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ルーブル美術館 日時計が発明されるまで人々は、自然時間に従って暮らしていた。太陽、 月、星が生活のパターンを決定していた。日時計は5千年以上に亘り、人々を 支配し、ひと社会で使われていた。そして、近代の時計が果たした役割は大 きい。コミュ二ティ全体を共有できて、眼に見える指標が齎されたのだ。 周期が一日より長いリズムをインフラディアン・リズムという。13年または 15年ごとに2週間の繁殖クライマックスを迎える蝉など、ずっと長い周期があ るとされる。 J.T.フレーザーは、 「同じニッチを共有している動物や植物は、お互いの生物リズムを合わせる 必要がある。狩りをする時間、食事をする時間、交尾をする時間、巣をつく る時間など、それぞれきまっていなければならないはずである」という。 ひとが、共有する時間は一定であるが、或る意味でウルトラディアン・リズ ムや、インフラディアン・リズムを遣っていることも価値があるかも知れな い。不安定性が齎すものが進化に繋がる蓋然性があるのではないか。 葉を日中に開き夜に閉じるという光合成の形成が必要な植物の形質であるが 其の中で、概日リズムに則って、日没を予測し、香りをも生成するという時 間を持っているというのは驚異であろう。 ひとしての私たちの一日も、「香り」を放つ仕事があらねばならないと信じ たいと思う。
2017.12.31
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新しい殺虫剤が医学衛生面で初めて使われたのは1943年。イタリアを占領した進駐軍がチフス撲滅をしている。その後マラリアカを駆除しようと残効性の強いDDTをおしみなく散布した。わずか1年経つか経たないうちに、不吉な兆候がでた。イエバエとイエカ属に蚊が抵抗しだした。1948年には、クロールデンがDDTの効果を高める為に使われたが1950年になると、抵抗性のある蝿が出てきて、すぐにイエバエ全部、イエカ属のすべてが、クロールゲンに抵抗するようになった。次から次へと新薬が使われるにつれて、昆虫は抵抗しだした。 1945年から46年にかけての冬には、日本と韓国では「しらみ」がりにDDTが使われた。200万人近い日本人と、韓国人にしらみに取り付かれていた。1948年にはスペインのチフスが流行し、このときにもDDTが使われた失敗した。このときは昆虫学者は、しらみは抵抗しないものと思い込んでいた。(実験室馬鹿だ)1950年から51年の韓国で起こって出来事に度肝を奪われた。韓国人の兵隊にDDTの粉末をかけたら、しらみは逆に増えていたからだ。東京の浮浪者も同じだった。 「沈黙の春」は誰にでも判るように書かれている。いくら新しい殺虫剤を発明し、新しい使用方法を考えだしても、昆虫たちはいつも1ラウンド先を走っている。人間は、それこそホモ・サピエンスといえるだろうか?どうも怪しい。自分の狭い観念のスペースの知っているところだけを喋る学者のような半端なことでは、単細胞の細菌に対してさえ先を越されるだけだろう。
2017.12.31
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べるべるワルザザートへ人間の遣って来たことは、個人的には小さなドットに過ぎないが、全体から視えれば陳腐な相になっていたりする。文字を知らなければ、絵でしか伝えられなかった時代もあるし、今も他人の意見に従うしか知らない人さえいる。「帝国」も、色んな国家の政治形態があり、古代、中世、近代と時代の推移がある。広い意味で、中国も日本もかってはそのカテゴリーに入るだろう。 ・へ2・・・西欧中世史も中々思うように読み進めないが、ルーツを探れば、人間の考えることと言えば大した違いはないのだろう。目の前の日常に追われて、全体である森を見ようとしないで活きてもいる。何でもない日常にこそ、真実がある。それを認識できないでいる。ハリー・ポッターも外国人女性を殺した男も愛読していたらしい。何を考えていたのか解らないが、ぞっとする。人は、悍ましい存在でもある。
2017.12.31
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少々細かい気分の問題ばかりになってしまったが、社会や、これからのことも考えたい。生活の糧を得ること。自己実現を図ること。社会的な連帯を実現すること。ひとの仕事はある。食べていかなければならないが、それがどんなライフスタイルをもつかでもある。憲法の27条の勤労の権利と義務は必ずしも「すべての国民に実現されている」わけではない。生き甲斐を失くした国民も多いのだ。まだ国会では、レベルの低い議論がされている。 ・へ2・・・やる気のない政治家に任せていられない。国家権力が怠惰の夢に浸っている。国際社会は、日本を見棄てるだろう。自然淘汰される国家を救いはしない。既に日本は、破綻するだろうと言われている。それに対する何のビジョンもない政府だ。そうしたのは国民の責任であり、そのためのどんな報復も甘受しなければならなくなる。「ポイント・オブ・ノーリターン」 は近い。私たちは、崖っぷちだ。 宗教を信じない私たちの心の支えは日本国憲法の精神であった。それが押し付けだとか様々なことが言われて否定されようとしている。これまで法の法として根幹にあると信じていた。すべてが幻想でしかなかったのか。平和も夢でしかないのだろうか。
2017.12.31
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修道女フロツヴィト(935年頃ー1002年)俗名ロスヴィータは、ファウスト伝説に継承される、人間と悪魔の契約「テオフィルス」の話がある。そして、「サピエンティア」では、 信仰深い処女が裸にされ、手足がちぎれるほど鞭打たれ、乳房を切り取られ、皮をはがれ、油鍋でゆでられた挙句、首をはねられてしまう。このヒロインのようにアガタなどウォラギネの「黄金伝説」に出てくる聖人や聖女は、普通なら一度で命を失うような拷問や処罰を繰り返しても死なないのは、途中で神や天使が現れて、その都度いやされるが、最終的には天に召される。 殉教者に加えられる残酷な仕打ちは、ひどければひどいほど、それに耐える信仰者の徳性が裏打ちされ、フロツヴィトの文学も残酷というより、女性の貞潔と魂の救いを賞賛するための手段と見るべきだろう。 聖女アガタの殉教を画題とした一枚がある。両手をしばられ上半身をの衣服をはがされたアガタが、その豊か乳房を二人の男によって大きな剪定鋏で切り取られようとしている場面。アガタには苦痛の表情はなく、口を半ば開いて右手上方を見ている、そこには天使の姿がのぞいている。 アガタは、シチリアの提督の好色な誘いを拒んだため、娼婦の身分におとされ、次にはこの絵のように両乳房を切りとられ、更には熱したガラス片の上を裸でころがされ、殉教してしまう。 絶えず世紀末のトラウマに脅えていたヨーロッパの人たちが、人間性を喪失した行動に走ることが多かったのは何故だろうか。その心理の奥にあるものを探り出すことは、同じ人間として知らなければならない課題ではないだろうか。 日本人にも昔も今も、隠された残忍な行為があるであろう。人間性の問題は、私たちが生きている間は、常に注意を払うべきテーマでもあるのだ。
2017.12.31
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どこにいようと、私は私であり、それ以下でも以上でもなく、この二つの目の奥の歪な形の脳の中で描いているイメージこそ自分の本体でもある。数百万の昔から種としてのヒトが誕生して、累々と続く遺伝子が、設計した通りに生きているが、自我に目覚めたときから、へばり付いている喜怒哀楽とともにある。神さえ創り出した。21世紀は、人間の怨念の炎の中で揺らいでいる。 ・いくつかの都市を観たが、そこにみたものは容の変わった相に過ぎない。みな呪わしく生きているだろう。人類が汚した異物で満ちている。過去の残影を視ているだけではないだろうか。「おまえ、既に死んでいる」と告げられるまで、分からないような、そんな人間ばかり増えている。動いているのは自働人間でしかない。本当の自分を利益社会に売り渡した吸い取られた人間どもだ。 ・へ2・・・貪り食べた物を排泄して、悦んでいるだけの醜いものたちよ。お前の視ているものは幻影でしかない。その造形の美は、美でない。化粧した仮面の下で腐っていく臭いさえ気付かないでいる。何のために生きているかさえ知らない。踵の高い靴は直ぐに崩れてしまうだろう。それがお前の人生だ。
2017.12.31
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月の砂漠をはるばると旅のラクダが行きました人間はつねに進化している。生物学では退化も進化である。或いは反動も前進である。負けることも、勝ちに繋がる。人民は、負け続けているが、懼れることはない。人類は何れ、本当の意味で合理性を獲得するだろう。どうするかを悩む必要はない。その時は、人類には未来が消えている。 私たち人民は、何ものかに従属しているだろうか。追われし者たちだろうか。そうあらねばならないために何を為すべきなのだろうか。 苦悩することには慣れている。これまでもそうして来たし、これからもつづく。それは、常に人民のサイドにいることだ。自分の信じる正しいものが何かを考え続けること。 敢て、他人を傷つけたいとは思わないが、そうなるかも知れない。相手は、所謂「敵」でも「味方」でもない。 季節は巡ってくるだろう。繰り返されるシーズンは、ヘイフリックの限界のように、やがて細胞分裂を終わりにするように、めぐり来る季節の中で人生を終わりに導くだろう。 真冬の寒さは、そのことを知らせてくれるのかも知れない。今朝の寒さは、凛としている。 段々と重くなる身体と、萎縮していく脳があるとしても、まだ噛み砕くだけのエネルギーがあることはうれしいことではあるだろう。何を食べても旨いだろう。 親しくした多くの知人たちと、このまま逢えないままかも知れないが、悲しむことはない。人として、繋がっているだろう。多様な人生があり、人民のサイドに立てばいい。 どうも昼夜が反対の生活になっている。昨日は二度干潟を見に行き、それから買い物をしたりしたので、夕食に缶ビールを飲んだので、食後そのまま寝てしまったので、23時過ぎに目が覚めて起きてきた。3時間くらい眠ったのだろうか。これでまた朝まで起きているかもしれない。眠くなればまた短い睡眠になるのだろう。BSで長友のインテルが出ているので中継を見ながらである。
2017.12.31
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「脳と心の地形図」には、まだ解からないところが沢山あるように、自分の人生にも知らない 自分がある気がする。眠っている部分があると思う。それを全部知ることはできないとして も、少しでも知ろうとすることがこれからの自分なりの課題でもある。何があるか分からない のが人生でもある。思えば、こんなつもりではなかったが、こうしてブログを書いているのも それはそれで為れの果てだ。 自分に相応しく死にたいと思うが、そうはさせてはくれない世の中がある。 ほんの束の間の時間を如何にも永遠のように感じてしまうのは人間の愚かさだろうか。権力者たちも一時の栄枯盛衰でしかないのに、偉そうなことばかり言って居る。カネをかければどんなものでもできるのだろうが、それは一瞬のことでしかない。いまネコたち5匹が周囲をうろついている。猫は夜型でもある。人間たちが寝ている間に活動している。どうやら起きている私が邪魔らしい。決してネコは逆らわないが、心が通じているわけではない。気に入らない時は爪だって立てる。元夫から腹を20数か所も刺されて死んだ妻のニュースが流れていたが、妻はまだ28歳らしいが、どんな思いをしたのだろうか。身の毛もよだつ話だが、妻の悲しみが痛い。トランプ大統領の難民拒否も、そのために嘆き悲しむ人がどれだけいるのだろうか。憎悪は時に悪魔のようになるのだ。
2017.12.31
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和白干潟 海の広場秘密を知ろうとする。「どんな神にも、人間にも、知らせない一つの秘密の名があった。」それが「ラーの秘密」だ。中島敦の「セトナ皇子」の講座。 「セトナ皇子」 ・大きな疑いを抱く。・この世の初め。ラーはどこから生まれたか。「ラーの神話」。・みんなが信じて疑わないものを疑う。そのことに不安を感じて行く。「文字禍」も同じ。・疑い始めて、「木偶」のようになる。「名人伝」。結末に似ている。中島の木偶がキーワードである。・にやりとわらった。自分を見て、何故お前は笑うのか。・参考にした本。原典を突きとめた人はいない。つづきがある。・ラーの前。そこからの不安が起きる。見過ごしていたものに気付くと不安になる。同じテーマ。・疑う。知恵が動き始める。疑いから始まる。・聖書で言うなら、知恵のリンゴを食べること。 ・セトナ皇子・・・英文の文献。かなり前の作品。ミイラ。「セトナ王子物語」。先行論文はない。・ミイラとの対話。・余り調べられてはいない。 ・ショーペンハウエル・作家がどの本を読んで書いたか?・怠けものにはできない。・段々勉強しなくなっている。 殆ど手を付けていないので、ラーの秘密の解明は・・・?それは、疑問に立ち向かおうとする人のテーマでもある。何も考えていない時間が増えている。其のまま時間ばかり過ぎるのだろう。気付いたら100年も過ぎているとか、そして1000年にもなる。からだはどこかへ消えている。幻想は子供のころから付いてくるものらしい。こうしていると実は何も考えてはいないのだろう。
2017.12.31
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カスバ街道 毎日体験しているこの日常が自分の人生のすべてであって、それ以上でもそれ以下でも、以外でもない。自分の言葉を吐きだす事は自分の私見の範囲でしかない。若さが美であり正義であることが、いつか行き詰ってくる。それが解かっていながら、若さが主張されるのを止めることができないで、やがて自分自身さえ否定されるようになるのだろう。50歳くらいしか平均寿命が無かった時代が、あ或いは肯定される時代が訪れるのではないだろうか。 ・今の常識は、否定される時が来るかもしれない。自然を愛する人間がいなくなれば、この世から自然は消えて行くだろう。それが淘汰のルールでもある。価値を見出す事が出来なくなれば、そこに愛が無くなるのだ。人間はどこへ向かって駈けているのだろうか。そして私も。 ・へ2・・・「無智亦無得 以無所得故」でしかないという。人間はどこまでも「菩提薩?」にはなれない。なぜそのことを般若心経を書いた人は知っていたのだろうか。「般若波羅蜜多」その何なのか。神とは何か?その神はいくつもあるのだろうか?始まらなければ終わりもないという、疑問に答えられない。私という存在も始まってしまっているのであり、それは終わらなければならないのだ。
2017.12.31
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和白干潟私は私なりの伝統を学んでいるつもりでいる。どこを掘ってもこんこんと出てくる冷たい泉があるような気がする。それを誇らしく思う気持ちがあるが、それが不生不滅、不垢不浄、不増不減の教えもある。これまで繰り返されてきた伝統とは、封建社会や身分社会を背負ってきたものでもある。それこそ脳外科のメスのような繊細な眼を以っていなければならないのだろう。 ・一つ切り損なったらアウトになる。名を残したいという野心はないから、衆生ともに死ぬ覚悟さえあればいい。極楽浄土も要らない。悟りが無くてもいい。生臭坊主にならなくとも、己を知ることはできるだろう。音楽を聴き、テレビを視て、できる範囲の事をして生活を楽しめば好いと思う。 ・へ2・・・どうも家族と一緒だと、自分の時間が減ってしまうが、これもまあ楽しくない訳ではない。愚かに過ごしていくのも人の世の常なのだろう。ブログもPCも講座もいつまで続けられるか解らない。できることをして、自分なりに活きて行くしかない。いつかどこかの海に辿りついて水面の上から何が視えるのだろうか。 いつの間にかネコたちはいなくなったが家の中のどこかにいる。こちらから見えないだけだ。よくもこんな狭い家の中に5匹も生きていけるものだと思うが、賢く共存しているのだろう。人間も自己主張はかりではやっていけない。おそらく日本のような島国では、トランプ大統領のような人間は生まれない。世界が統一されるためには、共存共栄のできる形質を持った人がリーダーになるに違いない。 贅沢をしようとは思わないが、したい人もいるのだろう。この社会の現実は、差別社会である。ツアーをしているとよく理解できる。それでも誰が次代を担うのだろうか知らないが、他人に手を差し伸べる人であってほしい。弱い人への同情のない人ではない。猫を飼うようになってから、知ったことは多い気がする。毎日猫の糞の処理が大変だが、それをしなければ大変なことになる。何時か体中ネコ臭くなっているのだろう。片目の見えない子猫ちゃんも、あちこち小便をして回るので困りものだが、という私も同じような存在でもある。
2017.12.31
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<ストレス依存症>とは、 ・物質摂取依存のケース・・・アルコール・ニコチン・薬物・食事など。 ・プロセス依存のケース・・・ギャンブル・仕事・買物・PCなど。 ・人間関係依存のケース・・・恋愛・Sex・親子関係など。 <ストレスの個人差>とは、 ・罹りやすい性格とは、Aタイプ(野心家など)・過剰適応・プライドや面子にこだわる人など。 ・高齢者は、心身の機能衰退によるストレスが発生し易いこと。 ・夫婦関係のストレス・・・男女差があること。夫が想うほど妻はいい夫とはみていない。意外なアンケート結果など。
2017.12.31
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<ストレスの対処法>・ストレッサーの軽減・認知的評価の修正・・・心理療法など。・生体反応のコントロール・・・リラクゼーション法バイオフィードバックなど。・ソーシャルサポート・システムの確立。 <対処のポイント>・心配や不安の原因の究明・自己能力の限界を正確に見極める。・エンドルフィンの効用。笑うこと。・楽観的思考をもつ。・ウオーキングと講座などの気分転換を図る。など。
2017.12.31
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モロッコ<心理療法とストレス> 論理療法・ABCDE理論 ・ Activating event ・ Belief ・ Consequence ・ Dispute ・ Effect 「非合理的・非論理的な思考(過度の一般化、どうせ思考、べき思考など)に対して、有効な反論をすること。合理的・論理的思考の導入。 安らかに死にたければ、自己中心的な思考ではなく・・・。
2017.12.31
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モロッコは、アラビア人とベルベル人の国家である。 脳は先入観から「錯覚」を起こしている。これが「ハンディキャップ」だ。私たちに備わった知性こそ、自分たちが霊長類として神から授けられた生れながらの最良の解決策を見つけられるという信仰でもある。それと死闘を続けて科学は来たのではなかったか、それが奇妙なメカニズムに結びついている。そのトリックを見破られるか。 ・思えば誰でも漠然とわかっている。だが近づくことができない。「ハンディキャップ」は時には致命傷になる。おいそれとは克服できないことを肝に銘じておかねばならない。見せかけの道化と生きることは容易だが、それが何になる。。「ハンディキャップ」を乗り越えてこそ真実をみることができるだろう。そのためには「無意識の盲目」である楽観的な視覚の働きによる自分に都合の好い点だけを引き出していることを自覚しなければならない。 ・へ2・・・雨が降るのはその要件が満たされた時に雨が降る。雨が降れば人間は一つだけの情報を得ているだけではない、もっと数えきれないものを感じている。それはひとつの「ハンディキャップ」にもなる。自分が見ているものは視覚だけではない。もっと多様で、豊かな感性がある。それは真実ですか?何か自然の匂いがありますか。どんな色をしているだろうか。赤い円い実だろうか。ヒトの人生は穏やかではない。ゼロからの出発でもない。そして自分の寿命は短い。
2017.12.31
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モロッコでは、土の家が普通だったが、欧州などに出稼ぎに行った人たちが、稼いできたお金で、コンクリートの造りの家を建てているという。ローカルでも近代化が進みつつあるようだ。 マイケル・ボウルター「生物多様性は複雑な系(システム)だ。2億年前のジュラ紀でさえ、生物多様性はピークを過ぎていたものの、複雑さの度合いを着実に増やしつつあった。大陸が移動した為に気候と生態環境がわずかに変わり、食物連鎖にも変化を生じた。二酸化炭素の濃度が上がり、気温も上昇した」。 生命は「破壊されて粉々になり、無にすることだってある」地質時代というタイムスケールを理解することは困難に近い。このような変転きわまりないシステムの中へほうり込まれたとしたら、どうだろうか?自分のいる場所の状態を把握できずに立ち往生するに違いない。 2億年前は、ビックバンからの約138億年の内の2億年間だ。たとえば、天気予報でさえ、どれだけ長く気象データを蓄積しているかによって、精確さのレベルが決まってくる。種としてのヒトが誕生したのは、余りにも近時に過ぎない。タイムスケールがショートしている。 かって大陸移動や、破壊されて消滅した生命もあった。これから「人類の絶滅」だって、あっても少しも不思議ではない。人類がタイムスケールをもつには、あまりにも地球や、宇宙の時間は厖大過ぎるだろう。少しの知識を驕るべきではない。 問わなければならない人たちの声を聴かないでもいる。叡智だけでは足りない。ヒトの生きてきた歴史など取るに足りないからだ。私たちが持っているタイムスケールなど幼稚なものでしかない。 人間と菩提の間にあるのは超えられない壁ではないだろうか。般若心経に書かれている意味を考えていた。大昔に書かれた教えである。無智亦無得 をそのまま肯定することはできない。色と空もある。どう解釈したらよいのだろうか。それこそ現代は宗教を敵とするのか。そこから這い出しているだろうか。極楽浄土があるとして考えられ、神はいるという前提でスタートしている考えは手強い。
2017.12.31
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どんな巨大な木造建築物も白アリたちには敵わないだろう。それこそ本物の白アリたちの方が謙虚に生きてもいる。ひとというこの得体の知れない動物は、私利私欲という欲望に変態すると、どんな社会も食潰してしまう。巨大国家に巣食っているクールな姿の白アリたちが、その成功ゆえに没落する日も遠くはない。 ・日本から、中国文化や西欧社会からの輸入を差し引いたら、何が残るのだろうか。肥え太ったように視える姿の実は、みすぼらしいものでしかない。豪そうに国際社会で先進国を気取っているが内実は火の車でしかなく、よその国の智慧でしかない経済社会なのだ。平家物語も、浄瑠璃も、浪花節と同じで、回りくどい物言いであり、何の話でもない。そういえば歌謡曲にしろ流行り歌にしろ、あれは日本語ではなく思想も何もない。 ・へ2・・・私利私欲の歌で、なにが得られるのだろうか。真面目な人間の活き場が無くなり、国際社会も白アリたちの社会でしかない。絶望を掻きたてるようなことばかり起きている。遊ぶことしか知らない子どもたち。大学も本当の教育を忘れている。ロシアも中国ももはや社会主義ではない。私利私欲の白アリの社会だろう。
2017.12.31
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「老化」は「加齢」だけの問題ではない。生命に係る問題でもあるが未だ解 明されていない。基本的特徴は、アメリカのストレーサー(1982年)に よれば、4つある。 ・老化とは、斬進的、不可逆的である。 ・老化とは、生体に有害で、機能の低下を齎す。 ・老化とは、生命体の内因に由来し、環境要因によらないこと。 ・老化とは、種の全構成員に等しく起きること。 ヒト正常細胞には寿命があることはわかっても、何故生命が誕 生するのかのメカニズムが分からなければ意味がない。老化も同じ。 老化するが、答えは一つではない。人間も相手を好きになったり嫌い になったりする。嫌いで堪らなかった相手が急に好きになったりする。一葉 の作品や、古典文学でも飽きるくらいに同じようなストーリーがあるが、現代でも同じ ことが繰り返される。況して、人生は不可解だらけだし、「老化」もそうだ ろう。一寸甘い汁を吸って世の中が甘いなどと勘違いしている向きが多いの はそのうち泣きをみる。恋愛に飽きない形質は、ヒトの誕生に関係する。
2017.12.31
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・ストレスは、神経系、内分泌系、免疫系のシステムと病気の発生と進行に関わること。 ・厚生労働省の16年度基礎調査で「自分の健康・病気・将来・収入・家計・借金」の順でアンケート。 ・戦後の社会環境の変化に因るストレスが見られること。原因:人間関係の希薄化・家族の崩壊など。 ・ストレスとは、当初は、物理学で、物体に歪みを生じさせる外からの刺激をストレッサーといい、歪みを生じる状態をストレスと言った。 ・セリエは、ストレスとは、外界からのあらゆる要求に対する生体の非特異的反応。ストレッサーは、引起す刺激や要因であると言った。 ・ストレス度について。配偶者の死が最大。 ・心理的要因・身体的要因に分類される。 ・日本人の現在60歳余命・・・平均男22.17歳: 女27.74歳。 ・ストレッサーに対するホメオスタシスの個人的資源により個人差がある。
2017.12.31
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トドラ渓谷~ワルザザート西欧中世史事典「国制と社会組織」ハンス・K・シュルツェ著。本書はドイツの歴史学部で中世史入門の教科書・必読文献として広く知られているとのことだ。日本語訳の序文に「ヨーロッパの中世史が日本で強い関心をひき、ドイツで人びとを大変に驚嘆させています。・・・ドイツと日本の国制と社会組織にはよく似た現象が見られますので、この著作は、比較研究の手がかりとして役立つでしょう」とある。折目正しい丁寧なことばが寄せられている。 それは、明治政府は、ドイツから学んで立憲政治を目指したのだから国制は似ているはずである。併し、その後西洋と東洋との相違がそれぞれ屈折した進化をし、やがて第二次世界大戦では、両国は敗戦という悲惨な経験をした。 国制と社会組織の「基本構造」は、基礎となる知識といえるものだ。それを学ぶことは必須ななことだと思うからだ。そして、日本人にとってドイツを学ぶことはルーツを知ることであるだろう。歴史の空間が体系化されたときひとつの時代の社会秩序をみることになる。 ドイツ人と同じ本を読むことは、意味があることだ。翻訳本が、どんどん紹介してくれる時代がくるだろう。同じ教科書を勉強することが、やがて価値観の理解にも通じるに違いない。相愛のマリアンネをもっと理解していけば、やがて偉大な詩人ゲーテにつながる道をたどることになるだろう。 如何に歴史が、狭い空間の中に拘束されていたかを知ることが重要なのだ。西欧人のヨーロッパの中世が、内なるミームの中にあるとしたら、それを知るべきではないだろうか。
2017.12.31
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和白干潟 2017.12.31.生物は環境と遺伝子の産物だという。漸く人は神に似せて作られた存在では ないことを知った。過ちを繰り返しながら社会規範のなかで生きていかなけれ ばならないし、強者と弱者が存在し、様々な構図がある。平等でもないし、 必ずしも自由でもない。損益という論理が、国家でも個人でも共通項として 国際通貨となっているゲゼルシャフトである。併しそれだけが総てではな い。それは氷山の一角でしかないが、それだけで物事を処理してしまおうと するところに紛争があるだろう。人間関係に於いても男と女という存在だけ でことを済まそうとすると軋轢が起きるだろう。そこに思いやりがあるかだ ろう。然も相互に必要なのではないか。思いやりのない社会は不幸であり、 思いやりのない、夫婦や親子や友人関係においてもうまくいかないだろう。 どうしたら、おもいやりのある人間になれるのだろうか。そう簡単ではな い。スキルがなければならないだろう。社会環境の整備が必要だろう。 そしてなによりも私たち一人一人の努力も要る。
2017.12.31
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ドバイツアー福岡空港―台北ー香港ードバイ 帰国してから2週間経過したが、これまでドバイ・アブダビツアーの写真をアトランダムにアップしてきたが、やっと出発日1.12の時の写真にたどり着いた。これは、2500枚の写真のストックが、逆になっているからである。枚数が多いので、逆順ができなかったことがある。 ・これからの世界の動きに注目が集まっているが、それだけ不安定要素が大きいからである。なぜ政府が信用できないのだろうか。それには理由がある。トランプ大統領が信用ならないのだろうか。国際社会に対する見識が高いとは言えなからだ。なぜ、だろうか。何故こうなるのだろうか。 ・へ2・・・それこそウオーキングもできなくなりつつあるが、からだも体力が衰えてきている。好きなことがこれまでのようにはいかないだろう。それでも何かできることはあるに違いない。
2017.12.31
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エルフード~ワルザザート国民の政府への信頼性というのはアンケートでも先進諸国では、かなり低いらしい。小泉首相以来だが、どうも首相がテレビの前でちょこちょこ出てきて、パフオーマンスをするが、軽すぎではないだろうか。必要以上ではないか。マスメディアを利用しているつもりらしいが、どうもタレントのようでしかない。 ・政府の言動を公表することは確かに価値がないことではないが、単なるコメントでしかない。言い過ぎたでは済まないのであり、やはり軽すぎる。「十字軍」は、イスラムでは、略奪を繰り返したならず者の集団のことでしかない。それは視点の違いでしかないが無視することのできない事実でもある。 ・へ2・・・強者にすり寄っているだけでは、これからの世界では選択を誤るのではないだろうか。アジアの存在は、これからますます国際社会では重くなっていくに違いない。10年後、世界はどうなっているだろうか。「あと3分」の意味を考えると、政府は信頼できない。
2017.12.31
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セーヌ川クルーズエッフェル塔の建設の意味は、それが鉄の塊であるということのためにパリ市民の反発を買ったが、それは新しい時代のシンボルでもあったらしい。そしてプランス文化の開花でもあった。その存在価値は計り知れないものがある。世界中の人たちが知っているからでもある。その時、なにをしたかで歴史的価値も決まるのだ。 ・EUは、揺れているが経済は経済だというのだろう。観光に打撃を受けたが、観光は、重要産業でもあるパリは世界一の観光地でもある。 私には初めてのパリだったが、セーヌ川から眺める風景は、その装飾された歴史のある美しい街でしかない。就中戦争をしているフランスには微塵も感じなかった。人々は平和に散歩していているように見えた。 ・へ2・・・どちらがバカなのか知らないが、人間の一生は、時間とともに消えてしまう。パリに憧れていた画家の友人がいたが、彼は巴里に行ったと話した。そして東京で個展を開いた。その抽象画のどこにパリがあるのだろうか。おそらくあるのだろう。ルーブル美術館の見学をしたが、彫刻の前で学生たちが模写していた。パリの学生になりたい画家の卵が羨ましがるのだろうと思った。
2017.12.31
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タジン料理 美味しそうな料理でしたが、手を付けただけで殆ど食べられなかったのは残念でした。理由は、食欲がなかった。旅行者下痢症。コピーからスタートしている。セルもそうだが、私たちのやっていることと言えば大抵コピーだろう。パクリもある。そうして、いつか突然変異がある。元々その因子を私たちは育てている。無駄と思われているものが、遂に役割をはたすのは、いつかわからない。役割は来ないかも知れない。只管、コピーを繰り返している。歳月も同じだ。地球は46億年の時を刻んでいる。ビッグバンから140億年過ぎた。そして、生命が誕生して30数億年近くコピーを続けて、多細胞となり「ヒトという種」として私たちがいる。アフリカのルーシーがヒトのルーツである。コペルニクスやダーウィンは、科学的真実を指摘したに過ぎない。ひとは知らないのではない。知りながら今なお宗教戦争を続けている。愚かなのは、過去ばかりではないだろう。 ・思えば、人の一生もコピーからスタートしているが、皆同じ人生ではない。少しの違いが夫々の個性になり違う一生を終える。春が来て夏になり秋が過ぎて冬となる。朝がきて昼になり夕方が過ぎて夜になる。人は誕生して、成長し生殖し、移動して死ぬ。人間には、まだ為さねばならない命題があるのではなかろうか。それさえ判らないでいるように思える。肉体の苦痛は、時が過ぎれば消える。そうできているのだから、生物は炭素でできている、自然に還れば消えてしまう。私が今遣っていることと言えば、図書館で先人のコピーをしている。それだけだ。それが生甲斐でもある。 ・へ2・・・コピーでありながら、なぜ生々しい感性があるのだろうかと思う。生きることは喜怒哀楽に満ち、夢を追い続けている。
2017.12.31
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フランシス・ベーコンは「随筆集」で「歴史はひとを賢くし、詩人は発想を 豊かにし、数学は精妙にし、自然科学は深くし、道徳は重々くし、論理学と 修辞学は議論ができるようにする」の述べる。しかし「諸学はそれら自身の 使いかたを教えてはくれない。そのしかたは諸学の外にあり、諸学の上にあ って、観察によって獲得される知恵である。」 この知恵は「古来の哲学者の調和的な知恵」に対して、「相反する極端な動 き」を処する行動の知恵でもある。それは、それ以前のスコラ学的「大全」 との決別の所以である。 「哲学」由来の歴史の流れを知ることは、虚妄と真実の弁別もまた確信の 無い不信と疑いの泥海を行くようにさえ思えてくる。 哲学と科学は分岐しているのだろうか。その始点はどこにあるだろうか。 泥濘の中の迷走が哲学的議論に他ならない。だからこそ、それが不毛の苦役 とも見えるし、不屈の決意を自らに課す所業とせねばならない。
2017.12.31
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カスバ街道世界は、勿論誰かのものではなく、みんなものであり、それは人間だけの独占物でもない。思い上がった人間の奢りが歪なものにしてしまうことがある。平家は滅んだから、「平家物語」が出来たのだろう。どうもローマ以来の飴と鞭のそれだろうか。 ・「ローマの休日」という映画があったが、その本来のローマの休日とは、競技場で、猛獣に奴隷を喰わせるローマ人の娯楽のための休日だったらしい。今でこそ残酷な儀式だが、当時はそうではなかったということだ。人を人とも思わない政治は昔からある。それどれだけ脱却しているだろうか。 ・へ2・・・「平家物語」を読んでいたら、「数寄」という当て字が出てきたが、心「好き」なひとを風流・風雅に心を寄せられる人のことを「心数寄給える人」と書いている。企みのある社会であり、時々、誰のための社会だろうかと解らなくなる。そして、偽りの社会が長く続くと虚偽が本物にすり替えられてしまうのだ。
2017.12.31
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自分が詰まらなくなっているのは自分では解かり難い。尊大になっている時ほど自惚れもする。この世界は貧困であって、豊かでも平和でもない。そういう認識が、欠落しているから贅沢も覚える。努力もしなくなる。世の中の役に立たないことばかり考えてしまうようになる。人間がこれまで生き延びることが出来たのは、免疫力を高めてきたからに過ぎないのだ。 ・何でもできると思うほど、何も出来なくなり、そして詰まらない人間にもなる。自分の寿命を全うしようとする努力をしなくなる。朝1時間歩く、夕方も1時間歩くだけだが、それが今になってようやく出来るようになった。もうあと10年くらいしか寿命はないだろうし、或いはそれも傲りかもしれない。ウオーキングが日課である。それだけでもふうふういっている。当然のことさえできない。他の人は、仕事もしているのに、何も出来ない自分がいる。 ・へ2・・・何が贅沢かは一概には言えないが、健気でない人間は、不遜になりがちでもある。詰まらない人間に為らないように努力するしかない。自分を侮っても、甘やかしてもならないだろう。ウオーキングをすることで、自分の体力も判る。それを知りながら暮らして行くことではないだろうか。
2017.12.31
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怪我をして知る痛みもあり、病気をして、健康の有難さ解ったり、戦争になって平和の尊さが解かるのかもしれない。自分がなってみないと解からないことがある。頭で解かっていると思っていてもその場にいなければ理解できないことさえある。善意と悪意というのは法の世界では、知っているか、どうかだ。知らないが善意で、知ってすることが悪意になる。 ・善意無過失というのは法で保護されるが、それが一般の庶民のことでもある。何も知らないことが好いことなのだろう。「倚らしむべし知らしむべからず」がある。善意の庶民を奨励している。一人で自由に生きることや独立独歩をあまり勧めてはいない。寧ろ自己犠牲が美徳とされていた。上の人たちが目下のものに野蛮な行為をする陰湿ないじめの土壌がある。 ・へ2・・・トラウマを受けたものが、その被害者が加害者の立場になると逆転してしまうことがあるという。大人が大人になりきれない環境が確かにある。それこそ危険な賭けをしたがる企業の社員は、不幸だ。それは国家でもある。皆でやれば怖くないばかりではなく、皆でやれば怖いこともある。
2017.12.31
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トドラ渓谷のオアシス如何やら、ブログネタはどこにもある。もう固定観念がこびりついている。つい常識が先行するが、それは日本人のそれでしかない。広い識見と深い洞察が目標ではあるが、それは実行するのが難しいことでもある。 ・数か月アメリカで過ごしたら、昔のメタボに戻るに違いない。ラスベガスやLAとグランドサークルでは落差が大きいが、それがアメリカでもある。先住民たちを奈落に追いやりながら、平気でいられる神経がアメリカのフロンティアスピリットでもあるのだろう。 ・へ2・・・ドイツ・スイス・フランス7日間もブログを離れるのは寂しかったが、これも偶にはいいのだろう。写真を見ながら「サモトラケのニケ」の項目を読んでいる。ルーブル美術館でガイド本を買ってきたが好い思い出になる。 写真はダメだろうと思っていたが意外と開放されていた。
2017.12.31
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ジョウビタキが時々姿を現すが、いつも意外と近くで見ていたりする。どうやら近くで巣を作っているのだろう。ハクセキレイもいる。最近は、どうも愛に来てくれるような気がしている。小鳥にも。見分けのつくものがいるらしい。動物もヒトだけが高等動物ではあるまい。猫も時々、心を持っているのかもしれないと思うことがある。 ・いつまでも生きているのではないから、これが最期かと思わないでもない。突然死もある。体の中で起きていることを、どこまで知っているだろうか。怪しいものだ。毎日ウオーキングを続けていたころとは違ってきた。この一年、随分足腰が弱ったと思う。ツアーをしても無理ができなくなっている。 ・へ2・・・モロッコも、写真で我慢していた。免疫力が弱ってもいる。まだ遣りたいことは多いが、レッドカードもあるのだろう。来年が、すぐそこに来ている。また朝まで起きていたが、眠れなくなってきたようだ。くよくよしても仕方がないが、悲劇は見たくはない。
2017.12.31
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トドラ渓谷人は贅沢なことができると結局は身のためにならないものだ。余計な金があると遣いたくなり、碌な事をしない。美味いものを食べたい。遊びたい。欲望の趣くままをしたいと思いかねない。この社会は怠惰な人間を創らないように仕組まれた社会だが、それでも例外的な人間がいて、社会ルールに反したことをしてあるべき義務を逃れようとするものがいる。天網恢恢疎にして洩らさずだが、卑劣に甘い汁を吸う人間はどこにでもいる。他人を陥れて恥じない。 ・砂糖に群がる蟻さんのような人間はいる。寧ろ欲望を煽って稼いでいる商売が何と多いことだろうか。相撲社会をいつまでも残そうという根性が解からないし、暴力団もあれだけ警察がキャンペーンを張っているのに、なくならないのは何かある。裏があるのだ。表と裏のある社会だし、本音と建前のある国際社会でもある。キリスト教会が何をしてきたか、ダーウィンは怖くて「種の起源」の発表さえできなかったくらいだ。 ・へ2・・・正しいことを言えなかった時代は長い。そのことを忘れてはならない。科学は、昔から有ったのではない。ダーウィンの業績はだからこそ意味があるのだ。ごろりと変わった。自己批判しない人間は駄目になる。進化を遂げたのは其れが出来たからでもある。裸になり、貧乏して、本当の自分に戻って考えることだ。それができるひとは恵まれていると言えなくもない。
2017.12.31
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トドラ渓谷史書とは、大事なところは寡黙である。それは史書だけではない。一番気にしているとこ ろは書かないからだ。孫子の兵法も分かりやすいのだろう。だから誰にでも熟知できた。孫子 を知っていたからと言って実戦でどう使うかなのだろう。そこは寡黙である。誰にでもわかる ような秘密を明かすはずがない。みな真似をしてしまえば兵法にはならない。要か解釈にあ る。英雄は黙っていても理屈は後でならどうのようでも作ってくれただろう。勝ち残ったから それだけの理由があったはずだと思えば何にでも化けてしまう。白でも黒でもどっちにでもな る。敵か味方かの違いだけだ。毛沢東だって今の中国では評価が以前とまったく違っている。 冷静に考えれば正しいことばかりしていない。金正恩も同じだろう。 ブナの最北限は北海道らしい。なじみの深いブナの林が、北海道まで広がっている。日本はブナの林が拡がる場所でもあるのだろう。落葉広葉樹の森が、一人の人間のゼネレーションに匹敵している気がする。
2017.12.31
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トドラ渓谷には、川が流れその下流がオアシスになっている。世界が複雑化していく中で、そのツールがどうかが問われるようになって いる。記録情報源からさまざまな情報や文献を効率よく求めるには、その手 がかりとして役立つ適切なツールを選び、それを活用するための知識と探 索技術を身に付けることだろう。学生と研究者の違いは、ツールの差でもあ る。昔は、資料も手近なものしか入らず大したことのできない環境であった が、現在は違う。できないのは自分の遣り方や、意欲の問題でもある。また 情報量が違うだろう。論語も、日本文学や日本史も一分野でしかない。 レファレンスブックには、豊富な情報を得ることができる可能性がある。問 題はそのガイドであろう。 どこかで読んだことがある。「いいジャーナリストは、こまかいことは、知 らなくていい、何か課題を見つけたとき、どこをあたればよいかを考えるこ とのできる人間だと。」 人間は、「準拠枠」の中で生きているがその枠組みがみえなければ、本当は 何もできない。潰されるだけだろう。その枠組みがいつも問題だ。
2017.12.31
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トドラ渓谷物事の本質 ・質と量 ・本質と現象 ・内容と形式 ・構造と要素 ・原因と結果 ・必然性と現実性 相関関係を究明できるかで、その人の視座やレベルかで決まるのであろう。 この弁証法の基本的カテゴリーとなる。 非日常の中に世界もある。荘厳なその事実に時として驚愕するのだ。
2017.12.31
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時代のパラダイムの中で時代の空気に合わせてモノを言おうとする姿勢は 日本人の知識人の劣性遺伝子だろうか。固定観念から距離をとり、できるだ け可能な限り高い視座から観察するしかないのだろうか。戦後60年も米国 への過剰依存と屈辱のなかで、「米国を通じて世界を見る」ことしかできな くなった日本人の知性の敗北の帰結がある。対米コンプレックス症を抱えた 奇妙な右傾化は、何を意味するかを見定める必要があろう。 強い「準拠枠」を内部に感じながら、然も私たちは固定化したパラダイムに 繰り込まれている。謂わばその偏狭した世界を突き破らなければ、何時まで も「井底の蛙」でしかない。そこからテイクオフできるひとはまだ少ないの ではないか。少なくとも、その「量」を増やすまでに時間がかかるであろう。 何れ「量」が「質」的に変質までには、まだ先があるだろうし、逆流もある だろうが、日本人は、独立国としての気概を持たねばならないだろう。 日本人が、国として、個人として、真のプライドを取り戻しているだろうか。 最近の混迷現象は、日本人がプライドを喪失していることの証左のような気が してならない。
2017.12.31
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ヘラサギ 和白干潟絶滅危惧種のクロツラヘラサギとヘラサギは違う。昨日はヘラサギが6羽来ていた。最初は遠かったので、クロツラヘラサギではないかと思っていたが、よく見たら違っていた。これまでは大抵クロツラヘラサギに混じって数羽見たことがあるだけだ。6羽も一緒にいるのは見たのは初めてである。今年も1月から4月末まで観察し、秋は9月頃から観察している。 ・いつものように、渡り鳥たちが来ているが、総数から言えば少ないようだ。ツクシガモが100羽くらい来ているのは、珍しい。ミヤコドリも10羽くらい見た。あとミサゴも5,6羽いる。ここ数年間では、クロツラヘラサギは、世界では増えているが、日本では、余り増えてはいないのではないだろうか。 ・へ2・・・人間たちの欲望のために犠牲になっている野鳥たちは多い。だんだん環境が悪化している干潟があるが、だれも顧みようとはしない。野鳥の姿も、和白干潟から消えるのではないだろうか。私も同じだ。独り暮らしの、後期高齢者も近所に住んでおられる、毎日早朝ウオーキングをしているのを見かけている。
2017.12.31
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トドラ渓谷の下流にあるオアシスとヤシの木 ・正月と言っても特別のことをしない。義父が逝くまでは、毎年玉名にある義父宅で正月を過ごしていた。どうも正月準備をしたことが余りなくて、何をして良いのかよく分からないこともある。関心も余りなかったこともあるが、現在のほとんどの家庭がそうではないのだろうか。年始で挨拶まわりも子供のころの経験しかない。紅白歌合戦も、正月のテレビでさえ見なくなってきた。そういえば歌番組もなくなっているようだ。 ・へ2・・・娯楽やスポーツも魅力がなくなってしまった。テレビも使命感のない送り手にも問題がある。創造力の欠如があるのは、子供のころからの教育にも起因しているのではないだろうか。小手先のことしか観て来ていないからでもある。自分の足で調べないで、他人のアイデアばかりに頼り過ぎるからだ。他力本願でしかない。「占い」を信じているような連中になにができるだろうか。視聴率を気にしているようでは現実を見損なうだろう。寒いのは天候ではなく、心が寒くなるような生き方が目立つ。
2017.12.31
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ムクドリ明日は、大晦日。来年の話も、誰も嗤わない。あっという間に、一年が過ぎた。北朝鮮とか、トランプ大統領の話ばかり聞かされた2017年は一年だった。おそらく世論操作もあるのだろう。1機、1000億円もする戦闘機をアメリカから買うらしい。防衛費が、なし崩しで増加しているのも、議員たちは何も触れようともしない。 ・憲法改正の議論も、国民から離れたところで進んでいる。北朝鮮の挑発的な行動が喧伝されている。謀略的なものが裏にあるのだろう。核兵器に対して、どんな兵器も通用はしないのだ。広島に落された数百倍の威力がある核爆弾もある。北朝鮮には、背後には中国やロシアもいる。またぞろ冷戦時代に戻りかねない。 ・へ2・・・今年も色々あったが、明るい未来だろうか。どうも想定外のことが起きている。これまでの常識が通用しない。大企業さえあてにはならない。あの東芝でさえ、信用が失墜した。政府だってあてにはならないし、どんな国家も潰れるときはある。天下の官僚が堕落してはいないだろうか。来年は、重い一年になりそうだ。
2017.12.31
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立山黒部アルペンルート雅が都で、鄙びが田舎である。上品と下品。二元論で片付けようとする傾向がある。善と悪。勧善懲悪。権力者に都合のいい解釈がされて芸術は利用された。美化された文化がある。権力者が変わるたびに伝説が書き換えられたという。説話文化が明治までの歴史でもある。漱石もそうした伝統を背負っている。その弟子たちも。 ・人生の仕組みに、下剋上を肯定するものはなかったのだろう。進歩を認めようとしない文化が東洋にある。それが西欧の合理性に対抗できなかった。唯物論の社会主義国家でさえ、非科学的なことが通用している。北京市民とそれ以外の市民には差別があるというから驚きだ。何のための社会主義だろうか。世に訳の分からないことが多過ぎるのだ。 ・へ2・・・いわば鄙びた田舎で暮らしている。だから解るものがある。好いことも嫌なこともあるが、だから雅ではない。食べ物を探して野山を歩いていた子どもの頃を思い出す。家に食べ物がなかったから、山の達人の後ろを追いかけていたものだ。長塚節「土」農夫の勘次の憐れな百姓の生活は、都会人からは土と共に生長した蛆同然だというのだ。
2017.12.30
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オアシスとヤシの木。 トドラ渓谷へ。・人のからだというのは複雑で、それこそミクロの世界でもある。まだ未知の世界の話もある。医学はまだ万能ではない。人は自業自得で病気になる。摂食も運動もからだを正常に保つために必要なのであって、生命にかかわることでもある。自分の生命を守れなくて政治もないと思う。 ・へ2・・・自分の健康は、他人が守ってくれるのではない。政治はゲームではない。大勢の人の命がかかっている。脅迫や暴力で行われるべきではない。忍耐と努力によって為すべきことは多い。やっと歳をとって解かることはたくさんある。孤立化した人間は、誰も援けてはくれないのだろう。
2017.12.30
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和白干潟現代は数々のストレスとの闘いの中にある。謂わば生まれてから死ぬまでストレスとの闘いが続く。それこ そ気圧か水圧みたいなものだ。「ストレスに対してどう闘うか。知らない者は早死にする。」 私たちが生きている限り、自己以外からストレスを受け、そして私も他人のストレスの原因になるかも知 れない。平気で楽々と耐えている人もいるし、無神経で判らない人もいるだろう、人はさまざまだ。 私などは、負けて病気だ。それでも、未だしぶとく生きているのは生への執着だろう。愚かな努力かも 知らないが、私は、これまで楽して生きてきたので世間にお返しをしたいだけだ。吸い込んだものを吐き 出したい。吸い込んだ思いは、数かずあるから。ひとはいつか炭素に戻り、空気となり、地上に暫く留まり そして、宇宙へと還っていくだろう。ストレスは、生きている証明かも知れない。 私たちは、歴史を学んできたが、いつか私たちも過去になるだろう。
2017.12.30
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オアシスロンドン大学インペリアルカレッジの実験では、 ヒトの体温は・・・最低値は午前4~6時。最高値は、12~14時。其の差は、平均1℃差であったという。 私たちが何故眠るのかはよく解っていない。 「睡眠」の研究は、クライトマン「睡眠と覚醒」以来様々な分野で研究がされているが、ヒトのフリーランリズムを調べるには、ヒトがある程度の光を必要するという事実を見逃してはならないといわれる。 非常に稀な病気であるが、プリオンタンパクの異常が関係していて、まったく眠れない状態が6~30ヶ月つづき最終的には死亡する。昏迷、体重減少、内分泌系の崩壊などの症状が進行する。 米国の100万人を超す研究では、 睡眠時間4時間未満になると死亡率が上昇する傾向があること。 最も生存率が高かったのは、7時間。 逆に、8時間以上の人の内、一部の人は病気を抱える可能性が高い。 少なくとも睡眠時間が長過ぎるのは病気の存在を反映するらしい。6~7時間が最適なのだろうが、時間だけではなく、眠り「質」もあるだろう。 Non-24 シンドロームとして指摘されるが、これからの課題でもある。
2017.12.30
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6日目。ティネリール。レールの敷かれた電車に乗ってのんびり外の風景を眺めてきたような日常から、「もう終着駅ですよ」と追い出されてきた。まだ生きている。確かに足は付いているが、余り使ったことはなかった。外を歩いていれば雨も降るし、風も吹く、時には暴風雨にもなる。山になれば雪にもなるだろうし、砂漠もある。自由があるのではなく、放り出されたようだ。それでも、何とか生きていかなければならない。道なき道を行かねばならない。これまで何とか見よう見まねの他人の真似ばかりしてきたが、生きていくにはそれだけでは足りない。 ・環境に適応していくためには、この社会が自分に何を求めているのか知る必要がある。この社会で、何が起きているのか。何が起きようとしているのだろうか。藁をも縋るように周囲を見回してきた。ツールを探し出したら、多過ぎるくらいある。そういうじだいになってもいるようだ。つまり、私のような人間がゴロゴロいる。大学の公開講座に出席して、レールのない道を歩き始めている人たちと出逢えるのは心強い。 ・へ2・・・余生をどう生きるかなど考えたことはない。いまも余生とは思えない。これまでの生活の延長でしかない。それでも社会は違う生き方を求めている。レールはないのだ。そこまでの社会保障はない。勝手に生きろだ。生き残るものだけが生き残れば好いということらしい。もう講座を受け始めてこの大学も5年目になる。資料が多いのに驚く。どうやら整理が遅れている。タイムオーバーになる前になにかつかめるだろうか?
2017.12.30
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テイネリールととオアシス。カスバ街道。年末から海外ツアーの人たちが大勢いる。こうした大移動を見るにつけ、これもある一つの予兆なのではないかと思えてくる。避暑に出かけたり、冬は暖かい所へ出掛けたりする。それが出来る人は、それだけ自分のからだを大切に思うからでもある。できる人とできない人がいるのは確かに問題だが、その人のからだ自体の問題ではない。明治以後、多くの人が海外に移住して行った歴史があるが、それは日本の暮らしを見限ったからであった。 ・太陽の光や、気温や、水や、人間の生命を支えるものは、それこそ一言では済まないくらい複雑であり、そして限がないくらいある。自分の生きてきた環境というのはそれに適応できる能力も必要だ。自分の持っている遺伝子は、その地に相応しいものでなければならない。それは自分だけでできるものでもない。長い歴史の中で創り上げてきた形質でもある。そこから出ていくことは、また新しいチャレンジをしなければならない。 ・へ2・・・そうしなければ活きていけないと感じなければ出来ないことでもある。それは意識的か、潜在的な無意識か、の違いはあるとしても、或る選択であることには相違はない。自分たちの住む環境を知り、自分を知ろうとするのは、これから何をすべきであるか、洞察するために必要なのだ。自分や自分の子孫たちが、どうすれば生き延びることが出来るか、自分で確かめようとする意図が隠されている。それに気付いているかどうかでしかない。遊びながら、自分の脳は、目の奥で視て考えている。そこに強かな戦略が隠されている。
2017.12.30
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カスバ街道努力を惜しむなかれ。いたずらに軋轢を懼れるな。世間では軽い言葉が流通して cool ではない。時間を浪費するだけが人生ではない。歴史を学ばない者は、いつか、糸の切れ た凧になる。いつまでも喋らずに終わろうとしてはいないか。「真実を語る」は人の責務である。 それが何であろうと、ことばに残してこそ価値があると思う。 スティーブン・ホーキングに学ぶべきだ。 「人生は時間でできている」とはベンジャミン・フランクリンのことばだ。無駄遣いばかりし ているのだろう。図書館に行ってきた。正月を挟むことになるので、貸出期間は長い。10冊 借りてきた。館内にクロツラヘラサギのコーナーがあり写真などの展示がされていた。自分で も苦労して写真を撮ったことがあるので、感心したが、どうやら世界中のものらしい。雨が降 っていたが隣接の駐車場に駐車することができなかった。寒くなり図書館もどこもいっぱいの ようだ。ゆっくり本を読めるレストルームでも作れば良いのではないだろうか。
2017.12.30
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ティネリール付近 脳はこれまで複雑すぎて手が付けられないと思われていたが、少しずつだが解明されてきたが、ほんとうにそうなのかどうか、証明できないところもある。人工頭脳について研究してきた講師から面白い脳の働きについて、興味深い話を聴いてきた。もともと脳については関心があるが、最近は勉強不足である。基礎知識がないので、続けていないとすぐにわからなくなる。 ・ラジオを聴きながらとか、汚い文字で然も細かい文字で書くというのは、むしろ脳の補完機能が働いて記憶の効果を高めるらしい。忘却と記憶が繰り返されている。怠け者脳を刺激を与えて活性化させることができるかにかかっている。誰にも天才になる可能性が秘められている。記憶よりもむしろ想像力を高めることだという。 ・へ2・・・遣り方は当然あるが、個人差もある。その人が一番向いているやり方には、大脳皮質や海馬や扁桃体によってつくられる記憶の種類によって違う。分かっているのはその共通点があることだけだ。そのためには脳のインプットを高めて、それを効果的に引き出すかでもある。手強い相手だが、それだけに使い甲斐もある。
2017.12.30
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トイレ休憩人間社会と違い科学の世界は、次々に多くの知識を手に入れつつある。リンクできないのは何故だろうか? 科学は、人間たちの暮らしの一手段でしかないからだろうか。捩れた社会が齎すものは破滅でしかない気がしてならない。山野を走りまわっていたころの体しかまだ種としてヒトは持っていない。女と男にしても脳は、その特徴をいまだに遺伝子として継承している。然し、いつか主客は逆転するのではないだろうか。その時まで、ヒトが存在しているかという疑問があるが・・・。 ・生物は奇跡ではない。只地球上の生物たちは運がよかったのは確かだろう。火星も当初はそのチャンスがあったが、環境に抗するまでの時間がなかったのだ。生き延びるためには更に大きなチャンスが必要だったのだろう。ヒトがどれだけ生き延びることができるのだろうか。飽くなき関心がある。生まれて死ぬまでの間に感じてきたものが、単なる知識の集積ではなく、知識を超えた何かがあることを感じている。それを安易に口に出したくはない。 ・へ2・・・未来は、科学者たちだけのものではない。一人の人間も類としての人類に繋がっている。私たち個々人は一人ではない。善人もいれば悪人もいる。健気な人もいれば、邪な奴もいる。その総体が人間の姿であり、種としてのヒトの存在である。男でもなく、女だけでもない。脳というシステムを持った生物であり、社会的動物である。地球も生物が死滅した火星のようになる日が来るだろうか。そしてやがて火星に行くだろうか。
2017.12.30
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MAROC 6日目。自分で考えている常識が、必ずしも世間一般の常識かどうかとなると、一概には言えないだろう。自分には非常識に思えても、世間ではそうは思われていないものがないわけではない。そして、世間を欺いている世界もある。麻薬にしろ、薬として使われてもいる。大麻を生産している人たちが、どういうひとたちなのか、必ずしも極悪非道の人たちばかりではない。麻薬の存在自体が悪ではない。悪を人間が創り出している。加害者であり、被害者であり、更に犠牲者であり、悪人になり、精神的破綻者になる。国家が麻薬を取締まるのは人間に対する文化でも決まるだろう。 ・一般的な常識でこの社会ができ上っていると言えないところに複雑さがあるといえる。自分の常識は移ろい易くもある。その措かれた環境で変わってしまう。健常者の常識と、深刻な病気になった病人とでは違うのではないだろうか。裕福な生活をしている人たちと、貧困者でも違う。ここ数週間、毎朝、毎夜、ウオーキング中に、ホームレスのひとを見掛けている。彼は自転車に生活道具を乗せ、シートを敷いた地面に寝ている。朝晩寒くなり、もう外では寒い。何を考えているのだろうか。こちらも見ているが、彼も私を見ている。 ・へ2・・・老けて見えるが、私よりも若いのではないだろうか。彼がそこにいる理由がどうしてなのだろうと思っていたが、今朝ようやくそれが判った。近くに弁当屋がある。どういうふうにこの社会で生きていくか、私は自分の常識に従っているが、違う世界観や価値観の人もいる。ある意味で、自省とは、自分の非常識と対峙しているのかも知れない。
2017.12.30
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「自由からの逃走」や「不確実性の時代」だったり、企てのある社会で、自己の存在を客観的認識を以て捉えることも難しい。自分が何ものであるか時々自分の意味さえ見失いがち。自分を木偶人形のように感じることさえある。感情の起伏を抑えられない気分がしたりもした。これが煩悩だろうか。それを棄てろといわれてもそれをすれば宮刑ではないかと思ったりした。 ・無害の人間とは、いつもにやにやして魅力もないひとのことではないか。他人を疑い自分さえ疑う。そんな時代である。然しそれは人間社会の中では当然の帰結でもあるのだろう。平和の時と戦時では違いもする。程度の差があるだけだろう。利益社会がさせているだろうか。ストレスがあり、その中で如何にリラックスするかでもある。遣り過ぎたら泣く目にも遭う。 ・へ2・・・少し世の中が解かって来た時には、もうリタイヤをしなければならない。誰にも人生の王道はなく、自分のことは自分で判断するしかない人生観がある。一年も、一ヶ月も、一日さえ、何か節目を感じる。一時間も、一分間さえ重くなる時が来るのだろう。そのことを考えないで、知らないで平気で活きていることのできる間は幸福な時でもある。リラックスできることはまだ、自分のエネルギーがあるからでもある。 中々いうほどリラックスのできない性格でもある。どうもいけない。緊張してしまう。臆病なのだろう。学芸会で一番前に立ったら、緊張のため頭を傾けていたらしい。みんなから笑われた。それがどうも自分でもいやになっていた。でもなかなか治らない。
2017.12.30
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