全4件 (4件中 1-4件目)
1

ここ毎年、走る距離が減って、年間の走行距離が大体4,000㎞程度だったから、3月の車検や点検に併せて年1回オイル点検を行ってたんだけど、今年はちょっと頑張って久々の泊ツーに出たりしたから、年間の走行距離を半年で突破しちゃいました。前回オイル缶が丸々1本残ってたのもあったんで、オイルだけ交換しちゃいましょう。オイルは前回の残りのカスロールのパワー1レーシングP1シリーズの良いほうね。ホムセンで廃オイル受皿と廃オイルのポイBOX買ってきた。ドレンボルトのワッシャーは買い置きが残ってたけど、おいおい、これ不良品じゃね?断面不足じゃん。今までは、ポイBOXでダイレクトに受けてたんだけど、ポイBOXのあおりの部分が、アンダーカウルに干渉して作業がしにくかったし、あおりに散った廃オイルで手が汚れたりするから、今回からは廃オイルの受皿を導入しました。そこそこ距離走ってるからか、思いのほか、汚れてんな。ドレンボルトのマグネットも、かなり汚れてた。綺麗綺麗して元に戻しましょう。忘れないように、25,400㎞で交換ね。オイル交換して距離控えるのって久々やわ。次回は3月の車検前にフィルター交換と併せてオイル交換じゃね。今回はフィルター交換なしだったんで、2.5L入れたんだけど、また入れすぎた。毎回適量が分からん。毎回入れすぎとる。
2023年10月29日

’23 10月のラーメンは、岡山ラーメン界の超老舗店「天神そば」に行ってきました。未消化の夏季休暇が残ってたから、午前中は、まず映画かな久々のシネマクレール。岡山唯一のミニシアターで、ここでしか見られないミニシアター系の配給作品を上映しています。今回の本命は「福田村事件」が見たかったんだけど、同時期にやってる「月」のほうが上映期間が短かったので、本日は「月」にしました。ここ、年会費1500円で会員になれば、当日一般料金1800円が会員価格の1100円で鑑賞できます。2回くれば、大体元が取れるってことかな。勿論、会員になりましたよ映画が12時半ころに終わったんで、近くの超老舗ラーメン店の「天神そば」へ。ここ、昭和45年創業で、高校生の時からお世話になっています。ラーメンは昔ながらの中華そばです。平日のみ営業ですが、毎日開店時間から行列ができていることで有名な超人気店です。今日ももちろん行列です。土日は定休日で、平日も行列が出来てるので、お昼の休み時間中では間に合わないから、こんな平日休みの日じゃないと来れないのよね。面白いのは、出てくるお客さんが、揃いも揃って、扉を開けたときに「旨かった~」って言ってることなかなか来れないので、ここぞとばかり麺ダブルにしました。何回食べても旨いものは旨い!!私も扉を開けて「旨かった~」が出ましたわ
2023年10月16日

’23 10月のカレーは、新見の「タイム」に行ってきました。新見IC降りて、少し北に走った所。オレンジ色の三角屋根と、この赤い服を着たおじさんが目印。メニューは多彩なんですが、カレーが定番です。お客さん大半がカレー食ってないかなこのお店って、白いカレーが有名なんですが、今日は定番のカツカレーが食いたい。カツカレーを大盛(+100円)にしてもらって、更に辛さ2倍(+100円)です。カツから手前はご飯はありません。ルーだけですからね。しっかりボリューミーで旨いわざわざ新見まで来たのは、これがお目当てです。昔さながらの大名行列が往来する、備北の奇祭「新見土下座まつり」場所は新見市の御殿町(ごてんまち)で開催されます。江戸時代に初代新見藩主・関長治候によってつくられたまちです。元禄時代には城を造ることができなかったため、御殿(館邸)を建てたことから、現在は「新見御殿町」と呼ばれています。藩主・関家にまつわる資料の展示コーナーなどもある「御殿町センター」や新見の近代商業の中心として栄えた「太池邸」、元料亭「松葉」など、当時の面影を色濃く残す建物が軒を連ねています。行列の出発地の船川八幡宮の幟も上がって、準備万端。いい場所は先客がもう座ってますね。御座席も準備万端。こっちは、地元の方の軒先。こっちも準備万端。御殿町センターも、出店がでたり、お祭りムード満点。行列が来るまでは、もう少し時間があるから、センター内の資料館を見学しますか。祭りのジオラマがありました。元禄10年(1697年)に新見初代藩主となった関備前守長治が、御神幸の警備に当たらせたのが始まりと伝えられる300年の歴史をもつ無形民俗文化絵巻(御神幸武器行列)を、当時のしきたりを忠実に継承して行われる大名行列で、船川八幡宮秋季大祭に併せて毎年10月15日に行なわれるものです。新見船川八幡宮の秋季大祭の御輿の御神幸に際して、その先駆を努めます。行列が通過する間、座るか腰を低くし、場所を移動しないという拝観心得があることから、「土下座まつり」とも言われています。行列は13:30に新見船川八幡宮を出発。御殿町には13:40頃到着します。「下に、下に」の行列のかけ声が聞こえてきました。総勢64名の行列は、青竹を手にした二人の先払いを先頭に、白熊と呼ばれる大槍(おおやり)、薙刀(なぎなた)、鉄砲(てっぽう)、弓(ゆみ)、槍(やり)、大旗(おおはた)、馬印(うまじるし)、沓篭(くつかご)が新見船川八幡宮と宮地町の御旅所を往復します。土下座まつりは 三百年以上の歴史をもつ行列でござ候しからば 次のしきたりをお守りくださるようお願い申し上げ候【土下座まつり拝観心得】一 座して行列を静かにお迎えする事一 写真を撮る際も起立してはならぬ事一 行列の前や途中を横切らぬ事一 行列が通過する間は場所を動かぬ事一 郷士監察(紋付き羽織袴姿で行列の外を歩く役の人)の 指示に従う事以上の事を守らねば行列は進まなくなる事を承知おく事行列が何回か止まってたから、心得を破った輩がいたのかな。この行列の後、新見船川八幡宮の秋季大祭の各地域の御輿が次々とやってくるんだけど、先頭の太鼓の人が、職場の先輩だった。さらに各地域の子供神輿が続くんだけど、そこにこの春からこっちで大学生してる姪がボランティアで参加してた。世の中意外と狭いなさて、行列とその後の神輿をすべて見送って、帰路につきます。本当は行列の復路も見たかったんだけど、少し待ちそうだったんで先を急ぎました。最近、映えスポットして有名な白い鳥居の済渡寺(さいどうじ)へ来ました。山の中に突如白い連なった鳥居が出現するので、すごい浮いてる岡山県新見市にある「済渡寺(さいどうじ)」は、空海(弘法大師)が建てたとされている1200年以上の歴史を持つお寺です。花菖蒲(はなしょうぶ)と紫陽花(あじさい)の寺としても有名で、毎年6月下旬頃には花菖蒲が、7月上旬頃に11000株の紫陽花が咲き誇ります。毎年6月最終日曜日には「子安観音大祭」が開催され、多数の参拝客と観光客で賑わいます。桃なのか?なんで?鳥居が白色になっているのは、平安時代に空海とともに唐から渡来した白龍が、陶器製造技術を伝えたことに由来しているとされています。この技術は後に「法曽焼」として発展することになります。この白竜殿が、妙に怪しさを醸し出してるなー。横の4月中旬に見頃を迎える夫婦桃は、仲睦まじい夫婦のように2対の花が寄り添って咲きます。だから、鳥居に桃が掲げられているのね。駐車場に地域の名で、お寺を中心とした、花畑マップがあったので、地域全体でで花菖蒲や紫陽花も含めて管理しているみたいですね。さて、お寺のすぐ近くにある「猪風来(いふうらい)美術館」(新見市法曽陶芸館)では、1200年の歴史ある法曽焼を体験することができます。ここは、済渡寺を調べてた時に知ったんだけど、陶芸とか工芸とかが好きな私としては、それ以来ずっと来たかった所なのよ。岡山県新見市にある「猪風来美術館」は、廃校となった新見市立法曽小学校(ほうそしょうがっこう)を美術館として再利用した現代縄文アートの展示施設です。大人400円です。美術館内は縄文造形の第一人者猪風来による代表作や新進作家村上原野らの縄文スパイラル作品など200点以上を常設展示しています。陶芸体験創作館では、陶芸教室(A縄文野焼きコース・B電気窯コース)を随時開催しており、毎年春と秋の年2回「縄文野焼き祭り」も開催しています。小学校の教室を展示室にしてるんだけど、作品の迫力がすごいのよ。美術館内は撮影NGだったので美術館のHPから絵をもらったんだけど、この縄文模様とか、作品から出る迫力がすごいの。これって、やっぱり本物見ないと伝わんないなー。こんな田舎にこんな面白い美術館があったんだな陶芸体験と春秋の野焼き祭りに行ってみたいわ。ちょっと、新見までって遠いのよね後は勝手知ったる下道を、高梁→吉備中央町→岡山と走って、無事帰宅約210kmか、思いのほか走ったな~。
2023年10月15日

'23 10月の遠征ツーリングは、 「舞鶴遊覧船ツー」に行ってきました。7:30予定通り自宅発。山陽ICの入口で前の車が、ETC信号を感知されず、レーン内で立ち往生。結局、発券してもらって、脱出したんだけど、すぐ後ろで待っていた私のF8も、感知されたかどうかわからず立ち往生。結局事務所まで行って、信号を確認してもらって「多分、大丈夫だと思う」とのこと。念のため、発券してもらって、再出発です。8:00予定より10分遅れて、集合場所の山陽道下り線 瀬戸PA着。今回はこの3台で回ります。山陽道→播但道→中国道と乗り継いで加西SAまで来ました。播但道路から中国道への乗り継ぎの料金所でETCがうまく反応してたから、山陽ICの乗り込みもOKだったみたい。ここを第2集合場所にしてたんですが、ここでの合流者はなし。今日の朝食はカレーパンにしました。11:30 予定どおり舞鶴赤レンガパーク着。倉庫群の中を通って、遊覧船乗り場へ。予約した遊覧船の出航時間までは、少し時間があるので、サカナテラスさんで食べ歩きのおやつを物色して、芝生広場で頂きます。サヨリの照り焼きの串がうめえ舞鶴港は、古来より北前船の寄港地とも知られ、日本海側でも有数の商業港として栄えていました。明治時代に日本海側唯一の海軍鎮守府舞鶴鎮守府が開府し、軍港として飛躍的に発展しました。日露戦争の際、そのほとんどの船がここから出港しました。戦時中も東港が軍港として整備され、西港は対岸貿易拠点港として整備され、朝鮮や満州への定期航路を有するまでに発展しました。現在も、東港は海上自衛隊舞鶴地方総監部が鎮座する軍港として、また市内最大規模の事業所でもある造船所・ガラス工場が面した工業港、さらに近年は近畿圏と北海道を結ぶ長距離フェリーを中心とする国内旅客港としても機能しています。遊覧船に乗って、この東港をぐるっと回るんです。船旅は35分。港内を反時計回りで回るので、進行方向の右側への着座がおすすめですよもちろん、早めに並んで、右側後方のデッキに陣取りました舞鶴港は、海上自衛隊や海上保安庁が基地を構えており、日本列島の日本海側の防衛や海上警備において重要な拠点となっています。近年では北朝鮮の工作船事件などで国防上の重要度が高まり、舞鶴飛行場が建設された他、工作船の活動に備えるためミサイル艇2隻、また日本海の戦略的重要性から、イージス艦2隻も順次配備されました。1987年(昭和62年)にフェリー専用埠頭である前島埠頭(舞鶴フェリーターミナル)が造成されると、近畿圏と北海道を直結させる新日本海フェリーが西港より移ってきました。現在の舞鶴港東港は海上警備・国防上の役割のみならず、国内海運の日本海側航路の拠点としても重要になっています。造船所並びに海上自衛隊基地周辺は制限海域となっており、原則関係船舶以外は立ち入りできません。なので、見学はこの遊覧船のみなんです。湾内には北海道の小樽行きの新日本海フェリーが停泊していました。ターミナルには、夕方入港するんですね。「舞鶴クレインブリッジ」舞鶴湾にかかる鋼製の白い斜張橋です。全長735m、水面からの高さは95mにもなります。二羽の鶴をイメージして設計されたもので、主塔は鶴のくちばし、ケーブルは羽をイメージしています。もともとは、関西電力舞鶴発電所(石炭火力発電所)の工事用道路の一部として関西電力が架橋したものです。舞鶴航空基地。第23航空隊により、日本海側の防備体制を担っています。哨戒ヘリコプターの離着陸訓練をやってました。ヘリが離着陸で飛び交うのを見るのも、かなり珍しいな。湾の奥には駆逐艦建造の多くを手がけた、旧舞鶴海軍工廠の後身になるジャパンマリンユナイテッド舞鶴事業所があります。終戦後、飯野産業が運営を引継ぎ、飯野産業株式会社舞鶴造船所として造船業を継続。その後の経営主体は飯野重工、舞鶴重工業、日立造船、ユニバーサル造船と変遷して、現在は、ジャパンマリンユナイテッド舞鶴事業所となっています。2021年(令和3年)5月26日に舞鶴事業所にて、同事業所における最終建造船を引き渡し、同日をもって、新造商船の建造を終了し、艦船修理事業に特化することになり、旧日本海軍の舞鶴海軍工廠時代から数えて100年以上の新造船建造に幕を閉じました。ドックに入港しているのは、補給艦「ましゅう」ましゅう型補給艦の1番艦。艦名は摩周湖に由来します。156は護衛艦「せとぎり」あさぎり型護衛艦の6番艦。艦名は「瀬戸に立つ霧」即ち「瀬戸霧」に由来します。なお、艦艇名としては旧海軍通して初の命名。兵装は、すべて降ろしてあります。後部のデッキ部分は哨戒ヘリの発着用ポートとなっています。118は護衛艦「ふゆづき」あきつぎ型護衛艦(2代目)の4番艦。艦名は「冬空に高く輝く、凛冽とした冬の夜を照らす月」に由来します。この名を受け継ぐ日本の艦艇は旧海軍の秋月型駆逐艦8番艦「冬月」に続き、日本の艦艇としては2代目。PLH08は海上保安庁の巡視船「えちご」PLHのHはヘリコプターのHでHが付いている巡視船はヘリを搭載しています。828はミサイル艇「うみたか」はやぶさ型ミサイル艇の5番艇。艇名は「海鷹」に由来。うみたか型駆逐艇「うみたか」に次いで日本の艦艇としては2代目。艦尾の対艦ミサイルは降ろしてありました。航空燃料を扱う油船は「YG」、艦艇用燃料を扱う油船は「YO」YTは曳船。海自艦船用のタグボートです。824はミサイル艇「はやぶさ」はやぶさ型ミサイル艇の1番艇。艇名はハヤブサに由来します。隼型水雷艇「隼」、鴻型水雷艇「隼」、はやぶさ型駆逐艇「はやぶさ」に次いで日本の艦艇としては4代目。ミサイル艇は、艦対艦ミサイル(SSM)を主兵装とする高速戦闘艇。当初は魚雷艇から発展させたものが多く、魚雷発射管を備えた艇もありました。近年、耐航性の向上のために大型化が進められています。はやぶさは90式SSM連装発射筒×2基(計4発)搭載可能です。この日は1基のみ搭載でした。4301は多用途支援艦「ひうち」ひうち型多用途支援艦の1番艦。諸外国海軍の 航洋曳船(オーシャンタグ)に相当します。この艦級における艦名は灘の名前に由来しており、「ひうち」は、燧灘(ひうちなだ)に由来します。他の同型船に「げんかい」、「えんしゅう」、「すおう」、「あまくさ」があります。232は護衛艦「せんだい」あぶくま型護衛艦の4番艦。艦名は川内川に由来し、この名の日本艦艇としては、旧海軍の川内型軽巡洋艦「川内」に続き2代目にあたります。2022年12月に公表された防衛力整備計画で、2027年度までに除籍することが発表されました。1990年進水なんで、約40年で除籍されるんですね。そんでもって、今回の遊覧船での最大のお楽しみ。175の護衛艦「みょうこう」と177の護衛艦「あたご」「みょうこう」は、ごんごう型護衛艦の3番艦。艦名は妙高山に因み、旧海軍妙高型重巡洋艦「妙高」に続き日本の艦艇としては2代目。海自初のイージスシステム(AWS)搭載ミサイル護衛艦(DDG)にして、アメリカ海軍以外が初めて保有したイージス艦です。イージスシステムは、遠くの敵機を正確に探知できる索敵能力、迅速に状況を判断・対応できる情報処理能力、一度に多くの目標と交戦できる対空射撃能力を備える画期的なシステムです。このおかげで、イージス艦は、同時に多数の空中目標を捕捉し、これらと同時に交戦できる、極めて優秀な防空艦となりました。またイージスシステム以外にも、イージス艦が搭載する全ての兵器はイージスシステムのコンピュータを中核として連結され、イージス戦闘システムと呼ばれる統合システムを構築しています。これによって、イージス艦は、対空・対艦・対潜水艦など、戦闘のあらゆる局面において、脅威となる目標の捜索から識別、意思決定から攻撃に至るまでを迅速に行なうことができます。それを可能とした高性能レーダー群が、この八角形の窓の奥に格納されています。イージスシステムは、大陸弾道系のミサイルの捕捉、追尾、迎撃も可能となっており、イージスアショアの代替えとして期待されています。現在イージスミサイル艦は第1世代のこんごう型が4艦、第2世代のあたご型が2艦、第3世代のまや型が2艦在籍していますが、今後、イージスアショアを担う大型イージス搭載艦2隻の建造が予定されており、1番艦が2027年、2番艦が2028年に竣工予定です。主兵装として、128セルのVLSを設置して、SM-3及び極超音速滑空兵器に対処するSM-6を搭載する予定。この128セルというセル数は海上自衛隊の艦艇としては最多、世界的にも最大規模の多さとなります。また反撃能力の一つとして導入が予定されているトマホークのイージス・システム搭載艦への搭載の可能性も噂されていますね。177の護衛艦「あたご」あたご型護衛艦の1番艦。艦名は京都府の愛宕山に因み、日露戦争期に活躍した摩耶型砲艦3番艦「愛宕」、天城型巡洋戦艦4番艦「愛宕」、高雄型重巡洋艦2番艦「愛宕」に続き、日本の艦艇としては4代目。基本的には、こんごう型の次世代型であり、性能向上型となっています。無事、遊覧を終えて帰ってきました。楽しかった~♪田宮模型のウォーターライン戦艦シリーズが作りたくなったな~(笑)再び、赤レンガ倉庫街を散策しますか。ちなみにこのポスト、ちゃんと投函できますし、配達員さんが回収に来ますよ。赤レンガ倉庫の中は、イベントスペースやカフェ、お土産物売り場と多彩です。東郷平八郎初代司令官もお出迎えです。ここ、CAN BRICKさんは舞鶴の魚を缶詰にした缶詰専門店でした。本物の東郷さんの邸宅も近くにあり、見学も可能なんですが、日曜のみ公開してるみたいなんですよね。カフェで、旨そうなプリン発見。上のカラメル部分が、タピオカになってます。さて、昼食会場へ移動。ここまで来たら、西舞鶴にある道駅「舞鶴港とれとれセンター」でしょ。でかいな!バイク置き場も、一杯ですよ。中は市場さながらで、ここで買ったものを、隣のBBQハウスで、自分でも焼けますし、買ったお店で焼いてもらうことも可能です。焼き魚や煮魚も手ごろな価格で小売りしています。海鮮丼のお店か、寿司屋か迷ったんですが、海鮮丼が少し列になっていたので、寿司屋をチョイス。館内で、海鮮の串焼の食べ歩きがしたかったから、少し分量少なめを狙って、特上握り8カン\2000円を注文したんですが・・・。悪くはないんですよ。ネタもいいんですよ。値段も値段なんで、期待しすぎは分かってはいるんですけどでも・・・。キラキラしてないと言うか・・・回転寿司の域を出てないと言うか・・・。次回からは外れのない海鮮丼にします。それでは、センター内で買い食いしますか。ゲソ焼きとツブ貝焼きの串をゲット満足満足東舞鶴へ戻る途中に五老スカイタワーに寄りました。結構リーズナブル。アニメキャラがお出迎えアニメは『艦隊これくしょん-艦これ-』とコラボしてるのね。舞鶴港は本州の日本海沿岸が南に入り組んだ若狭湾西部の舞鶴湾にあり、外海に対して入り江になっています。平均水深20m、湾の出入り口は約700mと狭く、「みずなぎ」と呼ばれるほど湾内は極めて静穏です。またその地形から湾内の干満差もほとんどなく(最大でも30cm)、また四方を400m程度の山々に囲まれるなどし、冬場の日本海側港湾でも強風・荒天を避けることのできる天然の良港として知られています。奥に見えるのは関西電力舞鶴発電所(石炭火力発電所)。先ほど遊覧船で回った東港。軍港としての歴史を色濃く残しており、海上自衛隊の基地を中心に発展しています。西港は舞鶴城の城下町として発展してきたため、江戸時代より商業港として発展してきました。また明治期以降は対岸貿易の拠点港に指定され、朝鮮・満州などに複数の定期航路を有するまでになり、最盛期には取扱貨物量が63万トンに達するなど日本海側随一の貿易港にまでなりました。西舞鶴港は、貿易港のため海保の基地があり、一部漁港としても活用されています。お魚とれとれセンターが西舞鶴あるのはそのためなんですね。更なる輸送需要の増大や、船舶の大型化に対応するため、西港の和田地区に、5万トン級船舶が接岸可能な水深14mの岸壁および背後の荷捌地を有する多目的国際ターミナル「舞鶴国際ふ頭-みずなぎふ頭」が整備され、2010年4月から供用開始されています。やっぱりこんなのがあるのねちょっと時間がなかったから、喫茶には寄らなかったけど、3人でつつけば、これくらいの量なら、すぐやからね。新日本海フェリーのターミナルに来ました。お昼の遊覧船の解説のなかで知ったんだけど、ターミナルの売店とレストランは、フェリーの就航日には開店していて、北海道のお土産と北海道の料理が食べられるんだって?ホントだ!レストランと売店の営業日のカレンダーも張り出してあるし、レストランのメニューは、北海道の料理じゃん。ジンギスカンやご当地グルメの「小樽あんかけ焼きそば」まであるじゃん。売店のお土産コーナーを物色。品数はそうでもないけど、確かミニ北海道物産展やね。お店の人に「これ以上在庫ないの?」って聞いたら、「船が着岸したら、いくらか在庫を下ろしますし、乗船して頂いたら、売店に同じものはありますよ」とのこと。なるほど、船の売店が地上展開してるのか。だから、他航路の新潟や秋田のお土産もあるのね。小樽経由で船で物々交換して、各港でお土産物展開してるのね。売店で、面白いアイスクリーム見つけた。「とうきびモナカ、さっぽろ大通公園」これって、昔北海道のセイコーマートで食ったやつかな?ほんのり甘いコーンポタージュアイスって感じ小樽行きのフェリーが入港してきました。やっぱりでかいな。昔は片道33時間かかっていたのが、今は21時間で行くんだって。24時間切ってるから、毎日就航することも可能だし、船も効率よく回すことができますよね。他の2人は、北海道行く気になってるし30年ほど前に、これでここ舞鶴から北海道に行ったんだけど、その時の復路が大しけで船が揺れて、船酔いで気分が悪すぎて33時間中10時間ぐらいトイレから出れなかったことがあったな。舞鶴港は、戦中は旧海軍の軍事的拠点として使用されていましたが、戦後は大陸に進駐していた軍人軍属や一般人の日本本土への引揚、および日本に在留していた中国・朝鮮人の送還のための指定港のひとつとなりました。さらに、日ソ中立条約を一方的に破棄し侵攻したソ連軍の捕虜となり、シベリアに抑留されていた旧軍人も、舞鶴へと帰還しました。他港が早々に引揚港から除かれたため、これら引揚者のほとんどが、舞鶴港を入港先・帰還港としました。これに伴い、日本各地から夫や親族の帰還を待ち望む多くの人々が、舞鶴港へと出迎えに訪れました。引揚者用の桟橋が設置されていた平地区を見下ろす丘に引揚記念公園が開設され、その一角に記念館が建設されました。平成27年9月には、若い世代にも分かりやすく共感できる展示への改修や環境整備などを進め、リニューアルオープンしました。また、平成27年10月10日には収蔵資料のうち570点がユネスコ世界記憶遺産に登録されました。引き揚げ第1船入港日である10月7日が「舞鶴引き揚げの日」と制定されていて、この日は入館無料になっていました。去年(2022年)の12月に公開された二宮和也主演の「ラーゲリより愛をこめて」を見れば一目瞭然なのかな?シベリア抑留の厳しい現実の、等身大ジオラマがありました。そもそも、8月15日の終戦後も、ソ連の侵攻は続いて、ソ連が停戦したのは9月7日。更にソ連との国交正常化も遅れたため、シベリアへの抑留者の帰国のみが、どんどんと遅れる結果になりました。なんで、シベリア抑留者の帰国港が、舞鶴港だったのか?舞鶴港が最後まで引揚港として残っていたかが疑問だったんで記念館のボランティアさんに尋ねたら、「舞鶴港は戦前より北洋木材の輸入港として発展しており、旧ソ連や旧満州などとの民間レベルでの国交があったから、大陸方面からの引き揚げ船のルートとして、外せなかったんじゃあないのかな。」って教えてくれました。引揚桟橋を見下ろす展望広場には、戦没者への弔意と世界の恒久平和を訴える「平和の群像」や、当地と深いかかわりのある「異国の丘」「岸壁の母」の歌詞を刻んだ歌碑などが静かにたたずんでいました。「岸壁の母」の歌で知られた引き揚げの町・舞鶴昭和20年(1945)10月7日、引き揚げ第一船「雲仙丸」が入港してから、13年間にわたり66万人の引揚者を温かく迎えてきました。終戦と平和の象徴的スポットである引き揚げ桟橋を、平成6年に復元されたのがこの平引揚桟橋(たいらひきあげさんばし)です。ちなみに、第二次大戦直後に大陸や南方の戦地からの引揚者が帰国した引揚港は、『岩壁の母』のヒットで舞鶴港が有名ですが、引揚者数上位5港は、浦頭港(長崎県佐世保市)139.6万人、博多港139万人、舞鶴港67万人、浦賀港56万人、仙崎港(山口県長門市)41.3万人で、日本五大引揚港となっています。さて、後は帰るだけ。舞鶴東ICから来た道を帰ります。加西ICで晩御飯のカツ飯たべて、龍野西ICで一旦下車。下道で相生を横断して赤穂ICから再び山陽道に戻って山陽ICで下車。いつものGSでガス満タンにして、帰還しました。22時20分に無事帰還。日帰り490㎞の旅でした。他の2台も無事帰着報告ありました。今回のお土産は、舞鶴基地所属の各艦のカレーのうちから「ひゅうが」と「ふゆづき」のカレー。職場へのお土産として北海道のチョコ2種類。(勿論、北海道に行ったことにして(笑い))後は、舞鶴道のSAで見つけた、安売りしてた饅頭とカレーラーメンです。6艦の中で「ふゆづき」が一番美味しいって聞いたんだけどどうかな?
2023年10月07日
全4件 (4件中 1-4件目)
1


