尽な目に遭っても、大きな瞳にきつい光を宿して笑っているのだろう。そのうち相手も、一ノ瀬に見下されたような気がして、一ノ瀬を攻撃するのをやめてしまうはずだ。私は一ノ瀬が黒い髪をなびかせて、夜の街をゆく姿を夢想した。 もし私に、そして少年Aに一ノ瀬ほどの強さがあったら、リストカットなどしないだろう。自分を傷つけることで感情を表現し、赤い血を見ることで生きていることを実感したりしないだろう。 それでも私は一ノ瀬と実際に接するのは怖かった。一ノ瀬は私をいじめる生徒のグループには入っていない。一ノ瀬にしてみれば、学校などお子ちゃまの集団で、教師いびりなどちゃんちゃらおかしいのだろう。 一ノ瀬は黙っていても抜き身の刀のような冷たい凄みがあったので、いじめっこグループが逆におびえているほどだった。 今日、私がいやいやながら一ノ瀬を呼びつけたのは、一ノ瀬が耳にピアスをつけたからという理由だった。それを古文の授業中に発見した中島が一ノ瀬を注意したそうなのだが、一ノ瀬が無視したというのだ。 屈辱に顔をゆがめた中島が、私に担任教師としての制裁を求めたというわけなのである。「一ノ瀬さん、これからちょっと生徒相談室に来てもらえる?」 私は早口で一気にそこまで言った。そうしないと自分がひるんでいることが一ノ瀬にバレてしまいそうだった。そうでなくても生徒たちは好奇の目を向けて私と一ノ瀬のやりとりをうかがっている。「いいですけど」 一ノ瀬はそう言って、静かに笑った。 そして私たちは校舎の一階にある生徒相談室に向かった。ここは三階にある私のうけもちのクラスからかなり離れている。それに隣に職員室があるから、生徒たちもおもしろがって聞き耳を立てたり、私をからかおうとはしない。だから私はこの部屋を使うことにしたのだった。 私は警察の取調室を思わせる殺風景な白い部屋に入ると、一ノ瀬をパイプいすに座るよう勧めた。一ノ瀬は脚をそろえずに腰をおろす。 私は一ノ瀬と灰色の机をへだてて向かい合わせに座った。一ノ瀬の大きな双眸はまっすぐ私を見ている。それに気圧されて目をそらせてしまいたい誘惑と戦いながら、私は用件をさっそく述べることにした。嫌な仕事はなるべく早くすませてしまった方がいい。「一ノ瀬さん、ちょっと耳たぶ見せてくれないかな」 一ノ瀬はなにげない仕草で、私に命じられた通り、長い髪を両手でかきあげた。青白い耳たぶには、赤ん坊の小指ほど太さの銀色のわっかがはまっていた。それは小さいながらも一ノ瀬の肉を貫通していた。「ピアスが校則で禁止されてるって知ってるよね?」 一ノ瀬は髪を手で梳きながら返事はしなかった。ナメられている。私は日頃から感じていたことをあらためて痛感した。自然と語気が荒くなる。「どうしてピアスなんかするの?」「男にもらったから」 一ノ瀬は男という単語を力強く発音した。自分にとってのたしかなものがそこにあると確信している声だった。一ノ瀬はひるむ私に微笑みかける余裕さえ見せて、言葉を続ける。「これ、あいつとおそろいなんだよ。これつけてるとあいつといつも一緒にいられる気がするの」
2005年05月18日
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私の手首には赤黒いひびわれができている。すでにだいぶ薄くはなっているが、地面に走った亀裂のようなその傷跡はこれから先も一生消えないだろう。「先生、この傷……」 手塚くんはそこまで言って口をつぐんだ。「昔、大切な人に、ううん、私だけ大切だと思ってた人に置いていかれそうになってつけた傷なの。私、うまくその気持ちを言えなくて、こういう形でしか表現できなかった。でもその人は、私におびえちゃって私からかえって離れていっちゃったけど」 私は笑った。でも心はずきずき痛い。あれからもう五年もたっているのに、私はまだあの失恋から癒えていない。相手は大学の同級生だった。”俺、佐々木さんがそうやって一生懸命人の話を聞いている時の顔って好きだな。すごく人の気持ちを思いやろうとしている感じで。今時、みんな自分のことがしゃべりたくてたまらない人ばっかりじゃない” ゼミのコンパで黙ってみんなの話を聞いているだけの私を彼はそう言ってくれた。彼の指摘は間違いだった。本当は私だって輪の中心になってしゃべりたくてたまらなかった。他人を押しのけて話す勇気がないから、他人の話に黙って耳を傾けているだけだったのだ。 けれど、彼のように私をそうやってほめてくれた人は今まで一人もいなかった。みんな私を「おとなしい人」「暗い人」というだけだった。私は嬉しくて心がはりさけそうだった。彼につきあおうと言われた時は嬉しさを越えて不安がやって来た。こんなまじめなだけのつまらない女に、陽気で楽しい彼は不釣り合いだと思ったのだ。 彼は二時間かけてお化粧して、手作りの弁当を毎日持ってくる私に「俺のために無理しなくていいよ」と何度も言った。私はあなたのためにこうしているのが一番楽しいのよ、と私は心から答えた。そのうち彼は私のアパートに来なくなった。携帯も通じなくなった。 ある日、彼は久方ぶりに私の部屋へやって来た。そしてリンゴを剥く私の前でこう言ったのだ。”俺と別れてくれ。だって俺といっしょにいると、君は君らしくいられないんだよ。無理して俺に合わせようとしているのを見ると、こっちがつらくてたまらないんだ” 私は体がさぁっと冷たくなっていくのを感じながら微笑もうとしていた。悲しい表情をしたら、彼がいやがると思ったのだ。私は笑いながら、「私はちっとも無理なんかしていない。私はあなたと一緒にいられるだけでいいの」と言った。それから私たちはどのくらいの間、不毛なやりとりを続けただろうか。崩れそうな砂の城をお互いに少しずつ崩しあっているような時間だった。 それまで太い眉をひそめながらも、どうにか笑っていた彼はついに怒鳴った。”俺はお前が重いんだよ! お前のその顔が、その目が嫌いなんだ。いつも人のことをじっと見張ってるみたいで。人間は自分のことを四六時中考えてる人間のことをありがたいなんて思わないんだよ! うっとおしいだけなんだよ!” 彼が私のことを「お前」と呼ぶのを私はその時初めて聞いた。そして私は部屋から出て行こうとする彼を引き留めたくて、果物ナイフで手首を切った……。 手塚くんは私がなぜ手首を切ったかの理由を訊こうとはしなかった。ただ、私の傷が自分の傷であるかのように痛そうに目に涙を浮かべて私の傷を見つめている。それでこそ手塚くん。やさしくて、人一倍思いやりがあるのに、それを相手に伝えられない。だからみんなに誤解される。「僕……」 手塚くんはシーツを握りしめながら、うつむいて言った。私は手塚くんを刺激しないように「うん?」とできるだけやわらかな声であいづちを打つ。「僕、昨日、父さんに言われたんです……。お前が手首を切るのは、単にみんなを心配させたいだけだろうって……学校をさぼりたいだけだろうって……」 手塚くんの声には涙がいっぱいにじんでいた。眼鏡をすりぬけてこぼれ落ちた涙が、シーツの上にぽたぽたと落ちる。がんばって、少しでも自分の気持ちを吐き出して。私が受け止めてあげるから。私はそう言いたくて、手塚くんの手の甲に自分の手を重ねた。手塚くんの手はひんやりしていて、やわらかかった。「……僕は、僕は、手塚家にふさわしくないって。こんなに弱くてもろい人間は、この世のどこにいっても生きていけないって……秀一って父さんのつけた名前に恥じる人間だって……本当に死にたいんだったら、思い切ってひと思いに死ねって……だから僕は手首を……」 私は手塚くんの口を自分の胸でふさいだ。強く手塚くんを抱く。手塚くんの腕にささっている点滴の管が張って、まっすぐな線を描いた。「もういいわよ、手塚くん。それ以上言わなくていいわよ」 私は手塚くんの頭に自分の頬をすりつけながら言った。手塚くんのこもった泣き声が私の腕の中から聞こえる。手塚くんの髪は青い桃の匂いがした。 手塚くんはおぼれかけた人が空気を求めるように顔を上げた。手塚くんの顔は涙と鼻水でべとべとだった。私は涙でぐっしょり濡れた眼鏡をそっとはずす。「僕、僕、きっと天国にいるイエスもいらない人間だったんだ……だから、死にきれなくて、まだこの世にいるんだっ……」「違うわ。手塚くんは一度死んで、もう一度生まれ返ってきたのよ。まだ手塚くんがするべきことがこの世界にはあるのよ」 私は手塚くんの震える肩をつかみながら言った。手塚くんは嬉しそうに、けれど不安そうに尋ねる。「本当に?」「ええ、本当に」 私はできるだけ深くうなずく。こうすれば私が確信を持ってそう言っているように見えるはずだ。 でもそれは嘘だ。私は根拠のない励ましをしているだけにすぎない。薄っぺらい教師はこうやってだましだまし生きていくしかないのだ。そして手塚くんはそこをついてきた。「たとえばどんなことのために、僕は生きてるの?」 次の瞬間、私の口は驚くべきことをひとりでにしていた。 私は手塚くんの涙をなめとっていた。手塚くんは驚いたように息をのむ。だが、私に自分から顔を差し出した。眼鏡をかけていないまぶたを閉じた手塚くんは女の子みたいに可愛かった。私は体の芯がじん、とあたたかくなるのを感じながら、手塚くん 長いまつげについた涙を舌ですくう。 私は手塚くんの涙をなめとっていた。手塚くんは驚いたように息をのむ。だが、私に自分から顔を差し出した。眼鏡をかけていないまぶたを閉じた手塚くんは女の子みたいに可愛かった。私は体の芯がじん、とあたたかくなるのを感じながら、手塚くん 長いまつげについた涙を舌ですくう。 最後に私の舌は手塚くんの唇を割って、彼の舌にゆきついた。手塚くんは最初はおびえていたけれど、ちょっとそのうちちゅっと自分から私の舌を吸った。 それからしばらくして、卒業式が終わった後、私のアパートに手塚くんは来た。 私に膝枕されながら、裸の手塚くんは言った。「先生、いいのかな、僕……先生とこんなことになっちゃって」 私は手塚くんの汗ばんだ髪をくしゃくしゃと撫でながら笑い出す。手塚くんは首筋まで真っ赤になって怒った。「な、何がおかしいんですか、先生!」「ごめん、ごめん。だって、この期におよんでそんなこと言うなんて、って思って。最初からそう思うんだったら、私のアパートに来なきゃいいんじゃない。こうなること、わかってたんでしょ?」 手塚くんはぷい、と横を向いた。眼鏡を取って裸でいる手塚くんは本当に女の子みたいだった。中年オヤジがセクハラする気持ちってこんな感じだろうか。 でも、手塚くんの下半身はちゃんと男の子だ。さっきその証を私の中で示してくれた。私の脚の間は鈍い痛みを帯びている。初めての彼と別れて五年間、男を受け入れてなかったからだ。それなのに私は寝床の中でも手塚くんの先生として振る舞った。十五歳と寝る二十五歳の女が処女に限りなく近い状態なんて、生き恥ではないか。 私が手塚くんをからかってしまったのも、年上の女の余裕を見せたかったからだった。やりすぎたな、と思った私は手塚くんの少しくせのある髪を指先でつまむ。驚いてこちらに向き直った手塚くんの耳たぶをその髪でくすぐると、手塚くんは落ちつかなげに目をすがめた。「へへっ」 私はアニメキャラクターのように声に出して笑いながらウィンクした。手塚くんはぷうっとふくれる。「先生、からかわないでください!」「ごめん、ごめん」 私は笑いながら手塚くんにキスした。手塚くんはちょっと恥ずかしそうに口を開いて、私の舌を吸った。 手塚くんの上にのりながら、私はささやく。「……ねえ。手塚くん。あなたにいい名前をつけてあげる」「……どんな名前ですか?」 手塚くんはきつく目を閉じて息をはずませながら答える。手塚くんは離していたのだ。病院のあととりである手塚秀一という名前が、自分にとって重いのだと。「少年A。未成年なのに、女教師とこんなことしてる悪い子だから。でも先生、こんな悪い子が大好きよ」 私は手塚くんが気持ちよくなるように、大きく腰を使った。手塚くんは「うっ」とうめく。「……いい名前ですね」 うっすらと目を開けて、手塚くんは微笑みながら答えた。慣れない手つきで私の乳乳房をもむ。自分がつながっている人間がここにいるんだとたしかめているような手の動きだった。私は手塚くんのその思いに応えたくて、少しひっかかるのを我慢して腰を深く沈める。私の息は荒くなった。「そう。だから、私といる間は、君は少年Aでいなさい。誰も知らない、何も持っていない、ただの少年Aに」「……はい」 こうして少年Aは私の肩を抱き寄せて、私にキスをした。 つづく
2005年05月17日
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昨夜、手塚くんとお父さんはひと騒ぎ起こしたらしい。 私の帰宅後、手塚くんは部屋にこもって夕食を家族といっしょに取ろうとしなかった。病院からすでに帰宅していた手塚くんのお父さんはそれをひどく怒った。お父さんは手塚くんが学校に行かないことを以前から不服としていたのだが、お母さんが「勉強疲れで精神的に参っているから」と説明したのだ。お父さんも手塚くんのリストカットをすでに知ってはいたから、無理矢理学校に行かせようとはしなかった。その代わり、毎晩いっしょに夕食を取って、その日のできごとを報告することが義務づけられていたのだ。それを破ったとお父さんは怒り、手塚くんと言い合いになったのだという。 そこまで聞いて、病院の待合室のソファーで私は訊ねてみた。「どうしてカウンセリングに行かせたりはしなかったんですか? お父様は病院の医院長をなさっていますよね? いいカウンセラーの先生も比較的簡単に探せると思うんですが」 手塚くんのお母さんは平日の夜の誰もいない待合い室の周りをきょろきょろと青黒いくまの浮き出た目で見回しながら声をひそめて答えた。そんなことをしなくても、もうとっくに面会時間は過ぎていた。それなのに部外者である学校業務を終えた私が面会を許可されたのはひとえに手塚くんが入院しているこの病院が、彼の父親の経営するものだからに他ならない。「秀一は甘ったれてるだけだと主人はいうんです。だからそんなものは必要ないと」「でも、実際に手首を切ってるんでしょう? 甘えという問題ではくくれないと思いますけど」「世間体、という言葉をご存じですか? まだ若いあなたにはおわかりにならないでしょうけれど」 お母さんは上目づかいで私をにらみながら小さく、そして鋭い声で言った。これ以上何も訊くなというように大きくため息をつく。私は気圧されて、話題を変えることにした。「それでどうして手塚くんは入院することになったんですか?」 お母さんは気まずそうにうつむいた。こうしてみると、顔の輪郭は手塚くんと実によく似ている。「……主人と少し言い合いになりまして」 それはさっき聞いたわよ。私はそう言いたかったが、これ以上お母さんの機嫌を損ねるのは気が引けた。私がそう思いをめぐらせている間にも、お母さんはひたすら周りを見回している。「それでは、手塚くんの病室にご案内していただけますか?」 私がそう申し出ると、お母さんは真剣なおももちで私に頼んできた。「秀一の入院は学校にはご内密にしてください」 だったらどうして教師である私をここに呼んだんですか? 私はその問いを吐き出したくなったが、ぐっと飲み込んだ。私はいつだってこうやって我慢してきたのだ。それはたやすいことだった。 こうして私は、手塚くんの入っている個室に案内された。「秀一。先生がいらっしゃったわよ」 引き戸を開けながら、お母さんはベッドに向かってそう声をかけた。クリーム色のカーペットが敷かれた病室の奥に手塚くんの寝ているベッドはあった。 病室はどう見ても二人部屋だった。窓辺からは広々とした夜の海が見える。備え付けの棚の上にはピンク色の薔薇とかすみ草が生けられていた。「先生?」 シーツのふくらみからかすれた声がした。手塚くんは起きあがった。手塚くんのお母さんがあぶなっかしそうに声をかける。「秀一、寝てなきゃダメじゃないの」「でも母さん、先生に失礼じゃないか」 手塚くんは真剣にそう言った。 点滴の細い管が腕につけられているのが見える。手塚くんは眼鏡をかけていない目をすがめて私を見た。大きなその目はうるんでいた。手塚くんの昨日より白っぽくなっている唇が小さく動く。ゴメンナサイ。その動きで、私は手塚くんが声を出さずにそう言っているのがわかった。 手塚くんは瞳をゆらがせて、やがてたえきれなくなったように白いシーツに視線を落とした。 私は決意した。 ふと思いついたように、途方に暮れたように息子を見つめていた手塚くんのお母さんに言う。「手塚くんに進路の話などしたいので、しばらく席をはずしていただけますか。それから学校について込み入った話もしますので、なるべくお医者さまや看護婦さんにも入ってこないようにお願いしていただけますでしょうか」 お母さんはほっとしたようにうなずいた。手塚くんにどう接していいかわからなかったのだろうと私は思った。「それじゃあ、先生、よろしくお願いします」 お母さんはそう言って軽くお辞儀して、引き戸から出て行った。私は注意深くそれを閉める。 私がベッドに歩み寄ると、手塚くんは背筋を伸ばして座った体をびくりと震わせる。病院で配布されたであろう縞模様のパジャマにつつまれた体は折れそうに細かった。 手塚くんは唇をかみしめて私を見た。昨日あんなことをしたんだから、どんなになじられても仕方ない。そう覚悟を決めたような表情だった。 私はベッドまでたどりついた。ほんの五、六歩ほどの距離だったが、私にはひどく長いもののように思えた。それでいて、そこをずっと歩いていたいような気もする。私はこの傷つきやすい少年にどんな言葉をかけていいのかわからないのだ。「気分はどう?」 結局、私の口から出た言葉はごくありきたりなものだった。「……悪くはないです。痛み止め、効いてるみたいで」 手塚くんはうつむきながらぼそっと答えた。「それは良かったわね」 私は唇にどうにか笑みの形を作りながら答える。備え付けの冷蔵庫の稼働音が低くうなっていた。点滴がぽたぽたと落ちる。 手塚くんは包帯を巻いた手首が白くなるほど強く拳を握っていた。私は手塚くんの手首の血管が切れて、そこから血が噴き出してしまうのではないかと心配した。この細い腕が、昨日あれだけ強い力で私を押さえつけていたとは信じられない。そしてその手塚くんの生命力が早く戻ってくるようにと祈っている自分を意識する。「このお花、綺麗ね。お母様が買ってくださったの?」 私はどうにか話題を見つけた。棚の上の切り花を指さす。 手塚くんは色とりどりの花に目をやってから、悲しげに眉をひそめた。「そうです。僕、母さんに花は買ってこないでって言ったのに……」「どうして? 花って綺麗じゃない。心がなごむわよ」「それは人間の側からだけの話でしょう?花はもっと地面に咲いて、生きていたかったはずだ! 僕のために、僕なんかのためにここでしおれて枯れていくなんて。僕、切り花って嫌いなんです。花が人間のために生命をだんだん生命を失っていくのを見なきゃいけないから……」 手塚くんは激しい口調で一気に言った。昨日、私に聖書の話をしているのと同じ口調だった。こらえていたものがあふれだしているのだ。 ややあって、手塚くんは私を見て、丁寧に頭を下げた。「ご、ごめんなさい! 先生、せっかく来てくださったのに、僕、変ですね」「いいのよ、べつに。昨日の手塚くんの方がもっと変だったから」 手塚くんの頬がこわばった。顔がさっと赤くなって、すぐに青くなる。言い過ぎたか、と私は思った。 けれど、これくらい言わなければ手塚くんの中には踏み込んでいけない。もしそれができなければ、私と手塚くんはこれから気まずく十分ほど過ごしただけで、二度と会えなくなってしまうかもしれないのだ。「……でもね、私、変な手塚くんも好き。だってこれがきっと本当の手塚くんなんだもの。おとなしくてまじめな手塚くんはいつも何かを我慢してる。そうでしょ?」 私は花瓶に生けられた薔薇の花弁をいじりながら言った。こんな美しい花を見ても、無常を感じるほどこの少年の心は繊細なのだ。それは生きていきにくい証とも言える。 けれど、私は手塚くんにこの世にいてほしい。だって彼は私を必要としてくれている、もしかしてただひとりの人間なのかもしれないのだから。 手塚くんはシーツをいじりながら、私の言葉をうつむいて聞いていた。私の態度をどう取っていいのか迷っている様子だった。 私は言葉を続ける。「手塚くんはもっとたくさんのことをお父さんやお母さん、そして私や周りのみんなに言いたいのよね。でもそれがうまく言葉にできない。その間にみんながあなたに何だかんだと命令してくる。だからあなたは手首を切ってしまう。あなたが剃刀が怖くないのは、剃刀はあなたの言葉なのよ。だからあなたは剃刀が怖くない。むしろ剃刀は手塚くんの友達で、人間なんかより絶対安全なもの」「どうしてそんなことが先生にわかるんですか?」「……これ」 私は太い腕時計をはずして、手塚くんに見せた。 手塚くんは息をのんだ。 つづく
2005年05月15日
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それはこういう物語だった。ある日、イエスが山に金貨を隠す。そしてそれを二人の弟子希望者に取って来るように命じる。 一人の男はただ金貨を見つけ出して持ってくる。もう一人の男は発見した金貨を磨いて持ってくる。イエスは後者の男だけを弟子として採用する。なぜなら言われたことだけをただやる人間は弟子として必要ないからだとイエスは言うのだった。「先生はこの話、どう思います?」「う~ん……つまり、真面目に言われたことだけをこなしてるだけじゃ駄目ってことかしら」 首をひねりながら言う私に手塚くんはため息をつきながらうなずいた。「たしかにそうかもしれませんね。他人に言われた通りにやる人間じゃ駄目なんだ。真面目なだけじゃ駄目なんだって、イエスは言いたかったのかもしれません」「そう言えば、最近そういうことよくテレビで言われてるわよね。自分で考えて工夫しない人間じゃなきゃ、勝ち組にはなれないとか。この金貨をただ持ってきた人にはそのひと工夫が足りなかったのかもしれないわね。ただ従順なだけで」「……でも僕、この人がこういう性格になったのはそれなりに理由があったと思うんです」 手塚くんの聖書を見つめる目は、今机の上にある消毒された剃刀と同じ色になっていた。はりつめていて鋭くて、それでいてどこか脆い色。 私は息を詰めて手塚くんを見守る。「この時代は一部の権力者が民衆を支配していたんでしょう? イエスの弟子志望になる人なんて、きっとみんな貧しくて奴隷同然の身分の人が多かったはずだ。そんな人間が自分の意見を持って生きていたらどういうことになります? 相手の気に入らないことを少しでも言ったら殴られて、痛めつけられるんだ。そんな人間が、いきなり自分の頭で考えろって言われても無理に決まってますよ」 私はその時、初めて手塚くんが声を荒げて話すのを聞いた。けれども手塚くんの声は少しも威圧的ではなかった。泣き出す直前の子供のような声だった。私は手塚くんを抱きしめたくなった。 でも教師として、一人の生徒にそこまでするのはためらわれた。その間にも手塚くんはいらいらと部屋中を歩き回り、言葉を続ける。「この人はそんな自分を変えたくて、イエスの弟子になりたかったんだ。自分を受け止めてくれて、導いてくれる人が欲しかったんだ。それなのに、真面目なだけじゃ駄目なんて……言われたことをただやるだけじゃ駄目なんて……」 手塚くんの言葉はすっかり涙ににじんでしまい、最後の方は聞こえなかった。手塚くんは机の上にあったカミソリを素早く手に取っていた。もうすっかり私の目になじんでいたカミソリは蝶に似た輝きを放って手塚くんの手首に降りようとした。その手首にはまだ真新しい包 手塚くんの言葉はすっかり涙ににじんでしまい、最後の方は聞こえなかった。手塚くんは机の上にあったカミソリを素早く手に取っていた。もうすっかり私の目になじんでいたカミソリは蝶に似た輝きを放って手塚くんの手首に降りようとした。その手首にはまだ真新しい包帯が巻かれていた。「やめなさい!」 私はとっさに叫んで、手塚くんの手からカミソリを払い落としていた。カミソリは乾いた音を立てて、床に落ちた。手塚くんの体はバランスを失って、私のからだにもたれかかった。私の体は手塚くんに押し倒される格好になり、床に崩れ落ちる。 私はその衝撃に悲鳴を上げるのも忘れていた。私のタイトスカートからのびた素足に手塚くんのズボンにつつまれた太股が当たった。その感触のたくましさに私は手塚くんはちゃんと男なんだ、と当たり前のことに感動していたのだ。 手塚くんは上から私を見据えていた。眼鏡は倒れた時に取れてしまったのだろう。手塚くんはあらわになった大きな目から涙を流していた。それは私の口の中にもぐりこむ。手塚くんの涙はしょっぱくてあたたかかった。「先生……」 手塚くんはしぼりだすような声でそう言うと、目をきつく閉じて私にくちづけてきた。それは接吻というより、歯と歯のぶつかり合いだった。 私は手塚くんのぎこちない口づけを受けながら必死にもがいた。私の抵抗に手塚くんは我に返ったように飛び退いた。 私は乱れたスカートの裾を直すのも忘れて、素早く立ち上がる。「先生、待って……」 床に座りこんだままの手塚くんが悲鳴のような声で止めるのを振り切って、私はカバンを抱えて消毒薬の匂いのする部屋を出る。「先生、もうお帰りになられるんですか?」 玄関先で手塚くんのお母さんに呼び止められたが、あいさつするのもそこそこに私は手塚家を飛び出した。 その晩、半狂乱の手塚くんのお母さんから電話がかかってきた。 手塚くんが手首を切って病院に運ばれたという電話だった。 つづく
2005年05月14日
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私は比較的私になついてくれている生徒の幾人かに、休み時間の間にさりげなく手塚くんの交友関係について訊ねてみた。誰かとケンカなどしていなかったか。また、いじめられているのを見たものはいないか。 だが生徒たちの答えは一様に同じだった。手塚くんとは仲良くないからよくわからない、というのである。「手塚ってさァ、マジメでギャグとか言わねえから話しててもつまんねえんだよ」「そうそう、成績優秀なだけでおもしろみのないやつって感じ。親の言うこともハイハイって聞いてそう」 二人の男子生徒はそう言って顔を見合わせて笑った。私は古いかさぶたをはがされた気がした。それは学生時代、私がさんざん友人たちから言われたセリフだったのだ。「真面目なのがどこが悪いのよ。手塚くん、いい子じゃない」 私は無意識のうちに強い口調になってそう言っていた。生徒たちは「淳ちゃん、怖いィ」と肩をすくめて走って逃げた。私はすっかり生徒にナメられている。もし手塚くんへのいじめを発見できても、いじめっこたちを注意することはできないかもしれない。私は今も昔も、ひ弱な優等生でしかないのだ。 こうして私は手塚くんに負い目と同時に親近感を抱くようになった。彼も私も同じ。今時流行らないまじめなだけのつまらない人間なのだ。 私は教室で手塚くんを守れなかった引け目を埋めるように、手塚家に通い続けた。 幾人かの教師には「先生は仕事熱心ですなあ」と言われた。「不登校児なんて、いちいち相手にしてちゃ身が持ちませんよ。向こうが体調不良だから学校に来られないって言ってるんだから、教師のあなたがわざわざ介入することじゃないじゃありませんか」 頭をてからせたベテラン教師は声をひそめてそうアドバイスしてくれた。だが彼は考え違いをしている。私は義務感だけで手塚家に通っているのではない。私は職場である学校から帰宅すると、テレビを見ながら寝るだけの人間なのだ。 私に必死に何かを語ろうとしてくれている人間は手塚くんしかいなかった。「先生、聖書って読んだことある?」 二月の半ばにさしかかったある日、手塚くんは私にそう訊ねてきた。手塚くんも私もあいかわらず体育座りをして、カーペットに並んで腰をおろしている。 けれど、手塚くんは私に敬語を使わなくなり、以前より頻繁に私の目を見て話すようになった。そして私はなぜか手塚くんが私に敬語を使わなくなったことが嬉しかった。「昔、親から買ってもらった児童文学全集のダイジェスト版でなら読んだかな……手塚くん、キリスト教信者になりたいの?」「……なってもいいと思ってた。神様でも信じたら、ちょっとは僕も生きていきやすくなるかな、と思って」 手塚くんは膝の間に顔をうずめるようにして笑った。悲しくて仕方がないのをこらえているような笑い方だった。その悲しみをどうして私に話してくれないの。それがくやしくてたまらない私は、手塚くんのおでこを姉さんぶってこずいた。「痛ッ」 手塚くんが子供っぽく顔をしかめたのにほっとしながら私は腰に手を当てて言う。「手塚くんはまだ若いんだから、そんな老成したようなこと言うんじゃありません」 手塚くんは「あいてて」と額を押さえながら私を軽くにらんだ。私も手塚くんと同じような目つきで手塚くんをにらみ返す。やがて私たちはにらめっこをした後の幼稚園児みたいに笑い合った。 私はこんなふうに他人と笑い合うのにずっとあこがれていた。私はいつも友達から「真面目な佐々木さん」として一線引かれていた。誰も私をあだ名どころか、名前の「淳子」で呼んでくれることはなかった。 それが今、十一歳も年下の男の子にその願いをかなえてもらっている。私はそのせめてものお礼に手塚くんをなぐさめることにした。「そのうち手塚くんも毎日楽しく過ごせるようになるって。高校に上がったら友達もたくさんできるようになるだろうし。大人になるといろんなものが見えてきて、生きるのが楽になるわよ」「そうですか?」「うん」 私は不安げな手塚くんに力強くうなずいた。でも嘘だ、と心は言っている。私はもう二十五歳になるけれど、ちっとも楽になんか生きていない。あいかわらず人間関係は苦手で、教師になったのを後悔するのもしょっちゅうだ。しかも教師になったのは親の希望をかなえるためだったといい年をして人のせいにしている。そのくせ、押し通すほどの自分の夢もない。何にも見えてない、からっぽの大人。 それを手塚くんに見破られたくなくて、私は話題を変えた。「聖書のどういうところが印象に残った?」「二人の弟子と金貨の話」 手塚くんは立ち上がって、聖書を手に取ってから語り始めた。聖書にはふせんがいくつか貼られていた 手塚くんは立ち上がって、聖書を手に取ってから語り始めた。聖書にはふせんがいくつか貼られていた。 つづく
2005年05月13日
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私がなにごとかと思っていると、二階から規則正しい足音がした。しばらくすると鈴のついたこのリビングルームのドアが開いて、手塚くんが現れた。「先生、こんにちは。わざわざご足労かけてしまってすみません」 手塚くんはそう言って、ぺこりと頭を下げた。私は小さく感動した。手塚くんと話していると、私はいつもこうしたささやかな感動を味わう。 その当時、私の受け持っている生徒で「ご足労」などという言葉を使う生徒は手塚くんしかいなかった。ロクに敬語も使えず、それを自分のものおじしない美点と思いこんでいる生徒が多い。そんな中、手塚くんの言葉使いは清流のさわやかさを私に与えていた。 私はその時、自分が初めて手塚くんの私服姿を見ていることに気づいた。ジーンズにトレーナーというありふれた格好だが、生地の上等さからしてかなり高価な品だろう。今、私が身につけているタイトスカートが十着は買えそうだった。手塚くんの家からすれば安い買い物なのだろうが。 なぜなら手塚くんの父親は、祖父の代から経営している病院の医院長なのだった。つまり手塚くんの家は、名実ともにこの町いったいの名家というわけだ。 この大きくて広い家にもいたるところに富の匂いは充満している。床に敷かれている絨毯の凝ったデザインとやわらかさ。普通の広さの家には絶対置けないグランドピアノ。それでも広々としている居間。天井にぶらさがるベネチアンガラス製のシャンデリア。 縁なしの眼鏡がよく似合う白くて華奢な手塚くんはこの家の息子にふさわしい真面目な品があった。たしか手塚くんは長男だったから、あの病院の跡継ぎになるのだろう。手塚くんならいい医者になるだろうな、と私は思った。 そこまで考えてから、私は手塚くんの細い右手首に白い包帯が巻かれていることに気づいた。そしてその反対側の左手首には赤いプティングのような傷跡がある。よく見ると手塚くんのシャツの袖口には、朱色のしみがついていた。「秀一郎、あなたまたそんなことして!」 手塚くんのお母さんは悲鳴のような声を上げた。髪をふり乱して、手塚くんに走りより、肩を何度もゆさぶる。手塚くんは遠い目をして、人形のようにお母さんのされるがままになっていた。「やめてください、お母さん!」 私は修羅場な母子に駆け寄り、二人を引き離した。私に制止されるとお母さんはあっさりと手塚くんから手を離した。そのまま崩れ落ちるように床に腰をおろす。顔に手を当てて泣くお母さんに私はどうしていいか分からずに辺りを見回した。 すると手塚くんがいないのに気づいた。私が血相を変えて探しまわるまでもなく、手塚くんは湯気の立つカップを持って現れた。「母さん。母さんの好きなハーブティだよ。これを飲んで落ち着いて」 手塚くんはつっぷして泣いているお母さんの前にソーサーごとカップを置いた。「先生どうかお座りになってください。先生もハーブティ、いかがですか? 気持ちが落ち着くっていいますよ。僕の父さんはこんなもの飲んでも気休め程度だって言うけど」 手塚くんはテーブルの上に私の分のカップを置いてから言った。手塚くんは笑っていた。この子は本当に真面目でおとなしいんだな、と思わせるようなひっそりした笑顔だった。手塚くんは私が授業中にへたな冗談を言うと、いつもこうやって笑っていた。休み時間中に友達にふざけて、プロレス技をかけられている時も。 その時、私はあることに思い当たった。「ねえ、手塚くん。手塚くんのお部屋、先生に見せてくれないかしら」 こうして私が訪れた手塚くんの部屋は、大きな本棚とプラモデルがあるごく平均的な中学生男子の部屋だった。平均よりはるかにきれいに片づいてはいたが。 ただひとつ決定的に異常なのは消毒薬の匂いがたちこめていることだった。部屋の左端にある勉強机の上には、金属のプレートに入れられたカミソリが銀色の光を放っていた。消毒薬の香りはここから発生している。 手塚くんと私はカーペットの上に腰掛けていた。私がいくら手塚くんに学習机の前の椅子に座れと勧めても、手塚くんは「先生に悪いから」と聞き入れなかった。「これ……何してるの?」 私は震えを隠せない声で訊ねた。「消毒してるんです」「何を?」「カミソリです」 他の生徒なら「先生、見ればわかるじゃん」と鼻で笑いそうなことを手塚くんはまじめに答えてくれた。それが私にはかえって恐怖をそそる。手塚くんがすでに狂っている証拠のような気がするのだ。私は精一杯何げないそぶりで振り返って、部屋の出口までどれくらいあるかをたしかめた。「先生、僕の頭がおかしいと思ってるんでしょう?」 手塚くんに図星をつかれて、私は思わずカーペットの上に失禁しそうになった。「べ、べ、べつにそんなこと……」「無理しなくていいですよ。僕だって自分が変だと思ってるんですから」 手塚くんはそう言って、悲しいけれど安心した目で、机の上のカミソリを見た。その目は私の心に突き刺さった。 私はこんな表情をした手塚くんを今まで見たことがなかった。私の知っている手塚くんは控えめな笑顔を浮かべた扱いやすい生徒にしか過ぎなかった。きっとこれが手塚くんの本当の顔なんだ、と私は思った。すると恐怖がだんだん薄れてきた。 私は手塚くんの素顔がもっと見たくなった。「ねえ、どうしてこんなことするの?」 単刀直入な私の問いかけに、手塚くんは驚いたように私を見た。「ごめん。先生、いきなり変なこと聞いちゃったかな」 私が話題を変えようとした時、それまで首をひねって、ずっと何かを考え込んでいた手塚くんが口をゆっくりと口を開いた。暗号の解読をしているみたいな口ぶりだった。「清潔なカミソリなら、こんな僕でも綺麗に死ねるような気がするから」 私は「ハアッ?」と言いそうになるのをあわててこらえた。手塚くんはぎゅっと膝を抱え込んでいる。 いわゆる体育座りというこの窮屈な座り方を私もよくやった。二人とも教師をしている両親に「そんなことでは私たちの娘として恥ずかしい」と言われた時。大学入学してこっちに出てきた時、「言葉になまりがあるよね」と新入生歓迎コンパでからかわれた後、一人安下宿に戻ってきた時。そんな時こうやって座ると安心するのだ。少しだけでも残酷な外界から自分の領域を守れるような気がする。 私は微笑みながら、手塚くんと同じ座り方をした。私が姿勢を変えたのに気づいた手塚くんはうつむけていた顔を上げて、私を見た。私はなんとなく楽しい気分になって、手塚くんの膝を自分の膝でちょんとつついた。手塚くんのこわばっていた顔は赤くなった。「な、何するんですか」「ちょっとよろめいて」「先生、どっか気分悪いんですか」「冗談よ」 私が笑うと、手塚くんは頬をふくらませた。私の二歳年下の弟もからかうとよくこんなふうにむくれていたっけ。今は一人暮らしして、大学でできた彼女とアパートと半同棲しているそうだ。正月に帰省したらこっそり私だけに教えてくれた。あいつは私と違って昔から要領のいい子だから、親の言うとおりに教師になんか絶対ならないだろう。 そういう人間は得だ。それに強い。他人の目を気にせず、自分の好きなように生きていける。そして今の世の中は、そんな人間に都合のいいようにできている。私は学校で常に学級委員やら何やらの雑務を押しつけられていた。その上、真面目でつまらない人間とよくからかわれていた。 そういえば。私は教室で友達とプロレスごっこをしていた手塚くんがかけられていた技の名前を思い出した。「マジメボンバー」だった。「手塚くん。あなたもしかして何かにものすごく悩んでいたりしない?」 私の言葉に、手塚くんはビクッと身をすくめた。よりいっそう強く膝を抱える。本当に手塚くんは正直な生徒だ。 私は手塚くんの横顔をのぞきこむようにしながら言った。「先生も今すごく悩んでる。だって手塚くんが学校に来ないと、先生の授業ちゃんと聞いてくれる人いないんだもん」 手塚くんは困ったように私を見た。私はウィンクしながら言った。「先生寂しいから、手塚くんのおうちにこれからも来ていい? 先生にここで授業させてよ、ねっ?」 私は自分で自分の言葉に驚いていた。「寂しい」などという言葉が自分の口からここで出てくるとは予想外だった。さらに私は遠回しに手塚くんの不登校を認めているのだ。 手塚くんも私の申し出にあっけに取られたようだった。私の意志をたしかめるようにじっと私を見つめる。私は手塚くんを見つめ返した。考えてみれば、こうして人と見つめ合ったことなど何年ぶりだろう。私は学校では職務に追われ、家に帰ると下宿で疲れて寝ているばかりだったのだ。「いいです、けど……」 手塚くんは耳まで赤くなってしぼりだすように言った。「やったァ」 私はそう言って手塚くんの頬をちょん、とつついた。手塚くんは赤くなって横目で私をにらんだ。その子供っぽい様子に私が思わず吹き出すと、手塚くんもつられて笑った。消毒薬の匂いは、いつしか部屋から薄れていった気がした。 それから私は手塚くんが中学卒業するまでの二ヶ月間、手塚家に頻繁に家庭訪問しした。週に二度は必ず行っていたと思う。 周りの教師たちからは「佐々木先生は本当に教育熱心ですなあ」と言われた。たしかに私は手塚くんに学校に来て欲しかった。 だが、手塚くんと彼の部屋でふたりっきりで話すのが楽しみになってきていた。 三度ほど訪問した時にはもう私は手塚くんに学校に来いとは言っていなかった。どうせ卒業まで二ヶ月だし、それまで無遅刻無欠席だった手塚くんは余裕で卒業できる。公立中学校とはそういうところなのである。 私は手塚くんに卒業式だけは参加するようにと言っておいた。 手塚くんが学校に来なくなった理由ははっきりとはわからなかった。私は手塚くんがいじめを受けたのではないかと考えた。 手塚くんが学校に来なくなった理由ははっきりとはわからなかった。私は手塚くんがいじめを受けたのではないかと考えた。 つづく 昨日の日記に書けませんでしたが、しばらく「神域の花嫁」はおやすみして、こちらの小説を連載します。とは言っても、せいぜい一週間くらいです。 とある事情があるのです、ハイ。 「神域」楽しみにしている方がいらしたらごめんなさい。もしいらしたら、ついでに「神域」の感想くれたら感激です(←わがままなおねだり)。 ユミティ、喜んでお返事します。 それではしばらく先生と手塚くんにおつきあいください。
2005年05月12日
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「先生、一緒に給食食べましょうよォ」 お下げ頭の学級委員が、愛らしく私に小首をかしげた。「そうですよ。今日も僕たちと給食食べてくれないんですか? 寂しいなあ」「俺、先生と一緒に給食たべたーい」「私も!」「僕も!」 私は教壇の上に置かれた金属製の食器を前に、生徒たちに一斉にそうねだられていた。 ちょうど空のてっぺんにある太陽がさんさんとした陽光を、教室に白っぽく投げかける。 中学二年生というまだまだあどけない生徒たちに囲まれた私は、さぞや生徒に慕われている教師に見えることだろう。 子供っぽく大声を張り上げるブレザー姿の彼らの顔をぼんやりと見ながら、私はそう思った。 その時、いきなり教室のドアがノックされた。 生徒たちが一瞬静まりかえる。「どうぞ」 私がそう言って、扉を開けると中から初老の女教師が顔を出した。隣のC組を担任している中島だった。「日浦先生、今日の職員会議は校長の都合で、四時から五時に変更だそうです」「はい、わかりました」 私は内心ため息をつきながら、顔には笑顔を浮かべてそう答えた。これでまた帰りが遅くなる。今日は少年Aが来る日だっていうのに。「それじゃあ」 そう言って、中島は背を向けて去っていこうとした。生徒たちが面白そうに私たちのやりとりを聞いているのが気配で感じられた。 それから中島は急に振り向いた。「日浦先生」「はい?」 あのことに気付かれたのかと、私はほっとするような、ひやひやするような気持ちで答える。「先生って本当に生徒たちから慕われているのですね。みんなに一緒に給食を食べてくれだなんてあれだけせがまれて。まったくうらやましいですわ。先生のクラスはみんな仲が良くて、いじめなんてないでしょう?」「はあ……」 私はあいまいに笑った。私が赴任している学校では、教師にも生徒と同じ給食が支給されることになっている。それは教室で教師に配膳されるが、そのまま職員室に持っていって食べてもいいし、教室で生徒と一緒に食べてもいい。 だが、現実は職員室で食べる教師が圧倒的に多かった。もちろん昼休みくらい受け持ちの子供たちと離れていたいという気持ちもある。 しかし実際のところは、生徒が教師といっしょに食事を取るのをけむたがる雰囲気が如実に教師に伝わってくるからだった。 中島もそんな教師の一人だった。彼女が「昔の生徒たちは私にもっとなついていてくれたのにねえ。私ももうおばあちゃんなのかしら」と寂しそうにぼやいていたのを私は何度か聞いていた。 でも、私はそんな中島がうらやましい。けむたがられるということはまだ人間扱いされているということなのだから。「それじゃあ、生徒たちといっしょに給食食べてあげてくださいね。みんな喜びますから」 中島はそう言い残して、自分の教室に行ってしまった。 重い足取りで私は教壇に戻る。生徒のクスクス笑いが聞こえた。 私は勇気を出して、スプーンを手にとって、今日の献立のメニューのひとつであるホワイトシチューをすくってみた。 乳白色のシチューには、ごまのような黒いものがいくつも浮いていた。消しゴムのカスだった。また生徒に入れられたのだ。「ねえ加奈ちゃん、食べてみてよ。私たちの特製シチュー」 学級委員長がそう言うと、生徒たちは一斉に拍手した。 本当に、うちのクラスの生徒はみんな仲がいい。 みんな仲良く、担任教師の私をいじめている。「先生、今日なんかあったの?」 少年Aはホワイトシチューを皿の中にそそぎながら尋ねた。中身が当分になるように何度もかきまぜられたそれは、香ばしいミルクの香りをさせながら、百円ショップ製のスープ皿の中に盛られていく。 おそらく市販のルーは使っていないのだろう。シチューは自然なミルクの色をしていた。 もみじ型に切ったにんじんが可憐な彩りを添えている。 私が担任していたころから、少年Aはこういう手の込んだことをする生徒だった。それは彼が十四歳から十八歳になった今でも同じだ。 だから少年Aはいじめられたのだ。どうでもいいことに時間を費やして、周りをイライラさせるから。今の世の中、学校でも目立たない努力や気遣いなんていうものは、いじめっこを惹きつけるチャームポイントくらいにしかならない。 いつもなら私は、大げさに「わあ、おいしそう!」くらい言って、いつも情けなさそうな笑顔を浮かべている少年Aにささやかな喜びくらい与えてやっただろう。 だが今夜は、シチューの香りはいやでも私に学校でのあのできごとを思い出させた。 私はわざとそっけない口調で「べっつにぃ」と答えた。 少年Aの銀縁眼鏡の奥の目が曇る。白いブラウスにつつまれた細い体がぎゅっと萎縮されるのが見て取れる。 五年前も、少年Aはこうやって黙って級友達のからかいに耐えていた。「冷めちゃうから、食べなよ」 私は少年Aがかわいそうになって、そう勧めた。自分もスプーンを手にとってシチューを口に運ぶ。あたたかいシチューは本当にほっこりしていておいしかった。 今日、結局昼食は持参したおにぎり一個とバナナですませたので、腹が減っていた。 私のほぐれた顔を見て、少年Aも安心したのだろう。スプーンを手にとって、シチューを食べ始めた。今日の献立は他に、少年Aが「先生、野菜不足だから」とこの台所で作ったシーザーサラダと、フランスパン、そしてデザートのケーキだった。これらはすべて少年Aが持ってきたものだ。 少年Aは、私に大学受験のための勉強を個人的に教わる報酬として、私の家にこうして夕飯を持ってくる。「ところであっちは今のところどうなの?」「あっちって?」「バイト。あんた、スーパーでバイトしてるんでしょ?」「ああ……」 少年Aは曖昧にうなずいて、ふうふういいながらシチューを口に運んだ。眼鏡のレンズが白く湯気で曇る。「まあまあ」 うつむいたまま、少年Aが答えた。「まあまあって? 具体的にどんな感じよ。親切にしてくれる人とかいる? 友達できた? 可愛い女の子とかいないのォ?」 ”可愛い女の子”と口に出した時、私の口調はどこか卑屈になっている。三十二歳、未婚の女が、もう戻っては来ないつるつるした肌の持ち主を上目遣いで見ている声だ。 そしてそんな女の子が、本来この少年Aのそばにはいるべきなのだ。 私は少年Aがとてもおとなしそうで神経質そうだけれど、よい見栄えをしていることを知っている。眼鏡を取った彼の顔が、とても整っていて綺麗なことを知っている。その体がどんなふうに優しく女を抱くかも知っている。 きっと少年Aがその気になって微笑めば、後をついてくる女はたくさんいるだろう。 けれど、私はそれに気付かないふりをして、少年Aをうつむいてばかりいるガキのままにしているのだ。 小さくちぎって口に入れたフランスパンを咀嚼してから、少年Aはゆっくり言葉を選ぶようにして答えた。「親切にはしてもらってるよ、店長に。このフランスパンと野菜も格安で売ってもらえた。本当はこのレタス、しなびかけてるからタダでいいって言われたんだけど、好意に甘えちゃいけないからちゃんとお金払った」「それくらいタダでもらっちゃいなさいよ」「そんなこと、できない」 少年Aは眼鏡の奥の目をつり上げて、私を抗議するようににらみつけた。こんな潔癖さも少年Aのいじめられっ子になったポイントのひとつである。 私は話題を変えることにした。「まあ、良かったじゃない。以前のバイトみたいに、いろいろもめてないんだし」 少年Aの表情が曇った。その前のバイト先のコンビニで、少年Aはバイトの先輩の内引きを店長に告発して、後でぼこぼこになるまでその相手に殴られた挙げ句、結局は自分がバイトをやめる羽目になったのだった。その先輩バイト店員は、店長の妻とデキていて、少年Aを冤罪にかけたのだ。 その後、少年Aはふたたびひきこもりに逆戻りしそうになり、私は少年Aの母親に呼ばれて何度も少年Aの家に行った。そうして心や体で少年Aを励ました結果、少年Aは晴れてバイトができる状態になったのであった。 私は明るい話題を懸命に頭の中で探した。「バイトもいいけど、そろそろ受験勉強に専念したら? 来年、受験でしょ? そういえばこの前の模試の成績どうだったの。見せてよ」 食事中だというのに、少年Aはすぐさま私の言葉に反応して、リュックの中から、模試の成績表を取りだした。T大理学部、判定A。文句なしの結果に私は息をのんだ。 もう中学教師の私になんか教えられることは何ひとつないだろう。 少年Aは私の心を読んだように、急いだ口調で言った。「僕、現代国語でよくわからない問題があったんだ。先生、あとで教えてよ」 現代国語は私の担当教科だ。古文も担当しているが、現代国語の方が私は教えるのが得意だった。少女の頃、私の夢は小説家になることだった。その夢の残滓がこの教科には残っているのだ。それを知っていて、少年Aは私にこの教科を教わることを請うている。 私の顔に、少年Aの不器用な気遣いに対する笑みがこぼれた。「先生、ようやく笑ったね」 安堵した声で、少年Aが言った。切れ長の目が優しく私をつつみこんでいる。「そんなに私、怖い表情してた?」 模試のプリントをテーブルの上に置き、最後の一口となったフランスパンをほおばりながら私は言った。「怖い表情っていうか……」 少年Aはそこで言葉を切った。私をうかがうように、上目遣いをする。私はイライラして尋ねた。「じゃあ、何なのよ?」「……言っていい?」「そんなふうに訊くんだったら、最初から何も言わない方がマシ」「先生、怒ってる?」「あんたが言わなきゃもっと怒る」「じゃあ、言うけど……」 少年Aは大きく息をついて言った。「怖いっていうより、こわばった表情。学校に通ってたころ、僕、よくそんな表情してた。先生も知ってるでしょ?」 少年Aの答えに、私は自分の頬の筋肉が固まっていくのを感じた。「……ごめん」 私は小さく言った。もう五年もたったというのに、私は少年Aに負い目を感じている。「べつにいいよ。そんなつもりで言ったんじゃないから。気にしないで、本当に」 少年Aは土下座しそうな勢いで、私にそう謝ってきた。 謝るのはあんたじゃなくて、あんたをいじめっこたちから守ってやれなかった担任の私なのに。 私は泣きそうになる。そんな私の表情を見て、少年Aの切れ長の目から涙があふれた。「ごめんなさい、先生」 眼鏡をはずして、涙をぬぐいながら少年Aは言った。本当に綺麗な、ガラス細工みたいな顔をしている、と私は思った。「いいよ、謝らなくて」 私はそう言いながら、少年Aを抱きしめた。細い肩が私の腕の中でしなる。まだ男になりきれていない、まさしく少年の体だった。 少年Aの体は熱を帯びてきた。私と同じものを期待しているために発せられる熱だ。 私はその熱を少年Aとともにしずめあうことにした。「謝るんだったら、先生をなぐさめてよ、少年A」 少年Aは私の指示に従って、私の体をカーペットの上に押し倒した。 私が少年Aとこういう関係になったのは、少年Aが中学卒業を控えたある冬のことだった。 一流進学高校に合格したクラス一の優等生が登校しない。このままでは、出席日数も危ぶまれる。 それは中学教師になってまだキャリアの浅かった私にとって、ふってわいた災難だった。”まさかいじめによる不登校ってやつじゃないでしょうね? そこはやはり先生がきちんとご指導なさらないと” 教頭に遠回しにイヤミを言われ、私は少年Aの自宅に向かった。その当時は、私は少年Aをちゃんと本名で呼んでいた。。 少年Aの母親は、以前家庭訪問で対面した時とはうってかわったやつれた様子だった。丁寧にセットされていた髪は後ろでひっつめられ、身に付けているブランド婦人服もその顔色の悪さのせいでどことなくくすんで見える。 私の顔を見ると母親はわっと泣き出し、「先生、私どうしたらいいか」と言った。
2005年05月11日
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「行ってきます」 翌朝、さゆりはそう言って家を出た。妙の作る朝食を取り、学生服にもちゃんと着替えた。 今朝、凛太郎というあのおせっかいな少年は朝食の席にいなかった。もしかして言い過ぎたかもしれない、とさゆりは思う。 だがあの坊やにはこれくらいのお灸が必要なのだ。親切だの何だのぬかして、人の事情に首をつっこんではいけないのだ。特にさゆりのような人間には。 明とかいう凛太郎のお守り役もいなかった。もしかして凛太郎はさゆりにひどく落ち込まされ、明になぐさめてもらっているのかもしれない。 守ってくれる人間がいるなんて、なんて恵まれた境遇なんだろう。だから凛太郎はあんなにまっすぐ人に接することができるのだ。 文彦はいつものようにさゆりを無視していた。あのお高くとまった眼鏡の貴公子とそのお供とせいぜいそつなくやるのに忙しいのだろう。 きっとさゆりがこれから学校をさぼることを知っても、あの兄はなんとも思わないのだろう。 さゆりは何かに復讐するような気分で、駅に向かい、女子トイレで私服に着替える。 これから電車を乗り継いで、男との待ち合わせ場所に出かけるのだ。 さゆりは身支度を調えてトイレを出た。学生鞄はコインロッカーに入れる。 すると、さゆりに背後から声をかける人物があった。「君、学校はどうしたの? これからどこへ行くつもり?」 声からして、若い女のようだ。補導係の婦警に捕まったか。 さゆりはおそるおそる後ろを振り返った。「おはようございます、さゆりさん」 そこには、にっこり笑って片手を上げている凛太郎と、面白そうな視線をさゆりに送っている明がいた。 さびれた駅のコインロッカーを背にして、さゆりは目を見開いて凛太郎を見つめていた。まさにあっけに取られる、といった表情だった。 さゆりは黒いパンツに派手なピンクのロゴのついたTシャツを着ていた。明はじぃっとその服装を見て、首をひねってから指摘する。「なあ、さゆりちゃん。その格好、色っぽいだけど、あんまり似合ってないぜ。もっとお嬢さま風のワンピースか、さもなかったらいっそのこと着物かなんかの方があんたに似合ってるよ。ひょっとしてその服、つきあってる男の趣味?」「あんたに関係ないでしょ」 さゆりはそう言い捨てて、明の脇をすりぬけて行こうとした。明は素早く両手を広げてさゆりの行く末を封じる。「何するのよ!」 さゆりは鋭く叫んだ。周囲にいた数人の駅の利用者がさゆりを振り返る。「あんたの邪魔してンの。見ればわかるだろ」 明はにやりと笑った。さゆりは警戒心に顔をこわばらせて訊ねる。「何がしたいのよ?」「ねえ、さゆりさん。学校へは行かなくていいんですか?」 明の傍らにいた凛太郎は一歩歩み出て言った。さゆりは具合の悪いことを訊かれたとでもいうように、眉根に皺を寄せる。凛太郎はそれを見て一瞬ひるみかけたが、乗りかかった船だと言葉を続けた。 「文彦さんはさゆりさんが学校に行っておられないということをご存じなんですか」「さあね。あの兄貴は私のことなんかどうでもいいのよ。人形にしか興味のない男なんだから。今日だってさっさとアトリエに引きこもったでしょ」 さゆりの言葉は確かだった。そういえば凛太郎は文彦とじっくり話をしたことがない。文彦は物腰はやわらかい男だが、一日のほとんどをアトリエで過ごしていた。ケイコたちは言っていた。さゆりより問題行動の多かったのは文彦の方だと。 言葉に詰まる凛太郎をさゆりは押しのけようとした。「だからもうあんたたちも私のこと放っておいてよ。私が何しようと私の勝手じゃない。どうせ私たち、他人同士なんだから。さあ、わかったらどいてよ」 さゆりは明までもを威嚇した。明は凛太郎にあきれたように言った。「おい、どうする凛太郎? 俺としちゃあ、もうどうだっていいんだけどよ」 凛太郎は顔をうつむかせながら、必死に思いを巡らせた。たしかにさゆりと自分は他人同士だ。さゆりの問題にこれ以上介入しない方がいいのかもしれない。さゆりに勾玉が憑いていたとすれば、それが判明した時、明や秀信らとともに祓えばいいだけのことだ。 でも。 凛太郎は後ろを振り返って叫んだ。「あ、お巡りさん!」「え、マジッ?」 明もつられて後ろを向く。さゆりはぎりりと紅い唇を噛んだ。「あんたたちが大騒ぎするから、誰かが補導警官を呼んだに違いないわ」 さゆりは舌打ちしながら凛太郎の手を引いた。「さ、さゆりさん、何を……」「逃げるのよ。あんたも補導なんかされたら、いろいろと面倒でしょ?」「ちょ、ちょっと……」 凛太郎は事態が飲み込めないうちに、さゆりにひっぱられて、駅を出た。「へへっ、なんか知ンねえけど、結構おもしれえかも!」 明は楽しそうに笑いながら、走る凛太郎とさゆりの後をついていった。 さゆりが向かったのは、凛太郎が想像だにしなかった場所だった。 つづく
2005年05月10日
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さゆりはそこでハッと言葉を切った。何かある。凛太郎は確信した。ケイコはさゆりが神隠しに遭っていたと話していた。おそらくそのことと関係があるのではないか。 凛太郎はゆっくり言葉を選んで訊ねる。「さゆりさんとお母さんの間に何かあったんですか? よかったら僕に話してみてください」「あんたに関係ないじゃない」 さゆりはそっぽを向いて言う。凛太郎はさゆりの白い横顔が強がっているように思えた。ここで引いてしまっては、いつまでもさゆりは心を開いてくれない。凛太郎はそう決意する。「たしかに関係ありません。でも、でも、僕はさゆりさんを助けたいんです」「あら、どうしてかしら? もしかしてあんた、私に気があるの? もしそうだったらいつでも抱かせてあげるわよ」 さゆりは高笑いをした。凛太郎はくじけそうになる心と戦う。「茶化さないでください!」 さゆりは凛太郎の強い物言いに少し驚いたようだった。笑うのをやめて、凛太郎をまじまじと見る。その間に凛太郎は自分の思いを伝えることにした。「さゆりさんを見てると、僕は以前の自分を思い出すんです。さゆりさんも知っての通り、僕は神社の息子です。それに僕の亡くなった母さんは水商売をしていました。そのことでずいぶんとからかわれました。時代遅れの神社の息子、そのうえ母親はホステスってね」 そのことは凛太郎にとって、口に出すにはまだつらい過去だった。さゆりは凛太郎のそんな過去を笑うだけかもしれない。だが凛太郎はあえて賭けに出ていた。さゆりは黙って凛太郎の言葉を聞いている。涼しげな目元はまだどんな色も浮かべていなかった。「僕はみんなに認めてもらうために一生懸命自分なりに努力しました。人の嫌がる仕事も進んでやったし、勉強もがんばった。でもいつも心のどこかが空しくて仕方がなかった。そのせいで、いろいろとみんなに迷惑をかけてしまいました。取り返しのつかないかもしれないことまでしてしまったかも……」 鈴薙とのあの夜が、凛太郎の脳裏に浮かぶ。凛太郎が鈴薙の封印を解いてしまったせいで、人類は滅亡するかもしれないのだ。自分のしたことの恐ろしさに、凛太郎の声は我知らず震える。 さゆりはそんな凛太郎をひたと見つめていた。「けど、そのうち僕は気づいたんです。僕は他人が見ている自分ばかり気にしていたんだって。僕は僕にしかできないことがあるはずだって」「でもあんたのできることなんて、しょせんちっぽけなことでしょう。時代の流れになんかとうてい逆らえないわ。どうせあんたは神社の跡取りでしかないのよ。私が田舎の陰陽師の娘であるようにね」 さゆりは冷笑を浮かべて言った。凛太郎はくじけそうになる心をふるいたたせる。「たしかにそうかもしれません。でも、僕がどんなにちっぽけな存在だとしても、ちっぽけな存在なりにできることがあると思うんです。だって僕には手も足もある。自分で考えることのできる頭もある。だから何もしないで思い悩んでいじけているより、自分のできることから何かを始めていけばいいと思うんです。そうすれば、きっとわかってくれる人もいます」 凛太郎の脳裏に様々な顔が浮かんだ。ほのか、秀信、祥、そして明。彼らは凛太郎が得ることができた大切な人たちだった。 さゆりはしばし真顔になっていたが、すぐに小馬鹿にした表情に戻る。「立派なお説教どうもありがとう! 私にはもったいないお言葉だわ」「そうでしょうか」 凛太郎はさゆりの目を見据えて語りかける。さゆりの瞳が窓辺からさしこむ月明かりにゆらいだのを、凛太郎は見のがさなかった。「僕はさゆりさんはとても素晴らしい人だと思います。さゆりさんには華がある。自分の人生を一生懸命、正直に生きようとしている人が持つ光をさゆりさんは持っていると思います。僕みたいに、他人の顔色ばかりうかがっている人間にとってとてもさゆりさんはまぶしいです。けど、さゆりさんは、そんな自分にひどく引け目を感じて、わざと卑下しているように見える」「どうしてそんなことあんたにわかるのよ」 さゆりは凛太郎をきつい目でにらみつけた。長い黒髪までもが逆立っているようだ。 そんなさゆりを凛太郎は怒っている猫のようだと思った。凛太郎はさゆりの瞳をまっすぐに受け止めて、ゆっくりと言った。「だって、さゆりさん、昔の僕に似てるから……」 凛太郎はさゆりの様子をじっとうかがった。それは凛太郎がさゆりにずっといだいていた思いだった。だからこそ、さゆりのことが凛太郎は放っておけないのだ。 さゆりの赤い唇がゆっくりと開いた。それはわななきながら、小さく、そして鋭く言葉を発した。「出てって」「えっ?」「出てってよ! 私の部屋から出てって!」 さゆりはすぐそばにあったクッションを凛太郎に投げつけた。あっけに取られる凛太郎にさゆりは本棚の本を取り出して投げる。 凛太郎はそのまま退散するしかなかった。 凛太郎が部屋を出ると、さゆりは即座に扉を閉めた。バタン、という大きな音が廊下に鳴り響いた。 凛太郎はそのままとぼとぼと自分の部屋に戻ろうとした。広い大津家の渡り廊下は長い。 暗い廊下から、上背の高い人影が凛太郎にささやいた。「夜這い失敗かよ、凛太郎ちゃん」「明!」 しぃっと明は驚く凛太郎の口をふさぐ。「あの陰険眼鏡に首つっこまれると面倒なことになるだろうが」「ご、ごめん……でもどうしてここに?」「お前がいつまでたっても部屋に戻ってこねえからだよ。もしかして、と思ってこのお嬢ちゃんの部屋の近くまで来た。お前、ずいぶんあのお嬢ちゃんのこと気にしてたみてえだからな。俺はお前のことは何でもお見通しなんだよ」 明はそう言ってウィンクした。凛太郎は明のその笑顔に思わず頬を熱くする。「お~らよっと!」 明は凛太郎を横抱きにした。「な、何するんだよっ、明!」「お前を部屋に連れて行く。でもって、今夜こそ抱かせてもらう」「そ、そんな……ここは他人の家なのに」 しかもよりによって、勾玉に取り憑かれているかもしれないさゆりのいる家なのだ。 それなのにこんなにあっけらかんとしているとは、この鬼はなんと脳天気なのだろう。凛太郎は驚くよりあきれて、自分を軽々と抱く明の顔を見上げる。明はすでに凛太郎をかかえ上げたまま、すたすたと部屋に向かって歩いていた。「大丈夫、大丈夫! ちゃんと結界張るからよ。それに俺、今のお前の悩みなんか全部忘れさせてやるよ」「悩みって……」「決まってンだろ。あのお嬢ちゃんのことだ。お前、あのお嬢ちゃんと自分がどっか似てるって思ってるだろ?」 図星をつかれて、凛太郎は言葉を失った。「ほ~れ、見ろ」 明はしてやったりと微笑んで、部屋のドアを足で開ける。そのまま明かりもつけずにすでに敷いてあったふとんに凛太郎の体を投げ出した。「わっ!」 凛太郎がそう驚いて悲鳴を上げている間に、明は片手をかざして結界を張っていた。「さあ、これでどんなに感じてあえいでも外には聞こえねえぜ。今夜はさんざん泣かせてやる。覚悟しな」「何言ってるんだよ、あき……うわっ!」 明は凛太郎の言葉をさえぎるようにくちづけしてきた。たくましい体が凛太郎を守るように覆い被さる。 ねっとりと舌で口腔をかきまわされ、乳首を軽くつままれた時には、凛太郎はすでに甘い吐息を生じさせていた。 やがて明にたっぷりと潤まされた凛太郎は、明に貫かれる。「なあ、凛太郎……きつくないか?」「うん……だから、早く、もっと……」「やるよ、俺なら。お前にいくらでも」 明はこの上もなく嬉しそうに破顔して、腰をうごめかした。凛太郎はしっかりと明の背中に手を回してその体にすがりつく。 明に抱かれて身も心も癒やされている自分に、まだ凛太郎は気づいていない。 つづく
2005年05月09日
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時計はすでに夜の九時を回っていた。 凛太郎は深呼吸して、さゆりの部屋のドアをノックした。「だれ?」 さゆりのとがった声が聞こえてくる。「僕です、凛太郎です」 扉の中からはこちらをうかがっているような気配があった。薄暗い廊下に立ちながら、凛太郎はこんなことをしなければ良かったと後悔し始めていた。 特にさゆりとはあの山での一件から顔を合わせていない。あの話題が出たらどう対処しようと凛太郎は真剣に考えていた。その気の重さにもう自分からさゆりに接触するのはやめようかとも考えた。 だが昼間、ケイコたちからさゆりの複雑な生い立ちを聞いてしまってから、さゆりを放っておけないと思ったのだ。 大津家は代々所有していた霊山である轟山を他人に売り渡してしまったという。文彦が人形で金を儲けたから、さゆりの両親はこの家を引き払い、都会に出て行くつもりだったのだろう、とケイコは言った。だから轟山も不要だったのだろうと。『まあ、そんなことしたから、バチが当たってその後事故で死んじゃったんだろうけどね』 そう語るケイコはどこか小気味よさげだった。きっと文彦の人形によって、突然脚光を浴びた大津家の一員であるさゆりは、ねたみや中傷の的になったのではないか。 凛太郎はそう推測し、なんとか悩みの相談に乗れないかと思ったのである。 ドアは開いた。すでに入浴をすませたさゆりはパジャマ代わりのタンクトップを着ていた。それは濡れた黒髪とミスマッチして、あやうい女らしさを見せていた。「何かしら?」 さゆりにぶっきらぼうに訊ねられ、凛太郎はうわずった声で答える。「ぼ、ぼ、僕っ。今日、この町のお店でケーキ買ったから、さゆりさんと一緒に食べようと思って」 さゆりは鼻を鳴らした。「なあんだ、夜這いかと思った」 凛太郎は頬がかぁっと熱くなるのを感じた。「冗談よ」 さゆりはつまらなさそうに言ってから、凛太郎が手にしていたケーキボックスを一瞥した。「ひょっとして、ここにひとつしかないあのちっちゃなケーキ屋で買ったケーキ?もうすっかり食べ飽きちゃったんだけど」「……ごめんなさい」 うつむく凛太郎に、さゆりは肩をすくめた。「べつにあんたが謝ることじゃないわ。入ってよ。あんたにこんなところに突っ立っていられると、兄さんうるさいから」 こうしてさゆりは凛太郎を部屋に入れた。素早くドアを閉める。「そこ座ってよ」 さゆりはあごで畳を指した。凛太郎は「お邪魔します」と言いながら、ケーキボックスを開ける。中から出てきたシュークリームにさゆりはパッと顔を輝かせた。「さゆりさんはお好きなんですか? シュークリーム」「まあね」 さゆりは喜んでしまった自分を恥じるようにわざと興味のなさそうな声で言う。凛太郎はシュークリームをさゆりに勧めるうちに、ふとなつかしい気持ちになって語り始めた。「僕も大好きです。子供のころ、父がたまに買ってきてくれて、一度にたくさん食べておなかを壊したことがあります。祖母に叱られました。そんなことで鬼護神社の宮司がつとまるかって……」 さゆりはふと眉を上げた。「あんたの家って神社だっけ?」「そうですよ」「鬼護神社って、私聞いたことあるわ。たしか変わった伝説がある神社よね。昔、凛姫っていうお姫様がいて、鬼に恋されて刀を作ってくれたら花嫁になるって言って、その後、その鬼の作った刀に鬼を封印したっていう……」 さゆりは意味ありげに凛太郎の顔をのぞきこんだ。さゆりは凛太郎の前世が凛姫だったことを知っているのか そんなことはない。凛太郎は必死に思い直して、話題をそらすことにした。「さゆりさんって、なんでもよく知ってらっしゃいますね」「やっぱり私の家も陰陽師なんてことをやっていたからだと思う。母がいろいろ話してくれたのよ。特に凛姫のことは」「えっ?」 凛太郎は思わず驚きの声を上げた。さゆりは何のことはないと言った風情でシュークリームを口にする。赤い唇に、白い生クリームが淡雪のようについて、さゆりの桃色の舌で舐め取られた。「その話、もっと詳しく聞かせてください」「あら、どうして?」「だ、だって一応、凛姫ってうちの神社の創始者様だから」 凛太郎はさゆりのいぶかしげな問いにあわてて答えた。さゆりはふうん、とつぶやいて凛太郎を横目で見る。何か感づかれたか。凛太郎は身を固くした。 さゆりは少し間を置いてから語り始めた。「この前見せた櫛あったでしょ? あれ、うちに代々伝わる櫛なの。凛姫がくれたんだって」「凛姫が?」 思わず凛太郎は身を乗り出して訊ねた。さゆりはうっとおしそうに身を引きながら答える。「ええ。旅していた凛姫が、私の祖先にくれたんだって」「へえ……」 凛太郎の胸に奇妙な感慨が広がった。さゆりと自分にこういった関わりがあるとは思いも寄らなかった。凛太郎はいまだに自分の前世が凛姫であるとは信じていない。いや、信じたくない。まるで今ここに存在する「清宮凛太郎」を否定されているような気がするからだ。 だが、凛姫という存在によってさゆりと共通点が見つかり、さゆりのこころを開くきっかけになればそれはそれで良かった。 さゆりはしばらく何かを考えた様子を見せてから訊ねた。「どうして凛姫がこんなへんぴな里に来たかわかる? しかも娼婦に過ぎない私の祖先にこんなものをわざわざくれたか」「それは……きっとこの里に何か用事があったんでしょう。それに……」 凛太郎はそこで言葉を切った。ここでこのことを言ってしまえば、轟山での一件にも触れねばならないかもしれない。 だが、さゆりの心の傷を癒やすにはこの話題を避けてはいけないと思った。「自分のご先祖さまをそんなに卑下してはいけません。先生だっておっしゃってました。桂女は心と体で人を癒やす素晴らしい職業だって」 さゆりの涼しげな瞳が揺らいだ。もしかして自分の言葉がさゆりに届いたのかもしれない。凛太郎がそう期待し始めた時、さゆりは髪をかきあげながら言った。「本当にそう思う? じゃあ今から私のことをあんたが癒やしてよ。ねえ、今から私を抱いてみせて」 無意識に身を引く凛太郎にさゆりはしなを作って挑みかかる。「ねえったら、ねえ! 早く」「ぼ、僕はそんなことはできません」 凛太郎はうつむきながら言った。さゆりのいいようにからかわれている自分が歯がゆかった。さゆりは鼻を鳴らして笑う。「あんた言ってることと行動が矛盾してるのよ。まあ、どうせそんなことだろうと思ったけど。でもあんたのことは責められないわね。人間の精神なんて、時代次第でいくらでも変わるんだから」 さゆりの気丈そうな顔に暗い影がさしたのを凛太郎は見のがさなかった。「それってどういうことですか?」「桂女のことよーーーー昨日、私があの男たちに言われたこと聞いてたでしょ?」 凛太郎は黙ってうなずいた。さゆりは小さく嘆息する。自分の運命だから仕方がないとでも言うかのようなためいきだった。きっとさゆりは今まで何度もこういったためいきをついてきたのだろうと凛太郎は思った。そして凛太郎にもそんなためいきをついた記憶がある。 エロ神社の息子。ホステスの息子。そう呼ばれるたびに、凛太郎はこんなためいきをついて耐えてきた。 さゆりは遠い目をして言葉を続ける。「生きてたころ、母さんが言ってた。桂女は昔、村人から尊敬されていた職業だったんだって。今日、あの弓削さんが言ってた通りよ。全身で人を癒やして、しかも占いもできる素晴らしい女性たちだって言われていたって」 さゆりの白い顔がそこで突然けわしくなる。「でもそれも途中で変わったわ。明治維新が起きて、この国にキリスト教文化が強く根付いてからよ。女が不特定多数の男と寝るのはみだらなことになって、おまけに陰陽師なんてものを国はおおっぴらに認めてくれなくなった。それはあの格式高い弓削家も同じことなのよ。あの秀信さんとやらはそうは思っていないかもしれないけれどね」 さゆりは低く笑った。うら若い少女には似つかわしくないねじれた笑みだった。 さゆりの話すことはそれまで凛太郎の知らないことだらけだった。凛太郎は口をはさむこともできず、黙ってさゆりの言うことを聞くしかなかった。 さゆりは凛太郎にいどみかかるようにして迫りながら訊ねた。「あんたも神社の跡継ぎなんでしょ。だったら感じたことはない? 今の世の中に、神に仕える職業なんか時代遅れだってことが」「そ、そんなこと……ありません」 凛太郎の声は消え入りそうだった。さゆりの言葉は少し以前の凛太郎の気持ちそのままだったからだ。「嘘ね」 さゆりは満足げに赤い唇をゆがめた。嫌な何かを振り切るように、黒い髪を手でかきあげる。「どうせ人間なんて流されやすくて自分勝手な生き物なのよ。科学が発達していなくて、自然の災害が怖かったころは神様にすがってたくせに。そうでなくなったら、そんなものは迷信だ、で片づける。父さんも母さんも毎日暮らしに困ってたわ。民間陰陽師なんかに仕事を依頼してくる人も少なくてね。ひどい人なんか、単なるいんちきだって決めつけてるんだから。父さんの出稼ぎでどうにか暮らしていけたくらい。だから母さんは私を……」 つづく
2005年05月08日
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それから丸二日の間、啓太は部屋に閉じこもって過ごした。 七条は悲しそうな目で笑いながら、啓太から数歩下がって歩き続けたが、啓太に自分からは話しかけようとしなかった。 啓太は七条のそんな態度に腹が立って、あからさまに七条を避けるようになった。 啓太は自分だけ山をおりることも考えたが、郁の手前それもできなかった。 七条は自分から啓太と別室にした。 郁はあからさまに心配そうな様子で、啓太に「臣と何かあったのか」と何度も尋ねたが、そのうちあきらめたのか啓太を放っておくようになった。 別荘にははりつめた静寂が訪れた。 だが、それはその集団によって破られた。「郁さん、臣さん、お久しぶりね。さあ、沙織、香織もごあいさつしなさい!」 ブランドもので全身を武装したその中年女性は、二人の娘と執事、そして使用人たちをひきつれて別荘を訪れた。「お、おひさしぶりです、おばさま」「郁がいつもお世話になっております」 たじろぐ郁をフォローするかのように、七条はその軍団に向かって丁重に頭を下げた。 何事かと玄関先に出てきた啓太に、郁が気づいた。「啓太。この方たちは西園寺家の親戚の方々だ」「まあ、いやですわ、郁様。未来の妻に向かってそんなつれない言葉を」 沙織と呼ばれた少女が身をくねらせる。郁は青ざめた顔を懸命に隠しながら、沙織たちに啓太を紹介した。「彼は私と七条の学友、伊藤啓太くんだ」「よ、よろしくお願いします」 啓太は丁重に頭を下げた。が、沙織たちは鼻を鳴らしただけだった。 七条は黙って、啓太と沙織たちのやりとりを見つめていた。 啓太はぼんやりと一人、別荘の庭を歩いていた。 暮れなずむ景色に、洋風の庭園は瀟洒な美しさをただよわせていた。 けれど、啓太の心は晴れなかった。 今日一日、沙織たちに露骨な無視を決め込まれたのだ。 沙織と香織とその母親は、郁と七条に媚びを売っていた。郁の生家である西園寺家は名家だし、郁と幼なじみだった七条は将来、郁の片腕として活躍するのは目に見えている。 彼女たちとしては、今のうちに未来の伴侶として二人を青田買いしておきたいのだろう。 そして啓太は聞こえよがしにひどい言葉を、郁と七条のいないところで投げつけられた。「どうしてこんな平凡な子が郁さまと臣さまのご学友なのかしら?」「どうせお二人に媚びて、おいしい汁のおこぼれに預かろうとしているに違いないわ」「本当、下々のものの考えることはせせこましくて嫌ね」 啓太は彼女たちの意地悪に黙って耐えた。 石ころを蹴りながら、啓太は思う。(いいんだ、べつに。女王様はともかく、七条さんは俺に無理矢理あんなひどいことしたし)(もしかして、七条さんにとって俺なんてただの遊びなのかもしれない)(それはそうだよな。俺なんて、何の特技もないし、家柄も普通だし……) 啓太の目に涙がにじんで、夕焼けがぼやけて見えた。 その時だった。 啓太は頭に鈍い衝撃を受けた。振り返ると、拳を振り上げた男がそこに立っていた。 沙織たちの使用人だった。 うずくまる啓太に、男はにやにやと笑った。「すまねえなあ。お嬢様たちのご命令なんだ。この別荘であのぼっちゃまたちと水いらずになりたいから、あんたが邪魔なんだとさ。だからとっとと怪我して、町の病院にでも行ってくれよ!」 啓太は先ほどの攻撃の衝撃がまだ去っておらず、起きあがることもできなかった。 もうダメだと目を閉じる。 だが、衝撃はいくら待っても訪れなかった。 それなのに鈍い音はして、啓太はおそるおそる目を開ける。 そこには、額から血を流した七条の姿があった。「し、七条さんっ」「大丈夫ですか、伊藤くん」 七条は微笑んで尋ねた。それでも声が苦しげなのが痛々しい。「君にどうしても謝りたくて、後をつけていたらこんなところに出くわしてしまいました。君は本当に悪運が強いですね。今度ぜひ研究させてもらえると嬉しいです」「七条さん、そんな冗談言ってる場合じゃ……」「いいえ、本気です」 七条は泣いている啓太の頬を優しく両手でつつみこんでから、震えている男に静かに言った。「殴りたいならいくらでも僕を殴ってください。ですが」 七条は目を見開いた。「あなたが伊藤くんを殴ったら、僕は何をしでかすかわかりません」「ひ、ひえええ~っ!」 男はおびえながら去っていった。 七条はそのままゆっくりと目を閉じた。「七条さん、七条さんっ!」 啓太は七条の体をゆさぶって、泣きじゃくった。「大丈夫ですかっ? 目を開けてくださいっ」 返答はない。七条の体はぐったりとして微動だにしない。啓太は七条に取りすがって叫び続ける。「やだっ、やだっ! 七条さん、起きて! いつもみたいに俺を見て!」 七条の返答はない。冷たい風が吹き抜け、七条も体温を失っていく。「いやだっ! 俺を守るために、七条さんが死んじゃうなんてっ。七条さんが生き返ってくれるなら、俺なんだってするのにっ!」「本当に?」「本当に! えっ……?」 啓太の願い通りに七条は目を開けて、にっこりと笑っていた。「ありがとう、伊藤くん」 その後。 七条からすべてを聞いた郁は「それは使用人が勝手にやったこと」とシラを切ろうとする沙織たちにきっぱりと宣言した。「お前たちとつきあうくらいなら、カエルの花婿になった方がマシだ」「僕はミミズと結婚しますーーーーあ、でも。僕の恋人に怒られてしまいますね」 七条はそう言って、そばで縮こまっていた啓太にキスした。 あっけに取られる沙織たちを尻目に、七条は啓太を狼狽する啓太を横抱きにして、寝室へ向かった。「うまくやるんだな、臣!」 郁は七条にウィンクしながら手を振った。 そしてすぐに厳しい表情に戻って、沙織たちに言った。「私に殺されたくなければ今すぐこの別荘から出て行け。臣と啓太の邪魔はお前たちには二度とさせない」 彼女たちが血相を変えて去っていったのは言うまでもない。 月明かりが青白く照らす寝室に、七条は明かりもつけずに啓太を抱いて入った。 そのまま啓太をそっとベッドの上におろす。 啓太は横になりながら、静かに七条を見上げた。「抵抗しないのですか?」「……はい」 啓太は震えるおのれの体に両手を巻き付けて答える。「俺、やっぱり七条さんのことが好きだから」 七条は青い瞳をゆらがせて答えた。「僕も君が大好きですよ、伊藤くんーーーーそれじゃ、いいんですね」 啓太は静かにうなずいた。七条は啓太の衣服に手をかける。 宝物でもあつかうかのうような手つきで、一枚一枚啓太の衣服を脱がしていく。 啓太は七条の指先が震えているのに気づいた。(やっぱり怖いーーーーでも) 七条のやさしい、そしてさみしい瞳を見つめながら決意する。(この人が俺を必要としているように、俺にも七条さんが必要なんだーーーーだから) そして、啓太は生まれたままの姿になった。 外気に身を震わしながら、啓太は背を向けて脱衣する七条を待つ。 そして七条は白い体を啓太の傍らにすべりこませた。 啓太の体にシーツをかけながら訊く。「寒くないですか?」「はい……七条さんの体、あったかいから」 七条はくすっと笑った。「伊藤くんの体もあたたかいですよ」「……じゃあ、もっと俺をあっためてください」「はい、いくらでも」 七条は啓太に覆い被さるようにして抱きしめた。 キスが啓太の上に落ちてくる。額に、頬に、鼻先に、そしてくちびるに。 深くくちづけられながら、啓太は次にくる衝撃を思って、全身をこわばらせた。 けれど、いつまでたってもそれは訪れなかった。 代わりに、おだやかで静かな抱擁が啓太をつつむ。「……七条さん?」「なんでしょう?」 啓太に腕枕した七条が答えた。空いている手はやさしく啓太の髪を撫でている。「何って……えっと……」「はっきり言ってくれないと、僕には何のことだかわかりません」 七条のそらとぼけた物言いに啓太は真っ赤になった。「からかわないでくださいっ」「ごめんなさい、君があまりにかわいいのでつい悪のりしてしまいました」 七条は肩を揺らして笑った。食えない人だ。啓太は頬をふくらませる。七条はそれをちょんと指先でつついた。「むくれた顔もかわいいですよ、伊藤くん」「もうっ」「はいはい、ごめんなさい」 七条は啓太の体をぎゅっと抱きしめた。七条の腕はすっぽりと啓太をつつんだ。 その途方もない安堵感に、思わず啓太は深呼吸する。「やはり人肌がいちばんあたたかいですね」 七条は啓太の頬にキスしながら言った。「少しずつでいいから、僕に慣れていただこうと思いまして。伊藤くん、君が嫌でなければ、このままで少しだけいてください。これ以上のことはしません。約束します。僕は君に触れている時だけ、素直になれる気がするのです。この世に愛だとか、信頼だとか、夢みたいなそんなものがある気がするのですーーーー君がいる場所が、僕の天国なのですよ、伊藤くん」 七条は啓太に静かに語り続けた。啓太は黙って七条を見つめる。 啓太を抱きしめる七条は、母にすがりつく子供のようだった。 そんな七条を啓太は守ってあげたい、と思った。 啓太は七条に自分からキスをした。ふれあうだけの浅いくちづけだったが、それは初めての啓太からの接吻だった。 七条は彼にしてはめずらしく驚いて瞠目する。 そしてすぐに自分から深く啓太にくちづけた。「もっともっとキスして、今夜はいっしょに寝ましょう、七条さん」「はい、伊藤くん」「で、でもっ。あくまで一緒に眠るだけですからねっ」「はいはい」 七条は少しあきれたように笑いながら、啓太をかきいだいた。 啓太はくすぐったそうに身をよじってから、そっと七条の背中に手をまわす。 天国は今、七条の腕の中にある。 END
2005年05月07日
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小鳥のさえずりがどこかから聞こえてくる。 啓太はその声で目を覚ました。 ゆっくりと起きあがると、カーテンの隙間から窓辺からのぞく青い湖畔が見えた。(あ、そっか……俺、女王様の別荘に来てたんだ) 啓太はぼんやりと自分の置かれた状況を思い出す。 現在はゴールデンウィーク。 啓太は女王様こと西園寺郁、そして七条臣とともに山中にある西園寺家の別荘に遊びに来ていた。 啓太を誘ったのは郁である。七条が図書室に行っている間、郁は啓太に会計室で言ったのだ。「臣の恋人であるお前が同行したら、さぞかし臣も喜ぶだろうと思ってな。あいつはああ見えて不器用なヤツだ。自分からお前を旅行に誘うことなど決してできないだろう。特にお前はまだいろいろと不慣れなようだしな」「不慣れって?」「ーーーー私にこういう不埒なことを言わせるな!」 郁は真っ赤になって顔をそむけた。郁の言葉の意味がようやくわかって、啓太もつられて赤くなる。「ご、ごめんなさい」 郁はこほんと咳払いをした。「べつに謝らずともいい。それはお前たちの自由なのだから。だが、矛盾しているようだが……」 郁はそこで言葉を切った。上目づかいで啓太の表情をうかがってから言う。「臣をあまり焦らしてやるんじゃないぞ。たまに見ていてかわいそうになる」「は、はあ……」 啓太と郁は互いに顔をそむけあいながら、もじもじと身をよじった。「だから、別荘でお前たちは同室にしておいた。わかったな」 郁はそこまで言ってから、そそくさと「ああ、予算が合わない」と言いながらコンピュータに戻った。 それからややあって、図書室から戻ってきた七条は、啓太と郁を見て目を丸くした。「どうしたのです、二人とも? 僕の顔に何かついていますか?」 啓太と郁は七条の姿を見て、二人とも頬を染めていた。 郁は七条にぎこちない声で言った。「臣。今年の連休はいつものように西園寺家の別荘に遊びに行く。だが今年は例年と違い、啓太も一緒だ。いいな」「ええ、喜んで」 七条は郁に頭を下げてから、啓太を流し目で見て笑った。 その背中に悪魔の羽根が生えていたように見えたのは、啓太の気のせいだろうか。 別荘に到着したのは昨晩だった。 郁が行きの電車で酔ってしまい、啓太と七条はつきっきりで介抱した。 そのため、就寝は深夜になり、啓太は七条に押し倒される危険におびえる余裕もなく、ベッドについた。幸いなことに部屋はダブルだが、ベッドはダブルベッドではなく、ツインだった。 隣のベッドを見ると、もぬけの空だった。(七条さん、どうしたのかな? 俺が朝寝坊だから置いていっちゃったとか?) そう思って壁の時計を見ても、まだ朝六時である。 啓太がもう一眠りしようかと考え始めた時、部屋のドアがノックされた。「は、はい」 啓太が返事をすると、ドアは小さなきしみを立てて開いた。 すでに洋服に着替えた七条が銀盆を持って立っていた。 まるで映画のワンシーンのようなその光景に啓太は息をのむ。「おはよう、伊藤くん」 七条は銀盆を両手に捧げ持ちながら、啓太の寝ているベッドに歩み寄った。「そろそろ君が起きてくる時間だと思ったので、朝食を用意してきました」「あ、ありがとうございます」 啓太はどきどきとしながら、トレイを見つめる。その上には仰々しくいくつもの覆いをされた皿が載っていた。「でもいいんですか? こんなことまでしてもらっちゃって……」「おやおや、何が悪いというのです?」 七条は不思議そうに眉を上げた。「恋人に朝食を給仕するのは当たり前のことではありませんか。さあ、食べてください」 七条はうやうやしく啓太のベッドにひざまずき、皿の覆いを取った。 そこには、特大のピザが盛りつけされていた。(朝っぱらから……朝っぱらからピザなんて! 濃いにも程がある~!) 啓太は悶絶したいのを必死にこらえながら、七条に尋ねる。「あ、あの、これって本当に朝食なんですよね?」「そうですよ。僕は毎朝これを食べています」「もしかして、この朝ごはんって」「はい、僕の手料理です。レトルト食品ですが」(レトルト食品は手料理だなんて言わないよ~) 啓太は泣きたい気分だったが、七条の笑顔の前には何も言えなかった。 新しい生命の息吹が五月の森にすがすがしい空気を満ちあふれさせていた。 啓太と七条は西園寺家の私有地である森林に散歩に来ていた。 郁が真っ赤になりながら「二人で楽しんでこい。帰りはいくら遅くなってもかまわないからな」と命じたのである。 鮮やかに咲く色とりどりの草花が啓太の目を楽しませ、日常の喧噪も忘れさせるーーーーはずだった。「大丈夫ですか、伊藤くん?」 七条と森の散歩に訪れた啓太は木陰で脂汗をにじませて休んでいた。七条は本当に心配そうに啓太のそばに座っている。 元はといえば、七条が朝っぱらからあんな油っこいものを大量に食べさせたために啓太は胃痛に苦しんでいるのであるが。「はい、だいぶマシになりました。さっき七条さんにもらった胃薬のおかげです」「そう、そんなによく効きましたか。さすが老舗の黒魔術店で買った薬だけあります」「し、七条さん。その薬って何ですか?」「それは秘密です」 七条は唇に人差し指を当てて、ふふっと笑った。 啓太は背筋に冷たいものが走るのを感じた。 だが、約十分もした後。 啓太の胃痛はすっかりおさまっていた。 啓太は大きく伸びをしながら言った。「ありがとうございます、七条さん! 七条さんからいただいた薬のおかげですっかり元気になりました!」 善良な啓太は、自分の胃痛がもともと七条のせいであったことを忘れている。「そうですか、伊藤くん。それは良かったです」 七条はにっこりと笑いながら大きくうなずき、そして言った。「たとえば、体のどんなところが元気ですか?」「えっ?」 七条のその言葉の意味を、やがて啓太はすぐ知ることになった。「あ……んっ、くっ……」 鬱蒼とした森の中、甘さとくるしさが入り交じった啓太の吐息が立ちこめていた。 七条はいつもの静かな微笑みをたたえたまま、悶える啓太を黙って見つめている。「し、ち、じょうさっ……ひどいですっ……」 啓太は緑のくさむらに横たわるようにしながら、七条をにらみつける。体中に熱がこもって今にも爆発しそうだ。「何がひどいのですか?」 七条は苦しむ啓太を見下ろしながら尋ねた。「だ……だって、さっきの薬に、何か……っ」「はい、入れましたよ」 七条はにっこりと笑った。「胃薬とともにたっぷりの媚薬も調合しました。それが何か?」「ひどいっ」 啓太は泣きながら叫んだ。「なぜです?」「だって……だって、俺、その薬のせいでこんな変に……」「どう変なのです?」 七条は穏やかに尋ねた。 長身をかがめて、啓太のシャツをまくりあげる。啓太は抵抗しようとしたが、体に力が入らなかった。「ここがこんなに敏感になっていることですか?」 軽く乳首をつままれて、啓太は悲鳴をあげる。七条は愉しげに笑った。「それともここが……なこと?」 七条は啓太のズボンのジッパーに手をかけた。すっかり頭をもたげた啓太自身にはじかれるようにジッパーはあっさりと開いた。「わっ! やめてください!」「はい、やめます」 七条はあっさりと啓太から手を離した。啓太はくやしさに唇を噛む。啓太のそこは七条が離れてもそそりたっていたからだ。 にらみつけてくる啓太の視線を困ったように、そして優しく受け止めながら七条は言った。「ごめんなさい、伊藤くん。君にこんな恥ずかしい思いをさせてしまって」「本当にひどいっ」 啓太は泣きじゃくりながら言った。恥ずかしくてもう目を開けていられない。 七条はそっと啓太の涙を指先でぬぐった。それだけの刺激にも、啓太の体は打ち震えてしまう。「けれど僕は、もう我慢ができないのです。君の心だけでなく、体も欲しい。君が僕に抱かれるのを怖がっているのは重々承知です。ですが、君を見ているみんなの視線が、僕はねたましくて仕方ないのです」「みんなの、って……」「学園中のみんなです。成瀬くんも、篠宮くんも、岩井くんも、あのどうしようもない悪人も、丹羽会長もーーーーそして郁ですらも、みんな君に好意を持っている。僕は君が他の誰かのものになってしまう前に、君を抱きたいのです」 啓太は七条の声ににじむ必死さにまぶたを開いた。七条は時折見せるあのひどくさびしそうな目をして、啓太を見つめていた。 それが啓太には悲しくてたまらない。「俺は、俺はもう七条さんのものですっ。ただ、まだ七条さんに抱かれるのが怖いだけなんですっ。どうしてそれをわかってくれないんですかっ。そんなに俺が信じられないんですかっ」 七条は何も言わなかった。ただ孤独をたたえた瞳のまま、啓太を見つめ続ける。 やがて七条は啓太にくちづけた。「んっ……」 啓太は涙を流しながら、七条の舌に蹂躙される。啓太の意に反して、それはひどくみだらで心地よかった。 やがて七条の唇はゆっくりと下に降りていった。乳首、脇腹、腰、そして。「や、やめてーーーー!」 啓太は懇願した。 だが、啓太のそこは柔らかくしめったものにつつまれていた。 数分もたたないうちに、七条は啓太の体液をいとおしげに飲み干していた。 つづく
2005年05月06日
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「轟山のことよ。あそこに神様が棲んでるってうちのバアちゃんが言ってた。まあ、どうせ迷信だろうけどォ」 ケイコはジュースをじゅりじゅりとすすりながら言った。 凛太郎は思い出した。たぶんその山とは、さゆりが男たちに襲われていたあの山のことだ。秀信も霊山だと言っていた。「けど、どうしてその轟山がさゆりさんに関係あるのかな?」 祥が尋ねると、ケイコとミキは顔を見合わせて思わせぶりな目つきをした。「それにはいろいろあってェ……」 ミキが声をひそめる。「いろいろって何だよ?」 明がじれったそうに尋ねた。「ええ~、でもこれってさゆりン家のプライバシーだしィ。むやみと話しちゃ悪いかなあ」 ケイコが茶髪をかきあげながら言う。 祥は黙ってズボンのポケットから財布を取り出し、ミキとケイコに五千円ずつ手渡した。「祥さん!」 凛太郎は思わず祥をとがめる。このふたりは明らかに祥にたかっているではないか。それにまんまと乗ってしまう祥がくやしく思えた。 祥は凛太郎の言うことが聞こえていないとでも言うように、ケイコたちに微笑みかける。ケイコとミキはにんまりと笑って、五千円札を自分たちの財布にしまいこんだ。 凛太郎はそんな三人がひどく薄汚れた人間のような気がした。 明がこわばっていた凛太郎の背中をポン、とたたく。明は凛太郎の耳元にささやいた。「そう目くじら立てンなよ。しょせんこの世は金次第ってことさ」「でも……」「もちろんそうじゃねえ人間もいるぜ。お前と俺みたいにな。こいつ、陰険眼鏡の子分だけあってさすが世慣れてるな。どうせ普段から金と欲にまみれた生活してるんだろ」 明は祥にべ~っと舌をつきだした。 ケイコたちが不思議そうに明を見やる。祥は二人に頭を下げた。「ごめんね、この男は情緒不安定でおまけに嫉妬深いから、よく僕にこうやってライバル心をむきだしにしてくるんだよ」「誰がお前にライバル心なんか……」「あ、すみません。明さまのライバルは秀信様でしたね」「はあっ? 何で俺があんなヤローに……」 いきり立つ明を尻目に、祥はケイコらへの質問を再開した。「轟山とさゆりさんには何か関係があるのかい?」 ケイコとミキはきょろきょろとあたりを見回して話し始めた。 つづく
2005年05月05日
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今日はライブに行った後、ダンナと友人たちとともに飲み会に行ってきました。 帰ってから小説書こうと思ったんですが、疲れました。眠いです。 頭が働かないので明日ゆっくり書きます。
2005年05月04日
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「お前、その上司って陰険メガネのことか?」 明の問いを無視して、祥はケイコたちに尋ねた。「そのさゆりちゃんってコのこと、もっと聞かせてほしいんだけど」 ケイコとミキが語った内容はこうである。 さゆりは「魔女」と呼ばれる以前から、謎めいた少女だった。 小学三年生の時、忽然とこの町から姿を消し、中学一年生になってから突如として戻ってきたというのである。さゆりが行方不明になった原因は当時存命中だった彼女の両親にも皆目分からず、結局は「神隠し」ということで片づけられた。 何でもさゆりは裸のまま、大津家の玄関前に早朝立っていたそうである。 中学二年の一学期の途中でいきなりクラスに編入してきて、しかも得体の知れない過去を持つさゆりは普通なら異端視されていじめの標的になってもおかしくないのであるが、決してそういうことにはならなかった。 なぜかさゆりは授業にもついてこれたし、むしろ成績は優秀だった。 しかもミステリアスな美しさを持つ外見とはうらはらに、性格も勝ち気なところはあるが快活だった。 さゆりの美貌をねたんだ女子生徒が一度さゆりに聞こえよがしに悪口を言ったことがあった。何でも「神隠しにあったいまわしい子」と言ったそうだ。するとさゆりは彼女ににっこりと笑いながら言った。「そうなの。私、十三歳にしては変な人生送ってるでしょ? だからそのうち本でも書いて作家デビューしようと思って。あなたのことも書いてあげるわ。つまんなくて意地悪な女がクラスメイトにいたってね」 さゆりの切り返しにクラス中は沸き立ち、さゆりのことを悪く言うものはいなくなった。 さゆりは神隠しに遭っている間のことは何も覚えていないと悪びれずにケイコたちにも話していた。 さゆりはイエスかノーははっきり意思表示するタイプだったが、さばさばした気性のため、人には好かれる性質だった。クラス委員などは「めんどくさくてやりたくない」タイプだったが、荷物を抱えたおばあさんを見ると必ず荷物持ちを申し出た。クラスに運動音痴をからかわれる女子生徒には、放課後つきっきりで跳び箱の特訓をしたそうだ。 むしろさゆりより問題のある行動を取っていたのは彼女の兄である文彦だった。東京の一流芸術大学に現役合格したのにもかかわらず、わずか一年で退学して実家に戻ってきていた。平日の昼間にぼんやりとひげ面で公園のベンチに座っている姿には、思い詰めている雰囲気があって、何か犯罪を引き起こすのではないかと危惧していた大人たちもいた。 だが、文彦はある時から打って変わって町の有名人になった。文彦の作った人形がとある大きな芸術コンクールで一位を取ったのである。その人形は生きているかとみまごう美少年の等身大人形だった。 ケイコとミキが人間だったら絶対に彼氏にしたいと思うほどの美しさだった。 文彦の作る人形を欲する人間からの依頼がひっきりなしに訪れ、大津家はみるみるうちに富裕になっていった。家の改築をし、新車も買ったそうだ。 だがそれとは反対にさゆりは次第に影のある少女になっていった。 口数も減り、無断欠席も増えた。さゆりが学校を休んでいる間、見知らぬ大人の男の運転する自動車に乗ってどこかへ行くのを見たという証言も多数現れた。それが「さゆりが援助交際をしている」という噂になるまでそう長い時間はかからなかった。 なぜなら民間陰陽師である大津家が桂女を営んでいたことは町中で知らぬものはなかったからである。それまでさゆりがそのことでいじめられなかったのは、さゆりの明るい気性に惚れているものが男女問わず多くいたからだった。 だがさゆりが自分たちに笑顔を見せなくなり、見知らぬ男と遊び歩いていたとなると事態は変わってくる。彼らにしてみれば、さゆりが自分たちに飽きて、もっと華やかな大人の世界に行ってしまったように見えるのだ。かわいさあまって憎さ百倍とはよく言ったものである。 さゆり自身も冷たい態度を取られたり、悪口を言われたりしてもなんのリアクションもしなかった。ただ醒めた目で彼らを睥睨した。「やっぱり、家が金持ちになってお高く止まってんのかしらねえ」 ミキは祥のおごりである二つ目のショートケーキをパクつきながら言った。特大チョコレートパフェをほおばりながら、ケイコが反論する。「違うんじゃないの? やっぱり親が事故で亡くなったってのが大きいんじゃないの? そのショックでヤケになったとか。ミキ、あんたデリバリーが足りないよ」「あのう……それを言うならデリカシーだと思いますけど」 凛太郎の控えめなつっこみにケイコは「やっだー、ギャグよギャグ」と凛太郎の背中をバンバンとたたいた。凛太郎はオレンジジュースを気管に詰まらせてむせかえった。 明は凛太郎の背中をさすりながら、「このガサツ女が」とケイコに舌を出す。ケイコがあっかんべえをしようとした時、祥が話題を元に戻した。「その事故とはいつごろのことですか?」「ええっと、一年くらい前のことかしら」 明には目もくれず、ケイコは祥の微笑みにほおを染めながら答えた。「そうそう、いきなり車の事故で亡くなっちゃったの。私、あそこのおばさんに子供のころ、親に連れられて厄祓いしてもらったことあったんだけど」 ミキが沈痛そうな面持ちになって言葉を続ける。 ケイコはふと思いついたように言った。「もしかして山神様のたたりだったりしてね」 そういえばさゆりが襲われていた山は霊山だと秀信が言っていた。それを思い出しながら凛太郎は尋ねる。「山神さまって?」 つづく
2005年05月03日
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「さゆりさん、だっけ? ふだんはどんな子だったのかな?」 町にある小さな喫茶店で、祥は二人の女子高生に尋ねていた。 二人の名前はミキとケイコと言った。背の高い方がミキで、低い方がケイコである。 凛太郎はオレンジジュースをすすりながら、驚きあきれながら祥を観察していた。 祥は雑誌のための取材というお題目でケイコたちをこの喫茶店に誘った。 彼女たちを愛想良く持ち上げて、たくみな誘導尋問で心を開かせるさまはお見事としか言いようがなかった。「こいつ絶対女泣かせたことあるよな。だましたあげくに貢がせたりして」 凛太郎はそういう明をいさめつつも、実際その通りだと思う。 明は祥のことを「ふてえやろうだぜ」とぶうたれつつ、ショートケーキとフルーツパフェを交互に食べていた。「そんなに悪いやつじゃなかったよ」 ケイコが口を開く。「うん。物静かでちょっと近寄りがたいところあったけど、話してみると結構冗談とか言ったりするし」 ミキが祥を上目遣いで見ながら言った。そのひとみはすっかり恋する乙女である。「そうなんだ。僕なんかオヤジギャグ大好きでいつも上司にあきれられてるよ」 祥はブラックコーヒーを一口飲んでから言った。 つづく
2005年05月02日
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更新がなぜ昨日されていなかったかというと、ダンナと二人で温泉へ行って参りました。 ごくごく近場の小さな湯治場です。 でも温泉に行ったと言っても、実際温泉に入ったのは宿屋にいる間の二回だけで後は山道を観光したり、近場の名所をぶらぶらと回っておりました。 いろんな温泉があったのですが、男女で分かれてしまうので、一人で温泉入っててもいまいちおもしろくないんですよね。 それにお互い、何時何分にここで待ち合わせって決めて温泉はいると妙にそわそわしちゃって、落ち着いて入浴できないし。 だから最近、水着を着て入る温泉って増えてるんだなあと思いました。 それまではなんか風情がないなあって思ってるくらいだったんですが、こういう理由があったと知ると、温泉経営者側もいろいろ考えてるんだなあと思います。 子供のころに温泉につれていかれると実に退屈だったんですが、最近のんびりできるし、疲れはとれるしで「ああ、温泉っていいわ~」と思うようになりました。 これって年とった証拠っ? うが~。 でもさんざん懐石料理やらなんやら食い散らかしたので、しばらく節制しないといけないなあと思います。
2005年05月01日
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