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ひとは偶然の成行きに支配されている。私たちは、誰も明日を予想できない。どんなに優れた 専門医も、必然的なメディカル・ステージを指摘できない。あらゆる可能性が否定できないか らだ。そして、突然変異もあるだろう。勿論それに立ち会うことは奇跡に近いだろうが。それ にしても、「偶然の海」に溺れそうだ。誰も、自分がどうなるかが判らないままとしたら、死 もまたそうなのだろうか。あれもこれもと検査をされているが、ひとつの検査ですべてが解か るほど、医学は進化していないのだ。そして今日の検査の結果も数ヶ月もしたら役に立たなく なるとしたら、果てしなく検査しなければ解からないということになる。そしてそれはひとつ やふたつではない。おそらく無数にあり、増え続けるだろう。偶然は、ヒトを生み出したし、 未来に夢をもてるのも偶然があるからだろう。 いつも飢えと、病と、権力闘争等などにと、死の恐怖に怯えながら、歴史を刻んできたが、い ま科学の前で「無知」という圧倒的な相手に立ち竦んでいる。どのような偶然にめぐりあうの であろうか。
2017.05.31
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近代戦は総力戦だといわれる。軍事力だけの戦争ではなく、政治力、経済力だけで戦うのではない。あらゆる手段を使わねば勝利はないという意味でだ、然も部分的なものに終わらない生き残りをかけたものにもなる可能性もある。それは負ければ、勝者の奴隷にされた時代を想起させないでもない。もし、67年前の日本の敗戦において、些かもその例外ではないことを考えるとしたら間違いだろう。 ・言いたいのは、謂わば<スープ>にされたということの認識がなければ再建はできないということだろうと思う。粉々にされたという分析になしに何を始めても同じことだ。何もできないのではなく、始める前提を安易に見ているからだろう。種を選択しなければ実らない。西欧でもなく、東洋でもない、その地域でもない。種を探すことから始めねばならにのであって、その努力を日本人たちはしてきただろうか。どこをみて生きてきただろうか。負けたという認識もなしに、始めさせられたのであり、それがスタートであるはずがない。 ・へ2・・・そういう意味で総力戦である。一部の寄せ集めでは足りない。哲学であり、文化であり、すべてだろう。併し、相手は仮想敵国ではない。立ち塞がる世界であり、挑みかかってくる総体であろう。何ができるのか、考えるのはこれからであり、未来でもある。 一か八かの戦争などしたくはない。追い込まれてしまうのはパニックになるからだ。
2017.05.31
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福岡市に住んでいるが、日本列島も東西にも長い島である。住んでいる場所で日の出や日の入りの時間が違いもする。そろそろ、日の出の時間も、一念で一番早い日が近づいている。去年の毎日の日照時間を記録しているが、それを見ながら、毎日ブログで照会しているが、あまり他人には参考になるのではない。自分のためにしている。 ・福岡市では。5;07 が一番早い日の出の時間になるが、それは去年のことである。6月6日から6月18日まで続いた。今年はどうだろうか。去年の5月31日は、 5;08~19;22 全く同じではない。これも自分で見てやって感じる感動だろう。気づくというのは、関心を持って考えることから始まっている。これも、知りたいと思ってやり始めてわかったことだ。馬鹿はばかなりにこの世の中を観察している。 ・へ2・・・自分の世界は狭い。そこで起きていることをどこまで関心を以て暮らしていくことができるかだろう。昨夜は、2001.9.11のユー・チューブの長い実況記録を見ていて胸が苦しくなった。その時のテレビの中継を、横浜で見ていた。もう12年経過している。
2017.05.31
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日々は自己嫌悪のシャワーを感じながら生きてきた。 安息日をもつ人たちは 易々と生きて行けることだろう。 僕たちは、悉く裏切られた日常に悪寒を 感じ挫折し妥協しながら・・・。それしかないと自分を追い詰め、自 己嫌悪に顔を歪めて耐えなければならない。ふやけた人生の歌謡曲を唄う。自嘲的 に家族たちを見回して、納得するしかないのだろう。ただ、このまま寿命を生きて惨 めに死のうと決意している。今夜も自己嫌悪のシャワー浴びながら、アルツハイマーか癌に なるぞと怯える。
2017.05.31
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自分の主張を通そうとする。悪い癖がある。私だけではないようだ。他人にはそれが不遜に見えてしまう。出た杭は叩かれる。大抵余計なことを言うからだろう。どうしても言わなければならないことは外にもたくさんあるのに。ついポロリと。どこかにあるから、出てしまう。全体を見てくれと言ってもそれは無理なことでしかない。誰も他人にそれほど関心がない。分かるはずもない。同じ過ちを繰り返してしまう。そしてそのうちアウトにもなる。 ・それほどトリックやマジックが通用するはずもない。いつか見破られる。懲りないといけないのだろう。まだやれると思いたいが、いい加減にしろというヒトも出てくる。信長もそれで殺された。おそらく、懲りないでいると周囲に潰される。今年の胡瓜の計画は失敗したようだ。すこし慣れたつもりでいたが、遣り損なったようだ。数本の苗を残して枯れてしまった。慌てて新しい奴を買ってきたが、出遅れた。 ・へ2・・・現地学習とか、大学も市民への配慮とか気を使っている。工夫をしなければならないことは多いだろう。生き残るためには、これまでと同じことをしていてはだめだ。日本の政治は、懲りないからダメだ。
2017.05.31
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種としてのヒトは、つかの間の地上におけるニッチを獲得した名誉ある地位にあると言え る。それでも、ヒトは、ほんの一瞬のニッチである。ニッチは凹みの意味がある。自分の居 場所を探している人間にもニッチがないと生きていけない。自分の存在できる居場所を探 さすべく奔走していると言えなくもない。生きる意欲は、日々の暮らしの中で自分の存在を 認識するところから始まっている。自分の日々は、いくつかのパターンの再生を繰り返す ことでもある。 社会環境が目まぐるしく変化している。昨日のニッチも、明日はどうなるか分からない。安全 地帯のない生命の営みは、つねに不安の中だ。
2017.05.31
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アマサギ6月は、ジューンブライドとか。誕生月でもあるし、まあ過去のことは通過した場所でしかなく、自分の将来は少し関係あるが、現在が自分の場所でしかない。一年間で一つの区切りをしている慣習が、どれほどの意味があるか考えたこともないが、竹の節のように、それが空に向かっているかどうかは解からないが、兎に角積み重ねてきたことは言える。それも自分の脳の記憶でしかない。他人の脳とイメージが重なることはあっても、それはすぐに消えてしまう。 ・堀辰雄の小説の中に、(「聖家族」) -どちらが相手をより多く苦しませることができるか、私たちは試して見ましょう・・・。 人生は、ゲームなのだろうか? 自分の人生をどのように考えるのか、この複雑系は、様々な演出を編み出す。過去に遊ぶことも出来れば、未来に夢を追う者もいる。人それぞれの受ける現実は違って見える。地上の69億人近い人が、自分の中にそれぞれじぶんだけの宇宙をもっている。 ・へ2・・・自分の人生に、余力ある時とそうでないときがある。それもそのひとの能力の一部でしかないが、自分のこころとからだを無駄にしないように生きる義務があると思う。父母はいつか過去の人になる。私もいつか月日を重ねて消えていくだろう。
2017.05.31
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アマサギ2羽。和白干潟 2017.5.31どうも政治家が脇が甘いだけではなく、国民が殆んどそうなのではないだろうか。公務員もそうだし、老舗の若社長の謝罪会見のささやき女将といい、何とも笑止な事件が多いことだろうか。誰が見ても、遣れそうにないことを、裸の王様のように滑稽なことをしでかしている。政治家たちは、どこまで現場を知っているのだろうか。自衛隊の実態を知り抜いているだろうか。経済の最先端でなにがあっているのか、医学の現場や、最先端の分子生物学をどこまで理解しているのだろうか、それで、日本の未来を担うシステムが構築できらだろうか。 ・政党間の争いや、自分たちの政治生命をかけた闘いしか知らないのではないだろうか。次元の低いことで国費を浪費してはいないか。消費税10%の引上げも、それをやったら、また何かあれば同じように他の増税を繰り返すのではないだろうか?つまり、歯止めにはならないものでしかない。要するに方便としての政策に過ぎない。政府の言うとおりに政治は動いただろうか。 ・へ2・・・世界から動かされることはあっても、日本が世界を動かしたことはない。受け身だけでは必ず、世界の隅に追いやられてしまうだろう。これからはまさしくビジョンのない論理は通用しない。他人の眼ばかり気にせず、自分に何ができるのか、この10年くらいは、必死になって、それを考えるべきではないだろうか。
2017.05.31
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バンのヒナどうも小細工が多過ぎるのではないだろうか。あれもダメこれもどうだと言っていては、話は進まないだけだろう。何がしたいのか分からない交渉をするから、成果が上がらない。こちらの思惑ばかり、いっているのでは、外交交渉などできる筈がない。数年で成果の上がらない外交官は引き上げるべきだろう。いつまで北朝鮮と交渉しているのだろうか。六か国交渉も形ばかりの交渉でしかない。元々成果などあがる筈がない。こちらにアイデアがないからだ。睨みあって解決ができるなら、もう既にできているのだろう。 ・期限を切ってできなければ出直すべきだろう。何故当事者能力のないひとが交渉に当たるのだろうか。政治家が一線で交渉しないだろうか。やる気がないからだろう。そのうち、北朝鮮のミサイルが日本に飛んでくるのではないだろうか。北朝鮮が先ずやるのは日本だろう。その日本がいつまでも間の抜けた交渉を遣っている。 ・へ2・・・小細工に対する批判も当らないことはあるかもしれない。裏と表のある国際政治があるからだ。 然し姑息な手段は結局は遠回りになる。深謀遠慮のない出来事が多すぎる。
2017.05.31
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それにしても間の悪いことが多いことだろう。波長が合わずに折角のチャンスを逃すこともいくつもあるに違いない。どれだけ聞いておかなければならないことを両親から訊きそびれただろうか。そして両親の亡くなった年齢に達しようとしている自分を思うと切なくもなる。 これから何をしようというのだろうか。黙っていればいいだけではないだろうか。所詮それだけのことではないか。より豊かな大地に育ち、より多く陽ざしを浴びた者が大きく育つだけではないだろうか。大風が吹けばなぎ倒されるだけではないか。より多くエネルギーをもつものが高みに達し、より遠くへ行くだろう。人間の努力とは何なのだろうか? 病をえて入院し、広い中庭のベンチでよく考えていたものだ。もし悪性ならば命にかかわり死ぬだろう。この風景を微塵も変えることができはしない。生き延びることができたとしても、何ができるだろうか。生物は少しも変わらず生きて営みを続けている。どれだけ喜怒哀楽があったとしても、ただそれだけの営みでしかない。 未練を残さないようにするために何をすべきだろうか。それを考えるべきだろう。学ぶべき時を逸してはならない。死は常に付き纏う衣服のようなものだ。
2017.05.31
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こどものころよく寝るのは、昼間刺激的なことが多くあり、学んだ新しいことを編集し定着するために必要とされるらしい。老化すると脳が硬直化し、 昼間の刺激的な出来事を避けるようになり、新しいことを学ぼうとしないからだという。定着させるための睡眠時間は要らなくなり、減少する。 所謂離脱体験にしろ、超常体験にしろ、脳機能の変調や錯覚の所産だ。科学的に証明できる。宗教体験にしても、仏教やキリスト教で共通する のは、30日間くらい断食して、瞑想をした時に顕れると言う。体験者の脳の中の内部モデルが完成しており,栄養不足に陥り、脳への血流不足に より脳内物質の状態が混乱し、脳機能が変調を来たしているのだ。外界への運動指令、感覚入力が遮断され、実体験は内部モデルをリアルな 夢のシュミレーションに移行するという。脳がつくりだした現実は、あの「マトリックス」を思い出す。 ひとは、自分の生活を守ろうとしている。それは、幻影だろうか。危機に直面して 慄き恐れるのは生活が破壊するからだ。 昆虫には、フィードバック制御しかない。危機を乗りこえる為に進むか、障害物を 避けるだけだ。高度な意思決定や感情の生成はない。 然し、果たして人間はそれに見合うような能力を発現しているだろうか。高度な振舞いが為されているだろうか。 脳が作り出したシステムは、まだ彷徨い続けているように思えてならない。
2017.05.31
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頑張り過ぎず、暫く頑張るまいと。疲れたわけではないが、プレスをかけ過ぎるとストレスになり、却って逆効果になる。根を詰め過ぎると目が霞んでしまう。いい加減な人間が、それほど上手く遣れるはずがない。どこか無理をしている。無理を承知で遣れる時間は短い。鳥渡テストで良かったから、いつも優秀なのはそうはいない。 ・欲を出すのは悪くないが、過ぎると傍迷惑にもなる。他人の世界を侵さないことだろう。人は急ぎ過ぎて遣り損ないがちだ。判っているようで解っていないのは、自分の勝手な思い込みでしかない。努力をすれば何でもできるだろう。然し時を俟たねばならない。それを知るのは年の功でもある。 ・へ2・・・今年になって、これまでの文学講座や一年間ある講座が無くなったりして、女子大との縁が薄くなりかけている。教授や職員の退職など、組織の改編があり、鳥渡、 "calculating woman"になったのではないだろうか。
2017.05.31
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ヘレニック社会と西欧社会の歴史を歴史のものと同一視する思い上がりとあとひとつは歴史単一説がある。伝統的な迷妄がそこにはある。骨を惜しんで歴史や真実を理解することができるほど人間社会は甘くはないのだろう。自分で自分の考える社会や世界を拡げていくしかない。これは勿論世界単一説ではない。アルファベットから始まっている文化や文明を知ることは、一つの社会から他の社会へ伝えられていく事実を知ることは伝播することであり、世界はつながっている。アルファベットや数字で創られた社会に住んでいるのではない。それは新しい発見や発明によって切り開くべき歴史の所在でもある。
2017.05.31
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サビ猫の昼寝ひとは残酷なことをする。それを平気でするから当り前だと思ってもしまうのだろう。サビ猫の子宮摘出手術の後を視て、何とも。恐らく手荒いものなのだろう。死んでも人間ではないと。獣医はどんな気持ちなのだろうか。それが仕事には違いないにしても。好きで獣医になったかは知らないが。 ・人間の都合が優先する。何故そうしなければならないのか。理由はあるだろうが、そこに戸惑いはあるだろうか。目には視えなくとも、私たちの一人ひとりにも心の傷はある。猫は何の罪があって子宮を奪われるのだろうか。その意味も知らない。奪われているものが何なのかさえ知らない人間たちもいるに違いない。 ・へ2・・・突然起きた3.11で、命を奪われ、平穏に暮らしていた日常を奪われて人たち。誰に訴えることもできない。何故こうしたことが起きるのか。理屈では説明のつかないことばかりある。切ない。遣る瀬ない。手術前と、手術後とごろりと違うに違いないサビ猫が恨めしそうな眼で私をみた。
2017.05.31
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恐竜は、7000万年前に絶滅したが、1億年以上に亘って地上を支配したといわれる。それに比べようもないヒトのニッチである。人間の支配の及んでいるのは地球の地上という表層の範囲内でしかない。ものごとを表面的捉えて、すべてを支配してように思うのは思い上がりでしかない。白人社会の台頭もさほど長い歴史だということでもない。奢れるもの如しからず、でもある。毎日のように、華やかに活躍していた人たちが故人になっている。それは世間に名の知れた人たちであり、名もなきひとも同じだ。 ・人間同士が争っている間に、種としてのヒトの寿命も尽きてしまうのではなかろうか?科学の進化も所詮は破滅の籤を引いただけではないか。大きいものを小さくし、小さいものを大きく視るという過ちを人びとは冒してきただけではないだろうか。いつも普遍的真理を見逃がしている。ホモ・サピエンスというだけの生き方をしてきたわけではない。 ・へ2・・・大切なものを後回しにし、どうでもよいことを毎日しているのではないだろうか。後先を知らない子どもと同じだ。無邪気であることが美徳などではない。無知はそれこそ無残でもある。暑い寒いと日々を過ごし、快楽を得ようとしている。それこそ虫けらと同じだ。まだ誰も地核のマグマに挑もうとさえした人間はいない。
2017.05.31
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食物を食べなければ、ひとはすぐに死んでしまう。空腹だけではなく、体が酸化してしまうからだ。食べることの意味は深い。個体が存在するから、ものを考えることができる。病気になって、初めて知った知識がある。それまでもっていたものは智慧ではなかった気がする。ヒトのしている事は、反対のことをして知る知識が重要なのではないだろうか。男が女性を理解するように。女が男性を理解して初めて解かるものがあると思う。 ・反対は必ずしもその反対ではない。裏と表もある。自分と他人との境界が、理解できなければ自分の人生もぼやけてしまう。このまま眠ってしまおうかと一度思ったが、やはりブログを書いている。昨日も、夜雨が降ると一旦思って、家でのんびりするつもりだったが、外に出たら、雨がやんでいた。恐らく二年前、否、一年前なら、歩く気がしなかったのではないだろうか。体が自然に動いた。自分の意識だけで、自分のからだやこころは動いていない。 ・へ2・・・自分ひとりで生きているつもりでいるが、はたしてそうだろうか?確かに死にたくないから活きているが、本当に生きているだろうか。「死とは何か」、本当に理解しているのだろうか?それは「他人の死」ではなく、「自分の死」のことである。自分で解かっていると思っているものが、本当は解かっていないかもしれない。この呪縛は中々消えない。
2017.05.31
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なにごともそれほど急ぐことはない。まだ終わろうとしているのではない。それでも漱石は「明暗」を書き終わることができなかった。計算間違いだろうか。もっと生きているつもりだったのだろう。最長の小説を書こうとしたらしい。あまりゆっくりしていると自分の計画通りには行かなくなる。然し、それは漱石ばかりではない。人間はみなそうかも知れない。明日自分が死ぬことを知っていた人は中々いないのではないだろうか。それを感じだとしても他人には伝えられないのかも知れないが。慌てるからしくじるし、余計なことをしてしまう。それでもゆっくりしていると時間がなくなってもしまう。コツコツ何かをしている時が愉しいという自覚があるだろうか。それはやりたいことをしているからだろうし、それが目的をかなえるからだろう。 ・ウオーキングをしていて思うのは、子供たちや少年たちが軽やかにと歩いていることだ。何と素晴らしいだろうか。赤ん坊が<あんよ>をしているのもほのぼのする。種としてのヒトが手に入れた二足歩行は、多くの恵みをヒトに与えた。その恩恵を私たちは日ごろ味わい楽しんでもいる。這い這いから立ち上がり、そして杖に頼るようにもなるだろう。人間の姿は、容にすれば、4-2-3 だとスフィンクスはいう。人は自分たちを偉大な生物だというが、そうだろうか? ・へ2・・・ゆっくり、し過ぎたり、急ぎ過ぎては、間違いばかり。思えば自分の願望と反対のことばかりして、時間の無駄遣いばかり。地球上だけでなく、宇宙空間までゴミをばら撒いている。自分たちの生きるスペースを汚している。傲りですべてを台無しにもする。
2017.05.31
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巧く熟そうとするあまり無理なことをして潰れてしまう。理想のようにはいかないものだ。人間のすることは複雑で単純ではない。好きな人にきれい事ばかりいってもおれないものだ。普遍的真理のなかで生きているのでもない。社会の根幹にあるものはマグマのような人を寄せ付けないエネルギーの塊でもあるだろう。マグマの周辺で生きているか、生きていこうとしているに過ぎない。言葉の根幹にあるものも沈黙だろうか。 ・まっすぐな一本の道を辿っていくようには人生はできていない。人生のステージは日々変化をし、シーンは次々に明日へと向かい続ける。何か自分の中の大事なものを対価として払い続けてもいる。コストのない幸福はない。安楽を売る商人は偽善者だ。軽薄であるものはその毒でつけがまわってくる。 ・へ2・・・私は利口ではない。だから愚直に生きねばならない。歩き続けることで何か視えるものがあるだろうか。何が起きるか分からない世の中だ。不可抗力もある。。 地球と金星の違いは、太陽からの距離だという。金星では生物は生きていけない。双子星と言われるが、その世界は大きい違いがある。然し、その違いも宇宙サイズから見れば、宇宙のゴミのひとつの形成過程に過ぎない。
2017.05.31
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どこからでも批判はできる。もともとそんなに立派でもないのが私たちの住む社会だ。 教育にしろ、医療にしろ、問題はいくつもある。それをどう改善しようとしているだろうか? 多くは困難なものばかりだ。解決する能力があるだろうか?問題をアウフペーベンしているものが 誰かによって違うだろう。動かすものが、ご都合主義であれば、恣意的なものになる。それが国家 権力だからといって、決して正義とは限らない。 教育も医療も、そして政治であれば尚更、人も、物も時間もかかることばかりだろう。少しづつで あればみえるものもあるし、触ることもできるかも知れないが、横に広がると見失うものだ。 巨大化して、ことが大きくなり過ぎると「自己責任」にされがちだ。生活習慣病がそうだろう。大 きな問題にしたのは、基本的な教育や医療に対する政治の貧困だ。一見リべラルなアメリカ人の中 流社会の家庭に見られる権威主義的パーソナリティの特徴が、刺激的で面白い。 (Th.アドルノ他「権威主義的パーソナリティ」) キレイなものだけが生き残る世界にしようとするのではないか。人間たちがもしそう思うのだとし たら、やがて、未来への選択肢をますます狭めてくるに相違ない。そして、「ノーチョイス」にな るだろう。その傾向が、エリート社会にはみられるのではないか。ひとびとを囲い込もうとする企 みが始まっている。彼らは棄てるしか知らない。ゴミは消去しようとするだろう。誰も痛みを感じ ないようにすればいい。アンケート調査が意味するものは最大公約数の人間の意識の調査でしかな い。人間たちは、物扱いされようとしているのではないか、と思う。 限界まで。準拠枠の中でしかない。そのうち選択を誤るのだ。なんでもない詰まらないことで。迷っている間に時は過ぎてしまう。いつも。こうしてここにいることも、それほどうまくやったのではなく、失敗の連続でしかなく。挫折の成れの果て。それを言い繕うとする。うまくいくはずがない人生でしかない。
2017.05.31
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1万3000年前までホモ・フロレシエンシス(フロレス原人)が存在した。 インドネシアのフロレス島の場合、体格はさほど重要ではなく、小さな島では食料 が乏しく、カロリー摂取は負担になり、身長1mの小型化に向かった。人類の進化 にも本流から外れた種が存在したことを示している。ドマニシ原人とフロレス原 人の頭骨の相違の発見は、人類進化の研究に於ける最新の成果だ。 私たちの世界は、あらゆるものを生み出す「スープの海」だ。正義とか悪とか 裁けるだけの能力を何のデータなしに判断することなどできはしない。 ひとは、自分のスペースで自分の仕事をすべきだ。そのための努力をすべき でもある。未来に続くよりよい仕事を。
2017.05.31
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自分の趣味は何だと、聴かれたら、何というだろうか。その時々で変化もしている。今は、PCだったり、ブログだったり、ただデジカメで何でも撮ったり。眼が覚めて、すぐ録音したクラシックを聴いてもいる。そういえばウオーキングしている時も聴いている。いまは、一番付き合いのあるものになっている。音痴だし、基礎知識もないが、聴いている分には何の予備知識も要らない。 ・ただ聴いているだけだが、その時で聴きたいと思うものが違ってきた。それだけ選べるだけのものを聴いてもいるのだろう。音楽を聴いていて善し悪しはそれほど解かるわけではないが、心地いいものとそうでないものは解かる。何故それがクラッシックなのだろう。自然淘汰されたものがクラシックなのだろうか。 ・へ2・・・昨夜も歩いている時、若者が爆音をまき散らしながら、バイクを暴走させていたが、派手な音楽を流していた。あれも趣味なのだろうか。周囲に悪寒を与えながら、歓んでいるのかどうか知らないが。人はそれぞれ自分の価値観を以って暮らしている。他人のことはとやかくは言えない。自分も或いは冷たい目で視られているかも知れない。如何に普遍的であろうとしても限界はあるに違いない。
2017.05.31
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泉重千代123歳237日。ジャンヌ・カルマン122歳164日の紹介。トーマス・パーという人がいて152歳?という話もあるそうだ。これは、オールド・パーのラベルにもなっているひとのことらしい。100歳以上の日本人は1963年の153人から、2016年65,692人になっている。 ・健康のための7つの生活習慣。これは死亡率にも大きな影響があるという研究結果があるらしい。カルフォル二ア大のブレスローが、7000人を対象に10年間の研究成果でもある。7つの習慣があれば、しないひとよりも死亡率は低くなるという。からだの語源が、「からだち(躯立つ)」といい、「ひとが二本足で大地にしっかり立つさま」。BMiで、18.5以下は痩せ過ぎだということだった。モデル体形が持て囃されているが健康的な体ではない。 「健康!健康!」と言いながら何をすればいいか分からないでは意味がない。
2017.05.31
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【ジュネーブ=笹沢教一】国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は30日、日本の「表現の自由」の現状を昨年調査した国連人権理事会の特別報告者、デービッド・ケイ米カリフォルニア大学教授が「政府がメディアに直接、間接に圧力をかけている」などと指摘する報告書案をホームページ上で公表した。同時に、日本政府が「(内容は)客観的事実に基づいていない」として、訂正や削除を求めた同理事会宛ての反論書も公表した。どちらが正しいのだろうか。視点の違いというものは、つねに想像されることである。日本人はどう思っているかだ。なにかというと政府は口出しをする。沈黙するよりかは好いのだろうか。中国政府の独善的なスピーチを聴いていると、嫌気がさしてくるが、或いは日本政府も同じではないだろうか。日本政府のコメントに、よく北朝鮮に圧力をかけると言っている。忖度が話題になったが、クロをシロと言いくるめるような政府の見解が目立っている。国際社会や国連から見れば、やはり日本は三流国らしい。世界ランキングの日本の大学のレベルの低さに自信も喪失する。表現の自由では、まだ日本は、後進国のようである。
2017.05.31
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ナルコレプシーで怖いのは誤診だ。内科ではなく、精神科で、然も睡眠の専 門医でないと誤診の可能性がある。殊に中枢神経賦活剤などの乱用になれば 中毒にもなる虞がある。悪用するケースもあるという。薬物療法も正しい診 断があってこそであり、副作用による障害も考えられる。ナルコレプシーの 根治療法はなく、薬物療法は症状を抑えるため対症療法なのだ。日中繰り返 す居眠りは、特に受験期に発症し易いという。受験勉強で睡眠不足の慢性化 になり、睡眠リズムが成人型に移行しなければならない時期に、ホルモンバ ランスなどの不調がきっかけで幼児期に戻ってしまうのではないかと言われる。 幼児は、3乃至4時間毎に覚醒と睡眠を繰り返す「多用性睡眠」であり、成人 になれば昼と夜で活動する「単相性睡眠」である。この幼児期のサイクルが 単相性睡眠に移行できないままの状態になるのだ。昼間には、居眠りし、 夜は、充分な睡眠がとれないのが、ナルコレプシーの患者なのだ。 遺伝的素因は、日本人に多く、イスラエル人に少ない。ちなみにイスラエル 人の一般人口中のHLA・DR2 の頻度は2%に比較して日本人は36%だ。 誤診されれば、危険な薬物療法をされるかも知れない。専門医にかからない と酷い目に遭うかも知れない。
2017.05.31
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・松果体(メラトニン)や視床下部(体温調節中枢)が生体リズムの中にあって光に反応する。 ・ドーパミンは加齢による劣化、睡眠の質が低下・・・ホルモンの分泌に関わる。 ・朝の太陽の<白色光>が人の健康に重要である。 ・昼間充分な照度と<高色温度の光>が浴びることが夜のメラトニン分泌を高め深い眠りのために 重要。 ・夜の<黄色い光>が自然の眠りを誘い、深い眠りの確保のためなるとの話であった。 ・朝の10時から16時までの間。(殊に、10時~12時 14時~16時)に日照を浴びる時 間によって統計的にも気分が変わることが証明されている。 ・日照時間の短い冬と、長い春や夏とでは気分が違うのは私たちも感じていることだ。 ・現代社会は、昼と夜を逆転した人々を生みだしている。朝の日射しを受けず、昼間眠り、夜起き ている人も多い。生体リズムが破壊されてホルモン異常も起きているに違いない。 ・ホルモン異常による病気が、精神や肉体に影響を及ぼさない筈はない。 ・緩やかにホルモンの分泌が減少して行き、ホルモン調整機能が落ちて来るのは仕方がないが、自 分で生体リズムを壊している人が多い。 ・自分を過信してはならないと思う。忌わしいものを創ってしまうのも人間でしかないからだ。 ・いつも心を新鮮に保つことは、日々の努力によって得られるとおもう。何も求めないものに何も 得られない。 ・その人に備わっている向上心こそ、そのひとの宝だろう。
2017.05.31
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ものごとが辛辣になってきているのではないだろうか。ひとがこころの体温を失いつつある。そんな気がする。鋼鉄の人間になろうとさえしてはいないか。体はマシーンになるのではないだろうか。脳だけで生きている世界が近未来に現出するのではなかろうか。あらゆる可能性があるに違いない。不可能とされたことがことごとく突き破られるのではないだろうか。「青いバラ」も、もう不可能ではない。 ・人と人との関係が冷たくなるばかりのような気がしている。今日は30℃を超える暑さになっている。日向に立っておれないくらいの陽射しが強い。胡瓜の葉が日射に萎れている。太陽でさえ人の心を温めることはできない。 ・へ2・・・世界では、苛酷な闘いが展開し、少なくと穏やかにことは進まない。躓けばそこで終わりになるかも知れない厳しさがつき纏っている。身に付纏うへばりついた垢が取れなくなりやがてシミになる。辛辣と感じるのは年齢だけの所為ではないかも知れないが、裏切りのあるものたちもいる。愚劣な連中に付き合うつもりはないが、そういう社会だということが悲しい。光と影がある社会だ。だからこそ、どう生きたらよいか、滅入らないための努力が必要だ。すべては、終わってからでは間に合わない。
2017.05.31
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戦後は物資が乏しく、貧しい暮らしを強いられていたが、人びとは寄り添って生きていた。 心優しい人が大勢いた。今夜の米がないからと近所で助け合っていた。兄弟の子を引き取って育て ていた家族をいくらも見た。優しい小母さんたちがいていつも子どもたちを見守ってくれていた。 だから、私たちは生きていくことにぼんやりとした不安はあっても、何とか自分が大人になっても生きてい けるだろうと、のんびりしていられたのだろう。そして、日本人は、物は豊かになったが、逆に心 が貧しいひとが増えてきたようだ。どんな隣人がいるかさえ関心を持たないひとが多い。これも経 済優先の所産だろうか。自分の利害で子を殺すようなことがなかったのは、何だろうか。 進化とは、退化によって失うヒトの特質も進化であるという。進化は進歩であるが、進化は価値で はないという。時代が後になれば複雑な人間が生まれてくるがそれが高等であるわけではないと OCW は言っている。そして、進化的に身につけたものを失う「退化」も進化である。
2017.05.31
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核の怖さを知る者たちが沈黙させられている。権力の無言の圧力があるからだ。いつの時代も真の言論の自由はないのであり、小さな勇気だけが燈火のようにあるだけだろう。庶民たちは、その厳しい社会環境の中で窒息されそうになっている。知るものが、苦しんでいるに違いない。1クールでしかない私たちの命はいつか消えていくのだ。北朝鮮の核やミサイルの実験も、大国ではこれまで数千回も繰り返されていたに違いない。 ・視点が違えば、大国のエゴが、現代社会でも継続されている。安倍首相は、寄らば大樹の陰であり、虎の威を借りる狐でしかない。本人はどう思っているのか知らないが、私には陳腐に見えてしまう。官僚たちが、国民の側に立たなくなると、社会は一挙に澱んでくる。風通しが悪くなるからだ。 ・へ2・・・2011.3.11から日本は可笑しくなってしまった。若しかしたら、21世紀の入り方を間違えたのではないだろうか。どうも、個人的には、そう思えてならないことばかりある。20世紀で、私の人生は終わったのではないのだろうか。21世紀は、悪い夢を見ているのかもしれない。
2017.05.31
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山川捨松は大山捨松になり、鹿鳴館の貴婦人になっていた。小説「不如帰」の「人間はなぜ死ぬのでしょう!生きたいわ!千年も万年も生きたいわ!」のヒロインの浪子の実家で継母にいじめられるその継母が捨松がモデルだったという。それは事実と違い、虚像だったようだ。捨松は、日本人女性で最初に米国の大学を卒業したひとであり、さらに看護婦の教育も受けたひとで、隔離などしたのは、当時肺病の伝染を怖れた処置だったようだ。捨松は日本赤十字社のボランテイア活動をするなど日露戦争当時のアメリカの世論は日本びいきでもあった。日本の総司令官の夫人がアメリカの大学の卒業生と報じたからだ。アメリカの寄付金は捨松のもとに送られ慈善活動に使われた。当時としては画期的なことだ。 それこそ鹿鳴館の仇花ではない。蘆花が脚色しただけだろう。それにしても津田梅子が亡くなり、その後捨松が女子英学塾を塾長の就任式までしながら、その翌日から体調を崩し、60年の生涯を閉じているのは惜しまれる。それにしても岩倉使節団の留学生の一人として当時捨松は12歳であった。10年の留学を終えて帰国したが、待っていたのは失望であった。 そして、捨松は日本語を殆ど忘れ、考え方もアメリカ的になっていた。男尊女卑の風潮は、高等教育をうけても女性の活動できる場がなかったからだ。日本語の文章が殆ど書けなかったという。それでも立派に最初の留学生としての仕事を遣り通したといえるだろう。異質な経歴を持つ捨松への偏見が虚像をもつくりあげたのでもあろう。 指摘されるのは、岩倉使節団の首脳が戊辰戦争の官軍側であったのに対し、女子留学生の親がみな賊軍の娘たちだったということだろう。捨松は8歳の時会津戦争で家族とともに籠城して悲惨な体験をしている。その時弾薬運びをして手伝い、義姉が砲弾に当たり亡くなるのを目の当たりにしている。まれに見る根性の据わった女性でもあったのだろう。
2017.05.30
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旅で知り合う人は皆友達になる。土台喧嘩する理由がない。人は楽しみに来ているのだからハイでもある。まあ浮世を離れている。それが、顰蹙を買うようであってはならない。設えられた舞台で下手な芝居をすればいいのだ。見せられるものが綺麗な舞台であろうと、舞台裏もある。どこからでも現実は見えてくるものだ。北京に行って見えるものは見えていたと思う。今度も同じだ。見る側の見識の問題だろう。 ・素人の私にも、現代社会が見えている。勿論自分でそう思っているだけなのかも知れない。本当の現実社会ではないかも知れない。マトリックスかも知れないが、自分の眼で見ているものを、二つの目の奥にあるもので考え直している。それが正しいかどうかは知らない。ただ思惟することでしかない。本当は、どちらが幸福などとは考えないようにしている。自分があるべくしてあればいいだけだ。確かに差別はあると思う。西欧人は表と裏を使い分けるのが上手い。子供のころから鍛えられているのだろう。そこに行くと、日本人は馬鹿正直かも知れない。それも育ちの所為でしかないだろう。どちらがどうでもあるまい。 ・へ2・・・「ひとを見たら泥棒と思え」も考え方次第だろう。あまり疑ってばかりでは、疑心暗鬼になり、世の中がおもしろくなくなるに違いない。ひとのものを盗むより盗まれる方がいい。他人の物を盗む気が起きることなど、起きない方がましだ。そういう世界に長くいたいとは思わない。世の中を悪くしているのも人間の所業に過ぎない。
2017.05.30
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新興勢力に対して、バランシングとバンドワゴニングがあり、日本は一貫して後者の戦略をとってきたとハンチントンは言っている。それは客観的に視て間違いないだろう。明治以来日本の政府と国民は勢いのある大国を手本にして善かれあしかれ遣って来たのだ。それが選択であったのは事実だし、間違いとして非難を浴びることも当然ある。国際社会に遭っては、遅れてきた国家であり、民族だからでもある。 ・「菊と刀」にしろ、日本は、自分をよく知らないのではないだろうか。それは世界観や、歴史観にもある。自分を知ろうとしない。知るのが怖いのだろう。自分たちが、世界からどう視られているのか。知らなければ、未来の方向が見えないが、知れば惨めにもなる。日本は、超大国でも、大国でもない。その他大勢の小国のひとつに過ぎない。家族のいない一人っ子の民族であるのも間違いではない。中国とも違う。アメリカとも違う。私も他人とは違うという感情を離れられない。 ・へ2・・・国家が孤独であれば、国民感情もそうなることは言えるのかもしれない。70億人の中の、1.2億人でしかない。1.7%でしかない。その国家に何ができるだろうか。北朝鮮にさえ莫迦にされている。中国が覇権を握れば、中国語を学ぶことになるのだろう。他力本願という日本仏教もある。プライド持つには厳しい環境であることは言える。衒いや見栄を棄ててかからねばならないだろう。事実は事実だ。
2017.05.30
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ジョウビタキ副題は-「ゲルマン文化から再生医療まで」ー壮大なテーマである。流石に、こう表現の巧みさは大学らしい。多少看板倒れのような気もしないではないが、これまで、全く知らない分野を予備知識なしに聴くということは、何と贅沢というか、不遜というか、申し訳ない気もしないでもないが、大学と市民との交流の一つでもあるのだろう。それこそ興味のある人なら、どんなにか聴講したい講座だろうかと思う。おカネに換えられない価値がある話でもあるのだろう。 ・一つの講座のために、どれだけ時間をかけるのか。それは講師によって天地の差がある。然し、どうも市民に対する講座は、必ずしも重くは見られていないようだ。まあ、面子に係わる程度のものだろう。評判が悪くならない程度だろうか。それでも、中には、レベルを落とさないで真摯に話される立派な講師もいる。誰が聴いているか知れたものではないのだろうが、解からなくても、他人に理解できない言葉はないだろう。理解させるためにことばはあるのだから。イギリス最古の文学といっても、アングロ・サクソン人が使用したルーン文字の話なのだから、読める筈もないが、日本人の女性の研究家が講師であった。それでも、ゲルマン民族の大移動でイギリスに渡った人々が、ゲルマンの英雄をうたった古英詩を伝承していたが、やかてキリスト教化が始まる。そして、「ゲルマン的(異教的」)なものと、「キリスト教的」なものとの同居が形成される。 ・へ2・・・それを日本人がヨーロッパ人レベルで理解するのは、大変困難な仕事でもあるが、それを、怖れることなく取り組んでいる若い女性の研究者もいるのだ。国や大学からどれだけのサポートを受けているのだろうか。恵まれた環境で研究をされているのだろうか。誰も初めから恵まれているわけではない。そこまでのプロセスは、困難であるだけ得られるものも大きいに違いない。簡単な目標ではなく、寧ろ難しく容易にできそうもない目標を目指す人が好きである。戴いたリーフレットが、相当時間をかけられたのが分かる。これから読むのが楽しみである。
2017.05.30
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よほどの鈍感かアマちゃんでない限り、自分の目の視ている世界は次元の違う世界ではない。ふつうのことが普通に視えている。それをどう解釈するかで意味も違う。社会の矛盾や疎外に付いて考えないとしたら、現実を知らないのと同じだろう。親たちが何をしているか、それこそ仔猫がそうするようにじっと眺めている事から人間の子どももスタートする。 ・頭ではわかっていても行動が伴わないで泣きだしてしまう赤ん坊だ。意外と子どもは知っている。大人たちがまさかということも知っている。それを表現できないだけだ。矛盾や疎外も大き過ぎると視えなくなる。空気や雰囲気は、澱んでしまう。自分は愛されていると勘違いして人生を出発してしまう愚か者は多いのだ。 ・へ2・・・家族を愛しなさいと教えられるが、本当はそんなことはどこにも書いていない。親たちがそう思うだけだろう。聖書にも隣人を愛せと書いているだけだが、神との誓約だろう。親子の情愛に石を投じるために神はいる。なぜこうなるかといえば、この社会システムを否定しないからだ。矛盾があっても、疎外だらけでも否定をしない。こういう社会で活きていくのは難しい。
2017.05.30
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長くなってきた人生を振り返ると、ひとはみなたった一度のミスで死んでしまうものだと。ミスというのには語弊もあるだろうが、それを避けることができなかったわけではないのではないだろうか。どうしようもないようなこともあるが、大抵の場合は回避できる可能性があるのではなかろうか。回避できない状況に追い込まれてしまうから逃げられなくなる。 ・大して多くの経験をしてわけではないが、未だ奇跡を視たことはない。戦争の経験もないし、宇宙を飛んだこともないが、この21世紀を11年はみてきた。解かるだけのものは解かる。それで充分というのではないが、すべてを学んだとしても、自分の最期は何時か解らないだろう。 ・へ2・・・何のためにくよくよ生きているのか解らないが、何時か何かの生涯一度のミスで死ぬに違いないとは思っている。莫迦なことを考えるが、それは莫迦だからだろう。自分のスケールで世の中を視ているに過ぎない。遣り過ぎれば元の木阿弥でもある。嵐の中に出ていく不幸もある。晴天の霹靂もあるだろう。何が面白いだろうか、それは自分が面白いと思うことでしかない。
2017.05.30
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段々年齢を取ってくると、目の前で起きてくることの裏まで見える。そしていつも、それが因果応報だと思う。自分の見たいものを追いかけてもいる。そしてそれが好きにも嫌いにもなる。自分を本当に知ってしているか、といえば殆ど知らないから、結果も思いがけないように思うのだ。日々好きなことを言っていると、軽薄な人間の心情が吐露される。 ・前の写真は、ヴュルツブルクのレジデンツの「階段の間」の写真のポスターだが、昨日EUIJ-九州センターの市民向けの講演会で、教室内に展示されていた。ドイツ人の女子大名物の先生が司会をされていたが、EUのそれぞれの国の紹介の写真があった。27か国のEU加盟の中で23の公用語があるという話だった。国連と違うEUの統合がある。講義は知らないことを教えてくれる。 ・へ2・・・EUのどこかへ行ったことのある人は、参加した20人の中でどれだけかと尋ねられたが殆どの人が手を挙げていた。流石に関心があるから参加したのだろう。EUは日本にはまだ遠い存在でしかないが、アメリカよりもこれからはEUだという思いが、日本のこころある知識人には多いのではないだろうか。現実は相当違いもする。留学生も少ない。これで中国に色んな意味で勝つはずはないと痛感した。
2017.05.30
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ドバイ博物館死にたがりの思想があるのだろうか。そうではあるまい。他人を巻き込んでも何とも思わないような風潮は虚偽だろうか。憎しみの連鎖がやがて社会を精神的に荒廃させていくだろう。刹那的な記事や演出がされ、ものを考えない人たちが増えているようだ。当たる筈もない宝くじを多くの人たちが当たることを信じてもいる。交通事故死と宝くじといわば同じような確率だというのに、自分だけは当たると信じているようなものだ。それは何十年だろうと、何百年だろうと当たる確率はゼロに近くても止めようとはしないし、それで儲かる商売を続けている銀行や政府がいる。夢を売るのではない、嘘を売っている。 ・子どもや少年たちは、理屈がわからなくても感じで何があっているかを感じている。親たちが幸福だと思っていないことだろう。この社会に嘘があることも感じているに違いない。彼らは自分の将来につよい不安を抱いていることだろう。教えられることに虚偽があると知っているが、それを拒否すれば痛い目にあうことを感じているのだ。ただ、大人になることを考えているが、大人になりたくないとも考えているのではないだろうか。感性がやがて消滅することを感じてもいるのだろう。 ・へ2・・・教育の落伍者がやがて犯罪者にもなることもある。社会を恨んでナイフを振り回すかも知れない。ボタンの掛け損ないが重大な問題を起こしかねない。世界中でリスクが高まっている。エゴイスト集団になってはいないだろうか。
2017.05.30
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狭い世界でしかないのだろうが、結構することはある。何もしないようでも生きることは何と複雑なのだろうか。一日の間でさえ、厖大な事実の集積でもある。単純なものなどありはしない。一つの果実でさえ、複雑なメカニズムで形成された成果でもあるのだろう。自分にどれだけの理解力があるだろうか。それこそ幼稚なのだろう。何も分かっているわけでもない。謂わば漠然としたものでしかない。 ・どちらかを向いて生きている。その反対は見えない。必ずしも自分が正しいことをしているのではない。今が正しくても次の瞬間には間違いにもなるし、その逆もあるのだろう。毎日歩いているが、それは今が間違っていなくても、やり過ぎれば間違いにもなるし、それが悪い結果の引き金になるかも知れない。常にリスクが付きまとってもいる。食べる物でさえ、リスクがある。空気だって、水だってそうだろう。生きていくのはそれ自体がストレスッサーの中である。そして、それがないと生きてもいけないだろう。 ・へ2・・・多くの選択の中から何かを選んでいる。それでなければならないだろうか。そうではあるまい。自分が別人になることだってできないわけではない。何故それをしないのだろうか。果実は、何であろうか。誰かの役に立つ人間も何かの果実たり得るのだろうか。
2017.05.30
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漢詩の配列法に<起承転結>があり、言い起こし,うけ,意を転じ,全体を結ぶという構成だとある。起承転結のある文章は、 a well organized passage.ともある。まとまりのあるものは、読んいても誰んでも納得いくというのだろう。即ち、物事の順序でもなる。伝統的な文書作法といわれる所以だろう。然し、美しいのかも知れないが、どこまで役に立つのだろうか、漢詩を真似て、何も目指すのだろうか。どこか田圃の風景を思い出した。 ・少し昨日は歩いた所為か、早く眠ってしまい。今頃目が覚めてしまった。そして<起承転結>という言葉が頭に浮かんでいた。型にはまった生き方が楽なのかも知れない。広辞苑によれば「第一の起句で詩思を提起し、第二の承句で起句を承け、第三の転句で詩意を一転し、第四の結句」文章は纏まるかも知れないが、それだけではないだろうか。それだけでいいのだろうか。序論・本論・結論で、収まる世の中でもなかったのではないだろうか。皇帝が「龍」ではなかったし、龍の乗っていた訳でもない。すべては虚構でしかなかったではないか。 ・へ2・・・田植えには役に立っても、それが纏まったとしても激動の世界について行くことはできなかったのではないだろうか。蜘蛛の巣でしかなかった。元々漢詩の絶句に用いられたスタイルでしかない。いつまでも、思い悩んでいることは足元の埃を払うようなことしかしていないのかも知れない。現実社会と自分の生体リズムのタイムラグに悩まされているだけだろうか。
2017.05.30
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欲がないわけではない有触れた凡人だからしたいことがないこともないが、慾深いと元も子もなくなることを知ってもいる。今は身体づくりだと思っている。そんな時にケチな色気を出したらそれこそ「二兎を追うもの一兎も得ず」になるだろう。スター選手に碌な選手がいないのと同じだろう。他人から期待されるようでは配慮が足りない。能ある鷹は爪を隠すのだろう。 ・或る本で、中国人が日本人を怖れたのは、個人ではなく、グループとして動く組織力だと訊いたことがある。それは、かっての旧日本兵のことを指しているらしい。一人の日本人は大した力もない非力な存在でしかないが、集団化して向かってくると手強くなるということか。少なくとも昔の中国人の感想である。それは、中国人と日本人の特徴を顕していると思って面白いと思った。中国人は劇場型が多く、お盆の砂のようだといった中国の有名人がいたのを読んだ後だったからだろう。 ・へ2・・・あれもこれもできたころと違うし、ひとにはある限定されたエリアがある。時期を間違えると、ミソもクソもなくなってしまう。人はその時期を図り損ねて沈んでしまう。ひとつは焦るからだろう。目の前のものが消えてしまうと思うからだ。ダニの執念を知っているだろうか。それに比べれば人間の短気は自業自得に見えてならない。旧日本兵が中国でやったことは間違いだろう。しかし組織だった日本人の力を違う方向に向けることは可能だろう。それを活かすことができればいいのだ。それは拠って立つ民族性でもあるからだ。活かし切れなければ淘汰されるしかない。あれもこれもと欲張り過ぎるのではないだろうか。できることを着実にやることをやるまでなのだろう。 中国人は、砂だと孫文が言ったと覚えている。組織になることが難しいのだろう。だから一枚岩になることが求められたに違いない。いざとなれば、日本人は、一つにまとまるに違いない。北朝鮮も侮れない。アメリカはベトナムにも勝てなかったのだ。
2017.05.30
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「失われた10年」の間、物価も下がっていた。そして、「百円ショップ」の価格破壊は、中国の存在なしには為し得なかった。中国は、日本人の収入減を緩和させた立役者でもあったのだ。そしてそれは、中国にとっても輸出製品の市場獲得という側面を持つと同時に、中国人労働者のコストカットに拍車をかけた。彼らの賃金はギリギリまで削減された。つまり、日本の消費者は無意識のうちに中国と深く関与していたのだ。 ・「からくり」が明らかになるのには時間がかかる。それは、事実を当事者が隠そうとすることが多いだろう。気が付いた時には、既成事実が作られてしまっている。ディスカウントセールに、慣れてしまっている庶民は、中国製品に囲まれてしまってもいるだろう。最早、好き嫌いで付き合う相手ではなくなっているのだ。現実問題として、取り組まねばならない<からくり>ができ上ってしまっている。そういう中で、何故、政治的友好関係が確立できないのだろうか。靖国問題があり、歴史問題があるのだろうか。経済的にはすでに、深い関係ができてしまっている。中国は、「失われた10年」の<鎮静剤>だ、という指摘もあるくらいだ。 ・へ2・・・ぼんやりとしていたら、これまでの私たちの常識とは違うことが進んでいるのではないだろうか。「明日から、中国を学んでください」がないとは言えない。まあ、ジョークだと思うだろうが、そうだろうか。
2017.05.30
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野辺山駅ある人種に属するからといって、その人が必ずしもその人種のステレオタイプ(固定観念など)化され た文化を受け入れているとは限らない。それは、文化は学習によって身に付く行動でもあるから で、人種はそうではない。生物学的・身体的な特徴は、甚だ不明確である。人種は寧ろ社会的な構 成概念で成立する存在であるというのが、最近の心理学や他の社会学者の意見だ。 遺伝子や環境によってひとの特質を取得するとすれば、社会的背景によって変化する。更に、人間は 自分たちがそれぞれの社会や文化の構成概念だと思い込んでいるため、各自が、異なる人種の定義 を持っている。人種とは、分類や名ばかりの存在ではなく、次元的な規模を伴った連続体であると 信じている文化もある。また、ブラジル人の多くは、人種とは遺伝するものではなく、経済的また は地理的な移動によって変化するものだと信じている。社会経済的な影響による人の移動は、肌の 色や髪の毛の質といった身体的な特質に変化を及ぼすものだと信じる国さえある。 機能的で心理的な現象が文化を形成し、その意味が人種に意義を与えるのであろう。それは、つね に変動しており、ステレオタイプは、いつでもリセットされる運命にある。その時がいつくるかは 判らないが、それを用心深く観ることだろう。
2017.05.30
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時々違和感あるなあ・・・と。まあそんなものでしょう。どうせあたしゃそんなも のですから。どうして、図書館に机がないの。あるのはテーブル・・・しかない。 何故パソコンできないの。飯も食わずに本を読めってか。何故原書がないの。 エリートだけしか読む必要ないってか。アホでも勉強したい時もあるよ。政治が 嘘をつくのは常識だ。学者も正しいことを教えるとは限らない。何で知るの。 たまには真剣に考えたくなるよ。でもその環境がない。野球やサッカーの観戦があ るってか。ドーパミンが、快楽を呉れるのは一時のことだし、カネもすぐなくなる よ。何が愉しくて生きているのと訊かれて絶句する。あーオレは駄目だ。人生間違 えた。もう遅いよ。手遅れだ。おしまいだァー・・・ね。 この社会は、不公平なのだ。だからこんな狭いスペースしかないのだろう。 一方通行しかないのだろうか。振り向いても誰もいないよ。
2017.05.30
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空気は澄んでいるし、緑と少しのスペースもあるのだから・・・。 これから行く先はいくつもある。ハワイでデンドロビウムを観たではないか。 Dendrobium の花色はピンク、赤、白等、まるで、可憐な少女のような 美しさだった。原産地は、オーストラリア、ニューギニア。 また会いたいね。できれば、ハワイで遭いたい花だ。ロケーションの良い ベランデで、好きな時間を過ごして美味いビールも飲んだのに、もう意気消沈して しまっては、申し訳ないよ。せめて、元気出して、空元気でも良いから、山野を歩 き回るさ。そのうち何かに出遭うだろう。それが何であろうと構わない。それが、 自分の人生だろうからね。喜怒哀楽なんて所詮脳のなせる反応だろう。 脳のホルモンが、快楽を生み出すのだ。マインドなんて操られた意識でしかない。 疲労する脳を抱えたひとたちが、まぼろしを追いかけるだけだ。 せめて、ヘイフリックの限界とテロメアの圧縮が来るまでは、元気を出そうよ。 これから、郷里の熊本まで家族とドライブします。福岡IC から 菊水IC それから、玉名の義母にハワイのお土産を届けて、国道208号経由で、 熊本市内の両親の墓参りをする。そういえば、途中に田原坂がある。公園になって いるよ。「雨は降る降る人馬は濡れる・・・」そういえば、やけになると何時も この歌を歌っていたなあ。
2017.05.30
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生きるとは、生甲斐のある生活を営むことだろう。少なくとも社会はそのために法 の整備をはじめその他あらゆる努力をしなければならない。ヒトは無抵抗な状態で 産まれて来るのだ。そのために親がいなければならない。家庭という環境はかけが えのないものだ。人格形成の過程で障害があると取り返しのつかないことにもな る。殊に幼児の場合は重大だ。それだけ社会が成熟していなければならない。とこ ろが、其れが一番遅れているところに現代の社会の悲劇があるのではないだろう か。身勝手な自由が「自由」ではないことは誰でも判るが、案外其れが自分では判 らないものだ。権利の濫用や公共の福祉、生存権の概念は、抽象的で判り難い。 法は元々抽象的な条文でできている。それを解釈するのは、結局は裁判官の裁量 でしかない。その時の社会的政治的状況で変わることにもなる。 ひとりひとりの人間に、最適の生甲斐を示せるような環境はできそうにない。だか ら余程努力しない限り生甲斐を得て生きることは難しいであろう。自分流は、自己 満足でしかない。宗教家の悟りはあるにしても其れは別の世界だ。 どこにでも哲人はいるだろう。其れは未だマイナーでしかない。私たちが求める ものは、多くの人が生甲斐を得て、自分らしく生きることのできる社会のことだ。 それができないのではない。それを成就させる、点を線にする能力がないだけだ。 私たちの脳細胞は、その可能性を秘めているのにむざむざ「腐った林檎」にしてい るのではないだろうか。智慧を出すことを懼れるな。 「無知と貧困」が万里の長城のように、前に聳えているだろう。
2017.05.30
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世の中に興味のないひとは話題が少ないだろう。ひとりで空でも海でも見ていた くなることは誰にでもある。それでも、生きることを止める訳にも行かないし、細 胞は限界まで生きようとするだろう。何せ会社を定年したし、入院したし、旅行も したし、近年になく忙しい。それでも日常は変わらない。否仕事をしていない。 それも、何時までも続かないだろうが。それでも、向上心だけはある。 庭で朝顔が蔓を出したので昨日竹を添えたら、もう今朝は、蔓が竹に絡まろうとし ている。生物は、なんとも見事なものだろうか。ペチュニアも花弁が重なるとすぐ 枯れる。化学反応は、生命を支配している。観察することは、話題に事欠かない。 脳細胞は再生しないと言われたが、実は再生もするらしい。そうであれば、どれだ け萎縮した脳も、可能性はあるだろう。グリア細胞にしてもその働きは、まだ充分 解析されている訳ではない。まだ私たちに話題を提供してくれるだろう。 ヒトは、科学に向かわねばならない。そこにしか未来はないだろう。ますますひと りで生きていけなくなる。これまで、狭い家族や学校や職場と言う空間でしか社会 との関わりを持たなかった人類は、新たな交流のスペースを持とうとしているかも 知れない。然し、未だ、本物ではない。仮想でしかない。 ひとも、努力をしなければ、萎んだ花弁になるだろう。せめて他人の邪魔をしない ぺチュ二アの勇気と潔さを持ちたいものだ。 話題を多く持ち、ブログを愉しみたいね。未だ点ですが線になる日が来るかも。 PS どうも考えが内向きに生きているのではないだろうか。対話も例えば、 アフリカとかモンゴルとかのひとびとと普段の話ができるようになれば良いだろ うね。言語の問題はあるけど、そのうち日本語も過去の遺物かも知れない。 脳も宇宙にしても、既成概念を捨てなければ始まらないと思うよ。 何か猫とか犬とかどうのというブログを観ていたら、ムカついてきた。
2017.05.30
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誰にも「知りたい情報がある。」が、正しい情報が得られるとは限らない。時には ハムレットの悲劇にもなる。これだけ情報が溢れているが、送り手も受取る側も選 択がまだ未熟だと思う。中にはフィシュングもある。どうも回り道をしながら行か ねば目標にはなかなかたどり着かない現実がある。年寄りが今更脳の勉強でもない が誰も答えてくれないから自分で遣るしかない。相応しい講座でもあればよいが、 えらく高いものにつくだろう。必要なものは常に用意されている程、便利な社会で はない。酷く無駄なことをしなければ、遣りたいことができないようになってい る。遣りたい勉強を遣る為に、まず遠回りをさせられる。そしてお前は無能だと思 い知らされて、やっとスタート台に立つことになる。もうヤル気を失くしている。 そんな青春だったようだ。足の速い奴しかレギュラーにはなれない。それが、IQ なのではないか。他人に認めて貰い為に無茶をして潰れる奴を厭というほど見て来 た。正しい情報をすぐ知ることのできるひとがどれだけいるだろうか。 有能といわれる人たちが意外と底の浅い人物であることを知るにつれ、先行きの 不安を感じてならない。彼らは、まだ突然変異ではない。唯の幻影でしかない。 彼らの持っている情報とは人脈のそれでしかなく、ビジョンではない。相変わらず 昔と同じ手法で、如何にも新規性を衒うだけだという気がする。カネで罷り通る だけでは少しも変わらない。政治家と同じだ。甘い見通ししかないだろう。 科学を知らなければこれからは何もできないのではないだろうか。喩え経済でも 政治でも。
2017.05.30
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どうせ人生は恥を掻く。自分のことを知らなければ始まらない。社会的ステータスを得るだけが目的で活きているのではない。輝きも何時か遠のいてしまう。華やかにスポットライトを浴びた人たちが、老醜を漂わせてしまう。冷酷な時間と世間の目が注がれてしまう。悪気ではなくとも、他人の裏を覗いてしまう。何でも容易にできたいたものが、できなくなる悲しみは為って見ないと解らないものだ。 ・会社で、先輩たちを見送って何も思っていなかったが、それが自分のことになって感じることは多い。そして、段々と人生も終盤になりつつある。こんなことも知らなかったのかと思うことばかりだ。もっと早く遣っていればできたのだろうが、もうあとの祭りばかり。終りに近くなって自己管理をしてもたいして役に立たないが、遣らないよりはましだろう。気付くのが遅かったのだ。脚力も強くはならないが、弱ってしまわないようにウオーキング一日2万歩が日課である。 ・へ2・・・せめてツアーを愉しめるだけの体力は準備して措きたい。いつ行けるだろうか。それも天に任せている。行ければいくチャンスもあるだろう。気力と体力となければどこへも行けない。からだが健やかでなければ何をしても愉快にはなれない。欲張らないで、失敗を恐れず日々を過ごしたい。気楽に生きていられる間は短い。すぐに一日は過ぎてしまう。さっき食べたばかりなのに、もうまた食べなければならなくなる。寒かったのにもう暑くなる。やっと世の中にもなれたのに、タイムリミットが来るだろう。御気の毒様だ。
2017.05.30
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遣れる時にしないと出来なくなることは多い。家族のことを考えて我慢して来たが、これからは自分の時間を出来るだけ持ちたいと思うようになったのは、色々考えることがあったからでもある。そういうチャンスがあったのはいまにして思えば有難いことでもある。もう10年くらい前のことだ。からだが動けなくなってしたいとどれだけ思ってもできないことばかりだ。ツアーももっと早く始めれば、世界観も、人生観も変わっていたことだろう。 ・何故できないと思うのだろうか。固定観念や先入観もある。多くは世間体から来る。柵という常識は自分の狭い準拠枠になってしまう。周囲と上手く遣ろうとして寧ろ自分自身が病気になったようなものだ。他人に負けまいとして、自分に敗けていた。できる限り自分を自由にして、考えることでもある。大学の公開講座をあちこち学生時代から受講して来たが、どうも違和感ばかりあった気がする。 ・へ2・・・大学と市民との間の壁は、お互いの偏見でもある。理論と実践は車の両輪であり、相手を軽蔑、敵視するのでは調和は成立しない。尊敬しても崇拝するのではない。学問は学者のものではなく、社会のものだ。市民が向上し学者もそのために社会的価値の高い成果を上げられる。日本には科学の底力が足りない。それは文化が低いからに外ならない。
2017.05.30
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自己複製子という宿命を背負って活きているのだから、環境に適応しようとする願望は常にある宿命でもある。どんな社会環境であろうと自分だけが飛び抜けて活きることができるわけではない。孤高の学者もいつも権力者の足元に引き戻されてしまうだろう。理想と現実は噛み合わないものだ。その狭間で苦しまねばならないのは真面目だからでもある。 ・何を金科玉条にしても其れは自己満足で終わる。先ず自分の手に届くことから始めねばならない。不可能を可能にすることはできないが、難しいことに取り組めば、一歩でも前進はできるだろう。大学でヒントを貰っているのだと思っている。それが何であれ、自分の足で歩かねばならない。学問に王道はない。プロもアマもない。必要であるのは熱意だろう。 ・へ2・・・底知れぬ世を渡るにはそれだけの覚悟が必要だ。人生を活きるにはそれだけの決意がなければならないのだ。決して止めない継続していくだけの勇気だろう。朝の太陽を浴びて、確り食べて、自分で決めた日課を果たす事でもある。日の出とともに起き、良い空気を吸うことでもある。良書に接することでもある。欲張らないことだ。小さな生命でしかないのだから。
2017.05.30
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<作品> 「虞美人草」 ・若い時に読む本である。・しんどい文章。漱石が40代だから書けたのではないか。・ミステリーの手法。・家紋を書いている。・「三つ鱗」。 シンボルとして書いている。しつこくかいている。なぞかけている。・継子いじめ。・「金色夜叉」の向こうを張っている。金とダイヤモンド。・「虞美人草」 花言葉は「乙女心」、慰めというのを漱石は知らなかっただろうと思われる。・・・藤尾 ・英語を教えている(小野さん) プルターク 英雄伝 アントニウス 84節。85節。・シェイクスピアの「アントニーとクレオパトラ」 2編を英語を藤尾に教えている。・「ハムレット」の中に,甲野の思想。 "To be or not to be, that is question."・紫の発想。・読売新聞「金色夜叉」への対抗心があった。ライバル意識がある。・「あうん」・・・「それから」・「多情多恨」・「草枕」・隠れた部分がこの作品にはある。・家紋の謎。みつ鱗。三つの家の物語。・漱石書簡・・・藤尾という女にそんな同情をもってはいけない。・・・。・勧善懲悪。漱石の意味の。・谷崎は「虞美人草」は邪道に陥っている。・「坑夫」をなぜ書いたか?「虞美人草」の「勧善懲悪」の反省として書いた。・ストレスのたまる小説。・21世紀で藤尾は復活している。漱石の予想外ではないか。・わがまま一杯育った子供のころの自分と、作中の「藤尾」が重なっている。何故これだけ叩かねばならないのか、屈折している作家の思いがある。 ・憐れ、気の毒、同情 ・同情 と我・人情・・・道徳の核。・「草枕」の人情と「虞美人草」の人情とは違う。漱石の考え方。・我の女としての藤尾。・漱石は、「藤尾」を死ぬことで救う。・どうして藤尾は死んだのか理由を書いていない。・小栗風葉「青春」・大森にいったら深い関係になった。一線を超えることを暗示。1626p・「坊ちゃん」では恋愛を否定している。・「虞美人草」でも、拠って多寡って藤尾を殺している周囲の人間たち。それが道徳的か。恩を着ることをかいている。親の決めた縁談を守る。・漱石が指示している読み方が求められている。小野さんはどうなるか。漱石の言った通りにはならない。・結婚観、世界観が違う。・大阪朝日、東京朝日。漱石は大阪朝日で書いている。義理を立てている。比叡山を書いているのも関西が舞台。・男と男。一対一。落語の二人旅がある。・禅問答。一対一の関係。漱石の小説のスタイル。・甲野と宗近。・作為的にふたり旅をさせたのは、藤尾の母の思惑があった。小野と藤尾の関係を深めさせるため。策略を認める。・甲野の疑い深い性格。策略を知っている。自分が出ていけば、母と子が堕落する。と思っている。どうでもよいことではない。義理の親子の関係。・漱石は、なぜ甲野を出て行かせないのかは、漱石の考えがある。・「同体同心」にならなければ理解できないという漱石の考えがある。個人主義ではできない。個人の壁を超えなければならない。不可能なこと。・禅に近い発想がある。・漱石は自分の我の強さを、自覚していた。・キーワード 憐れ、同情、気の毒、・「一夜」漱石の作品の中で一番難しい。誰も理解できない。・「同情」の対極に藤尾がいる。・宮さん「生きるか死ぬか」。「ハムレット」がある。そして「虞美人草」に通じている。・死を真近にすると真面目になる。・藤尾が死んでも変わらないのは何故か?・予想をしていた藤尾の死であった。そしてその死後だれも変わっていない。漱石の論理は破たんしている。「死は、ここでは何も変えていない」。・人の死の前では真面目にならなければならない。論理の破たん。・四迷「浮雲」。20年後「其面影」・・・人情が出てくる。・「虞美人草」をみて、「平凡」を書いた。・坪内逍遥「小説神髄」小説の神髄は人情なり、・・・。ここから人情が始まる。・漱石は、それを知らないで、書いている。先駆的に二葉亭四迷がいた。・漱石はこの作品で、人情を重んじる勧善懲悪をかいた。ホトトギスの読者と違う朝日の読者を意識したのではないか。・糸子・・・「ハムレット」。甲野「尼寺へ行け」。今様ハムレットが甲野である。
2017.05.30
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