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2012.11.17
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カテゴリ: 読書案内
【室生犀星/杏っ子】
20121117

◆愛娘に対する限りない情愛

室生犀星という人は、主に詩人として活躍した人物だと記憶していた。だが意外にも『杏っ子』は、犀星の作品中、最も長い小説であることを知り、どれ、ひとつ読んでみようかと、わりと最近になって読了したものだ。
この小説はいわゆる自伝小説で、ちゃんと実名で登場したりするのでわくわくしてしまった。犀星の生い立ちなどを読んでみると、本当にお気の毒としか言い様がない。それはもう辛酸と苦杯を舐めた幼少期で、よくぞ文士としてこれだけの地位を築くことが出来たと、賞賛したくなってしまうほどだ。私生児として育てられたせいなのか、あたたかな家庭への憧憬が強く、実に家族思いで、文章にも自然と健全な精神がたゆたゆと流れている。長女・杏子に対しては特に甘く、中古とはいえドイツ製のピアノを買い与えるくだりは、なんとなく微笑ましい気さえする。

作中、何度となく読み返してしまったのは、関東大震災でそこらじゅうの商店が品不足の時、親友の芥川龍之介が出し抜けに「君、汁粉を食おう」と言い出すシーンだ。犀星は「汁粉なんてあるのかね」と、首を傾げながらも一緒に汁粉屋に行く。案の定、汁粉なんてあれだけの混乱の最中にあるわけがないのだが、なんとなく笑える。そうか、芥川は甘い物が好きなのかと、ここで初めて私は知った。
他にも私のツボにはまった箇所がある。それは、犀星が震災後、しばらく故郷の金沢に引き上げようとし、それまでの住まいを菊池寛に貸そうかという段取りを芥川と話すシーンだ。
「それから菊池が明日にも君の所に行く筈だが、家を見せてもらってから気に入ったら借りるそうだ」
「狭すぎないか」
「そういう点は無頓着な男だよ」
なんだか錚々たる文士たちの付き合いが目に浮かぶようで、私にしてみたら感動モノなのだ。そうそう、他にも気に入ったところがあるから紹介しておく。それは、愛娘の杏子が自転車に轢かれて、瞼の上を二針縫い、翌々日、幼稚園を休む際のシーンだ。芥川の次男坊を連れた芥川夫人が登園の誘いに来て、犀星夫人と会話する。
「おあとがのこらないでしょうか」

大人たちの会話の傍らで、幼稚園同士の杏子と芥川の次男坊が何やら他愛もないおしゃべりをしている。この場面が、それはもうグッと来る。なんとも言えない柔和な雰囲気が、犀星の自然体の文章からふわふわと湧き上がるかのようだ。

小説というものは、必ずしも作家の頭の中でちょこちょこっとこしらえたものの方が良いとは限らない。それが事実に基づくものであっても、そこに限りない真実と苦悩を見出した時、読者は思いがけず、新鮮さと高揚感を覚えることだろう。
文学とは他者との共鳴により、意義とか意味が生まれるものだと思うからだ。
『杏っ子』は自伝小説だが、きっと長く愛され続けていく作品だと思う。親子という目に見えない血の絆が、実は何よりも尊い情愛であることを物語っている。溢れんばかりの優しさと切なさに富んだ作品だ。

『杏っ子』室生犀星・著

☆次回(読書案内No.18)は織田作之助の『夫婦善哉』を予定しています。

~読書案内~   その他

■No. 1 取り替え子/大江健三郎 伊丹十三の自死の真相を突き止めよ
■No. 2 複雑な彼/三島由紀夫 正統派、青春恋愛小説!
雁の寺/水上勉 犯人の出自が殺人の動機?!
■No. 4 完璧な病室/小川洋子 本物の孤独は精神世界へ到達する
■No. 5 青春の蹉跌/石川達三 他人は皆敵だ、人生の勝利者になるのだ
しろばんば/井上靖 一途な愛情が文豪を育てる
■No. 7 白河夜船/吉本ばなな 孤独な闇が人々を癒す
■No. 8 ミステリーの系譜/松本清張 人は気付かぬうちに誰かを傷つけている
■No. 9 女生徒/太宰治 新感覚でヴィヴィッドな小説
■No.10 或る女/有島武郎 国木田独歩の最初の妻がモデル
■No.11 東京奇譚集/村上春樹 どんな形であれ、あなたにもきっと不思議な体験があるはず
■No.12 お目出たき人/武者小路実篤 片思いが片思いでない人
■No.13 レディ・ジョーカー/高村薫 この社会に、本当の平等は存在するのか?
■No.14 山の音/川端康成 戦後日本の中流家庭を描く
■No.15 佐藤春夫/この三つのもの 細君譲渡事件の真相が語られる
■No.16 角田光代/幸福な遊戯 男二人と女一人の奇妙な同居生活を描く

◆番外篇.1 新潮日本文学アルバム/太宰 治 パンドラの匣を開け走れメロスを見る!





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最終更新日  2012.11.21 06:18:23
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