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文化が低迷して来ると、人材が育たないと見えて、世襲が目立ってきたようだ。サラブレッドが通用するのは競馬くらいかと思ったら、最近は何でもありのようだ。民族の退化が始まっているのではないか。親が苦労して得た処世術が子孫に伝わる訳ではない。過大な期待が却って裏切られてしまうものだ。身内で誤魔化そうとしても、それほど世間は甘くはない。そんなことで乗り越えられるような環境ではないのに、いまだに懲りない人たちがいる。これは日本だけの傾向ではないようだ、外国にでもある。血統を未だに重要視している人たちがいる。 ・如何にイメージが人間社会で大きいかということを示してもいる。夢と現実は違う。経済の停滞が人に進取の気持ちを起こさせなくなっているようだ。益々マイナスのスプライルが始まるのだろう。世襲はそういうなかで根強いものがある。昔の栄光という夢を追い過ぎるのだ。 ・へ2・・・公正さがなくなり、人間の健全な競争の場が削がれてしまってはいないだろうか。安易なペーパーテストで評価されている。出自で才能は発見できない。人間らしい素朴な精神と地道な努力が尊重される社会になることが、優秀な人材育成には必要な環境なのだろう。アメリカの実験に国際社会も振り回されている。好いことはあるまい。世界の迷惑にならなければいいが、もうその兆候はある。外交を知らない人間がどこまでやるかだろう。そして崩壊もする。
2017.04.30
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植物にとって花の美しさは大きな武器になっている。太陽に向かって一番目立つ所に咲く花弁が多い。匂い立つものもある。昆虫や小鳥たちに種を運んでもらうため手の込んだことさえする。花は別に人間という存在を想定しているのではない。人類が誕生する前から存在していたのだ。自然の淘汰を繰り返して、偶然の条件を重ねながら、生き残ったものには優れた戦略があったことの証明がある。人間から見て美しいの人間がそう思うに過ぎない。もっと真剣で生々しい淘汰の法則に従っている。 ・人間の想像力も自然に存在するものの延長でしかないものばかりだ。先日、「アバター」をみたが、生物の存在を、僅かの動物の変形でしか表現できないようだ。真似るのが悪いだけではないが、どこか創造性に欠けている。固定観念から抜け出せないでいる。宇宙を胡桃のようだという科学者がいるが、やはり胡桃もこの世の現物でもある。生物の戦略も行き詰りつつあるのだろうか。「減数分裂」の成功ゆえの没落が始まろうとしているのかもしれない。 ・へ2・・・戦略が有効な時期はいつまでも続かない。必ずデッドロックがある。それをさらに乗り越えるだけのものを内包しているかだ。戦略は使い果たされ、ついに終わりが来る。社会もみなが同時に動いて為すべき環境ではない。秩序はカオスに向かいつつある。
2017.04.30
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個人主義が、現代に及ぼしている存在価値を認めない訳にはいかない。社会体制がどうであろうと、つまるところ個人の責任や権利を問うてもいる。個人の果たす役割を無視してこの社会は形成されていないからだ。自分のことしか考えなくなっている。配偶者や子供のことは考えても、親や兄弟のことを、その善悪は別として考えていない人ばかりだろう。それだけの余裕がないと云うかもしれない。それは個人主義の一つの側面でもあるのかもしれない。つまり、個人主義とは家族優先社会のことでもあるからだ。小さな家族しから、親兄弟は排除されている。 ・勿論、親兄弟を大切にする人もいるし、配偶者や子供よりも優先した考えの人もいるだろうが、それは圧倒的に少ないのではないだろうか。社会現象としては、親や兄弟は、他人と同じ位置にあると思う。どうやらこれは日本だけではない。寧ろ日本が、世界の流れに合流しているのだろう。欧米の個人主義も、自己責任のルールであり、家族主義のように見える。アメリカも中国も、その他の国も、似たようなものだ。そして、人びとの意識は、家族は、核家族になってきた。一般の社会生活が、横の繋がり難くなっているのはそうした背景があるのだろう。 ・へ2・・・人間関係が希薄にあってきたのは、そうした個人主義の利害もある。親より早く親離れするものが出てきたのは、自己の責任を軽減して、自分の家族を優先するからでもある。或る意味の「姥捨て」が、公然化している。社会は、つねに新陳代謝を求めている。要らないものは捨て、新しいパワーを要求する。人もその道具でしかない。科学の進化と合理主義は個人主義を生み、そしてひとびとを孤独にしようとしている。
2017.04.30
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柳澤桂子「われわれはなぜ死ぬのか」。生命の誕生以来36億年間、細胞分裂は続いて いる。環境に適さなくなると細胞は死ぬ。不慮の死は、数知れない。アポトーシスは、能動的 な死だ。ヒトの寿命は受精の瞬間から時を刻み始める。一個の受精卵は60兆個の細胞に増殖 して人間という小宇宙を形成している。脳が発達して学習する。生命の歴史は、生と死は同じ 価値を持つことを示唆している。死によってこそ生は存在するだろう。多細胞生物にとって、 生きるとは、少しづつ死ぬことだ。 学ぶべき知識の習得は、遙か彼方で私たちを待つだろう。
2017.04.30
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堀辰雄を買いに学内生協に行って来たが、丁度新入生のための教科書が沢山並べられていたので覗いて来た。以前も買いたい本があった。東大の「生命科学」と云う教科書があったが、今、WEBで図書館の蔵書を調べてあれば借りてみようと思ったが、流石に新刊でないようだ。新しい本を読むのは簡単ではない。手にとって見て読みたいと云うのが一番だがそういうわけにはいかない。やはりカネが必要だ。図書館でも、いつも新刊が読めるわけではない。書物は新鮮さが一番なのに、いつも古いものしかない。 ・古くてもいいものはあるが、新しいものでなければ意味がないものもある。ことに日進月歩の科学はそうだ。古い知識を追いかけてもアルコールのない酒と同じだろう。いつも新鮮なものをと云う訳にはいかないだろうが、必要とする読者に届くまでに腐ってしまっては意味がない。紙の書物もなくなって行くのだろう。いつまでも材料が木材でもあるまい。もっと手軽に、すばやく誰にでも本が読めないものだろうか。 ・へ2・・・新しいツールが出来てきている。それを私たちが簡単に使えるまでには私たちは死んでいるのではなかろうか。PCも身近になったのは最近のことでしかない。知らなければならない知識は山のようにある。それを知る必要があるが、それこそ障壁になっているものが多すぎるだろう。碌でもない書物の出版が大量生産されているが、読みたい本を探すのには忍耐と努力しかないのが現状だろう。
2017.04.30
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どんなに優れた研究もスポンサーのできない研究は、先に進まないし、企業の継続も金がなければ続けられない。それに最近では、社会的信用もある。しかし、それも食の安全にしたところが、どこでどんな企みに遭遇するかわからない。ブラックホールもあるらしい。少なくても表現の自由と言いながら、誰のための自由かとなると簡単ではない。日記は日記でしかなく、マスではない。メジャーでもない。道具を持つ者には、上がおり、その上にも上がいる、そして先が判らないほど先に黒幕がいるかもしれない。上の同意なしには書けないし、反対すれば職を追われる破目になる。そして、自分が道具だと気づくだろう。モノはこちらから見ているばかりではないだろう。 ・まあ、あまり考えても、辟易するだけだ。世の中は因果律でできている。原因と結果は相関関係でできている。繋がらない事象はない。素直だから良いでもない。汚れていいはずもないだけだろう。目に見えるものの多くは、氷山の一角で、その潜在しているものの実態はわからないだろう。この前までの北朝鮮は、韓国と友好ムードだったのではないだろうか。それが、一変してしまったが、どちらが変わったからだろうか。それとも、何も変わっていないだろうか。ただ、どちらが本当かということだろう。同一民族でさえこれである。人間関係の複雑さは人知を超えてあるだろうか。 ・へ2・・・顔は創られるにすぎない。しかし、誰にでも顔があるわけでもない。個人の意見を尊重する社会かどうかでデモクラシーがあるかないか、だろう。もともと顔のない人たちもいるのだろうか。それは幽霊でしかない。キョンシーとか言ってどこかの国で人気の映画があったがアイロニカルな話だった。死んでも死に切れないという発想は怨念なのだろうか。私は、あの世の話をするつもりはない。まともな話がしたいだけなのだがそれが、とんと難しい。
2017.04.30
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殆どの中国人史家はモンゴル王朝を中国史におけるもっとも不愉快な時代とし、不幸な悪疫とみなして無視しようとした。中でもモンゴル人締め出しの決意を目に見える形として残したのが、明王朝が16世紀に新たに着手した万里の長城の建設であった。モンゴル軍は、中国とヨーロッパを接触させたが、様ざまな交流があったが中国は文化として自足した文明を守ろうとしたのだ。 キリスト教とイスラム教も、フビライの死とともに凋んでしまう。フビライは国際的な野望を持っていたが、中国人はペルシャ文化に関心をしめさなかったのだ。東洋と西洋との乖離だ。そして、1492年クリストファー・コロンブスが、求めた目的は、大ハンカタイへの航路を探すことだった。 やっと「万里の長城」の建設まできたが、中国人にとって、それが如何に不都合な歴史であり、記念碑でもあることだろう。それこそ今では、歴史の遺産でしかないが。いまやモンゴルは日本の友好国であり、その国生まれの白鵬は、日本の国技のやたら強い唯一の横綱でもある。
2017.04.30
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タイの文化と日本の文化は比較したら面白いと思う。そういう研究も恐らく沢山あるのだろうが、これまで関心がなかったので読んだことはない。タイはプライドが高く、独立心のある国家ではないだろうか。大抵看板はどこの国家も英語表示が普通だが、それが少なかったのはベトナムや中国と変わらない。自立心が確りしているのではないだろうか。どこの国家にも優れたところと、そうでないところがある。その特徴をどう活かすかだろう。それは個人でも言えることだ。 ・自分の弱点を知らないものは、いつか行き詰る。行き詰ることを未然に知って行動できるのとできないのとでは結果は大いに違う。足りないものを補おうとして西欧は科学の進歩を遂げもしたのだ。怠慢が人間を敗残者にする。「一病息災」という。病のあるものが寧ろ生命を完遂するかも知れない。それだけ油断なく努力するからだ。 ・へ2・・・弱点を克服するには努力が必要だ。病人であれば、それも健常者以上に努力をしなければならない。それがまたエネルギーにもなる。マイナスはプラスに向かう契機にもなる。どんな人間が生き残るのだろうか。それは未だ誰も知らないのだ。只言えることは、恐らく生きることに飽きない人であり、エネルギーのある人だろうと思う。
2017.04.30
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「蒼き狼」は、近代世界の出現を促がした大原動力になったいう論説を読うやら日本人がこれまで抱いたチンギス・ハンやフビライ・ハンやモンゴル帝国のイメージは相当視点が違うようだ。これまで日本人が世界史として理解してきたものは、中国や西欧を通じてのそれでしかない。日本とモンゴルついていえば、最近になって交流が盛んになりつつあるが、そのレベルは中学の日本史に出てくる「元寇」程度の幼稚で、古く遠い歴史でしかない。 鎌倉武士が、闘った相手は「元寇」といっても正規のモンゴル軍ではなかった。モンゴル軍に編入された、高麗兵や中国兵であったということだ。ヨーロッパ人が味わったようなモンゴル軍の強さでも恐怖でもないということだ。東欧が徹底的に蹂躙され、ヨーロッパの最強といわれたチュートン騎士団とハンガリーの騎士軍団をあっさり壊滅させたパワーだったのだ。 日本人はそれこそ本当の戦争の怖さを知らないのではないだろうか。絶望の淵から這い上がったことの経験がない国民ではないか。確かに敗戦を味わったが敵に陵辱され、その奴隷にされ蔑まされて生きねばならない仕打ちを受けた民族であっただろうか。まさにそのことが、いま平和への渇望にゆるい所以ではないだろうか。 モンゴル軍といえども他の軍隊と同じく、あやまりをおかし、運不運に泣かされもする。アイン・ジャールートはまた、世界制覇を目指すモンゴル軍の一貫した遠征行動の終焉をもたらしたのだ。マムルーク軍は、遂に、クトゥズのモンゴル軍を壊滅させた。
2017.04.30
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「絶対静止空間」が存在しないというアインシュタインの相対性理論は、ニ ュートン以来の古典物理学の世界観を引っくり返し、物理的世界観のパラダ イムを大転換させた理論であると評価された。併し、それは純粋な理論であ って、現実的には検証不可能な理論ということで、1921年アインシュタ インがノーベル賞を受けたときも、相対性理論は受賞理由ではなかった。 人類の知の歴史から見ると、知の基本的枠組みが大幅に変わるパラダイムの 転換を幾度も経験していることがわかる。そして、歴史は大きく転回して、 それまで流れと全く変わってしまうのだ。例えば1868年であり、194 5年であろう。日本の社会システムや価値体系ががらりと変貌した。 相対性理論という時代を読み解くキーワードは、容易な理論ではない。 この「動いている物体の電気力学」という味も素っ気もないタイトルが、 人類に与えた貢献は計り知れないし、そのエッセンスを理解できなければ現 代科学を理解することはできないし、スタート台にも立てない。 何故なら、この相対性理論を武器にして自然の秘密に迫ろうとしているから である。
2017.04.30
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宮地嶽神社 「ザ・堀辰雄」を鳥渡読み始めたが、・・・。小説とは、何だろうか?と思わずにはいられない。小さな説と書くから、小さな物語に過ぎないだろうか。或る人ストーリーだろうか?色んな人間がいるが、環境も違うし、時代も違うのだ。或る場面にことでしかないし、その人でなければならないことでもないことを、何のために書くのだろうか。自分のためもあれば他人のためかも知れない。漱石とも随分、堀辰雄は違う。堀は優しいのだろうか。 ・まだ外は昨日の雨が残っている。今朝はどうなのだろうか。まだ時間が早いので、外に出ていない。天気は回復してくるとの昨夜の予報だった。昨夜のウオーキングは途中で酷い雨になったが、朔日から1日2万歩を未達にしたくなかったので、濡れながら歩いてきたが、シャワーを浴びたら少し草臥れたのか眠くなり早寝をした。来週から始まる講座の最初の2編を読んでおこうと思っていたが出来ずに寝た。 ・へ2・・・自分のことだけでも大変なのに、何故小説をひとは読むのだろうか?他人のことを知りたいと思う気持ちがそうさせるのだろうか。自分の生き方は正しいと思っていれば、小説など読まないで済むのかも知れない。恐らく小説を読まないで生きていけるには違いない。だが他人と関わらずに生きていくことのできる人はそうはいまい。漱石は男の側しか書いていない気がする。反対方向がない。我儘だったのだろうか。自己本位にあることが世の中をモノトーンにもする。「小説は、ことの核心で沈黙し、終わらない物語」だろうか。
2017.04.30
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1968年4月4日午後6時1分テネシー州メンフィスのモーテルでキング牧師が暗殺された。どうも暗殺者はカネで雇われていたようだ、とBBCは言いたいようだ。「世界に衝撃を与えた日」のドキュメンタリー風に再現した映像だ。どこからでも銃撃可能なモーテルに宿泊することや、当時の公民権運動の進展から見れば予想されることであり、尚且つ仕組まれた暗殺はとても民間で遣れる仕事ではない。脱獄して逃走中の男が遣ることだろうか。20ドル札の束から望遠鏡を手に入れ、モーテルでも20ドル札を使っている。 大統領でさえ暗殺する国家である。都合が悪くなったライバルを殺そうとする、まるでギャングの所業だ。その壁を突き抜けないことには現実に至らない。彼のノーベル平和賞受賞という名誉は何のためのものだろうか。少なくとも何の保障にもならなかった。暗殺後黒人たちは各地で暴動を起こしたが、それはキング牧師の思想を継ぐことではあるまい。 多くは美化されて伝説になる。真実もあればでっち上げもある。正義もあれば不正義もある。美もあれば醜悪もあるのが、せべては人間の世界だろう。BBCは、22年後の 11.Feb.1990 のネルソン・マンデラの出所後の演説を取り上げている。この演説を白人たちは怖れていた。そしてその日が来た。そして彼の演説は、予想した通りの事態を誘導していく。白人支配の終わりである。ことは、環境と出来事で決まる。 多くの重要なことは、なべてプロが遣るからできる。
2017.04.30
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よく色々文句をいうことがあるが、作家の優れた文章の美しさに感嘆していない訳ではない。洗練されたことばや文章には、激もする。そして、それが過ぎるといやになったりもする。美しいだけのフレーズでは、さほど長続きがしないのは、恋愛と同じだろうか。何時も「好き」だと言われ続けて嬉しい訳はない。ひとには喜怒哀楽があり、怒りや、悲しみや、苦しい時もあるからだ。愛情を懸けても応えてくれないものもある。だから無償の愛もある。「アガぺ」もそうだ。 ・堀辰雄の「風景」を読み終え「ルウベンスの偽画」を読み始めたが、美しい文章で惹き込まれるものがある。堀辰雄の業績をサイトでみていて、またかと思った。勿論全く知らない作家ではないから、知っていたが、UTの出身である。繊細であることが才能なのだろうか。確かに頭は好いのだろうが、大地に根付いて野草のような強かな強さを感じない。漱石でさえ、どうして稲からコメが出来たのか想像できないと云ったそうだ。文章でしか描けなかった自由で満足しなければならなかった時代の話だろうか。 ・へ2・・・文法がどうあろうと、美文でなかろうと、何度も同じことを繰り返し使う拙劣なものであろうと、自分勝手でよいと思う。美しいだけではないのが、現実の社会であり、スマートだけでは務まらないのだ。軽薄なものに憧れて焦がれ死んでいった若ものたちを嗤うことはしないが、哀れでならない。「ヘイフリックの限界」から逃走しようとしても出来はしないのだ。
2017.04.30
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ジェイムズC・デイヴィス著「人間ものがたり」(布施由紀子訳)。少し分厚いが、「人類の誕生」というタイトルをこれまで何度目にしたことだろうか。それでもやはり魅かれてしまう。さまざまな進化を遂げたが、アフリカに住むものが、背が高く痩せているのは体表面が広いのが熱を溜めずに冷すことができるからで、黒い肌は熱帯の太陽の紫外線を防ぎ、縮れた髪は高温から頭を守る役目を果たしたとか。ヨーロッパやアジアに住んだ人びとは、長く暗い冬を乗り切る為に太陽の光を浴びてビタミンDの産出のためで、黒い肌では日光を遮断しすぎるので、彼らの肌は色素の少ない薄いピンクか黄色になったというのは、結果から見た、こじ付けのような気もしないではない。どうもそういう説明をしたがるのだろう。 ・「人間のものがたり」、それは、宗教を持たないものの宿命であろうか。ある部分は信じられるが、必ずしも全部が信じられものはない。なるほどとは思うけれど、違う見方もあるかもしれないと思う。日本人の歴史と、中国人の歴史では、見方は相当違っている。まして西欧と東洋とではまた大いに違う。まだ数百年間の交流でしかないからだろう。 ・へ2・・・世界はひとつは、実現できるのだろうか。それは過大な希望でしかないだろうか。世界史から見れば、余りにも悲惨過ぎる過去の歴史がある。人間たちはお互いを誤解したまま生きねばならない運命で終わるだろうか。このままでは人間は、噛み合わないまましんでいくようにおもえてならない。
2017.04.30
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すべてはショートする 自然淘汰には、目的がなく、ランダムに起きる。たまたまその時の状況や環境で有利な因子があり、 「変異」は想像を超えてモンスターになる。進化時間は長い。生存ではなく繁殖することで遺伝 子は次世代に承継される。 natural selection は、変異のある遺伝子形質に淘汰がある。 すべて社会は、その時代のルールで形成されるが、実はランダムが支配している。ヒトは、そうして進化し た形質を持つ。はじめから目的などない。人間は、神さえ創造した。 其れは、必要だったのだろうか。その答えは未だ、ない。何故目的もなく、巨大脳があるだろうか? 神経細胞は、この宇宙をも凌ぐ、ニューロン・ネットワークをもっている。ランダムであることはヒトという種の 強かな戦略である。私たちはそれに因って生かされている。遺伝子のエラーを創り、病気で さえ、或いは戦略のひとつ。「ヘイフリックの限界」も理由がある。 どう生きねばならないと考えるのは、寧ろ淘汰に逆らうことになる。ランダムであることが、ひとの 形質であり、終りは必ずある。届かない。すべてはショートしてしまう。 考えないでいられることが幸福なのだろうか?苦悩することが幸せか? 男もない、女もない。 説明も要らない。ただ活字になっている宇宙がある。
2017.04.30
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和白干潟のクロツラヘラサギ一葉は20歳。相手は半井桃水32歳だ。新聞記者である。一葉は、日記「若葉かげ」でその時の気持ちを書い ている。「初見の挨拶などねんごろにし給ふ。おのれまだかかることならはねば、耳ほてり、唇か はきていふべき言もおぼえずのぶべき詞もなくて、ひたぶるに礼のみなすのみなりき。」 桃水は「低い身であるのに少しく背をからめ色艶の好くない顔に出来るだけ愛嬌を作って、静粛に 進み入り、三指で畏まってろくろく顔も上げず、肩で二つ三つ呼吸をして、低音ながら明晰した言 葉遣い、いんぎんな挨拶も、勿論遊ばせ尽し、昔の御殿女中のお使者に来たやうな有様で・・・」 と書いている。これは、桃水が、一葉の死んだあとで書いているので脚色や勘違いもあるが、まあ 雰囲気はわかるだろう。 それから、一緒に食事の相伴までしている。死別だがバツイチ男だ。 一葉は、「君がくまなきみ心ぞへの事とて八時という頃にぞ家に帰れり。」と書く。一葉にとって これは、初めて大人の男から聞いた慈愛に満ちた感動の瞬間だったろうか。桃水は、世俗作家であ り、指導を受けてみると、余りに一葉の作品が古典過ぎて世間受けしない言われて、一葉は悲嘆に くれる。併し、一葉の「文学の肥やし」にはなった恋であろう。 PS. いつも私のブログは、「尻切れ蜻蛉」になるけど、それほど気にしてはいない。本当に、一 葉は、バージンだったのか?など研究者で議論があるらしいのは笑止だけど、一葉が、上野の図書 館で勉強していたことには興味がある。臭い世の中だけど、図書館の中で読書をする一葉は想像す るだけでほっとしますね。私も昔は相当純情したけど、12歳も歳の離れた男を好きになる気持ちは 分からないなあー。First love is a beutifil heart. なんて映画の宣伝か何かで聴いて、そのフ レーズをいつまで忘れなかったりしたものです。一葉の初恋は、悲しい恋に終わりましたけど、ま あ誰の first love もそんなものでしょう。一葉の恋は、余りにも果かないですけどね。 違うブログで、先程、self learner について書き入れしましたが、楽天は、もうリミットでした からね。だから、歯抜けのブログになるけど、まあ自分では承知していますからね。そんなもので しょう。いつか、圧縮できるだろうか。 そうですね。一度、一日書き続けたら面白いでしょうけど。多分アウトでしょうね。何時間かかけ て遣ったら、投稿できませんでした。整理も必要でしょうけど、手段がね。よく見えない。自分の 書いたブログが、整理できないでは、それこそ限界ですかね。何でも限界はあるのでしょうけど、 境界は、限界ではないでしょう。自分の好きな時間に図書館が利用できる図書館が早く近くにでき ないかしら。ハーバードはできると訊いたけどね。遊び場はあるのに、学びの場にはないというの もおかしなはなしだ。一番勉強をしたいときにその場がないのは誰でも同じでしょうね。 知る必要がないというまだ時代を引き摺った社会がつづいているのでしょうか。 そろそろ時間ですね。
2017.04.30
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一葉の性格は慎み深い、内に寂しさをたたえ、他面勝気さと淡白であった。よく書を読み、文章 を創作して精進を止めず、遂にその錐が嚢を突き破ったと湯地孝氏は評した。 一葉は、閨秀作家として、「明治文学の彗星」といわれるが、その思想的内容の欠如と視野の狭さ があり、その環境から彼女の見聞したものを書くしかなかった。その文学者としての特徴は、 ・小さいながら円熟完成した文学 ・真面目な態度 ・真情の流露 ・余韻 ・女性描写の巧みさ ・文章の妙 etc 明治20年代は、文明開化のあと男女同権も一部で唱えられたが、まだ女性が男性の玩弄物でしかな いことは変わりはなかった。娘たちへの教育にしても男に都合のいいような養育だった。 むづかしい事をひとつも知らなくても家事を一通り切り回してゆく女、消極的で良妻賢母型の女が 上品とされ、女らしい女と言われた。他に口出しや、理屈の一つでも言えば生意気だと罵られた。 何事によらず従属的で独立した考えは殆どなかった。内気でなければ男に媚びて、僅かにその生を 保っているような女性が多かったのだ。そこには、女性としての誇りも自覚もありえない。恨みは あっても憤るだけの抵抗力もなかった。それこそ、慰めは薄暗いじめじめした場所で悲しみに酔う しかない時代背景であった。彼女たちが与えられた読み物といえば低級卑俗なものばかりであった だろう。そんな中で育った一葉が、明治文学の彗星となった。全25扁のうち数篇を除いてすべて 恋愛物の世界である。可憐な人物を描いてやまず、つねに努力の跡が見られ、その成長は奇跡の ジャンプといわれる。思えば遠い昔であるが、ジェンダー・ギャップは今日的課題でもある。
2017.04.30
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たいていの男は、たとえ誰からでも厭なことを「何かやれ」と命じられるのが嫌いだ。たとえ彼女からでも そうであろう。もしそうでないとしたら余程アブノーマル状態だ。 欧米諸国では、結婚した男女の約半数が離婚する。最初はいくら仲がよかった夫婦も、長続きしな いで終わってしまう。男と女は世界中で喧嘩ばかりする。男がトイレに行くのは、目的はひとつし かない。でも女は、セラピー室であり、親友までつくる社交場だ。仕事や人間関係につぶされると 女はチョコを食べながらショッピングに出かけるだけで気分転換できるが、男は、そこから逃げ出 してしまう。 男は、男のほうが分別があると思っているが、女は女のほうが分別があると確信している。 「話を聞かない男、地図を読めない女」の本をはじめて読んだ時、笑ってしまった。女の声が高く なり、男の声が低くなるのは、お互い気のある証拠だとは知らなかった。 そういえば、思い当たる節はいくつもある。この本を10代に読んでいれば結構面白い人生になっ ていたことだろう。そういえば、「遅かりし由良之助」は、何度も経験してきたことだろう。 男と女の違いは、その役割の違いからある過ぎるくらいあるが、殆どまともに解析されていないの で、ベストセラーにもなったのだろう。お互い、どんなところに不満があり、いらいらするのか、
2017.04.30
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ふつうの人間が普通に生きていればいいのに。スポーツでとか、歌が上手いとか、それで一人前のつもりになる。知識があるからでもない。人徳ないヒトが偉くなっても傍迷惑だったりする。大臣になって大物になったつもりでいる。勲章を貰って有難がる。軽い人間が大きな顔をしている。 ・お山の大将で戦争に負けた。私が総理大臣ですべての責任があるという人が、無責任だったりする。頭の軽い人がhierarchyのトップになっている。東芝だって、あれだ。日本の企業は、番頭と丁稚ドンの時代と変わりはしない。損得の勘定しかできないから時代遅れにもなる。 ・へ2・・・戦後に、真相はこうだったと戦時中の話が暴露されたが、それはGHQがさせていた。NHKは、標準語で、日本人を洗脳したのだ。野球とハリウッド映画で、植民地支配された。私たちは企業戦士になったのだ。囲い込み運動がされて田舎から都会に駆り出された。サラリーを、マイホームやマイカーや、ホームドラマで吸い取られた。それこそ枯葉のようになってしまった命しか残ってはいない。血液を吸い取られてしまった。
2017.04.30
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一葉の作品は、彼女の日記で裏付けられている。作品は作家の表の顔で、日記は内面だろう。一葉 の作品の奥行きが出てきたのは日記かも知れない。それと作品と作家と周辺の環境がある。 ブログも日記だがどちらかといえば、表現としての外面の表象でしかないないだろう。だから、そ のまま素直に見れるのは、映像くらいなのだろう。そして、正直に自分の内面を表現することので きるひとは、勇気があるし、評価できる。ひとは、見栄を張ろうとするひとが多いのだ。街を歩け ば、見栄っ張りが流行という名の服を着て歩いているではないか。そのためにしなくてもよい争い もしている。外面ではなく、見えない内面を爽やかな空気で育てるべきだ。他人を責める前に、自 らの行いを顧みるべきだろう。孔子でこの社会が救われるとは思わないが、学ぶべきことばは多い のではないか。一葉は、小さな世界を描いた作家で所謂大作家ではない。そんなものは嘘っぱちの 喰えない人たちだ。大作家はいくらもいるが、一葉はひとりで小さい宝石だが輝いている。 それが、見えるのは、誰にでも見える訳ではない。共感すると言うこころをもつひとは簡単につく れるものでもない。男尊女卑の世界で、その蒙昧を指摘できる一様ではできない「一葉」でしかで きなかっただろう。そこに一葉の価値があるだろう。 複雑系としての人間は、この脳と身体という宇宙船を操り生きているが、時々操縦士を忘れてしま う。つまり窮地に追い込んでしまうのは、自分の内面でよく話し合いをしないからだ。 そのために日記があるだろう。どういう人間でも人間はなれるだろう。それをそうしているのは、 それは、自分という多細胞の人間でしかない。日記は、その自分を知るためにあると思う。世の中には勲章を貰いたい人たちがいるらしい。ナチスも良くやっていた。
2017.04.30
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詩人にして民俗学者。日本の「女性史学」の創設者。「母系制の研究」「招婿婚の研究」など。 ・1894年(明治27年)生~1064年(昭和39年)癌性腹膜炎。70歳没。 「高群逸枝全集」火の国の女の日記は、自叙伝より、 わたしゃ野性の一本野菊 雨のふる日も風吹く夜も 泥にまみれて立ち上がり 愚痴もいわずにきたのです ・・・・・ けれど私のぐるりには おなじ土から咲いて出た 若い多くの花もある ・・・・・ 素朴な歌だがいい歌だ。熊本は郷里なので、逸枝は知っていたが、「全集」をみたのは初めて。 先程から読み始めたが、水前寺や味噌天神、県庁の隣の県立図書館といい、懐かしい場所が 多くあり、耽読。殊に、彼女が師範に入学し、池田駅(現上熊本駅)停車場に家族を出迎え た時が、生涯で最良の場面だったという。親たちは、師範生の娘に満足し彼女もまたそのことが何より 嬉しかったからだ。私にとってもこの上熊本駅や周辺の本妙寺など思い出深く懐かしい。 未だ、この1巻も半分も読んでいないが、こころはのこるが、次回にする。 逸枝は、師範を病気で退学になり、女工、代用教員、詩、小説、評論から民俗学を目指している。 大して教育も受けておらず、然も田舎出身の彼女が、どこまで世界を拡げたのだろうか。 少し興味が湧いてきたところだ。
2017.04.30
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ナンジャモンジャことの善悪が判り難い。水戸黄門も何をしているのか、見ようによって善悪が逆転したりする。「篤姫」も徳川将軍の妻の話で、美化したとしか言いようがなく、嘘が真か、真が嘘か、解りはしない。作者のてにかかれば、善人にも悪人にもなる。家康の評判も昔と相当変わっている。土台確りした一次史料が少なく、東照宮にしてしまうくらいだから、神様扱いなのだ。都合の悪いことは消してしまうのだから、客観的であるはずがなく、実際どういう人物なのか、著者の見方で変わってくる。未だに、ああでもない、こうでもないと定見がない。人物評価できるベースにないものが作れないからだろう。 ・神様ではないから、ひとの裏表は自分の見えるところしか見えない。随分ウソをつかれてきたから、少しは疑い深くなっている。だから、取り敢えず信用しない。いくつか真実が重なれば、少し信頼するが、全部ではない。最後にごろりと変わる人もいるから、下駄を履くまでは判らないのが人の評価だろう。それでも、死んでから解かる事実もあったりするから、これまた、下駄を履くのは相当経ってからのほうがいいのかも知れない。毛沢東も偉大な指導者だと誰もがいっていたが、最近の北京市民の評価は6;4だという、現地ガイドの話もある。どんなリサーチか知らない。彼のはなしから、まあない話ではないと一応納得もしている。これも疑う余地があるだろうが。 ・へ2・・・たとえ誰であろうと、死ぬまで大丈夫だという保障は何もない。日本国憲法だって、国民主権や、平和主義や、基本的人権があるから、個人の生命が国家によって保護されていると思うと、とんでもない、それは国民の義務を果たしてから言ってくださいという。ちゃんと守って無理して納税していても、国民への年金の支払の財源がなくなりつつある。何しろ、1000兆円の借金を抱えている。国家が破綻する。これから市町村も債務超過により万歳宣言をするのではないだろうか。その怖れがある。よりによって大阪府民はど素人のタレントに運命を託してしまった。どうやら皆で関西落語のように地獄に賑やかに物見遊山にもでかけるつもりらしい。・・・その陽気なこと。 妻子のこともどこまで理解していると言えるだろうか。女性の気持ちが分かるわけでもない。偶然の産物でしかない。慰安婦問題もどうも日本人の私には、なぜなのかいまひとつ理解できないでいる。71年間もしてからなのだろうか。これだけ多くの課題があるのに。それこそ真意を伝えていない側面もあるのだろう。ためにする議論ばかりある。昭恵氏問題も、問題の本題には入らないでいる。他人のことも、社会の問題も、不可解なことばかりだ。未解決のまま人生も終わるに違いない。
2017.04.30
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和白干潟のクロツラヘラサギたち イスラムの基礎の基礎で誤解があるかも知れないが、「刑罰」で、私たちの考えてきた法社会との違いを、どう解釈したらいいのだろうかと戸惑っている。例えば、殺人を犯してもその理由や情状によって情状が酌量される。併し、イスラムでは殺人はその理由の如何を問わず死刑が適用されるという。厳格なイスラム法では「キサース」という。故意や不当に殺された人の相続人が犯人を殺す権利があるという思想である。二度と殺人を起こさせない戒めである。勿論は再犯はない。姦通は石打ちによる死刑。内容によっては鞭打ちもある。窃盗は手足の切断。そして追い剥ぎや強盗に対しては、死刑を含め厳しい罰則がある。 ・欧米に比べ、殺人や強盗などの凶悪犯罪が極めて少ないという。何れの宗教の考えに由来している。もしこれを欧米や日本で適用したらどうだろうか。姦通で石打ちの刑になるひとで 周辺の川は赤く染まるのではないだろうか。少なくとも犯罪が減ることは間違いないだろう。そして、すこし脳に損傷があるとしても、「ひとを殺してみたかった」というような人間はいなくなるのではないだろうか。戒律が曖昧になり、日本は仏教が滅んで行った。生きる厳しさを見失い、ひとびとは身近な犯罪に怯えるようになってしまった。 ・へ2・・・イスラム法がどこまで正しいか分からないが、世界で14億人という人たちがイスラム経を信じて「五行六信」をよりどころにして生きているという現実は無視することはできない。中でも飲酒をしないというのは凄いと思う。
2017.04.30
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世界には200近い国家がある。その国にはそれぞれの法秩序もある。大国もあれば小国もある。これだけ無知と貧困と言いながら、世界は一つにならないし、経済格差は是正されないでいる。強者が、弱者を侵奪している。暴力を行使しているのは、政府でもある。 ・平和外交と言いながら、実際は違う。私たちはプライドを持っているだろうか、権力者たちは何をしているだろうか。それを止められないのは、黙認していることであり、認めていることになる。相手の言論の自由を奪ってはいないだろうか。ベトナム戦争と同じ過ちを冒そうとしてはいないのか。 ・へ2・・・また戦争に巻き込まれて若者たちの血が流れるだけでは済まなくなる。天皇の発言は憲法に反する行為だが、それをうやむやにしようとしている。なぜだろうか。自浄能力のない社会は腐敗していくしかない。ひとつ選択を誤れば、取り返しの効かなくなることもある。そのことを思う。そしてポイント・オブ・ノーリターンがある。
2017.04.30
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三権分立も、政教分離も、大統領制度も民主主義のために有効な制度として長い歴史を経て作り上げられた社会システムでもあるが、一年をかけた大統領選挙も結果として、一番ふさわしくない人物を大統領にしてしまっている。日本でも議院内閣制でなければ、安倍政権は成立しないだろう。 ・どこがどう間違って権力の座に相応しくない人が権力をもつことになって、そして国家の顔になるのだろうか。莫大なコストを支払ってもいる。いまの社会システムが現代社会に相応しくないかもしれない。そのことを解明できないでいる。或いは、解析することを拒否している勢力が強いのだろう。 ・へ2・・・一番してはならない過ちを世界はしようとしている。どんな優れた社会制度も運用を誤れば元も子もない。因果関係は、悪い方へ結論を出そうとしている。相手を威すという手段で、いいのだろうか。圧力をかけるとかデモクラシーにはなじまないが、やっているのは暴力の是認でしかない。一番してならないことを政府がしているのではないのだろうか。
2017.04.30
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欧米に範をとった近代化とは何を齎しただろうか。政治の腐敗、貧富の差、失業、インフレ、劣悪な社会基盤、環境破壊などではなかったか。それは精神の荒廃を招いただろう。イスラム社会も、欧米を模倣した資本主義、ソ連をモデルとした社会主義も行き詰った。イスラム世界の混乱はその中にある。彼らは、イスラムの「平等」「正義」に立ち返ろうと苦悩している。 ・イスラムにも「政治運動」と過激派の対立がある。彼らの苦しみは産みの苦しみでもあるだろう。日本はどうだろうか。そういう明確な目標があるだろうか。人として生きるための明確な道徳観があるだろうか。日本人としての気概があるだろうか。どうも自信がない。少なくとも「平等」については理解できるだろう。しかし「正義」となると漠然としたものだ。 ・へ2・・・範となるべき「欧米」だろうか。彼らに「正義」があるだろうか。自国の利益のためにすることは、それは真の「正義」ではあるまい。他国に押し付けるものが「平和」ではないだろう。私たちは自分たちの仰ぐ青空が欲しいだけだ。
2017.04.29
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小鳥が増えたのではないだろうが、やはり春になったからではあるのだろう。耳を澄ませると結構小鳥の種類がいるようだ。最近里山を歩いていて、それを感じる。先ほど近くのゴルフ場の周辺を歩いていてミミズクの声もした。ゴルフ場の森に色んな小鳥がいるのだろう。小鳥の澄んだ声というのは何ともいえず、清々しい気持ちになるものだ。「いまは安心しても大丈夫だから・・・」と言っている気がする。これもヒトの遺伝子由来なのだろう。 ・そういえば、子供のころから、碌に自然と触れ合うような教育を殆んど受けてはいない。草花や、小鳥や、昆虫にしたところが、周囲から教わったくらいだろう。理科で習ったのは教室での精々教室内の実習でしかなかった気がする。郷土にどんな種がいるのか、知らないままだったのだろう。そういうおざなりの教育が、じわりと人々の心を自然の大切さから引き離して行ったのではないだろうか。寧ろ欧米の方が、自然の大切さを知っているようだ。 ・へ2・・・花の名前を知り、その性質を知れば興味が湧くだろうし大切にもするだろう。人間も名前を覚えることで親しみも湧いてくるものだ。ぼんやりと聴くだけでなく、知ることで興味もわいてくるのだろうと思う。花たちが気持ちよく咲く環境は、人間にとってもいい環境なのだろう。同じ桜にも色んな種類があり、色んな名前を付けている。花もいっつぱいの太陽で輝いて見える。
2017.04.29
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こどものころよく寝るのは、昼間刺激的なことが多くあり、学んだ新しいことを編集し定着するために必要とされるらしい。老化すると脳が硬直化し、 昼間の刺激的な出来事を避けるようになり、新しいことを学ぼうとしないからだという。定着させるための睡眠時間は要らなくなり、減少する。 所謂離脱体験にしろ、超常体験にしろ、脳機能の変調や錯覚の所産だ。科学的に証明できる。宗教体験にしても、仏教やキリスト教で共通する のは、30日間くらい断食して、瞑想をした時に顕れると言う。体験者の脳の中の内部モデルが完成しており,栄養不足に陥り、脳への血流不足に より脳内物質の状態が混乱し、脳機能が変調を来たしているのだ。外界への運動指令、感覚入力が遮断され、実体験は内部モデルをリアルな 夢のシュミレーションに移行するという。脳がつくりだした現実は、あの「マトリックス」を思い出す。 ひとは、自分の生活を守ろうとしている。それは、幻影だろうか。危機に直面して 慄き恐れるのは生活が破壊するからだ。 昆虫には、フィードバック制御しかない。危機を乗りこえる為に進むか、障害物を 避けるだけだ。高度な意思決定や感情の生成はない。 然し、果たして人間はそれに見合うような能力を発現しているだろうか。高度な振舞いが為されているだろうか。 脳が作り出したシステムは、まだ彷徨い続けているように思えてならない。
2017.04.29
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他人から見れば、何でもないことや多寡がそれだけかということに拘っているのではないだろうか。然もそれが嵩じると世間から嘲笑される原因にもなる。村上・堀江も、守屋にも、或る種の拘りの所為でもある気がする。どうやら、それは誰にでもある。それが積み重なって民族性にもなることがあるだろう。アメリカが世界から良いにつけ悪しきつけ槍玉にあがるのは超大国でもあるからだろう。少なくともこれまではそうであったが、これからもということではない。アメリカは人種のるつぼであり、それがエネルギーになり勢力をもっただろう。世界中の情報が集まったからであり、技術や野心のある人たちを集めたからでもある。 ・しかし、時代は変化していくのであり、いまやアメリカは湾岸戦争からイラク戦争を経由して、そのボディブローは、サブプライムローンによってとどめを刺されたというのが現状ではないだろうか。これから、また新たなステージが待っている。アメリカは時が過ぎたことを自覚しているだろうか。或いはそれさえ感じていないかも知れない。そして、日本の権力者もとんちんかんなことばかり考えているのではないだろうか。 ・へ2・・・国民の悲劇は、その指導者がでないことでもあろう。何故なら、そういう人物を育ててこなかったからであろう。大事に育てることをしていない。使い捨てで済ませてきたのではないだろうか。未来のない、種なしの日和見主義者を育てても、それこそチープでしかないのであり、全体の前進のための一歩にはならない。留学させて知識を得ようとさせるのはミイラ取りがミイラになるようなものだろう。必要なものは呼べばいいのだ。カネはかかっても、そういう外国の優秀な人材を篤くもてなして、学生に学ばせばいいのだ。利口な欧米はそうしている。その方が効率がいいからでもあるだろう。他人の褌で儲ける時代ではないのだ。
2017.04.29
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定点観測もやりたいし、他にもいくつかある。自分を休ませないことではないだろうか。忙しいのが不幸にならないことではないだろうか。遣ることが無くなるのが一番苦しいのではないだろうか。ぼっとしているのはそれが相応しい時が好いのであって、それ以外は良いとは思わない。 ・慌ててやることはない、ことばかりではないだろうか。自分の思い込みで自滅してはいないか。自分と社会のペースは同じではないのだ。自分の置かれた社会に適応するとはどういうことを言うだろうか。自分のもつ社会性が、すぐに役に立つとは限らない。環境が変われば、それまでのスキルがすぐに適応できるわけでもあるまい。あまり手間取れば、自分の活力が萎えてしまいもするだろう。子供のころから、自分の内面と外面を使い分けるように訓練された西欧人とは違うだろう。日本の教育の間違いは、国の道具となるように国民を導いたことだろう。個としてあるべき自立の精神を教えてこなかったのだ。それは邪魔だと権力者は考えてきたからでもある。 ・へ2・・・それこそ、これからは個人の実力が試される時代になる。より多くのツールをもたなければ、日本人は、生存競争に勝つことはできない。国家がどうであろうと、個人の能力を高めなければ軽蔑されかねない。文化の質を高めていかないと残るものは退廃でしかない。
2017.04.29
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「イスラム」に無関心だった日本。それは、殆んど接触のなかった遠く離れた地理的な環境からでもあったのだろう。併し、イスラムの人たちが抱く日本人というのは、少し違うらしい。ロシアからの圧力や西欧の脅威を感じてイスラムが、日露戦争で、ロシアに勝ったことや、戦後驚異的な発展を遂げたことに対する日本への特別の感情があるといわれている。それは、それだけキリスト教への反感もあってもことだろうが、それでも欧米とは違うだろう。 ・イスラムの戒律の厳しさが、日本にはない。仏教でさえ戒律を改ざんした歴史がある。日本人は運が良かったからだろうか。それてもまぐれでここまで来たのか。或いは、それも勘違いだろうか。厳しさの中から他人を愛し、自分をも愛する精神を育てなければ、それは絵に描いた餅でしかない。安易に得られるものなどすぐに消えてなくなるだろう。世の中の常識に逆らってこそ得られるものの価値を知らねばならない。安全を他人から買うことなどできはしない。服従して得られる安全や平和など何の価値があるだろうか。女が詰まらない男で妥協しているのではないだろうか。 「女の信者にいってやれ、慎み深く目を伏せて、陰部は大事に守っておき、外部に出している部分は仕方がないが、そのほかの美しいところは人に見せぬよう。胸にはおおいを被せるように・・・」(「コーラン」より) ・へ2・・・私たちに偏見がないとは言えないだろう。西欧思想が絶対でもない。いいところもあれば悪いところもある。それはイスラムも同じことだ。そして、日本だって、いいとことも悪いところもある。豚肉を食べない。飲酒をしない。ということが間違いだと言えるだろうか。そう簡単ではない。「・・・でなければならない」というのも再考していいのではないだろうか。これから、どんな選択をするかだろう。そのためには、世界を歩いて多くのことを知らねばなるまい。
2017.04.29
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ドバイ この世間で「よくわかる・・・」というものは、よく分からないものが殆んどだろう。簡単にわかるものなど少ない。そんなに簡単に解かるようなものなど、そうはないと思う。親子関係でも、本当に理解し合うことは至難であろう。離れているか、見ないようにしているかであって、土台置かれた視点が違うだろう。まして社会であれば、その亀裂は深くなるのは当然でもある。初めから、人間関係をストレスだとする考えがあっても間違いではあるまい。同胞だとか、同じ民族だからというのは方便にすぎないのではないだろうか。愛国主義もある意味で方向を間違えば、カルトになりうると思う。 ・「よくわかる・・・」という本がどれだけ、巷に溢れているだろうか。それは、どれだけ著者がまじめであったとしても、「よくわからない」ことがわかるものでしかないのではないだろうか。「よくわかる 今のイスラム」という本を読んでいて、わかるところだけはわかるとしても、それだけではないだろうと思った。そう簡単に理解できるはずはない。日本人が解る所だけ書いているのだろう。理解できないところに触れることは自滅に繋がる。解からないところをそのままにしているのだ。 ・へ2・・・自分でもよく分からないのに、「よくわかる・・・」もないものだが、そういうことが、この社会にはよくあるのではないだろうか。生半可なものが溢れている。ただ念仏を唱えていれば、極楽に行けるなどという宗教さえあるのだから、何も分からなくともいいのだと言っているようなものだろう。何も考えるなと言っている。一部のものにだけ学を与えようとした歴史があった。「よくわかる・・・」その流れだろうか。世の中のことを自分が先に誤解しておいて、世間がどうのというのも短慮でしかない。
2017.04.29
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「逢うは別離の初めとか・・・」。4月から、それぞれはスタートを切る人たちがいる。と思えば、近所のひとは単身赴任をしていたが、やっと数年ぶりに帰って来られたようだ。夜明々と室内に電灯がついていたと、外に出た妻がいっていた。大学を卒業したばかりの娘さんが一人でいたので、心配していた。夜も遅くなることが多くて、いつも電灯が消えていたこともある。私は未だ顔をあわせてはいないが、荷物が届いたらしく、挨拶もされたらしい。 ・家族が離れ離れで暮らすのはいいことではない。転勤を拒否すればくびがとぶというのも現実のことであろう。それほど厳しい現実がある。表向きは体裁のいい処理をされるから、世間には中々わからないのだ。定年退職も依願退職を書かされている。会社の都合でどうにでもなる。それに逆らえない現実を無視するわけにはいかないだろう。景気がいいと言いながら、ついに、まともなベースアップがないまま、また不況になりそうな雲行きである。国際競争力をつけるからと、また労働者は騙されたのだろうか。労働組合長が、辞めたら、横滑りで管理職になるところはどこにでもあるのだろう。 ・へ2・・・白けた空気が漂い、もはや労働組合ではない。中国も変わった。形振り構わない経済成長を目指している。イデオロギーさえ変質してしまうようになっている。時とともに変わっていくのだろうが、それが必ずしも好い方向に行っているとは限らないだろう。若者たちが現実から逃げようとはしていないだろうか。この緊張のない雰囲気をつくったのはおとなたちに責任があるだろう。子供は親の背中をみている。
2017.04.29
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・日本国民はアメリカへの追随だけでは生き残れない時代であることにいつ覚醒するだろうか。政府の蒙昧に導かれるようにして奈落の底に足を踏み外そうとしてはいないか。そして「高齢化」の問題がある。日本は、すでに1990年以降「人口配分」ではなくなっている。老人たちを切り捨てようとする政策にエンジンがかかり唸りを上げ始めている。その音が聞こえないほどに国民は、神経を麻痺されているのだろうか。やがて自分たちがその捨てられる立場になるというのに・・・。その企みに加担した連中がテレビで大きな顔をしている。 ・へ2・・・私たちはこれから淘汰の修羅場に立ち会うことになるだろうか。ただ束の間の陽だまりであったのだろうか。次々に企業戦士たちが病に倒れ、身を焦がしながら散っていき、私たちは生き残ってきたが、何ができて、何ができなかったのか、その収支決算をみないままである。それを翻訳できるだけの力がない。それは、内向きでしかなかったことの証拠でもあるだろう。やがて、3年後には九州新幹線が博多から鹿児島までつながるが、長崎や他県のアクセスが終わったわけではなく、さらに九州も狭くなるだろう。しかし、ひとそのものが変わるわけではない。そこに住む人の意識が変わらなければ、人として成熟などしないのだ。
2017.04.29
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和白干潟 2017.4.29 何が「幸福」と言えるか、訳もわからずいたのではないだろうか。物が周囲に溢れていればそれで幸福と言えるのか。それは自分のものにならなければ我慢できない。我欲ばかりだけで生きているのではないか。世にあるものは自分のものでなければならないものなどありはしない。自分のものと思い込んでいるだけではないだろうか。死ねば自分の支配はない。楽しまなければ幸福ではないというだろうか。贅沢な生活でなければ幸福ではないと思う人もいる。綺麗でなければ意味がない。頭が良くないと意味がない。何もかも自分にはないと絶望しているが、不平ばかりを心に積み上げてはいないか。 ・それぞれ個々人に「幸福」に対するコンセプトが違う。すべてのひとにその「幸福」が配分されているほど豊かな社会でもない。競争社会を形成しながら、皆が同じ価値観でいることはできない。もし、そういう社会なら、大多数の人は「幸福」ではいられないだろう。考えてみれば幸福でなければならないのだろうか。それは絵に描いたものでしかないかも知れない。個人と社会との関係は単純に説明できない。傍見には「幸福」この上ないという暮らしをしている人でさえ、孤独に怯えているひともいるのではないだろうか。貧しい人の中にも自分が幸福だと思って生きている人は沢山いるだろう。だから、私たちは、まだ我慢できるのではないだろうか。 ・へ2・・・自分が幸福でなければならない理由は何もない。ただ寒ければ暖かさを求めるだろうし、空腹になれば、何か食べたくなる。それがパンでもご飯でもいいだけだ。側にあるものを求めるだろう。ただ「生口」でありたくない。そういえば、「人口」もそうだが、ひとは「口」だという観念が日本でも使っている。社会主義国の中国でも「口」がひとをさすものであるらしい。口だけではない、ちゃんと「頭」も付いている。
2017.04.29
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「原爆ドーム」の世界遺産について、中国とアメリカが反対した。普遍的な立場に立てないい人たちが支配していたからだ。南京虐殺やパールハーバーがどれだけの理由になるだろうか。世界の大多数は「原爆ドーム」を世界遺産に賛成した。中国やアメリカでさえ、理性を失うのだ。そういう国家が、核兵器を棄てようとはしない。彼ら他国が消滅しても自国だけは生き残ろうとするだろう。それを支持している国民が何を選択するだろうか。そういう教育を是とする正義とは、普遍的思想であるはずはない。その現実を直視すべきだろう。 ・勿論、すべての中国人やアメリカ人が平和に反対する人たちではないだろう。併し、今日でもある様々な出来事の根底にある意識の底に眠るものが、「愛国者」という名の「自己愛」「自国愛」ではないかという懸念は払拭されないだろう。普遍的であってこそ真の「平和」であるのではないだろうか。復讐の連鎖の中から「平和」はないだろう。何故、地球上の生命を絶滅させる数千発の核爆弾を保有しなければならないのだろうか。それは、他国を信用しないからである。いつ戦争が起こるか知れないと考えている。いざという時に戦争があると考えるから軍備を持つのであり、戦争をしないという前提で軍隊はないのだ。 ・へ2・・・私たちがイラク戦争を考えるとき、それは核戦争へ進まないだろうかという懸念を拭うことかできないでいる。怒りに狂った人間が核ミサイルを発射しないとは限らない。そしてやがて核戦争になるのではないだろうか。何のための核ミサイルだろうか。それは使うために造ったのだ。「原爆ドーム」はそれを世界に問うている。広島やアウシュヴッツで起こったことは事実であり、それがまた起きないという保障は誰にもない。
2017.04.29
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クロツラヘラサギとヘラサギが 自分の目が如何に不確かというのは心理学でもよく指摘されるが、それでもそれに頼っているところがあるのは誰しも同じだろう。あなたは悪人ですかと聴くことはできない。もし聴いたところで正直に答えてくれたりはしない。見て思い込んでしまうと矢鱈大きな間違いをしがちだがCMなどは、その弱点をついていているところがある。それは繰り返しによって、これは本当だと刷り込まれてしまう。いつも見ている者を信じてしまう。特に子供は無批判に見ているからそのまま信じていたりする。 ・タレントに騙されてしまうひとが大人こどもだったりするのは、そのためでもあるだろう。それこそ「見た目」のせかいであるからだろう。うそが隠されているがそれが認められていも言える世界だからだ。才能があるから、タレントなのだろうが、才能のないタレントが殆どだろう。昨夜も、宮崎のタレント知事がテレビ出演していたが、知事の収入よりもタレント収入の方があるとうそぶいていた。何とも憐れな県民であろうか。そういう知事を選挙で選んで喜んでいる。 ・へ2・・・どうせ、そんなことだろうと思っていた。政治を利用しただけではないか。悲劇が喜劇で終われば笑って別れるということもできるのだが、喜劇が悲劇で終わるのはひさんであろう。そういうことも世の中にはある。前の知事が悪すぎたので、・・・なのだろうか。それでも、後遺症が残らなければいいのだが、大抵期待は裏切られる。騙すのが商売のひとを好きになったのは、それを選んだ側にも何らかの責任があるだろう。黙って仕事をしている公務員がどのように考えているのだろうか。彼らはタレント知事が辞めるまでまた、何も言わないだろう。それが仕事だと思っているからだろう。
2017.04.29
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私たちは、物事を俯瞰的に見ることに慣れてはいない。地球は果てしのない大地だと思っていた。どこまでも広がる大地があるからと信じてたのだろう。社会秩序が恒久のものだと教えられた。そして、裏切られ続けた政治があった。そして必ずしも正義で社会は動いていないと知ったとき挫折感を感じた。それは日本だけの現象だと思おうとしたが、世界もバランス・オブ・パワーのによって支配されていたにすぎない。 ・個人は自分の行動の準拠枠を出ることができない。それは自分で作り上げた枠組みであって、外からは見えない。他人から見れば、自分の生垣さえ越えれない人がいる。併し、本人には万里の長城よりもたかい城壁に見えているかも知れないのだ。躓けば人は哀れな存在でしかない。それで、ジ・エンドかも知れないだろう。そんな危うさが付き纏ってもいる。内外のプレッシャーと闘いつづけねばならない。ひとはそうして鍛えられてもいる。そうした人々の努力なしには次代の道は拓けないのかも知れない。 ・へ2・・・自分でも無駄なことだと思ってを繰り返すのは、それが無駄だとは誰もいないからかも知れないからだ。誰にも価値があるとは言えないことでもある。それがどんな結果を生むのか分からない。期待されることが無駄になることは多い。言えることは、寧ろ否定される中から新しいものが生まれてきた。何が偉大な発見になるのか誰にもわからない。だからこそ、無駄な努力もしなければならない。ヒトの生存の戦略はもともと、「減数分裂」という無駄を恐れない確率を選んでいる。
2017.04.29
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近代化の過程で生まれた貧富や政治の腐敗が、偏見を生む原因でもある。溢れるマス・メディアの氾濫により、或る種の思想に対して、必要以上に怖れたり嫌悪したりしてはいないだろうか。それは、誤った情報による思い違いと無知とによることが多い。日本人はイデオロギーに対して、本能的に身構えるようだ。「極端」「危険」「恐ろしい」というイメージさえある。そして、「オウム真理教」のように最後は地下鉄サリンで自己崩壊したイメージや、或いは「イスラム原理主義」者がすべてテロリストであるかのような報道によって、恐怖を植え付けられてしまっている。 ・日本人にとって「コーラン」を理解することは容易ではない。それは、間違った情報と無知によるものだろう。それとこれから異文化の交流がこれまで以上に必要になってくるからでもある。何故なら、その重要度が増してくるからでもある。相互理解がなければないたいからだ。「コーラン」の理解なしにイスラムもムスリムも理解はできないだろう。 ・へ2・・・私たちの明日は、日本語だけで暮らしていけると思うのは軽薄であるだろう。日本人の一生も、欧米や、中国やその他のアジア人々と同じように、ムスリムの一生を理解できなければ融和を図ることはできないだろう。それこそ、世界の動きに目を向けて、広い視野をもつ努力をし、自分の基礎データを整理しながら生きて行かなければならない。それは、誰もあるいたことのない隘路になるのではないだろうか。そんな気がする。桜も今夜の雨で、散っていくのだろう。
2017.04.29
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ヒトも地球に蒔かれた種ではないだろうか、と思う。どんな風に成長していくかは、置かれた環境で大いに違ってくる。周囲に適応しなければ消えていくだろう。「考える葦」でもあるだろうか。どんなに優れたDNAを持っていようとも、太陽の陽光を浴びないとエネルギーを得られない。そしてヒトが厄介なのは脳を持った生き物であり、自殺さえするということだろう。その潔さが何故違うところで活かされないのだろうか。ヒトの大切なものとは何だろうか。それは、どんな苦難にも耐える勇気を持つことではないだろうか。世に伝えられてきた小さなヒーローの話ではない、蔭にはもっと偉大な人物が大勢いなければ、こうしてヒトはニッチを獲得できている筈がない。 ・こうして生命を得ている私たちは、種であるが、はたして種としてあるだろうか。種なしになろうとはしていないだろうか。そして自分は何かの種を残そうとしているだろうか。他人に語るだけが使命ではない。そこに種を残さねばならない。人間の価値は、種を残すことではないだろうか。他人の心の中に引き継ぐものがあるかだろう。価値あるのの中には目には見えないものがあるのだろう。出した結果だけを評価することではない。寧ろ見ないところでヒトにとって価値あることが為されているだろう。 ・へ2・・・見せかけの自分に負けてはいないだろうか。それを引き戻す力がなければ何もできはしないだろう。脳にも筋肉をつけるべきだろう。ちゃらちゃらして生きるのが本来の姿ではなかったはずだ。日本人は、粗食に耐えてきた誇り高い民族ではなかっただろうか。長い封建時代と、身分社会に苦しめられたが、確りと伝えてきたのは、それではない。強い精神力ではないだろうか。桜をこよなく愛してのはその潔さでもあっただろう。子孫を守ろうとした。そのためにしたことはかけがえのない勇気だったはずだ。一本のニガウリの中にもその精神が見えなければ、まだそれは残すべき「種」がないのだろう。
2017.04.29
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家が浄土真宗だからと云って、信者ではない。でも父の葬儀は真宗の坊主を呼んだ。平気で神社や他の寺社にも行くが参拝にではない。そこが、憩いの場だからだろう。そこくらいした広いところがなかったからだろう。そんな習慣が私にはある。セミをとったり、気安く出かけたりしていたし、今もそうしている。明治政府の「廃仏棄釈」にさえ異議を唱えなかった宗教家は堕落していたのだろう。最早日本の仏教は死んだのだ。 ・国家神道という手前味噌の宗教とは言えないものにひれ伏した人間たちに何ができるだろうか。百姓でもしていた方が、少しはまともでいられたのではないだろうか。学あるものがエゴイストでしかなかったのだ。まあいいきることはできない。知らないだけかも知れない。が、それは普遍的にはそう言えるのではないだろうか。沖縄の集団自決で、自分は命令していないという指揮官がいたが、彼はもし言っていないとしても、そういう雰囲気があり、沖縄の人たちはそう思ったのだろうし、そうでなければ集団自決を犠牲者はするだろうか。 ・へ2・・・事実は政府にと都合のいいように歪められがちだ。それは権力者が報道を支配してもいるからだろう。私たちは西欧メディアの情報を基礎にしてみているから、中国でのチベットの事件は、中国の報道規制を言論の自由への抑圧だと思う。しかし中国では200万件以上の人たちがインターネットで、西欧が誤った報道をしているというメールが寄せられているという。これは、どう解釈すべきなのだろうか。西欧メディアは一部だけを悪意を持って報道しているのだろうか。ダライ・ラマのノーベル平和賞も中国は認めていない。 ・へ2・・・中国の国際社会の参加とはどういう意味をもつのだろうか。北京オリンピックはただ、国威の宣伝でしかないのだろうか。それでは世界は救われない。ことは中国ばかりの最早、国内問題ではないからだ。中国は国連安全保障常任理事国でもある。それは、世界に対しても責任を持つということではないだろうか。それは、言論の自由を13憶人の一人一人に認めることでなければならない。刑罰は公正な手続きを経た裁判によるものでなければならないだろう。それでなければ、世界のリーダーではない。国際平和主義と、基本的人権を認めないような国が、そうであるべきではない。勿論それは他の安全保障常任理事国も同じだが・・・。自国の政府の行為を冷静に見る目を持たないのだろうか。どちらが正しいのだろうか。私たちも冷静に観察して行かなければならない。
2017.04.29
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政府が国民に対して現実の認識を誤らせようなことをする時、それは国家の危殆に瀕することになりかねない。 ・それこそ、政府は年金問題の深刻さを理解しているだろうか。それは個人としての能力の問題ではない。国の施政であって、その判断では多数の人間の暮らしを危うくさせかねない問題だ。一つも誤魔化しは、後世の禍の原因になりかねない。日本政府の特徴は短命内閣であって、ビジョンがないために責任を負っては換わっているのではないだろうか。この年金問題で、どれだけコストがかかっているだろうか。解決が長引くほど巨費がかかるのであり、結果的に国民がそのツケを払わねばならない。そして、能力のない政府が居座ればそれだけ国民のダメージは大きいものになるだろう。 ・へ2・・・できもしないことをできるといいつづけているのではないだろうか。それは、個人間の問題ではない。国家の行為であり、その結果は重大でもある。国民に現実の認識を正しく持ってもらうようにすることが使命のはずだが、その反対のことをしている。
2017.04.29
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昼前から晴れてきたようだ。それでも草木が雨に濡れて、生気に満ちている。家から近くのゴルフ場のつつじがみえ、それが咲き揃う季節も近づきつつあるようだ。つつじは大味のように見えるが、よく見ると繊細な花弁だと思う。椿や山茶花や、桜もそうだが花弁が散って無残だという人もいるが、私はそうは思えない。それは、それで花を終わりを告げてくれるものだと思っているからだ。ひそかやかに散っていくのも嫌いではないが、散る姿を見せてくれるものは、何か意味があるように思えるからだ。だからこそ咲いた姿は愛おしいのではないだろうか。 ・ものに終わりがあってこそ、喜びも深いのではないだろうか。深い悲しみを知らないものが、真の感動を得るだろうか。もしそれができるとすればそれは、大したものではない。光の当る所だけをみていれば、日本は素晴らしい美しい国かも知れない。かって安倍氏は「美しい日本」といったが、それは彼が本当にそう思っていたとしても、それは、偽装でしかなかったのではないだろうか。彼が短絡的にそう思っただけなのではないか。それは国民の現実の認識を誤らせるものでしかないからだ。日本の二重構造は解消されたわけではない。ほんの大企業を中心とした一部の11%の企業が、景気回復して豊かになっても大半の企業は苦しんでいる。大企業ばかり手厚い保護をしか考えない政府がやることは、それこそ国民の暮らしを追い込んでいるに過ぎない。 ・へ2・・・人も経済も、日の当るところは栄えるが、そうでないところは疲弊し、衰退していくだろう。だから政策でそれをコントロールしていくべきだろう。そのバランス感覚がなければ、政治は務まらないのだ。そのことを政治家は忘れがちだ。権力を掌握すると、これでいいのだと思いがちだ。自分たちは正しく、相手は悪だと思いこもうとする。それが権力の腐敗になるのだろう。それを確り監視しなければならない。情報の公開はどうしても、民主社会では必要な前提条件だろう。
2017.04.29
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自身で努力しないものに良い結果は得られないという比喩だろう。自分の思うように物事が進んではくれない。ひとは欲張り過ぎるのだろう。自分を見棄てるものは天からも見棄てられる。本当に酒の必要な人が飲めば良い薬になり、そうでなければひとを狂わせる水にもなる。必要もない車を売り付け、過剰に化学薬品や酒類や豪華なマンションや、諸々の贅沢品を売って大企業になり、人々から富を横取りし、環境を破壊してきた企業が、国家をも支配してはいないだろうか。そういう泥沼に引きずり込んでいるのが現代という世界の姿でもあるのだろう。 ・そして、自己責任の原則が、言われている。ゼロから始めるものと、富をもつものとスタートから違っている。いつまでも貧富の差は縮まることはない。むしろ格差は拡大するだろう。「平等」というのは、神の前で・・・しかないというキリスト教は、寧ろ身分社会を指している。てくてく歩いて行く人の距離と、車とでは、その距離は違うに決まっている。それを平等というだろうか。それでも、ひとは生きねばならない。そして、いつか気付くのだ。 ・へ2・・・名目だけの民主主義がやがて、本物の民主主義を手に入れるだろう。それはそうであらねばならないだろう。アメリカの利益配分のやり方もそのうち誰もが納得するものになるだろうを、天は自らたすくるものを助けるに違いない。時代は進みつつある。一時後退することはあっても、時は正義を為すだろう。天は、誰にでもある。宗教があるかないかではない。私たちが知っている空が天ではない。その天は突き破られ宇宙に広がっている。天とは、科学的真理であるだろう。
2017.04.29
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得体知れない国家になりつつあるだろうか。勿論かってこれまで身近な政府はなかったが、そのもたもたとして頼りのない政府が変わろうとしているのだろうか。日本人の平均寿命が延びたのは政府の施策でなった訳ではない。栄養状態が良くなったことであり、過酷な肉体労働が減っただけであり、清潔な環境が整備されてきたなどの条件が、医療技術や、科学力の進化によって齎されてきたにすぎない。政治はその邪魔をしなかっただけだろう。政治力の恩恵ではない。 ・国会質疑を聴いていた。福田内閣の後ろで動いているものは何なのだろうか、と思ってしまう。いずれにしてもなにものかの傀儡なのだろうか。背後には官僚たちや公権力を動かしている者たちが控えている。それらが何を考えているだろうか。それは少なくとも人権尊重ではない。彼らは国民を見てはいない。どう動かすを策動しているだけだろう。国家利益という名のもとに行われている。彼らもまた自分たちが針の筵にいることを知っているのだろう。 ・へ2・・・それは、「力の均衡」という微妙なものの上で、冷や汗をかき続けているだろう。彼らは、ミミズのように眼をもってはいない。ただ彼らにとっての<太陽>の温かさだけを感じながら生きている。地上に出れば、たちまち干からびてしまうだろう。彼らには、「カネと権力」と時には「女」いう生温かい湿気がないと生きていけないのだ。彼らは、命じられれば、地球の裏側まで穴を掘りつづけるのだろう。国会の質疑を見ていて妙な妄想が湧いてきて、嫌気がさして外を歩いてきた。
2017.04.29
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和白干潟 2017.4.29大事な時に冷静でいることは難しい。どうでもいい時ならいいが、そうでない時もある。それでも、それは、情けないがそうでしかない自分でもあるのだろう。他人は助けてはくれない。それは、自分のことでしかないのであり、ヘイフリックの限界でしかない。 ・最後にババを引くことになるがそれが、いつかは分からない。分からないから太平楽でいられるのでもある。病院の近くには公園もあるし、写真も撮れるのではないだろうか、そういう気持ちがあるかでもあるけれど、マイペースだ。衒うつもりはない。そういえばPCで、ブログもできるし、OCWや、青空文庫も読めるだろうし、 ・へ2・・・今朝は、思った通り、野鳥たちが岸の近くで集まっていた。満潮まで1時間前である。シラサギか10数羽と一緒にクロツラヘラサギとヘラサギが混じっていた。それとミヤコドリとカワウがいた。風が強くて白波が立っていたようだ。近づいていったが、気付かれたのかすぐいなくなってしまった。帰りに今朝オープンしたパン屋さんに寄ってきた。
2017.04.29
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シャワーで体を洗っていつも思うのだが、こんな肉体でよく歩けたり、生きていられるのだろうと。たった皮膚から数cmか、数10cmの先の癌でさえ治せない。ヒトがどうして生まれたかも知らないで生きていられるというのは何なのだろうか。足が短いとか、体がどうとか何を悩むのだろうか。体が硬くなっていくのに気付かないはずはない。見かけではない。昔は好きだったかも知れないにしても、いつまでも愛しているわけではないだろう。それを、偽装し続けているのは自分たちではないだろうか。 ・まあ、やけで言うのではないが、事実が面白いわけではない。「知らぬが仏」なのだろう。知ったところで何ができるだろうか。ひとりで果てしない砂漠を渡りきったとしても、それは何にも意味がない。ただ自分が価値があると思っていることでしかない。あるものは社会に受けいられるが、99%は、無視されるのだろう。果てしなくゼロに近い。自分自身を信じる者はいない。自分ほど不確かな存在はないだろう。迷いつづけている。それを型にはめようとさえするが、それが個性だろうか。 ・へ2・・・飼い猫だって、人の言うままではない。猫は自分のルールを強かに守っているだけだろう。私は猫を可愛がらないから、奴は私に警戒心をもっている。どうやら、猫は自分の家に私が居候でもしていると思っているようだ。だから、私は猫の目線より上から睨みつけている。部屋の中でも上にいさせない。猫も闘っているのだろうが、私も同じだ。自分を見下げるものを許さない。それは生存競争の中に生きている動物の習性でもあるのだろう。
2017.04.29
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人間は、自分の心身を放置したら碌な事にはならない。それは私のような凡庸な人間にはという意味だが。黙っていても「仕事」、それが「何か」は様々だが。それでも、時々節目をつくらないと暴走することにもなるかも知れない。良い方向に行けばいいが、大抵それが自滅の方向を目指したがるのであり、先を急ぐことになるのではないか。無理をすれば碌な事にはならない。北京オリンピックがどれだけの意味があるかは知れないが、中国政府の拘りは、どこか面子を感じる。それをプライドと彼らは言うのだろう。それがいい方向に行くかだろう。 ・竹に節目があるから強くなると言われる。彼らの生命力は周囲を圧倒して進んでいく。雑草を相手にするのは中々厄介である。雑草は一瞬も油断しないからだ。そして何度引き抜かれても、踏みつけられても勢力を伸ばしてくる。もし空き家ならあらゆる生物が入り込んで、あっという間に廃屋にしてしまうだろう。この世界は油断のならないと場所でもあるのだ。ある時点からある時点までの間が存在し、そして、違うことをすることになる。それが適応できるかだろう。できる場合もあれば、できない場合もある。それで、挫けることはないのだ。それは1クールでしかない。 ・へ2・・・自分を評価することは大事だろう。併し、それはそのときことでしかない。自分は、どんなにでも変わるだろう。それができるだけのものを持っている。勿論それは誰でも同じことだ。そのチャンスを活かすことができるか、だろう。何事も前向きで生きることではないだろうか。今年も桜が咲いている。人は様々な思いで桜を懐かしく思うのだろう。色んな想いが繋がってもいるからだろう。ただ、桜の下で・・・などという風雅なことにはならないだろうことだけは確かだろう。
2017.04.29
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カワセミ 福岡市東区我ながら、自制のない話だと思う。これも油断なのだろう。燃え尽きシンドロームといわれる人たちがいるが、完全燃焼している訳ではない。自分の心が負けているだけだろう。独りでは勝てない自分の弱さがある。それを他人から助けて貰わねばならない救われないのも事実だろう。克己心とは如何に難しいかということでもあろうか。これも弁解でしかない。強そうに見えて意外と脆い人はどれだけでもいる。吾にも他人にも強い人こそ、尊敬できるのだろう。それが、傍目には中々解り難いのだろう。 ・また、気を引き締めて、生き残るための努力を始めなければならない。そういうチャンスがあり、それを見逃してしまう人もいる。それは口実であって、自分の生命より大事なものが他にそれほどあるとは思えない。それは、自分勝手な理由であって、例えば屋根に穴が開けば雨は降りこんでくるだろう。やがて家は使えなくなる。人間の体も同じだ。血管は水道管と同じであり、脆くなれば破れるだろう。その原因の手当を怠れば早死にすることになる。「ポイント・オブ・ノーリターン」が来る。何が効果があるのかそれは分からない。どれだけ健康に注意しても避けられない病気もあるだろう。謂わば、その不確かな5%の確率こそ、人間の奇跡を生みだしてもいる。そのために正常な生活の送れない人たちがおり、私たちは、その人たちを守ることでひとの存在の神秘をも見るのだろう。 ・へ2・・・水底に沈むことによって得られるエネルギーこそ、ジャンプへの大切なプロセスではないだろうか。平穏な日々の中に進歩はないのではなかろうか。人間の病気はその多細胞ゆえに組まれてくるものもある。これからどんな病気が顕われてくるのか、想像もつかない。それでも、病気を知ることによって、更に知識を高めることができるのだ。凡人には油断がある。油断があるから自滅もする。しかしその油断も価値がないわけではないだろう。それによって、更なるものが見えてこないとも限らないからだ。
2017.04.29
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近くに鹿児島本線が通っていて、あそぼーい号が見られます。ふざけた名前が流行っているが、ダジャレが通用するのは良いが、政治家がそれでもは国民は堪らない。憲法前文の「政府の行為によって再び戦争の惨禍がおきることのないやうにすることを決意し・・・」の不戦の誓いが無視されようとしている。これから頭を冷やしに朝のウオーキングをして来ます。まだ生きていたいからすることがある。
2017.04.29
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