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第1項から第98項までの4000文字以上の長い英文でしたのでとりあえず、82項だけ、転載しました。以下転載-------------[転送・転載、歓迎。] 2005年11月23日皆様 11月17日、ヨーロッパ議会において、「大量破壊兵器不拡散」決議が採択されたとのニュースです。(ICBUWーベルギーのメンバーであるリア・ヴァージャウさんからの知らせです。) 第82項は、「劣化ウラン兵器のモラトリアム=暫定的使用禁止への要求を、全面的禁止の導入を目指しつつ、改めて表明する」とあります。 草々 嘉指信雄82. Reiterates its call for a moratorium - with a view to the introduction of a total ban - on the use of so-called "depleted uranium munitions";
2005/11/26
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「ミサイルがヒュ~~ンと落ちてくる」リバーベンドさんの日記に書かれていたこの文章で思い出した。私の父は、父の周りにいた誰もが認めるほど、強い人、タフな人だった。子供の頃、父はお祭りや縁日には、よく私達を連れて行っていった。神田のお祭りでは、山車を引いていて迷子になった覚えがあるし、浅草の三社祭では、お神輿をかつぐお兄さん達が、あまりにも威勢がよく、恐く感じて父の後ろに隠れてしまった覚えもある。乃木神社の縁日、日枝神社のお祭りも遠い記憶にある。だけれど花火大会だけは、連れていっては貰えなかった。私が無理やり一度だけ花火大会に父を連れていったことがある。最近の花火は、打ちあがる時には、音がしないがその頃の花火は、地面から空に打ち上げる時に「ヒュ~~ン」と音がした。土手に座っていた父は、思わず首をすくめた。「この音は、空襲の時の音に似ている。みんな思い出さないのかな~」と周りにいる人達を見ていた。家に帰る途中、私は父の腕に絡みつきながら歩いていく。「乗っていた船が爆撃され、木片につかまりながら、夜の海に浮いていると空から落ちてくる爆弾が、全部、自分のところにめがけて落ちてくるように思えて、思わず海の深くに潜ってしまう。」父は水戸の水府流の泳ぎがとても上手だった。「オシッコは大切なんだよ。一晩中、海に浮いていると寒くて寒くて震えてしまう。その時にオシッコをすると、軍服の中にあったかいオシッコがたまって、身体が一瞬だけでもあったかくなる。ズボンの下にゲートルを巻いているからね、下から出ないんだ。」あの父でさえ、逃げ場が無いところでの爆弾に恐怖を感じて、何十年も覚えている。イラクの子供達は、恐怖のあまり精神に異常をきたした子も多くいるときく。「ミサイルが窓ガラスを砕いて無数の短剣に変えてしまうし、壁は崩れ落ちるだろう。」このガラスが無数の短剣になる、というのは、原爆の治療をした広島のお医者さんや、救護にあたった女学生の記録にもあった。「男の、女の、子どもの死体の映像が次から次へと続く。あまりにもひどく焼かれ、傷つけられているので、男性か女性か、子どもか大人か、見分けるには、身に着けた衣服で判断するしかない。衣服だけは不気味なほど無傷なのだ―まるで、どの死体も骨になるまで焼いてしまった後に、日常の衣装でやさしく着飾らせたかのようだ―レース襟がついた水玉模様のネグリジェ…木綿のパジャマを着た女の赤ちゃん―小さな耳には小さなイヤリングが揺れて。 」そしてこの部分である。今年、原爆に関する本をたくさん読んだ。その残酷さは、筆舌に尽くしがたいほどだ。広島の爆心地は、焼けたというより、溶けたという表現の方がふさわしい。皮膚が溶けて内臓が出ている状態で、人が歩いている。内臓を押さえている皮膚が溶けてしまう、腸をぶら下げながら彷徨っている人は、何人もいたそうだ。あまりのショックに痛みを自覚できないでいる。銀座の松屋デパートのミスコンで一位になったことのある女性は、顔、首、胸に酷いケロイドが残り、彼女が歩くと近所の子供達が恐がり家に入ってしまうほど。ヒバクした直後から、三ヶ月ほど気が狂ってしまいその間の記憶は無くなってしまっている。結婚をしていて、三人目の子供を産んだが、ヒバクで乳腺がつぶれて、お乳も出ない。全ての皮膚が、剥がれてしまい、洋服に付かないようにと、手を前に出し、それこそお化けのように市民が、歩いていた。鼻から、口からの出血は勿論のこと、涙のように目からも血が、耳からも血がたれてくる。身体全体が、紫色にはれ上がり、唇は、口の中に納まりきれないほ腫れあがってしまう。体中に刺さったガラスを取り除き、水を一杯あげるだけしかできない。ファルージャの地獄絵と広島、長崎の地獄絵は似ている。そしてこの手を前にも出せない人達は、2、3日後には死んでしまった。「E[弟]と私が小さかった頃は、どんなタイプの番組や映画を見てもいいか、親が目を光らせた。」私の父もよく言っていた。「テレビを消しなさい!」食事の時間は勿論、テレビなど見せない。アメリカかぶれの兄を父は、いつも気にかけていた。「私の両親は、同世代で教育を受けた多くのイラク人と同じく、テレビを見すぎないように気配りした。E[弟]と私が小さかった頃は、どんなタイプの番組や映画を見てもいいか、親が目を光らせた。両親はアラブ・西欧のいずれのプロパガンダも私たちの目に触れさせたくないと思っていたし、行き過ぎた暴力・汚い言葉・性表現を含む番組はすべて禁止だった。その代わり、読書はどんな本でも歓迎された。」私の父もリバーベンドさんの両親と同じだった。「そうしたら即座にアメリカ人たちからメールの集中砲火を受けた。いわく、私は嘘つきだ、どこにも証拠がないじゃないか、アメリカ人がそんな恐ろしいことをするわけがない!」これは、日本が原爆の悲惨さを語ると、必ず、米国政府、米国民から言われること。。。「原爆の被害をわざと大袈裟にして、世界から同情を集めようとする日本のプロパガンダだ!」そして、原爆も国際法で禁止されていない、米国としては原爆は「通常兵器だ」
2005/11/23
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イタリアの国営放送でも、ファルージャでの米軍の残虐な攻撃は、批判されはじめました。小泉首相は、ブッシュ政権しか見えないようです。ブッシュ大統領の支持率は過去最低です。こんなにもブッシュ政権にベッタリとついて行くのは、”国際社会の一員として”あまりにも無謀です。以下、転載です。===================================2005年11月17日木曜日通常の恐怖・・・ これがコンピュータのデスクトップに5日間居座っていた。 http://www.rainews24.rai.it/ran24/inchiesta/video/fallujah_ING.wmv [2005年11月9日にイタリアニューステレビ局Rainews24で放送されたドキュメンタリー番組の映像。2004年11月の米軍によるファルージャ攻撃で化学兵器(白燐弾)が使用されたこと、また攻撃対象には一般市民も含まれていたことを元米兵の証言などから立証] この映像のことをインターネット上のあるサイトで初めて読んだ日、心が重く沈んだ。ファルージャで白燐弾。もちろん白燐弾についてはなにも知らなかったけれど、詳しいことは知りたくないという思いが私の内にあった。映像を4回もダウンロードしようとしたのに4回とも接続に失敗して、少しほっとした。 E.もこの映像のことを聞いていたのだが、とうとう友達のS.が映像をCDに入れて持ってきた。 S.とE.は部屋に閉じこもって、コンピュータでこの短いドキュメンタリーを観ていた。30分後、E.は部屋の外に出てきた。顔は青ざめ、唇を真一文字に結んでいた。物思いに沈んでいるときの表情だ。できれば話題にしたくないことについて考えるときの。 「ねえ、私もそれ観たいな…」S.と戸口に向かうE.に、私はおずおずと声をかけた。 E.は言った。「デスクトップにあるよ―でもほんとは観たくないんでしょ」 それから5日間、私はコンピュータを避けていた。だって、電源をいれるたびに、そのファイルが私の目を捉え、呼びかけるのだから…あるときは悲しげに観てくださいと懇願し、あるときは怒りをこめて私の無関心を非難する。 無関心どころじゃなかった…私の胃に深く腰を下ろしていたのは、一種の怯えだった。小さい石ころを一ダースも飲み込んだような気がした。私はそのフィルムを観たくなかった。頭の中にしみついている殺された市民たちの映像が中に含まれていることを知っていたから。 米軍がファルージャで化学兵器を使用したことについて疑いを持つイラク人はほとんどいない。かれこれ1年以上も前から、にんげんが骨になるまで燃えてしまったというおぞましい話を聞いてきた。だけど私はそのことを確認したくなかったのだ。 私はそのことを確認したくなかった。ファルージャで起こった残虐行為を確認するのは、アメリカ占領下で私たちがイラク人としてどれほどのものを失ったかを証明することを意味するから。そして、全世界が信じられないほど役立たずだと証明することを意味するから―国連、コフィ・アナン、人道支援機関、聖職者たち、法王、ジャーナリストたち…なんでもいいから挙げてみて。私たちはもうなにも信頼することができなくなってしまった。 私はついに勇気を振り絞って映像を観た。そこにはもっとも恐れていたものがあった。この映像を観ていると、内側に侵入されたような気がした。だれかが私の心の中にしのび込んで、私自身の悪夢をこの世に持ち込んだのじゃないかと感じた。男の、女の、子どもの死体の映像が次から次へと続く。あまりにもひどく焼かれ、傷つけられているので、男性か女性か、子どもか大人か、見分けるには、身に着けた衣服で判断するしかない。衣服だけは不気味なほど無傷なのだ―まるで、どの死体も骨になるまで焼いてしまった後に、日常の衣装でやさしく着飾らせたかのようだ―レース襟がついた水玉模様のネグリジェ…木綿のパジャマを着た女の赤ちゃん―小さな耳には小さなイヤリングが揺れて。 眠っているうちに穏やかに亡くなったかのようにみえる人たちもいる…ひどく苦しんだようにみえる人たちもいる―皮膚が完全に黒く焼けて、焼け焦げた骨から滑り落ちている。 この人たちにどんなことが起きたのだろうと想像してみる。たぶん、自分たちの家で身を寄せ合っていたのだろう。ある人たちは―何十、何千人もの人たちは、町を離れることができなかった。輸送の手段を持たなかったか、あるいはたんに行き場がなかったか。自分たちの家に留まり、アメリカ人について言われていることがほんとうであるようにと望んでいた―巨大な乗り物や無尽蔵な兵器を持ってはいるけれど、彼らも人間なのだと。 そこに爆弾の雨が降り注ぎはじめた…ミサイルがヒュ~~ンと落ちてくる。目標に当たって爆発する音…爆発に対してどんなに覚悟を決めたつもりでも、いざ爆発音がするといつもたじろいでしまう。想像してみる。子どもたちは耳を覆っただろう。なかには泣き出す子もいただろう。戦争の機械音を人間らしい泣き声で消してしまおうとして。戦車が近づくにつれ、戦闘機が低く飛ぶにつれ、恐怖は増してくる―親たちは顔を見合わせ、互いの表情を探りあい、恐怖から抜け出す方法を考える。我が家で待つと決めた人たちもいただろうし、いちかばちかで外に出た人たちもいただろう―次の瞬間には自分たちの墓に変わってしまうかもしれない家の中に閉じこもっているより、降り注ぐコンクリートと鋼鉄を恐れながらも外に出たほうが生き延びるチャンスがあると考えて。 それは、アメリカ人たちがやって来るより前に私たちが聞いていたことだった――空襲のときは屋内にいるより外に出たほうが安全だよと。屋内にいると、近くを飛ぶミサイルが窓ガラスを砕いて無数の短剣に変えてしまうし、壁は崩れ落ちるだろう。庭か、それとも路上ならば、よほど近くで爆発が起きたときに爆弾の破片が飛んでくることさえ心配すればすむ―そんなことが起こる可能性はいったいどのくらいある?って。 それは2003年よりも前の話…そう、確かにファルージャよりは前のこと。 それは、家から逃れ出た男たち、女たち、子どもたちが、結局爆弾の雨に飲み込まれてしまうより前の話。 去年私はファルージャについてブログし、こんなことを書いた。 「クラスター爆弾はじめ禁止兵器が使われているという噂だ。」 [2004年11月10日付のブログより 同年11月29日のブログでリバーはファルージャ攻撃での化学兵器使用について詳しく書いた。しかし、現在、原サイトでは11月29日の記述は削除されている] そうしたら即座にアメリカ人たちからメールの集中砲火を受けた。いわく、私は嘘つきだ、どこにも証拠がないじゃないか、アメリカ人がそんな恐ろしいことをするわけがない!今、あの人たちがどうやってこのことを正当化するのか知りたいものだ。ショックを受けてる?イラク人は人間ではないと自らに言い聞かせている?それともただ否定するの? 最近、国防総省の広報担当官はこう述べている。 「これはわれわれの通常兵器のリストにあるものだ。われわれは他の通常兵器と同様にこれを使用する」http://news.yahoo.com/s/nm/20051116/pl_nm/iraq_usa_phosphorus_dc_2;_ylt=AgdFF_4lSCBbdFP64V7ORgZsbEwB;_ylu=X3oDMTBiMW04NW9mBHNlYwMlJVRPUCUl [ 2005年11月16日付ロイターの記事。同日、米国防総省が昨年11月のファルージャ攻撃において白燐弾を使用したことを認めたが、白燐弾は化学兵器ではないと主張し、また、市民に対して使用したことを否定した、とある] この戦争は「通常の」と言う言葉を定義しなおした。残虐行為が新しい段階に入った。今まで私たちが知っていたことはもう時代遅れになってしまった。「通常の」が恐ろしいことと同義語になったのだ。通常兵器とは、白い炎で皮膚を焼き尽くすもの。通常の尋問方法とは、アブ・グレイブやその他の捕虜収容所で行われたようなもの… まさに…通常の恐怖。 午前1時32分 リバー (翻訳:リバーベンド・プロジェクト:いとうみよし)この記事は、TUPとリバーベンド・プロジェクトの連携によるものです。転送転載大歓迎です。 http://www.geocities.jp/riverbendblog/ (TUP/リバーベンド・プロジェクト:池田真里)
2005/11/23
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20年くらい前に読んだ本をもう一度、読んでみた。俳優の木村功さんが、癌で亡くなられ、奥様の梢さんが書かれた本。俳優座を退団して、自ら”劇団青俳”を結成したが倒産してしまう。そして多額の負債を抱えてしまう。仲間内の使い込みが原因。「功が死んだら私も死のうと思っていた。」木村功さんと交際した直後から結婚してからも、ずっとそう思い続けてきた、と言うのだから梢さんの功さんに対する愛情の深さがわかる。劇団が倒産した時も、「功が、病気で死んでしまうことを考えれば、ちっとも不幸なことではない。」と言ったとか。。。三人の子供がいても、梢さんにとっては木村功さんがいなければ、この世には未練などはないようだ。それほどまで、”惚れて”しまい、それが30年以上も同じ気持ちを持ち続けられるということは、木村功さんの外見だけではなく、人間的な魅力にあるのだろう。夫婦で外出する時は、必ず、木村功さんの選んだ洋服を見て、梢さんは、咄嗟に自分の着るものを選ぶ、という具合に俳優である夫に自分を添わせている。この本を読んでいると、随所に梢さんが、どれほど功さんに惚れているかがわかる。愛している、とかいう西洋風の愛ではなく、日本古来の女性の愛の形、表現するなら、愛している、ではなく”惚れてしまった”という言葉のほうが適切な表現。映画”七人の侍”に出演した役どころ、勝四郎が、そのままの功さんであるように私は感じていた。今回、何故、もう一度、読んでみようか、と本棚から古い本を出したかというと、原爆関連の本を何冊か読んだ中に、木村功さんのご両親も広島でヒバクされた、と書かれていたからだ。”功、大好き”を当時読んだ時は、あまりのご夫婦の仲良さ、そしてそのパートナーを癌で亡くすことの辛さ、というものだけが頭に残り、はたして原爆のことなど、この本に書いてあっただろうか、もう一度、読んでみようと本を読むと、確かに原爆のことも2ページほど書いてある。学徒出陣で、九州の航空基地、特攻隊基地に配属され、その時に終戦をむかえる。ご両親は、この時、広島でヒバク、お父様は数日後に亡くなり、お母様は、原爆症に苦しみながら、数年後に亡くなる。この本には、あまり詳しく触れていないが、確かに書いてあった。私が、この夏に読んだ、”ヒロシマはどう記録されたか”という本で、NHK、中国新聞、その他の報道機関の記者やアナウンサーの記録が載っている。その中に書いてある、戦後、35年経ってのNHKの番組”爆心地のジャーナリストたち”という番組のリポーターとして木村功さんが選ばれた時の話。広島、長崎でヒバクをされた方、その家族の方の殆どが、あの日の出来事は語らない、語りたくないという人が多く、木村功さんもその1人で、演劇などの公演も広島は、意識的に避けてきたという。「広島のことは語るつもりはないし、広島に二度と足を踏み入れたくない。自分の劇団の巡業も広島公演だけは避けている。」と言い、NHK広島の番組出演の要請を断わり続けたという。35年経った広島で、木村さんはリポートをする。「当時、私は北九州の海軍特攻隊基地で、下士官として、通信隊の仕事をしていました。通信隊ですから、広島が特殊爆弾で全滅したという情報は、早い段階でキャッチしていました。しかし、状況から判断して、郊外に家があったわが家は、多分大丈夫だろうと甘く見ていました。それだけに、終戦直後広島の帰り着いて見た、広島市内のあまりの惨状と両親の被爆はショックでした。それ以来、自分にはもう故郷はないんだと思い込もうとしてきました。(中略)被爆者の多くの人たちが、あの日のことになると口をつぐんでしまうみたいに、私にとっても触れられたくない思い出でした。おそらく、今回紹介した何人かのジャーナリストの人々も、同じ思いだったに違いありません。たまたま運良く被爆を免れ、劫火の中を、誰も助けることもできずにさまよい歩き、地獄絵を目撃した、そんな人々が、そのとき目撃し、記録した事を今語り、書き続けているのを知り、私は本当に感動しました。私達は、この方々の痛みと怒りをこめたこれらの写真を、いまこそ直視しなければと思うのです。戦争の足音が聞こえてくる状況の中で、全世界、全人類のために、原水爆に対して、まっとうな審判が下されなければならないのではないかと思うのです。」その後の秘話で、木村功さんは、敗戦翌日、海軍特攻隊は、玉音放送を聞いても敗戦を認めず、下士官である木村さんと他、数人に呉鎮へ兵器受領に行け、という命令が下る。汽車で呉を目指すが、広島市内に入ると汽車は動けず、その汽車の窓からの景色は、自宅のそば、胸騒ぎがして汽車から飛び降り、そのまま脱走同然に家に帰る。その途中で、自分の前を歩いている人の背中、家の後片付けをしている人の背中に、灰がたまっているのが印象に残っているそうだ。この灰が問題なんですよね。この話は、今まで誰にも話さなかったとか。「敗戦が決まった後でさえ、任務を捨て、戦線離脱に等しい単独行動をとったことが、36年後もなお重いくびきとなったのだろう」この当時、「海軍原爆調査団」で、調査団に志願したのは、広島出身の人が殆どだったという。機上から広島の惨状を見て、飛行場に着陸し、その足で、家族の安否を確かめに団を抜け出し、調査団は、広島についた途端に解散となってしまう。木村功さんだけではないのだ。今回、広島、長崎に関連する本を何冊も読んだけれど、広島、長崎、出身の海軍の軍医殿、現代のエセウヨクとは違って、海軍で鍛えられた筋金入りの右翼である海軍の軍医殿たちは、ヒバク者たちの病状の日本の医師による研究、発表、診断書、論文を取り上げ、GHQに許可を得ていない日本の医師の診察を一切、禁止したGHQ、そしてモルモットのように扱った今の放射線影響研究所の前身であるABCCの、治療は一切せずに原爆の影響だけの統計を取り続けた進駐軍に、果敢にも立ち向かい、地道にヒバクシャたちの治療や相談を受け、占領軍に阿る事もなく、ヒバクシャの治療、診断、自らも、ヒバクしながら戦った軍医殿がいる。その中の1人が、先日、イラクでヒバクしたマシューさんの診療もされた、”内部被曝の脅威”を書かれた、我らが英雄、肥田舜太郎先生です。「」内は、「ヒロシマはどう記録されたか」NHK出版(2003年)より引用*学徒出陣で、九州の空軍基地へ特攻隊として配属され、 を ↓学徒出陣で、九州の航空基地、特攻隊基地に配属され、 に訂正しました 11/21PM8:00
2005/11/20
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国連、イラクの環境の運命について警告―311ヵ所が劣化ウランで汚染― 2005年11月10日(BBCニュース概略)http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/middle_east/4425562.stm 査察官たちは、腐敗し、放棄された大量の廃棄物を見出した。http://newsimg.bbc.co.uk/media/images/41006000/jpg/_41006050_iraq_unep203.jp 国連は、イラク中の破壊された工場、軍事廃棄物置き場、戦闘地域が環境や公衆衛生を脅かしている、と発表した。 UNEP(国連環境計画)は、イラク人専門家たちに解毒処理の訓練をしてきているが、浄化作業は、いかなるものであれ、4000万ドル(2300万ポンド=約48億円)はかかるだろうと見ている。 化学的物質の漏洩、安全対策のされていない危険物質、劣化ウランによる広範囲の汚染などが問題となっている。 除染しなければ、重金属は、地下水を汚染し、病気を引き起こすかもしれない。 UNEPは、訓練プログラムの一部として、5ヵ所を調査したが、その結果に憂慮している。「数百、おそらく数千のほかの場所のアセスメントをする必要がある」と、イラクのUNEP責任者であるムラル・トゥマルクディー氏は語り、寄付を求めた。 戦争の連続 既に調べられた5ヵ所の中には、2003年に爆撃され、略奪され、解体されたアル・カディッサの金属メッキ工場がある。 その場所には数百トンのシアン化物(青酸カリ)が残っているが、安全対策は何ら講じられておらず、今は、近所の子供たちの遊び場として使われている。 他には、硫黄鉱山、未使用砲弾が貯蔵されている軍需工場、放棄された石油化学プラントなどが調査された。 共同通信によると、 イラク環境大臣であるナーミン・オスマンは311ヵ所が劣化ウランで汚染されていると述べた。イラクの潜在的危険個所の多くは、1980年代のイラン・イラク戦争、1991年の湾岸戦争、あるいはアメリカ主導で行われた2003年の侵略の間に被害を受けたり破壊されたものである。 加えて、これらの個所の多くは、近年、反乱軍や市民軍が兵器や資材を得るために、環境への潜在的影響などほとんど考えずに襲撃した際、荒らされてきた。 (訳:NO DU ヒロシマ・プロジェクト)[以下、メールニュース原文]UN warns on Iraq environment fate311 sites polluted by depleted uraniumThursday, 10 November 2005 (BBC)http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/middle_east/4425562.stmInspectors found much of the waste rotting and abandonedhttp://newsimg.bbc.co.uk/media/images/41006000/jpg/_41006050_iraq_unep203.jpgDerelict factories, military scrapyards and battle sites across Iraq pose a threat to the environment and to public health, the United Nations has said.The UN Environment Program has trained Iraqi specialists in detoxification, but says any clean-up could cost up to $40m (£23m).Chemical spills, unsecured hazardous material and widespread pollution by depleted uranium are among the issues.Without clean-up, heavy metals can poison ground water, causing illness.The Unep has examined five sites as part of its training efforts, and is concerned by the results."There are hundreds, probably thousands of other sites with the need of assessment," said Mural Thummarukudy, Unep's manager in Iraq, who appealed for donations.String of warsAmong the five sites already probed are a metal plating facility at al-Qadyissa that was bombed, looted and then demolished in 2003.Several tons of cyanide remain on the site, which is now an unsecured area used as a playground by local children.The other sites include an old sulphur mine, a munitions factory containing unexploded ordnance and an abandoned petrochemicals plant.Narmin Othman, Iraq's environment minister, said that some 311 sites were polluted by depleted uranium, the Associated Press reported.Many of Iraq's potential danger spots were either damaged or destroyed during the Iran-Iraq war of the 1980s, the 1991 Gulf war or the US-led invasion in 2003.In addition, many of the sites have been looted in recent years as insurgents and militias raid them for weapons and materiel, with little thought for potential environmental effects.-- Posted for educational and research purposes only,~ in accordance with Title 17 U.S.C. section 107 ~NucNews Links and Expanded Archives - http://nucnews.netLooking for solutions?Here on Earth: http://prop1.org/prop1/And in space: http://www.peaceinspace.com[転送・転載、歓迎。]
2005/11/19
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先日、来日されたイラクからの帰還兵、元米兵のマシューさんからお礼のメールが届いたようです。以下、転載です。---------------[転送・転載、歓迎。] 2005年11月17日 ジェラルド&ジャニス・マシュー夫妻から―― 「ウラン兵器禁止を求める国際共同行動デー」に際して日本に来ていただいた、ジェラルド&ジャニス・マシュー夫妻から、お礼のメールが届いています。 今回の招聘には、急なお願いにもかかわらず、38団体、85名の個人の方から賛同カンパをいただくことができました。詳しいご報告は改めてさせていただきますが、まずは、ここに改めてお礼申し上げます。 嘉指信雄 「2005年11月16日 夫と私は、日本に私たちを招待してくださったことを感謝しております。劣化ウランとその影響についての私たちの経験を皆さんと共有することを可能にしてくれた、他の37グループの皆さんにもお礼申し上げます。 日本での私たちの経験はとても感銘深く、決して忘れることはないでしょう。私たちはメッセージを伝えるために日本に行きましたが、お返しに、自分たちのものとなったメッセージを携えてアメリカに戻ってきました。 皆さんと日本の人々は、両手を広げて私たちを迎え入れてくださり、私たちが見舞われたことの話に率直に耳を傾けてくださいました。率直に、この問題を受け入れてくださったのは、日本とニューヨークの反劣化ウラン・グループだけです。私たちは、改めて心からお礼申しあげます。 どうか、この感謝の気持ちを皆さんにお伝えください。皆さん全てを決して忘れません。この繋がりをずっと大事にしましょう。そう!肥田(舜太郎)先生に夫を診てもらえるようにアレンジしてくださり、どうもありがとう。肥田先生の言葉はとても有り難く、私は、先生の全てのアドバイスに従おうと思います。 皆様に幸ありますように、また、忘れないでください、二人のアメリカ人が皆さんの仲間だということを。私たちが一緒になって変化を引き起こすことができるよう祈念しています。 敬具 ジャニス&ジェラルド・マシュー」 [以下、メール原文]Dear Mr. Kazashi, My husband and I would like to thank you for extending your invitationto us to Japan. As well as the 37 other organizations that helped make itpossible for us to share our story about DU and it's affects. I must tellyou that our experience in Japan was most memorable and will never beforgotten. We went to Japan to send a message and in return we came back tothe US with a message of our own as well. You and the people of Japanwelcomed us with open arms willing to hear the story that has affected usall. I must say only you and the organizations against DU and in NY havebeen so open and excepting of this issue. I once again thank you sincerely.Please forward my message of gratitude to everyone; they will never beforgotten and we shall keep in touch definitely. Oh, I personally wouldlike to thank you for the arrangement that was made for Dr. Hida to see myhusband. He was most helpful to me and I shall try to follow all of hisrecommendations. Bless you all and don't forget you have 2 Americans righthere on your side. I pray we can make a difference. Respectfully,Janise & Gerard Matthew ---------------------------------↓以下、管理人ぼたんの花の感想です。「率直に、この問題を受け入れてくださったのは、日本とニューヨークの反劣化ウラン・グループだけです。」とのマシューさんの言葉です。被爆国である日本、私の知人達でさえ、この問題にあまり重きを置いていない人が多いですね。そういう私も、このHPで、戦争反対のテーマからこの話題に流れて行った時には、危険であるが、今、早急に問題にしなければならないこととは思っていませんでしたし。劣化ウランという言葉も、随分昔に、知らぬうちに私の脳に収まり、そして原発の危険度もかなり問題だ、と思っていた私自身も、今回、いろいろな本を読んだり、調べてみるととても大変なことである、と改めて、実感できたのだから。マシューさんご夫婦も、つい最近になって劣化ウランの危険性を知ったのだから、その害にあっていない人には、殆ど、興味が無い事なのだろう。60年前の戦争のことを、あーだ、こーだ、と言っている暇は無い!と思うのですが、60年前の歴史を検証しないと、今、すでに世界中が、汚染されていることにさえ、どうしても理解できない、理解したくない、という人達が大勢いるようです。でも、ぜひ、わかって欲しい。追記マシューさんのメールに書かれている肥田先生とは『内部被曝の脅威』 肥田舜太郎/鎌仲ひとみ 共著 ちくま新書 680円+税を書かれた先生です是非、読んでください。
2005/11/17
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兵庫県内のアルミ合金製造業者がアメリカから輸入した金属スクラップ16トンのなかから重さ10キロと30キロの劣化ウランの塊が見つかった。2000年にも同じようなことがあった。この輸入業者は、正直に届けたにも関わらず、文部科学省は「核燃料物質使用申請料」として22万7千200円の請求を業者に出したそうだ。確か、以前に中国でも同じように米国から輸入したスクラップから劣化ウランの塊が見つかったというような報道があった。これは、まさに氷山の一角であり、私たちの身近なところで、静かにウランの汚染が広まっているのだろう。こんな状態で、政府関係の発表する「科学的調査」の結果を取るにも、原発を含め、放射性物質の汚染されていない場所を探すのは、非常に困難であるから、あのデータも、あてにならないものだ。今回、読売新聞に「劣化ウラン」とはどういうものか、が書いてあった。「天然ウランから、核燃料用の核分裂性ウランを取り出した後に残るウラン。かつては航空機のおもりに多用され、日航機墜落事故でも現場に飛散した。放射能は弱いが、燃えて微粒子として飛散すると、長期間被ばくする恐れがある。腎臓障害を起こす化学的毒性もある。」読売新聞 夕刊 205.11.9より読売新聞の、この、長期間被ばく、という文字が漢字の被爆でもなく、被曝でもない、ひらがなで書かれている部分、ヒバクに関しての私達の認識を変える必要があるのかもしれない。ところで、燃えて微粒子となり、長期間ヒバクしたらどうなるのか?イラクでのことを言うより前に、湾岸戦争での帰還兵の実態を知っていれば川口元外務大臣のように「米国からは劣化ウランは害が無いと聞いている」なんて言えないはず。湾岸戦争症候群を知っていれば、こんな無責任なことをいとも簡単に答えることができるはずは無い。長崎ぶらぶら病と湾岸戦争症候群の病状は似ている。最近の”慢性疲労症候群”も似ているような気がする。ところで、政府、文部科学省の対応は、どうなっているのか?経済産業省と連絡して、輸入元への返却を検討しているが、「どれくらい時間がかかるか分からない」ということらしい。それよりも、水際でチェックしなくては、いけないのだから、輸入に関しての法を再検討することが先決でしょう。イラクでは、劣化ウランが何百トン単位で使われている。朝鮮半島の問題があるからと、米国のイラク侵攻を支持したわが国の政府。米国の年次改革要望書にみるように、米国が日本を守るために自国の兵士を犠牲にするなんて考えられない。では、米国の狙いは何か?日本の憲法を改正させ、インド、パキスタン、イラン、シリアなどの有事に備え、日本軍を「国際貢献」の名のもとに参戦させるのが目的。さて、私達日本人は、中東にはお世話になっていても、恨みをかうことは、今までに無かったはず。朝鮮半島、中国の負の遺産に、またまたこの負の遺産を膨れ上がれせた。パールハーバーを思い出そう。これは米国の罠。
2005/11/13
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この記事は、TUPとリバーベンド・プロジェクトの連携によるものです。転送転載大歓迎です。映画と夢2005年11月6日 日曜日 私の両親は、同世代で教育を受けた多くのイラク人と同じく、テレビを見すぎないように気配りした。E[弟]と私が小さかった頃は、どんなタイプの番組や映画を見てもいいか、親が目を光らせた。両親はアラブ・西欧のいずれのプロパガンダも私たちの目に触れさせたくないと思っていたし、行き過ぎた暴力・汚い言葉・性表現を含む番組はすべて禁止だった。その代わり、読書はどんな本でも歓迎された。ジェーン・オースティンからジョン・ルカレ、エミリー・ブロンテからマキシム・ゴーリキー、シモーヌ・ド・ボーボワールまで、私はさまざまな作家の本を読んで育った。禁じられた本は一つもなかった。 映画とテレビについては、何かが両親の検閲をすり抜けてしまうこともあった。というより、私たちの方が親の目をかいくぐって友達や親戚の家で何かを見るときもあった。 子供の頃に見て、その後長年忘れられないで深く記憶にとどまっている映画が、誰でも1本か2本はあると思う。私には2つあった。1本は映画。2本目は、記録なのかドキュメンタリーなのか定かでない。 私の記憶には、2つともタイトルが欠落しているし、場所も抜け落ちている。どこで見たのかも覚えていない。けれどもその映像は、最高レベルの解像度で映し出されるオリジナルDVDの鮮明さをもって、幾度も私の脳裏でよみがえる。 1本目はホロコーストの映画だった。フィクションだが、事実に基づいていることは明らかだった。私が見たのは80年代半ば。怖くてたまらないシーンがあった。わずか6、7歳の女の子が、走ってものすごく高い壁によじのぼれ、とナチスの看守にけしかけられている場面だった。もしあの壁に登れたら自由にしてやる、と少女は告げられる。壁に向かって走り出すとすぐ、自分を捕まえる手から自由へと急ぐほどに少女の小さな足がもつれる。と、看守たちが、獰猛な黒い大型犬3頭を少女に向かって放つ。次に何が起こったか正確には覚えていない。だが、恐怖のシンフォニー――悲鳴、犬のほえ声、看守たちの高笑いは、今も耳から離れない。 2番目の映画/実写フィルムには俳優がいなかった。登場したのは、実際に残虐行為を行っている現場の人たちだった。私たちはイラクを訪れていた[リバーベンドは両親と海外で暮らしていた時期がある]。私は8歳ぐらいだった。画質がいいので、はじめはニュースフィルムだと思った。そのフィルムを誰かがどこかで見ているところに、私がうっかり行き当たったのだ。映画の人がイランに収容されたイラク人捕虜(POW)だということは、その後知った。イラン人看守が無力な一人の男性の腕を片方ずつ別の車に縛りつける有様を、私は目の当たりにした。幼かったが、次の瞬間どうなるかは私にも分かった。走って逃げ出したかった。さもなければ目をつぶりたかった。それなのに、私は身動きできなかった。その場に根が生えたようで、まるで私まで鎖でつながれたような気がした。一瞬の後、2台の車は反対向きに走り出し、男性は片腕が肩口からひきちぎられ苦悶にのたうった。 あのビデオを私は決して忘れない。何百万人というイラク人もいまだに覚えている。アラビア語で捕虜をいう「アシール」という言葉を聞くたび、独りでに私の脳裏でビデオが回り出す。夜眠りに落ちるとき、朝目覚めるとき、何週間も心のうちにあのビデオを見た。映像は私につきまとい、あんな暴虐を受けたあと人が死ぬまでどのくらいかかるのかと危ぶんだ。人間の腕があんな風に抜け落ちることすら、私は知らなかった。 イランに捕らわれた捕虜の受けた恐怖を、戦争終結後も私たちは抱き続けた。精神的・肉体的な拷問をされるといううわさが繰り返し流れ、あまりに確証が高いものだから、母たちは息子がイランの囚人になるより戦死するようにと祈った。とりわけ、1984年か1986年にこのビデオが明るみに出ると、その後は動きが加速した。この戦争で親戚が行方不明になったイラク人はみな、腕をもがれた捕虜の苦悶の形相に親戚の姿を見た。イラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)のトップ、アブドゥル・アジズ・ハキムと、その兄ですでに亡くなったムハンマド・バキル・アル・ハキムの二人は、イランのイラク人捕虜の取調官・拷問担当官として名を馳せていた。 愛する家族をあの戦争で一人も――数人かもしれないが――失わなかったイラク人家庭はひとつもないと思う。帰還した捕虜から血の凍るような恐ろしい話を聞かなかった家庭はひとつもない。イランは2003年までわれわれの捕虜の返還を続けていた。我が家だけでも、この戦争で4人の男性を亡くした。3人――シーア派1人、スンニ派2人――は死亡を確認したが、4人目のSは1983年以来、行方が知れない。 Sが戦地に向かったときは24歳。婚約していて、1年足らずで結婚するはずだった。家には家具までそろえ、結婚式の日取りも決まっていた。だが、二度と戻ることはなかった。Sの母は私の母のいとこだが、2003年にはついに息子が帰還する望みを捨てた。イランから新たに捕虜の一団が帰ってくるたび、彼女は電話をかけ、愛するSの消息を知らせてほしいと懇願した。誰かSを見かけませんでしたか? 誰か息子のうわさを聞きませんでしたか? 死んだのですか? その都度がっかりしながら、私たちはいつも彼女に言った。長い年月は流れたけれど、まだ生きている可能性はあるわ。帰還の希望はあるのよ。2002年、彼女は母に言った。誰かやって来て、そんな希望をそれっきり粉々にしてくれればいいのに――死んだとはっきり言ってくれればいいのに、と願っているの。心では、母の心には、息子がすでに死んだことが分かっていた。でも、確認が必要だった。確認もなしに生存の望みをまったく放棄すれば、一種の裏切りになるもの。 イランとの長引く戦争の苦悩は、特に昨年来のイラクの現状を耐えがたいものにしている。占領側はアメリカ人であることを止めた。顔はアメリカ人。軍も同様。しかし、その根幹はイランのものへと、徐々に確実に変容を遂げている。 言うまでもなくその変質は、2003年にアメリカ軍の戦車の後に従ったバドル旅団やイラン拠点の政治集団のいくつかとともに始まった。それは今日も続いている。ねじ曲げられた国民投票、それにイラン=イスラム共和国をモデルとする南部イラク国家を保障した憲法がその現れだ。 国民投票の結果にはとても失望させられた。不正と闇取引(モスルは特に)のうわさが絶えなかった。すでに12月の選挙をボイコットしようといううわさが流れている。操り人形政権とって、このたびの選挙こそ、彼らの常日頃の主張である占領下のイラク国民が享受している民主主義なるもののはしくれくらいはアピールできる輝かしいチャンスだったのに。そんなチャンスはまるで台無しになった。 12月の選挙については、シスターニは今日まで殊勝げに、特定の政治団体への表だった支持を慎んでいる。11月後半か12月初めまではそんな態度が続くが、その頃には信奉者が選挙に関するファトワを出してほしいとシスターニに執拗に迫るはずだ。やがて、彼は政党のどれか一つに支持を与え、その政党に投票するのは天来の義務であると宣言するだろう。賭けてもいい。シスターニは前回の選挙と同じく統一イラク同盟(UIA)を支持するにちがいない。 おもしろいことに、今回の統一イラク同盟(UIA)の構成はイラク・イスラム革命最高評議会(SCIRI)とダーワ党にとどまらない。仲間入りすると予想されるのはムクタダ・アル・サドルの信奉者たち(マフディ軍)にほかならない! 昨年のイラク情勢を知る人は、多くがムクタダを「扇動家的法学者」「過激派」「テロリスト」として認めるだろう。昨年は内務省からムクタダの逮捕令状まで出され、アメリカ側は「過激派法学者」の拘留または殺害を行うと繰り返して、その方針を支持していたのだ。 さて今日、彼はぴんぴんしていて、アメリカの政治家と操り人形たちが熱烈に歓迎する「政治プロセス」に絡んでいる。サドルとその信奉者たちは、美容院の脅迫や酒屋の爆破、適切な服装をしていない女性の誘拐その他の活動を引き起こしている。理由はこれらがすべて反イスラム的だと見なされるためだ(ただし、イラン・スタイルのイスラム教に基づいてだが)。サドルの武装集団についてはここ http://www.uruknet.info/?p=m17385&date=02-nov-2005_04:31_ECT を読んで。すべてがアメリカ人、イギリス人、操り人形たちの手のうちにあるわけではない、なんてこれでも言いたい人がいる? アメリカ人たちは絶えず私に私にメールを送ってきて、こう言う。「イラクからわれわれが引き揚げたらどうなると思う? 君たちが恐れている過激派が取って代わるにちがいないよ」。実際はイラク人の大半は原理主義者を好まず、安定がほしいだけ。イランの影響下にあるイラクなど耐えがたいと思うイラク人が大部分だ。アメリカ軍の存在は、バドル旅団その他と持ちつ持たれつの関係にある。なぜなら、アメリカ軍はイランと手を携えて始めて、イラク全土で占領に反対するイラク人を鎮圧できるのだから。仮にアメリカ軍が引き上げれば、そのときにはその操り人形たちと武装軍団は荷物を取りまとめて、もと来たところに引き上げなければならない。アメリカの保護と手引きがなければ、彼らは手も足も出ないのだ。 アメリカの政治家がイランに対して大いに控えめな脅威をちらつかせたとき、その言葉に私たちは文字通り腹を抱えた。アメリカはもはやイランを脅す余力がない。仮にサドルの信奉者やイラン人イスラム法学者のシスターニ、バドル旅団がアメリカに反旗を翻せば、1カ月もしないうちに自分たちがイラクから出ていかなければならないことを、アメリカは承知している。イランはやりたいことが何でもできる。ウラン濃縮? もちろん、オーケー。たとえば明日、イラン政府が目下核取引をやっていると宣言したとしても、ブッシュにできるのは再びニセモノのパイロットスーツを身にまとい、「テロへの戦い」に熱弁をふるい、シリアを多少なりとさらに威嚇することぐらいだ。 おめでとう、アメリカの皆さん! イランの強硬派イスラム法学者たちはイランを仕切っているだけではなく、イラクでも主導権を握っている。この権力の移動は、昨年、“我が忠誠は一番高値を付けた者に”主義のチャラビがその忠誠をイランに売り払ったときに、疑う余地がなくなった。アメリカ人やイギリス人の息子・娘たち、夫や妻たちが命を投げだそうとしているのはほかでもない。来るべき12月に、イラク人が投票に出かけて、イランの色のついた法学者に票を投じ、私たちをたっぷり400年は後戻りさせるためなのだ。 民主国家イラクの夢はいったいどうしたのか? (TUPより転載ですが、文が長くて入りきれないので、コメント欄にも転載します)
2005/11/12
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11/6、文京区民センターでのジェラルド・マシューさんと奥様のジャニスさんのお話2003年の4月にイラクで輸送任務についたマシューさんは、クウェートから米軍の18tトラックに乗って米兵の食糧や水をイラクの米軍基地まで運び、帰りには破壊された戦車など、兵器をトラックに積んで戻ってくる、という仕事でしたが。クウェートに着いた途端に顔が腫れたそうですが原因不明。トラックで壊れた戦車などを運ぶ時に頭痛がして、熱が出たそうだ。それから一時帰国で、ニューヨークに戻っても体調がおかしいし、酷い頭痛に悩まされ、顔も腫れている。そんな中、運転中に交通事故を起こしてしまう。医者にかかり、精神科医のテストを受ける。先生がマシューさんの顔に手を触れても皮膚の感覚ない。次は眼科医のところに行かされ、その次は脳のスキャンそれでも解らず、今度はドイツの病院に行かされる。そこで、同じ症状で診察に来た米兵、レイモン・ラモスに会う。マシューさんはいろいろな箇所で働いてけれど、レイモンさんはずっとサマワだけに駐留していたそうです。次は、ウォルター軍事病院に送られる。ここで沢山の薬物を投与される。鎮痛剤の投与だといわれたそうです。体調はまったく回復せず、次はニュージャージーにある病院へ行く。ここでニューヨーク・デイリーニュースの記者に出会い、ドラコビッチ博士の診察を勧められる。そして米兵8人が尿の検査を受ける。ラモスさんもその中の1人です。そのとき、妻は妊娠していたが、お腹の中の赤ちゃんの右の指が無いことを医師から告げられる。米軍でもその時に尿検査を受けた。2004年の4月に除隊する。軍から検査の報告は何もなかった。ドラコビッチ博士の尿検査をうけた兵士の尿から多量の劣化ウランが検出された報告があり、除隊した軍へ尿検査の結果報告を聞こうと問い合わせると、”尿は受け取っていない”との返事。彼のひとつ前に並んでいた兵士の尿はあるのに、マシューさんの尿は、受け取っていないとの返事。その時の尿の提出書類は、三部作ってあり、その一部はマシューさんが持っていたのに”尿は受け取っていない”という。2004.9.29、帰還兵の尿検査の結果が載っているニューヨーク・デイリーニュースを持って、軍に行き説明を聞こうとしたが、もう一度、尿検査を受けるように、と。彼は、軍に不信感を持ち、今でも検査を受けるようにと言ってくるが受けていない。今まで、マシューさんは、劣化ウランという言葉も知らなかったそうです。以上の出来事について、とても可愛い奥様、ジャニスさんは、ブッシュ大統領宛に手紙を書きました。その返事が↓から来たそうです。 P.K. Underwood.M.D.DEPARTMENT OF THE ARMY OFFICE OF THE SURGEON GENERAL 『米兵の尿検査で異常が認められたのは1350人の中の3人だけです。3人の尿のレベルが高かったのは”劣化ウランに恐怖を感じていたから尿中の劣化ウランのレベルが上がったのでしょう”ペンタゴンでは、”ウラン、及び劣化ウランの研究は半世紀にわたって研究をしているが、人体には、まったく影響は無い”』ペンタゴンでは、半世紀もの間、劣化ウラン及びウランの研究をしている。人体にはまったく影響が無い?あれ?米国大使館のHPに書いてあったものとちょいと見解が違いますね。。そして劣化ウランに恐怖を抱いている人は尿中のウランの濃度が上がるのですか?まるで血圧検査ようですね、初耳です~今年の1月に国を相手に9人の被害者が訴訟をおこす手続きをしたそうです。(8人が元兵士で、1人はマシューさんの可愛いお嬢さんのヴィクトリアちゃんです)集団訴訟ではなく、9人別々に。でも、弁護士さんは皆、同じ人に頼んだそうです。その返事を読んで、奥様のジャニスさんは、こう返事を書いたそうです。『私は、このことを世界中の人達に知らせますよ』・・と。シーハンさんも、ジャニス・マシューも立派ですね~米国大統領ブッシュ一族を相手に手紙を書くのと日本の小泉売国奴首相に書くのとは、比べものにならないくらい大変危険なことですよ。母は、強しですね。最後のジェラルド・マシューさんの言葉”実は、ここにいる私達も劣化ウランを推進しているのです。それは、この電気です。この発電は原子力発電です。劣化ウランを推進しているのです。私達が今することは*原発を止める*自衛隊の家族に知らせる*帰還した隊員に検査を受けさせる(日本国政府は検査を受けさせないでしょうとマシューさんは言いました)世界の人達が、手をつないで運動しましょう”ジェラルド・マシューさんは、現在、脳下垂体に腫瘍ができているそうです。
2005/11/07
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11/3の広島での報告です。以下、転載です。------------------[転送・転載、歓迎。] 2005年11月3日皆様 広島集会は、無事終わりました。 明日のこともあり、詳しいご報告ができないのが残念ですが、3時間、初めから終わりまで、張りつめた熱気に溢れた、とても良い会だったと思います。マシュー夫妻の話は、それぞれ、胸揺さぶられる、素晴らしいものでした。 イラクに派遣されて以降、自らの身に起こった経験を一気に語った後、広島平和公園の慰霊碑に献花した時に感じた、全身に鳥肌が立つような感覚ー自らが抱えた重い苦しみ故に共感することができ、また自らも理解される、そんな場所に立っているのだという感覚、苦しみが自分の中から一気に沸き上がってきて、解き放たれたかのような感覚、そして、劣化ウラン兵器を含む、大量破壊兵器の廃絶に向けて一緒に闘っていく新たな決意を語ってくれたジェラルド・マシューさん。また、母としての、妻としての不安、苦悩、決意を涙ながらに吐露してくれたジャニス・マシューさん。 さらに、お二人の話を受けての、ヒバクシャの方々も含めた様々な参加者ーー医師であり、詩人である丸屋博さん、講釈師の緩急車雲助さん(本名=久保浩之さん)、森瀧春子さん、『知られざるヒバクシャー劣化ウラン弾の実態』の著者・田城明さんなどーーからの発言は、それぞれ、力のこもった”応答”でした。 体調の悪さにもかかわらず、また、大きな危険を覚悟で日本にやってきてくれたお二人に心から感謝いたします。 また、今回の急な呼びかけに賛同・支援を寄せてくださった団体・個人の方々に改めてお礼申し上げます。 長崎、大阪、東京での集会を通じて、またマスコミの報道を通じて、お二人の訴えが一人でも多くの方に届きますよう、祈念しております。 嘉指信雄 NO DU ヒロシマ・プロジェクト代表 ICBUWアジア・太平洋地域コーディネーター
2005/11/06
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みなさん、ぜひご参加を!以下、転載です。尚、連絡先のアドレスは、ぼたんの花管理人の判断により掲載いたしません。尚、私は NO DU のスタッフではありませんので(笑)。---------------------------[転送・転載、歓迎。]皆様 「イラク帰還米兵ジェラルド・マシュー夫妻講演日程」が、ほぼ確定しましたので、お知らせいたします。 なお、急遽、広島の後、長崎での集会にも参加していただくことになりました。(長崎の高校生たちが「No More DU from 長崎」の名前で劣化ウラン兵器禁止キャンペーンを立ち上げる集会に森瀧春子さんがスピーカーとして招待されていた経緯によります。他の都市からも、「マシュー夫妻にぜひ来て欲しかった」との声が寄せられておりますが、ご理解の程、何卒宜しくお願いいたします。) 草々 嘉指信雄 *** ICBUW(ウラン兵器禁止を求める国際連合) 「国際共同行動デー/2005」企画 各地の連絡先 広島:森瀧 大阪:振津 東京:佐藤 イラク帰還米兵ジェラルド・マシュー夫妻講演日程11月 1日(火) ニューヨーク発 11月 2日(水) 大阪着 11月 3日(木) AM 広島に移動[文化の日] 14-16 平和資料館・平和公園見学17:00-20:00 広島講演会「兵士として、親として劣化ウラン被害を訴える!」イラク戦争帰還兵―ジェラルド・マシュー夫妻講演会(他に、広島から久保浩之さんなど、被爆者の方も発言される予定です。)共催:NO DU ヒロシマ・プロジェクト :核兵器廃絶をめざす広島の会 場所:広島平和記念資料館地下 会議室1資料代:1000円(学生500円) 11月 4日(金) AM 休養及びインタビュー PM 長崎に移動18:30-20:30 長崎講演会主催:『No More DU from 長崎』主催 「イラクの子どもたちが危ない!! 劣化ウラン弾と新たなヒバクシャ~マシュー夫妻・森瀧春子講演会」 場所:教育文化会館 11月 5日(土) 長崎から大阪に移動 PM 休養及びインタビュー18:00~20:30 「ウラン兵器禁止国際共同行動」大阪連帯集会~イラク戦争帰還兵、ジェラルド・マシュー夫妻を迎えて~ 場所:大阪市立生涯学習センター (大阪梅田駅前第2ビル5階) 共催:関西諸団体 11月 6日(日) 東京へ移動[国際共同行動デー] 13:00~17:00 劣化ウラン兵器禁止を求める国際行動デー集会場所: 文京区民センター2階主催: 劣化ウラン兵器禁止・市民ネットワーク参加費:800円 11月 7日(月) 東京15:00~16:00 外国人特派員協会で会見18:30~ 東京講演会 「イラク帰還米兵が語る劣化ウラン被害~兵士として親として~」場所:明治学院大学 3101教室(3号館地下)参加費:一般1000円、学生500円共催 :劣化ウラン廃絶キャンペーン/Body and Soul/Iraq-Hope-Network 日本イラク医療支援ネットワーク 11月8日(火) 学校訪問9:35- *目黒区立烏森小学校訪問 (午前中)12:30-15:00 *東洋英和女学院(高等部訪問) 担当 劣化ウラン廃絶キャンペーン17:00 肥田俊太郎先生と面談 11月9日(水) 成田発―同日、NY着
2005/11/03
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みなさん、ぜひご参加を!以下、転載です。尚、連絡先のアドレスは、ぼたんの花管理人の判断により掲載いたしません。尚、私は NO DU のスタッフではありませんので(笑)。---------------------------[転送・転載、歓迎。]皆様 「イラク帰還米兵ジェラルド・マシュー夫妻講演日程」が、ほぼ確定しましたので、お知らせいたします。 なお、急遽、広島の後、長崎での集会にも参加していただくことになりました。(長崎の高校生たちが「No More DU from 長崎」の名前で劣化ウラン兵器禁止キャンペーンを立ち上げる集会に森瀧春子さんがスピーカーとして招待されていた経緯によります。他の都市からも、「マシュー夫妻にぜひ来て欲しかった」との声が寄せられておりますが、ご理解の程、何卒宜しくお願いいたします。) 草々 嘉指信雄 *** ICBUW(ウラン兵器禁止を求める国際連合) 「国際共同行動デー/2005」企画 各地の連絡先 広島:森瀧 大阪:振津 東京:佐藤 イラク帰還米兵ジェラルド・マシュー夫妻講演日程11月 1日(火) ニューヨーク発 11月 2日(水) 大阪着 11月 3日(木) AM 広島に移動[文化の日] 14-16 平和資料館・平和公園見学17:00-20:00 広島講演会「兵士として、親として劣化ウラン被害を訴える!」イラク戦争帰還兵―ジェラルド・マシュー夫妻講演会(他に、広島から久保浩之さんなど、被爆者の方も発言される予定です。)共催:NO DU ヒロシマ・プロジェクト :核兵器廃絶をめざす広島の会 場所:広島平和記念資料館地下 会議室1資料代:1000円(学生500円) 11月 4日(金) AM 休養及びインタビュー PM 長崎に移動18:30-20:30 長崎講演会主催:『No More DU from 長崎』主催 「イラクの子どもたちが危ない!! 劣化ウラン弾と新たなヒバクシャ~マシュー夫妻・森瀧春子講演会」 場所:教育文化会館 11月 5日(土) 長崎から大阪に移動 PM 休養及びインタビュー18:00~20:30 「ウラン兵器禁止国際共同行動」大阪連帯集会~イラク戦争帰還兵、ジェラルド・マシュー夫妻を迎えて~ 場所:大阪市立生涯学習センター (大阪梅田駅前第2ビル5階) 共催:関西諸団体 11月 6日(日) 東京へ移動[国際共同行動デー] 13:00~17:00 劣化ウラン兵器禁止を求める国際行動デー集会場所: 文京区民センター2階主催: 劣化ウラン兵器禁止・市民ネットワーク参加費:800円 11月 7日(月) 東京15:00~16:00 外国人特派員協会で会見18:30~ 東京講演会 「イラク帰還米兵が語る劣化ウラン被害~兵士として親として~」場所:明治学院大学 3101教室(3号館地下)参加費:一般1000円、学生500円共催 :劣化ウラン廃絶キャンペーン/Body and Soul/Iraq-Hope-Network 日本イラク医療支援ネットワーク 11月8日(火) 学校訪問9:35- *目黒区立烏森小学校訪問 (午前中)12:30-15:00 *東洋英和女学院(高等部訪問) 担当 劣化ウラン廃絶キャンペーン17:00 肥田俊太郎先生と面談 11月9日(水) 成田発―同日、NY着
2005/11/03
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11/3に広島でイラク帰還兵のマシューさんがお話をします。お近くのみなさん、ぜひ参加してください。以下 転載-------------------------------[転送・転載、歓迎。] 皆様、11月3日、広島での集会のプログラムがほぼ確定しましたので、お知らせいたします。 嘉指信雄*** ICBUW(ウラン兵器禁止を求める国際連合)-Japan 「国際共同行動デー2005」イラク帰還米兵ジェラルド・マシュー夫妻講演会「兵士として、親として劣化ウラン被害を訴える!」 ―ヒバクシャとの出会い―日時: 11月3日(木・祝) 17:00~20:00場所: 広島平和記念資料館:地下会議室1 共催: NO DU(劣化ウラン兵器禁止)ヒロシマ・プロジェクト 核兵器廃絶をめざすヒロシマの会 プログラムより(1) ジェラルド&ジャニス・マシュー夫妻講演(2)広島から――丸屋博―被爆者として、医師として 緩急車雲助(被爆者、講釈師)―イラクで感じたこと 岡田美恵子(交渉中)―被爆者として、女性として 森瀧春子―DU被害者の訴えを受けて(3)質疑応答(マスコミ関係者からの質問も含め)(マシュー夫妻のケースは、最近では、アメリカの月刊誌「ネーション」やイギリスの新聞「インディペンダント」などで広く取り上げられていますが、日本でも、5月15日のテレビ朝日「スクープスペシャル/劣化ウラン」等で報道されています。直接、劣化ウラン被害に苦しむ米兵の声に耳を傾けてみませんか。)* ジェラルド・マシュー氏がアメリカから持参する写真・ビデオ・資料なども紹介される予定です。 劣化ウラン被害に苦しむイラク戦争帰還米兵・ジェラルド・マシューさんは、イラク戦争終結後、派遣されたイラクで体調不良となり帰国。その後生まれた娘のビクトリアちゃんの右手が不完全だったため、マシューさんが尿検査を受けたところ、劣化ウランが検出されました。 劣化ウラン問題に関しては、アメリカ政府も日本政府も、その危険性を否定し続けてきています。しかしながら、アメリカでは、昨年4月、サマワからのイラク帰還兵数名から劣化ウランが検出され、「ニューヨーク・デイリー・ニュース」誌がスクープ記事を掲載しています。 現在、彼らは、アメリカ国防総省に対し補償を求める裁判を準備中です。また、この7月には、イラク帰還兵に劣化ウラン検査を受ける権利を認める法案がルイジアナ州やコネチカット州で成立しています。 アメリカで起きつつあるこうした動きは、イラクに自衛隊を派遣している日本にとっても無視できない、決定的意味をもつはずです。ご存知のとおり、自衛隊が駐屯しているサマワでもウラン兵器が使用されたことが明らかになっています。政府は、12月中旬期限切れとなる自衛隊のイラク派遣延長を図っています。 このような状況を変えるためにも、アメリカでのこうした動きに直接関わっている当事者が日本に来て、劣化ウラン被害について直接に訴えていただくこの機会を意義あるものにしましょう。連絡先嘉指 森瀧---------------------------以上、転載終わり*連絡先のアドレスは、管理人の判断で載せませんでした。都内でのマシューさんの講演は、11/6にあるようです。東京での講演は、NO DU主催ではありませんのでマシューさん以外の方は、こちらでは講演されないようですがいろいろの報道が飛び交う中、実際にイラクへ行かれた兵士のお話しを聴くのは、とても大切なことだと思います。講演 *ジェラルド・ダレン・マシュー(イラク帰還兵) *旧ユーゴスラビア劣化ウラン弾調査の報告基調報告・連帯あいさつ、他集会後デモ<日時>11月6日(日)午後1時~5時<場所>文京区民センター JR水道橋駅東口徒歩10分、都営地下鉄春日駅の上 参加費800円
2005/11/02
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