全814件 (814件中 1-50件目)
![]()
文学にしろ、音楽にしろ、他の分野でもそうなのだろうが、人の想像力・創造力は、衰弱して来ているのではなかろうか。他人の真似をし過ぎている。自分では気付かなくても他人のイメージを、自分のもののように使っているのではなかろうか。外国映画のイメージには同じ種がある気がする。刺激的なものも段々と馴れてもしまう。人の圧倒的な想像力・創造力が減退しているようだ。 ・近世のロシア文学のような、或いはクラッシック音楽にしても、あれだけのスケールで個性を描きえている芸術家が、現代にいるのだろうか。屋久島の現地ガイドが、ここに住んでいると、自然の驚異を感じない訳には行かないということばを訊いて、「ああ、なるほどなあ」と感じた。人は毎日接することで、それに反応するのだと。 ・へ2・・・今日の私たちのゴミゴミした環境では、発想も貧弱に為るに違いない。いつもこせこせした人間たちと暮らしている。人は人と接することで影響しあいもする。そんな中で出てくる発想と言えば、段々貧弱に為っていくに違いないのだ。カネ、カネの世界だからでもある。絞り出しているものはどんな天才もいつか枯渇するのだろう。ハリポタの後半も最初の新鮮さはなかった気がする。
2017.02.28
コメント(0)

カワセミ「文明の歴史は、犠牲の内面化の歴史である。換言すればあきらめの歴史である」だろうか。 凝固した現実を批判的に解体しようとして、それを乗り越えることができるだろうか。ポスト構造主義にしても、エコロジーにしてもそれを追求しようとしている。 ドイツに於ける思想は、私たちに問い続けている。カント・ヘーゲル・マルクス・ニーチェ・ハイデッガー・ホルクハイマー・ガダマー・アドルフ・ハーバーマス。現実への妥協を拒む精神こそ、哲学の本旨であろう。即ち内面文化を放棄したら、そこに現れる人間の姿とは、赤裸々な暴力と野蛮でしかないことは明らかであり、たちまち苦渋に苛まれてしまうだろう。 私たち人間は、すでに到達した者たちではない。思想家たちの破片を集めて凝固した現実と闘い それを乗り越えて、新しいライフスタイルを追求して行くのだ。
2017.02.28
コメント(0)

人生のガイドマップはない。どんな人生もあることを、見聞し、本を読み、自分の体験を通して学んできたのだろう。それでも自分の知りえたものは狭い世界のことでしかなく、何を知り、何を考えただろうか。見て、聞いただけでは見聞知識でしかなく、さらに広い世界を読書しても足りない。それは、自分が考える世界でしかないからだ。最高の教育を受けただろうか。最先端と言われるものが、何かも知らないでいる。 ・専門家ほど、自分で知りえた知識を公表しようとはしない。自分のものだけにして死んでしまう者たちも大勢いる。社会に還元できない貴重な知識が消えてもいる。エゴイストでなければならない理由はないが、それしかできない人もいるに違いない。この社会は社会的ステータスのある人たちの世界でもある。だから疎外もある。見聞知識だとしても、本など読まなくてもこの社会の真実をを理解することはできる。書いて残したからと言ってどれだけ読まれるかわかない。 ・へ2・・・ ・アメリカの教育プログラムの食事計画というガイドブックを読んだことがあるが、随分参考になった。セルフケアして生きることのプログラムが書かれている。10年以上前に教育入院したとき、横浜の書店で手に入れたものだ。旭屋書店のハードカバーが付いている。それを読み直している。鳥渡本気が出てきた。
2017.02.28
コメント(0)
![]()
カワセミは、名ハンターのようです。自分のことや、自分の国の文化も碌に解らないのに、他国の文化を理解することができるのだろうか。自分ことさえ理解してもらうのに同じ日本人でも難儀している。簡単に文化を語ることは容易ではない。春だって、桜だって、多様な表現があり、その時々で違うし、また日本人でも人によっても全く違うものになる。言語の違いは、日常会話とは訳が違うだろう。それは文化の違いでもあるからだ。文化の違いだけを理解するだけで異文化コミュニケーションではない。それをすすめていったら、寧ろ自分も相手も、お互いに文化の壁を作ってしまうことになるのではないだろうか ・言語はまさに、他国と自国を隔てるために発達したものであり、他国の言語を排するために創り上げられたものでもあったのだろう。言語集団がひとつの集落を造り上げ、そしてフレームワークを形成していったのだろう。日本人でさえ、多様性がある。色んな人間がいる。それは生き残るために必要だからだろう。それこそ日本の文化に一つの帽子が被せられれば、とうの昔に滅亡していただろう。それは、外からも内からも時代の流れに適応することができなかったに違いない。異文化とは、何なのだろうか。そんなに簡単に、文化が同じと言えるのだろうか。外国語で自国の文化をどこまで説明できるのだろうか。外国語を学ぶには、相手の文化を理解するだけでは足りないのであり、自国の文化を相手に理解させねば、国際人とは言えないのだろう。それが、できているだろうか。そして、自国の文化をそんなに簡単に説明できるとも思えない。 ・へ2・・・また大学でいくつかの「異文化コミュニケーション」の講座がある。数年間海外で学んだ人たちが、持論を展開されるのを聴かされることになる。それでも最近は外国人講師も増えたし、しかも日本語が上手くなっている人が多くなってきている。少なくとも日本人と同じくらいの日本語の歴史や文化を知りながら、日本人と議論できなければ学んだことにはならない、と彼らは考えているのではないだろうか。日本人が、そういう考えでどれだけ外国で学んでいるのだろうか。数年間でできることとは思えないが。 然し、否応なく異文化交流は加速していくのだろう。民族間の自然淘汰もある。 夜のウオーキングをしていると自転車に乗って出逢う人たちがアジア系の若者たちが目立って多くなった。 どうやら福岡も都会並になってきたようだ。
2017.02.28
コメント(0)
![]()
カワセミそれほどの野鳥が好きというのではないが、ここ数年間冬季は、野鳥が気になっている。干潟が汚れている。もうそれほど長く見ることが出来なくなるのではないだろうか。そんな感傷もある。いつか二度と会えなくなる。そういうこともある。悲観的な感想かも知れないが、何かのアクシデントだってある。もし博多湾に巨大津波が襲ってきたら、どうなるだろうと思うだけでぞっとする。また想定外というだろう。それで済む人たちはイイだろうが、それで大勢の犠牲者も出る。原発はどうだろうか。テロやミサイルだってある。パイロットが航空機を意図的に落とそうとした場合は誰にも止められないのではないだろうか、そういうことだってある。 ・力のバランスばかり考えている。ブレーキのない運転をしようとしてはいないだろうか。危険な方へ行こうとする。これだけ自然はまじめにやっているのに。これだけ安全を考えた航空機のシステムなのに、どこか盲点もある。それを知っている人たちがいる。原発だって本当は危険なのだ。針の一撃でメルトダウンにもなる。訳も分からない人たちが利益のためにすることは人類の滅亡にもなる。 ・へ2・・・どんな人間も人生を楽しむ権利がある。いつまでもいのちがあるのではないし、世界の情勢も予断が許せなくなっている。日本政府はカネをばらまいているが、どうなのだろうか。見通しのない下手な政治家たちが子供たちの未来を閉ざしてほしくない。プライドのない民族は滅んでいくのではないだろうか。それこそ慎ましく生きていくしかないが、脳細胞だけは宇宙に繋がっていたいものだ。
2017.02.28
コメント(0)

他人の批評ばかりしていると、自分が見えなくなる。生命は自分が何をしなければならないか、最低限のことをしっている。種としてのヒトの仕事は複雑だ。オタマジャクシもカエルになった時、カエルの生き方を躊躇はしないだろう。 ・生命にはわずかなチャンスしかなく、一度のチャンスを逃したら命を喪うのがふつうでもある。この膨大な宇宙の中で、一つの生命は儚い。チャンスは訪れない夢かもしれない。それでもミッションを待っている。死ぬまで待ち続けるに違いない。それが彼の運命だからだ。自分の番が回ってこないのが宿命でもある。 ・へ2・・・宇宙の論理と私たちの知識が繋がらないのは当り前だ。宇宙は余りにも膨大だからでもある。個人の能力など取るに足りない知識でしかない。 然し自己卑下ばかりしていられない。これは私たち一人一人の世界でもあるからだ。
2017.02.28
コメント(0)

朝と夜と、昼間の寒暖の差があるようですね。これから夜半に向って少し寒くなりそうです。家族がいると外に出るタイミングが狂ってしまう。それでも日の出と日の入りの位置が随分変化してきた。立花山周辺の緑も少し変化していくのだろうと思います。山の色を見ながら歩くのもまた愉しみの一つです。 ・モーツァルトの「二台のピアノのためのソナタ」を今度図書館で探してみようと思います。モーツァルトのピアノ曲が、脳を活性化するかも知れないというのは面白ですね。 ・へ2・・・恐らく、私のウオーキングも自分で思っている以上の波及効果をもたらしているのではないだろうか、と思います。心理的な効果が大きいのではないだろうか。音楽もそういう意味では、ひとのこころを和ませてくれるのだから、まだ知られていないことが沢山あるのではないだろうか。モーツァルトの曲を聴きがらブログを書いていますが、邪魔にならないし、却ってモードがハイになる気がする。 ギアを前進か後退かの入れ方次第で変わってくるに違いない。目には見えないがそれはあると思う。 日本とアメリカの関係は、それこそ戦後から今日までの歴史の所産でもある。占領され侮辱されてきたことも事実だ。原爆投下されて文句も言えなかった。それがまともだとは言えない。必ずしも明るい未来が戦後生まれの私たちの前にあったのではなかった。アメリカ大統領選挙の狂騒曲を見ると開いた口が塞がらない。理想的な国家として描かれてきた大国は、実は愚か者たちのそれでしかなかったのではないだろうかという疑問だ。理性のコントロールがあるのだろうか。
2017.02.28
コメント(0)
![]()
これからの、人間の魅力とはその「新鮮さ」にあるのではないか。どこにあるのだろうか。これをみな探している。追い求めている。渇望してもいる。どこにあるのだろうか。恐らく、身近になる。それに気付いていない。誰かがそれに気付く時が来るのだろう。既成概念で、権力や権威では証明されるものでもない。コペルニクス的転回になる。それは、清潔さに似ているのだろうか、或いはその逆だろうか。 ・太宰は無頼の作家だったが、その中に「清潔さ」を見た勘の鋭い女性のようなひともいたのだろうし、梶井の中にも心の奥に「すこやかさ」をみたのではないだろうか。ひとは一般の評価とは違う「新鮮さ」や「新しさ」を求めているのではないだろうか。それは、閉塞した時代にこそ高まるのではないだろうか。すべては、汚れてしまった世界観や価値観の上に成り立つ社会である。汚染されたものが充満している。環境は破局へ向かいつつあるのではないだろうかという、絶望が感じられもする。 ・へ2・・・危機を感じ絶望したグループが暴走する鼠がいるという。闇雲に走り出してしまうのだろう。それに付いて行こうとする鼠たちがいて皆死んでしまうのだ。怖ろしいことだが、人間も同じ動物であることを忘れてはならない。理屈ではない行動をしてしまう人たちがいる。逆上した動物が何をするかは分からない。そのために絶えた種もあるかも知れない。「新鮮さ」の匂いのする者たちが、私たちの中にいるだろうか。それを見分ける力があるだろうか。少なくともそれは二つの目では見えないのだろう。眼の奥にあるもので見なければならないのではないか。3月4日から、熊本~人吉間で「かわせみ・やませみ」のD&S列車がスタートする。話題の列車に乗りませんかというJRの冊子を娘が見つけて持ってきてくれた。ローカル線が人気なようだが、清流で有名な球磨川の川岸を走るのだから、野鳥の宝庫でもある。数回しかこのローカル線には乗ったことはないが、一度は乗ってみたい気持ちがする。
2017.02.28
コメント(0)

ないものはないのであり、在るもの、残されたものを大切に遣うしかない。あるものしかない。自分のからだも、時が経過して、老化もしている。1メートル先にみえるひとも1億分の1秒で、過去の姿を視ているという。時は一瞬も止まってはいない。既に過去に為りつつあるのであり、現在は、未来と過去のほんの・・・の間でしかない。それも止まらない現在だ。 ・なにを成し遂げることなく、過ぎて行く存在でしかない。それが「空」でもある。だからこそひとは、自分の存在を認めようと必死になるのでもある。未だ命はある。朝のさわやかさを感じることができる。生命力も、生きることのパワーも感じる。これ以上のものがあるだろうか?私は欲が深すぎる。自分の欲望のために一生を台無しにもするだろう。 ・へ2・・・大切に遣うべき命だ。目の見えない少女が、生きていて好かったとテレビでスピーチしていた。そう感じることができる人は幸せでもある。才能も健康もあるのに心を閉じてしまっている若者もいる。大事なことを忘れている。あり過ぎると見失いがちな幸福もあるのだ。太陽も、銀河も、やがて終わる時が来る。自分の寿命を活かしきったものが、この一瞬の輝きを知る。
2017.02.28
コメント(0)

かって、「すべての道はローマに繋がっている」と言われた。何故だろうか?謎は在る。疑いのないものはなく、その真実を掴むのは容易ではない筈だ。より多くの情報を収集するものが強い。一番早く知れば一番早く行動することができる。アメリカが大国になったのは一番情報の集まる国家だからだし、現在、中国人のいない国家はないだろう。 ・いまや情報があふれる時代に為り、情報を得てもそれを処理できなければ意味が無い。バンコクの洪水も、どうしたら最小限に被害を防げるか知恵のない政府では仕方が無い。日本も原発や巨大津波や、大地震が起きることが解かっていても、むざむざ大勢の犠牲者を出している。日韓トンネルという発想も、一部の人たちのものでしかないようだが、或いは実現するかもしれない。 ・へ2・・・未来に熱意をもつ人たちの未来はモノになるのだろう。アジアが一つの共同体になることがあるだろうか。必要は発明の母でもある。日本政府は自滅への先導者たちだろうか。顛倒夢想する人たちが、この社会を混乱に導いてもいる。弱肉強食ではやがて末路は悲惨だろう。新シルクロードを平和のグリーンにできるだろうか、それが問題だ。
2017.02.28
コメント(0)

幸福とは何だろうか。身体的快楽、否定的な感情の不在、意味が幸福の三要素とある。なんとも無味乾燥だが、心身に諸々の苦痛がなく、当面安楽で悩むこともない平穏の毎日であり、生きがいのある生き方ができていれば、一応幸福だというべきだろう。内外の災難はどこから来るかわからないが、あまりに多い不幸や不運のために、災難をまぬかれようと願っているのが私たちの本音でもある。 ・社会的ステータスがあり、どんなに恵まれた環境にいようとたとえ天才でも、そして誰でも病気になるし、重大な病気の感染もする。安全地帯はどこにもない。来るときは来るのでしかない。日本にいても喜怒哀楽があるが、地球の裏側でも同じように喜怒哀楽はあるだろう。お尻が痛い思いをしてきたが、感じるところはある。リマやクスコではそれこそ豪華ホテルではないホテルだったが、庶民の暮らしや食べ物を知るには勉強になったのだろう。 ・へ2・・・堀辰雄は病人だったが、心の病人ではない。貴族たちと庶民の暮らしは違うが、心の病人となると身分ではわからない。心が健やかだということは傍目では見えない。それこそ老醜のする老人と少年のこころが繋がっていたりする。「老人と海」のそれだ。
2017.02.28
コメント(0)

都会にいるときは、田舎は嫌だと思っていたが、それはどうやら本当の自分の気持ちではない。そう思うように社会から仕組まれてもいる。自分たちのほうがましなのだと。この社会を肯定するためにテレビや新聞や、映画などのマスメディアもその装置でしかない。社会の大きな仕組みをうちから見通すことは容易ではない。自己否定はできても、社会を否定することは難しいのが普通だ。 ・この社会で風通しを良くするために、人々は腐心している。芸術はそのために闘っても来た。然し、それは権力者への妥協の末の作品ばかりだろう。もともと商業施設にかかることはないに違いない。美しい物語は、既成の常識や概念を超えてはならないのだ。どこかせつない。同じ鋳型の中身の餡子が違うだけでしかない。 ・へ2・・・いつの時も何かが足りないし、足りないものが恋しいと思うらしい。いくら満足しても欲望は消えないからだ。不安も生きている限り解消されない。一時の解脱や信仰もあるが、恋の初期段階で得られる多幸感のドーパミンとフェルエチルアミノ酸のように長くは続かない。心頭滅却も実際は違うだろう。腐心してもしなくても結果は大した違いではないが、サイコパスでは、右脳の扁桃体に機能異常が見れるようだ。良心の呵責も、懲罰を怖れる気持ちもない。脳の損傷か、母親との結びつきの問題か説が分かれている。
2017.02.28
コメント(0)

イスラム教では、宗教的行為に信仰告白と、礼拝、断食、喜捨、巡礼の五行がある。よく知 られているのはモスクの礼拝と、ラマダンの断食、メッカ巡礼だろう。信仰告白は「アッラー のほかに神なし。マホメットはアッラーの使徒なり」と唱え、一日五度の礼拝の時にこれを唱 えることだ。この信仰告白は二人以上の証人の前で唱え、認められたならばイスラム教徒とさ れる。儀式などはない。この簡便さがイスラム教の拡大の要因でもある。 ・「喜捨」とは宗教税の一種であり財産の2.5%ほどを支払うとされる。通常匿名で徴収 された金銭は貧困者、病人に与えられる。しかしこれは慈善ではない。宗教的行為の一つであ る。アッラーの定めた掟でもあるのだ。だから外国人から金銭や物をもらうのも、その外国人 に喜捨をさせることだと解釈される。すなわち相手に善行を積ませることだから、金銭や物を もらっても感謝する必要はないとし、むしろかえって相手から感謝されるべき宗教的行為なの だ。どうも「砂漠の民」の思考は先ほど書いた強盗といい、相当わたしたちの常識を超えてい るようにみえるが、はたしてどちらが正しいと言えるのだろうか。私たちの学んだものの多く は欧米思想の道徳観であるだろう。 ・日本仏教は、本当の仏教ではなく、亜流としての日本的仏教に過ぎない。はたして仏教そ れ自体が世界宗教と言えるだろうか。どうもよくわからない。はたしてムハンマドの無学文盲 だったということは彼の存在の障害ではなかったのだ。 ・へ2・・・すべての日本的評価は見直すべきではないか。そこにあるのは誤った観 念でしかないのではないか。すべては曖昧模糊だ。
2017.02.28
コメント(0)
![]()
一つ厄介なことがあれば、忽ち暮らしも暗転してしまう。 ・資産家の娘の従妹が数年前50歳のころ肺癌で死んだが、それこそ親に逆らって大恋愛して結婚し、子供もできてやっと親たちと和解して、両親も老後を娘の家族の近くで暮らしたいと、わざわざ従妹の隣地に土地を買って家も新築して住み始めた矢先だった。従妹が亡くなり、そしてあっという間もなく彼女の両親も亡くなってしまった。その従妹は終末医療を受けながら、孫の顔が見たいと言い続けて、ついに頑張り通してその願いを叶えて死んだ。 ・へ2・・・そのひとを結婚する前に妻に紹介されたことがあるが、それこそ誰からも愛されるような素直で美しい少女だった。その後奇しくも福岡で自宅の近所に家を建てたので、時々会うことがあったが、まさかこんなことになるとは思わなかった。恵まれた環境に育ち、だれからも好かれるような人でも運命は容赦がない。
2017.02.28
コメント(0)
![]()
カワセミそれは劇的に変化もする。そして破局もあるに違いない。いつまでも続く命でもなく、安穏と暮らしているものには明日はないのだろう。ふと目が覚めて起きてきた。妻子は何の影響かは知らないが、三人とも風邪や咳をしている。私だけが元気なのは、毎日ウオーキングをしているし、ストレスの少ない暮らしをしているからだろう。天下無敵の素浪人? ・上司が突然会社を辞めた時、辞めた人は誰にも遠慮がいらない天下無敵のひとだから、いまさら何を会社が言っても聞くはずはないよと言った人がいたが、後でなるほどと思った。社会的地位を金科玉条のごとく考えるのは小さい世界の話でしかない。世の中は広いのだ。社会が違えば、身に纏うものは、飾りでしかない。それが本当の世界を知ればわかるだろう。 ・へ2・・・宗教を知らない人間たちは根なし草でもある。哲学というべきかも知れない。福岡市は雨はまだやんでいない。まあ、どんなことが起きてもそれは、起きるべくして起きることではある。
2017.02.28
コメント(0)

近所のゴルフ場の調整池にカワセミが来るので時々観察に出かけているが、運よくカワセミが飛来した。ツアーにPCを持参しなかったので、ネットが使えないというだけで暮らしが大きく違うことを痛感した。ぶら下がりの暮らしなのだということを感じた。学生の頃PCをもっている友人の弟が、当時の金で100万円くらいかかったと聞いて首をすくめた。ワープロが欲しくてしかたなかった。欲しい時が一番だったのだろう。 ・海外に留学した人たちが、どれだけの仕事をしてその恩恵を報いただろうか。漱石や鴎外は、確かに役割を果たしただろうし、そのほかにも大勢の人たちが日本のために成し遂げたことは多いだろうが、必ずしも全てではない。それは一概に言えるものではないが、期待された人ほど、挫折してしまうところがある。条件が良すぎてもことは成し遂げられるとは限らない。 ・へ2・・・少年のころの夢を叶えた人は少ないのではなかろうか。この世と和解できたひとはいいができない人がいるに違いない。あるいは今まではできたとしても、将来もできるとは限らないのだ。個人の人権を無視した社会では普遍的な正義も自由もない。 ペルーツアーをしてきて、今更だがどんな社会なのだろうかと、ネットなどで見直しているが、ちょっと見てきただけでわかるところではない。違いすぎる文化でもある。インカ文明を現代のペルーは観光事業として活かそうとしている。間違いではないが、植民地支配の果てに現代もある。いまだに差別は続いている。他国と違いペルーではアメリカに追随して、日本語の勉強もさせなかったので、8万人といわれる日系文化には日本語は忘れられた言語でもあるという。取り戻しているのだろうが、あまりにも悲惨だ。頭の芯が疲れた気がした。添乗員の話では、チキン料理を出してもらう予定が、鶏肉が手に入らないのでステーキにするということだった。交渉しても駄目だったらしい。おそらく入荷できない事情があるのだろう。これも少し驚いた。
2017.02.28
コメント(0)

カワセミ自分の主張を通そうとする。悪い癖がある。私だけではないようだ。他人にはそれが不遜に見えてしまう。出た杭は叩かれる。大抵余計なことを言うからだろう。どうしても言わなければならないことは外にもたくさんあるのに。ついポロリと。どこかにあるから、出てしまう。全体を見てくれと言ってもそれは無理なことでしかない。誰も他人にそれほど関心がない。分かるはずもない。同じ過ちを繰り返してしまう。そしてそのうちアウトにもなる。 ・それほどトリックやマジックが通用するはずもない。いつか見破られる。懲りないといけないのだろう。まだやれると思いたいが、いい加減にしろというヒトも出てくる。信長もそれで殺された。おそらく、懲りないでいると周囲に潰される。
2017.02.28
コメント(0)

何のために長生きがしたいのだろうか。種としての「ヒト」に生きねばならない目的があるわけではない。人は自分でただ自分の一生を拘束しているのかも知れない。自分の世界観に拠っているだけかも知れない。たとえ、人並み以上の努力をしたからとして、明日が担保されるわけでもない。アクシデントがあればそれまでもある。美味い物をたらふく食べてさっさと、この世におさらばした方が好かったと思う人もいても可笑しくはない。だが、それではすまない。 ・してみると、無駄な努力をしているのだろうか。何かを信じなければ生きていけないだろうか。生物は、生きるのに必死である。人間だけが自分で絶望して死ぬ動物だといわれる。何故死ななければならないのか。死にたくて死ぬのではない。遣り過ぎれば処断される。然しそれは普通のケースではない。どれだけ健康に留意しても、ひとは生きる条件を失えば死なねばならない。それがいつなのか、知ることさえできずにいる。 ・へ2・・・何ものかであろうとしても、それは個人的な恣意的な解釈でしかない。寧ろ世に出られるものは少ない。多くの人は凡庸に一生を終わるだけである。理想は、単なる指標に過ぎない。どれだけ高い文化レベルを暮らしの中で維持できたからといって自分の心が冷えていては不幸でしかない。
2017.02.28
コメント(0)
![]()
それこそつまらなく生きてきた。不満たらたら。自分を見つめようとはせず、他人のことばかり気ににしても来た。それではお前はどうなのだ? 誇れるものは何もない。無難に生きようと姑息ではなかっただろうか。孤立するのが怖くて、思っていることの半分も言ってはいない。本音を言わない人間だっただろう。臆病でしかない。 ・後でなら何とでもいえる。そうしてできた糊塗した日本史がある。世界史だって同じだろう。一つの視点がすべてではない。一つの家族でさえ、いろんな視点もある。楽しかったも辛かった、それは一つの側面でしかない。玉名で過ごした暮らしが、私には父母もいたし、気楽で楽しい思い出が多いのだ。妻の実家があり、福岡市に転居してからも、毎年のように出掛けている。
2017.02.28
コメント(0)
![]()
クスコ明治半ばの作家の状況を「表現苦時代」と呼び、「欧土のノベルを凌駕せしめん」と坪内逍遥は書いたが、女性にとっては、その創作以上に社会的な軋轢と闘わねばならなかった。平田由美「女性表現の明治史」の副題は、一葉以前とある。その中で、「某老博士の女子教育論」を掲載している 「文学は人の思想を高尚優美ならしめ其の品格を卓越ならしむるの効能ありと雖も、思想を高尚にし心情を優美ならしむるのみを以て女子教育の目的と見做すは大いなる誤謬なり。女子の本分は善良なる家庭の王となり聡明なる子女の母となるにあり、・・・要するに女子をして文学を学ばしめたる結果は、生意気となり・・・家政嫌ひとなり、甚だしき良人嫌ひとなり結婚嫌ひとなり終には痩意地を張て独立の世渡りを為すが如きことあるに至るべきなり。(読売「婦人と文学」1891・6・9) これが、当時の女性小説家に対する批判者の一般的な認識である。女性が書く小説というも のが、このような状況の中で樋口一葉が小説を書いたということであろう。勿論、社会的環境 は、改善されたことは言うまでも無いが、まだ、少なくとも meme としては、無意識の底に はあるだろう。その亡霊がじめじめした夏の夜には、時として出てくる気がする。ショックな のはこの本を照会してくれたのが、日本人と結婚している台湾の女性だということだろう。 日本の女性よりも高い見識で、文学書や評論を解釈する「外からの眼」をもつ人たちがいるこ とだ。
2017.02.28
コメント(0)
![]()
クスコまじめな人間が損をする社会ではないか、という疑問を持っている。そうあって欲しくはないが、裏切られてきたのは事実だろう。ことの大小はあるとしても、真面目な人が現実社会の中で苦しんでいるのを視ている。今回の大学入試のインターネットに投稿された問題は根が深い問題でもある。これまでも不正な手段で合格した人間がいるのではなかろうか。解らないだけではないだろうか。中国の「科挙」の時代から、入試制度は学生たちを苦しめている。それもそれが合理的なものだろうか。 ・まじめな人間が、努力しても報われるとは限らないかもしれない。公平、公正というのは理想であって、現実ではないのではないか。疑問はある。権力者の子どもだからと後継者にもなる。不公平な社会があり、現在の入試が果たして公正で、間違いのない制度といえるだろうか。それはまたも建前のことでしかないだろうか。できる筈がないと思われることが起きている。人がかかわることで不正が無いとは言えない。 へ2・・・大相撲の八百長にしても、昔からあったのではないか。公に為らないだけでないか。これほど科学の力が高度になっているのに、未だに入試がペーパーテストだけで合否を決めているのは、可笑しな話だ。大学に入学したからといって、それが何だろうか。こうして当然のように誤解が氾濫し、人間の価値を疑わせるようなことが世の中には多過ぎる。
2017.02.28
コメント(0)
![]()
クスコの祭りアインシュタインのことば ・名声を得るにつれて、ますます愚かになりました。まあ、ごくありふれた現象ですが。 ・安楽と幸せそのものを目的としたことは一度もない。そのような倫理上の 原則を私は豚小屋の理想と呼ぶ。 ・「われわれ」という言葉に不安を感じる。だれも他の奴とはいったいじゃないからだ。あらゆる合意の背後にはつねにある、ひとつの深淵が、目に付かない深淵が。 ・その時(死ぬ時)がきたら、医療の助けは最小限にして墓に入ろう。そして、それまでは私のよこしまな心のおもむくままに、しっかり罪を重ねようとかたく決心しています。 ・おもに個人的な願望の実現に向けられた人生は、つねにおそかれ早かれにがにがしい失望に終わります。 ・自然が秘密を隠すのは、自然が気高いからで、ペテン師だからではない。 ・科学全体は練り上げられた思考にほかならない。 ・科学者にとって報いとは、アンリ・ポアンカレが言う理解する喜びであって、ある発見が応用につながるかもしれないという可能性ではない。 ・(精神分析について)分析されるくらいなら、大いに喜んで闇の中にとどまりたいね。 ・真理とは何かを言うのはむずかしいが、誤りを認識するのは、ときとして たいへんやさしい。 ・世界の永遠の神秘は、その理解可能性である。・・・世界が理解可能だろうという事実は、ひとつの奇跡だ。 (アリス・カラプリス編「アインシュタインは語る」 アインシュタインの物理学上の偉大さを何一つ理解できないとしても、彼の 偉大さと人間的魅力は、誰にでも理解できるのは、何故だろうか。 人間として、生きる勇気があれば、ひとは人間の偉大さを知ることができる。
2017.02.28
コメント(0)
![]()
クスコ春には、嫌でも色々ある。居心地のいい場所から、寒い泥濘が待つ場所へ出ていかなければならない人もいる。期待と不安と、そして苦しみが待つだろう処へ。そうして一年は過ぎていくのだ。やがて春が過ぎ、暑い夏が来るころには過去のことを忘れてしまう。誰も振り向こうとはしなかったし、自分もそうしただけだ。気づいたら秋になり、瞬く間に冬になってしまう。心の落葉がふりつもりつづけて、そのなかに埋もれていた。二月は一年で一番寒かったシーズンでしかない。 もうガサゴソと動き出したものたちがいる。おれのからだとあたまはまだあるだろうか。そんな心配を始めている。
2017.02.28
コメント(0)
![]()
クスコPCに入れていたものが、それがすべて僅かなミスのため 一瞬で消えた。分かってはいたが、なってみるとショックだし、これが最初でもないから余計辛い。諦めるしかない。また出直してできるところからする。 ・懲りないことばかりしている。ことを為す事のむずかしさだ。どうでもいいことしかできないでいる。自分にはどんなに価値があっても他人には無価値もある。誰からも毎日2万歩をやれといわれたわけではないがつづけている。一日3時間ウオーキングをしてきたが、辞めた方がいいとは思わないし、それだけの効果もないとはいえないと思う。 ・へ2・・・どれだけ長生きできたとしても、どんな意味があるだろうか。それは私の問題でしかない。健康寿命でいたいがそうできるという保証はない。文学講座がなくなり、少し手持無沙汰でいる。 チーズは消えてしまった。ねずみになって探さねばならないが・・・。
2017.02.28
コメント(0)
![]()
クスコ強い意志を持つものがやがて自分たちの世界を実現できるだろう。生き残ってくるために犠牲にしたものはいくらもある。屈辱に耐え、あらゆる苦難もあるができることは必ずある。必ずしも優秀だからではないが、太陽が日の出と日没を繰り返し、心臓が脈を打つ限り私たちは営みを止めることはない。生活し正しいと信じることをするだろう。 ・暴力が繰り返され、理不尽なことも多い世の中である。狼たちが物陰から獲物を探している。背広を着たハイエナたちが、善良な心を蔑ろにして栄華を我が物にしているのだ。腐敗した精神はやがて葬られる時が来る。剣は正しくあるべきであり、法はそのためになければならない。 ・へ2・・・、到頭ウオーキングもろくにできなかった。しゃっくりばかりしていた。このまま止まらないと死んでしまうのではないかと妻子から言われた。まだ死ねない。私は不死鳥のように生まれ変わるだろう。何度でもリセットして明日を迎えたい。現在世界中で起きていることは、相当に悍ましい。然し日本国内で起きていることもどうだろうか。安倍首相の周辺でも異変が起きているようだ。権力者に擦り寄って来る者たちがいる。砂糖に群がる蟻のような連中なのだろう。権力は腐敗する。またカネのバラマキが始まった。未来にツケを回すつもりらしい。それこそナチス教育を始める人たちが出てきたのだろうか。歴史に学ばないものは同じ綾松を繰り返すだろう。
2017.02.28
コメント(0)
![]()
クスコいつも相反する課題に悩まねばならない。どうも正確ではない曖昧さの中で暮らしている。恐らく、 間違った情報を信じている。水道水は果たして飲料としてどうなのか。野菜・果物・肉・魚 等の食物はどうなのか。環境ホルモンはどうなのだろうか。あとで判る時には、結果が出た後だ。 後付けの説明がされるだろう。温暖化や環境汚染は、迫り来る危機だ。副作用のない薬はないが、それを 飲まないと極端な場合は命がないこともある。食物も安全とは言えないが食べなければ餓死することにな る。水俣病も、その他の公害病も事実は後で判明した。企業には倫理はなく、生き残ることしか考えな い・・・利益優先だ。体質は今も変わらない。どうすべきなのだろうか。取り巻く環境は、厳しくなるばかり だ。有毒物質を食しても死なないヒトだけが生きるのだろうか。
2017.02.28
コメント(0)

精神の目は、自ら開こうとしなければ盲目でもある。周囲に従属して意識のないものたちのように暮らしていこうとしてしまうだろう。日本の戦前のように。そして戦後70年になるが、また暗闇が増加しているのではないだろうか。照明のエネルギーとなる人たちが少なくなりつつある。 ・こころに燈火を持つ人たちが減っているのではないか。未来に絶望してはいないか。毒をまき散らしているのは誰なんだろうか。サイコロばかり転がしている。カジノがあちこちにできる社会になるのだろうか。仮想社会の住人たちが大人こどもを演じ始めた。 ・へ2・・・マチュピチュ遺跡は、もともとアクリャたちのためだけに作られた空中都市なのだろうか。時として滅びゆく民族はとんでもないことをしでかしてしまうだろう。どんな悪政も遣り始めると止めることができなるなってしまう。臆病な恐怖心が巣食ってしまうのだ。勇気はいつの世も試されるだろう。
2017.02.28
コメント(0)

愛といっても、愛には無数の種類があり、質も量も違う。肉欲の愛からアガペまで、愛の世界は広大でもある。愛の反対が、憎しみではない。 ジムメルの言葉 「愛と憎しみとを正確な対立物とみることは完全な誤りである。愛の反対物は愛でないもの、つまり無関心である」 ゲーテ「ファウスト」のメフィストーフェレスは、 「わたしは常に物を否定する霊です。そしてそれが至当です。なぜというに、一切の生じるものは滅してもよいものです。して見れば、なんにも生ぜぬしくはない。・・・」 つまり「無関心」をすすめていけば「無」になるのではないか。有の世界では、無はほかならぬ破壊、否定になるというのでしょう。愛の最も困難な問題は、殆ど無数の質の愛があるからではない。愛が往々にして破壊や否定に結びつくという点であろう。サディズム、マゾヒズム、愛死など。しかしまた無償の、静かな、ものいわぬ愛もある。 しかしね、悪魔は年寄りだ。 歳をとったら悪魔の言うこともわかるでしょう。 メフィストの言葉だ。ファウスト博士に化けて学業を終えて意気揚々と学徒が引揚げたあとで、 「馬鹿者めが、いいから威張ってやっていけ・・・」 と独り言を言う。不思議なことに、それまではよくわかっていると信じている言葉も、その意味が、よく考え、じっくり眺めてみると、曖昧にもなっていく。その意味が明々白々と思い込んでもいるだけに興味を惹かないのか。メフィストのことばも、ただのせりふではない。ゲーテというひとは油断がならなぬ。大変なことを、時にさりげなくさらりといっている。 「悪魔」は、ただの悪魔の話ではない。
2017.02.28
コメント(0)

マタイによる福音書15-17 「・・・口に入るものはみな腹に入って厠におちるのがわからぬか。だが口から出るものは、心から出たもので、これが人を汚す。つまり、悪意、殺人、姦淫、淫行、窃盗、偽証、讒言などは心からでる。これらが人を汚すもので、手を洗わないで物を食べても、人は汚れない」。 ・ユダヤ教の律法を厳格に守るという視点だけでなく、倫理の根本がどこにあるかを問題にしているのだろう。巧妙なごまかしのように見えるが、人間のこころを強調したのだろう。イエスが貧しいものに近かったのは、言行一致があったからではないだろうか。人々は圧政に苦しんでいたからだ。 ・人の生き方は、生まれた国や出自や経済などの措かれた環境で決められるべきではない。人間の真摯な志こそ尊重されるべきだ。かたちだけにこだわっていると真実を見失うと、教えている。
2017.02.28
コメント(0)
![]()
シェイク・ザイード・モスク(アブダビ)神のことはいわない。唯、私たちは、遊ぶ為に生きているのではないことだけは知っている。そして、今までやってきたことと、いまを明日に繋げるロードを知らなければならない。 日本人だ、だからこそ、日本人にはみえないところがたくさんあるに違いないと思う。4千年の歴史をもつ中国の知恵も、西欧の侵略にいとも容易く蹂躙されてしまった。それは、何故だろうか。外の世界を見ようとしなかったからだろうか。 外からみれば、東洋は「古池」を守るだけの民でしかなかったからだ。近代戦を想定した準備さえしていなかった。「古池」蛙が、飛び込む遊び場でしかない。芭蕉は、いい俳句を詠んだものだ。もはや、「古池」では、生きていけなくなったことに、何故、ひとびとは気付かなかったのだろうか。それは、深い穴を掘ろうとしたからだろうか。 生きていく為には、新しい苗をつくり、場所を選んで、苗床を作り、田を作り、水を引いて、種を蒔き、燦々とふりそそぐ太陽の光を当ててやり、時間をかけて育てねばならない。これからの環境に適した新しい種は準備されているだろうか。それがなければ、子孫たちは飢えてしまうだろう。生きていけないだろう。 私たちは、遊ぶ為にここまで来たのではない筈だし、人間は、遺伝子の道具で終わるべきでもないだろう。血みどろの争いは償わねばならない。人類は理性を持ち、プライドを持つべきだし、自分たちが守るべきものを守らねばならぬ「使命」があるのだ。 この偉大な人に与えられた「使命」のために生きるべきだろう。
2017.02.27
コメント(0)
![]()
マヤ文明後期の中央アメリカのジャングルを舞台に、妻子や仲間とともに平和に暮らしていた青年の過酷な運命を描くアドベンチャー・スリラー。監督は『パッション』で世界中に衝撃を与えたメル・ギブソン。映画経験のない若者たちをキャスティングし、全編マヤ語で前人未踏の映像世界を作り上げる。ジャングルの生活をワイルドに描いた前半から一転、敵から逃れようと、ひたすら走り続ける主人公の青年の、手に汗握る奮闘が注目された。 DVDを借りてきて観ていた。半分見て、一息入れた。興行的にはどうか知らないが、俳優の演技とは違う初々しさがあり新鮮な気がする。これが西欧人の描く映画とすれば彼らの理解のエリアも捨てたものではないだろう。フィション映画であることには変わりはないが、現実と虚構が入り混じっている。この映画については様々な意見があるようだ。どれだけ史実に基づいているかも議論の余地がある。生贄や奴隷にしても、どこまで現実に近いのか、遠いのかはよく分からない。ただ凡庸であるが走るという姿に人間のイメージを重ねていることには興味がある。 ・へ2・・・文明と隔絶した時代に人間は、他部族と生き残りをかけて死闘を繰り返した。そこには、野蛮とだけは言えない営みがあったのだろう。それをどういう視点でみるかでもあるのだろう。実際のマヤ文明に対して極めて理解不足であり、観客に誤った認識を植え付けるおそれがあるともいわれている。マヤ学界ではわずかな資料から様々な学説があるという。ただ西欧だけが世界ではなく、それを見直すことを誰が始めるのだろうか。
2017.02.27
コメント(0)

アポトーシスから老化死まで、1日あたり数万レベルのオーダーで死滅する。タテ社会日本の科学界では、まだ 権威主義が蔓延り続けている。この枠を突き破る者が出て来ぬ限り天才は窒息し続けるだろう。彼らは、ノロマ で身体の弱い人たちだから・・・。長生きできないかも知れない。偶然が重なり余程幸運が無い限り消えていくだ ろう。それこそ素人や弱い立場の少年たちが専門家を凌駕するかも知れない。一学者のたった数十年の知識な ど知れたものだ。 逆転の発想により生まれた新発見は数知れない。権威に溺れる者の醜悪な末路はアポトーシスに相応しい。 然し、ニューロンの死は無駄ではない。寧ろ新しいニューロンを生かす道だからだ。この世に価値の無いものな どない。全く無駄、無価値で害毒だと思われるものも、その時そう思われただけで実はそうではなかった例はいくつ もある。かって 酸素がそうであったように・・・。 そして下半身不随の脳性まひの喋れない天才がヒトの救世主になるかも知れないのだ。 厄介者扱いされている人たちの中から天才が生まれ、注目される可能性は高いのではないか。 むしろ、その人たちをサポートする装置がこの社会に整備されていない方が問題なのではないか。 どこからでも天才が出て、この社会を未来に導くことを肝に銘じねば為らない。 権威主義者には、少なくとも明日の光は射さない。 ひとりひとりが心の準備をして、新しい朝を迎えたい。
2017.02.27
コメント(0)

自然に順応して人間は生き延びたのであって、人間が自然を克服したのではない。人間の驕りには果てしがない。自分のことを過信して尊大に振舞う人がいるが、あさましいというべきだろう。雑草でさえ、光をあてさえすれば宝石のように輝いて見えるものだ。まだその価値を知らないだけだろう。何かを支え健気でさえある。一人の人生もそうではないだろうか。自分が凡庸だとしても卑下することは何もない。 ・人としてあるべき生き方を謙虚に学び、他人とともに生きようとさえすれば、やがて道が開けると信じたい。自分にとっての世界史の時間がある。 ・へ2・・・軽佻浮薄が一般的な社会になっている。安易な判断が、人々を苦しめている。容易に落胆しない強い精神を鍛えねばならない。それを自然に学ぶことができるだろう。自然に親しむということが、そのことを必ず教えてくれるだろう。草花を愛することができれば、人間をもっと好きにもなるのではないだろうか。歪んだ価値観が、世界を覆っているのではないだろうか。
2017.02.27
コメント(0)
![]()
弟子某甲。ベンチは誰が坐ってもいいのだろう。誰と一緒か。一人でも構わない。みんな一所懸命でもある。自己責任のルールがある。自分の世界をどこまで広げられるか。遊んでばかりでは成長もないし、その報いもある。ストレスと休息と使い分けながらいくしかない。人生塞翁が馬。楽をすれば苦もある。作用と反作用でもある。これまでのことはこれからとどう係わるのだろうか。これから暫くは、三寒四温ではないが、気温も不安定なのだろう。 ・どこに行こうと自分は自分でしかないが、自分がどんな環境で暮らしているか見直す契機にはなるのだろう。いつも同じ景色ばかり見ていては、怠け者の脳が眠り込んでしまう。時々刺激も与えないといけない。目が覚めるようなことがあるだろう。ひとにはそれぞれ役割がある。それをやり遂げるしかないに違いない。
2017.02.27
コメント(0)

言葉で終わっているのではないだろうか。スローライフというのも、老人のそれは初めからそうでしかなく、必然的にスローならざる得ないのであって、心身は動いても環境が許さないことが多いのではないだろうか。高価なものしかないというのもある。裕福な人が、教養が高いわけではない。やはり必然性がないと心と体がついて来ないのは皮肉でもある。ぼーっとしているのが好きというのは負け惜しみだろう。本当に欲しいものは中々手に入らないようにできている。あれが欲しい、これが欲しい、とないものねだりの人間が多いのではないか。それでは所詮欲求不満で死ぬだけだろう。損得しか考えてこなかった人間の報いを受けることになる。他人の力ばかり借りてきた人間の行く末は、惨めな自分が残るばかりではないだろうか。 ・群れているから孤独でないとは言えない。家族が揃っていても、心が通じていないこともある。厳しい戦火で暮らす人々にも心の安らぎがあると信じたい。ただ憎しみが身を焼かないことを祈りたい。異教徒を憎悪することで一生を終わってほしくない。それは無理なことなのだろうか。それは、私にはわからない。身内が無差別攻撃で死ぬとはどういう想いがするだろうか。テロとの戦いが欧米では正当化されているがそれは本当に正義なのだろうか。 ・へ2・・・世界では日本人の理解を超えた現実がある。それとどう向き合うのか、それはこれからの日本人たちの現実の課題になるだろう。そのためには他国の言語を知識としてではなく道具としなければならないだろう。そのための準備をしておくべきだ。喋れるのが目的ではなく、意思疎通でなければならない。多くの課題が山積されている。
2017.02.27
コメント(0)
![]()
ひとのいのちが軽くなったのではないが、軽く扱われるように思えてくるのはそれは私だけではあるまい。テレビでは殺人事件ばかりあるし、社会もどこか刹那的な感じになっている。斜陽も時代認識の違いがあるが、明るさよりも暗さがある。高齢化社会から、超高齢化社会になり、誰の意見が尊重されるべきかが問われている。 . ・1分、1秒が、勝敗を決めてしまう時代になった。ジェット機は、時速約千キロでヒトを運ぶ時代だ。成田からロスまで、飛行時間は9時間40分間。50年前、熊本から東京へ、みずほという寝台列車で上京した時は、熊本を夕方に出て、翌朝の8時ころだった。今度は、成田出発は15時で、同じ日朝の8時ころになるが、これは日付変更線を越えるからだ。 ・へ2・・・肩身の狭い思いをするのは仕方がないが、居場所がなくなるのは困る。社会からひととして尊重してほしいものだ。それは生きる自由のことだ。そしてまだ見ていない世界を見てみたいという願望を・・・。
2017.02.27
コメント(0)
![]()
何となく巧く行っていると思っていた自分のからだが突然狂ってきた。どうも思うようにいかない厄介な相手に戻った感じだ。心と体。寧ろ脳とからだなのだろうが、マッチングできない。ちぐはぐになってしまった。どこかからだの異変があるのだろうか。気に為ることはあり過ぎるくらいある。一々考えていたら、悪い方向を向いてしまう。ひとつ綻んでくると途端に、可笑しくなってしまうから人間は怖い。 ・取り返しの効かないことにもなる。それが怖い。人の死もそういう悪い偶然の重なりでもあるのだろう。死なずに済んだのではないかと、父や義父のことを考えたりする。或いは他の人にもある。周囲に医学知識があれば、助かる命もあるのではないだろうか。加齢も初めての経験であり、自分ではわかないことばかりだ。我慢して好いものとしてはいけないものがある。 ・へ2・・・或る医学ガイドを読んでいて、「病気に対する最大の武器は知識である」というフレーズを読んで、これだと思った。無知だから、間違ったこともする。専門書も解らない時には聴いてくれる専門医もいたからできた。それが、其のガイドブックが無くなり、聴いてくれる担当医も遠くになってしまった。それが現実でもある。本当に必要なものが、そばにない。自分が聴いて解るくらいの知識が必要だし、そのための勉強も聴いてくれる専門医も必要だがいないのだ。そして、それは病気だけではない。私たちは、自分の命をどうして守ればいいだろうか。 脳の右半球と左半球は、それぞれ支配範囲が決まっていて、身体の縦半分に割った反対側が概ねそれに相当するが顔は少し異なる。だから、右足を伸ばすのは左脳であり、左足は右脳が支配している。そして全体として統括するのは通常は左脳である。エイリアンハンドは、そのコントロールが混乱して起きる。
2017.02.27
コメント(0)

ツグミ政治家の力を利用するのは常套手段でもある。戦前の政府は、軍人が長い間支配していたが、それが都合が良かったからだろう。言論弾圧も、学徒出陣も、軍人たちが考えたことだ。負けていることを隠し続けていた。戦費に国力以上の予算を組むこともできたのだ。軍服が一部の者たちの栄光のシンボルにされた。 ・数百万の犠牲を出した戦争だったが、もう72年経過しようとしている。20世紀には、世界では犠牲者は約1億人だという。日本より多い犠牲者を出した国家もある。2回の原子爆弾の大量虐殺の犠牲者が出たが、誰も罪を問われてはいない。それを正当化しようとさえした国家がある。 ・へ2・・・自分たちの罪さえ問えないような国家がある。プライドを捨てた国家もある。そして挙句の果てが、人類の滅亡につながるのではないだろうか。平気で暗殺さえする。そしてそれをドラマのように喜んでいるのではないだろうか。人生をゲームの考えているからだろう。やはり日本のような国家では、政権は長くないほうがいいようだ。権力者に擦り寄ってくる連中が陰に陽にいいことをしないからだ。権力を利用しようとするからだろう。権力に弱い公務員たちもいる。保身のために何をするかわからなくなる。権力者の蔭で得体のしれない人間が動き始めているのではないだろうか。
2017.02.27
コメント(0)

医学知識があったとしても、今の自分のからだの状態を客観的にどれだけ把握できているのだろうと思う。勿論は私にはできないし、それだけのツールも知識もない。毎朝起きて、自己管理表を記入するために、血圧や血糖のチェックをしている。今朝の血糖が高いのは、思い当たる処がある。必ずある。からだは正直だ。現在のからだの状態は昨日までの私の健康管理の結果である。 ・恐らく、これまでの数年間以上の様ざまの累積がある。なにか大きなダメージを選択してはいないだろうか。簡易検査だけでは気休めでしかない。一つの病気は大丈夫でも、他は何千、何万とあるリスクを無視している。変な話だ、健常者ほど命が危ないのだ。現代はリスキーな社会であり、安心などできるものではない。松田選手ではないが、体を鍛えていても、安心はできない。 ・へ2・・・自分の今のからだの状態を知りたいが、稚拙な道具でしか調べられない。勿論高価な医療器具はあるのだろうが、高価だろうし、普及もしていない。指に針を刺して検査している。毎月の病院でも注射針で血を採取して検査をする。何とも野蛮だ。自分のからだで何が起きているのか関心のない人間は、命の尊さもわからない。
2017.02.27
コメント(0)

アオサギ日本経済が、最下層の人々の犠牲の上に成り立っているのは、それこそ国家が成立して以来といっても過言ではない。飢饉になれば飢え死にする人々が居り、戦争になれば真っ先に殺された。それは兵士に為るのは経済的弱者の人たちでもあったからだ。多くの犠牲者はいつも最下層でもある。先の戦争でも兵站さえない戦争を強いた国家でもある。人間軽視の伝統がある。 ・原発は最終処分場が決まってもいないまま54基も建設された。六ヶ所村は中間処分場でしかない。3.11福島第一原発の事故で、まだ放射線は放出されており、汚染された土地の回復の見込みもない。そしてできるのだろうか。数十年もかかるとすれば、被災者にとって喪われた時間は、取り返しの効かない時間にもなる。東京電力は、何を根拠に再出発といえるのだろうか。 ・へ2・・・原発事故の最前線で働いている人たち、命がけの仕事に従事している。それは犠牲者に為らないとも限らない。ベトナム戦争でも、アメリカの貧しい人びとの子どもたちが最前線で兵士になったといわれる。容は変わってもそれは、最下層の人たちでもある。日本でも戦時中朝鮮から強制的に連れて来られた人々が炭鉱で過酷な労働をしたという。戦後ロシアに抑留された日本人も不当な扱いを受けたという。世界中で、人間は根拠もなしに差別をしている。原発は、最終処理の方法も決まらないままだ。
2017.02.27
コメント(0)
![]()
眠っている間の脳はどのような働きをしているのだろうか。個人差があるとしても、自分の脳の働きには興味がある。睡眠の質が悪くなっているのではないかと、日頃思うことがある。何故そうなるのだろうか。睡眠が学習にもたらす影響は大きいし、重要な役割を果たしているに違いない。SW睡眠の間に、海馬から大脳皮質に伝達が起こり、これが安定した長期記憶になる。だからレム睡眠は一旦大脳皮質に移った知識を強めるために必要であり、SW睡眠はまず情報を海馬から移すために必要だという。 ・ある研究では、新しい技術と知識の習得は、ひと晩の睡眠の後に向上し、さらにその後の数日のあいだ、毎晩充分な睡眠をとる限り向上するという。最初の晩の睡眠をすっぽかしたら、その埋め合わせは絶対に出来ないらしい。つまり、記憶をインテリゲートするためには最初の睡眠と記憶を外せないのだ。はたしてどれくらいの睡眠が必要なのだろうか。勿論個人差があるとしても自分のことは知りたいところだ。 ・へ2・・・6時間以上睡眠しないと学習促進効果のレム睡眠が得られないらしい。とても、それだけ長く眠っていないだろう。宣言型・非宣言型の記憶の双方にSW睡眠とレム睡眠は殆んど新しい仕事の学習に重要な役割を果たしている。目覚めている時の意識的な視点と普通に意識的にアクセスできない脳の部位にある記憶が同じことをしている可能性がある。記憶は、同じ情景でも一人一人違う見方をするものだ。それは自分で見たいと思うものをみているからだろう。
2017.02.27
コメント(0)
![]()
「この物静かな婦人は、20世紀中期のうちで、もっとも大きな問題の一つ・・・人間による環 境汚染・・に対して、あらゆるところに住む人びとの関心をよびさましたのである。」これ は、1964年4月14日、レイチェル・カーソンが56歳で死んだ時の追悼演説の一節だ。 いま、環境汚染の問題を語るとき、彼女の「沈黙の春」を抜きにすることはできない。 「・・・シュバイツァー博士のさまざまな著作の中で、私たちはその語句の哲学的な解釈 に触れるかもしれません。しかし、私たちにとっても、「生命への畏敬」に対する最も正しい 理解は、彼の場合にそうであったように、個人的な経験によってもたらされます。それは 予期しない時に、野性の生物を突然見かけることであったり、ペットと一緒にいる時のあ る種の経験であったりするでしょう。それが何であれ、それは私たちを自分自身の外へ連 れ出す何ものかであり、そしてまた私たちに他の生命の存在を気づかせる何ものかであ ります。・・・」 数年前に、彼女の著書"The Sense Of Wonder "を本屋で見つけて感動した。 ・「潮風の下で」(1941) ・「われらをめぐる海」(1951) ・「海辺」(1955) ・「沈黙の海」(1962) ・「センス・オブ・ワンダー」(1965) 彼女が書き残したものは、彼女の周到で緻密な調査研究、逆境や妨害に直面した時の勇気であり、そして何よりも詩人としての天賦の優れた才能を物語っている。科学と文学を融合させた資質の高さでもある。
2017.02.27
コメント(0)

漢字を知らないで困っているらしい。それは外国人ばかりではない。そういう私も、以前のようには読書もしなくなっているから、忘れた漢字も沢山ある。手書きをしなくなったこともある。先ず辞書を引かなくなってしまった。当用漢字をプリントしてみようとしたが、余りに多いので途中でプリントアウトできなくなってしまった。 ・勿論知らない漢字はないが、どれだけ知識があるだろうか。旧かな使いの本が読めなくなっているという。漱石の本さえ読めない学生がいるらしい。これだけ英語重視があるのだから、日本語が疎かになるのは当然でもある。国文学も冷や飯を食べている。日本文化はことばがあってこそだ。 ・へ2・・・それこそ国際化というのは、必ずしもグローバル化ではない。アメリカの大学に留学したものはアメリカナイズされるだろう。欧米主義しか教えないからだ。 何のための、誰のための教育だろうか。私たちは本当は何を望んでいるだろうか。そして政府は、それを実現しようとしているだろうか。
2017.02.27
コメント(0)

世襲制の弊害は世界中にあるらしい。親が天才だからと言って子孫までそうとは限らないことを嫌というほど歴史は示しているのに、都合のいい理屈をつけて、多分とか恐らくとかいうだけで、やらせてしまうのだ。何と幼稚な発想だろうか。そして幼稚な独裁者になる。おんなを玩具にしたり、それこそ遣りたい放題やらせて後で泣く目に遭う。 ・そのひとよりも操る傀儡子がいる。あとで他人に責任を押し付けて平気な顔をして生き残ろうとするのだ。島崎藤村が、東条英機の先陣訓の校正を手伝っていたらしい。 片棒を担いだ戦争推進者たちがいたからだ。ルートヴィヒ2世も崇拝者がいたからでもある。王個人のために作られた城がノンシュバンシュタイン城なのだ。 ・へ2・・・城内に、洞窟まで作られていた。何のために、勿論王の遊びのためである。莫迦な社会もそれを、頑なに維持しようとするからでしかない。あっさりけじめをつけないからだ。共和党のある大統領候補が、日本を守る必要はないといった言う。 本音を言ったまでだろう。それこそ退行現象が起きている。そのために人々の暮らしも悪くなる。
2017.02.27
コメント(0)
![]()
人は贅沢なことができると結局は身のためにならないものだ。余計な金があると遣いたくなり、碌な事をしない。美味いものを食べたい。遊びたい。欲望の趣くままをしたいと思いかねない。この社会は怠惰な人間を創らないように仕組まれた社会だが、それでも例外的な人間がいて、社会ルールに反したことをしてあるべき義務を逃れようとするものがいる。天網恢恢疎にして洩らさずだが、卑劣に甘い汁を吸う人間はどこにでもいる。他人を陥れて恥じない。 ・砂糖に群がる蟻さんのような人間はいる。寧ろ欲望を煽って稼いでいる商売が何と多いことだろうか。相撲社会をいつまでも残そうという根性が解からないし、暴力団もあれだけ警察がキャンペーンを張っているのに、なくならないのは何かある。裏があるのだ。表と裏のある社会だし、本音と建前のある国際社会でもある。キリスト教会が何をしてきたか、ダーウィンは怖くて「種の起源」の発表さえできなかったくらいだ。 ・へ2・・・正しいことを言えなかった時代は長い。そのことを忘れてはならない。科学は、昔から有ったのではない。ダーウィンの業績はだからこそ意味があるのだ。ごろりと変わった。自己批判しない人間は駄目になる。進化を遂げたのは其れが出来たからでもある。裸になり、貧乏して、本当の自分に戻って考えることだ。それができるひとは恵まれていると言えなくもない。
2017.02.27
コメント(0)

史書とは、大事なところは寡黙である。それは史書だけではない。一番気にしているとこ ろは書かないからだ。孫子の兵法も分かりやすいのだろう。だから誰にでも熟知できた。孫子 を知っていたからと言って実戦でどう使うかなのだろう。そこは寡黙である。誰にでもわかる ような秘密を明かすはずがない。みな真似をしてしまえば兵法にはならない。要か解釈にあ る。英雄は黙っていても理屈は後でならどうのようでも作ってくれただろう。勝ち残ったから それだけの理由があったはずだと思えば何にでも化けてしまう。白でも黒でもどっちにでもな る。敵か味方かの違いだけだ。毛沢東だって今の中国では評価が以前とまったく違っている。 冷静に考えれば正しいことばかりしていない。金正恩も同じだろう。 ブナの最北限は北海道らしい。なじみの深いブナの林が、北海道まで広がっている。日本はブナの林が拡がる場所でもあるのだろう。落葉広葉樹の森が、一人の人間のゼネレーションに匹敵している気がする。クロをシロになるように言いくるめるというが、それは権力者だからできることでもあるのだろう。権力が無くなればできなくなるに違いない。それこそ私たちの目の前で起きていることは、恐ろしい現実でもある。それをそれと思えないようにカムフラージュされているだけだ。噴出してくるニキビのように醜悪なものが見えてきた。
2017.02.27
コメント(0)

和白干潟 絶滅危惧種クロツラヘラサギ2017.2.27われわれは、ある激しい潮流のなかで、日々狭まる自由の領域の侵食を懸念している。それは、憲 法的常識とされた自明性が形骸化していることに他ならない。即ち、数次の安保闘争が、日本国憲 法に見合うだけの理想の精神を、我がものにすることができなかったからでもある。 すべてがあまりに不充分なものであった。原因は、市民革命というスキルがなかったからだ。 現在の、「体たらく」は実にそのことに尽きるだろう。憲法理念の自明性を完全に失っていた時代に生 まれたものの宿命でもあっただろう。それを安保闘争で解析できなかったのは、学者たちが如何に 無能であったかを暴露するものだ。 その反省がされないまま、現在の「体たらく」があるが、責任は旧世代にあることは間違いない。 その弱味につけこもうとする陰謀が顕在化しだしている。それが憲法改正論議と言われるものでも ある。 憲法的な、それが「堤防」であるとすれば、決壊しようとしている。巧妙な家康が、 大坂城を攻めた時のように内堀外堀が埋められるのだろう。 憲法的理念の自明性を完全に見失ったものが、始めるべきことではない。できもしないことを人ま ねで補おうとは呆れた所業だろう。また、日本は、愚かな政治家の愚行を目にすることになるだろう。 これから、われわれは、何を決意しなければならないだろうか。 戦わなければならないのはいつも目の前にあるのではない。
2017.02.27
コメント(0)

描かれていることだけが作家の本意ではない。果てしのない省略の美学がある。龍之介の短編集はまさにそれだ。読者のもつ感性と想像力を引き出す文学でもある。それは、いくつも考えられるという意味の謎が残る結末だということであり、それが無限の広がりをもつということでもある。 「聖書」も比喩によって語られる。いろんな解釈がありえる。比喩の美学があるのだろう。 時代を超えた解釈がされている。問うひとの識見が問題でもある。問い続けることが問いを高めても行くだろう。 「文脈」をたどりつづけることこそ、こころの真理探究の軌道でもある。 偏見の世界がある。その中で生き抜いてきた真理は脈々と人々の心の中にある。それが まだ大きな成果を逃している気がする。私たちには無限の時間があるのではない。 寧ろその反対だ。輝きはいつも儚く萎んできた。
2017.02.27
コメント(0)

政治家の便宜とは、何だろうか。一切ないというが、都合のいい見解でしかない。影響があるというのはそれを受けたものの違いでもある。関係者が、どう思うかだろう。名誉校長の話も、それだけ思惑で動いたのだろうし、思い込みがさせてもいるに違いない。彼らは以心伝心というのではないだろうか。 ・少なくとも、目的は同じなのではないのだろうか。それが怖いのであり、怖いと思わない人たちもいるのだろう。世論がどう動くかで出たり引っ込んだりする。それが日和見主義者の常套手段だ。権力の座にいる人たちが、その影響力を、胡散臭いところで使うとすれば終わりだろう。 ・へ2・・・変な現象が起きる。暗殺もある。然も空港である。監視カメラがあることを承知でしたのだろうか。常識外れが、増えてきているのは、それだけ狂っている社会現象なのだろう。まともに暮らしていることは容易ではない。
2017.02.27
コメント(0)
![]()
今年は、よくカワセミに会えて嬉しい。個性は生きていることだけでもそうなのだろう。価値を決めるのは自分だけではないだけだ。何がアウトローなのか、それはどんな世界観であるかは抽象的だがその社会でしかない。通説も、定説もないのが常識である。いつも偏向してしまう。公平でも公正もない。 ・どこに明日があるのだろうか。いつも思う。然しとらえどころのない現実社会が立ち塞がっている。キーはどこか。青い鳥はいないのだろう。ロマンチックに生きようとして夢は破れてしまう。天国にも極楽への道はないのだろう。あると信じている人たちがいるだけではないだろうか。 ・へ2・・・希望をもつものだけに希望もある。昨夜はウオーキングしていなかったので、今朝も歩けるか外に出て見たら、どうにか雨は止んでいた。昼から晴れる予報だ。午後は、車の定期点検がある。半年に一度は点検に行っている所為か故障はない。メンテが大事なのだろう。 いつも自分らしくありたいが、それが中々。自分に相応しい死に方をしたいとは、このブルグを始めた時に書いている。それは実行されているかと言えば、まあ50%くらいで、自己採点で落第。いうほど簡単ではない。 これから朝のウオーキングができそうです。
2017.02.27
コメント(0)
全814件 (814件中 1-50件目)

![]()
![]()