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2002年08月15日
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カテゴリ: カテゴリ未分類
 息子はクラブの合宿に行っていてようやく帰ってきた。昼間こんこんと眠り続けていたが、今は目覚めて勉強に入った様子。部屋にきてADSLの設定について厳しいチェックをする。緊張の一瞬。なんとか合格したようでよかった。このマンションにきてLANを引いた時には、僕には触らせてくれなかった。実際、設定はその頃はそんなに簡単ではなかったと思う。息子がいない時に何かトラブルが発生しても僕には対処できないだろう、と思った(これが依存)今回、息子がいなかったので全部自分でやってみた。そんなに簡単ではなかったがルーターの選定から初めて設定も何もかも一人でやれた。少し自信がついた。回線速度をチェックするページがあるらしくそこで調べたらかなり速いという結果が出て満足していた。

 さて、お願いされたらどうするかどうするか考えてみる。息子に甘やかしってどういうことだと思う、とたずねたら、頼まれもしないことをすることという答えが返ってきた。

 そこで、頼まれもしないことはしない。ただこれだけいうとあまりに冷たいといわれることがあるので補足するならば、何かできることがあったらいってね、といっておくといい。それで何もいわれなかったら動かない。

 こんなこともあるかもしれない。コーヒーを飲みたい、と思う。その時に例えば息子が近くにいるとしたら声をかけるだろう。「コーヒーを飲もうと思うんだけど飲む?」というふうに。もちろん、いらないといわれたら何もしない。飲むといわれたらいれる。

 何かを頼まれて断わるとしたら感情的にではなくて、毅然とした態度で断わる。いや、とか、ダメ、というふうに。理由はいわない。なぜなら理由をいうと期待感が膨らむからである。

 しかし、実際問題としては簡単には断われないことが多いように思う。僕としては、引き受けられることであれば、引き受けるというのも悪くはないと考えている。子どもたちがしつこく粘って親に何かを買ってほしいと頼んでいる場面を観察していると、結局なんだかんだといっても親が子どもの要求を引き受けている。断わってみても結局引き受けてしまうくらいであれば、最初から気持ちよく引き受ける方が対人関係を悪くはしないのではないか。

 もちろん、こんなことをいつも引き受けていたら何を要求しても親は何でもいうことをきいてくれることを子どもが学ぶから断らなければいけないという考えもあるだろうが、子どもはこんなふうに親を困らせることで親と闘っているとしたら、このようなことが起こってからはできることはあまりないように思う。

 子どもがこのように闘っているのではなく、ある時何かを気持ちよく言葉で頼んでくる時は、引き受けることができ、かつ、そうすることが嫌でなければ気持ちよく引き受けてみると、たったそれだけのことで関係が変わるかもしれない。少なくともこちらはずいぶんと気持ちが変わってくる。

 闘っている時なら、お願いを引き受けると負けになるというような権力争いから降りたい。



(以下の内容は 、「アンフェアだが対人関係をよくするためのヒント」 と重複するところがある)

 以上見たように、人からお願いされたことはできるだけ引き受ける。しかし自分でできることは人にお願いしない。これは一見アンフェアに思えるかもしれないが、世の中の人が誰もがこんなふうに思ってたらうまくバランスがとれるだろう。たとえそんなことは期待できなくても、私はこの方針で行こうと決心してみる。お願いをきいてくれるなら、あなたのお願いを聞いてあげようとは思わないことである。

 お願いされたことを引き受けること自体は必ずしもむずかしいことではないが、引き受ける時に、私はこのお願いを引き受けたのだから、あなたも私のお願いを聞いて、と思うところからめんどうなことになることが多い。相手はそのような期待に応えてくれるとは限らないからである。

 このように相手が期待通りの応答を返してくれなければ心がざわついたり、いらいらしてしまう。ふと思ってしまう。私はずっと、あなたの要求には「はい」と答えてきて、一度たりとも断ったことはなかったではないか、なのに、あなたは私が要求した時に、きっぱりと、”No”というではないか、これってアンフェアではないか、と。

 先生のやり方が気に入りません。学校をやめようかと思うのですが…という相談を受けることがある。そんな時、はたして相手のやり方が自分の意にそわないからといって自分が不利な目にあわなければならないのか、考えてみよう、という。若い人を見ていて気の毒に思うのは自分だけが不利な目にあって、大人の方は子どもの抵抗によって何も困っていないということである。

 七年半教え子から無言電話が毎晩かかってきたという話を聞いたことがあるが、考えてみれば互いにずいぶんとエネルギーが要ることである。もしもこの生徒が先生に対して何か不満があったのならば別の方法があったはずである。

 相手のやり方に不満がある時、この人は闘うに値するかをまず考える。闘うという言葉が適切でなければ、主張するという言葉でいいのだが、もしも闘うに値するならば、きちんと言葉で主張したい。闘うに値しない人であれば闘って不利な目にあうことはない、と思う。

 大人のやり方に反発するために復讐に走るよりは、反対されることを覚悟で主張するように援助することが多い。親は子どもの生き方が理解できなくて反対するのだが、子どもの生き方を見て当惑しても基本的にはその気持ちをなんとか自分で処理するというのは親の課題である。親の課題は残念ながら多くの場合解決されることはない。しかし親子関係をよくするためには、子どもの人生について子どもと親の目標が一致させる必要がある。子どもの人生だから親が譲るしかないわけである。

 友人から聞いた話だが、娘さんがある日食事の時にスプーンを落とした。「拾って」と頼んだので、母親はすぐに拾おうとした。すると、父親が「自分が落としたのだから自分で拾わせろ」といった。母親はそれを聞いて気持ちがぐらついた。かくて、その家では、三日三晩、スプーンが床に落ちたままになっていた。そして、スプーンを見るたびに家族の誰もが嫌な思いがしたという。

「[拾わないで放っておくことは]エネルギーがいったのではありませんか?」


 到底引き受けられない無理難題を出されたらもとよりどうすることもできないが、断われば相手との対人関係が致命的に悪くなることが明らかな時には、正しさには固執しないで権力争いから降りることが必要なことはある。

 なぜ権力争いから降りなければならないかというと、権力争いをして相手に勝ってしまうと、復讐の段階に移行するからである。権力争いの段階であれば、本気で腹が立つが、復讐になると腹が立つというよりは、なぜこんなことをするのだと嫌な気持ちになる。

 この話をある日、小学生の娘にしたら思い当たることがあったようで、母親とある日喧嘩をした時のことを話してくれた。「私はすごく腹が立ったのでお母さんの車の鍵を食器棚の後ろに隠した」。このように復讐の段階では、もはやいわば表には出てこないで裏にまわる。

 権力争いから降りることを勧めても、よくある反応は、くやしい、だって私の方が絶対正しいのだから、というものである。負けても相手と仲良くなれるなら、その方がはるかに望ましいし、勝っても、すなわち、自分が正しいことを証明したところで相手との関係が悪くなってしまったなら、元も子もない。





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最終更新日  2002年08月15日 01時41分22秒
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